すべりどめblog
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2024-03-19T02:56:25Z
Movable Type 3.35
花見24
tag:sbb.flop.jp,2024://1.1866
2024-03-19T02:36:05Z
2024-03-19T02:56:25Z
最後の花見は原点回帰でタイダルベースンかな、と思っていましたが、どっかのサイトで...
おお、いいじゃん。
どれが桜でどれがそうじゃないかがわからん。
温室もある。
起伏が大きいですがベンチいっぱい。
時間制のチケットなので混みすぎてなくていいです。
満足して帰りました。
夜まで仕事。
日曜は運動したり買い物したりして過ごしました。
* * *
月曜はちょっとイベント見に行って、夕方は19時過ぎに退勤。
結構明るいな、と思ったけど夏時間で下駄履いてるから実質18時か。
金曜夜に地下鉄駅のエレベーターでひっくりこけた時にしこたま打った左の手のひら、今頃すごい青たんになった。尻はいま見たが何事もなかった。]]>
さんがつ前半
tag:sbb.flop.jp,2024://1.1865
2024-03-16T02:51:00Z
2024-03-16T04:35:12Z
あ、3月初めてか。 ・今月はバス通勤試行。「NOT IN SERVICE」の表示...
中はうるさくて雰囲気もよし。暖かくなったら外もよさそう。
・朝4時起きと、朝7時起きでそのまま仕事になる日が2日あった。しかも寝付きが悪かったせいで疲れた。4時起きは翌日まで引きずってバファリン飲んだ
・木蓮。14日は26度までいった。
・ウィラードホテルのCafe du Parcで帰任者のさよならランチ。
意外とみんな帰ってしまう今年であるらしい
・金曜は1日遅れのホワイトデーということでBlue Duck Tavern。キッチンの見える席
鴨うまかった。メインと数皿のサイドを頼んだらおなかいっぱい。結構高かった。
けど、これは1人では来ないし、連れに払わせるのもあれなので、こういうプレゼントの形がよいのだ。
ちなみにホワイトデーがアメリカ人に通じてなくて話がかみ合わず、初めてホワイトデーが日本発祥・東アジア限定なことを知りました。「バレンタインは当日にチョコを交換するもの」とのこと。「でもホワイトデーっていいね」
雨。帰りに駅のエスカレーターでコケて週末になだれ込むのだ。
* * *
◆朱喜哲『NHK 100分de名著 2024年2月』NHK出版、2024年。
こういう奥付になってんだけど、ローティの『偶然性・アイロニー・連帯』を読むシリーズです。ローティは卒論の中核だった。]]>
貴金属と踊り
tag:sbb.flop.jp,2024://1.1864
2024-02-29T16:46:29Z
2024-02-29T17:14:25Z
2月後半、にわかにアウトプットが増えて結構忙しかったです。 週末は友達とフロリダ...
ネックレスとかピアスは全然興味ないけど、店内に置いてあった冊子にコンセプトがいっぱい書いてあり、サステナブルだのサプライチェーンを通じたガバナンスだの書いてあって興味深かった。なんか知らない人からみると汚そうな業界だし、こういうことがアピールポイントになるのだな。
そんで夜はノースイーストというわりと犯罪の多い地域にある、同じ人間関係の中の人の家にちょっとお邪魔して喋ったり飲んだりしてから、イースタンマーケットで催されたダンスのイベントに行きました。参加費はなく、運営のNPOに10ドル寄付。
「ラインダンスの会」だそう。何それ?たぶんこれ。
軽くですが踊り方も教えてもらえて楽しかったです。
夜のイースタンマーケットは初めて。
バーに流れる人たちを車で送って帰りました。未明2時くらいにお礼のメッセージがきてた。相当飲んだな。
* * *
過日、かなりヒップな夜の街・アダムズモーガンのHimalayan Heritage Restaurantで3月末をもって帰国する人の送別会。うちのボスと3人ですが。
水牛のモモ(餃子)とかカリフラワーのフライとか、いちいちおいしかった。マッコリみたいな味のする米のビールが結構効きました。また東京で。
翌日は中学の同級生が北米視察の最終目的地としてDCに漂着。牡蠣を食ってワイン飲んだのですが、上記ヒマラヤ料理の何かが前夜ものすごい覚醒効果を発揮して3時半まで眠れず、寝不足のまま仕事して飲んだためよく寝られました。
中学の人たちのその後をいろいろ情報交換。別のクラスでは病死してしまった人も出たそう。あの時は実はこうだったとか、誰が誰を好きだったとか。みんなその後は家業を継いだり中学の同級生と結婚したりで、ほんと延長線上で生きている。確かに小学校や高校、大学に比べてあの中学のことは極端に記憶が鮮明。エクストリームな環境だったのかもしれない。
* * *
ちょっとした山場みたいな行事に合わせてノースカロライナの現場に出張しようとしたら、当日は繁忙でいろいろ頼みたいからDCにいて、と言われてなしになりました。
この行事は職場の主流の人たちのもので、彼らがどういうアレンジをしているのか部外者の弊管理人からはよくわかりません。いつの間にか企画が乱立してるし、いつ何をやろうとしてるのか全然見えない。今回のことでちょっともういいやという感じになり、この行事への関与は最小限にして今年は自分の予定をいろいろ入れていこうと思いました。
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プレジデンツデー
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2024-02-19T20:54:07Z
2024-02-20T16:35:03Z
19日月曜は「大統領の日President's Day」で連邦の祝日です。ワシン...
予定変更に関してThanks for your flexibility.と言われました。これは使えそうなフレーズなので覚えておこう。あちらのお気に入りのダイナー、その名もThe Diner。そのまんま。
外は静かですが、中は混み混みでした。これは通された一番奥の席から。
自分で作らないものが食べたい。つうことでエッグベネディクトを頼みます。
夕方まで腹が減らなかった。本読んでたら夜になり、作り置きのキーマカレー食って仕事一つやってダラダラして寝ました。
* * *
祝日の月曜は一人遊びということが分かっていたので、起きてコーヒー飲んでから昼飯を求めて出掛けました。
わりと近所にある「チャーガ」。アラブ系、南アジア系のお店が並ぶ長屋の一角です。
笑顔ではないが明らかにできる感じのスキンヘッドのおにいさん(画像の奥、左のほう)に注文。
パキスタンのタンドリーチキン?ことチャーガとビリヤニ、副菜としてサグ、飲み物がついて$12。安~
そしてうま~。これは名店かもしれない。
天気がよくてそこそこ暖かいので、そのままラジオ聞きつつドライブ。
レストンという街のレイク・アン・プラザを見に行きました。
1960年代初頭にロバート・サイモンRobert E. Simonが手がけた人造湖のほとりの商店・住宅のコンプレックス。Mid-Century Modern Architecture Travel Guideという本の東海岸版に載っています。そもそもレストンRestonという地区名自体がサイモンの名前から取られている(たぶん頭文字のR.E.S.に、集落を表すtonがついた)というくらい人工的な街のようです。
1階がレストランや小売、2階が住宅のよう。
古めかしい感じ。こういう上から下まで窓っていう部屋は憧れる。
先日、ハーマンミラーのオットマンつきの椅子を買って帰ろうかと画策しましたが、こういう家じゃないと似合わないわな。というか東京では多分スペースがない。
水辺を散策しつつ少し歩くと、ヒッコリー・クラスターという集合住宅があります。
こちらも四角い長屋。Charles M. Goodman、1966年。
別荘とか週末の家ではなくて、(人工的なものも含めて)自然の中に四角い常在空間を確保する暮らし方はいいな。
満足して帰りました。
* * *
このところ読んだ本。
◆岡本亮輔『創造論者vs.無神論者』講談社、2023年。
アメリカにいるとアメリカに関係した本をつい手に取ってしまいます。年末に新宿のブックファーストで出会って買いました。
この100年の科学と宗教の相克をストーリーとして見せてくれます。ドーキンスやフランシス・コリンズなど知ってる人の知らなかった側面も、もともと知らなかった人もいっぱい出てくる。とても読みやすく、かつ本から目を上げて周囲を見渡すと世の中を見るフィルターが1枚追加されているという、とてもいい本だったと思います。進化論はそうだろうなと分かるが、マルチバースも気に入らないというのは目から鱗だった。筆者は(多分)日本で生まれ育って日本で教えてる人なので、やはり創造論者を「変な人」とみている印象を受けた。でもこちらにいると、大事な部分に触れない限りはわりと良い人だったりする。それはどっち側も同じで。
◆多田将『核兵器入門』星海社、2023年。
ずっと前に見に行った渋谷のトークイベントでは枝葉の話に足を取られて時間配分に完全失敗しており、この人はライブはよしたほうがいいなと思ったものだった。しかし本になると変わらず鮮やかです。核兵器を支える物理>機構>戦略はつながっているので、一番基礎のところから説明してもらうと分かった感じになる。手頃な(ここ大事)類書がなかったがこれで向こう10年は大丈夫ではないか(何が
* * *
今月、定期を買わずに車通勤を増やしてみてますが、あかん。全然歩かなくなった。
来月からはちょっと工夫する。]]>
ミュージアム
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2024-02-17T19:56:59Z
2024-02-18T01:27:58Z
先週末は日記を書きませんでしたが、ちょっと出掛けてました。 銃規制に強力に反対で...
NRAの本部の建物にあるのね。
展示はとにかく拳銃やライフルがいっぱい、という感じなんだけど、それ以外だと
・銃器の歴史。火薬がいつからあったかは分からないとしつつ、846年のMarcus Graecusが書いたLiber Igniumに最初の記録を求める。火薬の爆発力で砲弾を飛ばす機構が持ち運びできるようになるのが1350年ごろのハンドキャノン。マッチロック(火縄銃)、ホイールロックときてスナップハンス、ドッグロック、ミケレット
・旧世界から新世界への持ち込み。最初の移住者が持ってきた荷物にも当然、銃があった。人や獣からの護身、狩猟(15世紀には既に散弾銃あり)。先住民への売却は禁止、しかし闇流通が増えたので法規制で限定的にされるようになった
・ボストンでの植民者と英国統治者の対立。マサチューセッツの民兵が「ミニットマン」。独立戦争の口火。憲法修正第2条「十分に統制された民兵は、自由な国家の安全にとって必要であり、人民が武器を保有し、携帯する権利を侵してはならない」ができる過程でどんな文言が提案されてきたか
・ゴールドラッシュでみんな拳銃を持って西へ。18-19世紀にはみんなライフル所有。ケンタッキーライフル、ミシシッピライフルなどご当地の名前がついたライフルも。新世界ではライフルがどんどん長くなっていったそうです。テキサス独立戦争1835-36年、そのあと米墨戦争はmanifest destinyとテキサス併合反対の抗争。45年にリオグランデの国境線が確定してテキサスは米国編入。まあそりゃテキサスは銃持つはずだ。南北戦争は銃器のイノベーションをもたらしたとか
・そのあと映画、ハンティング、世界大戦(やっぱり日章旗はハーケンクロイツと並んじゃうよね→下の写真)、冷戦、ベトナム、子ども部屋に馴染むおもちゃの銃(結構リアル!)、警察、自警団Watch&Ward(ボストンやフィラデルフィア)
とにかくアメリカ人の歴史と生活のすみずみまで銃が支えているんですよという展示。多分に傾斜はかかっているが、なるほどそういう説得の仕方をするんだなととても勉強になった。
一方、「モノとしての銃」を見せる側面も。
「あ、刀狩りがなかった国の刀なのか」と妙に納得した。街に一つはガンショップがあって、装飾を施したずっしり重い銃をビロード敷きのケースから取り出すのって確かに男の子はうっとりしがちかもしれない。これ見た上だと、銃規制の話の中で「いやこれ文化なんですけど」と言われたら「そうね~」ってなる。
せっかくフェアファックスまで来たので、前に教えてもらったHangry Joe's Hot Chickenでサンドイッチを買いました。
辛さが選べて、真ん中の「ノーマル」を選びましたが十分辛かったです。写真では分かりづらいですがすごいでかい(上に乗ってるのが普通の大きさのハンバーガーのバンズ)。そしてとてもおいしかった。で、翌朝腹痛になりました。
* * *
今週はというと、そこそこのアウトプットあり、そこそこのインプットありといったところ。あまり急がなくていい案件はあまり進みませんでした。つまり少しは進んだ。
インプットの一つで、DCのダウンタウンのちょっと北側にある「歴史的黒人大学(HBCU)」の一つ、ハワード大学に行きました。南北戦争が終わって奴隷解放になったあと、1867年に黒人の医師、教師、聖職者養成のために作られた大学です。今の副大統領の出身校でもある。
仕事なのでここではこれだけ。そのうち形にしたい。
上記チキンサンドイッチの破壊力が月曜いっぱい続き、火曜日もなんとなくお腹が空かなかったり、ちょっとウォッチする案件があって寝るのが遅くなったり目が疲れたりして水曜に一瞬「風邪か?」という頭痛と怠さがきました。しかしよく寝たら治ったので疲れだったみたいです。
ベトナムの会社から来てる同業者に「ベトナム人にも受け入れられるDCのベトナム料理店ってどこ?」と聞いたら、ちょっと北のほうのViet Chopsticksというお店を教えてくれたので同僚と偵察に行きました。
バインセオとかバインミーとかいろいろそれっぽいものはあるが、お勧めを店員さんに聞いたら堅焼きそばだった。
十分おいしかったです。
* * *
週前半は春のよう。郷里の伯母にLINEで「もう氷点下にはならなそうかな~」とメッセージを送ったら「そうはいっても三寒四温よ」と返ってきて、その言葉どおり金曜の夜から土曜の朝のどこかで雪が降ったようです。
DCのクリーガー美術館に行きました。日・月が休みなので、寝坊しがちな土曜日に行きそびれまくっていたところ。やっと普通の時間に起きる土曜日が訪れた。
絵を見たいというよりは建物なんですよね。フィリップ・ジョンソン設計、1963年築。
金持ちのコレクター(デビッド・クリーガー)の私邸で絵のコレクションを見せびらかしてたところがそのまま美術館になったとのこと。うへえ。モネ、ゴッホ、ピカソ、カンディンスキーなど近現代の作品と、アフリカのお面など。
DCの中でも高台にあるせいか、雪が残っていて散策するにもかなり寒かったです。
しかし光線は確実に春。
買い物して家でキーマカレー作って昼飯にしました。
いろいろ行事だの自然現象だのあるたびに「来年はもういないしな」と思います。
とにかく東京を出た2020年1月からこっち、大阪、DCと環境が変わった上に全体的にせわしなかったせいか4年が嘘でしょ?っていうくらいあっという間、さらに自分の歳を忘れるくらい圧縮度が高いです。この分だと来年1月も瞬きしてるうちに来る気がする。]]>
冬晴れドライブ
tag:sbb.flop.jp,2024://1.1861
2024-02-05T02:53:13Z
2024-02-18T01:31:12Z
仕事したような、しないような、でもしたような、1週間。 2月は地下鉄の定期を買わ...
いや、周辺の集落に比べたら大きいのかもしれないし、これ旧市街なので外側にもっとでかい街が広がっているのかもしれない。でもまあここはメインストリート(という名前の通り)に観光客向けっぽいカフェとか雑貨屋、ベーカリーなんかが並んでいるくらい。あと妙に教会が多い。雰囲気よさげなデリ屋さんでキッシュと蟹のスープを食べて、レモネードをテイクアウトして散歩して後にしました。
Mediterraneanという、ギリシアの旗が掲げてあるワイナリーに寄り道。
おねーさんが説明しながら7種類くらい次々とついでくれる飲み比べ$15ってのを頼んでみました。
白、赤、ポート。確かにボトルごとに全然表情が違って面白いしおいしい。「これ家に連れ帰って夜な夜な飲みたい~」というまでのものはなかった。
バージニアはワイナリーがいっぱいあるわりに、ボトル買って持ち帰りたいというのは今までで1、2カ所ですかね。いや基本ピクニックに行くところっぽいので劇的にうまくなくていいのかもしれない。
韓国スーパーとドイツスーパーに寄って帰宅。
日曜はなんと一歩も家から出なかった。金曜に上着に油もの落としてシミになったので洗濯してみたが、取れなかった。残念。着るけど。
* * *
2月になり、本当に残り滞在が1年を切りました(といってまた自分で勝手に言ってるだけなんですけど、さすがに来年1月には帰るでしょ)。
去年9月くらいの「思い出作りモード」がいったん中止になって「4カ月延長なげーなー」と思っていたところ、4カ月はすぐだった。思い出作りモードが再起動したこの数日です。]]>
おっきいくるま
tag:sbb.flop.jp,2024://1.1860
2024-01-29T15:40:42Z
2024-01-30T04:28:28Z
1月中盤の寒さはどこへいったのか、というくらい暖かくて25度になってました。1月...
しかし写真はいい角度で撮れたので上げておきます。ケネディセンターでは「演奏中の撮影はやめてね」というアナウンスがありますが、演奏してない時の注意は特にないので節度があればよいようです。かぶりつきの席に一眼女子がいた。ショスタコはよかったです。
いつものように土曜のワシントンポストに演奏会評が載りましたが、起きたこととトリビアしか書いてありませんでした。評価を避けるという評価だろうか。
* * *
土日はすごい寝た。弊管理人は乗ってる時は睡眠時間が6時間くらいまで短縮し、暗い気分のときは8-9時間寝るので、この週末は何か体が回復を図っていたのかも。
日曜、Monster Jamというおっきい車が跳んだり回ったりするやつを見に行きました。
もうすぐ本帰国する同僚カップルが「アメリカっぽいものを見ておきたい」と企画し、弊管理人もそれは見ておきたいと参加。一番高いところ(つまり安い席だと思う)で$45。そんな高いとは思わない。でも実はチケットは20何ドルで、手数料という謎のJunk Feeが相当割合を占めているのがちょっとな。
MAGAみたいなオッサンが見に行くのかと思っていましたが、子連れ家族でした。考えてみればそりゃそうだ。ラティーノやや多め?
何をするのかと思ったら、8台でタイムアタックとか、2輪で立ったり、ぐるぐる回ったりするいくつかの種目をやって、観客に点をつけてもらって勝ちを決めるというゲーム。若いドライバーは元気がよくてスピード感のある走りやバック転で高得点をもらい、キャリアの長いおじさんは伸び悩んでいました。中継でも「オールドスクール」などと言われていた。昔はブンブン噴かしてぐるぐる回っていればよかったのかもしれないが、今はもっと派手なことをしないと受けないという悲哀を感じさせます。
このイベントで勝ったらなんなんだという気はしつつも、この国で脱炭素は無理だろうと思わせるでっかい車が逆立ちしたり転んだりし、MCがドライバーや観客「個人」にスポットを当て、得点競争で盛り上がり、ラティーノのドライバーが優勝して英語とスペイン語で喜びを語り、ポップコーンだのビールだのチキンウイングだのを持ち込んでのべつ飲み食いしながらワイワイやるというのは確かにアメリカっぽかったかもしれない。2回は行かないが。
国歌で始まり、MCが煽って、ミニ四駆みたいなののCMが入り、競技やって、マウンド均して、競技やって、中休みして、バイクが曲芸やって、オーロラビジョン?みたいのに観客映して、競技やって……と車が跳んでる時間は結構少ないながらに場をつなぐ工夫がされていました。しかし全体的に大音量で耳がおかしくなった。子どもはイヤーマフしてました。
* * *
耳がキンキンしたままバスに乗ってDCの友人宅へ。ターキーの挽き肉と玉ねぎ・インゲンの炒め物、あと12月に行った中華屋で買った冷凍小籠包を蒸して夕飯。「decent(あり合わせ)だけど」と謙遜してましたが、普段は多分こういうもの食べてるんだよね。十分だしおいしかったです。
あと、こういう調味料使うんだ~と見ていて興味深かった。料理酒はシェリーで、チリペーストはイタリア、醤油、オイスターソース、魚醤など。ニンニクはあらかじめ刻んだものの瓶詰め、生姜はパウダーで楽する。小籠包はどうやって蒸すのだろうと思ったら、揚げ物をとる網に冷凍のやつを乗っけて、お湯を沸かしたエアフライヤーの中に置いていた。完璧。
* * *
友人からあまり文脈もなく、「会ってすぐ『どんな仕事してるの?』と聞くのってDC Questionだよね」と言われました。出身のフロリダではそんなことなかった、ワシントンというコネがものをいう社会特有の仕草なのではないかとのことでした。あ、そうなんだ。確かによく聞かれるけどアメリカ自体がそういうもんなんだと思ってた。
* * *
帰ったらちょっと仕事が発生しており、寝るのが遅くなった。まあよし。今週は2月?少し巻き直そう……]]>
雪雪雪
tag:sbb.flop.jp,2024://1.1859
2024-01-24T03:15:44Z
2024-01-24T04:13:31Z
1年ほど前の日記を見たら帰省の直前くらいにマイナス12度になったという記述があり...
Sakeはアメリカ人にも知られているが、米焼酎のお湯割りを頼んだらしげしげ見られました。Hotだから気をつけてといって一口お裾分けしようとしたら「それはspicy hotかtemperature hotか」と聞かれました。そこはネイティブでもそういう明確化をしないと分からないのな。
寿司の味はよく分からないが、ちゃんとおいしかったと思います。「ただし日本には西友という素晴らしいスーパーマーケットがあり、そこで一番高い2000円のやつくらいおいしい」と言いかけましたがやめました。
帰り、むっちゃ寒かった。帰ってる途中から喉が痛くなってきたので「やばい、風邪か」と思いましたが、結局喉が痛いだけで熱は出ず。しかし喉は1週間以上たっても痛いです。何これ。
* * *
木曜、DCのケネディセンターでギル・シャハムがドボルザークのバイオリン協奏曲をやるというのでクラシック大好き同僚と見に行ってきました。19時開演なので、3メートル背後にいるのに17時に「今日行けますか」「OK」みたいな秘密のメッセージをやりとりして職場脱出。
ギル・シャハムはナマで聞くの初めて。結論からいうとすっごいよかった。最初の音で弊管理人と前の席のじいさんが同時にぶわーっとのけぞった。ちょっと形容しがたいが、すごい腰の強い音というか。
カップリングのシューベルト「ザ・グレート」は選曲ミスと思われる。シューベルトの交響曲は長すぎるよ。この人はとめどないおしゃべりみたいな曲が味なので、歌かピアノがいい。
そんで2人で中華街まで戻ってビール飲んで夕飯食って上機嫌で帰りましたとさ。くっそ寒かった。
* * *
2回目の雪のほうがこんこん降りました。
しかしシフトなので地下鉄出勤。すいててよかったです。大半の同僚は天気が悪いからという理由で来ませんでした。
金曜夜はDCから北に行ったベセスダというところで日本人の寄り合いがあり、雪の中出掛けていきました。とても勉強になった。行ってよかったです。
土曜は1月末恒例の確定申告をやって、日曜は久しぶりにマナサスのヨークシャーレストランに朝飯を食いに行きました。前回は1人でしたが、今回はプエルトリカンと。
DCの街中とはだいぶ違ってちょっと田舎のあまりスタイリッシュじゃないが、汚いわけでもない人たちをヲチ。プエルトリカンは「知らない街に行くと、この人たちは何して暮らしてるのかなってよく考える」と言った。わっかる。
前回に引き続きハムうまかった。強そうなおばちゃんがちょいちょい目配りしてはコーヒーをどぼどぼついでくれるので3杯飲んでしまいました。こういうサービスすき。
プエルトリカンはソーセージグレービーとビスケットがお好みでなかったようです。弊管理人はそもそもそのほぼ全部が小麦粉でできた食べ物が好みでないので良し悪しは分かりません。
そのあとリースバーグでアウトレット冷やかして帰りました。
* * *
部屋の暖房を入れるという技を手に入れて(なぜ3シーズン目で……)室内では寒さをものともせず快適に過ごしていたのですが、湿度がえらい下がる。20%も切ろうというくらいの乾き方で、水まきしてるくらいの勢いで加湿器回してもだめだった。
今週はこれから暖かくなるようです。でも雨らしい。]]>
レザーの週末
tag:sbb.flop.jp,2024://1.1858
2024-01-15T14:56:50Z
2024-01-16T01:52:13Z
月曜がキング牧師記念日の祝日で3連休の週末Long Weekendです。なにやら...
振り返ると窓。いー感じの眺め。
レザー、kinky、その他黒いものがドレスコードだというので、kinkyはどこまでやればいいのだろうかなど悩みつつ、いろいろ買って着込んでいきましたが、行ってみればそこそこ緩くてほっとするなど。
場所を移動して同じくDCのクラブです。週末の夜に通りかかると人がわさわさいるあたりだった。
IDチェックとボディチェックを受けて入ります。入場15ドルは日本より安いかも。
ガラス屋根の上階が会場。夏は天井が全開になると思われた。16時なので明るいうちから始まって、だんだん日が暮れてきます。
乗り方は一緒、というか日本へは輸入+拡散か。物色したりちちくりあったりとかも。あと日本にないところでは某草のタバコとかポッパー(popper、和名ラッシュ)が回ってきていたりした。
DJブース、お立ち台。弊管理人の背後も少し段があって、頭一つ二つ上から見渡せるようになっています。会場はアジア人少なめで、弊管理人を除くと見かけたのは1-2人。DCの構成比(4%)からしても少ない。
めちゃくちゃでかくて暗くてもくもくしてレーザー光が飛び交ってるような場所はまた別でしょうが、街中にあるこのクラブは適度な広さで淫猥な感じもなく、普通の人が回して普通の人が来ている感じ。まあDCだしな。
あと、大勢が全力で喋ってるとか、音楽がドンツクいってる場所で英語で話すのはまだまだきつい。特に聞き取るのがつらい。静かなところでサシで話していると9割くらいはスムーズにやりとりできるのが、周りが騒々しいと5-6割りに落ちます。なんとなく会話の輪に入っていても、いざ聞くぞと思って聞いてないと全然頭に入ってこない。
といってるうちに、誕生会の準備で朝から駆け回っていた誕生者(?)が「疲れた。帰りたい」とギブアップしたので、18時と極めてよい子ちゃんな時間に退散しました。ピザ食って帰路に。ふくらはぎなど普段使わない筋肉が疲れた弊管理人も22:30就寝!
* * *
でMLKデーの月曜は6:30に起きました。牛乳が切れていたので着込んで近所のスーパーへ。当地はどこも営業時間が長くて、6-23時とか普通にやってるんですよね。まだ暗い道にうっすら雪が積もってました。ホームレスのおじさんが寒そう。
時差ぼけは治ったようです。]]>
時計依然乱調
tag:sbb.flop.jp,2024://1.1857
2024-01-10T02:47:46Z
2024-01-10T04:17:07Z
体内時計がいまだに崩壊しています。ずれているというより崩壊。 12月半ばにドバイ...
肉ほろっほろで、付け合わせのバターライスと最高に合った。
これも過日、友人とMeokja Meokja(「モチャモチャ」みたいな発音。「いただきます」を2回言っているらしい。スペルがめちゃめちゃ覚えにくい)で韓国焼き肉。
薄切りの焼き肉ってこういうところじゃないと食べられないです。うま。そして2人で行って1人30ドルちょい。やす。
これは今日。
先週買った挽き肉、そろそろ消費しないとやばそうなのでハンバーグにしました。あと同様にやばくなってきたマッシュルームを刻んで入れた。日本でびくドン食えなかったので食べたかったんだと思う。
自分で作るの3年ぶりくらいじゃないかな。チーズも入れたった。成功。
* * *
◆次田瞬『意味がわかるAI入門』筑摩書房、2023年。
タイトルね、
・読んでいるうちに「意味(理解)とは何か」が分かるAI入門の本
・「意味が分かる(=意味理解できる)AI」に入門する本
・「AIというものの意味」が分かる入門の本
どれだ。全部か。
年末に新宿のBook1stでパラ見して買った本。東京―長野往復のバスと、東京―DCの飛行機でほぼ読み終わりました。文系の(ちゃんとした)人らしいしつこいサーベイ、定義、思考実験。「記号主義」と「コネクショニズム」の2軸で歴史を整理されると見通しがきいてすごくいい。AIが分かってるとか分かってないとかいう「言葉の意味」についても「真理条件意味論」と「意味の使用説(その一種である分布意味論)」という二つの見方を導入することで議論が大いに追いかけやすい。
チューリングテストってまだ通用するの?という疑問についても取り上げてあるのが嬉しい。
ついでに、新興技術にびっくりしてあーだこーだと未来予想をする人たちが大抵外すということも肝に銘じたい。
ちょっと類書のなさそうな面白い本。筆者も面白い/意地の悪い人なのではないか。なんで弊管理人の視界に入らなかったのだろう。やっぱ時々でも本屋に行かないとあかん。]]>
里帰り2324(2)
tag:sbb.flop.jp,2024://1.1856
2024-01-06T11:50:13Z
2024-01-06T13:25:20Z
◆12/29-31 久しぶりに父、妹と伊東へ。 長野県南部から諏訪を経由して、直...
コントラストのきつい写真はiPhoneが圧倒的だな。コンデジだと屋根の下が真っ黒になります。
日本平にできた隈研吾の「夢テラス」はお休み中。わざわざ一等地を占領して展望施設を作って閉鎖。
でもまあ富士山は見えました。これは由比のあたり。
30日は箱根。大涌谷は今日も元気。
ケーブルカーからも、杓子峠からも富士山がきれいに見えました。「雪が少ないねえ」と言っていたら翌日には天気が崩れてかなり雪を被ってました。
熱海まで降りてきてMOA美術館。
めちゃくちゃマッシブな美術館でよかった。建築も展示(撮影可!!)も。
31日は沼津港の丸天で海鮮丼。
「にし与」のアジフライを狙ってたんだけど、年内の営業を終了していて残念。
でも海鮮丼もおいしかったです。父も目標を達成したもよう。
そのあと御坂みちを通って帰ってきました。
◆1/1は母方の祖母宅へ
いつもながら伯母(81)の料理。
今年はおでん!
耳が遠くなったので補聴器を買ったそうです。正しい。
しかし旭川で仕事をする孫を訪ねて9月に娘と北海道に行ったらしい。まだ元気なようでよかった。祖母は103歳、もう弊管理人への反応はなくなり、車いすに乗ったままになっていましたが、しかし長寿すごいな。
実家に戻ったとたんに緊急地震速報。
夜はすき焼き。ちょっとヘビーな食事が続きすぎて疲れた。
◆1/2は夜に東京
バスは夜発。そろそろ出るか~と思ったタイミングで羽田で飛行機が燃えていた。
この2日間思ったが、みんなSNSで論評しなくてもいいことを論評しすぎではなかろうか。
父のおにぎりを車内で食べた。
◆1/3はまた東京体育館で運動して、新宿で買い物して、また飲みに行って久しぶりの人に会えた。よかった。
観光スポットも食べ物も大抵は逃げていかないが、人は会えるときに会っておかないとなというのが今回思ったこと。
あと、富士そばでも食うかと思ったら軒並み営業してなかった。そういう時代か~
◆1/4は全日空で帰る
羽田で朝ラーメン。鶏塩うま。
機内食はユナイテッドがひどかったのでだいぶおいしく感じました。
そんで帰ってきました。
・残り1年だっていろんなところで意識した
・弊管理人の皮膚には日本の湿度が必要
・日本は人の元気、街並み、サービスなどいろんな面でしょぼく感じたが、人のつながりを考えるとやっぱりこっちで生きるべきと思った次第
・1カ月くらい体内時計がおかしいの、いい加減なんとかならんか
* * *
1/5は出社しましたが、夕方寝落ちしました。]]>
里帰り2324(1)
tag:sbb.flop.jp,2024://1.1855
2024-01-05T04:07:30Z
2024-01-06T13:00:13Z
年末年始の帰省は1年前より1日早く期間は一緒の12/25-1/4でした。 ◆12...
行きはユナイテッド航空で13時発。機内食が信じられないくらいまずい。14時間長い。
アメリカではサプリとして普通に売ってるメラトニンを飲んで眠ろうとしましたが、起きたときにぼんやりしたのであまり合わなかったかもしれない。
ほぼ1年ぶりの東京。夕方のせいか道が混んでて羽田から新宿までバスで1時間以上かかりました。
お届け物のために会社に寄って出身部の人たちとちょっと喋り、会社の資材庫からボールペンなどをくすねて退散。
DCの同じ職場に8月までいた同僚にもお使い事案があり、赤坂で焼き鳥を食べました。
娘さんがちょうど帰国子女枠での中学受験をしていて、親のわれわれ世代と全然違う事情に「すごい面白い」と言っていました。
渋谷学園は激むず(「英検は準1級が最低ライン」!!)につきパス、その次で広尾学園と三田国際を受けたとのこと。三田国際は新興でこれから偏差値が上がっていくかなという位置付け。授業は英語。学校見学に行ったら楽しそうでよかった。留学できるが年700万笑。いずれも弊管理人は聞いたことない学校です。海外大学への進学も今は普通に選択肢になるそうです。へー。
戦術はいろいろあれど、あまり思い詰めずにやってるようでよかったよかった。お父さんはおっとり、お母さんも田舎の出身なのでそうなるんですかね。娘ちゃんもガツガツしない頭いい子との印象なので、無理せずうまくいきそうな気がします。
新宿のヴィアイン(JR西日本系)投宿。ここに限らず前年と比べても新宿のホテル料金は5割増し。そして室内清掃は希望があればやりますということでサービスは簡素化。加湿機能付きの空気清浄機が入ってたのは疫病の恩恵か?
弊管理人の大阪転勤と疫病挟んで4年ぶりの馴染みのお店に行きました。
札幌からちょうど来ていたおねえさまに邂逅。こちらは4年ぶりどころではない気がするがいつ以来でしょう。
この1年、同年代から少し上の人たちで物故者が相次ぎ、交友関係の広い人たちについてはSNSで知ってましたが、マスターからは弊管理人が把握していなかった、同い年で昔よく遊んだ友達が疫病で亡くなったことを聞かされ、地味に衝撃でした。
◆12/26、やはり早朝覚醒。
朝飯にと入った近くの松屋は、番号ついて配膳口に取りに行く形式になっていた。キャッシュレスと人減らし(および一定の作業合理化)が進んでいる印象。メシはぐっちゃりしていてまずかった。
千駄ヶ谷の東京体育館に行ってちょっと運動しました。これは国立競技場。
あと1年すると本帰国だと思うと特に今回頑張って行きたいところも食べたいものもなく、飛行機で座りっぱなしだったので運動して、ユニクロで下着買って、ニトリで台所用品買って、東急ハンズでちょっといい折りたたみ傘買って、宿のバスタブで入浴剤入れてお湯に浸かり、割れかけた銀行のカードの再発行手続き。
新宿行ったらびっくりドンキーでハンバーグ食うぞと息巻いていたのですが、お店がなくなってました。街の変化は2020年から2022年の暮れまでよりも、2023年のほうが大きくないですか?ポスト疫病に入って、それまで補助金をもらうために形ばかり続けてきたお店をたたみ始めたとか、建設がまたできるようになったとか、そんなのかもしれない。
新宿だからかもしれないが、なんか街も人も小汚いと思った。
街に関しては建物の外側に装飾が少なくてプレハブみたいなせい。人に関してはたぶん、髪や髭を整えてない/肌をケアしてない/服が安っぽい、あたりが要因。まあ人のこと言えないんですが。
それから、こんなに人少なかったっけとも思った。歩きやすい道をあまり意識せずに選んでいたせいか、リモート化のせいか、なんだろう。子どもの頃に住んでいた家のあたりを後年歩いたときのように、記憶の中の新宿よりこぢんまりしていた。
接客全般、すごくローキーな印象を受けました。特に若い世代の店員さん。やることはやりますが、過剰に頑張るつもりはありません。イレギュラーなこと言わないでください。込み入った質問は攻撃開始と受け取ります。そんな感じで、それでもまあいいとは思うが、質が高いかというとそうは思わないな。
そんでまた夜は馴染みの飲み屋さんに行きました。また4年ぶりに会う人たちがちらほら。
と同時に、新しいお客さんも何人か。マスターと固定客が一緒に歳を取っていくのではなく、ある程度の新陳代謝があるのはいいな。
老けた人、変わらない人、太った人、いろいろ。4年前、「このまま恋人ができないまま終わるのかも」と悲観していた友達は、ずっと付き合いたかった年下とつがいになっていた。そして尽くすタイプとみた。
◆12/27
飲み屋で会う確率の低い友達に声かけて餃子でランチ。のちコーヒー飲みながらおしゃべり。
長いこと不倫状態だった人だが、同じ相手をそのままゲットしたとのこと。
この人は翻訳家で、同業の共通の友達はフリーから会社員になって事業展開の関係でベトナムと日本を往復する生活に入ったと教えてくれました。なんか2023年はいろんな人にいろんなことがあったのだな。
今回の新宿滞在では「来年(2025年)には帰ってくるからまた遊んでね」という話を随分しましたが、あまり言い過ぎると死亡フラグみたいでいかん。。。
バスタから夕方発で郷里へ向かいます。
車内で広げた夕飯はこれ。これはアメリカにはない。
4時間の行程ですが、大半寝ていたらあっという間に着きました。体内時計が12月初めのドバイから迷子になりっぱなし。
◆12/28
田舎でダラダラ。父と駒ヶ根市の「しもん」で鶏南蛮定食。21年開店で人気があるようで、11:30過ぎにいったん満席になった。
スーパーでフリーズドライの味噌汁などアメリカに持っていきたい食材を仕入れて帰りました。といってもアメリカでどうしても見つけられないもの、自分で作ってでも食べたいものというのはもはやあまりなく、意外と意識が「まあどうせあと1年の我慢だしな」というモードに入っていることを感じさせられました。ふりかけとか、小口の味の素とか、そんなこまごましたものばかり。
夕刻に妹が合流。父も妹もまあまだ大丈夫そうではあった。
妹は統合失調症で障害者手帳を取ったと言ってましたが、何か寄りかかるカテゴリーが欲しくて病名をゲットしただけで、本当は違うんじゃないかなという印象です。
つづく。
* * *
◆真木悠介『うつくしい道をしずかに歩く』河出書房新社、2023年。
機内で読了。]]>
仕事納め
tag:sbb.flop.jp,2023://1.1854
2023-12-22T22:24:00Z
2023-12-23T15:09:13Z
誰が決めるわけでもないので、自主的に仕事納めしました。 今週は来るメール来るメー...
去年は来てなかったのになぜ?と思いながら裏返したら、民主党の助成で出してますと書かれている。そうか、来年選挙イヤーだからだな。
ドバイから帰ってきてこっち、一向に体内時計が合わず、午前3時に起きては午後7時に強烈な眠気が来る、という状態のままでした。DC時間に合わせて生活しようとすると夕方以降が使い物にならないので、もう午前4時始動にして体が動かなくなってくる前にできるだけのことをするようにしていました。
といっているうちに24日から帰省するので、またタイムゾーンを飛び越えます。
当地では不眠用サプリとして売っているメラトニンを試してみることにしました。起きて16時間すると出てくる「寝ろよ」っていうホルモンです。機内で眠れるかな?
写真は20日、在宅仕事で全く歩かないのもよくないので、Clarendonという2駅先の街まで30分くらい歩いていってホールフーズ(右側の建物)でおかずと甘い物を買ったときの写真です。夕焼けがきれいでした。午後4時50分。冬至も過ぎてこれから春に向かうであろう。
今日は会食の相手が発熱して予定がなくなったため、行こう行こうと思って行けていなかった洗車にとうとう行って、そのあと車体の傷の修繕や洗濯をしていました。あと、アパートの更新手続きもホリデー前に滑り込みで完遂。2025年1月までです。たぶんこの満了とともに日本に帰ることになると思う。
* * *
少し早いが今年のまとめ。
1月 スロースタートだったらしい。特段の記憶なし
2月 同僚とご飯屋開拓したり、ワイナリーでホットワイン飲んだりしていた
3月 咳がつらかった。あれはコロナの後遺症だったのかもしれない
4月 テキサスとコロラドにかなり強行軍の出張。実りには乏しいが気分は変わった
5月 健康診断でNY行ったり、KY出身Z世代ちゃんととっくり話し込んで面白かった
6月 ボストンで勉強、うっかりすごい日焼け、あとプエルトリコ君と友達に
7月 急にアメリカ人に遊んでもらうようになった。川遊びとキャンプ超楽しかった
8月 フロリダで久しぶりに宇宙の仕事、シカゴで建築巡りの夏休み
9月 ユタの砂漠で仕事。プール遊びにお呼ばれ。NYでの仕事は結構充実した
10月 フィラデルフィアに車で出張。新居お呼ばれで地元民の素敵生活を垣間見る
11月 なんかうまいものいっぱい食ってた。中華街でアメリカ人おしゃべりの会
12月 ドバイ!とその準備以外は何もしなかった。生活リズム乱れまくり
感想。
・今年は5月くらいから急に楽しくなりましたね
・アメリカ人サークルの中に入ったことにより、日本語のような感覚で英語を話すようになった(上手くはなってない。気持ち的な障壁の問題)
・運動するようになって体重が結構戻った気がする
・仕事は結構な負荷がかかるやつもストレスを感じずにやるようになって、何をやったかはよく覚えてないがアウトプットは結構豊かだった印象。自分の裁量でやれるものが多かったせいかもしれない
・しかし任期延長は複雑な気持ち。まあばたばた暮らしてるうちに時間は経ってしまうのだろうとは思うが、今の予定だと東京を離れて戻るまで、大阪とDCを合わせて5年いなくなる計算。5年て結構だよね。アメリカの生活が嫌ということはもう(ほぼ)なくなったけど、家族親族も老いるしな。数日後に東京で食べたいものをピックアップしていたけど、自分の持ってる情報がすっかり古くなり、なんだか懐かしい飲食店リストができてしまった
・来年は一つの巨大テーマに現職場を挙げてフルコミットする年。弊管理人は周縁にいるのでそんなに貢献するつもりもないが、仕事というのは中途半端に関わるのが最も難しいのだ]]>
わたしはドバイにいる
tag:sbb.flop.jp,2023://1.1853
2023-12-16T04:15:26Z
2023-12-23T15:13:01Z
仕事でアラブ首長国連邦はドバイにいってきました。 DCからエミレーツ航空の直行便...
それっぽいビル街。
と、それを支える人たち。
人口1000万人弱。南アジアからきてる外国人が7割近く、国籍持ってるのは1割。どこの国とも付かず離れずな外交。大統領(国家元首、アブダビ首長)は互選。選挙はないそうです。おおそういう国もあるのか。
メトロ(ゆりかもめみたいな自動運転のモノレール)が基幹部分を走っていて、空港、ホテル、会場を行き来できてすごい便利でした。公用語はアラビア語ですが、ホテルのお掃除の人を除いて大抵は英語が通じました。メトロで聞き耳を立てていると、アラブやアフリカっぽい顔立ちの人でもよく聞くと英語で話したりしています。
駅とかで写真撮ると怒られるっぽいのでやめておきましたが、入国審査から駅の警察までオイコラ的な感じはなく、注意するときも小声で「ちょっと君……」という感じ。乗ってる人たちも穏やか。電車で席が空くとさささと座るのが面白いくらいで、おにいさんたちは女の子に席を譲り、騒ぐ客はおらず、区間と時間によっては日本のマイルドなラッシュくらい混みますが整然と乗り降りしていて感心する。
会場は2020年万博(疫病で1年延期されたやつな)の会場で、面白い建物が多かったので普段の禁欲を破って少しだけ写真。
オバQさんたちがそこかしこに。ちなみにこれは誰でも着てよく、しかも着ないのも自由だそうです。和服趣味みたいなもんだろうか。
この会議と関連会合に行く仕事は2016年から5回目ですが、過去イチ施設がよかった。仮設の建物があまり多くなく、造りがしっかりしていて、なによりトイレがきれい。
メシはいつも通りひどくて高かったが、これまでと違ってビリヤニやカレーがあったので泣かずに済んだ。あとは努めて普通の時間に帰るようにして、宿の近くで中華食べたりしてました。
これはチャイ、4.5ディルハム(たぶん200円くらい)。物価はアメリカよりちょっと安く、日本ととんとんかちょっと高めくらい。こういう国の常で、地元の人が買うものは極めて安い。
そうそう、もう何でもカードで買える世界で、現金は割り勘でもらった分以外は使う機会がありませんでした。なぜかAMEXはどこでも使えなかった。手数料が高くて嫌われているんだろうか。
結局、会期はお約束で1日延長し、最終日はメインの仕事をやる東京からの若手ちゃん(そんなに若くもない)とナイロビから応援に来てくれている同僚には体力温存のため宿に帰ってもらい、弊管理人が会場に泊まりました。ほぼ徹夜で翌朝以降の準備をし、東京でもおにいさんがその整形などちょいちょい作業をしているうちに朝。そこからはトントン拍子で事が進み、16時過ぎに体力が限界に達したので帰りました。
若手ちゃん(そんな若くない)はこの手の仕事をあまりやったことがないとかで、もうちょい芸の幅を広げないと的に悩んでましたが、まあそうではあっても慣れの問題なので、時間はかかるの当然だし時間がたてばできるようになると思う。
一方のおじ(弊管理人)は今回わりとほいほい仕事をしたものの、4回目になると流れがだいたい分かってしまうせいでアウトプットが若干定型的に(≒つまらなく)なった気配はある。まあしかし世の中にインパクトを与える仕事でもなく、労力を浪費するかわりに他人のカネで海外旅行してるだけだと思えば、これはこれでいいか。
結局、体内時計はUAE時間に合うことはなく、午前3時に目が覚めて夕方強烈に眠くなるという、太平洋のどこかを迷子になってる感じのまま会議は終了。
2日間までは延長しても大丈夫な日程で帰りの飛行機をとってあったので、1日空きました。
ドバイの歴史保存地区みたいなところに行ってみましょう。
ここは完全に観光客に見せる用の地区だと思う。
さすがに客引きがいるんだけど、「おにーさん見てかない?」「ニイハオ~」くらいで、マラケシュのベルベル人とかシャルムエルシェイクのぼったくりエジプト人みたいなガッツガツした感じはなし。出稼ぎ労働者は過酷なんだろうけど、地元人は優遇されるのでおっとり生きていけるのかもしれない。強権国家は安全というセオリーはここでも健在。
開発の原点、ドバイクリーク。感覚としては浅草。
服は基本、白か黒。あと水色の人がちょっといるくらいで色が地味です。女性はおしゃれできるのが足くらいなので靴屋が多いとかなんとか。
3階の高さだとこう。近代的なビルも含め、全体的に耐震性が心配な建築が多い。
保存地区じゃない街にも迷い込んでみます。
たぶん完全に日常の中に入っているわけではないですが、上野くらいのとこ?
イギリスが旧宗主国なのもあるのか、普通の食堂の人くらいまで含めて英語は話せる人多いし、英語の看板も多いので、ほとんどコミュニケーションに困ることはありません。
会議場のビリヤニ35ディルハム(1400円くらい?)、それでもホテルで食べるより安くてまあいいか、と思ってのですが、この地区のインド料理屋が「本日のスペシャル」としていた卵キーマカレーは7ディルハムって書いてあった。300円弱か。見間違いかな?でも地元民が食べるメシってそんなもんかもしれない。
はい、なんか一応街を見た気がするので帰ります。
15時発で、首都アブダビのシェイク・ザイード・グランド・モスクに行ってくるだけのツアーを申し込んであったので、若手ちゃん(それほど若くない)と一緒にホテルでピックアップしてもらって出発。アブダビまでは車すっ飛ばして1時間半くらいです。
入口からしてでっかー。2007年築。
新しくて白亜なせいだと思うんだけど、そこはかとなく漂うカルト感。
花の細工はイタリア製さ!だそうです。
青がきれい。ベドウィンの時代にできなかった贅沢をやり尽くしたいのかしら。戦後まだ貧しかった時代に育ったため、すき焼きに情熱を傾ける弊父っぽくもある。
青色LEDをふんだんに使用しております。
だんだん日が暮れてくる。
遠近法なあ。
シャンデリアその1。
その2。「スワロフスキーで重さ8トンです」と。ムハンマドが重んじた質素はどこへ。
ちなみに天から幸福が降りてきているところを表現しているとか。量子コンピュータっぽい。
世界一大きいという絨毯もすげー高そう……
スワロフスキー8トンが三つ並んでた……
お祈りはこぢんまりした部屋でやってました。
えっスワロフスキーのホールは何のためなのだ。
金あんなー。ちなみに経済のドバイ、政治のアブダビではありますが、アブダビは石油マネーで潤っていて(ドバイはもう石油は生産してない)連邦予算の大半をアブダビが出し、国土の大半もアブダビだそうです。
日もとっぷり暮れました。
仲見世みたいなデパ地下みたいな商店街も併設です。ナツメを売ってるおにいさん方。
堪能した。
宿に戻ってシャワー浴びて、23時前にチェックアウトして2:25発の飛行機で帰りました。
DC着は8時過ぎです。めっちゃくちゃ眠くて、同僚に誘っていただいた昼飯に行って帰ってきて、15時半から1時間のつもりで結局20時まで寝てしまいました。まだ寝られそう。体内時計ガチャガチャですがもう1週間すると帰省なんだよね。大丈夫だろうか。
* * *
今年の大物の仕事はこれで一区切り、のはず。
ドバイいってる間にわりと近くで不祥事が起きていたり、札幌時代に弊管理人をless than humanからギリ人間くらいまで引き上げてくれた方が50そこそこで急死したりしてざわざわしましたが、しかし忙しかったのであまり咀嚼している時間がありませんでした。
帰りは読みさしの本を2冊読み終わりました。
◆玉手慎太郎『公衆衛生の倫理学』筑摩書房、2022年。
◆三牧聖子『Z世代のアメリカ』NHK出版、2023年。]]>
感謝祭しわす協奏曲
tag:sbb.flop.jp,2023://1.1852
2023-12-01T04:23:56Z
2023-12-01T17:15:57Z
11月のうちにもう1本日記を、と思っていたらなぜだかびゅびゅん日がたって12月に...
失礼して、こちら寝室および書斎。
このあいだのハウスウォーミングもそうなんだけど、誰かの家を初めて訪ねるとおうちツアーしてくれるのな。ここで仕事してるよとか、こっち見てみる?とか。弊管理人は見せるものがないし見られて困るものも満載なので見せないし、まずカウチがないのでアメリカ人が来ないという。
メキシコ移民だそうですが、アジアンテイストのお料理を振る舞ってくれました。見たことないアレンジもありつつ、トンポーローは八角が効いてて本格派だった。「来世は台湾人だね」と言ったら「それ最高に褒めてくれてるでしょ」と意外に喜ばれた。
集まった5人でゲームして、テレビみて、22時前くらいにバイバイしました。
* * *
11月26日の日曜は同僚の家にお呼ばれ。ビール!肉!サーモン!
同僚はママで、結構年上の旦那さんも同じ会社の人ですが、旦那さんは休職しようと思ったら定年退職扱いになるなど若干の誤算がありつつお子さん3人とフル家族で渡米。英国SOAS留学経験のあるママは通常2年コースの部署から来ているものの、粘って3年いたいらしい。でも旦那さんは海外派遣される部の人ではないのでホームシックになったとかならないとか。
お子さんは中1と小1の双子。みんな賢そうだった。
* * *
11月30日、ケネディセンターにブロンフマンがきました。ブラームスのピアノ協奏曲2番。
弊管理人はジム行って運動して切り干し大根を煮てシャワーを浴びて洗濯しているうちに出社のタイミングを逃し、家から出動。同僚も用事をやりくりして観覧にこぎ着けた。
当日券をボックスで買うと半額になり、ほぼかぶりつきみたいな席が46ドル。お得よね。
手は見えないがピアノの蓋の前の席で、蓋に反射したハンマーが見え、ホールの反射を経由せずにタッチで奏でた音がそのまま聞こえてくる感じ。ブロンフマン65歳、体悪いのかな、と思うくらいおじいちゃんになっていて、2004年にサントリーホールでラフ3をやったときの驀進するような演奏ではなかったけれども、ドーンと重い低音はまだ生きていた。しかし「生きていた」という形容になってしまうのは少し悲しい。まあブラームスの2番は演奏効果と比べると不当に難しいと思っているのでこれで十分。同僚は感激していました。
カップリングのチャイコフスキー4番はいつもながらナショナル響お上手。合奏もソロもよく、破綻させようと作ってあるかのような曲を危なげなく乗り切った。アメリカ人じゃないみたい(失礼)。
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アウトプットがそんなにあるわけではないのにすっごい忙しい感じがする。
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◆東浩紀『訂正可能性の哲学』ゲンロン、2023年。
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