2023年09月25日

2年たった

アメリカにきて今日で2年です。最初の数ヶ月はむっちゃ帰りたく、1年過ぎてようやく調子が出てきたけれども人間関係はやっぱり日本に置いてきたので帰りたい、と思っていたところ、最近は人間関係までできてしまい、帰る先がなければまあいてもいいかなという境地になってきました。しかし現実的には来年の夏には帰る可能性が高いことは分かっており、それならそれで、というくらいの気持ち。そして帰ると、ここ20年ちょっとやってきたキャリアも終わります。本当は2018年に終わってたんだけど、DCで延長ミッションをやることになった。なので、それももはや勝手に終われば?くらい。

* * *

先週前半はニューヨークに出張してました。
初日だけ雨の予報が出ていることは知っていて、傘持って出ないと傘、と心の中で呟きながら傘を持たずに出掛けた。そしてしっかり降られた。
地下に潜ります。もわっと暖かく、小便と大麻の匂い。田舎から東京に出てきたときと似ている。新宿は小便より生ゴミの匂いだったですけどね。めちゃくちゃ混むことがあるし、金持ち以外は住環境よくないでしょ。

夕方、クイーンズの地下鉄駅を出てすぐのアイリッシュパブで雨宿りがてら夕飯を食べていたら、いっとき雨が止んだので、それっと外に出てホテルに向かった橋の上の空。
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仕事は国連とその周辺で、ほんとしょうもない会議と、危機感があるんだかないんだかみたいなイベントを見てました。なんかこう、市民運動もお国柄というのがあり、気候変動を気にしてるわりにはお菓子とコーヒー取り放題、立食パーティーでは酒飲んで。先進国の方は快適性優先ですねみたいな嫌味のひとつも言いたくなったところ、やはり「安楽椅子で気勢上げてんじゃねえよ」みたいなことを言って会場をひりつかせるイベント登壇者もおり、そこも含めて西側世界だなと思いました。
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国連本部のカフェテリアは魚とか肉とかのメインと野菜とご飯などを紙皿にとって、量り売りで1食だいたい10ドルでいけるというお手頃価格なのが気に入りました。3日間のニューヨーク滞在のうち、昼朝昼と3回食べちゃった。カトラリーも使い捨てだし、とにかく紙や木のごみを出すね、ここの人たち。食器を洗うより環境負荷が低いという計算だろうか。
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そこそこ楽しく働きました。弊社のニューヨークオフィスにも初めて立ち寄り、イランだのイギリスだのから来ていた久しぶりの同僚とも顔を合わせました。
何よりよかったのは去年お世話になった仕事先と夕飯が食えたことです。タイ料理に連れて行ってもらいました。
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なんとなく波長の合う人とは、数回しか会ってなくても1年ぶりでもキャッキャ言いながらメシが食えていいです。
最終日は夜9時の列車に乗って、DCに戻ったのはてっぺん過ぎ。結構疲れてた。でもDCに帰ってくるとほっとします。街に余裕があるんですよね。

ニューヨークもこれで最後かな。「仕事よりも思い出作り」というつもりで行ったら、ほんとにそのまんまそういう滞在でした。言い訳できる程度の仕事をして、あとは大半遊んでた。

* * *

雨の土曜日。ロックビルのBob's Shanghaiで友達とうひょうひょ言いながらメシを食っていたら、外で待っていたおばさん?が倒れて心停止、みたいな事態が起きました。
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・横のテーブルのおばさんと娘さんが飛び出していって心臓マッサージ。あとで聞いたらおばさんは学校の先生で、CPRの資格を持っていたらしい
・それを見た弊管理人の同行の友達は店の人に、横のテーブルの二人が食べてたメシ代は自分が出す。なぜなら二人の行動は素晴らしいから!と大興奮で決済した
・その様子に感激したらしい店主(中国系のおじさん)が、心臓マッサージに走ったおばさんと、弊管理人の同行者に100ドルのクーポンをくれた。サンキュー!素晴らしいことだ!と

これらのことが数分のうちに起き、そうこうしてるうちに救急隊がきて、心臓マッサージしてたおばさんたちは帰ってきて食事を再開し、友達は二人をめっちゃ讃え、弊管理人と友達は食べ終わって店を出ました。
友達はそのあとも興奮しまくっており、フロリダのお母さんにテレビ電話してすっごい勢いで今あったことをスペイン語と英語のちゃんぽんで報告。弊管理人も運転中なのになぜかお母さんに「ハーイ」とかいって挨拶した。

やっぱすごいなと思ったのは上記3点の登場人物たち(弊管理人除く)の瞬発力で、ぱっと人命救助に走る人、それを見て「このテーブルは俺が払うから!」という友達、意気に感じてクーポンくれる店主。いずれも弊管理人の行動リストにない(誰もいなければ心臓マッサージはしたとは思うが)。そりゃアメリカは強いわ。こんな人たちがざらにいたら。カッとなる人々のパワーが悪いほうに行かないことを願いたい。全然行きそうだが。

そのまま友達をIKEAに連れていき、ひとしきり買い物をしたりお茶飲んだりして帰りました。
いろんなことがありすぎて疲れました。

日曜はうっかり1日中仕事。なんか同じようなことを何度もやる仕事であった。冷蔵庫にあるもので3食。出費ゼロの日曜。

* * *

滞在開始から2年たった話の続き。来年夏に帰ると言いつつ、なんとなく25%くらいの確率で来年末までいる可能性もあるなとは思い始めてます。知らんけど。インシャラー。

2023年09月17日

マナサス

土曜は結局どこへも出掛けず、3度寝(朝2+夕1)しました。夏の疲れが出てる気がする。でもそんなにだるくありません。元気は元気。

週明けの出張と、その後の仕事をちょっと楽にするための準備をしてたらまた夜遅くなってしまった。

* * *

日曜は久しぶりに朝飯を手抜きして外食にしようということで、マナサスのヨークシャー・レストラン。なんか評判よさげだったので来てみました。滞在中ほぼずっと満席、次から次へ客が来て帰っていくみたいな繁盛店でした。
「カウンターでいい?」といって座ったのが厨房の出口付近で、ウーバーイーツか何かのあんちゃんは入れ替わり立ち替わり来るわ、下げた皿は横を通るわで落ち着かなかったので、別の席が空いたところで「あそこに移っていい?」と切り出して移りました。我慢はする必要なし、が段々板に付いてきた。

でもやっぱりおばはんたちがてきぱき配膳してますけどね。そもそもカウンター席がそういうところにある店なのでまあよろしい。頼んだのはコーヒーと、これ。
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ハム!卵!そしてホットケーキ2枚!!炭水化物と糖とタンパク質。
でもおいしかったです。ハムが厚くて幸せ。
こちらの人はワッフルでフライドチキンを挟んで食ったりしていて何事!?!?と思うこともあるのですが、確かにしょっぱいものを食べていると甘いものがあってもいいし、逆も真。ということでまんまとアメリカナイズされました。
家族経営のレストラン、オヤジはレジに陣取って客をサクサクさばき、おばはんたちはニコニコしてないがちゃんと客の様子を把握している(そういう店員を評価する言葉はattentive=よく気がつく、という)。
コーヒーは飲み放題が基本で、カップあいてるなーと思うとぱっとついでくれます。結局3杯飲んじゃった。チップは当てずっぽうで書いて、後から計算したら14%だった。ちょっと少なかったか?まあいいか。

そのあと、さらに30分くらいドライブして田舎の農家がやってるマーケットを冷やかし、アイスを食べました。
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本当は近所の予約制ワイナリーが作ったワインを1本買おうかなと思って寄ったものの、高かったのでやめました。よく考えたら弊管理人は別にワインが好きではない。
農場をちょっとだけ散歩。
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このあたり、南北戦争の激戦地だったはずです。こんなだだっ広くて平らなところを行軍してたら「何やってんのわし……」ってならなかっただろうか。

今日は夏以降の休日で初めて長袖を着ました。気温20度ちょっと。10日くらい前は35度くらいあったところから、急激に秋が来ました。

* * *

郷里の母方の伯母によると、父方の祖母が施設に入ったらしい。
父方の伯父が前に「ちょっとボケたみたい」と言っていました。そうなったか。
まあじいちゃん亡くなって結構たつもんね。7年?8年?
気がつくとばあちゃんも98のはず(ちょいちょいサバを読むのであやふや)なので、まあいつまでも独りで暮らせるわけでもないしな。

* * *

家に帰ってから、久しぶりに寝室の掃除をして、シーツやカバー類を全部洗濯して、マットレストッパーを新しくしました。完璧。
去年もこの時期にシーツ類を洗濯したんだよね。その直後、コロナに罹患しドロドロになったので、治ってからまた洗濯する羽目になった思い出。

2023年09月15日

2しゅうかんまとめ

特に何をしていたわけでもないのですが、うかうかと既に9月も半ばです。

なんだか誘われたり誘われなかったりして外食の多い半月でした。

まずDCのStellina Pizzeriaはダイナーみたいなたたずまいのピザ屋。
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イタリア人かな?というおねえさん店員が「ワッフルもあるのよ~私のせいじゃないけど」みたいな恥じらいとともにメニューを持ってきて笑いました。
ピザうまい。シーフードのイカスミパスタもこれまたうまい。ややアメリカナイズされたメニューと味(つまり濃い)ですが、料理はとても満足でした。
ただし、もともと結構割高なところに自動的に20%のチャージが上乗せされるのが気分よくない。あと黒人のおねーちゃん店員が食べ終えた皿を指さして「それとって」みたいな仕草をしやがった。友達かよ。
ちょっと前にメリーランドで食事をしたときも、店員がワインボトルの開け方を知らないということがありました。雇ったときに教育してないのか?
ネット上の評価やチップの額の多寡が質を上げるというのは一定以上の競争がある場合であって、人手不足の昨今「働いてやってるんだし、うるさいこと言うなら他いくよ」となってしまうため効果がない。自動チャージもサービスのインセンティブを奪うので本当に悪い仕組みだと思います。
親密な関係の中では持ち寄りとかプレゼントとかの互酬的で気前のよさが効くのですが、その外に出ると途端にやり逃げの砂漠みたいな世界になる。で、客もそういう社会に適応しているので基本自由だし、自分がサービス提供側になるとやっぱり少ない労力で多くを得ようとしているはず。ただしケチでノイローゼな日本もどうかという話。

同じくDCのラブ・マコト。なんだそれ。ビルの1フロア全部がレストランで、寿司屋、焼き肉屋、居酒屋、あとなんかフードコートみたいになっています。居酒屋にしました。
唐揚げと手羽。
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焼き鳥が意外とちゃんとおいしかったです。

ペンタゴンシティという、国防総省の近くにあるショッピングモールに入っているMarshall'sっていうイトーヨーカドーのさらにしょぼくれた感じの雑貨屋。ベルトが安かったので買いました。9.99ドル。いや実は日本から持ってきていたのがだいぶベロベロになっていて、普通のところで買うと20ドル30ドルするんだけどちょっと馬鹿馬鹿しいなと思って踏みとどまっていたところ、この値段なら全然OKだなということで。結果、QoLが爆上がりしました。
その帰り、夕飯でMattie and Eddie’sというアイリッシュパブに入りました。
フィッシュ&チップスが食べたかったんですよね。
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たぶん鱈。結構おいしかったです。いろんなディップが付いてきたのもよかった。
おなかいっぱい。

プエルトリカンと待ち合わせしてオサレ中華のChang Changで夕飯食べよう、ということになったのが木曜。最寄りの駅で待ってたら「ちょっとCVS(≒マツキヨ)に寄らないといけなくなった」と。落ち合ってみたら腕にヘタクソな包帯巻いてました。電動キックボードでこけたんだって!!先日も酔っ払って電動キックボードでこけてたが、今回はしらふ。
「夕飯キャンセルしようかとまで思ってたけど、こんなことで会食やめたら後悔すると考え直した」そうです。
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段々麺、鶏肉の甘酢炒め、にらとエビの餃子など。あと一杯ずつ酒飲んだら「気分よくなった」とのこと。よかったね。デュポンサークル(DCにいくつかあるでっかいラウンドアバウトのうちの一つです)の中にある公園のベンチで喋ってそれぞれ帰りました。

週の終わりは仕事で普段あまり行かないところへ。
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朝昼晩とご飯が提供される終日の寄り合いでしたが、見たいプログラムは昼だけだったのでお昼ご飯をいただいて中座しました。唐揚げ、焼き鮭、ひじき煮、たくあん、卵焼きという完璧に日本のスーパーの味がするお弁当。逆にどうやって出したのだ、この味。びびる。
本当はお抱えのシェフが腕を振るう夕飯の立食パーティーが魅力的だったんですけど、打ち合わせやら、来週月曜からの出張の準備やらで職場に出向くことにしました。まあ結果それでよかった。

* * *

また楽しそうなイベントに誘われていたのですが、出張日程の伸縮が読めず参加断念していました。結局行けば行けたことが判明したのは今週後半。残念。誘ってくれた人は「またの機会があるよ」と言っていましたがどうかな。とりあえず出張から帰ってきて遊ぶ予定が月末に一つ確保できました。それを楽しみに。

* * *

夏が完全に終わり、木曜の夜は肌寒いくらいになりました。最後の冬に向かいます。といっても本当に最後なのか?という疑問がよぎる今日この頃です。

来年はアメリカがビッグイベントの年で、早くも走り出す時期にさしかかっているようです。周囲の人たちはそのイベントが峠を越える2024年末ごろ、あるいは2025年までの任期延長が決まったか決まりそうな状態。

弊管理人とほぼ同時期にDCに来た人たちはかなり延長するのではないか。弊管理人はイベントにあまり関心がないし、後任が2024年後半になって来るといきなり全力疾走が求められて大変そうなので7月末には帰るつもりでいますが、いや7月末に来ても生活の立ち上げに2カ月かかったらどっちみち辛いのかも。しらんけど。
まあしかし、弊管理人の処遇を今から考えている人は誰もいないというのが最も有力。

* * *

何冊か本を読み終わって、メモを残しておこうと思っていたのにずるずると時間がたってしまいました。どれもすごくいい本でした。

◆エリカ・チェノウェス(小林綾子訳)『市民的抵抗』白水社、2023年。
抵抗運動(本書ではアウトカムの見やすさのため、体制変革という高い目標を掲げる運動に絞っている)が成功する条件に関するエビデンス集。よく組織され、持続性があり、広く支持される非暴力運動の成功率は結構高い。暴力的抵抗よりずっと高い。ただし権力側が利用できる監視技術の発展によって、近年は少々難しくなっているようでもある。なんでSEALDsがだめだったかとか、ハッシュタグ運動になんで見込みがないかが分かる気がする。

◆今井むつみ、秋田喜美『言語の本質』中央公論新社、2023年。
出発点としてのオノマトペ=記号接地、ブートストラッピングによる言語習得、そして創造・アブダクション。

◆坂牛卓『教養としての建築入門』中央公論新社、2023年。
建築の鑑賞/受注から完成まで(弊管理人は実務を全然知らないので、ここが新鮮だった)/社会と建築の相互作用。手軽でするする読める本だが、筆者の構成と図式化のうまさは飛び抜けていると思う。アメリカで教育を受けたからですかね。

2023年09月04日

夏の終わりの3連休

9月4日(月)のレイバーデー(勤労感謝の日)をもってアメリカの夏は終わるそうです。
なんか7月半ばくらい、南西部が地獄の業火に焼かれてたような気がしますが、あれがもう2カ月近く前だと思うと夏はまじであっちゅう間だったと思わざるを得ません。

【9/2】

土曜はアメリカ人の友達に連れられて、DCに家を買ったカップルを訪ねることになりました。
広大な裏庭と深緑に壁を塗ったリビング、主寝室と書斎と客用寝室、地下室もあってワインセラー作るんだ~みたいな素敵なおうちは1916年築とか言ってたかな。ベジタリアンの人たちが野菜の寿司を食ってる下を二匹の犬がちょこちょこ歩いては弊管理人が差し出した手をベロベロ舐めるという、何この豊かな生活、というお宅でした。

【9/3】

日曜はこのグループでワイナリーに行きましょうかね、という話がいつの間にかプールにしようということになっており、午後からカップル宅で会った姉妹の住んでるアパートの屋上のプールへ。
36度。9月なのにプール日和です。
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大きくはないけど、水に浸かったり、持ち込んだお酒を飲んだり、他のグループと喋ったり。持ち寄りのお酒の十数ドルしかかかってない。社会関係資本が豊かな人たちはこうやって互いに訪問しあい、ストックしてるお酒やらもらった飲み物やらを飲んで、噂話とか新顔いじったりとかしながら喋って喋って、安上がりに楽しく週末を過ごしてるんだな。

それとは対照的に、孤独な人は自分で頑張ってイベントを作り出し、割高な一人料金を支払い、アリバイみたいな写真を撮って何かした感じの休日を演出しなければならない。すごい格差、というか何の地獄なんだ、それは。

そんなこんなで14時過ぎからばらばらと集まって、18時過ぎにおいとましました。

友達が「腹減った」というのですぐ近くのユニオン・マーケットへ。友達は耐えきれず、半額セールをやっていたパック寿司をがっついた。
それで精神が少し落ち着いたというので、先日同僚と行ったSt.Anselmに入り、予約がなかったのでちょっと待って席に案内されました。人気店だな。

NYストリップとサラダと焼いたマッシュポテトを頼みました。
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ステーキは1人分は食べきれないのでシェアする、と言ったら最初から別々のお皿に分けて持ってきてくれた。サービスいいね。そしてステーキとソース、セロリやフルーツがかつてない清涼感を出してるサラダ、外こんがり・中もっちりのマッシュポテトとすべてがうまかった。この店すごいわ。そして注文の組み合わせも完璧だった。つまりわれわれの勝利でもある。

満ち足りて友達送って帰って寝た。

【9/4】

車を持ってない友達が買い出ししたいというのでDCのスーパーLIDLへ。同じビルに入ってるMarshallsというデパートにふらっと入った友達は化粧品が安いことを発見し、100ドル使ったらしい。

そしてLIDLでもおっそろしい量の食料を買い、安売りスーパーなのに100ドル使ってました。

「セロリがなかった」といってTrader Joe'sという別のちょっといいスーパーに転戦してセロリどころではない量の買い物で80ドル。「家に食べ物がなくてピザをとってしまった」と話していたかわいそうな状態の人をスーパーに連れていくとこうなります。しかし向こう2週間は食うに困らなかろう。知らんけど。
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自宅まで送ったら「寄ってく?」と言われましたが、明らかにお疲れの様子だったので、お邪魔してはならんパターンだと思い辞退しました。本人もちょっと安堵した感じ。大正解だったよう。つうかアメリカ人は社交辞令言わなくていいのよ笑

で、弊管理人はしめじとえのきを買い足しにアジアンスーパーへはしごして帰りました。

* * *

これで夏と夏休みはおしまいかな。というか自分がなぜアメリカにいるのかを忘れるくらい遊びほうけた夏でした。

9月はわりと今からいろんな仕事の予定が入っており、休み明けからどばっと勉強しないといけない感じ。10月初旬にちょっと面倒な仕事をこなしたら、いったん一息ついたのち全然気乗りのしない元同じ部署のパワハラ野郎からの頼まれ仕事に目鼻をつけて(今はもう立場上の繋がりはないので、面倒なことを言いだしたら断る気は満々です)、12月は長めの海外出張と一時帰国、というところまで走り抜けるのであります。たぶん。

2023年09月03日

地の塩

ユタ州に出張。仕事の内容は土壇場でメインディッシュが消えるというちょっと微妙なものになってしまいました。しかし携帯の電波も入らないくらいの砂漠、しかも米軍の用地という外国人にはハードルの高いところに招聘元が頑張って手続きして入れてくれるというので、わりと前向きな気分で行くことにしました。分割夏休みのパート2もちょっと繋げてね。

【8/29(火)】

朝起きると、長年レビー小体型認知症を患っていた母方の叔父が前日に亡くなったという報せが父から入っており、もやーっとした気分になったものの、とにかく出掛けました。

DCからユタ州のソルトレークシティーに飛びます。
先日のフロリダも2時間半ほどの航路を行くのにダイバートして10時間かかりやがっており、とにかくアメリカの国内線は信頼できないので、今回は
・デルタ航空が飛ばしている唯一の直行便は時間が遅く、何かあった際に回復不能になるため、あえて午前中(10時)発の経由便を選ぶ
・南東部にハリケーンが迫っていたので、経由地はアトランタなど南部の都市を避ける
・デルタ航空のハブで、ソルトレークシティーにも複数の便が飛んでいるミネアポリスで乗り継ぐ
という慎重な経路選びをしました。ミネアポリスで持参したおかかのおにぎり弁当(というか残り物)を食べてまた乗って定時よりちょっと早いくらいで到着。

ソルトレークシティー空港の到着ロビーに出るとこんな人いた。ネタなのか、どうなのか。
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今回のレンタカーは韓国のKIAのセダンでした。2020年モデルにしては古めかしかったです。特に面白い車ではなかったので写真はなし。

ちょっと時間あるし、ソルトレーク見に行くか。
州立公園は空港から20分くらい?わりとすぐです。入場料5ドル。やす。
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海っぽい匂いがした。ビジターセンターの説明書きによると、5億年~2億5千万年前は海の底だったそう。その後、地球内部の熱によって地殻が波打ち、氷期に雨量が増えたことで低地が湖になり、それが繋がって2万5千年前にはボンネビル湖という巨大な湖になった。現在のユタの大半と、アイダホ、ネバダの一部に及び、面積は5万平方キロ、深さは300メートルだったとのこと。湖の存在はこの地方の大雪も引き起こしているそうです。
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振り返ったところ。うーん西部の風景。
でもまあ「見た」くらい。空港近くのホテルに投宿して、中華のテイクアウト食って寝ました。

【8/30(水)】

お仕事の日です。タイムゾーンは山岳部時間で、DCより2時間遅れなので朝6時起きでも早起きな感じがしません。よく寝られました。
朝飯食って、街を出て州間高速80号線(I-80)を西へ。途中で南に向かう道に入ってずっとこんな。
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目的地はダグウェイという街です。街というか、米軍の駐屯地。国内で最も人里離れた施設だそうです。写真を撮れる機会は極めて限られていましたが、これはOKと言われたので。
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今回はアメリカの政府機関主催の行事なんですけど、生物・化学兵器の研究をしているところで、これまで外国籍の民間人を入れたことがほとんどなかったらしく、弊管理人の立ち入り許可にはいろんな人が骨を折ってくれたようです。弊管理人が撮った写真の検閲がありましたが、いいよいいよ、見てくれたほうがむしろ安心だよくらいのつもりで検閲してもらいました。ただ、アイダホの山火事の煙が流れてきていて(今年そんなの多いな)視界がぼやけがちだった。「晴れていれば果てしなく砂漠が見えたんだけどね」と主催側の人も残念そうでした。
なんだかんだでアレンジしてくれるの、ありがたい。

この日集まったご一行の中で唯一の外国人だった弊管理人ですが、このところアメリカ人とばかり遊んでいたせいか、日本にいるくらいの感覚で遠慮なくべらべらヘタクソな英語を喋りまくり、交流しまくり、いろいろ頼み事をしまくり、好き放題やりました。一緒になった、ユタ州立大学で宇宙関係の研究広報をやってるおじさんは元軍人、ほかにも地元テレビの人などが結構いましたが、みんなフレンドリーでした。「ユタ初めて?印象どう?」と結構聞かれたかも。きれいでいいとこだと思う!と答えておきましたが、なんとなく彼らの間には「いうてもま~田舎だけどね」という自虐がちょっとあったように思います。
構内の売店にも寄らせてもらっちゃった。
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マグカップね。AREA 52(ネバダにある核兵器などやってる別の試験場)を推しているのだろうか。ていうか、ふざけられるハードルがだいぶ低いのはいいですね。1個買ってしまった。
17時に仕事終了。

で、もときた道を戻って、途中で東に向かうとソルトレークシティーですが、西に行くことにしました。
日もだいぶ傾いてきましたが、I-80沿いに「ボンネビル・ソルト・フラッツ」というスポットと休憩所があるので寄りました。昔あったボンネビル湖が干上がって、残った塩が地面を覆っているところです。
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おーこれはすごい。
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下はこんな感じです。
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意外とべちゃべちゃしていて、歩いていると靴の裏にどんどんくっつきます。
I-80の北側の眺望がよいので、西行きの路線沿いにある休憩所に止まるのが必須です。西行き、東行きの車線が分離されていて、東行きの車線に入ってしまうとだいぶ走らないと戻ってこられないようで、時間は遅かったけど止まってよかったです。

そこからすぐの、ユタ―ネバダ州境の街ウェンドーバーWendoverのコンフォートインに泊まりました。90ドルしないの。それでも街で2番目くらいに高い宿。コンフォートインがコンフォータブルだったことはないのですが、ここもまあ値段なりでした。
仕事を一気に仕上げて、東京とやりとりして寝ました。

【8/31(木)】

宿の朝。前日よりは空気が澄んでいる。
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いい宿に見えますが、まあ部屋はいわゆるモーテルです。寝るだけ。冷蔵庫に前の客のピザが残ってた時点で弊管理人のテンションはかなり下がりました。
でもまあ、一応朝飯も出るし、食堂のテレビでは地元の番組で「ワニの燻製を作ってみよう!」みたいな企画をやってて西部ワイルド感が出ててよかった。アメリカの宿の朝飯は、だいたいパンやワッフル(タネを流すと焼いてくれる機械があって熱々を食べられる)、ヨーグルト、コーヒーやジュース、シリアル、付くところはスクランブルエッグとソーセージかベーコン、というラインナップで、それは数十ドルのところでも200ドルのところでも変わらないので、朝飯あるだけいいや、という期待値です。

地図を見ていてたまたま見つけたHistoric Wendover Airfieldに行きました。車で数分と近い。
旧・米陸軍航空隊の基地のようです。今でも飛行場として使われているようで、小型ジェットが着いたりしていました。
写っているのは第二次大戦当時の管制塔、両脇は博物館です。全部で8ドル。
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管制塔、登っていいんですけど、足元がグレーチングで下が丸見えなのと、手すりが腰くらいの高さしかなくてむちゃくちゃ怖かったです。
ウェンドーバーの街の方を見渡す。
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こっちは飛行場。
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実はエノラ・ゲイが広島に落とすリトル・ボーイを積んでテニアンに向け出発したのがこの飛行場だそうです。全然知りませんでした。ほんとにたまたま見つけた。近代戦争の幕開けを受けて1939年に爆撃・射撃試験場として構想され、1941年の真珠湾攻撃で「外国勢力による攻撃」の可能性に目覚めて爆撃部隊の訓練が盛んに行われたようです。都市から離れた都市ということで、そういう活動がしやすかったらしい。
オリエンテーションのビデオが見られる部屋のすみっこにある、日本にまいたチラシ爆弾Bomb Leaflet。
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「私たちの目的は日本の民間人を殺すことではなく、軍部の能力をそぐことです。このチラシは無用な殺戮を避けるためです。見たら逃げてね。……って言ったけど日本政府はこのチラシを民間人が保有することを禁じました~残念!」みたいな説明書き。で、手続きは踏んだので心置きなく空襲するわけですね。

リトル・ボーイのレプリカがあるなど……
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これは冬のオペレーションに関する展示。リメンバー・パールハーバーに引っかけてPURL HARDER(編み物を頑張れ!)。冬は寒いのだな。そういえば前の日に通ってきた塩の大地は標高1400メートルって書いてあった。
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エノラ・ゲイの格納庫は直してる最中で、中は見られませんでした。
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確かに秘密の作戦をやるところは遠隔地が向いてますね。しかし遠隔地すぎて、歴史的建造物になってしまうと維持は大変そうです。盛んに支援を募っていました。いつできるのかな。
「長く苦しい戦争を終わらせるため」という原爆投下の物語は相変わらず説明に出てくるけど、特に高らかに称揚している感じでもありませんでした。落とされた側の様子は当然のように展示されない。でも広島のペアとしてこういうのは見ておくべきだなと思いました。ダグラス・マッカーサーの名前は、アメリカに来てここで初めて聞いた。「ウェンドーバーで訓練された砲手サイコー」と褒めてくれたとかなんとか。
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この荒涼とした街にあって、目標となる極東の都市を想像するのは極端に難しかろう。でもめちゃくちゃ縁のある土地なんだよね。
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意外と見入ってしまった。これ、仕事にできるかもしれない。
東に戻りますか。

途中で寄りたかったのが、ボンネビル・スピードウェイです。塩湖の跡地で、スピードレースが開催されるところ。I-80を降りて、一応舗装された道を数マイル走ると、どん詰まりに駐車場があります。地図で分かりにくいので、所在地40°45'45.3"N 113°53'46.3"Wにピンを落として向かいました。
ここだ。
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照り返しでめちゃくちゃまぶしかった。
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I-80に再び乗る手前のガソリンスタンドにはインド料理屋が併設されており、ターバン巻いたお客さんたちが出入りしていました。
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絶対うまいだろと思ってチキンカレー(12ドルと良心価格)を注文。持ち帰りの人が多そうでしたが、車で食べるのも嫌なので「ここで食べてっていい?」って聞いたら快くOKでした。フォークとお皿と、あとペットボトルの水までくれた。そして予想通りうまかった。
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さあて戻るぞ。
ドライブはずっとこんな。小学生のころ、MSXでやったドライブのゲームを思い出します。途中100個くらいインターチェンジがありますが、そこを降りて何があるの?というくらい何もないインターばかりだった。
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中間くらいの集落にあるガソリンスタンド併設のコンビニにソフトクリームがあったので買いました。2ドル。なんかこういう、ちょっとした買い食いとかトイレ休憩とかを特に考えずに挟んで旅ができるようになると、馴染んだなって感じがします。(しかしトラブルを解決する能力はなさそうだし絶対嫌なのでアグレッシブな運転はしない)

ちょうどいい時間に空港に戻って車を返しました。
市内に出るのには路面電車が使えて2.50ドル。やす~。たすかる。
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アレな人がいるのは中心部の駅にちょっとだけ、で全体的にはきれいで使い勝手がよさそうでした。
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街もなんか妙にきれいでした。
たぶん一番のスポットであるモルモン教の協会地区はめっちゃ直してました。
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宿はスイートがなぜか120ドルくらいで取れて、快適だったのでもう観光はいいかなって思いました。宿のジムでちょっと運動して、シャワー浴びて、Arloという近くのレストランでごはん。
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こじゃれたレストランのカウンター席に収まりました。味は、うん、まあ、おいしい。くらい。

腹ごなしの散歩で州議事堂だけ。
やはりこういう建物になってしまう。
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1847-1869年にかけて、主にモルモン教の人たちがミズーリ→イリノイと迫害されつつ移住してきてできた街。議事堂前の公園には、この世代最後のおばあちゃんが1968年に亡くなったときの碑が建っていたり、指導者ブリガム・ヤングが土地を見渡した山はこの先です、みたいな碑があったりました。
歩いてるとワイシャツにネクタイ(時に名札)のよく自転車に乗って聖書配ってる感じの人たちがいっぱいいてすれ違いざまに挨拶してくるの、ああここが輸出元なんだなと感慨深かったです。中国・杭州の近くの街で全世界のおみやげ(ペナントとか置物とか)を卸してる会社を見たときのような……

で、翌日は特に観光もせず、ゆるっとデトロイト経由で帰ってきました。やっぱり遅れたけどな。乗り継ぎ地で2時間くらいのバッファをとってあったので焦らずに済みました。疲れたけどいろいろ見られてよかった。夏休みパート2へシームレスに移行。

2023年08月26日

フロリダ4回目

フロリダ出張、4回目です。今までは一人でしたが、今回は東京からの出張者がメインで仕事をするので、弊管理人は補佐的な位置付け(と勝手に決めた)。

【8/23(水)】

DCからだと飛行機で2時間20分なのですぐだね、と思って朝のアメリカン便で出発し、昼前には出張してきている同僚と合流するはずでした。
が、なんか外見たら随分低いとこ飛んでる……。そのうち、行程としては4割くらいのところにあるノースカロライナ州ダラムに着陸しました。右エンジンの不調を知らせる警告が出たとのこと。機械がおかしいのではなく誤表示だったようです。しかし書類仕事が滞ったようで、結局、機内で3時間待機したところで降ろされました。たぶんそういう規則のはず。いつもながら出張の移動は一筋縄でいかない。

比較的小規模な空港で待つか、別の経路に変えてもらうか。
ゲートのカウンターで他の可能性を聞いたところ、既に搭乗が始まっている便に飛び乗ればダラム→シャーロット→オーランドと乗り継いで到着することはできるとのこと。それくれ!といって発券してもらって飛び乗りました。シャーロットは陸路で2時間くらいの超短距離便。よくそんなのあったな。結局、朝8時過ぎにDCを出て、オーランドに着いたのは夕方6時でした。でも着いただけいっか~と思うあたり、アメリカナイズされたなと思います。

とはいえ、予定は狂ったし、航空会社のせいだし、着いたんだからいいでしょ、という態度は放置できません。「おたくのせいでビジネスの予定が狂った。なんか補償しろ」とクレームを送ってみたところ、翌日6000マイルが加算されました。マイルか~と思っていたところ、その何時間か後に「当該便の搭乗者の皆さんに多大な迷惑がかかったとの声をいくつもいただいている」とかで、さらに7500マイルが入りました。いち早くクレームしたことで二重に補償をもらうことになりました。やはり何か言っていくことと、行動は迅速にすることが大切だな。もともと貯めるでもなく貯まっていたマイルと足すとちょっと旅行できるくらいになりました。まあ許すか。

で、同僚と合流して、レンタカーで東へ。
レンタカーは同僚が手配したんですが、あてがわれたのがこれ。またでかいのが来たな。
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日本では売られていないGMCのTERRAIN、2023年式ということでかなり新しいですね。新車の匂いがしました。燃費は悪く、わりとアメリカでの運転に慣れてきた弊管理人でも縁石こすらないか心配するくらい低いところの視認性が悪いけど、パワーはある。同僚はすっごいおっかなびっくりで運転していたので、行程の大半は弊管理人がドライバーをやりました。

同じ仕事で来ていた他社の知り合いとも合流して、ココアビーチのピタ・パラダイスという地中海料理のお店へ。
ラムのカバブね。
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当然のようにおいしかったです。昼飯を逃したのでこれで回復した。寝ます。

【8/24(木)】

意外と早起き。そして元気になっていた。
浜に近いホテルに滞在してます。朝飯食べてちょっと散歩。
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日の出は6時半くらい。夏の終わりを感じさせるが気温は高く、湿度も結構ある。7月のフロリダは地上も海もすっごい暑かったんだっけな。
大西洋に足だけ浸けて、海に入ったことにした。
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面倒といえば面倒だし、必須でもないんだけど、体力回復したので一応いっとくか~?くらいで参加した昼間の仕事は、なかなかどうして行った甲斐のあるいい機会でした。
遅い昼飯はいかにもビーチのハワイアンカフェでとんかつ定食。

それにしてもリゾートだな。ホテルの部屋はスイートなのに東横インみたいだったが、ベランダつき。プールもあります。
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ロビーには浮かれた人形も置いてあった。
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同僚は日本円に換算する癖が滞在3日目でだんだん抜けてきていましたが、それでもカードの使用履歴を見てびびっていました。円安ってやーね。

仕事の本番は翌日の午前4時前という変則的な時間帯で、夜10時には準備を整えたのですが、途中で24時間延期となりました。わりと信頼性が高いと思っていた案件なので、ちょっと意外でした。でもまああり得ることではある。帰って寝る。

【8/25(金)】

もともとの想定では、25日の早朝にはすべて終わり、ホテルで仮眠して昼過ぎの便でDCに帰るつもりだったので、延期によってもう1泊どこかに泊まらないといけなくなりました。

1日延泊しようかと思ったのですが、Booking.comで160ドルくらいで取れたそのホテルが週末にかかることもあって300ドルを超えるというので断念。同僚が既にオーランド空港(60キロくらい離れている)の近くに宿を取ってしまったというので、そこから目と鼻の先のハイアット系列だが安いところに部屋を確保しました。

ココアビーチの宿を11時のチェックアウトぎりぎりで出て、オーランドをよく知ってるアメリカ人の友達に「空港からあまり遠くないところでお昼のおすすめない?」と聞いたらフォーの店を教えてもらえました。おいツボ分かってるな。

Pho 88です。花壇が熱帯。フロリダっぽいな~
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おいしかった。
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ホテルにチェックインできる午後3時にはまだ若干時間があるので、ザ・フロリダという名前のすっごいでかいショッピングモールを冷やかしてからホテルに行きました。仕事の1日延長を想定していなかったので(失敗)、モールに入っていたユニクロで下着を1セット買うはめになりました。25ドル……

暑さと、前の晩の睡眠が少し足りてなかったせいか頭痛がしていて、ホテルに着いてすぐバファリンを飲んで、シャワーを浴びてベッドに入ったら少し眠ることができました。仕事はやはり日付変わって午前3時半とかなので、かえって好都合だったかも。

延期後の仕事は淡々とこなしましたが、この体験はかなりよかったです。一般人のアクセスはできない所なので写真などはなし。

【8/26(土)】

帰路は、弊管理人がDCに帰った後も2日ほど居残る同僚が左ハンドルに慣れたく運転してくれるとのこと。ありがたく助手席に座ったら寝落ちしました。ホテルに戻って朝7時半。10時45分まで寝て、11時半のシャトルバスでオーランド空港に行って帰りました。
夕飯は切り干し大根を煮て、豚肉とネギを味噌炒めして、ブロッコリーを茹でて食べました。滞在中あまりに野菜が少なくて便の質が悪かったので。回復に努めます。

去年たくさん来たフロリダも、今回が最後じゃないかなと思いながら歩きました。来年の今頃も同じ仕事がありそうですが、この時期にはもういないことにしているので。

* * *

25日がまた来て、滞在24カ月目に入りました。上にも書いたとおり、「来年の今頃はもういないだろうな」と思うことが多くなっています。いやまあ誰も帰っておいでと言ってくれてないのだけども。

* * *

などと時の流れに思いを致す時間もなく、中2日でまた出張。海から砂漠へ。ちゃんと着けるかなあ。

2023年08月20日

シカゴ(2)

【8月17日(木)】

もともと行こうかなリストには入っていたものの、ちょっとそろそろライト建築もお腹いっぱいかもと思い始めて迷っていたロビー邸。ファーンズワース邸で会った本職の方に「ロビー邸いいって聞きましたよ」と教えてもらい、やっぱり行くことにしました。

電車に乗ってダウンタウンから南の郊外へ。どんどんと黒い地域になります。バスあるかな~とスマホで調べていたら、おじさんに「電話貸してくれよ」と言われたけど速攻でNoって言いました。「盗らねえよ!」と言われましたが無視しました。非常識だろ、あほか。

歩いてるうちにシカゴ大学に着いた。まず医学部に行き当たり、さらに外縁を歩いていると社会科学研究部の建物が見えました。社会学でシカゴ学派ってあったよな!ゴフマンとか!あと知らないけど!と思ってとりあえず写真。
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しかし都市社会学は馴染みがないので、ウィキペディア見たら他の名前はほとんど分からず。ハマータウンてアメリカだっけ?と思ったらイギリスだった(この本は学生時代の読み残し)。あまり歩き回ることもなく次へ。

なんか立派な宗教施設あった。ロックフェラー・チャペルというようです。
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中に入ってもいいのかな?と寄り道のつもりで覗いたら、ちょうど11時半で鐘楼(上の写真の右側の塔)を見せてもらえるツアーが出るところだったので、参加してしまいました。他には家族連れが1組だけ。
中でっか~。1920年代の建築なのに中世風。歴史がないとモノマネになってしまう。
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鐘楼に上ります。らせん階段ぐるぐる。
これはでっかい鐘を覗いてるところ。右側は学生ボランティアのジュリアン君。建築科?って聞いたら数学科の2年生なんだって。頭良さそうやな。
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上のほうには演奏部屋があって、鐘を鳴らす鍵盤がありました。実際に鳴らさせてもらいました。空気圧で動かしてるよう。
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上からの眺めはこんなです。シカゴ学派の泰斗・ミルトン・フリードマンが奉職した経済学部の塔(入ったらノーベル賞授賞式の写真パネルが掲げてあった)の向こうに、ダウンタウンの高層ビル群。
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チャペルの壁には、戦争で亡くなった学生(スタッフも含むか?)を記念するプレートが貼ってありました。1941年が起点なのな。5年でこの人数というのは意外に少ない印象ですが、どうでしょうか。
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ということでロビー邸に行きましょう。

ロビー邸はすぐ隣。水平を強調するライトの「プレーリースタイル」の代表作。画面奥側から撮った写真が多いんですけど、弊管理人はこっちのほうが好きでした。真ん中のおばさんは見学ツアーのガイドさん。この人もシカゴ大の卒業生らしい。
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入口のドアを開けるともうすごく和風。
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なかなかどうしてステキ。
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ライト節が炸裂してます。
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出窓好きですね。
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しかしミースもライトもそうだけど、発注した人のストーリーを聞いてると、末永く使ってなくて、どんどん持ち主が変わっていくんですよね。建築家と訴訟になったとか、金がなくなったとか。バージニアにあるライトのポープ=レイヒー邸も持ち主は子どもが近くの池で溺れ死んだりしてるし。
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そういえばここでも、ファーンズワース邸で会った日本人の本職の方と出くわして同じツアーに参加しました。行くところは一緒だね!
今回はほとんどの行き先でツアーを予約していませんでしたが、平日だったせいか飛び入りで全然大丈夫でした。

シカゴ大学のキャンパスを通ってダウンタウン方面に行きましょう。
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きれいなキャンパスです。実は東大ほどの歴史もないんだけど。
大学を抜けるとそこはやはり黒い地域で、やはり何か一人で怒ってるおじさんとかを横目にてくてく歩いて、お客はほぼ黒人だけ(ただひとり弊管理人がアジア人、もう一人白人のおじさん)のマクドナルドで小腹を抑えてイリノイ工科大に行くことにしました。ミースが建築学部長やってたところですね。

電車を降りると黒人のおっさんがホームで立ちションをしていて、うわっと思ってよけたが靴にちょっと飛沫がついた。まあこの狂ってる感じも含めてアメリカだな。だめ社会。
ミースが設計したクラウンホール。
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こそっと入ったら何かのイベントの準備中だったらしく、警備のおねえさんに呼び止められたんだけど、「5分だけならいいよ」と言われてぐるっと回りました。優しいな。っていうかそういうミーハーな来訪客がいっぱいいるんでしょう。
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しかし本当にハコであります。柱がなくて、中を自由に区切って使う「ユニバーサルスペース」。プレハブのでかいやつというか、これのどこがすごいのかなと思ってしまいました。
これは地下の図書室。学生の卒業制作もいっぱい置いてありました。
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学生会館みたいなところに行くと、意外と学生がいっぱいいました。そういえば、いま新学期準備の真っ最中ですね。
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留学生の登録やってる部屋あり、売店では教科書を棚に揃える作業中でした。この辺は日本と一緒ですね。

シカゴピザ(Deep dishという高さがあってソースやらチーズやらがなみなみ入ったやつ)食べようと、お店を探して入ったのですが、スライス単位では売ってないと言われてビールとつまみ一品で出てきました。考えてみれば確かにその通りで、作り置きしたやつではおいしくないジャンルだよな。ちなみに出張したときに食べたという同僚はホールで食ったそうです。かなり大食いの人ですが「最後は肩で息をしていた」。そこまでする元気はありません。

帰りは地下鉄。なんか妙に空いてる車両があったので乗ってみたら、うんこを体に塗りつけた頭のおかしい黒人が座席に寝そべっていてむちゃくちゃ臭かったので、緊急時以外は開けてはいけないと書いてある車両のつなぎ目のドアを開けて、他の乗客たちと隣の車両に避難しました。まあこれもアメリカだなといって最早あまり驚かない弊管理人。

ホテルに戻って、お腹がすいてないので近所のスーパーで買ったデリで夕飯。
深夜に日本の会合にリモート参加したら寝落ちしてしまいました。

【8月18日(金)】

帰る日。
もうあまり頑張る気はないので、11時ギリギリにチェックアウトしてクルーズに参加しました。42ドル。1時間半で、川と湖からシカゴの街を眺めるというもの。
おおそれっぽい絵ね。
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1871年の大火事というのがあって、そこからが建築の街の歴史になるようです。
船上こんな感じです。後ろの席で白人のおっさんとおばさん4人連れがゲハゲハ笑ったりしながらむっちゃ騒いでいたら、前の席のZ世代みたいな女の子に「説明が聞こえない」とかいって怒られてました。下品な大人はどこにでもいる。

とうもろこしタワーはすごい間近で見えた。
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シカゴ・トリビューン(新聞社)もすっごい豪華。
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ちなみに橋の上から見るとクルーズの人たちはこんな感じ。たのしそうね。
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川沿いの遊歩道を歩いているとやはりある、ベトナム戦争の記念碑。68年くらいから泥沼になってる感じがする。
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昼飯がてら、また電車に乗ってダウンタウンの南にある中華街に行きました。これは高架の駅から撮ったところ。DCの中華街はてんでダメなので、久しぶりにちゃんとした中華街を見た気がする。
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適当に入った料理屋はわりと当たりでした。麺推しの店なんだけど、白身魚を揚げたやつと野菜の炒め物ごはん。8ドルしないんだよ。すごい安いと思う。
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満足。外は唾吐いてるおじさんとかがいて普通に中国っぽかった。
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ダウンタウンに戻りまして、ミレニアムパーク。もうどうでもいいかなっていう気持ちになっており、事実ふーんくらいだったので、軽く見て空港に向かうことにしました。
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シカゴは電車を使うと2.50ドルで空港まで行けます。便利だなー。高架で生活の中を走り抜けるので、あまりお金持ちでない人たちが住むビルも裏から見られたりして楽しい。
さっくり空港に着いてメシ食って帰りました。うん、なかなかよかった。夏休み第1弾おわり。

2023年08月19日

シカゴ(1)

夏休みはもともと8月下旬に12日間とる予定でしたが、仕事が二つ滑り込んできたため6日ずつ二つに分けました。
で、15日から最初のパート。どこへ行こうかなと考えていたものの、直前になると飛行機が若干高くなるのもあり、なんか面倒だなとか、でも家にいてもなと迷った挙げ句にシカゴに行くことにしました。あまり強い目的はなく、郊外にあるミース・ファン・デル・ローエの「ファーンズワース邸」が見られればいいかなくらい。でもシカゴはもともと建築が売りの都市でもあり、全面的に建築探訪になりました。
いろいろ回ったのをメモ。

【8月15日(火)】

朝ゆっくり目のアメリカン航空で出掛けたらちょっと早めに着きました。空港では「世界最大の空港で最低の賃金!」とプラカードを掲げた労働者のデモ中。
Lyftを使って、オークパークOak Parkという地区まで30ドル、30分。
フランク・ロイド・ライトの「ユニティ・テンプル」から始めます。
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地元にあったユニテリアン(プロテスタント系、三位一体否定、キリストの神性否定。わりとリベラルで女性聖職者、奴隷廃止など擁護)の教会の建物が1905年に焼失したあと、ライトに依頼がきて1908年に完成した建物だそうです。初期の作品の一つ。講堂はちょっと自由学園を思い出すかも。
外側はすごく堅牢なイメージ。要塞みたいでした。
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空港からオークパークまでの間、雨が降っていたのですけど、そのあと雲が取れてかんかん照りになりました。
でもたぶん20度ちょっとくらい。とても涼しい。
10分ほど歩きます。このあたり歴史のありそうないい家が多い。
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ライトの自宅・スタジオのツアーに滑り込み参加。こちら自宅。
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入ったところにある応接室かな。
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食堂。
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子ども(5人いて上から下まで13歳離れていたそうです。全員既に物故)用の遊び部屋。
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ピアノ。アップライトだった、たぶん。
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出窓と借景も特徴ですね。
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続いて隣接するスタジオへ。
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作業台などありますが、面積はそんなにないわりに高さ方向は2層になっていて上はドームなので、画面に収まりません。
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事務室。ヨドコウ迎賓館を思い出します。
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図書室を見ておしまい。
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ちょっとお腹がすいたので、近所で見つけたタイ料理屋さんに入ります。
ガパオあるじゃん!と思ったら結構な量だった。
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ちょっと残して包んでもらいました。捨てるの勿体なくてね。
車を借りにいきましょう。すっかり夏の日。でもやっぱり涼しいです。半袖シャツ1枚で歩いていて汗だくにならないくらい。歩きやすくていいな。
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Enterpriseっていうレンタカー屋まで30分。コンパクトカーを予約していたんだけど、着いてみたら「あ、コンパクトはないや。ピックアップトラックでいい?」と。極端すぎるわ。「もうちょっと小さいのがいい」といったらDodge Challengerというスポーツカーになりました。「やったな!スポーツカーだよ!いいな~」とヒスパニックっぽい店員さん。いや、それもちょっと手に余る。でもまあもういいや。面白いし借りてみようということで借りました。これ万一のことがあったら免責分だけでも結構な額になるのでは?と気付いたのでDamage Waiverという免責ゼロのオプションをつけました。30ドル。まあ安心料ね。
(写真はホテルに着いてからとったので夕方です)
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横幅が広くて最初、車体感覚が掴みにくかったです。(上の写真も、駐車スペースにめちゃくちゃ左寄りに停めてしまっている。広い駐車場なので面倒だしこのままにしたけど)
午後4時。まだちょっと時間があるので、どこかのガイドブックで見たバハイ教のお寺を見に行きましょう。と軽い気持ちで北に向かったら1時間くらいかかった。
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どこやねんここという。中にも入れますが撮影は禁止でした。巨大な礼拝堂です。後で調べたら発祥の地・イランで弾圧を受けている非イスラムの少数宗教でした。19世紀に始まった一神教とのこと。ミシガン湖を望むすごいきれいな立地ですが、物腰柔らかなスタッフと、案内係に子どもがいたりして、だいぶカルトな雰囲気でした、ごめんだけど。

そんで宿に向かいます。ヨークヴィルYorkvilleという南西に1時間半くらい走ったところの街までいきました。トウモロコシ畑とジャガイモ畑が無限に広がってる。で平ら。そうか中西部の大平原ですやね。

ホリデイ・インは前日に見たら100ドルくらい、それでもすごい安いんだけど、当日料金を見たら90ドルまで下がってました(弊管理人はBooking.comを使いすぎてステージが上がっているのでその値引きもある)。部屋は広くて快適。田舎はいいな。
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近くの居酒屋でハンバーガーとビールで夕飯。居酒屋は女性がすっごくよく働いてました。この辺の人たちは何が娯楽なんだろう。客は男性2人組とか4人組、あとは中年の夫婦。
最近珍しくよく歩きました。

【8月16日(水)】

ミースの日です。宿から車で15分くらいのところにあるエディス・ファーンズワース邸(1951)。
シカゴ大の腎臓内科医の独身おばさんが週末滞在用の家としてミースに発注したものです。ガイドさんによれば「金持ちだが、(昨今のテック企業社長みたいな)ものすごい金持ちというわけではない階層」とのこと。ミースは校長を務めていたバウハウスがナチによってお取りつぶしになったので、イリノイ工科大の建築学部長として移住してきていました。洪水を避けるために高床にしたが、設計~建築の費用がかさんでファーンズワースと訴訟になったらしい。しかも住んでるのに建築ファンとか学生とかが見に来たりして迷惑だったとか。お気の毒です。

結局、売却の広告を新聞に出したら、英国の不動産屋ピーター・パランボ卿の目に止まって1972年に持ち主が変わることになった。造園を熱心にやって野外彫刻もいろいろ置いたそう。現在はその大半がおととしの冬に行ったペンシルベニアのケンタック・ノブ(フランク・ロイド・ライト建築)にあるそうです。あれか!!

2003年からは歴史保存財団が取得してツアーをやっているそうです。
ツアーは1日3回、10時、12時、14時にやっていて、弊管理人は近くに泊まったので10時の回に参加しました。全体で10人弱かな?(最大25人だそうです)その中に日本人3人……おひとりは本職で、日本から夏休みでニューヨークに来て、ピッツバーグまで飛んでケンタック・ノブと落水荘を見て、そんでさらにシカゴに飛んできたそうです。すごいな。
で、これだ。うわあ。やっと見られた。
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居室の床は地上から1.5mくらい浮き上がっているそうです。
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上のデッキに立って下を見てみました。港の岸壁から海を見ているようです。反対側は木が繁っていて、背の低い草が海面のように同じ高さの平面を作っているので、なおさら海っぽい。そして浮遊感があります。
中はこう。
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居室部分がここ、右手は物入れで、その裏に台所や風呂・トイレがあります。背後にはステレオなどを収納した物入れ、その隣が就寝スペース。
台所が見える裏からのショットってあまりないと思います。これはこれで面白い。
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高層アパートの1フロアを切り取って、スケルトンにして提示しているよう。
日本人の方にシャッターお願いしつつちょっと喋ったら「本職かと思った」と。そういえば弊管理人、なんでこんなに建築を回っているのだろうかと根本的な疑問を抱いてしまった。

鏡面のオブジェで自撮りなどした。
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堪能しました。オークパークに戻りましょう。
なんなら空と畑だけですが、ドライブ自体もかなり気持ちよかったです。
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お腹が空いてきたのと、車を返すまでには時間的余裕があったので、途中でデニーズに寄りました。いろんなところで見るけど初デニーズ。
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サケのグリルで14ドルくらいです。安いと思う。でもおいしかったです。この辺はほんとに客も店員も黒人とヒスパニックの人ばかり。
オークパークで車を返して、今度は電車で市中心部に出ました。
おーダウンタウンだ。
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投宿したのはIvy Hotelというちょっとオサレなところ。1泊160ドルで2泊予定。想定してたよりずっと手頃(意地でも円換算はしない)。国際会議とかのイベントごとのない平日だからかな。夕飯はまたタイ料理にして、あとは2日分の朝飯をスーパーで買って帰って寝ました。つづく。

2023年08月13日

ジャフィとオッピー

いつまであったか覚えてないのですけど、たぶん小学生の頃(1980年代)まであったロッテのジャフィっていうビスケットが大好きでした。ビスケットにマーマレードを載せてチョコをかけたようなやつ。大好きだったのに販売されなくなってしまって、ときどき「また食べたいなー」と思っていました。
何の気なしに土曜にLidl(発音はたぶんリドル)というスーパーに行ってお菓子のコーナーを見ていたら、似たようなのがある!!
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買って食べたらほぼそのままでした。Lidlのマークが箱にあるので、オリジナルかな。車輪の再発明!(意味がちがう)おいしいものは一旦滅びてもいつか誰かがまた発明するのだ。
というか30数年ぶりじゃないだろうか。今度こそ途絶えさせないでほしい。危なそうだが。

* * *

映画「オッペンハイマー」を見てきました。アメリカで映画館行ったの初めて。
第一には聴覚障害の人のためなのだろうけど、おそらく英語ネイティブじゃない人にも向けて、字幕(Closed Caption)を見せてくれる機器が無料で貸し出されていました。ありがてえ。
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いくつかタイプがあるようで、これはカップホルダーに根本を挿して、視界の下の方にディスプレイを持ってくるもの。眼鏡型もあります。どこかから受信しているようで、タイミングまで含めて普通に字幕でした。すごく助かった。難しい話だし、これがなかったらほとんど理解できなかったと思う。
ちなみにアメリカの映画でも字幕がつく曜日・時間帯も設定されているようです。

当時の有名な物理学者や、前に公文書を漁ったときに出てきた軍人も出てきて、核兵器の最初の一歩がどうやって記されたか、そのときの雰囲気がどうだったかというのが感じ取れて大変面白かったです。そしてこれはかなり強烈な反核映画で、しかし核廃絶は無理というシニシズムも同時に漂わせている。アメリカで描けるギリギリを探っているようでいて、かなり手前に踏みとどまったのだと思う。

バーベンハイマーのしょうもない騒ぎで日本導入がどうなるかみたいな話も耳にしましたが、これは絶対に日本でやるべき。強烈な感情、あるいは議論を喚起することができれば映画は成功といっていいし、その意味でこの映画は成功するはず。3時間は長くなかった。

ところでアメリカの映画館は椅子が一人がけのソファみたいで座り心地がいいです。上映開始時間から30分くらいは宣伝をやっており、上映開始時間を過ぎてやっと人が座り始めるあたりがさすが、時間通りに始まらない国。そして一抱えほどのポップコーンを買ってきて食う。それを席に残したまま帰る。エンドロールを最後まで見る人が誰もいない。終わって明るくなると掃除の人が入る。

* * *

分割夏休みの一発目が火曜から、で、何するか決めてなかったんですが、さんざん迷った挙げ句にシカゴに行くことにしました。

* * *

年末年始の帰省の特典航空券をとりました。燃油サーチャージ、去年は11万円かかったのが今年は6万円(400ドルちょい)でした。うーん、まだましか。

* * *

先週の仕事は、何かと手間暇かけて作ったものがそれなりに受けたようでよかった。

2023年08月06日

郷里と宴と酒

重要なお客様的存在であるところの郷里の新聞社の子ども記者ご一行がDCに来て、夕飯に同席せよとの下命があったもので、シフト勤務を抜けてボスと一緒にジョージタウンに出向きました。

あまり予算がないか、おいしい店の情報がないかかなという感じの、いかにも観光地の海鮮レストランで、ご一行が「アメリカのご飯はまずいと聞いた」「イギリスのメシもまずいと聞いた」「アメリカ人は折り紙が折れないから鶴を折って持ってきた」などとおっしゃるので「うまい店は住んでる弊管理人が知っている。観光客には探せないだけ」「折り紙は教えれば折れるだろ、しらんけど」などと腰を折り、「ワシントンに来た動機を教えてください!」と聞かれたため「ないよ!」と答え、「STEMについて知りたいんです」と言われたので「教育については興味ない」と言い放つなど散々。

最後の挨拶はボス、もう一人の来賓、弊管理人の順番となり、前2人が長かったので弊管理人は「日本はもうだめだと思うので、英語と中国語を習得し、理系の博士号を取って脱出してください。頑張ってね!!」とエールを送りました。ずしっと重いお土産をもらいました。東京―DCっていま航空券が往復40万とかするんですけど、これでよかったのでしょうか。。

帰る途中に見かけたホームレス氏。
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CASH APP HOMELESSとIDらしきものが書いてある。ホームレスもキャッシュレス時代。さすがアメリカ。

職場に戻ってお土産を開けたら、軽井沢のホテルのドレッシングやらジャムやらの詰め合わせでした。そりゃ瓶は重いわ。マーマレードを置き引きしました。ごちそうさまです(夕飯ともども)。

* * *

DC滞在が4年を超えた同期と、2年の任期を終えた1期下の同僚が日本に帰るというので、職場で送別会が催されました。今回の幹事はよく遊ぶおとうさん。いいとこの子(たぶん)で口がきれいだが揚げ物大好きというアンビバレンツな彼はTakohachiといううちの近くの日本料理屋が好きで、そこの寿司をオーダーしたいというので偵察かねて前日にちょっとメシを食いに行きました。
おしゅし~
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日本人がやってるんですよ。本番用には100ドルのパーティーセットがあったのでそれにしたら、でっかい桶二つに握り50巻と巻物30切れ。映えて好評でした。よかったよかった。

* * *

土曜は一日仕事。昼過ぎに抜け出して、DCの東のほうのHarris Teeterに食料品を買い出しに行きました。
日曜はワイナリー探訪。Walsh Family Wineryというところに行ってみました。
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グラス1杯だけ、と思って頼んだらオヤジがどっぼどぼついでくれて結構酩酊。というか捕まったら飲酒運転で強制送還の気配だったので、近くのマクドナルドでおやつにチーズバーガーとナゲット食って酔いを覚ましました。そのあと初めてのウォルマートで買い物してる間に回復、帰りました。

* * *

夏休みは8/21-30のつもりが、その日程の中に出張が2つ入ってズッタズタなので休みを2分割してずらして取ることにしました。まあ何も用意してなかったからいいか。

管理人

40代に入ってしまいました。未婚、子なし、男、文系学士、30万都市出身。何かありましたらツイッターの@kagakuno_koにご連絡下さい。

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