« 2022年12月 | メイン | 2023年02月 »

2023年01月 アーカイブ

2023年01月29日

1月下旬振り返り

月曜は某所で新年会的な集まり。日本人こんなにいたの?というくらい日本人がいっぱいいました。つまむものも出て、久しぶりに天むすや、鮭の西京焼きなどをいただきました。
230129emb.JPG
知り合い何人かに会いましたが、みな「知らない人ばかりだ……」と言いながら途方に暮れていましたとさ。

今週の平日は上記の月曜昼と、早出だった水曜の朝と昼以外、外食をしませんでした。
これはいつだっけ。いただきものの九州ラーメン。
230129ramen.JPG
おいしかった。

金曜午後も日本関係の新年会があり、お寿司や日本酒が振る舞われていましたが、なんか人が多いわりに新しい知り合いができるようでもなかったので、早々に退散しました。やっぱり誰かに引き合わせてもらうのが一番いい気がする。そもそもそんなに日本人と幅広く知り合いになる必要もあるんだろうかとか。

土曜はいい天気でしたが、起きるのが11時を過ぎたので、買い物のみの外出でした。
韓国スーパー、Hマートの、いつも行くところよりちょっと遠いが大きなフェアファックス店。
230129hmart.JPG
野菜、いろいろ種類があるんですけど、同じキャベツでも丸いグリーン(手前)と平べったいホワイト(奥)があって、アメリカ資本のスーパーにも置いてるグリーンはちょっと硬い。ホワイトが日本でおなじみのキャベツです。炒めるとしなっとなるやつ。ネギも韓国ネギと日本ネギがあったりします。しかしこういうアジアの野菜を作ってるところがちゃんとあるんですね。助かる。
帰ってきてジムで運動してから、かけそばとカレーで夕飯。ちょっと食べ過ぎたかも。
そのあとアメリカの確定申告の作業をしました。初めてだった去年はかなり面倒でしたが、今年は去年のデータが入力されたエクセルのシートを更新する作業だったのでかなり負担が軽減され、夜のうちにすっと終わりました。よいよい。

日曜はちょっとこのところ再訪したかったNorthside29へ行って朝飯。
230129north.JPG
あいかわらずパンケーキがでかい。コンビーフハッシュもいいね。
コーヒーおかわりしながら食べました。地元や近隣の人たちが多いと思われ、とても賑わっていました。
雨の予報どおりに降ってました。
帰り道はターゲットというデパートに寄って机の上の整理用品と、なまくらで辟易していた台所のはさみの新しいやつ、あとはメモ用紙とほうれん草を買ってさっさと帰宅。あとはいろいろ作業しながら過ごしました。

この週末はゆったり過ごせてよかったです。

* * *

週が明けると2月です。
まだ「今年やること」を考えつつ、少しずつアレンジなどしています。

* * *

◆中屋敷均『遺伝子とは何か?』講談社、2022年。

2023年01月22日

ジョバンニ

平日4日の週。身が入らなかったけど、とりあえずやろうと思っていたことはやった(できた、とは言わない)。あとは流れのままに。

Giovanni's Trattu。
230122giovanni.JPG
どうも天国は魚介にあるらしい。とりあえずアサリの酒蒸し、くらいの感覚で頼んだムール貝でまず昇天。ガーリックトーストをお出汁に浸けて食べたら前菜なのに涅槃が見えた。写真にある魚介の煮込みは前回に続いて頼んでしまったが、既視感よりも鮮烈な味の印象が勝った。つまり痛いパンチは毎回痛い(例えが悪い)。
六道でいうと次に当たる人間界(例えに一貫性がない)がポルチーニ系で、前回はリゾット、今回は写真のラビオリ。おいしくないわけないだろうキノコが。ちなみにカルボナーラは意外なことに箸休めみたいな力の抜け方だった。めたくそに酔った。何を思ったか家の前でインスタライブをした記憶の痕跡がある。

翌朝は鼻水と喀痰でえらいことになりつつ、しかし平熱で血中の酸素濃度も普通だったので単なる二日酔いと判定。前週から引きずっていた仕事に区切りをつけて肩の荷を降ろし、水曜と同じ同僚と、こんどはケネディセンターにコンサート聞きに行きました。そして帰って早めに寝た。

金曜までに体調は全回復、というか今年一番体調がよかったかもしれない。
昼は残り物の材料消化で、大根とえのきとわかめの味噌汁、なめたけ、回鍋肉もどき。
230122meshi.JPG
甜麺醤と豆板醤を2:1くらいで混ぜて炒めるとそれっぽい味になった、というくらい適当な料理ですがおいしかったです。

体調のよさに乗じて疫病の4回目接種(前3回のモデルナから変わって、今回はファイザー)をし、車で出勤して夜勤をやって同じ方向の同僚を送って帰宅。

土曜はものすごく怠惰に過ごした。1階のターゲット(イトーヨーカドーみたいな店)に行って食料品とゴミ袋を買ったのと、9階のジムで運動したくらいしか動かなかった。

日曜は断続的に雨。同僚と仕事先の人を車で拾って、フェアファックス郡にあるブルーオーシャンという日本料理屋まで行って昼飯。ここは弊管理人の前前任が通い詰めたお店だそうです。日本人がやってるだけあってすごく日本の味だった。
ついでに近くのTous les Joursというベーカリーを偵察。韓国資本らしい。
230122tous.JPG
あんパンとか、日本ぽい食パンやデニッシュ、ちゃんとしたケーキなどあり、やっぱり韓国わかってるやん、と思った。
同行の2人を送ったら、それぞれからお菓子をもらいました。帰ってちょっとうたた寝して運動してご飯食べて日曜終了。

* * *

・ちょっとだらけていますが、焦っても焦らなくてもまたしょうもない用事が入るでしょうから、今はとにかく手が空いているうちにずっと気にかかっていた雑用のたぐいをできるだけ処理しておこうと思います

・職場の主流の人たちに鬱憤がかなりたまっているらしいことを聞きました。しかし弊管理人は傍流なので、なるべくマグマからは距離をとって生きていきたいなと思うのみです(10年若かったら何か言ったと思うが、もうそういう世直し的な行動には関心がなくなった。聞かれたら言うけど)。別の傍流の人たちもそう言っていました

・4回目接種は結局、何の副反応もありませんでした。次は秋口だな

2023年01月16日

3連休

月曜がキング牧師記念日のため3連休でした。
どうしたかというと「3連休なにしようかな~」で終わりました。
日曜はダラダラしすぎて家から一歩も出なかったので、夕方から仕事を1本やって(←貧乏性)、アパートのジムに行って運動して寝ました。
日曜、月曜は11時を大きく回って起床。寝すぎ問題。しかし若干疲れてた気はする。

月曜、さすがにちょっと出掛けようと、以前もお茶を飲みにいった山のほうの街マーシャルへ。100km/hでぶっとばして45分くらいのドライブです。気分転換にちょうどいい時間ではある。
そこにもあるダイナー。15時くらいになってましたがちょいちょい地元民ぽい母子連れとかおじさんとか、若者グループ(固まって入ってくるのではなく1人が2人、3人とだんだん増える、いかにも地元っぽい人々)が来てなんか食ってました。しかしこの時間なのにおやつじゃなくて飯食ってるっぽい。ちなみに弊管理人以外全員白人。
230116diner.JPG
エッグベネディクトを頼んでみた。朝食メニューの定番ですが、こっち来て初めて。
230116irish.JPG
オランデーズソースを見慣れないのでどうしても脳がハインツのマスタードだと認識する。出来合いかなと思うけど一応オランデーズ。Yelp(食べログみたいなもの)のレビューを見たら「薄く広いメニューを提供する、小さな街にある典型的なダイナー」との評があった。他の街のダイナーは知らないがそうなんだろうなと思います。

いつものことだがむっちゃお腹にたまった。
マーシャルのメイン通りにあるパン屋Red Truckにお茶しにいきます。
230116marshall.JPG
閉店が近いせいかほとんどパンが残ってなかった。
バーボンケーキとアイスコーヒー。
230116redtruck.JPG
すごいバーボン味。でもうまい。

ちょっと一回りして帰りました。
アマゾンで注文してたコーヒーミルが家に届いてました。日本で使ってたのとほぼ同じ形のが11ドルくらいで売られていたので即ポチした。
帰省したときに持って帰ってきたドリッパーとフィルター、それとこのあいだホールフーズで買った豆があるので、これでやっとインスタントじゃないコーヒーが家で飲めます。
230116coffee.JPG
夜やると寝れなくなるのであすの朝ね。

* * *

母方の叔父がレビー小体型認知症でずっと介護が必要になっており、窮乏しているらしい叔母を援助するための匿名資金を伯母に渡したら、半分叔母に渡したものの、もう半分を弊管理人に返すというのでちゃんと渡すように頼みました。しかもいとこ(叔母の娘と息子)が叔母を助けないというので叔母に「育て方を間違えた」と指摘して泣かれたという。あの……うちの父と絶縁になったの、そういう気持ち先行で突っ走るところではなかったかしら。

しかし、いとこにしても叔母にしても伯母にしても父にしても(弊管理人自身も含め)、歳食うと何か言っても人は変わりません。とりあえず伯母には、叔母を責めるのはやめて高額療養費制度を適切に使っているかを検証するのを手伝ってあげてはどうかと言いました。そして、弊管理人からの援助だということを叔母に言いそうになっていたので「だめ」と念押し。甥っ子からお金出てるとか嫌でしょ。危うい。そしてこういうときに介入できない距離は不便。

2023年01月15日

20年

20年後の1月15日を、日本では15日ですらない場所で迎えるというのは予想してなかった。
結構具合の悪い母が今朝の夢に出てきました。文脈は覚えてません。前夜に伯母から20年だねというメールが来たためだと思われます。

軽く弊日記を辿ってみたところ、3年目はまだ記憶が新しそうでした。5年目、10年目、15年目はもう同じことで、意味を失った時間において無限のカウントアップをただ迎えては見送っているだけ。「急性期」は10年目ごろまでに越えたようです。弊管理人も環境もただ20年分古くなり、消耗しました。実家には10年前と同じ位置に写真があり、同じように仏壇に一口分のぼた餅などが供えてあります。そして、弊管理人とそのリーチが抱えている記憶は「外の世界」から完全に隔絶している。

起点となる日を持ったことの副産物として、成人後の20年という時間の感覚がだいたい掴めました。未婚男性の平均寿命まではこれをもう一回。やると思うとなかなか長いけど、やらないかもしれない。基本的にやることを想定しながらやらない可能性も意識する、くらいで行くんだと思います。年始の日記にも書いたけど、新たなスタートに倦むタイプ。

* * *

ところで14日の土曜は、よく会社の給湯室でOLトークをしている同僚のうち1人からお誘いをいただき、メリーランドのお家で夕飯をいただいてきました。
持っていったのはうちの近くにあるRandolfのケーキ。
230115cake.JPG
まともなケーキを探していて行き当たったお店で、今回初めて使ってみました。弊管理人が食べたのは右下の黒い塊。中はムース。若干重めとはいえ、砂糖がジャリジャリしてるようなやつと比べれば全然まともでした。1個6-7ドルなので高いこともない(円換算してもまあ今日び800円くらいのケーキはあるわな)。

奥様の手料理はタジンと、塩豚・白菜のスープ。うま……
1年ぶりに見た娘さん(小5)は、なんかおっきくなったなと思ったら背が12センチ伸びたそうです。英語の発音もすごいよくなってた。20数年にわたって5年生を担当しているベテランのいい先生に当たったとかで、勉強の環境も申し分ないそうです。おお素晴らしい、ライフステージに変化のある世界……

こちらの同僚は弊管理人より2カ月早く着任し、任期2年なので今年後半に帰国となりそう。娘さんは秋から中学に行きたかった(こちらは6年生=中学1年生)と残念そうですが、日本では帰国子女枠の中学受験が11月ごろだというので、それには間に合うもよう。お父さん(=同僚)がアメリカ国籍を持っているので、こちらに住んでいるうちに娘さんも取る手続きをするのだそうです。そんなことできるのね(というか本当は生まれたときにできるんだって)。そうするとこちらの大学に行く時にあほみたいに高い外国人の学費を払わなくて済むこともあり、また戻ってくるのでしょう。こうやって国際人は再生産されていく。

にしても2年だと短めだな。というか弊管理人が代わってあげたい。けど、同僚氏もわりともういいやっていう雰囲気なので、本人的にも娘さんの進路的にもちょうどいい時期なんだと思う。

* * *

14日は、同じ職場に弊管理人を含め3人いる同期のうち1人が帰国しました。

* * *

タイヤ修繕は先週後半に完了。フレームとタイヤの間のシール材が劣化して、微小な空気漏れが起きていたとのこと。たぶんこれで大丈夫だと思うと、また車で出掛けようという気が起きてきます。

* * *

時差ぼけは解消。

* * *

先週はやろうやろうと思っていたことが進まなかった。

2023年01月09日

宇宙、経済、政治

◆寺薗淳也『2025年、人類が再び月に降り立つ日』祥伝社、2022年。

タイトル見て、アルテミスの解説本かー、そんじゃおさらいだけ……と思って買ったら全然違った。夢で終わらない、宇宙開発の文脈を知るには最高だと思う。専門性と同時代性と読みやすさと分量、という新書の存在意義を全部詰め込んだような本でした。

以下は自分用メモ。

【アルテミス計画】

◆アルテミス計画
・アルテミス=ギリシャ神話「オリュンポス12神」の1柱、アポロンと双子
・L-39Bはアポロ時代から使われている
・オリオン:4人搭乗可能(アポロは3人)
・SLS:アルテミス1では1段(推進装置がコアステージのみ)。将来、火星以遠に探査機を送る際は2段式を使う計画
・アルテミスが遅れる要因:アポロは国家予算が無尽蔵につぎ込まれた/50年という時間的断絶(cf.ソ連、1970年代まで高い宇宙開発技術、1980年代の経済的混乱からソ連崩壊にかけて技術者流出、2000年代には入りたてと引退直前だけで中間がいない状態、ロケット技術の衰退につながった←NASAでも米宇宙政策の不安定さや民間の待遇のよさにより人材流出)

◆経緯
・アポロ以降、月には消極的
・1990s 月探査機クレメンタイン、ルナープロスペクターにより極域に水の可能性判明
・21c 子ブッシュが有人月探査コンステレーション打ち出し
   ロケットと宇宙船新開発する計画だったが予算と期間超過でオバマが中止
・2007 嫦娥1号 ~以降5回にわたり月着陸成功
・オバマは小惑星に人類を送るARM, Asteroid Redirect Mission
   月上空ステーション「深宇宙ゲートウェイ」建設、探査基地にする構想登場
   →計画に無理、進まずトランプが2017年中止
   *ゲートウェイはアルテミスに残ったが2022ごろの建設開始が遅れ中
・2017 アルテミス計画を承認する宇宙政策指令書にトランプが署名
   *共和党政権はこの30年ほど月に好意的。民主党は宇宙に不熱心
   *アルテミス打ち出し当初はアメリカファーストで米1国の計画
   *アルテミス3は2024年予定。トランプが2期目のレガシーにしようとした
   *嫦娥(2007-)を成功させる中国の有人探査に対抗も
・2019.5 トランプ来日時に安倍がアルテミス参加表明
   *トップが宇宙計画決定するのは日本では異例
 2019.10 日本政府方針として計画参加を正式決定
 2019.10.18 安倍ツイート「強い絆で結ばれた同盟国として参画」
   ~ゲートウェイで水循環装置など生命維持システム提供、
    物資輸送、有人与圧ローバー、アルテミスのため13年ぶりに飛行士募集
   *岸田の経済安保の柱の一つが宇宙開発。経済発展のためのアルテミスも
   *課題は費用負担のあり方=計数千億円?
    cf.JAXA当初予算は年1500億程度。2022年度はアルテミス関係予算400億
     宇宙関係予算は21年度以降増加、22年度は当初3900億+補正1300億
・2020.10 アルテミス合意(計画参加の遵守事項)に最初の8カ国が署名
   *対中ロ。欧州の署名は対ロの意味も

◆月探査機
・エクレウス:EML2=地球と月から受ける重力がバランスし、人工衛星などが少ないエネルギーで長期間留まることができる。将来、惑星探査機を打ち上げる拠点として好適。エクレウスはEML2の環境調査と制御技術の検証。EML2は軌道運動の感度がよい=わずかな制御で惑星間軌道、地球周回軌道、月周回軌道などへ移れるが、逆に制御を間違うとどこかへ行ってしまう
・オモテナシ:これまでも周回機「ひてん」「かぐや」を制御落下させていたが、壊れずに月面に届ければ日本初
・YAOKI:CLPS(NASAが民間の月輸送船=ULAのバルカン=を借りて月に物資を運ぶプログラム)。月着陸にはアストロボティックのペレグリンを使用
・HAKUTO-R:ミッション1はJAXAの変形二軸ローバー、UAEの4輪ローバーなどを搭載した着陸機。ミッション2(2024)はispace独自ローバー
・SLIM:小型月着陸実証機。ISASや大学研究者ら。従来は目標地点から誤差数キロでの着陸。SLIMは100m以内。搭載カメラの画像から自律判断で着陸。月「神酒の海」の中のSHIOLI(シオリ)クレーター近く。内部地層を調べる科学調査もミッション。2段階着陸方式=最初から転んで着地する。小型ローバーLEVも2台搭載

【世界の宇宙探査の歴史】

・1957.10.4 ソ連、人工衛星スプートニク1号を初めて地球周回軌道に
  ←冷戦下、米ソが核爆弾輸送のロケット開発とデモとしての宇宙開発に注力
・1958.1.31 米、人工衛星エクスプローラー1号打ち上げ
  →以降失敗続き、研究体制の再編
 1958.7 アイゼンハワーが国家航空宇宙決議署名、NASA設立
  米航空諮問委(NACA,1915-)の研究所や軍関係の研究組織を糾合、
  12月にはCaltechのJPLも指揮下に
・1958.8 米、月探査機パイオニア0号はロケット爆発で失敗
  (月通過成功は1959.3の3号)
・1959.1 ルナ1号が月を通過
   9月、ルナ2号が月面衝突成功
   10月、ルナ3号が月の裏側撮影成功
・1961.4.12 ソ連、ガガーリンがボストーク1号で地球軌道周回
・1961.5.5 米、シェパードがマーキュリー3号で米初の宇宙飛行
  ←有人宇宙探査マーキュリー計画の一環。続いてジェミニ計画へ
  *無人月探査も
   月面撮影、最後は探査機が月面突入するレインジャー計画
   月面軟着陸し表面の様子を観察するサーベイヤー計画
   月周回しながら表面の様子を調べるルナーオービター計画
 1961.5.25 ケネディが上下両院合同議会で演説「今後10年以内に人類を月着陸」
  →アポロ計画
・1966 ソ連、コロリョフ急死
 1969 N-1ロケット打ち上げ失敗、ソ連の有人月探査計画は頓挫
 (これらの情報はソ連崩壊まで隠蔽、米には状況がわからなかった)
・1967.1 アポロ1号事故
 1968.10 アポロ7号の有人飛行成功(地球周回)
 1968.12 アポロ8号の有人月周回飛行
 1969.7.20 アポロ11号イーグルで月面着陸、石22kgを初のサンプルリターン
 1971.7 アポロ15号で有人ローバー使用
・1970.9 ソ連、ルナ16号で月面着陸、土壌101gをリターン
 1970.11 ルナ17号で無人ローバー「ルノホート1号」で月面調査

・アポロは有人月探査が達成、ベトナム戦争もあり多額の費用に議論
 1970.4 アポロ13号で爆発事故、月周回で地球帰還→危険に対する議論も
 1970.8 20号までの予定だったアポロは17号で打ち切り決定
 1972.12 アポロ17号
 1975.7 アポロとソユーズが地球周回軌道上でドッキング←デタント

・アポロ後の米国の宇宙開発
 (1)1970s~ 再使用型往還機スペースシャトル計画
   *外部燃料タンクと固体ロケットブースターは使い捨て
 (2)月以遠、火星、木星、土星探査
  1972 パイオニア10号、木星接近撮影
  1975 バイキング1号、2号が相次ぎ火星着陸、生命の徴候なく火星は下火に
  1977 ボイジャー1号、2号
  1979 パイオニア11号、土星接近

・ソ連
 1970 ベネラ7号の金星表面軟着陸
 1975 ベネラ9号が金星表面撮影
 1986 宇宙ステーション・ミール打ち上げ
  1990 秋山さん滞在

・デタント崩壊以降
 1979 アフガン侵攻
 1981 スペースシャトル・コロンビア号打ち上げ成功=意外と高価だった
 1984 レーガン、宇宙ステーション・フリーダム計画=自由主義陣営の団結象徴
  レーガンはICBMを軍事衛星で打ち落とすスターウォーズ計画も立ち上げ
  →進まなかったが、衛星大量配備のための小型・軽量化技術が誕生
 1986 チャレンジャー事故、安全性への疑問と対策への巨費投入
  ~米宇宙開発の迷走

・1991 ソ連崩壊、米一人勝ちへ、Faster-Better-Cheaperの時代
 1993 クリントン、フリーダム計画にロシアを加える決断→ISS計画へ
 1994 月探査機クレメンタイン(SDIから出てきた部品を使用した軽量小型探査機)
  →月全球のデジタル撮影、地質・地形データ取得。極域の氷存在を示唆
  →アルテミスへ続くブームの号砲
 1996 マーズ・パスファインダー、バイキング1、2号以来21年ぶり火星着陸
 1998 月探査機ルナープロスペクター打ち上げ
  →月極域の永久影に約60億tの氷か

・2000年代
 1999 中国、建国50周年で神舟1号(無人)
 2000 ブルーオリジン設立
 2001 米、2001マーズ・オデッセイ
 2002 スペースX設立
 2003 神舟3号で有人宇宙飛行成功(ソ連、米に次ぎ3カ国目)
 2003 コロンビア号事故→重厚長大は時代遅れ論
 2003 ESAの月探査機スマート1
 2003 ESA、マーズ・エクスプレス
 2003 米、マーズ・エクスプロレーション・ローバー
 2004 ブッシュのVSE, Vision for Space Exploration
  →2010年シャトル退役、カプセル型宇宙船オリオン、大型ロケット・アレスへ
  →シャトル依存から計画は遅れ
 2005 米、マーズ・リコネサンス・オービター
 2007 米、フェニックス(火星)
 2007 日本、月探査機かぐや
 2007 中国、嫦娥1号(嫦娥は古代中国の神話に登場する月の女神)
 2008 インド、月探査機チャンドラヤーン1(チャンドラ=月、ヤーン=乗り物)

・2010年代
 2011 シャトル引退
 2011 ロシアの火星探査機フォボス・グルントに中国の蛍火1号も相乗り(失敗)
  ロシアは10年代に欧州接近
  仏領ギアナのソユーズ打ち上げ計画、エクソマーズはウクライナ侵攻で頓挫
 2014 インド、マンガルヤーンを火星周回軌道投入(アジア初の火星探査機)
 2019 チャンドラヤーン2、月周回機は投入、着陸機は失敗
 2023? インド独自の有人宇宙船開発
 2024~ 日印で月極域探査LUPEX
  *インドは初期にはロシアから技術導入、現在は独立か

【日本の宇宙開発】

◆特徴
・日本は軍事と結びついていない
 *2020 自衛隊に宇宙作戦隊新編。情報収集衛星(=偵察衛星)もあるが
・少ない予算で幅広く宇宙開発している
 *JAXAの予算はNASAのざっくり1/10
 *打ち上げ機会が少ないので機能詰め込みになり、月着陸はSLIMまで30年かかった
  ←→中国、インド、米小規模ミッションなどは3-4年で打ち上げ
・政府需要が多い

◆歴史
・WWII前から兵器としてのロケット開発は実施
 →敗戦、1952.4の講和条約発効後に航空技術開発ができるように

・固体燃料ロケットの流れ
 *燃料と酸化剤を一緒に固めた固体燃料(推進剤)の燃焼で飛行
  構造が簡単で低コスト。点火すると同じ強さで燃え続けるので推力調節が困難
  M-Vやイプシロンなどがこのタイプ
 1954.2 糸川が東大生産研に航空技術研究班
  →ペンシルロケット、ベビーロケット
 1958.9 K-6で高度50km、上層大気観測。1960にはK-8で200kmへ
 1960.2.11 L-4Sで初の人工衛星おおすみ(-2003)
 1985 M-3SIIで「さきがけ」「すいせい」でハレー艦隊に参加
 1997.2.12 M-V1号機打ち上げ、翌年の3号機で火星探査機「のぞみ」
 2002.2 M-V4号機のX線観測衛星打ち上げ失敗

・米からの技術導入による液体燃料ロケットの流れ
 *液体燃料と液体酸化剤が別のタンクで、燃焼室で混ぜて燃やす
  点火後に消したり再点火したりできるので推力の調整がしやすい
  構造が複雑で製作が難しい、コストも高い
  H-IIA、H3が液体ロケット
 1969.10 NASDA設立
 1975 N-Iで技術試験衛星「きく」打ち上げ
 1981 N-IIで「きく3号」打ち上げ
 1986 H-Iシリーズ打ち上げ開始
 1994 H-II1号機打ち上げ(←エンジン開発難航)=純国産大型液体ロケット実現
 1999 H-II8号機は気象衛星打ち上げで指令破壊、シリーズ打ち切り

・JAXAへ
 2003.10.1 宇宙研、NASDA、NAL(科技庁・航空宇宙技術研)統合でJAXA
 2003.11 H-IIA6号機指令破壊
 2009 きぼう完成
 2011-2020 こうのとり

・政策
 2008 制定。研究者主体から国主導の技術開発、産業化へ
  内閣府に宇宙開発戦略本部設置、担当大臣も
  法では国民生活向上のための宇宙開発、産業振興、国際協力や外交を明記
 宇宙基本計画を5年ごと策定、安全保障寄りに
 2015年版では宇宙安全保障の確保、宇宙協力を通じた日米同盟等の強化うたう
  *背景に1998テポドン・ショック→情報収集衛星
 2022.3 空自宇宙作戦群=デブリや他国の人工衛星監視

【民間主体へ】

・NASA、2006年からCOTS(Commercial Orbital Transportation Services)
 →スペースX選定。シャトルの失敗踏まえた事業。開発長期化と保守的設計の打破
 *冷戦終結で軍事の国家独占から民間による活用で経済効果へシフト
・Virgin GalacticのSpaceShipTwo
・衛星写真ビジネス:Maxar、PlanetLabs
・通信:スターリンク、プロジェクト・カイパー(ブルーオリジン)
・日本:ispace(月への物資輸送サービス)、インターステラテクノロジズ、大樹町、ヴァージン・オービットによる大分空港「宇宙港」化、アストロスケールの宇宙ごみ掃除、流れ星のエール、PDエアロスペース(名古屋)のPDEによる有人宇宙船、スペースウォーカーの宇宙旅行用宇宙船、スペースBD
・民間宇宙旅行

【宇宙資源】

◆使い方
 (1)現地で使用
  現在の想定はこちらが主。輸送コストが高いため
  月の水資源(クレメンタイン、ルナープロスペクター以降)=極域に氷として
   ・自転軸の傾きが小さいため、南北の極はほぼ横から太陽が当たる
    →クレーター縁のリムが遮って永久影を形成、-200度以下の低温に
     リムは逆に「永遠の昼」。そこで太陽光発電→氷溶かす。活動拠点にも
   ・存在の直接確認:NASAがVIPER計画(2024.11)、日印LUPEX(2024fy-)
   飲料、電気分解して酸素と水素にしてロケット燃料へ
   *H2Oではなくヒドロキシ基-OHの発見のことを指す場合も
    →結合した岩石を熱して取り出すことはできるが面倒
  月のレゴリス(セメント材料の灰長石、鉄など)

 (2)地球に持ち帰って使用
  レアメタル(プラチナ、パラジウム)は持ち帰ってもペイするかも
  地球上でのレアメタルの遍在、地政学リスクも背景
  地球はいったん溶けたため重い金属が中心に落ちているが、小惑星は表層に?
   ←はや2、リュウグウが資源的隕石に似ていることから可能性あり(cf.M型)
  オバマ政権のARMを背景にベンチャーも
   2010-2018 Planetary Resources, Inc. 小惑星観測、探査機送って採掘
   2013-2019 Deep Space Industries 同

◆誰のものか
 宇宙条約(1967)2条→宇宙は国家のものではない。民間については規定なし
 2015 米宇宙法改定→米企業が採掘した資源は企業に所有権と規定
    *公海(どこの国のものでもないが、魚は釣った人のもの)を援用
    ルクセンブルクも同様の規定。UAEも所有認める法制
 2021 日本・宇宙資源法。5条で日本企業が採掘した宇宙資源はその企業のもの
 →月は早い者勝ちでいいのか?使いまくっていいのか?は問題として残る

【これから】

・費用負担、合意形成のあり方
 ISSはこうのとり打ち上げなどで年400億円、累計1兆2000億(試算)
 リターンは? cf.河野行革のレビュー2015
 ロシア離脱したら?
・超大国のデモンストレーションから経済へ
 モルガン・スタンレー2020予測では2040年の宇宙産業は3倍、1兆ドルに
・軍事
 キラー衛星、弾道ミサイル発射を探知する早期警戒衛星
 2015宇宙基本計画「宇宙安全保障の確保」、防衛省の参画
 2022.7 JAXAの極超音速飛行想定スクラムジェット燃焼試験ロケットS-520-RD1
   ←防衛装備庁の委託研究が糸川宇宙研直系のロケットに
・宇宙ビジネスバブル?
 米2022.4-6でスタートアップ投資が前年同期比-22%
・独自の有人宇宙船
・宇宙利用=COPUOSでの議論。持続可能な利用、デブリ、資源探査・利用

2023年01月08日

旧年補遺とか

6日金曜にそろりと初出勤したらいきなり大きめの仕事に当たり、土曜朝になった東京とやりとりしているうちに「東京の担当者に家の用事があるので、東京で14時からのオンライン行事をそっちでカバーしてくれない?」と言われ「DC時間だと午前0時からなんですけど」と嫌オーラを出したら、当該案件に明るくない東京の出番の若者がやることになりました。いや弊管理人がやれば確実に話が早いんだけど、午前3時4時まで働きたくないじゃないですか。

実は東京側の相手は弊管理人のDC前任者で、在任時から「深夜に働かされるのは人権侵害」と主張していた人なので、それにありがたく乗っかった次第。そしてあっさり納得いただきました。

そんで土曜は出番だが出社拒否して在宅でやりました。
日本→アメリカの移動は時差ぼけがきついという印象ですが、今回は帰着日の帰宅が深夜になり、さらに片付けとかしていて疲労を上乗せした状態で未明に寝たせいか、夜寝て朝起きるサイクルにするっと入れています。ただ金曜、土曜とも20時ごろいったんすごい眠くなって、深夜にちょっと目が冴えかけつつもやっぱり寝る、いったん未明か早朝に目が覚めるけどまた寝る、ンコが朝飯後ではなく夕飯後に出る、という「体内時計が若干調整しきれていない感じ」が残ってます。

* * *

今年の身の振り方を考えながら、まずは自炊を再び軌道に乗せようと、日曜はアジアンスーパーを韓国→中国とはしご。
中国スーパーは旧暦の正月が近いとあって飾り(売り物?……と思ったが写真を見直したらやっぱり飾りか)がきらびやかでした。
230108eden.JPG
日本食の材料や調味料などはだいたい値段が3倍。アメリカは食品の持ち込みが厳しいと聞いていたので、今般日本から持ってくるのはお菓子メインで量も控えめにしたんですが、サンフランシスコの入管では「なんか申告するものある?」と聞かれただけだったので、もうちょっといろいろ買い込んできてもよかったかもしれない。まあお金出せば大抵のものはアメリカで買えるんですけどね。

あと、砥部焼のコーヒーカップを松本で見つけて、買おうかどうか迷っているうちに家族から「もう行くよー」と言われてやめたんですが、あれは買うべきだった。

* * *

そういえば、乗り継ぎにほぼ遅刻しつつダッシュして乗れたサンフランシスコで、CLEARというサービスが威力を発揮しました。
保安検査に並んでいる人たちの列をすっ飛ばして、いきなりX線検査の手前まで係員に連れていってもらえるものです。年200ドル近くして結構お高いのですが(ちなみにAMEXのプラチナカードだとこの費用が償還される)、去年、ものは試しで契約してみていました。

飛行機はそこそこ乗るのだけど、週末とか休暇シーズンにほとんど旅行をしないので、保安検査場にそこまで長大な列ができてるのに出くわすことはなく、まあちょっと時間短縮したかな、期限がきても継続するかどうかは微妙かも、くらいの印象でした。が、今回は帰省から戻るピークの時期に当たり、これがなかったら確実に乗り遅れてた。結局、預け入れ荷物が一つ後の便になったので乗り遅れても一緒だったんだけど、急ぐときには助かることもあることは分かりました。

それにしてもカネを払えばすいすい、払うのが嫌なら列に並べ、というのはいかにも当地なサービスです。大阪の某テーマパークもそうだとか聞いたけど。

* * *

まだちょっと日本の余韻を引きずってる。ファミマで買ったけど食べないままスーツケースに入れて持ってきたホワイトチョコがけの苺とか、セブンのレーズンサンドとかを消費しつくした頃には、だんだん記憶が薄れて元に戻っているかもしれない。

2023年01月06日

長野年越しと東京と所感

アメリカに戻ったので、大阪より後のことは圧縮して。

12/29-1/3は長野で年越し。
実家の朝飯。光り輝くお米。
230106jikka.JPG

30-31日は松本。
230106nawate.JPG
浅間温泉「菊之湯」に宿をとって父、妹と一泊しました。
230106kiku1.JPG
浅間温泉自体は特に見るところもないのだけど、他人が作った夕飯を食べて、風呂に入って寝るだけだっていいじゃない。古民家を生かした建物、民芸の宿、みたいなところで、食器もいい趣味だったと思います。
230106kiku2.JPG
22時に男女の風呂が入れ替えになるので、そうしたらもう一風呂と思っていたのに、21時前に寝てしまいました。朝飯も素敵。
230106kiku3.JPG
31日はチェックアウトしてからなぜか北に向かい、小布施と善光寺に行きました。
230106obuse.JPG
南部にある両親の実家や今の父の家には住んだことがないので、3歳から高校を出るまで住んでいた長野市のほうが懐かしさはあるんですよね。
230106zenkoji.JPG
日が傾いてから長野市を出発し、駒ケ根の回転寿司屋で夕飯食べて、実家に戻って紅白見て寝ました。

元日は母方の祖母宅へ。今回は右ハンドルの運転に父が懸念を示したため電車でGO。いや運動にもなるしそのほうがいいです。
230106iidasen.JPG
閑散とした駅前から生体反応のない飲み屋街という、普段通らない道を歩いてみました。
230106koma.JPG
昼ご飯は伯母のごちそう。今年も健在でよかった。
230106oba.JPG
耳が遠くなり補聴器を買ったとのこと。ずっとガラケーユーザーで「スマホの話などしないでおくれ」と拒んでいたのに、とうとうiPhoneに乗り換えて親戚や友達とLINEしてた。もう何十年も前に建てたきり、最近はほとんど住んでいなかった家を二束三文で売ったらしい。うーむ。でもまあ手元にお金は残ったようだし、本人がいいならいいか。
日本を発つときに最後かなあと思った祖母は、車いすから立てなくなっていましたが、102歳を迎えてもご飯をもりもり食べていました。

2日は父に車に乗せてもらって父方の祖母宅へ。
230106ikuta.JPG
こちらも96歳だって。祖父が作っていた梅や栗の木が「近在の人たちがボランティアで来た」とかでばっさり伐られていて、父が「まだ実がなってたのに。ボランティアというが炭焼きがしたかっただけだろう」と呆れたり怒ったりしていました。でもまあ祖母も手入れができるわけでなし、こちらも本人がいいならいいか。祖母は元気でした。跡取りの三男(父の弟。長男は独身、次男の父は婿養子なので三男が継いでいる)はちょっと離れた町に住んでいるが正月になっても来ないので、縁側でぼーっとしているのだそうです。ううむ。
夜はいつものソースカツ丼を食べにいきました。
230106eat.JPG

3日は高速バスで東京に移動。Uターンはピークのはずでしたが、小仏トンネルも含めて全く渋滞が起きておらず、予定通りに新宿に着きました。
大阪時代に知り合った看護師の若者が、保健師の資格を取りたくて関東某公立大の3年次編入試験を受けたら受かったというので、リクエストのあった焼肉でお祝い。ゴールデン街の近くにある「モンシリ」です。
230106monshiri.JPG
かなり久しぶりだけど、とてもおいしかった。若者は看護師ですが、ずっと現場は体力的にきつかな、というので保健師とって公務員を狙うそうです。そういうもんかあ。春から2年間の大学生活で、終わって資格を取ると34歳。そろそろ就職はぎりぎりの年代とのこと。「お勉強頑張ってね」といって別れました。

4日も早起きは続いており、朝8:30からバルト9で「すずめの戸締まり」を見てしまいました。何の予備知識もなく、そういや新作が公開になったとかどっかで見たなというだけで行きましたが、これは見てよかった。
それから紀伊国屋書店で本を物色。知らないうちに改装されてましたが、棚の配列に余裕ができた代わりに品揃えが悪くなったような。20冊くらい買って帰るぞと意気込んだものの、4フロア見て結局買ったのは5,6冊。あとはタイトルだけチェックしてキンドル。
夜は飲み友2人が来てくれて、ねぎしで夕飯。それから旧知の飲み屋さんに行きました。チェックしないで行ったら毒気の強い店主が店番の日で、若干もやもやとしながら辞去。街は三が日の営業が一服して閉じている店が多く、他に挨拶したかった人たちには会えないまま。3日と4日の予定を入れ替えたらよかったかな。でも開いてるお店を見つけてまたちょっと飲んで喋って帰ることができました。「アメリカナイズされてなくて見た目も振る舞いも全く変わってない」とのご指摘を複数いただきました。

5日は思い出横丁の岐阜屋でチャーハンを食べ、2020年の初めまで住んでいたあたりを散歩して帰路に就きました。

羽田→サンフランシスコが9時間、そこでの入国審査がめっちゃもたもたしており、通過して荷物を取ってもっかい預けて保安検査通ってダッシュ。11:00発の飛行機の搭乗橋に通じる通路が11:01ごろ着いたら当然閉まっていて、あー変更手続きかーと絶望していたら地上スタッフのおねーさんが仕事を終えて出てきたのに鉢合わせ、お互いキャーって言って乗ることができました。
しかし預けの荷物は間に合わず、2時間後の次の便に乗ったようなのでDCの空港に着いてからターンテーブルの前のいすで待機。使ったユナイテッド航空にぶつくさ言いがてら手続きの問い合わせをしたら15ドルの食事券をくれましたとさ。

いや、12日間で3地点回ったのも手伝って日本を満喫した。トーストやスパイスカレー、チャーハンとかネクターとか、完全に頭の外にあった食べ物を口にした瞬間に、味の記憶がじわーっとしみ出してくる経験を何度もしました。そして日本はやっぱりいい、と思った。

あと、これは前々からそうではあるんですが、「もうすぐゴール」感のある年末が終わって、また目の前に茫漠とした1年が現れる新年の「また頑張んなきゃいけないの……だる……」という感覚がいつもより強かったです。

では2021年5月に異動の打診を断って引き続き大阪支社の高齢者を心底軽蔑しながらしのぎ、22年前半に既定路線で東京の出身部に戻っていたらよかったかというと、それでもやっぱり茫漠とした生活を前にして「だる……」ってなっていたでしょう。今回のディスカバー日本がよかったのは1年3カ月分を10余日に圧縮した密度の高さによるものであり、さらに住所のない故国は「なつい」とは思ってもホームではなく、本質的に安定とホームを志向しているはずの弊管理人なのに、年々動けば動くほどそういうものから遠ざかっているのは一体どういうことなのだろうと思いました。

あとは雑感。
・日本は想像していたほど行き詰まった雰囲気ではなく、
・大阪や東京では若い人が働いていて感じがよく、
・テレビは同じ人たちが年だけ取って出続けており、
・俳優さんもアイドルの人たちも男はあらかた貧相で、
・おねーちゃんたちは引き続き他人恐怖症(雑踏の中にあって自分以外に人間がいるということを必死に否認しようとしている)かのような歩き方をしており、
・交通システムも行政手続きも相変わらず予測可能性が確保されており(つまりアメリカとは逆にサービスが没個人化しており)、
・弊管理人が唯一アメリカナイズされたのは道路を横切るときに左側を見てしまうことくらいであることに気づき、
・キャッシュレス化がずいぶん進んでおり、
・一部ハイブリッド化した軽自動車が移動手段としての優秀性を強めており、
・外でマスクをしていながら飲食店では外して会食をするという意味のないポリシーが高度に維持されており、
・朝の動き出しが遅く
・都会はよく歩くことが確認された

About 2023年01月

2023年01月にブログ「すべりどめblog」に投稿されたすべてのエントリーです。新しいものから過去のものへ順番に並んでいます。

前のアーカイブは2022年12月です。

次のアーカイブは2023年02月です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.35