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2007年01月 アーカイブ

2007年01月31日

◎港屋

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視力を消耗する仕事も一段落つき、会社のちょい上のほうの人に西新橋の蕎麦屋、「港屋」に連れて行ってもらいました。

肉もりそば(850円)。どんぶりにいっぱいのそば、その上に牛丼の具みたいな肉、ネギ。つけつゆにはラー油が入ってます。生卵サービスはお好みで。
普通盛りでもすごい盛り。コシのある麺がつゆとよく合っておいしい!でも後半は食事というよりスポーツになります……アゴが……

14時過ぎだというのに行列。店内はちょっと洒落た感じ、でも立ち食い。回転はいいのであまり待たされた感じがしないうちに食事にありつけます。でもその分自分もちょっとせかせか食っちゃう感じですね。
また行こう。

2007年01月25日

潜水士

先週受けた潜水士試験に合格しました。

仕事で海に潜るかもしれないので前もって取っておこうというわけですね。
どんな仕事かにかかわらず業務で海に潜る人は必ず潜水士の資格を持ってないといけないそうです。というわけでメモを。

■試験の概要
 こちらのページ
 年4回、試験は5択40問で、午前、午後に20問を2時間ずつかけて解く。
 10問ごと4つのセクションに分かれており、各セクション4割以上、合計で6割以上の得点で合格。合格率は7割ほど。難易度は車の免許試験よりちょいマニアック、くらいです。午前、午後とも開始から1時間は会場から出られないので、30~40分で解いて見直して1時間経ったら飯でも食いに出る(帰る)くらいの調子ですかね。

■対策に必要なもの
(1)厚生労働省安全衛生部労働衛生課『潜水士テキスト』2100円
 超わかりにくい。ので、ちゃんと読むのは一度で済ませたい。
(2)中央労働災害防止協会『潜水士試験問題集』1680円
 『テキスト』を読んでからだと非常に親切に思える解説つき。問題は80問。本試験はほとんど同じパターンで出るので全問解けるようにしておけば大丈夫。

いずれも最新版を手に入れること。
参考書も少ないながら市販されてますが、「手を動かさないと覚えない」が持論の自分としては参考書は不要と思います。

■勉強のしかた
 試験7日前~6日前:『テキスト』をメモをとりながら通読。
 5日前~4日前:『問題集』を一通り。解説はメモをとりながら通読。
 3日前:『テキスト』を通読(2回目)。問題集で解説されていない部分を書き出す。
 2日前:『問題集』の前回間違えた問題をもう一度解く。
 前日:『テキスト』『問題集』から抜き出して当日用のアンチョコを作る。
 当日:開始前10分くらいでアンチョコを見ておく。
これくらいやっとけば受かります。

ただ暗記するのではなく原理を理解するよう努めることが肝要と思います。そのために重要なのは問題集の解説部分をよく読むこと。

来週にでも労働局に行って免許申請してこようと思いますだ。

2007年01月24日

夢1/24

3本立てで1本目は忘れた。

(2)なぜか今の姿のままで、本家のある駒ケ根市の小学校に通うことになった。転校生としてあいさつをすることに。午前10時を指定されたがちょっと早く着いた。小学生の教室の隣に中学生の教室があったので、そちらでひとしきり世間話してから小学生の教室へ。普通にスピーチして終わったところでレム睡眠終了。

*当該の小学校と中学校は外観だけ知っているが、建物が隣り合っているだけで教室が隣り合っているわけではない。そもそもなんで30近いオッサンが小学校に児童として通うことになったのか?よくわからん。

(3)どうも韓国らしいんだが、プールみたいな巨大な露天温泉を温泉好きの友人から勧められて行ってみた。確かに巨大で、その友人もちょうど入っていた。脱衣所などなく財布は大丈夫かなあと思いながら脱いだ物をプールサイドみたいな縁に置いて入浴、というか遊泳開始。
いつしか本当のプールになっていて、小学校高学年くらいの知らない男の子と400m個人メドレーの勝負が始まっていた。バタフライやるところを間違えて平泳ぎやっちゃったり50m多く泳いだりして負けちゃうんだが、泳ぎ自体はすごくガシガシ泳げて気持ち良かった。泳ぎ終えたところでなぜか大学の友人のM氏が着物で登場。挨拶したところで終了。

*夢っていつも満足することって多くないんですが、今日の泳ぎは異常に上手だったので気持ち良かった。泳ぎたくなった(笑

2007年01月23日

ななめな話

死ねば楽になると心の底では思っているので、自殺はダメとか他人に諭すことはできないし、美的にちょっとなあと思うものは、それでも尊重しなければいけませんよと理性が命じてもやっぱりイヤなのでちょっと気を抜くと排除しちゃいそうになる。腹が減って金がなければ自分だって心が荒んでパンを盗むだろうな。

自分にあまり関係ないことに関して倫理的ななにごとかを言おうという気にならないとか社会(つまり不特定多数の人たちの世界)にあまり興味がないというのは、こんな感じで倫理的にあまり忠実でない(物質的環境や個人的な事情に制約されやすい)自分自身を知っているからなんじゃないかなと思っている。
ただ、誰かが自分の正義に従って他人を口汚く批判しているのを聞くと、一言その下品さにツッコミを入れてしまうことも多い。よくそれで自分の行動範囲が狭くなったりする。

それは今は知識かなにかの岩盤にふさがれて深いところに沈潜している自分の熱い部分がちょっとした拍子に露頭したともいえる。けれどもそれだとちょっとあっさり片付きすぎるのでもちっと持って回った言い方をすると、これはメタ倫理の水準でひとつの立場を選び取ってるんであって、ツッコミを入れることは感情に流されてエラーを起こしてしまったということではないのだ、きっと。

(気が向いたら追記)

2007年01月20日

鴻運飯店

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横浜は保土ケ谷の鴻運飯店に連れていってもらいました。
かつて東戸塚に住んでいた伯父のところに長野から遊びにいくと、ほぼ決まって一緒に行っていたお店です。就職してからは行ってないはずなので、少なくとも7年ぶり。
永田地区というところにあるようなんですが、今まで一度も自力で行ったことがないうえ今回も友人の車なので、いまだに正確な場所はわかりません。

店の前に車1台だけ停められるスペースがある(でも両側に障害物があり、さらに店の前はけっこう交通量のある道なので出るとき怖い)だけ、店のたたずまいは失礼ながらすっげえ昭和。
久しぶりに会ったおかみさんも失礼ながら少しふるぼけていたものの、全てが前々から古ぼけていたのでほとんど変化なし(!)。

さてオーダーはかに玉(写真)、チャーハン、酢豚、エビチリ。深遠とか華麗というのではなく、家庭料理!!という感じの味付けですが、近くに住んでいたらときどき思い出して食べたくなること請け合いです。

2007年01月13日

機上のひと

機会あって、知床の上空をヘリで飛びました。女満別空港から飛び立ち、流氷がちょこっと流れ着いている突端の近くへ。
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そして女満別に戻るなり、急用が入って南に向かい再出発。屈斜路湖をかすめ
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釧路まで。いい景色でございました。

吉兆

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釧路に出張したときに現地の同僚に連れて行ってもらったお店、「吉兆」。ふつーの居酒屋のたたずまいですが、何食べてもおいしい。
写真は仙鳳趾産のカキ。自分は生もの食えないので火を通してもらいましたが。
あと、このお店に行ったら餃子を頼んでみて下さい。

2007年01月11日

人権と国家

■スラヴォイ・ジジェク『人権と国家―世界の本質をめぐる考察』集英社新書、2006年。

帰省するときに新千歳空港で買った本。ジジェクへのインタビューと、間に挟まってるインタビューを行ったのは岡崎玲子さんというひと。1985年生まれ。若ぇ!そのうらやましい経歴はこちら。英語を喋ることもそうだし、こういうインタビューの敢行もそうだけど、クソ度胸(と、それを発揮していることに気付かないある種の麻痺もあればなおよい)が大事なんす。

世界を皮肉るのに使えるワンフレーズ集という感じ(褒めてます)。
列挙しようと思ったけど面倒なのでやめ。ざっくざく読めるので読みましょう。

2007年01月10日

メトネルのピアコン

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メトネルのピアノ協奏曲を収めたCD(BIS-CD-1258)、2か月ほど前に買ったんですけど、意外に引き込まれてヘビロー中です。

ライナーノートによれば、メトネルNikolai Karlovich MEDTNER(1880-1951)はロシアの作曲家。モスクワ音楽院を金メダルを得て卒業して以来、ピアニストとしての活躍を期待されていましたが、作曲への興味は捨てがたく、ピアノ曲を中心に60余の作品をのこしました。ちなみにスクリアビンやラフマニノフと同じ師匠についたそうです。

1915年には音楽院のピアノ教授になりましたが、革命後の1921年にドイツへ、そのあと米国、パリと移り、1935年にロンドンに落ち着きました。

インド・マイソール藩王国の最後の藩王(マハラジャ)だったジャヤ・チャマラヤ・ワディヤールJaya Chamaraja Wadiyar(1919-1974)の資金援助を受けて自作品の録音を開始。心臓疾患により全曲を録音することはできませんでしたが、楽譜には現れない作曲者のニュアンスを伝える貴重な資料です。こちらのサイトによると、ワディヤールは20代からヨーロッパへの外遊を行い、ロンドンでの人脈もあったようです。哲学や音楽に興味を持ち、著書もあるそう。1949年にはメトネル協会を立ち上げたほどだそうですから、よほど気に入っていたんでしょう。メトネルはピアノ協奏曲第3番「バラード」を彼に献呈。

ハーモニーはラフマニノフっぽくありながら、ポップ寄りのラフマニノフよりも微妙に古風なロマン派の匂いがする。でも時々思いがけないリズム感が飛び出したりして面白いです。ピアノが上手い作曲家の作品によくあることですが、どれもよく聴くとピアノソロがかなり難しそう。

2007年01月07日

帰省

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田舎に帰省。家族親族が次々と物故していった狂乱はもう4年前に。静かだけれど静かなりに時間の流れも感じる正月でした。
アルバムを開けばもういない人たちが笑っている。
けどもよく考えれば写真に収められた笑顔はどれも過去。成長/衰退、生存/死亡にかかわらず変化を続けるぼくら全てが写真に収められた人物ではもはやない。全ての写真が遺影だと気付かされる。
並んで写っている兄妹も今やそれぞれモンスターに変貌して大変です。

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