■川崎修,杉田敦編『現代政治理論[新版]』有斐閣,2012年.
(3)の続き。
うひー、やっと終わった。でもすごい勉強になった。
おめーは30代も終盤になってまだ入門書を読んどるのかという考えもありましょうが、時々散らかってたものを整理する機会がいるんです、独りで本を読んでいるとね。
このところ、歳のせいか20代の時と違って「そうはいっても世界は進歩してる(少しずつだが以前の失敗を取り込んでる)っぽい」と思うようになり、しかし「どの問題を見ても一度は以前に考えられたことがあるっぽい」とも依然として思っています。そうすると、進展中の事態について何か考えないといけない時にとりあえず立つべきスタート地点と、そこに刻まれた失敗と修正の概要をいっぱい知っておくことが大切になる。専門性を持たない弊管理人はそんなわけで時々こういう本を読みたいと思います。
あとメモ作りながら読むってやっぱり有益。本にもよるけど。
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第10章 環境と政治
〈政治課題としての環境問題〉
・R.カーソン『沈黙の春』(1962)→アメリカの農薬規制のきっかけに。利便性・効率性追求の危険を周知
・D.メドウズら『成長の限界』(1972)→経済発展には終わりがあることを指摘。資源管理という地球規模課題が浮上
・自然環境の道具的理解:人間にとって望ましい状態を維持するものとしての、生態系の浄化機能の重要性=人間中心主義
・J.ドライゼク:人間の生命維持基盤としての「環境」=エコロジー
・A.ネス:人間の利害に関係なく、自然が有する内在的価値がある=ディープ・エコロジー(1989)
ただし、そういう価値を見出すのも、あくまで人間だが……
・環境問題と公平・正義
(1)環境変化の悪影響は弱者のもとで特に顕在化する
(2)将来世代にツケが回る
(3)自然の尊重をどう法的・政治的に具体化するか。自然をどう人間が代弁するか
・リベラル・デモクラシーとの兼ね合い:選択の自由と利益の最大化。コモンズの悲劇。国家による資源管理と環境保護は自由に抵触
〈緑の政治〉
・1960年代:開発に伴う環境破壊、産業由来の環境汚染=「環境問題」→各国で環境担当官庁の創設
・1970年代:都市への人口集中、生活に伴う汚染=「生活型公害」→加害者、被害者の切り分けが困難に
・1972:スウェーデン提唱で初の国際会合→越境汚染の問題=「地球環境問題」へ
・1987:国連ブルントラン委員会報告『われら共通の未来』の「持続可能な発展」→「成長の限界」からの転換
・1992:国連地球サミット『アジェンダ21』
環境問題に取り組む資金捻出のため、経済成長を促す
先進国の責任、予防原則の重要性、国際条約の成立に道筋
・ラディカル環境主義者:既存の政治経済システムはエコロジー的価値と正義の実現に寄与していない
特にドイツ「緑の党」は脱原発を含む政策転換に成功。市場不信と個人の自己決定重視(左翼リバタリアン)
・1970年代西欧の脱・物質主義的価値観(R.イングルハート)→エコ、反核、平和、第三世界との連帯:R.ダルトン「新しい政治」
近代批判、官僚制化批判。しかし自由、平等、デモクラシーにはコミット→リベラル・デモクラシーとの新たな関係
・エコロジー的近代化:1980年代前半、ドイツから。経済と環境の相互補強。その基盤としての技術革新
ただし政府、企業、市民の協調が必要なため、コーポラティズムの国で成功する傾向か
副作用としての、ラディカル集団の穏健化、現実主義。途上国へのしわ寄せを見えにくくする?
・環境と経済の両立:世界を席巻したアイディアだが、単に産業社会に「緑の化粧」をしただけでは?
〈エコロジーの政治構想〉
・A.ドブソン『緑の政治思想』:ディープ・エコロジー政治思想。道具主義・改良主義は「表層的」と批判
→環境問題の根本解決につながる「エコロジズム」の提唱
経済的インセンティブではなくエコロジー的な動機付けに基づく市民として振る舞うこと
←でも、個人の陶冶だけでいいのか?
・環境問題は複雑。領域横断的な討議が必要=「エコロジー的合理性」(ドライゼク)
・討議デモクラシーへの期待。将来世代の声や自然の代弁を討議に組み込んでいく可能性
第11章 国境をこえる政治の理論
〈境界線の動揺と政治学〉
・自律的で時速的な意思決定の最高単位:古典古代はポリス、近代以後は主権国家、フランス革命以降は国民国家
・ウェストファリア・システム:国内政治と国際政治の厳密な区分け
〈ウェストファリア的秩序〉
・ウェストファリア条約(1648):
領域国家:領域内では暴力を独占。国際政治では正統な主体となる
宗教対立を争点としない
・国内=集権的、紛争解決の手続きがある、分業と相互依存がある
・国際=分権的、上位権力がない、対立の最終形態は戦争、階層性や分業関係はない
→国際関係はいつも、潜在的な紛争状態にある
・H.ブル:国際政治の伝統3類型
(1)ホッブズ的(現実主義的):潜在的戦争状態。秩序はあったとしても脆い
(2)カント的(コスモポリタン的):国家だけでなく個人、社会的主体の協調も存在。人類的共同体に向かう
(3)グロティウス的(国際主義的):ルールに則った紛争(外交、国際法、勢力均衡)。主体はあくまで国家
これらはいつも併存してきたとする。
・ブルは(3)を支持。ただしそれでうまくいくのは激しい対立がない場合か
→19世紀以降、福祉国家・ナショナリズムによる国家的動員→国内矛盾の解決を対外関係に転嫁
→国家間の妥協が困難になった(E.H.カー)
・ナショナリズムの高揚で、国内で制御されている人間の支配欲が対外的に拡張主義として噴出(H.J.モーゲンソー)
→米ソの「一国中心的普遍主義」同士の対立→激化。ホッブズ的状態に近くなる
〈国際政治の分権制をどう克服するか〉
・第1次対戦:動員装置としてのナショナリズム→総力戦、秘密外交→戦後の国際政治学成立につながる
・国家、戦争の暴力性をどう克服するか
(1)国際法や国際機構の強化による、国家主権への制約
(2)軍縮を通じた物理的制約
(3)外交政策の民主的統制
(4)自由貿易を通じた各国の相互依存深化(経済的リベラリズム、N.エンジェル)
・D.ミトラニーの「機能主義」(1933)。国家が持つ主権を多様な機能の束と見る
機能ごとに専門の国際行政機構を設けて、国家の機能を少しずつそこに移す
→こうすれば世界政府を作る必要はない
・「新機能主義」:地域的な機構に多様な権限を委譲する。初めは経済から、そして政治へ
→各国エリートも地域機構への忠誠心を持ち始めるだろう
・自由貿易、機能主義、新機能主義は、国家権力の制約を志向する点で広義のリベラリズム
←でも、現実には国家は協調枠組みを破壊するくらいの力を手放さないだろう(現実主義からの懐疑)
*米ソ対立は現実主義に説得力を与えた
*ただ、先進資本主義国の関係はリベラリズム的状況に近い
〈グローバル化〉
・冷戦と南北問題で分裂の様相が支配的だった国際社会の中でも、1960年代末~70年代にかけて「地球的な問題群」があるとの認識が広がった→「宇宙船地球号」の流行。地球環境問題、第三世界の貧困、南北間の経済格差、開発、人権、国連人間環境会議(1972、ストックホルム)
・背景:大量生産・大量消費の経済成長がもたらす環境負荷、通信衛星などによる国際的コミュニケーションの拡大、「成長の限界」、宇宙空間から撮影した地球の映像→地球は有限な共同空間
・国際政治学の視座の転換:
(1)国境横断的関係:国際政治の主体は国家だけではない
多国籍企業、研究者の国際組織、国際的な業界団体、宗教組織の国境を越えた活動に注目
(2)国家間の相互依存:国家間の相互依存進展による軍事力の有効性の相対的低下
・1970年代末以降のグローバル化の原動力=市場、金融自由化で開放された力。ネオリベ的グローバル化
→小さな国家。国家の空洞化とデモクラシーの空洞化
・ワシントン・コンセンサス=自由貿易、資本市場の自由化、変動相場制、利子率の市場による決定、市場での規制緩和、民営化、緊縮財政、税制の累進制緩和、所有権と知財の絶対的保護。小さな政府のイデオロギーは依然としてエリートに支持されている
〈国境を越えるデモクラシーの理論〉
・ウェストファリア・システムから考える:
(1)国内政治のデモクラシー
(2)国際関係の民主化
・しかし「国際関係の民主化」の意味するところは?NGOや新しい社会運動が国際政治過程に参画すること?
・国内政治のデモクラシー(代表制デモクラシー)は国際関係の民主化の基礎になるのか?
・D.ヘルドの「コスモポリタンなデモクラシー」。現在の国内/国際デモクラシーには5つの乖離
(1)法。個人の権利や義務に関する問題が国家を媒介せずに問われるようになった
(2)政治体。世銀やIMF、EUが国家を拘束する意思決定をしている
(3)安全保障。現実には覇権国家に各国が依存・従属している
(4)アイデンティティ。グローバル化したメディアが先進資本主義国の文化的支配をもたらした
(5)経済。市場に対する各国の管理能力が損なわれた
→権力構造が国、地域、国際関係全般、に分散しているが、デモクラシーは国ごとにしかない
なんのためのデモクラシー?→市民個々人の自律性向上
(1)権力の恣意的な行使からの保護(古典的リベラリズム)
(2)市民による意思決定への参加
(3)意思決定に参加するための能力を確保できる環境整備
(4)個人による資源入手の可能性を最大化
→地理的、機能的に多層的な民主的コントロールが必要
どうやる?
→国、地域、国際の各レベルで、多層的なパブリック・ローの制定と執行
→紛争解決の法も整備されていくはず
*ただし、ヘルドはそれにむけて関係者をどう動員するかまでは触れていない
・個人は多様な「運命共同体」に委ねられている←国境の内側の共同体だけではない
〈新しい世界をつくる社会運動と政治理論〉
・2008年金融危機、それにもかかわらず温存されたネオリベ的イデオロギーや力の構造
・イラク戦争や対テロ戦争における国際社会の亀裂の深まり
→対抗するアンチ/カウンター/オルタナティブ・グローバリズム、NGO、トランスナショナルな/グローバルな市民社会
→対人地雷、国際刑事裁判所、クラスター爆弾禁止などの実績
・平等な市民の間の連帯を志向、「社会フォーラム」
・分配的正義:ロールズ『正義論』の発展→国際社会への敷衍(ベイツ、T.ポッゲら)
議論は多様。ただし大きく分けて二つの立場
(1)グロティウス的:国内/国際の区別を保持しつつ、貧困などの対策を各国に委ねる(現実はこちら)
(2)カント的:貧困対策の責任・義務が国境を越えて成立すると考える(一貫性はこちら)
・人道的介入、正義の戦争:コソボ、アフガン内戦、ルワンダ、コンゴ
介入と主権に関する国際委員会「保護する責任」論:国内政府が責任を果たさない場合に、国際社会が代行
→人道支援から武力介入まで、2003イラク戦争はこれを採用せず。ただし2011NATOのリビア介入はこれ
*ただし先進国による「人道帝国主義」に転化する危険を認識せよ