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現代政治理論(3)

(2)の続き。
実は読んでるのはもう最終の第11章ですが、ノート化が追いつかなくて。
それにしても、とてもうまく構成されたこの本をもってしても、弊管理人は「共和制」と「公共性」の概念とその重要性がいまいちぴんと来ません。

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第8章 フェミニズムと政治理論

〈政治において「人間」とは誰のことか〉
・人権や政治の主体でなかった女性→O.グージュ『女性および女性市民の権利宣言』(1791)=「人権宣言」(1789)の女性版=で平等理念の訴え
・女性の権利否定の根拠
 (1)妊娠・出産等の肉体的性差=母性の強調
 (2)女性は政治活動に向かない=特性論
 (3)女性は家庭を守るべき=役割分業論

〈フェミニズムの展開〉
・第1波(19世紀後半~20世紀前半):女性が男性と同等の法的地位を持つこと。参政権と財産権。
 公/私の区別に立った「公的世界」での、地位・資格という「形式」の平等
 特性論と役割分業論に切り込めていなかった
・第2波(1960年代~):社会的・経済的女性差別の問題化
 B.フリーダン『新しい女性の創造』=定型化された女性像、女性への期待役割による心理的抑圧
 重要概念:「家父長制」「ジェンダー」
・家父長制(=patriarchy. 文化人類学のpatriarchalismとは別の概念)
 男性が女性を支配・抑圧する社会構造
 「個人的なことは政治的である」=★公/私の二分論に対する根本的挑戦
 (1)ラディカル・フェミニズム(K.ミレットら)=家庭(私)の抑圧構造が社会(公)的差別の根源
 →「本能」「個人のこと」「不運」から「権力関係」への読み直し
 (2)マルクス主義フェミニズム(M.D.コスタ、C.V.ヴェールホーフら)
 →家事・育児という「再生産」活動の無償労働化と労働市場での不平等を問題化。家父長制と資本主義の共犯関係
・ジェンダー=社会的・文化的な性別。「育ち」が作る性→つまり変更可能である!
 論点(1)性差のどこまでが生物学的に決まるか←上野「決着つかない」
 論点(2)「社会的・文化的な性差がある」ということをどう展開させていくか
   方向(a)男から押しつけられたアイデンティティに対抗するアイデンティティを主張する。本質主義
   =C.ギリガン『もうひとつの声』。抽象的な正しさより具体的な状況での配慮=独自の倫理観「ケアの倫理」
   方向(b)「女性の特徴」があるという発想の否定。構築主義。「一枚岩ではない」
   ←しかし、これが敷衍されるとマイノリティや社会的弱者が「集合的主体」を立ち上げることができなくならないか?

〈政治理論への寄与〉
(1)資本主義の「外部」を発見した。伝統的家族が担ってきた「再生産」というインフラに光が当たった
(2)私的領域というミクロな権力を主題化し、社会分析に応用した。公/私の区分を揺るがせた。
→以下の3点に留意
(a)用語をずらした
  従来の社会科学:公的=政治/私的=市場・市民社会
  フェミニズム:公的=政治・市場・市民社会/私的=家族
(b)私的領域も権力から自由でない
(c)公/私の区分を否定しているのではない。何が公的イシューになるのかに関して、再考を迫っている
・新しく定義された(市場ではない)私的領域=「親密圏」
 プライバシーの単位は家族ではなく、個人
 「家族」も婚姻家族だけではない。事実婚、同性愛……
 伝統的に家族が担ってきた育児・介護などをどう社会が担っていくか。役割分担の再考
 DV=「家族」内で放置されてきた暴力。公共圏と親密圏には違うルールが適用されるべきか?
・正義論へのインパクト
 (1)ケアの倫理→「関係性」を考えに入れる形での再編
 (2)公/私の線引き批判→リベラルな正義論の持つ中立性・普遍性批判
・「男並み」か「女性の特殊性」か、という2択から「多様性」(J.バトラー)へ


第9章 公共性と市民社会
〈「公共性」publicnessとは何か〉
限定しようという方向性:ネオリベ。自己責任。ゲーテッドコミュニテイ
強化しようという方向性:愛国心。ナショナリズム。治安向上のための「公共心」。反・市場原理主義
・公共性=国家か?開放されたものと見るか?

〈公的/私的〉
・アリストテレスの「政治的共同体」「ポリス的動物」。公=平等な自由人の領域。その反対はオイコス=経済、家族の領域
・でも、市場って公共的じゃないの?
  A.スミス:分業を通じた協力と依存のネットワークは公共性を阻害しない。国家はそれを教育や公共財の分配で補完すればよい
  J.=J.ルソー:市場は不平等のもと。公共性は市場を廃した自給自足的な小共和国でこそ実現される
  →G.W.F.ヘーゲルによる止揚:私益と公益をつなぐ「中間団体」=代表制&政党政治
    ただしマルクスにとって国家は支配のための装置

〈アレントとハーバーマス〉
アレント:ポリスとオイコスの区別は維持。私的―社会的―公的、に領域を分ける
 その上で公共的領域は、共通の関心事についての「活動」=言葉を通じた相互行為=の場とする
 公的領域は私的、社会的領域とは切断されている
 →市場や国家に公共性を見る議論に対する根本的な批判に
ハーバーマス『公共性の構造転換』:公共圏とは、われわれの社会生活の一領域で、公共的な意見が形成される
 市民的公共性=平等な「私的個人」の間に成立する関係。家族(親密圏)と市場。私を公につなぐ契機を与える
   ←制度的には、市民的公共性は選挙による議会制として現れる。非公式には、メディアやコーヒーハウスでの世論形成

〈政治的公共圏と討議デモクラシー〉
ハーバーマス『事実性と妥当性』
・討議を通じて作られた法規範は国家の強制力行使を制約/正統化する
  背景(1)特定の宗教、哲学によって(トップダウン的に)世界を意味づけることがもうできない=ポスト形而上学
  背景(2)高度に複雑化した現代=産業社会
 こうした討議が行われる開かれた空間=公共圏。さまざまな人と制度を貫通するコミュニケーション
 →公共的意見=世論の形成。このプロセスが「討議デモクラシー」と呼ばれる
・討議デモクラシーは、「言語によるコミュニケーションで形成される」点で経済や行政のシステムと違い、「最初から統合された共同体を要求しない」点で共和主義とも違う
・2つのやり方
  (1)制度化された公式な討議=立法議会での議論など
  (2)非公式な「政治的公共圏」での討議→議決を行うなどの制約がない→新しい問題(DVなど)の発掘→(1)に持ち込まれることも
・公共性を国家や民族に独占させない

〈現代の市民社会論〉
・1980-90年代の東欧民主化:党や国家の支配から自由な団体=教会、自主管理労働組合、自発的な市民組織=による
・西側でのケインズ型福祉国家の問題(肥大した官僚制国家と市場経済の剥き出しの力、という2つの問題)に、代表制デモクラシーがうまく対処できなかった
 →新しい政治の担い手:環境保護、平和、人権など金銭的利益に結びつかない社会運動、途上国や紛争地域支援の団体
・M.リーデル:市民社会=政治性、権力性を持たない私人間の関係としての社会
・M.ウォルツァー:市民社会=国家(強制力)とも市場(利益)とも区別される中間団体が構成するネットワーク
・第3の領域、としての市民社会。国家や企業に異議申し立てする「対抗性」と、NGO―政府協力などに見られる「補完性」の微妙なバランス

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2015年04月26日 22:46に投稿されたエントリーのページです。

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