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2024年08月03日

フィリー

会議でフィラデルフィア出張。2012年以来です。6月に来るはずが、うんこみたいな仕事の綾でキャンセルせざるを得ず、しかもこの後は機会もなさそうなので、ものすごい必須の仕事ではなかったけれども頑張って来ました。
前回は時間が遅かったので中に入れなかったフィラデルフィア美術館、隙間時間にバス捕まえてきて、やっと見ることができました。ここも無料で入れた……
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ひまわり、ここにあった。
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メトロポリタン美術館ほどではないが、広かったです。
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西洋クラシックへの憧れと驕慢みたいなものが爆発している感じ。
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猛暑の谷間に当たって、35度まではいかなかった。夜はそこそこ過ごしやすい。街は相変わらず、カジュアルに人が倒れてました。ダウンタウンは思ったほどでもなかったけど。前回きた時はいきなり「財布よこせ~」とか言われたのに比べると危ない感じはしなかった。
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泊まったのは民泊。半分住宅街、ヒスパニックの方多め、大丈夫かな?と思いましたが、行ってみたら中心部のちょっと外側なせいか、静かで安全そうなところでした。部屋はホテルと違って空調がうるさくなく、最高に寝やすかったです。
会議初日の夜はレセプションでした。場所はフランクリン・インスティテュート。科学博物館かな。閉館後を借り切り、ベンジャミン・フランクリンに睥睨されながらパーテー。
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チーズステーキ(サブウェイみたいな長いパンにチーズソースの焼肉が挟まってるサンドイッチ)はここで出たのでコンプ。
この時にたまたまテーブルで隣になった日本からきてる若手研究者をナンパして、翌日ピザを食べに行きました。会議場近くのBabuzzoっていうところ(特筆しておく)。19時までのハッピーアワーに滑り込んだので、ピザ$10、ビール$5とすごい安かった。
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医学部出身で、来年博士をとったら西海岸の研究所に行くそう。今のところ自分にしかできない技術を持っていて、将来はこんなことをやりたいということを話してくれました。かなり野心的だが、こういうのがある人こそ研究に向いている。そしてそれが達成できるかは分からないが、この人は成功するんだろうなと思いました。久しぶりに未来を感じさせる人と話したかもしれない。
地下に潜るとやはり客層が悪くなる地下鉄のって、アムトラックのって帰ってきました。
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会議では朝食のほか、1日目はタコス、2日目はサラダ、3日目はパスタとすごいちゃんとした昼飯まで出してもらえたことにびびりつつ、アウトプットは一応した。しかし本当にやるべきことはまだ。しかし1日10kmくらい歩き回りながら3日間インプットしまくって、本来の仕事ってこういうことしないとだめだなとか。

と同時に、アウトプットが誰のためになってるのかよくわからないことが最近続いており、結構微妙な気持ちになっています。

* * *

トースト1枚が焼ける程度のすごいちっちゃいオーブントースターを買いました。$22。数ヶ月しか使わないわけですけど、安かったのと、LAのホテルの朝食会場にあったトースターでハムチーズトーストやったらおいしかったので。
ベーコンの切れ端とブロッコリーと卵をNYのダイソーで買った10cm角のちっちゃい器に入れて温めたら朝飯が豊かになった。
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* * *

◆間瀬英之、身野良寛『量子コンピュータまるわかり』日経BP、2023年。

いただいた本(アメリカまで送ってくださった……)。日本総研の方が著者で、さすがというか技術も政策も業界動向も網羅しつつ噛み砕いていて、通読するのは若干大変だが、リファレンスとしてめちゃくちゃ使えると思いました。原理の図解が分かりやすい宇津木健『絵で見てわかる量子コンピュータの仕組み』とはまた違った利用価値のある本として現在No.1タイ。随時アップデートしてほしいが、しかし主要なトピックは出そろっているので、自分が使うときにネット検索して最新情報を調べれば今後3-4年は使える気もする。

* * *

3日から夏休みに入りました。上記6月にフィラデルフィア行きを潰したうんこ仕事がまだ長引いていて、どうなるか分からなかったので夏休みの計画が立たないまま突入してしまいました。しかしここ数日いろいろ検討して、一応これかなという方向性は見えてきました。

7/25に書き忘れましたが、最後の半年に入りました。まだ後任のアナウンスないけど。

2024年07月19日

早起き週とアメリカと私

職場の人たちが大挙してウィスコンシンに行ったので、8時始業の早出シフトが月火水、24時終わりの夜勤シフトが金と回ってきて、なんかぼーっとしている間に終盤を迎えた週です。

前の大統領が撃たれた件はたまたま土曜出番で職場にいた弊管理人が対応することになり、シフトの始まりの午前8時から午前3時まで19時間勤務(後半は多忙)しました。事態の変動がほぼなくなった3時の時点でも東京からは「上からいろいろ注文がきてるので、あとでまた連絡する」と言われ「20時間になるんで帰りますけど」と言ったら「じゃあいいです」と言われて終わりました。まあ修辞を弄する程度なら日本で元気に起きてる人たちでできるでしょ。過去に過労死を出し、最近もメンタル発生してる部署と添い遂げていいことはない。

金曜は政府系の会合というかパーティーに行ってる友人と夕飯を食べるという話になったが、パーティーの終了時間より早い時間を指定されたので早めに抜けて行くのかなと思ったら会場に呼び込まれた。すっかり出来上がってるアメリカ人ばかりがわいわい騒いでてうるさく、知ってる人もいないので「外で待ってる」といって散歩。
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終了時間になっても連絡がこないので「帰るわ」とメッセージ送って、近くのスーパーで買い物してたらわりと慌てた感じで連絡がきた。でメシ食って帰った。週末から帰省するそうなのでしばらくはこういうことはなさそう。ちなみに「土曜の昼、空港まで送ってくれない?無理ならウーバー呼ぶけど」と言われたので無理じゃないけどウーバー呼んでもらうことにしました。

* * *

◆江藤淳『アメリカと私』講談社、2018年

1960年代前半にプリンストン大学に滞在した著者の滞在記。アメリカを見ると、その全体などとても見えないのに、それでも何か言いたくなってしまうのは洋の東西や時代を問わない。それだけ変なところだというのと、それぞれの人が自分の見識を試したくなるのと、その混合でなんかそういうことになるのかも。60年前に批評家が(東海岸の大学町という狭い窓から)のぞき見たアメリカと、今の弊管理人の思ったことをメモしておきます。

「ここでは、いわば社会は人種差別することによって受容れていた。逆に日本の社会にひそんでいるのは、ときには媚びさえ含む微笑の底にかくされた拒否である」(p.90)
そうだなと思った。

一時帰国、
「その醜悪な街[東京]を行く人々の顔は、どれも不思議なほど明るかった」(p.97)
これは時代の違いを感じる。

「米国が特にこの黒人問題で苦悩しなければならないのは、この国が日本とも英国とも、その他もろもろの歴史の影をひいた国ともちがって、合衆国独立宣言という理念の上にうちたてられた新しい、実験的な国だからではないだろうか」(p.160)
これは今も大統領が「理念によってできた唯一の国だ」と言う。ソ連を無視しているか忘れている予感はするが。

「もとより言語能力と兵役とは、米国市民になるための最低条件にすぎない。加えて米国式に清潔な、規律ある生活様式に適応し、これを維持する能力が要求されるとすれば、ここに作用するコンフォーミズムは相当なものといわなければならない」(p.162)
「それでは米国人になるとは、具体的に何を意味するか。ひと口でいえば、それは英語をつかって生活するということである」(p.231)
日本人でも一定条件を満たせば米国人になることはできるのに対し、米国人が日本人になることはいくら日本語ができてもできない、というのはいい対比だと思った。なので、日本通の米国人には、いくら努力しても外人扱いをする日本に対する憎悪があるのだとも。
しかしこういうことだとすると、現在のスペイン語コミュニティの増大は、想像以上に根本的な部分で米国を揺さぶっているのだろう。肌の色の違いも手伝って、昔の非アングロサクソン移民の比ではないくらいに。

キューバ危機の当時。一向に社会的な支持が得られないパシフィストのデモに際して。
「社会の空気が非同情的だからといって、こういう少数派の主張を抑圧しようとはしないところが米国のいいところかもしれない」(p.172)
まあそうかな。主張するほうもカウンターやるほうもとにかくしゃべくるので、事を構えるハードルが高いのかもしれない。日本は内気なせいか、殴り返してこないだろうと踏んでわりと積極的に嫌がらせする輩が出るね。

「彼ら[米国人の専門家]の冷静な分析と見えるものの底に、こと米国の利益については一歩もゆずらないという強烈な感情がひそんでいるということでもある」「私は、あらためて社会科学というものが結局理論的表現によって行われる感情の放出ではないかということも、考えてみないわけにはいかなかった」(p.180)
後日の文章に、この本を読んだ米国人の一部が怒ったという振り返りがあったが、このあたりが理由の一つだったんじゃないかなと思った。だけどまあ米国人は米国の利益を最大化するという目標を疑ってないのは確かにそう。「理想主義は実はケネディ氏の「スタイル」」(p.243)であって、彼もやはり一皮剥けば米国第一主義の権化だったという診断に通じる。

「とにかくこの国は、生存競争のきびしい、生活に全力をあげて立向かわざるを得ない国である。その背後に、依然として比較的豊かなチャンスがあるので、うまく行っているのである」(p.187)
こっちに来たころ、友人に「米国は余裕がない国に見える」と言ったら「逆だと思った」と言われたことを思い出した。弊管理人はその後、「余裕がない国」のほうに一層傾いた。基本的にみんな怠け者だが、根本的な「休まらなさ」がある。そのことは、別の所では「米国社会に内在する一種の苛酷さ」(p.249)といわれている。

アメリカの「地方主義」=だいたい地元のことにしか関心がない田子作っぽさと、危機に直面したときに急激に立ち上がる抽象的な「合衆国」モードの二面性について。「合衆国」モードは「地方主義」からの切り替わりではなく、実は地方主義のある一つの現れ方だろうという見立て。
「現に、「キューバ危機」のときの中西部からの反応が強硬をきわめ、ほとんど好戦的ですらあったのは、その[地方主義の]ひとつのあらわれだったのかも知れない。郷土愛が強く、具体的であればあるほど、一方で「合衆国」という全体は抽象的なものになり、国際的な力関係のなかにあるひとつの国家であることをやめて、一種の理念に変質する」(p.189)
これ、いい分析だと思うな。「いわば移民上がりの自作農がつくった数知れぬ「小さな」町の集合である」(p.255)というのは地理の観点から同じことを言っているように思った。「帝国」ってまさにこういうものなのでは。

「日本人には、価値は過去と断絶したところにある――あるいはそこにしかない、と考えたがる傾向がある。逆に、米国人は、価値は農業的過去との連続の上にある、と考える。さらにこの二つの矢印の示す方向をたどって行けば、あるいは日本人にとっての価値の根本は新しい物質、または技術であり、米国人にとってのそれは古風な倫理である、というようなところまで行きつくかも知れない」(p.253)
アメリカ人の自己中心的で目の前のことしか見ず、批判されるのが大嫌いな「国民性」のようなものがキリスト教とか資本主義といった文化や制度を強烈に規定している。なんなら神もエビデンスもわしのためにある、という態度。世界中で嫌われながらなお好きにしていられるのには、地理的条件のほかにこういう明るくて迷惑なメンタリティの寄与するところが大きい。

2024年07月04日

さよならの季節

7月だ。7月。今年前半、何をしてたか思い出せない。
そんなにびゅんびゅん過ぎた感じはしないけど、これ以上速かったらすぐ死んじゃいそう。

在DCの公的な立場の人たちは異動の季節です。
6年という長期にわたって、ある世界に君臨してきた人の送別会は事務所のルーフトップで催されました。150人くらい集まったとのことです。
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アポイントとろうとしても会えなそうな人もちらほら客として来ていました。

当日着いたばかりという後任が挨拶。米国勤務経験はあるようだが、やはりまだ英語モード・アメリカンスピーチモードになっていなかった。「着いたばかりでよくわかりませんが仲良くしてください」ではなく、自分は具体的に何ができる人か/あなたがたと具体的にどういう案件で関わると認識しているか/それは日本とアメリカの協働という広い文脈にどう位置付けられるか―を簡単でいいから一言ずつ言ってさっと終わったほうがいいんだろうなあと思いながら聞いていました。

英語堪能、明るく社交的、クリスマスはパーティー行脚、えらい人たちとカラオーキー、と余人をもって代えがたい人脈を築いてきた今日の主役に、はなむけのスピーチしたい人~?という呼びかけに、次々とマイクが回された。
スピーチしたアメリカ人の客が、後任に「big shoes to fillだけど頑張ってね」と言った。そこまできつい訳が適当かは分からないが、要は「この人の跡があんたに務まるか?」ということ。人ごとだが弊管理人は震えました。優秀な人の後任というのは、かくも厳しい。

あと、弊管理人含め、日本人は全体的に汚い(主役はさすが、ちゃんと華美でないがきれいな服を着ていた)。髪をきちんと整えていないし、歯が黄色いし、肌のケアをしていないし、上着を着ていなかったりする。しかし比較対象はアメリカの中でも上の方の階級の人で、特に互いを値踏みするコミュニティの中だということから、必ずしもフェアな比較ではないことも分かる。アジア諸国の同業者とか見ているとそんなすごいきれいにしているわけでもなく、以上のことは何か特殊な地域の特殊な階層の話なんだろうなとは推測します。

建物1階のパブで、もう1組の新旧交代者と一杯飲んで帰りました。
もうすぐ帰る人、着いたばかりの人。2年数ヶ月前、もうすぐ帰る人に「ここはホームになりますかね」と聞いたら「なりますよ」と答えられたのを思い出しつつ、両方の気持ちが分かる立場になったなと思いました。

* * *

翌日も小さな送別ランチをやりました。ネパール料理屋で、モモとダルバート、あとネパールビールという名のマッコリみたいなお酒。
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仲良くなったのか、そうでもなかったのか。よくわかりませんが、あちらから「最後にランチを」と言ってくれたので仲良かったのだろうと安心しておくことにします。
「ではまた半年後に東京で」といって別れました。

* * *

3日。
5月に折れた歯の治療は、クラウンを取り付けて終了しました。
やっぱり合計2000ドルくらいした。できるだけ長くもってほしい。
前回回収し忘れた、折れた歯。「記念にくれませんか」と言ったら「あ、もうないです」と言われました。腕はいい先生なんだけど、そういうとこな。

そのあと出社したんですが、なんかすごい疲れていて、あまりちゃんと仕事をしないまま帰って、前日より少し早めに寝ました。

* * *

大統領選挙の討論会のあと、振るわなかったおじい周辺がわさわさしています。
・歳なのは前から分かってたじゃん。大人の事情に囚われすぎ
・と同時にみんな目の前のことに囚われすぎ、で流れを作ったらなんとしても押そうとするのこわ

* * *

◆栗田治『思考の方法学』講談社、2023年

同じ講談社現代新書の『創造の方法学』にタイトルを借りたかな。
モデルとかオペレーションズリサーチの話題を扱った本。原理と応用がコンパクトに示されていて参考になりました。
モデルの類型:
 定性/定量
 普遍(理学)/個別(工学)
 マクロ/ミクロ
 静的/動的
と、その使い方。ほかに、
使用上の注意につながるいくつかの概念:
 正味現在価値法
 埋没費用
 パレート最適
 伝統主義
 フェティシズム(目的と手段の転倒)
 官僚制の順機能と逆機能

ある程度経験のある人にとって、見聞きしたこと、考えたことを整理する手助けになると思いました。

* * *

滞在33カ月満了、34カ月目。残り7カ月。

2024年06月22日

月はすごい

◆佐伯和人『月はすごい』中央公論新社、2019年

仕事上の必要からKindleに落として通勤バスでガツガツ読んだが、全ての事実に「仕組み」や「理由」が書いてあるのがとてもよかった。アメリカ人の説明はかっこよさげに物事を語ることに重点を置いていて、「それがなんなのか」はわりと分かりやすく言うものの、「なんでそうなるのか」をなかなか書いておいてくれない。その点、実績のある新書編集部はさすがで、月はすごいが著者もすごい。そして2019年の執筆当時から今まで本当にいろんな成功や失敗があり、そしていろんな計画が遅れてきたなという感慨を抱いた。


・フロンティアよりも「7番目の大陸」
・なぜいつも同じ側を地球に向けているか:少し重い月の表側が地球の引力に引きつけられているから=自転・公転周期が同じ=「自転が惑星にロックされている」
・月の裏側:
 1959 ルナ3号(ソ連)カメラ撮影。裏側はメンデレーエフなどソ連の人の名前の地形が多い
 1968 アポロ8号=有人月周回探査、初めて肉眼で裏側を見る

【高地と海】
・明るいところは「高地」、暗いところは「海」。面積は84:16
・高地:斜長岩(ほとんどが斜長石。花崗岩の白い部分も斜長石)
 固まった地殻。46年分の隕石衝突でボコボコ
 斜長石はAl, Si, Oが入っている
 斜長岩は地殻を形成(アポロ試料で確認)
 マグマの海仮説:月を覆っていたマグマからFe, Mgを含む鉱物が結晶化して沈む
  →Al, Si成分が多くなり、斜長石の結晶→マグマより軽いので浮いて地殻に
・海:玄武岩(斜長石と輝石が半々)
 マグマが地表に出てすぐ冷えたため斜長石は小さく、全体的に黒く見える
 輝石はFe, Mgを含む鉱物
・海は巨大隕石衝突でできた孔を溶岩が満たしたもの
 ※ただし孔ができて1億~10数億年後。その時期にU, Thの崩壊熱で岩が溶けてマグマ形成
 高地に巨大衝突→マグマ埋め立て。若い土地なので滑らか
・これまでの月着陸探査はほとんどが海
 嫦娥4号(2019)も高地の中のクレーターで、溶岩が埋め立てたところ

【月食】
・月は年約3cmずつ地球から離れている→数億年後には皆既日食が見られなくなる
・月食は世界同時に見える。日食は影の部分だけ
・月食になると太陽光発電ができなくなるので月探査の際には機材の過剰冷却と故障注意

【月のできかた】
(1)兄弟説=月が地球の隣で同時にできた
 △同じ材料でできたはずなのに月は密度が小さい
(2)親子説=地球の自転が不安定な時期にちぎれて飛び出たのが月
 ○地球の重い核ができてから地殻やマントルがちぎれたなら密度差は説明できる
 △自転の不安定が本当にあったのかも仕組みも不明
(3)他人説=月がどこかから飛んできて地球の重力に捕捉された
 ○別の場所でできたなら密度差は説明可能
 △月と地球は酸素の同位体構成が似ている。通過も落下もさせず捕捉するのも難しい
(4)巨大衝突説=初期地球に火星サイズの天体(テイア)が衝突した破片が月
 井田茂、小久保英一郎らがシミュレーションで可能性示す
 ○衝突時の熱で厚さ400kmものマグマの海仮説も再現できる
 △飛び散る破片はほとんどがテイアの破片。そんなに地球に似ていたのか?

・レゴリス=大小隕石に砕かれた月面岩石。細かな砂。小麦粉サイズ
 満月が半月の倍以上明るい「衝効果」の原因でもある
・宇宙風化=宇宙から降る放射線、微小隕石の高速衝突による岩石表面の変化
 表面が不透明な粒子によって赤黒く変化(アポロでFeの粒確認)
 実際の試料で確認できているのは月とイトカワだけ(※執筆時)
 →隕石衝突し地下の新鮮な岩石を飛ばすと明るい筋(レイ)ができる
  =レイは消えるのに約10億年かかる。見えるものはそれより新しい

【月面】
・寒暖の差が激しいのは大気がないため。地球は大気が熱を運んで平均化している
・日なたは120度、日陰は-80度、夜は-170度(夜は2週間)
・越夜技術:装置をレゴリスに埋める、断熱材で囲う、電力で暖める
・隕石が燃え尽きず、1mm未満の隕石も秒速10-20kmで落ちてくる。小さい隕石ほど頻度が高いので危険。落下地点から飛ばされてくる破片も空気抵抗で減速されない
・放射線
 (1)銀河放射線=超新星残骸からくる高エネルギー粒子
 (2)太陽風=太陽からくる電磁波や粒子
 地球は磁場が逸らし、大気が威力を減らすが、月は固有の磁場も大気もなく年100-500mSv
 →数mの壁が必要。外での活動も制約
 太陽フレア時の退避も
・月へ行く途中の放射線=バンアレン帯(地球磁場に捕捉された荷電粒子)
 1958 エクスプローラー1号が発見
 内帯 高度1000-5000km
 外帯 高度15000-25000km

【水資源】
・月では水1リットル1億円。これ以下で採掘できればペイ
・水
 1994 クレメンタイン(米)南極地域の電波反射波で水を思わせるデータ
 1998 ルナプロスペクター(米)中性子分光計、極に水素が大量にある場所あり
 2009 エルクロス(米)クレーターにロケット打ち込み噴出物観測、水蒸気の特徴
 いろいろあるが行ってみないと分からない。たくさんあると思う人も思わない人も
・太陽光発電で作った電気で分解→復路の燃料、火星や小惑星に(小重力で大気がない月からの出発が有利)
・飲み水、呼吸する酸素の減量、農業(のち呼気や排出物のリサイクルでまかなえるが)
・永久影。極では太陽はほぼ地平線を這う。クレーターの底は永遠に日が射さない
 「かぐや」の地形カメラが調査、シャックルトンクレーターの底は-190度と推定
 →数cm~数10cmもぐったレゴリスの隙間に微小氷が付着しているのでは(小さい隕石の衝突で表面がかき回されて一部は深いところに移動している)
・水がある原因
 (1)彗星や隕石の落下→蒸発→超低温レゴリスに触れて凍り付く
 (2)地下からの供給=マグマに含まれる水。10億年前くらいまで火山活動
 (3)太陽風=H,He原子。レゴリスに突き刺さり、閉じ込められて鉱物中のOと反応か
・なかったら?
 太陽風起源のH利用。レゴリス加熱して取り出し、レゴリス鉱物内のOと反応させて水製造。コストや手間はかかるが、Hが大量にあれば可能

【金属、Si】
・鉱物:天然に存在する無機物質で、化学組成や物理的性質が同一の部分
・岩石:鉱物の集合体
・かんらん石:Mg, Fe, Si, O。マグマが冷える最初のほうで出てくる。重い→マントル構成か。地球の上部マントルもかんらん岩と思われる
・チタン鉄鉱:FeTiO3。玄武岩に入っている
・建設資材:レゴリスの焼結ブロック。太陽電池による電気炉か太陽光集光した太陽炉で加熱しれんがのようなブロックを作る。建物のほか、重機の重しにも(ショベルカーが地面を掘るときに浮かせない)
・金属:Fe, Ti, Mg, Al, SiはOと結びついてるのを引きはがす。Hと混ぜて高温にするとO+Hで水になり、元素を単体で取り出せる。チタン鉄鉱からのTiか斜長石のAlをFeに混ぜて鉄鋼を生産
・空気がないのでさびない
・Mgは合金にして宇宙船の機器
・Siは太陽電池パネルの基材に
・原子力電池:放射性物質から出る熱で発電するか、放射性物質から出る放射線で蛍光物質を光らせて太陽電池で発電。ボイジャーのほか嫦娥3号ローバー(玉兎)に搭載。夜が2週間続く間の保温に。ただし安全性。カッシーニの地球スイングバイへの反対運動(と強行)
→月で採掘の可能性。マグマの中(eg.ハンスティーン・アルファという火山ドームなど、鉱物を生成したあとのマグマに濃縮されている可能性)。トリウム異常地域にもウラン鉱床がある可能性が高い。ただし低コストで採掘できるのはかなり先か

【月の一等地】
・高日照率地域(年間の80%以上日が当たる地域)が存在。太陽光発電して充電し、日陰の間は機器を暖めてやり過ごす。探査機の着陸、有人基地に最適。「かぐや」探査である程度まとまった面積(数百m四方)の地域は5カ所しかないことが判明。表側には2カ所のみ
 極域探査の場合はそこから永久影まで高日照率地域が続いているとよい
 ちょっとそれると日が当たらない地域→SLIMのピンポイント着陸技術が必要。LUPEXは半径50m内着陸が求められる
 フライホイール式蓄電施設、核融合炉、電波天文台(裏側に)
・縦穴=溶岩トンネルの天井に穴があいたもの。火山地形。「かぐや」とLROが発見。中に空洞があるのは3つ。延長距離50kmか。隕石や放射線よけ、寒暖差の緩和
・取り合いになる資源:限られた場所にあるもの。高日照率地域、縦穴、永久影(の近くの採掘基地となる日照率の高い地域)、核燃料鉱床(火山度オーム、Siの多いマグマ陥入地域)
・取り合いにならない資源:あちこちで手に入るもの。鉄、チタン。チタン鉄鉱は海を構成する玄武岩の中に存在。HやHe3も太陽風として月全体に降る。Alは斜長石、どこにでもある

【エネルギー】
・化石燃料を地球から持っていっても燃やすための酸素を作らないと使えないので、最初は太陽電池
・水素=ロケット燃料。H+Oで爆発→H2Oが高速で打ち出される→反動でロケットが進む(※はやぶさの電気推進はキセノンガスに電磁波を当ててXeイオン+eにし、イオンを高電圧で加速して打ち出す)。極地に氷がなくてもレゴリス加熱でHは手に入る。太陽風由来なので持続可能(ただし取り尽くすとまたたまるのに時間がかかる)
・He3=太陽風に含まれる。核融合燃料

【食料生産】
・嫦娥4号(2019)棉花やアブラナ、酵母やショウジョウバエを搭載→温度管理失敗(高温)したが、月での農業を念頭に置いていたとみられる
・呼気のCO2や排泄物リサイクルとしても農業を考慮
・ないもの:C(月の岩石にない)=炭素質隕石が使えるか。N(火星にはある)=肥料持ってくるしかない。Pも持ってくるしかない
・あとは植物→動物→食べる、のサイクルを作れば自給自足は可能
・昆虫含め、食材の多様性がないとアレルギーが出たときに困る
・昼夜2週間ずつ→LED光源で、断熱・放射線遮蔽された室内で実施

【月~太陽系へ】
・月探査のトレンド
(1)氷:LUPEX、ロシア、中国も着陸やサンプルリターン狙い
(2)火山地域:嫦娥5号(成否は要確認)。月の噴火は何によって起きたのか(水蒸気、CO、…)
(3)南極エイトケン盆地:表と裏の違い、地殻の下の岩石層

・火星
 1971 周回はマリナー9号(米)・マルス2号(ソ)、マルス3号が軟着陸
 1976 バイキング1号(米)が軟着陸
 1977 ローバー:ソジャーナ(米)
 2003 マーズエクスプレス(欧)
 2003 のぞみ(日)=失敗
 2004 スピリット、オポチュニティ
 2012 キュリオシティ
 2014 マンガルヤーン(印)
 2018 インサイト(米)
 火星サンプルリターンは未達
・北半球の大部分が海だったとみられる。火山活動も活発だった。プレート運動も?
・CO2とH2Oが凍り付いた極冠が南北の極にある→農業
・メタンがあるらしい→ロケット燃料
・プレート運動凍結、大気薄く、海洋蒸発、生命いるかも?

・小惑星
・デイビッド・トーレンらの分類(1984):明るいグループ(V,Q,R,S,A,E,M)、暗いグループ(C,G,B,F,T,P,D)
・未分化な小惑星は太陽系形成時の物質を保存している。太陽系の初期状態を探る
・分化した小惑星はさまざま。地球のような構造がどうやってできたか
・資源として:鉄隕石の母天体から金属鉄採取(精錬がいらない)とか、地球では核にほとんどが入っている白金、イリジウムなど
・氷衛星:内部に海・生命?=ガニメデ、エウロパ(2012、2016にハッブルが噴泉観測)、エンケラドス(2015カッシーニが噴泉に突入し成分調査)、タイタン(2005にホイヘンス・プローブ着陸。液体メタン、エタンの川や湖、海)など
・系外惑星:Exoplanet.eu、プロキシマb=ブレイクスルー・スターショット計画は20年で到達目指す。20年後出発?

・課題
(1)アウトガス:真空環境で接着剤などからガスが出て他の部分に付着する。レンズなどにつくと観測ができなくなる
(2)宇宙放射線:重くないどんな素材で遮蔽するか。電子回路の誤動作(アポロはコンピュータ3台の冗長系)や故障、カメラのレンズ曇り
(3)熱設計:真空や月面では対流が使えない→熱がこもる。シミュレーションや真空容器で試験。

フェミ+量子

なにやらえらい熱波がきており、DC界隈は37度。家にこもる日と決めて、だいぶ前に読み終わってたもののメモをコンプ。

◆デボラ・キャメロン(向井和美訳)『はじめてのフェミニズム』筑摩書房、2023年。
Deborah CameronのFeminism: Ideas in Profile (2018)の訳です。

ちくまプリマー新書なんですけど、一枚岩でない対象や歴史を「フェミニズム」という一つの言葉でくくったことに由来する面倒くさい感じ(本書の言葉では「複雑さ」。典型的には従来型の行動批判→「女性の自主性を否定している」という批判→「それは自由な選択ではない」という再々批判)を活かしながら要約したとてもいい本だと思いました。

【はじめに】
・意味は:「女性は人であるという理念」、「性差別・性差別的な搾取と抑圧を終わらせる政治運動」、「分析枠組」のいずれかか組み合わせ(pp.9-10)
・二つの基本的理念「女性は社会において従属的な立場にあり、不正義や制度的な不利益にさらされている」「それは望ましいものでっはなく、変えられるし変えるべき」(p.19)

・「第1波」19世紀半ば~女性参政権運動:(1)男性との類似点を強調する議論(2)男性には解決できない女性独自の問題があると強調する議論。米国黒人女性による支持は人種平等につながることを期待。逆に白人女性の参政権獲得で白人の優位性が高まると考えた南部の人種差別主義者と白人女性の結託も(p.12)→1920年代に目的達成すると団結から分裂へ
・「第2波」1960年代米国発:第1波とのつながり強調
・「第3波」1990年代
・「第4波」この10年ほど
・「波」で表すことへの批判もあり。「一般化しすぎ」「前の時代の動きはまだ続いている」

・インターセクショナリティ(クレンショー):人種、民族性、セクシュアリティ、階級…

【支配】
・「構造的な男性優位性」=男性が利益を得る仕組み。※個別の男性のことではない
・進化論を利用した生物学的決定論 vs. 家父長制の起源探究。eg.エンゲルス『家族・私有財産・国家の起源』、母権制社会、狩猟採集社会。現代社会では緊縮財政による公共サービス削減と女性による無償の介護労働の拡大、性的解放(夫のものから社会のものへ)とレイプ文化やセクハラ
・性の自己決定:Roe v. Wade (1973)、英国での中絶処罰対象からの削除(1967)→現在のバックラッシュ。宗教的原理主義、男性の権利主張、オルタナ右翼。途上国でもボコ・ハラムなど
・女性自身の加担・受容:男性との絆、従属的立場の刷り込み(pp.46-47)

【権利】
・独立宣言のall men=白人男性←第1波フェミニズム、女性の権利運動としての理解
  vs. 根本変革を志向するラディカル・フェミニストの批判。投票権返上(1969)
  vs. グローバルサウスの視点。権利は要求すべき(レイシー)
・収入格差、議会構成、生殖(子どもを持つ選択をした人の権利?胎児の権利・父親の権利との競合)、「私的空間」とされながらDVの現場でもある家庭の保護との齟齬、女性の権利に関する国際条約と「よその文化の押しつけ」論、ジェンダーの主流化
・商業的代理出産:個人の生殖の権利擁護 vs. グローバルサウスの女性の搾取 vs. 金銭を得る権利・女性の主体性の否定批判 vs. 本当に権利の問題か?貧しくなくても選ぶだろうか?
・ニカブ禁止:ムスリム差別?女性の主体的な選択の否定(西側に救われるべき女性) vs, 「私たちは何も選択してこなかったと決めつけるのか?」 vs. 有害な慣習を押しつけられるべきでないというムスリム女性の声
 ←マイノリティの文化的慣習批判 vs. 人種差別批判 vs. コミュニティ内部の批判者擁護
・宗教裁判所(不変な神の立法) vs. 民主制下の裁判所

【仕事】
・無償ケア労働、ケアワーク時間の男女格差(OECD)→女性労働力の活用不十分→途上国にとっての不利。有償サービスのある先進国でもケアワーク分配は依然不均衡
・「ガラスの天井」はぜいたくな悩みとの批判←→世帯主男性という受益者の無視、「稼ぎ手」=男性という構造の無視
・家庭内資源の適正分配で女性死亡率の是正ができるようになるには、女性が有給職に就くことが必要(セン)
・高給で安定した製造業(の喪失とトランプの台頭)=男性、低賃金で不安定なサービス業=女性
←→男性の稼ぎに依存できない独身/パートナー男性失業中の女性は貧困に陥る
・賃金格差(1)女性がしているからという理由で低賃金になる構造(2)子どもが小さい間のパートタイムや時短労働がキャリアに与える影響(ジェンダーステレオタイプが背景)
・国が家事労働に賃金を支払うべき←→性別役割分担の保存。ケアワークの脱女性化
・女性と仕事の問題は制度だけでなく個別男女間の摩擦も引き起こす。誰が誰に権力を行使しているのか。「個人的なことは政治的なこと」。女性が自分より稼ぐことは男性の権威への脅威に

【女らしさ】
・本質主義:生物学的機能、生殖機能に基づいた普遍的な性質の想定
 +ボーヴォワール:社会的カテゴリーとしての女性(女に生まれる/なる)。ジェンダー。マーガレット・ミード
・規範は生物学的に説明できないことが多い(eg.足を開いて座ってはいけない)。飴と鞭による強制
・ジェンダーは男性にも窮屈だが、完全に対称ではない。背景として男性優位の構造
・ジェンダーの廃止か/今の苦痛を何とかするか
・服装や色など好みの「生まれつき」論への批判(1960年代)→進化生物学によるリバイバル←→先史時代にしか当てはまらない説明との批判
・親の思い込みや文化的背景から生まれた時から男女は違う扱いを受けて学習していくという心理学的観察。1970年代からは男女別玩具販売反対のキャンペーン、アニメの「女性の美しさ」描写、美人コンテスト、1990年代の摂食障害増加
←→「女性の自律性否定」という批判
←→「女性の選択は社会からのプレッシャーを受けている/内面化している/人生の早期から自由な選択はできていない」との再批判。美容業界の宣伝効果、白い肌>黒い肌

【セックス】
・男女間BDSMに対する「オーガズム支持」vs「男性の暴力と抑圧」
 セックスは「快楽」か「危険」かという立場の違いがフェミニストを二分する
・第1波:女性への危害回避・男の中の野獣矯正
 第2波:カウンターカルチャーの流れの中で自由なセックス肯定。自主性・自我を持つ権利の象徴
 ←→セックスは男性が快楽を得るもの
 →性教育:身体構造の違いやリスク+快楽についての議論も
・ポルノ文化→レイプ文化(行為拒否を責められる、通報・起訴されない)
・売春:男女の不平等の表出と促進。互いの欲求に基づくセックスという原則の侵犯。ノルウェーモデル(買春の禁止+売る側を処罰対象から外す→需要を減らす)
 ←→「上から目線」批判。合理的な選択は否定できず、失業キャンペーンは容認できない
 ←→ドイツなど合法化されてる国でセックスワーカーの社会保障ちゃんとしてなくね
・家庭でも妻は経済的安定の引き替えにセックスと家事を提供してないか
・セックスの拒否というシステム的解決(米・ラディカルフェミニスト)、「レズビアンは女性ではない」
・とまあいろいろあるが「女性は性の自律的な主体であり、誰かの快楽や利益に利用されるものではない」は共通

【文化】
・ダーウィン、ロンブローゾ。文化的に劣った、天才の少ない女性。ヴァージニア・ウルフ:なぜ女性のシェークスピアがいないのか
・文化的排除:映画監督(スザンナ・ホワイト)、科学(マチルダ効果)、作曲コンクール、小説
・見る男性、見られる女性:映画を撮るカメラの視線=観客の視線、人種科学(サラ・バールトマンの見世物)
・介入とバックラッシュ:ゴーストバスターズのリメイク、紙幣の肖像に女性を入れるキャンペーン、テレビゲームの中の性差別指摘。オルタナ右翼「メニニストmeninist」=自分に残されたのは文化的特権だけだという男性への訴求

【断層線と未来】
・ネオナチ、白人至上主義
・第4波:インターセクショナリティ(アフリカ系、トランス、労働者階級)、ジェンダークィア、女性とは何か?→個人が自由に決めるアイデンティティへ→「フェミニズム」と両立するか?
・商品化されたフェミニズム(ディオールの「みんなフェミニストでなくちゃ」Tシャツ)

◆湊雄一郎、酒井麻里子『量子コンピューター』インプレス、2023年。

情報が新しいのと、技術に対する評価(アニーラーがほぼ終わりというのはへぇと思った)や業界の動向が書いてあるのがよい点。
説明がいちいち食い足りないのがいまひとつ。いろんな量子ビットの方式が書いてあるが、それぞれ0と1がどういう状態なのかとか、量子センサーってどういう仕組みなのかとか、量子もつれでなぜ素因数分解が解けるのかとか。「これができます」に対して「どのように」がない。
※と書いたあと、某所からいただいた本のほうがよかったのでそっちをまた別途

・市販の実機Gemini(中国、SpinQ Technology)
・量子コンピューターはQPU(頭脳部分)だけ
・方式
(1)超電導
電子2個、平面に超電導素子(人工原子)、マイクロ波当てて操作、世界で開発(日本は理研と富士通とNEC)、商用化先行、冷却が必要、小型化が困難
(2)イオントラップ
イオン、チップの上にイオンが浮いた状態で静止、横からレーザー当てて操作、欧米、精度が高い・誤り訂正できている、周辺設備で筐体が大型化、誤り訂正量子ビット数が増やしにくい
(3)冷却原子
原子、空中に浮かせて左右からレーザー当てる、欧米、量子ビットの数が多い、周辺設備で筐体が大型化
(4)半導体
電子、電子の上下をチップで挟み上からマイクロ波を当てる、米国(日本では日立)、量産化・商用化に期待、冷却が必要
(5)光
光子、トンネルのようなゲート(通り道)を通す、世界(日本はNTT)、常温動作が可能、周辺設備で筐体が大型化
・古典コンピューター=正答が1つに決まるものに適する。量子コンピューター=答えが定まらないものの計算に適する
・アルゴリズム
(1)FTQC(理想、計算が長くエラーが起きやすい)
化学計算(素材を構成する原子や分子の電子配置を調べて作用を求める、新材料=EVバッテリーの性能向上で走行距離延長、半導体素材)、暗号、金融(複数の株式の最適組み合わせ、倒産リスク計算、価格予測)、検索
(2)NISQ(量子+古典、細切れを足し合わせる、精度上がらない)
化学計算、最適化(多数の自動運転車のルート同時計算して渋滞起こさせない最適ルート)、機械学習(まだ古典のほうが速い)


2024年05月04日

びゅんびゅん週間

今週はなぜかびゅんびゅん過ぎた感がある。
土曜は、プエルトリカンのご両親がフロリダからきたので、点心食べにいきました。
ロックビルのBob's Shanghai 66。鉄板ですな。ちょっとリニューアルされて、ラティーノのみなさんが小籠包作ってるところが見やすくなってた。鼎泰豊に触発されたのだろうか。
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4人なので多種類!プエルトリカンは普段あまりコメを食わないので、パパが「チャーハン食べたい」と言ってくれたのナイスだった。小籠包は確かにここ相当うまいし、野菜の炒め物とかもあっさりしっかりの味で上手。
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ママは「これさらっちゃいなさい!」「ご飯は残ったら包んで持って帰って!」「最後の1個はあんたが食べるの!」とめっちゃラティーノママだった。
パパは寡黙かなと思ったが、ご飯を食べたら饒舌になったので疲れていただけかもしれない。
ご馳走になってしまった。

プエルトリコからニューヨークに出てきて、そこからフロリダ移住というコースらしい。
フロリダに家を持ってて、今年初めにはアジアを回るクルーズに行っていたというので、そこそこお金はあるご家族なのかもしれない。お姉ちゃんが地元市長選に出るんだって。アクティブだなおい。

* * *

と食うだけ食っておいてヴィーガンの本であります。

◆ピーター・シンガー(児玉聡、林和雄訳)『なぜヴィーガンか?―倫理的に食べる』晶文社、2023年

シンガーが動物解放論者だというのは知っていたが、それにまつわる文章は読んだことなかったんですよね。苦痛の有無を認めると脳のある動物と人間の区別(種差別)はできなくなるはずだというのはそうだなと思った。

以前行った成田の鰻屋は店頭で鰻をさばいており、生きたまま頭に釘を打たれて体を刃物で切り裂かれる様子を見て引いたし、去年はブタの丸焼きを見て引いた。この本を読んでしまうと自分の行為は正当化できないと観念できてしまい、それでも肉を食うという認知と行動の不協和にこの先どこまで耐えられるかなという、何かの引き金が引かれた感じの読書体験でした。

訳者解説はさすがの児玉先生で、簡潔で当を得たまとめでした。しかし専門家の訳者として50年前の議論と現在の橋渡しやレフリー役はしてほしかった。どんな反論があったのか、それは有効なのか、畜産や動物実験の状況はどう変わったのか。種明かしを見たくなかったので解説は最後にとっておきながら期待して読んだが、ちょっと拍子抜けだった。

以下メモ。

(1)動物への配慮
・中枢神経系=苦痛の存在 ←→貝や卵
・種差別(動物は人間にはしないような扱い方をしても構わない)→人種差別(黒人奴隷化など)との類比。平等の要求は知能指数に左右されない(違いがないと主張するのではなく)
・ベンサム「各人を一人として数え、誰も一人以上として数えない」→利害を有する全存在者への適応。「理性を働かすことができるかでも、話すことができるかでもない。苦しみを被ることができるかどうかである。」(pp.36-37)
・特定の集団に対して私たちがとる態度のうちに潜む偏見は、説得力のある仕方で誰かに指摘されるまで、非常に気づかれにくい(p.24)
・解放分銅は、私たちに道徳的地平の拡大を要求する。以前は自然で不可避なものと見なされていた実践が、正当化しえない偏見の産物として理解されるようになる(同)
・工場畜産。人道的であれば食用に動物を育ててよいか?(pp.60-63)
・動物実験が与える苦痛。動物実験は動物と人間に類似性があることが前提で(それを期待して)行われているので「人間と同じように感じない」は成立しない。「多数の人間が助かるため」→多数の人間が助かるために生後6カ月未満の乳児に実験をしてよいか?(p.52)
・私のために殺されたのではなく、既に殺されたものだから食べてよい?→私が今日食べる=その需要によって明日のスーパーの仕入れ、将来の屠殺が招かれる(pp.102-103)
・私が食べる程度なら世界に大した影響を与えない?→集団として引き起こしていることには一人一人が責任を分有している(pp.103-105)
・魚
・牛乳は?→雌の毎年妊娠、仔牛は肉に

(2)気候変動
・畜産によって生産される肉の数倍の穀物が浪費されている(非可食部の成長や呼吸など家畜の生命活動)
・放牧用農地のためにブラジルの熱帯雨林が切り拓かれている
・げっぷでメタンガス
・培養肉は肯定される

(3)自分の健康
・ヴィーガンはB12サプリをとればいける

(4)新興感染症(ウエットマーケット)
・動物福祉+病原体の出現リスク

2024年04月07日

回復と遺伝

風邪は結局1日で治りました。友連れで体の不調のいくつかが緩和した。まんまとリセットされた気がします。
咳はちょっと残った。風邪がアレルギーを呼び起こしたのだろうか……・

何か著しい成果があったわけではないが、何かと忙しかったです。
木曜夜はDC東のほうのMakettoっていうちょっとおしゃれ系アジア料理店にいきました。
うまーくジェントリフィケーションされた感じの街区の一角にあります。
こういうの流行りっぽいよね。
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久しぶりにおいしいチャーハン食べた。
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* * *

ツイート抜粋。

・鳥インフルエンザ罹患者が出たというCDC(公衆衛生当局)の発表より抜粋。患者のプライバシーに配慮して性別さえ明かせないのでheやsheの代わりにtheyを使ってるんだな~
The patient reported eye redness (consistent with conjunctivitis), as their only symptom, and is recovering.

・いま住んでる郡、年収中央値13万ドルちょいだそう。1600万円。

・人を悲しませるのは趣味ではないので、自分がいなくなっても悲しむ人がそれほどいない生き方をしてる感はあるな

・responsibly は「責任を持って」と訳すとなんか違うな~と思ってたんだけど、あれだ。日本的ニュアンスまで込みで日本語にするなら「節度をもって」じゃないかな。
drink responsibly お酒はほどほどに

・実際は兄ではない男性を「あんちゃん」と呼ぶのと同じく英語でもbroっていうの面白い

・アメリカに同調圧力がない」については
みんな面倒臭がり+詰めても言い訳を延々述べるので、言葉でやり合わず、単に無視したりクビにしたりしている
実際はホームパーティ参加など同調圧力のあるウエットな社会だが、観察する側の日本人が溶け込んでないため見えてない
の両方ではないか

・友達の飼い犬、息が臭かった
また犬の苦手度が上がった

・私わりと移動や行動の量が多いように見えるかもですが、「初めてなので一応」を基本原理として世界をスキャンしているだけで、「いずれ気が向いたら再訪しよう」と言いつつ結局しないで死ぬんだと思う

* * *

◆キャスリン・ペイジ・ハーデン(青木薫訳)『遺伝と平等』新潮社、2023年

・教育ポリジェニックスコアと社会的不平等が主題
・生まれる環境+遺伝的バリアント=誕生時に引くくじ
・ゴルトンの優生学(1883)、家畜改良の科学。人種に優劣がある+種の改良のためヒトの生殖に介入すべきである、という考えと不可分に結びついていた(弟子はピアソン。社会改革は無益と論じた)
・「ヒトは遺伝的に異なる」≠優生学
・アンチ優生学≠ゲノムブラインド
・アンチ優生学の企て(1)遺伝的な運の役割を理解する(2)教育・労働・金融システムが特定の人たちに報いる仕組みを理解する(3)これらをすべてのヒトに報いるよう変えるやり方を構想する
・フィッシャー:ポリジェニック→アウトカムは正規分布になる(1918)
・ポリジェニックスコアは人種間の富のギャップを説明しない(統計学的誤謬)
 個人が金持ちにするとはいえる(p.71)

・GWAS:十分な数のサンプルを調べれば、学歴のような複雑なアウトカムにも関連性のあるSNPsを見出すことができる(p.102)
・Σアレルの数0/1/2×関係の強さ=ポリジェニックスコア。白人の教育歴、標準学力テストや知能テストの分散の10-15%を説明する(R^2=10-15%)。cf.標高の高いところは気温が低いR^2=12%/裕福な家に生まれると大学を卒業するR^2=11%
・学校成績のような複雑なもののR^2が小さいわけ(1)人は一人一人違う(2)絡む要因がたくさんある(3)しかし社会の至る所で起こると大きな効果になりうる

【4】
・系図上の祖先と遺伝上の祖先は全く異なる(pp.119-121)
・アフリカ系、アジア系、ヨーロッパ系というグループと遺伝的特徴はよく対応する。ただし、人種と遺伝的祖先は同義語ではない(p.126)
・集団の違い
(1)ある集団である表現型にとって重要なバリアントが、別の集団にとってもそうだとは限らない。CFTR遺伝子のバリアントはヨーロッパ系の集団で嚢胞性線維症の70%以上を引き起こすが、アフリカ系では30%
(2)ゲノムの連鎖不均衡(LD)。バリアント同士の相関パターンが集団ごとに違う(p.130)
=★GWASの結果を他の集団にそのまま当てはめられない。白人のポリジェニックスコアだけを使うことで、白人の健康ばかりが改善される恐れがある。非ヨーロッパ系の研究に資金を入れるの必要
・生態学的相関≠個人レベルの相関(p.137)

【5、6】
・原因とは:Xと非Xの比較が行われたということ
・ただし★
(1)メカニズムが分かったことを意味しない
(2)百発百中で起きることを意味しない:多数の交絡変数の中にある「薄い因果関係」~単一遺伝子疾患など「厚い因果関係」
(3)決定論的でない以上、個人に関してその原因について確信を持って何か言うことはできない
(4)時間や場所が違ったら言えることは限定的かもしれない(移植可能性)
・遺伝率:遺伝子が生み出す違いの大きさ(ヒャクゼロではない)。遺伝率は集団によって違うことがある。では無益かというとそういうことではない。例)ジニ係数の時代・場所依存性
・GWASを使ってポリジェニックスコアを構築→環境が同じ家族内で検証(p.192)きょうだい比較など

【7】
・遺伝的差異は社会的不平等を引き起こす。ではどうして?
・ジェンクスの赤毛の子ども思考実験(1972)赤毛の子どもの通学を禁止す政策→赤毛の子どもの識字能力低下、が「赤毛遺伝子」→「識字能力低い」の見せかけの遺伝率を算出させる
(1)因果の鎖。遺伝的背景―文化・社会的介入―アウトカム
(2)解析の階層。分子―細胞―個体―社会、どこを解析すべきか?←→ハンチントン遺伝子は全てが生物学的な階層で起きる。ADHDは生物/社会両方関わる
(3)オルタナティブな可能世界。そのメカニズムを修正することができるか
・鎖は短く/階層は生物学的で/修正はできない→優生主義に近付く
・教育関連遺伝子は脳で発現する/遺伝の影響は発生初期に始まる/遺伝の影響は基本的認知能力に及ぶ/そして遺伝の影響は知能だけではない。忍耐力など非認知的スキル。ただし非認知的スキル遺伝子は統合失調症や双極性障害などのリスク増とも関連/遺伝の影響には親など周囲の人たちとの相互作用が関係。子どもの時の能力の違いによって親が与える認知的刺激も変わる、やりがいのある課題が与えられる、高校で高度な数学をとる

【II部】
・「遺伝的性質は社会の階層化の原因になりうる」と「社会の組織的力に対抗することで変革を起こせる」は両立可能
・厳しい環境だと遺伝が格差に与える影響は小さくなる(ポテンシャルが発揮できない)
・底辺の向上→公平(≠平等)
・IQ≠道徳(p.315)。しかしIQは差別的施策の効果を知るための道具になるとの評価もある(p.318)eg.ミシガン州フリント市の鉛中毒=環境レイシズム、IQやSATとアウトカムの予測性の高さ
・ろうの文化(ろう遺伝子を持った胚をあえて選択するIVF)、ニューロダイバーシティ
・★GINA=ゲノムブラインド(p.353)

2024年03月24日

ヒューストン再び

やっと今年最初の出張を作りました。水曜~金曜でヒューストンです。去年の4月以来で、たぶんヒューストンはこれで最後になると思う。
空港は、街の北のブッシュと南のホビーという二つがあって、去年は便が多いブッシュを使いましたが、南東にある仕事場まで結構遠かったので、今回はホビーを使ってみました。サウスウエスト航空というLCCしかないので不安でしたが、混雑する時期でもなく天気にも恵まれて行き帰りとも予定よりちょっと早いくらいの到着でした。快適。

レンタカーはいつもの通り、店長お任せの一番安いプラン。割り当てられたのはこれ。
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フォードのマスタングEV、2023年車。5000マイルくらいしか走ってない、すごい新しいやつでした。EVは人気ないのかね。
それも分かる気がします。ガソリン車といろいろ勝手が違って、ドアを開ける段階からして「レバーを引く」のではなく「ボタンを押す」だし、操作はタッチパネルだし、充電プラグを挿すところが車体左側の「前」だったりとか(いや前に電池積んでるからだろうけど)、そこいちいち変える必要ある?みたいな面倒くささを感じました。

なにより充電。今回は大都市の中を動き回っていただけですが、無料のチャージャーはいろんなところにあるものの、充電70%をちょっと切ったくらいの段階から「満充電に3時間半かかります」みたいな遅い設備が多い。お金払うから速いのがいい、といって探して行ってみると「アプリで登録しろ」、したらしたで「この機械は現在使えません」。離れたところにあるホテルの駐車場にある設備はカードが使えると思ったら「失敗しました」

ガソリンスタンドだったらそこら中にあって、到着してカード入れて給油してレシート受け取るまで5分でしょう。EVは所有して家で充電して会社との往復、くらいであれば静かだし便利で安いのかもしれないが、レンタカーは絶対嫌ですね。ましてや郊外に行くの怖すぎる。

車そのものは静かで、大きくて重いので安定してるし、パワーがあって加速にも無理がないので乗っていて快適ではありました。

仕事そのものはかなり楽しく内容も豊富でした。
ちょうど一緒になった他社の人と夕食2回。シーフード多めでした。
これは2日目の夜、エルサルバドル料理のお店。ものすごく中南米系なショッピングセンターの中にあって、スペイン語しか聞こえてこない感じのところ。
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こちら、エビのクレオール風。よくわかんないけどトマト味のエビ、ピラフともにおいしかったです。
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ヒューストン市内で見たい美術館とかチャペルがあったんだけど、ちょっと時間なく叶いませんでした。
最後はホビー空港で仕事をやっつけて、ひとり地元ビールで晩酌。
ポーボーイPo'Boyというルイジアナのサンドイッチです。揚げたエビが入ってる。またエビ。
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前来たときも思ったけど、ルイジアナ近いせいかそっちのお料理多いですね。
真夜中に帰って、東京とやりとりして2時に寝て3時に一度起こされてまた寝ました。

* * *

日曜はプエルトリカンを連れて、Loudoun郡のLocal Provisionsっていうレストランにお昼を食べに行きました。
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街中じゃないのですごく店内が広々していて、店員さんも愛想よし。この時点でかなりよい。
料理はいろいろとって2人で分けました。
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左上はラザニアスープ。あとはエッグサンドイッチ、チキンサンドイッチ。どれもうまかったけど、前菜に頼んだタコのグリルがスマッシュヒットでした。あとシナモンロールを最後に味見、とかいって追加注文したらめっちゃでかいのが出てきて2人でも食い切れず、テイクアウト。

プエルトリカンを送って自宅に戻るまでになんかすごく眠くなってしまい、頭痛もしてきたので、バファリン飲んで17時~20時に昼寝。で、今。あまり回復した感じがしない。早寝に戻しましょう。

* * *

◆山田参助『あれよ星屑(1~7巻)』KADOKAWA、2014~2018年

Kindleで1冊99円になっててまとめ買い。山田参助の漫画買うのは15年ぶりくらいか。
むちゃくちゃよかった。

2024年03月15日

さんがつ前半

あ、3月初めてか。

・今月はバス通勤試行。「NOT IN SERVICE」の表示のまま始発停留所から走り去る運行中のバス、停車リクエスト(窓の上に這わせてあるひもを引っ張る)を無視するバス、明らかに平均所得の低い客層、日本語の本を読んでたら日本人の奥さんがいる海軍の人に話しかけられるなど、まあいろいろありましたが楽しく通勤してます。地下鉄よりだいぶ時間がかかるので読書にはいいです

・夏時間移行。突然19時まで明るい世界になった

・職場ではわりと大きなイベントが5日と7日に立て続けにあったが早々に退散。それが本務の人たちはだいぶ疲れていた

・仕事先とランチ、前から一度行きたかったIron Gateというお店。
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中はうるさくて雰囲気もよし。暖かくなったら外もよさそう。

・朝4時起きと、朝7時起きでそのまま仕事になる日が2日あった。しかも寝付きが悪かったせいで疲れた。4時起きは翌日まで引きずってバファリン飲んだ

・木蓮。14日は26度までいった。
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・ウィラードホテルのCafe du Parcで帰任者のさよならランチ。
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意外とみんな帰ってしまう今年であるらしい

・金曜は1日遅れのホワイトデーということでBlue Duck Tavern。キッチンの見える席
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鴨うまかった。メインと数皿のサイドを頼んだらおなかいっぱい。結構高かった。
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けど、これは1人では来ないし、連れに払わせるのもあれなので、こういうプレゼントの形がよいのだ。
ちなみにホワイトデーがアメリカ人に通じてなくて話がかみ合わず、初めてホワイトデーが日本発祥・東アジア限定なことを知りました。「バレンタインは当日にチョコを交換するもの」とのこと。「でもホワイトデーっていいね」

雨。帰りに駅のエスカレーターでコケて週末になだれ込むのだ。

* * *

◆朱喜哲『NHK 100分de名著 2024年2月』NHK出版、2024年。
こういう奥付になってんだけど、ローティの『偶然性・アイロニー・連帯』を読むシリーズです。ローティは卒論の中核だった。

2024年02月19日

プレジデンツデー

19日月曜は「大統領の日President's Day」で連邦の祝日です。ワシントンの誕生日に引っかけているらしいが誕生日は22日。某ジョーに「俺?俺?」と言わせたくないのか、「ワシントン誕生日」と呼んでる人が結構います。

3連休中日の日曜は夕方から連れ立って出掛ける日だと思っていたら、相手から朝に電話がかかってきて「夜がパーティーになって、ちょっとこぢんまりやる会らしい。(つまり君はパーティーには招かれないのでその代わりに)早めのランチにしない?」とのこと。ほんといつもプランBの必要な人だな。しかし、さすがにあちらも少しバツが悪そうだったのと、活動開始は早いほうがいいのでDCに行くことにしました。

夜の街・アダムス・モーガン地区の朝。
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予定変更に関してThanks for your flexibility.と言われました。これは使えそうなフレーズなので覚えておこう。あちらのお気に入りのダイナー、その名もThe Diner。そのまんま。
外は静かですが、中は混み混みでした。これは通された一番奥の席から。
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自分で作らないものが食べたい。つうことでエッグベネディクトを頼みます。
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夕方まで腹が減らなかった。本読んでたら夜になり、作り置きのキーマカレー食って仕事一つやってダラダラして寝ました。

* * *

祝日の月曜は一人遊びということが分かっていたので、起きてコーヒー飲んでから昼飯を求めて出掛けました。
わりと近所にある「チャーガ」。アラブ系、南アジア系のお店が並ぶ長屋の一角です。
笑顔ではないが明らかにできる感じのスキンヘッドのおにいさん(画像の奥、左のほう)に注文。
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パキスタンのタンドリーチキン?ことチャーガとビリヤニ、副菜としてサグ、飲み物がついて$12。安~
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そしてうま~。これは名店かもしれない。

天気がよくてそこそこ暖かいので、そのままラジオ聞きつつドライブ。
レストンという街のレイク・アン・プラザを見に行きました。
1960年代初頭にロバート・サイモンRobert E. Simonが手がけた人造湖のほとりの商店・住宅のコンプレックス。Mid-Century Modern Architecture Travel Guideという本の東海岸版に載っています。そもそもレストンRestonという地区名自体がサイモンの名前から取られている(たぶん頭文字のR.E.S.に、集落を表すtonがついた)というくらい人工的な街のようです。
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1階がレストランや小売、2階が住宅のよう。
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古めかしい感じ。こういう上から下まで窓っていう部屋は憧れる。
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先日、ハーマンミラーのオットマンつきの椅子を買って帰ろうかと画策しましたが、こういう家じゃないと似合わないわな。というか東京では多分スペースがない。
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水辺を散策しつつ少し歩くと、ヒッコリー・クラスターという集合住宅があります。
こちらも四角い長屋。Charles M. Goodman、1966年。
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別荘とか週末の家ではなくて、(人工的なものも含めて)自然の中に四角い常在空間を確保する暮らし方はいいな。
満足して帰りました。

* * *

このところ読んだ本。

◆岡本亮輔『創造論者vs.無神論者』講談社、2023年。
アメリカにいるとアメリカに関係した本をつい手に取ってしまいます。年末に新宿のブックファーストで出会って買いました。
この100年の科学と宗教の相克をストーリーとして見せてくれます。ドーキンスやフランシス・コリンズなど知ってる人の知らなかった側面も、もともと知らなかった人もいっぱい出てくる。とても読みやすく、かつ本から目を上げて周囲を見渡すと世の中を見るフィルターが1枚追加されているという、とてもいい本だったと思います。進化論はそうだろうなと分かるが、マルチバースも気に入らないというのは目から鱗だった。筆者は(多分)日本で生まれ育って日本で教えてる人なので、やはり創造論者を「変な人」とみている印象を受けた。でもこちらにいると、大事な部分に触れない限りはわりと良い人だったりする。それはどっち側も同じで。

◆多田将『核兵器入門』星海社、2023年。
ずっと前に見に行った渋谷のトークイベントでは枝葉の話に足を取られて時間配分に完全失敗しており、この人はライブはよしたほうがいいなと思ったものだった。しかし本になると変わらず鮮やかです。核兵器を支える物理>機構>戦略はつながっているので、一番基礎のところから説明してもらうと分かった感じになる。手頃な(ここ大事)類書がなかったがこれで向こう10年は大丈夫ではないか(何が

* * *

今月、定期を買わずに車通勤を増やしてみてますが、あかん。全然歩かなくなった。
来月からはちょっと工夫する。

2024年01月09日

時計依然乱調

体内時計がいまだに崩壊しています。ずれているというより崩壊。

12月半ばにドバイから帰ってきてから、3時に目が覚めて17時に強烈に眠くなる、というサイクルが続いていたのはとりあえず終わったようです。

そのかわり日曜→月曜は(仕事があったため仕方なく)3時に寝て6時半くらいに一度トイレに起きて、また寝て11時半に目覚め。

月曜→火曜はシフトが終わって1時半くらいに寝て3時半に目が覚め、そのまま眠れず寝床にいたら朝5時過ぎに父からLINE電話。7時過ぎの電話会議は途中退席してから気を失って、目覚ましで起きたら13時でした。
睡眠時間としてはまあそこそこ行っているし、落ちるほど眠くなることはない。けどなんなんだこれ。

早朝に父から電話がきたとき、「とうとう何かあったか」とめっちゃ身構えて出たら特に何もないようだった。LINEでタダで電話ができるということを妹から聞いて最近知ったらしいがそのせいか。電話は歓迎だけどびっくりさせないで~

13時に目覚ましをかけてあったのは13時半から仕事があったからで、それを処理していたら出社のタイミングを逸しました。夕方に出るタイミングはあったけど、冬の嵐Nor'easterがきていたのでやめました。今月は定期買わないほうがよかったかな。元とれないかも。

* * *

このところ食べていたもの。

過日、Bistro du Coinの鹿クリーム煮。
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肉ほろっほろで、付け合わせのバターライスと最高に合った。

これも過日、友人とMeokja Meokja(「モチャモチャ」みたいな発音。「いただきます」を2回言っているらしい。スペルがめちゃめちゃ覚えにくい)で韓国焼き肉。
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薄切りの焼き肉ってこういうところじゃないと食べられないです。うま。そして2人で行って1人30ドルちょい。やす。

これは今日。
先週買った挽き肉、そろそろ消費しないとやばそうなのでハンバーグにしました。あと同様にやばくなってきたマッシュルームを刻んで入れた。日本でびくドン食えなかったので食べたかったんだと思う。
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自分で作るの3年ぶりくらいじゃないかな。チーズも入れたった。成功。

* * *

◆次田瞬『意味がわかるAI入門』筑摩書房、2023年。

タイトルね、
・読んでいるうちに「意味(理解)とは何か」が分かるAI入門の本
・「意味が分かる(=意味理解できる)AI」に入門する本
・「AIというものの意味」が分かる入門の本
どれだ。全部か。

年末に新宿のBook1stでパラ見して買った本。東京―長野往復のバスと、東京―DCの飛行機でほぼ読み終わりました。文系の(ちゃんとした)人らしいしつこいサーベイ、定義、思考実験。「記号主義」と「コネクショニズム」の2軸で歴史を整理されると見通しがきいてすごくいい。AIが分かってるとか分かってないとかいう「言葉の意味」についても「真理条件意味論」と「意味の使用説(その一種である分布意味論)」という二つの見方を導入することで議論が大いに追いかけやすい。
チューリングテストってまだ通用するの?という疑問についても取り上げてあるのが嬉しい。
ついでに、新興技術にびっくりしてあーだこーだと未来予想をする人たちが大抵外すということも肝に銘じたい。
ちょっと類書のなさそうな面白い本。筆者も面白い/意地の悪い人なのではないか。なんで弊管理人の視界に入らなかったのだろう。やっぱ時々でも本屋に行かないとあかん。

2023年09月15日

2しゅうかんまとめ

特に何をしていたわけでもないのですが、うかうかと既に9月も半ばです。

なんだか誘われたり誘われなかったりして外食の多い半月でした。

まずDCのStellina Pizzeriaはダイナーみたいなたたずまいのピザ屋。
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イタリア人かな?というおねえさん店員が「ワッフルもあるのよ~私のせいじゃないけど」みたいな恥じらいとともにメニューを持ってきて笑いました。
ピザうまい。シーフードのイカスミパスタもこれまたうまい。ややアメリカナイズされたメニューと味(つまり濃い)ですが、料理はとても満足でした。
ただし、もともと結構割高なところに自動的に20%のチャージが上乗せされるのが気分よくない。あと黒人のおねーちゃん店員が食べ終えた皿を指さして「それとって」みたいな仕草をしやがった。友達かよ。
ちょっと前にメリーランドで食事をしたときも、店員がワインボトルの開け方を知らないということがありました。雇ったときに教育してないのか?
ネット上の評価やチップの額の多寡が質を上げるというのは一定以上の競争がある場合であって、人手不足の昨今「働いてやってるんだし、うるさいこと言うなら他いくよ」となってしまうため効果がない。自動チャージもサービスのインセンティブを奪うので本当に悪い仕組みだと思います。
親密な関係の中では持ち寄りとかプレゼントとかの互酬的で気前のよさが効くのですが、その外に出ると途端にやり逃げの砂漠みたいな世界になる。で、客もそういう社会に適応しているので基本自由だし、自分がサービス提供側になるとやっぱり少ない労力で多くを得ようとしているはず。ただしケチでノイローゼな日本もどうかという話。

同じくDCのラブ・マコト。なんだそれ。ビルの1フロア全部がレストランで、寿司屋、焼き肉屋、居酒屋、あとなんかフードコートみたいになっています。居酒屋にしました。
唐揚げと手羽。
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焼き鳥が意外とちゃんとおいしかったです。

ペンタゴンシティという、国防総省の近くにあるショッピングモールに入っているMarshall'sっていうイトーヨーカドーのさらにしょぼくれた感じの雑貨屋。ベルトが安かったので買いました。9.99ドル。いや実は日本から持ってきていたのがだいぶベロベロになっていて、普通のところで買うと20ドル30ドルするんだけどちょっと馬鹿馬鹿しいなと思って踏みとどまっていたところ、この値段なら全然OKだなということで。結果、QoLが爆上がりしました。
その帰り、夕飯でMattie and Eddie’sというアイリッシュパブに入りました。
フィッシュ&チップスが食べたかったんですよね。
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たぶん鱈。結構おいしかったです。いろんなディップが付いてきたのもよかった。
おなかいっぱい。

プエルトリカンと待ち合わせしてオサレ中華のChang Changで夕飯食べよう、ということになったのが木曜。最寄りの駅で待ってたら「ちょっとCVS(≒マツキヨ)に寄らないといけなくなった」と。落ち合ってみたら腕にヘタクソな包帯巻いてました。電動キックボードでこけたんだって!!先日も酔っ払って電動キックボードでこけてたが、今回はしらふ。
「夕飯キャンセルしようかとまで思ってたけど、こんなことで会食やめたら後悔すると考え直した」そうです。
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段々麺、鶏肉の甘酢炒め、にらとエビの餃子など。あと一杯ずつ酒飲んだら「気分よくなった」とのこと。よかったね。デュポンサークル(DCにいくつかあるでっかいラウンドアバウトのうちの一つです)の中にある公園のベンチで喋ってそれぞれ帰りました。

週の終わりは仕事で普段あまり行かないところへ。
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朝昼晩とご飯が提供される終日の寄り合いでしたが、見たいプログラムは昼だけだったのでお昼ご飯をいただいて中座しました。唐揚げ、焼き鮭、ひじき煮、たくあん、卵焼きという完璧に日本のスーパーの味がするお弁当。逆にどうやって出したのだ、この味。びびる。
本当はお抱えのシェフが腕を振るう夕飯の立食パーティーが魅力的だったんですけど、打ち合わせやら、来週月曜からの出張の準備やらで職場に出向くことにしました。まあ結果それでよかった。

* * *

また楽しそうなイベントに誘われていたのですが、出張日程の伸縮が読めず参加断念していました。結局行けば行けたことが判明したのは今週後半。残念。誘ってくれた人は「またの機会があるよ」と言っていましたがどうかな。とりあえず出張から帰ってきて遊ぶ予定が月末に一つ確保できました。それを楽しみに。

* * *

夏が完全に終わり、木曜の夜は肌寒いくらいになりました。最後の冬に向かいます。といっても本当に最後なのか?という疑問がよぎる今日この頃です。

来年はアメリカがビッグイベントの年で、早くも走り出す時期にさしかかっているようです。周囲の人たちはそのイベントが峠を越える2024年末ごろ、あるいは2025年までの任期延長が決まったか決まりそうな状態。

弊管理人とほぼ同時期にDCに来た人たちはかなり延長するのではないか。弊管理人はイベントにあまり関心がないし、後任が2024年後半になって来るといきなり全力疾走が求められて大変そうなので7月末には帰るつもりでいますが、いや7月末に来ても生活の立ち上げに2カ月かかったらどっちみち辛いのかも。しらんけど。
まあしかし、弊管理人の処遇を今から考えている人は誰もいないというのが最も有力。

* * *

何冊か本を読み終わって、メモを残しておこうと思っていたのにずるずると時間がたってしまいました。どれもすごくいい本でした。

◆エリカ・チェノウェス(小林綾子訳)『市民的抵抗』白水社、2023年。
抵抗運動(本書ではアウトカムの見やすさのため、体制変革という高い目標を掲げる運動に絞っている)が成功する条件に関するエビデンス集。よく組織され、持続性があり、広く支持される非暴力運動の成功率は結構高い。暴力的抵抗よりずっと高い。ただし権力側が利用できる監視技術の発展によって、近年は少々難しくなっているようでもある。なんでSEALDsがだめだったかとか、ハッシュタグ運動になんで見込みがないかが分かる気がする。

◆今井むつみ、秋田喜美『言語の本質』中央公論新社、2023年。
出発点としてのオノマトペ=記号接地、ブートストラッピングによる言語習得、そして創造・アブダクション。

◆坂牛卓『教養としての建築入門』中央公論新社、2023年。
建築の鑑賞/受注から完成まで(弊管理人は実務を全然知らないので、ここが新鮮だった)/社会と建築の相互作用。手軽でするする読める本だが、筆者の構成と図式化のうまさは飛び抜けていると思う。アメリカで教育を受けたからですかね。

2023年07月30日

川を流れる遊び

浮き輪に載って川を流れる遊び(Tubing=チュービングと読む)に行きました。土日で一泊二日。
アパラチア山脈の懐、DCからはまっすぐ西といったところ。最寄りの街はリュレーLuray。
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画像はGoogle Mapsからいただいて加工しています(以前はリンクしていたのですが、古くなるとリンクが切れたりして使いにくいので)。
シェナンドー川は拡大するとこう。くねくね。
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朝7時半くらいに、今回誘ってくれたDCの友達をピックアップして、去年行ったスカイライン・ドライブの入口の街フロント・ローヤルまで1時間ちょっと。スーパーで買い物してガソリン入れて集合場所までもう1時間というところです。わりと近い印象。東京から清里いくくらいかな。
キャンプ場併設のチュービング屋(?)に車を停めて、払い下げのスクールバスでスタート地点に向かいます。てかアメリカ生まれじゃなければスクールバスに乗る機会ないよな。すごい珍しい機会かも。ガソリン食いそうな音して走ってました。これを電化するっつって今の政権が言ってたけど、まじ大事だと思う。
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バス降りて浮き輪借りて出発です。クーラーボックスを持ってる人が結構いて、どうするのかなと思っていたら、輪の中心部にちゃんと底がついてる浮き輪もあるのでした。
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前の日に夕立的な雨が降ったようですが水量は思ったほどでもなく、水温高めだし流れは歩くより全然遅いしでゆったりです。
ロープでグループの浮き輪をゆるく連結して流れていくので、「ビールとって」とか「空き缶をゴミ袋に入れてちょうだい~」とか声を掛けてはモノがリレーされていきます。一度昼ご飯のために川べりに上陸して、また流れる。
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弊一団は20人!そういや何の人たちだっけ?と思ったらPeace Corps(アメリカ版の青年海外協力隊)の同窓会的なやつらしい。しかもメンバーの知り合いで、特にPeace Corpsとは関係ないテキサスの同郷友達グループみたいのが連結され、さらに弊管理人のように友達の友達ですみたいな人も混じっており、おおかたは「だいたいの人は知ってるけど初めての人もちらほら」というちょうどいい会でした。
で、やることはやはり、ソファみたいに座り、飲み、喋る、に尽きる。
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途中いくつか上陸ポイントがあって、そこで待ってるとスクールバスが拾って出発地点まで戻してくれるシステムです。17時が最終だからねと再三念押しされていましたが、この一団は全然時間を気にする気配がない。

弊管理人を含め、一部「やばいのでは?」と思って頑張って川底に足をつけて引っ張ろうとした人がいたが、他は飲んでて全く手伝う気配がない。さらに他のグループと浅瀬で飲み始めちゃう人もでた。このあたり奴隷制(働く人/遊ぶ人の截然とした区分)を経験した国だなっていう気がする。頑張った人は頑張るのをやめてただ浮き輪で流れ始める。弊管理人も「しーらない」というモードに入って、ただ浮いてるだけの人になりました。
最終地点に着いたのは18:30とか。

しかしバスは待っており、普通に帰れました。
そうなんだよ。この人たち置いて営業終了しちゃっても帰れないし、それ分かって置いてくのはダメだと思うし、浮き輪も回収できないし、流れが緩やかすぎて少し前にも2グループくらいかなり遅れたところが出たしで、待ってないはずがないんですよね。「だってしょうがないじゃん」が前提の商品設計。世の中みんながルーズなので、スタンダードはルーズになる。これはこれで一つのあり方。2,3人だったらどうなってたか分からないけど、20人だしね。

かんかん照りの中、6時間くらい水の上でわーきゃーやった後なのに、帰りのスクールバスではメンバーむっちゃテンション高くて全力で喋っており、あースクールバスに乗る子どももこんな感じなのかなと思うようなネイティブ同士のはしゃぎ方が見られてよかったです。閉鎖空間でこれやったらそりゃ疫病は広まるわ。
本場の「ファックユー・メーン!」が聞けてすごい高揚した、と友達に言ったら笑われました。

グループには日系人も1人いました。サカモトさん。日本語の単語も「チョット」くらいしか知らなくて、話すところ聞いてたら完全にアメリカ人。とっくり話してみたかったけど浮き輪が遠くてなかなか機会がありませんでした。しかしルーツではあるが祖国とは思ってなさそうな国からきた人(=弊管理人)と会うってどういう感じなのかね。この人は土曜の夜にDCに帰るというので、みんなとハグしたりして挨拶してましたが、弊管理人には「あっどうしたらいいんだ、お辞儀?」みたいに立ちすくんでしまい、弊管理人もなぜか立ちすくんでしまい、「じゃ……」みたいな感じで別れてしまいました。

シャワー浴びて弊管理人はだいぶぐったりしていたところ、一部の人はぱきぱき準備をして(しかしやはり準備係以外は働かない)夕飯です。
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キャンプのならいでゲームが始まりました。Never Have I Everやったことある?って聞かれましたがないよ!何それ。飲みゲーらしい。手を開いて差し出して/順番がきた人は自分がやったことがないことを言い/他の人はそれをやったことがあれば指を折りたたんで一杯/誰かが0になったら終わり。よく分からないので飛ばしてもらいました。
次に鳥の声まねを回り番でやるというのが始まり、これはなんか鳩のまねをしてしのぐなど。
そして怪談。青年海外協力隊なのでアフリカで手に入れた仮面にまつわる怖い話などがいかにもで、それやってるうちに眠くなってきたので寝ました。

朝。わりと寝られた。アマゾンで買ったキャンプ用マットは優秀。あと念のためにと持ってきた長ズボンも重宝。さすがに山なので夜半は寒かった。
帰りはDCに住んでる二人を乗せて計4人になったのですが、「これどうすん……?」というくらいの量の荷物を、弊管理人のちっちゃいレクサスの後部だけじゃなくて4人全員の足元やら後部座席の真ん中やらに置いて奇跡的に詰め込みおおせました。

わりとサクサク片付けて、「フロント・ローヤルのダイナーにいこう」というので20人で押しかけました。Our Hometown Dinerというところ。結構小さいお店なので若干並びました。
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テーブルは弊管理人の車の4人。シナモンロール4つに切ってもらって分けて、コーヒーがぶ飲みして、ビスケットのグレービーがけのモーニングを食べました。
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同じテーブルの4人は駆け出し弁護士、国際機関勤務、コンサルにて政府系の仕事、ということでキャッキャ遊んでたわりには堅いな!そしてキャッキャしてたと思ったら「少子化の日本が外国人に門戸を広く開く可能性についてどう思う?」と突然ぶっこまれた。油断ならない。

そんで1時間ちょっと走ってDCのいいとこのマンソンで2人を降ろし、最後に友達を降ろし、洗車して帰宅。大お洗濯大会、疲れのせいか頭痛がしたので薬を飲んだら軽快、残り物で夕飯にして今に至ります。

それにしても、酒を用意する人、メシを用意する人、アレンジする人、など分担していたようで、弊管理人は酒代の40ドルくらいと川流れの20数ドルくらいを負担しただけ。あとは友達とのテント折半と寝るためのマットとかで数十ドルの世界で、現地人はこういうことして楽しんでるんだなというのが分かった。げに重要なのはつながり。
アメリカ人ばっかの中に英語のおぼつかない日本人が混じってどうかと思ったけど、まあ海外経験ある人たちばかりなのもあってか抵抗はないようであった。友人からは「知らない人ばっかのところに行ってどうなるかなと思ってたけど、sweetって言われてたよ!」教えてくれましたが、sweetって「良い人」という意味もあるが辞書みると(especially of something or someone small) pleasant and attractiveとあるぞ?Kawaii……?
ともあれ、今回だけでも初めてのことがいろいろあって貴重な機会でした。

春先までの状況だったら、昨日今日もなんとなく出掛けて一人でぼそぼそメシ食って、今週食べるものの買い溜めをして終わっていたことでしょう。後半にさしかかって急にこんな事態になるとは予想していなかったが、ありがたいことです。

世界は所によりえらいことになっているが、浮き輪に載ってダラダラと酒を飲む人たちもいるという話でもあるが、まあね。

* * *

そういえばベライゾンは今回のキャンプサイトとか川流れの最中ずっと圏外で、結局丸一日、音信不通になってしまっていた。Tモバイルの携帯持ってた人は電波が入っていた。ベライゾンあかん……

* * *

で仕事はというと、(出身部じゃないところが)うっざ、というかもうなんかフェードアウトしたいのに(だめだが)追いかけてくるのやめて?みたいな状態。いくら評判落としても諦めてくれるならそのほうが全然いいやと思っていたら、「なので仕事させてみよう」みたいになりかねないの危険。

あと、先週は眼精疲労する仕事が多かった。目をいたわっていきたいです。

* * *

◆清水亮『教養としての生成AI』幻冬舎、2023年
役立ちそう度でいうと60点くらい。。

2023年07月03日

しちがつ

7月一発目は写真もなく箇条書き。
→【追記】部屋の写真足しました。

・カナダの山火事の煙が流れてきてDC界隈の空気質が最悪だったので在宅多めだった
・仕事はわりとしていた

・アメリカ人の友達の家に行って映画見てカウチでピザ食べた。すごいアメリカっぽい
・一緒に映画見ながら食べたり飲んだりしようと思ってスナックとワインを持っていったが結局消費せずに置いて帰ってきてしまった。翌日「スナックありがとう!」といって食べてる写真が送られてきた。ま、これはこれでいいか

・ハーマンミラーのAeronていう椅子がきた。
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新品を買うと$1200超するが、ebayでニューヨークの業者から新古品(Open box)を$500ちょいで買ってみたもの。評判のいい椅子ではあるが、そこまでかな?という気はする。しかし初日はさらに違和感があり、それから日が経つほどしっくりきつつあるので、ひょっとしたら馴染む必要のある製品なのかもしれない
・なにより何度も書くが、足元のフットレストが秀逸です。ほんと姿勢が楽になった
・ソファがないのに椅子が3つになってしまった。でもデスクチェアをわざわざ電ピのところへ持っていって弾くのは面倒といえば面倒だったので、これはこれでよし

・焦がしネギのそばつけ汁を研究しており、わりといい線いっているのではないかということでラーメンへの応用を図っている。ラーメンが好きなわけではないが、そばが続くとさすがにちょっと変化が欲しくなってくるため

・先週末に外仕事でめたくそに焼けた頭が脱皮期に入り、ゴミが落ちてくる

・日曜は珍しく夕方に昼寝。30分後に目覚ましをかけたが案の定2時間寝た。でも寝られそう

・Kindle Unlimitedおためしで2ヶ月間、99円/月。ラインナップはいまひとついけてないものの、正規の990円/月でも雑誌を2冊読めば元が取れるのはまあいいといえばいい。更新するかどうかは微妙だが

・なんとなく仕事の予定の混み方が緩和した感じがするんだけど、ひょっとして世の中、夏休みモードに入りつつある??

* * *

今週いろいろと勉強になった英語。アメリカ人の遊び友達ができたのがでかい。

・JK =Just Kidding。テキストでjk, jkと言われた。「冗談冗談」ということね。

・sleep in 「いつもより遅くまで寝る」の意。
I'll sleep in tomorrow.で「明日は寝坊するんだ~」

・play it by ear 「臨機応変に」。これは全く知らなかったし意味も推測できなかった。ググってやっと分かった。
Hmm, I think I might be a little busy during the day Saturday but closer to the evening should work. We can play it by ear :) うーん、土曜の日中はちょい忙しいんだけど夕方近くならいけると思う。ま、空気で。

* * *

◆町田健『チョムスキー入門』光文社、2006年。

仕事上の都合でちょっと。アンリミテッドで読めるので加入した次第(フルで本代払いたいわけでもない読書だということ)。大学生のころ言語学どうかなと思って覗いて、結局あまり興味が沸かなかったのを思い出した。

2023年06月20日

プラスクワス

◆ソール・クリプキ(黒崎宏訳)『ウィトゲンシュタインのパラドックス』筑摩書房、2022年

これね、本当は『哲学探究』を読んですぐアタックすべきだったのですが、怠けていました。なぜアメリカで読むことになったのかというと、気分?いや文庫で出たからか。なんでだっけ。

『探究』の「私的言語論」はそれまで言われていたように最後のほうで展開されていたのではなく、真ん中の138-242節で「規則に従うとはどういうことか」を扱いながら提示されたと読み(特に結論は202節に書いてある(p.16)のだという)、その部分をしつこく議論した本。原著は1982年。あまり前提知識を必要としない(実は)親切な本だが、込み入っていて根気が試されるということはあり、ミルクレープみたいにうっすい理解を重ねていくタイプの危うい弊管理人としてはまた読むとして、とりあえず、ほんととりあえず、のメモ。

そしてたまたまだが仕事でチョムスキーを扱うことになってしまい、「過去の有限の学習から得られた規則は将来の使用を決定できるか?」というウィトゲンシュタインの問題が、「限られた学習から無限の出力を可能にする言語の脳基盤って一体何だ?」という生成文法のお話にふんわり繋がる気がしつつ次の本に行くのでした。

* * *

この本によく出てくる足し算の例示を「プラス/クワス」問題と言っておく。
「+(プラス)」を使った問題で「68+57は?」と言われると普通は「125」と答えるだろうが、懐疑論者に言わせると、ある人は「5」と答える。その人は、「x+y」のx,yが57より小さいときはプラスでいいが、大きい時はx+yは常に「5」である、という「クワス」という法則に従っていたという。その人は最初から「+(アディション)」をクワス(クワディション)として使っていたと言い張る。これまではx,yが57より小さかったので違いが顕在化していなかっただけだと。

訳者解説によると、こう。

規則は行為の仕方を決定できない。なぜなら、いかなる行為の仕方もその規則と一致させられ得るから(『探究』201節)=有限個の事例からそれに妥当する唯一つの規則を読み取ることは不可能である=「規則読み取りの非一意性」(p.378、訳者解説)
われわれは計算規則を有限個の事例で習っている。同じく計算規則を有限個の事例で習った(「訓練」された)人が、全く違う規則を読み取ることも可能である。そして、その違った規則を読み取った人が誤っているということも言えないはずだ。=いかなる規則も、我々とは異なった仕方で把握されることが可能なのである=「規則把握の非一意性」(p.380、訳者解説)
すると、私が把握した規則Rは、本当は規則Rではなく規則Sなのかもしれない=「規則把握に関する懐疑論」(p.384、訳者解説)→計算結果の正しさには根拠/正当化がないことになる。規則「2n」などといっても何も表現しておらず、単にその名目の下で各人が行う具体的な計算に示されている

これでは規則というものの根拠がなくなってしまう。どのようにも言い抜けられるから。こういう懐疑的パラドックスに対してどう応答できるか?

この本では、『探究』の構成を3分割してこんなふうに捉えます。第1のパートは、前にウィトゲンシュタインが書いた『論理哲学論考』を自分で否定する部分。「私はプラスに従っているつもりだ」という内面に訴える解決に意味がないことを言う。

「それゆえ私は『探究』に、以下のような大まかな構造を与えようと思う。(…)第1節から第137節まででウィトゲンシュタインは、『論考』の言語理論について、予備的な論駁を与、そして、それに代わるべきものとしての新しい言語像を、大まかに描いている。…比較的明らかでないのは、第二の側面である。第二。懐疑的パラドックスは、『探究』の根本問題である。そしてもしウィトゲンシュタインが正しいならば、有意味な平叙文は事実に対応していなくてはならないのだ、という自然な前提に囚われている限り、我々はそのパラドックスを解く手掛は得られないのである。…意味している、とか、意図している、とかを誰かに認める命題は、それ自体無意味である、という結論――懐疑的パラドックスの結論――を導かざるを得ないから。」(pp.192-193)

こういう言い方もある。

「ウィトゲンシュタインにとって重要な問題は、私の現在の心の状態は、未来において私がなすべき事を決定するとは思われない、という事である。たとえ私は(今)、「プラス」という語に対応して頭の中にある或るものが、未来における如何なる新しい二つの数に対しても、ある一定の答えを与えるのだ、と感じているとしても、事実は、私の頭の中にある何ものも、そのような事はしないのである。」(p.143)

次がキモになる第2のパート。

「『探究』の第138節から第242節までにおいてウィトゲンシュタインは、懐疑的問題とそれの解決を取り扱っている。これらの諸節――『探究』の中心をなしている諸節――が、この本での主要な関心事であったのである。…ウィトゲンシュタインは、或る人が「これこれの事を意味している」とか、或る人の今の或る語の適用は彼が過去において「意味していた」事と「一致」している、とかいう言明を、或る条件の下で許す「言語ゲーム」の、我々の生活における有用な役割を見出しているのである。そして、結局、その役割とか、そのような条件とかは、共同体への言及を含むことになるのである。したがってそのような言明は、その人だけ孤立して考えられた一人の人間には、適用できない。かくして、既に述べたように、ウィトゲンシュタインは「私的言語」を第202節の段階で拒否しているのである。」(pp.195-196)

共同体がプレイする「言語ゲーム」による説明。
こういう説明も。

「アディションの概念をマスターしたと認められる人は、誰であれ、十分多くの問題――特に簡単な問題――において、彼が与えた個々の答えが共同体が与える答えと一致した時、(そして一致しないとしても、もし、彼の「間違った」答えが、「68+57」に対して「5」を与えるような、突飛な間違いではなく、たとえ「計算間違い」をしたとしても、我々と同じやり方をしていると思われた時、)その時はじめて共同体によって、アディションの概念をマスターしたと判断されるのである。そしてそのようなテストに合格した人は、アディションが出来る人としてその共同体に受け入れられ、また、その他の十分多くの場合において同様なテストに合格した人は、言語の一般水準の使い手として、かつ、その共同体の一員として、受け入れられるのである。違った答えを出す人は、訂正され、そして、(通常は子どもについてであるが)アディションの概念を把握していない、と言われる。もっとも、非常に多くの点において訂正不可能なほど共同体からずれている人は、その共同体の生活に、そしてその共同体におけるコミュニケーションに、参加することが出来ないことになるだけである。」(p.226)

まとめた部分もある。

私的言語論の要約(pp.262-263)
(1)我々の言語は、「痛み」「プラス」「赤」といった概念を著し、それを一度把握するとそれから先の全ての適用が決まると考えがちだ。しかし本当は、ある時に心の中にあるものが何であろうと、それを私が今後、別様に解釈することは自由である(「プラス」を「クワス」と解釈することはできてしまう)。これは未来は過去によって決定されるということに対するヒュームの懐疑と類似している
(2)パラドックスは、ヒュームの懐疑的解決によってのみ解決されうる。それは(i)彼はある与えられた規則に従っているという定言的言明と(ii)『もし彼がしかじかの規則に従っているならば、彼はこの場合かくかくの行動をせねばならない』という仮言的言明――これらが話の中にどうにゅうされる状況と、生活の中で果たす役割、有用性を見ないといけない
(3)個人の傾性は、その人が全く規則に従っていなくても、あるいは間違ったことをしていても確信を伴って存在できてしまう。ので、個人を共同体から分離して考察するのは適切ではない。(ii)の正当性が言えなくなる
(4)個人が共同体の中にいることを考慮に入れると、(i)(ii)の役割が明確になる
(5)(4)で述べたことがうまくいくというのは、生(なま)の経験的事実に基づく。(1)の懐疑論を踏まえると「私たちはみな同じ概念を共有している」からうまくいく、という説明ができなくなってしまうため
(6)ウィトゲンシュタインは、規則に従っている個人について語ることは全て、共同体の一員としての個人について語ることであることを示した、と思っている

この点ヒュームに明らかに似ているという指摘。

「…ウィトゲンシュタインもヒュームも、過去と未来を結ぶある種の結合に関する疑いに基づいて、ある懐疑的パラドックスを展開しているのである。ウィトゲンシュタインは、過去において「意図していたこと」あるいは「意味していたこと」と現在の実践の間の結合を、問題にしている。例えば、「プラス」に関して過去において私が「意図していたこと」と「68+57=125」という計算についての私の現在の計算の間の結合を、である。ヒュームは、相互に関連している他の二つの結合を、問題にしている。一つは因果的結合であり、それによって過去の事象は未来の事象を必然的なものにすると言われている。他の一つは、過去から未来への帰納的、推論的結合である。」(p.158)

訳者の説明はこういうことかな。

このパラドックスの解決は、「確かに論理的にはそうだが、現実の生活では無意味だ」と示すことであった。規則が行為の仕方を決定できないことをそのまま認めてしまっても現実的には不都合はない=「懐疑的解決」(p.391、訳者解説)。単にみんなの答えが一致するということ(一致が正しさの根拠だという共同体説と混同しないこと。各人がそれぞれ信念に従ってした計算の結果、みんなが結果的に一致する)=ヒューム懐疑論(必然的結合→恒常的連接)を論理や数学にまで徹底した人としてのウィトゲンシュタイン。事象の説明は不可能になり、ただ記述と予測のみになる。

もう一つ訳者解説。

私的言語は他人に理解することが論理的にできない言語(『探究』243節)としている。これは「規則の私的モデルprivate model」ともいえ、ウィトゲンシュタインはこれを否定する。私的モデルは、ある人が与えられた規則に従っているということは、その従っている人に関する事実によってのみ分析されるべきという考え方である。これを否定するのが、その人が共同体の一員であるということだ。もし我々が、ある島で人々と離れて暮らしているロビンソン・クルーソーが規則に従っているというなら、我々はクルーソーを我々の共同体に迎え入れ、我々の基準を適用しているということ。彼がある規則に従っているといい得るのは、我々の共同体の各成員に適用される規則に従っていると認められた時であって、それを言うのは共同体である。ただし、「プラス」で意味する関数の値は、言語共同体の誰もが答えとするであろう値だ、という真理条件の理論のことではない。(p.269)
68+57の答えは、共同体の成員のほとんどが125と答えるときだ、ということではない。自動的に計算し、共同体ははずれた計算を正すことができ、はずれは実際はまれだということ=言明可能性条件の理論。

ちょっと脇だが、「傾性」に訴える解決を封じておく。

傾性論的解決=もし「68+57」の「+」がアディション(あの!足し算)を意味するなら、私は125と答えるだろう、という記述的な解決。しかし問題は記述ではなく規範(125と答えるべき)である。で、これはそもそもの「5」ではなく「125」と答えることに何の正当性もないのではないかという懐疑論への解決として的外れである(「べきである」根拠を示せてない?)(pp.96-97)

第3のパートは追加説明といってもいいのだろうか。

「『探究』の第243節に続く諸節――「私的言語論」と一般に呼ばれている諸節――は、第138節から第242節の諸節において引き出された、言語に関する一般的結論を、感覚の問題に適用する事を扱っている。」(p.196)こういう言語ゲーム論にそぐわないように見えるのが(1)数学と(2)感覚、あるいは心的イメージなので、これは反例にならないということを説得しようとしたと思われる。(2)感覚や心的イメージはこの節で扱い、(1)数学は『数学の基礎に関する考察』などで扱っている。

ところで、私的言語と内面のことで書かれた注釈がちょっと面白かったので抜き出しておきます。

「…『探究』の前の方ではウィトゲンシュタインは、意味している、とか、理解している、という事を、内的にして質的な状態であると考える伝統的な見方を、排斥している。しかし後には彼は、リースが言うように、それでは、古典的な見方をあまりにも機械的な見方によって置き換えてしまう、という危険を冒しているのではないか、という事に悩まされていたように見える。もっとも彼はたしかに依然として、ある質的経験が、ある意味を持って語を使用するという事を構成しているのである、という如何なる考えをも排斥しているが。しからば、我々と全く同様に語を操る「意味盲」の人はあり得るのか。そして、もしあり得るとすれば、我々は、彼は我々と同様に言語をマスターしている、と言うであろうあ。この第二の問題に対するこの本の本文で与えられている表向きの答えは「イエス」である。しかしおそらく、ほんとの答えは、『君が当該の事柄について色々と知っている以上、一体その外に何を欲しているのか、言ってくれ』というものであろう。この問題がウィトゲンシュタインにおいて完全に解消されたか否かは、明らかでない。」(pp.123-124)

生成AIの時代に「分かる」って何だろうねという問題、AIをロボットにつなげて感覚入力をすると何が起きるのかねという問題につながる気がする。これはまた。

2023年04月30日

寒い、肉、本

30度を超えたのはいつだったか週後半は肌寒く、日曜は最高17度、最低8度と出た。で雨。朝、目が覚めて雨の音がしてると安らぐほうです。

木曜、金曜と朝8時出勤、土曜は8時~24時40分勤務で早起きになり、日曜も当然のように8時前に目が覚め、cafe kindredという車で10数分のところに朝飯食べに行ってきました。
フレンチトーストとコーヒー。
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チップ込みで21ドル。別に高くない設定だと思うけど、日本円に直してはいけない。あと自炊だとだいたい週40ドルで収まるので、いかに人件費が高いかをあらためて痛感します。

してその効用は、手抜きしてがっつり食えるということが全て(味はだいたいどこも一緒)というのが現実。朝飯の探求もそろそろ終わりかもしれません。

* * *

瞬きしている間に週末、ではあるものの、週の前半を振り返ると遠い。
DC東側、黒い地域に食い込む開発の最前線。まだあまり入居してない真新しいアパートと、古い長屋の通りが隣り合うユニオンマーケット近くの、St.Anselmというお店です。
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同行者によると、農業団体が「結局DCの肉はここで決まり」と推していたとのことでわくわく。牛と羊を一皿ずつ頼み、あとはサイドで芽キャベツとポテト。
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正統派ド直球の牛ステーキもすごいが、ネギ塩?みたいな羊の「食べたことないけどすごくおいしい何か」感にやられた。アメリカのメシはまずいというのは旅人にとってはそうかもしれないが、住みながらディープダイブすれば、べらぼうな金額を出さなくてもうまいものは見つかるということ。

* * *

このところいい本に当たっていたし、それぞれ再訪する可能性はあるからポイントをまとめておきたいと思っていたけれども、時間がなく、あるいは無精のため付箋を付けたままここまで来てしまったので記して供養。

◆坪野吉孝『疫学―新型コロナ論文で学ぶ基礎と応用』勁草書房、2021年。
年始に新宿の紀伊國屋で仕入れた。臨床試験の論文は読んでると一定読めるようにはなるものの、プロがどこに感銘を受けるかというのは分からない。某疫病に臨んで業界が編み出した超スピード開発の手法がどんなものかも垣間見せてくれるいい本。もう1年早く出会っていてもよかったと思うが電子書籍になってないので仕方なし。そのうち再びざっと読みすべき。

◆杉山昌広『気候を操作する―温暖化対策の危険な「最終手段」』KADOKAWA、2021年。
温室効果ガス削減の2030年目標は達成不能なので、そろそろみんなCO2除去やら放射改変やらに(心理的な)逃げ道を本格的に求め始める時期だろうなと思って勉強。これはのちのち参照することが多そうなので、検索できる電子書籍で買ってよかった。

◆平野千果子『人種主義の歴史』岩波書店、2022年。
新書とはいえ人種主義で1冊もつのかしらと思って手に取った(これも新宿紀伊國屋で入手)ら、中身はほぼ「差別の近現代史」であった。世界が一つになっていく時代の包摂と排除の見取り図を、さまざまな地域・時代に飛びながら編み上げていく極めて濃厚な本。そこまで気にしてはいなかったが、なぜ白人を「コーカソイド」というのかとか、なぜナチが「アーリア人」にこだわったのかとかを遠い昔不思議に思った覚えがある。その辺の疑問が次々と解決されていった。これも頭に定着させるにはもう一回ざっと読みが必要。

* * *

SNSでときどき盛り上がる性格診断、そんなに乗るほうではないのだけど、ふと見かけた16Personalitiesというのをやってみました。

「性格特性の多くが相互に否定している」つまり内向的なのに社交的で、計画的だが変更を受け入れ、道理を重んじるわりに分析的、細部にこだわるが予定通りに作業が終わるとか、まあそういう感じ。

「そういう性格の類型がすでに同定されている」ということがポイント。非一貫性とか矛盾として問題化してもいいが、「どこをとってもアンビバレントという点で一貫している」というまとめ方もできるわけです。前者は若い理想、後者は老いの諦念――あるいは解決しない問題を解決しないまま消化/昇華する技法――ともいえる。

メタに立ってみれば「内向的なのに社交的に見えるのは、内面を他人に侵されないために一定の距離を取ったところで社交をこなす技術に長けているためである」という具合に共通の地面を見つけることはできるのだけど、階層を上がると実用性は落ちるものでもあり、必要な時にだけやればよろしい。たぶん。

* * *

日本は大型連休か。なんかみんな楽しそうね。
当地へは単身赴任で、今月頭に子どもの卒業式のため一時帰国した他社の人が「もう家庭に自分の居場所がないことが分かった」と言ってました。離婚はしないかもだが、もう離任まで帰ることはないだろうとかなんとか。

滞在20カ月目に入りました。
あと15カ月(※2024年7月に帰っていいとは誰も言っていない)。

2023年01月29日

1月下旬振り返り

月曜は某所で新年会的な集まり。日本人こんなにいたの?というくらい日本人がいっぱいいました。つまむものも出て、久しぶりに天むすや、鮭の西京焼きなどをいただきました。
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知り合い何人かに会いましたが、みな「知らない人ばかりだ……」と言いながら途方に暮れていましたとさ。

今週の平日は上記の月曜昼と、早出だった水曜の朝と昼以外、外食をしませんでした。
これはいつだっけ。いただきものの九州ラーメン。
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おいしかった。

金曜午後も日本関係の新年会があり、お寿司や日本酒が振る舞われていましたが、なんか人が多いわりに新しい知り合いができるようでもなかったので、早々に退散しました。やっぱり誰かに引き合わせてもらうのが一番いい気がする。そもそもそんなに日本人と幅広く知り合いになる必要もあるんだろうかとか。

土曜はいい天気でしたが、起きるのが11時を過ぎたので、買い物のみの外出でした。
韓国スーパー、Hマートの、いつも行くところよりちょっと遠いが大きなフェアファックス店。
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野菜、いろいろ種類があるんですけど、同じキャベツでも丸いグリーン(手前)と平べったいホワイト(奥)があって、アメリカ資本のスーパーにも置いてるグリーンはちょっと硬い。ホワイトが日本でおなじみのキャベツです。炒めるとしなっとなるやつ。ネギも韓国ネギと日本ネギがあったりします。しかしこういうアジアの野菜を作ってるところがちゃんとあるんですね。助かる。
帰ってきてジムで運動してから、かけそばとカレーで夕飯。ちょっと食べ過ぎたかも。
そのあとアメリカの確定申告の作業をしました。初めてだった去年はかなり面倒でしたが、今年は去年のデータが入力されたエクセルのシートを更新する作業だったのでかなり負担が軽減され、夜のうちにすっと終わりました。よいよい。

日曜はちょっとこのところ再訪したかったNorthside29へ行って朝飯。
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あいかわらずパンケーキがでかい。コンビーフハッシュもいいね。
コーヒーおかわりしながら食べました。地元や近隣の人たちが多いと思われ、とても賑わっていました。
雨の予報どおりに降ってました。
帰り道はターゲットというデパートに寄って机の上の整理用品と、なまくらで辟易していた台所のはさみの新しいやつ、あとはメモ用紙とほうれん草を買ってさっさと帰宅。あとはいろいろ作業しながら過ごしました。

この週末はゆったり過ごせてよかったです。

* * *

週が明けると2月です。
まだ「今年やること」を考えつつ、少しずつアレンジなどしています。

* * *

◆中屋敷均『遺伝子とは何か?』講談社、2022年。

2023年01月09日

宇宙、経済、政治

◆寺薗淳也『2025年、人類が再び月に降り立つ日』祥伝社、2022年。

タイトル見て、アルテミスの解説本かー、そんじゃおさらいだけ……と思って買ったら全然違った。夢で終わらない、宇宙開発の文脈を知るには最高だと思う。専門性と同時代性と読みやすさと分量、という新書の存在意義を全部詰め込んだような本でした。

以下は自分用メモ。

【アルテミス計画】

◆アルテミス計画
・アルテミス=ギリシャ神話「オリュンポス12神」の1柱、アポロンと双子
・L-39Bはアポロ時代から使われている
・オリオン:4人搭乗可能(アポロは3人)
・SLS:アルテミス1では1段(推進装置がコアステージのみ)。将来、火星以遠に探査機を送る際は2段式を使う計画
・アルテミスが遅れる要因:アポロは国家予算が無尽蔵につぎ込まれた/50年という時間的断絶(cf.ソ連、1970年代まで高い宇宙開発技術、1980年代の経済的混乱からソ連崩壊にかけて技術者流出、2000年代には入りたてと引退直前だけで中間がいない状態、ロケット技術の衰退につながった←NASAでも米宇宙政策の不安定さや民間の待遇のよさにより人材流出)

◆経緯
・アポロ以降、月には消極的
・1990s 月探査機クレメンタイン、ルナープロスペクターにより極域に水の可能性判明
・21c 子ブッシュが有人月探査コンステレーション打ち出し
   ロケットと宇宙船新開発する計画だったが予算と期間超過でオバマが中止
・2007 嫦娥1号 ~以降5回にわたり月着陸成功
・オバマは小惑星に人類を送るARM, Asteroid Redirect Mission
   月上空ステーション「深宇宙ゲートウェイ」建設、探査基地にする構想登場
   →計画に無理、進まずトランプが2017年中止
   *ゲートウェイはアルテミスに残ったが2022ごろの建設開始が遅れ中
・2017 アルテミス計画を承認する宇宙政策指令書にトランプが署名
   *共和党政権はこの30年ほど月に好意的。民主党は宇宙に不熱心
   *アルテミス打ち出し当初はアメリカファーストで米1国の計画
   *アルテミス3は2024年予定。トランプが2期目のレガシーにしようとした
   *嫦娥(2007-)を成功させる中国の有人探査に対抗も
・2019.5 トランプ来日時に安倍がアルテミス参加表明
   *トップが宇宙計画決定するのは日本では異例
 2019.10 日本政府方針として計画参加を正式決定
 2019.10.18 安倍ツイート「強い絆で結ばれた同盟国として参画」
   ~ゲートウェイで水循環装置など生命維持システム提供、
    物資輸送、有人与圧ローバー、アルテミスのため13年ぶりに飛行士募集
   *岸田の経済安保の柱の一つが宇宙開発。経済発展のためのアルテミスも
   *課題は費用負担のあり方=計数千億円?
    cf.JAXA当初予算は年1500億程度。2022年度はアルテミス関係予算400億
     宇宙関係予算は21年度以降増加、22年度は当初3900億+補正1300億
・2020.10 アルテミス合意(計画参加の遵守事項)に最初の8カ国が署名
   *対中ロ。欧州の署名は対ロの意味も

◆月探査機
・エクレウス:EML2=地球と月から受ける重力がバランスし、人工衛星などが少ないエネルギーで長期間留まることができる。将来、惑星探査機を打ち上げる拠点として好適。エクレウスはEML2の環境調査と制御技術の検証。EML2は軌道運動の感度がよい=わずかな制御で惑星間軌道、地球周回軌道、月周回軌道などへ移れるが、逆に制御を間違うとどこかへ行ってしまう
・オモテナシ:これまでも周回機「ひてん」「かぐや」を制御落下させていたが、壊れずに月面に届ければ日本初
・YAOKI:CLPS(NASAが民間の月輸送船=ULAのバルカン=を借りて月に物資を運ぶプログラム)。月着陸にはアストロボティックのペレグリンを使用
・HAKUTO-R:ミッション1はJAXAの変形二軸ローバー、UAEの4輪ローバーなどを搭載した着陸機。ミッション2(2024)はispace独自ローバー
・SLIM:小型月着陸実証機。ISASや大学研究者ら。従来は目標地点から誤差数キロでの着陸。SLIMは100m以内。搭載カメラの画像から自律判断で着陸。月「神酒の海」の中のSHIOLI(シオリ)クレーター近く。内部地層を調べる科学調査もミッション。2段階着陸方式=最初から転んで着地する。小型ローバーLEVも2台搭載

【世界の宇宙探査の歴史】

・1957.10.4 ソ連、人工衛星スプートニク1号を初めて地球周回軌道に
  ←冷戦下、米ソが核爆弾輸送のロケット開発とデモとしての宇宙開発に注力
・1958.1.31 米、人工衛星エクスプローラー1号打ち上げ
  →以降失敗続き、研究体制の再編
 1958.7 アイゼンハワーが国家航空宇宙決議署名、NASA設立
  米航空諮問委(NACA,1915-)の研究所や軍関係の研究組織を糾合、
  12月にはCaltechのJPLも指揮下に
・1958.8 米、月探査機パイオニア0号はロケット爆発で失敗
  (月通過成功は1959.3の3号)
・1959.1 ルナ1号が月を通過
   9月、ルナ2号が月面衝突成功
   10月、ルナ3号が月の裏側撮影成功
・1961.4.12 ソ連、ガガーリンがボストーク1号で地球軌道周回
・1961.5.5 米、シェパードがマーキュリー3号で米初の宇宙飛行
  ←有人宇宙探査マーキュリー計画の一環。続いてジェミニ計画へ
  *無人月探査も
   月面撮影、最後は探査機が月面突入するレインジャー計画
   月面軟着陸し表面の様子を観察するサーベイヤー計画
   月周回しながら表面の様子を調べるルナーオービター計画
 1961.5.25 ケネディが上下両院合同議会で演説「今後10年以内に人類を月着陸」
  →アポロ計画
・1966 ソ連、コロリョフ急死
 1969 N-1ロケット打ち上げ失敗、ソ連の有人月探査計画は頓挫
 (これらの情報はソ連崩壊まで隠蔽、米には状況がわからなかった)
・1967.1 アポロ1号事故
 1968.10 アポロ7号の有人飛行成功(地球周回)
 1968.12 アポロ8号の有人月周回飛行
 1969.7.20 アポロ11号イーグルで月面着陸、石22kgを初のサンプルリターン
 1971.7 アポロ15号で有人ローバー使用
・1970.9 ソ連、ルナ16号で月面着陸、土壌101gをリターン
 1970.11 ルナ17号で無人ローバー「ルノホート1号」で月面調査

・アポロは有人月探査が達成、ベトナム戦争もあり多額の費用に議論
 1970.4 アポロ13号で爆発事故、月周回で地球帰還→危険に対する議論も
 1970.8 20号までの予定だったアポロは17号で打ち切り決定
 1972.12 アポロ17号
 1975.7 アポロとソユーズが地球周回軌道上でドッキング←デタント

・アポロ後の米国の宇宙開発
 (1)1970s~ 再使用型往還機スペースシャトル計画
   *外部燃料タンクと固体ロケットブースターは使い捨て
 (2)月以遠、火星、木星、土星探査
  1972 パイオニア10号、木星接近撮影
  1975 バイキング1号、2号が相次ぎ火星着陸、生命の徴候なく火星は下火に
  1977 ボイジャー1号、2号
  1979 パイオニア11号、土星接近

・ソ連
 1970 ベネラ7号の金星表面軟着陸
 1975 ベネラ9号が金星表面撮影
 1986 宇宙ステーション・ミール打ち上げ
  1990 秋山さん滞在

・デタント崩壊以降
 1979 アフガン侵攻
 1981 スペースシャトル・コロンビア号打ち上げ成功=意外と高価だった
 1984 レーガン、宇宙ステーション・フリーダム計画=自由主義陣営の団結象徴
  レーガンはICBMを軍事衛星で打ち落とすスターウォーズ計画も立ち上げ
  →進まなかったが、衛星大量配備のための小型・軽量化技術が誕生
 1986 チャレンジャー事故、安全性への疑問と対策への巨費投入
  ~米宇宙開発の迷走

・1991 ソ連崩壊、米一人勝ちへ、Faster-Better-Cheaperの時代
 1993 クリントン、フリーダム計画にロシアを加える決断→ISS計画へ
 1994 月探査機クレメンタイン(SDIから出てきた部品を使用した軽量小型探査機)
  →月全球のデジタル撮影、地質・地形データ取得。極域の氷存在を示唆
  →アルテミスへ続くブームの号砲
 1996 マーズ・パスファインダー、バイキング1、2号以来21年ぶり火星着陸
 1998 月探査機ルナープロスペクター打ち上げ
  →月極域の永久影に約60億tの氷か

・2000年代
 1999 中国、建国50周年で神舟1号(無人)
 2000 ブルーオリジン設立
 2001 米、2001マーズ・オデッセイ
 2002 スペースX設立
 2003 神舟3号で有人宇宙飛行成功(ソ連、米に次ぎ3カ国目)
 2003 コロンビア号事故→重厚長大は時代遅れ論
 2003 ESAの月探査機スマート1
 2003 ESA、マーズ・エクスプレス
 2003 米、マーズ・エクスプロレーション・ローバー
 2004 ブッシュのVSE, Vision for Space Exploration
  →2010年シャトル退役、カプセル型宇宙船オリオン、大型ロケット・アレスへ
  →シャトル依存から計画は遅れ
 2005 米、マーズ・リコネサンス・オービター
 2007 米、フェニックス(火星)
 2007 日本、月探査機かぐや
 2007 中国、嫦娥1号(嫦娥は古代中国の神話に登場する月の女神)
 2008 インド、月探査機チャンドラヤーン1(チャンドラ=月、ヤーン=乗り物)

・2010年代
 2011 シャトル引退
 2011 ロシアの火星探査機フォボス・グルントに中国の蛍火1号も相乗り(失敗)
  ロシアは10年代に欧州接近
  仏領ギアナのソユーズ打ち上げ計画、エクソマーズはウクライナ侵攻で頓挫
 2014 インド、マンガルヤーンを火星周回軌道投入(アジア初の火星探査機)
 2019 チャンドラヤーン2、月周回機は投入、着陸機は失敗
 2023? インド独自の有人宇宙船開発
 2024~ 日印で月極域探査LUPEX
  *インドは初期にはロシアから技術導入、現在は独立か

【日本の宇宙開発】

◆特徴
・日本は軍事と結びついていない
 *2020 自衛隊に宇宙作戦隊新編。情報収集衛星(=偵察衛星)もあるが
・少ない予算で幅広く宇宙開発している
 *JAXAの予算はNASAのざっくり1/10
 *打ち上げ機会が少ないので機能詰め込みになり、月着陸はSLIMまで30年かかった
  ←→中国、インド、米小規模ミッションなどは3-4年で打ち上げ
・政府需要が多い

◆歴史
・WWII前から兵器としてのロケット開発は実施
 →敗戦、1952.4の講和条約発効後に航空技術開発ができるように

・固体燃料ロケットの流れ
 *燃料と酸化剤を一緒に固めた固体燃料(推進剤)の燃焼で飛行
  構造が簡単で低コスト。点火すると同じ強さで燃え続けるので推力調節が困難
  M-Vやイプシロンなどがこのタイプ
 1954.2 糸川が東大生産研に航空技術研究班
  →ペンシルロケット、ベビーロケット
 1958.9 K-6で高度50km、上層大気観測。1960にはK-8で200kmへ
 1960.2.11 L-4Sで初の人工衛星おおすみ(-2003)
 1985 M-3SIIで「さきがけ」「すいせい」でハレー艦隊に参加
 1997.2.12 M-V1号機打ち上げ、翌年の3号機で火星探査機「のぞみ」
 2002.2 M-V4号機のX線観測衛星打ち上げ失敗

・米からの技術導入による液体燃料ロケットの流れ
 *液体燃料と液体酸化剤が別のタンクで、燃焼室で混ぜて燃やす
  点火後に消したり再点火したりできるので推力の調整がしやすい
  構造が複雑で製作が難しい、コストも高い
  H-IIA、H3が液体ロケット
 1969.10 NASDA設立
 1975 N-Iで技術試験衛星「きく」打ち上げ
 1981 N-IIで「きく3号」打ち上げ
 1986 H-Iシリーズ打ち上げ開始
 1994 H-II1号機打ち上げ(←エンジン開発難航)=純国産大型液体ロケット実現
 1999 H-II8号機は気象衛星打ち上げで指令破壊、シリーズ打ち切り

・JAXAへ
 2003.10.1 宇宙研、NASDA、NAL(科技庁・航空宇宙技術研)統合でJAXA
 2003.11 H-IIA6号機指令破壊
 2009 きぼう完成
 2011-2020 こうのとり

・政策
 2008 制定。研究者主体から国主導の技術開発、産業化へ
  内閣府に宇宙開発戦略本部設置、担当大臣も
  法では国民生活向上のための宇宙開発、産業振興、国際協力や外交を明記
 宇宙基本計画を5年ごと策定、安全保障寄りに
 2015年版では宇宙安全保障の確保、宇宙協力を通じた日米同盟等の強化うたう
  *背景に1998テポドン・ショック→情報収集衛星
 2022.3 空自宇宙作戦群=デブリや他国の人工衛星監視

【民間主体へ】

・NASA、2006年からCOTS(Commercial Orbital Transportation Services)
 →スペースX選定。シャトルの失敗踏まえた事業。開発長期化と保守的設計の打破
 *冷戦終結で軍事の国家独占から民間による活用で経済効果へシフト
・Virgin GalacticのSpaceShipTwo
・衛星写真ビジネス:Maxar、PlanetLabs
・通信:スターリンク、プロジェクト・カイパー(ブルーオリジン)
・日本:ispace(月への物資輸送サービス)、インターステラテクノロジズ、大樹町、ヴァージン・オービットによる大分空港「宇宙港」化、アストロスケールの宇宙ごみ掃除、流れ星のエール、PDエアロスペース(名古屋)のPDEによる有人宇宙船、スペースウォーカーの宇宙旅行用宇宙船、スペースBD
・民間宇宙旅行

【宇宙資源】

◆使い方
 (1)現地で使用
  現在の想定はこちらが主。輸送コストが高いため
  月の水資源(クレメンタイン、ルナープロスペクター以降)=極域に氷として
   ・自転軸の傾きが小さいため、南北の極はほぼ横から太陽が当たる
    →クレーター縁のリムが遮って永久影を形成、-200度以下の低温に
     リムは逆に「永遠の昼」。そこで太陽光発電→氷溶かす。活動拠点にも
   ・存在の直接確認:NASAがVIPER計画(2024.11)、日印LUPEX(2024fy-)
   飲料、電気分解して酸素と水素にしてロケット燃料へ
   *H2Oではなくヒドロキシ基-OHの発見のことを指す場合も
    →結合した岩石を熱して取り出すことはできるが面倒
  月のレゴリス(セメント材料の灰長石、鉄など)

 (2)地球に持ち帰って使用
  レアメタル(プラチナ、パラジウム)は持ち帰ってもペイするかも
  地球上でのレアメタルの遍在、地政学リスクも背景
  地球はいったん溶けたため重い金属が中心に落ちているが、小惑星は表層に?
   ←はや2、リュウグウが資源的隕石に似ていることから可能性あり(cf.M型)
  オバマ政権のARMを背景にベンチャーも
   2010-2018 Planetary Resources, Inc. 小惑星観測、探査機送って採掘
   2013-2019 Deep Space Industries 同

◆誰のものか
 宇宙条約(1967)2条→宇宙は国家のものではない。民間については規定なし
 2015 米宇宙法改定→米企業が採掘した資源は企業に所有権と規定
    *公海(どこの国のものでもないが、魚は釣った人のもの)を援用
    ルクセンブルクも同様の規定。UAEも所有認める法制
 2021 日本・宇宙資源法。5条で日本企業が採掘した宇宙資源はその企業のもの
 →月は早い者勝ちでいいのか?使いまくっていいのか?は問題として残る

【これから】

・費用負担、合意形成のあり方
 ISSはこうのとり打ち上げなどで年400億円、累計1兆2000億(試算)
 リターンは? cf.河野行革のレビュー2015
 ロシア離脱したら?
・超大国のデモンストレーションから経済へ
 モルガン・スタンレー2020予測では2040年の宇宙産業は3倍、1兆ドルに
・軍事
 キラー衛星、弾道ミサイル発射を探知する早期警戒衛星
 2015宇宙基本計画「宇宙安全保障の確保」、防衛省の参画
 2022.7 JAXAの極超音速飛行想定スクラムジェット燃焼試験ロケットS-520-RD1
   ←防衛装備庁の委託研究が糸川宇宙研直系のロケットに
・宇宙ビジネスバブル?
 米2022.4-6でスタートアップ投資が前年同期比-22%
・独自の有人宇宙船
・宇宙利用=COPUOSでの議論。持続可能な利用、デブリ、資源探査・利用

2022年12月26日

クリスなだれこむ末

モントリオール出張を1日短縮した影響でいろんな後始末をすることになり、エアカナダにイライラしたり、ユナイテッドと交渉してちょっとあちらがかわいそうになるくらいの処理をしてもらったり、ヒルトン(日本だと高級なイメージだがアメリカでは東急くらいなので出張によく使うのです)にはらはらさせられたりしつつ、最低限の落ち着きはしました。

てなことをやっている間にDCの気温はどんどん下がっていき、氷点下12度までいきました。ニューヨークは運転禁止、中西部はこんなもんじゃない低温になっていたようです。

で、24日は先日の感謝祭で七面鳥にお招きいただいた人たちにまた誘ってもらってクリパ。
プライムリブ。すげえ。
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次の日に一時帰国するので、早めの21時くらいにおいとましようと思っていたら、プレゼント交換のイベントが22時から始まり、ちょい遅くなりました。日本人と配偶者のアメリカ人で計14人。最後のほうは酔っ払いの理系おじさんらがけっこううざくなっており、ホストの家なのにコップひっくり返して氷を拾わなかったり、ゲームのパーツを汚したまま組み立てたりしていたので、騒ぎに紛れて「拭けや!」と注意しました。白髪頭にもなって大学1年みたいな飲み方すんなよ。
結局24時前に辞し、25時ごろ帰宅して洗濯、もろもろ準備して、4時間余りの睡眠で出発。

DCのメトロが11月、中心部から50kmくらい離れたダレス空港まで延伸したので、それ使ってみました。
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ウーバーだと6000円くらいかかるところ、土日の均一料金2ドルで済んでしまった。ちょっと時間はかかるので出張で使うかというと使わないけど、私用ならまあね。

ところでクリパで都市計画をやっている人から聞いたところだと、鉄道駅ができると土地の価値が上がって喜ばれる日本と違って、アメリカはバスや鉄道の路線が拡張されると低所得の人たちがコミュニティに運ばれてくるといって反対運動が起きることがあるそうです。もともと金持ちは車を持ってるから公共交通機関がなくてもどこにでも行けるわけだ。そうかあ。

全日空1便でワシントン→成田、14時間。読みさしの本を1冊終えて映画2本見て、うとうとしてたら着きました。後ろの席から搭乗させたり、客が適宜背後の客を通しながら頭上の荷物入れを取り扱ったりするおかげで、アメリカの飛行機よりもすいすい乗り降りしている気がする。後ろに目がある特殊民族、みんな忍者かと思わなくもない。しかしちょっと人のことを気にしすぎともいう。そのかわりクレームの反射神経は悪く、ひとしきり不利益を被った後で文句を言うよね。弊管理人も含めて。

成田からピーチで関空、そんでバスで梅田。車の左側通行に若干違和感を覚えたほかは、「ああニッポン~~!!」という感激はありませんでした。アメリカの1年3カ月の流れが速すぎて、長く空けていた感じがしないんではないか。

堂山の「にしやま」さん、月曜定休のはずが、「定休日ですよね?」とLINEしたら返ってこなかったので、もしやと思って行ってみたらやってました。26日で年内は終わろうかと思っていたそうです。

おばんざい万歳!!
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1年半前のようにレモンサワー飲んで、おでんと、じゃこめし食べました。
去年8月、デルタ禍で休業している間に弊管理人は引っ越してしまったのでさよならが言えてなかったんですよね。そしてその間に店主氏の相方さんが急に亡くなってしまっており、献杯も。

ホテルでお風呂入って23時過ぎに寝ました。そしてやっぱり3時前にぱっちりお目覚め。

* * *

◆都築響一『圏外編集者』筑摩書房、2022年。
よかった

2022年12月25日

あめりかん司法

仕事で扱う中で分かりにくいのがまずアメリカの司法制度、それと議会。
自分の受け持ちのコアの部分ではないのでなんとなくやりすごしていたのですが、いつものシリーズで新しい本が出ていたのでゲットしました。

◆Charles Zelden, The American Judicial System, Oxford University Press, 2022.


【Preface】

◆裁判所
 ・各州の裁判所
 ・連邦裁判所
   ・憲法3条裁判所Article III Court
   ・議会の立法権力の下にあるlegislative/ Article I court

◆最上級裁判所Supreme Court
 ・ニューヨーク州ではNY Court of Appealsと呼ぶ
  *NY Supreme Courtは州のtrial(第一審・事実審)+appellate-levelを指す
   各市・郡の裁判所に優越するものという意
 ・テキサス州では最上級が2つに分かれている
   (1)TX Supreme Court=民事
   (2)TX Court of Criminal Appeals=刑事
 ・フロリダ州では第一審をcircuit、上訴審をdistrictと呼ぶ
 ・連邦のほかアーカンソー、ルイジアナなどでは第一審はdistrict、第二審はcircuit
 ・多くの場合第二審はcircuit, district,あるいは単にappeals court

【1 アメリカの司法システム】

◆カテゴリー
 (1)第一審・限定型 trial courts of limited or specific jurisdiction
  ・法によって役割や管轄地域が限定されたもの。43州で導入
  ・典型的には交通、少額訴訟、自治体、judicial bureaus, justice of peace courts
  ・裁判官出席の法廷を開かなかったり、同時に複数の案件を処理したりする
  ・例)交通違反の罪状認否。被告は出廷せず、期限までに郵送で罰金を支払うなど
     無罪主張の場合、arresting officerが出廷しないで無罪確定もよくある
     争いになっても単独審で1日何十件も処理する。迅速・効率重視
  ・連邦では破産裁判所、保釈や初公判を扱う治安判事magistrate courtsが相当
    どちらも連邦地裁の一部

 (2)第一審・一般型 trial courts of general jurisdiction
  ・多くの人が想像する第一審。事実関係の審理が中心。上にいくと法適用の話に
  ・呼称はdistrict, circuitが多いが、superior courts, courts of common pleasも
  ・デラウェア、ミシシッピ、ニュージャージー、テネシーは2つに分けている
   (1)law=財産、契約関係。結果はお金関係の解決
   (2)equity=行為の強制や禁止に帰結する話を扱う
  ・他の46州と連邦は上記を統合
  ・多くの州は民事と刑事の裁判所を分離。判事の資格が分かれているため
  ・連邦はどちらも見る
  ・公判を開かず、書類を見るケースが多い
   →default/summery judgment, judgment on the pleadings
  ・公判前に決着するケースも多い
  ・第一審・限定型からの上訴も扱うが、一審のレビューではなく一からやる

 (3)第二審 intermediate appellate courts
  ・一審で負けた側が持ち込める
  ・第一審が正しく法を適用したか、裁判記録を見て審理する
  ・ランダムに選ばれた3人の判事がそれぞれの事件を担当
  ・大半は一審支持。判断が出るまでに和解に至ることも多い
  ・7割は二審で終わる(その上に最高裁がない州も含む)
  ・人口や訴訟件数の少ない10州では、上級審が1つしかない(第二審で終わり)

 (4)最高裁 appellate courts of last resort
  ・どの事件を審理するか決める権限あり
  ・個別法や憲法上の重大問題を選ぶので、重要な政治的な意思決定の役割も担う

 (5)上記のヒエラルキーに含まれない高度専門型
  ・州レベルでは家族法、少年、検認(遺言)、薬物
  ・量をさばくより専門的な援助を目的とする
    →薬物使用者への支援や遺言のない場合の遺産分配など
  ・連邦レベルではArticle I裁判所, legislative courts
    ・政府機関や軍関係、移民、特許、税など専門的な事件を扱う
    ←→Article III=地裁、高裁、最高裁
  ・DCのThe Courts of the Judicial SystemもArticle Iに含まれる

◆原則
 ・予め決められた取り扱い範囲で判断すること
 ・その州の住民について判断すること=ネット売買などの場合判断が難しい

◆連邦裁判所の受け持ち:
 ・federal question=憲法、連邦法、批准している条約に関する訴訟
 ・diversity jurisdiction=州や国境をまたいだ訴訟、$75000超
 ・original jurisdiction=憲法や連邦法を問うもの
 ・removal jurisdiction(特殊)=被告が州ではなく連邦裁でやるべきとした主張を扱う
 ・criminal jurisdiction=連邦法関連犯罪や、被害者に憲法上の保護を必要とする犯罪
  *従来限定的だったが、守備範囲は近年拡大してきている

◆連邦制と連邦/州の重複
 ・連邦法と州法は完全にはかぶっていないのであまり重複が起こらない
 ・重複が起きると両者の間で調整される(同じことを2カ所でやるほどの資源がない)
 ・調整失敗すると合衆国憲法4条で連邦裁判所が優越する

【2 役割と機能】

◆一審で事実関係の吟味と法の適用。同じ事実には同じ結論を出すことstare decisis
 しかし判事によってどの判例を考慮するかが違うことがある

 →二審の出番。「一審の法適用に関する誤り訂正機能」で通常は事実認定はやらない
  証拠集めが不十分、解釈が違う、手続きがおかしい、などの場合は差し戻し
   *新事実が出てきた場合は二審でやることもある
  あいまいなルールを明確化して一般に示す機能もある
  過去の判例が現在の社会・文化的状況に合わない場合は覆すこともある
  例)覚醒剤の「販売目的」を意図ではなく量で認定してよいとしたUS v Collazo(2020)
  判例の修正は通常、小幅だが、それで済まない場合もある
  各地の二審で違う判断が出ることもある

 →最高裁の出番。現行法の枠内で判例の意味や射程を決める
  明らかに重要な案件を選べる。連邦最高裁で年80件、州最高裁で年110件ほど
  政策決定機能を持っているともいえ、米国の統治システムの中で重要な位置
  どの社会・文化的状況を憲法ほかの法律の解釈に組み入れるべきか決定する

◆なぜ裁判所に今のような役割が与えられているか
 もともとは英国のコモンローの伝統を引きずっていた
 →1880年代に裁判所ではなく州・連邦政府が監督や法執行の仕事をするようになった
  →裁判所から行政的な「出張っていく」機能が切り離され、受動的役割が残った
   通常はルール作りもせず、法的強制力を伴った制度監督もスピード感を失った
 →これを代行するように3権を併せ持ったような機関がつくられた
  例)テキサス鉄道委員会、連邦州間商業委員会など
    →ヒアリング、ルール創造、執行までやる
 →ニューディール時代には官僚組織による経済・社会の統制が上記をしのいでいった
 →国家労働関係会議が扱う労使紛争、連邦通信委による電波・通信インフラの問題などがうまく決着しなかった場合は法的解決に持ち込まれる
 行政の行為や規制が問題になる場合は高裁(だめなら最高裁)へ

【3 権限と動機】

【4 ひと】

◆裁判官
・個人の属性が仕事内容に影響する側面に注意

・Article III federal courtsの連邦裁判官は上院の助言と同意に基づき大統領が任命。罷免は国家反逆、贈収賄ほか著しい不品行による下院の弾劾か、上院の2/3の投票でしかできない。実質終身で、政治の影響を受けないでいることができる仕組み。ただし任命までは政治的で、資格要件はないものの名声・人望のある法律家であることが求められる。また90%が大統領と同じ政党の党員。あからさまにやってはいけないが、なりたいというアピールも必要。大統領は2期で終わりだが裁判官は30年以上やることがあり、大統領が最も長期に影響を残せる分野でもある

・Article I judgeは話が別。上院の助言や同意は必要なく、試験などの能力主義的選抜で選ばれ、決まった任期があり、伝統的には15年。政治性が薄い。法的行為に関して責任を問われず、政府機関職員の干渉はできない。Administrative Procedure Act 1946に基づく「相当の理由」がないと罷免されない

・州裁判官のなり方はいろいろ。議会や知事による任命、選挙、試験、知事などによる初期選抜がある場合もある。州により方法は違うが、一審裁判所は選挙、控訴裁判所は任命制が多い。継続のための選挙があったりする。しかも制度どおりに運用されてないこともある(イリノイなど、p.53)
・ほとんどは終身制ではなく任期制だが、再選されたり再任命されたりして続けることもできる。ある時点で選挙が避けられないので政治からも自由ではないし、選挙費用の出元や選挙民の政治的傾向にも左右される。特に一審裁判所は任期が短く選挙が多いのでこの傾向が強い

・裁判官は有名な法学部の出身者が多く、歴史的に財力のある家の出身の白人男性が多かった。女性は州裁判所で30-40%まできた。マイノリティは20%まできたが大きく下回る州も多い。バイデンとオバマだけが女性>男性。法律事務所や検察官事務所、下級審裁判所から上がってくるなど、いずれかの法律職として成功した人

・originalism(法律の字義通りにストライクとボールを判断する)、instrumentalism(ストライクとボールは判断するが、ストライクゾーンは人によって違うし時代によっても変化するとの考え方)

◆弁護士
・訴訟当事者と裁判所の橋渡しをする潤滑油役
・transactional lawyersはクライアントを裁判所まで行かせないのも重要な任務。2006年の研究では、1/3の時間を裁判所や訴訟相手が法的にどう対応するかをアドバイスするなどのコンサルティングにかけている。残りはクライアントに代わって交渉しているか、契約などの法的文書を作っている。法廷までいってしまうのはある意味アドバイスに失敗したことにある。こういう仕事がないと司法システムが需要過多になって崩壊する
・litigatorsは法廷に行く人。刑事被告人の弁護など。コンサルもやるが法廷行きの回避ではなく、いかにして勝利を最大化するかを考える。そのための調査もする。法廷に行くと時間もコストもかかり、結果も見通せないので示談や司法取引plea bargainをする。犯罪の90%では司法取引が行われる。フルの裁判を全ての事件でやることは不可能
・法曹資格があるのは米国dえ133万人、そこへ毎年3万~3.5万が新規参入。日本は350-400人。米国が異様に多いのは、他国ではtransactional lawyersがやる仕事を非法律職がやっているのが一因
・ロースクールの格がステータスを決めている

◆陪審員
・一般市民が最もアクティブに関わるのがこの役割
・管区から無作為抽出され、一般的には6-12人で構成。訴訟の中でどの事実に重点を置くかを判断する
・候補者を除外できる場合は2つあり、(1)当該案件についてもともと知識や意見がある人で、選出過程で両当事者の弁護士が質問し、回答に基づいて異議を言うことができる。除外理由(2)は理由を示さず除外ができる。ただし性別や人種、宗教構成を操作するためであってはいけない。弁護士が使える回数は決まっており、使い果たしたらその後はすべて受け入れなければならない
・まず座って聞くだけ。すべての情報をふまえて裁判官に促されると、どの証人の言うことを聞くべきか、どの文書を採用すべきか、どの事実に法を適用すべきかを判断する。民事ならどちらの主張がより説得的か、刑事なら犯罪が合理的な疑いを容れない程度に立証されたかどうか

◆訴訟当事者
・訴訟の主役ではあるが、やることは弁護士を雇って協働すること、司法取引が提示された際に受けるかどうかを決めるくらい

◆目撃者、犯罪被害者、一般市民

【5 プロセス】

一般市民がアメリカの司法制度に捕まるパターンは4つ

(1)陪審員として
(2)犯罪被害者として
(3)民事訴訟の当事者として
・最初に弁護士と相談する時は無料のことが多い。弁護士はそれによって客を見つける。持ち込まれた案件が訴訟に価すると判断されなければそこで終わりで、弁護士は守秘以外の義務を負わず、相談者も支払い義務を負わない(契約関係などの案件で最初から料金が発生することはある)
・支払いはかかった時間などに対する一定額の支払いを取り決める場合と、訴訟にかかった費用は弁護士が負担し、成功報酬contingency feeを受け取る場合がある(損害賠償の場合は多くがこちらで、最高で勝ち取った補償の40%とされていることが多い)
・最初はDiscovery=互いが持っている情報の確認。隠し球は許されない。次に裁判所は法廷に持ち込まれる前に決着を模索するよう求める。第三者を介在させたり、単に当事者に促すだけだったり。失敗すると法廷へ。
(4)刑事被告人として

【6 政治と政策】

2022年11月23日

シャルムエルシェイク

地名言っただけで何の仕事だか分かってしまう今回ですが、行ってきました。
実はスターアライアンス、エジプト航空。
安全設備の説明は古代だった。
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機内食は魚が選べてまあまあ。
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カイロは意外と遠く11時間近くかかり(ちなみに帰りはなぜか北欧~グリーンランド南端をかすめるコースで12時間以上)、朝方ついて乗り換えてシャルムエルシェイクへ1時間。背中が痛くなりました。

宿はEden Rock Hotelというところです。実は違うホテルを1年前から1泊100ドルくらいで押さえてあったのですが、9月になって「地元のホテル協会が360ドルに値上げした。呑むかキャンセルか」と突きつけられ、弊社カイロ駐在の人々に助けてもらって130ドルのところを取ってもらった次第。
高台にあって見晴らしよく、繁華街の近く。繁華街から136段(←同僚が数えた)の階段を上らないといけないのですが、まあ運動運動。気温は夜寒くて15度くらい、昼25~27度ってところで乾燥していて過ごしやすかったです。
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朝飯がついていて、一日の野菜の大半をここで摂る気合いで食ってました。
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部屋のベランダからの眺め。
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初日の夜は、カイロから来てくれた応援の人と、去年も一緒に仕事したナイロビの同僚とシーフードを食べました。1人30ドルくらい。
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街は午前3時くらいまで盛っていてこれはよかった。去年のグラスゴーは疫病の情勢もあってか、夜10時になるとスーパーまで全部閉まって夕飯に非常に困ったので。
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あとでカイロから支援にきてくれた助手さん(エジプト人)に聞いたところ、シャルムはロシアやウクライナあたりから来やすくて物価も高くない紅海随一のリゾートという位置付けなのだそうです。確かにレストランのメニューにはロシア語がついてました。
ブッダ・バーという何かを間違って輸入した感じのバー。
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ちょっと値段はするが、普通にいけた寿司。
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二人でワインあけました。「オマル・ハイヤーム」。政治家?いや詩人だっけ?というくらい忘れかけてたけどペルシャ生まれの詩人だった。代表作「ルバイヤート」はワインの話でいっぱいです。
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うまいかっていうと普通だけど、エジプトワインてのもいいじゃない。

ケンタッキーもマックもあった。マックのご当地メニューと思われる「ロイヤルバーガー」はただのでかいハンバーガーでした。
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あと、イスラム教なのでエジプト航空の機内は酒なし、シャルムのレストランは酒あり、鶏も牛もあるが、当然というか滞在中に豚は全くお目にかからなかった。

こうしてみると、去年同時期のグラスゴーの仕事よりだいぶ楽しそう。
去年は直前に歯が折れて、疲れてて、寒くて、お腹すいてて色々だめでした。ただ弊日記に書いたとおり、仕事をばりばりやったせいかグラスゴー出張を契機にちょっと元気は出たんですけど。

今回は東京から来てた同僚が弊管理人の到着した日に体調を崩し、そこから最終盤までホテルから出られなくなったので、お手伝いくらいのつもりが結構どっぷり仕事することになりました。いいけど。同僚氏は海外での病気、大変だったことでしょう。

最終日は深夜発なので、ビーチに行ってみました。
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紅海に入った。足だけ。
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助手さんと話してて、「ちょとタクシーで観光して帰る」と言ったら「タクシーなんか使わなくてもカイロに帰る前に乗せてってあげるよ!」とありがたい申し出をいただいたので、オールドマーケットに。
助手さん、運転しながら両手で!!!携帯いじってました。
タクシーも一緒で、携帯いじるわ、なんか喋るとき両手をハンドルから話して身振りをつけるわで、かつ120km/hくらい出すのでシートベルトを着用しました。
「スピード出しますよね~ここの人」と言ったら「そうなの。許して~笑」って。

モスク。
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中を見せてくれるそう。助手さん(女性)は髪を隠すやつを借りてました。
これは着けてるところ。
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地階もお祈りはできるようになっていましたが、ちょっと暗め。
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1階に上がるとすごい豪華だった!
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白飛びしてしまいましたが、助手さんによるとステンドグラスがあるのはイラン風らしい。
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このランプはエジプト風とか。モロッコでもこういうの見たかな。
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いやこっちのランプだったっけな、エジプトっぽいって言ってたの。
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外はトルコ風とのこと。丁度トルコからの観光客がいて、「うちの国のよりキレイ」と言っていたとかなんとか。
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バイアグラ?と多くの観光客が足を止め、セールスの餌食になっていると想像する。
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旧市街は閑散。
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肉屋。そういえばカイロの同僚が物価の話をしていて、やはりエジプトの経済も「外国人・高級」と「地元用」の2層があると言っていました。高級肉屋は当然高い。地元用は安いが、手袋もマスクもしてないおじさんが切ってる肉でリスキーとのこと。
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さて、次はコプト正教会(エジプトに多いキリスト教の教派)のお寺に行きます。The Heavenly Cathedral、日本語でどう言っていいかは分からない。
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むっちゃきらびやか。
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助手さんに「エジプトってキリスト教徒いるの?」と聞いたら「もちろんいるよ!」とのこと。言いぶりからすると助手さんもそうかな?エジプトの人口の10%、国連事務総長だったガリ氏もコプトだそうです。
入口はジーザスがすしざんまいのポーズをしていた。
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1世紀のアレクサンドリア教会(エジプトの首都のやつですね)が起源だそう。北アフリカがイスラムになってもしっかり続いた。十字架の形が特徴的。狛犬もいる。
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全景はこんなんです。
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この敷地の入口には金属探知機つきのチェックポイントがありました。モスクにはなかった。なんかそういう関係なんだろうか。
周りはこんな感じ。裕福ではなさそうだが危ない感じでもなかった。
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と、いうわけで帰りましょう。
途上国のタクシーはクソで大嫌いなのですが、今回もまあ予想通り。
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だいたいの調べはしてあって、空港まで20ドルまでなら相当のぼったくりだがそれでも許容してやろうと思っていたところ、「30ドル」と言ったので「ふざけんな」と猛然と交渉。意外とすぐに折れた。しかし「駐車場代払わないといけないから2ドルくれ」と食い下がり、呆れて受け入れた。
当然領収書など出ないので、紙切れとペンを渡して「これに書け」と言ったら「いいペンだな、くれないか」ときた。つえーな。心の狭い斜陽の国の人なのであげなかった。こいつらにとっては次々とダメ元の要求を繰り出すのが確かに適応的なんだけど、国の印象は確実に悪くなるし見下されると思うよ。

ところで、ドラクエIIIのアッサラームの町(位置的にはバクダードあたり)に「おお わたしのともだち!」といって高額の武器や防具を売ろうとする店がありました。相当値切ってもやっぱり高いぼったくりなんだけど。
それが今回、タクシーの運転手が誰も彼も2人称がmy friendなので、これほんとだったんだ!と発見して感動しました。そしてやはりクソぼったくりだった。

エジプトの空港はセキュリティがえらそうで(公務員が威張ってる国なんだろう)、何度も冗長な検査をし、エジプト航空の客室乗務員は感じは悪くなかったがサービスは少なく機内は汚かった。過去に生きてる強権政治の国。ピラミッド見に行った人も2度は行きたいと思わなかろう。日系の旅行会社を使うか、現地につてがないと嫌なことがいっぱいありそう。

ところで中盤から便が水に。しかし別に熱も出ないしお腹も痛くないので「ストックがだめならフローで勝負だ!」と食べ続けていました。そして水便は治らなかった(当然だ)。

* * *

行き帰り16時間ずつの行程で2冊読了。

◆鎌田遵『癒されぬアメリカ 先住民社会を生きる』集英社、2020年。
アメリカ先住民社会のフィールドワーク。日本語でこれが読めるのはすごいし、作中に出てきた青木晴夫(ネズ・パース語の辞書を作った人)もむちゃすごい。体裁はエッセイの集成だけど、カジノだとか環境団体、トランプとの関係、ドラッグ、コードトーカー、先住民とは誰か?など知りたいと思っていたトピックが網羅されていてとても勉強になりました。次は英語の入門書に挑戦します。

◆豊川斎赫(編)『丹下健三都市論集』岩波書店、2021年。
・都市をリ・クリエーション(再生産)の場ととらえるところ
・建築や都市計画を個人の日常生活スケール/集団生活のスケール(広場など)/超人間的スケール(自動車などの高速移動)に分ける考え方
・原子力が人間性の意識解放をするという発想(オーウェルもそうだが、原子力が同時代の人々の想像力に与えた影響)
・第一の産業革命が、人間が手足の延長となる道具で実現したとすると、第二の産業革命は、人間が神経系統を延長した情報・コミュニケーション分野で起きるという分類
・20世紀末の日本人口が1億2000万人という意外に正確な人口問題研究所の推定(これは丹下の試算ではない)
・都市開発における既得権益(地主)批判
など、時代を感じつつ面白い分類や着想がいろいろありました。

2022年10月30日

ウィーク食べるエンド

月曜ってまだアリゾナにいたんだっけ?というくらい時間感覚がおかしいですが、あさっては11月というのも引く。疫病罹患、とかいってたのがもう1カ月前。

前の週は遠出したので、この土日は家の近くで過ごします。
車で40分くらい、リースバーグLeesburgのアウトレットへ。
Vineyard Vinesというブランドのシャツを買いました。この夏、ちょっと小綺麗なお兄さんたちが着てるのをなぜか飛行機で何度か見て、生地が気持ちよさそうだなと気になってたんですよね。日本には来てないやつらしい。
半額セールってほんとかよと思いながら買ってみたら、確かに2枚で80ドルくらいのが40ドルになってました。しかし青いチェックのボタンダウンと空色のTシャツ。おっさんにはちょっと厳しいかもしれない。
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フードコートで中華頼んだらすごい量でびびった。でも食べた。

近くのMom's Apple Pieでパイ買って帰ってきてお茶。
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売ってる1スライスはこの倍あるんだけど、一度に食べるのはこれくらいが丁度よい。

夜はジュリアン・ラクリンがソロをやるチャイコフスキーのバイコンを聴きにケネディセンターに行ってきました。前回は疫病発症直前だったんでですよね……当時はマスク必須だったのに、この1カ月の間に任意になってた。ジジババばっかりなのに解除すんなよ……
席はかなり前のほう。
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ソロイストの楽器から直接音が聞こえる席でよかった。汗だくのノセダも見られたし。

日曜は事務作業してて暗くなりました。
夜はアパートのジムで運動してから、同じアパートに住んでる同僚と、近くに移転してきた日本料理店Takohachiへ。
寿司ネタのケースやカウンターがあってちゃんと日本の香りがするんだけど、お店にいるのが全員ヒスパニックか非日本アジア人さんたちで入店をためらった。でもちゃんと日本食が出てきた。
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天つゆをおもくそフィーチャーしてしまいましたが、料理はちゃんと食えました。そしてすごい量だった。居酒屋っぽく使える店な気がした。

* * *

◆イーフー・トゥアン(山本浩訳)『空間の経験』筑摩書房、1993年。

先日、著者が亡くなった時に本書のことをいろんな人が回顧してたんですよね。
人文地理学に心理学や文化人類学を吹き込んで面白くした人、ということでしょうか。
「空間」という均質な座標系の中に、「場所」という記憶に紐付いた特別な地点を次々と築いていくという人の営みについて。

生活というのは、生きられるものであって、パレードの行進のように道端から見学されるものではない。本当のものとは、呼吸のようにまったく目だつところのない、よく知っている日常のことであって、われわれの存在のすべて、われわれの感覚のすべてに関わっているのである。われわれは休暇で旅行に出かけているときには、いろいろな面倒事は背後に残しているのであるが、同時に自己の重要な部分も背後に残している。つまり、われわれは、何の苦労もなく、試しに生活している観光客という根なしの特別な存在になるのである。(p.259)
宗教は、民族を場所に縛りつける働きもすれば、場所から解放する働きもする。つまり、土着の神々を礼拝することは民族を場所に縛りつけることになり、逆に、普遍的な宗教は解放をもたらすのである。普遍的な宗教においては、全知全能の唯一の神がすべてを創造し、すべてを知っているのであるから、ある特定のところが他よりも神聖であるということはありえない。(p.270)
場所の感じは、人の筋肉と骨のなかに記録される。船員は、高波で揺れる甲板に順応する姿勢を身につけているので、一目でそれと分かる歩き方をする。[...]場所を知るというのは、右に述べたような意味で明らかに時間を要することであり、潜在意識で知ることなのである。時間が経過するうちに、われわれは、ある場所に馴染むようになる。(p.326)
歴史は奥行きをもっており、時間は価値をあたえる。おそらく、これは、長い時間をかけてつくったことが明らかな人工の物に囲まれて生活している人びとのあいだで発展しやすい考え方であろう。中世の巨大な司教座聖堂は、一世紀以上に渡って続行された建設の努力の結果である。大きな記念建造物が徐々に立ち上がっていくあいだに、いくつもの人間の世代が交代していくのであり、大きな記念建造物は時の推移を示す働きをするのである。そのような大きな記念建造物が存在する都市もまた、時代の奥行きをもっとり、それは、古木の年輪のように生長していく市壁に具体化されている。他方、中国では、大きな建物はもとより都市さえも建設には何年も要しない。中国人はすばやく建設し、形態の永遠性を除いては、永遠というものに眼を向けないのである。(pp.339-340)
都市計画家や都市デザイナーが行なう議論は、以下のような問いを論じるところまで拡大されるべきなのである。すなわち、空間の認識と、未来の時間という観念、目標という観念とのあいだにはどのような関係があるのか。身体の姿勢および個人の関係と、空間の諸価値および距離の関係とのあいだにはどのような関連があるのか。われわれは、人や場所に対して感じる「くつろぎの気持ち」である「親密性」をどのようにして描写するのか。どのような種類の親密な場所は設計することができ、どのようなものは設計することができないのか(少なくとも、非常に人間的な出会いが可能になるような設計はすることができる)。空間と場所は、某県と安全、開放性と限定性を求める人間の欲求が環境として現れたものなのだろうか。場所に対する永続的な愛着ができるにはどのくらいの時間がかかるのだろうか。場所の感覚は、場所に根ざしている状態(これは無意識でのことである)と、疎外されている状態(これは、いらだった意識をともなうものであり、ほとんど、もしくはもっぱら精神的なことであるので、いらだたしいのである)とのあいだに成立する認識なのだろうか。われわれは、際だった視覚的象徴をもたない、場所に根ざした共同体の可視性をどのようにして高めることができるのだろうか。どのようなことが、そのような可視性を高めることから生じる利得であり損失なのだろうか。(pp.359-360)

2022年10月01日

じうがつ

滞在2年目に入った当日から疫病にかかるという何かもうなんなんでしょうかという日記は9月の日付なので、ここでいったん区切って10月に突入したいと思います。

【10月1日15:00(day 6)】

・36.7度、98%、陽性継続
・朝から鼻の奥がジンとするような、ちょっと風邪の初期みたいな感じ。毎朝起きると違う経験をしていて、もはや罹患以前がどんな体調だったか思い出せない
・朝方の咳が少し気になった。水を飲むと収まる
・とはいえ体の重さ、頭の重さなどもろもろ勘案するともう普通に戻っていると思う。今日から自宅療養解除でよかろう(という気になった時点で大丈夫と確信する)。陽性だけど。運動不足ですごい衰えてる実感がある
・結局、3日の仕事は同僚にお願いしてしまった。ボスからは「【申し訳ないが】代打を頼みました、と(おじさん職位2人)にメール送っておいて」と言われ、申し訳ながらないといかんのだなと思いました。いや申し訳ないとは本当に思いますけど、それ人が決めること?何も悪意や悪感情がないことはわかるのだけど、本当に面白いくらい隅々まで感性が合わないのやばい
・仕事の代打をお願いした理由は潜在的な仕事相手が67歳なことで、日本・アメリカの両方の基準でも10日目まではハイリスク者と合わないようにとなっているのでこれは仕方ないと思う
・検査もそろそろやめるか
・それでいくと出社は6日解禁かしら

【10月2日14:00追記(day 7=日本基準で隔離最終日)】

・36.6度、98%、陽性継続
・鼻の奥の湿った感じ継続
・12時起床。ハリケーンの残骸が届いているのか昨日から雨降り。きょうの最低気温9度。急に秋が深まった。何かしよう/したいという気持ちが0で、気分が下がりすぎて飯の準備ができなくなりそうだった、が、した。そして寝具の洗濯と寝室の換気。今日やらないとやる時間がないかもなので
・げに不思議なのは、症状そのものの改善は早かったのにウイルス排除に意外と時間がかかっていること。弊管理人の免疫、大丈夫?しかし調べたことがないだけで風邪もこんなもんなのだろうか。インフルも解熱からの日数だけで出社再開していたし、確かに復帰時の検査を必須にする病気というのは多くない
・タブレットの動作が重くなったため一度クリーンアップしてアプリを入れ直した。ちょっと改善した

【10月3日17:30追記(day 8)】
・36.4度、98%、検査非実施
・2時間に1回くらい痰が絡むがまあそれくらい。鼻の奥の湿った感じは相変わらず。声は張って喋ると普通だが、小声で何か言おうとすると変になる
・早朝の仕事は結局何も起きず。ここから3日間これが続く
・事務作業のため午後に2時間ほど出社。マスク着用で行ったが、弊管理人を見た同僚がマスクを着用した。まあ無理もない
・家に戻って1本作業してから夕飯を買いに外に出たら、普通に寒い雨降りの冬の夜だった。9度。去年の今頃ってここまで寒くなかったと思うけど。という具合に「去年の今日」が存在するのが2周目というもの。去年の今日はまだこのアパートで暮らし始めていなかったが、今年は足元にオイルヒーター、寝床に電気敷布がある。暖かい

【10月4日23:00追記(day 9)】
・36.9度、97%、検査せず
・風呂上がりなのでこんなもんであろう
・朝起きたときに、前日までのように喉がいがらっぽくて「水、水」とならなかった。わずかながら改善したということだと思う
・また3時間ほど出社。コピー機を使いたかったからだが、なんか普段から出社する意味ってあんまないかもな。なんて考えていたら同僚氏が「(弊管理人)さん帰るなら僕もつまんないから帰っちゃおうかな~」と言いだし、出社する意味みっけた
・しかし午後3時過ぎには地元駅に戻ってスーパーで買い出しし、寿司買って帰ってフリーズドライの豚汁を戻して食べ(うまかた……)、家で1本仕事をして、夜はステーキを焼いて食べ、久しぶりにジムでちょっと運動した。走っても息切れしなかった。肺はやられてなさそう

【10月5日19:00追記(day 10)】
・36.4度、98%、検査せず
・3日連続の5時台起床終了。ねむ
・朝からエジプト大使館に行ってビザの申請。金属探知機はあるものの稼働せずスルー、書類出してさっくり終了。いい、この緩さ。そんで会社でちょっと仕事して帰った
・この3日くらいで思ったけど、会社はやっぱあまり行かなくていいな。在宅だと家事できるし、疲れ方が違う
・痰や咳出ず。喉も正常。ということで日米保健当局が揃って推奨する発症10日後までの注意・マスク着用期間を終えます

* * *

寝床で2冊読み終えた。

◆ジョージ・オーウェル(秋元孝文訳)『あなたと原爆』光文社、2020年。
オーウェルの評論集。とてもよい。
ナショナリズムに関する文章はもう一回立ち戻る気がする。

◆渡辺靖『アメリカとは何か』岩波書店、2022年。
毎日、断面を見ているだけでは分からない「構造」を教えてもらえる本。こういうのは買ったそばから読んだほうがいいだろうと取り寄せた甲斐あり。アマゾンの国際発送は包装が悪くて本が傷むことも分かってしまったが……

2022年09月10日

豚からポークへ

DC界隈の日本人が集まる豚の丸焼きの会に呼んでいただき、同じアパートに住んでいる同僚と行ってきました。3カ月くらい前にも別の用事で行ったメリーランド州某所。

家の庭先で豚がポークになっていた。
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この家の隣人氏が州内のアーミッシュの農家から仕入れてきて焼くところまでやってくれるそうです。眉間から何か流れている気がしますが……。
お尻のあたりのお肉をいただきました。ビネガーソースをかけて。ふかふか。

同僚が隣人氏に聞いたところでは、元海兵隊で日本駐在経験があり、日本大好きで(たぶん奥さんは日本人)数年後には移住するのだそうです。1983年ベイルートの海兵隊兵舎爆破事件(241人死亡)の負傷者の一人だって。まじ?
焼き鳥めちゃくちゃ上手だった。なんでそんな器財持ってるの?っていうかDCでお店やってほしい。仕事終わりに一杯飲みに行きたい。
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16時ごろ行ったのですが、20時半くらいまでだらだら食べたり喋ったりしてました。
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名札の色が「テニス」「ランニング」「知財・法務」「その他」と分かれており、なんかそういうサークルが重なり合う場だったようです。大使館、研究、国際機関、報道の人などいろいろいた。弊管理人のように3年くらいで帰るというよりはもっと長くいるつもりか、既に定住してる人が多かった印象です。新しい知り合いができました。

このあたりはわりと最近開発されたところで、広い庭の一戸建てが並ぶ住宅街です。他の家も大音量で音楽を流してパーティーしたり、卓球台を囲んで騒いだりしていました。そうか、週末はこうなのか。初めて見た。

* * *

意味はよくわからないが「へー」と思った言葉。
「ニューヨークも民族的には多様だが、ニューヨーカーとしての振る舞いが求められる。DCは外国人が外国人のままでいることが許容されている」

* * *

先週ってフロリダにいたっけ?というくらい時間感覚がなくなる1週間でした。月曜が祝日だったせいで平日が4日と短く、アウトプットもいろいろしたが主に仕込みの作業をしていて慌ただしく過ぎました。

結構寝たはずなんだけど疲れが出てる。

* * *

◆堀内進之介『データ管理は私たちを幸福にするか?』光文社、2022年。

2022年08月20日

タコのせかい

すごいよかった。
このところ工学系の出版社が出してる工学系の入門書に苛々させられることが続いて、ホント理系同士でものを作らせちゃだめだ(つまり著者にも編集にも「分からせる力と意志」がない)と思っていたところ、こういうのはちゃんとした出版社にやってほしいという意を強くしたものです。それはいいんだけど、ちょっと仕事上の必要でこの辺をおさらいしたかった=言葉の布置を見渡しておきたかったという思いが満たされました。1~3章は概観と歴史なので軽めに、あとはがっつりメモ。

◆小林憲正『地球外生命 アストロバイオロジーで探る生命の起源と未来』中央公論新社、2021年

【1~3章】

・パンスペルミア説:生命の種が宇宙から地球に降ってきて地球生命のもとになった
・地球生物:
 1.水と有機物からなる
 2.外界との境界(リン脂質の細胞膜)がある
 3.代謝する(+酵素=タンパク質で化学反応を促進する)
 4.(核酸で)自己複製する
 5.進化(変異)する
・オパーリン・ホールデン仮説(1920年代)
 メタンやアンモニアを多く含む原始地球の大気から有機物が生成、海に溶け込み、化学反応によって複雑な分子に。コアセルベート(球状の構造体、原始細胞)から生命へ
 *その後、原始大気はメタンやアンモニアをほとんど含まなかったとされた
・1969年、オーストラリアに落ちた炭素質コンドライト隕石の分析で、非タンパク質アミノ酸が多く、L体とD体が半々だったことが判明。その後、隕石には核酸塩基や糖も含まれているとの報告も
・とりにいく:リュウグウ(C型)、ベンヌ(B型)
・アミノ酸は宇宙で非常にできやすい
・RNAワールド:1980s、化学反応を触媒するRNA分子発見。まずRNAが現れ、より触媒として優れているタンパク質に触媒作用を任せて自分は増殖を担う。最後に安定したDNAを生み出して情報の貯蔵を任せた
 *ただしRNAはタンパク質よりはるかに作りにくいことを重視するかで評価が分かれる
・別の説としてタンパク質ワールド説。しかしタンパク質は自己複製が難しい。ほか「代謝ワールド」「ゴミ袋ワールド(コアセルベートの中にたまたま触媒作用を持った当たり袋が増殖し、進化し、洗練されたRNAなどができてきた)」=筆者はこれを支持
・38億年前には生命がいた可能性が高い(グリーンランドのグラファイト粒子の炭素同位体比測定から)。それより遡れるかどうかは「後期隕石重爆撃期」があったかどうか
・共通祖先は好熱菌説→熱水噴出孔。必須金属の供給、紫外線が届かない環境
・多細胞生物→エディアカラ生物(消滅)、バージェス動物群、カンブリア大爆発
・全球凍結は少なくとも3回→その後の温暖化→シアノバクテリア活動→酸素濃度上昇→オゾン層
・個々の生物種は絶滅するが、全生物を絶滅させるのは非常に難しい

【4章:火星生命探査】

・19-20c スキャパレリ、ローウェルの「火星運河」騒動

・ヴァイキング計画(NASA):火星表面の生命存在を探る
 1975.8 ヴァイキング1号→1976.7.20 クリュセ平原に着陸
 1975.9 ヴァイキング2号→1976.9.3 ユートピア平原に着陸
・観測手法
 (1)写真撮影:肉眼で見えるもの
 (2)昇温気化ガスクロマトグラフ質量分析計:土壌中有機物の存在
 (3)熱分解放出(PR):光合成生物の探索
 (4)ラベル放出(LR):有機物を食べる生物の探索
 (5)ガス交換(GEX):呼吸する生物の探索
 →生命の痕跡見つからず、以後20年間火星探査が停滞
・バレーネットワーク(水路様地形)、アウトフローチャネル(大量の水が一時的に流れた跡)を発見
 →過去の火星には大量の水があった、過去には生命誕生した可能性

・ヴァイキング計画の結果検討
 ・中緯度の平たんな場所(砂漠のような)→いないの当然では
 ・なぜ有機物が出なかったか
  →火星は核まで急速に冷えて対流が弱まる
  →磁気圏が失われ、太陽風が降り注ぐ
  →大気が失われる
  オゾン層がないので紫外線が火星表面に届き、水分子を分解
  →水素は宇宙へ、酸素は地表に残って過酸化物・超酸化物を生成
  →有機物を破壊、殺菌。有機物ができても壊れやすい環境だった可能性

・火星隕石ALH84001騒動
 →論争を呼んだが火星への関心が再燃

〈水の探索〉
・マーズ・パスファインダー:ローバー探査の先駆け
 切り離された着陸機「ソジャーナ」1997着陸、洪水の跡を発見

・マーズ・エクスプロレーション・ローバー(2003打ち上げ)
 2004.1 スピリットとオポチュニティの2ローバーが着陸
 →当初90日間の予定が、2019年まで探査継続
 スメクタイト(水がないと生成しない年毒物)発見

・フェニックス(2008.5極冠近くに着陸)
 →表面をスコップですくうと白い塊=地下の氷の存在を示した

・マーズ・リコネッサンス・オービター(周回機、2006-)
 クレーター内に「斜面の筋模様(RSL)」発見
 2015にはRSLの分光分析でマグネシウムなど塩化物、過塩素酸塩存在
 →現在でも場所や条件により高濃度の塩を含む液体の水が地表に流れ出ているか

〈有機物の探索〉
・メタン(CH4)=紫外線で分解されやすいので、現存すれば……
・2004、ESAのマーズ・エクスプレスの分光器で微量のメタン存在を確認
・2009、米・地球からの観測でメタン存在確認、場所や季節による変動も
 →メタン生成菌やメタンをエネルギー源にして有機物を作るメタン酸化細菌が存在?

・マーズ・サイエンス・ラボラトリー(2011打ち上げ、NASAの本格有機物探査)
 ローバー「キュリオシティ」がゲール・クレーター着陸(2012)
 加熱して出てくる有機物をガスクロ質量分析。表土のほかその下の土壌も
 →塩素がついた炭化水素発見=土壌中の過塩素酸塩+有機物
 ゲール・クレーター内の泥岩の分析でベンゼン環、硫黄含有など複雑有機物発見
 湖だった35億年前にいた生物が作った有機物の痕跡か

〈火星のハビタビリティ〉
・35億年前ごろまで表面に大量の液体の水があったことが分かっている
 →強力な温室効果を持つ大気があったはず(暗い太陽のパラドックス)
   ↑当時の太陽光度は今より低く、温室効果がないと凍ってしまう
・その後、火星からは水がほとんど喪失
 火星は小さいので核が早く冷える→磁場喪失→太陽風が大気直撃
  →大気が宇宙空間へ→温室効果喪失→寒く→ハビタブルゾーンから外れる
   →多細胞生物への生命進化が難しい環境に
・しかし、いったん発生した生物を全滅させるのは難しい
 →発生したとすれば地下で生き延びたものがいるのでは?
 =これが今後の火星探査の目的

〈マーズ2020(NASA)〉
 2020.7 探査機打ち上げ
 2021.2 火星着陸(赤道近くのジェゼロ・クレーター)
  デルタ地帯、炭酸塩や粘土鉱物が見つかっている
  川からの有機物や微生物の痕跡探索
・探査車:パーサヴィアランス
  有機物分析:シャーロック=紫外線レーザー+発光分光計で土壌の微細イメージング
  岩石や土壌を集めて将来の火星ミッションで地球に持ち帰る
    2021.9 初めてサンプル容器に収納→別のローバーが回収、火星軌道に打ち上げ
・ヘリ:インジェニュイティで上空から撮影

〈エクソマーズ2022(ESA)〉
・ESAの火星探査は2003.6打ち上げのマーズ・エクスプレスが最初
  2003.12 火星周回軌道入り、上空から探査。着陸機はビーグル2、有機物分析
  →ビーグル2は連絡途絶
 →捲土重来でエクソマーズ
・エクソマーズ
 2016 トレースガス・オービター打ち上げ。2017軌道投入、メタンなど大気成分分析
 着陸機は2022予定
  →オキシア平原(過去に水が流れた形跡あり)に着陸
 ローバー「ロザリンド・フランクリン」
  ・ドリルで2m掘削し土壌採取、有機物分析
  ・MOMA(火星有機分子分析計):加熱/紫外線レーザーあてて土壌中の有機物をガス中に取り出す→細胞膜の成分・脂肪酸など検出を期待

〈現存する生命探査の壁〉
・手の届くところに生物がいるかどうか
  火星にはオゾン層がないため紫外線が強く、生命が耐えにくい
   →少し地下にもぐれば生命が生存可能になる可能性あり

・正体の分からない火星生物をどうやると検出できるか
  強紫外線環境では光合成生物の存在は難しい
  メタン合成生物はいる可能性あり
  ヴァイキング計画で使ったような栄養液が栄養として受け取られるか(毒かも?)

・本当に生物がいそうなところには近づきにくい
  水が流れている可能性のあるクレーター内壁は急斜面
  生物がいるところに探査機が地球の微生物を持ち込むと増殖してしまうかも
 ※マーズ2020やエクソマーズ2022の着陸地点は生物活動がありそうなspecial regionは外している=惑星保護planetary protection(→詳しくは8章)

〈生命がいることの確認方法〉
・生物=有機物で構成、外界との境界を持つ、自己複製する
 →日本グループは1990sから蛍光顕微鏡を提案(河崎行繁ら)。①遺伝物質②細胞膜のような疎水性の物質③代謝をするための酵素(触媒)を光らせる。④クロロフィルのような蛍光物質があれば試薬なしても蛍光画像が得られる可能性も。①~④組み合わせ可能
 →今も小型化した「生命検出顕微鏡Life Degtection Microscope」が開発続行

・蛍光画像が検出された場合
 →地球の生物のように核酸を使っているとは限らない(地球以外で簡単に生成しない)
 →タンパク質はありそう。アミノ酸は隕石からも見つかっている。いろんな機能もある

・どうやって生命と非生命由来のアミノ酸を区別するか
 →実験でできるアミノ酸はグリシンなどの単純なアミノ酸が主。生命はあまり使ってない
 →酵素が働くのに必要なのはヒスチジン、リジンなど複雑なもの
 →特定のアミノ酸ばかり見つかれば生命起源の可能性が高い(ただし異性体がないこと)
  地球生物は左手型(L型)のアミノ酸だけでタンパク質を作る(理由は不明)
  →隕石で左手型が多かったとすれば、火星でも左手型を使ってるはず

・火星地下の土壌からアミノ酸が見つかった場合
 ①単純アミノ酸が多い、異性体混合、L/D型アミノ酸が同量存在
  →アミノ酸は非生物的に生成
 ②複雑なアミノ酸が含まれるが地球生物が使うのと違う、L/D型どちらかに偏る
  →地球生物とは別のところで誕生した生命が存在
 ③アミノ酸は地球生物と同じ、L型が多い
  →火星生物が存在、地球生物と祖先が同じ可能性(火星誕生→地球伝播かその逆)

〈火星生物が見つかったら〉
 →地球生物は孤独ではない。銀河系の恒星2000億のうち1個の恒星系で、惑星2個に生命があったら銀河系全体では膨大な数の惑星に生命がいることになる
 →生命が存在しうる環境には実際に誕生する確率が極めて高くなる

 (見つからなかったら
 →探し方が悪かった可能性(特別地域に行ってない)
 →地球だけとはまだ言い切れない)

・見つかった生命が地球と同じタンパク質や核酸を使っていたら
 →地球―火星間で生命の移動が起きた、または第三の場所でできて移動した
・地球生命とはタンパク質や核酸に似てるが違うものだったら
 ①タンパク質・核酸型の生命は比較的普遍的に誕生しうる、または
 ②地球生命の共通祖先より前の段階で惑星間移動が起きた
 ※核酸とは全く違う自己複製システムが見つかると面白い

・火星生命が見つかった場合、有人探査や移住の際の汚染に細心の注意が必要になる
 特に水があるところで汚染すると、ネットワークに沿って汚染が全球的に拡大する恐れ
 火星の大気組成を変えて地球に近づけて移住する「テラフォーミング」困難に

【5章:ウォーターワールドの生命】

・生物圏:太陽光エネルギーに依存(光合成による有機物生成、死後の微生物分解)
 →地球外生物圏も惑星表面がターゲットになってきた
  表面に液体の水があるという厳しい条件を課した場合、ハビタブルゾーンは狭い
 ←1970s、熱水噴出孔の発見と1990sの地下生物圏の発見で考え方は変更

・海底熱水噴出孔の発見(1977)
 生態系が存在。二枚貝、カニ、タコ、チューブワーム
・1979・米仏共同探査@ガラパゴス沖で「ブラックスモーカー」350度
 岩石中の金属やマグマ由来の硫化水素などが海水に溶けている→海水中で析出
 多様な化学反応が可能になる高温環境+生成した有機物を安定保存できる低温環境の併存
 有機物生成に有利な還元的(水素豊富な)環境
 化学反応や生命に必要な金属イオン高濃度
 →生命誕生の場「暗黒生物圏」(光→光合成とは違う、硫化水素による有機物生成)
・チューブワーム、シロウリガイは化学合成細菌と共生
 →有機物豊富なためエビやカニも集まる
・海底熱水噴出孔はプレート境界に普遍的に存在(沖縄、小笠原諸島近海など)
・メタン生成古細菌は地球上で最も高温環境で増殖できる(122度=高井研)
・地球生命の共通祖先は好熱菌と考えられ、海底熱水噴出孔は生命誕生の場の最右翼

・ヴォイジャー計画~
 1972 パイオニア10号→1973木星接近撮影
 1973 パイオニア11号→1974木星、1979土星接近撮影
 1982 惑星直列に合わせNASA「太陽系グランドツアー」
  ←1977ボイジャー1,2号。ガリレオ衛星の一つイオで硫黄噴出の火山活動
   エウロパはクレーターなし、氷が覆う(下から液体の水が噴出?)
 1989 ガリレオ→エウロパ。縞模様液体の水が氷の下に(磁場測定)、濃い塩含有か
 2013 ハッブルによる紫外線観測でもエウロパの液体水噴出を確認
 2019 ハッブルで海水に塩を含むことを示すスペクトル観測(=熱水活動も存在か)

・エウロパはハビタブルゾーン外。なぜ液体の水があるか?
 →木星による潮汐力説。潮汐力により熱が生まれている
・暗くて寒いが生物は存在しうるか?
 →地球の熱水噴出孔にも生物圏あり。極域の魚には不凍液を細胞内に持つものも
 *地球南極の地底湖
  1989- ロシアチームがヴォストーク湖調査。
    2013 3769m下の湖面到達。新種微生物の遺伝子検出と主張
  2005,2010 米国が地表から27m下のヴィダ湖掘削、微生物確認
  →地球の全球凍結時代はエウロパ化といえる。エウロパで生活できないとはいえない

・土星衛星エンケラドゥス(1789 ハーシェル発見)
 1997 米欧の土星探査機カッシーニ→2004土星到達。着陸機をタイタンに
  *ヴォイジャー2号の写真では太陽系天体で一番反射率が最大(=白い)。氷が覆う
 2005 南極近くに縞模様(tiger stripe)があり周囲は赤道より高温、水煙噴出確認
 2008 エンケラドゥスのプルーム化学分析。水、有機物を含む気体、塩、シリカ
  =氷の割れ目から水が噴き出している。氷の下に液体の水。有機物も存在
   シリカの小粒がある=海底に熱水活動か
  その後のカッシーニ観測では海が衛星全体に広がっている可能性が高いとされた
 今後:プルームのサンプルリターンができるか?

・木星の衛星ガニメデ(太陽系衛星で最大。水星より大きい)
 磁場あり、中心の核が融けているとみられる。オーロラもあり
 2015 ハッブルによるオーロラ観測で内部海がある可能性浮上
 その後、ガリレオの観測結果再訪で内部に厚さ100kmの伝導性液体=塩水存在が確実に

・小惑星帯にある準惑星ケレスにも内部海か
 2014 ハーシェル宇宙天文台での赤外線観測で水蒸気を含むプルーム存在報告
 2015 小惑星探査機ドーンの観測でオッカルトクレーターに炭酸Naか硫酸Mg
  →地下に高濃度の塩水が液体として存在し、噴出することが判明

・木星衛星カリスト、土星衛星タイタンとミマス、海王星衛星トリトン、冥王星にも内部海存在の可能性が指摘。地下海の存在はまれではない。恒星系に属さない「自由浮遊惑星」にも内部や表面に液体の水がある可能性も指摘されている

・今後のウォーターワールド探査
・ESA立案・JAXAなど協力のJUICE=木星と衛星(主にガニメデ。エウロパも含)
 [2022現在の打ち上げウインドウは2023.4、木星到達2031。予定変更注意]
 エウロパ周回しないのは放射線量が高いため
・NASAのエウロパ・クリッパー(2024.10打ち上げ)
 プルーム、大気の分析で有機物が出るか、縞から地下海の有機物が出てきているか

【6章:タイタン】

・濃い空気あり
 1944 カイパーによる地上観測でメタン含有確認
 1980 ヴォイジャー1号で大気の分光観測、メタン、エタン、窒素(=主成分)
    表面温度-179度(液体メタンの海か)、表面大気圧1.47気圧
 *メタン+窒素+宝殿でアミノ酸や核酸塩基が生成可能
 1997 カッシーニ(NASA)+タイタン着陸機ホイヘンス(ESA)
 2005 ホイヘンス降下、海は見つからず。川のような跡や海岸線のような地形発見
    大気中のもやは複雑な有機物でできていた
    着陸地の氷には丸み=川で流されたか
 2007 カッシーニの上空観測で液体メタンの湖発見と発表
    火山のような地形発見(アンモニア水の噴出)
 2017 カッシーニが土星大気圏に突入し燃え尽き(衛星汚染を防ぐため)
・上空で紫外線と放電(土星の磁場で捕まった電子に起因)で有機物生成
 →降下しつつ反応、もやの材料に?(複雑な有機物、核酸塩基)
・水以外の液体を溶媒とする生命の可能性
 (1)アンモニアが次の候補(地球生物にとっては毒だが)
 (2)表面のメタン・エタン湖中の生物。ただし細胞膜の構成など地球と相当違うはず
・次の土星系探査:TSSM。だが木星系と競合し後回しに
 →2019 ドラゴンフライ計画選定。タイタン表面を飛んで移動しながら探査
  2027 打ち上げ→2036タイタン着陸

・金星
 上空50kmあたりで1気圧、気温0~100度
 濃硫酸の雲があって紫外線吸収物質があるが、これが生物かも?という話
 強酸性に強い生物(ピクロフィルス属の古細菌など)はいる
 どこで生まれたか?太古の金星には海があり温暖だったとされる
 7億年前の巨大火山噴火でCO2が大量噴出、温暖化で現在の灼熱環境になった
 →上空で生き延びている?
 2020年報告の「生命痕跡」はホスフィン(PH3)。生命の証拠にはならない
  →その後、ホスフィンでさえないかもとの反論も

【7章:太陽系を超えて】

・銀河系:恒星系2000億
・最も近い恒星は赤色矮星プロキシマ・ケンタウリ(4.246光年)
 →パーカー・ソーラー・プローブ(最速200km/s)で6000年
 ホーキングらのブレークスルー・スターショット計画(軽量化で20年)
 でもつらい
→電波観測
 1959 コッコーニらのCETI=地球外生命体との交信構想(その後SearchでSETIに)
 1960 オズマ計画(くじら座タウ星の1.42GHz観測200時間)
 1980 セレンディップ計画(SETI)@プエルトリコのアレシボ天文台(2010損傷)
・ジル・ターターとカール・セーガン
・スーザン・ベルによるETIシグナル?検出(1967)→パルサー発見
 指導教員ヒューイッシュがノーベル賞。ベル(女性)はもらえず

・ドレイクの方程式(1961,NSF):銀河系の中で伝播交信が可能な惑星の数Nを求める
 1年に生まれる恒星数、惑星を持つ割合、ハビタブル惑星平均数、生命誕生の割合…
 当時は各パラメータが推定できず

・系外惑星をどう検知するか
 ドップラー法(視線速度法):惑星の重力による恒星の運動で色が変化するのを捉える
 トランジット法:惑星が恒星の前を通過するときに光度が下がるのを捉える
 タイミング法:eg.1992パルサーを回る惑星発見。電波のパルス間隔変化

 1995 マイヨールらがペガスス座51番星の惑星(51Pegb)*惑星はb,c,d…
    =中心星の近くを高速回転する巨大惑星ホットジュピターだった
    →以降多数発見。軌道が細長い楕円形のエキセントリックプラネットなど
 当初はマイヨール含めドップラー法が主流だったが、
 2009 ケプラー宇宙望遠鏡がトランジット法で地球サイズのEP発見目指す
  ~2018運用終了までに2600個以上発見。太陽系の構成は特殊ではないらしい
 現在はトランジット法が最大ツールに

・次はハビタブル惑星の発見←トランジット法は大気組成も分かる
 *ただし惑星表面に液体の水がある「古典的ハビタブル惑星」限定。地下は見えない
・ハビタブルゾーンは中心星の明るさ、惑星の大気組成、雲の有無で変わる
 *太陽系のHZは0.47-0.87AUだが地球には温室効果ガスがあるのでハビタブル
  中心星の明るさも時間とともに変わる

・現在の注目
 主系列星の中でもG型(太陽)より一回り小さいM型(質量が太陽の0.08-0.45倍)
 表面温度3000度前後
 中で水素が核融合する速度が遅いため長命
 トランジットの際の明るさの変化が大きいため惑星が検出しやすい
 ハビタブルゾーンがG型より中心星に近いので中心星の近くを回る惑星もハビタブルな可能性が高まる
 2017 トラピスト-1(M型、地球から40光年)周回する7惑星発見。うち3つがHZに
 2018 プロキシマ・ケンタウリ(地球から最も近いM型)ドップラー法でb発見。HZか
  ←ブレークスルー・スターショット計画が実現すると2060ごろ??

・そして再びドレイクの方程式。筆者試算でN=1(銀河系に1個、つまり地球のみ)
 では地球外生命(ETL)であれば?N=50億
 しかしバイオマーカーを分光学的手法で捉えられる生命はごく一部であろう
 (一時期しかいない、地表にいない、など)
 →検出困難な「ダークライフ」をどう検出するかが今後の大きな課題

【8章:生物の惑星間移動と惑星保護】

・パンスペルミア説(アレニウス):宇宙空間は生命の種に満ちており、それが恒星の光の圧力を受けて地球に到達した
・フランシス・クリックも。全ての地球生物にとってモリブデンが重要なのに、地上にモリブデンが少ない→モリブデン豊富な星で生物が誕生しETIが地球に送り届けた?(←実際は海に豊富にある)

・パンスペルミア説の問題
 1.宇宙の微生物はどうやって生まれたか説明しない
   ←現在なら他の天体でも生命誕生条件は満たしうると答えられる
 2.宇宙空間は過酷で、長時間生きた状態で移動できないと思われる
   ←クマムシ。ロシアのフォトンM3を使った実験で10日間宇宙線を浴びても蘇生可
    多くの微生物は乾燥させた菌体なら真空下でも生存可能
    DNA修復能力が高いバクテリア、ディノコッカスは5000Gyでも死なない
    ただし太陽紫外線をどう生き延びるかは問題

・微生物を宇宙に連れ出す「宇宙実験」
 1980s シャトルを使った有人宇宙実験室「スペースラブ」、無人衛星「エウレカ」
 1984-1990 宇宙曝露実験LDEF(ESA)
 1994 BIOPAN(ESA)←ロシアのFOTON衛星に外付けした球形の実験施設
・宇宙ステーション
 1971 ソ連・サリュート1号(~1982の7号)→1990まで運用
 1986-2000 ソ連・ミール(1990秋山豊寛、1998ガチャピン滞在)
 →ロシアのミール2、米のフリーダムなど計画はあったが予算に問題
 1998 ISS建設開始、2011完成。当初運用は2016まで、数度継続
   2008- ISSコロンバス(ESA)曝露部でEXPOSE実験
   2009- ISSズヴェズダ(RUS)曝露部でEXPOSE-R実験
   →岩石内に入れば微生物も紫外線を避けて長時間生存が可能と判明
    「リソ・パンスペルミア」。数十cmの隕石は突入時に外は焼けても中は大丈夫か
    →火星隕石で火星誕生の生物が地球に、との可能性も

・パンスペルミア説の検証:日本の「たんぽぽ計画」(2015)
 1.ISSきぼう曝露部に微生物サンプルを1-3年置いて生存率を調べる
  →微生物は塊を作ると内部の個体は3年生きていられる(マサ・スペルミア)
 2.ISS周辺のダスト採集
  →続行中
 *ただし高度400kmではヴァン・アレン帯により宇宙線が一部カットされている
  →ゲートウェイに期待

・宇宙の微生物汚染
 NASAのサーベイヤー3号(1967月着陸、1969アポロ12号で回収)
 →カメラ内部に連鎖球菌生存を確認
 月は生命探査対象でないのでいいが、火星だったら?
・国際的議論
 1956 国際宇宙航行連盟(IAF)大会で開始
 1957 スプートニク1号打ち上げ
 1958 米NASが月探査による天体への悪影響警告
  →国際科学会議(ICSU)「地球外探査による天体汚染特別委」が探査機滅菌推奨
  →現在は国際宇宙空間研究委(COSPAR)に継承、惑星保護指針(PPP)を継続議論
 1966 国連で「宇宙条約」採択、9条が惑星保護
・COSPARのミッションカテゴリー5分類
 1. 化学進化過程や生命起源に直接関係しない。太陽、彗星、イオ、S型小惑星
 2. 興味深い天体だが汚染が将来影響を与える可能性低い
   カリスト、彗星、P,D,C型小惑星(リュウグウなど)、金星、
 3,4. 重大な影響を与える可能性高い(3は周回、4は着陸ミッション)
   火星、エウロパ、エンケラドゥス
   特に火星は4a,b,cに分類。cは液体の水が時々流れているクレーター内壁など
   →特に厳しい滅菌が要求される
   キュリオシティは4a、パーシビアランスは4b
 5.サンプルリターン。地球への影響を考慮すべきミッション
  制約あり:火星、エウロパ、エンケラドゥス(タイタンは追加の可能性)
  制約なし:月、金星(金星は見直しの可能性)

・滅菌は高温が一番だが、電子部品を加熱滅菌できない
  →薬品を使った滅菌をし、組立はクリーンルーム
・月探査などでも、火星など保護対象の天体に間違ってぶつかる確率を基準値以下にする
  例)日本の火星探査機「のぞみ」(1998、内之浦)
    火星衝突確率が1%+になり軌道投入断念
  *おもてなし、エクレウスは月面に持ち込む有機物のリスト作成
・火星の生命探査の場合は液体の水の近くへの着陸は滅菌徹底
 エウロパやエンケラドゥス:氷の下の探査は海に広がる可能性ありさらに条件厳しい
・民間参入によりさらに統制難しく

・地球外生命からの防護
 生態系への影響(地球生命を食べる、地球生命と食べ物が競合する)
 地球生物への汚染(核酸やタンパクを持つ”宇宙ウイルス”の感染)
  パンスペルミア説を考えると、感染の可能性はある
 出て行った地球生物(ロケット付着微生物、隕石衝突、火山、放電現象)の里帰り
 2019 イスラエル探査機ベレシートはクマムシ、ヒト血液を積んで月衝突
  →紫外線や宇宙線による変異→帰還の可能性も考慮すべし

・火星サンプルリターン
 NASAはマーズ2020で水が存在する可能性がある特別地域(4c)を外して4bにした
・日本のMMX。火星周回軌道に入り、フォボス、デイモスいずれかに着陸して戻る
 2011ロシアのフォボス・グルント計画が失敗→MMXが成功すれば世界初
 フォボスは火星表面から6000kmくらいしか離れておらず、火星に隕石が衝突した際に火星物質がフォボスに到達する可能性がある。火星に微生物がいた場合、フォボスにも到達していることを想定すべき。→COSPAR指針に基づき国際審査。フォボス環境で微生物が長期間生存できる可能性が極めて低いことを示し、結果はカテゴリー5(制約「なし」)で済んだ
・エンケラドゥス:水、有機物、シリカを含むプルームを探査機が突っ切ってサンプルリターン。カテゴリー5(制約あり)となり、生命探査と惑星保護をどう両立するかが問題に
・エウロパ:氷の下の海水中の生命探査。氷をどう掘削するか、エウロパの海水汚染をどう回避するか

【9章:地球外生命から考える人類のルーツと未来】

・従来の研究の多くは、タンパク質と核酸(DNA,RNA)をベースとする現在の地球生命システムへの経路を考えるものが大半
・RNAワールドへの道を考えると、ヌクレオチドという複雑なモノマーを原始地球の海水中や陸上温泉、潮だまりで作るのは相当大変
・アミノ酸は原始地球や宇宙環境でも比較的簡単にできるが、でたらめにつないでも触媒となるタンパク質ができるとは限らない
・以上のように考えると地球での生命誕生は偶然が重なったためで、地球外生命の可能性は極めて低くなる

・ゴミ袋ワールドやがらくたワールドの場合は、まず非常に性能や公立の低いシステムができ、そこから選択と変異(=進化)によって優れたシステムに移行したと考える。地球では地球環境に適したものが生き残ったとすると生命の誕生は必然
・生物進化でも、隕石衝突のような環境変動があったため進化が促進された可能性。温度が高いこと、放射線が強くて変異が起きやすいことも進化の速まりを促すか。非常に安定した惑星では生命誕生から何十億年たっても原核生物かもしれない

・ETIの目:どの波長を見ているか。暗い環境なら音波も?目は2個?cf.カンブリア期のオパビニアは5個。しかし今は目が5個の生物は残っていない。

・地球生命が左手型のアミノ酸を使う理由は→分かってない
・隕石中のアミノ酸に左手型が多かったなど、何かの偏りの結果か
・ではなぜ宇宙に左手型が多いか→円偏光のためとの説が有力。結局偶然?
 →偶然が嫌なら、ベータ壊変する際に放出される電子が必ず左巻きなことに求める?
 →その場合は全宇宙で生命がみんな左手型を使っている可能性

・破局
・カルデラ噴火(破局噴火)7000-10000年に1度
  南九州の縄文人絶滅(7300年前)
  インドネシアのトバ事変(7万年前)=現生人類とネアンデルタール以外が絶滅
  2億5千万年前のペルム紀末大量絶滅はスーパープルームとの説が有力
・隕石衝突
  6550万年前、恐竜絶滅。チクシュルーブ・クレーターは直径160km
  →スペースガード。1996年にNPOスペースガード財団、日本でも
・超新星爆発
  近傍で起きると大量の放射線(宇宙線)が直撃
  弱い場合でもオゾン層破壊によって地上生態系に大きな影響を与える
  近い将来に可能性があるのはベテルギウスだが、ノーマークの星が起こす恐れも
・スーパーフレア
  1859 キャリントン・フレアでは欧米の電信システム停止、電信機の出火も
  1989 数分の1規模だがケベックで大停電、人工衛星の故障、被害100億円以上
  キャリントン・フレアが起きうる最大規模とは限らない
   京大・柴田らが2012年に他の恒星でスーパーフレア発見
  キャリントン・フレアは100年に1度規模→その10倍規模だと1000年に1度起きる
  (グーテンベルク・リヒター則)
   →宇宙ステーションでは致命的、航空機乗員にも大きな健康被害
    発送電システムのダウンで人口維持が困難に
・人間活動
  1983 TTAPS研究=核使用による寒冷化

2022年07月24日

そして夏休みを終わる

夏休み最終日の日曜。ちょっとだけ外出ね。
何かといい評判が聞こえてくるテキサス・ドーナツ。店内飲食がだめだったので車内で1個、家に帰ってから1個いただきました。
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あ、なんか確かにふかふかしててうまい。香りがいいのはなんだろう。そして何がテキサスなのかはよくわからない。

そしてワイナリー。きょうはブルー・フロッグBleu Frog Vineyardsというところ。
220724bleu2.JPG
ブルーチーズなめなめ、ハーフグラスで白。その3倍くらい水飲んでしばらくステイで州法は大丈夫な計算です。ここの白は変な癖がなくておいしかったです。

そこから10分くらいのアウトレットに寄って、何も買わずに帰ってきました。
外は予報通り37度。暑かったです。

* * *

10日休んで換気できました。でも仕事が始まるのはやだな。
今年後半に向けて必要だと思ったこと。
・「できることを増やす」には終わりがないため、引き続き少しずつ「初めて」をやる
・やったほうがいいかなと思ったらとりあえず手を付ける
・食う・寝る・家事はペースを崩しすぎない
・楽をするためにお金を使う
・体は動かすべき
・人と比べない

* * *

■サン=テグジュペリ(河野万里子訳)『星の王子さま』新潮社、2017年。
そういや読んだことがなかったなといって。

■斎藤成也他『図解 人類の進化』講談社、2021年。
初版からもうちょっとアップデートしてもよかったんじゃないかとは思いましたが、全体としてはとても包括的かつ分かりやすかった。編集・校閲がちゃんとしてるんだと思う。

■小林雅一『ゼロからわかる量子コンピュータ』講談社、2022年。
すっばらしかった。

2022年06月12日

プライドと送別

6月はプライド月間とのことで、由来となったストーンウォールのあるニューヨークに行くほどの思い入れはないものの、せっかくDCでパレードがあるというので見に行ってきました。たまたま午前と夕方以降の在宅シフトだったので、その間を縫って外出。
ワシントンポスト(WAPOと呼ばれているそうで)によりますと2020年、21年は疫病による縮小開催、今年は久しぶりのフルモードです。
14番通りの上のほうがスタート地点。人いっぱい。
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先頭はバイクの皆さん。
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何かと時間通りに始まらないアメリカにあって、予定通り15時ちょうどに始まった。
交通規制とかの関係でしょう。
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反セクマイデモも小さいのがあったようですが、特段のことはなかったようです。
アイダホでは白人ナショナリストが騒ごうとして31人逮捕される事案。DCは大使館だの企業だのいろいろあり、人口規模が大きくなくてごちゃ混ぜという珍しい構成なせいか「極端」が入り込む余地が少なく、ほのぼのした雰囲気のように思いました。
こちらラテン系の人たち。
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カナダ、EU、アジア・太平洋諸島、ウクライナの集団も。
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あとフェチ系の方々。意外と露出してる人は少なめでした。
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旗とかビーズのネックレスとか、お菓子、Tシャツなどがフロートから沿道の観衆にぶんぶん投げられてました。節分みたい。合い言葉は「ハッピープライド!」
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下のフロートは地元のフィットネスジムの提供。他にもエアバスとかヒルトンとか、なんとなく関係者に結構いそうな業種のフロートも出てました。商業化に懸念があるのは当地も日本も同じですが、上のリンクにあるWAPOの記事では「でも政府の支援がなかった頃から支えてくれてたのは企業だったんですよね」と。なるほどね。その点コーポレートイメージのために遅れて入ってきたのでは、と思われる日本とはちょっと違う感じはする。
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14~17番通り(DCは南北の通りが数字、東西がアルファベットの名前がついている)あたりはバーやクラブもあるらしく、なのでパレードはここを巡るんですね。
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あと、当地はDC市長や議員、今度選挙に出る候補者など政治家のフロートが複数出ていて、それなりに沿道から声がかかっているのが印象的でした。日本でやったら「うげえ」みたいな反応が結構ありそう。とはいえ大筋、日本のパレードは先行例を見てきた人たちがいろいろと取り入れてやってるんだろうなと感じました。
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沿道はアパートも結構あり、ベランダや屋上から応援する人たちもかなり。
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この日は銃規制を訴える集会が全国で起きていてDCも大きなのがあったんだけど、すいません、こっちのが楽しそうなのでこっちに来てしまいました。
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仕事のため18時には帰宅したく、16時過ぎにいそいそと最寄りの駅に向かったところ、道路の封鎖によって地下鉄駅に出るのに一工夫必要になっており、焦りました。結構疲れて地下鉄でちょっと寝そうになった。ちゃんと着いて仕事してシフトが終わったらすぐ布団に入りました。3度寝くらいして9時間後起床。この1週間、シフト詰め詰めでかなり疲れたんですよね。

日曜は春にさくら祭りをやってたペンシルベニア通りでプライドフェスがあったので、ちょっとだけ見てきました。
なんでこの通りでいろいろイベントをやるのかなと思ったのですが、これ多分、終点に議事堂があってどん詰まりなので交通規制しやすいのと、イベント側にとっても象徴的な建物の前でやるっていうのがDCっぽく、政治的な意味もあるということなんじゃないかと思いました。つまりこういう絵が撮れる。
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ざっと見て帰りの地下鉄に。1駅乗り過ごしてコーヒー飲みに行きました。ノースサイド・ソーシャルNorthside Socialでアイスコーヒーと、クランベリー&生姜のスコーン。
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うん、まとまった。金曜までは土日の天気予報は芳しくなかったけど、土曜の雨は昼で終わり、雷雨といわれていた日曜は日差しがきついくらいでした。

今週は若干の不確定性を孕んだまま始まります。平穏を希望。

* * *

前回の日記の追記で「は?」となったのは、東京の出身部の部長が急逝したとの報せでした。
55歳、脳出血とのこと。朝、ご家族に発見されたらしい。起きて布団を出ようとした形跡があったそうで「あ、やばい」と思うくらいはしたのでしょうか。会いに行った会社の人によると血色はよく、会社で居眠りしてた姿そのままだったそうです。

で1週間ですが、なんかもう遠すぎて実感がわきません。本人にとってはもはや意味がないしご家族はもちろん残念で大変だろうと思うのだけど、死に至る苦痛の量でいうといろんな亡くなり方の中で圧倒的に少なかったんじゃないかと想像します。

弊管理人が2009年に東京に転勤した頃におじさん職位になり、仙台に数年いってた他はほぼ同じ職場にいました。でもちょっと分野が離れていたことが多く、12年にストックホルムに行った時が一番密接に仕事したくらいかも。何よりボスになった途端に弊管理人をアメリカ送りにした張本人……。いやまあ別に打診を受け入れたのは弊管理人ですし、ご本人も弊管理人に(誤って)何かを期してのことだと思いますが。というくらいしか書くことないんだなあ。何も感じないということではなくて、繰り返しになりますが、いなくなった感じがしない。

* * *

しばらく前から洗面所のパイプが詰まり気味で、歯磨きした後に吐き出した水がなかなか流れないのがストレスでした。詰まり(clog)を溶かすクリーナーは効かず、アマゾンで長細くて返しのついたプラスチックの掃除用具を買ってパイプの中にごしごし通してみたところ開通。心に一つの平穏が訪れました。ここに特記したいくらいすっきりした。

* * *

最初に当地でクレジットカードを作ってから半年がたち、信用スコア(クレジットヒストリー。FICOスコアという)がたまったのでアメリカンエクスプレスのゴールドカードを作りました。なんかずしっと重いと思ったら金属カードなのな。
目的はポイントで、ANAのマイルに替えてタダで一時帰国したいということ。
他社の知り合いから招待してもらう形で作ったため、紹介特典で半年以内に4000ドル使うともらえるポイントが1.5倍に増えるようです。2回帰れるかな。どうだろう。

* * *

40年ぶり級のインフレで物価がえらいことになっており、家賃がすごい上がったとか、家主に「今売りたいから」と契約更新を断られたとか各所で阿鼻叫喚エピソードを聞きます。昨年は1ドル109円で換算してもらっていた給料が、今年は121円になってドルの上で目減りし(物価上昇調整で日本円でもらう給料は増額されたのにだ)、これはもたんとボスが本社財務部に掛け合った結果、家賃補助の上限が上がることになりました。えらい!!

弊管理人の住んでるところは1LDKで月額30万円くらいするんですが、恐らく赴任中に2回の契約更新を迎えることになり、従来の補助上限だとギリギリ足が出るかどうか、くらいだったので、今回の上限引き上げで多分大丈夫だろうと安心しました。経済成長してる当地と停滞しまくっている母国の差は広がる一方です。あと海外駐在出すって会社にとってすごい&ますます負担なんだな。人材育成の場になってる地方のネットワークを削るんじゃなくて、海外を減らすほうが最適解じゃない?(危険発言)

* * *

バッハのイタリア協奏曲に手を付けました。
指の動きが良くなってきました。
3月に電ピを買った時には「そんなに衰えてないかな」と思ったものですが、やっぱり衰えていたようです。

あと、20代前半のような「体力で弾く」感じの弾き方ができなくなりました。その代わりに、気長にゆっくりしたテンポで練習することで20代の時に弾けなかったり諦めたりした曲がそこそこ弾けるようになってます。
読書もそうで、30代半ばまでは「どれだけ速く多く読むか」が気になっていたのが、この数年は「わかる/流すを見極めるための最適な速さ」(難解な本はある程度の速さを保って2回読むといいとか)を探ることのほうが重要になってきて、月に何冊読むかはどうでもよくなりました。

残り時間が少なくなると将来の選択肢が狭まる分、焦ってザッピングするような生き方をしなくなり、今に集中することでかえって局地的な達成が可能になるということなのかもしれない。「未来『への』疎外」から脱するというか。

* * *

やっとアメリカが日常になったようだとの指摘を受け、確かにそうなのかもしれないんだけど、こういう時に穴に落ちそうなので気をつけようと思いました。
あと、秋冬になると免許更新とか家の契約更新、車検やら何やらでまた面倒が待ち受けており、仕事も込む時期に入ってくるので、夏まではなるべく楽しむほうに時間を振り向けたいです。

* * *

今回のよく聞く英語は
xx is all about... =「xxは...が全て」。
例)It's all about international cooperation. 「この案件は国際協力が全てです」

* * *

■若狭直道『最新量子技術の基本と仕組み』秀和システム、2020年。

量子技術を幅広く扱った本が少ないのであまり選択の余地なくこれを買いましたが、構成も文章もひどかった。

2022年05月08日

シードルとチャイコ

金曜の朝から雨。なのでもともとあまり出社するつもりはなかったけど、昼過ぎの仕事が予想外に東京の反応を呼んでしまい、結局出社どころか部屋から一歩も出ずに終わってしまいました。夜半には雷雨になり、土曜も風強めの雨でした。10度。寒い。

土曜朝は在宅仕事のアポイントがあったのだけど、相手から連絡なくすっぽかしを食らいました。まあアメリカってこんなもんだろうと大して気に病まず過ごしていましたが、日曜朝に「体調不良で」と謝罪がありました。

今月は地下鉄の1カ月定期(90ドル、18日使うと元が取れる)を買ったので、昼過ぎから地下鉄でちょっとDCの北の方に出掛けました。
コロンビアハイツという地区にあるキャピトル・サイダー・ハウス。
お試し4種類で12ドル。
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昼がカップラーメンだったので、エンパナーダという具入りのパンも頼みました。
「エンパナーダって何?」と聞いたら「餃子みたいなやつ」と言われましたがその通りでした。中身はマルガリータ、ポーク、ビーフの3種類。
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サイダー(シードル)は辛口なリンゴのワインです。もちっと甘い方が好きかな。

夜はちょっと運動してシャワーを浴びてから、ベン・アンド・ジェリーズのピスタチオアイスをなめなめ(アイス本体は杏仁の香りがしつつ、ピスタチオにちょっと塩気があって大変うまい)、冷凍のナゲットをレンチンしてつまみつつ、先週買ったワインを飲むなど自堕落に過ごして寝ました。

* * *

日曜は昼にポークチャップを作って食べてから、北ベセスダのストラスモア・ホールに行ってアナポリス響。オルガ・カーンがソロを務めるチャイコフスキーのピアノ協奏曲1番でした。
アナポリスはメリーランド州の州都ですが、海軍と役所と港周辺の観光地がある以外は静かな街で、こんなところでオーケストラもてるんだろうかと多少不安でしたが、どっこい頑張ってました。あと、オルガ・カーンはまさかのパワフル技巧派で大変よかった。

夕飯はにわかに焼きそばが食べたくなり、近所の中華屋でローメンLo Meinをテイクアウト。
ビニール袋ぶら下げて帰る途中、20時のうち周辺がこんな感じです。中心部だけにある高いビルが夕陽に照らされてました。
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ちょっと食べ過ぎくらい食べて満足しました。

* * *

■加藤隆『旧約聖書―「一神教」の根源を見る』」NHK出版、2016年。
■池上英洋『西洋美術史入門』筑摩書房、2015年。

* * *

物価が順調に上がっていて、確かついこの間まで3.65ドルとかだったアイスとハムがそれぞれ4.99になっててびびりました。あと年末には1ガロン3ドルそこそこだったガソリンは4.39に。まああんまり車乗らないからそこまで痛くないけど、結構ですね。野菜はそこまででもない印象。イチゴは安く(450gのパックが安売りで1.99になってた)、あと季節のせいか甘くておいしくなったので、毎日食べてます。

円安が進んで、給料の換算基準が去年は109円だったのが今年121円になって目減りした!と怒っていたのも過去のこと、実際は130円なのでまだ得をしているくらいになっちゃってます。職場では「80円時代に赴任した人はよかっただろうな」と言ってます。弊管理人は1人なのでまだましですが、子どものいる家は大変そう。

* * *

部屋の湿度が冬の間は26%とかだったのが、暖かい季節になって集中暖房が弱められたせいか、30%半ばから40%超まできました。料理に三温糖みたいな茶色い砂糖を使っていて、湿度が30%を切ると容器の中でがっちがちに固まってしまいますが、それがましになりました。

朝、目を覚ますと、部屋の湿度でその日の外の気温がだいたい推測できます。できたからどうということはありません。

* * *

多分、次の日記を書く頃には45歳になってます。
四捨五入すると50(するな)。
30代に入る時にちょっとおっさんになるのやだなーと思ったくらいで、その後はもう加齢に関しては諦めがついたのと、結婚しておらず子どももいなくてライフステージが変わっていかないため淡々と歳を取っており、44が45になってもどうということはないと思います。

2022年04月17日

復活したり過越したり

弊管理人はバレンタインとか関係なくチョコレートを食べるのですが、どうも3月くらいから店頭に卵形のチョコが増えてきて、いやハーシーズの卵とかおいしいので有り難く食べてましたが、何だろうと思ったらイースター/復活祭でした。

そういやニュージーランドに留学してた時も、あちらは3月に学期が始まるので、一通り授業に出てちょっと疲れた頃にイースター・ブレイクといって1週間くらい休みが入って助かったことがありました。当地も世間はイースターまでの1週間(聖週間)はお休み期間のようで、お子さんのいる同僚は交代で休んで家族サービスをし、金曜(聖金曜日=受難と死の記念日らしい)は役所の動きがぱったり止まり、からっと晴れた土日は多くの人がお出かけしていました。

ようやく到来した春を祝う機会であれば他の宗教でもお祭りがあるわけで、ユダヤ教は金曜の夜が過越の祭(英語だとPassover)だったようです。出エジプトの前にモーセとファラオが交渉してたら、エジプトに「十の災い」が起きて、そのうちの一つ「人と家畜の初子が死ぬ」に関しては子羊の血を家の入口に縫っておくと〈主〉の襲撃が過ぎ越すというやつ。

当地大統領は金曜と日曜に声明を出していました。政教分離どうなってるの?と思いがちですが、合衆国憲法修正第1条が「連邦議会は国教を樹立し、あるいは信教上の自由な実践を禁止する法律を制定してはならない」としていて、復活祭おめでとうと言うのは信教上の自由な実践なので憲法的にはオッケ、ということだそうです。フランスのライシテ、すなわち公的空間からの宗教色排除とは全く違う「政教分離」のあり方(下記・西山本)。

閑話休題、そういうタイミングだとは知らなかったのですが、今月初めに時間指定チケットを取ってあった、DCにある「ホロコースト博物館」を見てきました。
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どぎつい写真は載せませんが、エレベーターで4階に上がって降りてきながら見る展示は、扉が開いた瞬間からショッキングなパネルで始まり、ナチスの政権獲得から焚書、水晶の夜、周辺国への侵攻とそこでのユダヤ人虐殺、「最終解決」、解放、戦争裁判、その後のポグロムとイスラエル建設、そして「アメリカには何ができたはずか?」まで、映像と写真、物的資料を駆使して問いかける大変濃いものになっていました。
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現在「ジェノサイド」と名指された東欧事変の最中。1940年代初頭には既にドイツでやばいことが起きているという情報はもたらされていたのに、アメリカはもう戦争に関与しません、と言い切ってしまったルーズベルトの映像がバイデンに重なりました。

アウシュヴィッツのでかい模型もあります。
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かねて行きたいなと思っていたところですが、世界は疫病と戦争でそれどころではなくなってる。

ユダヤ人を運んだ車両。
スティーヴ・ライヒの「ディファレント・トレインズ」が脳内再生されます。
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ガス室の扉もあった。
展示品蒐集への執念を感じます。
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その辺の経緯をまとめた本が売店にあったけど買いませんでした。
そのかわり、すっごい重いわりに20ドルの図録を買いました。たぶんホロコーストに関する手近なリファレンスとしては決定版だと思う。いや来てよかった。

外は青空。芝生もいつの間にか緑になってた。
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今日(日曜)は日中でも12度とかで肌寒いんですけど、先週半ばは25度で上着いらずでした。夜は20時くらいまで真っ暗にならないくらい日が長くなりました。
日光に照らされた街が春っぽく香り、街に人が戻ったせいか他人の体臭を感じることも多くなって、嗅覚で社会が動き始めたことを知る今日この頃です。

* * *

食い物いくつか。
アジアンスーパーのあるショッピングモールで、ちょうど昼時だったのでポパイズ・ルイジアナ・キッチンというチェーンの店に入りました。
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チキンサンドうま。引っ越してきた当初に不動産屋さんと昼飯したの、確かここだったと思う。「私ここ好きなんですよ~」と言われて「ええおいしいですね~」と言いながら食べたけど、味はあまり覚えてなかった。多分、考えることがいっぱいありすぎたせい。
チキンサンドとコールスローと飲み物で10ドル。日本円で1260円と思うとおいおいっていう値段ですが、もはや換算しなくなってきた。換算し始めると何も買えないやと諦めたのと、他のものとの比較で値段を見定めるようになってきたためでしょう。
ちなみにセットで1000キロカロリーほど。こわい。

あと土曜の夜に、アジアンスーパーで買った日本のルーでカレーを煮ました。
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大阪で荷出ししてからだから少なくとも8カ月ぶりか。いや、9月に実家で食べたっけな。いずれにしてもめちゃくちゃ久しぶりです。懐かしくて食べ過ぎた。うまいんだけど、鍋を洗うときにすごい量の脂を食ってることを痛感します。タイカレーとかカレー粉で作るやつだと全然すっと洗えるのとは大違い。

あと、博物館から帰ってきて夕方小腹が空いたので、おやつとしてカーチョ・エ・ペペの偽物みたいなのを作りました。イタリアでも「真夜中のパスタ」として小腹が減ったときに食ってしまうやつらしい。パルミジャーノをすりおろして使うのが理想だが、そんないいものは今ないので代用。背徳感はトマトで軽減します。
うま。やっぱり背徳感はあった。
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ところで、冬の間寂しかったスーパーの棚が彩りを取り戻しました。供給網、そんなに外的要因でだめになったり大丈夫になったりするのでいいのかなあ。あと、東欧の事変からこっち、パスタが高くなった気がします。ついでにガソリンは露骨に高くなって政治問題になってますが、気の触れた隣人から攻め込まれてる人たちが聞いたら「こっちは生きるか死ぬかじゃ」とかいって呆れられるわな。

* * *

仕事の予定がやや疎な1週間だったため、この隙にと今までためてきた仕事を一気にほぼ完成形まで持っていきました。木、金あたりでちょっと寝不足になった。金曜夜は最近では極めて珍しいことに、日付が変わる前にQPキメてから寝たら大分回復した気がする。土曜にシフトが入っていてまた朝起きしないといけなかったからなんですが、実はシフトを作った人のミスで、本当は休みだったことが土曜昼前に判明。なんなら得した気分でだらだらしました。

毎日憂鬱な時期が冬とともに過ぎて、朝は特に何も考えずに起き、仕事に入れるようになっています。しかし息抜きすると足元を掬われる気がして(←心の安寧が訪れないタイプ)、次の方向性を模索しています。

* * *

■西山隆行『アメリカ政治講義』筑摩書房、2018年。
■千葉雅也『現代思想入門』講談社、2022年。

どっちもよかった。

2022年03月18日

フロリダ出張

16-18日、フロリダに2泊3日で出張してきました。
国内線初めて、レンタカー初めて。特にレンタカーは勝手が違うだろうなと思ったらその通りで、広大な駐車場に並べてある車の中から「好きなの選んで乗ってって」という形式。
どうやって使用者と車を紐付けるのだろうと思ったら、駐車場の出口ゲートで車に乗ったまま保険をどうするかと、ガソリンは満タン返しか単位で払うかを選んで、カードで仮払いしてそのまま乗り出すのでした。
きょうびカーナビはついておらず、iPhoneを有線か無線で繋いでCarplayという機能を使うと車側のディスプレイにiPhoneの画面が映し出され、あとは地図アプリにナビしてもらうというだけ。だよね。地図はいつも最新だから、これが絶対合理的だと思います。

ずっと在宅で2時寝の10時起きみたいな生活だった冬と違って、今回の外仕事は5時半とか6時に起きて延々運転して仕事場に行ってわいわいやって戻ってその日のうちに寝る、というサイクルでした。ちょっと遅寝遅起きが是正できた。
ホテルは「ベストウエスタン」を使いました。日本だとちょっといいビジネスホテルくらいのイメージだったけど、これは東横インだな。クリスマスに泊まったチェサピーク湾のベストウエスタンと部屋の中がほぼ一緒だった。満足とは決して言わないが文句を言いたくなるほどでもない無料朝食がついてるとこまで東横イン。建て付けはモーテル。

最終日は5時半起きの仕事が11時半にはけたので、そのままケネディ宇宙センターの展示施設に行きました。駐車場10ドル、入場料57ドル。結構やね。
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しかし結論からいうと行ってよかった。アポロ計画以来また月に行こうというアメリカの宇宙開発に仕事で触ることがちょくちょくあるので、歴史や位置づけが体感できたというのが大きかったです。これはアポロで使われたサターンVというロケット(のケツ)。
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資料を読めばスプートニクショックがあって、事故があって、72年まで月に行って……というのは分かるのだけど、なんというか温度感みたいなのが掴めないために、目の前の一つ一つの事象に思い入れが持てないでいたんですよね。
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サターンVは制限区域内にあるのでバスで往復しますが、そのバスの中でもビデオが流れて、いまアメリカが進めている月探査計画のトリビアから概要、センター周辺の自然保護対策まできちんとアップデートされた情報を伝えていました。現政権の国家宇宙会議の重要アジェンダの一つになっているSTEM(理系科目)教育の重要性にも触れていて、確かにこういうのを楽しく見せられた子どもが勉強頑張って将来いっちょ噛みしようって思えば、必ずしも結果として宇宙に関わらなくてもアメリカという国の強さを支える力にはなるよな。
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ここのセンターのアトラクションは、入口で強制的にいったん足止めされて、歴史と技術をコンパクトにまとめた映像を見せられてから、やっと展示を回れるようになる作り。
↑これはスペースシャトル「アトランティス」の展示館の入口ですが、立ったまま頭上と左右を取り巻く大型モニターによって映像の中に浸されるので、本当に宇宙船に乗って宇宙をぐるんぐるん回ると眩暈がするようになってる。
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そして、これを全て資産として持っているってすごいよねえ。
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ただこの国の常として「人」に依存する部分は全くだめで、係員は写真とってくれと頼んでも聞いてくれないし、アトラクションの列はただ人が集まってるだけで「列」になってない。
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仕事場でも、事前に計画されていたことはできておらず、待ち時間に行くと待たされ、バスは「気分」で定刻より早く出発し(乗れたけど)、開始時刻はまず遅れる。書類を大量に要求するわりに見ない。メールは返ってこない。なのに悪びれない。ただこれは「そのたびそこいる人に確認する」「対応を求める」ことで大部分解決することも分かってきました。つまり「交渉文化」なんだと思う。声を出すことで物事が進むということ。めんどいけどフレキシブルとも言えなくもない。今回も17日は午後10時40分まで送迎がないという案内だったのに、仕事にちょっと早く目鼻がついたので午後8時時点で「帰りたい」と訴えたら「ちょい待ち」といって小さい車をアレンジしてくれた。おかげで睡眠時間が確保できたりした。
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射場を望む観客席から、17日にお披露目されたSLSという月ロケットが見えました。(画像が荒れてますが、デジタルズームを限界までやったため)
成功するといいね。

31度。日差しはそれなりにきつかったですがそこはまだ3月、風があると涼しく、快適に歩き回れました。ゆっくり見ると1日では足りないと言われる施設を4時間半で切り上げて、びゅーんとオーランド空港に戻ってレンタカー返却。これも返却手続きはなく、「リターン」と書かれたところで車を降りるだけ。空港で夕飯食べて帰りました。
疲れたけど、国内移動の初級課程はできたと思う。

フロリダはもはや誰もマスクしてなくて、しかもめっちゃ唾飛ばしながら大人数で喋っていたので、帰宅翌日の土曜にPCR検査受けてきました。陰性。ほっ

2022年02月28日

冬を終える

金曜から持ち越した仕事を土曜の昼過ぎまでやって、本格的に日が傾く前にちょっと散歩、ということで家からわりと近いポトマック・オーバールック・リージョナル・パークに行きました。
ポトマック川を望める木立の中の散歩道、のはずでしたが特にスペクタクルなことはなく、犬を散歩させているおじさんなどに出会いつつ戻る。
たぶんその辺の住民がちょっと歩きに来るような公園で、小さな駐車場は車が次々に入れ替わっていました。
けがをした猛禽類が保護されてる小屋も。
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Red Shouldered Hawkはカタアカノスリ。
もう自然に帰しても生きていけないということでここで終生暮らすようです。
達観してますか。そうでもないですか。

林の中を歩きながらいろいろ考えていました。
というか、いまの生活の主要な毒はいろいろ考えることじゃないかという気がする。
一言でいうと「生き方の見当がつかない」なんだけど、書いてしまうとそれは当然で、20年近く死後の生を生きている、カウントダウンではなく永遠のカウントアップの中にいるようなものだから。朝が憂鬱なのもそういうことかもしれない。

土曜は結局夕方遅くに仕事が着地して、そのあと何をしたかよく覚えてないくらいうだうだして寝ました。

* * *

4月のどこかに入るかもと思っていた仕事がほぼ入らないことが確定したので、ピッツバーグであるコンサートのチケットを買ってしまいました。

その勢いで日曜はケネディセンターに行ってノセダ指揮のナショナル響でバッハ、ヴィラ=ロボス、そしてマーラー。
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みんなわりとカジュアルに立ち上がって拍手するわりには日本みたいにしつこくアンコールしない。演目終わったらさっさと帰って行きました。
ちなみにパイプオルガンのパイプの下にいるバラモスみたいな方は、マーラー4番の最後で出てくるソプラノです。

ケネディセンター、10年ぶりです。前回は2012年1月
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照らし合わせたわけではないけど、10年前とほぼ同じ場所の写真になってました。2カ月弱の差があることを考えると、たぶん時刻も同じくらい。
当時は「ひょっとしたらそのうちここに住むかもしれない」くらいは思ってたはず。
迂闊にもほんとに住んでしまった。この橋を渡って通勤するとは思ってなかった。

* * *

絵に描いたような戦争が始まってしまい、忙しい人たちは毎日忙しいです。しかし今日は背後で「これで戦争の当事国だったらこんなもんでは済まない」と話す声。なるほどな。

どんぴしゃではない弊管理人も少し噛んでいますし、手伝ってと言われればいくらでも手伝いますが、やっぱり専門性の壁というものはあり、餅屋でない人の作った餅はどうなのという気もするので、ちょっとここしばらくはお座敷の声がかからなければ、できればインプットを中心とする期間にさせていただきたいなと……

* * *

家の駐車場は3カ月の無料期間が終わり、有料化の手続きにうまく移行できなかったらしく出入り口のゲートを通れなくなってました。駐車場の管理会社に電話して支払い手続き。電話やだなーという気持ちももうあまりなくなり(諦めたともいう)幼児みたいな英語でも用が足せるようになってます。

* * *

しかし長期出張感は相変わらずであって、このところまた夢を見るようになってきましたが、日本にいる夢が多いです。朝は少し早く目覚め、2~3回は短編の夢を見て「えいや」と起きる感じ。大阪を出るとき、大半の家財をトランクルームに入れるべく引っ越し屋さんががしがし荷造りしているのを見ながら「まるで3年間冷凍保存するみたい」と思いました。今もそれは変わらりません。

そうこうしているうちに大学のサークルで一緒だった同級生がカリフォルニアにきました。数年前に一度、日本企業の研究者として西海岸に駐在して、いる間に転職して日本に戻り、今回また当地の某巨大IT企業に移り、ついでについてきたくないと言った妻子とは離別を選んでマンションもあげて移住した。アメリカが2回目のせいか元から要領がいいのか知らないが、さくさく家を決めてスーパーに行ったりレンタカー借りて動き回ったりしていて強い。そして嬉しそう。

あと、3月が始まりそう。

* * *

■Christian Reus-Smit, International Relations: A Very Short Introduction, Oxford University Press, 2020.

■古田徹也『いつもの言葉を哲学する』朝日新聞出版、2021年。

2022年01月23日

夜遊び

土日は休みました。

わりと疲れていたらしく、昼近くまで9時間寝て起きた土曜の朝はかなりすっきり。
年末に遊んだ友達にLINEで「何してますか」と呼びかけたら夕飯を食べることになりました。彼が住んでいるDCのローガンサークル近くのちょっとした夜の街に出掛けると、目当ての中華料理屋が疫病により店内飲食をやめており、彷徨うことに。
辿り着いたのは黒い街区のUストリート、Ben's Chili Bowlでオバマが好きだというチリドックをいただきます。
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むちゃくちゃジャンク。しかし地元民はソーダではなくおっそろしく甘そうなシェイクをすすりながらこれを食っていた。チリはどこかでぴりっと辛くて美味、フレンチフライもうまいんだけど、深夜に至るまでお腹の中で膨張しつつ存在感を発揮していました。

ちょうど前にワシントンにいた東京のおにいさまからちょっとした仕事の電話がきて、チリドッグ食ってると伝えたら「いーなー、楽しそうだなー」と言われてしまった。

ちょっと一杯いきましょうか、ということで河岸を変えてBusboys and Poetsというお店でビールとサングリアを飲んだら結構回りました。写真忘れたけど、周囲を見てるとお料理の盛りもよさそうで、食事から飲みまでここで間に合うなと思いました。なのに22時終了というよい子営業。-4度の中、地下鉄に乗って帰って寝ました。初めてかもしれない、土曜の夜らしく遊んだの。なんかまた一つ、日本に置いてきたものを取り戻した感じがした。

* * *

日曜も結局寝坊して、雑用をいろいろやったあとアジアンスーパーに買い出しに行きました。タイヤの問題が解決したので、運転中の心配が一つ減ってよかったです。なんとなく右側通行にも馴染んできた。けど油断禁物。

・うちにあるフライパンは20cmのおままごとみたいなやつ一つで、ちょっと鍋を振ると中身がこぼれそうになるので、28cmのwok pan(炒め鍋。フライパンよりちょっと深い)を買いました。24cmのフライパンもあったんだけど、大は小を兼ねるということででかいほうにしたら、家に帰って台所に置いてみるとほんとにでかい。でもパスタ茹でて具と和える時にがちゃがちゃと混ぜても周りにこぼれたりしない安心感はありました。買ってよかった。$12.99(その辺のスーパーで買うと倍くらいする)

・あとは魚。またサバも芸がないかなと思ったら今日はSpanish Mackerelが安い。調べたら「サワラ」だそうです。煮付けと味噌漬けをやってみるか

・年末にお呼ばれでいただいたグリーンカレーが辛くておいしかったので、多分これだろうと思うグリーンカレーペーストの缶を買いました。$1.49。安い。ナスも確保。あとはココナッツミルクと鶏肉を家の下のスーパーで仕入れればできそうな気がする。こちらのナスは大ぶりなので、味噌炒めにも流用しよう

・パン粉も。そのうちですけど、やっぱり揚げ物食べたい。サケフライか何かがいいな。こちらは油はペットボトルにでも入れてゴミに出してしまえばいいらしいのでそこのところの処理の心配はない

* * *

ときどきキーワードを確認するということで、

■岡本裕一朗『アメリカ現代思想の教室』PHP研究所、2022年。

リベラリズム(ロールズ、1971『正義論』)=個人の自由+弱者救済
 ・個人が追求する「善」の間の「公平さ(公正)」が「正義」
 ・普遍性←カント
 *WWII後の「リベラル」=反共
 *アメリカは中央政府による福祉政策←ルーズベルト「欠乏からの自由」
  ←→ヨーロッパの自由放任的リベラリズム
リバタリアニズム(ノージック、1974『アナーキー・国家・ユートピア』)
 ・経済的自由を含めた個人の自由重視、最小国家
 ・「権原」正当に獲得したものに対する所有の正当性←ロック
 ・勤労収入への課税は強制労働(←→格差原理)
共通性
 ・個々人の生き方の多様性=選択主体としての「個人」重視

コミュニタリアニズム
 ・マッキンタイア、1981『美徳なき時代』:共同体の「共通善」←アリストテレス
 ・サンデル、1982『リベラリズムと正義の限界』:「負荷なき自己」批判
 ・テイラー、1985「アトミズム」:承認を通じた個人のアイデンティティ形成
  ・90年代の多文化主義:共同体間の承認(承認の政治、差異の政治)
  *「単一文化」を前提、共同体内の差異
  *リベラル・デモクラシーからも多文化主義は擁護可能

ネオ・プラグマティズム(ローティ)
 ・旧プラは経験、心、意識を語る/新プラは言語を語る(言語論的転回)
 ・合意としての真理
 ・リベラリズムへの接近(80s)、自文化中心主義からのロールズ再評価
 ・アイロニズム(反本質主義、可謬主義)
 ・文化左翼(ポストモダン、カルスタ、ポリコレ)批判(90s)と祖国アメリカ回帰
  ←経済的不平等への対処不能性

歴史の終わり
 ・フクヤマ:対立の解消(コジェーヴ、ヘーゲル的弁証法の終了)
  ←デリダ、ジジェクの批判、ただしオルタナティヴ提示不能
 ・ネオリベ(フリードマン~):福祉主義的介入批判
 ・グローバリゼーション:中間層の没落
  →国民国家の失墜→ネグリ、ハート『〈帝国〉』
  *↑ハズレ。cf.ブレクジット、トランプ
 ・ハンチントン「文明の衝突」
 ・ポストヒューマン(フクヤマ)→バイオ、情報技術。カーツワイル

新反動主義
 ・リバタリアニズムの3形態=
   ネオリベ(グローバリゼーション)
   カリフォルニアン・イデオロギー:ヒッピー、ハッカー、国家干渉の排除
   新反動主義、オルタナ右翼(内政):自由に基づく民主主義否定
    ティール:サイバースペース、宇宙、海上都市
     ヤーヴィン「新官房学Neocameralism」:経営体としての国家、効率性>平等
    ネオコン:小さな政府、経済的自由、自由貿易、グローバリゼーション
    ←→paleo-con:移民制限、保護貿易、孤立主義
    ランド「暗黒の啓蒙」民主主義=衆愚、平等、PC、融合、調和批判
    →「右派加速主義」遺伝子改変、徹底的分裂、人間の限界突破

社会主義
 ・ミレニアル世代、サンダース(実態は社会民主主義)支持
 ・根源的平等性radical equality:医療を含めた必要物へのアクセス(バトラー)
 ・ポスト資本主義:メイソン「シェアリング・エコノミー」、金融システム国有化
 ・スルニチェクとウィリアムズの左派加速主義:テクノロジー活用、労働解放、BI
 ・ハラリの疑念:テクノロジーは平等ではなく「無用者階級、劣等カースト」を生む
 ・ケリー「ミラーワールド」

2022年01月01日

年明け

このエントリーから、投稿日時をアメリカ東部時間(UTC-5)に合わせました。

大晦日の夕方から仕事をしているうちに2022年に突入してしまい、CNNをつけていたらニューヨークでは紙吹雪(confettiという一語で表せるんだな)が舞って盛大に新年を祝っていました。外では花火のような音が聞こえた気がするが、事故だったかもしれない。いや花火か。あと短時間の停電もあった。部屋のブレーカーが落ちたのも含めると電源が落ちるの4回目なんですが、ノートはバッテリーがあるからいいとして、うちのデスクトップ、使用中にこんな何回も突然落とされてHDDとか大丈夫だろうか。

2時半に仕事が終わってそのまま寝て、昼前まで寝床にいました。元日は寝るのが一番贅沢な過ごし方です。一日じゅう暗くて霧雨が降ったり止んだりしていたので、「こんなに天気がいいのに家にいるなんて」という呵責もなくだらだらできました。昼は豚キムチ。正月っていう感じがしない。

就寝したときには既に元日だったので、朝までに見た夢が初夢とすると、なんかピアノ弾いてた気がするな。そしてそこそこ弾けていた。大阪の部屋に置いてあった電子ピアノは荷出しでトランクルームに行ってしまったため、もう4カ月以上弾いてない。急いで買うものではないのでしばらく様子を見ていたが、やっぱり買おうか……うーん。

* * *

大晦日、DC独り暮らしの知人とご飯を食べました。
この人は10月半ばに来て、まだ生活の立ち上げ中とのこと。欧州某語の専門で南米などにはいたことがあるが、英語圏の暮らしは初めて。やっぱり毎日の食事に苦労しているようです。
Ted's Bulletinというお店に入ってみました。
朝7時から終日頼める朝ごはん。
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カウンターもあって一人飯もいけるんじゃないかな。自分で作れそうだけど。
ここって多分、10年前にも来たはず。
17時前くらいに別れて、歩いて地下鉄駅まで戻りました。
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日没が最も早い時に比べて10分くらい遅くなってます。冬至の日のニュース記事で「あとは日が長くなるだけだ」と言われていてポジティブだなと思いました。弊管理人は今日に限らず長期的に元気が枯渇してるんだけど、たぶんどの国にいても元気はないのでどこにいても一緒といえば一緒かもしれない。

* * *

■石牟礼道子『椿の海の記』河出書房新社、2015年。

『苦海浄土』に続いて。エッセイとフィクション、人と自然と超自然のあいだ。

2021年09月22日

車山とか

連休はラスト帰省でした。
台風が来ていたものの、天気図を見て大丈夫と判断、家族3人で諏訪の温泉宿に泊まった初日は雨もようでしたが、翌日は台風一過で晴れたので車山へ。
ほらね。左は八ケ岳、その隣にうっすら富士山。
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そういえば9月下旬という時期に帰省したことなかった。父宅は暑くもなく寒くもなく、夜もよく眠れました。
父方、母方ともにばあちゃんは不在で、伯母とさようならしてきました。
父と伯母とはLINEを交換しました。これで遠距離の通信も低コストでできるでしょう。

6年会ってない叔母(母の妹)からメールがきてじゃあねという話。
返信にも書いたんだけど、うちは母方の祖父はシベリアに抑留された上にウズベキスタンに移送されて劇場作らされたりし、父方の祖父は飛行機乗りで中国戦線に行っていたとかで、なんだかんだ仕事(?)で海外行かされることってあるよねと。

* * *

会社旧知のおねえさまとお茶、あと出身部のおにいさまがたとランチ。
札幌時代の上司に会ったら「来年定年だから、君が戻ってきた時にはいるかどうか分からないけどな」と言われて驚くなど。札幌時代、ちょうど今の弊管理人と同い年くらいだったんですね。人の仕事人生は短い。そして意外と漂うさようなら感。

* * *

朝は「今日も何かしないといけない今日が始まってしまった」とゲンナリしながら起き、昼はぎゅんぎゅん飛び交うメールやメッセージをチラ見しつつ諸準備し、夜はそれなりに勉強などしつつ床に就くという何やってんだかな生活もそろそろ終わりに近づいてきました。

* * *

■小泉宏之『人類がもっと遠い宇宙へ行くためのロケット入門』インプレス、2021年。

滑り込みゲット。してよかった~

2021年08月08日

児島

台風が向かってきてますけど、到達する前に行けばいいでしょう。
ということで岡山・児島にふらっと。
鷲羽山。
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あ……すばらし。瀬戸大橋がすぐ近くに見えます。
降りてきて「どんぱち」でうどんをいただきました。
児島うどんていうのがあるんだって。まあ讃岐の目の前ですしね。
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うまい。というのはもう見た目から明らか。
王子ケ岳、
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は橋から遠いので霞んでいるところを見るのですが、なんか夢みたいな(?)彩度の低さです。
ふもとにあるDENIM HOSTEL FLOATでレモネードフロート飲みました。
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学生服資料館みました。
瑜伽(ゆが)大権現のお参りに来る人用の足袋→学生服・軍服、という流れらしい。
1923 関東大震災後、米国からの支援物資が大量に入って洋服化の流れが作られた
1967 ラッパズボンなど変形・改造服が流行
1970年代 長ランが誕生=大学応援団が応援中に上着の裾が乱れるのを嫌って導入した
昭和40年代にはもう地元の学生服生産量が減少、値下げ競争、倒産も起きている
1983 変形服対策で高校を中心にブレザーへ転換始まる
1998 ペットボトルリサイクル学生服
など、学生服の歴史がかなり面白かった。

児島駅近くに戻ってきて、ジーンズストリートに行ってみました。
うん、そういえば特にジーンズが好きなわけではなかった。
夏っぽい空でした。
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特に暑い日だったようです。湿気も多くて汗びっしょり。

帰りは在来線で2時間40分。本読みながらだとすぐでした。
腕が焼けた。わりと日傘さして歩いていたので顔はそうでもないかも。

* * *

このサイト、やっとSSL化しました。万一、米国からアクセスできないと不便なので。

* * *

五輪閉会。ほとんど見なかった。いや職場はずっとテレビがついてるので横目で見てはいたんだけど、誰が勝ったとか負けたとかほぼ覚えてない。閉会式はわざわざ最初から見始めたのに、台風が鹿児島に上陸したとかでニュースになり、同時放送に切り替えるのも面倒だったので消灯しました。
招致時の都知事をもじっていうと「世界一金がかかってない『ように見える』五輪」。

* * *

■東浩紀『ゆるく考える』河出書房新社、2021年。
鷲田清一は本が違っても同じことばかり書いているので、新しいエッセイの書き手の、息抜きに読める本はないかなと手に取ったもの。
10年以上前の書き物を集めた本で、この文体(内容)は後で読み返して恥ずかしいだろう、と思いながら読んでいたら、やはりそうだったことが文庫化に当たっての後書きに書いてあった。

2021年07月17日

海と徳

夏休みには読み終わっていたやつ2冊。

■石牟礼道子『新装版 苦海浄土』講談社、2004年。

今頃読んどんのかい、と自分でも思うんですが。
あまりに体臭と潮と陽光が匂い、言葉になった饒舌とならなかった饒舌に満ちていて、レコーダーを回したわけではないだろうに、すごいメモ魔なのか記憶力なのか、と思いながら最後まで読んでみたら解説で種明かしがしてあってのけぞった。そしてこの本が第1部で、まだ2と3があることにものけぞった。

ちょっとでも時間があれば手にとってページをめくってしまう読書は久しぶり。天と人のあわいに立ち、両方を溶かし合わせたような本で、書かれていることは激烈なのだけど、しかし何年か前に車で通り過ぎた美しい不知火海の記憶を蘇らせ旅に誘う本でもあり、水俣にはいつか行かなければならないなと思いました。夏休みの行き先候補の一つとして真剣に考えたんですが、梅雨の最後に大雨が降っていてかないませんでした。いつかね。

超自然的なものを信じる、感受するというのはどういうことなのか、というのを西洋的にいうとこう、というのが↓の本に出てきて、そちらも印象に残ってます。↓のほうを先に読みました。

* * *

■Craig A. Boyd, Kevin Timpe, The Virtues: A Very Short Introduction, Oxford University Press, 2021.

徳ね。「結局いい人がいいよな」と思うようになってきました。法則じゃなくて打率。そう考えるようになるのが加齢というか成熟だと思う。

Philosophy of Social ScienceとVirtue Ethicsって留学したときにそれこそ大学1-2年生の授業で出てきた基本なんだけど、不思議と日本の出身校では触れることがなかったし日本語の入門書もこれといったものがないんですよね。何やら前者は今度出るっぽいですが。

【1】
・徳:単なる行動ではない。スキル、卓越性excellence
 ある条件下ではルールを破ることにも
・道徳規則は、優れた人が内面化した行動様式
 ルール≠徳(よい習慣)。社会や伝統のあり方によって変わる
・moral virtue = an excellence in being for the good (Robert Adams)
・第2の本性natureにできるということ。予見可能性が上がるということ
・ニコマコス倫理学:道徳的/知的/実践的な徳
・プラトン『国家』:知恵が欲求を制すること
・キケロ:prudence, justice, courage, self-control
・アウグスティヌス、アクィナス:神に淵源する
 →宗教改革以降は地位が低下。ギリシア的なもの=異教的に
 →近代は道徳法則の時代。帰結、権利論
・ヒュームにとっては「人生を楽しくする道具」
・アリストテレス―アクィナス:いい人生のための道具、かつそれ自体が目的
・Linda Zagzebskiはexemplarist
 1)徳のある人はどう行動するかに注目する
 2)利己性、悪い行いから脱却する道。プラトン

【2】【3】
・基本的な徳
 1)思慮prudence:知性関連の徳。正しい状況認識、考え、感じ、実行
  しかし、思慮ある人がいい人とは限らない
  eg.ガリレオ。ケプラーを正当に評価していたらもっと洗練されたのでは
  ソクラテス:善を知る=不可避的に善を行う。プラトンもほぼ一緒
  アリストテレス:知行分離。知は教えられる。行為は習慣づけ
   ニコマコス2巻。テクネー、エピステーメー、ヌース、フロネーシス
 2)中庸:スコープの広さ
 3)勇気:感情の徳
 4)正義:最も論争的な徳。1)-3)は感情。4)は社会的

【4】イスラム、儒教
・アリストテレスのmegalopsychosは自足的存在。しかしキリスト教神学では傲慢
・イスラムの5本柱、儒教は「道dao」

【5】神学的徳
・世俗的徳に加えてなぜ神学的徳が必要か
・ユダヤ教のrighteousness。神との契約における
・人間的努力を超えたものの要求←→ギリシアの「個人」と「社会」にとっての善
・アウグスティヌスもcardinal virtueだけではだめという
 ・神がrevealするもの。神なくして偉大でありうるというのは傲慢(原罪があるから)
・アクィナスにとっては「完全性perfection」への道
・faith←→迷信、だまされやすさgullibility
 1)自分が十分に知らない真実への同意
 2)状況の変化があっても対象が持続的に信頼できるということ
・hope←→wish
 アクィナス「困難だが可能な将来の善に対する期待」
  ↑神がファシリテートする。物質的hopeではない
 これに対する悪徳viceは「絶望」と「もう達成しているとの思い込み」
・charity、愛love、amor(近親者への愛)、神との友愛 cf.キルケゴール

【6】悪徳
・高慢pride、強欲avarice、怒りwrath、怠惰sloth、大食gulttony、色欲lust

2021年05月15日

近代建築史講義

建物を見る旅にまた自由に出られるようになったらいいなあということで。
コンサイスなガイドブックとして読みました。
点が線になるいい本でした。

■中谷礼仁『実況近代建築史講義』インスクリプト、2020年。

【1】ルネサンス
・1400年代イタリアから
・ギリシア・ローマ建築の復興。もとは異教的扱いだった
・中世末期の都市間交通の発達と芸術家の移動→「様式style」の発見
・中世・ゴシックの「高さ追求」のような自然的成長
 ←→様式化、抽象化、取捨選択=操作可能性、モード(流行)の出現
・ルネサンス以降は「問題の発見→解決→疲弊→新問題の発見」のサイクルに
・ブルネレスキの幾何学的比例、遠近法の発明:《サン・ロレンツォ聖堂》(ブルネレスキ・ルネサンス初期)→とその横の《ラウレンツィアーナ図書館》(ミケランジェロ・後期=ルネサンスの崩壊)

【2】マニエリスムとバロック
・★「アンチ・ルネサンス」としてのマニエリスム←maniera(手法)=芸術家の個性
 16世紀に半世紀ほど持続。ルネサンスとバロックの間の過渡期
 ルネサンスの安定した世界像に対する不満、倦怠
・特徴は4つ
 (1)先行作品の変形
 (2)典型からの逸脱
 (3)形式の崩壊を肯定する
 (4)時間の介入
・ジュリオ・ロマーノの《パラッツォ・デル・テ》(1535)
 メダイヨンの中身のずれなど、崩壊しかかったような表現
 ヴォールトのグロテスク装飾(古代ローマ起源)

・バロック(ヴェルフリンによる概念化)
 絵画的様式(どんな形か、ではなくどう見えるか)
  《サン・ピエトロ大聖堂》(1506-1626)
 巨大な様式(《ルーヴル宮》複数の階を貫いた巨大な柱など)
 量塊性(大きさ・重さと一体的な装飾、そのかわりルネサンス的形体の明確さは喪失)
 運動(流動的・不安定な形)《サンアンドレア・イン・ヴィア・フラミーナ教会堂》
・《サン・カルロ・アッレ・クアトロ・フォンターネ教会》(ボッロミーニ、1641)
 楕円平面←ケプラー、★もうひとつの焦点としての植民地!

【3】新古典主義
・バロックの運動感→ロココ(宮廷、植物の絡まりのような内観)の浮遊感「重力を外した表現」(ゴンブリッチ)→新古典主義(18世紀中葉~)
・ルネサンスの反復、ただしダイナミックさと数学的厳密性が付加(楕円のバロックから真円、立方体への逆戻り)
・啓蒙主義。白紙から構築できてしまうという驕慢
 →新古典主義という復古が革命的意味を孕んでしまう
・ユートピア的な建築作品群。ルドゥーの《ショーの王立製塩工場》(1779)。「構想する」ことに熱狂した時代でもある
・建築史学
→知性の暴発

【4】19世紀英国:折衷と廃墟
・折衷主義:時代や地域の異なる様式の要素を混ぜてまとめるのが建築家の力量
 →様式の価値平準化、形態が抽象的に扱われる。「パーツ」化
 《サー・ジョン・ソーン美術館》(1792-1824)
 cf.)B.アンダーソンの「新聞」
・ピクチャレスク:崇高な自然美(サブライム)←→ヴェルサイユの幾何学的構成
 人の手が入っていないかのような自然美の庭園を人工的に作る
 古典建築のミニチュア(60%くらい)や廃墟を配置
・↑ピラネージの廃墟版画も時間表現を内包している点で通底
 cf.)磯崎新《つくばセンタービル》、三分一博志《犬島精錬所美術館》

【5】20世紀直前:産業革命と万博
・《アイアン・ブリッジ》(1779)~鉄素材の使い方の進歩
・鉄筋コンクリートの発明。鉄筋が伸張、コンクリートが圧縮を担当。両者の熱膨張率がほぼ一緒なことで実現した(当時は気付かれていなかった?)
・万博#1(1851)@ロンドン。建築的テーマは2つ
 (1)世界を収容する建築はいかにあるべきか
 (2)簡単に建造・解体可能な大建築は可能か
 →回答としての《クリスタル・パレス》
 《パーム・ハウス》(1848)
・パリ万博(1867)
・シカゴ万博(1893)
 モダニズム建築に対する日本の影響《鳳凰殿》
・《エッフェル塔》

【6】ミース・ファン・デル・ローエ
・モダニズム=産業革命以降の生産様式に基づいた作り方:時間秩序の乱れ/複製技術時代の芸術
・WWI後のタブラ・ラサから。コルビュジエの〈ドミノ・システム〉(1914)はバラック住宅のため提案された
・ミース《フリードリヒ街のオフィスビル案》(1921):エレベーターコア、鋼鉄の床、ガラスの壁でできた平面を高さ方向に反復しただけ。均質空間の唐突な出現と達成。崇高美の拒否。神殿
・《シーグラム・ビル》(1958)→《霞が関ビル》(1968)などへ
・シュプレマティズム(<マレーヴィチ):神的なものへ向かって抽象性を高めていく。《白の上の白》(1918)→ミースへの影響、Less is More

【7】ロース/コルビュジエ
・ミース:モダニズムの極端
 《バルセロナ・パヴィリオン》十字の独立柱
 cf.フランク・ロイド・ライトの〈プレーリースタイル〉
・アドルフ・ロース:モダニズムの周縁
 「装飾と犯罪」(c.1908)無駄な装飾の忌避
 19世紀末的なオーソドキシー(基壇、ボディ、冠の別がある←→ミース)
 〈ラウムプラン〉被覆としての建築
 ダダイズムとの通底:周縁で起きた運動→シュルレアリスムへ
・コルビュジエ:モダニズムの中心。メディア、都市、キュビズム
・近代建築の5原則
 (1)ピロティ
 (2)屋上庭園
 (3)自由な平面
 (4)独立骨組みによる水平連続窓
 (5)自由な立面
・輝く都市(→日本の団地へ)
・ドミノ・システム(復興住宅)自由な間取り、開口
・《サヴォア邸》(1931)

【8】未来派/ロシア構成主義/バックミンスター・フラー
・コルビュジエ後期
 《ユニテ・ダビタシオン》ユニットの挿入、メゾネット
 《ロンシャンの礼拝堂》(1955)ランダムな秩序の挿入
・未来派:イタリアの急進的な愛国的芸術破壊運動←マリネッティ(1909)
 スピード、戦争賛美、女性蔑視、ダダ右派、テクノロジー、都市
 サンテリア《新都市》(1914)
・ロシア構成主義:産業や労働と結びついた新しい芸術のあり方
 タトリン:ブリコラージュ、《第三インターナショナル記念塔》(1919)
 リシツキー:シュプレマティズムの幾何学的抽象を現実の生活空間や建築に応用
  《レーニン演説台》(1920)、《雲の階梯》(1925)←60sメタボリズムの先駆け
 メーリニコフ:《コロンブス記念塔案》(1929)、重力を外した建築
 レオニドフ:第2世代、宇宙的
・バックミンスター・フラー(1895-1983)
 〈ダイマキシオン〉=ダイナミック+マキシマム+テンション。最小労力で最大効果
 《ダイマキシオン・ハウス》アルミ、工場生産、住むための機械
 フラードーム:三角形で構成。強固で軽い
   富士山頂のドーム、ヒッピー、軍隊
 
【9】擬洋風建築―明治初期まで
・ブリジェンス&清水喜助《築地ホテル館》(1868)
・和魂洋才=外国に対抗的な人ほど西洋文明を取り入れようとしていた
 →明治政府の欧化政策→工部大学校→1889「日本建築」の授業で伝統建築の再評価
・〈擬洋風〉明治10年代後半、日本人大工による《E.W.クラーク邸》(1872)
 ←大工に既に高度・抽象的な理解能力があった
  様式の本質把握→「みようみまね」が可能だった
 ←鎖国体制の中で「木割」(建築の標準モジュール)が建築所の流布で発達
  18世紀には一子相伝から版本として公開へ
  日本発の建築用語集、溝口林卿『紙上蜃気』(1758)
  和算家出身の棟梁・平岡廷臣『矩術新書』(1848)「反り」を幾何学として解くなど
  パタン・ブック「ひな形書」
・擬洋風建築:
 (1)なまこ壁:防火対策が必要な土蔵の高級仕様に使われていた。石造りの演出
 (2)塔:燈台をモチーフとした。陸と海(舶来)のあわい
 (3)ベランダ:出島より。西欧がインド、アメリカに進出したとき気候に合わせてできた
 (4)多角形の塔:山形《済生館》(1878)、長野《中込学校》(1875)
  実は和算を基にした幾何学技術「規矩術」でよくテーマにされていた
 学校が多かった。《松本開智学校》(1876)、《新潟運上所》(1869)
 伝言ゲームのように誤解が生じ、新しい造形を生んでしまうことも
・その後、担い手は大工から高等教育を受けた日本人建築家へ……

【10】様式建築―明治建築の成熟と崩壊
・本格的な建築教育を受けた建築家の時代:明治中期~昭和初期
・近代日本建築の「近代」と「日本」をどうやって統合するかという重要テーマ
・ジョサイア・コンドル(折衷主義):《三菱一号館》(1894)、《ニコライ堂》(1891)
・辰野金吾:《日本銀行本館》(1896)ジャイアント・オーダー、折衷主義
・妻木頼黄(つまき・よりなか):《日本橋》(1911)装飾など。省庁建築多く
・片山東熊:宮廷建築《旧帝国奈良博物館》(1894)《表慶館》(1908)《東宮御所》(1909)
・《国会議事堂》(1936):空白のメダイヨン、階段ピラミッド(ジグラット)のモチーフは「墓」(マウソロス霊廟の形式)=ヨーロッパよりなお古いものに近代日本を接続した
・極北:長野宇平治《大倉精神文化研究所》(現・横浜市大倉山記念館、1932)=プレ・ヘレニズム。ヘレニズムにオリエント的なものを見いだした。折衷主義の最後の姿、様式主義のデッドエンド
→「実利を主としたる科学体」「如何にして最も強固に最も便益ある建築物を最も廉価に作り得べきか」(佐野利器「建築家の覚悟」(1911))

【11】モダニズム―丹下健三(~1970万博)
・WWI後の西洋モダニズムからほぼ10年遅れで表現派、分離派、モダニズム建築成立(若い建築家が僻地の公共建築設計に登用されることがよくあった。堀口捨己《大島測候所》(1938)など)
←→旧来の様式的手法の建築も残存。《東京国立博物館本館》(1937)は鉄筋コンクリート建築に和式屋根を搭載した〈帝冠様式〉。屋根を載せることで地域性を付与するという凡庸な一般解。《九段会館》(1934)も
・木造建築の海外での評価・モダニズムへの影響→逆輸入されて日本スゴイ!に
・高度成長、近代+日本の交差→丹下による統合
 《広島平和記念公園》(1954)→原爆ドームを平和の象徴として位置づける
 《広島平和記念資料館》(1955)→鉄筋コンで木造建築の黄金比を適用
 《旧東京都庁舎》(1957)→コアの発見
  →活用《香川県庁舎》(1958)
  →都市へ《東京計画1960》
  →分散コア《静岡新聞・静岡放送東京支社》(1967)《山梨文化会館》(1966)
  →伊東豊雄《せんだいメディアテーク》(2000)の離散コアへ
・メタボリズム(1960-):建築によって都市を新陳代謝させる
 菊竹清訓《塔状都市》(1958)、黒川紀章《中銀カプセルタワー》(1972)
・頂点:《国立代々木競技場》(1964)、《東京カテドラル聖マリア大聖堂》(1964)
・万博以降は日本の経済が停滞、丹下は新興国の開発計画へ

【12】モダニズム以降―クリティカル・グリーニズム
・ルドフスキー『建築家なしの建築』―ヴァナキュラー建築。ドゴン族住居など
・ブランド『ホール・アース・カタログ』―メタツール、Googleのような
・ジェンクス「ポストモダニズム」
 アンチモダニズム、機能主義批判
 フォルマリズム:形式や形を先行させ、使い方や機能を沿わせる
  毛綱モン太《反住器》(1972)など
 セルフエイド:日曜大工、コルゲートパイプの使用など
  《川合健二邸》(1966)
 リージョナリズム:建築家にとっての偶然(地形など)との遭遇
  吉阪隆正《大学セミナーハウス》(1965)、U研究室
  象設計集団《名護市庁舎》(1981)
・クリティカル・グリーニズム:植物的、廃墟、藤森照信
  ←→グリーニズムの植物被覆、ハッピーさ
  山元理顕《山川山荘》(1977)、《せんだいメディアテーク》

2021年04月18日

連日の

土曜は23時半に寝て、日曜は二度寝して9時半に目が覚めました。
夢では、桟橋から十数分歩けば突端の神社に行けるくらいの小さな島に東京の友達数人と訪れていました。夕暮れ時になって帰りの船がもうすぐ出るという時に、島の休憩所に荷物を忘れてきたことに気付いて走って取りに向かったものの、間に合わなそうになり、「もういい、面倒、疲れた。夢おしまい!」と思って覚醒しました。弊管理人は自殺するほどパワーのある人ではないと思っていますが、意外と前後不覚になったら現世からも脱出してしまうのかもしれない。

晴れるかと思ったら雨が降り、夕方に晴れるという土曜と同じパターン。あと寒い。
にしやまさんがやはり日曜も来週も開けることにしたようなので、ご厄介になってきました。
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椎茸のチーズ焼き、カニ湯葉、牛すじ大根、わかめと干しエビの何か。
どうもゲストは弊管理人1人だったみたいです。危なかった。
まともなものを食べると正気に戻ります。しかし辛いものを食べると腹が警告してくる感じがします。内臓が弱ってる、多分。

* * *

■宮下紘『プライバシーという権利』岩波書店、2021年。

2021年04月17日

たそ・かれ

宿直明け、またシフトが終わったのにいつまで経っても帰れないことにむくれつつ、しかしそれでえらいひとに謝られて反省したりなどしつつ、疲れ切って帰宅。
未明から降り始めた雨が上がった午後6時40分。世の中はまだ明るかった。
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ひょっとして夏至に近づいてます?
そして2週間ぶりのにしやまさん。
まんぼう明けるまで休むかもとのこと。残念だけどこんな状況じゃあね。
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このところ王将かカレーかコンビニ弁当かパンか、という生活だったので、こういうのが沁みた。手前右のブロッコリーのアンチョビ炒めと、手前左のマグロのオイル焼きと、奥左の筍木の芽和えと、奥右の干しエビとわかめの和え物がおいしかった。って全部か。

* * *

前回の日記に書いた「えらいひとシャウト」のあと、意外と「(弊管理人)が疲れてる」ということが認知されて来週後半に数日休むことになりました。すぐじゃなくて来週後半になるあたりが、いかにも余裕のない職場っぽい。

弊管理人に限らず職場でわりと深刻なミスがかつてない頻度で発生しており、弊管理人の見るところ、これもまた前回の日記に書いた(1)一つの仕事にかけられる時間が少なすぎる(2)無意味な仕事を漫然とやらせている、という職場環境が影響しています。大阪のえらいひとワールドでもそれは感じられていて、しかしそれをアピールしても「この機に乗じて人員要求か」と本社からの風当たりが強くなるだけだから、今は言うのをやめておこう、という話になったようです。なんてこったい。

* * *

■西浦博『新型コロナからいのちを守れ!』中央公論新社、2020年。

結構前にいただいた本。です。はい。

2021年04月03日

語りえぬもの

■野矢茂樹『語りえぬものを語る』講談社、2020年。

『探究』と古田本を読んだらいよいよここいってもいいでしょう、ということで。
500ページあるが、とっつきがよくて濃いので、毎晩寝床で読むのが楽しみでした。
ウィトゲンシュタインを乗り+越えつつ、弊管理人が「ひょっとして可能では?」とちらりと思った人類学や言語学、科学論への接続をやってみせてくれた。
あと決定論批判、どういうことなのかやっと掴めた気がします。

ただ、動物にも嫉妬や忖度があるというような近年のニュースに触れるにつけ、言語を持たない(これ自体も本当かどうか)動物が文節化された世界に住んでいないというのは本当なのか、比較認知科学の成果をもうちょっと参照しつつ検討してもいいのかなとは思いました。それで人間の話が大幅改定を迫られるかというとそうでもない、脇の話かもしれませんけど。

内容は膨大なので、以下は付箋を貼ったところのみメモ。

・『論考』で導入された「論理空間」はおよそ考え得る(語りうる)ことのすべて。だが、この内外をもう少し段階分けして次のような区分が導入されている(巻末の解説と応答)
 ①ふつうに語りうるもの(行為空間の中。言語ゲームで使える)
 ②語りにくいもの(行為空間の外で論理空間内):クワス、グルー、クリーニャー
 ③いまの私には語りえないもの(論理空間の外、勉強すれば中に来る)
  :アクチン、ミオシン
 ④永遠に語りえないもの(論理空間の外、示されるだけ):倫理、論理
   *だが著者は永遠に語りえない(真偽が言えない)かには懐疑的

・デイヴィッドソンへの反論のため導入された二つの「他者」(193-194)
 ①論理空間の他者:概念枠の不共有、翻訳不能だが習得可能性はある
  →習得できた場合、振り返って発見される他者
 ②行為空間の他者:翻訳できるが深い理解はできない

・論理空間はわれわれの経験に依存するので有限
 そこで無限をどう扱うか?→操作の反復とする(「以下同様」、可能無限)
・『論考』の道具立ては論理空間と操作、これですべてと言ってよい(229)
・→後期の「規則のパラドックス」で崩壊する危険が胚胎していた(218-219)
・「(言語実践を生む)語られない自然」+社会(303)

・非言語的体験が言語を触発する(ex.「ミドリ」)
 →発声されて公共的に流通し、適切性を評価される
 →意味を与えられ、文節化された世界が成立する
・言語化された体験を圧倒的に豊かな非言語的体験が取り巻いている(329)
・文節化された言語を持たない動物は、反事実的了解を持たない(393)

・相貌。あるものをある概念のもとに近くすることである(402)
・相貌を知覚するとは、その概念のもとに開ける典型的な物語を込めて知覚すること
 (ex.犬を見ること)
・相貌の物語とは
 ①過去―現在―未来という時間の流れの中にある
 ②反事実的な想像(今あるコーヒーカップを倒すとコーヒーがこぼれる)
 ③無数の荒唐無稽な可能性(カップが自発的に移動する)を排除している
・個別の犬は相貌をはるかに超えたディテールを持っている
 典型から逸脱するような性質や振る舞いをする
・典型的な物語の世界はあくまでスタートであり、実在性に突き動かされて新たな物語に進む(404)
・隠喩:新たな相貌の生成(418-)

・決定論(25,26回)
・世界は厳格な法則からずれている(462)
 完全に均質な弾性体はないので、フックの法則は近似的にしか満たされない
・法則は世界のあり方を描写したものではなく、探究の指針である(463)
 規範性(「べき」)を帯びた物語。沿わない経験的事実は疑えとの指針(470)
・科学が世界を語り尽くせないのは、科学の限界のゆえではなく、世界はそもそも語り尽くせない(465)

* * *

今週は、不手際に対してたまたま最もうるさい客先がタコ怒りしたという些末な理由で火が大きくなり、そこにむっちゃ忙しい仕事と宿直からの30時間勤務がぶつかってへとへとでした。いやマジ疲れた。土曜の今日は今まで一歩も外に出る気が起きず、現実を見る気もせず、おかげで上記読書は500ページ中150ページくらいを今日読み通してフィニッシュし、メモ作りまで進み、たまっていた冷凍食品もそこそこ処理できてしまいました。

不手際というのは、優秀だから大丈夫だろうと思っていた若手ちゃんの想像を絶するミスをちょうど多忙だった弊管理人が手間を省いたために看過し、回復処理も遅れて爆死、というものですが、いろんなツッコミポイントのある経緯が一つの飲み込みやすい「報告」という物語に収斂し、本質とはだいぶ違う部分で庇ってもらったり反省を求められたりしており、なんか奇妙だなと思いましたがまあそのストーリーで納得されるならそれでいいや。こちらもまた別の意味で語られえぬもの。

2021年03月15日

唐津・壱岐

何がというわけでもなく、もやもやした思いを抱えながら不要不急の外出。金曜から月曜まで休みにしてあったのですが、金曜はどこも雨だったのと、面倒みるべき若手ちゃんの仕事が2本あったので、在宅でこなしたりとだらだらしてました。結局、土曜早朝から日曜深夜までのお出かけとなりました。金曜夜に洗濯したら財布も洗ってしまい、焦った。カード類はとりあえず無事でした。

マイルで伊丹→福岡。片道7500かかるところ、何かのキャンペーンで4500で済んだ。呼ばれているということにしました。6時起き、8時発、9時過ぎには福岡。姪浜まで行ってカーシェアで唐津まで。「七ツ釜」を目指しました。
あ、いきなり海きれい……
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これはいい柱状節理。
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北アイルランドのジャイアンツ・コーズウェイを思い出します。
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天気予報をずっと見ていて、西から晴れてくるだろうと思って西に行ったら晴れました。関東は土砂降りだったようです。
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呼子にも寄りましたが、特段ナマのイカが食べたいわけではなかったので地元調理のお弁当を買って車の中で食べました。小ぶりのイカほぼ一杯の煮付けと、あと蕗の煮物がおいしかったのでこれでよし。実はなんてことない感じで置いてあったお寿司もうまかった。
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玄海原発も。いいとこや。ほとんど人のいないPR館から。
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PR館の展示の入り口。今はコストやベースロードとかではなく、非化石電源としてのアピールが一番に来るんですね。
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なんか最近こんな風景ばっかり見ている気がしますが、棚田。菜の花がきれいでした。これ菜の花を栽培してるのか、それとも生えちゃってるだけなのか。
このあと、不安定な三脚で自撮りしたら倒れて、カメラを地面に落下させてしまい、萎えた。
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いろは島展望台。こういうのもこの1年よく見た風景。どこに行っても人がいないのでゆっくりできていいです。
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お出かけは車も電車も好きですが利点は違っており、車は運転に気を取られるので考えなくていいということ、電車はいろいろ考える時間が取れるということ。
1時間半くらいのドライブで福岡に戻り、ごまさば食って早々に寝ました。

* * *

日曜は6時前に起きて、博多港から8時発のジェットフォイルで壱岐に行きました。
船内でちょっと寝てすっきり。港の観光案内所で電動アシスト自転車を借りたところで、担当のおねえさんが「一応電気製品なので、雨が降ったらどこかの軒下に入ってくださいね」というので「天気予報は晴れじゃなかったでしたっけ」と聞いたら「でも雲が厚いので」とのお答え。
その直後から雨が降り、雲が通り過ぎるまで1時間半、フェリーターミナルで本を読みながら時間を潰すことになりました。予報を見て空を見ないって愚かですね。
そのあとは晴れた。
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10キロくらい走って、小島神社に着きました。
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参道が水没していたので写真とってしばらく眺めておしまい。
そのあと、近くの「はらほげ地蔵」に。
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どういう意味があるかよく分かっていないものの、水難事故にあった海女さんの追悼ではないかとのこと。
近くの「はらほげ食堂」でうにめしを食べました。
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うには季節じゃないのと、ナマで食べたいかというとそうでもないのでこれで全然満足。さざえの壺焼きも海の香りがしておいしかったです。
そして、特に行く予定ではなかったがついでに行った左京鼻。
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波の音を聞きながら見とれていました。
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帰りにひょっとして?と思って小島神社に寄ったら、潮が引いて参道ができていました。
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島の裏に回ると登り口があって、ちょっと登ったところに神社があるので「平穏無事」をお願いしてきました。
参道にミニチュアもあった。
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で、またえっちら自転車をこいで「壱岐市立一支国博物館」へ。
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この変な建物、見たかったんですよね。って黒川紀章の遺作らしい!(帰宅してから知った)
飛び出てるのが4階の展望室で、ここから魏志倭人伝にも出てくる「一支国」の中心地・原の辻遺跡とその周辺の平野が一望できます。
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遺跡には建物がいくつか復元されていたので、それをちらっと見て16時過ぎに港に戻りました。
こいだのは25キロくらいでしょうか。結構なアップダウンがあったけど、電動アシストだとそんな疲れないですね。日焼け止めを塗っていったのでひりひりしませんでした。
堪能しました。「猿岩」を見たり、温泉に入って日焼け止めを落としたりしたかったんだけど、時間がなかったのがちょい残念です。雨上がり待ちの1時間半がなければ温泉くらいは入れたかもしれない。
ジェットフォイルで博多に戻り、駅の「しんしん」でラーメンとチャーハン食って満足。このお店は知っていたわけではなく、通りかかったら列ができていたので並んでみただけ。急がない旅のいいところです。
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帰りは山陽新幹線で2時間40分。前日までに買うと半額になる切符をとってあったので、7600円くらいで帰れました。

何がというわけではなくもやもやした気持ちはそのままでしたが、行ってよかった。
そしてしばらくは近場でいいかなというくらい遠出欲は満たされたかも。
なお休みの終わりには(1)リフレッシュしたので休み明けは笑顔で仕事できそう(2)休み明けが来ないでほしい、という2パターンがあり、今回は(2)です。

* * *

■森安孝夫『シルクロード世界史』講談社、2020年。

ウズベキスタンに行ってから中央ユーラシアおもしろい!と思っていたのに、しばらく海外旅行ができない世の中になってしまいました。旅情を誘う本として手に取ったのがこちら。
高校世界史の中でもとりわけ暗記が大変だったこの地域の歴史が少ーし整理された。ソグド人とマニ教という、どちらもそれ自体は歴史の中に消えてしまった民族や宗教が及ぼした影響の大きさと、西欧・中国中心史観を転換し、それらが中央ユーラシアの「周辺」に見せる話運びが印象深かったです。次はクチャまで行ってみたい。

2021年02月22日

牡蠣、大原

宿直明け、友人来たりて大阪城。
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梅林梅林。
そして池田市、「かき峰」。
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11月から3月までしかやっていないお店で、「行きたい」とつぶやいたら行くことになりました。酢がき、白味噌の鍋、カキフライ、そしてかき飯。
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海苔にわさびを載せて出汁をかけるうううああああああ
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次の日は大原に行きました。三千院、久しぶりだけどこんなに懐深かったっけ?というくらい広くて見所がありました。
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2006年の2月に来たときは雪がこんもり積もっていて極めて寒かったのだけど、今回は暖かくて春のようでした。
宝泉院。血天井(!)の下でお茶とお菓子をいただきます。
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そして勝林院。木彫りの装飾がきれかった。
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そんでなんと嵐山に行って、祇園に戻ってきて「いづう」で寿司つまんで解散しました。
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喜んでいただけたようでよかったです。
えっぐい花粉症でました。

* * *

■國分功一郎『はじめてのスピノザ』講談社、2020年。

■宇野重規『民主主義とは何か』講談社、2020年。

2021年02月17日

はじめてのウィトゲンシュタイン

■古田徹也『はじめてのウィトゲンシュタイン』NHK出版、2020年。

12~1月に鬼界訳の『哲学探究』を読んでから「あれ、一体なんだったんでしょう……」と助けを求めて読み始めたのがこれ。『探究』は『論考』をどう乗り越えたのか、以前に、『論考』は何を言っていたのか、というスタートラインのはるか手前に戻って助走をつけるといいのであった。というか遍歴も含めて「ほぼまるごとウィトゲンシュタイン」を示してもらった感じ。そしてこの著者は「ここ重要よ」ということは何度も書く人だったのもよかった。

物事に対して一つの図式的な理解を発見したとき、嬉しくなってそれに固執してしまうことや、「なんかそれっぽい」言葉を「それが意味するのはどういうことか?どういう文脈に置かれているのか?」と吟味せずに使っちゃうこと、紋切り型に育ててしまうことの危険性を思った。それから、自然言語処理ができるアルゴリズムには何が必要なのか、という問題とつながっているのではないかと思った。一方、これだけ熱心に解説してもらっても、なお決定論/自由意思論が無意味というのがすとんと落ちないので、これは後でもう1回。

とはいえ、なんやら5年越しでやっとウィトゲンシュタインの主著を一度歩いた、これで関連書に行ってもいいかな、という気分になった。ぶへえ

以下はメモ。


◆前期の代表作『論理哲学論考』が目指したこと
・有意味に語りうることと有意味には語り得ない、語ろうとすると無意味になることの線引きをアプリオリな形、つまり特定の場所や時代に縛られない形で(=永遠の相のもとに(p.69))やることである(p.38)
・世界に生じうる事態すべてを語れる「究極の言語」でも語りえないものを明らかにすることである(p.53)
・世界の存在理由や観念と実在、普遍的な倫理や美など、哲学的な問題とされていたものは多くが「語りえないもの」の領域に属することを言おうとしている(pp.38-39)

◆語りえないものの一つが「論理」である
・命題とは現実の像あるいは模型である(写像理論)
・単語の並びを、真や偽でありえる「有意味な命題」にする秩序が「論理」である(例えば「雪が降っている」は有意味だが「いる降ってが雪」は無意味)。ただし日本語だとかフランス語だとかの個別の言語の秩序のことではなく、それら個別言語の間の翻訳を可能にするような普遍的な秩序のことであって、それは「こういうものです」と言語によって明示することができない。われわれが端的に理解することによって示されるしかない。世界の外にあって世界に反映されるしかない(p.47)

◆語りえないもののもう一つは「世界の存在」である
・個別のものが存在するということではない。例えば「太陽が存在する」という命題には世界の存在が反映されている、個別のものが存在することによって世界の存在は「示されている」が、それ自体を対象化できない(pp.54-55)
・世界が存在するということは、個別の何かがある、ということとは違った単なる「ある」「存在する」ということで、そのことに有意味に問うたり答えたりできない(p.69)

◆独我論、実在論も語りえない
・独我論とは「世界とは私の世界である」との形態をとる(p.60)
・世界のあり方について何ごとかを語っている私(形而上学的な主体、あるいは哲学的な自我)自体は対象化できない。それは世界の中というより世界の限界、世界の可能性それ自体のことである(pp.61-62)
・「そこにあるものは私が見ているそれだ」を積み重ねていく=独我論を徹底していくと、結局単に実在を語っているのと違わなくなる。結局、私はそこに世界のあり方が反映しているところのものである。そして両方とも語りえない(pp.64-65)

◆決定論、自由意志論も語りえない
・世界を永遠の相のもとに(=ありとあらゆる事態の可能性を含む世界全体を)眺めるとき、そこで実際に起きる事態はすべて偶然である(pp.69-71)。太陽が明日も昇るというのは必然のように思えるが、今日いきなり爆発してなくなる可能性もある
・必然性は論理的必然性のみであり、ある出来事が起きたことと別の出来事が起きることは「推測」できても「推論」はできない。論理の外ではすべてが偶然である
・因果関係はどれも必然的ではない。「世界は自然法則に支配されている」「自由意思が存在する」は無意味である。因果関係はさまざまに説明されてきたが、そのやり方は一つではない(例:神を持ち出すか、自然法則を持ち出すか)(pp.72-79)

◆価値、幸福、死も語りえない
・世界を永遠の相のもとに見ると、すべての事態が偶然なので重みはつかず、価値の大小もない。世界に驚く、奇跡として見ることができるだけ(pp.78-87)
・「アプリオリに満たされる」??(p.87)

◆そして、『論考』の主張もまた無意味である
・触媒としての、通り過ぎるべき書物(p.91)

◆「像」の前期→後期:世界の模型→イメージ/確定的→大体/永遠の相→生活実践
・前期における像:世界のあり方を写し取る模型としての像(p.132)
・後期における像:物事に対する特定の見方をするときに人が抱いているイメージ。「人間の行動は石の落下運動のようなものだ」というとき、石の落下のイメージ(像)で人間をとらえている。これを言うとき、石を思い描いているのではなく、石「になぞらえて」把握しているという意味での像(pp.129-130)
・ただし「泥棒の行動を石の落下のように捉える」といっても、「法則性を見いだそうという科学的な視点」と「責任がないことを言おうとする法律家の視点」がありうる。像は物事の見方や活動の仕方を確定的ではなく、曖昧に方向付けるものだということ。「自然法則による決定論」の企ては結局ぼんやりしている(p.136)
=あるいは「意味不明(≠無意味)である」(p.138)
=「アプリオリに有意味」ということはいえない、文脈による、「…とはどういうことか?」「具体的に何を言っているのか?」と問わなければならない、という点で前期の『論考』批判になる(p.141)
・どんな記号列でも、それを有意味にする文脈がないとは限らない(p.155)
・「永遠の相のもとに世界を見下ろす」こともまた一つの像にすぎない(p.163)→後期は「地上に降り立つ」

◆『哲学探究』の問題提起
・アウグスティヌスの例:机を指さす→「机」という語を理解する。言葉=指示対象、というのはしかし、名詞という限定的な言葉にあてはまるだけの像ではないか。「5」とか「赤」は何を指しているのか?(pp.168-172)ごく限られた例に依拠してすべてを説明しようとする(こういう発想に縛り付けられている「精神的痙攣」p.198)ところに哲学の混乱の根があるのではないか(p.175)

◆本質論を地上に引き下ろす道具
・規則のパラドックス:「0から2を足していく」―規則は原理的にはどうとでも解釈可能(アプリオリに意味が決定していない)。行為の仕方を一意に決められない。言葉の意味(例:「石を拾う」)も実は不確定である(pp.176-183)
・言語ゲーム:では言葉の意味は何によって決まるか?生活の中での使用である。「言葉と、それが織り込まれた諸行為の全体」が言語ゲームである←→「語は対象を指示する」。(pp.183-186)
・家族的類似性:「ゲーム」と呼ばれるものも、すべてに共通する本質があるわけではない。互いが何かしら似ており、共通性は生成変化する。言語ゲームでも「報告」「推測」「仮説検証」「創作」……などいろいろ
・いずれも「○○とは何か」を地上に下ろしてくる営みである。「普遍的で形而上学的なことを言いたくなったとき、そこで自分が本当はどんな具体例を思い描いているのかと問うこと。普遍的な意味を持つと言い張る像について、その像はどこから取って来られたのかと問うこと」(p.191)。
・哲学は「人間の自然誌」を考察/創作!すべきだということ(p.195)
・地上に下ろしても言葉の意味はいろいろ。例)粒子。砂粒のことか、量子のことか、等(pp.193-194)

◆方法としての「形態学」
・ゲーテの「形態学」:外見上は違う個物に共通する「内的なもの」を見いだす。植物をいろいろ見ているうちに「原植物」の存在を確信する。原型→そのメタモルフォーゼの反復、という図式。「葉」という「原器官」=隠された原型の発見。進化発生学のほか、フレーザー、シュペングラーなどへの展開(pp.196-199)
・それはイデア的なものかも。シラーの批判。cf.「犬」というものは存在するか?
・ウィトゲンシュタインによる受容:個物の間に類似性や連関を発見することによって「展望をきかせる(全体を秩序づけてみることができるようになる)」という効用
・ウィトゲンシュタインによる批判:ただし、連結項の発見の仕方(見る視点)は一つではない。「原型」もまた一つの「像」である。像に合わせて現実を歪めていないかは注意が必要。あくまで現実をあるがままにどう描くかに使うのが像である(pp.206-214)し、★一つの連結項を発見しても探究を止めないことが、硬直から解放されるために必要である(pp.223-224)
・連結項は創作されることもある cf.社会契約説における「自然状態」(p.219)
・アスペクト:連結項を見いだすことで、日常の見方の転換がもたらされる(pp.220-221)そして多様なアスペクトを(見下ろすのではなく)見渡すことであるがままに捉えられる物事が存在する(p.224)

◆心、知識、アスペクト
・多様な心的概念に対して、心を物のようにとらえる像(例:痛いの痛いの飛んでいけ)に固着してしまうことの問題。奴隷制度に対する怒り、のような「評価としての感情」に目が向かなくなること(pp.243-245)
・特定領域の神経細胞の興奮という像としてだけ見ることの問題。「悲しい」の持続は、その間にちょっとした楽しさや気散じができていたとしても持続している(=物理プロセスと無関係な感情の持続がある)という事実が見えなくなること(pp.245-248)
・「私が悲しいことを私は知っている」の無意味。知っているかどうか疑える場合に「知っている」は意味を持つが、無意味なものに意味を感じてしまうときには、文法を見渡すことができていないのかもしれない
・「アスペクトの閃き」。無秩序に見えていたものが急に秩序だつ。関連性が見える。数列の一般項が見える。しかし「分かった」ということはその一瞬の閃きの像のことではなく、その後に正しく実践できるか(例:数列を正しく書いていけるか)という「状況」によって示される。
・アスペクトの閃き自体も、さまざまなパターンが家族的類似性でつながってできている概念である(pp.283-286)
・「アスペクト盲」

2021年01月03日

正月、

正月、なのだけどそんなに正月っぽい感じがしないのは、元日に宿直が明けてから室内でだらだらしていて、あまり外の情報を取り入れていなかったからかも。しかもお店も開いてないので、メシはレトルトのカレーやらパスタやら……あ、あと実家からもらってきた餅を焼いてお汁粉。野菜に乏しく、気休めのトマトジュースを飲むなど。

■2日

夕飯難民となって暗い街を彷徨っていたところ、開いていた。オステリア87。
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牛の煮込みと絡めた生パスタ。うま~
空っぽのグラスはフランチャコルタ(北イタリアの発泡ワイン)。

どういうわけか昼からすごく目まいがしていたのでさっさと寝ました。
特に具合は悪くないので、たぶん大晦日からの24時間勤務の疲れだと思います。

■3日

昼前にふと思い立って有馬温泉に行きました。阪急梅田から高速バスで1時間。近い。
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「康貴」という宿の日帰り入浴を利用しました。いいお湯でした。
こぢんまりしたお風呂で、入場制限をしていたせいで少し待ちましたが、館内で本を読みながら座っていられたので全然問題なし。それどころか入場を5人に絞ってくれていたおかげで芋洗いでなくて有り難かった。公共浴場の金の湯、銀の湯とも通りがかったら混んでいそうだったし、多分こちらで正解。
温泉街はぐるっと歩いて30分、帰りは西宮北口行きのバスが来たので飛び乗り、阪急夙川で降りて帰ってきました。バスと阪急を乗り換える必要があるものの、梅田からの高速バスが1400円したのにこのルートは800いくら。
ところで「夙」っていう字だけ見て労働者の街っぽいところなのかと思っていたら、むしろ高そうな住宅街でした。

梅田に戻ってにしやまさん。
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牡蠣の吟醸蒸しの残り汁で雑炊をしていただく傍ら、ハンバーグ(初めて見た)という、なんかもう夢。reverie。みたいな。なんで横文字使った。

* * *

■ルートウィッヒ・ウィトゲンシュタイン(鬼界彰夫訳)『哲学探究』講談社、2020年。

野矢先生の手を借りて『論理哲学論考』を読んでから、後期ウィトゲンシュタインを読まないと収拾がつかない気分になり、しかし日本語訳は3種類だかあって、高いしどれがいいのかな、と迷いながら5年たったらお手頃な値段で新訳が出た!!!

大学時代に何度となく言語ゲームだとか独我論だとかアスペクト転換だとかざらざらした大地だとかのタームを聞いて、しかし肝心のこれを読んでなかったんですよね(恥)。でまあこういうふうに出てくるのか~と懐かしく思いながら読み進めていきました。500ページ。しかし論哲の解体と新境地の構築をする最初の1/3を過ぎると延々、これはどう?これは?という謎かけの山岳地帯が続いていてきつかった。

ということで、昨年末に出たウィトゲンシュタインの解説本を注文したので、これを頼りにもう一回、歩き直してみたいと思います。内容のことはそのときに。ただし、印象が新鮮ないまのうちに雑駁にメモっておく:

・意味とは使用のことだという気付きは、小学校教師として子どもがいろんなものを習得していく様子を見て得たんだろうな
・そうすると必然的に「生きた言葉」というのはがちっと意味が定まるものではない。「基礎付け」ではなく「ゆるさ」を許容したところはプラトン的じゃなくてアリストテレス的な感じがする
・そしていったん「世界との対応」という基礎から浮遊すると、言葉や思考、そして他者理解はどんどん足場を見いだせなくなっていって、ある種の障害のような状態になってくる
・しかしこの気付きによって、「言葉を操るAI」への道がひょっとして開けたのでは?
・あと、ここで終わらず「確実性の問題」を読まないといけない気がした

2020年11月23日

和歌山で世界旅行

3連休は中日だけが休みで、なんかどっか出掛けたいなと思って週の初めにバスツアーを予約しました。その時点から既に雲行きは怪しかったのですが、まあその後数日間の大阪はきれいな感染爆発の様相。GoToはこれで一区切りかなというのと、これで感染したら何言われるかわからんなという思いとともに出発しました。

行き先は和歌山。道成寺のすぐ前にある食事処で伊勢エビのお昼ご飯をいただきました。
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・門前で殺生……
・えびって可食部少ないね
・おいしかったです
ちょっと散策。道成寺は創建701年とのこと。投宿した坊主に惚れたおねーさんが袖にされたのに怒り狂って釣り鐘に隠れた坊主を焼き殺したという伝説があるそう。なんそれ……。しかし歌舞伎などでは「道成寺もの」と呼ばれる有名なお話のようです。
誰もいない奥の院から振り返って一枚。
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さらにその奥に行くと柑橘畑がありました。
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すごいわっしわしに実るんですね。そんなに植えてどうすんの、というくらい道端や山の斜面がみかん畑だらけでしたが、よく考えたら弊管理人の故郷もりんご畑だらけでした。

で、「和歌山で世界旅行」。まずは日本のウユニ塩湖(笑)こと天神崎。
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日本のエーゲ海(笑)こと白崎海岸。
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日本のアマルフィ(笑)こと雑賀崎。
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ガイドさんが「皆様いろんなご意見があろうとは思いますが……」と言い訳されてたのにウケました。でも、めちゃくちゃ期待しちゃった人は別として、海外旅行ができない時代の日帰り旅行としてはいい企画だと思うし、それぞれ高速を使って40分~1時間くらい離れた場所で、自分で運転して回ろうとすると結構骨が折れるので、景色を見たりうとうとしたりしているうちに連れ回してもらえるのは楽でよかったです。あと、和歌山はでかい。

帰路のバスでうとうとしたら、マスクの中によだれを垂らしてしまい、外すわけにもいかなくて臭いが辛かったです(汚)。

それにしても車内はみんなほとんど喋らない上にマスクしてるし、バスを降りてまた乗る時に手指消毒するしで、これでかかったら不運ってことだなと思いました。
かなり高齢なカップルもいましたが、足が悪そうな奥さん?と、それに手を添えながら歩く旦那さん?の姿を見ると、1日の楽しみさえも我慢して「死にたくなけりゃ高齢者は家にいろ」と言い捨てるのもなあ、とも。うつす方の人たちじゃないしね。
連休前には旅行社の賃金・人員カットのニュースも流れ、冬の時代が長引きそうなことが窺われます。どうしたらいいのかな。ってまあ答えはロックダウン1カ月なんだけど。

今回の地域共通クーポンの使い途は梅田のロフトでカーボン骨の大判折りたたみ傘でした(和歌山限定ではなく、隣接県でも使えるクーポンでした)。通勤かばんに入れておく用の軽くて大きいやつが欲しかったのです。この制度なあ。

* * *

札幌ではとうとう直接の知人が感染しました。……というのを本人がTWで公開している(ご商売上の必要と拝察)のを見落としていて、大阪の知人から日曜になって教えられました。
快方に向かっているようでよかった。復帰したら「これで人類最強(抗体+)ですね」と言ってしまいそう。

* * *

というわけで、また仕事界隈がわさわさしてきて気分が沈んできました。体重い。

* * *

■松浦壮『量子とはなんだろう』講談社、2020年。

2020年11月07日

雨・87

今週は金曜から週末を始めるという気概で遊び始めまして、深酒したとかではなく土曜の昼の時点で既に一回疲れており、昼寝して起きたら19時。

久しぶりに腰をやり、安静にしていると痛くはないが座っているのと靴下を履くのがつらいので、湯船に浸かったあと湿布を貼り、料理する元気はないので老松通りのオステリア87に行きました。もともと夜の人通りが少ない通りですが、雨なのもあってさらに寂しい雰囲気です。21時も近かったので閉まってたらコンビニで惣菜買ってそばでも茹でよう、と思って向かったら灯りが漏れていました。やりー

前菜盛りをお願いしたら、前回と違ってばらばらに出てきました。
温かいカボチャのスープ。少し青臭いカボチャと、上に載ってる塩気と発酵臭の強いチーズでいきなり目を覚まされます。これは「起き抜けなんです」と伝えたせいなのか?
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カンパチのカルパッチョが水茄子の上に載ってます。「一口で」とのこと。
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肉盛り。ハムやイチジクの入ってるパテももちろんうまいんだけど、オリーブが肉厚で食べ応えがありました。
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このあとサンマのフリットがでてきて、ポルチーニのパスタで締め。
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あ、なんか新しいこと勉強した、と思わせられる箇所がいくつもある本を読んだ感じ。
どっかに書いたかもしれないが、おいしいものは独り飯がいい。他人がいると気が散るので。
ちょっとダルだったのが、「今日はこれでよかった」と思いながら寝床に入れる気分になりました。

* * *
10月は結局本を1冊も読み終えなかったのではないか。

■東浩紀(編)「ゲンロン11」ゲンロン、2020年。
■西研『100分de名著 カント 純粋理性批判』NHK出版、2020年。

2020年09月04日

昼カレーと本2冊

北新地、Nico Cafe。平日昼だけなんですけど、今日(金曜)は起きたら雨が降っていたので気分的に仕事に行きたくなくて休んでしまったため、お店に行くことができました。外に出たら雨は止んでました。
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スパイスカレーを食べすぎな昨今なのですけど、それでもこれはよかった。
珍しく結構辛いです。でもしっかり辛いほうが締まりがあっておいしい。
あとピクルス(小皿のやつ)がただ酸っぱいのではなく、何か複雑な味がした気がしました。

* * *

水曜は一日眠かったので夜は23時に寝て、木曜朝は7時に目が覚め、10時まで布団でごろごろしていました。
ちょっとどう転ぶかな、と気がかりだった仕事がすんなり終わったので、京都から来た若者と大阪の若者2人と西天満のNostraへ夕飯を食べに行きました。
話を聞いてると若者世界もいろいろあるね。そりゃそうか。

しかし「(弊管理人)さん、夕飯行きませんか」と言われて「いいですよ」と言ったら「よっしゃ」と言われるのは悪い気はしないですね。
会社に入って1年目か2年目のとき、競合他社の同期と仕事先で鉢合わせて、若者2人でその仕事先のコワモテおじさんに「飲みに行きましょうよ」と言ったら「いいよ」と言われたので2人して「やりーーー!」と言ったらそのことをおじさんに喜ばれたのを思い出しました。

* * *

■鈴木貴之編著『実験哲学入門』勁草書房、2020年。

認識や道徳といった哲学的課題を、質問紙でいろんな人に尋ねた結果を踏まえて考える最近の分野だそうです。
・哲学者が思索によって導いてきた結論の検証
・従来の哲学の方法論の検証
・ある反応を導く心的過程の解明
という大きく分けて3つのプロジェクトがあるようです。
どうもいろいろな課題に対して人々がどう反応するかには文化差があるのではないか、という疑いが生じてきているあたりが興味深かったのですが、
・「言語を超えても等価な質問」を作ることができているか(&等価って何だ?)
・手近な学部生に対するアンケートが多いようだが代表性は大丈夫か?
・そもそも「みんながそう考えているならそう」でいいのか?
などの疑問もわいてきます。
これからの分野だな(そして、この段階で入門書を出すのは野心的でいいな)という感想でした。もうちょっと面白くなってきたらまた覗きにきたいと思います。

■デイヴィッド・ミラー(山岡龍一、森達也訳)『はじめての政治哲学』岩波書店、2019年。

これはもう一回読むべき。

2020年09月01日

人種と科学

ぎゃー9月

* * *

新型コロナウイルスの研究プロジェクト立ち上げを報じるニュースの中で、「ウイルス感受性に対する人種差も調べる」といったフレーズにツイッタランドの人文クラスタがものすごく反応したのを見て、これはなんか1冊読んどかなね、と思って探し当てた本。前に読んだPhilosophy of Biologyや『交雑する人類』ともつながってます。

結構前に読み終わっていたのですが、いろいろなことにかまけていてメモを作るのが遅くなりました。自分の仕事にも関係しそうで、ある日突然飛んでくるボールを的確に打ち返せるかどうかは準備に懸かっているのだと思うとやっぱりね、こういうのには時々触れておかないと。

それから、この本を読んだ後にBLMの運動が盛り上がり、「黒人」という言葉を耳にして「えっ」と引っかかることが増えました。そのように世界の刺さり方が少し変わったということは、これはかなりいい読書だったのかもしれません。

■アンジェラ・サイニー(東郷えりか訳)『科学の人種主義とたたかう』作品社、2020年。

人を分類し、他の集団より自分たちが優れていることを証拠だてる手段として「科学」の装いがずっと利用されてきたことを明かにする。

【1】19世紀には、ヨーロッパ人のような生活を送らない人は、まだ人間としての潜在能力を充分に発揮していないのだと考えられていた。色の白さは、人類の近代性を目に見える形で表す尺度となった。

ウォルポフとソーンは人類の多地域進化説を唱えた。それぞれの集団を注意深く「人種race」ではなく「類型type」として説明したが、それでもこの説は「われわれみな人間」に対する根本的な挑戦であり、植民地主義と征服政策の影響を受けた考古学の残滓と受け止められた。ただしビリー・グリフィスによれば、オーストラリア先住民も「自分たちは初めからここにいる」という意味で多地域仮説を好むとされている。

近年の遺伝学で、ヨーロッパの集団にはネアンデルタール人の遺伝子の寄与が比較的大きい(それでも数%)とか、オーストラリア先住民はデニソワ人の遺伝子が比較的多く入っていることが分かってきているが、これがracializationに傾くことを警戒する向きもある。

一方、ネアンデルタール人はかつては軽蔑の対象で「低い知能」の象徴と見なされ、発見当初はオーストラリア先住民との類似性が盛んに研究されていた。だがヨーロッパ人に最も多くその遺伝的特徴が残っていることが分かると、「認知機能は現生人類と同等」「文化的行動をしていた」といった理想化を駆動するような研究成果が出始める。

2018年にはエリナー・シェリーらによってアフリカ大陸内の多地域進化説を提唱した。現生人類が持つさまざまな特徴は大陸内のモザイクから獲得されてきたという。

【2】raceという言葉の起源は16世紀で、初めは家族や部族のような共通の祖先を持つ集団を指す言葉だった。
18世紀の啓蒙の時代には、集団間の身体的な特徴の違いは環境の違いとして説明され、移住や改宗などでアイデンティティを変えることはできると考えられていた。
人種が固定され不変のものだという考えは啓蒙の科学からもたらされた。リンネは『自然の体系』(1758, 10th ed.)で人間の特色flavorを赤、白、黄、黒に分けている。ただ、人種が2つなのか10あるのかといったコンセンサスはなかった。

植民地主義の時代には、一部の人は他の人より劣っており、それが支配の根拠と考えられた。奴隷商人と奴隷は本質的に異なっているという理解。白人、黒人、大型類人猿を測り、比較する科学が必要とされた。

米国の医師サミュエル・カートライトは1851年、黒人奴隷に特有の精神状態(精神疾患)「ドラペトマニア」を提唱する。奴隷という自然状態を脱して逃亡しようという病気だ。普遍的な人間性の代わりに、奴隷を隷属した状態に置いておきたいという利己的な人間の物語が持ち出されている。科学は人種主義に知的な権威を与えていた。

では、人種というものがあるとすれば、どうやって出現したのか。
1871年、ダーウィンは『人間の由来』で宗教による創世神話を一掃し、世界各地の人間の情動や表情の研究から「これだけの共通性が別々に獲得されるとは考えにくい」とした。二人の祖父イラズマス・ダーウィンとジョサイア・ウェッジウッドが奴隷制廃止論者だったことも影響したかもしれない。
ただし、進化上の序列があることは否定しなかった。ダーウィン主義は人種主義の否定とはならなかった。だが、都市住民と狩猟採集民の脳に進化上の段階の違いがなければならないのに、実際は差がないことが現在では分かっている。
人種という概念が生み出されたときには、既にsub-humanとして扱われていた集団はいた。人種概念はそれを勢いづけただけだった。なぜある集団は奴隷となり、ある社会は停滞するのか。それを説明する「人種」は常に政治と科学の交差点にあった。

【3】マックス・プランク協会の前身、カイザー・ヴィルヘルム協会がホロコーストに荷担していたことは最近になって公式に認められた。人類学・ヒト遺伝学・優生学研究所長のフェアシューアーは反ユダヤ主義者でナチスの人種関連専門家として人種政策の正当化に貢献していた。

フランシス・ゴルトン(ダーウィンのいとこ)は優生学を提唱した(1883年の造語)。1904年には優生記録書を設立(UCL)、のちゴルトン国民優生学研究所となった。

数学・統計学者カール・ピアソンは1911年にイギリス最初の優生学教授になった。「移民を制限しないとイギリス国民の安泰が脅かされる」と主張した。

1866年、メンデルがエンドウマメの実験を発表。ただ、この実験はどの世代でも安定して形質を表すエンドウマメの「純種」を作ってから行っていた。このことがこの実験結果の一般化可能性に関する20世紀初めの論争につながる。
遺伝について考えるときには、遺伝的背景と同じくらい環境要因・突然変異の存在を考えなければならないということに注意を向けさせようとしたのはラファエル・ウェルドンだった。乳がん遺伝子は100%発症につながるわけではないし、女王蜂はロイヤルゼリーを食べないと女王蜂にならないことは今日よく知られているが、ウェルドンの早世(1906年)によって本格的に取り上げられることはなくなり、遺伝子決定論が広がっていった。

ラッセルも「国家は不適切なタイプの人々が出産するのに罰金を科せば国民の健全性を改善させられるかもしれない」と述べたことがある。チャーチルは1912年の第1回国際優生学会議で副会長を務めている。

ただし、ヘンリー・モーズリーのように、特権や育ちのほうが一部の人の成功をよく説明することに気付いていた人もいた。ウォレスも「人々によい条件を与え、環境を改善すれば、誰もが最良の類型へ向かうだろう」と優生学を批判した。

優生学という言葉が聞かれなくなってきたのはようやく1960年代のこと。遺伝学の進展によって、美しい/賢い形質の遺伝はむしろ運任せだということが分かってきた。人間の品種改良が完璧にできるという考えの裏付けがなくなってきていた。知能のような複雑な特性は数個の遺伝子で左右されるようなものではなく、環境と養育の影響を大きく受ける。ただ、人種主義は科学の片隅で息づいている。

【4】1942年、アシュリー・モンタギューは「人種という言葉そのものが、人種主義なのだ」と述べた。
1950年7月、UNESCOが人種に関する最初の声明を出している。
1950年代にはpolitically correctな用語として集団populationやethnic groupが使われ始める。
1972年、リチャード・ルウォンティンは「遺伝的差異の90%は人種カテゴリー内にある」と書いた。
2002年にはノア・ローゼンバーグが差異の95%が主要な集団内にあるとした。
同じ人種であることは互いに遺伝的に似ていることを意味しない。
ホモ・サピエンスの遺伝的多様性が最も大きいのはアフリカ大陸内である。

それでもレジナルド・ラグルス・ゲイツのように人種科学を継続しようとする一団の研究者も依然として存在した。
1960年には雑誌「マンカインド・クォータリー」が発刊され、人種科学に資金を提供するパイオニア基金も存続している。2014年にはアルスター社会研究協会の研究者によって「オープン・ディファレンシャル・サイコロジー」が発刊された。

【5】1994年、チャールズ・マリーとリチャード・ハーンスタインが『ザ・ベルカーブ』を発表。黒人は白人やアジア系より知的でないと示唆した。批判を受けながらも、マリーは各地のキャンパスに講演に招かれていた。

【6】「人間の生物多様性」が表面的な差異のことではなく、集団間の深い違いを表すのに使われてしまったように、科学研究は人種主義に利用される危険をいつもはらんでいる。

ルイジ・ルーカ・カヴァッリ=スフォルツァら集団遺伝学はもともと人種主義や優生学に反対する人たちの学問だった。人間の集団間には確固とした区別はないが、グループ内での婚姻が比較的厳密に守られていた集団では遺伝子頻度に特徴がある。それを手がかりに、統計的手法によって人類の移動史を解明できるのではないかと考えた。
1991年には「ヒトゲノム多様性プロジェクト」を提案する。ただ、populationやhuman variationという言葉を使っていても、19世紀であれば人種科学と言われたようなものではないか?と訝る向きもあった。
サンプル採取にも障害があった。搾取と、孤立度の高い集団から得られた知見が生む利益がその集団に還元されないことを懸念した活動家たちがサンプル採取への抵抗活動を組織していた。
なにより、この研究は地球をメッシュに区切ってサンプルを採取するのではなく、そもそも何らかの基準で分類された人間集団を恣意的に発見した上で採取していた。善意の科学者であっても素朴で、歴史や政治の影響からはうまく免れていなかった。

集団内が均一だとは想定しなくても、平均値に基づいた分類を試みる「統計学的人種主義」の根は深い。そもそも人類を分割したいというところに問題がある。
23andmeのようなDTC遺伝子検査サービス、尺度を変えればどのようにでも人類を分類できる。悪意のない科学研究の結果は常に流用の危険に晒されている。

【7】2010年代の古代DNA研究によって、英国最古の人骨「チェダーマン」の肌の色が濃かったことが分かり、混乱した。白い顔の復元がされたこともあったが、白い肌をもたらしたのはその後に東方から入ってきた農耕民だったらしい。
昔、世界各地に生きていた人たちは今の人たちと同じ見た目ではなかったことが明らかになってきている。明るい色の肌の遺伝子は出アフリカ前に既に出現しており、人種に関しては何も固定的なことがないことも示している。肌の色は実際の集団間の遺伝的な差異に比べて過大評価されやすい。実際は肌の色で人種を分けることには意味がない。

デイヴィッド・ライクは、遺伝子に基づいた人類の移動史研究に取り組む。現在いる集団は絶えざる移動と交雑の結果だった。「世界の大多数の人々は、すべてではないにせよ、遠い過去にその同じ場所に住んでいた人とは直接つながっていない」
一方で数千年も遡れば、その時代に生きていた人たちは(子孫を残していれば)今日生きているすべての人の祖先か、(子孫を残していなければ)誰の祖先でもないことになる。ただしライクは、米国の黒人と白人の間には外見上の違い以上の違いがある可能性は留保している。

【8】ソリュトレ仮説は1970年代に登場した。考古学や人類学で、ヨーロッパ人は人類進歩の究極的な担い手だとする考え方だ。23000~18000年前にフランス、スペインの一部に存在したソリュトレ分文化は細長い薄片から石刃を作る手法を持っていて、ニューメキシコ州のクローヴィス文化(13000年前)の手法と似ているので、ソリュトレ人が最初に米大陸に伝えたのではないかという仮説だ。エクセター大のブルース・ブラッドリーらが主張した。
これは、ヨーロッパ人は17世紀より相当以前にアメリカ大陸を占領しており、ヨーロッパ人が米大陸に最初から権利を有しているという主張にもつながる。19世紀の「マニフェスト・デスティニー」の変種とも見ることができる。しかし現在は、最初のアメリカ人はベーリング海峡に15000年前以降に出現した陸橋で西から移動したと考えられており、これと真っ向対立する。アメリカ先住民はほぼすべてがシベリア東部に共通の祖先を持つことが近年の遺伝学的証拠から示されている。

過去を探る研究は、人種主義的な動機から科学研究の成果がイデオロギーのためにいいとこ取りされ、歪曲される事態にネイチャーも2018年には懸念を示したことがある。

【9】カースト。互いに閉じた婚姻関係を形成し、職能も異なる集団は遺伝的にも独特な2集団になるのかもしれない。たとえば素潜り漁をする集団は農民に比べて脾臓が長く血中酸素濃度を保ちやすいなど。では認知能力はどうだろうか?

行動遺伝学。KCLのロバート・プロミンら。知能遺伝子の探索。ナチの双子研究とnature/nurtureの割合推定の系譜。
しかし、知能とは何か、どうやってそれを計測するかはまだ確立していない。また遺伝率は誰でも同じではない、環境の違う人たちを比べることの困難さがある。知能に関係するとみられる遺伝子は「あるだろう」、しかも相当あるだろうというくらいしか言えないのが現状。IQの差はすべて社会経済的要因で説明がつくとする研究もある。

ジェームス・フリン(オタゴ大)の「フリン効果」(1984)。アメリカ人のIQは30年で上昇を続けているとの研究。文化的な時代の流れによる恩恵、知能の柔軟性を示すものだ。

アメリカでアフリカ系とされた人のうち、系統的にアフリカ系な人は非常に少ないということも知られるべきだ。ロバート・スタッカート(1976)はアメリカの国勢調査データから、白人として登録された人の1/4にはアフリカ人の祖先がおり、黒人の80%に非アフリカ系祖先がいた可能性があるとした。ヨーロッパ系の要素が多いアフリカ系アメリカ人は知能がその分だけ高いのか?1986年の研究では、養子のIQの違いは、入った先の家庭によることが示されている。

イギリスではGCSEのテスト成績で最も低いのは白人の労働者階級男子、次いで女子だが、「低い知能は白人性に根ざしている」という議論は起きていない。

2018年4月、インドでアファーマティブアクション後の役人のカースト別の働きぶりを比較した研究では、カースト別の差異はなかったことが報告された。

【10】医薬品の「人種差」。アメリカの黒人に高血圧が多いのは、奴隷船で旅をするのに体内に塩分をためておける人が選択されたからだと説明されたことがあるが、食生活、ストレス、ライフスタイルの問題が見過ごされていた。人種的な説明は社会的説明より受け入れられやすい上、奴隷制を巡る悲しいストーリーと結びつきやすかった。
だがハーバード大公衆衛生大学院の研究で、教育年数と血圧の関係が見いだされた。

2005年には、資金不足から黒人だけを対象に治験を行った高血圧症治療薬バイディルがFDAに承認された。ゲノムに基づいた個別化医療が高価だからと、怪しいが分かりやすい「人種化医薬」が使われる。実際は「人種」を生物学的に定義するのは極めて難しいと知られていてもだ。

カウフマンとクーパーの研究では、ACE治療薬やCa拮抗薬のように人種差があるとされた薬への反応の差異は、人種内での個人の反応の差異に比べて小さいことが分かっている。白人に多いとされている嚢胞性線維症の診断をなかなか受けられなかった黒人の事例もある。

NIHは1993年から、助成する臨床試験に助成やマイノリティグループを含めること、データを「人種」ごとに集めるように求める方針を掲げてきたが、これは医学研究に幅広い集団を含めることが目的であって、違いを探すためではない。

今日の不健康が黒人の体の内因性のものであれば誰の責任でもなくなるが、社会の不平等や不公正、差別のせいではないということと同じでもある。

イギリスのカリブ海系統の黒人が白人よりも多く発症するのが統合失調症で、「黒人の病気」とも言われているが、これまでに原因とみられる遺伝子領域がいくつか見つかっても、最大で発症リスクを0.25%高めるだけだった。しかも、この遺伝子変異は患者の27%に見つかったが、健康な人も22%が持っている。実際には生活環境や移民であることにまつわる危険因子、子どもの頃の逆境が重要なことが分かってきた。しかもナチの科学者フェアシューアーは「ユダヤ人によく見られる」と書いていた。

2020年07月29日

生物学の哲学

前々からそういうのがあるとは知っていたけど、ちょうど手軽そうな本出た!っつって買ったもの。本当は舞鶴から帰ってくるバスの中で読み終わっていたのですが、次に手を付けた『科学の人種主義とたたかう』がこれと少し繋がっていたため、ざっと読み直しながらメモを作ることにしました。

時代を隔てて使われている言葉の意味が同一かどうかを考えるような部分は哲学っぽい匂いもするのですが、多くは「これくらいの原理的な説明は遺伝学の教科書に載ってそう」という印象(確かめてないけど。すみません)。あるいは遺伝情報が「情報」なのかどうかのように、個人的にはどっちでもいいかな……という論点もありました。科学哲学に再吸収されないのかな。

とはいえコンパクトで一覧性があって説明も平易、というこのシリーズのご多分に漏れず有り難い本でした。

■Samir Okasha, Philosophy of BIology: A Very Short Introduction, New York: Oxford University Press, 2019.

【1】なぜ生物学の哲学か

・20世紀初頭に科学の方法に関する研究として「科学哲学」が登場

・1970年代にその1分野として「生物学の哲学」が出てきた。その背景は3つ

 (1)科学哲学の関心が物理学に寄りすぎていた
  ・戦間期の論理実証主義。自然法則の探究という科学観が生物学によくフィットしない
  ・クーンのパラダイム論(1962)もやっぱり相対性理論などを相手にしていた

 (2)生物学に面白い問題が出てきた
  ・20世紀前半の「新ダーウィニズム」←遺伝学や古生物学、動物学を踏まえて
  →遺伝子「変異」単位での淘汰という視点
  ・20世紀後半の「分子生物学」←1930年代のバクテリオファージ研究に発端
   ワトソン、クリックのDNA二重螺旋構造発見(1953)
  ・新たな概念の登場(J.モノー、E.マイヤー、J.M.スミスらが議論)
   (a)進化生物学によくある目的論的説明 eg.魚のえらは呼吸のためにある
   →こういう考え方はどこからきている?創造論を引きずっているのか?
    いかにして「機能」は発見されるのか?
    「機能」は2つ以上ありうるか? ……などが古典的な生物学の哲学の問い
   (b)遺伝学によくある「コミュニケーション」のボキャブラリー
    eg.コードするcoding, 情報information, 翻訳translation
   →なんで生物学の時だけ分子に情報学的な語彙が用いられるのか?
    文字通り受け取ればいいのか?それともただの例えなのか?

 (3)自然化された哲学naturalized philosophy=実験的手法=が生物学に触発された
  ←英米哲学のトレンド。経験科学との融合(クワイン~)
  eg. 「志向性」と特定の脳状態の関係
     ハチの8の字ダンスの表象機能に関する進化生物学的説明(R.ミリカン)

【2】進化と自然選択

・『種の起源』(1859)の中心的主張
 (1)種は環境に応じて変化する
 (2)現存する種は神が創造したのではなく、1つか少数の共通祖先の子孫である
 (3)進化の主な手段は自然選択である
 ※ダーウィンの祖父エラスムス・ダーウィンも(1)と似たことを言っているが、
  メカニズムについては言及なし。(3)を示したことが大きい

・自然選択が起きる条件
 (1)種に含まれる諸個体にバラエティがあること。完全にみんなが同じではないこと
 (2)それぞれの表現型に適応度の差があること
 (3)子は親にある程度似ること
→これを『種の起源』の中でかなりのスペースを割いて例を挙げながら議論している

・マルサスの人口論に着想
 →生物は限られた資源の中で、それぞれの表現型を利用し「生存競争」をしている

・デザイン論(目的論的議論)を掘り崩した
 eg. W.ペイリー。環境に合った表現型、複雑な構造の眼が自然にできるか?
    正確に時を刻む目的に適う時計は「意志的な創造者(職人)」がないとできない
 ←ダーウィンの自然選択(長い時間をかけて調整される)は論駁しえている
 ・ただし現在もインテリジェントデザイン論として生き続けている
  ただしこれは科学というより宗教的動機で生き延びている

・ネオ・ダーウィニズム
 ・ダーウィンの進化論は、その証明を後に譲った点が2つある
  (1)集団内の多様性はどうやって発生するのか?
   →自然選択は多様性を減じる方向に作用するので、変異が発生するとの証明が必要
  (2)親と子が似るのはどうしてか?
 →いずれも現在の遺伝学で回答可能
 ・ネオ・ダーウィニズムは「ランダムな変異」と「自然選択」が2大原理
  「進化」を集団内の遺伝子頻度の変化と定義することが多い
 ・また、親の獲得形質(筋トレの成果など)が子に伝わるというラマルク的説明を拒否
  ※ただしエピジェネティクスや腸内細菌などの知見からすると完全にナシではない
 ・ラマルクは「個体」、ダーウィンは「集団」を適応の単位とみている

・マイヤーの「探究の2類型」
 ・Proximate:特定の生物機構はどうやってhow機能するか
  eg.哺乳類の体温調節はどのようにされているか?
  →それが起きる因果的連鎖を記述すればよい
   進化の歴史は参照する必要がなく、創造説に立っても説明はできる
 ・Ultimate:なぜwhyの議論 eg.なぜ鮭は生まれた川に帰ってくるのか?
  →進化的にそれが有利であることを記述すればよい

・進化論が科学者以外にもみんなに受け入れられているとは限らない理由
 (1)生活実感にそぐわない。動植物に共通祖先がいたとはにわかに信じられない
 (2)人間の特権的地位を剥奪する
 (3)多くの宗教の教義と合わない
・上記(1)に対する証拠提示
 ・違う種(例えば馬と牛)が解剖学的に驚くほど似たボディプランになっていること
 ・脊椎動物の胚が極めて似ていること
 ・細菌から人間まで、極めて似た遺伝子を使っていること(これが一番強烈)
 →これらは共通祖先を想定すると極めてうまく説明できる
・「でも所詮、仮説でしょ?」
 ←そうなんだけど、多くのエビデンスがうまくはまる。なんなら他にも仮説はいっぱい

【3】機能と適応

・「機能function」によく訴えるのが生物学の特徴
 ※function-attributing statementsだがfor, in order toで表されるものも含む
 eg. カニの甲羅の機能は身を守ることである
    ←→天文学者は「惑星の機能」とか言わない
・しかし、何これ?
 (1)単に「効果」のことである
  ←しかしカニの甲羅の機能は内蔵を保持することである、とは言わない
   複数ある効果のうちなぜどれかだけが機能と言われるのか?
 (2)果たすべき役割、という規範的意味である
  ←誰が「べき」を判断するのか?自然科学って記述的じゃなくていいの?

 (3)生物学的適応度に関係した形質のことである(前章のultimate=whyに対する説明)
  ←これはなかなかよさそう。だがこれだけではない(後述)
・人工物についても機能は云々される
 人工物の機能は、創造者である人間の意図に照らして決まる
 →ということは、生物学で機能トークをやるのも創造説をひきずっているからか?
  ←「盲腸には実は機能があった」は単に創造説をひきずっているだけとも思えない
 →自然選択というものが創造者(人間)っぽく感じられているからでは?
  ←無生物についても「氷河の機能」とか言えるけどいいのか?
・結局、人気があるのは目的論的説明(自然選択のうえで有利=選択効果説)。上記(3)
 ←しかし「機能」が複数見いだせてしまう場合もある eg.シロクマの毛皮
  因果関係の最後にあるもの
 ←もともとの目的とは違う機能も eg.鳥の羽:体温調節→飛ぶ どれが本当の機能?
 ←進化論以前の「機能」という言葉は… eg.ハーヴェイが発見した心臓の「機能」は?
  eg.進化論とは関係ない分子生物学的に発見された「機能」は?

・対抗馬としての因果的役割理論causal role theory of function
 ・脳のように複雑な仕組みがどうやって働いているか
  eg.脳のある部分の機能とは、システム全体に対する貢献のこととみる
    体温調節機能における視床下部の機能は、血液の温度を監視することである
  eg.獲得免疫におけるT細胞、B細胞……

・目的論的説明はwhy、因果論的説明はhowに答えているともいえる
 双方の説明が一致することもあり、そのせいでこの区別があまり重視されてないのかも

・「これがこの組織の機能です」という決めつけが間違いである可能性について
  (グールド&レウォンティン)
 ・環境における適応をみる?進化は人間のスパンでは見えないが
 ・単なる進化の副産物に機能を見いだしてしまう可能性はないか?
  一つの遺伝子が複数の影響を及ぼすことも知られている
 ・人の鳥肌のように痕跡としてだけ残っているものに機能を見てしまわないか?
 ・四本足のように「最初にできちゃったので広まっただけ」に機能を見てしまわないか?
→あらゆる組織に機能がある、という思い込みの危険
 個別の組織ごとに分けて考えるのではなく、全体論的に考えるべきではとの提案

【4】選択の単位について

・ダーウィン:個体単位 eg.足の速いチーターがより子孫を残しやすい

・個体より小さなレベル
 細胞単位 eg.脊椎動物の免疫、神経発生、がん
 →ただし効果は個体の寿命限り
 遺伝子単位

・個体より大きなレベルとして:集団単位group selection
 →これにより、利他行動(個体の損、集団の利益)がなぜ存在するかが説明できる
   協力により、自分本位の個体ばかりの集団では達成できないことができる
   (これには個人選択派のダーウィンも気付いていた)
 ←「個体の得がたまたま集団の得になっている」というG.C.ウイリアムズの反論
  現代の数理モデルでも、集団選択のほうが弱いとされている
  (が見逃せない程度の反論もある)
・でも、利他行動はどう説明する?
 →血縁選択kin selection。利他行動は近親者のみが対象(集団内一般ではない)
  →利他遺伝子が優勢になっていく 
  ハミルトンの法則(1964):相手の利得×近さ>コスト、の時に利他行動が進化する
・人間には当てはまるか?
 →当てはまる。ただし社会組織(会社や政府など)では血縁関係なくても協力する
・血縁選択と集団選択は同じものだとの見方も eg.女王蜂のための犠牲

・遺伝子単位:ドーキンスの「利己的な遺伝子」(1976)
 各遺伝子は集団内の他のアレル(染色体の同じ位置を占める変種)と競争している
 →これで利他行動も説明可能
 アウトロー遺伝子(他を出し抜いて自分が増える遺伝子)もある

・最近四半世紀の選択単位を巡る議論
 J.M.スミスとサトマーリのthe major transitions in evolution
  細胞小器官や細胞が統合されていくということ(細胞内共生、コロニー…)
  すべての生物は社会的だとの含意

【5】種と分類

・伝統的な分類法はリンネ方式
 ・すべての個体に種speciesを割り当てる
 ・すべての種に属genusを割り当てる、
   以下、科family、目order、綱class、門phylum、界kingdom
 ※リンネはダーウィン以前の人で、神の創造した客観的・永遠の分類の解明を試みた
  それぞれの種が共通祖先から進化したという考え方に立ってない
・分類学taxonomyから20世紀に体系学systematicsが誕生
 しかし分類の基本原理については今日もまだ合意ができていない。ポイントは2つ

(1)個体を種に当てはめる原理:種問題species problem。種とは何か
 ・元素のように、そこに含まれる個体が一様ではない
   種の中に遺伝的多様性があり、それが変化する→必要十分な性質が決まらない
   DNAバーコード(共通性の高い部分)もいつも目印になるとは限らない
 ・E.マイヤーによる解決:Biological Species Concept (BSC)
   同種に属する個体は生殖可能な子どもを作れるreproductively isolated
   →種間では遺伝子の流入が起きない
 ・BSCには限界もある
   (a)無性生殖する生物には使えない
   (b)生殖可能かは程度の問題。2種が接するhybrid zoneでは交雑が起きうる
     植物では異種間の交雑がよく起きる
   (c)輪状種ring speciesの存在。a-b-c-dが隣接しつつ輪のように分布していると、
    a-b,b-c,c-dは交雑できるのにd-aができない場合がある
    ※ただしこれは致命的な反証ではない。
     レアなのと、種に分裂する途中と見なされうるため
 ・BSCの代替案(30種類くらいあるが、どれも普遍的でない)
   ecological species concept
   phylogenetic species concept
   morphological species concept など
   ……といって「種」の概念を放棄するのも不便
 ・M.ギーゼリンとD.ハルの提案
   種を、特定の時と場所に現れ去っていく複雑な一個の個体のように見る
   個体―種関係を細胞―個体関係のように見る cf.アリとコロニー
   個体を種の構成員ではなく部分と見る cf.変異した細胞も体の一部
  →普遍的な分類法則を発見できない(しなくてよい)。例外を許容する
  →「人間本性」などというものもないことになる

(2)種を属に当てはめる原理
 ・系統分類学phylogenetic systematics/分岐分類学cladistics
  →分類は進化の歴史を反映したものであるべきだというのが基本アイディア
 ・種以上のレベルはすべて単系統monophyleticでないといけない
  →単一の祖先種からすべてが生まれていて、しかもそれ以外があってはいけない
 ・ホモロジー(共通祖先から受け継いだ共通の性質)を分有している
 ・系統分類学のライバル
  (1)表形分類学phenetic school:進化の歴史ではなく、観察可能な類似性に基づく
   ←ただし、これだと主観的だとの批判あり。よく似た2種の食性が全然違ったら?
  (2)進化分類学evolutionary taxonomy:進化に基づくが、厳密な単系統を要求しない
   →鳥類を除外した「爬虫類」を許容する。鳥類はトカゲやワニとえらく違うので
   ←これも主観的との批判は成立する
 ・現在は分子生物学の進歩によって、DNAシーケンスデータが豊富にある
  →系統分類がやりやすくなった

【6】遺伝子

・メンデルと分子遺伝学の「遺伝子」は同じものか?
  同じだとするとメンデルは分子遺伝学に還元できるが、「同じ」説は実は不人気

・遺伝子とは?―一言でいうのは実は難しい。1領域1たんぱくとは限らない
 ・たんぱく質をコードする領域を遠くから制御している部分は遺伝子に入るのか問題
 ・選択的スプライシングalternative splicingで同領域から違うたんぱく質ができる
 ・overlapping genesは1領域を複数遺伝子が共有している
 ―それでも日々の研究は問題なく進む。実験の正しさ/概念定義の厳密さの違い

・なぜことさら「情報」というのか?
 ・コードの恣意性:CACという配列がヒスチジンをコードする必然性がない=記号的
 ・遺伝子発現に制御領域や転写因子からの「シグナル」交換が必要(J.M.スミス)
 ・しかし疑問視の向きもある
  ・メタファーにすぎない
  ・ゲノムは自律的ではない(細胞が環境応答し制御している)
  ・エピゲノムの存在(ゲノムだけが次世代に伝わり発生を司るわけではない)

【7】人間の行動、心、文化

・人間は特別か?人間は生物学の言葉で(どこまで)語れるか?
 (1)語れる派:臓器と同じく心も進化の産物
 (2)語れない派:規範や文化はかなりの部分、自然のプロセスから外れている
 ―これらの中間に位置する立場がいくらでもある。解像度の問題も
  eg.つがいを作るのは生物的だが、婚姻慣習は文化特異的だったり
 ―二分法的な問題の立て方自体がおかしいとの指摘も

・氏か育ちかnature/nurture
 ・ビクトリア時代はfeeble-minded(多くは学習障害と思われる)遺伝子が議論に
 ・C.ハーンスタインとR.マレーは黒人のIQが低いとThe Bell Curveで主張(1994)
 ・ヒュームは事実/当為を区分したが、「科学は客観的事実だけ扱う」はナイーブ
  →客観的描写と見えるものや問題設定自体が価値判断を含んでいる
 ・定義が不十分、区切り方がおかしいという批判
  nature:遺伝的という意味だったり、本能的という意味だったり
 ・個体レベルでみると、
  発生・発達においては遺伝/環境要因が相互作用するのが常
  eg.フェニルケトン尿症は変異のある子でも食事療法で正常発達可能
   →この病気は遺伝子によるか環境によるか、という問いがおかしい
 ・集団レベルでみても、
  同じ病因遺伝子を持っていて発症する人/しない人がいる
  違う環境で育った一卵性双生児は……
  先天的=遺伝的かも注意。「2本足」の中にも事故による切断は後天的
  遺伝的に近い→似た環境を経験しやすい、という因果が相関関係に隠れていることも
   →環境要因の貢献度に関する分析を誤らせる恐れがある
 ・生物学はnature/nurture問題を解けない。ただ問題をクリアにするには役立つかも

・社会生物学
 ・1970sの社会生物学の新アプローチ:人間行動や社会構造を進化的視点から
  eg.近親婚禁忌は先天異常のリスクを高め、淘汰圧を受ける E.ウィルソン
   男性同性愛も生殖の点では不利だが進化的意味があるのでは(これは想像)
  →優生学につながるとの批判はあったが、今から見ると批判には政治的動機が強い
  ―ただし「社会科学は生物学に吸収できる」との主張は無理
   (1)社会科学の問いはどちらかというとproximal(←【2】)
   (2)社会生物学は遺伝子と行動を単純に結びつけすぎ(環境要因を看過)
   (3)人間行動はそんなに普遍的でない。状況や文化でかなり変わる

・進化心理学(1980s~)へ
 ・進化学の視点は保持するが、行動ではなく認知・心理に着目
 ・言語処理、顔認識など個別タスクを担当する「メンタル・モジュール」の集合とみる
 ・ただし全面的に適応的ではない。環境変化が早すぎてミスマッチ起こしている部分も
  「石器時代マインド」をひきずった結果が精神疾患かも?
 ・議論も:
  ・性行動や男女差にやけに注目する
  ・エビデンスからはみ出た主張をすることも
  ・適応の視点が実証より先にありすぎるのでは
  ・こういう決定論的な見方にありがちな「自由意思」処理の問題
   eg.男の荒っぽい行動はそいつのせいか、遺伝子のせいか
     ←まあ全面的に遺伝子のせいと考えてる人はいないが

・文化進化
 ・人間集団ごとに極めて違う慣習、それも数千年でできている
  →遺伝的背景からは遊離。ただしダーウィン的進化”類似”のプロセスは想定できる
   「より適応的な文化」の選択(狩猟採集vs農業など)
   多様な環境に合った多様な文化が定着している
 ・文化と生物的基盤の関係
  ・認知機能に依拠しているという意味では依存
  ・進化の起きるスピードが文化のほうが全然早いという違いにおいては独立
  ・進化が水平方向にも起きるという点でも、変異が垂直にしか伝わらない生物と違う
    ←これには「細菌は水平伝播もある」との反証あり
  ・インタラクション(文化と生物の共進化)がある場合も
    eg.牛の家畜化と牛乳の消化酵素
  ・ドーキンスの「ミーム」(複製能を持った文化進化の単位)
    ※面白いが定義があいまいで扱いづらい eg.キリスト教文化は1ミームか多か?
     文化のアトム化への疑問も
    →あまり受け入れられていない
  ・生物との違いは、変異がランダムに起きるわけではないこと
    eg.バイキングの船の形は何も考えず色々作った結果が選択されたのではなかろう
   →むしろラマルク的(後天的な獲得形質が伝播する)では?
   ※ただし、ラマルク拒否はネオダーウィニズムから
    また、エピジェネティクスを考えるとラマルク的な面も
  ・生物と同じく、選択単位(個人か集団か)の問題もある
    規範と違反者への懲罰は、個人よりは集団の利益として進化したと考えるべき

2020年06月03日

民主主義とおなか

■ヤン=ヴェルナー・ミュラー(板橋拓己、田口晃監訳)『試される民主主義(上・下)』岩波書店、2019年。
Jan-Werner Müller, Contesting Democracy: Political Ideas in Twentieth-Century Europe, Yale University Press, 2011

ハイエクの流れでこちら。
20世紀東西ヨーロッパの政治思想史。この時代・この地域がいかに思想に駆動され、そしてされ得なくなったかを見せてくれます。「映像の世紀」のもっとすごいやつ。
contestingなのに「試される」なのは、監訳者の一人が北海道でずっと教鞭をとっていられたために「試される大地」に引きずられたのでしょうか。いや全然この訳でいいと思うけど。

* * *

と、雑な文章なのは、いま体調激悪だからです。
日曜の午後に急に怠くなり、月曜からは夕方に38度台の発熱を繰り返しつつ下痢継続中。いま「ポカリスエットを流すだけの筒」みたいな生き物になってます。もともと小風邪をひいたところ、月曜の昼に食ったテイクアウトに中ったとの疑いを持ってますが、火曜の朝に近所のクリニックで言われたのは「細菌感染による腸炎」。口に入れたものがただただ全部下から出て行くので、今週は出社できてません。

2020年05月11日

隷従への道

■フリードリヒ・ハイエク(村井章子訳)『隷従への道』日経BP社、2016年。

ウイルスとの戦い、という物騒で無理筋なフレーズが出てきたあたりで、この本に手を付けるのは「今かな」と思ってがつがつ読み始めました。「あっ安い新訳が出てる!」といって買ったはいいが、新書サイズとはいえ500ページ超と東京では通勤で持ち歩くには重くてかさばるために、本棚に置いたままになっていたのでした。しかしそのうちに「自由を売ってパンを買う」みたいなプーチンのロシア20周年(5月7日)が来て「むしろそっちだったかな」ってなった。

ドイツでナチ政権が誕生し、第二次世界大戦に入っていこうとする時期に着想され、戦後を展望する1944年に出版。進歩と繁栄をもたらした19世紀の古き良き自由主義が「時代遅れ」となり、計画経済が社会主義からファシズムに流れ、自由主義陣営でも戦時体制(つまり消費財と資本財から軍事物資へと生産が計画的に振り向けられ、消費財の生産縮小に伴うインフレ防止のため、物価凍結と配給という政府介入が行われる体制)の経済に移行した時代、確かに権力者にとってはコントロールがきいていいけど「でも戦後もそれやったらだめだからね」と英国民に警告を発するものです。

小規模で単純で見通しのきく時代ならともかく、複雑化した社会において計画経済を「ちゃんと回す」のは土台無理で、それをやろうとすると民主的なプロセスがすっ飛ばされ、「科学」を独占する専門家に(本当はできないのに)丸投げされ、個人の責任は蒸発し、無理な統治を淡々とこなせるクズが組織を上り詰め、成員に大して無差別に網をかける「法の一般性」は失われて特定グループが優遇されるという恣意的な統治になります。

「いや所詮経済だけの話でしょ」とはいかないのです。経済を政治や「価値観」の領域から切り離すことはできず、結局は計画経済を志向するとそのまま坂を滑り落ちて全体主義に行き着く危険が極めて大きくなります。

といって、じゃあ政府なんていらずに市場に全部お任せでいいかというとそれは全くそうではありません。労働環境、衛生、交通網の整備など「競争の土台」を整えることが政府の役割だと主張します。生存のための給付、今だったらベーシックインカムさえもひょっとして許容するかもな、と読んでて思いました。

とにかく「複雑な社会において全体をコントロールできるなんてのはフィクションだ」というのが根本的な思想で、必然的に「じゃあ科学者に任せよう」という幻想も切って捨てることになります(「ネイチャー」も槍玉に上がってます)。その代わりに、自律分散システムを走らせて、全体がたとえ「正解」には行き着かなかったとしても、そこそこいいところには落ち着く(アニーリングみたいですな)、それを目指すしかないんではないか、という考え方なのかもしれない。

最後にはその拡張版として、戦後の国際秩序として閉鎖的なブロック形成ではなく、個々の国の力を活かす「連邦制」、そして地域ごとにできた連邦制同士の連合のようなものを提案して終わります。

若者の驕慢みたいな集産主義思想に「眉唾眉唾」ってやる様子は、40代に入って順調に保守的になった弊管理人も共感するのですけど、しかしちょっと想定してる人間像が強いなとは思いました。あと、社会構造が個人に及ぼす影響を過小評価しているとも。暗い戦争の時代から戦後の世界を構想する立ち位置で、しかも徹底した二項対立の図式を描くスタイルからはしょうがないのかもしれないけど。

あとこれ。冒頭の序文に出てくる、アメリカでの本書の出版を断った編集長のコメント。
「この本がたいへんに骨を折って書かれたことはわかりますが、いかんせん余分なことが多すぎます。ここに書かれている内容は、半分の枚数で書けたでしょう」(p.32)

同じことが何度も出てきたり、セクションが変わると断絶した感じになっちゃったりして7章にさしかかったところでついて行けなくなり、メモを作りながら序章から再スタートしました(ただし読む速度は3倍に上がった)。そして最後のほうは若干だれました。でも訳文はとても読みやすくていいと思う。グッジョブ。

* *

「リベラル」という言葉は19世紀的&英国で使われている意味(いかなる特権も認めない)で使ったが、米国では政府の規制や管理を支持する立場に(左翼への批難の言葉として)使われるようになってしまった。
この本では、「社会主義というものは、大方の社会主義者が同意しない方法でしか実現し得ない」(P.101)ということを示そうとする。

【第1章】
・自由主義の下で発生する自生的秩序が進歩の原動力だった(が近頃評判が悪い)

「私たちは経済における自由を次々に放棄してきた。だがかつて経済の自由なしに個人の自由や政治の自由が存在したことはない。一九世紀の偉大な思想家、たとえばトクヴィルやアクトン卿が、社会主義は人を奴隷にすると警告したにもかかわらず、私たちは社会主義への道を着々と歩んできた」(p.139)

「今日では個人主義は悪い意味でとらえられ、利己主義や自分本位と結びつけられている。だが、社会主義を始めあらゆる形態の集産主義(collectivism)と対比して私たちが語る個人主義に、利己主義と結びつく必然性はない。[...]個人主義の本質的な特徴を一言で言うなら、人間としての個人の尊重だと言うことができよう。それは私的な領域においてはその人の考えや好みを至上と認めることであり、人間は生まれついての才能や好みを育てていくべきだと信じることでもある」(pp.140-141)

「[自由]主義の基本的な原則は、指図や規制をするに当たっては社会の自生的な力を最大限活用し、強制に頼るのは最小限に抑えること、これだけである」(p.145)

しかし、自由主義による進歩はペースが緩やかだったため、それによって富が増大したことを忘れて、次第に「古い原理」と見なされていく。それを克服するのは「全く新しい何かだ」と考えられ、個人主義の伝統が放棄されていく。そこでドイツでの社会主義の理論的発展と、英国の「時代遅れ」化が進むのだ、という危機感が表明される。

【第2章】
・集産主義、社会主義、共産主義、ファシズムは似ている

そもそも社会主義は誕生の場面では権威主義的だったはずだ。

「ここで何より驚かされるのは、はじめは自由に対する最大の脅威とみなされ、フランス革命の自由思想への反動として生まれたことが公然の事実だったその同じ社会主義が、いつの間にか自由の旗印の下に広く受け入れられるようになったことである。誕生したての社会主義があからさまに権威主義的であったことは、いまやほとんど忘れられている」(p.159)

しかし、ある時、「自由」という言葉をハイジャックする。これが受け入れを促進してしまうのである。

「政治的自由を追い求めた偉大な先人にとって、この言葉[=自由]が意味するのは圧制からの自由であり、他人による恣意的な権力行使からの自由であり、上位者の命令に従う以外の選択肢がないような束縛からの解放だった。だが新しい自由が約束するのは、貧困からの時湯であり、個人の選択の範囲を必然的に狭めるような外的条件の制約(…)からの解放だった。…この意味での自由が権力あるいは富の別名にすぎないことは、改めて言うまでもあるまい」(pp.161-162)

だが、イーストマン、フォークト、リップマンのように、共産主義の実際を見て、ファシズムとの親和性に気付いた人もいた。

「あの民主社会主義というここ数世代の壮大なユートピアは実現不能であるばかりか、実現しようとすれば、今日それを望んでいる人々でも受け入れがたいほど、めざすものとはちがう結果を生むにちないない。しかし多くの人は、社会主義とファシズムの関係を白日の下にさらけ出すまで、それを信じようとしないだろう」(p.171)

【第3章】
・「自由」はレッセ・フェールではない。競争が成立する条件づくりは国家の仕事である

(「自由」という言葉に続いて、)「社会主義」という言葉にも混乱がみられる。究極の目的は「社会主義や平等と保障の拡大」だというのだけれど、この目的のほかに、それを実現する「手段」のことを「社会主義」が意味することもある。その手段というのは、民間企業の廃止、生産手段の私有禁止、「計画経済」の導入である。「目的」のほうだけを見て信奉してしまうと、「手段」が孕むリスクを見逃すことになりかねない。

「計画」という言葉も曲者だ。政治や経済は先を見通すという意味で多かれ少なかれ「計画」的である。計画を否定するのは運命論者くらいだと考える向きもあるだろう。

しかし、「今日の計画主義者が要求するのは、単一の計画の下であらゆる経済活動を中央が指図することである。そしてその単一の計画では、特定の目的を特定の方法で達成するために、社会の資源を「意図的に管理運営」する方法を定めるという」(pp.181-182)

こんにち、計画主義者とその反対者の対立点は、「強制力を持つ者は、個人が知識や自主性を発揮する最良の枠組を定めて各人が最適な計画を立てられるような条件を整えることだけに専念すべきなのか。それおtも、そうした個人の資源を合理的に活用するためには、ある意図をもって作成された設計図に従って、個人のすべての活動を中央が組織し指導することが必要なのか、ということである」(p.182)――このうち、社会主義者が使う「計画」は後者の意味である。

といって、自由主義者が単純な「レッセ・フェール」を主張しているわけではない。「自由主義の主張は、人間の努力を調整する手段として競争原理をうまく活用しようということであって、物事をあるがままに放任しようということではない」(p.183)

つまり、競争原理が効果的に働くための法的枠組や、ある種の政府の介入は必要だし、競争の条件がうまく整わない場面では別の原理が必要だということも必要だとする。

「彼ら[=自由主義者]が競争をより優れた方法だと考えるのは、単に既知の方法の中で多くの場合に最も効率的だからというだけではない。当局による強制的あるいは恣意的な介入なしに相互の調整が出来る唯一の方法だという理由が大きい」(p.183)

有害物質の禁止、労働時間の制限、衛生環境の整備などは競争の維持と矛盾しない。その利益が社会的費用を上回るかどうかだけが問題になる。広範な公的サービスの提供も、それが競争を非効率するような設計でない限り、競争の維持と十分両立しうる。これまでは介入のデメリットばかりが強調されてきた。

また、「法制度をいくら整えても、競争原理や私有財産制が効果的に機能する条件を形成できない領域が、まちがいなく存在する」(p。186)

道路や道路標識などは一人一人にサービスの対価を払わせることができない。森林伐採、工場の煤煙などの影響を所有者だけに引き受けさせるとか、賠償と引き替えに受け入れた人たちだけに限定することはできない。こういうときは価格メカニズムを通じた調整とは別の原理が必要になってくる。

だが、こういう「競争がうまく機能するための法的枠組」の整備は進まず、競争を排除する方向に走ってしまっている。そして、独占化や組織化が進んだ分野では資本家と労働者がグルになり、消費者はその言いなりになるしかない。

【第4章】
・社会が複雑になるほど全体を管理できなくなる

計画の必然性を言うために動員された”根拠”は「技術革新の結果として競争の余地がなくなっていく。あとは大企業による独占か国家による統制かという選択だけだ」というものだが、データによる裏付けはない。

また、文明の高度化によって経済プロセスが複雑になり、全体像の把握が困難になるため、社会の混乱を避けるためには当局の調整が必要だとされる。

「だがこのような主張をするのは、競争原理を全然わかっていないからだ。競争というものは、比較的単純な状況に適しているのではなく、今日のように分業が進んで高度に複雑化した状況でこそ、調節を適切に行う唯一の方法となるのである」(p.204)

中央管理方式こそ複雑化に追いつかない。世の中にはいろんな価値観があって、それぞれの人が計画を志向しても、結局は衝突が起こるだけだ。計画経済は歴史の必然ではなく、意図してやらないと導けないものなのである。

【第5章】
・計画作成は民主的な手続きでは追いつかなくなり、専門家支配や独裁を招く

社会主義者の不満は、経済活動が無責任な個人の気まぐれや思いつきに委ねられているということだった。しかし、これこそが「自由」と「計画」を最も明確に分けるものなのだ。

「集産主義、共産主義、ファシズム等々は多種多様であり、社会を向かわせようとする目標の内容はそれぞれに異なる。だがいずれも、社会と資源すべてを単一の目標のために組織化することをめざし、各人の目的を重んじる自主自由な世界を否定する点で、自由主義や個人主義とは峻別される。全体主義という新しい言葉の真の意味において、あらゆる集産主義は全体主義である」(p.220)

個々人の多様な幸福を一つにまとめるような単一・完璧な価値基準が要請される。しかし文明の発展とともに「共通ルール」の領域は縮小してきている。逆に、未開の社会はすみずみまでルールと禁忌が支配している。「共通の価値基準」の導入はこうした流れに逆行するものである。

「重要なのは、一定範囲以上のことを把握したり、一定数以上の人々のニーズを順位付けしたりするのは、人間の手に余るという基本的な事実である」(p.223)

個人主義が依拠するのはこういう基本的な事実である。各人の意見が一致する場合に限って、それが「社会の目標」になる。国家がそれ以上の管理に乗り出せば、個人の自由を抑圧することになる。

計画社会で合意を調達しようとすると非常に数多くの合意を形成する必要があり、議会の仕事がオーバーフローする。全体が統合された総合計画は民主的に作るのには向かず、さまざまな目標を整合的にまとめ上げる作業(細部を詰める作業ではない!)は専門家の手に委ねられる。これは民主主義政体が力をどんどん放棄していくプロセスだといえる。そして、いつまでも計画ができあがらなければ独裁者を求めることになる。

【第6章】
・計画社会では法の支配(一般ルール)が蒸発し、恣意的な統治になる

自由な国では「法の支配」が守られている。政府のあらゆる行為があらかじめ定められ公表されたルールに縛られることである。これによって政府の振る舞いは恣意性を削がれて予測可能になり、個人はその予測に基づいて自分の行動を計画し、自由に目的や欲望を追求できる。

集産主義の計画当局にしてみると、法の支配は当局の権限を狭めることを意味する。豚を何頭飼うとかバスを何台走らせるといった個別の決定は自分を縛るルールから導いたり長期計画で決めたりできないので、そのときどき恣意的な決定をする。自由主義社会が道路標識を設置するところ、集産主義社会はどの道をどうやって通るべきかを指示するのだ。

経済活動において、個別具体的な状況に対応するには、その状況に実際置かれている個人が判断しなければならない。その場合、どう動くとどうなるかというルールがあらかじめ決められていなければならない。国家が計画を担えば担うほど、それは難しくなるし、裁判所や監督官庁の裁量に依存することになる。また、特定の倫理を個人に押し付け、それ以外を排除することにもなる。

「結局は『身分の支配』への逆行にほかならない」(p.254)

【第7章】
・経済「だけ」を他の部分から切り離して計画するのは無理で、必ず生活や価値全般に関して自由の侵害が起きる

計画が影響を及ぼすのは「経済だけ」で、ほかの自由は侵さないという主張にころっと行きがちだが、「お金」という目標は人生の他の価値から切り離せるという考えは間違っている。お金はそれ自体が目的なのではなく、お金の持つ「さまざまな選択ができる力」が好まれているのであって、それが代わりに名誉だ勲章だといったもので支払われたら選択の自由は失われてしまう。お金を管理されるということは、結局「生活のすべて」を管理されることを意味する。

「私たちが『単なる』経済の問題を軽蔑的に話すとき、念頭にあるのは自分にとっての限界部分のことだが、経済計画はそれだけに関与するわけはない。実際には、どこが限界部分なのかを決めることさえ、もはや個人には許されなくなる」(p.276)

計画経済下ではサービスの供給を誰から受けるかが選べない、つまり気に入らない供給者を切るということができなくなる。さらに当局が認めない価値の追求ができなくなる。

さらに、生産者としての自由(職業選択の自由)も失い、当人の希望とは関係なしに「適性」を判断する当局の手駒になるだろう。

「なるほど大方の計画論者は、新しい計画社会では職業選択の自由は細心の注意を払って維持され、むしろ増えるだろうと約束している。だが彼らは、できないことを約束しているのだ。計画を立てようと思ったら、産業や職業への参入を制限するか、雇用条件を規制しなければならない。あるいは両方を規制しなければならない。計画経済を実行した事例のほぼ全部で、いの一番に行われた規制の中にこれらが含まれていたことがわかっている」(p.281)

「あらゆる自由の大前提である経済的自由とは、社会主義者が約束する『経済的心配からの自由』ではない。この自由を実現するには、人々を困窮から解放すると同時に選択の権利を奪うほかない。しかし経済的自由とは、経済活動の自由であって、それは選択の権利とともに必然的に、権利行使のリスクと責任を伴う」(p.289)

【第8章】
・計画社会の公約は平等だが、それが全体に・ラディカルに実現することはない。そこに不満を持った下層ホワイトカラーをファシズムや国家社会主義にかっさらわれるのだ

いま迫られているのは、「誰が何をもらうかを一握りの人間の意志で決める制度」か「各人の能力と意欲、予測不能な要因の入り込む余地のある制度」かだという。機会不平等の是正は必要だが、競争の予測不能性を損なわないなどの条件付きでだ。自由社会の貧しい人(というp.296から数ページの競争礼賛はうーんと思う)

ともあれ、生産を計画に従ってやるだけだというが、分配に手を付けずに生産だけ計画するということはできない。自由の譲り渡しはslippery slopeだというのだろう。

「あらゆる経済現象は密接に相互依存しているため、計画をいったん始めたら、もうよしというところで止めるのはむずかしい。市場の自由な働きが一定限度を超えて妨げられたら、当局はすべてに管理の手を広げざるを得なくなる」(p.301)

国家は個人の位置付けにも手を伸ばすはずだ。

「どんな社会でも、必ず誰かしらは失業したり所得が減ったりしているものだが、それが当局の意図によるのではなく単に不運の結果であるほうが、自尊心は傷つかないだろう。それがどれほど辛いとしても、計画社会のほうがもっと悲惨である。ある特定の仕事に必要かどうかではなくて、そもそも使い物になる人間かどうか、どの程度やくにたつのかを誰かが決めることになるからだ」(p.302)

で、しかも当局は完全な平等ではなく「今よりは平等」を目指しているに過ぎない。金持ちからもっと搾り取れというだけで、それをどう分配するかということには答えない。

「旧社会主義が平等の公約とは裏腹に特定階級の権益だけを強化したことに、不満を募らせている人たちがいる。この連中を取り込むには、新しい階級社会を掲げて賛同者を集め、不満を抱えた階級にあからさまに特権を約束すればいい。要するに新種の社会主義が成功したのは、支持者への特権供与の公約を正当化できるよな理論つまりは世界観を示すことができたからだった」(p.319)

【第9章】
・自由より保証を求めるのは危険である

経済的保証には
(1)深刻な困窮から守るための限定的保証と
(2)各人にふさわしいとされる戸別所得保証=絶対的保証
がある。(1)は市場を補完し、(2)は市場を管理・破壊する。職業選択の自由とも相容れない。あるところからとって別のところに付けるだけで、付けてもらえるセクターが特権化し、それをぶんどるために自由を放棄することも厭わないと思うようになる。職業にも流行り廃りがあり、それを決めるのは誰かではなく賃金や報酬である。

【第10章】
・全体主義では構造的にクズが偉くなる

「さまざまな理由から、全体主義の最悪の要素はけっして偶然の副作用の結果ではなく、この思想から遅かれ早かれ必ず生まれるのだと断言できる。民主的な政治家であっても、ひとたび計画経済に乗り出したら、独裁的な権力を振るうか、計画自体を断念するか、どちらかしかない。動揺に、全体主義を指導する独裁者は、通常の倫理規範を無視するか、政権運営に失敗するか、どちらかを選ばざるを得なくなる」(pp.350-351)

「過去の社会改革者の多くが学んだ教訓からはっきり言えるのは、社会主義というものは、大方の社会主義者が同意しない方法でしか実現し得ない、ということである。古いタイプの社会主義政党は、民主的な理想を抱いていたために歯止めがかかっており、自分たちの使命を遂行するだけの冷酷さに欠けていた」(p.353)

単一の教義を奉じる強大な集団は、主に3つの理由から最低の人間で形成されやすい(!)
(1)教育水準が低く倫理的・知的水準が低いと、同じような意見を大多数が共有する
(2)従順で騙されやすい人は耳元でがなり立てられるとどんな価値観でも受け入れる
(3)人間は建設的なことよりも、敵に対する憎悪や地位の高い人に対する羨望といった非生産的なことで一致団結しやすい

集産主義は排他主義、国粋主義に走りやすい。複雑な世界に開くのは技術的に困難だ(限られた範囲でしか計画を立てられない)からだし、自国民と分かち合うならともかく富を他国民と分かち合おうと考えている集産主義者はいない(フェビアン協会やバーナード・ショーをみよ)。また、権力が目的化する。そして単一の計画が絶対の価値になると、個別の人々は倫理的判断をする余地がなくなり、非人道的なことでもやらざるを得なくなる。ころころ方針が変わっても変わり身早くそれについていかざるを得ない。それができる人が偉くなる。

【第11章】
・全体主義ではプロパガンダで単一の価値を個々人に内面化させる―「自由」という言葉の換骨奪胎、文化や芸術(特に抽象性の高い分野)への攻撃

「異なる知識や異なる意見をぶつけ合うこうしたやりとりがあるからこそ、思想は生命を保つ。ものの見方や考え方のちがいが存在することが、理性を育む社会的プロセスを支えている。このプロセスの結末が予見できないこと、何が思想をゆたかにし、何がそうでないかはわからないことが、大切なのだ。つまり知の進歩というものは、既存の知識でコントロールすることはできない。そんなことを試みれば、必ず進歩を妨げることになる」(p.396)

「集産主義思想は、理性を最上位に位置づけるところから始まったにもかかわらず、理性が育まれるプロセスを正しく理解していないがために、最後は理性を破壊してしまう。ここに、この思想の悲劇がある」(p.397)

【第12章】
・集産主義を主流の座に押し上げたのは社会主義陣営である

【第13章】
・カーが社会主義みたいなこと書いてる
・学者が社会を科学的に組織すべきだみたいなことを言ってる(個人の自由や歴史的偉業を排除できる独裁政権の支持者が科学者に多い)

【第14章】

「かつて人間は、人格を持たない力、陣地を越えた力に挫折感を味わいながらも従っていたものだが、いまやそうした力を憎み、抵抗するようになった。この抵抗は、より幅広い傾向の一部に過ぎない。それは、合理的に理解できないことには従わないという傾向である」(p.465)

しかし、環境が複雑化するにつれて、自分には理解できない要因で欲望や計画が阻まれる事態がしばしば起きるようになる。複雑な文明の中ではこういうものに適応していかなければならないが、分かりやすく攻撃しやすい単一要因に責めを帰すことをしたり、頭の良い人の決定に従う独裁体制に陥りがちだ。そうでない方向性とは市場の力に従うことである。

「物質的制約の下で選択を迫られたときに自分の行動を自分で決める自由。自分の良心に従って自分の責任で人生を決める責任。この二つがそろった環境でのみ倫理観ははぐくまれ、自由な意思決定の積み重ねによって日々試され、鍛えられていく。地位の上の人ではなく自分の良心に対する責任、強制によらない義務感、自分が大切にする価値のうちどれを犠牲にするかを自分で決め、その結果を受け入れる覚悟こそ、倫理の名に値するものの本質だと言える」(p.476)

【第15章】

戦後の国際秩序について、こう述べて「国際的な計画経済」を戒める。

「国家レベルの計画経済はさまざまな問題を引き起こすが、それを国際的にやろうとすれば、問題が一段と大きくなることは必定である」(p.494)

つまり、さまざまな民族が住む広大な地域を管理・計画しようとすれば、一国内でやるより全然ことは複雑になるし、しかもある国には鉄鋼業を割り当て、他の国に諦めさせる、そのために国民を貧しいままに留め置くことに納得など得られるだろうか、と問いかけるのだ。しかも国際的な計画経済の提唱者は自分が計画者になるつもりで言ってるだろうけど、そうじゃないだろう、しかもどんないい人がその仕事に就いたとしても、抵抗にあえばどうせ強権を発動させるはずだ。

それに対してハイエクが期待をかけるのが、中央集権や他国の主権侵害を防げる「連邦制」である。

「…連邦制は、国際法の理念を実現できる唯一の方法だと信じる。なるほど過去には国際行動のルールを国際法と呼んでいたが、これはひたすら願望を込めた呼び名に過ぎなかった。殺し合いをやめさせたいなら、殺し合いはやめましょうと言うだけでは不十分で、それを抑止する権力が必要である。これと同じで、強制力のない国際法に効果はない。国際機関の設立が進まないのは、近代国家が持つ事実上無制限の権力をすべてその機関に握られることを恐れるからだが、連邦制の下では権限分散が行われるので、そうはならない」(p.510)

ただし連邦制の実現の困難さについても自覚している。国際連盟の失敗についても言及している。連邦が世界大に拡大することで戦争を防ぐことは理想だが、それを一気に実現できると期待してはいない。

「世界規模に拡大しようとして失敗したことが、結局は国際連盟を弱体化させた。国際連盟がもっと小さくてもっと力を持っていたら、平和維持にもっと貢献できただろう。[…]たとえばイギリスと西欧諸国、そしてたぶんアメリカとの間には協力関係が成り立つにしても、全世界で、というのはまず不可能だ。「世界連邦」のように比較的緊密な国家連合を、たとえば西欧より広い地域で初めから発足させるのは現実的では内。限られた狭い地域から徐々に拡大していくことは、あるいは可能かもしれないが」(p.515)

2020年04月11日

桜納め

桜はそろそろ終わり。一日巣ごもりもなんなので、毛馬桜ノ宮公園を歩いてきました。
200411suzume2.JPG
雀がいっぱいいました。
今年って冬がそんなに寒くなかった代わりに春が暖かくなくない?

昼飯は家の近くでカレー。
大将はきつそうでした。でも緊急事態宣言が出て見通しがついたとも。
飲食関係はなべてきついでしょう。そしてバーの皆さんは多分もっと。

途中から長電話して帰りました。

でもなんか、こういう時間を無駄に使ってる感じも悪くない。
本読めるなー、と思いながら読まないし。
お腹が空くまでご飯食べないし。
40分くらい風呂に入って、ほろ酔い飲んでるし。
10年前だったらちょっと罪悪感があったと思うんだけど。
ポテチ買ってこよ。

* * *

■鶴岡真弓編『芸術人類学講義』筑摩書房、2020年

2020年03月20日

詩学

大阪での通勤は徒歩15分ほどで、深夜帰宅も楽々なのが有り難いのですが、その代わり地下鉄通勤で本を読んでいた東京時代に比べてめっきり読書がはかどらなくなってしまいました。この本も1月から読んでいてやっと終わった。これはちょっと考えものです。何とかしないと。

■アリストテレス(三浦洋訳)『詩学』光文社、2019年。

BSラジオでタダで聞かせてもらっている放送大学の『美学・芸術学研究』(青山昌文教授)と、エーコの『薔薇の名前』で立て続けに出てきて何何それそれ、で読んだ。

悲劇のストーリーの作り方を通じて、クリエイティブっつうのはこういう理知的な営為ぜよ、っていうことをがちがちの理詰めで語る。で、その重厚な構築物を一通り味わってから2400年後のむちゃくちゃ豪華で懇切丁寧な訳者解説を読めるの、もうほんと同じ時代に出てくれてありがとうと思う。まあ弊管理人の大学時代には20年ほど間に合わなかったのだけど、1000年単位で見れば誤差ですやね。

悲劇とは、真面目な行為の、それも一定の大きさを持ちながら完結した行為の模倣であり、作品の部分ごとに別々の種類の快く響く言葉を用いて、叙述して伝えるのではなく演じる仕方により、[ストーリーが観劇者に生じさせる]憐れみと怖れを通じ、そうした諸感情からのカタルシス(浄化)をなし遂げるものである。(p.50)

この定義に立って、よい悲劇とは何か(何を達成するものか)、どうやって作ればよいのかを考えていきます。

「『憐れみ』とは不幸になるのにふさわしくないのに不幸になった人物に対して起こるものであるし、『怖れ』とは、私たちと似たような人物が不幸になった場合に[同じ不幸が自分を襲うかもしれないと感じて]起こるものだからである」(p.92)というくだりにあるように、観劇は自分と演じられている役の比較を要請される知的な営みなのだと訳者は説明します。まさにこういう態度が後年、恍惚的=デュオニソス的なものを称揚したニーチェから、理知的=アポロン的と非難されたポイントでもあると。

そして、物事の本質の理解に基づき、どういったものが成功した悲劇で、どういったものが失敗しているのかを考える。これは明らかに「イデアの劣化コピーである現実、の、劣化コピーであって、しかも低俗な快感を与えようとする劇なんてやめちまえ」とするプラトンの「詩人追放論」への反論だといいます。
そこでこの本ではあまり取り上げられていませんが、青山氏の講義で「模倣=ミーメーシスとは、本質の強化的な提示である」という解説を先に聞いていると、いや詩作も含めた芸術全般を特徴づける「模倣」は、劣化コピーどころか、本質に迫る活動そのものなんだという反論にすっと入っていけると思います。

テクニックについての解説も面白いです。Aを目指していたのに非Aが起きてしまう「逆転」、ある瞬間に重要なことがはっと気付かれる「再認」、凄惨さが憐れみや怖れを呼び起こす「受難」など、成功のための仕掛けを導入し、さらにそれぞれが効果を発揮するための条件、凡庸なものに終わってしまうパターンを紹介していきます。
キャラ(性格)設定にあたっても「優れている」「(性別などの)属性にふさわしい」「その人らしい」「一貫している」といった条件を示します。
ストーリーについても、こちらは経験則ですが「矛盾がない」「普遍性がある」「こんがらがっていた事態が解決する」「伝承をうまく使う」「合唱をはめこむ」といったチェック項目を挙げています。

解説では、『薔薇の名前』の鍵となった「幻の『詩学』第2巻」が本当にあったのかどうかについても考察し、さらに近現代にこの作品がどう受容されてきたのかも紹介してくれています。本当は一冊、解説本を買って腹に落とすところ、こんなにしてもらっていいのかしらと。またいつか立ち返ってざっと読みたいと思います。

2020年01月11日

シオラン

■大谷崇『生まれてきたことが苦しいあなたに』星海社、2019年。

ルーマニアで生まれフランスで活動したペシミスト、シオランを紹介した本。タイトルが本意でないと著者が託ちているの、よくわかります。特に「あなた」を救うというような積極的な目的で書いてないんじゃないか。あと、買う側としても買いにくい、これは。買ったけど。

働く、人と付き合う、役割を引き受ける、生きている。すべてがダルく、面倒で、嫌で、倦んでいる。そういうネガティブな態度はしかし、かえって、支配/非支配の関係、周到な計画と準備を要する悪事の実行、あるいは蹴落とし苛み見得を張る社会関係といったものから自由でいることを可能にするようにも思われる。

自殺してしまいたい、と思うこともあるだろう。しかし逆に、「自殺しようと思えばしてしまえる」というカードを手にした、つまり自分の人生を自分の手中に取り戻したと思えれば、それを糧に生き続けることができるかもしれない。「あとは余生だ」と割り切って何でもできるようになるかもしれない。そもそも生まれないのが一番ではあるが(=反出生主義)、生まれてしまった以上、死は主権回復の道であり、苦しみからの解放である。死によって失うものを持たず、苦しみ、挫折ばかりだった「敗者」にとってはなおさらだ。

独断と視野狭窄と贔屓に陥らず、他者のあり方を認め、自分も自由でいる。それはぐったりし、無関心でいることによって可能になる。極限まで突き詰めれば、世の中や人生に対する嫌悪さえも消えて、「ただの無」に至るだろう。生まれずに無にとどまることができなかった、汚穢の中に生まれてしまった以上は、それが次善の策なのだ。

といいつつシオラン本人は自殺もせず、たくさんの本を売り、パートナーに寄生した上に不倫もして結構長生きした(まあ学者が自分の思想を体現するべきかというとそうでもないのだろうが)。おそらく似た性質をもつ誰もが、敗北や病気よって自分の存在にリアリティを感じ、人生を敵視するエネルギーによってかえって生き生きしてしまう。ペシミズムは運用してみると失敗する可能性がかなり高い思想のようだ。というか、ペシミストってハイスペだったり余裕があったりしないとやれないんじゃないかな。

もう21年前、留学中に受講した20th Century French Philosophyという授業で出てきたソシュール、フーコー、デリダなどいろんな人の中で、テイヤール・ド・シャルダンとシオランだけ「誰それ」って思ったんですよね。そのあと忘れていましたが、こんなだった。んで著者も大概。しかしたぶん、一緒にお茶しに行ったら午後いっぱい喋って過ごせる人のような気はする。

2020年01月01日

新年

年が明けて厄を抜けました。
大晦日は何年か(それこそ10年とかでは?)ぶりで東京にいたので、馴染みの飲み屋さんに行って年越しをしました。さっと行ってぱっと帰ろうと思っていたら、一見のインバウンドさんが振る舞い酒を始めて弊管理人も被弾し、結構酔って久しぶりにペラペラ喋るモードに入ってしまい、就寝が3時過ぎに。楽しかったので後悔はしてません。

一年の刑は元旦にありってことで元日から仕事。開いてるお店が少なかろうと、弁当を作って出勤しました。そして裂けるチーズ(スモーク)を肴にほろ酔いを飲んでしまいました。

* * *

■藤井啓祐『驚異の量子コンピュータ』岩波書店、2019年。

知識の乏しい人が「最近話題のアレってなんなん」というくらいの動機で読んでいい本ではなかった。いわばキーワード集だが、そうだとしても説明が足りないし、初出の部分でどう説明されていたかな、と戻って確認したくても索引がなくて不便。「当時」が多用されるものの、何年のことなのか分からない部分が多い。ただし情報は新しくてよい。

・最初のアイディア:ファインマン(量子系のシミュレーションには量子力学で動くコンピュータが必要)、ドイッチュ(量子版チューリングマシンの定式化)(p.39)
・確率振幅:重ね合わせの度合いを示す。確率より根本的な量(?)で、測定すると確率としての意味を持つようになる(p.46)
・エンタングルメント(EPR状態):局所性(ある所で起きたことが遠く離れた所の現象に影響を及ぼさない)と実在性(結果があらかじめ確定している)が成立しない
→これはアインシュタインが受け入れなかった。EPRのパラドクス(p.58)
→ベルの不等式:一見ランダムな測定結果があらかじめ未知の変数によって与えられていると仮定すると満たされる不等式。量子力学はこの不等式を満たさない
→これを実験的に検証したのがアスペ(1982)。ベルの不等式から派生したCHSH不等式が破れていることを実証した。ただし隠れた変数を完全に排除できてはいなかった
→最近(いつだよ)より精密な測定でベルの不等式・CHSH不等式の破れが検証されている
・量子テレポーテーション:もつれた双子粒子を分有して、片方に転送したい粒子をぶつける→もう片方に測定結果を伝える→量子状態が遠くに転送できる。測定するまで神様にも結果が分からない=盗聴不能な量子暗号
・量子ビット(pp.63-72)
 ・核スピン:IBMがやった最初の原理実証試験
 ・超電導:中村+蔡(1999)。磁束量子、トランズモン。グーグル、IBM、リゲッティなど
 ・イオントラップ:IonQ(米、モンローら)
 ・半導体:量子ドット
 ・光:カナダのXanadu
・可能性を打ち消したり、強めたりする操作で正答の可能性を高める
・アダマール、CNOT、位相回転演算を組み合わせることでどんな計算もできる
→ゲート型、あるいは回路型QC(p.85)
・ショアのアルゴリズム:素因数分解がQCで簡単に解けることを示す+チューリングマシンを超えるコンピュータが可能であることを示す(拡張チャーチ=チューリングのテーゼに対する反証)(p.90)
・デジタルコンピュータのエラー訂正
 ・ノイマンによる古典コンピュータの誤り耐性理論(1954)
  →現在のNAND多重化
 ・デジタルコンピュータでは閾値以下のノイズを0/1の離散的な値にまとめてしまえる
 ・デジタルだと1を111のように3ビットのコピーを使って表現し、ロバストにできる
 ・しかし量子ビットはコピーできない
・アナログビットの解決案
 ・ショア(1995):環境(ノイズの原因)より強いもつれをqbit同士で作ってしまう
 →エラーが起きるともつれが解消する
 →これを検出して元の情報を復元する(pp.101-102)
 ・閾値定理:ノイズが一定以下なら計算結果の精度はいくらでも上がる
 ・ラウッセンドルフ:誤り耐性一方向QC(pp.108-111)
・IBM Q(2016):5qbit
・NP問題:検算が簡単、P問題:正答を効率的に発見。P≠NPかは未解決問題(p.136)
・NISQ:数十~数百qbit。誤り訂正はない→計算ステップ数が限られる
 ・エネルギー計算やパラメータ更新などは古典が受け持つハイブリッドアルゴリズムで
 ・AI。藤井らの量子機械学習アルゴリズム(2018)
 *p.146の図28にまとめ
・汎用QCの用途
 ・原子レベルで設計した物質の物性を調べる。高温~常温超電導物質の探索など
 ・太陽電池、LED、人工光合成など量子効果が重要な材料
 ・触媒、創薬=原子、電子が集まった物質の性質や化学反応を知る。高精度シミュ
 ・仮想通貨、セキュリティ、量子重力理論の実験

2019年12月28日

カキとまとめ

「かつれつ四谷たけだ」
10-4月のカキバター定食。11:30に並んで一歩遅れたか、と思ったものの1時間で入れました。
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んも~~~めっちゃうまい。うまみが~~~
カニコロ追加、ご飯を大盛りにしてちょいがけカレー。こちらもああああああ
年末をカキで締めると幸せ度高いです。

* * *

いやまあこれから仕事なんですけど、とりあえず。

1月 友達3人での伊豆旅行よかった。しかしカメラにそばつゆぶっかけたの痛恨
2月 会津ほんとによかった。ご飯もお酒もおいしかった
3月 職場で怪メールが回ってわろた
4月 今年も京都・原谷苑のお花見に参加できた
5月 宮古島、大変休まった
6月 ちょっといい仲になった人と南房旅行(その後ブロックされた)
7月 喉いためた。なんか今年よく喉やった気がする
8月 函館行ったり日光の川で遊んだりした
9月 暗黒
10月 暗黒
11月 暗黒と転勤決定
12月 暗黒から抜けて宮崎旅行で喉が回復して肌の調子が良くなった

暗黒が長かったですが、それでも職場のサポートは厚く(手間が増えるだけの容喙もあったが)、アウトプットには特に文句もつかなかったようで、最後はふわりと着地できた感。
初夏にシベリアに行きたかったのにタイミングを失して行けなかったのが残念でした。
「これ読んでよかった」と印象に残る本があまりなかったのもちょっと。

SNSはほぼ見るだけにし、ミュートを駆使していらいらしてる人がなるべく視界に入らないようにしたのはよかった。
依然いらいらしてる人たちに関しては「ようやるね」と思いますが、それ以上踏み込んでも損した気分になるだけなので踏み込まない。そうしてるうちに気にもならなくなります。
リアルでも「この人やばい」という人とはなるべく距離を取り、味方してくれる人と仲良くするに限ります。やばい人は滑稽でもあるので思わず何か言ってしまいそうになるけれど、まあ結果いいことはないわな。万一冒険に出る時は、出るつもりで出ること。
まとめると基本、努めてご機嫌でいるのが健康の秘訣だと思いました。

あの人が定年、あの人は管理職になれるかどうかの瀬戸際の年齢、などと聞いては驚いていましたが、全然ヤングだと思っていた自分が40代も3年目になってるくらいなので、上はそりゃあもっと先がないわけだ。しかしおじさんだということは理解しつつ、ヤング気分が抜けないままもうしばらく行きそうな気配です。

* * *

弊管理人が2月に転勤になるという偉い人会議の報告を意外と多くの人が見たらしく(当人が見てないのに、というか人事ってそんな気になる?)、「壮行会を」的なお誘いをたくさんいただきました。
これまでは「別に会社かわるわけでもなし」くらいの感覚でいたのですが、「行く前に一杯」が重なるにつれて「えっこれってお別れなの?そうなの?」と思われてきました。できるだけお断りしていこうと思います。

* * *

■ジョージ・オーウェル(山形浩生訳)『動物農場』早川書房、2017年。

■石田英敬、東浩紀『新記号論』ゲンロン、2019年。

2019年12月05日

現代美術史

咳とガラガラ声が遷延してます。久しぶりに咳で目が覚めた日があって、咳止めを飲んで寝るようになりました。
これは早めに抗生物質をキメるのがいいパターンだったかもしれない。

* * *

著者若いな-(1986年生まれ)。
若干羅列的な印象ですが、大量のキーワードを位置づけるにはよいと思う。

■山本浩貴『現代美術史』中央公論新社、2019年。

【はじめに】
・1960s コンセプチュアル・アート:作品の物質性(色、形、素材など)<思想性
・メディウムの多様化:
  1970s~のインスタレーション=配置した空間そのものが作品
  プロジェクション・マッピング
・プロセス:
  2000s~ アート・プロジェクト
・反ギャラリー/美術館
  1950s 美術館は芸術作品の「墓場」(アドルノ)
  1960s コマーシャリズムの横行←→前衛(フルクサスなど)
  2000s ソーシャリー・エンゲージド・アート(SEA):公共空間での芸術実践

【前史】
・アーツ・アンド・クラフツ
 ラスキン&モリス@イギリス、19C後半
 工業化、資本主義への対抗としての伝統的な手仕事の復興、協働
・民芸
 柳宗悦、1920s~。アーツ・アンド・クラフツの影響
 ただしモリス商会のステンドグラスのような「美術的工芸」には批判的
 自然中心的「民衆的工芸」を対置する
 朝鮮の陶器や焼き物、台湾の竹細工や織物に関心、植民地主義への反発も
 ただし、朝鮮や沖縄の周縁化=オリエンタリズムも
・ダダ
 ツァラら@1910s~、ヨーロッパ
 破壊と否定、強烈さ、無意味、反科学的理性・反進歩史観
 「偶然性」の取り入れ
 →後継はシュルレアリスム(フロイトの影響)、レトリスム(言語の解体)
・マヴォ
 「戦前日本のダダ」、村山知義ら
 関東大震災後のバラックに装飾を施す「バラック・プロジェクト」、近代化批判

【欧米】
1960s~
・芸術の自立性・モダニズムへの反発
 フルクサス(マチューナス、1962)「何でもアート、誰でもアート」
 日常と芸術の壁を取り払う。オノ・ヨーコ、武満徹、一柳慧らも
 (←→天賦の才を持った芸術家による芸術という営為)
・ランド・アート
 グリーンバーグ:○アヴァンギャルドvs×キッチュ、フォーマリズム←→内容重視
 フリードのミニマリズム批判(鑑賞者による介入を求める不完全芸術として)
 ←これらは芸術の自立性を信奉していた
 ←→スミッソンの屋外彫刻など、場所を利用したサイト・スペシフィック・アート
・コンセプチュアル・アート
 美術制度批判、脱美術館(エリート主義、ブルジョワ文化批判)
・芸術労働者連合=芸術生産に対する正統な対価、両性の平等な表象
・パブリック・アート
 公共空間への芸術作品設置
 パブリック・プロジェクションなど
・ハプニング
 パフォーマンス、ゲリラ的展示など
 ←ポロック(アクション・ペイント)やケージ(イヴェント)の影響
・シチュアショニスト・インターナショナル
 芸術と政治の架橋
 「状況の構築」=反体制闘争を可能にする空間を都市に作り出す
 ドゥボール『スペクタクルの社会』(1967)の資本主義批判→五月革命へ
 「漂流」と「転用」

1990s~
・特定の名前を持った潮流が見つけにくくなる(メディウム、アプローチの多様化)
・リレーショナル・アート
 ブリオー『関係性の美学』
 鑑賞者の介入を求める作品。作品は見られるだけでなく社会性を創出する
・ソーシャリー・エンゲージド・アート(SEA)
 作品を通じた社会問題へのアプローチ
 ビショップ←シャンタル・ムフの闘技的多元主義
 参加型アート
・コミュニティ・アート
 集合的創造、特権的な芸術家=個人的創造性への懐疑
 アート・アクティビズム

【日本】
1960-80s
・前史:アンフォルメル絵画、読売アンデパンダン展、批評誌の創刊
・九州派
 地方発の前衛。俣野衛
・大阪の「具体美術協会」
 吉原治良
 芸術の脱神秘化、日常のモノへの回帰
 オリジナルとグローバル化
・名古屋発の「万博破壊共闘派」
 テクノロジー、近代的管理への批判
・ハイレッド・センター
 計画的反芸術
 赤瀬川原平→ネオダダ
 共同性志向
・もの派
 自然素材、日常素材の使用、ミニマルな加工で展示する
・美術家共闘会議
 美術権力(国立美術館など)、表現の中央集権(日展など)の粉砕
・ダムタイプ
 京都、領域横断的

1990s~
・「潮流」からアーティストの緩やかな集合体へ←ポストモダニズム
・シミュレーショニズム
 ボードリヤールの影響
 村上隆
 再現芸術
・アート・プロジェクト
 アート・フェスティバル
・3.11以降

【トランスナショナル】
・ブリティッシュ・ブラック・アート
・移民、女性、右傾化、黒人、帝国主義、在日コリアン、韓国、沖縄、台湾
・未来派とファシズム、ポール・ヴィリリオ『速度と政治』
・リーフェンシュタールとナチズム、ソンタグの批判
・戦争画

2019年11月25日

ナショナルと生活

■アントニー・スミス(庄司信訳)『ナショナリズムとは何か』筑摩書房、2018年。

原書は2010年刊の入門書。去年1回読んだんですけど、本棚の「これから読む段」にまた入れてあった。去年の日記にはタイトルしか書いてなかったので、何かがあってメモを付けてなかったのでしょう。
だいたい次を頭に入れると3回目はびゅんびゅん読める気がする。

▽ナショナリズム
・「自分たちは現実の、あるいは潜在的な「ネイション」を構成していると思っている成員が存在する集団において、その自治と統一とアイデンティティを確立し維持することをめざすイデオロギー的運動」(p.28)
・その中核的教義:世界はさまざまなネイションに分割され、それぞれが独自の性格、歴史、運命を持っている/ネイションは政治権力の唯一の源泉である/ネイションへの忠誠はそれ以外への忠誠に優越する/自由であるためには誰もがネイションに属さなければならない/あらゆるネイションは十全な自己表現と自治を必要とする/平和と正義のためには自治権を持つネイションからなる世界が必要(p.57)
※世俗的文化なだけでなく、政治的宗教(宗教についてはデュルケムの定義:「神聖なもの、つまり別格扱いされ馴れ馴れしく扱ってはならないものに関する諸々の信念と実践の統一された体系であり、そうした信念と実践は、それらを信奉する者たち全員を、教団と呼ばれる単一の精神的共同体に結束させる」)に近い(pp.82-83) cf.戦没者追悼
・近代主義/永続主義/原始主義/エスノ象徴主義(←スミスはこれ。「近代のネイションの起源を、近代以前の集団の文化的アイデンティティという背景のなかに位置づけることが必要」(p.182))/ポストモダン(各主義はp.130の表にまとめあり)

▽ネイション
・「わが郷土と認知されたところに住み、誰もが知っている神話と共有された歴史、独自の公共文化、すべての成員に妥当する慣習法と風習を持つ、特定の名前で呼ばれる人々の共同体」(p.36)
※「国家(=制度化された活動)」でも「エスニック共同体(=政治的合意、公共文化、領土が不可欠ではない)」でもない。エスニック共同体とは結構かぶるけど(pp.33-34)
※「郷土」はルーツであり、政治的に請求されるものであり、祖先から受け継いだ土地であり、歴史を負った土地である。「風景」が重要な要素で、成員の自己理解に絶大な影響を与えている(pp.75-77)

▽エトニー(=エスニック共同体)
・「郷土とつながっていて、祖先についての誰もが知っている神話、共有された記憶、若干の共有文化、そして少なくともエリートたちの間では一定の連帯感を有する、特定の名前で呼ばれる人々の共同体」(p.36)
※「エトニーはより一般的、ネイションはより特殊な概念」(p.38)

▽ネイション国家/ナショナル国家
・「ナショナリズムの諸原則によって正統化される国家であり、その成員は一定のナショナルな統一と統合を保持している(が、文化的均質性まで保持しているわけではない)」(p.43)

▽ナショナル・アイデンティティ
・「ナショナルな共同体の成員による、ネイション独自の伝統を構成する象徴、価値観、神話、記憶、しきたりなどに表された模範の継続的な再生産と再解釈であり、そのような伝統とその文化的諸要素による個々の成員の可変的な自己確認である」(pp.48-49)

* * *

ちょっと聞きたい講演があって、20年ぶりくらいに出身大学の学園祭に行きました。
というか、在学中からほとんどまともに見たことなかったんですが、結構ちゃんとしていました。少なくとも先週見たサイエンスアゴラよりいけてた。
人の気質は随分変わったのではないかと推測しますが、それでも学園祭という体裁は継続するんだなというのが感想の一つ。あと、生真面目に展示を作っているのも恐らく当世気質なのではないかというのがもう一つ。

講演は23年前の1年生のときに受けた初めてのゼミ形式の授業の担当だった政治思想史の森政稔さん。当時は助教授になってちょっと経ったくらいの37歳だったのに、今60歳の老教授(いや当時比でほとんど老けてないんだけど)。「ここで28年教えていますが、学園祭で呼ばれたのは初めて」と。っていうかこの23年前だの60歳だのという数字にいちいちびびる。
民主主義に関する1時間の講演と1時間の討論だったんですけど、昔こんなに時事問題に言及するスタイルだったっけ?というくらい印象が違いました。

・ポピュリズム(感情を媒介にした動員、反エリート主義、代表されなかった層の代表)の評価は、実は政治学者の間では否定的なばかりではなく、水島治郎もポジティブな側面を取り上げているが、それだと1930年代のナチを否定できなくなりかねない。ミュラーの『ポピュリズムとは何か』では定義の中に「排除的性格」を含めた上で危険視していて、自分はそちらの立場に近い

・師匠の佐々木毅は2大政党制推しだったが、現実は必須要件である「強い内閣」と「政権交代可能性」のうち後者がすっぽ抜けてこの通り。政治学者の中には2009年の民主党政権を応援した人が多かったが、今はそこに触れたくないのか総括はあまりされていない

・(若者の政治参加意識が低いのは「現状変革の可能性が信じられない」「シルバー民主主義への絶望感がある」のが理由ではという質問に対して)若年層のほうが自民党支持率が高いので、若年層が選挙に行ったほうが自民党は盤石になるのでは。あとシルバー民主主義という言葉はよくないと思っていて、年寄りの中にも若年層の中にも格差があり、むしろ格差の問題が見えなくなる危険がある

・選挙制度面での手当てとしては比例代表分を増やすのがいいのではと思っている。あと院生で「くじ引きで決める議席を入れる」という古代ギリシアみたいな制度の提案をしている人がいて、最初は何を言ってるんだと思ったが、聞いてみるとよく理論的に検討されていた。選挙民の意思やその地域の利害から切り離されることにはメリットもデメリットもあると思うが

・天皇制は民主主義と相容れないかというとイギリスなど見ればそうでもなく、日本もむしろ廃止のほうのデメリットが大きいのではないか(何かあったときに廃止派が敵認定され「こいつらのせいで」といった攻撃が起きるようなことを想定したらしい)

・アメリカでは「表現の自由」に経済的自由など他の自由と比べて極めて強い立場を与えていたが、近年ヘイトの問題などで本当にそれでいいのかと問う議論もある

・日本国憲法には主権在民を掲げつつ、一方で三権分立の中の「司法」は司法試験を通ったけど国民から選ばれたわけではない法曹が違憲立法審査権を行使する。民主主義を制限するメカニズムが織り込んである

というあたりが印象に残りました。ペンを忘れていってしまったので系統的にメモがとれず、しかも上記思い出しメモには結構解釈が入ってるはずなのでそれなりのものということで。
それにしても討論では玉石交ざったいろんな質問がフロアから飛んだのですが、全部に「面白い回答」をしていて、ううむすごい、こういうところで一度オーバーホールしたいなあと感心したのでした。

* * *

2010年代前半にわりとよく遊び、そのころお父さんの介護のために郷里に帰った友人(男、独身、40代後半)から突然連絡があり、用務で東京に来ているのでご飯を食べようという。

つい先だっての10月にお父さんが亡くなったそう。認知症で大変だという話をさんざん聞いていたので「肩の荷が下りたでしょう」くらいのテンションで話してしまったが、それでもやはり親が死ぬというのは結構ダメージが来るものだそうです。まあそうだな。

経鼻栄養補給か胃瘻造設か、それとも点滴だけで3ヶ月以内の死を待つかという選択肢を示された時、「でもやはり経鼻栄養……」と言うと、医療者から「あなたにとってそこまで大切な人ですか?」と問いかけられた。それは、経鼻栄養補給でも続けるとここからまた長期にわたって生き続けることになるが、その覚悟はあるか?という意思確認だったと受け止めたらしい。お父さんの死後に「財産をよこせ」という伯母が登場したこともあって、まだいろいろ整理がついていないようです。

しかしそれも落ち着いた後は、一人っ子かつお母さんはもう亡くなっているので、いよいよ天涯孤独の余生。どうするのかな。

* * *

まだ本決まりではないんだけどほぼ本決まりな感じで、久しぶりにまた身辺ばたばたしそうです。
今年後半はフェーズがいろいろ変わり始めた気がした。前厄、本厄と大したことがなかっただけに、「おおお最後になってなんか来たな」と身構えています。

2019年11月14日

主に食べたもの

弱る気力がなくなり、かえって精神を動員しないまま作業ができる気がしつつ更新。
この間いろいろ食べました。

新宿「赤坂うまや」でランチ。「市川猿之助の楽屋めし」だそうです。
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体を動かす人の好物を集めただけあって結構がっつり。
エビフライの身が大きくて豊かな気持ちになりました。
卵が無料でTKGにできるのもよい。

散歩がてら松戸「インディー28」でキーマ。
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流山電鉄はまだ硬券でした。切符を買ったら「乗ります?」と聞かれた。
とっとくために買う人もいる模様。

南阿佐ヶ谷「チキュウ」で醤油ラーメン。
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このあと吉祥寺まで散歩しました。

半分仕事のような京都行がありまして、
国際会館横の「グリルじゅんさい」でハンバーグとフライセット。
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そのあとセレモニー的なもので国際会館に行きました。
準礼装以上という指定がある鼻持ちならない式。皇族まで来て入退場の際に起立させられた。
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晩餐会。コリャコリャは大きなホールには向いてない気がする。
10回以上来ている人によると「出し物は毎回一緒」。
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人類に貢献したい、みたいな志から発してる行事のようですが、あの、招待してもらっておいてあれですが、もっと別にお金を使うところがあるのではと思いました。
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会社の偉い人が近くの席にいたので会釈だけして、あとはそちらをあまり見ないでよいように、たまたま隣になった初めましての実業家のおじさんとずっと喋っていました。
引けて、春に開店した友人の日本酒バーSAKE BUMPY!にご挨拶のため四条河原町へ。
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「わりと華やかな味が好き」とうっかり言ったところ、出していただいた埼玉の「花陽浴(はなあび)」というお酒が変態的に華やかで脱帽しました。

* * *

友人2人と「お風呂の王様 多摩百草店」に行って2時間半ばかりぐだぐだしてから、八王子の「焼肉きんぐ」で食べほをやらかしました。サーブが速いし味もなかなか。牛丼チェーン店長経験者の友人が「ここはこれからも暫く伸びる」とべた褒めしてました。

タイムズカーシェアの料金体系に変更があって18時~24時のパックが翌日朝9時までになったため、風呂でぐだぐだできる時間が伸びました。

* * *

半年前に賞味期限が切れた紙パックのトマトジュースと、ハムとベーコンとザワークラウトをバターロールに挟んで食べたところ派手にお腹を下しました。
回復してきた次の日の夜、検証実験として賞味期限が切れてないトマトジュースと、同じ構成のサンドイッチを食べたらお腹を下しませんでした。
サンドイッチでも食べ合わせでもなく、トマトジュースの単独犯と断定。しかしそんなに悪くなるかね?

* * *

■de Lazari-Radek, Katarzyna, and Singer, Peter, Utilitarianism: A Very Short Introduction, Oxford University Press, 2017.

■吉野彰『電池が起こすエネルギー革命』NHK出版、2017年。

* * *

ヒュームが「奇蹟とは自然法則の侵犯だ」と定義づけて、奇蹟を信じることはできないのだとしたのと関係があるのかないのかよくわからないが、「自然法則に照らして、あっても不思議ではないことが、不思議と思われるタイミングで起きる」のに対して、人は奇蹟を見てしまうことはあるかもな、と思った。

2019年10月22日

交雑する

■デイヴィッド・ライク(日向やよい訳)『交雑する人類』NHK出版、2018年。

国立遺伝学研究所の講演会を覗きに行ったらこれが紹介されていまして。
David ReichのWho We Are and How We Got Hereの訳書で、英米で原書が出版されたその年のうちに出すという偉業。

数十万年前にまで及ぶ古い人骨からDNAを抽出して塩基配列を決定することが2010年ごろからできるようになっていて、それが形態や遺物などに頼っていた従来の人類進化、移動、交雑の歴史に関する研究を変えているのだそうです。著者は、現役のハーバード大遺伝学教授。「古代DNA革命」は、放射性元素を使った年代測定法の開発以来の、第2の革命だという。

本書にはもちろん含まれていませんが、今年は別のチームから、メチル化が起きているシトシンと起きてないシトシンを見分ける方法を見つけてエピゲノム解析にまで踏み込み、まだシベリアとチベットで骨の断片しか発見されていないデニソワ人の骨格の特徴を推定したとの研究まで発表されています。いやもうまじで?という世界。

古代DNAの解析(と、考古学、言語学などとの協働)で分かってきたことはタイトルの通りで、人類の諸集団は一つの太い幹から枝分かれした結果なのではなく、いろんな集団があちこちで出会っては交雑しまくってできてきたということ。今ある地域にいる集団はずっと昔にそこにいた人たちと同じ遺伝的特徴を持った子孫ではないということ。消えてしまった祖先たち「ゴースト集団」がいたこと。人間集団の移動はいろんな方向に(時にはUターンも)起き、時には同じコースで何度も起きて先発の集団を塗り替えたりしていること。

今後の課題は、ヨーロッパに比べて解析が進んでいないアジアや、出アフリカ以降の時代のアフリカなどの解析を進めることが一つ。また、これまで対象にしてきた時代よりも新しい「ここ数千年」の移動・交雑史を、これまでと違った手法で明らかにすることがもう一つ。

にしても、日本であまりそういう研究がガンガンやられているという話は聞かないなと思ったら、やはり遅れている地域の一つなのだと書かれている。

あとは、アメリカ先住民の歴史的な被害感情と、米大陸に残された骨を使った研究のやりにくさの関係についての記述が印象に残りました。「先住民とつながりのある骨を収集、貯蔵、研究する」ということへの反発があるのは彼の地だけではないですよね。

そして、こうした研究はイデオロギーと無縁でいられないという指摘も重かったです。
20世紀ドイツでみられた民族の起源とその優越性に関する議論は、実はDNA解析が明らかにした移動史で打ち砕いてしまうことができる。一方、インドへの民族集団流入に関する研究は、いまだにインド人の研究者にとっては非常にセンシティブらしい。

また、従前「集団内の多様性は集団間の多様性より大きいので人種概念は無意味」という主張が”正しい”とされてきたところ、実は複数の遺伝的特徴を組み合わせてみると、ある程度どの集団か予測できてしまうという。そのことに目をつぶっていることは早晩できなくなるし、といってそれを優劣の議論に利用するのも誤りである、その隘路をどうやって進むか。

著者の立場上仕方ないのですが、特に先住民が古人骨をコントロールすることについては「科学の進歩を感情で止めちゃだめだよね」という結論に傾きがちな印象を受けました。そしてまあこれも仕方ないのですが、ゲノミクスとにかくすげえから、という雰囲気。しかし倫理的にも技術的にも落とし穴はやはりいっぱいあるような気がする。

* * *

日常が実にゆっくりと戻ってきています。

まずコーヒーが飲めるようになり、眠りが10時間から7時間弱へと短くなり、体を動かす気力が戻ってきて、ラジオで聞こえてくる話が頭に入ってき始め、着る服を選び、髪の毛を刈り、家でご飯を炊きました。日差しがまぶしくなくなりました。金木犀が香っています。多分もう少しすると、仕事とは関係ない友人と「おしゃべり」ができるようになるでしょう。まだピアノに触ってないが、これは椅子の上に布団が置いてあるから。

仕事に関して全くストレスがない人だと思っていた、と何人かに言われたのですが、全然そんなことはありません。特に、忙しさよりも、裁量を感じられない時にストレスを感じるタイプのようです。

回復途上、たまたま北海道から東京を訪れていて数年ぶりに会った友人に「老けた」を連発されました。まあそれも分かる。実は本人にあまり自覚はないけど。

* * *

・この1週間でようやくエアコンを使わなくなりました
・秋冬用の布団を掛け始めました
・即位の礼はテレビを横目で見たくらい。「マイク使うんだ」と思った

2019年10月03日

じうがつはじめ記

喉痛がぶり返しそうな気配があり、37度に届くか、またぐかどうかくらいの微熱がありましたが、これはもう来週の山を越えないと回復することはない(山を越えたら一度派手に体調を崩しそうな気がするが)と割り切りました。

24~25時に床に就くとスムーズに入眠し、8時台に一度目覚め、また目をつぶると9時半、思い切って起きて椅子に座るとやっと数十分後に動く気力が上がってくるという、発熱前のサイクルが戻ってきました。これも来週まで続くと思われます。

そんな状態でインフルエンザの予防接種を受けるかどうか。町医者によると今年は例年より2ヶ月くらい流行が早い感じ、とのことなのでとりあえず打ってしまいました。打つリスクと打たないリスクではギリ後者が勝つかなと考えもしましたが、これはまあ、えいやで。

あとは、10月中旬以降の予定をぽつぽつと入れ始めています。行けたら行く、くらいのやつばかりですが。また「今この状態で判断しないほうがいいこと」について判断をするよう、10月中旬のカレンダーに書いて未来の自分に申し送りました。

* * *

■佐藤健太郎『すごい分子 世界は六角形でできている』講談社、2019年。
これは満足度高かった。研究から出てきたライターはほんと貴重。

2019年09月28日

体調崩すなど

三連休真ん中の日曜の仕事を午前2時前に終えて帰って、普段ならぱたっと寝るところなかなか寝付けず、あれ?と思って寝て起きた休日月曜に発熱。喉痛い。

熱は38度前後をうろうろ、しかしこの体温にしては動くのが辛く、食欲もほぼ0で、24時間のうち21時間くらい寝ているかうとうとしていました。残薬の葛根湯は効かず、頑張って近くのドラッグストアで買ってきた「熱、喉痛」集中攻撃用の薬が結構効いた。

連休明け火曜の昼くらいまで外に出る気力が沸かず、しかしえいやで出社し、会社の地下の内科で薬をいっぱい出してもらう。扁桃炎。しかしまあ依然辛い。熱もやっぱりあり。職場の人によると「明らかに元気がなかった」

水曜、ようやく上向いてフルに仕事。ご飯も食べられるようになってきた。しかし今度は夜寝られない。前2日の寝過ぎのせいか。

木曜、平熱に戻り、フルに仕事。依然、寝られない。

金曜、寝不足ふらふらでお客様対応的な仕事をし、「ようやく寝られそう」な疲労度合いになって午前1時就寝。

土曜、変な夢で午前6時台に一度起きからの午前10時半起床、喉の違和感は消失、今ここ。これから午前2時前までの仕事。

所感:
・マラソン的案件の追い込みの時期にこれはつらかった
・発熱以前はむしろ寝過ぎくらいなのに疲れ取れず、という状況だったのに、発熱後はショートスリープかつハイテンション、朝に落ちる、というパターンに「体のフェーズ」のようなものが変わった気がする
・『風邪の効用』にも似た記述があった気がするが、体調を1回派手に崩すというのは、溜まった澱を清算する機会なのかもしれん
・平素忘れがちなんだけど、弊管理人は継続案件があると寝ても覚めてもどこかでそのことを考えてしまう性質で、マラソン的案件があると生活がほんとそれだけになる
(……ということを部内の30年選手にぽろっと漏らしたところ、「私もそう。自分がゴールキーパー、みたいな意識のある人はそうなる」(大意)と言われ、なんとなく気分が和らいだ)
・ただただ再来週末に「ともあれ一息つく」ことのみを頼りに過ごしている
・housekeeping issues(家事に限らず広い意味なので英語で)を分け持ってくれる人がいない、という独身かつ単身の脆弱性をわりと感じたかもしれない。これは歳のファクターが大きいか
・そういや例年9月はどうしていたのだろうと弊日記を遡ってみると、ここ3年くらいずっと疲弊していて(2015年までいくと楽しそうだった)、人生これでいいのだろうかと思わなくもない

* * *

そういうわけでもういつのことだったか、というくらい前に感じる発熱直前の先週土曜。
歌舞伎町のちょっと北の方にある「サーティーンカフェ」でカラスガレイの干物定食。
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うまかった。周囲は高坏に載ったプリンだのバスクチーズケーキだのでキャッキャしてましたけど。公共施設みたいな味気ないビルの4階にひっそりあるわりには人が入っていたので、何かで知られているところなのかも。

* * *

■戸谷友則『宇宙の「果て」になにがあるのか』講談社、2018年。
どっこい結構難しかった。

2019年09月09日

上旬あれこれ

一日中机、という日が続いていて心身に悪いです。

それでも週に1日は休む、というのを鉄則にして、日曜は友人と稲城の温泉「季乃彩」(ときのいろどり、と読む)に行きました。

道すがら「そういや尻から血が出て内視鏡検査受けたんだけど、尻は痔で、そのほかに大腸にポリープがあり、さらに胃がピロリ菌感染してて崩れた山みたいのがあった」と聞かされ、うーむ(1)便潜血は本当に痔だろうか(2)崩れた山は大丈夫なやつだろうか、と心配になりました。すごいデブ、ニコチン中毒、野菜食べない、ラーメン大好き、遅寝のショートスリーパー、というリスク要因の展覧会みたいな人なので、特に。
ポリープと崩れた山の病理検査の結果はそのうち出るそうです。

* * *

で、風呂から上がって稲城でやっぱりラーメン食って帰ってばっちり22:30に寝たら、月曜の午前4時ごろ(眠りが足りたのと)風の音で目が覚めました。台風。びゅごーーーって。
7時出社の日で、地下鉄が動いていることは分かったので、いつもよりちょっと早めの6時前、葉っぱとか枝とか飛んでる中、走って駅まで行って普通に動いてるつおい地下鉄に乗って出社しました。
午前中に台風はさっさと通り過ぎ、36度くらいまで上がったらしい(缶詰だったので外の暑さが分からなかった)。会社からきれいに富士山が見えました。そんでまだ若干暑い夜になって帰ってきました。

* * *

酒場で別の友人が「日本って立憲君主制?」みたいな話をしていて、たまたま同席していた法学部の先生から「ほんとにそうかな?考えてごらん?」と言われたそう。

いや実はすごい面白い問題だというのは分かる(天皇は君主か元首かそれ以外か/共和制な気もするが法制局答弁で立憲君主制を肯定したことがあるらしい)。けどもうちょっと教えてあげようよ。酒場でも先生づらかよ、とはまあ思った。

* * *

■共同通信ロンドン支局取材班『ノーベル賞の舞台裏』筑摩書房、2017年。

■福田京平『電池のすべてが一番分かる』技術評論社、2013年。

■森弘之『2つの粒子で世界がわかる』講談社、2019年。

2019年08月20日

夏の帰省19

台風がのろのろと近づいてきていてどうなるかな、と思っていましたが、それほど荒れることなく、いつもの伊豆に家族で行ってきました。
今回はあまり誘導しないでみようと父妹に任せてみたら、伊東―(北へ)→熱海、しかしほとんど観光せず―(南へ)→熱川でバナナワニ園―(北へ)→昼食とりそびれ伊東、と非効率な移動になりました。いいけど。

バナナワニ園。オールドファッションな動植物園って感じです。
レッサーパンダにまるでやる気がない。
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ワニも動かない。
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ま、楽しく動き回る理由もないか。とはいえ、熱帯植物園の物量はかなり豊富なので、ちゃんと見れば結構楽しめると思います。

行きに御殿場で「さわやか」のげんこつハンバーグを食べようと思ったら「4時間待ち」といわれて諦めたので、帰りはもう少し空いていそうな富士鷹岡に寄りました。
順番待ちのチケットをとって、90分の空きを活かして富士山世界遺産センターへ。
坂茂の建築が見たかっただけなんですけど。
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約200mのスロープを展示を見ながら上っていくと登頂できる。外は池になっていて、そこにこの不安定な構造物が映ると富士山の形になるのですね。逆さの逆さ富士。
ハンバーグは意外と早く順番が来ちゃって焦ったものの、ちゃんと食べられました。やっぱうまい。

身延山を回って南信州の実家に帰りました。
「夕飯はカツ丼にすっか」と父が言うので「ハンバーグでお腹いっぱいなので無理」と主張したところ、そうめんになりました。
家に植えてるシソと、玉ねぎなどでかきあげ天つき。なんか上達してた。うまかった。
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休みの直前、長野のラジオで少し話す機会があって、「夏に帰ったら食べるものはありますか?」と想定外の質問が来たので咄嗟に「おまんじゅうの天ぷらですかねえ」と真っ赤なウソをついた(確かに県内スーパーで売られる季節商品だが弊管理人は特に好んで食べない)、という話を父にしたら、まんじゅうも天ぷらにされていて予言が成就しました。

これはまあ些細な例かもしれませんが、咄嗟にウソをついてしまう癖が弊管理人にはあるのかもしれない、と思うと極めて怖い。気をつけよう。

* * *

いつも通り父実家、母実家をまわって東京に戻ります。
父実家は祖母が引き続き元気。
母実家は伯母による恒例のご馳走。
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祖母はもうすぐ99。かなり弱ってきている感じがしました。
お店をやっているいとこが配達途中に寄ってくれて、顔を見ることができました。
いろいろ話しました。

叔父がレビー小体病になって介護が大変な叔母一家の中が案外もめたりしている話、意外と甲状腺の病気をやっている女性陣、母実家の懐事情、古くなっていくまま更新されない家族とモノ、手入れの追いつかない墓、お弔いは近いかもしれないにもかかわらず断絶したままの父―伯母、といった何かと構えの必要な地平線上のあれこれに、弊管理人自身が抱えた秋以降の仕事の気の重さが重なって、近年ないくらい落ちた帰省でした。そういう素振りは見せないけど。

* * *

で、さらに悪くしたことに、東京に戻った日にうっかり痛飲し、その次の日から深夜までの勤務が2日続くという生活マネジメントの失敗もあり、休み明け早々かなり疲れています。

* * *

■柴田元幸『柴田元幸ベスト・エッセイ』筑摩書房、2018年。

東大の先生だった人が書いた90~00年代の文章を集めた本に、90年代の東大の匂いがする文章だったという感想を書く意味があるかというと、たぶんある。

2019年08月18日

りょうし計算機

いやもうほんとわかんないこといっぱいなんですけど、他の文献やニュースでごまかしてるところ(なんで複数の状態を重ね合わせると高速で答えが出るのかとか)が解説されててよかった。
通信、暗号、センサーなども含めた量子技術全般やってくれる本があるといいな~

■宇津木健、徳永裕己『絵で見てわかる量子コンピュータの仕組み』翔泳社、2019年。

・古典コンピュータ(CC):
  ・ノイマン型:CPU+メモリ
  ・非ノイマン型:ある決まった問題を高速に解く。ニューロモーフィックチップ、
          GPU利用、FPGAシステムなど(一部はスマホにも)
・CCが苦手な問題:
  ・多項式時間での解法が知られていない
  ・入力Nを大きくすると必要計算時間が指数関数的に増えてしまう

・量子コンピュータ(QC)前史
  ・1985 ドイチュDavid Deutschが現在の形のQCを理論的に提唱
  ・1995 ショアPeter Shorのアルゴリズム(古典Cを上回る最初の量子アルゴリズム)

・QC:量子力学特有の物理状態を積極的に用いて高速計算を実現
 ・広義のQC:万能(エラー耐性)~非万能(エラー耐性無)~非古典(量子優位性無)
 ・万能QCの実現は20年以上かかるとされている
   ・数十~数百qubit→量子化学計算(薬品、材料開発)や機械学習に使えるか
 ・非万能QC:
  ・NISQ(2017、プレスキルJ.Preskillが提唱)=ノイズありの50~100qubit
   ・量子古典ハイブリッドアルゴリズム(量子計算を一部で使う)
    eg.たくさんの分子や原子の動きをシミュレーションする(創薬、材料開発)     ・IBM Q(5または16qubit。実用上はほぼ意味なし)
  ・当面は冷凍機がいるのでシステムの一部としてクラウドで使うような形か

・量子計算モデル
  ・万能型:量子回路、量子ゲートを使用
    ・量子ビットを0に初期化
     →解きたい問題を表現した量子ゲート操作
     →結果を測定
  ・特化型:量子アニーリング
     1998に西森秀稔、ファーヒE.Farhi、2001の量子断熱計算(ファーヒ)で提案
     2011にD-Waveが商用化
      →既に2000qubit。ただしコヒーレンス時間(量子ビットの寿命)が短い
     組み合わせ最適化問題を解ける。物流の最短経路探索、渋滞緩和など
    ・イジングモデル
     0と1が50%ずつの状態に初期化しアニーリング操作
     →解きたい問題を相互作用にマッピング
     →スピンの組み合わせは全体のエネルギーが最も低い基底状態へ
     →結果を読み出す
     用途:店舗スタッフのシフトを要望を生かしつつ最適化
        作業工程を複数人数で行う際のスケジューリング
        物流経路の最適化、渋滞の緩和、機械学習データのクラスタリング
        (すべて組み合わせ最適化問題)

・量子ビット(計算の最小単位)
 ・0/1の重ね合わせ状態を取る(=波の性質)
  ブロッホ球の球面上を指す矢印で表現。緯度=振幅(0/1への近さ)、経度=位相
 ・他にもブラケット記法(|0>など)、波による表現もできる
 ・測定すると0か1に決まる(振幅が0に近ければ0が出る確率が高い)(=粒子の性質)
 ・n量子ビットでは2^n通りの重ね合わせ状態(n=3なら|000>~|111>の8通り)

・量子ゲート操作
 ・単一量子ゲート操作:ブロッホ球の矢印をぐるっと回転させる
 ・多量子ゲート操作

・測定
 ・波→粒子(波束の収縮)
 ・「測定前には単に量子ビットの状態が分からない」のではなく「測定によって量子ビットの状態が変化する」と考える(コペンハーゲン解釈)

・量子もつれ(2量子の相関。Hゲート、CNOTゲートで作れる)
・量子テレポーテーション
 ・古典通信ではAさんの量子状態を壊さずにBさんに送れない
 ・そこで、まず量子もつれ状態の2qubitを作って分有しておく
  →Aさんが測定結果を古典通信でBさんに伝達
  →Bさんが手元のqubitに結果に応じた量子ゲート操作をする
  →Aさんの量子状態が再現される

・量子計算
 ・多数qubitをゲートに通して同時に多数の状態を実現
  →干渉により、正しい答えに対応する確率振幅だけを増加させる(量子アルゴリズム)
 ・グローバーのアルゴリズム:ハミルトン閉路問題、複数都市の一筆書き順路発見
  =解くのは難しいが、正解かどうかは簡単に分かる問題
  →探したい経路の確率振幅を増加させる。古典アルゴリズムより高速
 ・ショアのアルゴリズム:素因数分解を高速に解く
  1994 Peter Shorが発表。実用性のある最初の量子アルゴリズム
  素因数分解の高速化。答えが出れば簡単に確認できる
  ただし現在の暗号解読をやるにはエラー耐性のあるQCで1千万~1億qubit必要

・量子エラー訂正
 ・古典Cはチェック機能を付ければいいが、量子だと測定すると量子状態が変化してしまい、コピーも作れない(量子複製不可能定理)
 ・2014 UCSBのマルティネスJohn Martinisが超伝導qubitでエラー1%以下の操作を実現
 ・まだ小規模なエラー訂正の検証段階

・量子科学技術(量子ビットの実現)
 ・超伝導ビット(超伝導状態の金属は量子性を強く示す=測定まで波の状態を保てる)
   1999 中村泰信+蔡兆申が世界初の超伝導回路による量子ビット動作
   *ただし1ナノ秒。現在はコヒーレンス時間が数十マイクロ秒まで延長
   Google, IBM, Intelなどが開発取り組み、NISQで
 ・トランズモンによるビット
 ・磁束量子ビット:2003 中村泰信(今は主にアニーリングに使われている)

 ・トラップイオン:イオンをレーザー光と磁場で空中にトラップし、個別に量子操作
   イオントラップ(電磁場でイオンを空中にトラップする)は1989ノーベル
   レーザー冷却(レーザーを使ったイオンの冷却)は1997ノーベル
   →1995 シラクIgnacio Cirac、ゾラーPeter Zollerがトラップイオン量子計算提案
   →1995 ワインランド(2012ノーベル)、モンローが実験的に実現
   →今、IonQ(モンローの会社)が数十qubitを実現

 ・冷却中性原子による量子ビット
  ・共振器に閉じ込めた光とレーザー冷却した中性原子の相互作用させる共振器QED
  ・イオンに近い状態の中性原子を使うリュードベリ原子の相互作用
  ・光格子に入れた原子を相互作用させる量子シミュレーション

 ・半導体量子ドット
  ・半導体(ケイ素やガリウムヒ素)による量子ビット(1998提案→2006~実現)
   超伝導回路のように、隔離した電子を極低温に冷却
   2種類の半導体を貼り合わせた界面で電子を閉じ込め、周囲の電極で操作、読み出し
   Intelは超伝導回路に加えここにも参入

 ・ダイヤモンドNVセンター
   室温で量子ビットが実現できる
   ダイヤモンドのCをNに置き換えると、隣が空席になる(NVセンター)
   量子通信むけメモリや中継器(量子リピータ)としての応用にも期待
   磁場の微少な変化をとらえる高感度量子センサとしても

 ・光を用いた量子ビット
   室温動作可能、光導波路チップや光ファイバなどと組み合わせてQC実現の可能性
   単一光子を放出する光源が必要(難しいが研究中)
   →光の振動方向などを量子ビットとして利用。光の量子回路に入れて操作し計算
   主な量子操作方法:線形光学方式/共振器QEDを利用
   スクイーズド光(レーザー光を特殊な結晶に入射し量子性を強めた光)
   →光の状態を量子ビットとして量子計算。東大・古澤明、カナダのXANADUなど

 ・トポロジカル超伝導体を用いた量子計算
   Microsoftなど。まだ緒に就いたところ

2019年08月10日

暑いと遊びにくい

土日月の3連休は土曜が深夜まで仕事だったため、日曜は遅い始動。
寝るときエアコンを弱で入れっぱなしにしてみたものの、冷えすぎるのと乾くので心地よさは65点。隣の部屋のエアコンを弱で入れっぱなしにしてみようか。

で、なんか調子出ないなと思っていたところ、大和市の友人から「どうしてますの」と連絡がきたので、プール行きたいという話をして、落ち合えそうなところを調べて砧公園の近くのプールへ。
でまあこれが名前を聞いたこともないようなところで、しかしウォータースライダーも流れるプールもあるという。ひょっとして穴場?と思って入ったらまあ小さいし信じられないくらい設備もシャビーなので、早々に退散。でも混み混みだった。あんなんでいいの?世田谷区民。

スパイス食べたいね、という話になり、経堂へ出て「ガラムマサラ」。
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佐賀に帰ってしまった「アキンボ」のマスターが推していたが、世田谷と縁のない生活をしている弊管理人がとんと行けていなかったお店。
シシカバブだのパクチー砂肝サラダだのタンドリーラムだのをド堪能したあと、カレーを3種(チーズキーマ、レモンチキン、パクチーチキン)とサフランライス、ナン、シナモンナン。すげーうまかった。やっと満ち足りて別れました。

* * *

月曜も同じ友人と遊ぶことになり、彼の最寄りの中央林間からカーシェアで厚木へGOです。
七沢の「かぶと湯温泉 山水楼」。
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関東大震災のあと温泉が噴出したのだそうです。ぬるぬるのお湯がとてもよいです。周りも見えるのは森と渓流だけで、木立のいいにおい。
内湯は2人、露天も3人入ったらいっぱいくらい。あまり知られないことを願います。
東京よりも涼しかったですが、汗だく。やっぱり秋以降だな~

そのあとZUND-BARでラーメン食べました。平打ちの麺に代えてもらいました。弊管理人は細麺があまり好きではないのでこっちのほうがよかった。で、やっぱり汗だく。店内あちいよ。
ソフトクリームはテイクアウトしてクーラーがんがん効かせた車内で食べて、中央林間まで戻ってお茶して帰りました。
いやあなんか2日とも疲れてたな。でも楽しかった。

* * *

ポリコレ、ハラスメント対策は、個々人の信条は完全に無視して「これやったらアウトね」というマニュアル・Q&A教育をひたすらやるのが結局は効果的なのではないかと思いました。
人(弊管理人を含む)は自分が加害者扱いされるとどうしても屁理屈をこねて防衛しようとするが、そんなものを撃破したとて本人の行動変容に繋がることは期待できない(自制/自省する力がある人はそもそも立場の弱い人を怒鳴ったりしない)。

* * *

■アルバート=ラズロ・バラバシ『ザ・フォーミュラ 科学が解き明かした「成功の普遍的法則」』光文社、2019年。

この極めて恥ずかしいタイトルの本には買う段階から多大なストレスを負わされた。
いやバラバシの本は『バースト!』がなかなかよかった印象だけ残っていて、それならこれも是非、と買いました。うーん借りておけばよかったかも。コネいっぱい作って、ここぞで前に出ること、あとは一生頑張りな、ということを科学的に言った本。ただしそこに至った過程は本文にあんまり出てこない(注に出てくる)。

2019年07月18日

週末いろいろ

土曜、中近傍より友人来たりて、高田馬場のラミティエ。
夜は初めてです。2800円のコース一択。前菜とメインを1品ずつ選ぶのはランチと同じ。
前菜はキッシュいきます。
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そんでメインに鴨のコンフィ。
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追加でデザート。ミルクとフランボワーズのアイス。
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友人は前菜がハム、サラミ、パテとリエットの盛り合わせ、メインは牛ほほ肉の煮込みで、シェアしながらいただきました。どれもうまかった。おなかいっぱい。

* * *

しかるのち、「天気の子」を見ました。

* * *

明けて日曜は天気予報を見て、なんとかもちそうということで横須賀・猿島へ。
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夏は初めて。むちゃくちゃ湿度が高くて、むちゃくちゃ暑かったです。
海が汚くて対岸が霞んだ感じ、写真にするとマレー半島近くのどっかの島って感じ。

おいしかったのは、よこすかポートマーケットのジェラート屋。
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2フレーバー(400円)を選ぶ際、スイカと海軍コーヒーという取り合わせにしてしまうセンスのなさ。
でもそれぞれはおいしかったです。
加えて、フードコートが涼しいというのが素晴らしい。

* * *

思い出せないくらい前(少なくとも15年)から使っていたデスクチェア、しばらく前からずいぶん背もたれのリクライニングが大きくなったなと思っていたら、とうとうバキバキっと180度開いてお亡くなりになりました。

後継者はアマゾンで12000円。ロッキングの可否がレバーで決められるのがなかなかよい。
しかし、6000円ほどのでもそんなに変わらない気はします。
一方、コクヨとかのメーカー品だと数万円。いまひとつ機能と値段の関係がよくわからないカテゴリーです。
とにかく早く着くことを重視して買ったので、若干高いものになってしまいました。注文してからヨドバシのほうが安いやつが速く来ることに気付いたものの、既にキャンセル不能になっていてアウト。まあいいけど。

* * *

■イ・サンヒ、ユン・シンヨン(松井信彦訳)『人類との遭遇』早川書房、2018年。

借り物。とても読みやすかったです。
・人類史の描写はどんどん変わってる
・ゲノム革命の影響甚大。にしても、やっぱりいろんなことが推測で議論されてる印象
・人種や性役割など「その時代時代の研究者が見たいものを投影してしまう」という危険といつも隣り合わせだな
・それでいうと、女性、アジア人の視点から見たこの本て実は貴重かも

2019年07月14日

小胞体

ちょっと必要がありまして……

■森和俊『細胞の中の分子生物学』講談社、2016年。

▽1950~60年代:細胞生物学第1世代(クロード、ド・デューヴ、パレード)
 =1974ノーベル医学生理学賞受賞
・タンパク質を合成するリボソームが2種類あることが判明
 (1)細胞質にいる「遊離リボソーム」
  →合成したタンパク質は細胞質に放出され機能
 (2)小胞体の膜の外側に付着する「小胞体膜結合性リボソーム」
  →合成したタンパク質は小胞体内に入り、ゴルジ体を通って細胞外に分泌

▽1970年代:第2世代(ブローベル、1999医学生理学賞受賞)
・タンパク質を構成するアミノ酸の配列には、機能配列の末端に「シグナル配列」がある
 →シグナル配列を荷札として識別タンパク質が結合、翻訳停止
 →正しい小器官(この場合小胞体)の識別タンパク質受容体がキャッチ
 →シグナル配列が切り取られる(核行きだと切り取られない)
 →翻訳再開、小器官内にタンパク質が入る
 =働く場所に届けられるという「シグナル仮説」
 →すべての小器官についてこれが正しいことが示された

▽1980年代:第3世代(シェクマン、ロスマン、2013医学生理学賞受賞)
・タンパク質が小胞体に入った後
 →小胞体内で立体構造をとる
 →「小胞輸送」でゴルジ体へ
 →ゴルジ体で仕分けされ、最終目的地のリソソーム、細胞膜、細胞外へ
 *各移動の際は小器官の膜がちぎれてできる袋(輸送小胞)に入って運ばれる
 *ゴルジ体を出た小胞のv-SNAREと目的地のt-SNAREが結合するので迷子にはならない

タンパク質の折りたたみ
・アンフィンゼン(1972化学賞)のドグマ「タンパク質は勝手に最適な形になる」
・タンパク質濃度の高い細胞内では、タンパク質「分子シャペロン」が折りたたみを助ける
・2種類のシャペロン
 (1)結合・分離型
 (2)閉じ込め型(シャペロニン):容器状で、中に隔離して構造をとらせる
  →シャペロニン研究のハートルとホルビッチは2011ラスカー賞
*形がおかしくなると→異常プリオン
  スクレイピーの研究でプルシナーが1997年医学生理学賞

不良タンパク質の処理、二つの分解系
(1)ATPを使わない分解処理
 リソソーム(40種類の分解酵素を持ったゴミ処理場、ド・デューヴが発見、ATP不使用)
*オートファジー
 オートファゴソームにリソソームが融合、酵素が流入
 新生児は飢餓状態の中で自食し生き延びている

(2)ATPを使う分解処理
 ユビキチン(APF-1とも)が付着(ハーシュコーら、2004化学賞)
 =プロテアソームが分解(田中啓二、ゴールドバーグ)
 プロテアソームがユビキチンを把持
 →タンパク質をひもに戻す
 →ユビキチン外す
 →分解

▽1980年代後半~:第4世代(ゲッシングら)
・小胞体で正しい構造をとったタンパク質だけがゴルジ体に行けることを発見
・正しくないタンパク質は細胞質に排出され、プロテアソームが分解(小胞体関連分解)

・小胞体ストレス応答(メリージェーン、ジョーが1988命名)
 タンパク質がリボソームから小胞体に入ってくる
 →シャペロンが高次構造形成を手助けする(90%は成功)
 →異常タンパク質が増えるとシャペロンが増える(転写誘導)
 →修復を頑張る
・応答に必要なもの:森がすべて解明
 (1)センサー
 (2)シャペロン転写を働きかける「転写因子」
 (3)センサー(小胞体)と転写因子(核)を取り持つ仕組み

1989 メリージェーンとジョーが酵母にも小胞体ストレス応答があることを報告
1992 森、シャペロンの転写調節因子を酵母で決定
   酵母遺伝学。ランダムに傷を付けて小胞体ストレス応答ができないものを選抜
1993 森、IRE1の機能喪失がセンサーだとCellで報告
   (ピーター・ウォルターも同着)
1996 ウォルター、転写因子HAC1報告
1997 森、スプライシング後のHAC1タンパク質が転写を実行するという解釈を発表

・つまり
 構造異常タンパク質が小胞体に蓄積
 →センサーIRE1を介して情報が核へ
 →転写因子HAC1がシャペロン遺伝子の転写を活性化

*場所によってストレス応答が違う
 細胞質に構造異常タンパク質が蓄積した場合、修復のためシャペロン動員
 小胞体に蓄積した場合は小胞体ストレス応答
 ミトコンドリアでのストレス応答→詳しく分かってない

▽ヒトでは
1998 カウフマンとロンが独立にヒト遺伝子内にはIRE1に似たものがあると報告
   (HAC1はヒトにはない)
   吉田らが転写調整配列を発見、さらに転写因子ATF6とXBP1も発見
1999 ロンが第2のセンサーPERKを発表
   土師がATF6を第3のセンサーと特定
   =ヒトはIRE1、PERK、ATF6という三つのセンサーがある
2001 吉田がヒトXBP1が酵母HAC1に相当すると発見、Cellに発表
   (ロンはNatureに一歩遅れて出した)

酵母とヒトの違い
・酵母はセンサーがIRE1しかない
 →小胞体シャペロンも小胞体関連分解も同時に転写誘導される

・ヒトはまずPERKが翻訳を抑えて既存シャペロンに修復の余裕を与える
 →その後、ATF6が応援シャペロンを呼ぶ
 →だめならIRE1でシャペロンとともに小胞体関連分解を誘導する
 *せっかくATPを使って作ったタンパク質をいきなり分解しない「もったいない」対応

小胞体ストレス応答の不全と病気
・PERKが働かない→質の悪いインスリンが作り続けられる→β細胞の恒常性が崩れてアポトーシス→インスリンが作れなくなる→糖尿病(ウォルコット・ラリソン症候群)
・ほか、肥満、インスリン抵抗性、アルツハイマー病、パーキンソン病、ALS、炎症性腸炎、心不全、心筋症、動脈硬化などにストレス応答が関与していることが判明
・がんでは新生血管できるまで飢餓状態→構造異常タンパク質が蓄積→小胞体ストレス応答を動員して対処。ということは、ストレス応答阻害薬が抗がん剤になるかも

今後
・ヒトはほかにセンサーを5個持っている。それぞれ使い時があるらしい
・臓器・細胞特異性
・どの時点で修復を諦めて細胞死にいくのか?

「三つのハッピーな出会い」―ラスカー賞スピーチ
(1)分子生物学との出会い
(2)小胞体ストレス応答との出会い。地方時代、それまでのテーマをやめて渡米したこと
(3)ワン・ハイブリッド法。エイチ・エス・ピー研究所の由良所長、吉田さんとの出会い

2019年06月15日

遠くに近づく

これもまあ借りて済ますべき「現在地まとめ」みたいな本かなあと思って図書館からさらってきましたが、2年前くらいにずっと読んでたSmall Places, Large Issuesのおさらいプラスアルファとして思いの外面白かったです。

・遠い人たちの近くにおいて、自分と自分が埋め込まれた社会の基底に気付く、
・普段当たり前と思っている二分法の境界線を溶かす。

貸出延長の手続きをしてじっくり……と思ったら次の予約が入っていてできず、駆け抜けてしまいました。下のメモも目に付いたキーワードをすごい恣意的に拾っただけ。最後のほうはすっ飛ばしてます。

■松村圭一郎、中川理、石井美保『文化人類学の思考法』世界思想社、2019年。

[1]自然
未開の科学、認識人類学(エミック/エティック)
コンクリン:ミンダナオ島・ハヌノオの植物分類学
チェンバース:「参加型開発」。土着の知識は科学より当地の生態系に適合的
レヴィ=ストロースの自然/文化の二分法は本当か?
 ←西洋の構築物では?ヴィヴィエロス=デ=カステロの「多自然主義」
多種の生物が織る自然←→地球を守る私たち

[2]技術
道具を作る動物と人の違い:道具使用に意味、意図、表象が絡む
モース:身体技法=目的や状況に応じた身体の使い方
    道具=身体の外側に独立した機能、技術=その構成
    技術の「相互的因果」=石器を「作る」→狩猟社会が「作られる」
ユクスキュル:環世界。誰も「自然そのもの」を知覚していない
ルロワ=グーラン:技術の創出と、それによる身体・社会の変容。進化の同時進行
ラトゥール:特定条件下で姿を現す「科学的発見」、科学者の名声という社会的影響
 自然と社会が同時につくりだされる。対称性アプローチ
 人間と非人間を関係づける実践が形成する社会。自然と社会は独立してあるのではない
 統計学的に構成された身体+その知というネットワーク→医療環境
現代のホモ・ファベル:道具だけでなく環世界もつくりだす(スマホが創る身体、社会)

[3]呪術
機能主義
 タイラー:『原始文化』偶然を因果関係と取り違えること
 フレイザー:『金枝篇』発育不全の技術
  類感呪術=AとBは類似→Aに働きかけるとBに作用(コラーゲン→肌ぷるぷる)
  感染呪術=AとBは結合→Aに働きかけるとBに作用(オヤジのパンツと洗濯すんな)
マリノフスキー:個人の心理的機能=技術で自然を支配できない時、安心のために使われる
ラドクリフ=ブラウン:構造機能主義=社会統合への寄与
レヴィ=ストロース:野生の思考。キツツキ―歯痛、といった個別物を結ぶ秩序の導入
ANT:より多くのアクターを動員する、より長いネットワークが支える「より固い事実」

[4]異世界
妖術や精霊をどう理解するのか:合理性論争(未開の思考との共約可能性)
機能主義:緊張緩和、社会統合、不安の表現
存在論的転回:「彼らは精霊がいると認識」から「彼らは精霊のいる世界に生きている」へ
 →われわれとの差異を乗り越え不可能にする側面も
グレーバー:われわれにとっても彼らにとってもよくわからないまま実践されるもの
 →「かもしれないもの」としての妖術や精霊。感じ方を共有→そう体が動くように

[5]芸術
「何が芸術か」から「いつ芸術になるか」へ
  芸術家、批評家、美術館など「制度」の中で芸術になる
 さらに、非西洋のモノを芸術にする非対称な権力関係の批判へ
 物質文化研究→新奇なモノの収集、「発展度」の測定(進化主義)
ボアズ:未開芸術。どこにもそこなりの美がある
リーチ:審美的気質はどこにもある。が、未開美術で音楽、詩、造形が未分化
木村重信:民族芸術。美意識、社会の凝集したもの。作品と享受者の関係に重点
モース:全体的社会的事実。全体が渾然一体となった贈与交換から芸術は抜き出せない
ジェル:魅惑するものとしての芸術、社会的行為の媒介としての芸術
制度や境界を越えた関連づけ(生の全体性)に私たちを引き込むものとしての芸術

[6]贈与
モース:クラとトロフィーの類似性
 贈与交換:人と人を繋げる、長期的維持、贈り物
 商品交換:人と人を切り離す、短期的・非人格的取引、商品
 贈与に伴う3つの義務(1)与える(2)受け取る(3)お返しする
 贈り物は霊的な本質の何者かを受け取ること
 負債=負い目。返礼へ向かわせる
サーリンズ:3つの互酬性
 一般化された互酬性:近親者、返礼を求めない。
  ★が、社会の階層化をもたらす力。モノを与えることは威信や格差と結びつく
 否定的互酬性:関係の乏しい相手から多く奪おうとする
 均衡的互酬性:同等なものの交換が期待される
神、死者、国家への捧げ物:税、供犠。聖俗を結びつける
グレーバー:『負債論』交換だけではない。収支計算のない「コミュニズム」、優位者と劣位者の間で慣習的で非対称にやりとりする「ヒエラルキー」もある

[7]交換
貨幣:(1)交換媒介(2)価値保存=価値を将来に持ち越す(3)価値基準=価値を表す
 権力による保証
ヤップ島の石貨:交換相手への信用の記憶媒体としての石貨
 信用に基づく交換。監視された台帳に書き込まれる仮想通貨

[8]国家
政府を持たない社会:ヌアーの秩序ある無政府状態、メラネシアの一代限りの実力派リーダー「ビッグ・マン」
ギアツ:バリの「模範を示す国家/劇場国家」
国民国家:言語・歴史・文化の発明、と、サブ国家レベルの「原初的愛着」の葛藤
アパドゥライ:グローバルなフローの中で単一国民国家は無理。草の根グローバリゼーション、ギャングが保持する「部分的主権」

[9]戦争
権力や富の追求
近い集団同士が戦う「ささいな違いについてのナルシシズム」(アパドゥライ):交換するうちに集団感の関係が深まり、融合へ。成員間に命令する/されるの階層が出現してしまう。各集団が自律的であるために相手と一時的に戦争して関係を断ち切る必要あり(クラストル)=★戦うことで自他の境界を作り出す。近いからこそ戦う
暴力の自律的な再生産
エリートの扇動に乗って戦うことをしない(戦闘員にならない)ことを選択する人もいる

2019年06月01日

富嶽

理研のスパコンじゃないです。これ1000円で手に入っていいの?

■日野原健司『北斎 富嶽三十六景』岩波書店、2019年。

富嶽三十六景の計46点(人気が出たので10点追加したんだって)を見開きで見せ、次の2ページで解説するという岩波文庫。
視覚効果を高めるためには、遠近法をねじ曲げたり、実際の風景と違ったものを描いたり、あるはずのものを取り去ってしまったりするのが北斎流。さらに特段有名でもない地点からの富士を描いちゃうのも、へそ曲がりの達人ならでは。写実が正しいのではない、デザインが面白くなるか、動きが映えるかどうかなのである。
ある絵では描かれたみんなが富士を見ている。別の絵では誰も見ていないが、やはり富士はそこにある。江戸からは小さく、駿河や甲斐からは大きく見える。最後はあの執拗に描かれた三角形の富士が見えない(当然だ)頂上。唸った。

2019年05月30日

門を眺める

いずれも買ってない。

弊日記でメモを作る本と作らない本があります。特にポリシーがあるわけではないのですが、メモを作らない本は
(1)だいたい知ってる話
(2)展開を追う必要のないアンソロジー的な内容(逆に、こういう本のメモを作ると結局、本まるごとになってしまう)
(3)会社から弊日記にアクセスして仕事上参照する必要がなさそう
(4)たまたま疲れてた
のどれか、またはその組み合わせのようです。今回の2冊は主に(2)、ちょっと(1)か。

■筒井淳也、前田泰樹『社会学入門―社会とのかかわり方』有斐閣、2017年。

最近どうかなっつってときどき覗く世界。
生老病死にまつわる各テーマ(と自身)に対し、量的研究と質的研究の視点を並べて「こうやってアプローチできるんですよ」と紹介する珍しい形式なので、方法に関するイメージが得られて有益でした。同じ有斐閣ストゥディアで前読んだジェンダーのやつのネチネチした感じと違って筆致がフラットなのも弊管理人の好みでした。
地元の図書館で借りたのですが、医療・医療技術のお話など弊管理人の仕事と関わる部分も多くて、これはギリ買ってもよかったかもと思いました。

■三成美保他『ジェンダー法学入門[第3版]』法律文化社、2019年。

会社の図書室からかっさらってきたもの。
校正甘くておいおいと思うところは多いですが、トピックを「法学」という言葉からイメージする範囲よりもかなり広く集め、判例、コラム、用語解説や図説を見開きでこなしているので、事典としてとてもよいと思いました。
自分で買って置いておきたい、とアマゾンで検索するところまでは行きましたが、2700円+税なのでとりあえずやめ。すいません。

2019年05月15日

立て続けに読んだ本

わりと急いでいろいろ読む週でした。

■加藤文元『宇宙と宇宙をつなぐ数学―IUT理論の衝撃』KADOKAWA、2019年。

・ABC予想=1985, マッサー(David Masser, 英→瑞)とオェステルレ(Joseph Oesterle, 仏)が提示

互いに素の自然数a,b,cについて、a+b=c (←足し算)
d=rad(abc) ※abcを素因数分解して、各素数の指数を1にした数字の積(根基)(←掛け算)
とした場合、c>dになる場合はすごく少ない

例)
a=3, b=16 とするとc=19
d=rad(3 x 2^4 x 19)=3 x 2 x 19=114
でc
a=1, b=8 のときは c=9
d=rad(1 x 2^3 x 3^2)=6
でc>d(例外的)

・証明されると、実効版モーデル予想(曲線の有理点が有限個であることに加え、それがいくつあり得るかも考える。pp.109-116)、シュピロ予想、フライ予想、双曲的代数曲線に関するヴォイタ予想が自動的に正しいということになる。フェルマーの最終定理もすぐに証明できてしまう→整数論における難しい予想の多くと関係しており、多くの未解決問題がいっぺんに解けてしまう重要な問題がABC予想
・ABC予想はシンプルだが証明は難しい。自然数の足し算(cの値)とかけ算(dの値)が絡まっているから(既存数学は両方を統一して扱える「正則構造」の下にある。本人の言葉では「自然数」の足し算とかけ算からなる「環」という構造があるから)
→IUT理論(宇宙際タイヒミュラー理論、タイヒミュラーは人名)は、足し算とかけ算を引き離して別々に扱い、分離前にはどんな具合に絡まっていたかを定性的に/近似的にとらえられるようにする装置(つまり、いったん分離したものを再構成した際には、元のようにかっちり絡まっているのではなく、ゆるゆるになっている)
・足し算と掛け算の一方をそのままにしながら、他方を変形する、あるいは伸び縮みさせる(p.175)
・数学体系(宇宙)をもう一つ想定し、既存数学の宇宙との間で、対称性をメディアとして通信を行う。つまり宇宙Aの要素を対称性にエンコードし、受け取った宇宙Bでデコードして対応物を特定する。その際に生じる不定性も計量する
・足し算と掛け算が絡み合っていることから生じている未解決問題には双子素数の予想、リーマン予想、ゴールドバッハの問題もあり、人間はまだ足し算と掛け算の関係をよく分かっていないのかもしれない

*2012年の望月論文発表前には、玉川安騎男教授らに予告していた(望月、玉川氏は松本真氏とMMTセミナーを開催)
・人となりはpp.96-107
・これまでの難問解決:ファルスティングス(望月氏のプリンストン大での指導教授、フィールズ賞)→モーデル予想、ワイルズ→フェルマーの最終定理

■プラトン(中澤務訳)『饗宴』光文社、2013年。

今学期の放送大学(別に学生じゃなくて、音声を録音して仕事中に歩いてるときに聞いてるだけ)で美学の授業を聞いてたら出てきた本。宅飲みで恋バナしつつ、美のイデア/実在論へ向かう。

■篠田謙一『新版 日本人になった祖先たち』NHK出版、2019年。

これはNスペとか映像向きの話だった。

2019年05月01日

死ぬ権利はあるか

■有馬斉『死ぬ権利はあるか』春風社、2019年。

福生病院の透析中止問題が燃え上がったころ、飲み屋で若い友人から「本人が死にたいっていうならそれでいいじゃんね」と言われ、そういえばちゃんと考えている人はどう考えているのだろうと思いました。そしてそれから何日もたたないうちに会社の図書室みたいなところで新刊の本書を見つけてしまいました。560ページ。確か1カ月以上かかった。

尊厳死や安楽死、持続的で深い鎮静のルール化は許容されるか?(←問題の主眼は学会ガイドラインとか個別の臨床的判断において容認されるかという以上に「合法化」の是非なんだ、たぶん)という問いに対する3つのYESと2つのNOを検討します。本は結論としては反対の立場に寄っています。が、「すげー痛みが続いてても耐えて生きれるだけ生きてね」という単純な話ではなありません。

終末期であって、とんでもなく苦しくて、しかるべき援助も得られた末に、周囲からの圧力がない状態で、本人の正気の判断に基づき、他の選択肢を検討した上であれば認められるかもしれないが、それでも生命短縮措置という手段の存在が社会的弱者を脅かすリスクと、なお生きていることそのものに価値があるのだということを踏まえた上で慎重判断すべきだ、法制化はあかんけどね、というようなお話になるのかな。

医療ユーザー目線では、これくらいわずかでも容認の余地がなければ、やっぱりおちおち病気にもなれないわなというのが弊管理人の思いです。しかし「これをこの手順で確認すれば、法的責任は問われません」というルールががない以上、上記条件に合う場合でも医療者によっては生命短縮措置をやってくれない危険性があります。これは学会GLでは足りませんね。

また、命の内在的価値については(読み方が粗かったかもしれないが)飲み屋で若い友人に弊管理人の口から説明できるほどストンとは落ちませんでした。「生きてるってそれだけで素晴らしいんだああああ」という大本の主張に「なんで?」と言われたらどう答えればいいのか。「いや大体みんなそう思ってるでしょ」でいいのか。うーん。

あとはまあどうでもいいんですが、正確を期そうとしてか文章の歯切れが悪い。「~しうる」「なくはない」の多発くらいはしょうがないが、「死にたいという本人の希望にそって個人の死期を早めることを問題がないとみなせることなど決してない、とまでは思われないかもしれない」(p.341)はさすがにひどくないですか。あと、「で、結局どうするといいと思うの」というのは最後にまとめて書くべきだと思った。

でも、とても勉強になりました。

以下すっごいめためたなメモ(要約や抜き書きではない)。

【序論】

・「人は自分の考えで死に方や死ぬタイミングを選ぶ権利があるか」が問い
  *首つりや飛び込みはできる。が、人の助けを借りたソフトな死に方を選べるか?
・容認論
 (1)重大局面における自己決定の尊重
   cf.経済的理由での自殺に対する幇助は認められないのに?
 (2)死にたいと思うほどの苦痛からの解放
 (3)医療費の抑制など経済的な理由
・反対論
 (1)尊厳死や安楽死の合法化が弱者に延命を諦める圧力を強める恐れ
 (2)自己決定や関係者の利益のために、それ自体に価値のある命を縮めてはならない
・本書は反対論の擁護を試みる

・安楽死の分類
 (1)手段の違い(1995東海大安楽死事件判決で横浜地裁が採用)
   積極的(毒薬で患者の死を導く。任意の場合は自殺ほう助とも)
   消極的(生命維持、延命の手控え。尊厳死ということも)
      この中にも「始めない」と「始めたものの中止」の区別あり
   間接的(鎮静剤の多量投与。緩和医療死ということも)
 (2)本人の同意
   任意(同意あり)
   非任意(判断力や意識がなく意向が不明確)
   不任意(明らかに意向に反している)
 →(1)×(2)の9類型が考えられる
 この中には(3)作為か不作為か、という視点もある
 ほかに
 (4)患者の死が近いか否か
 (5)どれほど大がかりな処置が必要か
 (6)手を下すのが医療専門家か非専門家か
 も判断の重要な視点となりうる

・事前指示
   ・リビングウィル(受けたい/受けたくない治療を具体的に指示)
   ・代理人指定書、持続的代理権(自分の代わりに判断してくれる人を指定)
 事前指示に従って差し控え、中止を容認する国も:イギリス、デンマーク等
 日本は厚労省、日医、病院協などが独自ガイドライン。2012議連が法案(未提出)
   ・終末期を条件に差し控え、中止容認
   ・致死薬処方は認めていない(オレゴンやベネルクスは90年代以降容認)
   ・持続的で深い鎮静に関しては国内で問題化してない

【第I部】容認論の検討

▽自己決定に基づく容認論[1]

 (1)バランス型容認論(自己決定以外の価値が場合によって自己決定に優先する)
 (2)自己決定至上型
  ・ドゥオーキン:自分の死に方に関する個人の決定が第三者の行為に優先する
  ・ブロック:患者の福利と自律を守るICに基づいた決定
         →差し控えや中止は場合により正当化できる(致死薬の投与も)
   *明らかに患者の自己決定が患者の利益に反する場合
     →医師ができるのは(a)説得(b)判断力を疑う、の二つしかない

 [2]自己決定至上型への批判
 (i)患者の選択は本人だけでなく家族など他人の権利とも対立しうる
  (ア)第三者が家族や介護者であった場合(臨床の問題)
  (イ)医療資源を当該患者とシェアする他の患者であった場合(政策の問題)
 (ii)判断力を欠いているかもしれない
 (iii)経済的動機の自殺ほう助など、容認しがたいものまで容認してしまう

 [3](ii)自律的な判断のみ容認するとすれば、この議論は形骸化する
 ・決定や選択が自律的であるとは:選択時に判断力があり、強制がないこと
  →患者自身の福利に反する選択は自律的でないと見なす
  →尊重しない、という判断。これはパターナリズムと変わらない
  →自己決定至上型は形骸化する
 ・患者自身の福利に反しても、事実認識と推論がしっかりしているならOK?
  →重大な選択ほど判断力の有無の判定は厳しくなる(スライド式モデル)
  →やはり自己決定と利益はバランスせざるをえない(上の・と同じく形骸化)
 ・死にたいという人が真に自律的であるとはそもそもほぼない?
  ―生命短縮的な医療措置を望む人の中にはうつ状態の人もいる

 [4](iii)自己決定至上型は経済的、文学的動機での自殺まで容認してしまう
 ・いや独力でも自殺できる?←この反論は無理。医師の幇助を受ければより楽だ
 ・いや患者は差し控えだけで十分←積極的/消極的介入は区別できないのでは
 ・そもそもこういう人たちには判断力がない(「合理的な自殺」の否定)
  →そうかもしれないが、やはり自己決定至上型は形骸化する
 ・別にいいんじゃない?←ここまで価値観違う人はごく少数だろうから、
  社会のルールに関する議論の対象からは外す

▽患者の利益(終末期の苦しみから解放される利益)に訴える容認論

 [5]功利主義。苦しむ患者、苦しむ家族ら関係者にとって最善なら正当化可能
 [6]・しかし、緩和ケアは進歩しているのではないか
   ←苦痛が完全に取り除ける水準にはきていない
  ・家族や病院職員の利益まで考えるべきか
   ←関係者全員を分け隔てなく考慮するのが公平という理由はある
  ・作為性、死を意図するか、患者の意向に即しているか…は考慮しないのか
   ←少なくとも、患者の意向に即しているかを重視しないのは不適切
 [7]功利主義は死にたくない人の安楽死まで正当化してしまうのではないか?
  (i)死が本人の利益になる場合(パターナリスティックな殺人)
  ・ひどいがん性疼痛にもかかわらず本人は死にたくないという場合
  ・快楽説/欲求説を区別し、欲求説をとることで回避できる?(レイチェルズ)
   ←合理的な欲求と認められず、安楽死がなお正当化される余地がある
   ←周りが患者に死んでほしいという欲求を持っていた場合、正当化される
  (ii)死が関係者の利益が大きくなる場合(死ぬ義務のための殺人)
  ・介護者の利益が増大する介護殺人のような場合
  ・シンガーの強制的安楽死批判
   ・死んだほうが本人のため、と周囲が本人より的確に判断できることはまずない
   ←ただしこれはパターナリスティックな殺人についてしか検討してない
  ・介護殺人には強い批難がためらわれることもあるが、道徳的正当化は困難
 ・強制的安楽死は社会不安を招くので功利主義から正当化できない(グラヴァー)
  ←これって強制的安楽死の利益と比較衡量できてる?
  ←患者本人に行われる不正だ、という本質を外してないか?
 →★結局「患者の自己決定(死にたくない)」>「患者の福利」にすべきでは
  →これは結局「バランス型」の立場。その妥当性を第II部でさらに検討
 [8]判断力を失った患者の利益をどう守るか
  (本人の利益になるから死期を早めることは正当化できるか)
  ・希望を持ったり苦しんだりしない(脳死の)患者の利益は存在しない
   ・ただし、生前の安心感には利益がある(ドナーカードはこれを守る)
   ・安心して眠りに就いた時点で十分に利益を享受していた
   ・そのためにはドナーカードの意思表示は常に叶えられるべき
  ・リビングウィルがない場合の代理決定は、家族以上によく判断できる
   人がいなければ、家族に従うことは無意味ではないはず
  ・ただし、リビングウィルも、ない場合の忖度もあまり当てにはならない
  ・で、意思不明な場合に死期を早めることの是非
   ・回復の可能性がある場合は、本人の価値観や利益に従う
    (ただし第II部で考える悪影響を考慮せよ)
   ・★回復の見込みがない場合は、代理決定することは正当化できる
 [9]患者本人と家族の利益が対立する場合
  ・既存GLなどでは、家族は患者の意向を知るのに役立つ情報提供者の位置付け
  ・では、介護負担など家族の事情はどこまで酌まれるべきか?
  ・周囲に迷惑をかけたくないので(生きたいが)安楽死を望む患者をどうする?
  →家族の利益を考慮すべきとするハードウィッグvsアッカーマン
  ・ハードウィッグ:家族負担大(進学、就労…)かつ高齢の場合は死ぬ義務あり
  ←アッカーマンの批判:高齢者と病院の価値を低く見る社会的偏見である
   (子どもの世話、配偶者の転勤…の負担は許容されるのになぜ?)
  ・そもそも若者の命か高齢者の命か、という選択ではない
  ・命の内在的価値(後述)
  ・生きていたいという思いに特段の重みがあると考える
  ・本人の知覚と意識が不可逆的に失われた時のみ家族の利益優先が許される

▽医療費の高騰に訴える容認論

 [10]この議論は他の2つのミクロ(臨床的)な容認論と違ってマクロ(政策的)
 ・また、自己決定や利益は患者側に立つ議論だったが、医療費は共同体側の議論
 ・ダニエルズの容認論:社会の資源が著しく不足している場合は正当化可能
  批判:高齢者という特定の年齢集団を不利に扱っている差別である
  反批判1:誰でも高齢者になる。どのライフステージで資源を使うかという話
  反批判2:高齢期の延命は人生の成功とあまり関わらない
  反批判3:標準的年齢(例えば75歳)に達することが、それより後より大事
 [11]で、その議論は日本に当てはまるか
 ・高齢社会白書(2012)の厳しい認識vs二木立の反論
 ・ダニエルズの主張も、高齢者を延命すると若者が処置できない場合限定だった
 ・年代別の人口サイズがかなり違う→各年代の人の体験は平等でない
 →かなり特殊な社会でしか正当化できない(日本では困難)
 [12]年齢制限は合理的な人なら誰でも賛成するようなものか
 ・既に75歳を超えている人には今後の制度導入のメリットがない
 ・どのステージを重要視するかも各人一律に決まらない
 ・一致したとしても、高齢者や機能障害者への偏見に基づいたものになりかねない
 ・ダニエルズは自分の現年齢や価値観にとらわれず検討せよというが…
  ・まず、現実的でない
  ・ダニエルズ自身も、自立的生活や課題追求という特定の「良さ」を前提にする
   →これを共有しない人には年齢制限を正当化できない
   ★cf.触れる、動く、考える経験自体(生きること自体)が益というネーゲル
 [13]年齢制限は高齢者差別に当たらないか
 ・老後軽視の人生観は差別的ではないか(ジェッカー、マッカーリー)
 ・最近のダニエルズは「合理的な人はみんな老後軽視に賛成する」を捨てた
  →手続き的に公正なら、内容は正当化できる、との考えに
 ←延命重視型の現状から老後軽視への移行にみんなが賛成するかは疑問
  みんなが偏見を持っていた場合、差別的な決定が正当化されてしまう

【第II部】死ぬ権利には限界があるという考え方(合法化反対論)の検討

▽合法化に社会的弱者にとって脅威になるという反対論

 [14]社会的弱者へのリスク
 ・尊厳死議連による法案(2012)に対する反対
  ―ALS(さくら会、ALS協会)、脳性まひ(青い芝の会)
   人工呼吸器(バクバクの会)、脊損者連合会、障害者インター(DPI)
 ・介護、治療費のせいで生命維持が本人のためにならないと他人が考える恐れ
 ・生命短縮への圧力が周囲からかかりうる。これは本人意思尊重に適うか?
 ・支援を受けながら生きること、社会的に不遇な生活に対する低評価
 ・リビングウィルの強制、「そこまでしてなぜ生きる?」
 ・尊厳のある人生とない人生がある、という障害者差別(青い芝の会)
 ・米国の安楽死請求の容認判決(ブーヴィア、バーグステッド事例)
  ←機能障害がない人が「つらい、死にたい」と言ったら合理的と考えるか?
   心療内科の対象と認識されるのではないか?
 ・ルール制定者にそういう思いはないかもしれない
  が、偏見の混じったルールができることはある。運用段階で偏見が入る恐れも
 ・セデーションの欧州GLは他に手段がない、予後が数日以内としているが……
 [15]「社会的弱者にリスクがある」への反論
 (i)そういう意図ではない。不治、末期、耐えがたい苦痛という条件を付ければよい
  ←意図については[14]で検討済み
  ←★条件については次のことが必要と考えられる
   不治、末期、耐えがたい肉体的痛み、精神的痛みへの可能な支援を既に試みた、
   判断力ある患者が他の選択肢を検討した、圧力ない任意の希望である
  ←だが、運用の中で確認が疎かになる恐れ。slippery slope
 (ii)リスクはあるが、対策をとればよい
  ←上記条件は★核心部分が曖昧な言葉でしか表現できない cf.境界例
   ・特に「任意性」。「支援を希望しながら得られない人」を除外できるか
   ・機能障害者の「死にたい」を安易に認めるバイアスが臨床判断に入る恐れ
 (iii)リスクは現実化しうるが、なお合法化するメリット/しないデメリットがある
  ・メリット:自己決定の尊重、苦痛からの解放
  ・デメリット:上記メリットが得にくい、不適切な施設別判断が増えるリスク
  ←★比較考量は必要。だが弱者へのリスクは現実化しうるし重大なことを考えよ
  [16]「比較考量」をやってみる
  ・医療的バイタリズム(いつでも可能な限り延命すべき)の主張
   =医療技術が患者の害になる場合がある、パターナリズム(ICの軽視)
  ・医療技術の進歩による苦痛の軽減、うつによる希死念慮の恐れ
   →合法化のメリットはそこまで大きくないかもしれない
  ・弱者へのリスクはないといえない(バッティンらの調査批判)
   →合法化のデメリットは無視できない
  ・合法化(not GL)により、生命維持しなくてよいという考えが普及する恐れも
 (iv)重度機能障害者は生き続けるに値しない
  [17]←そういうことはあるか? cf.障害者団体の危惧、津久井やまゆり園事件
  ・機能障害者の生活満足度は高い。障害のパラドックス the disability paradox
   厚労・小西郁生班によるダウン症者調査(2016)でも幸福感8割
  ←ブロックらの批判「満足度と客観的幸福は別」
   ←満足している人は直観的に幸福。ただし支援制度などの向上も勿論必要
  ・本人に生きる意欲があるなら、少なくとも本人にとり価値があると見るべき
  *では満足していない人は生きるに値しないか?
   →「人の内在的価値」の議論へ進む
 (v)周囲に大きな負担を強いる人には死ぬ義務がある
  ←[9]で検討済み

▽生命の神聖さに訴える反対論

 [18]人の内在的価値
 ・ドゥオーキンの区分
  手段的価値 別の価値を実現する手段としての価値。紙幣など
  主観的価値 それを好きな人が成立させる価値。古切手など
  内在的価値 上記2つを除外しても残る価値
  →命あっての物種と思わない、生きることを望まれていない人がなお持つ価値
   ほとんどの文化圏で受け入れられてきた考えとされる
   これがあるとすると、安楽死、尊厳死、自殺幇助が許容しにくくなる
   しかし、自己決定や本人の利益に反しても守るべき価値だろうか?
 (i)SOL(Sancity of Life、生命の神聖さ)
  批判1. そもそも曖昧である
  ・次のようなものが混ざっている(各立場への批判は[19])
   ・バイタリズム(動植物まで破壊不可)
    ←これを前提する議論は少なかろう。抗生物質も使えなくなって無理
   ・完全平和主義(人間は破壊不可)
    →死刑、戦争、自殺(幇助)、中絶を許容しない
     これも正当防衛など認められず無理あり
   ・キリスト教倫理(罪のない人間の「意図的」殺害は不可)
    →「意図的」で正当防衛や緊急避難を許容。また「殺害」は作為限定
    ←QOLに対する配慮を著しく欠いている
   ・種差別(人間であること自体で動植物より価値が大)シンガー
    ←人種差別と同じ構造で無理。差別に「人間だから」という以上の理由がない
   ・生命の「質」で評価してはならない(QOL否定)
    →人間の命である以上はすべて同じく神聖
    ←患者のQOLに関わらず延命しなければならない eg.表皮水疱症の子
  ・例外はあるか、他の価値とバランスさせられる可能性はあるかが曖昧
  批判2. 本人の利益を省みない。著しい利益侵害も許容してしまう
 [20](ii)カント主義。理性的存在としての人格の尊厳に訴える反対論
 ・合理的本性への敬意。他人だけでなく自分にも向けるべき→自殺・幇助不可
 ・理性的人格に内在する価値=尊厳(カント主義における「尊厳」)
 ・ヴェレマン:自殺は人格の手段化(自殺による利益をとるもの)と批判
 [21]ヴェレマンへの批判とヴェレマンの応答
 批判1.犬猫など合理的本性のないものが道徳的配慮に値しなくなる
  ←動物にも別の内在的利益があると考える
 批判2.差し控え、中止、セデーションも擁護できなくなる
  ←例外的に生命を破壊できる場合はある
   I)合理的理性(意識、思考)を欠く回復不能な遷延性意識障害の場合
   II)極度の痛みにより尊厳が損なわれている場合
    (利益と尊厳の比較衡量が可能とする立場もあり得る)
    *セデーションに関する緩和医療学会GLも近い
    ・一時的鎮痛、手術時の全麻もダメか?との疑義もあるが…
     ←短期的かつ回復可能なのでOK。同じ理由で麻薬はダメ
   III)便益や危害除去を目的としていない場合
 →決定的なカント主義批判はなさそう、とすると…
  ・米オレゴン州での致死薬処方合法化、ベルギーの曖昧規定など許容不能な事例も
  ・日本の尊厳死法案も諦めが早すぎる

2019年03月31日

熊谷など

友人と熊谷の川堤で桜を見ました。
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七分咲きかなっていうところですが、きれいでした。

こども食堂をやってる喫茶店??でお茶を飲んだら、フライというご当地グルメのお裾分けをいただきました。
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お好み焼き+チヂミ÷2って感じかな。いいスナック。

「花湯の森」で風呂に入って熊谷駅でさよならしました。
新幹線で通る熊谷駅ですが、よく考えたら使ったの初めてかも。

* * *

友人と深夜に夕飯を食べることになり、新宿、プレゴプレゴ。
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白ワインをデカンタで頼み、前菜5種、羊とごぼうのリングイネ、リゾット、白身魚のポワレ、スペアリブと流したのは正解でした。結構ボリューミーだったので、スペアリブはなくてもよかったくらい。

* * *

■キース・デブリン(冨永星訳)『数学的に考える』筑摩書房、2018年。

数学史をひゅるりっとさらいながら高校と大学の数学の違いを説明した第1章が面白かった。あとは記号論理学と整数論みたいな話がそよそよっと。

2019年03月23日

星くず、遊び、一緒に

最近読んだ3冊。

■橘省吾『星くずたちの記憶』岩波書店、2016年。

「はやぶさ2が小惑星の石を持ってきたら、太陽系と地球の海と生命の謎が解ける」といろんな人がよく言うけど、なんで???というのを一応分かっとく必要があり、半日ぐらいでざっと読みました。宇宙化学っていう分野ですかね。小さいけどちゃんと順を追って疑問に答えてくれるいい本でした。

▽1 鉱物とは
・原子が3次元的に規則正しく配列した固体物質=結晶。これが発見されると「鉱物」として名前が付く。今5000+種類
・環境(温度、圧力、水の影響など)によって鉱物の濃度が高まる→鉱石になる
・イトカワの岩石:
 普通コンドライト(地球上で最もありふれた隕石)と同じ→隕石は小惑星のかけらであることを証明
 800度で熱せられていた形跡あり←今のイトカワではそんなに昇温しない。直径20km超の母天体への天体衝突による破片の集合でできたらしい
 粒子の表面から0.1マイクロメートルまでは宇宙風化(=太陽風に当たってイオンの結晶構造が乱れている)、太陽風に含まれる希ガス(He,Ne)が数百年分打ち込まれていた=イトカワ表面では今も地質活動がある

▽2 元素の生成
・ビッグバンでクォーク誕生→3つずつ結合し陽子と中性子を形成→「強い力」で結合し重水素やヘリウムの原子核誕生
・恒星の中で水素の核融合→水素を使い果たすと収縮して昇温→ヘリウムが核融合→ヘリウム3つ(質量数4×3)で炭素(質量数12)生成。炭素+ヘリウムで16の酸素
・太陽の10倍以上の質量の恒星ではさらに核融合。Ne,Mg,Si,S,Ar,Ca作られる。ただしNiができると停止。核融合起きなくなると恒星は自身の重力でつぶれ、外層は中心核(中性子星かブラックホール)で跳ね返されて放出。これがII型超新星。作られた元素がまき散らされる。重い星は中心部が高温・高密度になってどんどん核融合が進むため、寿命が短い
・双子の星の一方が寿命を終えて白色矮星に→もう一方が寿命を終えて赤色巨星になると、白色矮星側にガスが流れる→白色矮星の質量増加、チャンドラセカール質量(太陽×1.4)に達すると核融合再開。一気にNiまで合成されIa型超新星に→白色矮星の質量の1/2~1/3がFe,Co,Niに替わって宇宙空間に放出される
・Au,Uなどの元素は作られるのは大量の中性子を一気に原子核に吸収させるような環境。まだ結論は出ていないが(1)大質量星の超新星爆発の最中(2)超新星爆発で中性子星になった双子の連星が合体する際。重力波観測に期待
・これらが材料となって太陽系生成

▽3 ちり
・ちり:1マイクロ以下。星間減光の原因。非晶質ケイ素、かんらん石、輝石、Mg,Si,Fe,Al,Caなどガスになりにくいもの。赤外線で分光観測すると非晶質ケイ酸塩など(ピークの幅が広い)→宇宙鉱物学へ。
・年老いた恒星の周りにあるちりが、新しく生まれる星へ元素を運ぶ。非晶質ケイ酸塩、結晶のかんらん石、輝石、アルミニウム含有の酸化物など。原始惑星円盤にも結晶の輝石やかんらん石がみられる。ただし星間空間には結晶質がほとんどない。なぜかは不明
・プレソーラー粒子は隕石に含まれる。ケイ酸塩、酸化物、炭化物など、1マイクロ以下。由来は大きさや形成時期の違う複数の恒星のものが混ざっている

▽4 太陽系の始まり
・分子雲:超新星爆発の衝撃波などで星間ガスが掃き寄せられると考えられる。ちりの表面に付いた水素原子同士がくっついて分子になる。非結晶の氷も。ちりの上で分子ができ、有機物になる。特に濃いところが「分子雲コア」→星になる
・太陽のまわりの原始太陽系円盤(ガスやちり)で、10kmサイズの微惑星形成→太陽近くでは火星くらいの原始惑星が20個くらい形成→原始惑星の衝突で地球型惑星。太陽から遠いところでは鉱物のちり+氷も材料に地球の10~15倍質量の原始惑星形成→重力でガスを引き寄せガス惑星形成。さらに遠いと原始惑星の形成に時間がかかり、形成したころにはガスが散逸していて氷の惑星に
・隕石
 1 石質隕石
  1.1 コンドライト(地球落下の86%):溶岩由来組織なく太陽系元素存在度と一致
    ケイ酸塩のほか金属の鉄含む。溶けていない小天体のかけら。昔の記憶あり
    内部の丸いコンドリュールはケイ酸塩。加熱の形跡だが原因は不明
    CAIの形成時期45.67億年を太陽系の年齢とした。太陽酸素の同位体組成と一致
  1.2エコンドライト(8%):火成岩、マグマ冷え固まった
 2 石鉄隕石(1%):火成岩成分と金属鉄成分の混合
 3 鉄隕石(隕鉄)(5%):天体が溶けて金属鉄が中心に沈んだ核に相当

▽5 太陽系天体
・月:親子説(地球から分裂)、兄弟説(地球と一緒に誕生)、巨大衝突説(今これが有力。原始地球に火星程度の大きさの原始惑星が衝突し飛び散った破片から月ができたとするもの)

▽7 はやぶさ2
・目的:C型小惑星の炭素質コンドライト。高温を経験していない(S型のイトカワは800度の加熱を経験)。水との化学反応を経験した鉱物や有機物を含む→生命の材料はばらばらで持ち込まれて地球で組み立てられたのか、ある程度組み立てられた状態で持ち込まれたのか
・炭素質コンドライトは壊れやすい。隕石として大気圏突入をへたものが本当にオリジナルの状態を残しているかは疑問。さらに隕石だとどこから来たかが分からない
・コンドライトの重水素や15Nの濃集した有機物は、低温の分子雲での化学反応の証拠と考えられている。また、プレソーラー粒子がいっぱい入っているかも
・リュウグウの複数地点で採取した石の解析→化学的な多様性があるのかを見る→惑星材料の物質分布は不均一だったのか均一だったのか
・水と生命の由来:重水素/水素比が地球の海水と一緒かどうか。C型小惑星が水の起源だとすると、そこに含まれる有機物は生命材料である可能性がある。地球生命が使っているL型のアミノ酸が多ければ、地球に来る前に既に小惑星の中でL型アミノ酸が選択されていたかもしれない

* * *

■ロジェ・カイヨワ(多田道太郎・塚崎幹夫訳)『遊びと人間』講談社、1990年。

ホイジンガの『ホモ・ルーデンス』読んでから何年も経っちゃったよねと思ったら1年経ってませんでした。で、会津から帰ってくるバスで読み始めて1ヶ月かかった。結果どっちが面白かったかといわれるとホイジンガです。けど、ホイジンガの訳者後書きでクソミソに言われてるほど悪くはなかったと思う。原始社会から近代社会への「発展」を説明するのに使っちゃうのはまあ時代だから仕方ない。しかしいつの間にか何でもかんでも遊びの類型で読み解いちゃってて、うーむいいのかなと思った。

遊びというものの持つ特徴を次のように列挙する:
1 自由。強制されていないこと
2 隔離。時間、空間的に限定されていること
3 未確定。先に結果が決まっておらず、創意が必要である
4 非生産的。富を生まないこと
5 規則。独特のルールに従うこと
6 虚構。日常生活と離れた二次的な現実、または明白な非現実
*ホイジンガにないのは3だけ

次のように分類する。いずれも集団的な行為で、堕落形態もある:
A 競争(アゴン)。サッカー、チェス
  機会の平等(ハンデを含む)、個人の能力のみを頼りにする
  責任を引き受ける
B 偶然(アレア)。ルーレット、富くじ
  遊ぶ者は受動的。力の及ばない独立の決定の上に成立する。勝負の相手は運
  規律、勤勉、忍耐の排除。能力以外のすべてを頼りにする。意志の放棄
  アゴンとは逆の性質だが、これもある意味平等
  動物や子どもとは縁遠い遊びの類型である
C 模擬(ミミクリ)。海賊ごっこ、演劇
  自己を他者とすることで世界から脱出する
  虚構の世界の受容。第2の現実を顕示すること
  スポーツイベントでは観衆が競技者に同一化する=アゴンとの親和性がある
D 眩暈(イリンクス)。急速な回転や落下
*ホイジンガは「偶然」への言及が薄い。「眩暈」については言及がないという

これらは、次の2極とも関係する
パイディア:気晴らし、即興、無邪気
ルドゥス:努力、技、器用、忍耐、無償の困難。制度的遊び
ルドゥスはパイディアに規律を与え、文化的現象にする力となる

で、「原始的な/混沌の社会」(模擬と眩暈)→「計算/秩序の社会(近代社会)」(競争と偶然)という発展モデルができる。
ちなみに意志的/脱意志的 × 計算(個人的)/混沌(集団的) の2軸で振り分けると:
競争=意志的かつ計算
偶然=脱意志的かつ計算
模擬=意志的かつ混沌
眩暈=脱意志的かつ混沌

計算/秩序の社会の中には、競争で勝てない人々のガス抜き、あるいは「解放の遊び」として偶然(くじ、賭け事などによる一発逆転の夢)が組み込まれている。スターを信仰すると同時に、スターに胡散臭さをかぎ取るのも「運」の希求が根っこにあると思われる。また、模擬も演劇として目こぼしされている。ただし眩暈は排撃される。

* * *

■宇野重規『未来をはじめる』東京大学出版会、2018年。

所用で往復した新宿―立川間と待ち時間で。女子中高生にやった出前授業の記録。ヒューム、カント、ヘーゲルの形容とか超絶コンパクトで分かりやすかった。買うほどじゃないかなー、と思って図書館で借りました。そんな感じでした。

2019年02月19日

会津

1泊で会津に行ってきました。
目的はほぼ1個、「さざえ堂」を見ること。

バスタ新宿から会津若松駅行きの高速バスに乗ります。1Cの席をとると、正面に足を伸ばせないのですが通路に足を出すことができ、前方の景色を見ることもできるので快適です。
片道4時間半。持ってきた本読んで、うとうとして、本読んで、休憩のSAでどら焼き買って食って、本読んで、東北道から磐越道に入るとそこは雪国だった!

13:30に会津若松駅で降りました。すぐに周遊バスに乗り換えて飯盛山へ。
これだ。
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右手の入り口から入って、らせん状の通路をぐるぐる上がっていきます。
一筆書き構造なので、上る人と下る人が出会いません。
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てっぺんは太鼓橋になっています。
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180度ずれた2本の通路が上で接続してるわけですね。
西国三十三観音を一気にお参りできるというめっちゃお手軽な巡礼の場だったものの、明治の神仏分離令後に観音像は外され、そのあと白虎隊像になり、それも「皇朝二十四孝」という会津藩の道徳教科書の挿絵みたいなものに替わってしまったということで、もう特に御利益もなさそう。
白虎隊の皆さんはさざえ堂の脇にいた。
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もうちょっと登ったところには、白虎隊の逸話に感激したナチやファシスタが建てた碑がありまして、もうなんといいますか。

「あ~~お城が燃えてる~~泣」の像。
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自刃の現場に建っています。正面から見ると結構怖い顔してます。

さてバスの時間に合わせて山を降りて、東山温泉に日帰り入浴に行きましょう……と思ったら東山温泉をすっ飛ばすバスに乗ってしまい、鶴ヶ城に連れて行かれました。
お城はあまり興味がないので歩いて七日町のほうに向かっていたら、なんか立派な建物。宮泉銘醸でした。入ると試飲できるじゃないですか。しかもほとんどが無料。
あと、こちら720mlで5000円というのは試飲300円。でもこんなについでもらえます。
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これも芯が強くて清々しい味でしたが、別に1700円くらいですごく華やかな果実のような味がうまーーーい!というのが一本あり、お土産にしました。

そういえば昼飯を食べそびれていたので、適当なお店(名前失念)でソースカツ丼。
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いやまあソースカツもおいしいですけど、何よりお米がおいしかった。

風呂は「富士の湯」という温泉施設へ。450円。やっす。地元の人たちがいっぱいいる巨大な銭湯でした。気持ちよかった。

夜は「カレー焼きそば」にも手を出してしまいました。
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さらに「BEANS」というダイニングバーに入って寝酒を飲んで就寝。
上記2店ともに、1000円で飲み歩きセットが出てくるスタンプラリーみたいなことをやっているお店の一部です。スタンプを2個ためたので、景品の赤べこストラップをもらいましたw

人口12万だそうですが、そんな規模だとはちょっと信じられないくらいちゃんとした食べ物が出てくるお店はあるし、それなりに集積した飲み屋街もあります。さすが往年の城下町。

* * *

ニューパレスっていうホテルに泊まったのですが、お部屋は小綺麗なビジネスホテルみたいな感じ、朝も「こづゆ」(写真右下)など郷土料理を取り混ぜたバイキングですごくよかったです。
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チェックアウトすると外はこんな。というか前の日から大体こんな。
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七日町駅から列車に乗って、湯野上温泉駅まで南下します。そっちまで行くと結構天気いいんですよね。
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インバウンドさんたちでぎゅうぎゅうのバスで下郷町の大内宿に行きます。
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イザベラ・バードも逗留したらしい。
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だいたい蕎麦屋と土産屋なんですけど、観光地なのに愛想が良くていいなと思いました。
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縁起が12世紀から始まっちゃう「玉屋」でおそばを食べます。
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名物は「ねぎそば」で、長ネギを箸がわりに使って食うという代物。
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どうやって食べるんじゃい、と思いましたが、丼の縁にそばを追い込んですすれば簡単。
いや、なかなかどうしておいしいそばでした。
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そんじゃ帰りましょう。会津若松に戻るとまた雪でした。
帰りのバスで本(下記の木庭本)フィニッシュ。時間が細切れになってしまう通勤電車と違って、本を一気読みできる長距離バスは歓迎です。

* * *

■木庭顕『誰のために法は生まれた』朝日出版社、2018年。

桐蔭学園の生徒に対する出前授業の記録みたいです。
権力と利益のためにつるんだ徒党から、それと対峙する個人の自由を守り、徒党を解体する。その手段は(1)政治システム(2)デモクラシー(3)占有を大事にすること。(1)のエッセンスを取り出したのが近代国家。ということは、(1)ないし国家と徒党が癒着することこそまず警戒しないといけない。
とかなんか面白いこと考えてるぞ、と思うことを感じ取るまでで、もう一冊何かいきたい、そのうち。

■井出哲『絵でわかる地震の科学』講談社、2017年。

途中難しいが「今後何度も参照するしな」と割り切って乗り切った。

■太田省一『テレビ社会ニッポン』

1/3くらいで、もうちょっと読むべき本が他にある気がしてしまい、読み通せず。

2019年02月03日

陛下たち

これ絶対4月までに読まなきゃ、と暫く前からアマゾンの「あとで買う」に入れていたのですが、会社の図書室にありましたっ

世襲の君主を戴くという、本質的に差別的な君主制という制度(そうでないのが共和制)が、なんで人間の平等を基礎にした民主制と両立するの?しかもわりと先進的な民主国家で?ということを考えた本。民主制の中に位置付きつつ国のアイデンティティを保証し、濃淡はあれど中立の調整権力という役目をうまく果たしているから、というのがまあ答えなんでしょうかね。それが21世紀にどうなるのかな、という疑問は開いたまま終わった。

統一感に欠けがちな論文集という体裁に警戒感ばりばりで読み始めましたが、のっけから面白く、えっ誰の本だっけ、あっ水島治郎さんなら面白いはずだ、と納得し、そして著者たちがお互いをちゃんと見ながら作ってくれたおかげで最後まで面白かった。

■水島治郎、君塚直隆編『現代世界の陛下たち―デモクラシーと王室・皇室』、ミネルヴァ書房、2018年。

・各国の君主制や天皇制が、グローバル化の中で共通の課題に直面しており、しかも君主たちは身の振り方についてお互いを参照している可能性が高い
・2016年の天皇「おことば」の前にはオランダ、ベルギー、スペインで退位が成功している。文言もオランダのベアトリクス女王の退位演説と似た箇所がある。ベアトリクスもビデオメッセージだった(cf.日本を扱った原論文は、「おことば」の明仁天皇と昭和天皇を対比し、「国体」とデモクラシーの両立、という点での連続性を見ている)
・イギリス、北欧、ベネルクスは先進的デモクラシー国家でありつつ、本来はデモクラシーの平等主義と相反するはずの立憲君主制を採用している。20世紀を生き残った君主制では、いずれも王室が民主主義、自由主義を積極的に受け入れ、時には擁護者として振る舞うことで国民の支持を調達してきた。「民主化への適応」の可否が王政の存否を決定づけた
・偏狭なナショナリズムから距離を置き、普遍的価値を体現する王室について、進歩派は概して肯定的、右派は不満を感じるという「ねじれ」が起きている。が、まさにこのねじれを生む中道路線が、結果的に「王室の姿勢に共感する進歩派」も「違和感がありつつ王政を否定しない右派」も巻き込んだ幅広い支持の源である

【現代世界の王室】
・2018年現在、世界の王室は28。エリザベス女王が君主を兼ねる英連邦王国を合わせると43カ国が君主制を採っている。これは国際社会では少数派
・だが、日本の天皇が総理や最高裁長官の任命権などを持っているように、各国それぞれ憲法に定められた力を持っている(例外はスウェーデン。ただし外国大使の接受など外交はする)
・国民1人当たりGDPの高い国に君主制がわりと多い。王様たちも富豪。ただしノブレス・オブリージュに従って戦時は戦場に赴き、平時は慈善事業。富と権力を過度に集中させ、デモクラシーや人権を軽視すると、軍部のクーデターや人民革命を招き、生き残りが難しいことが20世紀に示されている。これらの概念の故郷ではない中東であっても同じ

【各国事情】
・イギリス:権利章典で「王権と議会」による統治が明確化。産業革命後は中産階級も政治に参加、総力戦のWWI後には大衆民主政治が本格始動。ジョージ5世は「国父」かつ戦死者の「喪主」に。「公正中立」を貫き労働党政権ともうまくやった
・エリザベス2世は(1)コモンウェルス(旧植民地・自治領)(2)アメリカ(3)ヨーロッパ、といずれも繋がった外交の後見役。ダイアナ事故死以降、メディアと国民の目を意識した”見せる”活動へ転換した。国民の支持を必要とする君主制。また、成典憲法がない国での慣例、あるいは連続性と安定性の体現者としての君主
・君主制はデモクラシーと両立する限りでのみ存続する。代表例が、革命を経て議会政治を先駆的に発展させて高度な政治的成熟を実現したイギリス。君主の「機能的部分」を首相が受け持ち、君主は「尊厳的部分」を担った。貴族はブルジョワとの通婚が進み、議会では国王の暴政と対峙した
*対照的なのは、絶対王権の下で安定した議会制が発展せず、貴族も早くから解放された農民にとって憎悪の対象にしかならなかったフランス。人権、デモクラシーという「理念」に国家の一体性、継続性を担わせるのは結局大変だった。危機を乗り越えるべき強大な権力はそれを目指す政治家たちの闘争を招き、「調整する権力」が出てこない

・スペイン:国王が聖職者にも及ぶ絶対的な王権を及ぼす「国王教権主義」、カタルーニャやバスクの地域ナショナリズム。王朝の交代や外国出身の王など「祖国統一の象徴」にならない王室
・革命と反革命の19世紀、労働組合・軍・政府が対立した不安定な20世紀。内戦からフランコ独裁を経由し、「すべてのスペイン人の王」による君主制(not共和制)+民主制(not独裁制)へ。議会制君主制(1978憲法)。モロッコ、ラテンアメリカなどとの王室外交も。21世紀には王室が大衆化(ZARAやスキャンダル等々…)。しかしどの程度開かれるべきかは課題

・オランダ:安楽死、売春、同性婚の合法化など先端的な民主国家。社会の近代化、民主化を受け入れ、時に先導し高い支持を得る王室。20世紀にはナチ占領に対して英国から鼓舞するなど解放のシンボルに。3人の女王はいずれも生前退位。21世紀には移民・難民政策や反イスラムなどの課題があるが、グローバル人権主義に立った政治的主張がかえって支持を受けた

・ベルギー:1830オランダから独立。北部フランデレン(オランダ語)と南部ワロン(フランス語)の多言語国家で。分裂と対立をいつも内包してきたこともあり、各宗教や階級ごとの政党支配と、政党エリート間の妥協によって安定を維持する、特徴的な「合意型民主主義」が存在(即断即決の多数決型民主主義と対照的な、西欧小国特有の妥協政治)
・君主国に囲まれた状態でオランダからの独立を維持するため「君主国」を選択。憲法で国王を縛っている。が、不安定な国のため、秩序維持という現実的な理由で組閣の際に国王の介入(調整)が許容されている。特に言語に基づいた分裂の危機には、普段は共和制的な政治の中に突然、交渉仲介人として国王が召喚される。おそらく今後続くテロの時代にも

・タイ:大衆の国王敬愛と、それに基づく強大な政治的権威は、プミポン(ラーマ9世、在位1946-2016)の時代に定着したもの。サリット首相(1959就任)が王室・仏教伝統行事を復活させ、国王夫妻の外国訪問も推奨。1973年、学生デモへの発砲で首相を退陣させる政治介入が歓迎され、民主化とともに国王の政治的権威も高まった。クーデタが政権交代の手段として恒常化し、成功して国王が認めれば正統性を得られる。が、認められないと反逆罪
・上記のような政治介入歓迎の基盤は、1966からの数多の行幸(ただし日本と違い離宮滞在型)と民衆の奉迎体験、スピーチ、また国王映画(のちテレビ)を使ったメディア戦略で作られてきたのだろう
・で、現国王のラーマ10世はスキャンダル、SNS取り締まり、国王権限強化の試みなど、国父にはちょっと遠い

2019年01月24日

伊豆など

伊東にある会社の保養所を飲み友人2人が見たいというので、連れて泊まってきました。
熱海で早咲きの桜見て~、あそこで飯食って大室山登って、なんなら西伊豆まですっ飛んで~、といろいろ計画していたのですが、それぞれ思いつきであれがしたいこれが食いたいと言い出したためほとんど実現せず。まあやりたいことがあるならいいです、それで。

家族と行ったときには全く寄りつかなかったシャボテン公園。
割引でも2000円でハァ??と思いつつ友人の希望で入ったのですが、なかなかどうして動物との距離が異常に近くて楽しかったです。
ストーブにまとわりつくカピバラ。
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伊東駅の駅そばが3月で閉店するというので「きざみそば」を食べようと思ったら、手が滑って丼を落とし、カメラにそばつゆをかなり大量にぶっかけてしまいました。
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電源入れたときにレンズカバーが開くのがすごくゆっくりになってしまい、悲しい。

* * *

元上司が本を出し、アマゾンのレビューでサクラをやったお礼に?ふぐをご馳走していただきました。6刷まで行ってるそうなので呵責なく、しかしありがたく。

* * *

札幌友人が沖縄から札幌に帰ろうとしたら新千歳の悪天候で羽田に着いてしまったとのことで、図らずも1年ぶりくらいの面会かない、昼飯を食べました。
新宿「あるでん亭」でアリタリア。クリームベースだがミートソースがかかってます。
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おいしかった!!

* * *

いつ以来か、亡母が夢に出てきて、しかも家族+αくらいで延々バンみたいな車で旅行する結構な長さの夢でした。既にかなり体力が落ちた頃のようで、弊管理人は「いずれ薄れてしまう記憶、流れ去ってしまう今をどこかにとどめることはできないだろうか」と思い、しかし次の瞬間には「今のシェイクスピアみたいなフレーズ、いいね」とメタに行ってしまう。これはいまだに近親者の死とまともに向き合うことさえできていないということなのでしょう。

それを3度寝くらいしながら見ていたら9時間近い睡眠時間になっており、そのあとジムに行ってから出勤したのに、深夜に至るまで全く疲れを感じず、体調最高でした。

* * *

■伊達聖伸『ライシテから読む現代フランス』岩波書店、2018年。

2019年01月14日

連休補遺

厳寒期という言葉が似合う、この数日。
寒いの好きですが、体は壊れるという。

* * *

前々からマークしつつ行ってなかった、代々木の「曽さんの店」。
上司から「餃子まじうまい。餃子以外はどうでもいい」と聞いていたのに、台湾ラーメンと餃子のセットを頼んでみました。
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上司正解。皮もっちもち。ご飯とのセットもあるけど、これはご飯と食べるのは違う気がする。ビールセットがありますね。大人はそれでいいかもしれない。弊管理人としては何だろう。もう一品おかずを付けてやっぱりご飯か……

* * *

■黒田亘編『ウィトゲンシュタイン・セレクション』平凡社、2000年。

2018年12月30日

年末まとめ

1月 長岡出張そこそこ面白く、山谷・吉原街歩きとても面白く
2月 大阪出張楽しく(食うのが)、内之浦出張もなかなか味わい深く
3月 日高旅行。つい北海道に行っちゃうのはよくないな
4月 京都お花見楽しかった。フィンランド出張、年内に成果出ず痛恨
5月 出張ついでに出雲大社。ていうかよく出張してるね振り返ると
6月 おじさん職位研修。ほとんど記憶喪失
7月 また北海道(道東)行った。どこか行きたかったんだよね、わかる
8月 ウズベクしみじみよかった。海もなんだかんだで遊んだ感
9月 右上の歯の問題で混迷。最終的には久しぶりに噛めるようになった
10月 意外と休めなかった秋。大阪出張は羽伸ばせたが成果はやっつけ……
11月 お友達に会いに大阪と静岡。一方で平素の人間関係の一部に倦み始めた
12月 なんかあっちゅう間に年末きた。福島出張。方向感喪失

・こうやって見ると意外と出かけたな。でも行ったことのあるところが多く反省
・うまいもの欲がほぼ消えた。出かける先が同じ問題と合わせ、やや好ましくない
・12月に階段で足を軽くひねった他はわりと健康な本厄だった
・でもなんか心臓やばい感じの時ない?とりあえず様子見
・ちゃらけたことを言ったらマジレスされて損した気分になることが多かった
・週末に人と遊ぶこと多し
・午前7時と午後4時始まりのシフトがごちゃまぜで来る生活だったけど、体のリズムをそこまで乱さないやり方は見いだしつつある。座りっぱなしにならない工夫は必要
・とかやってるうちにびゅんびゅん時間が過ぎたので、来年は少し楽しいことを見つけたい(と最近毎年思ってるような)

* * *

本は昨日今日読んだこれで今年はたぶんおしまい。年明けにちょっと書き足すかも。

■前川啓治他『ワードマップ 21世紀の文化人類学』新曜社、2018年。

■多田将『ミリタリーテクノロジーの物理学〈核兵器〉』イースト・プレス、2015年。

2018年12月21日

ハーフなど

■下地ローレンス吉孝『「混血」と「日本人」―ハーフ・ダブル・ミックスの社会史』青土社、2018年。

「日本人/外国人」の強力な二分法のはざまに置かれ、あるいはその時々どちらかに恣意的にカテゴライズされてきた存在。一方で、共通性に基づいた単一のエスニック・グループとしてまとめがたい多様さを有している「語りにくい」人々。その語られ方、経験され方をまとめています。校正も文章も甘いのが若干気になりますが、一定の見通しを与える重要な本。

【1945-1960s】
・戦中までの「混合民族」イデオロギー、「内地人/外地人」区別の再構成を迫られる
・旧植民地出身者問題:戸籍編成に際して、夫が内地籍→子どもは内地籍、夫が外地籍→子どもは外地籍。「日本人/外国人」境界の明確化
・混血児問題:多くは米兵と日本の女性の間の子。政府は「特別扱いしない」「騒ぎ立てない」方針の下、差別を放置。また調査における混血児の範囲を極端に限定。国際養子縁組による外部化・外国人化のドライブ
・支援:五三会、レミの会など

【1970-1980s】
・1970、アイドルグループ「ゴールデン・ハーフ」以降「ハーフ」言説の興隆
・アメリカ文化の積極的受容、ハーフタレントの称揚、商品化、ジェンダー化。同時に、消費に馴染まない「差別・貧困問題」の不可視化
・国際化と日本人論の流行→単一民族・日本人イメージの強化→ハーフの外国人化(cf.「日本人以上に日本人らしい」…)。国際結婚相手のルーツ多様化。
・朝鮮系が見えなくなる
・支援団体の活動低迷

【1990-2000s前半】
・多文化共生における日本人/外国人境界の強化
・「国際児」「ダブル」運動(ただし限定的。成人を問題の外に置いてしまう効果も)
・バブル崩壊後の雇用条件悪化と労働不足→1990入管法改定→南米から「日本人の血」をもつ日系移住増加
・外国人、子どもの支援活動活発化

【2000s後半~】
・1970以降出生の子どもら成人→自らハーフを名乗るアイデンティティ・ポリティクス
・ハーフの商品化拡大、犯罪に結びつけた負のイメージも
・ハーフ、クォーターの多様化
・SNS等を通じた当事者のメディア・アクティビズム(消費の客体から発信主体へ)、居場所機能も
・海外情勢に応じたハーフ+外国人監視の強化

【経験談の分析】からキーワードをいくつか
・詮索される体験「なにじん?」
・単一人種観multi-raciality:1人が所属するエスニックグループは1つ
・外見上見分けのつかない中国・朝鮮系→カムアウトに伴うリスク
・就職差別
・ジェンダー×ハーフ。外見ハラスメント(美醜、犯罪との結びつき)
・ネイションとの結びつき「竹島どう思う?」「フィリピンって拳銃とか普通に使ってるんでしょ」
・マイクロ・アグレッション。日常的なハラスメント

■国分功一郎『スピノザ「エチカ」』NHK出版、2018年。

『エチカ』読んでからだいぶ時間がたってしまいました。
この本てタイトルになるほどethicsなの?という疑問がちょっと解けそう。
録画してある番組はこれから見ます。

■佐藤正人『日本における再生医療の真実』幻冬舎、2018年。

いただきました。ありがとうございます。

* * *

仕事といえば仕事、くらいの案件で福島浜通りに行ってきました。
いわき湯本での前泊はもっと余裕のある時間に到着するつもりが、その前の仕事がばたついて結局20時過ぎ着。で、フリースの帽子をなくし、頭寒い頭寒いと泣きながら(うそ)「海幸」に寄せていただきました。
煮魚定食にしようと思ったのですが、念のため焼き魚が何かも聞くと「カナガシラです。知りません?ホウボウっぽい……面白い顔の」と言われ、顔見たさに焼き魚定食(1180円)を頼んでしまいました。
これ。
181222iwaki.JPG
面白いかどうかはともかく、ほくほくでとてもおいしい白身でした。3尾もあってすごい分量に見えますが、身がそれほど多くないのでちょうど満足したくらい。冬の魚らしい。
横の人が刺身定食を頼んでいて、かなり豪華でした。弊管理人は食べないけど、たぶん美味。

お宿は湯本温泉の「ホテル美里」。オーセンティック温泉街のクラシカルなホテル。カードが使えないところまでクラシカル。まじかと。

2018年11月23日

ページェント

■タカシ・フジタニ(米山リサ訳)『天皇のページェント』NHK出版、1994年。

これから代替わり系の文章をいろいろ読むにあたっての準備運動の一つとして読んでみました。
アンダーソン!フーコー!ボードリヤール!使って!ますよ!みたいな懐かしさを感じます。
以下メモ。

・江戸時代には一般にほとんど知られていなかった天皇の存在が、明治時代には時間、空間、文化の中心になった。歴史家からみれば極めて近代的な現象が、国家主義者には古代的に見えるのはどうしてか

・徳川時代の統治は身分制という縦の分断と、「藩」という連邦制的な横の分断という「違い」に基礎があった。明治維新に際しても一般的には国家や天皇というものに対して強い意識があったわけではない。天皇を民間信仰におけるカミと混同する向きもあった
・明治政府の指導者は、徳川政府のときのような「従属する愚民」ではなく、「知識を持ち、規律化された国民共同体」が必要と判断した。まとまりのなかった国民を近代ナショナリズムに方向付ける手段が欲しかった
(手段1)文明開化=文化政策。つまり「民衆は教育できるものだ」という信念が為政者にあった。民俗宗教や放逸な祭礼への攻撃、賭博などの禁止。一方で、等質的、包括的な「公式文化(フォークロア)」の発明
(手段2)儀礼の重視。神祇官の設置+儀式の奨励。祝祭日(eg.紀元節!)の設定など
・しかしやはり、中心となるのは「天皇のページェント」だった。天皇が民衆に見られ、天皇が民衆を見る壮麗な「巡幸」。北海道から九州最南端まで。日の丸や菊の紋章の意味もコンセンサスを得ていなかったが、そうした表象を広めるきっかけになった。また、壮麗な巡幸を見せることで、天皇が領土を象徴的に掌握していった同時に、天皇から眼差される従順な主体を創出した

・その後、儀礼が整備された1880年代後半になると巡幸は止み、東京、京都がページェントの中心的舞台になる。東京は文明と進歩を表す場所として、また京都は1000年の歴史をもつ正統性の根拠として
・東京は維新の混乱以来、荒廃したままだった。そこで老朽化していた皇居の整備をする。公の目に触れるところは和洋折衷様式、私的な間は和風にした。また莫大な群衆を集めることのできる「宮城前広場」(と、溢れた群衆が収容できる日比谷公園)を造った。「神聖な場所」を備えた首都の重視(ついでに日比谷・霞ヶ関への官庁の集約と、丸の内・大手町の商業地区化という現在に繋がる都市計画)。
・絵はがきや記念切手、小説にも刻まれ、東京は象徴的求心性を備えた。天皇の露出=政治への関与を示す街に
・一方、「伝統」の場としての京都。天皇の死去や即位式など、過去を参照することで国家の連続性を確認する必要に迫られた場合に利用された。天皇の葬送ではみんな宮廷装束をまとっていた。7世紀以来の仏教式を無視し、新たに作った神道方式での葬儀(孝明天皇から)。スケール、公開度は完全に近代的でありながら、内容は古代的であった
・また、もとは豊穣・繁栄祈願で民間に信仰されていた伊勢神宮を皇室の宗祖アマテラスを祭り、歴史時代以前との連続性を象徴する神社として再編成した
・地方に出掛けなくなった代わりに、「御真影」の配布などによる象徴・儀礼の拡散が行われた

・明治後半、儀式は西欧列強から借り・西欧列強と競う国際的な様式を備えるようになる。西欧近代は儀式を不要とするのではなく、むしろ統治に不可欠の要素としていると考えた
・儀式は国内向けの意味だけではなく、国際的な視線をも意識するようになる。文明の象徴・東京で顕現する軍服と髭で男性化された天皇の姿(一方、伝統の京都が担保する皇孫と一体化した不可視の天皇)。青山練兵場での閲兵や、天皇のパレード。憲法発布、戦勝記念式、婚礼や葬祭
・「記憶」の創出。戦争賛頌の中心としての東京。大村益次郎などの銅像建立、つまり政治権力の自己表象として偉人が姿を現した。大鳥居のモニュメンタリズム。軍服を着た天皇の戦勝ページェント。一方で朝敵・平将門を祭る神田明神の格下げ
・また、銀婚式などを通じて天皇とペアをなす、従属しつつ支える「良妻賢母」の公的な象徴としての皇后が創出された。民衆の常だった「妻以外の女性との開けっぴろげな交際」や「頻繁な結婚と離婚」の否定でもある
・学校や兵舎などを典型として、個々人の身体が可視化され、天皇の身体は見えなくなっていく。これによって、天皇は無限の視線を獲得する

・そしてテレビ時代の天皇。祭祀の場にいる人(天皇自身を含む)にはほんの一部しか見えないが、NHKが(政教分離の原則から私的儀礼とされた部分まで含め)すべてを映し出し解説し、列島の表情まで見せ、全体の把握をさせてくれるメディア・ページェント
・ただしテレビは列島の表情の中で、反対する人の意見も周辺化しつつ網羅し、また昭和天皇の時代の暗い出来事をさっくりと省略。支配的物語の拡散と、暗い記憶の忘却と現在からの切断を促した。忘却の作用
・また物語は複製され、アウラを失い、陳腐化された。古めかしく見えるだけの非歴史的な記号の山。神秘性をもった大嘗祭の中継は、皇威を損なう効果を顕わにした。陳腐化の作用

2018年11月12日

にちよう徒然

土曜は未明までの仕事を終えて、そのまま飲みに行っちゃって朝方帰宅。
日曜は昼前に起きて、同じくらいの時間に起きた友人と東中野の「ピッツェリア チーロ」で昼飯。グラタンコロッケ、レタスのシーザーサラダ、4種のピザが1枚にのっかったやつ。全部すごくうまかった。
そのあとミスドで暗くなってくるまでだべって1回解散。
夜は約束があったのだけど、相手が風邪ということで流れました。
で、さっき別れた友人が音楽の練習を終えるのを待って再集合し、別の友人も連れてカーシェアで「おふろの王様 志木」へ。
そのあと、和光の「くるまやラーメン」で味噌バターコーンラーメンを食しました。
バイパス沿いとかにあるイメージのお店で、今回一緒に食べた福島、宮城、長野出身のメンバーが「なつい」で一致した。そして全員が深く満足した。
この時点で23時、背徳の味が沁みるわけです。
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東京中心部で見かけないのでいつ以来だろうと思ったら、たぶん15年前。田舎で母親が亡くなった夜、妹と二人で自宅の近くのくるまやで夕飯食べたんでした。父は確か病院で夜を明かしたはず。

* * *

■三橋順子『新宿 「性なる街」の歴史地理』朝日新聞出版、2018年。

甲州街道に新設された宿場から遊郭へ、戦後の赤線へ、そして1960年代ごろから性的マイノリティの街へと変貌してきた新宿「あの辺」の歴史。新宿で寝起きし、食べ、遊んでいる弊管理人は脳内ストリートビューを再生し「そこがあれだったかーーーー!!」と興奮しながら読みました。

土日休みの強気なパスタ屋のちょい先にあった遊郭の境界、ゴールデン街の煮干ラーメン屋の建物の由来、二丁目ほぼど真ん中の半地下の中華料理屋のあたりは赤線じゃなくて青線だったらしい、そしてタリーズの裏の不思議な路地。内藤新宿の「内藤」は母方の田舎とつながっていたのも初めて知った。

そのほか、東京の性産業の歴史にも話が及んでいて勉強になります。1月に友人に誘っていただき街歩きした吉原、前に住んでいた新小岩、ラーメンや「すた丼」食べに行っていた亀戸(食べる話ばっかりだな)、何かご縁がありますね。今の地理を知ってると4倍楽しい。

* * *

おじさん職掌見習い日記もまだまだ続きます。

若者が作った文章を商品に仕立てる役のおじさんですが、まあ相変わらず結構な大工事を繰り返しています。あまりに完成度の低いものが若者から送られてくることに腹を立てる同僚おじさんはちらほら見受けられ、弊管理人も血圧が10くらい上がることがなくもないのですが、最近ひとつの理解に達しました。若者の仕事は「できそこないの完成品」ではなく「そもそもからして素材」だと考えるべきだということ。

初心者かベテランかを問わず、一人で書いた文章には――程度の差はあっても――穴があるものです。だから、おじさんが一から書いたら完成品ができるかというとそういうものでもありません。まずは若者が書きたいものを形にし、それを客観的に見ることのできるおじさんが素材として受け止めて加除をし、それを投げ返してチェックを重ねる、というようなキャッチボールは不可欠なプロセスなのです。おじさんは検品係ではなく、ライン下流にいる組み立て担当者なのです。

若者時代、弊管理人は自分の投げた仕事がおじさん(おばさんもいるんですけど、ほとんど不満に思ったことがないので、おじさん)の恣意によって作り変えられると「おじさんの頭の中に正解があって、それに合わせて作り変えるだけなら最初から自分で作ればいいのに」と思っていたものです。でもそれはそうではなく、大枠はやはり現場を知っている若者が作るべきで、それがあって初めておじさんも改良の方向性を見いだすことができる。そう考えることで、おじさんの立ち位置がやっと正当化できました。

* * *

ぶつくさ言う用のツイッターアカウントを閉じてみて、ちょっとぶつくさ言いたい時に吐き出す先がないなあとは感じるのですが、それは持続しないので、今のところ特にぶつくさ用のアカウントをあらためて作ろうという気になってません。

ぶつくさ言うことはかえってその対象への執着を増すようでもあり、周囲も「うわ……」と思うだけであれば、誰得なのかという。今となっては。

2018年10月31日

概ね食べる話

某役所に寄ったついでに虎ノ門、カツとカレーの店 ジーエス。
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このお店がある通りは香港麺「新記」もあり、昼飯でお世話になっています。
カツもカレーもそれぞれおいしかったのですが、特にカツはちゃんと甘みや香りがあって、次はカツ定食(確か1000円)をいただこうと思いました。

週末は神保町の古本市をさまよっていたら友人から「焼肉食べたい」と連絡があり、いろいろ探した末に4人で高円寺のガッツ・グリルに行って学生価格のたべほをしてしまいました。上から2番目にいいコースで税抜き2180円。全然満足したけど。
そんで腹ごなしに高円寺から中野まで喋りながら歩いて別れました。
っていう話を20くらい下の若者にしたら「青春っすね!」と言われました。そうね。亡霊として青春を覗き見した感じですね。つか何、青春。友達と労力を惜しまず安上がりに楽しむこと?その逆に労力を惜しんで高いものを楽しむのが「大人のなんちゃら」かしら。

* * *

おなかが変。
多分食生活が乱れたせいなので修復修復。(←亡霊)

* * *

何年前だったか覚えていないくらい前に、食べ物に混ざっていた小石を噛んでから右上の奥歯が痛かったのですが、いよいよ噛んでないときにも痛みが出るようになったと定期チェックしている歯科医に言ったら、その歯をすごく削られて「歯髄炎」と診断されました。

いや、たぶん小石を噛んだときにどこかが欠けたかひびが入ったかして神経に力学的な負荷がかかっていたんだと思う。歯髄炎はその結果に過ぎなくて、だからそんなに深く削る必要はなかったはず。前々から「硬いもの噛んでから痛い」と言っていたのに「噛み合わせの問題」だとして噛み合わせ調整をされ、改善していなかったのでした。いよいよ弊管理人も「これは強く言って納得いくまで軌道修正させないと危ない」と思いました。

で、ちょっとでも違和感があると「痛いから調整して。力がかかるから痛いんだ」とクレームを入れ、すったもんだしながら痛まない状態まで調整して詰め物をし、なんとそれまで問題のない左側でしかほぼものが噛めなかったところ、両側で問題なく噛める状態を取り戻しました。ストレスなく食事ができることの素晴らしさ。

それにしても不必要な処置を随分した気がする。初めてかかってから8年、これまでは大きな問題なく歯のメンテをずっとしていたけど、あちらも歳食ってきたし、そろそろ完全お任せではだめだなと認識させられました。

* * *

この日記の連絡先にもしていたツイッターのアカウント@amebontanを閉じました。

* * *

結局、寝るとき毛布1枚のまま10月を終えます。
今年が暖かいのか、自分の体の変調なのか。

* * *

■石井暁『自衛隊の闇組織―秘密情報部隊「別班」の正体』講談社、2018年。
いただきました。ありがとうございます。

2018年10月09日

メタ倫理

一時期、弊管理人のタイムラインでやたら推されていたこの本。
こんなのが手に入るなんていい時代だねえ。

■佐藤岳志『メタ倫理学入門』勁草書房、2017年。

倫理学の分類
  規範倫理学:どうすべきか。功利主義、義務論、徳倫理学……
  応用倫理学:具体的な場面でどうすべきか。情報倫理、生命倫理……
  メタ倫理学:規範倫理学の前提を考える

メタ倫理学で問われること
  ・真理をめぐる問題
    (1)倫理の問題に答えはあるか
    (2)倫理的な事柄は普遍的か
  ・倫理、判断、行為をめぐる問題
    (3)倫理的な判断とは何をすることか
    (4)倫理的な判断は拘束力を持つか
  ・倫理に登場する概念をめぐる問題
    (5)善、正しい、価値、理由……とは何か(メタメタ倫理)

【2】メタ倫理学の立場
  ・客観主義
    ―正しさは客体(私たちが見る相手側)にある。倫理は「発見」される
    ※ムーア『倫理学原理』:「善いもの」と「善さ」の区別 cf.赤いトマトとその赤さ
     →その上で「善さ」について考える(メタ倫理学の創始)
     →善は定義不能。そして客観的に存在する
      ○見る人によらない、普遍的な善を考えられる
      ○善の概念が安定する
      ○善に関する議論で「正解」「不正解」が言える。「可謬性」が導入できる
      ×一体誰が客観的善を把握できるのか?独断に陥らないか?(エイヤー)
  ・主観主義
    ―「善さ」は客観的性質ではない。見ている人の側が、倫理を「創出」する
    ―倫理的な真理は存在しない、絶対正しい答えはないと考える傾向がある
      ○現に人や文化によって倫理判断が異なることが説明しやすい
      ○「なぜ自分の判断が正しいと分かるか」に答えやすい(「私がそう思ったから」)
      ○倫理の源泉を神など「私たち」とかけ離れたものに求めなくてよい
      ×男尊女卑や奴隷制などを外部から批判できない
      ×犯罪者の独善を批難できない
      ×「私たち」を超えた倫理がないと、結局は力のある者の倫理がまかり通る
  ・いいとこ取り
    ―例えばヘアの「指令主義」……ただし「どっちつかず」の批判

  ・道徳的相対主義
    ―各々の社会が正しさを決めるルールを持ち、どれが優れているとはいえない
    (1)事実レベルの相対主義
      ―現実問題として、社会ごとに道徳やそれに基づく行為は違っている
        ×表面的な違いの根源を探っていくと共通の規範が発見できる
    (2)規範レベルの相対主義
      ―それぞれ違っている道徳をどれも尊重しなければならない
        ×事実として違っていることと、それを全部尊重すべきことは別問題
        ×実際に残酷な慣習を目にして「ひどい」と思っても耐えなきゃいけないのか?
        ×相対主義は絶対的に正しいか?というパラドックスに陥る
    (3)メタレベルの相対主義
      ―相対主義も相対的である
        ×「相対主義も相対的」は絶対的か?
      ―相対主義は2階の主張として絶対的に主張してよい
        ×恣意的な区別ではないか?
      ―すべてではないが、いくつかの道徳的主張が相対的なのである
        ×相対的なものとそうでないものは説得的に分離できるか?

【3】倫理における真理をめぐる存在論・その1:非実在論
  ―道徳的事実や性質(道徳的真理)は存在しない(主観主義と相性が良い)
  ―例)人を殺すという行為の中に「悪さ」は存在しない
  ―認識論における非認知主義と親和的
    (道徳判断は道徳的真理の認知に必ずしも基づかない)

  ・錯誤理論(マッキー)
    ―「道徳的性質や事実」は存在せず、その虚偽に基づいて行う判断はすべて誤り
      ※つまりマッキーは認知主義かつ非実在論
    背理法(1)道徳が実在するなら誰にも同じように存在するはず、だが文化は多様
      ×人々の道徳は大枠では共通。無差別殺人の不許容など
    背理法(2)他のものと全く違った有り様や、それを感受する特殊能力を要求するのが変
    私たちを動機付けるのは外界の何かではなく、心の中の欲求や感情だけ(ヒューム主義)
      ×別に変じゃない。色や面白さなども外界に存在する(これは再反論も可)
      ×今は変に見えてるだけ(エーテルを想起)

  ・錯誤理論が正しいとすれば、どうする?
    (1)道徳を全廃:魔女狩りなど、錯誤と独断に基づく悲劇を生まないよう
      ×でも全廃論者も「魔女狩りはよくない」という道徳判断使ってない?
      ×道徳ってあったほうが社会が安定しない?
    (2)有用だから使う(道徳的虚構主義)―「サンタはいい子のところにしか来ない」など
      (2-1)解釈的虚構主義:みんなウソだと知っているが利用している
        ×不正義に心から怒っているとき、本当に道徳はフィクションと思っているか?
      (2-2)改革的虚構主義:みんなウソだと気付いてないので、気付いて利用すべき
        ×ウソだと分かったことに、そんなにコミットできるか?
    (3)別に今うまくいってるのでこのまま行きましょう(保存主義)
      ×それってプロパガンダでは?みんなに隠し通せますかね?
      ×道徳ってそんなに軽くていいのか?

【4】倫理における真理をめぐる存在論・その2-1:実在論(自然主義)
  ―道徳的な性質や事実は心のありようから独立して実際にある
  ―道徳の問いに答えはある
  (―が、「あるけど分からない」という不可知論は採りうる)
  ―道徳は全く奇妙でない形で存在する(自然主義)/奇妙だけど実在する(非自然主義)

  ・自然主義
    ―神、魂、オカルト的な超自然的なものに訴える必要がないという立場
    ―自然科学などで倫理は十分に説明できる。経験的に知りうる範囲に収まる

    ・素朴な自然主義(意味論的自然主義)
      ―善、悪、正義などは、実験や観察で知りうる何かの言い換えである
        (例えば善=快、悪=苦痛、とする功利主義など)
      ○分かりやすい。身近なものの言い換えなので確認しやすい、人に伝えやすい
      ×自然主義的誤謬を犯している(ムーアの「開かれた問い」論法)
        人は常に「快が増える」=「善」とは考えない(覚醒剤など)→開かれた問いである
        ※ムーアは善は定義不能だが、端的に存在すると考える(実在論)

    ・ムーアへの修正応答:還元主義的な自然主義
      ―ゾンビ。「ゾンビはAウイルスに感染した人である」的な説明
      (1)本当は閉じた問いだが、私たちがまだ気付いていない(分析的還元主義)
        ―「善」の用例を集めて/機能を明らかにし/同じ機能の別の概念に置換する
        ―善の辞書的な説明を作ると、別の言葉xに置換可能になる
        ―つまり、「善」の中に最初から置換可能な概念が入っていると考える
        ×善と別の言葉xが置換可能になる理由が分からない(特に理由はない?)
        ×どれくらい用例を集めたらいいか分からない(成熟した使用者に聞けばよい?)
      (2)特殊な仕方で閉じている(総合的還元主義)
        ―道徳的/自然的性質は、同一物の違う内容を指す(明けの明星/宵の明星)
        ―経験的な探究(科学)などを通じて、どんどん閉じさせていくことができる
        ×結びつく理由がわからない(「たまたま」で納得は得られるか?)
        ○ただし、探究→定義の提案→修正、という方法としての魅力がある

    ・非還元主義的な自然主義
      ―道徳的性質は、特定の自然的性質を意味しない。そこに還元されない
      (1)エルフ。人間とは違う種族が共存している
      (2)悪霊。人間に取り憑くことで実態を得ている
      ―コーネルリアリズム:仮説→対抗仮説の棄却→検証
       素粒子のように見えないものでも、あると仮定すると物事がうまく説明できるとする
      ○開かれた問い論法に対しても、経験的探究で問いを閉じることが可能と反論可能
      ×本当にそうなのかは怪しい。いつまでも問いは閉じないかもしれない
      ×自然的でないものが実在するというのは中途半端。悪霊がいるというようなもの
      ×道徳の眼鏡で見ているから見えるのでは?(でも、科学も理論を背景にしている)

  ・自然主義全体への批判
    ×誰にも共通の実在を示そうとしていながら、相対主義に陥ってしまう
      (道徳的な実在と自然的な実在の結びつきの理由、必然性がどうにも示せない)
    ×自然的な事実は私たちを直接動機付けられない

  ・それらの折衷

【5】倫理における真理をめぐる存在論・その2-2:実在論(非自然主義)
  ―道徳は独特な形ではあるが、個々人の心から離れて実在する(パーフィットら)

  ・神命説:神がそれを命じたから正しい(信じるか信じないかに関係なく実在する)
    ○道徳の権威性、規範性、行為指導性を与えられる
    ×エウテュプロン問題
      神が命じたから正しい→人間の道徳観に反した命令(皆殺しなど)を処理できない
      正しいから神が命じた→神の他に正しさの根拠があることになってしまう
    ×神の意志が人に分かるのか?(検証不能性)

  ・直観主義:善は善としか言いようがない(ムーア、プリチャード、ロス)
   →その後継としての強固な実在論:誰の意志からも独立な規範的真理がある
     (真理は構築されるのではなく、発見される)
    ○日常的な道徳観に合う。道徳は好みの問題ではない

  ・理由の実在論:実在するのは「善」ではなく「理由」である
   →規範性は権威ではなく「あることをする理由がある」ということ(行為のガイド)である
    ○私自身の信念を離れた理由が実在すると道徳が安定する←奇妙でない
    ×道徳の特別さを損なう
    ×「価値はないが理由はある」(脅された時など)場合、価値を理由に置き換えられない

【6】第3の立場

  ・準実在論(ブラックバーン):道徳的事実や性質は実在する「とみなされている」
    投影説:<ヒューム。価値観を投影してものを見ている。宝石に見いだす価値など
    ○高階の道徳(≒その文化での相場観)を投影するので安定が得られる
    ×道徳のリアルさが損なわれないか?
    ×人助けは善い→誰かを助けると判断する、であって、その逆ではないのでは?
    ×価値の細やかさを態度(肯定的/否定的)で説明し尽くせるか?

  ・感受性理論(マクダウェル、ウィギンズら)
    波長×色覚=色、のように、状況×受け手の道徳感覚(徳)=道徳、と考える
    ×事実と価値の区別をどうする
    ×適切な道徳感覚って何だと考えると説明が循環してしまう(それでいいとの応答も)
    ×これってただの非実在論では

  ・手続き的実在論(コースガードら)
    道徳は(法のように)適切な成立手続きを経て存在し始める。構成主義
    カント以来の伝統的倫理学を継承
    ×手続き的に正しくても実質的な内容がおかしい道徳はどうする?
    ×エウテュプロン問題→理性に期待するのみ
    ×適正な手続きは誰がどうやって決めるのか?→反省的均衡で

  ・静寂主義:そもそも実在とか問題じゃない。そういう議論はいらない
    実際に下される道徳判断はどういうもので、それがどう問題を解決するのかが大切
    ≒プラグマティズム
    ×実在と動機付け、道徳的態度はつながっているのでは?
    ×といいつつ、強固な実在論を誤りとする存在論にコミットしてない?

【7】道徳的な問いに答えるとはどういうことか(1)非認知主義・表出主義
  自分の感情を表し、相手の態度や行動を変える
  →道徳的事実の認知を必要としない
    道徳は自分たちの中から生み出され、自分たち自身を導く
  道徳判断が持つ独特な感情的色合いを説明できる
  行動のため背中を押す機能を説明できる
    
  ・表現型情緒主義:エイヤー。道徳判断は分析、総合どちらでもない
    「!」などと同じ。真偽が問えない
    ○記述主義が「これが真理」と押しつけてくる嘘くささを回避できる
    ×道徳判断をめぐる対話が成立しない。意見の不一致を説明できない
    ×道徳に安定性がない
    ×フレーゲ=ギーチ問題(pp.219-221)
    →20世紀前半のもの。現在ではあまり擁護されない

  ・説得型情緒主義:スティーブンソン。道徳判断は相手を説得するため
    ある程度合理的な理由を必要とする
    ある程度(説得の目的を持つことが前提だが)記述的な面をもつ
    いずれにしても普遍的なことを言っているのではない
    ×でも結局「Aはこう考える」「Bはそう考えない」が並立するだけでは?
    ×使う理由は恣意的、場当たり的なもので安定性はないのでは?
    ×フレーゲ=ギーチ問題

  ・指令主義:ヘア。勧めであり指令である
    勧め+道徳判断に関する記述(共同体に共有された道徳原理)=「Xはよい」
    道徳判断は普遍化可能であるべきである
    →ぎりぎりまで客観性を高めようとした立場
    ×安定性は?
    ×現実的に道徳判断は指令として使われていない?(無視しうる)
    ×言葉の使われ方より道徳そのものに注目すべきでは?

  ・規範表出主義:ギバード。私たちが受け入れている規範を表出している
    ある感情+その感情を肯定できるという規範に照らした判断=道徳判断
    規範:広い視野から見た得失、ゆるい直観主義、一貫性
    ○安定性が高まる。道徳的態度の多様性が説明しやすい。客観的
    ×フレーゲ=ギーチ問題
    ×融合問題:「道徳的にはまずいが面白い本」は「面白い」の修正を迫るか?
    
【8】道徳的な問いに答えるとはどういうことか(2)認知主義・記述主義
  道徳に関わる事実や真理を認知し、それを記述する
  道徳は世界に実在し、それが見えれば私たちは自らそれを目指す
  認知→信念形成→判断。事実判断「Xは甘い」も道徳判断「Xはよい」も変わらない
  ×では、事実判断から動機付けはどうやって形成されるのか?
    動機付けの内在主義:道徳判断は動機付けの力をもつ
    動機付けの外在主義:道徳判断は動機付けの力をもたない
      「よいと分かっていても実行しない」場合があることを重視する
      一方、「われわれは道徳的によいことをしたい欲求を持っている」とは考える
    →外在主義が正しいといえば、動機付けをどうやってもつか説明する必要はない

  ・ヒューム主義
    道徳判断そのものが動機づけないとしても、信念形成の時に動機づけは可能
    、に対して、「欲求が動機付けを行う」とする。信念と欲求の分離

【9】道徳的な問いはなぜ必要なのか、なぜ道徳的でなければならないのか

  ・道徳的とはどういうことか
    狭い道徳:他人にかかわる。ウソをつかない、優しくするなど
    広い道徳:自分の生き方(本書はこちらをとる)

  道徳的によく振る舞う必要などない、という立場
  ・ニヒリズム
    強者を搾取するために弱者が作り上げたのが道徳で、破壊されるべき(ニーチェ)
    ×といいつつ、自分は新しい道徳を提案してないか?
  ・非実在論
    そもそも道徳は実在していない
    ×利用価値はあるとみる虚構主義も、全廃主義も、自分の説が「よい」と言ってない?
  ・科学主義
    道徳は生存戦略として身につけてきた反応に過ぎない(暴露論証、debunking theory)
    ×howの話であって、「今この私が道徳に従う必要があるか」とは違う話では……
    ×決定論をとると、責任や非難、賞賛などが意味を失うのではないか

  道徳的によく振る舞う理由はある、という立場
  ・道具的価値に基づくから(それをすると何かの価値を達成できるから)
    協力により困難な課題が解決できる、ウソをつくと信頼を失う、など
    ×道徳はそれ自体で価値がないことになってしまう(得だから道徳的なのか?)
    ×最終的価値に価値を見いださない人は道徳的に振る舞う理由がなくなってしまう
  ・最終的価値に基づくから(それをすることが最終目標だから)
    カント主義的理性主義
      尊厳をもった存在であり続けるために自らに義務を課す
      人はどうしても自分を反省し、何がよいかを考えてしまう(コースガード)
      個々の人間を道具として使ってはならないとの道徳に制約される(ノージック)
    新アリストテレス主義的理性主義
      理性と道徳は切り離せず、理性的存在である以上、善を捨てられない(フット)
    ×善のハードル高すぎない?(赤信号無視など)
    ×理性で説明しすぎてない?(溺れる人を助ける判断時に理性を参照しているか)
    ×私たちの理性は道徳的に振る舞うものだ、というと悪との間で善の重みを問う
      深刻さを無視することになってしまうのでは?
    ×説明が循環してないか?(道徳的に振る舞うのはそれが道徳的だからだ)

  直観主義:そもそも理由などいらない(プリチャード)
    まっとうな人はその時々、考えなくてもやるし、それでいい
    ×直観任せになると、判断が違う2者が議論にならない
    ×といって何かの基準を入れると、それが直観できる力=「理性」主義と同じ穴に
 
  見方の倫理:従来の倫理学は行為や選択を重視しすぎ。「どう生きるか」を見ては?
    道徳判断に迫られる場面に「至るまでの日々」を見るべし(マードック)
    →私たちは選択の瞬間だけを生きているわけではない
    道徳的善を追求することは、世界を正しく捉えることになる
    と同時に、真なる善は私たちを引きつける cf.プラトン
    ×目下の問題に解決を与えられないのでは?
    ×相対主義に陥るのでは?

2018年09月16日

FISH統計

お昼は西新宿、FISH。
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当たり。夜のメニューも魅力的でした。今度行こう。

* * *

■滝川好夫『マンガでわかる統計学入門』新星出版社、2017年。

弊管理人の場合は「使う」人でも、まして「作る」人でもない、「見るだけ」の人ですので、いつもちらちら視界に入ってくるし一応は意味も分かっているつもりのp値とか信頼区間とかが、どうやってできているのかくらいまで分かる本書が有り難いのでした。

* * *

いくの?
いかないの?
どっちなのーーーー?

的な仕事とシフトが重なり、土曜は朝4時過ぎから仮眠を挟んで真夜中まで働いて、よせばいいのにちょっと飲んでしまいました。
回復しきってないのでQPコーワゴールドをドーピングします。

2018年08月24日

ウズベキスタン(1)

(※9/2 目下書きながらリバイス中です。9月中旬くらいにかけて本とかネットとかと照らし合わせつつ内容がちょいちょい更新されるかもしれません)

ウズベキスタンに行ってみたいと思ったのは、大阪の国立民族学博物館で見た中央~西アジアの陶器、特に青い色がすごくきれいだったというのがきっかけだったと思います。
長らく日本からの観光であってもビザが必要で、特に弊管理人は職業的にビザが取りにくいという話を聞いていた(仕事を偽って入った例も聞いた)ので、縁遠い国でありました。

ところが急転直下、今年の2月にビザ免除になり、それじゃあということで今回、初めてパッケージツアーに参加する形で行ってきました。いつものように独りの旅行も考えたのですが、さすがにウズベク語かロシア語ができないと厳しいとなると、ちょっときついかなと。

今回のお供は、ちょうどよく今年出たこちらの本。

■帯谷知可(編著)『ウズベキスタンを知るための60章』明石書店、2018年。
風土、歴史から現代の社会まで概観できるありがたい本。いろんな人が書いているので各章少しずつ内容がオーバーラップしていて、おさらいしつつ先に進めるのもよかったです。

■アントニー・スミス『ナショナリズムとは何か』筑摩書房、2018年。
7月の初めに手を付けたもので、特に旅行用に買ったわけではないですが、15世紀に遡る「遊牧ウズベク人」(エトニ)とソ連による「ウズベク民族」(ネイション)の創出がまさに本書の議論と重なって、それだけで白飯3杯いけました(?)

* * *

【8/24】

台風、雨、ムシムシ。前日いっぱいいっぱいまで仕事をして、6時起きで成田に向かったので、機内ですぐ寝てしまいました。

添乗員さんから航空券を受領。そういえば航空券持たずに空港に来るっていうのも初めてで何か落ち着かないですね。

ANAが地上業務をやっていたのでマイルが積めるかな?と思いましたが、聞いてみたら「どこのアライアンスにも入っていない」というウズベキスタン航空。火曜と金曜に飛んでいて、成田―タシケントで9時間半かかります。帰りは8時間弱。行きは偏西風にもろに逆らって飛ぶからかな。
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タシケントでの入国審査で何を聞かれるか若干不安でしたが、あっさりパス。税関申告もなくなっており、するっと国内に入れました。
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(↑本当は撮ってはいけないらしい空港の建物)

国内線に乗り換えて、タシケント―ヌクス(カラカルパクスタン自治共和国の首都)―ウルゲンチ。飛行機で隣になったヒヴァ在住らしい(言葉がわかんないけどガイドブックとか見ながら随分喋った)おばちゃんから、直径3センチくらいの球状の白いものをもらいました。食べてみると、六花亭の苺が中に入ったホワイトチョコみたいな見た目に反してものすごくしょっぱいチーズという感じ。ナイナイしてしまいたい衝動にかられましたが、おばちゃんの手前、水で流し込みました。
旅の後半、訪れたバザールで判明したのですが、これはラクダか牛のミルクから作ったヨーグルトを丸めて乾燥させた食べ物で、現地の人がよく作るらしい。これ。
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ウルゲンチからバスでヒヴァ。成田を昼前に出て、ホテル「マリカ・ヒヴァ」に入ったのが15時間後くらいだったか。ホテルはこんな感じ。ウズベキスタンのホテルはそれなりのクラスであってもお湯が出なかったり灯りがつかなかったりすることがあるので、部屋に入ったら点検して下さいと言われましたが、ぬるいながらもちゃんとお湯が出てシャワーが浴びられました。満足。
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時差は4時間で日本は翌日未明。当然すぐ寝ました。

(9月2日記)

2018年08月05日

逗子の海

お友達たくさんと逗子の海に行ってきました。
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台風が近づいているので幾分、波が高かったです。
ものすごい暑さの今年。気温31度、水温30度。水の外のほうが涼しく感じるくらい。
初めて、夕暮れまでいました。
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タコライスとスイカ食って、酒飲んで、泳ぎました。
花火。20年ぶりくらいかもしれない。
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すっごい楽しかった。
鉄壁の日焼け止めが奏功し、ヒリヒリしてません。

* * *

1日付でジュニアおじさん発令されました。シフトは朝7時~夕方4時(だが当然のように残業する)の「早出」と、夕方4時~午前2時の「夜勤」(こっちは残業ないが4時より前に出勤すること多し)がまぜこぜにやってくるので、気をつけて寝る時間を調整しないと体調ガタガタになるなと思いました。

現場を離れるとすごい勢いで現場感覚が衰えるような予感がします。ということでだいぶ縮小しつつも現場仕事をスケジュールに入れています。

* * *

高円寺、豆くじら。
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キーマは「アキンボ」を思わせる。ちょっと量が少ないな。

* * *

■久世濃子『オランウータン 森の哲人は子育ての達人』東京大学出版会、2018年。

2018年07月15日

遺伝人類学

■太田博樹『遺伝人類学入門―チンギス・ハンのDNAは何を語るか』筑摩書房、2018年。

古い人類の骨が見つかった、という論文を時たま目にするのですけど、人類進化の歴史の中で今回の研究成果がどう位置づけられるかを分かりやすく教えてくれるものは少ないので、どうしても何か「分かってない感じ」が残ります。あと、ホミニンて何だ~~!みたいに用語の独特さに辟易することも多々。そういうわけで、この本でざっと見させてもらったのは嬉しいところでした。

ただしハイライトは、婚姻システムや産業構造といった文化的な要因が、実は人類の遺伝子頻度の変化(進化)に影響を及ぼしていたかもしれないという、下のメモではさらっと流してしまった後半1/3くらいの部分です。千年単位という短期間に劇的な変化を起こす、文化というもののパワフルさ。

* * *

【ヒトの起源】

▽分類

・古典的な分類
 哺乳綱(哺乳類)
   霊長目(霊長類)
     ヒト上科Hominoidea=類人猿apes。尻尾がない猿
       ヒト科
         ヒト属
       ショウジョウ科Pongidae=大型類人猿great apes
         オランウータン(ポンゴ)属/ゴリラ属/チンパンジー(パン)属
       テナガザル科Hylobatidae
         テナガザル属

・ゲノム解読の進展で改定されつつある最近の分類
  ・ヒト上科が3→2科に
  ・ヒト科の中に遺伝的違いがわずかなことが分かってきた4属を入れた
 
    ヒト上科
       ヒト科
         オランウータン属/ゴリラ属/チンパンジー属/ヒト属
       テナガザル科
         テナガザル属
・ヒト、チンパンジー、ボノボを「ヒト族Hominini」とする考え方も出ている
・分類する学者には「細分派splitter」と「併合派lumper」という考え方の違いあり

▽ヒトと人類

・「ヒト」=現代人modern humans=ホモ・サピエンスHomo sapiens=現生人類
 (Homoは属名、sapiensは種名)。Homoは「ヒト属」、国際的には「ホモ属」
 「人類hominin」=ヒト属+アウストラロピテクス属などの属種を含む化石人類

・「人類の起源」は、チンパンジーとの共通祖先と分かれた700万~600万年前
・「ヒトの起源」は、解剖学的現代人が現れた20万~10万年前

・ホモ・サピエンスが、昔の日本の言い方だと「新人」
 ネアンテルタール人、ホモ・ハイデルベルゲンシスは「旧人」
 ホモ属の古いタイプが「原人」。ホモ・エレクトス、ホモ、ハビリスあたりまで
 それより古いアウストラロピテクス属、パラントロプス属などは「猿人」
※ただし現在は猿人、原人、旧人、新人という言い方は避けられている
  (1970年代以降、サル→ヒト進化が1系統という考え方が否定されてきたため。
   同じ時代に複数の種がいたことが分かってきている)

・猿人
 1974、アファレンシス猿人Australopithecus afarensis発見(個体名ルーシー)
  脳の容積は今のチンパンジー並みで歯は大きいが、直立二足歩行
 1994、ラミダス猿人(個体名アルディー)
 2001、チャド猿人Sahelanthropus tchadensis
  700万~600万年前、現時点で最古の人類の祖先と考えられている
  頭蓋骨底部の大後頭孔と脊柱の関節角度から、大脳を背骨で支えていた可能性

・原人
 1960s、ハビリス原人(昔はアウストラロピテクス属だったが、今はホモ属)
  道具、火の使用があったと推定。脳容積700ml(パンの倍だが現生人類の半分)
 ホモ・エレクトスHomo erectus
  ジャワ原人Pithecanthropus erectusと北京原人Sinanthropus pekinensisが
  現在は1種に統合されている
  100万~50万年前。ただし120万年前くらいの化石がタンザニアでも発見
  →アフリカで誕生し、その後アフリカから出たことを示す
  ★これより前はアフリカの外に出た証拠が見つかっていない

・旧人
 ネアンデルタール人Homo neanderthalensis
  30万年前までにヨーロッパ進出。鼻が高くて広く、眼窩上隆起あり
  脳容量は現生人類並みか、ちょっと大きいくらい
  ヨーロッパ~西アジアで骨格標本発見
 ★現生人類にネアンデルタール人から受け継いだとみられる多型が1-4%あり
 ネアンデルタール人とホモ・サピエンスは分岐したあと、どこかで混血した可能性
 →交配できたということは、両者を別種と考えるべきではないのではとの議論も
 ・デニソワ人(DNAしかなく学名がついてない)

・新人
 クロマニヨン人。解剖学的現代人。ラスコー壁画

・多地域進化説
  ホモ・エレクトスが170万~70万年前に出アフリカ
  →各地でホモ・サピエンスに進化
  *脳の2倍化という大変化が各地で起きたことを説明するため、頻繁な混血を想定
・アフリカ単一起源説
  ホモ・エレクトスが170万~70万年前に一度出アフリカ→いったん絶滅
  →アフリカでホモ・サピエンス(新種)が10万年前以降に出現
  →7万~6万年前に出アフリカ、拡散
  *つまり出アフリカは2回起きている
  *現生人類はアフリカで誕生した新種の子孫ということになる
  *1987UCB、ミトコンドリア・イブ仮説
    地球上のヒトの多様性がアフリカ出身者の範囲内に収まる
  *現生人類間の遺伝的多様性が小さいため、今は単一起源説が正しいとされている

【DNAから描く系統樹】

・系統樹の作成法
  最大節約法Maximum Parsimony Method
    進化のステップが最もシンプルになるものを選ぶ。幾何学的手法
  距離行列法Distance Matrix Method
    代数学的手法
  最尤法Maximum Likelihood Method
    統計学的手法
  近隣結合(NJ)法
    斎藤成也。よく使われる
・分岐年代の推定:分子時計。分子の進化速度の一定性

【進化】

・遺伝的多型genetic polymorphism=集団中の頻度1%以上の分子的バリエーション
・1%未満のものはレアバリアントrare variantという
・分子レベルの多型は「遺伝的多型」→「DNA多型」→「タンパク多型(酵素多型)」→お酒に強い/弱いなどの「表現型phenotype」。ただしDNA多型はタンパク多型を必ず生じさせるわけではない
・DNA多型の例)VNTR variable number of tandem repeat=100塩基ほどの繰り返し配列。2~7塩基と短い場合はSTRPという=DNA型鑑定に使用
・DNA多型の例)SNP。お酒のALDH2(アルデヒド脱水素酵素)、乳がんのBRCA1など。ただし1塩基で表現型を予測できるものは多くない

・遺伝子頻度の変動(進化)の要因
  突然変異mutation
    多くは生存にとって不利
    点突然変異/欠失/挿入、染色体レベルでは逆位/重複/転座
    遺伝的多型(集団内の1%以上)、その場所が「多型サイト」
    多型サイトにある個々のバリエーションが「アレル」(Gアレルとか)
    同じ染色体上の多型サイトの組み合わせが「ハプロタイプ」
  移住migration
  遺伝的浮動random genetic drift
    遺伝子頻度の偶然による変動。集団サイズが小さい時に効果が顕著
    たまたまあるアレルがちょっと多かったのが、世代を経ると圧倒的になるなど
  自然選択natural selection(←→人為選択=育種、品種改良)

・生物の時間的変化を説明する
  用不用説(ラマルク)
    よく使う器官が強化される。獲得形質の遺伝
    現在はほぼ否定。ただしエピジェネティクスでそれっぽい雰囲気も
  自然選択説(ダーウィン)
    突然変異が有利なら残っていく(有利さが必然的に進化を招く)
    *有利な変異が集団内で急速に増えるとき、その周辺の中立な変異も便乗し
    一緒に増える「ヒッチハイキング」が起き、これらが領域としてまとめて
    均質化・多様性の低下が起きることを「選択的一掃selective sweep」という
    例)ラクトース分解酵素
  中立説(木村資生)
    進化に寄与する変異はほとんどが有利でも不利でもない。有利なのは一部
    ある変異が増えるのは偶然。適者だからではない
    cf.米大陸先住民がO型ばかりになった「ボトルネック効果」。中立変異の固定
    *ボトルネック効果は出アフリカの時にも起きたとみられ、アフリカ内の
    遺伝的多様性>>アフリカ外の遺伝的多様性。→多因子疾患のもと?

【社会構造と進化】

・ミトコンドリアDNAは13種類の遺伝子と、リボソームRNAやトランスファーRNAの情報がコードされている。女性の系統のみに伝わる(自分が持っているのは母、祖母……の情報)
・Y染色体は精巣形成の引き金となり、男性を決定する遺伝子SRYが載っている。男性の系統のみに伝わる
→さまざまな集団の間の「地理的な距離」と「遺伝的な距離」を比べる。地理的な距離が離れるにつれて、男性は遺伝的な距離も広がるのに、女性はそうでない場合がある。おそらく女性が交換されるせいで移動距離が大きくなるような婚姻システムのせい

・日本人のルーツ
  置換説(モース)
    アイヌが住んでいたところに渡来民が来て置き換わった
    =日本人の直接の祖先は渡来民で、本土では縄文人の痕跡ほぼなし
  小進化説(鈴木尚)
    縄文時代以降、徐々に進化をして現代日本人になった
    =日本人の直接の祖先は縄文人で、渡来民の影響はほぼなし
  二重進化説(埴原和郎)
    アイヌと琉球人は東南アジア起源の縄文人の直接の子孫
    約2000年(以上)前に北東アジアから渡来民が九州周辺に入り、混血が進んだ
    ただし、北海道と琉球諸島では渡来民の遺伝的影響は少ない
    *混血は研究で確認。琉球人とアイヌではY染色体の共通タイプも発見

・古代日本人のDNA分析
・チンギス・ハンのY染色体
  社会選択:社会的に有利になった系統の特定ゲノム領域が選択的一掃と
       同じパターンを示す現象(社会・文化的な要因が集団のゲノム構造に
       変化を与える)
    ・一夫多妻的システムの反映?
      *ちなみに今村薫はサン族の多夫多妻制「大きなザーク」を報告
    ・農耕導入後、成功/不成功男性の系統が生まれた?(キヴィシルドら)
  「ゲノム・アジア100K」進行中。第3のボトルネック見つかるか?

2018年07月05日

ひがし北海道(2)

【7/2(月)】

天気の悪い日の谷間、曇りの予報。
北海道では、だいたいこういう時は結構青空が見えたりする、という予想通り。
宿の食事処のテラスに出て朝飯食いました。
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ご飯のおかわりを取りに行ってる間に、カラスに卵焼きを持って行かれました。
部屋の窓からはお食事中のエゾシカも。
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いま陸路ではアクセスできない知床半島の一番先を目指すボートツアーに参加しました。
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往復3時間かかります。
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柱状節理とか好きな人は飽きないはず。
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知床岬の突端は風が強いので高い木が生えてないそうです。国後島がきれいに見えました。
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弟子屈まで90キロくらい一気走りして、摩周そば「そば道楽」で大もり850円。
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硫黄山が近いので辺りに匂いがたちこめてます。
川湯温泉駅前の「森のホール」で上品な甘さのケーキをいただいて満腹。
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ケーキ320円だったと思いますが、3種+ドリンクで900円という破格のセットもあり、一瞬迷いました。でもそんなに食えないしな。

屈斜路湖を見て帰りましょう。
美幌峠は通ったことがあるので、今回は小清水側の「藻琴山展望駐車公園」へ。
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えっ全然きれいじゃないですか。
このあともうちょっと高いところにある「ハイランド小清水725」からも眺めました。こちらは湖から少し離れますが、眺望がとてもいいです。

「女満別空港」をカーナビに入れて運転していると、空港の近くで「こんなところ?」というくらいの田舎道をぐるぐる案内されました。じゃがいもや麦を作っている畑の、特に何かアピールしているわけではないが絵画的な風景を堪能しました。
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車を返してお土産買って帰りました。

* * *

飛行機で読み終わった本。

■見田宗介『現代社会はどこに向かうか』岩波書店、2018年。

2018年06月23日

超予測力

■フィリップ・テトロック, ダン・ガードナー(土方奈美訳)『超予測力―不確実な時代の先を読む10カ条』早川書房, 2018年.

ハウツー本ぽいタイトルでちょっと嫌だったのですけど、以前から社会現象の予測は可能か(ちょっと違うけど、社会科学に予測はなじまないのか)ということに興味があったので手に入れてみました。
上記の問題には一応、「社会は複雑だから予測は無理」ということで納得はしているものの、でもなんかそんな割り切っちゃっていいのかなあという思いがありました。

この本の著者らは、「セルビアは2011年中にEU加盟候補国になるか」「東シナ海で船舶同士の武力衝突によって死者が出るか」といった国際情勢に関するたくさんの予測を幅広いバックグラウンドを持ったボランティアにやってもらう研究プロジェクトを通じて、次のような発見をしたといいます。

・一般人どころか、機密文書を読むことができる「専門家」に比べてもさまざまな問題の行く末をよく予測できる非専門家(=超予測者)は存在する(ちなみに「集合知」は優秀だが、集団の中である時期に高い予測力を発揮した人が次の時期にもそうであるわけではない。超予測者は逆に、コンスタントに高い予測力を発揮する。これは運<能力である証しである)
・超予測者はものすごくIQが高いわけでも、高度な数学を駆使して予測しているわけでもない
・考える「流儀」や「性格」が予測の正確さを保証している

それの「流儀」や「性格」は次のようなものでした。

・問題がざっくりしていたら、検証可能な(=当たったか外れたかが明確になるように定義された)小問題群に分解して、データを利用できるものはし、なければ推測してパーセンテージを出す(フェルミ推定)
(・12年後のアメリカ大統領選など、先のことすぎる問題はどう頑張っても当てずっぽう以上の成績は出せないので、そういうものには注力しない。筆者らの研究では、予測の正確さは5年後を境に低下する)
・論理と心理、自分の立場と相手の立場など、異なる複数の視点からものを考える。順番としては、まず「外側の視点」つまり一般的にはどうか、という調査から始め、「内側の視点」つまりことこの問題についてはどうか、という調査に進む。人は内側の視点に引っ張られがちな(アンカリングが起こりやすい)ため。ガーナの大統領選に関する問題が出されると、それを「ガーナについて知る良い機会」ととらえるなど、知的好奇心が旺盛であることも有利に働く
・調査で情報が集まったら、仮説を支持する意見(たとえば「南アフリカはダライ・ラマにビザを交付する」)だけでなく、それが間違っている(「交付しない」)可能性を検討する
・「ある/ない/どちらともいえない」という石器時代の確率論はもちろん、「60%対40%」といった10%単位の予測でさえない、「57%か58%か」という細かな検討をする。実際そのほうが予測精度も上がる
・運命論を採用しない。すべてのことは確率的に起こる(他でもありえた)と考える
・いったん立てた予測を小まめに修正する。ただし重要な情報の過小評価、些細な情報の過大評価を避ける。ある情報が事態をどの程度揺るがすかを考えて予測の修正幅を決める(ベイジアン)
・「自分の見方」はたたき台に過ぎないと考え、固執しない
・粘り強い
・チームワークは、グループシンク(安易な全員一致)にもいがみ合いにもならず、不快にならないように反対意見を戦わせ、反論をあえて募りもする。このとき、チームは多様なほうがいい。クローンばかりだと意見が間違ったときにも極端化する

直感や分かりやすい説明に飛びつく思考(システム1)は非常事態の中で行う即断や経験に裏打ちされた言語化しにくい判断が必要な時に使えますが、予測に使うべきなのは熟考あるいは科学的慎重さ(システム2)のほうです。
医療や政策、安全保障の世界では、システム2に基づいて検証可能な予測をし、結果が良くても悪くても検証し、修正するというサイクルが欠かせない。20世紀になってようやくシステム2に基づく評価をルーティン化した医療に比べて、政治評論はまだまだじゃないですかね、という厳しい指摘がされています。

まあ「原理的に無理」とかいって捨てちゃわないで、いろんな人がいろんな機会にやってみたらいいんじゃないですかね、社会に関する予測。研ぎ澄まされていれば結構当たるらしいし。と、そんなことを思いました。

あと、どうでもいいですが、
訳者が「病理学者」と訳しているのはたぶんpathologistで、これはがんの確定診断をする人という文脈なので「病理医」が適当じゃないでしょうか。「マサチューセッツ州総合病院」も、そのあとにハーバード大学の話が出てくるのでMassachusetts General Hospitalのことでしょう。ハーバード大医学部の関連病院のMGHは「マサチューセッツ総合病院」という定訳があるからそっちを使ったほうがいいと思った。全体的には読みやすい日本語だし致命的ではないとしても、ちょっと粗っぽいかな。

2018年05月25日

昔のいけないあれ

むかし同じ職場にいて、いまは他部署にいる女性の後輩が弊管理人の席に来ておしゃべりをしているうちに、セクハラについて仕事で扱っているという話が出たので、ついでで申し訳ないが15年以上前のいけない発言について謝りました。
服装に関する冗談だったのですが、それを言ったあと彼女は着替えてきた。当時「しまった」と思ったものの、「ごめんね」を切り出す機会がなくてずっと腹の底に澱みたいにたまってたのでした。
本人は全く覚えておらず、当時あげつらった服について解説したら「そんなの着てたのが恥ずかしい。全然いいからむしろ思い出さないで」と念押しして去って行きました。

* * *

■共同通信社原発事故取材班、高橋秀樹(編著)『全電源喪失の記憶』新潮社, 2018年.

いただきもの。いや、すばらしい。

2018年05月21日

読めてない

■新井紀子『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』東洋経済新報社, 2018年.

会社の図書室の新着棚からかっさらってきたもの。
前半は今のAIでできることとできないことの整理をしていて、それはそれで参考になる。
バズワードで火照った頭を冷やすパート。

で、後半は、AIでできない仕事を担うための基盤となる読解力が本当に人間にあるのか?というお話。筋はほぼここに書いてあります。
それを試すテストの例題がいくつか紹介されているのですけど、弊管理人もしっかり間違えてショックを受けました。
上記記事では、「文章を読んでいるようで、実はちゃんと読んでいない。キーワードをポンポンポンと拾っている」という読み方を「AI読み」と呼んでいますが、思い当たる。大量の文章を急いでざーっと読んで大体何が書いてあるかを把握する、という仕事でよくやる読み方が習い性になっていて、それ以外の場面でも理解しながら読んでないのかもしれん。
むしろ、そうはいってもアウトプットをするときにはしっかり読み直すことが必要な仕事より、ざっと流しても怒られない個人的な読書のほうでこそ、AI読みをやっている恐れもある。

また、結構頭が痛くなったのは次の問題。

 「エベレストは世界で最も高い山である」

が正しいとき、次の文は正しいか

 「エルブルス山はエベレストより低い」

(1)正しい(2)間違っている(3)これだけからは判断できない

正解は(1)なんだそうですが、エルブルス山(5642m、ロシア連邦最高峰なんだって)を知らなかった弊管理人は(3)を選んでしまいました。

ぱっと問題文を見たとき、頭には「エルブルス山が架空の山である可能性(ある意味、世界の中にないので比較ができない)」、「エルブルス山が実在するとしても、エベレストと同じ高さである可能性(エベレストは最も高いが、エルブルス山が1位タイだとエベレスト「より低い」とはいえない)」が浮かび、少なくとも両方の山の高さが示されないと判断ができないと考えてしまったのです。思考の領域をうまく限定できないAI脳(?)なのか。いやまあ作問が甘いのかもしれないけど。

寝床で寝る前に読んでいたのに、目がさえて寝られなくなりました。

* * *

前回の日記以降に誕生日を迎えました。
当日のディナーはひとり松屋だったりしてほぼ忘れつつ過ごしました。

・なんかすごく酒に弱くなった(飲んで疲れやすくなった)
・早寝すると体調がよい
・覿面に頭が回らなくなってる気がする
・仕事が遅くなった

一部(特に頭)は疲れのせいな気がします。
このところ酒を控えるようにしています。

* * *

20日の日曜はからっと晴れて涼しく、今年1番爽やかな日になるはずだと思いました。

2018年04月28日

ヘルシンキ出張

たぶん最後の海外出張でヘルシンキに行ってきました。
4日間のやや弾丸で、ほんとヘルシンキだけ。フィンランドはいいとこっぽい感じがしたので、また観光で行くかもしんない。とりあえず仕事に直接関係しないことだけ以下に。

フィンエアーを使いました。機内食はわりとおいしかったです。A350-900はうるさくないし座り心地もいい。何より直行便(行き9:30、帰り8:30くらい)が楽だな、ほんと。
空港から中央駅は電車で30分です。
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駅前は広々してます。午後3時でこの光の加減で、日没は午後9時くらいでした。
気温は6度。冬のコートを1枚羽織れば、汗もかかずちょうど歩き回りやすいくらいの気候です。船のスケジュールとか観光施設のオープン時間などを見るに、一応4月までは「冬期」らしい。
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なんかちょっと町並みが「東」っぽい感じがするのは気のせいかな。
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訪れるまで超うろ覚えだった地図。サンクトペテルブルクこんな近いの!

街はトラムやバスなど公共交通網が発達していて便利に動けます。Google Mapsを使えばどこにでも行けるし、停車場には「あと何分で何番のバスが来るよ」といった表示が出ており、日本よりぶらぶらしやすい。
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鉄道も含め、ときどき検札が乗ってきて、有効な乗車券を持ってないと罰金というドイツでも見たスタイルです。たまたま出くわさなかったけど。
チャーターしたバスに乗って動いてる途中、ガイドさんが「さあこれが渋滞ですよ!」と指さしたのが信号待ちの列だったりしたくらい車も歩行者も混んでなかったです。ただしスパイクタイヤをはいた車が走ってたり、港近くでは大型車がぶんぶん行き交っていたりで空気は相応に汚い感じがしました。

ホテルは駅から徒歩6,7分のところにあるGLO Hotelというところ。いいお部屋でした。
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さらに歩いて5,6分で大聖堂。1852年築。
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福音ルター派なせいか、中は質素ですね。
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写真だと分かりづらいですが、大聖堂は結構高いところにたっていて、階段には何人かが腰掛けてぼーっとしてます。現地の人に言わせると「やっと春がきたので日が照ってるうちは日光になるべく当たろうとしている」というのですが、どこまで本当か。
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* * *

今回お供をしていただく本は、ものっすごタイムリーに出たこちらの中公新書。

■石野裕子『物語フィンランドの歴史』中央公論新社,2017年.

【スウェーデン統治まで】
・いまフィンランドになっている地域には、8世紀ごろには西のスウェーデンからの入植が始まり、東からはノヴゴロド公国のスラヴ系民族が入植
・9~11世紀頃、ヨーロッパを荒らし回ったヴァイキングだったという証拠はないが、後に北欧諸国の連帯の文脈の中でフィンランドの祖先もヴァイキングもやってたことになったらしい(面白い)
・もともと自然信仰など土着宗教が根付いていた地域だが、11世紀にはローマ教会の北方十字軍が入ってキリスト教化。13世紀にはカトリック文化の影響下に
・十字軍はスウェーデンから遠征しており、ノヴゴロドがいる東への勢力拡大を図った。1323年にパハキナサーリ条約で国境画定。ここでフィンランド地方(ただし今の南西部だけ。内陸は荒れ地、北はもともとフィンランドと見なされていない)が正式にスウェーデン統治下に入る
・ここから500年以上、スウェーデンが統治。スウェーデン語が公用語に。主体は農民
・1700年からスウェーデンとロシアが戦った大北方戦争で踏み荒らされるなど、フィンランドはスウェーデンとロシアの争いの間に置かれる
・一方、16世紀に宗教改革でスウェーデンがプロテスタント(ルター派)に改宗すると、フィンランド住民もプロテスタントに改宗、聖書のフィンランド語訳が進行。1640年にはアカデミーができて知識人が育っていき、「フィンランド人」の出自や言語など「民族性」の自覚が進んだ

【ロシアへ】
・ナポレオンによるイギリスに対する大陸封鎖令への協力(ロシア)、非協力(スウェーデン)をめぐって両国が戦った「フィンランド戦争」の結果、1809年からフィンランドは「北欧」から切り離され、ロシア帝国の統治下に入る
・フィンランドは一定の自治が認められる。アレクサンドル1世は議会や議員、貴族の地位を保証し、信教の自由も認め、ルター派からロシア正教への強制改宗をしなかった。フィンランドは「大公国」となり、ロシアと異なる政治制度を持ったまま帝国に組み込まれた。スウェーデンからロシアへの移行で大きな混乱はなかった
・首都は1812年、西側にあるスウェーデンの影響力を弱めるため、もとのオーボからより東のヘルシンキに移転。サンクトペテルブルクを模した都市計画が策定された
・1848年の「諸国民の春」ではフィンランドにナショナリズムは生まれなかったが、ロシア側は警戒して検閲を導入・強化

* * *

と、ここで気になるのが、大聖堂の前にある「元老院広場」に立つおじさんの像。
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港が近いせいか海鳥に蹂躙されてますが、アレクサンドル2世です。
「中世から第2次世界大戦までフィンランドをさんざん踏み荒らし、戦後もガンガン内政干渉してきたロシアの皇帝がなんで街の真ん中に立っているのかスゲー不思議」と仕事で一緒になった英国の人がフィンランドの人に聞きまくっていましたが、「なんか結構自治権とか認めてくれたりしたしね」というお答えでした。ロシアで農奴解放(1861年)を進め、フィンランドでも自治の拡大や職業の自由を認めた彼は別枠、らしいです。

クリミア戦争の後にロシア皇帝がフィンランドの政治の安定を図るために身分制議会を定期的に開くようになると、フィンランド語を公用語とし、「農民文化」をアイデンティティとする「フェンノマン(フィンランド人気質)」というグループが生まれたとのこと。
そういや、この間読んだ『ホモ・ルーデンス』によく出てきていた叙事詩『カレワラ』はロンルートが口承詩を採集して編集したものですが、成立したのは1835年。そこから1880年代にかけて盛り上がった民族ロマン主義運動「カレリアニズム」に参加した音楽家がシベリウスですね。
(関係ないけどそこらの公園にフィンランドカラーの青や白の花が咲いてました)
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とはいえ、スウェーデン統治時代から貴族や知識階級が使っていたのはスウェーデン語(フィンランド語使用の推進者もスウェーデン語話者だった。ちなみにずっと時代は下るが、ムーミンもスウェーデン語で書かれている)で、今でもスウェーデン語が第2公用語になっています。標識にはフィンランド語とスウェーデン語が併記されています。
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ちなみに上のやつの意味は「券売機」(多分パーキングチケットの)。この単語はまだ結構似ているが、「フィンランド語とスウェーデン語ってそんな似てるんでしたっけ」って現地の人に聞いたら「全っ然違う」と。
モイモイ言ってるの(moiはhi、moimoiだとbyeらしい)かわいーなーと思いながら見てました。
あと、英語はスウェーデンのほうがちょっとうまい気がするけど、十分お上手でした。
ただ、おそらくoccasionとかchanceみたいな意味でpossibilityっていう単語を使う人が結構多くて気になった。フィンランド語でpossibilityを外来語として使ってたりとかするんだろうか。

余談、「フィンランド人はシャイだというがそう思うか」と前に出てきた英国人がフィンランド外務省の人に詰め寄っており「本当だ」との回答を得ていました。バス停で待ってる人たちがすっごくパーソナルスペースを広くとってるという話を聞いていたものの、実際そこまでではなかった気がする。ただし屋根のあるところからは確かにびろーんとはみ出てました。人と人の間隔は言われてみれば広かったかも。

* * *

一方、こちらの赤いのは1868年に建てられたロシア正教会のウスペンスキー寺院。
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中は派手。
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行きの飛行機で隣になった観光のおばさんが「前にヘルシンキにツアーで行ったときには赤い教会だけしか見られなかった」と言っていました。確かにどっちかだけ、だったらこっちかな。
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ちょっと高いところに上ると、いろんな方向に煙突が見えます。
フィンランドの工業化が進んだのは1860年代からで、製材に加えて製紙工業が盛んになりました。サンクトペテルブルクとの鉄道もつながり、輸出が盛んになったそう。

* * *

・そんでまた歴史の話になりますが、ロシアは1871年に統一したドイツを警戒し、防衛の体制固めをする過程でフィンランドのロシア化を図ります。独自の郵便制度をロシアの制度に統合し、ロシア語の地位向上や役人へのロシア人登用などを推進しました
・ロシア帝国はその後、日露戦争での敗北、国内での反乱などで疲弊し、フィンランド政体の回復や議会改革の要求を呑みます。1907年には初の女性「被」選挙権も実現します
・ただしロシア皇帝の権限はまだ強く残っており、皇帝による議会の解散も続発。ロシアへの一体化をさらに進めます。対して芸術は反ロシア化が進み、1889年には「フィンランディア」が初演。そういえばこちら↓、自分へのお土産、ウォッカ「フィンランディア」(ちっちゃい瓶)
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ついでに、シベリウスといえば、なんかよくわかんないモニュメントがあってインド人や中国人と思われる観光客がわらわらいたシベリウス公園にも行きました。
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閑話休題、
・ロシア革命が起こると、フィンランドは独立を宣言。「民族自決権」を綱領に掲げたボリシェヴィキ政権の承認も取り付けます。うまいなー。レーニンはフィンランドも革命やって社会主義に転んでくれると思っていたので認めたということもあるそうですが
・しかし、このあと格差を背景に、政府軍の「白衛隊」と革命を目指す「赤衛隊」に分かれた内戦が始まってしまいます
・1918年にやっとこ内戦が終わり、共和国ができます。当初は国の統一感を出すためドイツから国王を迎えようとしたら、第1次大戦でドイツが負けて計画が頓挫したとのこと。ふええ
・ちなみに日本との国交樹立は1919年(来年が100周年)
・「国民の家」(国家=家)という思想を背景に、福祉国家化に踏み出したのが1930年代(北欧としては後発だそうですが)
・内戦後の国の統一のため、フィンランド語の第1言語化運動も起きました。1937年にはヘルシンキ大学の行政言語がフィンランド語となります。ただしスウェーデン語も保護することに

・第2次大戦では、ドイツと不可侵条約を結んだもののドイツを信用していなかったソ連が、守りを固めるための領土交換などを求めてフィンランドに交渉を持ちかけますが、フィンランド側は中立政策をとっていた上、ソ連の意図を読み違えて決裂させ、結果としてソ連との戦争に入ってしまいます
・戦争はいったん休戦。そのあとドイツが北欧にまで進出すると、ドイツ軍の領土通過を認めるかわりにドイツからの武器調達や通商が盛んになるなど関係が深まっていきます。ドイツ軍のソ連侵攻に際してはフィンランドは中立を表明するものの、領土的な野心もあってドイツ軍に協力。結局、スターリングラードの戦いでドイツ軍が大敗すると一挙に旗色が悪くなり、厳しい休戦協定を結んで第2次大戦の終結を迎えました
・休戦協定でフィンランドはロシアに6億米ドル相当の賠償金を払うことになりましたが、ロシア側がおおかたを「鉄工品でくれ」と要求したことで、造船業などフィンランドの工業化が進みました
・また戦争責任裁判がフィンランド国内で行われ、戦時中の大統領や閣僚らが被告になりましたが、国内的には「でもしょうがなかったよね~」的な同情を集め、ドイツ占領下に置かれた他の北欧諸国と違って1人の死刑宣告も出ずに終結、戦争の”清算”を終えることになりました

・戦後はもう大国間の争いに巻き込まれるのは勘弁、ということで中立の道を行くことを決めます。ただしその中立は、ソ連とのつながりを保ちながら、西側からは「東の国」と見られることを回避するなど、微妙なバランスをとるという形でした
・この方は内戦時の白衛隊指揮から第2次大戦中のソ連との休戦交渉まで、危なくなると呼ばれて仕事をさせられたマンネルヘイムさんです。
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・ケッコネン大統領は、フルシチョフとの個人的な親しさをサウナでの会談などで築き、裏で外交を進めるという手法から「サウナ外交」と揶揄されたこともあるそうです

* * *

で、サウナ。連れて行っていただきました。街からちょっと外れたところにあるLöyly(蒸気って意味らしい)というところ。
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普通のサウナもありますが、フィンランド東部でメジャーだという「スモークサウナ」が体験できました。中真っ黒。ひとしきり温まったら、建物の背後にある海に浸かります。
弊管理人はえいやと飛び込みましたが、別に飛び込む必要はなく、設えられたはしごを使ってゆっくり浸ればよかったみたい。バルト海は冷たくて、手足を水にぎゅーっと握られるよう。船から落ちた人が死ぬ訳がわかりました。これほんとに健康にいいのかなあ。

サウナは出産の場所であり、食物の乾燥場所でもあり、亡くなった人の遺体を清める場所だとのことで、フィンランド人はサウナで生まれ、サウナから旅立つのだなと。海にも浸かったと言ったら「これでqualifiedだね」と言われたので、なんかそういう大事な場所なんでしょう。留学中に同じ寮にいたフィジーの子たちから「カヴァ」という白い汁を勧められて飲んだら妙に仲良くなれたのを思い出しました。多分違う話だけど。

サウナにレストランが併設されていて、海を見ながら食事ができます。
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おもくそピントがずれつつパーチの揚げ物。メシマズな国だと言われているらしいけど、ちゃんとしたところはちゃんとおいしかった。
他日、テウラスタモTeurastamoっていう施設で食べたバイキングのランチ。
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やっぱミートボールなのね。これもうまかったです。
昔、薬局だった建物を改装したカレリアCarelia Brasserie。
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3プレートランチなど。
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しかし最終日にはやはりエビチャーハン(意図しない大盛り)を食べてしまった。
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* * *

あとは岩に囲まれたテンペリアウキオ教会を見ました。
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かっちょいいヘルシンキ大学の図書館にも侵入。
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本棚は大部分が英語でした。550万人の国だとそりゃそうか。
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これ玄関入ったところです。上がってみるとオーバルの吹き抜けの周囲が勉強机になってました。
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この変な建物は礼拝所。騒がしい広場から一歩入ると、中は静かでした。
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新興住宅街にはでっかい鳥がいた。
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建設費の1%をアートに使う決まりがあるそう。必要かね、それ。
ちなみに、同じ区画に低所得の人が入る賃貸アパートと、高所得の人が買うマンションを混ぜて建てているということです。そうすると小学校とかで自然にいろんな階層の子が混ざる。いいね。
といいつつ、福祉国家でベーシックインカムも入れてみたような国で、カップを持った物乞いのおばさんが点々といたのはなぜだ(聞き忘れた。国籍ないと恩恵に与れないとかそういうことなのかも)。
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ムーミンショップの入ったショッピングセンターはご多分に漏れず吹き抜け。
そこはかとなく漂うヨーカドーな感じ。
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寿司屋、いろんなとこにありました。お互い魚食う人たちだからかね。
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マキッ&ウラマキッ。paritは「ペア」なので握り2巻の値段なんでしょうな。

最後に、空港のトイレ。左が男で右が女なんですけど。
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仕事中、赤ちゃんの服の色の話をしていたら「ジェンダーニュートラルカラーを導入している」というようなことを言っていて、進んでるねえと思ったものです。しかしトイレがこれじゃ迷うだろう。男女で区切るなら色も分けようよ。
あと海外では毎度のことだが小便器の位置が高い。チンコをほぼ水平に保つ必要がありました。

おしまい。
帰国便が成田に朝着で、ほとんど寝てないところから夜まで仕事したら2度ほど落ちました。

2018年04月22日

ダンデライオン

この土日は夏日。空が真っ青でしたが、あまり動き回る気も起きず、クリーニングに出していたセーターを取ってきたり、ジムに行ったり、お酒を飲んだりと、結局いつもの週末。
日曜はさばみりん、納豆、野菜炒め、昆布の佃煮で昼ご飯にしたところ、何かバタ臭いものが食べたくなり、お茶を求めて蔵前に出掛けました。
ダンデライオン・チョコレート。
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ブラウニーと冷アメリカン。とてもいい香り。チョコ屋だしなと期待してなかったコーシーも意外とよく合いました。しかし1食になるくらい重かったです。量的には6割でよかった。ホットチョコレートは思いとどまって正解。
買うならすぐ。座って食べるのも、待ったとしても回転は速い印象です。
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スメタナの「我が祖国」を聞き終わるまで歩いてから地下鉄で帰ろうと思ったら、余裕で上野まで歩いてしまいました。

* * *

30歳になる前くらいから、あまり臭くない酒としてウォッカを好んで飲んでいました。が、このところ体が辛くなることが多く、焼酎のお茶割りへの退却を進めています。(つまりキープボトルを焼酎に切り替えていくということ)
これ多分、体力の低下だけでなく、睡眠不足の日とぶつかることが多いせいかなと思います。何時に寝ても7時過ぎに目が覚めるので、日付が変わらないうちに布団に入ると体調がいいのですが、うっかり1時を回る日が結構あります。よくない。

* * *

■藤原晴彦『だましのテクニックの進化―昆虫の擬態の不思議』オーム社、2015年.
■藤原晴彦『似せてだます擬態の不思議な世界』化学同人、2007年.

擬態にもいろんなタイプがあって、防御のための擬態もあれば、攻撃のための擬態もある。
防御のための擬態の中にも、毒を持たないチョウが毒を持ったチョウに擬態するやり方があったり、毒を持ったチョウ同士が互いを似せて「危険性を知らない鳥に食べられるという、ある程度避けられないリスク」を分散させるやり方もある。

タコやヒラメみたいに環境に反応して機敏に擬態できるものもいれば、模様が最初からプログラムされていて、変更は進化によるしかないものもある。

表皮の細胞一つ一つが色素を作ったり作らなかったりしながら、ドット絵のように模様を作り上げる。擬態ってファッションみたいなもんだろうと軽視しがちですが、動物の発生が3次元のデザインだとすれば、体表の模様は2次元のデザイン。「何をどこに配置するか」を決め、指示を下す精鋭デザイナー集団が染色体上のどこかに隠れている。考えてみれば生物にとってごく基本的、かつ不思議なシステムです。

その秘密はDNAに書き込まれているはず。ということでダーウィン、ウォレス、ベイツから150年、遺伝情報の解読や分析技術が発達してきた今、ようやくそれに迫れるようになりつつあるらしい。研究対象が再現不能なために「疑似科学」と言われてきた進化論が「科学」になる過程でもあるのだとか。

2018年04月18日

ルーデンス

前にアマゾンでお古の文庫を買ったら随分汚いのが来て、捨てたことがありまして。
そしたら今般、講談社学術文庫で出た。折角ですしということで。

80年前の文章ですが、民族、言語、宗教を股にかけて「遊び」の諸相が描き出されていて、結構楽しく読みました。しかしその後、この本がどう読まれてきたのかは誰かに教えてほしい。
あと、訳者解説はカイヨワに結構厳しかったので、『遊びと人間』の解説も読まないといけない気がする。まあ多分そのうち。

■ヨハン・ホイジンガ(里見元一郎訳)『ホモ・ルーデンス―文化のもつ遊びの要素についてのある定義づけの試み』講談社, 2018年.

人間の文化は遊びにおいて、遊びとして、成立し、発展した。

【遊びはこういうもの】
・遊びは文化現象である
・遊びは「余計なもの」である
・遊びは自由な=命令されていない、大らかな行為である。自由に使える時間の中で行われる
・遊びは生活上の必要から離れた、仮構の世界で行われるものである

・遊びは時間的に限定される(始めと終わりが明確にある)
・遊びは空間的に限定される(遊び場というのが設定される)

・遊びは規則を持っており、無視することは許されない
・遊びで人は何らかの役割を担う
・遊ぶ人は自分が遊んでいることを知っている(自覚的に規則と役割を引き受けている)
・それでも遊んでいる人はその役割に「なりきる」ことが求められる

・遊びは闘技的、対立的、競技的、党派生成的な性質を持つ。勝つことが肝心である
・勝ちたい、良いところを見せびらかしたいというのが社会的な遊びの原動力である
・不確定性をはらんだ遊びに勝つことは、神からの善や幸福の保証を意味する
・文化を豊かにするような遊びには、高揚感や没頭=真剣さが必要である

・遊びの共同体は遊びが終わってからも持続する(遊びが共同体を維持する)
・遊びは神話、祭礼儀式、神聖な行為の根っこにある。起きてほしいことを遊びとして「演じる」
・遊びはスポーツの根っこにもある
・遊びはたとえば次のようなところにも現れる:株の取引のような経済活動、訴訟(規則に縛られた言葉のゲーム。エスキモーは太鼓や歌で行う)、戦争(飾り立てた騎士道、礼節のゲーム)、知恵比べ(世界の秩序に直結した知=魔力を競い合うゲーム)、詩作(精神のゲーム、祝宴における叙事詩の暗誦、連歌も想起せよ)、哲学(レトリックの見せびらかし合いゲームを遊んだソフィスト、対立構図に立つプラトンの対話篇、学問論争)、ファッション(見せびらかしのゲーム)

・遊びの要素として、秩序、緊張、動き、楽しさ、無我夢中、が挙げられる
・「遊び」という言葉は、ゲルマン諸言語において真剣な闘技を、アラビア語やヨーロッパ諸言語において楽器の演奏を、ゲルマン諸言語や北米先住民の言葉で愛欲を表す言葉でもある

【遊びはこういうものではない】
・遊びは生物学的機能(生物学的に何かに役に立つから遊ぶ)ではない
・遊びの反対は「真面目」である(が、遊びは「真剣」に遊ばれる)
・祭祀的、儀式的、祝祭的性格がはがれ落ちた近代の遊びは機能不全といえる
・たとえばスポーツのように体系化、組織化、訓練が進むにつれ、遊びはその純粋さを失っていく
・社会的だった遊びが個人的なものになっていくと、遊びらしさはそがれていく
・ピュエリリズム。ユーモアに対する感情の欠如、言葉に激しやすいこと、グループ以外の人に対する極端な嫌疑と不寛容、賞賛に付け批難に付け見境なく誇張すること、自己愛や使命感におもねる幻想にとりつかれやすいことなどの幼児的特徴(ファシズム批判)

……というような対比を頭に入れて読むと、本書で紹介される古今東西の膨大な「遊び」事例が整理されるかと思います。

今の語感でいうと、「遊び」は「ゲーム」という言葉のイメージとかなり近いと思う。
そんで多分こういうことだろうなと考えた:

第1に、文化、政治、外交などの中で、遊びの要素の増減はあっても、必然的に人は遊んでしまうのだということ。何かを探究しているうちに本来の目的を外れてオタク的な凝り方をしてしまったり、実利的なことを話し合っていたはずの議論がいつのまにか弁論大会みたいになってしまったりする、そのさなかに「あっ今、遊んでる!」と遊びを発見できるだろう、この本を読んでおくと。

第2に、遊びは「真面目」(遊びの欠如)と「頽廃」(遊びの過剰)という両極端の間の中庸なのだということ。遊びが何でないかについてはあまり(明瞭に)語られていないが、図式的にはそう思っておけばよさそうではある。

第3に、遊びは実用性、日常性、秩序、自然=必然性の「外側」なるものの気配を人間が感じ取る契機だということ。しかし、遊びは時間的・空間的に限られたものなので、必ず人間は「内側」に戻ってくる。それでも出掛ける前と同じところには着地しない、それによって世界が展開するのだということ。

そして、文化の駆動因である遊びが力を失うと、停滞、硬直化、腐敗が起きるということ。

2018年03月25日

行政学講義

東京は土曜に桜の満開宣言が出ました(備忘)。
土日とも晴れてて花見日和だったのですが、どちらもマストではないものの捨てがたいインプット系の仕事をしてしまいました。残念。

「仕事で見たあれは何だったんだろう」で後追い読書をするシリーズがグローバルジャスティス、国際法に続いてこれ。キレッキレ。世の中どうしてこうなってるの、という広い関心にも応えるいい本でした。新書にしては大部ですので、弊管理人の興味のあるところ、知らなかったところは厚めに、そうでないところはさらっと。

■金井利之『行政学講義』筑摩書房,2018年.

【1】「われわれ」被治者への支配としての行政

▽政治と行政
・為政者が被治者を統治するのが「支配」
・被治者が統治者になって自分を支配するのが「民主主義」=被治者と統治者の一致
・代表民主主義では、代表者=為政者を民主的に統制する必要がある
・支配の決定と実行をし、行政の作用のもととなっているのが「政治」
  →政治と行政の区別は、民主的支配の原理から発生する

・戦前体制
  ・天皇が統治権を総攬→公選職政治家が行政職員を指揮監督する関係は明確でない
  ・武力革命政権としての明治政府
    行政は為政者集団内の上下関係といえるかも(藩閥―官吏・公吏)
    縁故採用だけでなく、高文試験での選抜=近代官僚制(科挙がなかった日本で!)
    →試験制度、資格任用制度を経たサブ集団として分化してくる
  ・では政治家集団はどうやって再生産するか?
    (1)天皇の信任、天皇との近さで←実務的には既存政治家がリクルートする
    (2)政治家集団自身による縁故採用(コネ)←有能さを保証しない
    (3)内戦し続けて武勲で←軍人集団が政治をするようになると自壊(1945)
    (4)議会と民党との対立という「管理された平和的内戦」
      →ここで政府側傭兵として官僚が活用される。次世代政治家の供給源にも
 
・民主体制
  ・政治家は公選職政治家として位置づけが明確になる
    →民主制と官僚制という2つの支配原理が併存するようになる
  ・非民主体制では与党=統治者、野党=在野・被治者だったが、
    戦後は政党の与党能力が問われるようになる。野党の存在意義の曖昧化
  ・官僚が実質的に政治や政策決定を行う「官僚政治」は継続
    ※国士型=自分が天下国家を考えて政治を担おうとするタイプ
     政治型=政党政治家の正統性を受容し、政治に従うタイプ
     調整型=利害調整を重視するタイプ
  ・官僚と与党は協働を通じて似通ってくる→忖度。党派化↑、政権交代への対処能力↓

・「全体の奉仕者」(憲15)←→党派的官僚
  ・政治家は党派的選好を持った「一部の奉仕者」。複数政党制が「全体」を担保する
  ・行政職員に対する国民の選定・罷免権は明確に規定されていない
    →官僚が与党化しても「中立性」の毀損が見えにくい
  ・政権交代しても旧与党化した行政が新政権を拘束する
  →行政が政治全体からの指揮監督を得ない→民主体制と整合しない
  ・内閣人事局(2014)=党派的任用の制度化!

▽自治と行政
・「官治」=異質な他者による支配←→自治=同質な仲間による支配
  ※国政における「被治者と統治者の一致」でいう仲間は何?想像の共同体
・今日の「自治」≒地方自治

・戦前体制
    町村レベルでは地元有力者による支配を認めていた
    ただし明治政府は町村の監督も同時に実施していた
  ・国の出先機関(普通地方行政官庁)として府県庁、府県知事(官選)を設置
  ・町村は郡役所、郡長(官選)を設置し監督(1920年代に廃止。地理的単位として残存)
  ・府県には帝国議会より前から府県会(公選議会)があった
  ・自治としての府県制も存在(ややこしい)
  ・「地方制度」とは、国の地方行政制度+地域の地方自治制度
  ・市:公選議会に相当する市会が置かれた。市長は市会推薦→内務相選任
  ・町村:町村会は公選、町村長も選挙
    →官治の色が市より薄い。ただし国→町村長の機関委任事務も存在

・戦後体制
  ・民主化=国政自治の導入→地方自治は「国民」という統治者の意思実現を阻む?
    No. 現憲法では地方自治の制度的保障を確認している
    「国民」が地方自治体の「住民」を支配することは民主主義から正統化できない
  ・各層別の民主主義を成立させるには、国/都道府県/市区町村が分離しているべき
    →だが、戦前体制を引きずっている。国にも市区町村にも関係する仕事が多い
  ・民衆の意向には地域的差異がある→国政で野党的な立場も地域で支持されうる
    国の党派的傾向を緩和する作用があるかも

・権力分立のための自治
  ・権利保障は、民主主義(多数者の支配)だけではだめ
  ・権力分立:通常は「三権分立」だが、国レベルでは一連の組織に見えなくもない
    →立法/司法/行政(水平的権力分立)のほかに「自治制」(垂直的分立)が必要
  ・そのためなら地方は武力/宗教的権威/経済力で治めてもいい
    ……が、これらでは民主的正統性の調達ができなそう→住民自治
  ・国/地方×政治/行政の相互関係があり→p.61図4

▽民衆と行政
・支配そのものはなくせない(単純な弱肉強食に陥る)以上、せめてもの解決が自己支配
・行政は、公選職政治家が指揮監督しないと「自己支配」として納得できない
  政治家―(指揮監督)→行政―(支配)→民衆―(選挙)→政治家、のループ
  ※ただし、現状肯定と無責任体質を産む危険あり!
・上記回路に頼らず、行政という他者支配への反抗を制度化したのが「行政訴訟」
  そのため、司法(裁判所)は非民主的な要素を持っている
  少数派の無視が起きたとき、特に有効となる可能性あり
・行政を「他者」とみることは、民衆への自己責任回帰と諦念から離脱する契機にもなる
  参考)非民主制下の無責任
    ・ナショナリズム→「行政がこうなってる責任は国民に」(一億総懺悔)という操作
    ・結局、為政者は何をやってもOK、という事態

・被治者と統治者の同一性をどう確保するか
・民主制下では、身分制に基づいた行政職員の構成(家産官僚制)を否定
  →行政を異質の他者としない。実態は異質な他者による支配であっても不愉快感が減る
・公務員を日本国籍者に限るというのも同じ不愉快感の低減が理由か
  →しかし、被治者は日本国籍保有者に限らないはず
・戦前の高文試験は結局エリート階層からしか受からない
・戦後は公務員給与を民間並みにする=統治者と被治者の同一性を確保する手段の一つ
・しかし属性は:男女のアンバランス
  ただし「女性ならではの視点」を求めてバランスさせると性役割の固定に繋がるので注意
・行政過程への直接参加
  してくる人は本当に民衆の代表か?←→少数者の権利無視になってないか?

▽自由と行政
・情報公開を「知る権利」ではなく「説明責任」から進めてよいか?
・君主主権のもとで、民衆個々人の自由を確保するには?
  (1)権力分立。しかし君主主権とは共存しうる
  (2)国民主権への転換。しかし個々人は「国民」の単一意思に対する自由が保障されない
  (3)個々人の自由など基本的人権を、主権の上位にある「神聖な自然的権利」とする(仏)
    →(3)から(1)(2)を正当化する
    ※憲法前文「人類普遍の原理」。民主的決定でもやってはいけない侵害がある
・支配は避けられないが少ないほうがいい(夜警国家)/行政による自由の確保(行政国家)

【2】行政の外側にある制約

▽環境
・地理(資源など)、歴史(記憶、伝統など)、気候(災害)、自然環境、人口、
 家族形態の多様さ(ケア、子育て)、コミュニティ(近年は行政の便乗が困難に)

▽経済
・事業をやらない行政(非指令経済)は民間の上がりに依存している(租税収奪)
・受益=負担?
・収奪強化→経済疲弊(ラッファー曲線)
・経済界も行政に要望
・その制約への反作用として行政は経済を支配しようとする。国営企業、規制と誘導

▽外国
・国境画定(領域国家)→帝国→国民国家(国民の一部が統治者でない矛盾が起きる)
・支配の及ばない「外国」が確定する→外交、国際機関行政の必要性
  ※戦前の高文試験も行政科と外交科は分離

▽特に米国
・米国に対して日本は「自治体」的な側面を見せる
・ポツダム宣言:いわば「暴力革命」、国家主権の消滅
→自治権回復の条件:民主化、共産主義革命の否定、平和主義、米国監督下の再軍備
・日米安保:在日米軍という最強の「在日特権」、暴発を抑止する「瓶のふた」
・為政者のタイプも植民地っぽくなる
  (1)支配を受容しつつ交渉する面従腹背
  (2)本国(=米国)統治へ寄り添う植民地為政者型
  (3)本国留学を経て思考が同化、ソフトパワーに負け続ける植民地エリート型
  (4)対等な日米関係をベタに信じる
  (5)面従腹背しつつ謀反・独立を狙う第三世界の反共独裁者型

【3】行政の内側にある為政者連合の姿
▽組織
▽職員
▽外周の団体(拡大した行政)
▽人脈

【4】権力(被治者の同意を調達すること)の作用

▽4つの力と行政の作用
  ・政策に向けて使う―政策管理
  ・4つの力=行政資源の差配―総括管理

▽実力=物理的強制力。警察力と防衛力
・警察:国家警察→戦後の自治体警察→都道府県警察
・軍:日本の文民統制と米国からの間接的な文民統制

▽法力(法的権力)
・権力統制の手段
  (1)実力を持つ行政から立法を分離する
  (2)立法は被治者(の代表)が行う
  (3)不正義な立法を否定する違憲立法審査権を裁判所に持たせる
・実行力は実力が裏付けるが、一罰百戒はテロと同じ。萎縮効果
 →恣意的な実力行使を制御するための法力が、恣意的に実力行使する矛盾
 →法がそれ自体として支配の実効性を持つために:ウェーバーの「合法的支配」
  =合理的(予見可能)・非人格的(誰が為政者かに依存しない)な秩序への信仰や帰依
・官僚立法、法令協議、内閣法制局、国会答弁
・検察
・裁判所:行政のチェック/行政の用心棒、両方の顔を持ちうることに留意

▽財力(経済的権力)=財源と財政
・中央銀行の独立:行政サービスの財源確保と通貨価値の安定が両立しにくいため
  ただし人事は政府。独立性は限定的
・大蔵省(主計局)支配
・会計検査院

▽知力=情報。他の3権力の行使を円滑にする。被治者の内面管理をする
・被治者もこれを使って反作用を及ぼすことができる
・領域空間と領域内の人間(→徴兵)とその財力(→徴税)の把握
・戸籍=家父長制的な把握→いずれ個人番号へ?
・統計
・教育・文化:被治者が支配される能力。
  支配される「主体」の創出―国語、勘定、遵法……
  被治者と為政者の同一性の創出
  内面の自由つき完璧な同一性=完璧な民主制(ないと完璧な独裁)
  広報と情報秘匿は支配の道具 
  答責性←野党質問、記者会見
  諜報←情報機関
  知識の格差→権力の格差
    秘密保護法(行政>>市民)。情報秘匿は市民を「敵方」と位置づけている
    逆に行政<<市民だと、外部専門団体が行政を左右してしまう
    格差の縮小:情報公開制度、公文書管理制度、個人情報保護制度

2018年03月06日

階級と性差と職場飲み

■橋本健二『新・日本の階級社会』講談社, 2018年.

ほんと久しぶりに講談社現代新書を買った気がする。20年前は買う新書の大宗を占めていたのだけど。

「格差社会」を超えて「階級社会」と化した現代日本を議論するためのデータを主に紹介したうえで、どう乗り越えていくかのたたき台を示した本だと思います。出たらすぐ読まないとどんどん昔の話になるので、急いで。

本筋から若干外れますが、女性がどういうグループに分かれるかを論じた第5章が面白かった。「彼女たちの人生の多くは、本人の所属階級、配偶関係、夫の所属階級というわずかな要因によって決定されているのである」(p.200)。つまり有無も含めた「配偶者」を抜きにして女性の人生が語れないということ。

* * *

先日読んだ『日本のフェミニズム』のトークイベントに出掛けてきました。

当面は本と向き合おうと思います。

* * *

初任地を離れてから、自分のを含めてすべての歓送迎会を欠席しています。それにもかかわらず、そのことを知っている上司からなお、来月異動する同期の送別会の幹事をやってくれと打診がありました。
  「仕事ですか」
  『仕事じゃないけどさ』
  「じゃあすみませんがお断りします」
で終わりました。
きりがないんですよね。一生かかわるつもりはありません。

札幌から転勤するときも、送別会を断ったら、支社長から「なんて聞き分けがないんや。殴ったろか」と脅迫されましたが、
  「今まで誰も送ってないのに、僕だけ送ってもらうことはできません」
という超うまい論理構成で切り抜けました。謝絶の実績を積み重ねてきたことが奏功した事例。また、このような積み重ねによって周囲から「そういう人」と認知されることが大切ですね。
他人の配慮を期待したり迎合ばかりしていると、効率的に幸せにはなれない。

2018年02月28日

読んだり食ったり

■ジョージ・オーウェル(高橋和久訳)『一九八四年』早川書房,2009年.

まだ読んどらんかったんかいというあれ。
480ページあって、200~300ページあたりで一度だらけたものの、そのあとは急に緊張感が戻って一気にフィニッシュしました。巻末にあるトマス・ピンチョンの解説の最後ではっとさせられました。これ絶対必要。電子書籍版にはついていないらしく、紙の本を買ってよかった。

1949年に書かれた本にして、既にナチスとソビエトを総括しきり、では徹底したディストピアはどんなものになるのだろうと思考実験を進めてるところが面白い。だからこれはソ連の風刺ではない。あと描写がとても映画的ですね。

弊管理人は「例え話」を使って何かを言うということに結構な警戒感があります。説明されるべき肝心なことを、それとは別のものを持ってきて説明すると的を外す、あるいは欺しになる危険が大きいから。なので、このフィクションを出汁にして時代診断をするのもちょっとと思う。考え方のライブラリに置いておくことは妨げないとしても。

* * *

ふと「おいしいもの食べたい欲」が戻ってきて、いろいろ食べました。
銀座で仕事があったので、グラニースミスのアップルパイをテイクアウトして会社のデスクで。
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褒めてるように聞こえないかもしれないが、マックのアップルパイのすごいいいやつ。
今回は季節メニューの酸味が強い林檎(その名もグラニースミス)のパイでした。レギュラーがほかに6種類あるそうなので、次は店内で、アイスかなんか添えて食べたい。コーヒーと。

* * *

赤坂見附、しろたえのチーズケーキなど。
日曜の閑散とした界隈でここだけ行列だったので、喫茶しにきたけどあほくさ、と思って持ち帰りに切り替えた次第。
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「ちっさ!」といったん落胆してしまいます。しかしこれはほぼクリームチーズですよね、というくらいの濃厚さなのでこのサイズでいいのだと思い直します。一発目のインパクトで平伏する味なわけではないものの、これは時々思い出して買いに行ってしまうかも。

* * *

西武新宿、焼きあご塩らーめん たかはし。
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これは厳しい寒さの中並んでこそおいしいのかもしれない。いや普通に食っても十二分においしい。

* * *

野菜は食べてます、念のため。

* * *

2月も晦日になってしまった。
年初からいろいろ種まきした案件の刈り取りは上旬で一応一段落しました。しかし、このまま仕事は少し出力高めで進むのもいいかなと思って、何かとぱたぱた動いています。そんな大したことはしないんですけど。そして多忙なほうが元気で明るい弊管理人の性格は健康にあまりよくないのではないかと思っています。

2018年02月18日

日本のフェミニズム

「性差別主義者でなければ皆フェミニスト」「フェミニズムを勉強することは大切ですが、生半可な勉強ではフェミニストと名乗ってはいけないということはありません」(p.10)という戸口の開放から入る。実際は奥深いし、貫徹するのは大変なのだけど、ぶん殴っといて「何で痛いか分かるか!?」と凄むみたいな本ではなかろうと俄然読む気が起きたのでした。

環境問題とかもそうですけど、歴史は繰り返す系の分野だと「いきさつ」を知っておくというのは大事だなと思います。相変わらずぼこぼこ浮上する問題たちの解決モデルをあらかじめ手近に引き寄せておけること、歴史を背負った用語とバズワードを見分けられること、カリカリしがちな人たちとお話できるようになること、あたりか。ブックレットくらいの大きさですが、知らないことがいっぱい書いてあって、弊管理人にとってはためになりました。

会社の図書室の新着本をかっさらうという最近のパターン。つまり買ってない。しかしこれは買って持っておいてもよかった。ごめん。このタイトルからすると続編が出るのだろうか。

■北原みのり編『日本のフェミニズム since1886性の戦い編』河出書房新社, 2017年.

▽原点:東京基督教婦人矯風会(矯風会)
・矢島楫子ら56人で1886年設立
・公娼と妾の廃止、禁酒を要求
・シスターフッド:慈愛館を設立(1894年、大久保百人町)。遊郭から逃げる娼婦の隠匿、就職支援、シングルマザーの自立支援など実施
・現代からは「性産業で働く女性を見下した保守的な運動」との批判あり(ex.雑誌「婦人新報」に「醜業婦」という表現も)

1. 日本のフェミニズム

・定義:「社会的、政治的、経済的に両性が平等だと信じる者」(アディーチェ)、「性差別主義的な抑圧をなくすための戦い」(フックス)、「性差別主義者以外」(三浦まり)

・第1波:男女同権を目指す。財産所有、政治参加、離婚、親権……
  明治時代には議会傍聴、政治結社への参加を解禁する法改正を要求
  大正以降は政治参加、選挙権(衆議院通過したが貴族院で否決)
  →選挙権は1945年に実現(ただし植民地出身男性からは剥奪)
  1946年に39人の女性代議士誕生(だが2017.10でも47人)
・廃娼運動:貧困と性差別の凝縮。国家建設と軍事化から生成
  1956年、売春防止法で一応の成果
  しかし売春の恐れをする女子の補導、保護更生。買春の責任は不問

・第2波:1970年代。ウーマン・リブの時代
  男性支配の社会構造(家父長制)からの解放。「個人的なことは政治的なこと」
  性規範の変革・性解放もテーマ
  中ピ連。ピンクのヘルメット、ミニスカ。「嘲笑」というバックラッシュ形態の顕在化
  リプロ。1972-1974年、経済理由の中絶禁止、障害を持つ胎児の中絶を可能にする「胎児条項」を入れる優生保護法改正の動きへの抵抗。女性団体、障害者団体の抗議で阻止
  1975年、世界女性会議(メキシコ)
  1977年、アジアの女たちの会(日本人男性による買春観光への反対)
    ※1973年、第1回日韓教会協議会での「キーセン観光」告発~慰安婦問題へ

・制度化(第3波):1980~1990年代
  1979年、女性差別撤廃条約の採択
  1985年、日本が批准→雇均法、家庭科の男女共修、国籍の父母両血統主義化
  1986年、土井たか子が社会党党首
  1989年、マドンナブーム。自民も野田聖子を擁立(女性代議士がいなかった)
  1995年、第4回世界女性会議(北京)、北京宣言と北京行動綱領
  1999年、男女共同参画社会基本法
  2001年、内閣府に男女共同参画局、DV防止法(議法)

・バックラッシュの時代
  1997年、「つくる会」~歴史修正主義
  慰安婦問題(1991年、金学順)ではアジア女性基金めぐり運動も割れる
    ※慰安婦制度は公娼制度が基礎なので、日本フェミの核心的論点といえる
  ジェンダーフリー(北京会議~)批判。内閣府の使用差し控え、図書撤去

・現在
  2016年、トランプ当選~ウィメンズマーチ
  痴漢、セクハラ、女子力、保育所、家事育児分担
  憲法24条改正(家族制度の強化)、少子化対策、2017年性犯罪の厳罰化後も残る課題

2. 廃娼運動

・戦前日本の人身売買。家の没落→遊郭への身売り→借金返済(年季明けへ)
  娼妓(政府公認、遊郭で売春する女性)、性病検査義務づけ(客を守るため)
  芸妓(三味線や歌、踊りが本業だが売春もする)
・借金返済はなかなか進まない(吉原では3/4が店の収入とも)
  1900年、廃業の自由を認定。しかし借金返済は残った
  森光子(遊郭から脱出、廃業達成)『光明に芽ぐむ日』(1926年)
・近代には遊郭は「貸座敷」へ。娼妓が場所を借りて自前の商売をする体裁に

・1886年、矯風会→1894年、慈愛館
・地方矯風会も順次設立、1920年代には廓清会と帝国議会、地方県会に廃止請願
・1916年、大阪飛田の遊郭建設に大阪支部(林歌子ら)が反対運動(失敗)
・1920年代は公娼制度批判が高まった(男の浪費批判)が、遊郭での買春も大衆化した
・1921年、婦人及児童の売買禁止条約。21歳未満の女性の売春勧誘禁止。日本は違反
・1931年、国際連盟の東洋婦女売買調査団による追及。政府は「自由意思による」と反論
・日中戦争以降、日本軍「慰安所」設置

3. 売春防止法

・1945年8月18日、内務省刑保局長「占領軍の駐屯地に性的慰安施設を」
  →芸妓、娼妓らに米兵の相手をさせる慰安所整備(東京に25カ所)
  ※「防波堤」論。援助交際擁護にまで引き継がれる
・1946年1月、GHQが「公娼制度廃止に関する覚書」を政府に送付
  「公娼はデモクラシーに違背する」→娼妓取締規則の廃止
  ただし次官会議は売淫禁止の例外として「必要悪としての特殊飲食店」を設定
  →「赤線」の誕生
  一方で特殊飲食店外の街娼を「闇の女」として取り締まり強化
  →17カ所の自立更生施設。後、売春防止法下で婦人保護施設に

・1947年1月、ポツダム政令勅令9号「婦女子に売淫させた者」への処罰
  ただし占領終了で無効になる恐れあり
  →1951年、矯風会などが「公娼制度復活反対協議会」、96万人の署名
 1953年、市川房枝ら超党派議員団。労働省で売春実態調査も
  買春処罰を盛った売春禁止法案作成、しかし否決
 1956年、閣法で売春防止法。人権への言及と買春処罰は削除、業者や街娼は処罰
  →公娼制度の終了

・残った課題:
  売春防止法では「性交」を禁止。風営法では「性交類似行為」を容認
  世界では買春防止法に変えていく流れ
  社会問題を背景にした売春に対応できず。2014年、女性自立支援法(仮)の要求も

4. リプロ運動

・Reproductive Health + Reproductive Rights。すべてのカップルと個人が、子どもの数、出産感覚、時期を自由かつ責任を持って決定でき、そのための情報と手段を得ることができるという基本的権利と、最高水準の性と生殖に関する健康を享受する権利のこと
・第2波の時期、女性の自己決定権が強く主張されるようになった

・近代以降
  女性の性と生殖は国家権力、家父長制による管理対象とされてきた
  1880年の旧刑法、1907年の新刑法でも人工妊娠中絶の禁止(男性は不問)
  産めない女性への離婚言い渡し、未婚=処女思想
  1936年、女優・志賀暁子の堕胎裁判
  1941年、人口政策確立要綱。1夫婦に5人の子が目標。産めよ殖やせよ
 
・戦後。食糧難、住宅難
  1948年、優生保護法。「産むな殖やすな」への転換。堕胎の容認(経済条項)、
    中絶の増加
  1948年、助産婦が国家資格化。1952年の受胎調節指導員→避妊指導の普及
  1954年、加藤シヅエら「日本家族計画連盟」。避妊と性教育

・高度成長期。労働力不足
  1960年代末~「中絶は犯罪だ」
  1972年、優生保護法改正案。経済条項の削除、胎児条項の新設
  1972年、中ピ連でピル解禁訴え

・「優生(不良な子孫の出生防止)」部分の削除
  1994年、カイロ会議で国際的非難
  1996年、優生保護法→母体保護法。優生部分の削除
  現在、NIPT→中絶(新たな優生思想)、自己決定論→自己責任論、「産む機械」
  2003年、少子化社会対策基本法。少子化は「未曾有の事態」
    性教育の停滞←→2013年「女性手帳」(不発)、婚活、妊活、卵子の老化……
  ※堕胎罪は存続。中絶は悪、との視線も
  ※過去の不妊手術について国は「適法に行われた」

5. レズビアン運動

・1970年代、女性同性愛は「異性愛に向かう仮の姿」「女として成熟すれば治る病気」
  「女郎グモ」「化け物」
・1971年、鈴木道子「若草の会」。出会いの場(1986年閉会)
・1980年、相良直美事件。アウティング
・バブル時代、新宿二丁目への集積

・田中美津ら、リブ新宿センター。レズビアン・フェミニストも
  おしゃれは「男への媚び」。ノーメイク、ショートヘア、Tシャツ、ジーンズ
  女性ジェンダーの拒否
・国際女性会議→ダイク・ウィークエンドへ
・1990年代には、若者やトランス女性から「女らしくて何が悪い」と反発も

・1991年、ゲイ・ブーム
・1994年、パレード。G/Lの諍いで1996年頓挫
・Lの出会い系ポータルBravissima!、L&B向け『アニース』
・性指向の一形態であり、人権問題としての差別という理解の普及
・2003年、性同一性障害特例法→戸籍変更が可能に(これはTの話か)
・沈黙しがち、忘れられがちな運動

6. 80年代の「性の自己決定」

・1986年、西船橋駅ホーム転落死事件
  ストリッパー女性にちょっかいを出した高校教師が抵抗され線路に落下し死亡
・1987年、池袋事件
  買春男性がナイフで脅した女性に反撃され死亡
・1988年『働く女性の胸のうち』
  「三多摩の会」によるハラスメント、性虐待の調査結果
・1992年、ゆのまえ知子「夫(恋人)からの暴力調査研究」
  →2001年、DV防止法に
・「セックスワーカー論」からの反論。「性産業従事者への差別をフェミニストが助長」
・風俗は女性の最後のセーフティネット?

7. AVの中の性暴力

・2008年『ひとはみな、ハダカになる』―AVがごく普通のセックス?
  運動vs「表現の自由」
  →PAPS(2009年)。「AV出演強要」の相談。性暴力ではない?ファンタジー?
・作品の過激化、視聴者が「楽しむ権利」、出演者の「自己責任」論や違約金
・AV出演強要:意に反した出演、販売(ネット流出)、生産現場での性暴力、噂の拡散

コラム:2017年刑法改正

・強制性交等罪の創設:「女性器への男性器挿入」(旧法強姦罪)からの拡張。肛門、口への挿入も。男性の被害者も。(挿入するのが手指や異物の場合は見送り)

・法定刑の引き上げ:3年→5年以上の有期懲役。酌量減刑がなければ必ず実刑

・監護者強制性交等罪の創設:教師、スポーツ指導者、同居の親など、加害者が優位な立場にある場合、「逆らえない」ことで「暴行または脅迫」が成立しにくかった。改正で、影響力に乗じてわいせつ、性交等をすると強制わいせつまたは強制性交等罪と同様の処罰に

・今後の課題:
・本人の同意がないわいせつ、性交があっても、暴行や脅迫がなければ強制わいせつ罪、強制性交等罪が成立しない「性交同意年齢」(13歳)は据え置き
・暴行・脅迫の要件が厳しすぎ。裁判もそうだが、起訴の可否判断にも影響する

2018年02月13日

おそろしいビッグデータ

■山本龍彦『おそろしいビッグデータ』朝日新聞出版, 2017年.

会社の図書室みたいなところにある新着本の棚から、まだ誰も借りてない本をかっさらってくるのが弊管理人の最近の趣味です。
本書、小さな新書だけに明快です。ビッグデータ/AI万歳とかマジ大丈夫ですかというのは、やはり技術職以外の人に言ってもらわないとかんのでしょうね。

【プライバシー権の限界】

・私生活をのぞき見られ、暴露されないという「古典的プライバシー権」。ここには「更正を妨げられない(人生を再出発する)利益」=「時の経過」論≒適度に忘れられる権利、が含まれている
・そもそも、プライバシー権で守られるのは、自分で自分の人生をデザインするため
→常に見られているという感覚があると、行動を萎縮させ、民主主義にも悪影響を及ぼしうる
→一つ一つは些細な情報が統合されることで、その人全体を描き出す「プロファイリング」ができてしまう
→自分の情報の行方をコントロールする権利という「現代的プライバシー権」に発展(最高裁は正面から認めてはいないが、改正個人情報保護法には入っている)

・現代的プライバシー権が保障されていたとしても、個人情報を提供する際のプライバシーポリシーへの「同意」は危うい
  ・ポリシーはいちいち全部読まない
  ・同意しないとサービスを受けられない
・プロファイリングの材料になる「普通」の情報入手に対する規制が緩い
  ※EUの一般データ保護規則GDPRはプロファイリングの中止請求権を認めている
・一つ一つは特徴のない属性を寄せ集めていくと、個人が立ち現れてしまう
  これが要配慮個人情報入手の抜け道になってしまう
  ←なのに、日本の個人情報保護議論は情報セキュリティの話ばかり

・予測精度の向上のため、個人の履歴がどこまでも記録され、遡られる
  ・忘れられる権利、人生を再構築する自由(憲法13条、個人の尊重原理)の侵害
  ・データ・スティグマを恐れるために萎縮した人生を送ることになる
  ・親の人生や遺伝的特徴との相関が見えると、「血」による判断が有用に
    →個人の尊重原理がここでも侵害

【バーチャルスラム】

・(寓話)ビッグデータ解析で、大学時代に就活に失敗した履歴、ファストフード店での低賃金バイトの履歴などから「信用力が低い」と判断。融資拒否。それがさらに同様のプロファイリングをする組織からの連鎖的な排除につながる。SNSで同じ境遇の人と悩みを交換するとさらに信用力が低くなるとして交流を避け、孤立
・だが、既に導入されつつある――ソフトバンクなどが採用活動へのAI導入方針/みずほ銀行は個人向け融資判断にAIプロファイリングの導入を発表/中国のアリペイも信用力の査定サービスを開始

・AIの誤謬(うわべだけの相関関係を判断に取り入れてしまう可能性、集積データの偏りを排除できない、現実に存在しているバイアスが再生産される)のリスクが残る
・いずれにしてもやっているのは「あなたのようなセグメントへの評価」であって、「目の前のあなたへの評価」ではない
・しかも、高精度とされるAIの判断は疑われにくい
・AIの判断過程が不明、あるいは知財や「裏をかく」恐れを理由にアルゴリズムが開示されない
・プロファイリングにより、原因はよくわからないが排除されるという「新たな被差別集団」が誕生する(しかも誰がそこに落ちるかは予測しがたい)恐れ

【差別の助長】

・再犯リスクを評価するアルゴリズムにより、黒人の再犯リスクが高く見積もられ、裁判所でより重い刑罰が言い渡される→米国の裁判所で実際に再犯リスクの評価システムを導入
・もともとは刑務所の満杯を受けて、再犯リスクの低い人を社会で更正させる目的
→ところが、黒人の再犯リスクが白人の2倍と見積もられてしまった
→裁判官には「最終判断に使わないように」との警告(ルーミス判決)

・将来の犯罪を予測する「予測的ポリシング」による人種差別の助長も
→米FTCの懸念表明(2016.1)

【個別化マーケティング】

・「個人の尊重」の4層
  (1)生命の不可侵
  (2)身分制からの解放
  (3)人格の自律(自分の人生をデザインできる)
  (4)個人の選択と、その多様性の尊重
・セグメントに基づく評価を個人に押しつけることは(2)に抵触
・選択肢やニュースのカスタマイズ、不安に基づくマーケティングは(3)に抵触
・カスタマイズされた情報が意思決定を誘導することも考えられる
  →便利だが、逸脱や愚行の自由が剥奪される

【民主主義の危機】

・個人の政治的信条に関するデータ集積をもとに、おすすめニュースをカスタマイズ。その信条が強まる=フィルターバブル(パリサー)、デイリーミー(サンスティーン)
→集団分極化(仲間だけで話しているうちに過激な方向にシフトする現象)
→政治的分断
・対抗手段=バブルを崩すこと:伝統メディア、否応なく目に入るデモ行進
→ポータルサイト、ネットニュースにも反対意見へのリンク義務づけ?

・投票行動も操作できる可能性(FBによる実験=デジタル・ゲリマンダリング)
・ビッグデータ解析に基づいた選挙キャンペーン(オバマ)
・しかし、個別化選挙で勝った政治家は個別有権者の思い通りにはならない
→選挙で政治の正統性が調達できないかも

【対抗策】

▽GDPR
・プロファイリングに対する中止請求権
・自動処理のみによって重要な決定を下されない権利
・透明性の要請(アルゴリズム開示ではなく、何を判断に用いたか・その理由の開示)

▽米FTC
・ビッグデータ解析により不利な決定を行う際の理由開示
・人種・国籍・性別を理由にしていないかのチェックを企業に要求
・予測精度と公正さのバランスを要求
 (特定区域に特定属性が固まっていることがあるため、居住地を使わない判断も)

▽日本でやりうること
・プロファイリング「結果」へのコントロール権
・一定の時間を経過した過去を「ほどよく忘れてもらう」権利
・つながるネットワークを自分で選ぶ権利(≒データ・ポータビリティ)
・データに適度なノイズを混ぜるなど、匿名性を担保する技術
・データ提供者への直感的な告知
・データ提供を拒否してもサービス利用を拒否しないこと

2018年02月10日

神は数学者か?

■マリオ・リヴィオ(千葉敏生訳)『神は数学者か?―数学の不可思議な歴史』早川書房, 2017年.

数学が自然や宇宙をどうしてこんなにうまく説明できるのか?という「数学の不条理な有効性」問題(ユージン・ウィグナー)について考えた本。大半はピタゴラスからひも理論まで駆け抜ける数学、物理学の歴史で、最後の章が問いに対する応答になってます。

最近だけでも、ヒッグス粒子あったああああとか、重力波見えたああああとか、何十年、百年も前に理論的に予言されたものの存在が、実験や観察によって確かめられるということが相次いでありました。古くは惑星の軌道が計算によって非常に正確に予測できたり、ひもの結び目について構築された理論がDNAの分子構造にも適用できたりと、数学の不思議な予測性、発見性には枚挙に暇がありません。ひょっとして神は数学者で、それに基づいて宇宙を創造したのでしょうか。違うというなら、人間には自らが発明した数学を通して見られるように世界を見ているだけなのでしょうか。

※↓何かあったら読み返す用メモなので粗いです。

・宇宙が数学に支配されていると考えたのがピタゴラス学派。音楽、宇宙、そして「対(つい)」。数は道具ではなく、発見されるべき実体だった
・プラトンにとっては、数学的対象の世界は、五感で認識できる「仮の世界」とは独立した永劫普遍の世界、数学を使って「発見」すべき世界である。現代に至る「プラトン主義」の源流となる考え方だ
・アルキメデスはそうしたイデアと、現実ここにある図形や立体との関係を追究し、新たな定理や問題を見いだしていった。微積分の発想も既に取り入れている

・近代、宇宙の言語=数学と思考実験を手がかりに「経験では明らかにならない現象の原因」を探究したのがガリレオ。望遠鏡を自作し、それを宇宙に向けた。木星は衛星を持ち、金星は太陽の周りを回っていた。黒点を観察していたら太陽も自転しており、天の川は無数の星の集まりだということ、太陽系外に恒星があることも分かってしまった。聖書(の解釈を独占する教会)との矛盾

・さらにデカルトは宇宙だけでなく、人間の知識一般が数学の論理に従っていると考えた。一組の数値を使って、平面上の点の位置を明確に示すことができる解析幾何学が始まる。代数と幾何の共通言語の発見。関数は法則へとつながった
・そしてニュートンは重力の理論に辿り着いてしまう。抽象的な数学分野が、物理的な現象の説明の鍵であることが認識された時代だった

・では、社会や経済、生物は数学で記述できるか?――相互関係があまりに複雑なものに対するアプローチとして統計(過去)と確率(未来)が生まれる。グラントの死亡表研究、ケトレーによる正規分布の発見、ピアソンの相関係数。確率はギャンブルから遺伝学にまで取り入れられた

・事件は19世紀に起きる。ロバチェフスキーらによる非ユークリッド幾何学の構築。ガウスもそこに辿り着いていた。リーマンは直感的に想像可能な3を超える次元の幾何学の端緒を開く。公理が違えば別の幾何学が成立してしまう。数学は人間の心が発明したものなのではないか?

・20世紀、ラッセルは数学を論理に還元する。ド・モルガン、フレーゲ、ブールから記号論理学へ。ゲーデルは形式体系が不完全か矛盾していることを示した
・それにしても、数学の言語で表現された不完全な形式体系のゲームで、なぜ宇宙はこんなに説明できるのだろう

・最後の第9章が、その問題と正面から向き合う
・数に関する認知は人間の脳に備わっている、その前提が人間に数学で認知できる世界を数学的に描写させている(そういう眼鏡をかけているからそう見える)のかもしれない
・問題を切り分ければ、素数などの「概念」を発明し、素数に関する「定理」を発見する、という営みなだけなのかもしれない
・数学の発展とともに、宇宙を説明するのに適切な道具が生き残ってきているのだという進化的な説明もできそうだ
・あるいは、単に数学で説明しがたいものを見てないだけ、なのかもしれない
・いや、対象ごとに使いやすいツールを発明してきた、というのが本当ではないか
・結局、分からない。しかし絶対の保証がないところで探究を続ける、そういうもんではないか

非ユークリッド幾何学は確かに衝撃なのでしょうけど、それは従来の幾何学を倒したのではなく包摂しただけで、むしろ数学の一般性を高めたのではないかしらと思うのですが。読み物としてはエピソードいっぱいでとても面白かったです。

2018年01月13日

山谷と吉原

学生時代の友人からお声がけいただいて、TABICAというサイトで開催している街歩きツアー「吉原の今昔散策」に参加してきました。

スタート地点の南千住駅から歩いてすぐのところにあるのが、小塚原回向院。
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近隣の小塚原刑場で処刑された罪人や行き倒れの人たちが弔われているところだそうです。当時は禁止されていた解剖を杉田玄白らが行ったのもここ。安政の大獄で処刑された吉田松陰や橋本左内(ただし正式なお墓はそれぞれの出身地にあるそう)だけでなく、鼠小僧や、「報道協定」が初めて結ばれた誘拐事件「吉展ちゃん事件」(1963)の被害者・村越吉展氏(弊管理人は吉展ちゃん事件が報道協定のきっかけになったと勘違いしてましたが、それは「雅樹ちゃん事件」(1960)でした)のお地蔵さん、カール・ゴッチのお墓までありました。
謀反人のお墓がなぜ三つ葉葵のついたお寺にあるのかは分からないままでした。

お隣は延命院。同じく処刑された人らのための「首切り地蔵」がいます。
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小塚原刑場ってどこにあったのか、ネットで調べてもよくわからなかったのですが、今回やっと分かりました。延命院の隣から、現在の線路と、線路を渡ったところにある東京都交通局の施設のあたりまで細長く延びていたとのことです。火葬が追いつかず、かなりの土葬をしたせいで、つくばエクスプレスを通すときの調査で大量の人骨が出土したとか。
処刑されたものの供養――。悪霊化するのを恐れたのか(これは仏教の発想ではないのかもしれませんが)、それとも罪人もまた救われるべきと考えたのでしょうか。

刑場のあったあたりはやはり民間に分譲というわけにはいかず、都営アパートや都バスの基地になっています。いわくつきの地には学校が建つこともあり、それが「学校の怪談」というジャンルが生まれる元になったのではないか、とはガイドさんの推測。

北の小塚原、南は南大井の鈴ヶ森、あと八王子にあった大和田が江戸の3大刑場で、あとはコミュニティレベルの小さなものがあったそうです。小塚原は斬首、鈴ヶ森は磔と火あぶりで処刑をしていたとのこと。
小塚原は千住の宿場町の外れに位置していて、明治の初めくらいまでは首がさらされていたそうです。街に入る人たちに対して「秩序を乱すとこうだからね」と知らしめる意味があったのでしょうか。

跨線橋から刑場と逆のほうを見ると、貨物列車ががたごとと通り過ぎていきます。
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このあたりは荷揚げの中心地であり、都心方向への物流の起点となっていたそうです。さらに前回の東京オリンピック前には日雇い労働者が集まり、安宿も多い。それが現在は外国人旅行者に好んで利用されているのですね。

人足寄場、さらに食肉処理、皮なめし、解剖など、被差別階級の人たちが担った仕事が周辺に集積しています。皮なめしは水を大量に使うので川沿いにあったとのこと。浅草にはそうした社会の頭領・弾左衛門の屋敷があります。独自の裁判権を持つなど、高度な自治をしていたらしい。近代以降も革靴工場など、ゆかりのある産業が残ったそうです。

処刑される人たちが家族と別れる場所だった「泪橋」は、現在は交差点の名前に残っているのみ。その近くがいわゆるドヤ街の雰囲気を残した一角になっていて、ハローワーク、1泊2500円くらいの安い宿泊施設、寿司屋が点在しています。「あしたのジョー」の舞台もこのあたりだとのこと。
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旧山谷、現日本堤の交番は、ちょっとしたマンションくらいの大きさ。かつては暴動やデモが頻発したので、応援をとったり留置をしたりといった必要があって大きな交番になっているそうです。ちなみに、近くには有名なカフェ「バッハ」があるそうですが、立ち寄ることはできませんでした。

「いろは会」商店街に入ります。
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右側の垂れ幕は見にくいですが「山谷は日雇労働者の街 労働者を排除する再開発反対!!」と書かれています。「写真とるな!人権侵害やでえ」と声をかけてきたおっちゃんは関西弁でした。いろんなところから働きに来られているよう。

アーケードは老朽化が進んだので、昨年秋に屋根を取り払いました。
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再び屋根をかける予定はないそうです。
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寒い日が続きますが、日が照っているので日向にいると暖かかったです。
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そんで、前に天丼を食べに行った「土手の伊勢屋」の横っちょくらいに出て、吉原に行きますよ。

吉原大門(だいもん、ではなく、おおもん)に入る道は大きく曲がっています。出入りする人たちが見えにくいよう目隠しをする機能があったとのこと。今は大門があったところを示す柱が立っているだけです。
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こちら「金瓶梅」「鹿鳴館」などソープが並ぶメイン通り。昔はこの通り沿いのお店が一番ステータスが高く、病気をしたりして落ちぶれた遊女たちは街のはしっこのほうに住んでいたそう。その外には「お歯黒どぶ」という堀が巡らしてあり、出入り口は基本、大門に限定することで逃亡を防いでいました。

遊女は全盛期で3000人、もろもろのスタッフを入れると1万人くらいが働く街だったとか。スターの太夫から見習いの禿(かむろ)までヒエラルキーが存在し、15歳から10年ほどの間にキャリアを積みました。お金を持っている客には教養のある人もいたため、相手ができるよう囲碁、将棋、和歌、俳句などを勉強したそうです。

初めての客を大門まで迎えにいくのが「花魁道中」。これはお店の宣伝も兼ねていたということです。ファッションリーダーでもあったのですね。客を選ぶ権利は遊女のほうにあり、一度は大門近くの待合所で品定め、二度目は食事をしながら品定め。三度目でようやく夜をともにすることができたという。

吉原を出る方法は3つ。(1)年季明け=借金を返す、(2)身請けしてもらう、そして(3)死ぬ。

弁天さん、性病科クリニック、関東大震災の火炎旋風を逃れようと女性たちが飛び込んだ池の名残(多くは圧死だったそう)など、いろんなものが集まってます。
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台東病院の裏に出ると、竜泉の街。樋口一葉が一時期住んでいたそうです。記念館もあります。
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ガイドさんにお煎餅をごちそうになってしまいました。
製造は山梨県(笑)。でも、樋口家ってもともと山梨の出身なんですよね(一葉は東京生まれだが)。なんか関係があるのかな。

三ノ輪駅の近くまで来て、最後は「投込寺」こと浄閑寺。
安政の地震のときに死んだ遊女が投げ込み同然で運ばれたお寺だそうです。
吉原で遊んでいたらしい永井荷風も「死んだらここにお墓を作ってくれ」と希望していたものの家族の反対で実現せず、有志がお寺の裏手に文学碑を作ったとか。
そして、山谷で亡くなった人たちもここに眠っているそうです。
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太陽の下で働いた人びとを象徴する、ひまわりを持った地蔵。

いやほんと勉強になりました。

* * *

吉原とは関係ありませんが、年末から読んでた本、帰りの地下鉄でフィニッシュしました。

■冨田恭彦『カント入門講義―超越論的観念論のロジック』筑摩書房、2017年。

20年とか前に柏木達彦シリーズなど読んで以来、お久しぶりの冨田先生ですけど、なんか分かりやすさがパワーアップしてませんか。すごいね。『純粋理性批判』ってこういう話だったんか。弊管理人はどういうわけかヒュームってカントの敵だと思ってたけど全然違ってた。

2018年01月03日

国際法(3終)

EUができたのが中学生のころで、そのあと受験勉強とヨーロッパのわちゃわちゃが同時進行して、しかもECがまたできてる!?とかいって混乱しているうちに勉強しなくなり、なんかフランもマルクもなくなったねとかいってるところで知識がストップしていたEU。仕事で扱うことになるという因果……

あと、コソボとかアフガンとかシリアとか「なんで人んちに爆弾落としていいの??」という疑問もずっとほったらかしてた。不惑になっても知らないことばっかです。うへえ

(2)はこちら

* * *

【9】人権の国際的保障

・人権の国際的保障=各国内法+国際法による。国際社会による監視と問責
  eg.国際人権規約、児童の権利条約
  ←国内管轄事項への干渉?「国際法は国家間の関係を規律する」との齟齬?

・国家と人
  ・国家は領域内のすべての人に法律を適用する権限を行使する(領域管轄権)
  ・国家は領域内外の国民に対して一定の権限を行使し、保護する(対人管轄権)
  ・国家は国内法に基づいて国籍付与ができる→国民を決められる
    ・血統主義(日独など):父系主義(父親の国籍)/両系主義(最近の流れ)
    ・出生地主義(米など移民受け入れる国)
    ・無国籍が生じうる←無国籍の減少に関する条約(1961)、自由権規約で解消図る
    ・重国籍が生じうる←実効的国籍の原則(よりつながりの強い国籍国が保護)で対応

・人権の国際的保障
  ・両系主義の導入(女性の権利保護の立場から)
  ・国家は管轄下の個人に対して一定の人権保障義務あり(人権関係諸条約)
  ・歴史的には、難民や少数民族など、国家保護から外れたグループ向け
    →枢軸国による大規模人権侵害をきっかけに、普遍的人権擁護へシフト
    →国連憲章1条3項「人権および基本的自由を尊重するよう助長奨励」
      経済社会理事会の下に人権委員会を設置
  ・世界人権宣言(1948)→社会権規約と自由権規約(1966採択)
  ・国連によるアパルトヘイト問題などへの取り組み、公民権運動、NGO
    →人権保護は国内管轄事項ではなく、国際関心事項との認識が拡大した
  ・ただし、東側や新興独立国は柔軟性を要求。「人道的介入」の拒絶など
    ←西側も「ジェノサイドは座視しない」などと反論
  ・ウィーン宣言(1993):冷戦後の国際人権保障
    ・体制の如何を問わず、人権保護は国の義務と規定

・仕組み
・国連(総会、安保理、経済社会理事会、人権高等弁務官事務所)
  安保理:アパルトヘイト、クルド人抑圧、PKO、暫定統治機構、国際刑事裁判所
  人権委員会:調査・報告・勧告。重大かつ組織的な人権侵害について個人通報も受理
    →総会の下に人権理事会設置(2006)
  人権高等弁務官事務所(1993ウィーン会議が契機):人権理事会の事務局。調整、援助も
・条約(国際人権規約のほかに)
  人種差別撤廃条約、拷問等禁止条約、女子差別撤廃条約、児童の権利条約
  最近発効:移住労働者権利条約、強制失踪条約、障害者権利条約
  →締約国は、管轄権下の個人に対する人権保障の義務を他締約国に対して負う
  難民の地位に関する条約(1951)と議定書も

・実施の確保
  自由権規約の場合:独立の規約人権委が各国の報告審査、意見述べるなど
    選択議定書では個人が規約人権委に対して通報できる「個人通報制度」も
    (ただし日本などは受け入れていない)

・最近のトピック:法整備支援
  行政・司法制度の整備、組織的な法学教育→法曹養成

【10】ヨーロッパの統合

・ウエストファリア条約(1648)→主権国家(not諸侯、都市、宗教権力)が基本単位に
・二つの世界大戦、冷戦→ヨーロッパの没落→再生を図る
  1948 ベネルクス関税同盟
  1950 シューマン・プラン(独仏の石炭・鉄鋼生産を管理、西ドイツ復興)
  1951 パリ条約(ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体ECSC)独仏+ベネルクス+伊
  1957 ヨーロッパ経済共同体(EC)、ヨーロッパ原子力共同体(EURATOM)
  *ECSC、EC、EURATOMの総称がヨーロッパ共同体(EC)
  1965 ヨーロッパ共同体機関合併条約でEC共通の委員会、理事会、総会、司法裁判所

・EC
  1960年代 関税同盟で域内関税の撤廃と共通関税の実施、農業政策
  1973 英、アイルランド、デンマークが加盟(9カ国に)
  1981 ギリシア、1986 スペイン、ポルトガル加盟(12カ国に)
  1992 共通市場の形成

・EUとユーロ
  1992.2 ヨーロッパ連合条約(マーストリヒト条約)、EU創設。外交、司法でも統合
    *EEC→ヨーロッパ共同体(EC)。2002 ECSCが解散
  2002.1 ユーロ導入。金融政策がヨーロッパ中央銀行(ECB)に移譲
  ~EUの東方拡大
  2007 リスボン条約によるEU改革→ECはEUに吸収
  
・課題
  ・ヨーロッパ議会:全会一致の困難→特別多数決制
  ・ヨーロッパ憲法草案(2004)→蘭仏で批准否決
  ・トルコはヨーロッパか問題(=アジアって何だ?という問題にもなる)

・EU法
  ・EU条約(基本条約)―二次法規(規則、命令、決定)
    規則は加盟国の国内法に置き換えることなく直接に加盟国内の私人にも適用される
  ・EU法をどう見るか
    ・EUは国際組織→EUは国際法とみる見方
    ・EUは連邦国家への過程とみる→EU法は連邦法に似た特殊な国内法にもみえる
    *英仏が国連常任理事国として独特な地位を持ち続ける間は「加盟国は主権国家」

【11】紛争の平和的解決

・アドホックな対応から、戦争の制限・禁止へ
  1899 国際紛争平和的処理条約→国際審査の常設仲裁裁判所
  国連憲章2条3項 国際紛争の平和的手段による解決が「義務」に

・平和的解決の手段(国連憲章33条)
  外交交渉(当事者間の直接交渉)

  周旋と仲介(第三者による援助。周旋は便宜供与など限定的。仲介は解決案提示も)

  国際審査と国際調停(当事者の合意による国際委員会。審査は事実関係、調停は解決案)
    eg.ドッガー・バンク事件(1904)。国際審査委の結果で露→英に賠償金

  国際裁判(国際法に従った「拘束力のある」判決が下る)
    (1)仲裁裁判:手続きや仲裁人は当事者が選定。常設仲裁裁判所(1899~)
    (2)司法裁判:既存の裁判制度であらかじめ選ばれた裁判官が判断。ICJ
      ・強制管轄受諾制度:管轄権行使に同意、かつ同意国間の紛争で有効
      ・応訴管轄:一方によるICJ付託が可能。相手が応じれば合意付託。eg.竹島
  ほか、いろんな国際裁判制度
    ・国際行政裁判所(国際公務員の雇用関係紛争)
    ・ヨーロッパ人権条約、米州人権条約、バンジュール憲章で人権裁判所
    ・個人の国際犯罪には旧ユーゴ国際刑事裁判所、ルワンダ国際刑事裁判所など
    ・海洋では国際海洋法裁判所
    ・貿易では投資紛争解決国際センター(ICSID)

  国際組織による解決
    当事国が紛争解決できない→国連安保理に付託
    →調整手続きや方法の勧告/解決条件の提示
    *米州機構(OAS)、アフリカ連合(AU)など地域的国際組織が役割果たすことも

・実例
  ・テヘラン米国大使館人質事件(1979)
  ・ニカラグア事件(1979)
  ・みなみまぐろ事件(1999):日本が1905以来、仲裁裁判の当事国に
  ・ナミビア事件、東ティモール事件、パレスティナの壁事件:「対世的義務」
  ・南極における捕鯨事件

【12】国際社会と安全保障

・戦争=国家が組織した軍事組織の間で、一定期間継続して、相当の規模で行われる、
      武力行使を中心とした闘争状態

・正戦論(古代~中世) 十字軍(宗教的観点)、グロティウス(法的観点)
・無差別戦争観(~20C初頭) 国家主権の発現形態として、無制限の戦争の権利をもつ
  *無差別戦争観の下でいくら戦争法規を発達させても仕方なかった
・20Cの正戦論:戦争を制限・禁止する国際法規を作り、違反は「違法な戦争」とする
  eg.開戦に関する条約(1907):宣戦布告を伴わない戦争が違法に
・戦争そのものの禁止:パリ不戦条約(1928)
  *戦争に至らない武力行使は対象外。違反時の有効な制裁措置もなし
・広範な武力行使の禁止:国連憲章
  *経済力、政治力の行使がforceに含まれるかは議論継続中
  ・ニカラグア事件判決(1986)では、武力行使禁止原則は「国際慣習法」と認定

・国連憲章の下で例外的に合法とされる武力行使
  ・集団安全保障体制下での(安保理決定に従った)強制行動
  ・自衛権の行使(集団的自衛権を含む)
  ・旧敵国条項の援用(→早期削除の意思表示が1995に示されている)
・議論があるもの
  ・民族解放のための武力行使
  ・人道目的での武力行使(人道的介入)eg.NATOのコソボ空爆(1999)

・集団安全保障
  ・国際連盟で初めて実現(戦争または戦争の脅威は連盟国全体の利害関係事項)
  ・国連:武力行使原則禁止への違反に対する集権的対応
    ・加盟国に平和確保と侵略防止の行動を直接義務づけ
    ・安保理は国際社会の平和と安全維持に主要な責任を負う
    ・安保理決定の措置に対する加盟国の協力義務

・安保理による強制行動
  ・平和に対する脅威/平和の破壊/侵略行為の決定
   →暫定措置に従うよう要請
   →非軍事措置/軍事措置を決定
  ×拒否権あり、冷戦下では十分に機能せず
  ×「平和に対する脅威」に統一見解なし
  ×軍事措置の前提となる特別協定が不成立
・国連総会は安保理に比べると二次的、勧告的
・国連事務総長も「管理的権限」、憲章98条を根拠に平和と安全維持の権能を有する
  eg.レバノン国連監視団の拡大、ベトナム戦争、国連緊急軍の撤退など

・集団安全保障体制の補完
  ・国連総会の勧告権
  ・地域的集団安全保障
    (1)地域的取り決め:国連コントロール下。米州機構、アラブ連盟、アフリカ連合など
    (2)地域的機関:強制行動開始を自分で判断できる。NATO、日米安保など
  ・PKOの発展
    ~冷戦終結 休戦監視団、平和維持軍(合意・要請下、中立、武器は自衛)
    冷戦後 規模と派遣回数の拡大、大国の参加、機能多様化
    強制的な性格は「多国籍軍」に委ね、紛争後対応に限定した活動へ
  ・日本はPKO参加5原則(協力法1992、2001改正)

・将来
  ・国家の集団安全保障から「人間の安全保障」へ
  ・対テロ
    9.11後のアフガン武力行使は「個別的自衛権」(米)、「集団的自衛権」(英)
    IS対応でシリア、イラクへの武力行使は「自衛権の行使」(米)

【13】自由貿易体制と国際法

・国家の相互依存
  ・グロティウスが国際法の原則の一つに挙げた「通商の自由」
  ・中世イタリア都市国家間の「通商航海条約」
  ・重商主義~国家が直接、通商に乗り出す。「家産国家観」(国家は君主の私的財産)
  ・18C後半~私人・私企業による通商+外交的保護+通商航海条約→自由貿易体制
  ・恐慌→ブロック化→WWII

・WWII後
  ・ブレトン・ウッズ体制(ブレトン・ウッズ=ハバナ体制)
    IMF(金融)、IBRD(復興・開発援助)、国際貿易機関(ITO、貿易→結局設立されず)
  ・ITO起草と平行した関税引き下げ交渉→GATT(1947)
  ・GATT:最恵国待遇と内国民待遇の多辺化
    関税引き下げ交渉(1947 ジュネーヴ・ラウンド~1973 東京ラウンド)→日本に恩恵
  ・1980s~限界あらわに
    (1)米国など先進国のインフレと不況→保護主義的措置の蔓延
    (2)先進国経済のソフト化、サービス化←GATTは基本的にモノの貿易が対象
    (3)例外扱いされてきた農業、繊維分野にも適用求める声の高まり

・1986 ウルグアイ・ラウンド→WTO設立
    (1)国際法上の法人格を持つ(組織面での強化)
    (2)紛争解決機関の整備
      ・パネル設置「しない」ことを全員一致で決めないと設置される逆コンセンサス方式
      ・手続きに時間制限を課した
      ・不服申し立てを扱う上級委員会を設置
    (3)サービス、知的所有権に関しても規定。聖域の農業、繊維も自由化推進
  ・2001 中国加盟
  ・グローバリゼーションへの懸念(1999シアトル)→行き詰まりへ

・FTA、EPA締結し、域内での貿易自由化進める動き

【14】難民・犯罪・ネット・テロ・NGO

・国際社会の変化:国家が基本、国際法は二次的調整→より積極的な役割へ

・難民条約(1951)、難民議定書(1967)
  ・難民=人種、宗教、国籍もしくは特定の社会的集団の構成員であること、または
  政治的意見を理由に迫害を受ける恐れがあるという十分に理由のある恐怖を
  有するために、本国の外にいる人々
  ・不法入国に刑罰を科さない、追放制限、本国送還の禁止(ノン・ルフルマンの原則)
    *難民を入国させること自体は義務づけていない
  ・自国民と同等に扱うこと
  ・拷問される可能性のある国への追放・送還禁止(拷問等禁止条約)

・条約難民(難民条約の定義に合う政治難民)+災害、紛争、貧困→「広義の難民」
  ・途上国から先進国への労働力の移動とも結びついている
  ・国境管理が追いつかなくなりつつある
  ・不法就労目的は送還、斡旋者は取り締まりも

・国際組織犯罪防止条約に付属する密入国議定書(2001)
  ・営利目的での移民斡旋取り締まり
  ・本国が送還された不法移民を受け入れる義務
・人身取引議定書
  ・人身取引の犯罪化
  ・被害者の保護・送還を規定

・移住労働者権利条約(1977、ヨーロッパ)(1990、国連)

・犯罪:刑事司法という「主権の牙城」に国際法が切り込む
  ・二国間条約:犯罪人引渡条約、刑事共助条約(日米、日韓)
    ・政治犯は引き渡さないとの原則
    ・自国で罪にならない行為での拘束、引き渡しは不当とする原則
    ・国によっては自国民を引き渡さない原則も

  ・多国間条約
    ・薬物:アヘン条約(1912)、麻薬単一条約(1961)、国連麻薬新条約(1988)
    ・国連国際組織犯罪防止条約(2000)+密入国、人身取引、銃器不正取引の3議定書
      ・途上国支援が特色。犯罪組織にセイフ・ヘイブンを与えない
    ・腐敗:国際商取引における外国公務員への贈賄防止条約(1997、OECD)
      ・2003には腐敗全般の普遍条約「国連腐敗防止条約」採択
      ・公務員の腐敗=資金洗浄の前提犯罪と考える

・ネット:サイバー犯罪条約(2001、ヨーロッパ審議会。ただし域外の国も締約可)
  ・違法アクセス、データ改ざん・詐欺、児童ポルノの処罰、データ保全、開示、
   提出命令、差し押さえ、欧州、通信傍受など詳細に規定

・テロ:テロリズムの定義について合意できていない
  ・ただし一般的理解はテロ資金供与防止条約(1999)にあり:
    ・文民その他の者であって、武力紛争の状況に直接参加しない者の死や
     重大な障害を引き起こすことを意図する行為
    ・その行為が、住民の威嚇や政府・国際機関に何らかの行為をすること/
     しないことを強要する目的である場合に限る

  ・これまでは、個別の行為にアプローチしてきた
    ・ハイジャック:ヘーグ条約(1970)、モントリオール条約(1971)
    ・シージャック:海洋航行の安全に対する不法行為の防止条約(1988)
    ・ほか国家代表等保護、人質、核物質防護、爆弾テロ、核テロ……
    ・犯人が自国領域内で見つかった場合の処罰、引き渡し(引き渡し犯罪化)
    ・9.11以降は資金提供の防止、テロ対策諸条約の締約国奨励(安保理決議1373)

・NGOの貢献
  ・対人地雷禁止条約、特定通常兵器使用禁止制限条約……
  ・役割:専門知、現場活動、国によっては政府代表団に入る
  ・限界:政治的正統性はない(選挙で選ばれてない)、責任追えない、中立性

【15】国際人道法

・残虐行為の防波堤としての「人道」:戦争でも許されないことがある
・戦争違法化前:交戦法規、武力紛争法
・戦争違法化後:一般住民の保護=国際人道法
  (1)戦闘の手段や方法に関するルール:
    ハーグ法(破裂弾規制、負傷兵保護など、19C後半から)
  (2)非戦闘員保護:ジュネーヴ法、ジュネーヴ諸条約(1949~)

・国際人道法
  ・兵器使用の禁止(過度の障害、不要な苦痛、戦闘員や軍事目標のみに向ける)
    ・劣化ウラン弾のように新たな兵器は解釈分かれることも→条約対応へ
    ・クラスター弾:対人地雷禁止条約(1997)、クラスター弾条約(2008)
    ・BC兵器:毒ガス禁止議定書(1925)、生物毒素兵器禁止条約(1972)など
    ・核兵器:ICJ勧告的意見(1996)で基本原則違反とされた
      が、自衛の極限的状況では合法/違法を明確に決定できないとした
      *日本国内では東京地裁が「国際法に反する」と判決(1963)
  ・軍事目標主義
    ・WWIIの絨毯爆撃→ジュネーヴ諸条約追加議定書で「無差別攻撃」として禁止
    ・点在する軍事目標の巻き添えもだめ
    ・文化財・礼拝所、ライフライン、自然環境、ダム・原発など破壊が危険な施設も×
  ・戦争犠牲者の保護
    ・戦闘員が捕虜となった場合:捕虜条約で保護
      *グアンタナモ収容容疑者を米は「敵性戦闘員」と呼称
    ・相手方の権力内の文民は文民条約などで保護。拷問、医学実験、人質など禁止
    ・特に子ども兵士:武力紛争における子どもの関与に関する選択議定書(2000)
      →18歳未満の戦闘参加を禁止

・守らせるためには
  ・戦時復仇:違反には同じ行為で仕返し。伝統的だが紛争激化させる恐れもあり今は禁止
  ・第三者機関による監視:ただし当事国が中立国や事実調査委に同意する必要あり困難
  ・戦争犯罪人の処罰:国内裁判所での裁判は形式的で終わる恐れ。内戦の規定もなし
  ・国際裁判所での訴追:旧ユーゴ紛争が契機。ルワンダも。ただし都度設置
    →国際刑事裁判所規程(1998)で、常設のICC設立。しかし米中露は未批准
  ・真実和解委員会:南アフリカ、シエラレオネ。対話し、赦す

【16】日本と国際法

(短いので略)

2017年12月28日

国際法(2)

きのう机上の整理をして帰ってきたこともあり、仕事納めの本日は出勤する必要がなさそうだったので家でネット経由の仕事をしてました。

で、本の続き(実はもうとっくに一度読み終わっていて、メモにするのを怠けていただけなので、着手すると速い)。環境だけでなく海、宇宙、感染症のお話もそういえば国境を越えるわけで、今年の仕事は本当に国際法と関連したものが多かったと感じます。
なんか職場では年明けからの担務の再編が噂されているようで、またなんか変わるのかね……まあいいけど。

(1)はこちらです。
(3)はこちら

* * *

【5】国家の国際責任(国家責任)

・義務違反(国際違法行為)の責任を問われる「者」
  国家、国際組織(PKO部隊など)、個人(戦争犯罪人など)
・国家はなかなか国際違法行為を認めない
  →対抗措置や報復、ICJへの付託、好意によるex gratia金銭支払い(第五福竜丸など)

・戦争が違法でない時代は軍事措置で片付けていた
  →19C以降、アジア、アフリカ、南米進出した欧米諸国民の外交的保護に起源
  →欧米は自国民の被害を、国内法の問題ではなく国際法違反とすべきと主張した
  →戦後、ILCの法典化作業で「国家責任条文」(2001採択)。未発効だが重要文書

・国家が国際違法行為をしたということの条件
  (1)その行為が国際法上、国家の行為とされる(公務員の行為、私人の行為の追認)
  (2)その行為が国際義務の違反を構成する(大使館や大使館員保護の義務違反など)
  eg. テヘラン大使館人質事件(1979)。ホメイニが学生の占拠を支持したことに対して

・違法性阻却事由
  ・事前同意
  ・自衛(国連憲章51条)
  ・対抗措置(他国の義務違反に義務違反で対抗する。ただし武力は×)
  ・不可抗力(自然現象や戦乱などで無理)
  ・遭難(人命救助の最後の手段として。eg. レインボー・ウォーリア号事件(1985))
  ・緊急避難(重大・急迫な危険から守る。eg. トリー・キャニオン号事件(1967))

・責任追及は被害国ができる
  ・外国船舶の領海侵犯→国家の威信のような精神的損害でもOK
  ・国際社会一般の利益を根拠に第三国が追究できるとまでは考えられていない
    (国家責任条文48条ではできそうだが、課題多し)
・国民が被害を受けた場合は→私人は国家責任を直接追及できない
  ・被害者の本国が、外交的保護権の行使で追及することはできる
  ・ただし、次の2要件を満たす必要あり
    (1)国籍継続の原則=被害者は継続してその国の国籍を持っている
    (2)国内的救済完了の原則=被害を受けた国内で法的な手を尽くした

・責任の果たし方:国際請求の様態
  ・当時国間での「交渉」
  ・第三者を介した「仲介」
  ・第三者を介した「調停」
  ・国際裁判への提訴
・責任が認定された場合の対応:国家責任の解除
  ・国際違法行為の中止
  ・再発防止の保証
  ・生じた損害の賠償
    ・違法行為の結果の除去
    ・原状回復(最も基本的。テヘラン人質事件なら大使館の明け渡しと人質解放)
    ・金銭賠償(被害算定と支払い)
    ・サティスファクション(陳謝、違法行為の確認、責任者の処罰)
  →これらの組み合わせで国家責任を解除する

【6】国際組織の発展と役割

・誕生
  ・三十年戦争→ウェストファリア条約(1648)で国際法秩序の基盤(ただし欧州内)
  ・産業革命→人や物の移動活発化→越境活動の規律する枠組みの必要性
  →欧州の河川管理のための「国際河川委員会」が初の国際組織
   ライン川中央委員会(1831)、クリミア戦争後のヨーロッパ・ダニューブ委員会(1856)
   感染症蔓延を防止する国際衛生理事会(コンスタンチノープル)→WHOへ

・19世紀後半:多分野での問題を国際的に処理する「国際行政連合」相次ぐ
  ・国際電気通信連合(1865)、万国郵便連合(1874)。WIPO,GATT-WTO、FAO,WHOの元も

・WWI→「(加盟国が)普遍的」かつ「(権限が)一般的」な国際連盟の誕生へ
  ・紛争の平和的解決、軍縮、人道的任務までが対象に
  ・ロカルノ条約(1925)、不戦条約(1928)→平和・秩序維持を連盟が担う
→しかしWWII→国際連合

・国際組織とは
  ・国家が構成員(この点でNGOと違う)
  ・国家間の合意(国連憲章、ユネスコ条約などの設立条約)が基礎
  ・一定の機能を遂行するための機能的団体(この点で国家と違う)
  ・常設的な機関をもつ(この点でアドホックな国際会議と違う)

・国際組織の類型
  ・普遍的組織(加盟国が地理的に限定されない)/地域的組織(EU、OAUなど)
  ・一般的組織(国連、AUなど)/専門的組織(ユネスコ、アジア開発銀行など)
  ・政治的組織(平和・安全維持を目的としたNATOなど)/非政治的組織(国際協力)

・課題
  ・WTO、IMF、IBRDによる環境破壊、文化的画一化を批判するNGOの声も
  ・アカウンタビリティの要求

【7】海と宇宙

・海や資源が有限だとの認識
  ・スペイン、ポルトガルの「全世界の海の領有」vs誰でも利用可とする英蘭の「自由海論」
  ・外国軍艦から沿岸を守るため、実効支配可能な範囲は領有できるとする「閉鎖海論」
  →調整の結果としての「公海自由の原則」。海=狭い領海+広い公海

・WWII後、漁業・海底開発の技術発展で修正必要に
  ・領海の幅3海里→12海里
  ・沿岸隣接の漁業資源や大陸棚開発の権利を主張するトルーマン宣言(1945)
    →排他的経済水域、大陸棚制度へ

・→包括的に扱う「国連海洋法条約」(1982採択、1994発効、日本批准は1996)
  ・領海(12海里)=領土と同じく主権が及ぶ。無害通航に関する法制定も可
  ・接続水域(基線から24海里)=違法行為を行った船舶を拿捕、処罰できる
  ・排他的経済水域(基線から200海里)=漁業資源など経済的利益について主権的権利
  ・大陸棚(200海里超の陸地の延長)=天然資源開発をする主権的権利
  ・公海(EEZの外側)
  ・深海底(大陸棚の外側)=人類の共同の財産。国際海底機構が管理
・ほか、紛争解決の国際海洋法裁判所などの制度も

・船
  ・船舶の国籍(船籍)をもち、公開状では旗国の管轄に服する「旗国主義」
    ただ、便宜船籍(パナマ、リベリアなど税金が安く、安全基準が緩やかな国)も多い
  ・海賊船や不審船(旗国の不明示/偽装)はどの国も臨検、逮捕できる
  ・潜水艦は領海では浮上、国旗掲げる必要。軍艦は各国で対応ばらばら
  ・海峡ではすべての船舶、航空機について無害通航権より緩やかな通過通航権

・国家間の対立
  ・日韓間のEEZは日韓漁業協定(1999)で調整
  ・日中間のEEZは日中漁業協定(2000)で
  ・大陸棚:白樺(春暁)ガス田開発(2004)→共同開発で合意(2008)
  ・沖ノ鳥島

・公海での漁業にも制限
  ・国連公海漁業実施協定(1995採択、2001発効、2006に日本にも効力)
    ストラドリング魚類(タラ、カレイなど)、高度回遊性魚類(マグロ、カツオなど)
  ・国際捕鯨取締条約→国際捕鯨委員会(IWC)。豪州による日本提訴

・宇宙
  ・ソ連の人工衛星打ち上げ→米ソの宇宙開発時代に
    →国連の宇宙空間平和利用委員会でルール作り→宇宙条約(1966)へ
  ・宇宙空間は国家による取得の対象にならないが、基地建設や資源開発はOK
  ・月協定では、月は「人類共同の財産」とされた(ただし批准は10数カ国のみ)
  ・宇宙空間は平和目的のために利用しなければならない
    ただしICBMの打ち上げ、軍事衛星の配置は禁止されていない
    *月は軍事基地、軍事実験とも×

・課題
  ・静止衛星軌道(高度36000km)の過密→利用ルールがない
  ・宇宙での商業活動の規制
  ・デブリなど宇宙の環境問題

【8】環境問題

・国際的な環境法
  ベーリング海オットセイ事件の仲裁判決(1893、英vs米)=生物資源の保護
  農業のための益鳥の保護のための条約(1902)
  トレイル溶鉱所事件(1941、米vs加)=大気・土壌汚染。しかしまだ伝統的規則の援用
・ストックホルム人間環境宣言(1972)
  リオ宣言(1992)
  持続可能な開発に関するヨハネスブルグ宣言(2002)

・環境条約
  ・個別分野で非常に多数の条約と、法的拘束力のない文書(ソフトロー)が重要
  ・枠組条約(一般的な目的や原則の規定)→具体的な「議定書」で具体化と履行確保
   eg. ECE長距離越境大気汚染条約(1979)→ヘルシンキ議定書(1985)
      オゾン層保護条約(1985)→モントリオール議定書(1987)
      気候変動枠組条約(1992)→京都議定書(1997)
      生物多様性条約(1992)→カルタヘナ議定書(2001)と名古屋議定書(2010)
  ・枠組条約に加わった国が議定書にも入る保証はないことに注意
  ・ソフトローを出す主体としては普遍的/地域的国際組織の役割が重要

・環境を巡る争い
  ・金銭賠償は十分でない
    (1)条約が規律する範囲外だと国家責任法の厳格な規則が適用される
    (2)予防、差し止めの権利が予定されていない
    (3)回復不可能な損害を補填できない(チェルノブイリなど)
  ・防止的措置
    ・事前通報、協議、同意(バーゼル条約)
    ・環境影響評価(ECE条約、南極条約、生物多様性条約)
  ・予防的アプローチ(予防原則)
  ・解決は二国間の枠組にそぐわないことが多い→締約国会議へ

・経済格差→「共通だが差異ある責任」(リオ宣言)
・GATT,WTOと環境を理由とした貿易制限の調停→今後の議論

2017年12月27日

国際法(1)

去年から今年の前半までの仕事では条約や国際交渉のことをずいぶん扱ったので、「あれ一体何だったの」という整理というかおさらい(←今更ともいう)。有斐閣アルマやストゥディアなど、最近2年以内に新版が出ている初学者向けの本をいくつかめくってみて、情報はしっかり入っていて(必須)、かつ読みやすい(副次的)だろうと思ったのが本書。

2ページで「地球上のすべての国家を当事国とする多数国間条約は未だかつて一度も存在したことがないし、これからもおそらく存在しないだろう」といっているのを見るにつけ、197カ国・地域が署名し、着々と締結してるパリ協定ってすごいんですねという思いを新たにします。

(2)はこちら

■植木俊哉編『ブリッジブック国際法[第3版]』信山社、2016年。

【1】国際社会におけるルールのかたちとはたらき

・国際社会≠国内社会
  ・立法機関、行政機関がない
  ・規範は自生的な性格をもつ→規範が常に問われ、解答も時代とともに変わる
  ・政府が存在しない。分権的社会

・国際社会における国家の行動を規律する規範=国際法の「法源(存在形態)」
  (1)条約=国家間の文書による合意
  (2)国際慣習法=すべての国家に適用(公海自由の原則、領空の無許可飛行の禁止)
  (3)文明国が認めた法の一般原則=各国内法の共通原則で国際関係に適用可能なもの

・国際慣習法の成立要件
  (1)一般慣行=大多数の国家による反復的な作為/不作為
  (2)そうした作為/不作為が法によるものだという「法的信念」
  *ただしいつ成立したかわかりにくい。内容も不明確→法典化(ベンサムが提唱)

・法典化
  ・代表例はハーグ平和会議(1899,1907)とハーグ国際法典編纂会議(1930)
    ←このころ、複数国家で取り組むべき問題、利益の存在が認められたため
  ・今日の法典化:国連総会の補助機関、国際法委員会(ILC,1947) が担う
    例)外交関係に関するウィーン条約、条約法条約など

・国際法における二つの規範
  (1)任意規範=当事者が合意すると逸脱できる
  (2)強行規範=当事者が合意しても逸脱できない
    ←国際社会にはないとされてきたが、条約法条約(1969)53条で存在確認
      強行規範に抵触する条約は無効(侵略戦争、植民地支配の禁止など)

・条約が及ぼす国内法体制への影響(各国の裁量)
  ・国内法の改正(例:女子差別撤廃条約→戸籍法改正で父母両系血統主義に)
  ・行政措置での対応
  ・解釈による抵触の回避

【2】条約

・最古の条約はBC3000頃のメソポタミア都市国家間
・今日的な条約の期限は17C中葉の西欧。対等な主権国家間の合意
  →私人間契約に似たものと考えられた(ローマ法の影響、私法類推)
  →二国間条約はこれでいいが、多数国間条約はそうもいかない

・合意は拘束するpacta sunt servanda
  ・条約は結構よく守られている(あまり脆弱なものとみてはならない)
  ・守らないときでも、国家は国際法の考え方を使って自分を正当化するもの
  ・守るのは、法制定者も法の適用対象者も国家だから(守らないと対抗措置も)

・手続き
  全権委任状を持った国家代表による外交交渉
  →条約文の採択、署名(条約文の確定)
  →条約の批准、批准書の交換や寄託(国家が拘束されることの最終的同意)
  →条約の発効

・外交の民主的コントロール
  .秘密外交の廃止、14カ条の宣言(ウィルソン、1918)
  *ただし、迅速な手続きでいいものは「行政協定」。議会承認なし
・日本:内閣は条約を締結するが、国会承認を経ること(憲法73条三)
  法律事項や財政支出を含むものは国会承認が必要(大平三原則、1974)

・留保
  条約全体の趣旨には賛同できても、特定の規定内容が国内事情と合わない場合
  →署名、批准の際に特定の法的効果を排除/変更する声明
  eg.日本の不戦条約1条と明治憲法、社会権規約(1979)
  ・できるだけ多くの国が締約国になれば条約の普遍性が上がるので許容される
  ・ただし条約の核心にかかわる留保は認められないのでは?
    →両立性の原則
      当事国ができるだけ同じ権利義務に服する「一体性」と
      できるだけ多くの国が当事国になる「普遍性」の均衡点を探ること
  ・国連海洋法条約や国際組織の基本条約のように、留保禁止の条約も存在
    →ただし、許される複数解釈の一つをとる「解釈宣言」で切り抜ける手も

・条約は第三者を害しも益しもしないpacta tertiis nec nocent nec prosunt
  が、政治的な影響は及ぼしうる。eg. 周辺事態法(1999)
・第三国への義務は書面による同意が必要だが、権利付与は拒否がなければOK
・条約が国際慣習法化した場合は例外(条約法条約38条)

【3】国際法主体としての国家

・国家:「領土」「人民」「政府」が3要素
・ただし20世紀初頭までは「文明国」のみが国際法上の「国家」とされていた
  →アジア、アフリカは「無主地」として植民地支配が正当化された
  →民族自決の原則が確立し、修正
  →信託統治地域(国連憲章11章)もパラオの独立(1994)で終了

・国家の誕生、変更、解体
  ・国家の承認は、国連加盟の承認とは別→既存の国家が個別に行う
    外交関係の樹立(両国間の合意)とも別の「一方的行為」
    通告や宣言による「明示的承認」と、条約締結などによる「黙示的承認」あり
    eg. 日本の東ティモールとの外交関係樹立は黙示的な国家承認
  ・国家の変更:非合法な政府交代(革命、クーデター)が起きた場合
    他国による政府承認(一方的行為)が必要
    ただし国内問題への干渉という意味合いを持ってしまう
    →最近は外交関係の維持/樹立/断絶で処理(政府承認の廃止傾向)
  ・解体、消滅:旧ユーゴ、東西ドイツ統一、チェコとスロバキアの分離独立など
    →旧国家の権利義務、財産や債務は?―「国家承継」の問題が発生する
    (1)従属地域が新独立国になる場合→白紙。クリーン・スレート理論
    (2)結合や分離の場合→包括承継
    *ただし、このルールは広く支持されているわけではない

・国家が一般に国際法上もつとされる「基本権」
  =独立権、平等権(→主権平等原則)、名誉権、国内管轄権(→内政不干渉原則)
・友好関係原則宣言(1970)での7つの基本原則
  武力不行使、紛争の平和的解決、国内事項不干渉、国家の相互協力義務、
  人民の同権および自決、国家の主権平等、憲章義務の誠実履行
・さらに自衛権、外交権、使節権など

・国家の平等とは?
  ・国際法の定立における平等
  ・国際法の適用における平等(法の下の平等)
    ←戦争の違法化、武力不行使義務で「力」の差に起因する不平等が解消した
    *ただしICJ判決の安保理による強制執行は、常任理事国に対しては事実上無理
  ・権利義務の内容に関する平等
    現代は、武力を背景にして締結された条約は無効(条約法条約52条)
    →19世紀の不平等条約のようなものはできにくくなっている
    ただし、具体的な権利義務がすべて平等というわけではない eg.京都議定書

・主権の及ぶ空間
・排他的領域主権
  ・領土
  ・領海(陸地から12海里)+内水=領水(外国船舶は無害通航権あり)
  ・領空=領土と領水の上空(外国民航機には協定に基づく飛行の権利あり)
・主権「的」権利
  ・排他的経済水域
  ・大陸棚
・公海、深海底、南極、宇宙は特定の国の排他的権利が及ばない

【4】外交官と領事館

・外交官=自国を代表して他国との交渉や決定に参加する
  大使など「使節団の長」と使節団の外交職員を指す
・外交関係に関するウィーン条約(1964発効、日本は1964批准)
・外交使節団=外交職員(外交官)+事務・技術職員+役務職員
  仕事は「本国を代表して行う任務」+「自国民の保護」

・領事官=各地で本国と自国民の利益、権利を守るための活動を行う
  +派遣国の国民への旅券、査証発給+国民への援助(相続、後見など)
・領事関係に関するウィーン条約(1963採択、1967発効、日本は1983加入)

・外交特権
  ・根拠は「職務遂行に必要な範囲で認められる」とする「職務説」が有力
  ・外交使節団への特権:公館の不可侵、公館への課税免除、書類の不可侵…
  ・外交官への特権:身体の不可侵、裁判権からの免除、租税の免除…
・領事特権
  ・もっぱら「職務説」
  ・特権は外交官より限定

・瀋陽の日本総領事館への脱北者駆け込み事件(2002)
  庇護を求める第三国の人を保護する権利を国際法上有するのか、という
  「外交的庇護」の問題を提起
  (*自国の領域内に逃れてきた個人を領域主権で保護するのは領域的庇護)
  ・領域国の主権侵害vs人道的配慮
    →外交的庇護が国際法上の権利として確立するかは今後
  *ただし、あくまでも庇護を求める人ではなく、国家の権利であることに注意

・国家元首、首相、大臣の特権
  ・戦争犯罪や人道に対する罪を除き、他国の裁判管轄権からの免除あり
    ただしピノチェトに対するスペイン→英国の引き渡し請求(1999)で議論に
    民族ヘイトのコンゴ外相に対するベルギーの逮捕状発給→2002ICJ判決も

2017年12月26日

パソコン買い換え

2012年に買ったVAIOの調子にむらが出てきたので、PCを買い換えました。
10年ぶりくらいにデスクトップ。Lenovoのideacentre510S(90GB0046JP)ってやつです。第7世代Core-i5、8GBで52888円。それとLGのモニタ22MP48HQ-Pを11980円で、前のノートと同じくらいの値段になりました。

デスクトップにした理由は主に2つ。

(1)机上のスペースを広くするため。PCを置いてある勉強机で飯を食ったり会社ノートを置いて仕事をしたりしていると、ノート置きっ放しは狭い。フットプリントはモニタの台のほうがはるかに小さいし、デスクトップのキーボードは邪魔なときは寄せておけます

(2)大きいモニタが欲しかった。大きいといっても21.5インチですけど。ちっちゃい画面はだんだん目がつらくなってきたのと、複数の画面を並べて作業するのって楽だなと会社の23インチを見ながら思っていたため

で、やっとWindows7→10になりました。そんなに難しいことはしないので特に困りません。
あと、無線LANを使い続けようと思ってUSB接続の子機アダプタ(ELECOM, WDC-867SU3S)を1490円で買いましたが、速度は40Mbpsくらいだし、高頻度で切れる。5mのケーブル(MCOのカテゴリ6A、ビックカメラで510円)でつなぐと90Mbpsくらい出で、当然切断もありません。本体の動作も相当軽くなりました。USBポートを通信に使うのはかなりの負担になっていたのかな?

モニタは画面が時々若干暗くなるんだけど、これは付属のHDMIケーブルの問題か、馴染み(?)の問題か……と思っていたら、エネルギーセーブ機能のせいでした。気になるので解除。

音は引き続きFMトランスミッターで飛ばしてコンポから聞いてます。
まあこれは当面このままでいいか。

* * *

25日の昼飯後、急に体調が悪くなり、帰宅してから深夜まで3回吐き、熱も出ました。
27日から鹿児島に出張することになっていたところ、この体調だとマジヤバイと思っていましたが、その出張案件が1月以降に延期になりました。奇跡が起きた。
先方から「ホントすみません」とお電話をいただいたのですが、「いえ万全を期してのことですから」と答えた声が弾みすぎていたのは否めない。

疲れがたまっていたところに、質の悪い鶏肉を食べたせいではないかと疑っています。2008年の12月末にも、やはり食べ過ぎで急性胃腸炎になってる。腹も身のうち。

* * *

■岡田匡『糖尿病とウジ虫治療―マゴットセラピーとは何か』岩波書店、2013年。