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2023年09月03日

地の塩

ユタ州に出張。仕事の内容は土壇場でメインディッシュが消えるというちょっと微妙なものになってしまいました。しかし携帯の電波も入らないくらいの砂漠、しかも米軍の用地という外国人にはハードルの高いところに招聘元が頑張って手続きして入れてくれるというので、わりと前向きな気分で行くことにしました。分割夏休みのパート2もちょっと繋げてね。

【8/29(火)】

朝起きると、長年レビー小体型認知症を患っていた母方の叔父が前日に亡くなったという報せが父から入っており、もやーっとした気分になったものの、とにかく出掛けました。

DCからユタ州のソルトレークシティーに飛びます。
先日のフロリダも2時間半ほどの航路を行くのにダイバートして10時間かかりやがっており、とにかくアメリカの国内線は信頼できないので、今回は
・デルタ航空が飛ばしている唯一の直行便は時間が遅く、何かあった際に回復不能になるため、あえて午前中(10時)発の経由便を選ぶ
・南東部にハリケーンが迫っていたので、経由地はアトランタなど南部の都市を避ける
・デルタ航空のハブで、ソルトレークシティーにも複数の便が飛んでいるミネアポリスで乗り継ぐ
という慎重な経路選びをしました。ミネアポリスで持参したおかかのおにぎり弁当(というか残り物)を食べてまた乗って定時よりちょっと早いくらいで到着。

ソルトレークシティー空港の到着ロビーに出るとこんな人いた。ネタなのか、どうなのか。
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今回のレンタカーは韓国のKIAのセダンでした。2020年モデルにしては古めかしかったです。特に面白い車ではなかったので写真はなし。

ちょっと時間あるし、ソルトレーク見に行くか。
州立公園は空港から20分くらい?わりとすぐです。入場料5ドル。やす。
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海っぽい匂いがした。ビジターセンターの説明書きによると、5億年~2億5千万年前は海の底だったそう。その後、地球内部の熱によって地殻が波打ち、氷期に雨量が増えたことで低地が湖になり、それが繋がって2万5千年前にはボンネビル湖という巨大な湖になった。現在のユタの大半と、アイダホ、ネバダの一部に及び、面積は5万平方キロ、深さは300メートルだったとのこと。湖の存在はこの地方の大雪も引き起こしているそうです。
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振り返ったところ。うーん西部の風景。
でもまあ「見た」くらい。空港近くのホテルに投宿して、中華のテイクアウト食って寝ました。

【8/30(水)】

お仕事の日です。タイムゾーンは山岳部時間で、DCより2時間遅れなので朝6時起きでも早起きな感じがしません。よく寝られました。
朝飯食って、街を出て州間高速80号線(I-80)を西へ。途中で南に向かう道に入ってずっとこんな。
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目的地はダグウェイという街です。街というか、米軍の駐屯地。国内で最も人里離れた施設だそうです。写真を撮れる機会は極めて限られていましたが、これはOKと言われたので。
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今回はアメリカの政府機関主催の行事なんですけど、生物・化学兵器の研究をしているところで、これまで外国籍の民間人を入れたことがほとんどなかったらしく、弊管理人の立ち入り許可にはいろんな人が骨を折ってくれたようです。弊管理人が撮った写真の検閲がありましたが、いいよいいよ、見てくれたほうがむしろ安心だよくらいのつもりで検閲してもらいました。ただ、アイダホの山火事の煙が流れてきていて(今年そんなの多いな)視界がぼやけがちだった。「晴れていれば果てしなく砂漠が見えたんだけどね」と主催側の人も残念そうでした。
なんだかんだでアレンジしてくれるの、ありがたい。

この日集まったご一行の中で唯一の外国人だった弊管理人ですが、このところアメリカ人とばかり遊んでいたせいか、日本にいるくらいの感覚で遠慮なくべらべらヘタクソな英語を喋りまくり、交流しまくり、いろいろ頼み事をしまくり、好き放題やりました。一緒になった、ユタ州立大学で宇宙関係の研究広報をやってるおじさんは元軍人、ほかにも地元テレビの人などが結構いましたが、みんなフレンドリーでした。「ユタ初めて?印象どう?」と結構聞かれたかも。きれいでいいとこだと思う!と答えておきましたが、なんとなく彼らの間には「いうてもま~田舎だけどね」という自虐がちょっとあったように思います。
構内の売店にも寄らせてもらっちゃった。
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マグカップね。AREA 52(ネバダにある核兵器などやってる別の試験場)を推しているのだろうか。ていうか、ふざけられるハードルがだいぶ低いのはいいですね。1個買ってしまった。
17時に仕事終了。

で、もときた道を戻って、途中で東に向かうとソルトレークシティーですが、西に行くことにしました。
日もだいぶ傾いてきましたが、I-80沿いに「ボンネビル・ソルト・フラッツ」というスポットと休憩所があるので寄りました。昔あったボンネビル湖が干上がって、残った塩が地面を覆っているところです。
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おーこれはすごい。
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下はこんな感じです。
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意外とべちゃべちゃしていて、歩いていると靴の裏にどんどんくっつきます。
I-80の北側の眺望がよいので、西行きの路線沿いにある休憩所に止まるのが必須です。西行き、東行きの車線が分離されていて、東行きの車線に入ってしまうとだいぶ走らないと戻ってこられないようで、時間は遅かったけど止まってよかったです。

そこからすぐの、ユタ―ネバダ州境の街ウェンドーバーWendoverのコンフォートインに泊まりました。90ドルしないの。それでも街で2番目くらいに高い宿。コンフォートインがコンフォータブルだったことはないのですが、ここもまあ値段なりでした。
仕事を一気に仕上げて、東京とやりとりして寝ました。

【8/31(木)】

宿の朝。前日よりは空気が澄んでいる。
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いい宿に見えますが、まあ部屋はいわゆるモーテルです。寝るだけ。冷蔵庫に前の客のピザが残ってた時点で弊管理人のテンションはかなり下がりました。
でもまあ、一応朝飯も出るし、食堂のテレビでは地元の番組で「ワニの燻製を作ってみよう!」みたいな企画をやってて西部ワイルド感が出ててよかった。アメリカの宿の朝飯は、だいたいパンやワッフル(タネを流すと焼いてくれる機械があって熱々を食べられる)、ヨーグルト、コーヒーやジュース、シリアル、付くところはスクランブルエッグとソーセージかベーコン、というラインナップで、それは数十ドルのところでも200ドルのところでも変わらないので、朝飯あるだけいいや、という期待値です。

地図を見ていてたまたま見つけたHistoric Wendover Airfieldに行きました。車で数分と近い。
旧・米陸軍航空隊の基地のようです。今でも飛行場として使われているようで、小型ジェットが着いたりしていました。
写っているのは第二次大戦当時の管制塔、両脇は博物館です。全部で8ドル。
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管制塔、登っていいんですけど、足元がグレーチングで下が丸見えなのと、手すりが腰くらいの高さしかなくてむちゃくちゃ怖かったです。
ウェンドーバーの街の方を見渡す。
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こっちは飛行場。
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実はエノラ・ゲイが広島に落とすリトル・ボーイを積んでテニアンに向け出発したのがこの飛行場だそうです。全然知りませんでした。ほんとにたまたま見つけた。近代戦争の幕開けを受けて1939年に爆撃・射撃試験場として構想され、1941年の真珠湾攻撃で「外国勢力による攻撃」の可能性に目覚めて爆撃部隊の訓練が盛んに行われたようです。都市から離れた都市ということで、そういう活動がしやすかったらしい。
オリエンテーションのビデオが見られる部屋のすみっこにある、日本にまいたチラシ爆弾Bomb Leaflet。
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「私たちの目的は日本の民間人を殺すことではなく、軍部の能力をそぐことです。このチラシは無用な殺戮を避けるためです。見たら逃げてね。……って言ったけど日本政府はこのチラシを民間人が保有することを禁じました~残念!」みたいな説明書き。で、手続きは踏んだので心置きなく空襲するわけですね。

リトル・ボーイのレプリカがあるなど……
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これは冬のオペレーションに関する展示。リメンバー・パールハーバーに引っかけてPURL HARDER(編み物を頑張れ!)。冬は寒いのだな。そういえば前の日に通ってきた塩の大地は標高1400メートルって書いてあった。
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エノラ・ゲイの格納庫は直してる最中で、中は見られませんでした。
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確かに秘密の作戦をやるところは遠隔地が向いてますね。しかし遠隔地すぎて、歴史的建造物になってしまうと維持は大変そうです。盛んに支援を募っていました。いつできるのかな。
「長く苦しい戦争を終わらせるため」という原爆投下の物語は相変わらず説明に出てくるけど、特に高らかに称揚している感じでもありませんでした。落とされた側の様子は当然のように展示されない。でも広島のペアとしてこういうのは見ておくべきだなと思いました。ダグラス・マッカーサーの名前は、アメリカに来てここで初めて聞いた。「ウェンドーバーで訓練された砲手サイコー」と褒めてくれたとかなんとか。
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この荒涼とした街にあって、目標となる極東の都市を想像するのは極端に難しかろう。でもめちゃくちゃ縁のある土地なんだよね。
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意外と見入ってしまった。これ、仕事にできるかもしれない。
東に戻りますか。

途中で寄りたかったのが、ボンネビル・スピードウェイです。塩湖の跡地で、スピードレースが開催されるところ。I-80を降りて、一応舗装された道を数マイル走ると、どん詰まりに駐車場があります。地図で分かりにくいので、所在地40°45'45.3"N 113°53'46.3"Wにピンを落として向かいました。
ここだ。
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照り返しでめちゃくちゃまぶしかった。
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I-80に再び乗る手前のガソリンスタンドにはインド料理屋が併設されており、ターバン巻いたお客さんたちが出入りしていました。
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絶対うまいだろと思ってチキンカレー(12ドルと良心価格)を注文。持ち帰りの人が多そうでしたが、車で食べるのも嫌なので「ここで食べてっていい?」って聞いたら快くOKでした。フォークとお皿と、あとペットボトルの水までくれた。そして予想通りうまかった。
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さあて戻るぞ。
ドライブはずっとこんな。小学生のころ、MSXでやったドライブのゲームを思い出します。途中100個くらいインターチェンジがありますが、そこを降りて何があるの?というくらい何もないインターばかりだった。
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中間くらいの集落にあるガソリンスタンド併設のコンビニにソフトクリームがあったので買いました。2ドル。なんかこういう、ちょっとした買い食いとかトイレ休憩とかを特に考えずに挟んで旅ができるようになると、馴染んだなって感じがします。(しかしトラブルを解決する能力はなさそうだし絶対嫌なのでアグレッシブな運転はしない)

ちょうどいい時間に空港に戻って車を返しました。
市内に出るのには路面電車が使えて2.50ドル。やす~。たすかる。
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アレな人がいるのは中心部の駅にちょっとだけ、で全体的にはきれいで使い勝手がよさそうでした。
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街もなんか妙にきれいでした。
たぶん一番のスポットであるモルモン教の協会地区はめっちゃ直してました。
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宿はスイートがなぜか120ドルくらいで取れて、快適だったのでもう観光はいいかなって思いました。宿のジムでちょっと運動して、シャワー浴びて、Arloという近くのレストランでごはん。
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こじゃれたレストランのカウンター席に収まりました。味は、うん、まあ、おいしい。くらい。

腹ごなしの散歩で州議事堂だけ。
やはりこういう建物になってしまう。
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1847-1869年にかけて、主にモルモン教の人たちがミズーリ→イリノイと迫害されつつ移住してきてできた街。議事堂前の公園には、この世代最後のおばあちゃんが1968年に亡くなったときの碑が建っていたり、指導者ブリガム・ヤングが土地を見渡した山はこの先です、みたいな碑があったりました。
歩いてるとワイシャツにネクタイ(時に名札)のよく自転車に乗って聖書配ってる感じの人たちがいっぱいいてすれ違いざまに挨拶してくるの、ああここが輸出元なんだなと感慨深かったです。中国・杭州の近くの街で全世界のおみやげ(ペナントとか置物とか)を卸してる会社を見たときのような……

で、翌日は特に観光もせず、ゆるっとデトロイト経由で帰ってきました。やっぱり遅れたけどな。乗り継ぎ地で2時間くらいのバッファをとってあったので焦らずに済みました。疲れたけどいろいろ見られてよかった。夏休みパート2へシームレスに移行。

2023年08月26日

フロリダ4回目

フロリダ出張、4回目です。今までは一人でしたが、今回は東京からの出張者がメインで仕事をするので、弊管理人は補佐的な位置付け(と勝手に決めた)。

【8/23(水)】

DCからだと飛行機で2時間20分なのですぐだね、と思って朝のアメリカン便で出発し、昼前には出張してきている同僚と合流するはずでした。
が、なんか外見たら随分低いとこ飛んでる……。そのうち、行程としては4割くらいのところにあるノースカロライナ州ダラムに着陸しました。右エンジンの不調を知らせる警告が出たとのこと。機械がおかしいのではなく誤表示だったようです。しかし書類仕事が滞ったようで、結局、機内で3時間待機したところで降ろされました。たぶんそういう規則のはず。いつもながら出張の移動は一筋縄でいかない。

比較的小規模な空港で待つか、別の経路に変えてもらうか。
ゲートのカウンターで他の可能性を聞いたところ、既に搭乗が始まっている便に飛び乗ればダラム→シャーロット→オーランドと乗り継いで到着することはできるとのこと。それくれ!といって発券してもらって飛び乗りました。シャーロットは陸路で2時間くらいの超短距離便。よくそんなのあったな。結局、朝8時過ぎにDCを出て、オーランドに着いたのは夕方6時でした。でも着いただけいっか~と思うあたり、アメリカナイズされたなと思います。

とはいえ、予定は狂ったし、航空会社のせいだし、着いたんだからいいでしょ、という態度は放置できません。「おたくのせいでビジネスの予定が狂った。なんか補償しろ」とクレームを送ってみたところ、翌日6000マイルが加算されました。マイルか~と思っていたところ、その何時間か後に「当該便の搭乗者の皆さんに多大な迷惑がかかったとの声をいくつもいただいている」とかで、さらに7500マイルが入りました。いち早くクレームしたことで二重に補償をもらうことになりました。やはり何か言っていくことと、行動は迅速にすることが大切だな。もともと貯めるでもなく貯まっていたマイルと足すとちょっと旅行できるくらいになりました。まあ許すか。

で、同僚と合流して、レンタカーで東へ。
レンタカーは同僚が手配したんですが、あてがわれたのがこれ。またでかいのが来たな。
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日本では売られていないGMCのTERRAIN、2023年式ということでかなり新しいですね。新車の匂いがしました。燃費は悪く、わりとアメリカでの運転に慣れてきた弊管理人でも縁石こすらないか心配するくらい低いところの視認性が悪いけど、パワーはある。同僚はすっごいおっかなびっくりで運転していたので、行程の大半は弊管理人がドライバーをやりました。

同じ仕事で来ていた他社の知り合いとも合流して、ココアビーチのピタ・パラダイスという地中海料理のお店へ。
ラムのカバブね。
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当然のようにおいしかったです。昼飯を逃したのでこれで回復した。寝ます。

【8/24(木)】

意外と早起き。そして元気になっていた。
浜に近いホテルに滞在してます。朝飯食べてちょっと散歩。
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日の出は6時半くらい。夏の終わりを感じさせるが気温は高く、湿度も結構ある。7月のフロリダは地上も海もすっごい暑かったんだっけな。
大西洋に足だけ浸けて、海に入ったことにした。
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面倒といえば面倒だし、必須でもないんだけど、体力回復したので一応いっとくか~?くらいで参加した昼間の仕事は、なかなかどうして行った甲斐のあるいい機会でした。
遅い昼飯はいかにもビーチのハワイアンカフェでとんかつ定食。

それにしてもリゾートだな。ホテルの部屋はスイートなのに東横インみたいだったが、ベランダつき。プールもあります。
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ロビーには浮かれた人形も置いてあった。
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同僚は日本円に換算する癖が滞在3日目でだんだん抜けてきていましたが、それでもカードの使用履歴を見てびびっていました。円安ってやーね。

仕事の本番は翌日の午前4時前という変則的な時間帯で、夜10時には準備を整えたのですが、途中で24時間延期となりました。わりと信頼性が高いと思っていた案件なので、ちょっと意外でした。でもまああり得ることではある。帰って寝る。

【8/25(金)】

もともとの想定では、25日の早朝にはすべて終わり、ホテルで仮眠して昼過ぎの便でDCに帰るつもりだったので、延期によってもう1泊どこかに泊まらないといけなくなりました。

1日延泊しようかと思ったのですが、Booking.comで160ドルくらいで取れたそのホテルが週末にかかることもあって300ドルを超えるというので断念。同僚が既にオーランド空港(60キロくらい離れている)の近くに宿を取ってしまったというので、そこから目と鼻の先のハイアット系列だが安いところに部屋を確保しました。

ココアビーチの宿を11時のチェックアウトぎりぎりで出て、オーランドをよく知ってるアメリカ人の友達に「空港からあまり遠くないところでお昼のおすすめない?」と聞いたらフォーの店を教えてもらえました。おいツボ分かってるな。

Pho 88です。花壇が熱帯。フロリダっぽいな~
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おいしかった。
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ホテルにチェックインできる午後3時にはまだ若干時間があるので、ザ・フロリダという名前のすっごいでかいショッピングモールを冷やかしてからホテルに行きました。仕事の1日延長を想定していなかったので(失敗)、モールに入っていたユニクロで下着を1セット買うはめになりました。25ドル……

暑さと、前の晩の睡眠が少し足りてなかったせいか頭痛がしていて、ホテルに着いてすぐバファリンを飲んで、シャワーを浴びてベッドに入ったら少し眠ることができました。仕事はやはり日付変わって午前3時半とかなので、かえって好都合だったかも。

延期後の仕事は淡々とこなしましたが、この体験はかなりよかったです。一般人のアクセスはできない所なので写真などはなし。

【8/26(土)】

帰路は、弊管理人がDCに帰った後も2日ほど居残る同僚が左ハンドルに慣れたく運転してくれるとのこと。ありがたく助手席に座ったら寝落ちしました。ホテルに戻って朝7時半。10時45分まで寝て、11時半のシャトルバスでオーランド空港に行って帰りました。
夕飯は切り干し大根を煮て、豚肉とネギを味噌炒めして、ブロッコリーを茹でて食べました。滞在中あまりに野菜が少なくて便の質が悪かったので。回復に努めます。

去年たくさん来たフロリダも、今回が最後じゃないかなと思いながら歩きました。来年の今頃も同じ仕事がありそうですが、この時期にはもういないことにしているので。

* * *

25日がまた来て、滞在24カ月目に入りました。上にも書いたとおり、「来年の今頃はもういないだろうな」と思うことが多くなっています。いやまあ誰も帰っておいでと言ってくれてないのだけども。

* * *

などと時の流れに思いを致す時間もなく、中2日でまた出張。海から砂漠へ。ちゃんと着けるかなあ。

2023年08月20日

シカゴ(2)

【8月17日(木)】

もともと行こうかなリストには入っていたものの、ちょっとそろそろライト建築もお腹いっぱいかもと思い始めて迷っていたロビー邸。ファーンズワース邸で会った本職の方に「ロビー邸いいって聞きましたよ」と教えてもらい、やっぱり行くことにしました。

電車に乗ってダウンタウンから南の郊外へ。どんどんと黒い地域になります。バスあるかな~とスマホで調べていたら、おじさんに「電話貸してくれよ」と言われたけど速攻でNoって言いました。「盗らねえよ!」と言われましたが無視しました。非常識だろ、あほか。

歩いてるうちにシカゴ大学に着いた。まず医学部に行き当たり、さらに外縁を歩いていると社会科学研究部の建物が見えました。社会学でシカゴ学派ってあったよな!ゴフマンとか!あと知らないけど!と思ってとりあえず写真。
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しかし都市社会学は馴染みがないので、ウィキペディア見たら他の名前はほとんど分からず。ハマータウンてアメリカだっけ?と思ったらイギリスだった(この本は学生時代の読み残し)。あまり歩き回ることもなく次へ。

なんか立派な宗教施設あった。ロックフェラー・チャペルというようです。
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中に入ってもいいのかな?と寄り道のつもりで覗いたら、ちょうど11時半で鐘楼(上の写真の右側の塔)を見せてもらえるツアーが出るところだったので、参加してしまいました。他には家族連れが1組だけ。
中でっか~。1920年代の建築なのに中世風。歴史がないとモノマネになってしまう。
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鐘楼に上ります。らせん階段ぐるぐる。
これはでっかい鐘を覗いてるところ。右側は学生ボランティアのジュリアン君。建築科?って聞いたら数学科の2年生なんだって。頭良さそうやな。
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上のほうには演奏部屋があって、鐘を鳴らす鍵盤がありました。実際に鳴らさせてもらいました。空気圧で動かしてるよう。
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上からの眺めはこんなです。シカゴ学派の泰斗・ミルトン・フリードマンが奉職した経済学部の塔(入ったらノーベル賞授賞式の写真パネルが掲げてあった)の向こうに、ダウンタウンの高層ビル群。
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チャペルの壁には、戦争で亡くなった学生(スタッフも含むか?)を記念するプレートが貼ってありました。1941年が起点なのな。5年でこの人数というのは意外に少ない印象ですが、どうでしょうか。
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ということでロビー邸に行きましょう。

ロビー邸はすぐ隣。水平を強調するライトの「プレーリースタイル」の代表作。画面奥側から撮った写真が多いんですけど、弊管理人はこっちのほうが好きでした。真ん中のおばさんは見学ツアーのガイドさん。この人もシカゴ大の卒業生らしい。
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入口のドアを開けるともうすごく和風。
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なかなかどうしてステキ。
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ライト節が炸裂してます。
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出窓好きですね。
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しかしミースもライトもそうだけど、発注した人のストーリーを聞いてると、末永く使ってなくて、どんどん持ち主が変わっていくんですよね。建築家と訴訟になったとか、金がなくなったとか。バージニアにあるライトのポープ=レイヒー邸も持ち主は子どもが近くの池で溺れ死んだりしてるし。
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そういえばここでも、ファーンズワース邸で会った日本人の本職の方と出くわして同じツアーに参加しました。行くところは一緒だね!
今回はほとんどの行き先でツアーを予約していませんでしたが、平日だったせいか飛び入りで全然大丈夫でした。

シカゴ大学のキャンパスを通ってダウンタウン方面に行きましょう。
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きれいなキャンパスです。実は東大ほどの歴史もないんだけど。
大学を抜けるとそこはやはり黒い地域で、やはり何か一人で怒ってるおじさんとかを横目にてくてく歩いて、お客はほぼ黒人だけ(ただひとり弊管理人がアジア人、もう一人白人のおじさん)のマクドナルドで小腹を抑えてイリノイ工科大に行くことにしました。ミースが建築学部長やってたところですね。

電車を降りると黒人のおっさんがホームで立ちションをしていて、うわっと思ってよけたが靴にちょっと飛沫がついた。まあこの狂ってる感じも含めてアメリカだな。だめ社会。
ミースが設計したクラウンホール。
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こそっと入ったら何かのイベントの準備中だったらしく、警備のおねえさんに呼び止められたんだけど、「5分だけならいいよ」と言われてぐるっと回りました。優しいな。っていうかそういうミーハーな来訪客がいっぱいいるんでしょう。
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しかし本当にハコであります。柱がなくて、中を自由に区切って使う「ユニバーサルスペース」。プレハブのでかいやつというか、これのどこがすごいのかなと思ってしまいました。
これは地下の図書室。学生の卒業制作もいっぱい置いてありました。
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学生会館みたいなところに行くと、意外と学生がいっぱいいました。そういえば、いま新学期準備の真っ最中ですね。
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留学生の登録やってる部屋あり、売店では教科書を棚に揃える作業中でした。この辺は日本と一緒ですね。

シカゴピザ(Deep dishという高さがあってソースやらチーズやらがなみなみ入ったやつ)食べようと、お店を探して入ったのですが、スライス単位では売ってないと言われてビールとつまみ一品で出てきました。考えてみれば確かにその通りで、作り置きしたやつではおいしくないジャンルだよな。ちなみに出張したときに食べたという同僚はホールで食ったそうです。かなり大食いの人ですが「最後は肩で息をしていた」。そこまでする元気はありません。

帰りは地下鉄。なんか妙に空いてる車両があったので乗ってみたら、うんこを体に塗りつけた頭のおかしい黒人が座席に寝そべっていてむちゃくちゃ臭かったので、緊急時以外は開けてはいけないと書いてある車両のつなぎ目のドアを開けて、他の乗客たちと隣の車両に避難しました。まあこれもアメリカだなといって最早あまり驚かない弊管理人。

ホテルに戻って、お腹がすいてないので近所のスーパーで買ったデリで夕飯。
深夜に日本の会合にリモート参加したら寝落ちしてしまいました。

【8月18日(金)】

帰る日。
もうあまり頑張る気はないので、11時ギリギリにチェックアウトしてクルーズに参加しました。42ドル。1時間半で、川と湖からシカゴの街を眺めるというもの。
おおそれっぽい絵ね。
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1871年の大火事というのがあって、そこからが建築の街の歴史になるようです。
船上こんな感じです。後ろの席で白人のおっさんとおばさん4人連れがゲハゲハ笑ったりしながらむっちゃ騒いでいたら、前の席のZ世代みたいな女の子に「説明が聞こえない」とかいって怒られてました。下品な大人はどこにでもいる。

とうもろこしタワーはすごい間近で見えた。
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シカゴ・トリビューン(新聞社)もすっごい豪華。
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ちなみに橋の上から見るとクルーズの人たちはこんな感じ。たのしそうね。
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川沿いの遊歩道を歩いているとやはりある、ベトナム戦争の記念碑。68年くらいから泥沼になってる感じがする。
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昼飯がてら、また電車に乗ってダウンタウンの南にある中華街に行きました。これは高架の駅から撮ったところ。DCの中華街はてんでダメなので、久しぶりにちゃんとした中華街を見た気がする。
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適当に入った料理屋はわりと当たりでした。麺推しの店なんだけど、白身魚を揚げたやつと野菜の炒め物ごはん。8ドルしないんだよ。すごい安いと思う。
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満足。外は唾吐いてるおじさんとかがいて普通に中国っぽかった。
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ダウンタウンに戻りまして、ミレニアムパーク。もうどうでもいいかなっていう気持ちになっており、事実ふーんくらいだったので、軽く見て空港に向かうことにしました。
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シカゴは電車を使うと2.50ドルで空港まで行けます。便利だなー。高架で生活の中を走り抜けるので、あまりお金持ちでない人たちが住むビルも裏から見られたりして楽しい。
さっくり空港に着いてメシ食って帰りました。うん、なかなかよかった。夏休み第1弾おわり。

2023年08月19日

シカゴ(1)

夏休みはもともと8月下旬に12日間とる予定でしたが、仕事が二つ滑り込んできたため6日ずつ二つに分けました。
で、15日から最初のパート。どこへ行こうかなと考えていたものの、直前になると飛行機が若干高くなるのもあり、なんか面倒だなとか、でも家にいてもなと迷った挙げ句にシカゴに行くことにしました。あまり強い目的はなく、郊外にあるミース・ファン・デル・ローエの「ファーンズワース邸」が見られればいいかなくらい。でもシカゴはもともと建築が売りの都市でもあり、全面的に建築探訪になりました。
いろいろ回ったのをメモ。

【8月15日(火)】

朝ゆっくり目のアメリカン航空で出掛けたらちょっと早めに着きました。空港では「世界最大の空港で最低の賃金!」とプラカードを掲げた労働者のデモ中。
Lyftを使って、オークパークOak Parkという地区まで30ドル、30分。
フランク・ロイド・ライトの「ユニティ・テンプル」から始めます。
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地元にあったユニテリアン(プロテスタント系、三位一体否定、キリストの神性否定。わりとリベラルで女性聖職者、奴隷廃止など擁護)の教会の建物が1905年に焼失したあと、ライトに依頼がきて1908年に完成した建物だそうです。初期の作品の一つ。講堂はちょっと自由学園を思い出すかも。
外側はすごく堅牢なイメージ。要塞みたいでした。
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空港からオークパークまでの間、雨が降っていたのですけど、そのあと雲が取れてかんかん照りになりました。
でもたぶん20度ちょっとくらい。とても涼しい。
10分ほど歩きます。このあたり歴史のありそうないい家が多い。
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ライトの自宅・スタジオのツアーに滑り込み参加。こちら自宅。
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入ったところにある応接室かな。
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食堂。
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子ども(5人いて上から下まで13歳離れていたそうです。全員既に物故)用の遊び部屋。
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ピアノ。アップライトだった、たぶん。
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出窓と借景も特徴ですね。
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続いて隣接するスタジオへ。
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作業台などありますが、面積はそんなにないわりに高さ方向は2層になっていて上はドームなので、画面に収まりません。
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事務室。ヨドコウ迎賓館を思い出します。
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図書室を見ておしまい。
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ちょっとお腹がすいたので、近所で見つけたタイ料理屋さんに入ります。
ガパオあるじゃん!と思ったら結構な量だった。
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ちょっと残して包んでもらいました。捨てるの勿体なくてね。
車を借りにいきましょう。すっかり夏の日。でもやっぱり涼しいです。半袖シャツ1枚で歩いていて汗だくにならないくらい。歩きやすくていいな。
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Enterpriseっていうレンタカー屋まで30分。コンパクトカーを予約していたんだけど、着いてみたら「あ、コンパクトはないや。ピックアップトラックでいい?」と。極端すぎるわ。「もうちょっと小さいのがいい」といったらDodge Challengerというスポーツカーになりました。「やったな!スポーツカーだよ!いいな~」とヒスパニックっぽい店員さん。いや、それもちょっと手に余る。でもまあもういいや。面白いし借りてみようということで借りました。これ万一のことがあったら免責分だけでも結構な額になるのでは?と気付いたのでDamage Waiverという免責ゼロのオプションをつけました。30ドル。まあ安心料ね。
(写真はホテルに着いてからとったので夕方です)
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横幅が広くて最初、車体感覚が掴みにくかったです。(上の写真も、駐車スペースにめちゃくちゃ左寄りに停めてしまっている。広い駐車場なので面倒だしこのままにしたけど)
午後4時。まだちょっと時間があるので、どこかのガイドブックで見たバハイ教のお寺を見に行きましょう。と軽い気持ちで北に向かったら1時間くらいかかった。
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どこやねんここという。中にも入れますが撮影は禁止でした。巨大な礼拝堂です。後で調べたら発祥の地・イランで弾圧を受けている非イスラムの少数宗教でした。19世紀に始まった一神教とのこと。ミシガン湖を望むすごいきれいな立地ですが、物腰柔らかなスタッフと、案内係に子どもがいたりして、だいぶカルトな雰囲気でした、ごめんだけど。

そんで宿に向かいます。ヨークヴィルYorkvilleという南西に1時間半くらい走ったところの街までいきました。トウモロコシ畑とジャガイモ畑が無限に広がってる。で平ら。そうか中西部の大平原ですやね。

ホリデイ・インは前日に見たら100ドルくらい、それでもすごい安いんだけど、当日料金を見たら90ドルまで下がってました(弊管理人はBooking.comを使いすぎてステージが上がっているのでその値引きもある)。部屋は広くて快適。田舎はいいな。
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近くの居酒屋でハンバーガーとビールで夕飯。居酒屋は女性がすっごくよく働いてました。この辺の人たちは何が娯楽なんだろう。客は男性2人組とか4人組、あとは中年の夫婦。
最近珍しくよく歩きました。

【8月16日(水)】

ミースの日です。宿から車で15分くらいのところにあるエディス・ファーンズワース邸(1951)。
シカゴ大の腎臓内科医の独身おばさんが週末滞在用の家としてミースに発注したものです。ガイドさんによれば「金持ちだが、(昨今のテック企業社長みたいな)ものすごい金持ちというわけではない階層」とのこと。ミースは校長を務めていたバウハウスがナチによってお取りつぶしになったので、イリノイ工科大の建築学部長として移住してきていました。洪水を避けるために高床にしたが、設計~建築の費用がかさんでファーンズワースと訴訟になったらしい。しかも住んでるのに建築ファンとか学生とかが見に来たりして迷惑だったとか。お気の毒です。

結局、売却の広告を新聞に出したら、英国の不動産屋ピーター・パランボ卿の目に止まって1972年に持ち主が変わることになった。造園を熱心にやって野外彫刻もいろいろ置いたそう。現在はその大半がおととしの冬に行ったペンシルベニアのケンタック・ノブ(フランク・ロイド・ライト建築)にあるそうです。あれか!!

2003年からは歴史保存財団が取得してツアーをやっているそうです。
ツアーは1日3回、10時、12時、14時にやっていて、弊管理人は近くに泊まったので10時の回に参加しました。全体で10人弱かな?(最大25人だそうです)その中に日本人3人……おひとりは本職で、日本から夏休みでニューヨークに来て、ピッツバーグまで飛んでケンタック・ノブと落水荘を見て、そんでさらにシカゴに飛んできたそうです。すごいな。
で、これだ。うわあ。やっと見られた。
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居室の床は地上から1.5mくらい浮き上がっているそうです。
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上のデッキに立って下を見てみました。港の岸壁から海を見ているようです。反対側は木が繁っていて、背の低い草が海面のように同じ高さの平面を作っているので、なおさら海っぽい。そして浮遊感があります。
中はこう。
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居室部分がここ、右手は物入れで、その裏に台所や風呂・トイレがあります。背後にはステレオなどを収納した物入れ、その隣が就寝スペース。
台所が見える裏からのショットってあまりないと思います。これはこれで面白い。
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高層アパートの1フロアを切り取って、スケルトンにして提示しているよう。
日本人の方にシャッターお願いしつつちょっと喋ったら「本職かと思った」と。そういえば弊管理人、なんでこんなに建築を回っているのだろうかと根本的な疑問を抱いてしまった。

鏡面のオブジェで自撮りなどした。
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堪能しました。オークパークに戻りましょう。
なんなら空と畑だけですが、ドライブ自体もかなり気持ちよかったです。
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お腹が空いてきたのと、車を返すまでには時間的余裕があったので、途中でデニーズに寄りました。いろんなところで見るけど初デニーズ。
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サケのグリルで14ドルくらいです。安いと思う。でもおいしかったです。この辺はほんとに客も店員も黒人とヒスパニックの人ばかり。
オークパークで車を返して、今度は電車で市中心部に出ました。
おーダウンタウンだ。
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投宿したのはIvy Hotelというちょっとオサレなところ。1泊160ドルで2泊予定。想定してたよりずっと手頃(意地でも円換算はしない)。国際会議とかのイベントごとのない平日だからかな。夕飯はまたタイ料理にして、あとは2日分の朝飯をスーパーで買って帰って寝ました。つづく。

2023年05月10日

ニューヨークたてもの

月曜は朝から健康診断です。日本人がやってるクリニックがあるのはさすがにニューヨーク。聴力検査は高い/低いの2パターンではなく、もうちょっと高周波の音も聞かされ、音量もいろいろ。問診は丁寧でした。バイトみたいなやる気のない日本の健診クリニックの医者とは違う点。咳のことは言い忘れたが、聴診器を胸の前後に当てられて呼吸をして何も言われなかったのでまあ大丈夫でしょう。何かあっても地元の医者にかかれと言われるだけですし。あと体重は回復してました。骨密度はほぼ平均。運動しようと思った。

で、「キャンペーン中です」と言われて30ドル分のスタバのクーポンをもらった。キャンペーン……?

2時間ほどで終了、バスに乗って北上。グッゲンハイム美術館に行きました。
フランク・ロイド・ライトの建築です。1959年完成、世界遺産の一部。
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建築を見るのが目的だったので、ほぼこれで満足した次第。
中は吹き抜けでカタツムリの殻みたいです。
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左手のエレベーターで6階に上がって、あとは螺旋状の通路を降りながら鑑賞してくると一通り見られます。通路の壁のほか、いくつかの展示室もあります。
有名な美術家の作品のほかに、ちょうど古今の有名作家の手法を使って作品を作ってみよう!的なワークショップを学校でやった成果が展示されていて、これがすごくよかった。
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上のは、マティスのステンドグラスなどについて勉強したあと、透明なプラスチック板に自画像や好きなものを描いたり貼ったりして、それを多層的に重ねてポートレートを作ったというもの。6年生です。こういう勉強ができるっていいな。
ちなみに上から下を見るとこう。壁が腰の高さくらいまでしかなく玉ヒュンです。定期的に人やスマホが落下していそうだが、そうでもないのだろうか。
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前の晩から絶飲食だったので、カフェテリアのサンドイッチがそこまで高くない(といっても2000円くらいする)ことを確認して昼飯にしました。
外で売ってる土産物は重そうだった。
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セントラルパークをチラ見してから、マンハッタンの南の方を目指すことにしました。
天気よし。建物の正面に非常階段のようなものがついてることが多いけど、これはあれか、長屋が多いから横に付けられないのか。裏はどうなのか。
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地下鉄に乗ってみました。有色人種の比率が突然上昇する。そして東京並みに混んでいます。わりと整然と乗り降りしてましたが、夜はあまり乗らないほうがいいとかなんとか。
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Fultonという駅(ウォール街のいっこ前)で降りて、目当ては世界貿易センターの跡地。
といっても跡地そのものに関心があるわけではなく、交通センターの建物を見たかったとです。外見は鳥。
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中は完全に礼拝堂だった。しかし実はショッピングモールであるところはさすがというか。
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ニュージャージー方面行きの改札あたりには背骨があった。
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しかし場所が場所だけに、警備は重武装であったりする。
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地上にはグラウンドゼロ。水が流れ落ちる奈落にしてしまうところ、なにか感覚の違いを感じる。周囲でみんながウェーイとかいって記念写真とってるのも不思議といえば不思議。
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ちょっと北には56レナードストリートが見えた。
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土地が高いのか、ペンシルビルばっかりです。街全体に圧迫感がある。いなかのねずみは「やっぱ田舎がいいな」ってなるよな。
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結構歩き疲れてきたので、マクドナルドでアイス食ってから近くの公共図書館でメールチェックとかしてました。
閉館時間の18時が迫ってきたので退出して、バスで鉄道駅に向かいます。
バスも有色率高めだが、買い物や習い事の行き帰りっぽい人も多く、やばい雰囲気はありません。市内は道が混むし一方通行だらけなので、お金ない人以外も足として使っているのかも。
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それにしても2日間、天気がよかった。健診クリニックからは前の週を打診されたんだけど、断ってこの週末にして正解でした。前週は荒天だったんだよね。
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最後はアムトラックの駅の近くにあるMiznonというイスラエル料理のお店へ。
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カリフラワーの丸焼きとラムのピタ。うっま。
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窓から見えたベッセルも一応撮影。飛び降りが相次いで入れなくなってしまったという悲しい建物。
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深海サンゴ(たぶん違う)でフィニッシュ。
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アムトラック乗って帰りました。結構疲れた。
目当てにして行ったのはガラスの家とグッゲンハイム美術館くらいで、ほかは思い付きで回った程度ですが、建物を見ながら歩くには面白いところだと気付きました。もう1回くらい仕事で来るかなあ。来ないかなあ。分かりません。

* * *

誕生日がきました。もはや特に感慨はなし。

2023年05月09日

コネチカットたてもの

会社が健康診断をニューヨークで受けさせてくれて(実はアトランタやヒューストンにも対象クリニックがあることが判明したがタイミング合わず)、前乗り1泊と交通費が出るので職場の人はみんな観光に使っています。今回、日月で行ってきました。

赴任1年以降で年1回、任期切れまで1年以上あること、というのが条件なので多くの人は2回チャンスがあるのですが、弊管理人は秋の異動で昨年秋は忙しくて行けなかったため、たぶん今回で終わりです。行ってみるとこれは完全にボーナス旅行だなと思いました。健康診断はDCでも受けられるでしょ。弊管理人が財務担当者だったら絶対これ切る。いやありがたいけど。

行きはデルタ航空でラガーディア空港までひとっとび1時間。
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空港からハーレム駅までバスで行きます。自転車レースかなんかで高速めっちゃ混みだったが、降りたら空いてました。ハーレムってちょっと危ないイメージがあって、実際裏通りはあまり……という感じ。
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メトロノースというコネチカットのほうに行く鉄道路線の主要駅(Harlem-125st)があるんですね。
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改札はなく、乗ってから検札が回ってくる方式。下の写真は立ってる2人とも係の人です。切符は駅の自販機でも買えるけど、アプリで買ってQRコードを見せるのが簡単。アカウント作ったりクレカ登録したりしなくてよいのがいいと思いました。
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窓きれいにしてあるし、ガタンゴトンうるさくないしで乗り心地よかったです。
Stamfordという駅で乗り換えて、コネチカット州のNew Canaanという支線の終着駅で降ります。新しいカナンの地。乗り換えのときに駅の人にどのホームに行けばいいのか聞いたら、発音は「ニュー・ケイナン」でした。
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こぢんまりとしたきれいな街という印象。
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きょうの目的地は20世紀の建築家フィリップ・ジョンソン(1906-2005)の「ガラスの家」(The Glass House)です。49エーカー(200万平米)の敷地に50年かかって少しずつ新しい建物が建てられていったそう。
日曜はセルフガイドのツアーで、ゆっくり見られそうだと期待していたところ、ハーレムの駅でチケットをネット予約しようと思ったら前日まで余裕であったチケットが売り切れ!しかし電話したら「セルフガイドの日だから定員とかないんで、来れば見られるよ!」とのことでした。よかった。「書いてあることは現実のごく一部」という国では、疑問があればぱっと電話するのが吉。そこへの抵抗感がなくなるのに時間はかかったが。
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全体的に角張ったデザインですが、シャワーとトイレは円柱の中に入ってます。客間として使っていたようです。
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こちらは彫刻ギャラリー。
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午後の少し日が傾いてきた時間帯になると、このように中がしましまになります。
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フィリップ・ジョンソンはヨーロッパ中心にいろんなところに旅をし、古代ギリシアの建築の影響も受けたようだとのこと。
この墳墓のような美術館もギリシア式とのことですが、古墳ぽくもあるよね。
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中にはウォーホルがありました。柳宗悦の椅子(両手でお尻受け止めるみたいなやつ)が台所にぽんと置いてありました。日本にも行ったのかな?
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ガラスの家から見下ろす池にはパビリオン。渡る橋はありません。ミースやライトとも交流があったようですが、二人に比べるとぐっと実験的だと思う。とはいえ、早くに相続で大金持ちになった人とのことで、その影響は分からないが、破綻はなくお行儀がいいという印象。
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そこからまたちょっとした丘を登ると塔。9mあり、よく見ると一番上まで階段で上れるようになっていますが上ってはだめとのこと。まあそうね。手すりもないしめっちゃ危なそう。
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図書室。それにしても緑がきれい。美唄のアルテピアッツァをちょっと思い出すな。
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セルフガイドではあるものの、建物ごとに説明の人がいて、延々おしゃべりに付き合ってくれます。作者がどう使っていたかとか、どこを見ると面白いかとか。
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これが最後(1995)にできた建物。角張った建物が多い中で、これは曲線的。
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窓からは図書室が見え、図書室の窓からは「おばけの家」という骨組みだけの家が見える。上から見るとガラスハウスと周辺の建物が三角形に配置されている、図書室のキューポラと相似形の赤松がある(下)など、自然の中にぽこぽこと無作為にモノを置いていったように見えて、作為がそこらじゅうに満ちている。
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説明員のおじさんに「本を読んでるみたいですね」と言ったら「そう。フィリップはこれを『日記』と呼んでいた」と言われました。
なんなら門も作品らしいです。ガラスの家にいた説明員のおばさんが「ちょっと鳥居っぽいよね」と。周到に「パクった」(文化の盗用避け?しょうもない批判用概念だと思うけど)という表現を避けつつ、いろんな文化からの影響があったことを示唆されていました。
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うん、とても面白かった。暑くも寒くもなくて天気も最高。いろいろ喋ってたら「あなた建築家なの?」って3回聞かれ「しがない会社員です」と答えました。

駅まで戻ってきて、昼飯を逃したので地元スーパーで缶コーヒーとマフィンを買ってベンチで食べました。ブルーボトルの缶コーヒー初めてみた。6ドルとかすんのな。
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戻りましょう。またStamfordで乗り換え。ニューヨークのほうが日本と風景が似てる気がする。アジア人もDCより多いような。あと日本人かなという人も結構いる。男は貧相だし女は神経質とアマゾネスに二極化する傾向がある気がする。
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ハーレム駅を通り過ぎてグランド・セントラルというターミナルまで行きます。
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アムトラックのペン駅とはつながってないのかな。
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ごーか。
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地下にはフードコートがある。貴婦人みたいのが飲み物選んでました。
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ホテルにチェックインして、近くのアイリッシュパブでシチューとビール、そんで戻って寝ました。
つづくなり。

2022年12月21日

モントリオール

そういうわけでモントリオールに出張いってきました。

行き。ユナイテッド航空のサイトからチケット買って、エアカナダが運航する便に乗ろうとしたのですが、チェックインしても座席が割り当てられてない。9:00、レーガン空港の荷物検査も出国も終わった搭乗ゲートで係の人に「搭乗券に座席表示されてないんだけど」と言ったら「先にこのゲートから出る便が出発したら割り当てられるから」というので待っていました。

しかし席が割り振られることはなく、がっつりオーバーブッキングされており、11:20のモントリオール直行便を逃しました。次の13:00過ぎ発のトロント経由便の搭乗券をもらいました。

ところが、この便が駐機場に出ようとしたところでレーガン空港悪天候のためしばらく待機。そのうち降ろされ、16:00のモントリオール直行便にまた振り替え。
今度はモントリオール悪天候のため燃料をフルに積んで飛べず、乗客も満席にできないので最後に搭乗券を発券した弊管理人に「辞退頼む」とのアナウンス。
そんでまた「次こそ着けるから」と次のトロント便に割り振られ、2時間ちょいの乗り換え時間があるから大丈夫だろうと思いながらトロントに向かったら、トロントはこんこんと雪が降っており、到着ゲート付近の雪かきのため駐機場でしばらく待機。19:00の乗り継ぎ便を逃しました。

何とかしてもらおうと向かった空港内のエアカナダのカスタマーセンターは大行列で、マネージャーみたいな男が先頭近くから「この窓口では振り替え手続きはできない。電話かウェブでできる。窓口でも同じアドバイスをするだけだ」と声をかけ、それを信じた客が何人か列から離脱していきました。

しかし弊管理人はもはやエアカナダを信じておらず、このマネジャーも単に業務を減らすことしか考えてないと踏んで、列に並んだまま電話もウェブも試してみたが、まず電話は永遠につながらないし、ウェブでも手続きできない。たぶん、ユナイテッドから予約した上、レーガン空港で何回もエアカナダのシステムから便を振り替えたりキャンセルしたりしていたためだと思います。結局そのまま窓口に到達したら、一発で次のモントリオール行きが取れました。嘘つきめ。滅びろ。軽い難民気分を味わわせていただきました。

で、21:30トロント発モントリオール便の搭乗券をゲットしたところ、トロント大雪になり出発は23:40まで遅れました。融雪剤か何かを気付けにぶっかけて出発!
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結局、宿に着いたのは25:00過ぎ。ドアtoドアで16時間かかった。

* * *

今回は東京から若者(若くない)と大御所が、2週間の会議の前半から来ていてばりばり仕事をしており、弊管理人は手伝いを頼まれて行ったものの、猫の手への需要はなく、ほとんど何もしませんでした。

じゃあ食べるくらいしかないよね。
ということでまずはオールド・モントリオールVieux MontrealのModavieというフレンチビストロへ。中はすっごい賑わってる。
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オニオンスープとラムチョップ、リゾットに白ワイン飲んでおなかいっぱい。写真失敗。
外はこんなでした。
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着いた日は道に雪なんてなかったのが、翌日から降り続いてすっかり雪景色になりました。

次は在モントリオールの仕事先と会食です。
ちょっと中心街から離れたところのCafe Cherrier。
またオニオンスープ。
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そして鴨のコンフィ。
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・モントリオールはフランス語の壁があり、日本人も中国人も少ない。日本人はトロントだと2万人近くいるが、当地は5千人
・カナダの対中感情は悪化中。今頃気付いたの?と思うが
・若者はトロントあたりに出て行き、引退した人が戻ってくるので高齢化が進んでる
・カナダ人はアメリカ人に比べてだいぶ穏やか。安全保障から何からアメリカに頼りっきり
・「旧市街はヨーロッパっぽいですね」と言ったら「フランス駐在したことのある私に言わせれば明治村ですよ」とばっさり
・雪が降るとやっとモントリオールっぽくなる。(この日はちょうど0度くらいだったが)寒さは今は全然。-20度くらいになることがあって、2月までこのまんま
・F1とかジャズとかはあるが季節ものであって、コンサートなど文化系はあまりいけてない
といった話をしました。あとは仕事のことをちょいちょい。

そのあと甘い物食べてコーヒー飲んで、ではまたいつか!といって別れました。
腹ごなしのため30分くらい歩いて仕事場に戻ります。
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落雪注意の看板が結構あった。
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ま、最終日までまだ1日あるし、延長ありうべしと言われてたくらいだから今日はゆっくりっしょ、と思っていたら事態が急展開し、そのまま朝6時まで働くことになりました。

それでほぼ全部片付いたので、DCに戻るのを予定より1日早い夜の便にして、チェックアウト後にさっくり散歩しました。
たぶん氷点下ですが、新調したエディー・バウアーのダウンが薄手なのに激暖かく快調に歩けます。
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現代美術館MACに行ったら「常設展は閉まってます」と言われてやめ。
港。
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アビタ67という中銀カプセルタワーのもっとすごいやつみたいな団地。
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他社の人と合流してHolderというお店でお昼。またフレンチです。

セロリのポタージュうま。
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牛ほほ煮もほろほろ。
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旧市街は「明治村」と言われたわけは分かるけど、まあ観光だしそれでいいです。
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画廊を冷やかしたりしました。
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犬のケツ。
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帰りは定刻どおりに飛びました。おおニューヨーク。
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無事帰宅できました。直行便だと1時間40分。こんなに近かったのか……

ということで徹夜などあり疲れたし、アウトプットはほぼ皆無だったのでやりきった感はないものの、まあ仕方ないでしょ。年明けに何か今回の経験を活かしたいと思います。

人々のあいさつが「ハッピーホリデー!」「ハッピークリスマス!」で年の瀬を感じた。

2022年11月23日

シャルムエルシェイク

地名言っただけで何の仕事だか分かってしまう今回ですが、行ってきました。
実はスターアライアンス、エジプト航空。
安全設備の説明は古代だった。
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機内食は魚が選べてまあまあ。
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カイロは意外と遠く11時間近くかかり(ちなみに帰りはなぜか北欧~グリーンランド南端をかすめるコースで12時間以上)、朝方ついて乗り換えてシャルムエルシェイクへ1時間。背中が痛くなりました。

宿はEden Rock Hotelというところです。実は違うホテルを1年前から1泊100ドルくらいで押さえてあったのですが、9月になって「地元のホテル協会が360ドルに値上げした。呑むかキャンセルか」と突きつけられ、弊社カイロ駐在の人々に助けてもらって130ドルのところを取ってもらった次第。
高台にあって見晴らしよく、繁華街の近く。繁華街から136段(←同僚が数えた)の階段を上らないといけないのですが、まあ運動運動。気温は夜寒くて15度くらい、昼25~27度ってところで乾燥していて過ごしやすかったです。
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朝飯がついていて、一日の野菜の大半をここで摂る気合いで食ってました。
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部屋のベランダからの眺め。
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初日の夜は、カイロから来てくれた応援の人と、去年も一緒に仕事したナイロビの同僚とシーフードを食べました。1人30ドルくらい。
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街は午前3時くらいまで盛っていてこれはよかった。去年のグラスゴーは疫病の情勢もあってか、夜10時になるとスーパーまで全部閉まって夕飯に非常に困ったので。
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あとでカイロから支援にきてくれた助手さん(エジプト人)に聞いたところ、シャルムはロシアやウクライナあたりから来やすくて物価も高くない紅海随一のリゾートという位置付けなのだそうです。確かにレストランのメニューにはロシア語がついてました。
ブッダ・バーという何かを間違って輸入した感じのバー。
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ちょっと値段はするが、普通にいけた寿司。
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二人でワインあけました。「オマル・ハイヤーム」。政治家?いや詩人だっけ?というくらい忘れかけてたけどペルシャ生まれの詩人だった。代表作「ルバイヤート」はワインの話でいっぱいです。
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うまいかっていうと普通だけど、エジプトワインてのもいいじゃない。

ケンタッキーもマックもあった。マックのご当地メニューと思われる「ロイヤルバーガー」はただのでかいハンバーガーでした。
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あと、イスラム教なのでエジプト航空の機内は酒なし、シャルムのレストランは酒あり、鶏も牛もあるが、当然というか滞在中に豚は全くお目にかからなかった。

こうしてみると、去年同時期のグラスゴーの仕事よりだいぶ楽しそう。
去年は直前に歯が折れて、疲れてて、寒くて、お腹すいてて色々だめでした。ただ弊日記に書いたとおり、仕事をばりばりやったせいかグラスゴー出張を契機にちょっと元気は出たんですけど。

今回は東京から来てた同僚が弊管理人の到着した日に体調を崩し、そこから最終盤までホテルから出られなくなったので、お手伝いくらいのつもりが結構どっぷり仕事することになりました。いいけど。同僚氏は海外での病気、大変だったことでしょう。

最終日は深夜発なので、ビーチに行ってみました。
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紅海に入った。足だけ。
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助手さんと話してて、「ちょとタクシーで観光して帰る」と言ったら「タクシーなんか使わなくてもカイロに帰る前に乗せてってあげるよ!」とありがたい申し出をいただいたので、オールドマーケットに。
助手さん、運転しながら両手で!!!携帯いじってました。
タクシーも一緒で、携帯いじるわ、なんか喋るとき両手をハンドルから話して身振りをつけるわで、かつ120km/hくらい出すのでシートベルトを着用しました。
「スピード出しますよね~ここの人」と言ったら「そうなの。許して~笑」って。

モスク。
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中を見せてくれるそう。助手さん(女性)は髪を隠すやつを借りてました。
これは着けてるところ。
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地階もお祈りはできるようになっていましたが、ちょっと暗め。
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1階に上がるとすごい豪華だった!
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白飛びしてしまいましたが、助手さんによるとステンドグラスがあるのはイラン風らしい。
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このランプはエジプト風とか。モロッコでもこういうの見たかな。
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いやこっちのランプだったっけな、エジプトっぽいって言ってたの。
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外はトルコ風とのこと。丁度トルコからの観光客がいて、「うちの国のよりキレイ」と言っていたとかなんとか。
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バイアグラ?と多くの観光客が足を止め、セールスの餌食になっていると想像する。
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旧市街は閑散。
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肉屋。そういえばカイロの同僚が物価の話をしていて、やはりエジプトの経済も「外国人・高級」と「地元用」の2層があると言っていました。高級肉屋は当然高い。地元用は安いが、手袋もマスクもしてないおじさんが切ってる肉でリスキーとのこと。
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さて、次はコプト正教会(エジプトに多いキリスト教の教派)のお寺に行きます。The Heavenly Cathedral、日本語でどう言っていいかは分からない。
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むっちゃきらびやか。
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助手さんに「エジプトってキリスト教徒いるの?」と聞いたら「もちろんいるよ!」とのこと。言いぶりからすると助手さんもそうかな?エジプトの人口の10%、国連事務総長だったガリ氏もコプトだそうです。
入口はジーザスがすしざんまいのポーズをしていた。
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1世紀のアレクサンドリア教会(エジプトの首都のやつですね)が起源だそう。北アフリカがイスラムになってもしっかり続いた。十字架の形が特徴的。狛犬もいる。
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全景はこんなんです。
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この敷地の入口には金属探知機つきのチェックポイントがありました。モスクにはなかった。なんかそういう関係なんだろうか。
周りはこんな感じ。裕福ではなさそうだが危ない感じでもなかった。
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と、いうわけで帰りましょう。
途上国のタクシーはクソで大嫌いなのですが、今回もまあ予想通り。
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だいたいの調べはしてあって、空港まで20ドルまでなら相当のぼったくりだがそれでも許容してやろうと思っていたところ、「30ドル」と言ったので「ふざけんな」と猛然と交渉。意外とすぐに折れた。しかし「駐車場代払わないといけないから2ドルくれ」と食い下がり、呆れて受け入れた。
当然領収書など出ないので、紙切れとペンを渡して「これに書け」と言ったら「いいペンだな、くれないか」ときた。つえーな。心の狭い斜陽の国の人なのであげなかった。こいつらにとっては次々とダメ元の要求を繰り出すのが確かに適応的なんだけど、国の印象は確実に悪くなるし見下されると思うよ。

ところで、ドラクエIIIのアッサラームの町(位置的にはバクダードあたり)に「おお わたしのともだち!」といって高額の武器や防具を売ろうとする店がありました。相当値切ってもやっぱり高いぼったくりなんだけど。
それが今回、タクシーの運転手が誰も彼も2人称がmy friendなので、これほんとだったんだ!と発見して感動しました。そしてやはりクソぼったくりだった。

エジプトの空港はセキュリティがえらそうで(公務員が威張ってる国なんだろう)、何度も冗長な検査をし、エジプト航空の客室乗務員は感じは悪くなかったがサービスは少なく機内は汚かった。過去に生きてる強権政治の国。ピラミッド見に行った人も2度は行きたいと思わなかろう。日系の旅行会社を使うか、現地につてがないと嫌なことがいっぱいありそう。

ところで中盤から便が水に。しかし別に熱も出ないしお腹も痛くないので「ストックがだめならフローで勝負だ!」と食べ続けていました。そして水便は治らなかった(当然だ)。

* * *

行き帰り16時間ずつの行程で2冊読了。

◆鎌田遵『癒されぬアメリカ 先住民社会を生きる』集英社、2020年。
アメリカ先住民社会のフィールドワーク。日本語でこれが読めるのはすごいし、作中に出てきた青木晴夫(ネズ・パース語の辞書を作った人)もむちゃすごい。体裁はエッセイの集成だけど、カジノだとか環境団体、トランプとの関係、ドラッグ、コードトーカー、先住民とは誰か?など知りたいと思っていたトピックが網羅されていてとても勉強になりました。次は英語の入門書に挑戦します。

◆豊川斎赫(編)『丹下健三都市論集』岩波書店、2021年。
・都市をリ・クリエーション(再生産)の場ととらえるところ
・建築や都市計画を個人の日常生活スケール/集団生活のスケール(広場など)/超人間的スケール(自動車などの高速移動)に分ける考え方
・原子力が人間性の意識解放をするという発想(オーウェルもそうだが、原子力が同時代の人々の想像力に与えた影響)
・第一の産業革命が、人間が手足の延長となる道具で実現したとすると、第二の産業革命は、人間が神経系統を延長した情報・コミュニケーション分野で起きるという分類
・20世紀末の日本人口が1億2000万人という意外に正確な人口問題研究所の推定(これは丹下の試算ではない)
・都市開発における既得権益(地主)批判
など、時代を感じつつ面白い分類や着想がいろいろありました。

2022年10月16日

海どこ

海が見たいなと思って、メリーランド州はイースタン・ネック国立野生動物保護区に行ってきました。ここ。

近そうに見えるし、アメリカの感覚では近いほうなんだけど家から180キロくらいあって2時間かかる。結構いいドライブです。
しかし着いて思ったが、チェサピーク湾とはいえここはまだ川なのではないか。wikiを見たところ、このあたりは塩分がほとんどないそうです。
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そしてオフシーズンに入ったらしく、いろんな道やら施設やらが閉まっていた。
水を見ながら昨日買ったパイを食べようと、折りたたみの椅子まで持っていったのに使わず。
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でもまあいいや。秋たけなわでバイカーもかなり多かったです。
去年のクリスマスに泊まったケント・ナロウズでコーヒーを飲みました。
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DCから東へ行く道は信じられない大きさの穴ぼこが随所に開いていて段差もあり、あんまり自分の車で行きたくないなって思いました。
久しぶりに結構な距離の運転をしました。

* * *

疫病罹患で寝まくった時あたりから背中の右下あたりが痛く、とうとう体を捻るだけで激痛が走るようになったので、サロンパス出動。
筋肉の痛みだと思うが膵臓とかだとやだな。いや多分筋肉。マットレストッパーを新調するかどうか。しかし合う合わないがあり、博打だと思う。

* * *

人事の面談のことで書きそびれたが、考課役のパイセンもDC赴任時代に奥さんとお子さんが帰国してしまってから生活がつまらなくなり、ベセスダといういいところの地区に借りていた大きな一軒家を出てDCのややサブカルな地区に転居したうえ、少し先に控えていた大きな仕事のために滞在を延期することもできたが「もういいや」といって帰国してしまったとのこと。やはり家族がいないとDCは暮らしがいがないということはあるらしい。

なんでそんな話になったかというと「正直もう帰りたいんですよね、親も祖母も歳だし、友達もみんな日本だし」と言ったからであります。パイセンが「わかるわ~」と応じて自分の時のことを聞かせてくれたというわけ。

* * *

実りの秋とか行楽の秋だったりするようですが、光の具合と気温と街の匂いで蘇るのは去年の秋の大変なあれこれのみ。

* * *

地元ニュースが見られるテレビのチャンネルがやっと分かり(遅)見ています。
地元バージニア州のことをcommonwealthと言っていて、stateと何が違うのかと調べたところ、一緒でした。ケンタッキー、マサチューセッツ、ペンシルベニア、バージニアだけが自称コモンウェルスなんだそうです。

2022年09月05日

フロリダもういっかい

8月25~29日のフロリダ出張の最後で「もう一回」が確定し、今回は9月2~4日でした。
もともと9月1日から3日、いやもうちょっと延長かも、でも中2日(8月30、31日)であっても家に一回帰りたい、というので居残らずDCに帰ったところ、中3日になって結果としてはよかった。駐米他社の人はフロリダに居続けたら結構つらかったらしい。ほんとにちょっとした判断の差で苦労が増えるのが当地。

で、結果はというと「さらにもう一回」になってしまいました。しかし次はちょっと先だろうなという観測になり、駐米他社の人と「終わってないけどちょっと終わった感じがしますね」と言いながら帰ってきました。

では今回の絵日記。
フロリダ3回目につき、朝10時半に家を出て、レーガン空港→オーランド空港→レンタカー借りてハイウェイびゅん→午後4時前には半島東側の街に着く、という流れるような移動でした。
空は相変わらず広くてきれい。
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他社の人と落ち合ってベトナム料理で遅い昼飯、というか早い夕飯。重かった。
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結局、夜はお腹が空かなかったので、食べずに早めに就寝。
と思ったらDCから仕事の電話がかかってきて睡眠時間を1時間ロスした。

翌3日、朝は4時20分起き。眠いっちゃ眠いけど徹夜した前回よりは相当まし。
朝だねえ。蒸し暑いけど天気はもちそうだし、今日こそ行ける気がするよ。
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と思ったがその4時間後くらいに行けなくなった。残念。
そんでひとしきり後始末をしたあと、駐米他社の2人と夕飯に行きました。
ココアビーチという街のFrolida's Fresh Grillという海鮮のお店。
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「何でも写真撮りますね。インスタでもやってるんですか」と駐米他社に言われるのでそそくさ撮ったせいでおいしく見えませんが、店名を銘記するくらいどれもうまかったです。ワインを1杯飲んでもよかったかもですが、飲酒運転すると途中で寝そうなくらい疲れがたまっていたのでやめました。

4日は帰るだけです。16時前の飛行機なので朝は寝坊できるはずが、早起きの癖がついちゃって8時には起きました。
じゃあ朝飯いきますかねえ。海沿いのVillage Innというダイナー。
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卵、肉、パンケーキという野菜皆無でおそろしいが典型的な朝食。
コーヒーはポットできた。
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満足満足。
横のおじさんはエッグベネディクト定食(ハムかベーコンとハッシュブラウンがつく)とトマトジュースを注文してました。なるほどな。それバランス的にうまいね。

それで給油してオーランド空港に戻って車を返したら、空席待ちリストに登録していた一つ早い飛行機に乗れたので夕方前にDCに帰ってくることができました。
オーランド空港ではCLEARという有料サービスに登録して、荷物検査の前の長ーーーいIDチェックの列を生体認証によってすっ飛ばすという体験をしました。

前夜に一緒に食事した、弊管理人より4カ月くらい後に赴任した駐米他社の人。先月見たとき元気がなかったと別の駐米他社の人から聞いていましたが、今回は大変そうながら元気ではありました。結局10日間もフロリダにいて「今までで一番運転して自信がついた」とのこと。フロリダは景色がきれいで気に入ったそうです。気分が上向いたのですね。

そうなんだよ。自分で出張アレンジして、飛行機のって車借りて、運転してどっか行って、メシ食って、日用品調達して、洗濯して、というのを一通りやりおおせるとちょっと自信つくんですよね。前も書きましたが、ほぼ何も知らない新生児と一緒の状態からクレジットカードと携帯電話という基本的人権をゲットして、いろいろ経験しながら社会人を目指すゲーム。何が悲しくてそんなのやってるのかはよく分からないが、とにかく動き、話すしかない。

弊管理人も今は独りでもずんずん飲食店に入り、分からないことはその辺にいる人に聞き、エレベーターでどうでもいい日常会話をし、メールでらちが明かないことは電話で問い合わせるようになってきました。声が大きくなった。それはそうしないと聞き取ってもらえないから。
忙しくて書く機会がなかったけど、8月25日から滞在12カ月目に入りました。

* * *

フロリダでの仕事の長い待ち時間の間に、駐米他社の人から「最近、通信料の見直しをした」という話を聞いて「自分もやらなきゃ」と思ったので、家に帰ってすぐネットとテレビを契約してるベライゾンVerizonにコンタクトし、去年勧められるまま契約して「なんか高いな」と思っていたプランを変更しました。

・ネットは1G→300Mへダウングレード。しかしスピードテストをしたら1Gの時点でも300Mくらいしか出ていなかったのが、ダウングレードしてもやっぱり300Mは出ており、体感速度は全然変わらない

・テレビはほぼ見ないのでベライゾンの契約を切り、必要なチャンネルが最小限揃っている安いストリーミングテレビサービスに切り替えました(試しに何か映るだろうかと思って契約を切った後、テレビをベライゾンのサーバーではなくアンテナ端子に直接繋いで電源を入れてみたが何も映らなかった。アメリカは金を出さないとテレビが見られないらしい)

これにより、今まで月$168だったのが$100くらいになりました。工夫次第でもう$20くらい減らせるのかもしれないけど、まあそれでもとりあえずこれでいいや。即刻コストが大きく圧縮でき、満足度が大きかったです。

* * *

5日はレイバーデーLabor Dayの祝日でお休みです。同僚によると、アメリカの夏はレイバーデーをもって終わるとのこと。8月14日以来やっと休めた。そして8月中旬の弊管理人をさんざんやきもきさせ、ストレスから睡眠時間を爆増させた仕事が世の中へと旅立っていった。

曇り空だったので、ちょっと買い物に出て大根の煮物と回鍋肉もどきを作り、サバ缶開けてご飯を食べました。

2022年07月24日

西部どんなとこ(3)

【19日】
もともとダラダラすると決めていた日です。8時間くらい寝て起きると既に外は暑そう。
部屋は涼しくて快適なので、前日買ったサンドイッチを食べてゴロゴロしているうちに昼過ぎになりました。
ホテルのプールを下見。無料のベンチは日陰がなくてむっちゃ暑そう。
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水浴びはやめました。
隣のショッピングモールを冷やかしついでに、フードコートで中華をテイクアウトして部屋で食べました。
キンドルで本買って、午後はずっとベッドで読書。十分寝たはずなのにまぶたが下がってきます。これが一番贅沢な時間の使い方なのかもしれない。
シルク・ドゥ・ソレイユの劇場がホテル内にあり、今日を逃したら見られない(20日には公演がない)こともあって、急に21:30の回のチケットをとって行ってみました。
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ていうかシルク・ドゥ・ソレイユって聞いたことあるけどなんだっけ?というくらいの認識だったのですが無国籍エキゾチックなサーカスでした。初めて見た。すごかった。音楽は生演奏でした。そうだよね、演者と息合わせないと事故になりそうですもんね。あと観客の視線を舞台に引きつけてる間に天井からはブランコの人たちが降りてきていたり、合間に道化が出てきたりと場面の繋ぎ方も完成されていた。4段階中安い方から2番目のチケットで、手数料(なんだそれ)込み120ドルくらいしましたが、席はわりと前のほうで満喫しました。でもこれは正面で見ると一番楽しいはず。
動かなすぎて頭ぼーっとしてくるくらいの一日でした。

【20日】
なんかあまりに動かなすぎたのでホテルのジムに行き、隣のフードコートで焼き鳥丼を食べ、散歩がてら近くのショッピングモールを見に行きました。
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ヴィーナスフォートのいいやつでした。
ウォルグリーンWalgreenというドラッグストア兼スーパーで寿司買って帰りました。
夕方、日が傾いてきたのを見計らって散歩。ヒスパニックっぽい人たちがいっぱいいるタコス屋があったので入ってみました。Tacos El Gordo、ネバダとカリフォルニアにあるそうです。220724gordo1.JPG
「ティファナから来ました」って。本場なんですかね。
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シュラスコみたい。そいでぱっぱと薬味(玉ねぎとかパクチーとか)を入れて完成。
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メキシコのチェリオって感じでしょうか、ハリトスとともに。
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うん、うまかった。
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戻って寿司食いました。蒸しエビが食えて満足です。
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ちなみに10ドルちょい。お酒もちょっとね。そういえばウォルグリーンで買うときにID見せろと言われて免許見せたら、レジのおばちゃんが「えっ45歳なの?ちょっと!(隣のおばちゃんに)45ですって!!」って始まった。まあそろそろこういうのも最後かな。

【21日】
11時チェックアウトでどうしようかなあと思ったのですが、核実験博物館というのを地図で見つけたので行ってみました。今回はリフトLyftという配車アプリを初めて利用。ウーバーよりちょっと安いかも。ドライバーさんの取り分も若干多いそうで、アメリカ限定ですがこっちを推す意見がネットにありました。

入っていきなり「ミス核爆弾」とファットボーイ。
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申し訳程度に「焼き場に立つ少年」の写真があったくらいで、おおむね技術的な展示が多かったです。ナチ対抗で始まり、実使用を経て冷戦。大気圏内実験から地下、臨界前くらいまで。
そんなに大きな博物館ではないのですが、飛ばし飛ばし見てもたっぷり2時間半かかり、閉館時間に。売店はキノコ雲がプリントされたマグやTシャツなど不謹慎グッズが充実してました。
出ると46度の世界。きっつ。10分ちょっと歩いてちっちゃいモールでチキンサンドイッチを食べました。
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早めに空港に行って読書。空港にまでカジノあんのね。
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夜行の飛行機に乗って帰りました。
もはや誰もマスクをしてなく、どこで疫病をもらってもおかしくないなという状況だったので、家に帰る前に行きつけの検査場でPCR検査を受けましたが陰性でした。実は出発前にも濃厚接触者になってたんだけど、PCR陰性を確認して旅立ったんだよね。なんちゅう世の中。

体力の低下および加齢のせいか、あんまり頑張らない夏休みになりました。
でもまあ欧州では人が死ぬような熱波が来てる中だったのでダラダラするしかないでしょ。いや北の方の山間部に行けばよかったのだろうか……
仕事してる時よりよほど英語喋ってたのはよかったです。ツアーで正解。独りで黙って運転してたら辛かったろう。あと暑さのせいか、随所でエンストしてる車を見ました。こういうリスクがないのも便利な点ですね。

ところで、今回の旅行はiPhone13 miniのカメラをかなり使いました。
特にコントラストの激しい場面ではコンデジより相当賢く絵を作ってくれます。
暗いところにも相当強い。超広角も時により便利。
カメラを撮りたいものに向けてちょっと待つと状況をうまく判断してくれるんですね。
ただちょっとのっぺりしてるのと、拡大するとやはり厳しい。
コンデジを完全に代替はできないが、これからはもっと使うかもと思いました。

2022年07月23日

西部どんなとこ(2)

【17日】
朝は7:45出発でホースシュー・ベンドへ。
コロラド川が馬蹄形に湾曲している場所で、写真だと迫力がよくわかりませんがすごい高低差です。
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あぶねえ。
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駐車場との行き帰りはこんなところを15分くらい歩くんですが、周囲もクレーターの中を歩いているようで絶景だと思います。やはり写真だと分かんないけど。
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そのあとモニュメントバレーに向かう途中、カイエンタのバーガーキングで昼飯。なぜかファストフード屋なのにナバホのコードトーカーCode Talker=ナバホ語を使った第2次大戦中の暗号通信兵=の展示があり、そして敵の日本のコーナーもあった。
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ガイドさんが「ペインフルな展示を見せてあげよう」と……いやいいです、そういうのは。そしてツアーにイタリア人カップルが3組いたので「昔コラボしたよね」と冗談言ったら「いやうちはヨーロッパ戦線だったから……」とかわされた。うまいな君。
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赤いねえ。
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カイエンタからモニュメントバレーまで30分くらいでした。
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ビジターセンターのテラスからの眺望がすごくよかった。
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そこからナバホのオフロードツアーに参加。
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2台に分かれて後ろの車に乗ったら前の車が立てた砂埃をがっつり浴びて、後でタオルで顔を拭いたらタオルが真っ赤になりました。
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天井に穴のあいた岩。
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ここの暮らしってどうなんですかね。
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さてページの宿に戻ります。
相変わらず走ってる時間がほとんどのツアーですが、個人的にはこういうの大好き。夢を見ている時のように次々とどうでもいいことを考えて記憶を整理している感じ。口元がずっと動いて声を出さずに何か喋っているので、もし見られていたとしたら奇異なことでしょう。

そういえば前日、ちょうど弊管理人がシャワーを浴びていた時間帯に、同じ棟に温水を供給するボイラーが壊れたらしいです。どうりで水みたいなシャワーしか出なかったわけだ。荷物をまとめて部屋移動となりました。元の部屋は駐車場の前だったのが、移動後は眺めの良い部屋になりました。得した気分(←アメリカナイズされてきた)
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夕飯はフライドチキンにしました。「バードハウス」。ううむ店名……
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店内はアジア人客多し。どうも韓国人がやってるんじゃないかな。
チキンはちゃんとおいしかったです。ビールで正解。セットになるサイドメニューにはちゃんとブロッコリーサラダを選びました。こっちの人、すごいブロッコリー食べますよね。
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近くのサークルKでアイス買って宿で食って寝ました。

【18日】
朝6:45出発でアンテロープ・キャニオンへ。
ネイティブアメリカンのおにいさんガイドと一緒に、砂岩でできた谷に潜っていきます。
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1990年から公開されている比較的新しい観光地とのこと。
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やっぱりマスクはするのね。
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異世界。なぜか動画撮影はだめだそうです。
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そのあと、ダムをちょっと見て、昼食に向かいます。
ユタ州を延々ドライブ。移動時間がそれぞれ2時間くらいある。
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住民の半分がモルモン教だって。NYから延々こんなとこに広がっていったのだねえ。

街に出たところでお昼。ゴールデン・コーラルGolden Corralという全米どこにでもある食べほのチェーンだそうです。11.5ドルとかだった気がする。
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すごい安いし味もこれなら十分です。
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ミートローフ推しだった。

そんでネバダに戻ってきました。昔の核実験場の近くを通り過ぎるってんでまた第2次大戦とかヒロヒトがどうだとかの話になってしまった。弊管理人は別に日本を代表してないので知らんぷりしてました。かつてはラスベガスのホテルからキノコ雲が見物できたんだって。

最後にバレー・オブ・ファイア州立公園をちょっと見ました。
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これはこれで荒々しくて見応えあります。
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外気温44度だって言ってた。これくらいになると確かに10分くらいしか外にいられません。ビジターセンターに避難しました。5億年前は海だったんだってねえ。

さて、これでツアーはおしまいです。ガイドさんとドライバーさんにはやはりチップを払うものらしく、1人10ドル×日数が相場のよう。しかし現金の持ち合わせが十分になかったのである分だけ。

解散したホテルからウーバー使って、これから3泊するトレジャー・アイランドTreasure Islandというホテルに行きました。
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チェックインはほぼほぼスムーズ。34階の部屋はけっこう広くてベッドはキングサイズ。冷蔵庫とバスタブがあり、空調がうるさくないので居心地いいです。窓からの景色はこんな。
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薬局(CVS)があって食品もそこそこ置いてますが、やっぱり若干高い。しかしルクソールホテルはこの倍くらいで異常だった。
日が傾いていたので出かけられる気温になったっぽい。バスに乗ってフリーモント・ストリートFremont St.に行きました。しかしやっぱりバスは貧乏人が使うものっぽいな。観光客にまじってやばそげな人たちがちらほら。
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アーケードが全面ディスプレイになっていて、なんか女王様みたいな人に尻を叩かれてる人とか、半裸のマッチョに抱きしめてもらってる人などいました。DJがYMCAかけてて場末を感じさせます。天文館あたりのほうがいけてるんじゃないか。喧噪に倦んで早めに引き上げました。昼たくさん食べたせいかお腹があまりすいてなかったのと、ホテルに入ってるチキン屋の店員の態度が悪かったため結局何も食べずに就寝。

2022年07月22日

西部どんなとこ(1)

日没間近の夕立。最寄り駅を降りたらこんな空だった。
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夏休みで今年前半の区切りっていう気分。年の前半は比較的、自分で何しようかなって考えられる時期みたいです。
夏休みに何しようどこ行こうというのを考えていたら段々億劫になってきて、ひょっとして家で寝てるのが一番かもっていう真実がよぎるんですけど、実はもう飛行機もツアーも予約しちゃったんだな。
14日の仕事は自分で切り上げ。「夏休み始まった~!!」という解放感はあった。

【15日】
のそっと起きて支度。13:30レーガン空港発なので正午前に着くように地下鉄に乗りました。
パスポート忘れた……けど免許証があるのでIDチェック普通に通過。Ben'sチリボウルでチリドッグ食べて搭乗。
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使ったのはJetBlueという格安航空会社です。使い込んだ感じのある機材でしたが離着陸上手だし、飲み物やスナックのサービスもあるしで全然これでいいなと思いました。アプリを入れると航空券取得まで全く紙がいらなくて便利です。
乗り継ぎのボストンまで1時間半。海辺の空港できれいだった。
ラスベガス行きは777便。これわざと?偶然か。
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17:10発、5時間ちょっとでラスベガスです。途中うとうとしつつ、夏休みの読書として買った『星の王子さま』をあっちゅう間に読み終わってしまい、あとは窓の外を見て過ごしました。
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変化があって楽しかったです。というか出張と違ってやることを考える必要のない航空便は休み感があってよい。
空港からルクソールホテルは近いからウーバー使えばいいなと思ったら33ドルもしました。たっか!しかも地図で見た感覚よりかなり遠かった。
ピラミッドの形をしたホテルです。内側が吹き抜けになってて22階の部屋の外から下見たらめちゃくちゃこわい。
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カジノがありました。やんないけど。あと館内のコンビニで野菜ジュース5ドル、カットフルーツ9ドルというクソぼったくり価格におののいた。そして寝た。

【16日】
5時過ぎに起きて昨日買った野菜ジュースとカットフルーツつまんでチェックアウト。
これから2泊3日で参加するツアーは6時半出発です。アリゾナ州のセドナ、モニュメントバレー、アンテロープキャニオンなどを回ります。3日間の走行距離1700km!
ラスベガスを出たところで既にそれっぽい。
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1日目の走行距離が一番長く、総計7時間くらい走るそうです。旧ルート66をところどころなぞってたらしい。ガソリンスタンド併設のコンビニにはグッズいっぱい。
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移動に大半の時間が取られるからだと思うけど、セドナに着いても見栄えのする岩とか、フランク・ロイド・ライトの弟子が作ったチャペル・オブ・ホーリー・クロスとか車窓から見て通り過ぎた!そんで目抜き通りみたいなところに停車して「2時間とるので昼食とってお土産屋さんでも見よう」ってうそでしょ。ありえん。
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ということでこの2時間は弊管理人の好きに使わせていただくことにしました。ウーバー呼んでチャペルへ行ったる。アプリで車が近づいてくる様子が地図にリアルタイムに表示されるんだけど、渋滞してる道を回避してすっと到着したジモティーのおっちゃん運転手を見て勝利を確信した。
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「3時までにツアーバスに戻らないといけないんだけど、チャペルで何分とれますかね」と聞いたら「30分で余裕じゃないかな。着いたらウーバーの受信切っとくから帰りも俺の車で戻りな。行きはウーバーにいくら取られたの?12ドル?じゃあ10ドル現金でくれればいいから」と超フレキシブル対応。ありがとうおっちゃん~
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結果としては行って大正解。高台にあるチャペルからは周囲が見渡せて、中も厳かでよかった。
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「帰りに外からも建物撮りたいんだけど」と言ったらちょうどいいところで止まってくれた。
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チップはずんで14:20に帰着。「どこに止まったらいい?」と聞かれて「ビジターセンター」と答えたら、暫く考え込んだ末に「Ah, ヴィジローセンロー!!」とアハ体験されてしまった。そんなにアメリカンに発音せないかんの?
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で、照り焼きチキン弁当(2300円……)買い込んでバスに戻ってランチ。瞬発力が冴え渡った。ていうかフォトストップしようよ、バスツアーなんだから……
きょうのセドナは43度でした。といっても湿気が全然ないので体感33度とかそれくらいです。
途中で給油休憩したフラッグスタッフFlagstaffは標高2000mくらいで、25度と涼しかったです。
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ナバホ・ネイションを延々走りました。そう、ネイションなんだよね。連邦政府とは昔、和平条約を締結しており、条約を結ぶ相手は定義上ネイション。ちなみに全米ではほとんどの地域でマスク着用は自由になっていますが、ナバホ・ネイションでは屋内マスク必須だそうです。あれですかね。ネイティブ・アメリカンは(恐らく社会経済的な理由で)重症化率・死亡率が高いからですかね。

砂漠にはこの日と次の日、夕立が来てました。雨が降ると急にひんやりします。
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アリゾナのページPageという街に投宿です。近くのダムの工事のため1950年代に作られた街だそうですが、ちゃんとでかいスーパーとかご飯屋さんとかがありました。19時近くなっても38度。ですが出かける気力がなくなるほど暑くもなかったです。湿度の影響ってすごいね。
夕日きれいやった。
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夏休み、もともとはレンタカー借りて砂漠を走るつもりだったんですが、運転は人任せが楽でいいな。あとガイドさんの解説が聞けるのもいい。費用も独りなら自分で全部アレンジするよりかなり安いと思う。あと走ってる間はずーっと考え事ができるのも休みっぽい。
宿にプールがあるから入ると体が冷えていいよ!と言われて水着着て行ってみたけど水が汚そうなのでやめて寝ます。
と書いてからシャワーを浴びたらお湯が低温すぎて冷えた。

2022年05月30日

シェナンド~

30日の月曜日は「メモリアルデー(戦没軍人記念日)」でお休みなので世間は3連休です。弊管理人は土曜日がシフトに当たっていたので日月の2連休。ずっと晴れの予報だったので、先週タイミングを逃して行けなかった山にドライブに行きました。
ここです。シェナンドー国立公園。

近そうに見えるけどハイウェイをすっ飛ばして2時間半。
それにしても天気いいです。先週の日記で「35度になってもう季節は戻らないらしい」と書きましたが、週が明けたら15度で雨でした。で、この週末はまた27度とか。車のエアコンにかなりお世話になっています。
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国立公園はスカイライン・ドライブという南北約170kmの展望道路に沿って指定されている細長い公園です。えっと多分中学地理で習ったアパラチア山脈。尾根をずっと走るので、ずっと両側の展望が開けていてすごいきれいです。70カ所も展望所があるそうです。そしてトレイルもいっぱい。
売店がほぼ40kmごとに3カ所あり、最初の売店で昼ご飯にしました。ハンバーガー。やっぱりね。でもレジカウンターの裏でパテをジュージュー焼いてて、結構うまかった。
ストーニー・マンという岩場を目指します。始点の駐車場に車を停めて30分くらいかな。
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ほんとにちょっとしたハイキングでこの景色。
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岩から岩に飛び移った拍子に胸ポケットから落ちたiPhoneが泥に突っ込みました。防水でよかった……そして泥でよかった。傷なし。体のほうは右足が痛くなりました。弱ってんな。
こういう景色がずっと続いているので他の写真は割愛。
売店脇で休憩する人たち。バージニアってこういう景色がずっとだらだら続いてます。
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ブラックベリーのアイスを目当てにしていましたが、昼飯を買った最初の売店にしかなかった。残念。まあまた。
日帰りでもいいんだけど、なんか特に急いで帰る理由もないしということで、スカイライン・ドライブの最終盤あたりにさしかかった午後5時過ぎにやっと携帯の電波が安定したところで宿を予約しました。最終目的地はストーントンStauntonという小さな町です。
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なんかきれいなとこですね。
メイン通りと思われるところはホコ天になっており、路上に席を作ってみなさん夕飯食べてました。ジェラート屋があったので、食べ逃したブラックベリーとクランベリーのを注文。
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うまかった。ちょっと散歩します。
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スチュアート・ホール・スクール。
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小学校高学年から高校までの学校で、元は女子高だったと立て札に書いてあります。
これに限らずなんか素敵な建物が多いんですけど。なんだろう。
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ちょっと外れに宿屋併設のタイ料理屋があったので入ってみました。
太麺と野菜の炒め。あとシンハービール。
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うわあ現地の味。ちゃんと辛いし。油断してた。こんなところでちゃんとしたタイ料理が食えるとは。
弊管理人を除くと唯一の客だったリッチモンド(バージニアの州都)から来たという中年ご夫婦から話しかけられて、ずっと喋ってました。地元民の面目躍如でバージニアのいいところをいろいろ教えてもらい、行きたいところが結構増えました。「でも独身なんで単独行動なんですよね」と言ったところ、「北バージニア・ハイキング・クラブ」なるものがあるということまでご教示いただきました。
話はマスクや銃規制にまで及び、なんであんなにずっと問題化してるんですかねと水を向けたところ、旦那さんが「アメリカ人はやれって言われるのが嫌いなんだよね笑」と言い、弊管理人は深く納得しました。日本人はむしろ「やれって言ってほしい(信頼できない他人を縛ってほしい)」のかもしれん。
ご夫婦にバイバイして店を出てぷらぷらしているとバンドの音。外でライブやってました。
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シードル酒場の駐車場でこれくらいの規模なんですけど、連休中日のエンタメって感じでなんかすごい楽しそうだったんですよね。いやそんなにいっぱい見たわけじゃないけど人の表情が気なしか柔らかい。あと、油断した体型の人が多くてフィットネス過剰な都会と違って好感が持てる。アメリカの田舎にもうちょっと足を運んでみるべきなのかも。
午後8時半、だいぶ暗くなってきました。
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宿に戻りましょう。
Hotel 24 Southっていう街の中心部にあるホテル、税金と駐車代も入れて130ドルくらいで、都会だと下手すると相部屋の値段なんですけど、結構広くて窓からの景色もよくて、洗面所と風呂場も余裕のある造りで、こっち来て初めてホテルの部屋に満足しました。浅いバスタブがあったので8カ月ぶりにお湯ためて浸かってしまった。タイ料理屋で話したご夫婦は年2回くらいストーントンに来ていて、ここも泊まったことがあり、朝食がすごくいいと言っていました。今回はまだ疫病体制が抜けてなくてマフィンや果物、ヨーグルトとかジュースを部屋に持ち帰る形式だったのが残念です。でもこの値段で朝飯もついてるの素敵。

部屋でテレビ見てたら、abcで「100人に聞きました」みたいなチーム対戦番組をやってて、今田さんみたいな黒人芸人と板尾さんみたいな白人芸人が跳んだり跳ねたりしており、なんかすごい平行世界に迷い込んだ気分になりながら寝ました。

* * *

祝日の月曜はゆっくり起きて、朝飯食べて身支度して9時半発。
今度は、昨日のスカイライン・ドライブ南端から始まるブルーリッジ・パークウェイという道路を南下します。ブルーリッジ。青い山脈。藤山一郎か。
引き続きこんな景色。
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今日の目標は、ハンプバック・ロックスという(また)岩場です。パークウェイの入口から6kmくらい下ったところのビジターセンターに車を停めて登山道へ。
昨日のところよりはちょっと体力がいるコースだそう。
にしても天気いいな。
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すぐに森の中に入るから日焼け止めはいいだろう、代わりに虫除けスプレーをしていく、という戦略は当たり。虫に悩まされることなく歩けました。
1.6kmと短いが、その間に2000m登るということで結構急峻ではありましたが、脅すほどのことはなく淡々と歩けるコースでした。どうでもいいけど、山歩きしててすれ違うときに挨拶するのは日本もアメリカも一緒なんですよね。どこの文化なのこれ。
そんで上はこの景色!
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すごい危なそうに見えるんですが、岩が突き出ているわけではなく広さもそこそこあるので、安心して景色を楽しめます。
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ところで「写真とってもらえますか」を言ったり言われたりしながら気付いたんですけど、こっちの人は人物を大きく・真ん中に写すことが多い気がする。景色が主役にならないんだな。

ともあれ、うーん来てよかった。
さくっと降りて、近くの適当なワイナリーに寄りましょう。今回はVeritas Vineyardというところ。
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今回は赤のボトルを1本買って、あとせっかくなのでトーストを1枚。
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写真だとよくわかりませんが、パンにベリーのコンポート(かジャム)を塗って、ベーコン、チーズをまぶして焼いた感じ。これはワインの当てにいいな。毎度ワイナリーに行っても飲めないのが残念なんだけど、どれくらい飲むと飲酒運転になるんだろう(悪い考え)。
と調べたらバージニアは血中アルコール濃度0.08%だそうです。わかんないよ。
後でさらに調べたところ、体重65kgの人(弊管理人)の場合、1時間にビールなら350ml、ワインは140mlくらいでこの基準に達する様子。これさ、グラス1杯だけ飲んで、あとは水飲んで1時間くらいまったりしておしっこしてから乗れば大丈夫じゃないかなあ(悪い考え)。

ということで午後2時にワイナリーを出て午後5時前に帰宅しました。途中、ガソリンを入れたり、セブンイレブンでアイスチャイを飲んだりしていたので、まあ運転時間はだいたい2時間半か。地図で見るとほんとにちょろっと出掛けただけなんですけど、平均時速80km以上でずっと走ってると結構長いなーという感覚です。誰か誘うべきだったか。これ以上遠くに出掛ける場合はやっぱり飛行機ですね。

感想。
・アメリカ(東部)は森の国
・田舎は穏やか。白人の割合がかなり高まる
・みんな車を酷使してる(100km/h近くで運転しててもびゅんびゅん抜かれる)
・セブンイレブンのコーヒーのたぐい(自分でカップ取って注ぐ形式)の買い方が分かった
・分からないことはとにかく尋ねるべし
・旅友を作るべきかもしれん

* * *

5月は多分これで終わり。相変わらず1週間はすごい速さで過ぎた。でも頭は日本のGWだったと思うと、振り返ればわりと長かった感じもする。
8カ月が過ぎて9カ月目に入りました。任期の4分の1くらい終わった感じ?いろいろやっているものの、やはり長期出張感は抜けないかな。残りを指折り数えてるところからしても。
あと今月は何回か「1日3食、自分に食べさせるの面倒くさい」モードに入ってしまいました。
平日の運動不足もなんとかできないものか。

* * *

イチゴのパックに3.19ドルの値札がついていて、うーん高いってほどでもないし値引きを待つのもいつのことやらって感じだしと思ってセルフレジに持っていったら1.99ドルでした。なんで?値引きから戻すの忘れてる?でもまあ得した気分。

* * *

大学の卒業式シーズンのようです。
Commencementは「始まり」という意味ですが、当地では卒業式のことだそうです。
ガウンはそのままgown、角帽はmortarboard。中世の大学由来の格好とのこと。

そういえばこの週末ハイキングしながら思い出しました。
当地の政権はPutin's price hikeという言葉を使っていて、ウクライナ危機で引き起こされた物価上昇を某皇帝のせいにしているわけですけど、hikeを「急上昇」という意味で使うのはアメリカ英語だそうです。知りませんでした。
このところTモバイルというドイツ系の電話会社がコマーシャルでアメリカの大手にケンカ売ってて、ベライゾンは人口カバー率が低いがこちらは99%、AT&Tは値段が「hikeする」がこちらは価格保証ありだ、みたいなことを言っており、hikeが政治用語じゃないことを知った次第。

2022年04月28日

WVえんそく

ウエストバージニア州という海なし県みたいな小さい州がありまして、人口約180万人(弊管理人が住んでる東隣のバージニア州は865万人)、産炭地といかにも寂れた感じですが、アパラチア山脈を抱え、南北戦争の史跡も多く、のどかな観光地のようです。

で、その東端(つまり首都圏に近いほう)、ハーパーズ・フェリーに行ってきました。
目的はハイキング。

家からゆっくり走って1時間20分くらい。こぢんまりした街はこんなとこ。
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ポトマック川とシェナンドア川という二つの川が合流するところに位置していて、昔から交通の要衝だったそうです。線路があるので鉄道で行っちゃおうかと調べましたが夕方着とかですっごい不便。何のための線路……と思ったら貨物列車が結構頻繁に通っていました。
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街の外れから、線路と歩道がついてる橋を渡ると対岸に行くことができます。
(この写真は帰り)
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こんな感じの岩山の上を目指します。といっても標高は200m弱で、在宅しすぎて弱った足腰でも特に苦にならないような散歩道です。
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青い花がそこかしこに咲いてました。バージニア・ブルーベルという北米の野草だそうです。日本は連休でネモフィラを見に行ってる人たちの写真をインスタでよく見かけますが、なんか対抗できた気がします。
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そんで、街を見下ろす岩場がゴール。
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持ってきたドーナッツ食べてまったりしました。あとは東京と仕事のやりとりをしていました。
さらに街に戻ってフィッシュ&チップスも食べてしまいました。
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さて帰りましょう。来る時はハイウエイでひとっ走りでしたが、帰りはワイナリーが並ぶ下道を行きます。この辺、都市部を離れるとなだらかな丘が広がっていてきれい。
適当に選んだここはTwo Twisted Post Winery。
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音楽のライブみたいのをやっていて、芝生でお客さんたちが飲んでました。弊管理人は独りで運転なので、飲酒運転にならない程度に味見して1本買いました。20ドル。安いと思う。
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日曜は雨の予報なので、これ飲みながら勉強したいと思います。

* * *

先週のピッツバーグもそうでしたが、だんだんアメリカを日本のように歩けるようになってきた感じがします。「ここの仕組みはこうだろう」という予想が当たる。視界に入るもの全てに注意をしなくてよくなる(「なんとなく」歩ける)。ほいほいっと仕事のメールが書ける。独りでレストランに入って注文して食べてチップ払って出てこられる。
つまり社会生活を送るための基礎知識が増え、認知リソースが節約できるようになり、いちいち疲れなくなってきたということ。
しかし慢心すると穴に落ちるので気をつけます(心の安寧が訪れないタイプ)。

* * *

平日はすごい量の英文やミーティングを処理しないといけないのですが、otterという英語の書き起こしアプリとDeepLで片っ端から日本語テキストに変換して横着しているせいで、たぶん英語力はあまり上がってません。日本語でざーっと読んで大切なところを見つけたらそこだけ原文に戻ってちゃんと読む、という省力化がAIによって可能になり有り難い限りなんですけど、これってここ2年くらいで出てきたツールらしいんですよね。それ以前の人たちって一体どうやって仕事してたのか。震える。

ということで使えるとかっこよさそうな今日のイディオム。
zero in on ~に照準を合わせる

2022年04月24日

ピッツバーグ

首都圏から北西に340kmくらい、ペンシルベニア州ピッツバーグに行ってきました。
移動は飛行機。前任者と話すついでにそのことを言ったら「え?車で行けるじゃん」と言われました。確かに。でもまあいいや。

今回は家からDCのレーガン空港まで地下鉄。土日なので2ドル。やすい。ただし乗り換えの接続が悪すぎて、乗車してる時間は30分ないのに50分くらいかかった。
ピッツバーグ国際空港からダウンタウンまでは50kmくらいあるんですけど、乗り合いシャトルは30ドル、ウーバーも50ドルくらいするところ、公共バスが走っていて2.75ドル。これもまた安くて助かります。しかしシートベルトなどない普通の路線バスがハイウェイを時速100kmくらいですっ飛ばすのですごい怖かったです。

ダウンタウン到着は昼ちょい過ぎ。バスを降りたら黒人がたむろってるメインの通りだったのでさっさと川辺に出ました。きれい。
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橋がとにかくいっぱいあります。鉄鋼の街で第2次大戦中は昼間も暗いくらい煙もくもくだったようですが、今は「住みやすい街ナンバーワン」なんだって。人口30万、確かに市街地は適度にコンパクト、繁華街も大学病院もあるし、よさそう。

アンディ・ウォーホル美術館に行きます。最寄りの橋のニックネームも。
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7階建ての高さ方向に長い建物です。入るとマリリン&ウォーホルがお出迎え。
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線画、シルクスクリーン、映像といろんな媒体で作品を量産した人ですが、実際に見てみると弊管理人はドローイングがとても好きでした。たぶん影響を受けた江口寿史の漫画を小さい時から読んでいたからだと思う。猫とか人とか、便器なんかの静物でも、線に肉感がありながら軽くて洒脱だった。
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TDKのコマーシャルは80年代の初頭で、あの時のぼわっとした髪型が印象に残っていましたが、実は20代から髪が薄くなってきたのを嫌ってずっとウィッグを着けていたのだそうです。あと、ぼてっとした鼻も嫌だったらしい。パスポート写真を自分で修正して作品にしたこともあったという。
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とにかくクライアントからの発注は精力的にこなしていっぱい作品を残し、当代の芸術家とも積極的に交流し、メディアにも露出した。自分で番組も作った。収集家でもあって、コレクションは5万点にも上るとのこと。
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亡くなった時(1987年2月)は弊管理人は小学校低学年だったけど覚えてないんですよね。胆嚢の手術時の合併症。全く不慮の死だったよう。
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いや楽しかった。↑この3人はただ休んでるお客さんです。

ちょっと足を伸ばして、ストリップ・ディストリクトという一画を散歩しました。
倉庫街を改装してご飯屋さんとか土産物が並んでいるのですが、どこも混み混み。
その外れであまり人の入ってなかったフォーのお店で昼飯にしたらとてもおいしかったです。

予定がどんどんずれてこの旅行に食い込んだ面倒な仕事が、さらにずれたおかげで時間がフルに使えることになったので、さらに足を延ばしてインクラインに乗りに行きました。
こういうやつ。
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崖の上の住民の利便のために作られた線とのことです。
眺めは超いい。
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ということで宿に向かいます。電車で。
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乗り物はバスも電車もインクラインも2.75ドル均一で分かりやすい。コネクト・カードというSuicaみたいなやつが1ドルで買えて、使う回数分だけチャージすればいいので全く無駄がなく、使いやすくてよかったです。
ホテルはホリデイインという2万円くらいするところで、設備は特に不満はないんだけどサービスが行き届かずぶっきらぼうで、なんかこの国は人のファクターがだめだという仮説がまた強化されました。
夕飯はグーグルマップで近くを探したらSubba Asian Restaurantというところが見つかったので行ってみました。
ネパール、インド、中華、そしてなぜかブータン料理がメニューに載っていて、ブータンに一瞬惹かれましたが、検索してみたらあまり好みでなさそうだったのでネパール。普通に魚の定食にしました。これだ。
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たぶん店のオヤジは中国の人だと思う。スパイスじゃなくて主にソースで味を作ってるターリーだったのでそんな気がした。顔も東アジア、あとご飯の器も東アジアだろうこれは。でもちゃんとおいしくてお腹も膨れたので大いに満足しました。店内は南アジアっぽいおにーちゃんや家族連れが密やかに楽しく食事をしていて、なんか多分いい店なんだろうここは、と思いました。

明けて日曜。
観光したかったところは土曜に行けてしまい、でもまあ時間あるしということでバスでふらっと行ったカーネギー博物館・美術館。
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派手じゃないんだけどすごい物量。
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古代エジプトの物品も結構充実していて、ミイラまであった。
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しかし、博物学とコロニアリズムの関係を直視し、この後予定しているリノベーションではそこをちゃんと明示しつつどんな展示ができるのかを考えます、という言い訳のパネルもあって、そこは大英博物館が「ここに持ってきたおかげで破壊と風化を免れました」と完全に開き直っていたのと違って好印象。
あとは美術館もざっと見て出ました。印象派がそこそこの点数あり、現代ものも多く、見応えありました。工業デザインを扱った特別展もよかった。鉄鋼王カーネギーの財力を思わずにいられません。図書館やら大学(カーネギーメロン大)やら、とにかく街中カーネギー。
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それにしても全館写真OKなんだよね。それどころか「撮影お勧めしてます。ネットでシェアしよう!」とかいっててすごい。京都のケチな寺あたりとは違う。

さて、バスでダウンタウンに戻って、今回のメイン、ハインツホール。
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外見はなんてことないコンサートホールなんですけど、中はこれ。すごくないすか。ケチャップ屋なのに。98%はちゃんと綿パンにジャケットみたいな格好していて、ジーパンのアジア人(=弊管理人)はバーカウンターでオレンジジュースくださいとか言ってて完全に浮いていました。昼飯を逃して喉が渇いてたんだよ!
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で、今回の目的はブロンフマンがソロを務めるラフマニノフのピアノ協奏曲3番。2004年に東京であった伝説的な公演を見逃してからずっと機会がなかったのですが、アメリカ来てみたらこの人いろんなところでやってるんですよね。
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前から10番目の真ん中左の席を取りました。ブロンフマン、18年たってだいぶおじいちゃんになったけど、最初の数小節で既に胸アツです。1楽章のカデンツァは相変わらず圧巻で、椅子から体を浮かせる勢いで打鍵するとスタインウェイの蓋がばたばた揺れる。ものすごい張力で巡らせた鉄線と木の工業製品を限界まで使い倒すような演奏です。1楽章が終わったところでブラボーが飛んでしまいました。ブロンフマンもちょっと頷いて応え、2楽章へ。
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普通の協奏曲や交響曲だと2楽章は箸休めですが、ラフ3はメロメロキッスな曲調ではあるもののきちんと音は動いており、そこからさらにネジを巻いてアタッカで3楽章へ。
今回やや残念だったのはピッツバーグ響がブロンフマンのドライブを制約するような鈍重さだったことで、もっと機敏にソロイストに反応すれば最高潮でフィナーレに持っていくことができたと思う。ブロンフマンはオケを引っ張ろうとしながら、しかし置いていかないようにギリギリの線を狙っていたはず。
コンサートピアニストって何だろうと友人と話したことがあります。たぶん、内向的な洗練よりも聞き映え、というのが弊管理人の答え。その意味ではブロンフマンは典型的なコンサートピアニストで、ぞっとするようなピアニシモはないけど、正確な爆音で観客を巻き込み、最後の音を打った瞬間に観客を総立ちで叫ばせた!

弊管理人の18年越しの課題もこれで終了。後のマーラーはうとうとしながら聴いて、終了後はバスに飛び乗って空港に行きました。(余談だが、空港バスがバス停を通り過ぎようとする気配を感じ取って、横で並んでたおっちゃんがめっちゃ手を振って止めた。こういう瞬発力が欲しいものです)

最後はこれ。Primanti Brosの「ピッツバーガー」というサンドイッチと、Yuengling(中国語っぽいがドイツ後で「若者」らしい)という地元ペンシルベニアの老舗ビールで独り乾杯。
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離陸とともに寝て、DCに戻りました。
うん、行ってよかった。ときどき旅行しないとね。

2022年03月18日

フロリダ出張

16-18日、フロリダに2泊3日で出張してきました。
国内線初めて、レンタカー初めて。特にレンタカーは勝手が違うだろうなと思ったらその通りで、広大な駐車場に並べてある車の中から「好きなの選んで乗ってって」という形式。
どうやって使用者と車を紐付けるのだろうと思ったら、駐車場の出口ゲートで車に乗ったまま保険をどうするかと、ガソリンは満タン返しか単位で払うかを選んで、カードで仮払いしてそのまま乗り出すのでした。
きょうびカーナビはついておらず、iPhoneを有線か無線で繋いでCarplayという機能を使うと車側のディスプレイにiPhoneの画面が映し出され、あとは地図アプリにナビしてもらうというだけ。だよね。地図はいつも最新だから、これが絶対合理的だと思います。

ずっと在宅で2時寝の10時起きみたいな生活だった冬と違って、今回の外仕事は5時半とか6時に起きて延々運転して仕事場に行ってわいわいやって戻ってその日のうちに寝る、というサイクルでした。ちょっと遅寝遅起きが是正できた。
ホテルは「ベストウエスタン」を使いました。日本だとちょっといいビジネスホテルくらいのイメージだったけど、これは東横インだな。クリスマスに泊まったチェサピーク湾のベストウエスタンと部屋の中がほぼ一緒だった。満足とは決して言わないが文句を言いたくなるほどでもない無料朝食がついてるとこまで東横イン。建て付けはモーテル。

最終日は5時半起きの仕事が11時半にはけたので、そのままケネディ宇宙センターの展示施設に行きました。駐車場10ドル、入場料57ドル。結構やね。
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しかし結論からいうと行ってよかった。アポロ計画以来また月に行こうというアメリカの宇宙開発に仕事で触ることがちょくちょくあるので、歴史や位置づけが体感できたというのが大きかったです。これはアポロで使われたサターンVというロケット(のケツ)。
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資料を読めばスプートニクショックがあって、事故があって、72年まで月に行って……というのは分かるのだけど、なんというか温度感みたいなのが掴めないために、目の前の一つ一つの事象に思い入れが持てないでいたんですよね。
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サターンVは制限区域内にあるのでバスで往復しますが、そのバスの中でもビデオが流れて、いまアメリカが進めている月探査計画のトリビアから概要、センター周辺の自然保護対策まできちんとアップデートされた情報を伝えていました。現政権の国家宇宙会議の重要アジェンダの一つになっているSTEM(理系科目)教育の重要性にも触れていて、確かにこういうのを楽しく見せられた子どもが勉強頑張って将来いっちょ噛みしようって思えば、必ずしも結果として宇宙に関わらなくてもアメリカという国の強さを支える力にはなるよな。
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ここのセンターのアトラクションは、入口で強制的にいったん足止めされて、歴史と技術をコンパクトにまとめた映像を見せられてから、やっと展示を回れるようになる作り。
↑これはスペースシャトル「アトランティス」の展示館の入口ですが、立ったまま頭上と左右を取り巻く大型モニターによって映像の中に浸されるので、本当に宇宙船に乗って宇宙をぐるんぐるん回ると眩暈がするようになってる。
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そして、これを全て資産として持っているってすごいよねえ。
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ただこの国の常として「人」に依存する部分は全くだめで、係員は写真とってくれと頼んでも聞いてくれないし、アトラクションの列はただ人が集まってるだけで「列」になってない。
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仕事場でも、事前に計画されていたことはできておらず、待ち時間に行くと待たされ、バスは「気分」で定刻より早く出発し(乗れたけど)、開始時刻はまず遅れる。書類を大量に要求するわりに見ない。メールは返ってこない。なのに悪びれない。ただこれは「そのたびそこいる人に確認する」「対応を求める」ことで大部分解決することも分かってきました。つまり「交渉文化」なんだと思う。声を出すことで物事が進むということ。めんどいけどフレキシブルとも言えなくもない。今回も17日は午後10時40分まで送迎がないという案内だったのに、仕事にちょっと早く目鼻がついたので午後8時時点で「帰りたい」と訴えたら「ちょい待ち」といって小さい車をアレンジしてくれた。おかげで睡眠時間が確保できたりした。
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射場を望む観客席から、17日にお披露目されたSLSという月ロケットが見えました。(画像が荒れてますが、デジタルズームを限界までやったため)
成功するといいね。

31度。日差しはそれなりにきつかったですがそこはまだ3月、風があると涼しく、快適に歩き回れました。ゆっくり見ると1日では足りないと言われる施設を4時間半で切り上げて、びゅーんとオーランド空港に戻ってレンタカー返却。これも返却手続きはなく、「リターン」と書かれたところで車を降りるだけ。空港で夕飯食べて帰りました。
疲れたけど、国内移動の初級課程はできたと思う。

フロリダはもはや誰もマスクしてなくて、しかもめっちゃ唾飛ばしながら大人数で喋っていたので、帰宅翌日の土曜にPCR検査受けてきました。陰性。ほっ

2022年03月05日

ポープ……

Pope-Leighey House。ポープ……リーヘイ?リーイー?ライ……いや……
という読み方の分からないフランク・ロイド・ライト建築。
今日やっと発音されるところを聞いた「ポープ=レイヒー邸」はバージニア州アレクサンドリアというところにあります。家からは車で30分。ブランチ食べてから向かいました。

昨年末に行ったペンシルベニア州のケンタック・ノブで「これと似た装飾の建物がDCの近くにもあるよ」と言われて探したのがこれです。冬の間は閉めていて、3月2日からツアーが再開したというので早速予約しました。毎正時の回はそれなりに人数がいたものの、13:30からは弊管理人1人だけ。心理戦?に勝利した。ということで解説担当のおねえさま独り占め。贅沢~
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1930年代にライトが注力した、中流層向けの手頃な「ユーソニアン住宅」の一つです。ワシントン・イブニング・スターというかつて発行されていた日刊紙の記者、ローレン・ポープがライトに依頼し、1939年に建てられました。1946年にレイヒー夫妻が買い取り、ハイウエイ(I-66)の拡張などに伴って2回移築され、現在の場所で保存されています。

「ちいさいおうち」のように、真ん中にドア、左右対象に窓を配置した質素な平屋のケープ・コッド・ハウスという様式とは違った創造的な建築です。「ユーソニアン」はアメリカを指す造語(ライトのではない)で、古い伝統から独立した20世紀のデザインを志向して使ったもの。ちなみに「手頃」といいつつ、最初に建てられたフェアファックス郡の住宅の平均価格が3500ドルだった時代に7000ドル。ポープは会社からお金を借りてローンを組んだ。当時はこういうローンの組み方はよくあったそうです。

当時珍しかったガラスのドアから入り、数段の階段を下ります。
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右手が台所で、奥が居間、居間の左がダイニングルームです。
ライトの住宅の特徴は圧縮compressionと解放release。低い天井、狭い通路を通って高い天井の部屋に出ると、部屋が余計に広々と感じられるという効果を狙ったものです。音楽みたい。
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ね。(分かるかな)

床は温水を使った床暖房があり、背後に暖炉がありますがほとんど使われなかったとのこと。そしてコンクリート床なので夏はひんやりとし、熱い空気は上の装飾がしてある窓を開けると外へ出ていく自然冷房Green Coolingになっていて、夏は外より8~10度涼しいそうです。

この装飾窓がケンタック・ノブにもあるやつで、デザインはそれぞれの家に固有です。動物に見えなくもないけど、先住民のデザインから着想を得たものだとか。ここから入ってきた光が椅子に落ちて、太陽の動きとともに移動していくのが楽しめます。

ダイニングは居間と仕切られておらず、テーブルも同じ形の机モジュールを3個並べて置いてあるだけ。
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家の中にはこの机モジュールが計6個あり、お客さんが来た時などは必要な数だけ居間に並べて対応していました。

台所は広くありませんが機能的です。
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この家の設備はトイレのタンク以外は建ったときからあるものだそうです。
では子ども用の寝室に行きましょう。通路でまた一度compressionされます。
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おしゃれですね。
子ども用のベッドが一つ。しかしポープの子どもは近所の池に落ちて死んでしまったそうです。
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建った時は、「隣人は森だけ」ということでカーテンレールはありませんでしたが、戦中、灯火管制のためにカーテンが付けられるようになりました。

こちらは夫婦のベッドルーム。
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居間が図書室になっているので、ベッドで本が読めないような高さに棚を作ってしまったそうです。主張の強い家ですね。
もう一つの部屋を見て、ぐるっと外を歩いて終了。すごい楽しかった。
こうして見るとサンルームが広くて素敵。手前が玄関ですが、軒が低いのが最初のcompressionです。
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日本から来たと言ったら「帝国ホテルあるでしょ!」と言われました。さすが。でも自由学園は知らなかったので写真を見せたら食い入るように見ていらっしゃいました。あそこは実にいいので来てみてほしい。

なお、話を聞きながら弊日記用にメモをとっていたら「建築専攻の学生さん?」と聞かれ、さらに後続の客に「日本からきた若者」と紹介されました。まあ帽子にマスクだしな。

同じ敷地にはワシントンが甥っ子夫妻にあげたという「ウッドローン・マンション」があります。チラ見して帰りました。
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夕飯は手抜きして中華のテイクアウト。

* * *

東欧が熱い戦争になってしまい、晴れて暖かい土曜日、場面場面ではみんな日常を楽しく過ごしているんですが、全体状況はなんとなくうきうきとはいかない雰囲気です。それこそ3.11の後の3月4月ってこんな感じだったかもしれない。事態がよくなる感じがしない中で迎える春というか。

それにしても、疫病対策では中国あたりがかなりうまくやり、民主主義の国は意志決定が遅くて緩く、経済成長も鈍く、民主主義って今かなり分が悪いんじゃない?という議論をこの2年ちょいちょい聞いていましたが、専制の国でトップが狂っちゃうと手が付けられないし、国でも会社でも研究室でも長く同じ人が同じポジションにいると程度の差はあれ必然的に狂ってくるので、やっぱり任期付きの人たちが集団で意思決定するってのは歴史的に選択されてきた知恵なんだなと思いました。と保守化する弊管理人。

* * *

今回は使いたい英語とはちょっと違い、名札に付けるpronoun stickerについて。
アカデミア寄りの会議に参加登録したときに、名前や連絡先と一緒に「どういう代名詞を希望するか」を聞かれてなんだこれ?と思って調べたら、3人以上で議論をする時などに性自認に配慮した代名詞を使うためらしい。見た目が男っぽいので「彼の言うように……」と確認もせずに発言するのはもはやだめで、「he/his/him」みたいなシールを名札に貼っておいて、自分がどう呼ばれたいかをみんながアピールする。シールは商品化されていてアマゾンにもあった。

日本語だと「○○さんに賛成で、」とかって苗字で話をするし、英語の議論でもファーストネーム使うだろうと思うのですが違うのかな。あと正直そこまでやるかと思うけどこれが普通になっていくんだろうか。単数形としてのthey/them/theirは聞いたことある。zeやhirは使い方がよくわからない(→練習しろとな)。askまである。めんどくさ。
しかしもう3、4年前からこういうことになっているようで、現象としては面白い。今回は疫病のせいで対面の会議が流れてしまったため実物を見ることはできませんでしたが、いずれ見ることになるでしょう。

2022年02月20日

グレンストーン

土曜はシフトだったので、日曜にどこかちょっと出掛ける先はないかな、と思ってグーグルマップを繰っていたら見つけたのがここ。グレンストーン美術館Glenstone。
家から車で30分のメリーランド州ポトマックというところです。木立の中に駐車場があり、ビジターセンターの前に係のおねいさんが立っている。
  『予約は?』
  「えっしてないです」
  『ここは予約制なの。……でもなんと今日はウォークインも受け付けてます!』
  「え~ありがと~!!」
  『次は予約してきてね!』
めっちゃフレンドリーだった。

首都圏とは思えないロケーションですが、そもそもワシントンはちょっと外れるとこういうところらしい。
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このパビリオンという建物はトーマス・ファイファーThomas Phiferという人の設計だそうです。建物内は撮影不可ですが、中庭に出たところで1枚。
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この水辺を巡る回廊にさまざまな広さのギャラリーがくっついたような建物で、外側はさっきの薄野原と、あとは近隣の家なんかも見られます。美術館建築なので自己主張を抑えているのに、いつも外が見える心地よい建物でした。
外でカップルに「写真とって」と頼まれて撮影。「そのメガネいいね」と褒められました。眼鏡市場だよ。「ジャパニーズデザインだと思ったよ!」ほんとか~
振り返るとこんな感じ。森を抜けてパティオに行きましょう。
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屋外飲食はやってました。
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チリとアップルサイダーでまったり。秋の味覚アップルサイダー、逃したなと思ってたらこんなところで賞味できました。要は濾過してないリンゴジュースです。
ちょっと出掛ければこんなところがあるなんて豊かだな。私立なのに展示の見学は無料です。
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屋外展示を見ながら回遊します。
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東海岸まだあまり歩いていませんが、プリンストンもケンタックノブもそうだったけど、基本的に森なんですよね。庭園でもヒースの茂る荒れ地でもなく、背の高い木立。
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ということで一周。これがビジターセンターです。
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1日中モニター睨んで終わる日々がこれだけ続くと、外に出て、歩いて、遠くを見たくなってたんだと思う。満たされた。現代美術のいろいろを紹介しているオリジナルのフィールドガイドという冊子、買っちゃった。12ドル。
すごい身近ですし、緑の季節になったら誰か連れてまた来よう。

* * *

疫病の勢いが収まってきたと思ったら東欧が風雲急を告げまくっており、ヨーロッパ各国駐在の同僚が次々とウクライナに行き、ワシントンの同僚はミュンヘンに出張したら今度は別件が動きそうになってそのまま居残り、とざわついています。
これまでも国際政治が乱れたことはいくらでもあったけど、ほとんど関係ない部署や地方にいたので、それこそニュースで様子を知るくらいでした。近付いてみるとすごいわ。英国駐在やイタリア駐在がウクライナ行って言葉とかどうするんだろうと思っていたが、ああなるほどという話を同僚からいろいろ聞いて大変勉強になります。

* * *

意外といろんな祝日のある当地、21日の月曜はプレジデンツデーPresident's Dayです。
大統領の日??と思ったらワシントンの誕生日なんですね。今は2月の第3月曜日固定だが、本当の誕生日は2月22日だそうです。今年は22.2.22。だから何。

* * *

今回の口に出して言いたい英語は口に出してはいけない言葉、moronです。
バイデン政権の主席医療顧問アンソニー・ファウチが議会でうざい追及ばっかりしてくる議員に倦んで、マイクが入ってる状態でWhat a moron.とつぶやいてニュースになったのがちょっと前。わざとだろうけど。

これ、訳すと「白痴め」くらいな感じか。IQの区分でいうと下からidiot→imbecile→moronの順で、かつてはICD(国際疾病分類)にも登場し、優生学的な負荷を負った言葉でもあり、これを医学のプロが言うところが政治的に極めてダメかつ最高度の罵倒になっていて、これがするっと口から出てくるところに感心しました。

2021年12月31日

フランク・ロイド・ライト

冬休み、今年いっぱいお世話になった同業他社の方と日帰りで出掛けてきました。
フランク・ロイド・ライトの「ケンタック・ノブKentuck Knob」。ここだ。

10:30からのツアーのために6時台に家を出て3時間半ドライブ。360キロ。東京~名古屋間くらいか。ひえー遠い
地元のアイスクリーム屋のオーナーが発注した、ライト最晩年の作品。家の内外を案内してもらうツアーに参加しました。
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室内は撮影禁止ですが、外観とテラスはOKでした。六角形や平行四辺形、それをブレイクダウンした三角形で構成されている家。
外も素敵でした。
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散歩しながら車に戻りました。
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こちらはツアーの予約が取れなかったのですが、ちょっと見るだけ見ていこうといって寄った近くの「落水荘Fallingwater」。なんと外観だけのコースなら飛び込みでも大丈夫だという!
わあこれだ~
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テラスまでは入れて、中もちょっと覗くことができました。水辺まで降りていけるんですね。
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上から見られるポイントもありました。ドラクエ感。
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このあとまた1時間くらい走って街のイタリアンを食べ、また1時間くらい走ってウエストバージニア州に行ってアイスコーヒーを飲み、帰ってきました。たぶん800kmくらい運転した。
・同業他社の方が助手席でいろいろアシストしてくれて大変助かった
・思いがけず落水荘が見られて大変よかった
・アメリカの運転に慣れるのにもいい機会だった
・アメリカのハイウェイは街灯がないので夜は結構こわい
・アメリカのハイウェイは制限速度が時速70マイル(112km)のところがあり、いっぱいいっぱいで走ると下りのカーブなど結構こわい
・それでもびゅんびゅん抜かれていく。車を酷使してますね
・遠出は飛行機だな

* * *

前後しますが、29日(日本の30日)にはメリーランド州の州都アナポリスに行って、クラブケーキを食べてきました。
ブルークラブというカニがこの辺の名物で、身をハンバーガーのパテのように固めたもの。うまかったです。
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アナポリスはこんなところ。
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『地球の歩き方』には載ってない観光地。DCからは40分ちょっとなので、休日にご飯食べにいこ、というくらいのノリで出掛けられそうでした。

* * *

ということで年末。日本は大晦日。仕事も生活もいろいろと課題を残したままではありますが、少しずつ解決して来年はいい年にしたいです。
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あとはきちんと食べて動いて、怪我のないように。ほんとに。

2021年11月07日

グラスゴー出張

アメリカのことさえ書いてない段階でイギリス出張になりました。とある会議でグラスゴー。
この日記を始める前の2004年9月にイギリス旅行したとき、エジンバラから北アイルランドに向かう途中で乗り換えで立ち寄ったようです(降りたような気がしていたが、当時書いたものを見返したら違ったみたい。よく覚えてない)。
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建築の街だそうです。確かに旧市街の重厚感と少し外れたところのモダンの対比が面白かった。じっくり見たかったけど、朝から深夜まで会議場に詰めていてままならなかった。
夕飯はセインズベリーというスーパーに23時の閉店前に駆け込み、サンドイッチとヨーグルトを買って宿で食べるという生活でした。結局、一番おいしかったのはcooked breakfast。
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でも、ナイロビと東京から来た馴染みの同僚とわちゃわちゃ仕事して楽しかったのでよし。旅人として滞在したので単純に比べられないけど、「この仕組みはこうやって動かすのかな?」という予測が当たるとか、レストランが入りやすい雰囲気だとか、人が優しいとか、なんかアメリカより過ごしやすいなって思いました。

あとイギリスもすっかりキャッシュレス化されていて、そもそも空港は両替所があいてない。街中のATMで試しに60ポンド下ろしてみましたが、結局使ったのはチップの割り勘と出発前の空港で買った本の12ポンドだけ。ほかはバスもスーパーもクレジットカードをタッチで終わりでした(同僚に聞くとタクシーは現金だったらしい)。あと、1ポンド150円超えてた。わあ。

それにしても疫病対応で旅行の手間の大半がとられ、入国後の検査、会議場に入るための毎日の検査、帰国用の検査、イギリスからアメリカへの渡航制限からの除外を求めるための大使館へのレター、それらの手続きと直前まで動き続ける規制の研究など、めっちゃくちゃ面倒くさかったです。

* * *

今回久しぶりに一緒に仕事をしたナイロビ駐在の同僚は、2012年に弊管理人が留学の企てに挫折したあと、次の年、「行かせてくれなければ辞める」と会社を脅してLSEに旅立っていった人です。家族4人でナイロビ暮らしってどんな??と聞いたら「煩わしい人間関係がなくてすごくいい」とのこと。タフだねえ。

* * *

グラスゴーは結構寒かったですが、帰ってきたらワシントンDCも晩秋の風情で、コートが手放せない季節になっていました。

2021年08月08日

児島

台風が向かってきてますけど、到達する前に行けばいいでしょう。
ということで岡山・児島にふらっと。
鷲羽山。
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あ……すばらし。瀬戸大橋がすぐ近くに見えます。
降りてきて「どんぱち」でうどんをいただきました。
児島うどんていうのがあるんだって。まあ讃岐の目の前ですしね。
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うまい。というのはもう見た目から明らか。
王子ケ岳、
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は橋から遠いので霞んでいるところを見るのですが、なんか夢みたいな(?)彩度の低さです。
ふもとにあるDENIM HOSTEL FLOATでレモネードフロート飲みました。
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学生服資料館みました。
瑜伽(ゆが)大権現のお参りに来る人用の足袋→学生服・軍服、という流れらしい。
1923 関東大震災後、米国からの支援物資が大量に入って洋服化の流れが作られた
1967 ラッパズボンなど変形・改造服が流行
1970年代 長ランが誕生=大学応援団が応援中に上着の裾が乱れるのを嫌って導入した
昭和40年代にはもう地元の学生服生産量が減少、値下げ競争、倒産も起きている
1983 変形服対策で高校を中心にブレザーへ転換始まる
1998 ペットボトルリサイクル学生服
など、学生服の歴史がかなり面白かった。

児島駅近くに戻ってきて、ジーンズストリートに行ってみました。
うん、そういえば特にジーンズが好きなわけではなかった。
夏っぽい空でした。
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特に暑い日だったようです。湿気も多くて汗びっしょり。

帰りは在来線で2時間40分。本読みながらだとすぐでした。
腕が焼けた。わりと日傘さして歩いていたので顔はそうでもないかも。

* * *

このサイト、やっとSSL化しました。万一、米国からアクセスできないと不便なので。

* * *

五輪閉会。ほとんど見なかった。いや職場はずっとテレビがついてるので横目で見てはいたんだけど、誰が勝ったとか負けたとかほぼ覚えてない。閉会式はわざわざ最初から見始めたのに、台風が鹿児島に上陸したとかでニュースになり、同時放送に切り替えるのも面倒だったので消灯しました。
招致時の都知事をもじっていうと「世界一金がかかってない『ように見える』五輪」。

* * *

■東浩紀『ゆるく考える』河出書房新社、2021年。
鷲田清一は本が違っても同じことばかり書いているので、新しいエッセイの書き手の、息抜きに読める本はないかなと手に取ったもの。
10年以上前の書き物を集めた本で、この文体(内容)は後で読み返して恥ずかしいだろう、と思いながら読んでいたら、やはりそうだったことが文庫化に当たっての後書きに書いてあった。

2021年07月26日

高山寺

京都・高雄の高山寺に行ってきました。
鳥獣戯画。ぬこかわええ。
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しかし複製のをちょっとしか展示してないの、ちょっとねえ。
日向は暑いけど、日陰に入るとまあまあ涼しかったです。紅葉の時に来るといいと思うけど、今年の紅葉の時期にはもういないんだなこれが。

にしんそば食べて引き揚げました。

* * *

ということで4連休終わり。
引っ越しまで1カ月になってしまった。はや~
会社用の携帯がそのうち取り上げられてしまうらしいので、SIMフリーのを買いました。OPPOっていう安いやつ。

2021年07月23日

大台ヶ原

6時前に目が覚めたので、奈良の大台ヶ原に行きました。
ここな。

近鉄で大和八木に7時半、そこからカーシェアの車で2時間。9時半過ぎで既にビジターセンターの駐車場ほぼ満車でした。たまたま出た空きを華麗にゲット。
最高峰は日出ヶ岳、1695m。涼しい!乗鞍くらいまで見えるらしい。富士山も見えるそうだけどどれだか分からなかった。
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振り返るとこんな感じ。
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天気がいいと見えるという熊野灘もかろうじて見えました。大台ヶ原は日本有数の降水量だそうですが、天気図とか見て晴れを確信して来てますのでね。
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昔は森林だったのが、伊勢湾台風で大量の樹木が倒れる
→キャノピーがなくなって下が乾く
→笹が茂る
→鹿が増える
→植物をたくさん食べる
→木が育たない
ということでこの景色になったそうです。つい50年ほどの出来事らしい。へえ。
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一言で言うと「森林の衰退」なのだそうです。
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暗いところはコケが繁茂しているものの、確かに笹に取って代わられている感じ。
なぜか神武天皇がいた。東征の時に大台ヶ原を超えたという、いろんな意味で「そうか~?」と思う話によるものだそうです。金鵄に関しては高校の文化祭が「金鵄祭」といい、共産系の教諭が「この名前はいかがか」とか言っていたのを覚えています。どうでもいいけど。
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そしてハイライト、大蛇嵓(←字出るか?「巌」の異体字。「だいじゃくら」)。
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絶壁の下に蛇の頭みたいな岩があります。その先は霞む山々。
すごい高所恐怖症でなければ絶対来た方がいいと思った。
その辺にいたマダムに携帯預けて写真撮ってもらったら、上の写真撮ってるところまで撮ってくれました。ナイス!!
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テンション上がった。すごい滑る靴で行っちゃって怖かったけど。
全体的にアップダウンはほとんどなく、ハイキングコースって感じです。距離は結構あった気がする。早足で歩いて、写真撮ったりサンドイッチ食べたりした時間を含め3時間ちょい。
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食堂で猪カレーも食べちゃいました。
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帰りしな、日焼け止めを落としたくて山鳩湯というところで日帰り入浴したんですけど、ぬる湯ですっごく良かったです。満足満足。

* * *

今週は引っ越しの下見に来てもらいました。
会社からの補助の上限が84万円なんですけど、現下の疫病のせいで船便、航空便とも遅れが出ており(現地税関も含め)、かつ高騰しているという非常に不利な条件らしい。
もともとスーツケース1個で1年留学したくらいなので、そんなに沢山の荷物を持って行けないなら現地調達でいいかという気になってきました。
今行ってる(弊管理人が交代する)人によると「歯ブラシは買いだめしてきたほうがいい」そうです。

* * *

某若者が鬱病の診断書を取ってパワハラ申告してお休みに入るとの知らせ。
やらかしたのは弊管理人よりちょっと下のおじさん職種のようです。
このやらかした人、昔はむしろやられてた側と聞いていたので若干の驚きがありました。最近本社から来てるんだけど、おじさんワールドの本社の感覚でやっちゃだめなんだよ。われわれは「ちゃんとした情操教育を経てない90年代入社世代」に苛まれ、しかし「私の不快を許さない若手世代」には気を遣わないといけないというなんか損な世代なのです。

まあ同世代にも「私の不快を許さない」というだけの好悪の問題をそれっぽい論理くっつけてごまかす面倒な人、いるけどね。

2021年07月18日

若狭湾

奈良の大台ヶ原に行こうと思ったら太平洋側の天気が悪いのの影響がちょっとあるようで晴れが見込めないということで、ふらっと日本海側に行きました。

6時起き・7時出発で長浜まで新快速で行って、カーシェアで三方五湖レインボーライン。
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めちゃきれいだった。
あと「淡水」でうな重。
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三方五湖のうなぎだそうです。見た目かなり淡泊なのに、しっかり香ばしくてタレも濃いめでかなりうまかった。結構待ちます。12時くらいとかの2時間待ちの時間帯に番号とって、どっか一カ所観光してくるといいかもしれない。順番が近づくと電話で呼んでくれます。
そんでエンジェルライン→さば街道→奥琵琶湖パークウェイ
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200キロちょっとのドライブ。気が紛れた。あと、土曜からちょっと下を向くと首いわすかも、くらい首から肩がやばい感じで凝っていたのが、日曜夜にはだいたい回復しました。何だったんだろう。寝違えた?眼精疲労?

2021年05月16日

西ノ京

近鉄に乗って西ノ京。
薬師寺です。
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12年かけて修理した東塔の1階が公開されたので、見に行きました。これ。
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創建当時から残ってるのが東塔くらいで、他は落雷や戦災で焼けたものの復刻とのこと。黒っぽく古ぼけた感じ。窓枠を緑(青)、柱を赤く(丹)で「あをによし」にしてフィニッシュしないの?と聞いたら「奈良は修復前、京都は創建当時の色に戻すので今の状態で完成」とのことでした。へー
塔の上についてる水煙(写真でゲジゲジして見えるやつ)は修復時に取り外し、3D計測して複製したのが今のっかってるそうです。ちょうど1300年お疲れ様の古い方が展示されていて見ることができました。会場の係の人に「今のっかってるレプリカ……」と言ったら「あれは新しい本物であってレプリカではない。実使用に供しているものはレプリカとは言わないしあっちが国宝」と軽く怒られました。FAQにでも書いとけ。
あと、坊主の婚礼かなんかを金堂でやってて、撮影禁止って書いてあるのに参列者がスマホで写真撮ってました。いいけど。

で、玄奘三蔵院伽藍へ。
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なんかいっこ前の日記で、明治初期の「擬洋風建築」がなんで多角形の塔を持っているかという問題が提起されてたんですけど、これだわな。こういうの載っけたくなったんちゃう。
平山郁夫の「大唐西域壁画」も見られました。
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おおきれいきれい。西域行きたいな。
雨脚が強くなってきたな~と思ったら、近畿はきょう最速記録で梅雨入りしたんだって。
お腹が空いたので、「よしむら」でそばを食べました。
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あ、いや、そばもうまいんだけど、ランチセットの押し寿司がなかなかでした。

近所の唐招提寺です。中学の修学旅行ぶりなので29年か。うひゃー
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エンタシス、ウズベキスタンを思い出します。シルクロードのあっちとこっち。
修学旅行のとき、一番印象に残ったのが唐招提寺だったと思います。
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仏像も建物も「すげー」と思うのはやはり薬師寺よりこっちだった。
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木津川でも思ったけど、弊管理人は緑がわさわさしてる風景が好きなのかもしれない。
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宝物館も見ました。
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半袖Tシャツ2枚重ねでほぼ寒い思いをせずにいけました。
夏はもうすぐやね。

* * *

まだ確定はしてませんが、ひょっとして意外と早く大阪を出ることになるかもしれない。
ので、もう本格的に仕事はどうでもよく、毎週末どこに行っておくかだけを考えて生きていこうと思います。

* * *

郷里の叔母が、暫く会ってないうちにいろいろ困っていたことを知り、援助を申し出ました。といっても甥からだと受け取りにくいだろうということで伯母を経由することにし、弊管理人は姿を見せないことにしました。
闘病や介護の負担軽減は難しいかもしれないが、お金で何とかなる部分があるなら何とかすべき。昔からよくしてもらっていた親戚が困窮しているのは悲しい。
親世代はそろそろ生活自立度が怪しくなり始め、同世代は非正規から正規に行くのが難しくなっている。しばらく会えないうちにいろいろな行き詰まりがひどくなっていくのかもしれない。弊管理人自身もいつまでもつやらという気はする。

なんてことを考えながら、ものすごくとぼとぼと奈良を歩いていたのでした。

2021年05月09日

廃線ハイキング

1986年に廃線になった旧国鉄福知山線を歩くハイキングコース。JR西日本が2016年に整備したそうで、歩きにいってきました。昨日はJR東西線の東行き、今日は西行きで。生瀬駅がスタート。
武庫川沿いを延々歩きます。
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たぶんここが一番映える5号トンネルの出口あたり。
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うん列車になった感じがする。
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出口のところにある「畑熊商店」のイノシシ丼でお昼にしました。
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はい武田尾駅でゴール。
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思ったこと。
・トンネルの中は真っ暗なので懐中電灯を持っていくべし
・長袖あったほうがよい
・厚底の靴のほうがよい
・生瀬10:52着、武田尾12:47発。ちょうどいいハイキングでした

2021年05月08日

加茂あたり

京都府最南端、木津川市。2007年に併合された加茂町エリアにいくつか行きたかったお寺があったので、そちらへ行ってきました。

JR木津駅で降りてカーシェア借りて11時。まずは20分ほど運転して浄瑠璃寺です。1047年創建。
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本堂に国宝の九体阿弥陀如来像がいます。大乗仏教の経典の一つ「観無量寿経」(一発変換のATOKえらい)に出てくる9ランクの功徳に対応した皆さん。上品・中品・下品にそれぞれ上生・中生・下生がつく3×3マトリックス(世田谷の九品仏ってこれですよね)。センターの阿弥陀如来中尊像はメンテ中ということで、かわりに秘仏の吉祥天女さんと大日如来さんがいました。
横長の阿弥陀堂は9人に合わせて作ってあり、これ自体がいわば厨子なのだと。不動明王の横にいる童子ちゃん2人がむちゃくちゃキュートでした。
で、阿弥陀さんと池を挟んで見つめ合う?のが薬師如来さんで、この三重塔にいます。こちらも公開中でした。うわーめちゃくちゃいいタイミング。秘仏三体が全部見れてしまった。
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いきなり元気出ました。しかしこれは紅葉の時期に来るとさらにきれいだろうな。

近くの岩船寺まではコミュニティバスもあるんですが、2kmほどの「石仏ロード」を歩いていくことにしました。ずっとこんな感じの道。
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磨崖仏がいくつもあります。南都(奈良)の官僚制化した仏教界からちょっと離れて勉強に集中したいっす、という人たちが多かったらしい。確かに奈良市はすぐ隣なんだけど静かでいいとこです。途中、脇道を指して「内ノ倉不動明王像」という案内が出ていたので何気なく寄り道したら、もうえらい山の中の起伏のある道で大変だった。
こちらは「わらいぼとけ」。なんか楽しそうでいいね。
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で、岩船寺です。こちらは花いっぱい緑いっぱいのきれいなお寺。
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702年、聖武天皇が行基に阿弥陀堂作れやって言ったのが始まりだそうです。へ~
本堂の阿弥陀如来座像は3m、946年の作。胎内の墨書から作られた年が特定できているそうです。四天王立像を従えてどっしりとした、とても据わりのいい仏像です。ちょうど23度くらいの暑くもなく寒くもない日で、静かなお堂の中で鳥の声を聞きながらしばらく座っていました。
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阿弥陀さんの裏に回ると普賢菩薩がおり、辰年と巳年生まれの守護本尊だというので、お守りを買ってしまいました。これはずっと持ってていいんだって。店番の住職はこの阿弥陀さんがめっちゃ自慢らしく、来る人来る人に「浄瑠璃寺さんのより100年以上古いんですよ」とアピっていらっしゃいました。
こちらにも塔ね。もうこの佇まいだけで素敵。
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扉あいてました。中は撮影していいんだって。太っ腹~
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といったあたりでコミュニティバスの時間がきたので、200円で浄瑠璃寺まで戻りました。

次はちょっと離れたところにある海住山寺(かいじゅうせんじ。ATOKすげえ)へ。
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なんでナス?
すごい高いところにあるので眺めがいいです。いただいたパンフに、薄曇りの日に山上から眺める光景は海に浮かぶ補陀洛山(浄土)のようだと書いてあって、ちょうどそんな日でした。
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735年に聖武天皇が良弁に観音寺を作らせたのが一番最初ですが、1137年に焼失。1208年に解脱上人が海住山寺として再興したとのこと。
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もみじに種がついていた。
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このおみくじはかわいい。引かなかったけど。
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ということで、ぼちぼち木津に戻りましょう。

15時を回ってお腹が空いたので、駅からちょっと歩いたところにある「レストランやましろ」でAランチ。
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ギャー素敵な大人様ランチ!手前左のフライはえびクリームコロッケでした。というか、ベシャメルソースとえびを一緒に衣で包んで揚げたエビフライです。ハンバーグもオムレツもそれぞれ作り込んであっておいしかった。おなかいっぱい!!

ということで帰りました。いいとこだな。奈良で1日遊んで泊まったら、次の日のコースとしてありだと思う。

* * *

前回の日記で書いた、かびのひどかった北側の洋間の湿度ウォッチをしているのですが、窓を開けないでいると湿度が80%を超えることが分かりました。どこからきてるの?
そして、高くない除湿器を置いてみると、水はたまっても湿度がほとんど下がらないことも判明した。

* * *

そんでもって次から次へいやはやと思うのですが、ここ数ヶ月(スパンを長くとれば3年ほど)見て見ぬふりをしていた会社での身の振り方に関する問題、いきなり来週中に答えを出さないといけなくなりました。本人はそんな進路を希望したことがないんだけど、なんか包囲網が極度に狭まった……

2021年03月30日

背割堤

日曜は雨だったので月曜朝、夜勤前に京都府八幡市の「背割堤(せわりてい)」に花見に行ってきました。
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木津川、宇治川、桂川が合流するところ。
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1.4キロにわたって桜並木があります。
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壮観壮観。
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お散歩を堪能しました。
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このあと職場がわさわさしていたので早めに出勤しました。
石清水八幡宮が見られなかったけどまあいいか。
今年の花見はコンプリート。

* * *

弊管理人は遠巻きに見ているだけの会社ごたごたですが、「いちばんえらい人の気まぐれで異動させられるえらい人を組合が擁護しようとしたら逆効果で会社から圧をかけられてえらい人疲弊」というストーリーではなく、「えらい人が組合を焚きつけている」というかほりがしてきており、伏魔殿不可解且面倒早期脱出熱烈希望の意を強くした次第です。

2021年03月15日

唐津・壱岐

何がというわけでもなく、もやもやした思いを抱えながら不要不急の外出。金曜から月曜まで休みにしてあったのですが、金曜はどこも雨だったのと、面倒みるべき若手ちゃんの仕事が2本あったので、在宅でこなしたりとだらだらしてました。結局、土曜早朝から日曜深夜までのお出かけとなりました。金曜夜に洗濯したら財布も洗ってしまい、焦った。カード類はとりあえず無事でした。

マイルで伊丹→福岡。片道7500かかるところ、何かのキャンペーンで4500で済んだ。呼ばれているということにしました。6時起き、8時発、9時過ぎには福岡。姪浜まで行ってカーシェアで唐津まで。「七ツ釜」を目指しました。
あ、いきなり海きれい……
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これはいい柱状節理。
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北アイルランドのジャイアンツ・コーズウェイを思い出します。
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天気予報をずっと見ていて、西から晴れてくるだろうと思って西に行ったら晴れました。関東は土砂降りだったようです。
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呼子にも寄りましたが、特段ナマのイカが食べたいわけではなかったので地元調理のお弁当を買って車の中で食べました。小ぶりのイカほぼ一杯の煮付けと、あと蕗の煮物がおいしかったのでこれでよし。実はなんてことない感じで置いてあったお寿司もうまかった。
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玄海原発も。いいとこや。ほとんど人のいないPR館から。
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PR館の展示の入り口。今はコストやベースロードとかではなく、非化石電源としてのアピールが一番に来るんですね。
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なんか最近こんな風景ばっかり見ている気がしますが、棚田。菜の花がきれいでした。これ菜の花を栽培してるのか、それとも生えちゃってるだけなのか。
このあと、不安定な三脚で自撮りしたら倒れて、カメラを地面に落下させてしまい、萎えた。
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いろは島展望台。こういうのもこの1年よく見た風景。どこに行っても人がいないのでゆっくりできていいです。
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お出かけは車も電車も好きですが利点は違っており、車は運転に気を取られるので考えなくていいということ、電車はいろいろ考える時間が取れるということ。
1時間半くらいのドライブで福岡に戻り、ごまさば食って早々に寝ました。

* * *

日曜は6時前に起きて、博多港から8時発のジェットフォイルで壱岐に行きました。
船内でちょっと寝てすっきり。港の観光案内所で電動アシスト自転車を借りたところで、担当のおねえさんが「一応電気製品なので、雨が降ったらどこかの軒下に入ってくださいね」というので「天気予報は晴れじゃなかったでしたっけ」と聞いたら「でも雲が厚いので」とのお答え。
その直後から雨が降り、雲が通り過ぎるまで1時間半、フェリーターミナルで本を読みながら時間を潰すことになりました。予報を見て空を見ないって愚かですね。
そのあとは晴れた。
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10キロくらい走って、小島神社に着きました。
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参道が水没していたので写真とってしばらく眺めておしまい。
そのあと、近くの「はらほげ地蔵」に。
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どういう意味があるかよく分かっていないものの、水難事故にあった海女さんの追悼ではないかとのこと。
近くの「はらほげ食堂」でうにめしを食べました。
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うには季節じゃないのと、ナマで食べたいかというとそうでもないのでこれで全然満足。さざえの壺焼きも海の香りがしておいしかったです。
そして、特に行く予定ではなかったがついでに行った左京鼻。
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波の音を聞きながら見とれていました。
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帰りにひょっとして?と思って小島神社に寄ったら、潮が引いて参道ができていました。
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島の裏に回ると登り口があって、ちょっと登ったところに神社があるので「平穏無事」をお願いしてきました。
参道にミニチュアもあった。
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で、またえっちら自転車をこいで「壱岐市立一支国博物館」へ。
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この変な建物、見たかったんですよね。って黒川紀章の遺作らしい!(帰宅してから知った)
飛び出てるのが4階の展望室で、ここから魏志倭人伝にも出てくる「一支国」の中心地・原の辻遺跡とその周辺の平野が一望できます。
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遺跡には建物がいくつか復元されていたので、それをちらっと見て16時過ぎに港に戻りました。
こいだのは25キロくらいでしょうか。結構なアップダウンがあったけど、電動アシストだとそんな疲れないですね。日焼け止めを塗っていったのでひりひりしませんでした。
堪能しました。「猿岩」を見たり、温泉に入って日焼け止めを落としたりしたかったんだけど、時間がなかったのがちょい残念です。雨上がり待ちの1時間半がなければ温泉くらいは入れたかもしれない。
ジェットフォイルで博多に戻り、駅の「しんしん」でラーメンとチャーハン食って満足。このお店は知っていたわけではなく、通りかかったら列ができていたので並んでみただけ。急がない旅のいいところです。
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帰りは山陽新幹線で2時間40分。前日までに買うと半額になる切符をとってあったので、7600円くらいで帰れました。

何がというわけではなくもやもやした気持ちはそのままでしたが、行ってよかった。
そしてしばらくは近場でいいかなというくらい遠出欲は満たされたかも。
なお休みの終わりには(1)リフレッシュしたので休み明けは笑顔で仕事できそう(2)休み明けが来ないでほしい、という2パターンがあり、今回は(2)です。

* * *

■森安孝夫『シルクロード世界史』講談社、2020年。

ウズベキスタンに行ってから中央ユーラシアおもしろい!と思っていたのに、しばらく海外旅行ができない世の中になってしまいました。旅情を誘う本として手に取ったのがこちら。
高校世界史の中でもとりわけ暗記が大変だったこの地域の歴史が少ーし整理された。ソグド人とマニ教という、どちらもそれ自体は歴史の中に消えてしまった民族や宗教が及ぼした影響の大きさと、西欧・中国中心史観を転換し、それらが中央ユーラシアの「周辺」に見せる話運びが印象深かったです。次はクチャまで行ってみたい。

2021年03月07日

伏見

先週は月曜を休みにしたら1週間が早い早い。
若手ちゃんたちからのいろんな投げかけとか、なんかうっざい議論などの一切に、一向に反応しない省エネモードで過ごさせてもらいました。

日曜朝飯は天満のパティスリー・カツラのバスク。
朝飯のために買ったのではなく、3日ほど前の宿直明けにフレジエで自分を甘やかした際、ケーキ屋で1個じゃなあということで一緒に買ってあったものです。
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おぢさんとしてはこの半分の量で十分ですが、味はよかった。

昼過ぎにのそっと出掛けて伏見に行きました。
初めて中書島で降りて、「揚子江」という中華屋さんで八宝菜定食をいただき、散歩。
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今年は桜が早いようで、もうしだれ桜の一部が咲いてました。
桜繋がりで黄桜でちょい飲みして、伏見稲荷へ。
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日がだいぶ傾いてからのスタートで、人少なめでした。
ご時世な。
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山頂まで1時間くらいかかりますが、友達や家族など、伏見稲荷の本殿までは一緒に行きそうな誰の顔を思い浮かべても山頂まで一緒に行ってくれそうな人はいないのでこの際行くことにしました。
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別にきつい山登りでもなく、淡々と登って淡々と降りてこられるわりに、見晴らしのよいポイントや鳥居シークエンスが楽しめるいいコースでした。
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で、降りてきて「なんだこれ!」と思ったら伏見稲荷の儀式殿だったようです。
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グーグルマップで上から見たら八芒星でした。
JRで大阪に戻って、すごい久しぶり(確か10月以来)に飲み屋さんに行って帰りました。
伏見はいいね。お客さんも連れていける感じ。

2021年03月01日

南予

この時期ならもう繁忙状態を脱しているだろうと思って休みを取ってあったのが、若干の見込み違いもあり、繁忙状態から脱する(と思いたい)まさに端境期に当たってしまい、しかし休みました。3連休。若干リモートで仕事したけど。

で、初日はすっきりと目覚め、若干の用事をこなしつつ「どこに行こうかな」と考えているうちに昼。ANAの特典航空券も当日だと申し込めないしな……と思いましたが、チケットショップで株主優待券を買えば正規料金の半分になるということに気付き、取っちゃいました。松山便。

夏以来の人たちとちょっと会って、翌日は南予に独りドライブ。
愛媛県最南端の町、愛南町・外泊(そとどまり)の「石垣の里」。
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幕末~明治期に、近くの中泊地区の二男、三男が山を開いてできた集落で、そのときに出た石を使って風や塩害から家屋を守るための石垣を作ったのだそうです。
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独特な風景です。ドラクエっぽい。
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あと一等地は上のほうと下のほう、どっちなんでしょうね。下のほうが浜に出やすくて便利な気はするんですが、やっぱ山の手か。上のほうに立つと、下のほうの家の庭とか窓とか丸見えでした。上だな。

で、途中の温泉施設みたいなところで昼飯食べました。
地元名産のヒオウギ貝。この貝殻の色は天然だって。まじ?
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結構おいしかったです。

外泊に行くだけで2時間半かかって、戻りがてら宇和島市遊子(ゆす)の水荷浦(みずがうら)段畑へ。というかここに行くのも結構細い道を延々くねくね運転することになります。
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でも今回はドライブそのものが楽しかった。海辺の生活の中を走り抜ける。ここに生まれて働いて死ぬ人たちがいるんだなと思うと異世界に来た感じがします。
で、着く。わあすごい。
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ここまでして畑作せなあかんのか。
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振り返ると海がほんときれいで。内海は海の向こうに陸地が見えるのがいつまでも新鮮です。
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結局ほぼ1日運転してました。320km走ってしまった。
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伊予灘SAからの夕暮れが見られてよかった。

翌日は砥部町に行って砥部焼のコップを一つ買いました。
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白地に青の唐草、厚手のボディが特徴だそうです。
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職場に置いて、これでアイスコーヒー飲もう。
そんで大街道に戻って、大入亭で松花堂弁当(980円!)いただいて帰りました。
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月曜は雨の予報でしたが晴れてよかったよかった。
あさってくらいまでは笑顔で仕事できる気がする。
ただし19度&強風の松山でむちゃくちゃに花粉症が出たのでこの先心配です。

2021年02月14日

加太

シフトを外れるかわりにずーっと続く案件をずーっとやってた1月が終わり、シフトに復帰。宿直明けたらきっちり帰ります。そう心に決めて金曜は昼前に帰った。部内で懲戒処分者が出たとかで夜に緊急会合が開かれ、「よほどの理由がなければ出席を」とのメールが回ったが、あまり関心がなかったのと、概要は社内のポータルサイトで分かったので欠席。

土曜は仕事を投げてきた和歌山在勤の若者とやりとりがてら、「夕陽を見ながらお風呂に入りたいがいいところはないか」と聞いたら「加太の休暇村が好き」と答えが返ってきたので即予約。昼過ぎに南海に乗って和歌山市に行きました。
和歌山市駅で乗り換えた加太線は何やらおかしなことに。
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終点、加太駅。
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送迎バスで数分で到着です。
部屋からの眺望最っ高。
お風呂も。
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PCを部屋に持ち込んで仕事を片付けたあと、三日月を眺めながらぼーっとしてました。
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宿では星の観望会も催されていました。外は寒くなく、プラネタリウム並みに星も見られました。
夜半に東北で震度6強の地震。

日曜は天気悪いかな、と思っていたら全然よかったです。
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海を見ながら朝飯食べて、もうひとっ風呂浴びて、友ヶ島に行きますよ。
加太の港。
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フェリーにのって……
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20分で到着です。
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淡路島と紀伊半島の間を抜けてくる敵を撃つための砲台があった島だそうです.東京湾でいうところの猿島みたいですね。
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弾薬庫がほぼそのまま残ってる。
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砲座の跡は丸く残っています。
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ラピュタっぽいとかなんとか。
展望台に立つと淡路島がすぐそこです。
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破壊された砲台が残っていたりして、猿島より見所がいっぱい。帰りのフェリーまで3時間半あったのですが、ゆっくり回ったらちょうどいいくらいでした。
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で、また海もきれいなんだ。汚くて底が見えない横須賀とは大違い。
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若いカップルと家族連れが多かったです。
確かに結構歩くし、アップダウンがあるので高齢者にはきついかもしれない。
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廃墟も味がありますねえ。
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こういうのをセルフタイマーでとってる中年独身男性(小太り)ね。
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いやもうまったく0密の一人旅で、いろんなことを一時忘れられてよかった。
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和歌山市駅で降りてラーメン食って帰りました。

* * *

ところで過日、チェーンらしいのですが、会社の先輩に教えてもらった「土佐清水ワールド」でランチしました。かつおとぶりのたたき定食。
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うまかった。なんか段々ナマっぽい魚も食べられるようになってきました。

* * *

7年ほど使ったメガネのレンズを交換しました。度数は全然変わってないのですが、小さい傷が増えてきていたので。
当時はまだ普及していなかったブルーライトカットを付けました。
明らかに分かるくらいクリアビジョンになった。あとなぜかマスクかけて呼吸してレンズが曇ってもすぐ晴れる気がする。ご機嫌です。

2021年01月31日

下見的に京都

寒いが晴れたので、京都を散歩してきました。
昨秋に琵琶湖に行った友達が4月にまた京都に来たいと言っているので、ロケハン兼ねて。

龍安寺。
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石庭の15個の石は全てを一度に見渡すことはできない、と言われていたように記憶していたのですが、できました。
右端の石がぎりぎりその手前の大きめの石に隠れない位置に立つと、左端の石も見えます。
俗説だったのだろうか。

構内案内図で「湯どうふ」激推し。
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3300円の定食を食べるつもりで湯どうふ屋に入らないと見られないお庭がある。
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湯どうふが嫌なら勝手に飢えれば?
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ということで、外に出て昼食。井上靖が京大生時代に来ていたという「笑福亭」でにしんうどん、800円。良心的だなあ。
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そして意外と強い味のお出汁もにしんもうまかった。
ちなみに龍安寺は花の季節にはよさそうでした。それで何人か連れなら湯どうふもよかろう。

今日は特に目的というものもなかったんですけど、時間があるから嵐山にでも行ってみるかと嵐電に乗ったら、乗り換えをミスって広隆寺に行ってしまった。
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霊宝館の中は撮影不可につき写真はありませんが、「ここってあのよく歴史の教科書に出てきた半跏思惟像があるとこだよね?」と思ったらあったよ!ていうか国宝ゴロゴロ。不空羂索観音が艶めかしかった。ここは見てよかった。

嵐山は渡月橋を見てふーんといって、あとは歩き回って帰ってきました。
嵐電は西院(「さい」って読むのをやっと知った)まで戻って阪急に乗ると意外とすぐ帰って来られることが分かった。

* * *

大阪着任が昨年の2月1日だったので、今日をもって1周しました。
裁量労働制にも一応の時間管理はあり、1月は違法状態でした。
「まじで人生の無駄だな」とか「懲役刑だな」とか言ってたら若手ちゃんが「異動をお望みなら僕が人事に『あいつにやられた』とたれ込みますよ」と言ってくれたので「是非お願いします。僕も異動できるし、君も病んだことにして暫くバカンスできるし、いいよね」と頼んだら「ウィンウィンですね」みたいな話になったので意外と早く脱出できるかもしれません。

まあほんとにこの1年ほとんど賢くなってないし、あほな仕事で忙しくて帯状疱疹や腸炎になるしで散々だった。ただし暮らしは悪くなかった。

2020年11月29日

用水路を行く

疫病がやっばいのですが、弊管理人には気分転換が必要なので滋賀。
大阪駅から新快速に乗ったら湖西線に入るやつで、大津京駅で下車。「なんか近江大津宮って日本史で習ったけどここ!?」と思ったら意外とその信憑性を巡ってもめた形跡があった(wikipedia)。

大津市役所前のとんかつ屋に入ってみました。「棹」。「さお」?と思ったら「たく」だそうです。
左からロース、牡蠣、ヒレの3種盛り。
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3組くらい待ってたしおいしいのかな、と思ったらマジウマ。これは近所にあったら月2で来る。

今日の目的は「びわ湖疏水船」です。
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琵琶湖疏水は明治期に琵琶湖から京都の蹴上まで引かれた7.8kmの水路。東京に首都が移ったあと、寂れちゃった京都を復活させたいということで第3代京都府知事の北垣国道が計画、工部大学校出身の田辺朔郎が23歳で責任者となって28歳の時(1890年)に完成させたものだそう。
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行程は55分。4つのトンネルを通ります。これは三井寺の下を通る2キロのトンネル出口。今日は紅葉を見るにしてもちょっと遅かったですが、土手の補強のためもあって桜が植えられており、こりゃ春はさぞきれいでしょう。ちなみにソメイヨシノはまだ東京でできたばかりの時期なので、ここはヤマザクラだそうです。

京都の「にしんそば」の歴史は150年。疏水ができてから、にしんは北前船で敦賀→琵琶湖、そしてここを運ばれたとか。水運は戦後すぐ廃れましたが、飲用水、発電用水としては今も使われているそうです。ここは第1疏水で、これと並行して蹴上までずっと地下を流れている第2疏水が上水用。そういや神戸市民も琵琶湖の水を飲んでるんだって。
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同乗のガイドさんはだいたいこの辺のアオサギと知り合いみたい。

建設当時の京都府の年間予算が60万円、事業費は125万円。ちなみに工事に伴う殉職は17人で、コレラの流行などもあり、疫病での死者を含めるともっといくそう。税金投入には反発もあったものの、結果、井戸水頼りだった京都に水を届け、水力発電によって島津製作所、村田製作所、オムロン、京セラ、ワコールなどさまざまな会社ができる素地ができたのだと。
当初は水車用にと考えられていましたが、留学先のボストンで水力発電の勃興を見た田辺が発電用疏水にと強く推し、それが当たった。
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この疏水、流速を歩く速さ程度にするため、高低差はなんとたった4mしかないそうです。
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小さな船で12人が背中合わせに座ったままなので、写真大好きっ子が乗り合わせるとこうやってフレームインしてしまいます。でもこちらは自分が撮るとすぐカメラを収めてくれるマナーのいい人でした。顔が見えているのは船長さん。

ところで、もらったパンフに挨拶文を寄せた誰かがシールを貼って隠されている。
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そーっとめくったら、もういない大津市長でした。こういうのめくっちゃうよね。

蹴上に着くとまたポンプ小屋の説明や周辺の見所を教えてくれて解散です。
次は誰かと春か。8000円て結構だけどな。
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んで田辺の銅像脇から京都の市内がちょっと見えます。平安神宮の鳥居が目立ちますね。かなり高いところにあるんだな。ここから水をまず御所に送って防火用水にしたんだって。
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当てもなく歩いていると南禅寺の水路閣に出ます。映え写真撮ってる人多数。
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南禅寺から三条駅まで歩いたけど、どこもむちゃくちゃ人いたぞ。
もう人が遊びに行くのは行き先を閉めない限り止められないな。

「直珈琲」のパプアニューギニアで一服。
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香りをかぐと「よしよしまだ感覚神経はやられてないな」と思っちゃう。

「GABOR」でプリンアラモード。
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なんかずっと硬めのプリン食べたかったので満足です。
京阪で帰りました。京阪安いね……

* * *

三連休前の金曜から泊まり、明け、休み、泊まり、明けで夜まで、その後も連日22時過ぎ、という無理目な勤務が続いており、いろんなところに噛みついたり声が大きくなったりしていました。

これほんとよくないなと思うのは、目を三角にして仕事を捌いて一日終わる生活が続くとインプットができないこと。いま、わりと特殊技能を提供するポジションなのですが、東京時代の貯金を使っているだけで、この数ヶ月、何かを勉強したかというとほとんどしてない。申し込んだだけで、結局仕事が込んじゃって見られないシンポジウムや講演会、進まない非仕事読書などが視界の端にちらつくたび「あかん」と思います。

関西はいいとこだし、東京の出身部署はどよーんとしてそうなので戻りたいかと言われると戻りたくないんだけど、とにかく大阪の職場からは早くおさらばしたい。職場としても、「これをやれ」と言ったら「それ、いらなくないすか?」じゃなくて「ハイッ」とかいってやってくれる人がいいだろうしね。

2020年11月23日

和歌山で世界旅行

3連休は中日だけが休みで、なんかどっか出掛けたいなと思って週の初めにバスツアーを予約しました。その時点から既に雲行きは怪しかったのですが、まあその後数日間の大阪はきれいな感染爆発の様相。GoToはこれで一区切りかなというのと、これで感染したら何言われるかわからんなという思いとともに出発しました。

行き先は和歌山。道成寺のすぐ前にある食事処で伊勢エビのお昼ご飯をいただきました。
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・門前で殺生……
・えびって可食部少ないね
・おいしかったです
ちょっと散策。道成寺は創建701年とのこと。投宿した坊主に惚れたおねーさんが袖にされたのに怒り狂って釣り鐘に隠れた坊主を焼き殺したという伝説があるそう。なんそれ……。しかし歌舞伎などでは「道成寺もの」と呼ばれる有名なお話のようです。
誰もいない奥の院から振り返って一枚。
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さらにその奥に行くと柑橘畑がありました。
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すごいわっしわしに実るんですね。そんなに植えてどうすんの、というくらい道端や山の斜面がみかん畑だらけでしたが、よく考えたら弊管理人の故郷もりんご畑だらけでした。

で、「和歌山で世界旅行」。まずは日本のウユニ塩湖(笑)こと天神崎。
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日本のエーゲ海(笑)こと白崎海岸。
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日本のアマルフィ(笑)こと雑賀崎。
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ガイドさんが「皆様いろんなご意見があろうとは思いますが……」と言い訳されてたのにウケました。でも、めちゃくちゃ期待しちゃった人は別として、海外旅行ができない時代の日帰り旅行としてはいい企画だと思うし、それぞれ高速を使って40分~1時間くらい離れた場所で、自分で運転して回ろうとすると結構骨が折れるので、景色を見たりうとうとしたりしているうちに連れ回してもらえるのは楽でよかったです。あと、和歌山はでかい。

帰路のバスでうとうとしたら、マスクの中によだれを垂らしてしまい、外すわけにもいかなくて臭いが辛かったです(汚)。

それにしても車内はみんなほとんど喋らない上にマスクしてるし、バスを降りてまた乗る時に手指消毒するしで、これでかかったら不運ってことだなと思いました。
かなり高齢なカップルもいましたが、足が悪そうな奥さん?と、それに手を添えながら歩く旦那さん?の姿を見ると、1日の楽しみさえも我慢して「死にたくなけりゃ高齢者は家にいろ」と言い捨てるのもなあ、とも。うつす方の人たちじゃないしね。
連休前には旅行社の賃金・人員カットのニュースも流れ、冬の時代が長引きそうなことが窺われます。どうしたらいいのかな。ってまあ答えはロックダウン1カ月なんだけど。

今回の地域共通クーポンの使い途は梅田のロフトでカーボン骨の大判折りたたみ傘でした(和歌山限定ではなく、隣接県でも使えるクーポンでした)。通勤かばんに入れておく用の軽くて大きいやつが欲しかったのです。この制度なあ。

* * *

札幌ではとうとう直接の知人が感染しました。……というのを本人がTWで公開している(ご商売上の必要と拝察)のを見落としていて、大阪の知人から日曜になって教えられました。
快方に向かっているようでよかった。復帰したら「これで人類最強(抗体+)ですね」と言ってしまいそう。

* * *

というわけで、また仕事界隈がわさわさしてきて気分が沈んできました。体重い。

* * *

■松浦壮『量子とはなんだろう』講談社、2020年。

2020年11月15日

山口

西日本に住んでなかったら行かないだろうなと思っていたのが山口。
金曜に休みをとっていたので、土曜とつなげて行ってこようと決めたのが当日です。
「金曜から中四国に行ってきます」と木曜に部内メーリングリストで宣言しておいたので、弊管理人の受け持ちと思われるいろんな仕事が続発してメール、Teams、電話と多様なモダリティで邪魔が入ったものの、サービスとしていくつかに応答しつつ夕方に新幹線で山口まで行ってしまいました。のぞみだと2時間、400kmくらいあるの、意外と遠いな(今更)

新山口駅から山口市の湯田温泉までJR山口線で移動して(ICカード使えないのな)、ニュータナカというホテルに。
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先週末から腰をやっており、今週前半の「月イチで回ってくる忙しい番」は「立って仕事する」で乗り切り、だんだん良くなってきていたところです。到着後、寝る前、朝と3回も温泉に入ってしまいました。そういえばこのあたり、火山がないのにそこらじゅう温泉があるの不思議。と思って調べたら阿武火山群というのが萩市にあった。

で、翌朝は新山口まで戻って車を借り、まずは秋吉台。新山口からは車で40分くらいと意外と近いです。
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8月も四国カルストに行ってて、そんなにカルスト好きですかって思いましたが、まあ好きでした。何より道がよかったですね。
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こんな感じが続くので、ツーリングだともっと楽しそう。

景清洞に入ります。1100円。
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最初の700mは舗装された道があって、ライトアップもされているので「ふーん」とか言いながらサクサク歩いていけるのですが、その先の400mは「探検コース」としてヘルメットとLEDライトと長靴を借りていく、照明のない道です。
追加300円という絶妙な料金設定で、それくらいなら行ってみるよねと行ってみましたが、独りで真っ暗な洞窟を歩くのは結構寂しい。
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でも一応どんづきまでは行った。探検コースは下がごつごつしていて足が痛く、天井が低いところもあって腰が痛かった。そして弊管理人はひとり、暗闇で何をしているのだろうと思った。
途中の壁に「天保2年うんぬん」みたいな墨書きの字があって、あとで料金所のおねーさんに聞いたら「雨乞いの跡」とのことでした。落書きかと思った。

先崎というところの道の駅「センザキッチン」でお昼を、と思ったらめちゃ混みでやめ、元乃隅神社まで行ったときには日が陰り始めていました。
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駐車場待ちで長蛇の列ができているのですが、県内随一の「ばえスポット」なせいか、ウルトラ僻地ですが収容力の高い駐車場が整備されている上、これを見るくらいしかやることのない所なので回転がよく、待ち時間はそんなでもなかったです。むしろ溶岩が作ったと思われる地形を見るのが楽しいのと、海がきれいでよかったくらい。
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鳥居のところまで降りて横を見るとこんな感じです。この辺にいくつかあるらしいジオパークを巡るため、もう一回島根のほうからこっちまで攻めてきてもいいかなと思いました。

そんで一応、角島大橋。
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この撮影場所一帯が迷惑駐車パラダイスで、迷惑そうにしていた前の車が隙間を見つけると迷惑駐車をして写真とりにいくという地獄(パラダイスじゃないんかい)。
渡ってみてUターン。
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高さからいっても長さからいっても、宮古島の伊良部大橋や、それこそこの間行った琵琶湖大橋のほうが気持ちはいいかも。あらためて海はきれい。

道の駅豊北(ほうほく)でやっとこ半額になってた漬けイカ丼を買い、外のデッキで食べて昼飯(16時)。
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これはなんだろうか。
それにしても連れがいるとこういう食事の済ませ方はできないので、一人旅はやはり気楽でいい。

このあと、下関の奥座敷という触れ込みの「一ノ俣温泉」で日帰り入浴しました。
20時までというのをウェブサイトで確認してから17時前に行ったのに「GoTo始まってから忙しいので16時受付の17時終了にしました」などと言われたので、悲しい声で「書いてることと違う」と言いながらフロントのおじさんに画面を見せたら入れてもらえました。ゴリ押ししたみたいだけど、弊管理人は悪くないよね?しかも風呂は弊管理人と他の親子1組くらいで全然混んでなかったし、宿にも1人分のお金が入っただけで誰も損してないだろう。
新幹線の時間調整のため18時くらいまでゆっくり風呂に入って、1時間くらい運転して新山口に戻り、王将でメシ食って帰りました。走行距離は200kmちょい。そんなに走らなかった。

いや、天気予報チェックしてから行ったのですけど、その通りに1日ピーカンでよかった。
折しも某疫病の第3波きたぞ、というタイミングで出掛けましたが、どこも混んでて、「淡々と出来る範囲で気をつける、あとは知らない」という機運は動かしがたいように見えました。そして多分、感染爆発しようがそのままであり、心配な人は外に出ない、割り切った人は出るのでしょう。もはややるべき対策は分かっており、あとは個々人がそれをどこまで追求するかというだけ。体力やポジションなど、リスクの個別性が高いということが、「個別化した政策をやります」ではなく「それぞれで気をつけて」になっちゃうのなんでとは思うけど(たぶん全体的に疲れてるんだろう)。

ちなみに今回も地域限定クーポン1000円をもらいました。何に使ったかというと新山口駅のセブンイレブンで歯ブラシ4本(※弊管理人はセブンの歯ブラシ愛用)とコーヒーフィルター(ちょっと減ってきていたので丁度良かった)でした。この制度なあ。まあ今後も頑張って税金取り返していきたい所存です。

2020年10月30日

高知

弊管理人を含む大阪のおじさん職位は、近畿~中四国の各県を一つずつ受け持っていて、そこの新人さんの悩みなどを聞く面談を年2回やることになっています。今年度の弊管理人の担当は高知。面談いってきました。

夏休みに仁淀川に踏み込んだためちょっとだけかすりましたが、高知市は初めてです。
面談まで時間があったので牧野植物園へ。
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「建築の日本展」で取り上げられていた牧野記念館の建物が見たかったので満足。馬蹄形というか、太くて丸まったU字というか、面白い形です。ただ、この形を俯瞰で見られる高台がないのが残念でした。
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園内のレストランでハンバーグ食べながら仕事の電話をしてしまう……まあ勤務日だからいいか。
温室も見応えあり。入り口。
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中。
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時間があれば一日過ごせる植物園でした。
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でも仕事なのでそこそこで切り上げて出るなど。
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面談は新人さんの悩みを聞いて危機の芽をキャッチするという趣旨のようですが、高知の新人さんは「いまの職場の人間関係が良すぎて、むしろ異動がこわい」とのお答えだったためさっくり終了。職場の所属長さん以下全員参加で夕飯に連れて行っていただきました。
魚をいろいろ食べて飲んだあと、屋台で肉うどん食べて解散。
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翌日は報告書を作るだけなので、ちょっとお出かけしようと思って室戸岬。
室戸スカイラインを通るのも目的の一つでした。
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ランズエンド感。
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2時間かけて高知市内まで戻り、最終の飛行機で帰りました。
伊丹に戻るルートは関空の東側から大阪市中心部を通って行くものだったので、街の灯りがきれいでした。

たぶん福利厚生だな、この面談制度は。

2020年10月04日

岡家住宅

滋賀県日野町にある、ヴォーリズ建築事務所による和洋折衷住宅「岡家住宅」を見学に行ってきました。
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近江商人の岡太郎次の妻栄美が昭和14(1939)年、次男の誠氏夫妻のために建てた家です。誠氏のお孫さん(年金生活者だそう)が大阪に住んでいて、冬季を除く月1回、見学の機会を設けていらっしゃいます。
ヴォーリズは1905年に英語教師として来日し、近江兄弟社の創業者としても知られる建築家。栄美は結核を保っていた誠氏のために明るくて健康的な家をと依頼したようですが、どういうつてがあったのかは判然としない(お孫さんが聞いたがはっきり言わなかった)そうです。1938年の初めに設計ができたときにはもう少し大きな家だったものの、同年に国家総動員法ができて「贅沢だ」として通らず、小さく修正したとのこと。
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ヴォーリズというと洋館に和のテイスト、というイメージですが、こちらは和風建築に洋の要素が入った形式だそうです。建築作品リストは1906-1942年にわたっているということで、後期の作品。過渡期として作りや調度にさまざまな実験がなされています。
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例えば玄関の下駄箱の壁を隔てた裏側は洋間の物入れになっており、そこには床の間にあるような飾り棚がついています。これはほぼここでしか見られないそう。また、観音開きの腰窓など極めて風通りのいい家にする工夫がされていて、案内していただいている間も気持ちの良い風が常時吹いていました。
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玄関横には女中さん用の3畳間、台所と配膳窓で繋がった茶の間のさらに奥には、写真が好きだったという誠氏のための現像室を兼ねた事務室があり、小さな居心地のいい部屋も素敵です。案内してくださった岡さんは大阪住まいですが、最近はこの家に来ている時間が長くなってきているとか。再び住むことも考えていて、ちょうどこの日は小さな2ドア冷蔵庫が運ばれてきていました。
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まだ特定されていないヴォーリズの建築を見分ける手段は(1)窓の外の水切り勾配(2)八芒星のデザインがどこかにある(3)その地域の年寄りに聞く、だそうです。

最後、コーヒーをいただきながらお話を聞いていたら、この地域原産の「日野菜(ひのな)」という野菜(蕪)のお話が出ました。9月にまいて11月に収穫(今は春蒔きもあるが固いとのこと)。首のところが紫色で、漬けるとその色素が出て色がつくので「桜漬け」という。特に鎌掛・長野という地区の土で作ったものは、紫と白がグラデーションではなく境目がはっきりする。それぞれの家で独特の味を誇っており、秋にやる地区の運動会後の直来ではみんなで持ち寄って食べっこしたりするそうです。
岡さんは「他でも食べられる野菜ではあるけど、この地区の原種が保ってる苦み、えぐみが好き」と話しておられました。

* * *

日曜夜は、にしやまさんへ。牡蠣の松前焼き(昆布を敷いて焼くことらしい)。
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あーうまい。そしてかなり食べた、今日は。おやすみなさい。

2020年09月22日

ゴートゥー広島(3)宮島

【21日(月祝)】

朝9時発で友人の車に乗っけてもらって宮島口へ。安芸の宮島に行っとこうと。
しかし、すんごい車の多さ。そしてフェリーターミナル周辺の駐車場はいっぱい。
道も渋滞してるなと思ったら、渋滞の先頭は道路工事でした。なんでこんな日に。

地元民ならいい手を知っているだろうと、途中で出くわした広島ナンバーの車を尾行していたら、少し離れているが全然アクセシブルな駐車場に到達。
ターミナル近くの「さくら庵」で「宮島弁当」を買って乗船。30分のところ1時間半かかりました。

JRと松大汽船の2社がこれもんの船でピストン輸送してます。おっそろし。
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JRはPASMOが使えて180円でした。やっす。

完全に行楽シーズンの観光地。マスクはみんなしてるけど人でごった返してます。
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分かりますよ。春からちゃんと遊んでないもんな。一気に遊び欲が爆発したように見える。
我慢して我慢していくつかの波を乗り越えてみてハザードに関する相場観のようなものができてきて、「もうある程度はしょうがねえや」って多くの人が思ってるのかもしれない。あるいは「どうせまた次の波が来るんだから遊べる時に遊んどく」ということか。

3.11の後にも思ったけど、日常へのドライブってすごく強力なものがあるし、これを無視して仕組みを設計することもできない。老人どうすんだとか、疫病がいつまでも一定水準以上燃えてることによって外に出られない人ができちゃっていいのかとか、いろいろあるけど「そうはいってもね」でぐぐっと多数派が日常に戻っていく。酷薄な安定感。

視点を為政者・研究者目線に転換すれば、これは「マスク着用や手指衛生に気を付ければ、人が大規模に動いてもよいか」を問う実験にも見えます。倫理的でも精密でもないけど、有用な経験にはなるかもね。

ロープウェイの乗り場も混み混み。
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乗車時間は数分、大騒ぎするわけでもなく、窓を開けて風も通るロープウエイの定員を半分にしたことで、屋内の乗り場に長蛇の列ができ、めっちゃ密になっています。あほだな。
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ともあれ、乗り継いで獅子岩。瀬戸内海を高いとこから見ることの多い年だな、今年は。
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好天好天。
東屋でお弁当食べますよ。
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牡蠣と穴子めし。年々牡蠣が好きになっている弊管理人にとって満足度がかなーり高かったです。
ロープウェイ終点の獅子岩から30分くらいのところにある弥山展望台に行くのが目標だったのですが、時間的にこりゃだめだなと思ってやめました。拝むだけ。
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本当は14時に広島市中心部に直行するフェリーに乗って、15時には先頃リニューアルした平和記念資料館に行く予約をしてあったんですけど、ロープウェイ混みすぎでだめでした。まあ資料館は逃げないのでまた。
厳島神社!
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の鳥居は修理中でしたっ

でもまあ楽しかった。
広島駅まで送ってもらって新幹線で1時間半で帰り着きました。近いね~

* * *

4連休最終日の22日はだんだん雲が出てきましたが、お日様に照らされた世界がいい匂いを漂わせる、暑くもなく寒くもない最高の塩梅の日でした。洗濯して、近所のイタリア料理屋で昼飯食べて、ほかはほとんど一日中窓辺のベッドでゴロゴロしてました。

しかしまあ大阪住まいは仕事がクソな以外は(困ったことに大いにクソなのだが)新しいことが多くてなかなかいいですね。といって去年の今頃の日記を見たら体調崩してた。どこにいても仕事はクソなのだな。

ゴートゥー広島(2)尾道

【20日(日)】
福山の宿はニューキャッスルホテルという駅前の、地元で生まれ、育ち、働き、子を産み、そして死んでいく人たちが結婚式とかしそうなホテルでした。朝飯の和定食がとてもおいしかった。分厚い切り身ーー!
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ニューキャッスルってイギリスっぽくないすか、と思ったけどお城があるんだな。駅の反対側に。見なかったけど。

在来線にて、20数分で尾道です。
9時前から歩き始めました。やっぱり朝は人が少ないし、空がきれいでいいですね。
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なんか高名な坂とかあるんだろうか、と思ったらそこらじゅう坂でした。
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8月に今治側から半分くらい渡ったしまなみ海道も見えます。
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下から見るとだいたいみんな上空を歩いている。
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千光寺ロープウェイ乗るっす。
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良い眺め。
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市立美術館で山本二三展が始まっていて、ちょうど見ることができました。
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アニメの絵は概念を描くものなのだなと思いました。あとすんごい細密。
徒歩で下っていくと、再生古民家の「みはらし亭」がありました。
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これね、見たかったんですけど、カフェをやってるかどうかが出発前には分からなかったのであまり期待していませんでした。運良く席も取れて、レモンスカッシュとチーズケーキをいただくことができました。
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「猫の細道」という道を通ってみます。
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ここに限らず猫はいっぱいいる。
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廃校反対のポスターがこの界隈随所に貼ってあった土堂小学校。
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ええさてこんなもんかな。
昼過ぎになると人がかなり増えてきました。ラーメン屋とかどこもものっすごい混雑。
さらに仕事のメールを見て爆下がりしたこともあり、じゃあ広島に向かいますか。ということで13時過ぎには電車に乗りました。
広島駅まで鈍行で1時間半。「遠足の日症候群」で5時起きしてしまったせいか、車内で居眠りしているうちに着きました。

たまたま富山から岡山~広島に遊びに来ていた友人と落ち合って、夜はお好み焼き。
お好み村?とかいうビルの3フロアくらい全部お好み焼き屋が入ってるところで、激混みの中、何とか入れたところ(名前失念)でうどん入りを食べました。
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どうしてもフレームインしてくるお店の方のケツとともに。
味は別にって感じでした。

就寝!

ゴートゥー広島(1)福山

シフト職場なのになぜか4連休がそのまま4連休になっていました。
8月に夏休みの松山旅行から戻ってきたときに、その勢いで予約してあった広島に行くことにしました。ホテルはGoTo利用。払った税金、ちょっとは取り戻してもいいやんね。

【19日】
朝ジムに行って、昼からやっとお出かけ。新幹線で新大阪→福山。1時間。近い。
そういや新幹線乗るのって2月末以来です。みんなマスクしてます。そして結構空いてる。
乗車30分前に予約しても3列シート独り占めでした。

福山、結構降りるんですけど、なんで?尾道いくの?
とりあえず「一丁」で尾道ラーメン。何、尾道ラーメンて。
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うんまあ、脂が浮いてる普通の醤油ラーメンでした。

カーシェア借りて鞆の浦に行きました。近いです。30分くらいかな。
瀬戸内海中央、潮待ちの港。朝鮮通信使が「きれーね」と言ったらしい「対潮楼」へ。
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涼しい風が吹き抜けていき、眺めも良くて最高でした。四国もうっすら見えます。
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受付のおばちゃんたちも親切で、写真撮ってくれたり、道を教えてくれたりしました。
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街並みもいいです。旧商家の軒先でやってる喫茶でコーヒーフロート飲んで出発。

医王寺は時間なさそうなので、沼隈半島の南端にある阿伏兎観音(あぶとかんのん)に回ります。
崖の上の観音堂が特徴的なお寺。
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やけにおっぱいがいっぱいだと思ったら、航海の安全と並んで安産の祈願所でもあるそう。
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観音堂からさっきの撮影場所を見るとこんな感じです。
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ずっと見たかったのでよかった。
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あとはグリーンラインという眺望のいい道の半ばにある後山公園展望台から瀬戸内海を見て、市街地に戻りました。

夕飯、何を食べたいかよくわからないまま歩いて歩いて、結局訳が分からなくなって食べ物がありそうだと選んだのが「自由軒」。
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おでんと洋食??と思って入ったら大衆居酒屋みたいなところでした。
ロールキャベツ、大根、巾着のおでん。味噌だれがかかってておいしーーー!!
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福山名物だというちっちゃい魚「ねぶと(テンジクダイ)」の唐揚げ。
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これはいいおつまみ。
「ひょっとして夜も洋食やってます?」とおばちゃんに聞いたら「オムライスよく出ますよ」とのこと。じゃあそれ下さい。
きたー。普通に1人前。
めっちゃ周りから注目された。地元民ぽいおっさんが「オムライスうまそうだな-!!」と大声で。うるせえよ下品だな。
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オーソドックスなチキンライスでとてもうまかったです。
満足して就寝。

2020年08月25日

元町と淡路島

夏休み最終日はちょっと思い立って阪神電車に乗り、神戸・元町の「楽関記」でランチ。
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ちょっと高い(1220円)が品数と味で納得した。
そんでもって長田からカーシェア借りて淡路島へ。淡路SAからの眺めはとてもいいです。写真がアレなので伝わらないと思いますが。
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HIRAMATSUGUMIという山の中の土建屋みたいなところのカフェで、いちじくのかき氷。
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今年はこの2週間くらいで集中的にかき氷を食ったな。
ここのは取り立ててうまいというわけではありませんでした。立地は面白い。
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淡路島もそんな面白いかというとそんな感じはしない。会社の同期に出身者がいて、どこ見たらいい?と聞いたら困っていたのでそれくらいなんでしょう。鳴門海峡まで行けばよかったのかも。
それはともかく、明石海峡大橋の帰り道は街に飛び込んでいくような感じがいい。
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走行距離は120kmちょいでした。淡路島はでかい。
阪神で大阪に戻り、デパ地下行ったら水了軒のお弁当が200円引きだったので買って夕飯にしました。
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今年の夏休みはなかなか楽しかったです。

2020年08月23日

四国ドライブ

■夏休み1日目(18日)は「なにしようかな」と、ちょっと休みに食い込んだ仕事への在宅対応で過ぎた。マイルで松山に飛んで、ドライブすることにしました。密じゃないしね(←こういう言い訳をしちゃうの世知辛いなあもう)

■2日目(19日)。伊丹から1便で松山へ。そっからカーシェア借りてUFOラインに行きました。

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素敵じゃね?
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ほぼ全線にわたって車線がなく、車の多い時期だとすれ違いが大変だろうなと思いました。
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あと、結構道のりが長く感じます。まあ一人だからかなあ。でも助手席に誰かいたら酔うような道だと思う。
山小屋でイノシシカレー食べてうんこして下り道。
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面河渓(おもごけい)。
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涼しいといえば涼しいけど28度とかでした。
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高知県仁淀川町に入ります。山が迫ってる。というか山にへばりついてる。
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宿は高台にある秋葉の宿っていうところです。前日の予約だったせいか夕飯つきのプランがなく、6キロ離れた街まで食べにいくことになりました。
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5時起きだったので22時には寝ました。

■20日

安居渓谷。
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「仁淀ブルー」といって売っていて、特に水晶淵っていうところが青かったです。
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砂防ダムまで歩くとそこも青かった。
このあと濡れた岩で滑って転んでカメラをぶつけて肝を冷やしました。
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とにかく虫がすごくて、車のドアを開けただけで3匹くらい飛び込むくらいなのに閉口して、滝は見ずにそそくさと後にしました。
で、四国カルスト・天空の道。
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風が涼しかった……
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降りてきて檮原町の図書館を見に来ました。隈研吾建築。
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バリアフリー的にはどうなんでしょうか。面白い建物だけど。
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もともと小学校だったのかね。あとは役場とか物産センターみたいなところもシャレオツな建物でしたが、とりあえず腹が減ったのでメシ。役場前の食堂。
脂っこいけど野菜多めでよかった。ただ、この時期このあたりで何か食べると結構な割合でスイカがついてくるんですよね。油ものの後に食べると吐きそうになるんですけど、なんだろう、アレルギー的な何かだろうか。
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そのあと川に沿ってどんどん下り、下灘駅まで行きました。
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のっかって、ばえてきました。
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いいドライブでした。
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夜の街で飲んで寝ました(1密してしまった)。

■21日

今治まで行ってしまなみ海道を半分くらいだけ体験します。
大島の亀老山。
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この展望施設もまた隈研吾……
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次は大三島。道の駅でお昼。うまかった。
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伊東豊雄建築ミュージアム。
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いいドライブでした。
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窓を閉め切ってエアコン入れてても日光で暑かったけど。
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今治B級グルメだという焼豚玉子飯は焼き豚と卵の味でした。
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さて最終便で帰りましょう……と思ったら大阪に雷雲が発生したとかで欠航になり、代替便も到着のめどがどんどん後ろにずれていったので翌日に振り替えました。
ANAが交通費と宿泊代を立て替えてくれるというので(この時期に悪いなあ、しかもマイル消化なのに)ANAクラウンプラザに投宿。1万ちょいの宿がGoToで7千円弱になった。この差はすごいわ。

■21日

朝飯がなんか豪華だった。
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昼前の便で帰阪。楽しかった~。走行距離は528km。

2020年08月16日

アタック避暑

37度とか38度とかになってる大阪意味不明。
ということで避暑だと緯度を上げるか高度を上げるか。今回は高度。

【15日(土)】

金曜は宿直明けで、仮眠しないままちょいちょい若手が投げてくる仕事を打ち返したりしながら夜を迎えてしまったので、23:30に限界がきて就寝。
7時に起きたら体調すこぶるよし。
琵琶湖の西側の伊吹山にドライブいこ~と思って新快速に乗ったはいいが、カーシェアの会員証を忘れたことに山科あたりで気付いたので、大津で降りて比叡山に行くことにしました。
比叡山ドライブウェイを上る京阪の路線バス。ときどき覗く琵琶湖周辺がなかなかでした。
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延暦寺、中学の修学旅行で来たので29年ぶりということでしょうか。
根本中堂がずいぶんモダン?な作りになってました。
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中は改装中。
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修学旅行では、この根本中堂で「大地讃頌」を歌ったはず。
宗教的には挑戦じゃないかしら、今にして思えば。「讃えよ、土を」って。
そういや、歌ってない同級生がエホバの方だったことを知ったのはだいぶ後になってから。

前に宗教サミットやったとかで、平和平和ってやたらアピってますが、実務的には何してるのかな。行灯出したりしまったりしてるくらいしか知らないです。なんか「大手~」って感じだった。全体的に。

ていうか暑いです。メシ食おうメシ。
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意外とうまかった鶴喜そば。
横川地区にも行ってみます。こちらはたぶん来たことない。
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往生要集が書かれた恵心堂。
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それぞれのお堂のすぐ横あたりに由来だのが書かれた立て看があって景観を壊してる。やめたほうがいいと思う。
帰りは京阪バスで京都に下って、出町柳から京阪電車で大阪に戻りました。
結構疲れた。あまり避暑にならなかったようでいて、しかし大阪は夜になってもどかんと暑く、まあ中途半端ではあるが避暑したということにした。
終戦の日だったのに、全くニュースを見なかったので全然そんな気がしなかった。

【16日(日)】

今日は奈良の奥地に行きます。
大阪上本町から近鉄で1時間で室生へ。そっからバスでこんなとこ。
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バス停から歩いて15分くらい?室生山上公園芸術の森へ行きます。「山上」だから結構山道を上るのでした。木立の中に入るとさすがに涼しいです。しかし到着すると汗だくでした。
ダニ・カラヴァンの作品でできた公園。有名なのはこれかな。
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環境芸術というのか。直線や渦巻きなど、かなり簡単に記述できるような造形(木の刈り込み方も含め)は複雑な自然というバックから浮くよね。素材がコンクリートだとかそういうこととは全然別に、すごい「人の手」を感じるというか、征服的というか。↓こうしてみるとゴルフ場以上に截然と境界線が引いてありますし。
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しかも、人が写真を撮るときのフレームを強力に規定するモニュメントだなとも思った。
さっきの「この木何の木」みたいなやつも、ずっと観察してると、ほとんどの人が木を中心にして渦巻きを手前にして撮る。たぶん木の裏側に回ってもそんなに面白くないでしょう(パンフに斜め後ろからのアングルが載ってるけどあまり面白くない)。ついでにいうと、次に写真を撮りたい人たちが遠巻きに待ってるので、そんなに追究もできない。有限な個体が設計し、他人からの圧の中で関わる環境芸術?……と書くと「あ、それでいいのか」という気もした。
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んで、これも結局こうなるやん。
荒川修作の「体をぐらぐらゆさぶることで体の存在に気付かせる」みたいな異化作用も特になく、nがこうだとすればn+1はああだろう、という予想が当たるというのは安心感があるっちゃある。よく言えば。
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で結論は、いつの間にか終わりそうになってた夏の空めっちゃきれいやったって話。
そいでまたとことこ降りてきて室生寺を観に行きました。
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きれいでした。コンパクトな五重塔も。
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降りてきて、老舗っぽい喫茶店でみるく金時氷とアイスコーヒーでクールダウン。
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16:20の終バスで帰りました。
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うちのドアの横にセミが落ちてました。
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黒いTシャツが塩田みたいになりました。
先週、二日酔いで遊びに失敗したののリベンジは一応成功とします。

2020年07月19日

伊根と天橋立

金曜の深夜勤務が終わるころに、部内に「舞鶴いきます」とメールして帰って寝て、しかし本当に行くのかなと思いながら起き、でも行った。
なんば発13:30のバスで2時間ちょっと、東舞鶴に16時前に着くわけです。
小浜のほうへ行ってみようかと思ったら、いきなりカーシェアのカードの入ったポーチをバスに置き忘れたので、回収できる夕方まで東舞鶴の街を散策し、めっちゃオールドファッションでヴァナキュラー(←うるさい)な喫茶店でアイスコーヒーとトースト食べながらフラメンコやってる女将さんと駄弁ってました。「自衛隊やろ?」と言われましたが違います。そういや舞鶴は海自がありますよね。

夕飯は、その喫茶店で名前を聞いた「魚源」。別にって感じですしガチャガチャしてて落ち着きませんでした。さっさと退散してローソンでからあげクンとスムージー買ってホテルに戻りました。

翌日は8時前に宿を出て伊根へ。舟屋ね。こういうやつです
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昔は集落の道が人ひとり通れるくらいの幅しかなく不便だったので、舟屋が表玄関だったとか言ってました。
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上のほうから見たところ。
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9時前には現地に着いていたのでそんなに困りませんでしたが、道がむっちゃ狭くてこれ、ピークシーズンのピーク時間帯だったらすごく歩きにくそうだなと思いました。
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遊覧船から降りて駐車場からちょっと歩こうとしたら「車置いていかないで!」と注意されて、なんかええ長居するつもりもないのでって気分で離脱。きれいなホームページとかできてますけど、地元の人は観光客邪魔とか思ってたりしないですか。伊根だけに去ね(冗談)

天橋立ワイナリーで白ワインソフトクリーム(レモンジャムついて300円)を。
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おいしいんだけど、どこが白ワインなのかよくわからなかった。
強烈な味のレモンと合わさるとレモンに完全に負けます。

天橋立。老舗観光地ってこうだよね……という地元民家の駐車場1日500円がずらっと並んでいて、おやじが行く手に立ちはだかって自分ちに誘導しようとする。轢くぞ、くらいな感じで無視して元気なおねえさんの呼び込みに引っかかってみた。
リフト850円、おねえさんとこに置いてあった割引券で800円。
でもこのリフトはなかなか気持ちよい。
ちゃんと股のぞきもした。
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シャッター押してあげる、というおじさんに頼んで撮ってもらいました。
ちなみにおじさんは自分のカメラでも撮影して1枚1300円だというのでさようならした。
リフトの駅周辺にはとてもシャビーな遊園地様のものがありました。
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うん、もういいやと思って帰りました。
舞鶴の道の駅でしらす丼を食べましたが何てことなかったです。
今回は全体的に食がいまいちでした。一番満足度が高かったのは舞鶴のスーパーホテルの朝食。

大阪便のバスは減便になっていていい時間のバスがなかったため、三宮まで行って新快速で帰ってきました。神戸から20分で来られるのな。読書が進みました。
ということで、にしやまさんで口直ししました。

* * *

そういえば先週金曜は休もうと思ったら働いて悔しかったので火曜に休みを取り、奈良国立博物館に行ってきました。
戦利品はあめちゃん。
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正倉院宝物の模造品展をやっていましたが、どれもきれいでした。
螺鈿紫檀五絃琵琶の裏側って初めて見ましたが(そりゃそうだ、歴史の資料集には正面しか出ないもんな)、きれいな装飾が入ってるのね。そして昨今評判の悪い象牙の流通が止まったらこういう修復作業って影響出ないのだろうかと思った。玳瑁(タイマイ=カメ)の材料は既にワシントン条約に引っかかっているため、何とか国内に残っていた材料を使ったとのこと。

常設展のイケメン仏像たちも大変見応えがありました。写真とれないのが残念。

* * *

社内で客のえらいひとたちに対する40分の講演を頼まれて28枚のスライドを作っていったのですが、社業とかで報酬は出ず、客に出された美々卯の弁当をもらいました。
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まあいいや。こちらも冒頭「話半分に聞いて下さい」と断る舐めっぷりだったので。

それにしても新しいカメラCanon Powershot G5X Mark IIの絵はいいな。

2020年06月07日

奈良さんぽ

先週は、水曜まで「ポカリスエットを濾過するだけの生物」になっており、木曜には「うどんを1本ずつすすることができる生物」に進化。金曜に「うどんを2本ずつすすることができる生物」にグレードアップし、夜には「食べた弁当が2時間後に水になって出てこない生物」というほぼ人間といえる水準に回復しました。

にしても今回の下痢は長かったし、まだちょっとお腹は不安定。これ、何か悪いもの食ったというよりは疲れで免疫が下がってたところで何か強めの食べ物に負けたんじゃないかと思います。そのあと一気に崖から落ちたと。

土曜は朝から職場でミスの処理をしたあと、ちょっと調子に乗ってジム行ったらまた腹がおかしくなったのですが、もはや熱はなくて動けるので無視して普通に生活して寝ました。日曜は奈良でも行こうかなと思いながら寝て、

目が覚めたのが6時。ちょっとゴロゴロして(腹ではない)7時半くらいに朝飯食ってのそっと出掛けたら奈良に着いたのは9時半とかでした。ほんと近い。人がいない早い時間帯から動けるのが関西住まいの贅沢ですなあ。

■興福寺

修学旅行で来たんだっけ?全然覚えてない。五重塔とかあるし来てるだろうな。
広々していて修学旅行生もインバウンドさんもいなくて歩きやすく、気に入りました。
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特に国宝館(朝早すぎて開いてなかったので帰りがけに行った)、すんばらしい。歴史の資料集で見たアレ達!!千手観音めちゃくちゃイケメン!八部衆立像かわええ!!弥勒菩薩セクシー!とテンション上がりすぎました。
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顔には日焼け止めを塗ってきたのですが、半袖ハーパンで来てしまいました。この通りのピーカン(そんなに暑くはなかった)なので、県庁のセブンイレブンでスプレーの日焼け止めを買って腕と足にかけまくり。結果、全然焼けませんでした。
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なんだそれ。
そういや興福寺の僧兵って南都北嶺の南都だった(北嶺は延暦寺)。僧兵Tシャツ売ってました。買わないけど。

■東大寺

とりあえず南大門と鹿のケツ。鹿、ほんとに奈良公園から若草山のてっぺんまでどこにでもいます。
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新型コロナウイルス流行ったから大仏殿閉鎖します(顔は見えるように窓あけるけど)ってそれ聖武天皇的にはオッケーなの?こういうときのための大仏じゃね?と疑問に思っていたので緊急事態宣言が終わって再開した大仏殿を見に行きました。
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でっか。台北の中正紀念堂のほうがスケールでかかったけど、こっち木造だしな。
大仏の正面は有名だから裏。おせんべい感。
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でも何よりよかったのは二月堂のほうで。見晴らしが。
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敷地内に神社あるんですよね。神仏習合ってこの頃だっけ。

■若草山

山があるなら登らねばなるまいということで。
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三角点のある鶯塚古墳から。二言でいうと風が爽やかで眺望絶佳。京都まで見えます。
降りてきたら鹿の半グレみたいな集団が商店を襲っていて、目撃したらガン飛ばされました。
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■春日神社

チームラボっぽい何か。
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弊管理人は神社よりお寺が好きかも。
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ここ暫く空腹感というものがあまりないんですが、エネルギー切れっぽくなってきたので、目に付いた「春日荷茶屋」で全部入りおかゆ定食みたいなやつ(名前失念)。
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奈良漬け、柿の葉寿司、万葉粥、おばんざい?、葛餅まで全部おいしかったです。

  弊管理人「あの、柿の葉寿司って柿の葉ごと食べるんですか?」
  お運びのマダム「いえ、むいていただいて……」
  弊「ン〃フフフフそうですかどうもものを知らなくてン〃フフフ」
  マダム「デュフフフいえよく聞かれますのでフフフ」

みたいな会話をしました。

お客は入れ替わりありつつ弊管理人と2,3組。クーラーもきいててゆっくり食事ができました。
食べるべきものもこれで食べられてしまったので、興福寺を回って帰りました。
まだちょっと本格稼働って感じではなかったですね。東大寺の三月堂もあいてなかったし。今度は夏に奈良国立博物館の特別展がやっと開会になるので、その頃にでも。

2020年05月24日

高野山

家にばかりいても運動不足になるので、高野山に行ってきました。地域的な感染状況と混み具合を考えると、むしろどっと人が出てくる越境移動の解禁後より今のほうが行く側も受け入れる側も安全と思われます。って誰に言い訳をしているのだ。

「そうじゃないほうの三密」ということで、というのは冗談で、高野山は「県内在住の方に限ります」とかケチなことを言っていなかったので。修学旅行で延暦寺は行ったけど、金剛峯寺はとんと機会がなかったですね。

天下茶屋から1時間くらいで橋本に着いてしまい、えっ早い、と思ったらそのあと極楽橋までが長かった。くねくねした路線で、標高90mから800mまで上がります。
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スタート地点とした大門で24度。暑くもなく寒くもなく気持ちよいです。
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まだやっていないお店も多かったですが、人が少なくて歩くには好適でした。
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金堂、大塔、金剛峯寺と中は撮影禁止で残念でしたが、見応えありました。
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でも大体の建物が何回か焼失して江戸時代以降に建ったものなんですね。
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なんで塔なんか焼けるの?と思ったら落雷か。
そういやちょっと書き損じただけで「弘法も筆の誤り」とか言われちゃうくらい達筆だった人の書いたもの、見なかったな。どっかにあったんだっけ。
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あと霊宝館にあった快慶の四天王立像はとても肉感的でエロかったです。
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標高800mの山中にいきなり台地があって、そこに街ができてるって面白いね。
寄りかかったほうが楽、というのはわかる。
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次は宿坊に泊まってゆっくり見たいです。
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それにしても、きょうび疫病対策に宗教の活躍する余地って何かあるの?と思ったけど、ま、ある人にとってはあるのでしょう。いろんなお寺や神社でお祈りやってたのは知ってます。

2020年02月03日

おでかけと休み明け

電車でぼーっとしたい、ぼーっと。
と思って、鈍行で岡山まで行きました。
途中、日生(ひなせ)でカキオコ。牡蠣のいっぱい入ったお好み焼き。
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今年、こんなに好きだっけ?っていうくらい牡蠣を食べてます。
日生はこんなところ。
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寒かった。

岡山駅前には桃太郎。
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学部のちょっと後輩にこんな人いた。

街は閑散としてるけどきれいはきれい。
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お城に興味はないので後楽園。
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川、島、ジグザグの橋、小高い丘、田んぼ、畑、神社、茶店。ごくごくモデレートなアトラクションをちりばめたテーマパークだなと思いました。つまり、意外とたのしい。

デミカツ丼が名物らしいです。「やまと」というお店に入ってメニューを見たら急にチャーハンが食べたくなって、思いあまってカツとチャーハンを盛り合わせた料理を頼んでしまいました。
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それぞれ食べたほうがよかったと思いました。それぞれはおいしかったです。

ホテルの横に「禁酒会館」。大正時代の禁酒運動の時分の建物で、なんとすぐ先のお城を焼いた空襲を免れたそうです。すごい。
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そしてちょっと中を見たら今も禁酒相談を受けているっぽい。左横にあるのは聖書売り場。

翌日は津山線で津山に向かいます。
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備中ってbitch uなんですね。なんとノーティ。

奈義町現代美術館がお目当てでした。荒川修作+マドリン・ギンズなど大きな3作品を恒久展示しています。
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養老天命反転地、三鷹の天命反転住宅とここで恐らく主要な作品をコンプした。
龍安寺の石庭と公園が鏡に映したように筒の中に配置されているんですが、石庭は上から見たアングル、90度ずれた公園は地面に立ったときの視点で、しかも足下がひん曲がっていて筒自体も傾いており、頭がぐらぐらします。

津山に戻ってぶらぶら。
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津山って30人殺しくらいしか知らなかったしJR駅はICカードも使えない田舎だと思っていたのですが、学者をたくさん輩出した城下町なんですね。「津山洋学資料館」は面白く見ました。図録も買っちゃった。

そんで高速バスで帰りました。3時間半。いや結構距離あるんですね。

* * *

転勤休の最終日は、ふらっと法隆寺に行ってきました。
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家から40分ちょっと。今気付いたのかと言われそうですが、関西住みってむちゃくちゃ贅沢かもしれない。東京で法隆寺展とかやろうものなら「立ち止まらないで下さい」とか言われながら見ないといけない、歴史の資料集で見たような国宝や重文がごろごろしてる。人も少なくて見放題。解説ボランティアのおじいちゃんたちもいっぱいいていろいろ教えてくれます。

そういや真言宗、天台宗より前のこれって何宗なの?と思ったら「聖徳宗」だそうです(ただし宗派として南都六宗の一つ・法相宗から独立したのは1950年だそう)。檀家がいないので檀家回りをする必要がなく、このむちゃくちゃでかいお寺にお坊さんは13人だけなのだとか。

藤ノ木古墳の近くに斑鳩文化。
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公文やカラオケやヨーガも文化なのな。

大阪に戻って夜、飲みに行ったらもう何年も会ってなかった知人にばったり。
世間は狭い。

* * *

で、大阪支社に初出勤してきました。眠かった。

2019年12月21日

宮崎にマイル

心身と社会関係が損耗した仕事は12月第2週に終わることが確定していたので、11月半ばの時点で、中途半端に余っていたJALのマイルにイオンカードのポイントからちょっと足して「どこかにマイル」を買ってありました。行き先は宮崎。行かされないと行かない場所です。

結論からいうと、
・温泉4回入っておっそろしくニンニクが入ったラーメンとか食べてるうちに喉が治った
・宮崎は特段目指して行くところではないが行ってみると住みよさそうなところだった
・海岸線が長くてドライブがめちゃ気持ちよかった
・すごくリフレッシュできた

* * *

【1日目】
とりあえず社内の宮崎勤務経験者に「うまいよ」と言われた「グリル爛漫」でチキン南蛮を一発キメました。確かに柔らかくておいしかったです。
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車を借りて高原町に行ったらトトロがいた。後ろは高千穂峰。計画段階では登ることも考えましたが、やめました。
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湯之元温泉の炭酸泉はとても気持ちよかった。
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宮崎の中心街に投宿。
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辛麺食べました。卵とニラと、何より恐ろしい量のニンニクが入っていて、普段は臭くない弊管理人の屁が2日間にわたってすごい臭いになりました。でも弊管理人は、名古屋の辛いだけの台湾ラーメンと違ってこういう味のあるヌードルスープ大好きです。
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やたら神々推し。なんか巨大ではないけどしっかりした繁華街があるし、そのわりには街中でも空気おいしいし、人はいるけどぶつからない程度にまばらだし、で妙に「なじむわー」と思って人口を調べたら、弊管理人が幼稚園から高校まで住んでた某県庁所在地よりちょっと多い40万人でした。
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【2日目】
宮崎市に2泊して、3日間を西、南、北に使おうと思っていました。今日は南。レンタカーは1日借りて3300円(ゴールド免許割引で500円引いてもらってこうなった)。やっす。
青島神社。「鬼の洗濯板」と呼ばれる砂岩と泥岩の堆積したものが隆起してできた地形。
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このあたり、鬼の洗濯板がいっぱいあります。上から見るとこんな感じ。道の駅フェニックスです。
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フェニックスは多分これ。
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そういえばバスで空港を出るとヤシ並木で南国気分いっぱいですが、新婚旅行ブームというのがあったらしい1960年代に植えたもので、高くなって管理が大変になったので植え替えが進んでいるようです。
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次、岩窟の中にある鵜戸神宮。
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「運」と書かれた石を5個100円で買って、崖の下にある「亀岩」とかいう岩の縄で囲ってあるところに向かって投げ、そこに入ると願いが叶うというゲーム。
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男は左手で投げるんですけど、弊管理人は左利きなので抜群のコントロールを発揮し、1投目で入りました。願いを考えてなかったのでとりあえず「平穏無事」を願っておきました。ちなみに縄の中に入った石は縁起グッズとして300円で売られていました。がめついな。
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引きで見るとこんなとこ。
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気をよくして「港の駅めいつ」でカツオ定食、1500円。醤油と塩だれのカツオを自分で焼く。安くない?当然うまい。おなかいっぱいです。
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都井岬に行ったら野良馬がいっぱいいました。ここって自然保護に400円、灯台に登るのに200円、あとビジターセンターも有料、とちょいちょい集金しますね。
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海辺のドライブ、とても気持ちよかったです。
おやつの時間に油津でパンケーキ食ったらがっつり夕飯が食えない感じに。夜は宮崎市の繁華街に戻って「幸魚」で佐賀のお酒とアラカルトのお料理を注文してつまみました。焼きガキと、かき揚げ(写真)、あと穴子のフライ。お通しからして最&高。
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ホテルに帰りしな、肉巻きおにぎりを1個(330円)買って部屋で食べました。「かば焼きさん太郎」の匂いがしました。
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【3日目】
北へ行く日。神社2つとクルスの海、それぞれふーんと言いながら雑に観光。
これは馬ケ背です。柱状節理がきれい。
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高さがあるのですごい見応えあります。インバウンドさんが結構いました。
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帰りましょう。高速の川南PAで売ってた鯖寿司300円、めちゃうま。
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宮崎市に戻って極楽湯で温泉に浸かって空港に向かいました。
デトックスできた。ほわーっと暖かくて素敵なところでした。
高千穂峡は熊本から行った方が楽らしいので、また今度。

* * *

ついでに先週のこと。

経堂のガラムマサラでランチ、
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うまい。

そんでリニューアルした岡本太郎美術館を見て帰りました。

2019年12月14日

全生園

2月に大阪転勤になりまして、いまのうち東京で行っとくべきところに、

というわけではないのですけど、東村山にある国立療養所多磨全生園(たまぜんしょうえん)と、敷地内にある国立ハンセン病資料館に行ってきました。
ハンセン病の問題って視界の端でちらちら見えていただけでちゃんと勉強したことがなかったので、ガイドツアーがある日を狙って。以下、弊管理人の理解したストーリー。
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ハンセン病は「らい菌」という細菌による感染症で、末梢神経が障害されて汗が出なくなったり、手足の感覚がなくなったりする病気です。皮膚が冒されることもあります。

古くは日本書紀に「白癩(びゃくらい)」として登場します。進行すると体の変形を伴うためスティグマ性の強い病気で、仏罰、穢れ、血筋などさまざまな説明がされてきました。1897年にノルウェーの医師、ハンセンが細菌感染症であることを突き止め、「隔離が最適である」と提唱します。

それまで差別から放浪を強いられていた患者に対して「細菌学」と「文明国としての体面」から隔離措置が行われることになります。ただ、先駆けは宗教者による「救済」としての活動で、国立の療養所より早く私立の療養所ができています。それが1889年の静岡県・神山復生病院(こうやまふくせいびょういん)。多磨全生園は1909年、全生病院(こちらはなぜか「ぜんせい」と読むらしい)として設立されています。

1920年ごろからは感染症の脅威が煽られ、隔離も強化されます。患者・家族はあらゆる手段で治療をしようとし、遍路や民間療法も盛んに行われた。
1931年、癩予防法で全患者を療養所に集める施策(絶対隔離)が始まります。
1930年代には「らいの根絶」が目指され、密告で警察官や医者が患者の家を訪問し、近所に知れ渡るようになって療養所に行かざるを得なくなる、といったケースもあった。
太平洋戦争中には「健全」がモットーとなり、病者に対する風当たりがさらに強くなります。

一度入ると退所ができない終生隔離のため、療養所には社会生活に必要とされるさまざまな機能が集められます。本格的な映写機、消防、学校、神社。文芸や絵画に親しみ創作する人がおり、歌舞伎もやられていた。懲罰の権限が所長に与えられ、所内に通用する金券が発行されていました。つまり、設備が本格的になるほど、出られなさが際立つということ。
一方、療養所への定着が促進されるとして結婚は許容されましたが、子育てができない環境のため断種が行われます。
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1950年代になると、患者から癩予防法の改正運動が起こります。求めたのは患者に課された作業(労働)の廃止、患者同士ではなく職員による看護と介護、生活費の保障など。

しかし、1953年に癩予防法が改正されて「らい予防法」になり、退所規定のない強制隔離が定められます。

対照的に、当時は米国の占領下だった沖縄では世界のスタンダードに合わせ、1960年代、既に通院治療と軽快退所が可能になっていました。
もともと飛沫感染するものの感染力は弱い菌で、衛生状態が改善すると感染、発症そのものがなくなっていきます(最近の国内発症は年0~数人)。しかも1940年代に治療薬「プロミン」が登場し、治せる病気になっていたため、世界の趨勢は地域での療養に移行しつつあったのでした。※学芸員さんによると、現在は多剤併用療法によって耐性菌の問題も解消しているとのこと。

らい予防法の廃止は1996年まで待たなければなりません(このときの厚生大臣は菅直人)。2001年(小泉政権)には熊本地裁で争われていた「らい予防法」違憲訴訟で、「遅くとも1960年までに特別な疾患ではなくなっていた」とされ、原告が勝訴します。国は、国会議員の立法責任まで認めた判決には重大な問題があるとしながら、早期・前面解決を急ぐため控訴を断念します。2008年には、「ハンセン病問題の解決の促進に関する法律」ができました。
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資料館の学芸員さんを捕まえて聞いたところ、いま、療養所の入所者の平均年齢は86歳。最も若い人の年代はうろ覚えでしたが多分60代だそうです。強制隔離が終わったのは公式には法律が廃止された1996年ですが、実際は1970年代くらいからは届けを出して買い物に行くなど、「外に出る」ということはしやすくなっていた。

もちろん軽快して外で生活する人もいるし、いったん出ても再入所する人もいる。その理由も「一度社会や家族と切れて入所していて、外に戻っても生活がままならない」「中に戻って運動をしていきたい」などいろいろとのこと。

展示にあったグラフを読むと、全国の入所者のピークは1955年ごろで、11000人くらい。で、それが今年の5月1日現在で1215人。多磨は160人くらいと言っていたかな。
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所内の道路には白線が引かれています(ただし上の写真は普通にセンターライン)。目が不自由になった人のガイドだそう。さらに、歩いていると鳥の声がスピーカーから流されているのに気付きます。これも「盲導鈴」という移動を助ける設備。

キリスト教会、日蓮宗や浄土真宗の施設が集まった一角もありました。かつては入所者はここで一生を終えることになっていたため、葬式をどの形式で出すかという問題があり、入所の際には宗派を聞いていたそうです。
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特に目に重い後遺症を持った人たちの親睦団体「盲人会」は、多磨では今年、99歳の方(会長さんと言っていたか)が亡くなって現在2人。

小高い築山「望郷の丘」、8メートルくらいか。昭和初期にできたらしい。ここに登って、戻れない故郷の方向を見たとのこと。
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もちろん現在進行形の問題ではあるのでしょうが、それでも「歴史」を見たという印象。
ただし、2009年の新型インフルエンザ、2014年のエボラ出血熱パニックなど、感染症に対する社会の恐怖感と反応はやっぱり変わっていないという気もします。
結局、新フルは感染力は強かったものの病原性はそれほどでもなかった。エボラの「致死率90%」は発生地の埋葬習慣や医療提供体制という社会的な要因が大きく、おそらく適切に治療した時の致死率はもっとずっと低いことが分かってきている。何より日本にも致死率30%とむちゃくちゃ高いSFTSというダニのウイルスがいるのに、あまりそちらは知られてない。それでも病気の「制圧」を掲げ、煽り、隔離し、消毒する。それは実際のリスクとはあまり関係のない「当座の安心」のための反応だったのではないか。

外(左)と中(右)を隔てる敷地境界の森はまだ深くて高かったです。
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群馬県にある「重監房資料館」と、岡山県の「長島愛生園」に行くのが次の目標かな。
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所内の食堂でカツカレーを頼みましたが、肉がぺらっぺらでした。

2019年08月25日

晩夏・川遊び

日曜が2時まで仕事、月曜は1時15分、火曜は日付変わる前まで、水曜2時、というシフト時間だけで消耗する週の最後は木曜の早寝に失敗して(当然だ、体内時計がついてくるまい)金曜が6時起きですっごい疲れて23時就寝、8時間寝て土曜は館林に行って同行者と11時に合流。

佐野ラーメン、麺屋ようすけ。
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これだけのために佐野まで行って下さい、とおすすめすることはできませんが、ついでがあるならこれはいい選択肢だと思う。ちょっと甘みのあるスープと、中太で腰のある麺、しっかり味のついたチャーシュー、すべてよくできてました。餃子も大粒でおいしかったです。

日光に行って「日光ぷりん亭」。
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ソフトクリームがものっそい溶けます。プリンは甘い茶碗蒸しっていうくらい卵の濃厚な味がして、これは好みでした。ちなみに2人です。同行者は2個食べてました。

甘味を追求する同行者がたまたま裏路地で見つけた「ニッコウジェラート」。
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キバナ(キウイとバナナ)のジェラートいただきました。リフレッシング。

東照宮のあたりを軽く歩いて宿に行きました。
「高原の小枝」。スキーブームのころに建てたペンションでしょうか。
夕飯は前菜、カジキ、牛ほほ肉、デザート盛り合わせのコース。
東京は33度じめじめ、という感じだったようですが、霧降高原は日が暮れると20度そこそこくらいになって涼しかったです。

* * *

明けて日曜。
10時、霧降川の「床滑」という場所で初めての川遊びをしました。
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何をするかというと、岩に腰掛けて飲み物とスナックを食べたり、川を歩いたりするというのが川遊びのようです。ウォーターシューズを持ってきていなかったのですが、つま先からかかとまで固定するサンダルだったので歩けました。水つめった!!!そして気温24度。携帯も圏外。涼しい遊びでした。

日光市街地に戻ってカマヤなんたらというところで日光丼。
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値段(1800円とか)のわりに出し惜しみ感のあるローストビーフ丼でした。

写真を撮らず、同行者から一口分けてもらっただけでしたが、日光駅に入ってる金谷ホテルのお店で買える「百年カレーパイ」、若干酸味のあるカレーもパイも鮮烈な印象を残すうまさでした。

日光の道の駅に至る道がものすごく混んでいたのでさっさと見切り、鹿沼市の「日光珈琲 朱雀」へ。コーヒー味のかき氷700円。
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さらに、道の駅どまんなかたぬま(佐野市)で唐揚げ買い食い。この道の駅は屋台とか生鮮品とかお土産とかとにかくいろいろあって楽しいです。

そんで熊谷まで戻り、「がってん寿司」で夕飯食べました。ちょっと高めとはいえ回転寿司なのであまり期待していませんでしたが、ちゃんとしてた!炙りもののバーナー臭さが少なかったのも◎。
で、熊谷駅まで送ってもらってさよならしました。

* * *

以上で、長くて涼しい梅雨に続いて訪れた短い夏が、きれいに締めくくれた気がします。
道中、部のえらいひとからLINEが来て、あちらも7月末に台風でだめだった富士山の登頂に成功した由。えがったえがった。
ここから1ヶ月と少し、場合によっては3ヶ月半、いやあな仕事が続きます。
まあ仕方ない。淡々と。そして1ヶ月と少しで片付くことを熱望、切望します。

2019年08月04日

札幌・夏休み

【8/2】

やたら揺れる特急・スーパー北斗で札幌に向かいます。
Dの席に座るとずっと海(噴火湾)を見ていられます。
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移動が苦にならない、というより移動していたい病気なので、4時間近い行程も楽しめます。

札幌もやはり暑いので、汗だくでカレーを食べに行きました。
黒岩咖哩飯店。札幌にもスパイスカレーが来ていた。とがってないけど十分うまい。
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そのあと真駒内まで地下鉄で行って、カーシェアで滝野霊園に行きました。
ストーンヘンジ健在。
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モアイも。エジプトと混ざっちゃってますけど。
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今回見たかったのは、2016年にできた安藤忠雄の「頭大仏殿」。
ラベンダーの丘に頭だけ出てます。
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正面から見るとこう。水盤の向こうに本体。
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でも近づくと「あっ」と気付きます。空から後光が射してるんだな。
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一緒に写真とってしまいました。
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投宿してちょっと眠り、旧知のおとーさんに面会。
そのあと夕飯に向かいましたが、ちょっとした方針変更があって、時計台近くの「できたて屋」でアオゾイ一夜干し定食をいただきました。
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昆布だし醤油をじゃばじゃばかけて食べて、最後には鰹だしでお茶漬けに。
おいしかったです。

そのあと飲みに行って寝ました。
札幌から東京に転勤して10年です。弊管理人も含めてみんな年取るわな。あまり「昔から変わらないもの」を求めてはいけないのかもしれない。

【8/3】
ほんとは小樽の塩谷丸山に登ろうと思ったのですが、早起きできなかったのでやめ。
東区のモエレ沼公園に行きました。ここはなぜか札幌在任中に行ってなかったんです。
2時間200円の自転車借りて公園内を回ります。
ガラスのピラミッド。
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もとゴミの埋め立て場なんですね。イサム・ノグチが公園作りのアイデア出しした段階で死んじゃって、そのあと完成。
モエレ山、標高62m。不燃ゴミと残土でできた、ちゃんと地理院地図にも載ってる山。
このチャリはどっかのカップルのもので、弊管理人は一人です。
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とうとう山登り成功。
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そのあとバスで環状通まで戻り、アントニン・レーモンド設計の聖ミカエル教会を見に行きました。
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なんかすっごい見られてる感じがする。魔除けみたいな柄ですね。
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そんじゃパルコでアイス食って帰りますか。
と思って地下鉄に乗ったところで、今回「時間なくて会えないかも」と言っていた友人からLINE。お茶でも、ということで会うことになりました。
今年できたばかりという厚別のCOCOBONに連れて行ってもらいました。
パイン+バナナヨーグルトの2種盛りジェラート。
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新札幌のどんぐりカフェとその周辺でだべって別れました。
結局、昔と同じように話せたのはこの機会くらいだったかもしれない。

なんかよく歩いた休みでした。結構日焼けもしたかも。
札幌はどんどん遠くなっていく感じがした。

こういう、歩きまくって変なところばっかり行く旅は他人と行きにくいし、何より他人と旅をすると接待モードになってしまって、リサーチとか予約とか歩いてる途中に振り返って同行者のペースに合わせたりとかが極めて疲れるので、やはり弊管理人は一人旅が合ってる、というかむしろそっちのが好きなんだろうなと思いました。それどころか旅だけじゃない気もする。

という感想を抱いたのは、何かちょっと調子が悪いからっぽい。身体面のことじゃなくて、人間が絡むいろんなことへの「やる気」が今かなり減退してると思われます。

函館・夏休み

今年は準備が必要な仕事が秋に控えているので、夏休みを早めに……と思っていたら7月に取りそびれ、ひとつ尾道にでも……と思っていたら29日に梅雨が明ける前後からいきなりフルスロットルで夏になって「暑いの嫌かも」と北に逃げることにしました。
弊日記を遡ってみたらそんなパターンで北海道に行ってる夏がそこそこあった。
いやまあまとめて休まなくてもいいんだけど、と思わなくもないのですが、経験上それだと秋まで保たないので無理矢理休むことにします。

【7/31】
2008年の年末以来の函館。暑!
とりあえず空港から市街地に出て、ラッキーピエロでチャイニーズなんたらバーガー
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をテイクアウトして、カーシェアで松前方面にドライブします。歩いてると暑いから。
寒中みそぎで有名な木古内町の道の駅まで行きました。満足度No.1とのことですが、何が?という感じでした。
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10年前はなかった北海道新幹線の駅が目の前。静かでした。
当別トラピスト修道院に寄ります。並木がきれい。
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中は予約制なので見られません。「祈り働け」ってモットーが掲げてありました。聖ベネディクトゥスでしたっけ。お疲れ様です。
外の売店で夏限定のソフトクリーム350円。
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修道院は自給自足だそうで自家製乳のようです。濃厚でうっま。でもすごい速さで溶けていきます。スプーン代わりのクッキーも、焦って掬おうとするとばりばり折れます。ウェットティッシュ持参推奨。

時間的にそんなに遠くへは行けませんでしたが、ドライブ気持ちいいです。
こちらは太平洋セメントの工場からかなり沖まで延びてる何かと、函館山。
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ハセガワストアの焼き鳥弁当も意外と初めてだったりする。
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店内で焼いてるのね。すごい。へえ。
タレ、塩など選べます。ワインを使ったとご自慢のタレを選んだけどむちゃくちゃ味が濃い。
ラッピもそうですけど函館って味濃くない?


【8/1】
函館の東、恵山に向かいます。
7月最終週、職場の人たちと富士山に登るはずだったのですが、台風で流れたので、代わりにどっかの低山を目指そうというわけ。
函館周辺は青空も覗いていましたが、恵山の登山口駐車場まで上がると雲がたれこめていて風も結構ありました。
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登山届けを出して登り始めてみたものの、ある程度より上に行くと風が強く、視界もなくなったので断念。
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気象庁の常時観測対象になっている活火山なので「いいねえジオパークだねえ」などと喜んで向かいました。で、着いてみるとそこここに衣を着せられた石仏が立っていて、石も積んである。なんか北の霊場だったみたい。写真右の平原は「賽の河原」というそうです。えー
この日登っていたのは弊管理人ひとり。びゅうびゅうと風が吹き抜けていました。まあ確かに雰囲気はあった。

あ、鹿。
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と思ったら逃げられた。

ふもとの漁村。
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いやほんと全然なんてことないですが、いかにも北海道な風景で、こういうのがいいのです。

旧椴法華(とどほっけ)村の水無海浜温泉に寄っていきます。
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タイミング良く干潮の時間に当たったので、お風呂が開放されてました。
海と繋がった温泉です。熱いので足だけ……

ちゃんとお風呂に浸かっていきましょう。ということで川汲(かっくみ)温泉へ。
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カウンターには誰もいません。
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「いま留守にしていますので、料金(400円)を入れて下さい。お釣りもとってって」と。
いいお湯でした。やっぱり熱かったです。

旧南茅部町の道の駅に併設された博物館で国宝の中空土偶を見てから、城岱牧場。
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見晴らしを堪能して函館市街に戻りました。

ちょうどこの日は花火大会。
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かなりいい観覧スペースでタダで見られました。道新、太っ腹ですね。
あと気付いたんですけど、北海道の花火大会って涼しくてむちゃくちゃいい。

そのあとちょっとお酒を飲んで寝ました。
札幌編につづく。

2019年06月04日

南房

近傍より友人来たりて日曜、房総半島の南部に出掛けました。
9:30に家を出て、ご所望の館山「茂八寿司」に11:00の開店と同時に着。
田舎寿司、2400円。
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なまもの食べないんじゃなかったでしたっけ、というツッコミもありましょうが、おいしいやつは食べられるんです。おいしかったです。
館山の寿司はでかいということらしい。箸と海苔巻きが寿司の対照なんですが分かりますでしょうか。最近そんなに食べない弊管理人はおなかいっぱいでした。

千葉在住時代(2001.4-2006.5)に南房総は何度かバイクで訪れましたが、止まって降りてヘルメット脱いで結わえて……が面倒で(!)行ってないところも結構あるんですよね。
その一つです。偶然目にとまった崖観音。
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同じく、沖ノ島にも行きました。
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アイス大好き同行者がなんとなく寄りたそうだったシャトレーゼでアイス休憩。
ののち、富浦の道の駅「枇杷倶楽部」。
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富浦のびわ、まじうまいんですけど、初夏しか手に入らない。ちょうどシーズンにさしかかったところで、箱入りのいいやつが盛んに売られている傍らで、箱詰めにできない傷物が5個800円で袋に入れられて売ってました。お手頃。袋のほうを買いました。あとカントリーマアムのびわ味は職場用に。

そののち、鋸山。これも在住時代にはなぜか行ってない。
頂上展望台近くの「地獄のぞき」は高所恐怖症の同行者が「絶対行きません」と言ったので撮影してもらいました。
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見晴らしすごくいいです。天気が若干アレだったけど神奈川側もうっすら。
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有料登山道を車で登ると頂上近くまで行けて楽です。無料の道+市営駐車場だと階段上り30分だそうです。格差社会(違)

富津竹岡、梅の家。こちらは久しぶり。
ラーメン800円になってました。なんか値上がりしましたかね。
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って過去日記を調べたらそうだ。2010年当時、大ラーメンで650円じゃん。うへえ。でも「前に来たとき、こんな大盛りだったっけ??」というくらい盛りが良かったので、ひょっとしたら値上げとともに量も増やしたのかもしれません。
いずれにせよ、おねえさまたちは健在のようでよかったです。
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帰りはうっかりアクアラインじゃなくて千葉まわりにしたら2時間半くらいかかってしまいました。走行距離が30kmくらい長くなる上に、蘇我あたりから習志野の先までひどい渋滞でした。
来週はもう梅雨でしょう。天気がちょっと微妙でしたがもってよかったです。

2019年05月16日

宮古島

沖縄本島、宮古島、石垣島(とその近く)のうち行き残していた宮古島。
下地島空港に成田からの直行便が就航したのをきっかけに2月だったかに予約してあった旅行が、うかうかしているうちに近づいてきてしまった、という状態で行ってきました。

朝7:25成田発のジェットスターに乗るために、5:00新宿発の丸ノ内線始発→5:40東京駅発の空港バスと乗り継ぎました。成田だとこの時間が当日乗れる最も早い便になるみたい。わりとぎりぎり。東関東自動車道で事故でもあったらはいおしまいという世界です。

下地島空港はもともとJALやANAなどのパイロットの訓練用飛行場で、この3月末に定期便が就航しました。いまのところ1日1便でスタッフの人たちも手持ち無沙汰な様子です。しかし国際チャーター便も入ってきていて、7月には大阪便が入り、とだんだん賑やかになっていくことが期待されているそうです。
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年季の入った地方空港、という風情の宮古空港より全然おしゃれ。
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宮古島と離れた下地島でこれができるのも、2015年に完成した伊良部大橋のおかげでしょう。
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3540メートル。伊良部島・下地島(この二つはほぼくっついている)と3往復し、7回渡りました。

確かもともとは岡本太郎の本で「行ってみよう」と思ったはずです。しかしこぢんまりした博物館を除くと島内にあまりそちらへダイブしていくとっかかりが見いだせなかったこともあり、「まぁきれい」をいくつか巡って、あとはゆるっと過ごしてしまいました。次があるならお祭りに合わせて来るべきだな。

レンタカー3日間で6000円。やっす。
ガイドブックのたぐいではあまり推されていない竹中山展望台。
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でも基本、昔の珊瑚礁なせいかかなり平らな島なので、島の様子を見渡せる展望台は結構有り難いです。
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沖縄そばも昼に一杯食べれば十分なので、夜はローカルファミレス「ばっしらいん」へ。「忘れられない」という宮古の言葉だそうですが、らいんはlineて書くんだね……
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ランチ(盛り合わせのことらしい)を頼みました。
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絶滅しそうな細いエビの入ったフライと、ほぼ皮、みたいなチキンカツ。衣は9割はがして食いました。
あと食ったものは、「すむばり食堂」で蛸丼。
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うんまあおいしいかな。

北にある池間島へ向かう橋。
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来間島では「楽園の果実」という茶店で果物とスコーンをいただきました。
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スコーンて初めて食べたかもしんない。これクリームとジャム塗ってかぶりつけばいいの?なんか割ろうとしたらぼろぼろになったんだけど。
フルーツはドラゴンフルーツ、島バナナ、ほおずき。ドラゴンフルーツもそのままの形では初めて。なんかカエルの卵みたいのがぐちょぐちょしていて気持ち悪かったです。

伊良部島を回っていたら、何もない道端に車が止まってカップルが道の脇の藪の中に入っていったので、何かと思ってついていきました。
ハートの目印がついてる。あやしい。
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藪を抜けると、イグアナ岩という隠れ写真スポットでした。
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絶壁で危ないのでガイドブックに載ってないらしいです。

あとはもうぶらぶら。
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パイナップルやマンゴーにはちょっと早かったらしい。
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気温は日中30度近くまで行きましたが、夜は涼しくて半袖短パンで丁度いい。
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帰りの飛行機からはお月様見えました。
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実は相当リフレッシュできました。
初日の4時起きの影響で、早寝早起きが帰ってからも続いてます。

2019年04月08日

京都花見

3年連続で京都花見です。
の、前に、大阪。
十三、「くそオヤジ最後のひとふり」。これはラーメン屋の名前です。
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あさりラーメンと、貝めし。うまあい。

東京はピークを過ぎた感じでしたが、大阪の桜はちょうど満開。
豊崎のなんてことない公園にはお花見の人たちがいました。
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平日に終わらなかった仕事を早々に宿に入ってするはめになりました。
なんか仕事量、偏ってないですかね。いやなんでもないです。

夜は、堺筋本町の焼き鳥「いこか」。
落ち着いた焼き鳥のお店です。
レモンハイお願いして、一緒にチーズのじゃこ和えを。
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あーーーーなんだこれうまいーーーーなんだこのタレーーーーー
あとはお任せ串を頼みました。
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全部おいしかったです。さっとお会計を済ませてさっとお店を出たら、大将?が追いかけてきて名刺を下さいました。ごめんね、すたすた出ちゃって。

翌日は京都の原谷苑です。
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去年は最盛期でしたが、今年は一昨年と同じくらいで、もう2,3日で最盛期、くらいの咲き方でした。
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泉仙のお弁当は今年もおいしかったです。
ところで、最近どこかのサイトに「桜は露出を1くらい上げて撮るときれい」と書いてあってのでやってみました。
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ほんとだ。
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日が傾いてきたので、移動。今宮神社の「あぶり餅」に連れて行っていただきました。
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夜は錦市場の「晴hale」で宴。
今はなくなってしまった「魚棚」のマスターがお料理を作って下さいました。飛竜頭(ひろうず)。
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楽しかったです。ごちそうさまでした。
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帰りは「ひかり」のグリーン早割を使ってみました。「のぞみ」の普通席とほぼ同じ値段ですが、グリーンはやっぱり楽。仕事してましたけど。なんか仕事抱えて週末を迎えるのはほんとご免だな。今回は多少の自業自得でもあるが。

2019年02月19日

会津

1泊で会津に行ってきました。
目的はほぼ1個、「さざえ堂」を見ること。

バスタ新宿から会津若松駅行きの高速バスに乗ります。1Cの席をとると、正面に足を伸ばせないのですが通路に足を出すことができ、前方の景色を見ることもできるので快適です。
片道4時間半。持ってきた本読んで、うとうとして、本読んで、休憩のSAでどら焼き買って食って、本読んで、東北道から磐越道に入るとそこは雪国だった!

13:30に会津若松駅で降りました。すぐに周遊バスに乗り換えて飯盛山へ。
これだ。
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右手の入り口から入って、らせん状の通路をぐるぐる上がっていきます。
一筆書き構造なので、上る人と下る人が出会いません。
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てっぺんは太鼓橋になっています。
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180度ずれた2本の通路が上で接続してるわけですね。
西国三十三観音を一気にお参りできるというめっちゃお手軽な巡礼の場だったものの、明治の神仏分離令後に観音像は外され、そのあと白虎隊像になり、それも「皇朝二十四孝」という会津藩の道徳教科書の挿絵みたいなものに替わってしまったということで、もう特に御利益もなさそう。
白虎隊の皆さんはさざえ堂の脇にいた。
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もうちょっと登ったところには、白虎隊の逸話に感激したナチやファシスタが建てた碑がありまして、もうなんといいますか。

「あ~~お城が燃えてる~~泣」の像。
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自刃の現場に建っています。正面から見ると結構怖い顔してます。

さてバスの時間に合わせて山を降りて、東山温泉に日帰り入浴に行きましょう……と思ったら東山温泉をすっ飛ばすバスに乗ってしまい、鶴ヶ城に連れて行かれました。
お城はあまり興味がないので歩いて七日町のほうに向かっていたら、なんか立派な建物。宮泉銘醸でした。入ると試飲できるじゃないですか。しかもほとんどが無料。
あと、こちら720mlで5000円というのは試飲300円。でもこんなについでもらえます。
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これも芯が強くて清々しい味でしたが、別に1700円くらいですごく華やかな果実のような味がうまーーーい!というのが一本あり、お土産にしました。

そういえば昼飯を食べそびれていたので、適当なお店(名前失念)でソースカツ丼。
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いやまあソースカツもおいしいですけど、何よりお米がおいしかった。

風呂は「富士の湯」という温泉施設へ。450円。やっす。地元の人たちがいっぱいいる巨大な銭湯でした。気持ちよかった。

夜は「カレー焼きそば」にも手を出してしまいました。
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さらに「BEANS」というダイニングバーに入って寝酒を飲んで就寝。
上記2店ともに、1000円で飲み歩きセットが出てくるスタンプラリーみたいなことをやっているお店の一部です。スタンプを2個ためたので、景品の赤べこストラップをもらいましたw

人口12万だそうですが、そんな規模だとはちょっと信じられないくらいちゃんとした食べ物が出てくるお店はあるし、それなりに集積した飲み屋街もあります。さすが往年の城下町。

* * *

ニューパレスっていうホテルに泊まったのですが、お部屋は小綺麗なビジネスホテルみたいな感じ、朝も「こづゆ」(写真右下)など郷土料理を取り混ぜたバイキングですごくよかったです。
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チェックアウトすると外はこんな。というか前の日から大体こんな。
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七日町駅から列車に乗って、湯野上温泉駅まで南下します。そっちまで行くと結構天気いいんですよね。
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インバウンドさんたちでぎゅうぎゅうのバスで下郷町の大内宿に行きます。
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イザベラ・バードも逗留したらしい。
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だいたい蕎麦屋と土産屋なんですけど、観光地なのに愛想が良くていいなと思いました。
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縁起が12世紀から始まっちゃう「玉屋」でおそばを食べます。
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名物は「ねぎそば」で、長ネギを箸がわりに使って食うという代物。
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どうやって食べるんじゃい、と思いましたが、丼の縁にそばを追い込んですすれば簡単。
いや、なかなかどうしておいしいそばでした。
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そんじゃ帰りましょう。会津若松に戻るとまた雪でした。
帰りのバスで本(下記の木庭本)フィニッシュ。時間が細切れになってしまう通勤電車と違って、本を一気読みできる長距離バスは歓迎です。

* * *

■木庭顕『誰のために法は生まれた』朝日出版社、2018年。

桐蔭学園の生徒に対する出前授業の記録みたいです。
権力と利益のためにつるんだ徒党から、それと対峙する個人の自由を守り、徒党を解体する。その手段は(1)政治システム(2)デモクラシー(3)占有を大事にすること。(1)のエッセンスを取り出したのが近代国家。ということは、(1)ないし国家と徒党が癒着することこそまず警戒しないといけない。
とかなんか面白いこと考えてるぞ、と思うことを感じ取るまでで、もう一冊何かいきたい、そのうち。

■井出哲『絵でわかる地震の科学』講談社、2017年。

途中難しいが「今後何度も参照するしな」と割り切って乗り切った。

■太田省一『テレビ社会ニッポン』

1/3くらいで、もうちょっと読むべき本が他にある気がしてしまい、読み通せず。

2018年11月20日

胎内めぐりなど

今月やっと3,4日目の休みを、金・土と関西でとりました。
出掛けた理由はただ遠くに行きたかったというだけ。

新幹線も当日とった。
新大阪の「道頓堀今井」で親子丼ときつねうどん。
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小6のとき、当時生駒に住んでいた伯父を訪ねて独りで長野から大阪に出て、大阪駅で伯父と落ち合って一緒にうどんを食べたのが、澄ましのうどんを初めて食べた機会でした。なんかそれを思い出しました。

今回、「万博記念公園行こうと思うんだよね」と隣の席の若者に言ったら「EXPO70パビリオンは絶対お勧め」と言われたので行ってみました。
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充実してた。いま公園歩いてても「万博って何」に応えるものが全くないのですが、ここに集約されていたか。
鉄鋼連盟が作った「音と光のパビリオン 鉄鋼館」を改装したもののようで、特殊な音響設備を持ったシアターが復元されていました。設計はコルビュジエの弟子、前川国男。演出プロデューサーは武満徹!
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バシエによる「彫刻音楽」、クセナキス(小澤征爾指揮)、高橋悠治の作品の上演。めっちゃ豪華ですやん。なにこれ。
パビリオン建築もそうだけど、やりたいこと全部やった感、すごい楽しげ。
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こちらは万博を機に日本に登場したもの、いろいろ。フランスパン、ヨーグルト、缶コーヒー、動く歩道、ファミレスなど。

ほんで実は2ヶ月ほど前に、太陽の塔の中の見学予約をしていたのでした。
今年3月から始まった内部の公開で、やっと頭、お腹、背中に続く「第4の顔」こと「地底の太陽」を見ることができました。これで太陽の塔をコンプリートした気がする。
でも中は撮影不可でした。ケチ。ばーか。
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「生命の木」を見ながら、だいたい地上30m、太陽の塔の脇の下くらいまで階段で上ります。その先の腕の部分には昔はエスカレーターがついていて、そこから「空中展示」という場所に続いてたんだそうです。外の天井の部分ね。
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民博はミュージアムショップをゆっくり見てる間に閉館になってしまいました。
とりあえず中津の東横インに投宿。

夜は「まんねん」でオムチャーハン。
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うまうま。餃子もつけたかったけど、5個200円はラーメンにしかつけられなくて、単独で頼むと10個からなんですと。なんだそれ。

堂山町を歩いてると悪ガキが防犯のおまわりさんをはやし立てており、
警「じゃかあしやワレ-!」
ガキ「おーこわ!」
警「怖けりゃ帰らんかいボケ!」
とかいっててなかなか迫力ありました。でもなんかこういう言葉の瞬発力っていいなあと。

ちょっと飲んで帰って寝ました。

翌日は神戸方面へ。
兵庫県立美術館を冷やかしました。
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安藤忠雄、生かしてますかね。これ。

若干時間があったので、元町まで行っちゃって老祥記の豚まん3つだけ食べました。
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そのあと歩いて三宮へ。

三宮で友人と落ち合って「唐子(からこ)」で酢豚定食と水餃子。
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これはこれでおいしかったんですが、ちょっと分けてもらった牛喃飯のほうがインパクト強かったです。次はこっちだな。
三宮って4年くらい前には仕事でかなり頻繁に来ていたのですけど、そういや最近全然。

県立美術館に連れて行ってくれようとしていたそうなのですが、既に行ってしまったので路線変更して須磨浦山上遊園に行きました。これはローカルの人とじゃないといかんわー
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山陽電車・須磨浦公園駅で降りて、ロープウェイに乗り換えてこれくらいの見晴らし。
更に上には「カーレーター」で25度の坂を上ります。
カーレーター=カー+エスカレーターらしい。雨でも上れる「動く登山道」として1966年開業、日本に現存する唯一のカーレーターだと。
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勝手に古くなっていったのが、いつしか「レトロ」として保存の対象になりましたな。
明石海峡大橋見えたー
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また電車で1駅、須磨駅で降りてJR駅に行く途中のホットドッグ屋「コペンハーゲン」でホットドッグ調達。
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砂浜で食べました。現地(どこだ)っぽいソーセージでうまかった。
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いやーいい1泊旅行だった。もう1泊できたらよかった。
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神戸空港から帰りました。

日曜はいつもの飯友とお好み焼き食って、夜はトリキで焼き鳥食って寝ましたとさ。

2018年11月05日

しぞーか

所用で静岡。
駿府教会を見せていただきました。新約聖書もいただいてしまいました。
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曇りだったせいか、光が射すのではなく沁みてくる感じ。
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設計は西沢大良さん。
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そんで「海ぼうず」でしぞーかおでん食べました。
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すっごい食べ応えのあるマグロのテール、598円。安!
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行きはバスで3時間2250円、帰りはひかりで50分5000いくらでした。
バスで十分ですね。景色見れていいのと、途中休憩の足柄SAが楽しい。
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駅弁は東海軒の鯛めし。味は一言でいうとでんぶです!

2018年08月31日

ウズベキスタン(7終)

【8/30】

サマルカンドからタシケントに移動し、夜に帰国の途につきます。
未体験ゾーン、モーニングコールが4:30。
お弁当(パン、ジュース、ヨーグルト、水。リンゴは食べきれないまま持って帰ってまだうちの台所にあります)を受け取ってバスに乗り込み、サマルカンドの鉄道駅に行きました。
鉄道駅も荷物のセキュリティチェックがある。そういう国。
駅舎は素敵なステンドグラスがある重厚長大なソ連様式。
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駅での写真撮影が許可されたのも、つい今年からだそうです。
プラットフォームは広い。
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ブハラ発タシケント行きの新幹線的なやつ、アフラシャブ号に乗りますよ。
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どこ製かな?中国?ロシア?とみんなで推測しましたが分からず。
だいたい時速160kmくらい、最高で210kmちょっと出ていたと思います。
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ちなみに画面左のお兄さんが笑っているのは、弊管理人の頭上にあるモニターでやってるコメディを見ているためと思われます。
右のちょっと寝てる女性が、この旅じゅうずっと日本語でウズベキスタンを紹介しまくってくれた超優秀&豪腕ガイドさんです。最終日、朝から咳が出て具合悪そうでした。東部の山の中の出身で、タシケントの国立東洋学大(うろ覚え。確かそう)を出て埼玉の国際交流基金に来て論文を書いたそう。
車内ではお茶とパンが配られます。飛行機みたい。
スタッフを撮影しようとしたら制止されましたが、まあ撮るよね。
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ティムールが戦争に行くときに集合場所にしていた峠「ティムール・ゲート」を通り過ぎ、「8:15ごろ通ります」と言われていたシルダリア川を定刻通り通過(つまりかなり正確に運行しているのだ。えらい)すると、タシケントの街に入ります。名前は13世紀ごろついて、「石の街」という意味。
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午後10時のフライトまでがっつり観光。

まずは日本人墓地のある墓地。
これはまだ日本人墓地ではありません。現地の方々のやつ。
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故人の顔が墓石に彫ってあるのはソ連式なんだって。月のマークがついてるムスリムの方々のも一部そうなってました。ガイドさん(イスラム教徒)に「イスラム教では墓地に幽霊は出るんですか?」と聞いたが分からなかった。逆に「なんで日本では出るの?」と聞かれてそういえばなんでかなと。
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こちらが日本人墓地。抑留者の遺体を埋葬した初代墓守から数えて今はお孫さん=3代目。とてもきれいにされてます。
実は弊管理人の祖父(1912-2003)もシベリア抑留者なのですが、シベリアからウズベキスタンに移送されていたことを旅行直前に家族から聞かされました。
当然というか、シベリアに比べればマイルドな気候で、劇場建設などの労働現場では周辺住民からの差し入れもあったりして、死亡率はシベリアより低かったとのこと。

モスクのトイレをお借りしました。お清め部屋もきれいね。
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タシケントの街には白人が格段に多いと感じます。
スムを使い切るため、コルズィンカ(かご)というスーパーに立ち寄りました。
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これは菓子パン職人のおにいさん。
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結局なんだかんだ合わせて、この旅では7000円くらいしか使わなかった。
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こちらは歴史博物館。
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中に入るとカリモフより一言。
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土地と個人を結びつける分かりやすい国民統合のメッセージ。多文化・多民族が存在する現実と、国家の安定の折り合いをつけようとすると多分こうなる。
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古代風の柱と、美しい国。絵はちょっとアンズの花の季節の長野っぽかったりする。
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当然ながら石器時代から始まって近現代に至るわけですけど、これだけくるくると民族も人種も違う支配者が入れ替わってきたウズベキスタンの歴史って一体何?どこから始まるの?と台湾の故宮博物院を見たときのようなことを思いました。

『60章』のコラムを見ると、「ウズベキスタンではウズベク人が人口の80%を占めている。しかしながら、ウズベキスタンにはその昔「ウズベク」と呼ばれる人々は住んでいなかったのである」と書かれていて何何何?となります。その答えは次のようなこと。

人間集団の名前としての「ウズベク」は14世紀後半のことを書いたティムール朝の史書に出てきて、それは現在のカザフスタン西部にいた遊牧集団のことだったそう。彼らはチンギス・ハンの長子ジョチを君主(ハン)に戴いてカザフ草原に勢力を拡大。1500年にはティムール朝の首都サマルカンドを征服し、もう一つの中心都市ヘラートも攻略してティムール朝を滅亡させる。このときの遊牧ウズベクの移住者は推定24~36万人。その後も流入は継続します。

ちょっと時代を遡ると、もともとこの辺りには8世紀にイスラム勢力が入ってからペルシア語が使われていましたが、そのあとカラハン朝(10世紀)の時代にテュルク族が流入。支配者の言葉だったテュルク語も普及していました。このあとモンゴル侵入を経て、ティムール朝の時代にもペルシア語とテュルク語が併存。テュルク語系の遊牧ウズベクの移住はさらなるテュルク語化が進む要因となったということです。つまり、テュルク語を喋る人たちは遊牧ウズベク以前にもいた。

さて、ロシア革命後の1924年に民族・共和国境界画定によって、「そこにいたテュルク語を母語とする人たち」が「ウズベク民族」とされ、ウズベク民族が多数派の地域がウズベク共和国になった。そしてそこで使われている言葉が「ウズベク語」になった。(ペルシア語の地域はタジク共和国になり、言葉は「タジク語」になった。ガイドさんはタジク語を聞いても「なんとなく分かる」そうです)(pp.77-79)

つまり、「ウズベク民族」は少なくとも、昔からいたテュルク語話者と、ティムール朝時代の最後に入ってきたテュルク語話者の遊牧ウズベクが混ざっていて、しかも現代になって創出されたものだと。遊牧ウズベクに滅ぼされたティムール朝の始祖が英雄になっちゃって主要都市に銅像が建っているのものもわけがわからないが、むしろ「ぐちゃぐちゃだから何をシンボルにしてもいい」のかもしれません。
ティムール朝の人気も、滅亡後だいぶたった18世紀の経済衰退期に始まったが、ソヴィエト政権下では民衆重視・為政者否定の中でティムールの地位は低下し、ソ連崩壊後にやっと復権する、という浮き沈みがあったとのことです。

テレビの発明もウズベキスタンですからね、という展示。
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あと、スターリン時代のことはやはり相当恨んでいる印象。
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1920年代のソヴィエト政権はイスラムの「後進性」を廃して一夫多妻をやめさせ、女性のヴェールを脱がせ、イマームを逮捕し、ラテン文字を使わせ、民族知識人を抑圧。スターリン体制ではコルホーズ導入、富農の追放、棉モノカルチャーと「赤い植民地」化、大テロルによるウズベク共産党や知識人の大量粛清による文化の継続性喪失、戦時中の朝鮮系ロシア人の沿海州からの大量移送など、いろいろひどかったらしい。

しかし「ウズベク人がソヴィエト政権を支持し受益者となったり、時には同胞の抑圧に手を貸す加害者の立場にもあったという問題に触れることは、ペレストロイカ期と比べてむしろ困難になっている」(『60章』pp.100-105)。『イェルサレムのアイヒマン』を思い出します。

うちのじいちゃんも建設作業させられたらしい、ナヴォイ劇場。
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周りはドングリの木がいっぱい。実を少し拾って帰ってきました。

そういえばここまで、たびたび名物と聞いていたプロフ(ピラフ)食べてないなーと思っていたら、お昼がそれでした。
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ものっすごい大皿で出てきて4人くらいで取り分けます。上に載ってるのは牛肉、丸いのは馬。よく知ってる人に言わせると「かなり上品なプロフで、もっと悪いやつは油でギットギト」とのことです。
おいしかったのでかなり頑張って食べましたが、それでも半分以上残った。
みんなそこはかなり呵責を感じるところで、しかし「残飯は牛のエサになるから食品のゴミというものは出ない(ついでに、それゆえ駅のゴミ箱などに紙ゴミと残飯を一緒に入れると怒られる。気をつけろ)」というガイドさんの説明を信じて忘れることにしました。
あと、こちらはラグマンといううどん。沖縄そばみたいな麺です。
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朝が早かったこともあって、このあと弊管理人は日本庭園を夢うつつで歩き、バスの中で意識喪失します。
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花が咲いてますね、くらいしか覚えてない。

しかしおかげで、チョルスー・バザールを見る頃には復活して元気になりました。
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文房具(新学期を前にしてかなり賑わっていた)、スパイス、雑貨、乳製品など細かく区画が分かれていましたが、やはり肉が壮観です。温まった生ラムのような匂いが充満してます。
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では地下鉄に乗りましょう。青いトークンを改札口に投入してホームに入ります。
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説明が丁寧。
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無骨な車両です。
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中は東京の地下鉄より広い感じ。日本人は乗るとまだまだ異物感を醸す。
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人が来るとすぐにシートが譲られます。
地下鉄駅ごとにコンセプトが違う装飾がされていて、それらがとてもきれい。
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ティムール朝の政治家・詩人ナヴァーイーのレリーフとったらセキュリティ機器も入っちゃったい。まあいいか。
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しかもこれも今年になって撮影解禁になったというのがまた。
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さて、この駅を出ると最後の観光地です。
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大統領府のある広場、かつてレーニン像があったラスボス感のある場所には子どもを抱く母親の像があります。第二次大戦中に疎開してきたロシアの子たちを受け入れたウズベキスタンの象徴。上にある地球儀にはウズベキスタンだけが彫られているとか。
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マックもスタバもない、しかし各所の撮影規制を緩めたミルジヨーエフ(←外務省表記を調べたらこうだった)新大統領のウズベキスタンはこれから観光に対して開かれていき、変貌していくのでしょうか。あるいは、やはり国をある程度閉じておくことにメリットを感じていて、少なくとも経済は引き続き中で完結しようとするのか。

空港に向かう前、最後の晩餐。
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いや、それにしても今回、パック旅行でよかった。そして楽。プロが全部やってくれるというのは楽。金額だけ見れば決して安くないけど、自分でアレンジしたとしても、同じ内容でこれより安くできない気はする。

パック旅行の客層も面白かった。

会社で結構いいところまでいってリタイアした風の亭主関白系ご夫婦3組(うち2組はビジネスクラス)、パックで世界を回っているらしい値切り魔のおばさん、「イタリアやフランスみたいに沢山の箇所を自分で回りたい時は自分で組むか、専門の旅行者でコースを作ってもらう」という旅慣れたおかーさん(添乗員さんも持ってなかった爪切りをお借りしました。こういうものを旅に持ってくるのも旅慣れてる感じ)、写真とりまくり一人旅おじさま、イスラムに詳しい知識階級っぽい謎のおじさま、東欧駐在経験があり40年とかのスパンで仕事で何回か訪れたウズベキスタンの最近の様子を見に来ようと思ったが、妻に先立たれ、友達を誘ったけど来てくれなかったため一人旅になってしまった元国際協力系?おじさま。
あと、厚かましいお嬢さんがそのまま年を取った感じの暗いところでフラッシュ撮影しまくる痛いおばさんは集団の不安定化リスクとみていたが、結果そこまで顕在化しなかった。誰だか忘れましたが「パックに慣れると抜けられなくなる」との金言もいただきました。

旦那も娘も婿殿もついてきてくれないマダムなどはピンでこういうのに参加しているうちに同じ境遇の仲間を見つけて、次の旅には連れ立って出掛けるらしい。

タシケント22時発、寝たり起きたりしているうちに7時間ちょっとで成田に着きました。
タジキスタンから同じ便で来て、右も左も分からないのにクルーズのため横浜港に行きたい(しかもドクターというわりに英語もほとんどできない!!!)という無謀なおばさん2人に捕まり、いろいろ書いて教えたりリムジンバスに乗っけたりしているうちに、旅の間ずっとメモをとっていたメモ帳をどこかでなくしました。
29日分まではPCに打ち込んであったので、失われたのはこのエントリー分だけで助かった。カメラのSDカードが一瞬不穏だったこともあり、バックアップ大事大事。

いやあ楽しかった。誰か連れていけばよかった。おしまい。

(9月8日記)

2018年08月29日

ウズベキスタン(6)

【8/29】

サマルカンドを歩いて観光する日。
そういえばホテルの机にお祈りの方向が示してありました。
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ホテルの朝食。
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ショルダナクという杏の種、ドライフルーツ、お粥あたりが名物みたい。

昼間のレギスタン広場を見ます。
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メドレセのミナレット、曲がってます。よく見るといろんな建物が曲がってる。
一見きれいな焼き物の彩色も粗っぽかったりして、ここは全体的に、大きさとか派手さに注意が向きがちで、クラフツマンシップの意外な質の悪さに気付きにくいところだと思う。
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「レギスタン」の名前は、もともと湖だったところが干上がってレギ(砂)スタン(場所)になったのが由来。バザールがあり、ビビハニムモスクまで続いていた。巨大メドレセとモスクは、ここでも革命軍による大規模破壊を経て修復されました。
3つある建物の最初に作られたのはウルグベク・メドレセ。ATM完備。
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ウルグベクは天文学者だったので星の模様。先生は住み込み。1960年代に修復。中にはモスクもあり。イラン、トルコ、イタリアからも学生が来ていた。1941年に第二次大戦が始まったあと、ロシアから疎開してきた子どもが一時収容されていたという。
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2つめはバハギル・メドレセ。金で作ったモスク。テラ(金で)コール(飾った)メドレセ。模様は長生きを示すアーモンド。唐辛子はゾロアスター教の意匠、バジルはイスラム教と混ざった形。内部の天井は、円の中心に向かって葉っぱが小さく描かれているため、ドームになっていないのにドームに見えます。
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3つめはコシュ(向かい合わせ)メドレセ。太陽と、トラに見えるがライオンをかたどった模様。シカを狩っている。40教室あったそう。

タイル職人の店で湯飲みを購入しました。
入ると笑顔で商品をアピりまくるわりに、値段交渉になるとすごいシビア。ま、もとが1個3ドルなんですけど。真顔の客あしらいに田舎を感じます(嫌いとは言ってない)。

行こうと思っていたチャイハナが清掃中というので、時間つぶしに入ったブティックと工房。
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しかし弊管理人は買い物に興味がないので、一行が見ている間、外の公園のベンチに座っていました。同じベンチの老人と全く言葉が通じないのに会話になりました。なぜか年金手帳のようなものを見せてもらいました。

お茶休憩。
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お茶とお菓子で一休みするだけなんですけど、この画面左にある、絨毯を敷いたベッドフレームみたいなやつに上って足を伸ばすとすごく休まります。日陰は風が涼しく、できればお茶をポットで頼んで一日ぐったりしていたい。

ビビハニムモスク。ティムールの長女のモスクだそう。マグネット購入。
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昔はこれもんで壊れていたらしい。
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一人で写真を撮っていたら、仲良し3人組から一緒に写真を撮ってと頼まれました。
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弊管理人と彼らが一緒に、彼らの携帯で写真をとったあと、3人を撮らせてもらいました。
日本人と写真、よくあることらしいです。むしろ3人を撮ったら「自分は入らないの!?」と言われました。一緒に撮ればよかったね(笑)
わきゃわきゃしていたので学生だと思ってましたが、写真見ると結構歳いってそうな。

お隣のバザールに寄ります。
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賑やか。ヨーグルト玉、スパイス、ナンなどいろいろあり。
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同行のご夫婦がスパイスを猛然と値切っていて、そこまでする?と若干引きましたが、最後は商談成立していたので儲けは出るのでしょう。換算すれば何百円の話なんだけどな。
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ノンを売っていたのはおばちゃんたちで、ここでも女性のほうが勢いがすごかった。
弊管理人は干したアンズとイチジクをちょっと買いました。

シャヒズィンダ廟。12世紀の聖人の墓などいっぱい集積したところ。
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コーランを読めない人のために、いい声で読み聞かせるお兄さん。
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このときは健康に関する一節だったそう。ありがたい言葉を両手で受けて、それを顔に浴びせる仕草。周りの人たちも一緒にやります。

いったんホテルに戻ってうとうとしてから散歩。
おととし亡くなったカリモフ前大統領の像を見に行きます。
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1938年サマルカンド生まれ、貧しい家庭から工科大、経済大を出て博士号取得。経済官僚としてキャリアを積みます。そのあとソ連構成共和国時代から27年も指導者を務めました。大統領に権限が集中する体制を築き、強い国家統制を残して漸進的な改革を行うことで、ソ連崩壊後のショックを緩和し、世界の金融危機の影響も受けにくかった。反面、外資の導入や経済の多角化が抑制されます。歴史やイスラムを象徴的・選択的に利用した公定ナショナリズムを利用した統治を行い、共助団体を通じた市民監視も強めました。フェルガナ盆地でのイスラム運動に対しては強面の弾圧を行い、過激化を招いたこともあります。(『60章』pp.284-289)

そして彼の死後、空港に名前がつき、命日は休日になってました。
「イスラム・カリモフの「神話化」とも言うべきプロセスが進行している。[...]抑圧的なソ連体制からの解放と独立の達成、独立後の数多くの困難の克服、独立国としての基盤づくりと優れたイニシアティヴ、民主主義的祖国の安定と発展、それを脅かす勢力との正義の闘い―これらが様々な場面で繰り返し語られるモティーフである。そしてその中でカリモフは、建国の「父」、ウズベク民族の偉大なる「父」なのであり、父が築いたものを父亡き後に残された「子供たち」が受け継いでいくのだというイメージがいくつもの手段や経路で美しく演出され、拡散されている」(同、p.292)

そこからバザールまで歩いて、午前中とは反対側の出口から出ると、場外にもかなりのお店が広がっていました。
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喧噪と排気ガスの臭いを抜け、路地に迷い込み。
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ホテルに帰りました。

(9月8日記)

2018年08月28日

ウズベキスタン(5)

【8/28】

ティムールの生地、シャフリサブスを経由してサマルカンドに向かう日です。めちゃんこ早起きで出発です。今日はバス移動がほとんど。
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シャフリサブスまで300km。ブハラ~シャフリサブスは羊が多いところだそうです。
街と街の間には検問があります。相変わらず担当官を撮影してはダメ。

綿花の畑が広がっています。蜂蜜もとれるそうです。花は4から9月がシーズンで、11月には木を周囲の民家のおじさんが取りにきて、屋根の上に乗せておき、冬の薪にするのだとか。
昔はコルホーズだったが、今は国営になっていて、手伝うとお給金がもらえます。ちなみにコルホーズは団地ごとに運営、ソフホーズはそういうまとまりがない農場、というのが違い。

車はフェルガナ、アサカ市で作っているシボレーがほとんど。コンパクトカーくらいの小さな車が多いです。一方で旧ソ連時代の製造と思われる「ラーダ」もかなり走っています。安いのでよく売れたとか。違う日の写真ですが、ラーダってこういうのです↓
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ブハラは石油が出るそうです。ムバラクという「天然ガスの街」ではガスのプラントも見えました。荒野、住宅街を問わず、ガス管は黄色、水色は水道管だそう。
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ガスが安くてガソリンが高いので、車はガス車が多いんだって。そう言われてみれば、「メタン」や「プロパン」と表示されたガススタンドがあちこちにあった!

車内ではウズベキスタンの歴史をざっとおさらい。
 1-4世紀 クシャン朝
 9-12世紀 サマニド朝
 13世紀 ホレズム・ハン国、ここにモンゴルが襲来しいろいろ破壊した
 15世紀 遊牧ウズベク人が進入
 16世紀 シャイバニ朝
 17世紀 ヒヴァ、ブハラ、コーカンドの3ハン国
 1850 帝政ロシア
 1919 ソヴィエト革命軍の統治、いろいろ破壊
 1960年代 ソヴィエトが「ごめんね」で壊したものを修復する時代
 1991 独立
つまり、どこを見てもだいたいモンゴルとソヴィエトが壊してる。

国歌、紋章、国歌についても勉強しました。

国歌はブルハーノフが作曲、アリポフが作詞。「ウズベキスタンは太陽の国ですよって歌ってます」。野菜、果物、学者など自慢を並べて「きれいにして残そうね」という歌だそう。あとで歌詞を見たらちょっと違うけど大体そんなんだった(笑)。毎朝7時にラジオで流れ、公共の場などで聞くときは右手を胸に当てて聞くそうです。

紋章。これでーすっつって、ガイドさんが。修学旅行っぽい。
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紋章は綿花と小麦が両脇、ホーマ(フマ)という空想の鳥が中央に配置されてます。あとはアム川とシル川、それらの源流であるパミール高原。

国旗は上から青、白、緑のトリコロール。

青は空+ティムール朝の国旗+タイル、白は川の水+「思いやりがある明るい人」を意味するのだとか。緑は植物でしょうな。3色を隔てる赤い線は第二次大戦の戦死者の血。左上にイスラムを示す三日月と、12の地方を示す12個の星。国旗・国歌への崇敬を刷り込み、内外国民の監視を行うのは、多民族を抱えて突然生まれた若い国家ならではでしょうか。
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というかもう車窓が全くもって国旗の色。この写真では白は山ですけど。でもすごく写実的な国旗だなと思いました。ボロディンの交響詩に「中央アジアの草原にて」というのがあって、どこをイメージして作ったかは知らないけど、結構草原あるんだなと。
ちなみに最高峰はスルハンダリア地方にあるハズレット・スルタン山、4643m。
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途中、トイレ休憩のガソリンスタンドで売っていた、この手前の黄色いものは「氷砂糖」。
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近影こちら。腹痛は紅茶にこれを溶かして飲むと治るんですと。1000スム、だいたい14円。2本買いました。
(と、これを書きながら台所に行ってタキ・バザールで買ったハーブティーを淹れ、氷砂糖をなめてます)

お昼前くらいにシャフリサブスに着きました。
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モスクではチノールという1370年にティムールが植えた巨木が3本。木は長生きだということで、遠征に行った先々で木を植えていたそうです。
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この時計は1日5回の礼拝の時間。
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あと、ティムールの墓。ただし本人はいない。
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ティムールの孫、ウルグベクが作ったウルグベク・モスク。
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アラビア語の下に星がいっぱい描いてあるのは、ウルグベクが天文学者だったから。
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内部は耐震工事中。アーチに渡してある棒も耐震のため。
それにしてもドームの印象的な水色はどうやって出しているのか。聞いてみると、昔はコバルトやトルコ石、今はペンキなので毎年補修するそうです。

アクサライ宮殿を見に行きます。
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ティムール像が見ている方向はアフガニスタン。墓を開けて行った調査により、骨格から顔つきが復元された。右足が悪かったことも分かった。
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補修がされていない珍しい史跡だそうですけど、むちゃくちゃでかい。
天井と地下に奥さん用のプールがあったんだと。
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当初はタイル張りだったが、16世紀には破壊が進んでしまいました。これはモンゴルとかは関係なく、遠くから見ると輝いて見えるようにタイルに砂金が含まれていたため、砂金を目当てにタイルが剥がされていったのだとか。

お昼は家庭料理。
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この後出てきたロールキャベツもうまかったです。
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葡萄棚のある素敵なお家。ちょっと休ませていただきました。

さて、サマルカンドへ、さらに3時間バスの旅です。
ウズベキスタンに関するレクチャー、続きます。

教育について。ウズベキスタンは4-5-2制。教育は無料。教師の給料は160~170万スム。5月下旬から9月初めまで長い夏休みがあります。カザフ語やタジク語で教える学校もあるが少数。今は1年生から英語を教えます(確かに話した現地の人の中では若い人によく英語が通じた)。数学にもかなり注力していて、ヨーロッパのカリキュラムより進んでいるとか。
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これはガイドさんの息子さんのノート、確か3年生ですが、すごいしっかりした字を書きます。
生徒は鉛筆ではなく青いボールペンで書き、教師が赤ペンで直しを入れます。間違いを消させないことで記憶を促すという趣旨の「ソ連方式」。子どもが多いので、学校は2部制になることもあり、その場合は朝8時からと11時から。
授業は午後2時くらいには終わりますが、音楽、舞踊、スポーツなどの私立学校があって、そちらは有料。

「青空トイレ」=立ちションの時間も取られましたが、意外に人目があってバスを降りたもののできず。

途中の山岳地帯は、子どもを乗せたロバがとことこ歩いているようなところ。日本にまったくない風景で、ちょっとでもいいから止まって写真を撮りたかったです。
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あとで同行のおじさまと話したんですが、「道の駅」ほしいよねと。運営ノウハウを輸出したら絶対受けるでしょ、と盛り上がりました。

サマルカンドに到着してさっそく観光。グリ・アミール廟。
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ティムールはシャフリサブスに自分の墓を作ったが、そこに入ることはできませんでした。この廟はもともとメドレセ。ティムールの息子や孫のウルグベクも埋葬されています。ぱないわ。
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でもやっぱりドーム、ミナレットとも革命軍に破壊されたんですと。
ほんとに最近修復したものばかり見ているのですね。われわれ。

夕飯はケバブ!!
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牛、羊、トマトを、玉ねぎやソースとともにクレープで巻いて食べる。うまい!

一度、ホテル「アジア・サマルカンド」にチェックインしてから、レギスタン広場にライトアップを見に行きました。これもまたみんなから歓声が上がるでかさ。
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ところで、シャッターを押してあげたのをきっかけに、東部から撮影の仕事で来ているという23歳(確か)と話し込みました。
カメラマンをやっていて1日中サマルカンドを歩き回って疲れた。ウズベキスタンはまだ知られていないので、将来は旅行会社をやって発信したい云々。確かにここに来る前に「なんでウズベキスタン?」とよく聞かれました。灼熱だと思っていたが、気温が高くても日陰に入れば涼しいし、日中歩いていてほとんど汗をかかない。夜は肌寒いくらい。日本から来れば避暑になってしまうのが意外。そんなことからして知られてない。いい着眼点だと思います。ツーリズムで成功してね。

(9月7日記)

2018年08月27日

ウズベキスタン(4)

【8/27】

ホテル「グランドブハラ」の部屋は11階です。見晴らしとてもよし。朝焼けきれい。
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ただしベランダは胸下くらいの高さの柵しかなく下を見るとちょうおっかない。よく反体制ジャーナリストとかが投げ落とされるのはこういうところだろうなとか(失礼)
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日が昇るとこんな街並み。官庁街なのもあって無機質な東っぽさが増幅しています。
目の前にあるのは「戦勝記念広場」で、戦没者名簿に加えて、帰らない息子を待つ母親の像というのがでーんと鎮座しています。この像には最後にタシケントで再会するので、所感はそのときに。

8時発でイスマイル・サマニ廟に向かいます。
向かうんですけど、途中の公園に遊園地がありまして。
この国に妙に多いと感じたもの1、観覧車。
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その2、こういうやつ。
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もちろん○ッキーさんもいました。

こちら、イスマイル・サマニという王様が作ったお墓。
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9世紀に国内だけでなくイラン、トルコからも職人を集め、もともとは父親のために作ったお墓。日干しレンガの成分は今も全貌が分かっていません。ラクダのミルクや卵も使われていたらしい。
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アーチの上の三角形の意匠はゾロアスター教の数「3」(いいことする/考える/伝える)にちなむ。一方、屋根にはミナレット4つ+ドームの5でイスラムの「5」(5行6信の5でしょう)。
チンギス・ハンが攻めてきたとき、地元住民はこの廟を砂で埋めて丘のように見せて隠しおおせた。しかしその後、国は滅ぼされて、次に掘り出されたのは14世紀。
反時計回りに3回回って願い事をすると叶うそうです。やらなかったけど。なんかそういう願掛け系も多いなと思いました。
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中にはさまざまなモチーフがあって、上の写真でアーチの端っこに挟まったようになってる「はさみ」は「悪いものを切り捨てる」という意味。オスのヘビの顔が右上にあります。メスのヘビも反対側に。
お墓にはイスマイル王に手紙を書いて投函する穴もありました。

公園をぶらぶらします。
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おばちゃん観光客が、土産物売り場のもじゃもじゃのカツラをかぶって騒いでいて、店の人がすごい嫌な顔をしていました。おばちゃんの勢いには普遍性があるな。
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彫金の先生のお店。
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ハディースを収集したムハンマド・アル=ブハーリーを記念したコーラン博物館。
ていうか名前を聞けば納得するが、この人ブハラ出身かあ。すごいね、ウズベキスタン。

公園を出て、ガタガタした道を歩きながらアルク城に向かいますよ。
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それにしても、バス観光だと綺麗なところしか見ないなって思う。

途中で立ち寄った、17世紀に建てられたというバラ・ハウズ・モスク。
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これ、観光コースには入っていなかったのですけど、とにかくでかい木造のテラスが独特。
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柱は20本。ソヴィエト革命軍の事務所として使われたりして、モスクとして復活したのはウズベキスタン独立後だったそうです。

アルク城は外から見物。特に感想はありませんでした。

ミナレット、モスク、メドレセが1カ所に集まった広場。こちらもとにかくすべてがでかい。
これがカラーン・モスク。
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モスクは1121年築。ただしもとは木のモスクで、チンギス・ハンが馬で入るという無礼を犯したら落馬した。今あるのはティムール時代に建てられたもの。12000人収容可能。帝政下では外まで使ってお祈りをしていたそうです。描かれている黄色い模様はアーモンドの花。

カラン・ミナレットは1127年築。
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46m、階段は105段。ゾロアスター教の模様14種類とコーランの発句が刻まれています。1920年に革命軍が大砲を撃って大穴を空けたが、のちに謝罪して修復されました。その部分は今でもちょっと白っぽくなっていて、見た目で分かります。同行のおじさまから「ソ連はホント碌なことしねーなー」との声あり。
12世紀にチンギス・ハンがこのあたりを破壊したときも、見上げたときに鉄の帽子を落としてしまうほど見とれて破壊を免れたとのことです。

16世紀のメドレセ「ミル・アラブ」。
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アラビアから先生を招いてアラビア語を教えていました。「JICAみたいなもの」とガイドさん。よくご存知ですな。先生は結局故国に帰らずメドレセ内に埋葬。ソヴィエト時代は立ち入り禁止だったが、独立後はまた学校になりました。ウズベキスタンで現役のメドレセはタシケントとここなんだって。

首が疲れる。近くの見晴らしのよいチャイハナ(喫茶店)でお茶します。
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わりとね、一昨年のモロッコを思い出します。同じ高さ・同じ色の屋根が海原のように繋がっていて、そこに普通の人の生活があるのだと思うけど、パック旅行だとそこに入っていく機会はなかなかないですね。
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といいつつ、聞くところによるとこのあたりは表玄関のモスクやメドレセでお土産を売っている関係者の人たちの家か宿屋だというので、普通の人の生活があるかどうかは大いに怪しいのであった。というか何が普通かっていうね。

タキ・バザールに行きましょう。屋根付きの十字路みたいな形です。
ガイドさんが馴染みのお店に案内します。そこで買わなくても別にいいんだけど、みんななんとなくそこで物色しますね。
名物はシルク。洗って色落ちするやつは安い、しないやつは高い、など職人さんが次々広げて紹介していきます。誰かが買ったかは知らない。というか買った気配がない。ちょい高いせいかね。
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それからコウノトリをかたどったはさみ。
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たぶん結構若い刃物店の店主が覚えた日本語で「オス(のはさみ)ー、メスー」などと説明する。ツアーのみなさん次々とお買い求めでした。
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1本22ドルを、10本まとめ買いしたおねえさんが1本20ドルまでは負けてもらっていました。
ウズベキスタンの平均月収が220ドルだというので、これでもう1ヶ月分の収入になる。そりゃ日本語も覚えるわけだ。そしてこういう客を連れてくると、バザールをはじめとした各地でガイドさんの影響力も上がるというわけかな。
そういや中国人観光客の集団を旅の間一度も見ませんでした。まだ到達していないのか。

そんでハーブティ。試飲したら結構おいしかったので1袋買いました。
8ドルを6ドル。スムで払うと言ったら50000スムだと言われましたが、6ドルよりたけーだろ。これは。ドルが欲しいのかね。
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大麻っぽい匂いがするけど、まあ日本税関は通れるでしょう(通れた)。
あと、ここはおじさん、おばさん問わず前歯に金歯入りまくってる人が多い。
ファッションでそうなのかと思ったが、単に甘い食べ物が多いから虫歯が多いだけだとガイドさん。

だいぶ疲れつつバザール近くのメドレセを見ます。
一つはティムールの孫、ウルグベクが作ったメドレセ。無料で教えてくれたらしい。
その向かいにあるのが私立のメドレセ。こちらは有料。外側は立派だが中は未完成。
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女性たちがシャツやシルクの風呂敷みたいのを持って執拗に売り込んできます。しつこいんだけどあっぱれな商売魂。大体どこに行っても女性の物売りがすごくアグレッシブで、男はぼーっと座って客が来るのを待つ感じ。

お昼はイタリアン。うまい!けどサラダ、バゲット、ピザ、ラザニア、ケーキとすごい量。
実はこのお昼が行程中で最も食費が高かったそうです。
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この先ずっと思うけど、これ自分でアレンジするのはまず無理だわ。
パック旅行でよかった。
あと、全体的に食べきれない量のごはんが出てきます。「それがおもてなしなので、構わず残せ」と言われるが、同行のおじさまたちは「もったいない……」と後ろめたさばかり。

観光続行ですよ。

ラビハウス・コンプレックス。これを見ないとブハラに来たことにならないというメドレセ。
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初めはキャラバンサライ(隊商宿)として作られたため、学生寮としては部屋が広いそう。偶像禁止への挑戦として、ここの模様は男の顔と空想の鳥、豚のような動物まで描かれています。さらにバジルの花、アーモンド、まわりにコーランとめちゃくちゃ。

その近くのマゴキ(地下)・アトリ(ノンジャンルのバザール)。
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ゾロアスター教の寺院が、のちにモスクになった建物。1930年代に研究され、内部に火を燃やした跡があったということでそう確定したという。8世紀まではドームがなかったんですと。

いったん宿に戻ったついでに、医学者イブン・シーナーの銅像に拝謁。
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ほんとビッグネーム輩出してるね。
像はちょっとした広場にぽんと置かれていて、説明書きも何もなし。

夜はラビハウスで踊りやファッションショーを見ながらご飯をいただきました。
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お疲れの参加者がちらほら出始めました。

(9月6日記)

2018年08月26日

ウズベキスタン(3)

【8/26】

ヒヴァの観光をする日です。
ヒヴァの城内に西門(オタ(聖人)・ダルバザ門)から入場。聖人のお墓が近くにあるからそういう名前。税関があったため、昔から西がメインゲートで、商人が列を作っていた。
ゲートを入るとお土産屋さんが並んでいます。

ムハンマド・アミンハーン・メドレセ。今は「メドレセホテル」になってます。
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19世紀に寄付によって設立されたメドレセ。そのときの王様がムハンマド・アミンハーン。1階は10~15人収容の教室、2階は寮。ドアにはパンジャラという通風口がついています。これのおかげで涼しいのですね。
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柱の模様(画面右上の青白の)は「マジョリカ」といって、1枚のタイルの上に模様を書いてあります。「モザイク」はタイル1枚に1色で、それを組み合わせて模様を作るもの。

模様は羽。「山羊が山を素早く登れるのは羽があるからだ」との考えから、なんと山羊を象徴しています。イスラムで禁じられた動物の偶像ではないかと問い詰められた際には「アーモンドです」で逃げたそうです。

木はグジュンという、この辺にしかない木。意味は「陰を作る」。花は白く、茶色くなると落ちるそう。

井戸があるが、水はしょっぱいそうです。4世紀にはここは海だったが、干上がって陸になったせいでしょうと。井戸水を飲んだ人は「ああ生き返った」という意味で「ヘイ・ワー」と言うが、これが転じて街の名前(ヒ・ヴァ)になった。ほんと?そうなの?

扉の高さが低いのは、おじぎをして入るようになっている。
おじぎをして2階に上って中庭を見るとこんな感じ。
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ホテルになったのは1980年からで、それまでは刑務所だったこともあります。ここを作った王様はトルクメニスタンとの戦争で戦死。外にあるカルタ・ミナル(短いミナル)も短いまま建設が終わってしまいました。ちなみにミナルの意味は「塔」ではなく「火の燃える場所」。旅人に街のありかを知らせる機能があった、つまり灯台みたいなもんですかね。もちろんアザーン(お祈りの呼びかけ)をやる場所でもあります。
ふもとはお土産屋さんいっぱい。奥に見えるのが西門です。
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次はクフナ・アルク(アルク城)。17~19世紀に使われたハーンの宮殿です。
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それにしてもすごい空の色ですね。ずっとサングラスしてたのでだいぶ印象違う。
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こちら応接間。訪ねてきた大使などと王様が会うところです。天井は中国風の柄。こうした柄は東側のフェルガナ、コーカンドにも多いそうです。
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壁の模様は唐辛子、バジルの花。ステージと正対する位置には丸いスペースがあって、ここには冬、ゲルを置いてこたつを作って会議をしたとのこと。
夏/冬のモスクは、それぞれ涼しい/暖かい構造になっています。
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これは宮殿の一室にある博物館みたいなところで焼き物の柄の解説をするガイドさん。羽がついてるとかそういうことだったと思います。
ところで22人の参加者の中でメモとってるのは弊管理人含め3,4人で、その中でも弊管理人は一番がしがしとっていたようで、あとあと「こういうのが専門の学生さんかと思った」と言われました。えっとまず40代です。そこから、ええ。

ところで、街中にこういう模様の入った建物がいっぱいあります。
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ゾロアスター教のマークで、火を燃やす器具(上が燃えるところ=善、下が燃えかすの溜まるところ=悪、という二元論的な意味があるらしい)で「アトルバーン」というのだとガイドさんに教えてもらいましたが、検索しても出てこないな。そして英語で調べても綴りが今ひとつ分からず行き当たらない。聞き違えたかな。

次は「ジュマ・モスク」。ジュマ=ジャメ=金曜の意味だそう。10世紀に建設され、18世紀末には今の形になったそうです。クルミやニレを中心に213本の柱が立っていて、これは10~19世紀の聖人の数と一緒。中には1000年ものが7本あるのだとか。
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これ↓インドから持ってきた木で作った柱で、仏像が彫ってあるそうです。
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モスクですよね?いいの?
ちなみに、寺院内に開口部があったり、柱の下にラクダの毛を敷いているのは湿気対策とのこと。
「8」の字が掘ってある柱は依然として研究がされているもの。死後にあるのが8つの門、それと秤、鬼、天使などが彫られています。

どんどんいきますよ。タシュ・ハウリ宮殿。
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タシュは石、ハウリは庭。ここも応接間、客間、それとハーレムが揃ってます。
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宮殿のお土産屋さんに「ホジャおじさん人形」が並んでいました。
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トルコの一休さんというか、小話やとんち話の面白いおじさんとして民話に登場するのだそうです。いろんなところの土産屋で見ましたが、ここのが一番クオリティ高かったような。

お昼はサラダ、チキンスープ、揚げ餃子、水餃子、チョコケーキ。スープは具が違うだけでいつもだいたい同じ印象。サラダは香草が多く、ニンニクも入ってます。
それにしても、一人旅だったらこういう飯にはありつけないな。パックでよかった。
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レストランの外には三角形のお守りや唐辛子を吊してあります。これもゾロアスター式。

午後の観光がんばりましょ。
マフムード廟は昨日の日記に出てきたので外観割愛。中はすごいっす。
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すっごいごちゃごちゃしているので、普段ない大きさで。
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なんかもう、いちいち綺麗じゃないですか。お墓なんですけど。
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しつこいですか。でもここの天井が一番好きだった。

ヒヴァに限らず、観光地を歩いていると結構新婚さんによく会いました。
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聞けば今は結婚シーズンなんだって。理由を聞き忘れた。晴天が多いからか、夏休みだからか。

イスラム・ホジャ・メドレセの横にあるミナレットは51m、118段。
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希望者のみ登るということでした。登ったのは10人くらいかな。すごい急だった。
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考えてみれば当然ですが、そんな大人数で登ることを想定した建物ではないので、一番上は足の踏み場もなく。
降りてきたら皆さんの膝が笑ってました。

夕飯は、キブラという城外の夏用宮殿で。
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「独り旅では迷い込まない食事処」の最たるものですな。
歴史ものの映画の撮影地としても使われているそうです。
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メニューはサラダ、マスタクというおかゆスープ。キーマ・ザラフシャンは肉をクレープで巻いたもの、マッシュポテトとご飯がついていた。あとは果物、ケーキ。
食べ物はやや単調、というか伝統料理的なもののバラエティが少ないのかもしれない。
一方、来る前は「植物はオリーブとオレンジくらいしかないのでは」という砂漠イメージだったのですが、どっこいフルーツ王国ですね。果物全般おいしかったです。
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建築は二重窓などロシアンテイストが効いてる。

夕飯のあと、ウルゲンチ空港へ。国内線に乗って40分、ブハラに着きました。
とたんに都会っぽくなりました。着いたら深夜だったのですぐ寝ました。

(9月3日記)

2018年08月25日

ウズベキスタン(2)

【8/25】

朝は6時台に起きて朝飯前に散歩してみます。ひんやり涼しい。高原の朝のさらにからっとしたやつ。

ヒヴァは中心部の古い街(イチャン・カラ)が城壁で囲まれていて、東西南北に門があります。ホテルはむかしのメインゲートだった西門のすぐ前にありますので、まずは城壁の外側を南門まで回って、そこから中に入ります。外はこんな感じ。
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中は世界遺産で、お店やモスク(お寺)、メドレセ(神学校)、博物館などがありますが、住んでいる人も結構います。何かの税金が免除されているそうで、住んでいる人は既得権としてずっと住み続ける傾向があるとのこと。
外に置いたベッドでお休みの方もいました。外のほうが気持ちいいよね。わかる。
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朝が早くてほとんど誰も歩いていないので、写真を撮りながら自由に歩けました。
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3日目に観光するはずだったシンボル的な建物の一つ、カルタ・ミナル(「短い塔」、26m)もうっかり見てしまいました。朝のほうが埃が少ないし、光線の関係できれいに見える気がする。
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西門から出てホテルに戻ります。

朝食はビュッフェ。揚げ物が多いです。カラスムギのおかゆにカリンやプラムのジャムを入れて食べるのがおいしかった。これはヒヴァの名物らしい。
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スイカとメロンの季節だそう。外側が黄色くて果肉が白いメロンが甘いです。ガイドさんによると「スイカを食べて水をたくさん飲むとおなかを壊す」というのが昔からの教えらしく、紅茶を飲めとアドバイスを受けました。確かに水分の多いスイカと冷たい水はだめでしょう。しかしそれ以上に、脂っこいものとスイカ、メロンの食い合わせが悪いためではないかと思います。豚の代わりにジャガイモが入った餃子、牛のハム、チーズなどどれもおいしいんですけど。
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旅全般にいえますが、食べ終わったお皿を下げるのがすごく速いです。なんならちょっと途中のやつも持っていこうとする。ホテルの人は「オイシカッタ?」といって皿を持っていきますが、これはおいしかったかを聞いているのではなく、たぶんFinish?というのの訳として誰かが教えたのでは。

さて、きょうはバスで1時間余り、ウズベキスタンの中にある自治共和国、カラカルパクスタンに入ります。
どこよ?と思いますが、ここだ。西部にあって、ほとんどがキジルクム(「赤い土」)砂漠。

このあたりはBC500年からAD500年くらいまで農業が盛んに行われていて、もともと遊牧や漁業をやっていたカラカルパク(カラカルパク語で「黒い帽子」)の人たちも16世紀の文献には出てくるそう。ソ連が民族自決の理念に基づいて「民族」とその地理的境界を画定したときに「カラカルパク族」が創出され、自治領域になり→カラカルパク自治共和国(1932)→ウズベク・ソヴィエト社会主義共和国管轄下のカラカルパク・ソヴィエト自治社会主義共和国(1936)→カラカルパクスタン共和国(1992)になった。
首都はヌクスで、憲法や国旗もありますが、外交はやってないそうです。
憲法にも「カラカルパクスタン国民は同時にウズベキスタン国民である」とされています。(『60章』p.31)

とりあえずヒヴァに戻りましょう。

バスの車窓からは綿の畑が見えます。
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ソ連時代は綿花の一大供給地で、かなりモノカルチャー化も進んだようです。しかしガイドさんによると、綿花の生産は減っていて、代わりに果物が増えているとのこと。道路沿いの家の前にも畑があり、それぞれの家で消費する作物を作っています。油をとるためにひまわりを植えている家もあります。10人前後の大家族が多いので家も大きい。部屋も大きいんだって。
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1991年の独立以来、25年も大統領を務めて2016年9月に死去したイスラム・カリモフ政権下では毎年政策スローガンを決めており、2009年が「田舎をきれいに」だったそうです。国の主導で住宅建設が進められ、同じ形の新しい家が道沿いに並んでます。
ガイドさんは「地方を重視してくれたおかげで田舎が発展した」などずいぶんカリモフ氏を持ち上げていましたが、反対派の弾圧、反体制ジャーナリストの投獄など、国際的には批判もあった人物です。国家認定のガイドなので宣伝を担っているのか、国内と国外の視点がかなり違うということなのか、よくわかりませんでした。
ちなみに、ガイドは日本人添乗員ではなく現地人がやること、という決まりがいくつかの国であるようです。観光客にテキトーなことを吹き込むな、という政策でしょうか。
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道ばたにはスイカやメロンを売る人たちがそこここに。

ウズベキスタンに生えている植物の2割は固有種。「ジダ」というナツメのような実をつけるものが目につきます。この実は生活習慣病に効くとのこと。
ちなみに、こちらで多いのは糖尿病。甘いもの好きが多く、お茶まで甘いせいではないかと。
さらに心臓病。これは綿花の油を使ったり牛肉をたくさん食べたりするせいか。さらに高血圧も。出生時平均余命は2010年代でも70歳超くらい。日本は2017年で84歳(孫引きですが『60章』p.204)。医療、衛生の水準はもう一つのよう。
がんは少ないという。これは人口が若いせいでしょうね。
(余談ですが、最終日にタシケントで乗った地下鉄のエスカレーターもめっちゃ速い。若い国はエスカレーターが速いという弊管理人理論の傍証)
牛肉をよく食べるそうで、1キロ35000スム(500円)くらい。次に安いのが羊で45000スム(650円くらい)。魚は川魚、高い。65000スム(900円以上)。

ガイドさんのウズベク紹介は続きます。

ヒヴァはむかしホレズム王国と呼ばれていた地域。ゾロアスター教発祥の地でもあるとのこと。イランがそうだと思っている人も多いが、ゾロアスターがイランに行ったのは40歳になってからで、聖典アヴェスターに出てくる地名の7割は今のウズベキスタンに存在する。

ちなみにゾロアスターは「ザラ(金。金で飾ったラクダやひもを使っていた)トゥシュ(古ウズベク語で火)トラ」。
アヴェスターは「100以上の法令」の意味。ロシア語でも100はストウで符合します。アヴェスター30巻のうち現存は4巻のみ。
アフラマズダはアフラ(神)マズ(知恵)ダ(創造者)。今でもクルミの実のことをマズという。脳に似ているからかな。

アヴェスターによると、ゾロアスター教の目的は3つ。
 1)よいことを伝える
 2)よいことをする(助けあう)
 3)よいことを考える

宗教はもう残っていないが、文化は残っています。しかも、8世紀以降、本格的にイスラーム化した後も、それと気づかれないまま人々が実践していることが多いという。例えば、

・家には右足から入る。これは今、モスクでもそう教えられる
・扉の上に唐辛子をぶら下げる。これは唐辛子=火(←拝火教だからね)、魔除けとして
・動物を善悪にグルーピングする考え方も残っている。善いのはハリネズミ(軍隊を連想させるらしい)、山羊や羊(角を魔除けにする)、蛇(頭がいいらしい。ゆりかごの中、赤ちゃんの寝るクッションの下に蛇の皮を挟んでお守りにすることもある)。逆に悪は「犬」。意外ですが、危ない野犬を敵視したのではないかと

ちなみに鳥葬は、イスラームが入ってくる前の7世紀末まで行われていたそうです。
「赤」い肉に罪が集積していると考え、鳥に食べて取り除いてもらった。骨の「白」だけになると完了、骨は骨壺みたいな入れ物に入れて、通常はもとの住居の近くに埋葬された。農民は農具、女性は手鏡などゆかりの品といっしょに。
平等主義なので、生前、悪人であっても鳥葬はしてもらえるんですと。今はイスラームなので土葬だが、ホレズムは地下に埋めると水が豊富なのでお墓に水が入り、流れてしまうため、地上にかまぼこみたいなお墓を作り、しかも団地みたいに積み重ねていく。
こちらはヒヴァの城内にあるお墓「パフラヴァン・マフムド廟」の写真です。
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13世紀のめっちゃ強いレスラーのお墓が一番でかいやつで、それに憧れて「俺も一緒に眠りたい」と廟を建てた19世紀?の王様を含め、いろんな人があやかってお墓を作ったらこうなった。

話、戻ります。
ドップ(ドッピ?、模様の入った黒い四角い帽子)にもゾロアスター教の意匠が残っています。
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唐辛子に見える絵が描かれていますが、実は鳥の羽。動物と人間の偶像を禁止したイスラムに対して「いや、これは植物です」と言い逃れをするため。

こんな調子でバスの中ではずっとお話が続きます。カラカルパクスタンとの境界にある検問が見えてきました。撮影だめなのでちょっと手前から。
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難なく通り抜けてカラカルパクスタン自治共和国に入りました。
6月から乾期で、10月くらいまで続くそうです。
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アムダリヤ(アム川)を超えます。
アム川はパミール高原から1415km続き、昔はアラル海に注いでいたが今はそうではないそう。ウズベキスタンのもう一つの主要な川はシルダリヤ(シル川=白い川)。

砂漠に多いのはタマリスクという紫色の草です。
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18歳から徴兵制があるが、行軍のときにタマリスクのお茶を飲ませることが多いんだって。

ちなみに「スタン」はペルシア語で「場所」。紀元前6世紀までサク人、サゲット人がいたが、アケメネス朝に攻められて混ざった。その頃からある言葉。(※この文の内容は「ガイドさんがそう言った」以上の証拠が見つかっていません)

隣はタジキスタンで、いまはビザがいらないのでいっぱい入ってくるそうです。ガイドさんの息子の空手の試合にも結構見かけたそう。トルクメニスタンはガスが無料の国として有名。「地獄の門」というガスクレーターが観光名所になっています。

さあて、やっと着きました。最初の観光スポット、トプラク・カラ。
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1938年、トルストフが発掘し「トプラク(粘土)・カラ(城)」と命名。ホレズム王国にあった1~5世紀(※ネットには前1~後6世紀という記述もあり)の城塞都市です。
高さ10m前後の三重の城壁に囲まれており、7000人以上が居住していました。
いま形が残っているのはほぼ王様、学者などハイステータスの人たちの居住区。
発掘当初は小さな像や鳥葬のお墓がたくさん出土しました。
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壁に穴が穿ってあるが、これは仏像を置いたのではなく火をたいたあと。拝火教だからですね。たくさんある小さな穴は後年できた鳥の巣。壁画はすでに切り取って保存済みです。
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周囲は砂漠で、白く見えるのは塩。むかし海だったから。乾燥化はすでにアヴェスターにも言及があるくらい古くから始まっていたが、深刻化したのは1960-70年代ということ。灌漑が主因ですが「ソヴィエトが核研究施設を作って水をたくさん使ったからだ」との話もあるそう。そうなん?まじで?

共和国の北西にはアラル海がありますが、いまはほとんど干上がって、錆びた船が砂漠に点在して観光名所化しました。しかし「船の墓場」と呼ばれるのを地元の人はとても嫌がっているそう。墓場になんか住んでいない、「水は隠れているだけ」と。

2カ所目、アヤズ・カラ。こちらは紀元前4世紀。「アヤズ(寒い)・カラ(城)」という意味。周辺のキジルコム(砂漠)は「赤い砂」という意味。丘の上に造られた円形の練兵場だったとのこと。
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今日のメインの観光地であるわりに掲載した写真が少ないですが、絵柄に変化がないからというだけで、弊管理人はすっごい楽しんでいっぱい写真とってます。だいたい1日300枚ペース。
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この先の旅程はモスクとメドレセが多かったので、これが見られたのは変化がついて大変よかったです。

昼食はアヤズ・カラの麓のゲルで、かまど料理。
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ラクダは凶暴なので、あまり近づかないで下さいとのアナウンスあり。

薪は綿の木で、11月くらいから集めて暖房や煮炊きに使うそう。メニューはクッキーやドライフルーツと、玉ねぎやトマトのサラダ。今はナスのシーズンだが食べ過ぎるとお腹を壊すそうです。嫁に食わすなのあれですか。
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スープに入っているのは干した牛肉で、各家庭で自作するのでスーパーにはないもの。
メインは「デュムラマ」という遊牧民料理。日本料理で近いのは「肉じゃが」。ただし具は夏だとジャガイモ、秋はキャベツが入り、冬はカボチャになります。
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今日のはジャガイモとキャベツ。塩だけでこんなに味わいが出るのかな、と思うくらいおいしくて、たくさん食べてしまいました。干した牛肉がいい出汁を作っているのかも。ここでもメロンとスイカがデザート。

なお、水が貴重なので皿は取り替えないで、サラダからデザートまで全部1枚で食べる(スープのボウルは別)そうです。
日向はたぶん35度以上ですが、乾いているので汗でべとべとしません。日陰に入ると風が吹き抜けてむしろ涼しいくらい。ちなみに夜はたぶん17度とかで、長袖羽織ってもいい。

バスで戻って、夕飯はヒヴァの城内で、ナン、サラダ、餃子、豆のスープ、そして「シュビト・オシュ」というハーブを練り込んだ緑色のパスタ。名古屋「マウンテン」のアレ的なインパクトある見た目ですけど。ヨモギっぽい風味の麺です。脇についてるのはヨーグルト。味を見ながら混ぜて食べます。
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デザートにまたスイカとメロン。
とにかく油が多いです。同行の人たちと話題にしたくてできませんでしたが、ホテルでンコすると、便器の水に油の膜みたいのが浮くんですよね。

夕方、ナン(発音は「ノン」)を焼くかまどに薪をくべるマダム。
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展望台に上って夕景や日没と月の出を見ました。
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ホテルに戻る前に、同行のマダムたちと近所のスーパーに行ってワイン購入。ガイドさんからサマルカンドの「バギザガン」を激押しされ、白を買いました。13000スム。だいたい200円。めちゃ安い。ちなみにレストランでジュースを頼むと15000スム。水はレストランでは無料、スーパーだと500mlのペットボトルで1000スム、14円。
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そういえばイスラム教国じゃなかったっけ。
ま、コーラン的には酔っ払わなければOKだったと思うけど。

部屋に戻って、PCで今日のメモを打って、写真も保存。
一部写真がバグって消えた。数枚だけどおっかない。PCとカメラを使ってSDカードをクリーンアップするなど多少の作業が生じました。PC持ってきてよかった~

(9月2日記)

2018年08月24日

ウズベキスタン(1)

(※9/2 目下書きながらリバイス中です。9月中旬くらいにかけて本とかネットとかと照らし合わせつつ内容がちょいちょい更新されるかもしれません)

ウズベキスタンに行ってみたいと思ったのは、大阪の国立民族学博物館で見た中央~西アジアの陶器、特に青い色がすごくきれいだったというのがきっかけだったと思います。
長らく日本からの観光であってもビザが必要で、特に弊管理人は職業的にビザが取りにくいという話を聞いていた(仕事を偽って入った例も聞いた)ので、縁遠い国でありました。

ところが急転直下、今年の2月にビザ免除になり、それじゃあということで今回、初めてパッケージツアーに参加する形で行ってきました。いつものように独りの旅行も考えたのですが、さすがにウズベク語かロシア語ができないと厳しいとなると、ちょっときついかなと。

今回のお供は、ちょうどよく今年出たこちらの本。

■帯谷知可(編著)『ウズベキスタンを知るための60章』明石書店、2018年。
風土、歴史から現代の社会まで概観できるありがたい本。いろんな人が書いているので各章少しずつ内容がオーバーラップしていて、おさらいしつつ先に進めるのもよかったです。

■アントニー・スミス『ナショナリズムとは何か』筑摩書房、2018年。
7月の初めに手を付けたもので、特に旅行用に買ったわけではないですが、15世紀に遡る「遊牧ウズベク人」(エトニ)とソ連による「ウズベク民族」(ネイション)の創出がまさに本書の議論と重なって、それだけで白飯3杯いけました(?)

* * *

【8/24】

台風、雨、ムシムシ。前日いっぱいいっぱいまで仕事をして、6時起きで成田に向かったので、機内ですぐ寝てしまいました。

添乗員さんから航空券を受領。そういえば航空券持たずに空港に来るっていうのも初めてで何か落ち着かないですね。

ANAが地上業務をやっていたのでマイルが積めるかな?と思いましたが、聞いてみたら「どこのアライアンスにも入っていない」というウズベキスタン航空。火曜と金曜に飛んでいて、成田―タシケントで9時間半かかります。帰りは8時間弱。行きは偏西風にもろに逆らって飛ぶからかな。
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タシケントでの入国審査で何を聞かれるか若干不安でしたが、あっさりパス。税関申告もなくなっており、するっと国内に入れました。
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(↑本当は撮ってはいけないらしい空港の建物)

国内線に乗り換えて、タシケント―ヌクス(カラカルパクスタン自治共和国の首都)―ウルゲンチ。飛行機で隣になったヒヴァ在住らしい(言葉がわかんないけどガイドブックとか見ながら随分喋った)おばちゃんから、直径3センチくらいの球状の白いものをもらいました。食べてみると、六花亭の苺が中に入ったホワイトチョコみたいな見た目に反してものすごくしょっぱいチーズという感じ。ナイナイしてしまいたい衝動にかられましたが、おばちゃんの手前、水で流し込みました。
旅の後半、訪れたバザールで判明したのですが、これはラクダか牛のミルクから作ったヨーグルトを丸めて乾燥させた食べ物で、現地の人がよく作るらしい。これ。
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ウルゲンチからバスでヒヴァ。成田を昼前に出て、ホテル「マリカ・ヒヴァ」に入ったのが15時間後くらいだったか。ホテルはこんな感じ。ウズベキスタンのホテルはそれなりのクラスであってもお湯が出なかったり灯りがつかなかったりすることがあるので、部屋に入ったら点検して下さいと言われましたが、ぬるいながらもちゃんとお湯が出てシャワーが浴びられました。満足。
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時差は4時間で日本は翌日未明。当然すぐ寝ました。

(9月2日記)

2018年08月17日

夏休み2018

この夏は長野県西部2泊3日と実家1泊です。12~15日。
妹と新宿から出て、父と松本駅で落ち合って、信州大学の近くの「メーヤウ」でカレー。グッド。
番所の滝を見て、1泊目は乗鞍の「グーテベーレ」。洋食の夕飯と朝飯、おいしかった。
窓を開けて寝ると寒いくらい涼しかったです。夜半に結構本格的な雨が降りましたが、朝には止んでいました。

上高地。
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天気予報があまりよくなかったわりに、7割くらいの出来か。
明神池の近くの嘉門次小屋で、岩魚の塩焼きを食べるのが父親のコースだそうです。
生け簀の死すべき人たち。
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地獄絵図。
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頭から尻尾まで全部いただきました。

明神池は見るだけ300円。しっかりしてんな。
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水面には靄がかかっていました。

こちらは木道で寛ぐ猿の皆さん。無料。
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気温はたぶん22度くらい。避暑に成功しました。
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2泊目の宿は白骨温泉のゑびすや。こちらもご飯がおいしく、あととにかく熱すぎない白濁の湯が気持ちよかったです。部屋は3人で10畳だとちょっと狭いかなと思いましたが、縁側でもう2畳くらいあり、広々でした。

3日目は高山市に出て、ちょっとだけ街歩きして飛騨牛食って、御嶽山と木曽を抜けて帰ってきました。空が夏(の終わり)っぽかった。
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帰る日は、父方の本家を回ったあと、母方の本家でいつもの伯母さんごはん。
「おばちゃんのキーマカレーは評判がいいのよ」とのこと。
40年余で初めて食べた気がする。
いとことその次男坊と、何年かぶりに顔を合わせました。
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・ばあちゃん(97)は相変わらず歩行器を使いながら家の中を歩いてました
・レビー小体型認知症を10年近く患っていた義理の叔父が入院で、こちらは雲行きが怪しいらしい(それにしてもDLBでこんなに経過が長いのか?と誤診を疑っている弊管理人)
・何を思ったか、弊管理人と同じ職業にこの春就いたいとこの長女が睡眠、食事も満足にとれず大変だという話を聞きました。だよねーと思いました。働き方改革しにくい業界の日常
・伯母(76)は「終活を始める」と言っていましたが、うーんまだいいんじゃないかな

・父は資格の勉強中。「化学物質の名前が覚えられない。MCIだ」と言っていましたが、まあ60代半ば&おまじないみたいな物質名の羅列ならそんなもんではないか
・妹は去年より若干調子いいかなという印象。どう見ても本人が主張する精神疾患ではなく「単に暗い人」です。言ってもしょうがないので言わないけど

* * *

16日は早出シフト明けに、古いバイク友達のおにいさまと久しぶりにごはん。どれくらい久しぶりだっけと思うと、札幌から東京に転勤してきたときに遊んで以来だと思うので、9年ぶりです。ひゃあ。SNSでつながってるのでそんな感じがしないんだけど。

13年くらい前に一緒に走りに行ったとき(→日記あった、すごいな弊日記)、まだ36とかだったおにいさまはもうすぐ50だそうです。全然変わらなすぎてて笑った。当時ツーリングしていたメンバーの消息もぽつぽつ聞きましたが、それもあまり変わってない。「55の役職定年も近いのにすんごい働いてる」との近況を聞き、サラリーマン生活も意外と短いことにあらためて気付かされます。
三ノ輪の「興」で焼き鳥。
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焼き鳥ももちろんうまかったですが、山わさびごはんが秀逸でした。

普段あまり縁のない上野、おにいさまの行きつけの飲み屋さんに連れていってもらいました。もともと厚かったおにいさまの人望はこの10年余でますます厚みを増している様子。夜更けにあちらの終電でバイバイ。

2018年08月05日

逗子の海

お友達たくさんと逗子の海に行ってきました。
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台風が近づいているので幾分、波が高かったです。
ものすごい暑さの今年。気温31度、水温30度。水の外のほうが涼しく感じるくらい。
初めて、夕暮れまでいました。
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タコライスとスイカ食って、酒飲んで、泳ぎました。
花火。20年ぶりくらいかもしれない。
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すっごい楽しかった。
鉄壁の日焼け止めが奏功し、ヒリヒリしてません。

* * *

1日付でジュニアおじさん発令されました。シフトは朝7時~夕方4時(だが当然のように残業する)の「早出」と、夕方4時~午前2時の「夜勤」(こっちは残業ないが4時より前に出勤すること多し)がまぜこぜにやってくるので、気をつけて寝る時間を調整しないと体調ガタガタになるなと思いました。

現場を離れるとすごい勢いで現場感覚が衰えるような予感がします。ということでだいぶ縮小しつつも現場仕事をスケジュールに入れています。

* * *

高円寺、豆くじら。
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キーマは「アキンボ」を思わせる。ちょっと量が少ないな。

* * *

■久世濃子『オランウータン 森の哲人は子育ての達人』東京大学出版会、2018年。

2018年07月05日

ひがし北海道(2)

【7/2(月)】

天気の悪い日の谷間、曇りの予報。
北海道では、だいたいこういう時は結構青空が見えたりする、という予想通り。
宿の食事処のテラスに出て朝飯食いました。
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ご飯のおかわりを取りに行ってる間に、カラスに卵焼きを持って行かれました。
部屋の窓からはお食事中のエゾシカも。
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いま陸路ではアクセスできない知床半島の一番先を目指すボートツアーに参加しました。
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往復3時間かかります。
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柱状節理とか好きな人は飽きないはず。
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知床岬の突端は風が強いので高い木が生えてないそうです。国後島がきれいに見えました。
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弟子屈まで90キロくらい一気走りして、摩周そば「そば道楽」で大もり850円。
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硫黄山が近いので辺りに匂いがたちこめてます。
川湯温泉駅前の「森のホール」で上品な甘さのケーキをいただいて満腹。
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ケーキ320円だったと思いますが、3種+ドリンクで900円という破格のセットもあり、一瞬迷いました。でもそんなに食えないしな。

屈斜路湖を見て帰りましょう。
美幌峠は通ったことがあるので、今回は小清水側の「藻琴山展望駐車公園」へ。
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えっ全然きれいじゃないですか。
このあともうちょっと高いところにある「ハイランド小清水725」からも眺めました。こちらは湖から少し離れますが、眺望がとてもいいです。

「女満別空港」をカーナビに入れて運転していると、空港の近くで「こんなところ?」というくらいの田舎道をぐるぐる案内されました。じゃがいもや麦を作っている畑の、特に何かアピールしているわけではないが絵画的な風景を堪能しました。
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車を返してお土産買って帰りました。

* * *

飛行機で読み終わった本。

■見田宗介『現代社会はどこに向かうか』岩波書店、2018年。

2018年07月03日

ひがし北海道(1)

道東在住の友人『こっち来ることないの』
弊管理人「なんかイベントあればねえ」
『えびまつり』
「いく」
(マイルで飛行機予約)
『ごめんその日、横浜だった』
「え」
でも来ました。

【6/30(土)】

夕方の便なので、朝から洗濯、掃除、ゴミ出しを済ませてゆったりお出かけです。
羽田―女満別便は初めて。女満別空港は10年ぶりですかね。
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網走に向かうバスからきれいな夕焼けが見えたので写真を撮りました。「メルヘンの丘」とかいってわざわざ撮影スポットが作られているところだったことは後から知った。
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うむ、さすが。
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網走駅前に投宿しましたが、何もない(コンビニまで閉まってる)ので少し歩いて回転寿司で夕飯にしました。地元のしじみ汁がおいしかったです。
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20度くらいか。半袖シャツの上に長袖を羽織ってちょうどいいです。
1日目は移動だけでおしまい。

【7/1(日)】

関東地方は初の6月梅雨明け。梅雨前線はどこへ……と思ったら北海道にいた。
この日は時間が経つほど天気が崩れるとのこと。8時に車を借りてさっさと出掛けます。
途中の小清水では原生花園をチラ見。エゾスカシユリの橙色が映えます。
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斜里岳も見えます。こちらはエゾキスゲ。
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今回ぜひ寄りたかったのが、斜里町にある「名もなき展望台」。
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28キロにわたって直線道路が続きます。
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これガスってるとつまらないんだけど、ギリギリきれいでした。
それにしてもほんとにこういうの北海道って感じで好き。
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ルピナス見たら別海まで一気走り。

お昼前に尾岱沼漁港に着きました。前より混んでるような。雨なのに。
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北海しまえび、お久しぶりです。
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500g2500円がデフォルトのところ、100g500円で売ってくれたのでいただきました。
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腹が減っていたので、風蓮あさり(でかい)の塩ラーメンも買い食いしました。
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あと、ホタテのバター醤油焼き(200円)としまえびの串焼き(2本300円)を食って満足。
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花咲ガニの鉄砲汁はちょっと食い切れそうになかったのでやめました。

雨の野付半島へ。全長26キロ、日本最大級の砂嘴(さし)。
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道の両側に海が迫ってます。
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トドワラ(椴松の原っぱ)。プレートの沈み込みに伴って毎年1.5センチずつ地盤沈下しており、海水によって椴松の林が立ち枯れてできた荒涼とした風景です。
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こちらはナラワラ(水楢の原っぱ)。
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こちらも花の季節でした。
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さて、知床半島に行きましょう。

羅臼の町が普通に雨降りだったので、知床峠を通る知床横断道路は何も見えないだろうなあと思っていたのですが、どっこいある程度の高さで雲の上に出てしまって、ちゃんと峠からは羅臼岳が見えました。
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羅臼方面を見ると、雲海の水平線の上に国後島もちょっとだけ見えました。
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おっさんライダー多かったです。見通しの悪いカーブで追い越していく人も結構いて、にわかかアホだろうかと思いました。

峠を下ってくると、ウトロの町が見えてきます。
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どうでもいいですが、弊日記のタイトルバックの画像、実はウトロ(ただし上空から写してる)だったんですねえ~
今日のお宿は「国民宿舎 桂田」です。
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温泉は海に面してます(視界は今ひとつ)。お部屋は原生林向き。風呂上がりに椅子に座って外を見ていると、ずっと飽きません。
夕飯は独りで炭焼き海鮮BBQ……
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空がまどろんでました。
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つづく。

2018年06月17日

名古屋

研修は続行中。実のところ、
・本務から離れることができ
・勤務時間は18-26時など変な時間だが拘束されるのは研修中だけ
という生活のおかげで、ノーストレスで2週間ほど過ごしました。

弊管理人は、抱えている仕事があると勤務時間か否かを問わず常にそのことを考えており(実際それでふと改善点が思い浮かぶことがあるので始末が悪い)、込んでくると食事の質と量も落ちるので、そういうのがない状態は息抜きになります。

* * *

それで、ちょっと時間ができたので名古屋に行ってきました。
本を読むのにちょうどいい移動時間の場所ということで。
仕事でなく訪れるのは2011年8月以来。

昼過ぎに着いて、「鈴波」で白ひらすの粕漬け定食。
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アーーーーーーーーーーーーーーーーーーうまい。漬け物も含め全部うまい。

そんで初めての名古屋城。9年にわたって続いた「本丸御殿」の修復が8日に終わったというので激混みを予想していましたが、全然そんなことありませんでした。
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天守閣は耐震工事で入れないそう。

夕飯は「矢田かつ」。
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豚肉がウリらしいのですけど、多少の肉質の違いなら関係なくなるくらいタレで食う食べ物だなと思いました、味噌かつ。
ちょっと前まで「矢田とん」という名前でした。改名の理由を聞くと「営業許可証の更新のときに以前の名前に戻した」と、理由ではなく経過を説明されてしまいました。矢場とんから抗議でも来たのかと思ったけど結局よくわからず。

深夜はやっぱり栄で楽しく飲んでしまいました。
でもなんか人が少なかった。金曜なのに。

翌日は名古屋市科学館。
世界最大のプラネタリウムというやつです。全日程分のチケットを9:30に発売するというので朝一番で来ましたが、そんなに警戒する必要はなく、あっさり買えました。
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50分あっという間。その他の展示もとても楽しい。
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テスラコイルを使った放電実験も見ました。

科学館と同じ白川公園にある名古屋市美術館では「モネ それからの100年」展を見ました。
モネって近づいて見ると「そんな色置くの?」というような意外な色(木の幹に青とか)が混ざっているのに、遠くから見たり、目を細めて見たりすると質感や光彩が「わかる」。不思議な絵ばかりです。特に冬のロンドンの連作で本領が発揮されてます。ポストカードを3枚買いましたが、印刷すると魅力が数十分の一になってしまうのが残念です。モネに影響を受けた後世の作品も楽しみました。

昼飯は地元の人に教えてもらった「はなび」で台湾まぜそば。
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新宿にもありますが、滅多に行かない地域にあることもあり、折角なので名古屋で。
辛くて濃ゆくてこれは行列になるのも分かる。結局夜までお腹がすきませんでした。

2018年04月28日

ヘルシンキ出張

たぶん最後の海外出張でヘルシンキに行ってきました。
4日間のやや弾丸で、ほんとヘルシンキだけ。フィンランドはいいとこっぽい感じがしたので、また観光で行くかもしんない。とりあえず仕事に直接関係しないことだけ以下に。

フィンエアーを使いました。機内食はわりとおいしかったです。A350-900はうるさくないし座り心地もいい。何より直行便(行き9:30、帰り8:30くらい)が楽だな、ほんと。
空港から中央駅は電車で30分です。
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駅前は広々してます。午後3時でこの光の加減で、日没は午後9時くらいでした。
気温は6度。冬のコートを1枚羽織れば、汗もかかずちょうど歩き回りやすいくらいの気候です。船のスケジュールとか観光施設のオープン時間などを見るに、一応4月までは「冬期」らしい。
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なんかちょっと町並みが「東」っぽい感じがするのは気のせいかな。
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訪れるまで超うろ覚えだった地図。サンクトペテルブルクこんな近いの!

街はトラムやバスなど公共交通網が発達していて便利に動けます。Google Mapsを使えばどこにでも行けるし、停車場には「あと何分で何番のバスが来るよ」といった表示が出ており、日本よりぶらぶらしやすい。
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鉄道も含め、ときどき検札が乗ってきて、有効な乗車券を持ってないと罰金というドイツでも見たスタイルです。たまたま出くわさなかったけど。
チャーターしたバスに乗って動いてる途中、ガイドさんが「さあこれが渋滞ですよ!」と指さしたのが信号待ちの列だったりしたくらい車も歩行者も混んでなかったです。ただしスパイクタイヤをはいた車が走ってたり、港近くでは大型車がぶんぶん行き交っていたりで空気は相応に汚い感じがしました。

ホテルは駅から徒歩6,7分のところにあるGLO Hotelというところ。いいお部屋でした。
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さらに歩いて5,6分で大聖堂。1852年築。
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福音ルター派なせいか、中は質素ですね。
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写真だと分かりづらいですが、大聖堂は結構高いところにたっていて、階段には何人かが腰掛けてぼーっとしてます。現地の人に言わせると「やっと春がきたので日が照ってるうちは日光になるべく当たろうとしている」というのですが、どこまで本当か。
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* * *

今回お供をしていただく本は、ものっすごタイムリーに出たこちらの中公新書。

■石野裕子『物語フィンランドの歴史』中央公論新社,2017年.

【スウェーデン統治まで】
・いまフィンランドになっている地域には、8世紀ごろには西のスウェーデンからの入植が始まり、東からはノヴゴロド公国のスラヴ系民族が入植
・9~11世紀頃、ヨーロッパを荒らし回ったヴァイキングだったという証拠はないが、後に北欧諸国の連帯の文脈の中でフィンランドの祖先もヴァイキングもやってたことになったらしい(面白い)
・もともと自然信仰など土着宗教が根付いていた地域だが、11世紀にはローマ教会の北方十字軍が入ってキリスト教化。13世紀にはカトリック文化の影響下に
・十字軍はスウェーデンから遠征しており、ノヴゴロドがいる東への勢力拡大を図った。1323年にパハキナサーリ条約で国境画定。ここでフィンランド地方(ただし今の南西部だけ。内陸は荒れ地、北はもともとフィンランドと見なされていない)が正式にスウェーデン統治下に入る
・ここから500年以上、スウェーデンが統治。スウェーデン語が公用語に。主体は農民
・1700年からスウェーデンとロシアが戦った大北方戦争で踏み荒らされるなど、フィンランドはスウェーデンとロシアの争いの間に置かれる
・一方、16世紀に宗教改革でスウェーデンがプロテスタント(ルター派)に改宗すると、フィンランド住民もプロテスタントに改宗、聖書のフィンランド語訳が進行。1640年にはアカデミーができて知識人が育っていき、「フィンランド人」の出自や言語など「民族性」の自覚が進んだ

【ロシアへ】
・ナポレオンによるイギリスに対する大陸封鎖令への協力(ロシア)、非協力(スウェーデン)をめぐって両国が戦った「フィンランド戦争」の結果、1809年からフィンランドは「北欧」から切り離され、ロシア帝国の統治下に入る
・フィンランドは一定の自治が認められる。アレクサンドル1世は議会や議員、貴族の地位を保証し、信教の自由も認め、ルター派からロシア正教への強制改宗をしなかった。フィンランドは「大公国」となり、ロシアと異なる政治制度を持ったまま帝国に組み込まれた。スウェーデンからロシアへの移行で大きな混乱はなかった
・首都は1812年、西側にあるスウェーデンの影響力を弱めるため、もとのオーボからより東のヘルシンキに移転。サンクトペテルブルクを模した都市計画が策定された
・1848年の「諸国民の春」ではフィンランドにナショナリズムは生まれなかったが、ロシア側は警戒して検閲を導入・強化

* * *

と、ここで気になるのが、大聖堂の前にある「元老院広場」に立つおじさんの像。
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港が近いせいか海鳥に蹂躙されてますが、アレクサンドル2世です。
「中世から第2次世界大戦までフィンランドをさんざん踏み荒らし、戦後もガンガン内政干渉してきたロシアの皇帝がなんで街の真ん中に立っているのかスゲー不思議」と仕事で一緒になった英国の人がフィンランドの人に聞きまくっていましたが、「なんか結構自治権とか認めてくれたりしたしね」というお答えでした。ロシアで農奴解放(1861年)を進め、フィンランドでも自治の拡大や職業の自由を認めた彼は別枠、らしいです。

クリミア戦争の後にロシア皇帝がフィンランドの政治の安定を図るために身分制議会を定期的に開くようになると、フィンランド語を公用語とし、「農民文化」をアイデンティティとする「フェンノマン(フィンランド人気質)」というグループが生まれたとのこと。
そういや、この間読んだ『ホモ・ルーデンス』によく出てきていた叙事詩『カレワラ』はロンルートが口承詩を採集して編集したものですが、成立したのは1835年。そこから1880年代にかけて盛り上がった民族ロマン主義運動「カレリアニズム」に参加した音楽家がシベリウスですね。
(関係ないけどそこらの公園にフィンランドカラーの青や白の花が咲いてました)
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とはいえ、スウェーデン統治時代から貴族や知識階級が使っていたのはスウェーデン語(フィンランド語使用の推進者もスウェーデン語話者だった。ちなみにずっと時代は下るが、ムーミンもスウェーデン語で書かれている)で、今でもスウェーデン語が第2公用語になっています。標識にはフィンランド語とスウェーデン語が併記されています。
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ちなみに上のやつの意味は「券売機」(多分パーキングチケットの)。この単語はまだ結構似ているが、「フィンランド語とスウェーデン語ってそんな似てるんでしたっけ」って現地の人に聞いたら「全っ然違う」と。
モイモイ言ってるの(moiはhi、moimoiだとbyeらしい)かわいーなーと思いながら見てました。
あと、英語はスウェーデンのほうがちょっとうまい気がするけど、十分お上手でした。
ただ、おそらくoccasionとかchanceみたいな意味でpossibilityっていう単語を使う人が結構多くて気になった。フィンランド語でpossibilityを外来語として使ってたりとかするんだろうか。

余談、「フィンランド人はシャイだというがそう思うか」と前に出てきた英国人がフィンランド外務省の人に詰め寄っており「本当だ」との回答を得ていました。バス停で待ってる人たちがすっごくパーソナルスペースを広くとってるという話を聞いていたものの、実際そこまでではなかった気がする。ただし屋根のあるところからは確かにびろーんとはみ出てました。人と人の間隔は言われてみれば広かったかも。

* * *

一方、こちらの赤いのは1868年に建てられたロシア正教会のウスペンスキー寺院。
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中は派手。
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行きの飛行機で隣になった観光のおばさんが「前にヘルシンキにツアーで行ったときには赤い教会だけしか見られなかった」と言っていました。確かにどっちかだけ、だったらこっちかな。
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ちょっと高いところに上ると、いろんな方向に煙突が見えます。
フィンランドの工業化が進んだのは1860年代からで、製材に加えて製紙工業が盛んになりました。サンクトペテルブルクとの鉄道もつながり、輸出が盛んになったそう。

* * *

・そんでまた歴史の話になりますが、ロシアは1871年に統一したドイツを警戒し、防衛の体制固めをする過程でフィンランドのロシア化を図ります。独自の郵便制度をロシアの制度に統合し、ロシア語の地位向上や役人へのロシア人登用などを推進しました
・ロシア帝国はその後、日露戦争での敗北、国内での反乱などで疲弊し、フィンランド政体の回復や議会改革の要求を呑みます。1907年には初の女性「被」選挙権も実現します
・ただしロシア皇帝の権限はまだ強く残っており、皇帝による議会の解散も続発。ロシアへの一体化をさらに進めます。対して芸術は反ロシア化が進み、1889年には「フィンランディア」が初演。そういえばこちら↓、自分へのお土産、ウォッカ「フィンランディア」(ちっちゃい瓶)
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ついでに、シベリウスといえば、なんかよくわかんないモニュメントがあってインド人や中国人と思われる観光客がわらわらいたシベリウス公園にも行きました。
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閑話休題、
・ロシア革命が起こると、フィンランドは独立を宣言。「民族自決権」を綱領に掲げたボリシェヴィキ政権の承認も取り付けます。うまいなー。レーニンはフィンランドも革命やって社会主義に転んでくれると思っていたので認めたということもあるそうですが
・しかし、このあと格差を背景に、政府軍の「白衛隊」と革命を目指す「赤衛隊」に分かれた内戦が始まってしまいます
・1918年にやっとこ内戦が終わり、共和国ができます。当初は国の統一感を出すためドイツから国王を迎えようとしたら、第1次大戦でドイツが負けて計画が頓挫したとのこと。ふええ
・ちなみに日本との国交樹立は1919年(来年が100周年)
・「国民の家」(国家=家)という思想を背景に、福祉国家化に踏み出したのが1930年代(北欧としては後発だそうですが)
・内戦後の国の統一のため、フィンランド語の第1言語化運動も起きました。1937年にはヘルシンキ大学の行政言語がフィンランド語となります。ただしスウェーデン語も保護することに

・第2次大戦では、ドイツと不可侵条約を結んだもののドイツを信用していなかったソ連が、守りを固めるための領土交換などを求めてフィンランドに交渉を持ちかけますが、フィンランド側は中立政策をとっていた上、ソ連の意図を読み違えて決裂させ、結果としてソ連との戦争に入ってしまいます
・戦争はいったん休戦。そのあとドイツが北欧にまで進出すると、ドイツ軍の領土通過を認めるかわりにドイツからの武器調達や通商が盛んになるなど関係が深まっていきます。ドイツ軍のソ連侵攻に際してはフィンランドは中立を表明するものの、領土的な野心もあってドイツ軍に協力。結局、スターリングラードの戦いでドイツ軍が大敗すると一挙に旗色が悪くなり、厳しい休戦協定を結んで第2次大戦の終結を迎えました
・休戦協定でフィンランドはロシアに6億米ドル相当の賠償金を払うことになりましたが、ロシア側がおおかたを「鉄工品でくれ」と要求したことで、造船業などフィンランドの工業化が進みました
・また戦争責任裁判がフィンランド国内で行われ、戦時中の大統領や閣僚らが被告になりましたが、国内的には「でもしょうがなかったよね~」的な同情を集め、ドイツ占領下に置かれた他の北欧諸国と違って1人の死刑宣告も出ずに終結、戦争の”清算”を終えることになりました

・戦後はもう大国間の争いに巻き込まれるのは勘弁、ということで中立の道を行くことを決めます。ただしその中立は、ソ連とのつながりを保ちながら、西側からは「東の国」と見られることを回避するなど、微妙なバランスをとるという形でした
・この方は内戦時の白衛隊指揮から第2次大戦中のソ連との休戦交渉まで、危なくなると呼ばれて仕事をさせられたマンネルヘイムさんです。
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・ケッコネン大統領は、フルシチョフとの個人的な親しさをサウナでの会談などで築き、裏で外交を進めるという手法から「サウナ外交」と揶揄されたこともあるそうです

* * *

で、サウナ。連れて行っていただきました。街からちょっと外れたところにあるLöyly(蒸気って意味らしい)というところ。
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普通のサウナもありますが、フィンランド東部でメジャーだという「スモークサウナ」が体験できました。中真っ黒。ひとしきり温まったら、建物の背後にある海に浸かります。
弊管理人はえいやと飛び込みましたが、別に飛び込む必要はなく、設えられたはしごを使ってゆっくり浸ればよかったみたい。バルト海は冷たくて、手足を水にぎゅーっと握られるよう。船から落ちた人が死ぬ訳がわかりました。これほんとに健康にいいのかなあ。

サウナは出産の場所であり、食物の乾燥場所でもあり、亡くなった人の遺体を清める場所だとのことで、フィンランド人はサウナで生まれ、サウナから旅立つのだなと。海にも浸かったと言ったら「これでqualifiedだね」と言われたので、なんかそういう大事な場所なんでしょう。留学中に同じ寮にいたフィジーの子たちから「カヴァ」という白い汁を勧められて飲んだら妙に仲良くなれたのを思い出しました。多分違う話だけど。

サウナにレストランが併設されていて、海を見ながら食事ができます。
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おもくそピントがずれつつパーチの揚げ物。メシマズな国だと言われているらしいけど、ちゃんとしたところはちゃんとおいしかった。
他日、テウラスタモTeurastamoっていう施設で食べたバイキングのランチ。
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やっぱミートボールなのね。これもうまかったです。
昔、薬局だった建物を改装したカレリアCarelia Brasserie。
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3プレートランチなど。
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しかし最終日にはやはりエビチャーハン(意図しない大盛り)を食べてしまった。
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* * *

あとは岩に囲まれたテンペリアウキオ教会を見ました。
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かっちょいいヘルシンキ大学の図書館にも侵入。
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本棚は大部分が英語でした。550万人の国だとそりゃそうか。
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これ玄関入ったところです。上がってみるとオーバルの吹き抜けの周囲が勉強机になってました。
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この変な建物は礼拝所。騒がしい広場から一歩入ると、中は静かでした。
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新興住宅街にはでっかい鳥がいた。
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建設費の1%をアートに使う決まりがあるそう。必要かね、それ。
ちなみに、同じ区画に低所得の人が入る賃貸アパートと、高所得の人が買うマンションを混ぜて建てているということです。そうすると小学校とかで自然にいろんな階層の子が混ざる。いいね。
といいつつ、福祉国家でベーシックインカムも入れてみたような国で、カップを持った物乞いのおばさんが点々といたのはなぜだ(聞き忘れた。国籍ないと恩恵に与れないとかそういうことなのかも)。
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ムーミンショップの入ったショッピングセンターはご多分に漏れず吹き抜け。
そこはかとなく漂うヨーカドーな感じ。
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寿司屋、いろんなとこにありました。お互い魚食う人たちだからかね。
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マキッ&ウラマキッ。paritは「ペア」なので握り2巻の値段なんでしょうな。

最後に、空港のトイレ。左が男で右が女なんですけど。
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仕事中、赤ちゃんの服の色の話をしていたら「ジェンダーニュートラルカラーを導入している」というようなことを言っていて、進んでるねえと思ったものです。しかしトイレがこれじゃ迷うだろう。男女で区切るなら色も分けようよ。
あと海外では毎度のことだが小便器の位置が高い。チンコをほぼ水平に保つ必要がありました。

おしまい。
帰国便が成田に朝着で、ほとんど寝てないところから夜まで仕事したら2度ほど落ちました。

2018年04月09日

京都DE花見(2)

日曜は原谷苑でお花見です。44人!!
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ちょうど去年と同じ4月第2週。去年は主催者が「ちょっと早かったなー」と悔しがっていて、いやでも相当きれいですよ?と思ったものでしたが、ちょうどしだれ桜が満開を迎えた今年は圧巻でした。
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「泉仙」のお弁当。赤いのは梅の甘露煮の天ぷらです。おっかない京都人のおにいさまが「やっぱり泉仙さんはええな」と言っていたので相当うまいのでしょう。いや実際うまかったですけど。
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「最近は独立して始めはった料亭が、味も安定せんうちから東京の方とかの予約で埋まってしもて、いろいろ教えてくれるおじさんが入れなくなってねえ」。聞いてみると、新しい料亭の主人が修行した料亭に通っている「物事のわかる」お客さんが食べに行って、皿の使い方、素材の使い方などにいろいろ駄目出ししながらよくなっていくのだそうですが、そういうシステムが近年働かなくなりつつあるということらしい。
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そのお兄さんの著書をもとにした「イケズ講座」もその場で始まりました。
本当にコーヒーを勧められているときは「コーヒーでええか」だが、さっさと出て行って他でコーヒーでも飲め、というイケズは「コーヒーでも飲まはりますか」だそう。こわ!とも思いますが、曰く「イケズはちょっとうまいこと言ったくらいのもの。むしろ言われたら仲間として認められたと喜んでよい」とのことでした。ほんとかなあ
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で、その怖いお兄さんおすすめの御室桜を見に仁和寺に転戦しました。
来たことあったかな。いや全く覚えてないけど、きれいでした。
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ちなみに「御室桜」もイケズ用語だそうです。根元近くから枝分かれしていて樹高が低いため「花(鼻)が低い」の意。
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さらに余計なことですが、「平野神社の桜みたい」も褒めてるようでけなしてるそうです。染井吉野の名所なのになぜ?それは、北野天満宮を越えたところにあるので、「北野を越えた」→「きたのおこえた」→「汚のう肥えた」だそうです。ブルブル
一般論として、イケズは「褒めれば褒めるほど落としている」と解すればいいらしい。イギリスでinterestingと言われたら「クソつまんね」という意味、フランスでpas malは相当気に入ったという意味というのに似ているとのこと。
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寝殿・書院はいちいちフォトジェニックでしたとさ。
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夕飯は四条河原町「東華菜館」で中華です。
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これ何の建物かなあと思いながらみんな通り過ぎてますよね。
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前菜、春巻、鶏の唐揚げ、エビの塩炒めが出色。他もいちいちうまかったです。腹一杯まで食ってビールと紹興酒飲んで5000円ちょっとと意外にリーズナブル。
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稼働しているエレベーターとしては国内最古だという。ほんと?
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新幹線の時間があるのでここで皆さんと別れて京都駅に向かいました。
朝、大阪を出る前に駅で買った「ダニエル」のカヌレをつまみながら帰りました。
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いやあ今年も楽しかった。京都出身のオーガナイザー氏に感謝。

京都DE花見(1)

昨年参加した京都の花見に今年も寄せていただくことができました。
土曜は新幹線を京都で降りて、京都駅の東側に出てみました。
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ちょうどお昼の時間帯だったので、崇仁地区の木村食堂で「すじうどん」460円。
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牛すじ肉がいっぱい入っていて、おつゆもしっかりした味でした。地元のお客さん?がいっぱい。鍋焼きうどんがよく出てたかな。

道路を渡ったところにあるのが「柳原銀行記念資料館」。柳原銀行は、同和地区の中に地元の人たちの手によって設立された銀行です。
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1871年に身分制が廃止されると、雪駄製造などの地場産業の勢いまで失われてしまい、さらに松方デフレが追い打ちをかける形で貧困が広がっていた。そこで町内産業の育成を図るため、ここにあった柳原町の町長を務めた明石民蔵や町内の資産家が同和地区内にこの銀行を設立したのが1899年。
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1910年代には預金額が現在の貨幣価値で50億円くらいまで拡大したものの、大口の焦げ付き、町内商工業の不振もあって停滞期に入ってしまいます。そこで、被差別部落の地位向上を図る「融和運動」のつてをたどって融資先を町外にも広げることを決め、柳原銀行は増資をして1920年に「山城銀行」として再出発します。
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しかし関東大震災とその後の不況、さらに昭和恐慌のあおりで1927年に破産となりました。
建物はその後、商店や借家として使われていましたが、1986年、国道の拡幅工事の計画が持ち上がったのをきっかけに保存運動が起き、1997年に資料館となりました。
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柳原尋常小学校の校歌が展示されています。
2番は「土地生産の名高さは 皮革ベルト 花緒向掛 下駄表 雪駄雪沓 靴鞄 軍用輸出 その額は 幾十万に 上るなり」。雪駄?と思ったのですが、竹の皮の草履の裏に革を張ったものが雪駄なんですね。なるほど。
柳原小学校は1873年に創立されました。「自主的改善運動」の機運の中で、町を盛り立てるには教育で旧習を洗い流し、人物を輩出することが必要だと考えられたとのこと。しかし当初の就学率は3割ほど。20世紀初頭になっても約1000人いた学齢期の子どものうち、学校に行っていたのは半分、卒業となるとその4分の1と状況は厳しかった。それでも校舎建設には頼母子講で出た利益を拠出するなど、教育は町全体の関心事だったようです。
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全く知らなかったものの言われてみればなるほどと思ったのは、身分解放令が出ても、被差別階級だった人たちが各地の祭礼への参加や神輿を担ぐことを拒否され、騒擾や訴訟が頻発していたこと。京都でも、弊管理人の出身の長野でもそういうことがあったと説明されていました。
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元禄14年(1701)の地図。橋の下手に「穢多村」という文字が見えます。死んだ牛馬の処理場があったらしい。
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都市のスラムを描いた55分の自主制作映画「東九条」(1969)も見ることができます。「パッチギ!」も同時代・同地区が舞台なんですね(そういえば在日コリアンの話は祟仁ではあまりフィーチャーされてないように思った)。「東九条」のほうは音声トラックが長らく失われていたのが、最近になって発見されたんだって。状態が悪く聴けるようにはなっていませんでしたが、うまく復刻されるのを期待します。

資料館のパンフに出ていた「祟仁歴史マップ」を見ながら町を歩いてみましたが、多くがフェンスに囲まれた空き地になっていて、古い家屋がぽつぽつと建っている状態でした。東七条中部水平社創立場所、全国水平社の仮本部跡などは見つけられず。「国民研究会」の設立会場というのもあり、これ何?と思ったら富裕層が組織した反水平社の団体だったみたい。
あと京都の米騒動発祥の地である交番というのもマップに載っています。米騒動とどんな関係が?と思っていたら「米騒動は、部落大衆の部落民的自覚と階級的覚醒をおおきくうみだしていったことはあきらかでした」という記述に行き当たりました。
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このあたりは2020年から2023年にかけて京都市立芸術大学が移転してくるということで、昼飯をいただいた市営住宅がごっそりなくなり、柳原銀行の周囲も資料館を残してほとんどが大学施設に置き換わってしまうようです。
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屋台村のような「コミュニティスペース」というのがあって、ちょうどプロレスをやっていたようでした。
「崇仁発信実行委員会」という団体が出している冊子もいただいてきました。
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部落差別を織り込みながら街の魅力を発信するというのは独特なんじゃないかな。他の地区では既にどこがどうだったかは見えなくなっていると思うのですが。と、いうことを中心にして、分からないことがどんどん増えていく散歩でした。しかし付箋はついた。これからさまざまな文章に目がとまるようになるでしょう。

で、京都から大阪行きのJRに乗りまして、山崎駅で降ります。
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山の中腹にあるアサヒビール大山崎山荘美術館。大正〜昭和期の実業家、加賀正太郎の別荘だったそう。まあ特に面白い展示があるわけではないが(でも何も知らないで行ったら「睡蓮」が何点かあってびっくりした)、さっきまで見ていたものとの格差にくらくらします。
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大衆の暮らしを睥睨しながら食べるケーキセットは950円。
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なんか安藤忠雄の建物が繋がっちゃってて何が何やら。
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ついでにサントリー山崎工場も覗いてきました。
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原酒。すっごい香り。

阪急に乗り換えて梅田へ。
グランフロントの「カンテグランデ」で海老カレーを食べましたが、なんてことなかったので写真はなし。
南森町の「弄堂」で焼き小龍包をテイクアウトしてホテルで食べました。
これは結構うまかった。
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ちょっとだけ飲酒して23時過ぎに就寝。
日曜に続きます。

2018年03月20日

若干追記/二風谷と

アイヌの文化ってどこまで遡れるのかというところからして全く知りませんでしたが、アイヌ文化振興・研究推進機構が作った冊子「アイヌの人たちとともに―その歴史と文化―」(2017年)を見ると、7~遅くとも13世紀には北海道での擦文文化が終わり、アイヌ文化に切り替わっていったということのようです。主には土器から鉄器への変遷ということでしょうか。

それと並行して、北海道北部~東部にあったオホーツク文化がアイヌ文化の形成に影響を与えた。つまり、熊の頭骨を住居に集めていたことから、熊に対する何らかの信仰があったらしい。

史料上で確認ができるのは15世紀ごろ。本州から渡ってきた「和人」との交易の記録が残っているのでしょう。蝦夷三品(昆布、干鮭、ニシン)と、北蝦夷地(樺太)経由の中国三品が移出され、本州からは鉄製品や漆器、酒などが移入されたとのこと。

和人の蠣崎氏との不和は現在の函館で起きたコシャマインの戦い(1456)以降、100年続きます。1550年に蠣崎氏が上ノ国と知内以北をアイヌの居住地、以南を和人の居住地にするという妥協策を出しています。

1599年に蠣崎氏は松前氏と改姓し、徳川幕藩体制のもとでは松前藩となります。米がとれず禄にならないので、家臣には地域限定の交易権(商場)を分配。商場をもらった藩士は知行主と呼ばれます。そのうち、商場を商人に貸し出す「場所請負制」が始まります。
海産物の需要が高まると、商人はアイヌを使役して漁業を自分でやるようになり、アイヌは生産者から労働者になりました。

1669年のシャクシャインの戦いでアイヌ全体が松前藩に敗れると、和人の優位が確立します。漁場労働や不公平な交易を強いられる中、1789年の国後・目梨(標津)での戦いが最後の抵抗となります。コシャマインの戦い以降、和人は「だまし討ち」で勝利を収めてきました。交易の民として儀礼を重んじたアイヌの性質が「欺されやすさ」に繋がってしまったよう。

こうした不和を背景に、南下を目指したロシアがアイヌを懐柔することを警戒して、幕府は1807年までに松前藩を今の福島に移し、直接統治に乗り出します。松前藩は1821年に復領運動の結果、蝦夷地に戻りますが、1855年の函館開港以降、幕府は渡島半島の南西部以外を再び直接統治します。このとき、アイヌとその居住地が日本に帰属することをロシアにアピールするため、アイヌの懐柔策を行います。が、耳飾りや入れ墨、熊の霊送りを禁止したことで反感を買うことになったそうです。

1869年に蝦夷地が北海道になり、アイヌは「平民」として戸籍が作成されたものの、「旧土人」との呼称で差別が続きます。開拓使による和風化政策、土地の国有化と払い下げ、サケ漁やシカ猟の禁止も進行。1875年の千島・樺太交換条約のあとは千島・樺太のアイヌを北海道や色丹島に強制移住させます。1899年には「北海道旧土人保護法」ができて、農業の下付・日本語・和人風習慣による同化政策が進められました。

第2次大戦後はアイヌの社会的地位の向上のため、北海道アイヌ協会(1961年にウタリ協会、2009年にアイヌ協会)を設立。1974年からは住居・就労・修学での個人対策を盛った「北海道ウタリ福祉対策」が始まります。1970年代からは文化の保存・継承のための活動も広がりました。1984年にウタリ協会が「アイヌ民族に関する法律案」を作成。国会議員も輩出し、1997年には旧土人保護法が廃止され、「アイヌ文化振興法」が制定されます。

* * *

それで平取町・二風谷のアイヌ文化博物館なんですけど、立体的な歴史を真上(現代)から2Dで見たような展示になっているので、「これはいつからこうなの?」とか「なんでこんなものが?」という疑問がいっぱい沸きました。
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なぜ漆器があるんだろうとか。
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なんで木の繊維でできた羽織と木綿のやつがあるのかとか。
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(上記冊子によると、樹皮で作ったやつが普段着で、木綿のは晴れ着だったっぽい)
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刺繍については「技術は一般的なものなので民族の特徴が現れているわけではなく、むしろ文様のほうにオリジナリティがある。しかし近年は、華やかだが文脈的に疑義のあるデザインが見られており、言語化が容易でない分野だけにどう伝承していくかが課題だ」といった説明がありました。
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一方、「食」のほうは意識的な保存が必要な分野のようです。一部は現代的な日常生活に浸透して残ることができるが、食材の採集法や調理法で消え去ってしまったものは復活が難しそうです。
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網目のように見える部分はサケの皮をかたどった模様。木彫りは刃物をうまく扱えることを示す男性のアピールだったが、今は男女ともやるとのことです。ただし「イナウ」(お祭りのときに使うわしゃわしゃしたやつ)は今でも男性しか作れないんだって。
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ちなみに↑これはサケの皮でできた靴。

Q&Aコーナーもありました。「アイヌは無文字社会と聞いた」というQに対して「確かに以前は文字を使っていなかったが、現在はカタカナのほかにローマ字を使った表記をし、小文字の『プ』『ク』『ラ』を使ったりと正書法が確立されつつあるといえる」と回答していました。

また、同じQ&Aコーナーで、「アイヌ語を話せる人がいなくなった」というのにも「言語学、民族学の研究対象に値するだけの話者が極端に少なくなったのかもしれないが、話せる人はいるし、聞けば分かる人はさらに多い。学習熱も高まっているので話者はむしろ増えるかもしれない。勝手にいなくなったことにしないで」という反論が掲示されていました。

現に存在しており、また今後も存続すべき文化だということ。政治的なバックラッシュもあり、ここは特出しして強調しておかないといけないのでしょう。
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ところで、この博物館は萱野茂さんの収集したものをベースにしてできているそうです。
周辺の地名の解説を読んでいたら、「幌去(ポロサル=大きい葭原)」からの直訳で「萱野」の姓ができたと書いてありました。へえ~

博物館周辺は冬期間を利用して改修中でした。
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芝生になるんですと。
それにしても、12年前に友達と一度来ているのですが、まったく中を覚えてない。弊日記にも書いてない。なんでだ?
あと2020年には白老に国立の博物館ができるそうで、それも期待ですね。

ついでに平取町の中心部からちょっと上がったところにある義経神社も見ていきました。
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なぜ義経?と思ったら「奥州平泉で自刃したとあるが、身代わり説があります。義経一行は陸奥から蝦夷地に渡り、ピラトリ(平取)に一時居住し、カムイと尊敬されました。その後、新しく部下に加わった若者や藤原氏残党とともに大陸へ向けて出発したといわれています。ジンギスカンと義経公を史実上の共通点の多さから同一人物とする伝えもあります」とのこと。
直接には1799年、近藤重蔵らが神像を寄進したのが始まりだそうです。アイヌを庇護し、慕われた義経というお話は当時の統治の論理から生まれたのでしょうかね。
ちなみに幟に書いてあるのは「愛馬息災、危難防除、先勝」。競走馬の産地と微妙に混ざっている。

せっかく来たので、新ひだか町(旧静内町)のシャクシャイン記念館も見ていこうではないかということでナビに打ち込むと、1時間かかると出た。北海道のでかさの勘が失われていたようで。
記念館自体は雑然とした展示がちょっとあるだけ。
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よく見る像がいた。
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シベチャリチャシ(チャシは砦)の跡から見た町内。
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静内って、小学校か中学校(たぶん小学校)の道徳の授業の教材で出てきた地名なんですよね。実は今回、人権資料・展示全国ネットワークの加盟団体を調べていて、二風谷の再訪をしてもいいかなと思ったのでした。

2018年03月18日

札幌とか日高

成田勤務から10年以上にわたってANA派なんですけど、仕事でJALのマイルがたまってしまうこともあり、しかし当然そんなにたまらず、使用期限が迫ってきたところで使ったのが「どこかにマイル」。破格の6000マイルで国内のどこかに飛ばされるという面白い企画です。
しかし弊管理人が飛ばされたのは勝手知ったる札幌でした。

隣の席の上司(札幌勤務経験者)が「札幌にすげーうまい蕎麦屋があってさ」と語り始めたので「西野ですか」って食い気味に聞いたら当たり。しかし弊管理人が思い浮かべた「やま賀」でも「続八条庵」でもなく、教えられたのが「雨耕庵」。なぜか西野ってやけに蕎麦屋が集積してるんですよ。そしてお店に置いてあった、西野の蕎麦屋を特集したコミュニティマガジンにもそう書いてあった。
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食べログでおっそろしい高得点がついていて不安でしたが、15時になっていたのと辺鄙なところにあるせいか、客は弊管理人ともう一組だけ。かき揚げそばで、麺は田舎と更科と田舎そばの太切りというのが選べます。全くイメージせずに太切りを頼んだら、うどんみたいに太いのがでてきてしまいました。弊管理人は暫く前から(そしてたぶん今後長きにわたって)口の右側で固いものが食べられないのですごく難儀し、味わうどころではありませんでした。もう一組は普通の細いそばを「うめええこれえええ」と言いながら食べていたので多分本当においしいお店なんだと思います。

悪魔的に勘のいい在札幌友人が、弊管理人が札幌に着いたとたんにフェイスブックで全く急がない用事のメッセージを送ってきたのをきっかけとして夕飯を食べることになりました。「カレーが食べたい」と言ったら、資生館小学校の前にある「未来カレーこりす」というところに連れて行って下さいました。
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うん、これ住んでたら週1で通う。バターチキンのちょい辛いやつっていう感じ。あと、一品料理も充実していて、えびのアヒージョとかとてもおいしかったです。

あと、ずっと行きたいと思っていてなぜか今まで機会がなかった中島公園の横にある「ボン・ヴィヴァン」。
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手前がダークチョコレートのムースをいろいろこねくり回したグリューでちょっとスパイシーだった。後ろはバスクショコラのオレンジフレーバーのやつで、見た目よりずっと複雑な味がした。ショコラティエだけにもっとストレートにチョコなやつを買ってもよかったかもですが、さすが。

番外編というか、在札幌時代からお世話になってる飲み屋さんのお通し(!)
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パンの上にベーコンとチーズと蜂蜜ですよ。
これを深夜に食べるなんて。おいしくいただいたけど。
そういやここの大将も勘がよくて、在札幌時は弊管理人の悪事を打率8割くらいで当てられました。頭が上がりません。

今回、お出かけのメインは平取町・二風谷だったのですけど、アイヌ関連のあれこれは別の日に譲って、二風谷で昼飯のために入った「ドライブイン・ユーカラ」のキトビロ(行者ニンニク)ラーメン。
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あまり臭くなく、味噌によく合ってました。
近くの工芸館で木彫りをやっていたおねえさん↓のレコメンでした。
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北海道はまだ冬かなーと思っていたら、どっこいきちんと早春の匂いがした。

2018年02月11日

落合の画家

明治後期~大正時代に活動し、37歳で結核により夭折した洋画家・中村彝(なかむら・つね。ATOKすごい、一発変換)のアトリエを再建した記念館が、目白駅から10分くらい歩いた住宅街にあります。散歩を兼ねて行ってきました。
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1887年、旧水戸藩士の家に生まれ、11歳までに父母を亡くしたため、兄を頼って牛込区に転居。陸軍中央幼年学校に入ったものの、結核のため退学しました。千葉・北条(館山)で療養中に洋画家になろうと思い立ち、本郷の白馬会洋画研究所や太平洋画会研究所で絵を勉強したとのこと。文展で3等賞をとり、新宿の中村屋の裏のアトリエに移ったものの、中村屋をやっていた相馬家の長女・俊子との交際に反対され、俊子との仲も次第に冷めて、当時は農村だった下落合にアトリエを建てて創作と療養をしていたそうです。この俊子と後に結婚したのが、インド独立運動に身を投じ、日本に亡命した「中村屋のボース」ことラス・ビハリ・ボースなんですね。
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アトリエは洋画家の鈴木誠の手にわたり、増改築されてきたものを、建築時の姿に復元した。レンブラントっぽい人物画、ゴッホっぽい風景画など、内部に調度品とともに絵画が展示されています。肉感的で弊管理人は好きです。

ついでに、また10分ほど歩いて佐伯祐三(これも一発変換だ)のアトリエ記念館にも寄ってきました。こちらは1898年大阪生まれと、中村の少しあとの画家。東京美術学校を出たあとフランスの野獣派を頼って留学し、いったん帰国して中落合にアトリエを構えたあと、また渡仏したものの、30歳で現地の精神病院で亡くなってしまったそう(ちなみに連れて行った6歳の娘も病死)。
当時の落合の、長閑だけど文化の匂いがする風景を明るく描いた絵が印象的でした。なんか知ってる絵はないかなと思ったら、「郵便配達夫」ね。あーーーこれかーーーー

目白~中井間には大正、昭和時代、高級住宅街の「目白文化村」が作られましたが、その周辺には文化人がたくさん住んでいたようです(余談だが、東京の染色産業の中心地でもあるらしい)。ほかに林芙美子の記念館があり、政治家では石橋湛山や近衛文麿の家があったり。近所といえば近所ですが、よく知りませんでした。

2018年02月05日

内之浦出張

「あっち、あの、鹿児島の右の方の脚の」というくらいあやふやにしか知らなかった肝付町内之浦に出張してきました。
早起きして1泊、の予定だったのですが、東京にまた雪が降るという予報が出ていて、飛行機が遅れず飛ぶか心配だったので、予定を早めて前日の夜に鹿児島入りしてしまいました。空港は2度。山の中だから寒いらしいけど……

鹿児島空港至近のホテルから見えた山。
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左の高い山が韓国岳、真ん中はわかりにくいが獅子戸岳、新燃岳、中岳、右の高い山が高千穂峰だそうです。

お昼は内之浦の「瀬里奈」で焼き魚定食、1300円。かますでした。
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夜は鹿屋市の太平温泉に泊まって、宿の方に聞いて行ったのがとんかつの「竹亭」。
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翌日のごはんはコンビニ弁当とか空港のカレーとかで終了。

日程が延びることが大いにありえた出張で、今週いろんな予定を詰めていたところ期日どおりに終わるといいなあと思っていました。結果はありがたくも大団円。一度失敗して後がない人が成功してほっとした顔も見られて、ほっこりしました。
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翌日から、こんどは鹿児島が雪になるとのことで、帰りの予定を早め、東九州道をすっとばしてもらい、当日最終の飛行機にほとんど飛び乗る形で東京に戻りました。鹿児島空港2度、羽田空港7度。寒いのは好きなんだけど、交通機関の乱れに巻き込まれるのは嫌だなー

昨年後半はサボりすぎたので、今年は年明けからちょっと頑張ろうと思って結構いっぱい種を蒔いていました。そうしたら刈り取りで手一杯になりつつあります。今月半ばには仕事がちょっと途切れると期待しています。そしたら休もう。

2018年01月13日

山谷と吉原

学生時代の友人からお声がけいただいて、TABICAというサイトで開催している街歩きツアー「吉原の今昔散策」に参加してきました。

スタート地点の南千住駅から歩いてすぐのところにあるのが、小塚原回向院。
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近隣の小塚原刑場で処刑された罪人や行き倒れの人たちが弔われているところだそうです。当時は禁止されていた解剖を杉田玄白らが行ったのもここ。安政の大獄で処刑された吉田松陰や橋本左内(ただし正式なお墓はそれぞれの出身地にあるそう)だけでなく、鼠小僧や、「報道協定」が初めて結ばれた誘拐事件「吉展ちゃん事件」(1963)の被害者・村越吉展氏(弊管理人は吉展ちゃん事件が報道協定のきっかけになったと勘違いしてましたが、それは「雅樹ちゃん事件」(1960)でした)のお地蔵さん、カール・ゴッチのお墓までありました。
謀反人のお墓がなぜ三つ葉葵のついたお寺にあるのかは分からないままでした。

お隣は延命院。同じく処刑された人らのための「首切り地蔵」がいます。
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小塚原刑場ってどこにあったのか、ネットで調べてもよくわからなかったのですが、今回やっと分かりました。延命院の隣から、現在の線路と、線路を渡ったところにある東京都交通局の施設のあたりまで細長く延びていたとのことです。火葬が追いつかず、かなりの土葬をしたせいで、つくばエクスプレスを通すときの調査で大量の人骨が出土したとか。
処刑されたものの供養――。悪霊化するのを恐れたのか(これは仏教の発想ではないのかもしれませんが)、それとも罪人もまた救われるべきと考えたのでしょうか。

刑場のあったあたりはやはり民間に分譲というわけにはいかず、都営アパートや都バスの基地になっています。いわくつきの地には学校が建つこともあり、それが「学校の怪談」というジャンルが生まれる元になったのではないか、とはガイドさんの推測。

北の小塚原、南は南大井の鈴ヶ森、あと八王子にあった大和田が江戸の3大刑場で、あとはコミュニティレベルの小さなものがあったそうです。小塚原は斬首、鈴ヶ森は磔と火あぶりで処刑をしていたとのこと。
小塚原は千住の宿場町の外れに位置していて、明治の初めくらいまでは首がさらされていたそうです。街に入る人たちに対して「秩序を乱すとこうだからね」と知らしめる意味があったのでしょうか。

跨線橋から刑場と逆のほうを見ると、貨物列車ががたごとと通り過ぎていきます。
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このあたりは荷揚げの中心地であり、都心方向への物流の起点となっていたそうです。さらに前回の東京オリンピック前には日雇い労働者が集まり、安宿も多い。それが現在は外国人旅行者に好んで利用されているのですね。

人足寄場、さらに食肉処理、皮なめし、解剖など、被差別階級の人たちが担った仕事が周辺に集積しています。皮なめしは水を大量に使うので川沿いにあったとのこと。浅草にはそうした社会の頭領・弾左衛門の屋敷があります。独自の裁判権を持つなど、高度な自治をしていたらしい。近代以降も革靴工場など、ゆかりのある産業が残ったそうです。

処刑される人たちが家族と別れる場所だった「泪橋」は、現在は交差点の名前に残っているのみ。その近くがいわゆるドヤ街の雰囲気を残した一角になっていて、ハローワーク、1泊2500円くらいの安い宿泊施設、寿司屋が点在しています。「あしたのジョー」の舞台もこのあたりだとのこと。
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旧山谷、現日本堤の交番は、ちょっとしたマンションくらいの大きさ。かつては暴動やデモが頻発したので、応援をとったり留置をしたりといった必要があって大きな交番になっているそうです。ちなみに、近くには有名なカフェ「バッハ」があるそうですが、立ち寄ることはできませんでした。

「いろは会」商店街に入ります。
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右側の垂れ幕は見にくいですが「山谷は日雇労働者の街 労働者を排除する再開発反対!!」と書かれています。「写真とるな!人権侵害やでえ」と声をかけてきたおっちゃんは関西弁でした。いろんなところから働きに来られているよう。

アーケードは老朽化が進んだので、昨年秋に屋根を取り払いました。
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再び屋根をかける予定はないそうです。
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寒い日が続きますが、日が照っているので日向にいると暖かかったです。
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そんで、前に天丼を食べに行った「土手の伊勢屋」の横っちょくらいに出て、吉原に行きますよ。

吉原大門(だいもん、ではなく、おおもん)に入る道は大きく曲がっています。出入りする人たちが見えにくいよう目隠しをする機能があったとのこと。今は大門があったところを示す柱が立っているだけです。
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こちら「金瓶梅」「鹿鳴館」などソープが並ぶメイン通り。昔はこの通り沿いのお店が一番ステータスが高く、病気をしたりして落ちぶれた遊女たちは街のはしっこのほうに住んでいたそう。その外には「お歯黒どぶ」という堀が巡らしてあり、出入り口は基本、大門に限定することで逃亡を防いでいました。

遊女は全盛期で3000人、もろもろのスタッフを入れると1万人くらいが働く街だったとか。スターの太夫から見習いの禿(かむろ)までヒエラルキーが存在し、15歳から10年ほどの間にキャリアを積みました。お金を持っている客には教養のある人もいたため、相手ができるよう囲碁、将棋、和歌、俳句などを勉強したそうです。

初めての客を大門まで迎えにいくのが「花魁道中」。これはお店の宣伝も兼ねていたということです。ファッションリーダーでもあったのですね。客を選ぶ権利は遊女のほうにあり、一度は大門近くの待合所で品定め、二度目は食事をしながら品定め。三度目でようやく夜をともにすることができたという。

吉原を出る方法は3つ。(1)年季明け=借金を返す、(2)身請けしてもらう、そして(3)死ぬ。

弁天さん、性病科クリニック、関東大震災の火炎旋風を逃れようと女性たちが飛び込んだ池の名残(多くは圧死だったそう)など、いろんなものが集まってます。
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台東病院の裏に出ると、竜泉の街。樋口一葉が一時期住んでいたそうです。記念館もあります。
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ガイドさんにお煎餅をごちそうになってしまいました。
製造は山梨県(笑)。でも、樋口家ってもともと山梨の出身なんですよね(一葉は東京生まれだが)。なんか関係があるのかな。

三ノ輪駅の近くまで来て、最後は「投込寺」こと浄閑寺。
安政の地震のときに死んだ遊女が投げ込み同然で運ばれたお寺だそうです。
吉原で遊んでいたらしい永井荷風も「死んだらここにお墓を作ってくれ」と希望していたものの家族の反対で実現せず、有志がお寺の裏手に文学碑を作ったとか。
そして、山谷で亡くなった人たちもここに眠っているそうです。
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太陽の下で働いた人びとを象徴する、ひまわりを持った地蔵。

いやほんと勉強になりました。

* * *

吉原とは関係ありませんが、年末から読んでた本、帰りの地下鉄でフィニッシュしました。

■冨田恭彦『カント入門講義―超越論的観念論のロジック』筑摩書房、2017年。

20年とか前に柏木達彦シリーズなど読んで以来、お久しぶりの冨田先生ですけど、なんか分かりやすさがパワーアップしてませんか。すごいね。『純粋理性批判』ってこういう話だったんか。弊管理人はどういうわけかヒュームってカントの敵だと思ってたけど全然違ってた。

2017年12月06日

台北(2)

228公園のつづき。
前回は休館日の月曜訪問だったため見られなかった国立台湾博物館も見ました。
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あまり展示は多くないんだけど、自然史と原住民の比率が大きい気がした。
それにしても、それぞれ体系的に研究し始めたのが日本人だったらしい。ほんとに台湾の20世紀史のいろんなところに出てきますな、日本。

公園の近くには塾がいっぱい。
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「東大理III合格!」みたいなやつか。どこも大変だねえ。

ふらふら歩いて着いた中山堂は、日本が「負けました」文書を陳儀に渡した場所。
「光復」の原点ですね。
中を見ていたら、オールジェンダートイレが。初めて見た。
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左の人型のところには、Everyone can use this toilet safely, regardless of gender identity or expression.と書いてあります。進んでんな~

MRTの終点まで乗って、動物園に行きました。
ロープウェイに、と思ったんだけど、あまり天気がよくなくて。

パンダがいました。生は初めてかも。中国って台湾にもパンダ貸してくれるの?
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飯食ったりぐったりしたりしてるだけできゃあきゃあ言われるなんてお気楽ではないか。
しらんけど。
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売店はやはりパンダ激押し。トイレの鏡もパンダ柄でした。

中心部に戻ってきて、中正記念堂の春水堂で混ぜそばみたいの食べました。
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花椒がきいててすごいうまいよ。確か100元くらい。
あと、タピオカミルクティーね。台湾のドリンクってどれもでかくない?

松山で服屋さんの街を見学。
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なぜ川越?
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うずらの卵を焼いて串に刺して売ってるおばさん。
同じような色合い、柄の服を着たおばさんが2人、横にいますが、フランチャイズなのか、こういうファッションが流行りなのか。
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慈祐宮は何やら爆竹など鳴らしてました。
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饒河街観光夜市は、道一本で分かりやすい夜市でした。
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しかし、メシを食うほどの腹の余裕もなかったため、台北駅まで戻って、Drip Cafeへ。
在台湾友人に「イチゴのクロワッサンいいよ」と教えていただいたためオーダー。
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がっつりwおいしかったです。
チーズステーキ(いわゆるステーキではなく、薄切りの牛肉とチーズがパンにはさまった、フィラデルフィア名物のアレです)も勧められたので、次ね。

最終日は北投の「瀧之湯」で温泉に入ってきました。
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銭湯なんですけど、ちゃんとした温泉で気持ちよかったです。
「アツイヨ」と言われましたが、42度くらいなのでそこそこ入っていられます。

国立台湾大学もちらっと見てきました。
ちょうど直前の仕事でお話した九州の某先生が「うちの父親、台湾大出たんだよ」と言ってらしたのもあって、ここかあと。校史館というのがあって、史料を見ることもできるようです(ちょうど何かのパーティをやっていて、あまり見られなかった)。
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図書館に続く椰子並木の長ーーい道が名物らしい。すんごい広いキャンパスなので、みんな自転車に乗ってます。
それにしても旧帝大の学生のファッションには何か共通点があるように思えますね……
大学の前の通りには眼鏡屋さんが多かったです。

学生街?の適当なお店に入って、牛肉あんかけご飯。
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盛りがいいのに90元。300円。ふえええ
でもこれ、春水堂のタピオカミルクティー(95元)より安いんですよね。
台北のご飯、普段使いと観光客向け/シャレオツ系の値段の開きがすごいと感じた。

お茶してたらいつの間にか飛行機の時間が迫ってきていたので、いそいそ空港へ。
中山駅の近くで買った「李製餅家」のパイナップルケーキを機内でつまみ食い。
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甘すぎず、ぼそぼそしすぎず、いいお茶のお供でした。

雨がちでしたが、Tシャツに1枚羽織るとちょうどいい20度弱で、過ごしやすかったです。
在台湾友人の連れ合い氏が「台北は空気が悪いので、老後は田舎がいい」とおっしゃっていて、弊管理人は「そうかな~?まあ言われてみればそうかも」くらいだったのですが、多分この乗り物が電化されていけば緩和されるんではと思いました。
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次は台中、高雄、いずれは東側にも挑戦したいものです。

2017年12月05日

台北(1)

マイル消化で台北に行ってきました。2泊3日です。

桃園空港から台北駅までの電車が開通してました。
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バスで90分かかってたところが35分。はっや!
乗り場で、空港往復と市内MRTの48時間パスで520元というのがあったので買いました。
それぞれ買うよりちょっと安い。

市政府駅に出て、在台北友人と合流しました。
「開飯川食堂」で、3人で取り分けるコースをご馳走になってしまいました。
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「開飯」は「いただきます」的な言葉だそうです。
川料理は四川料理。いろいろ出てきておなかいっぱい。しかもとてもおいしかったです。

台北101のほうまでお散歩に連れていっていただきました。
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こちら「點點心」は香港からきた人気の点心屋さんだそうです。次な。

今回、宿は西門駅の近くにあるECFAホテルというビジネスホテルにしてみました。
朝飯はどっかでお粥でも食べたいからいらないかな、と思いましたが、軽めのビュッフェがついてました。
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盛り付けの才能がないのはいつものことなので容赦いただくとして、弊管理人の好きな温野菜いっぱいで満足しました。味付けも濃すぎず薄すぎず、家庭の味って感じ。
ただし部屋は窓がなく、空調もうるさい(カードキーをソケットから外してすべての電源を落とすとファンも止まって解決した)ので、お勧めするかというと、しない。

西門は「若者の街」と言われましたが、確かにね。原宿というより新宿のちょっと悪めな感じです。
駅前にある紅楼は工事中のようでした。建物の中はおしゃれ雑貨屋がいろいろ入ってます。
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この裏側は何やらレインボーでした。
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前回、2014年2月に来たときに見られなかったものを見ますよ。
228記念館。「今日はタダの日」ということでタダで見られてしまいました。
日本語の音声ガイドをお借りして、聴きながら歩きます。
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1947年2月27日、闇たばこ売りのおばさん(と聞いていたが、この方は弊管理人と同い年であった!!!)が取締官に暴行されたのをきっかけに全土で暴動が起きて、戒厳令が40年も続きましたっていうだけの理解だったのです。はっきり言って。しかし展示を一通り見て、文脈がやっと分かった。
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話は1920年代から始まります。日本統治時代に、在日台湾人会、次いで台湾でも、台湾議会の設置を求めるなどの要求が起こりました。1927年には初の合法政党「台湾民衆党」が設立されます。また官選議員ではなく普通選挙を求めるなど、知識人を中心に民族意識が高まってきます。しかし、30年代後半には戦争が始まってしまい、日中が対立する中で「台湾人」意識を洗い流すために日本語=”国語”の使用を強制するなど、民族自決とは逆方向の圧力がかかりました。これが伏線です。
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終戦になって「やっと2級国民じゃなくなった!」と思ったら、入ってきた国民政府が今度は「北京語が国語だかんね」とし、参政権も制限。国のポストも外省人が多くを占めるなど、本省人の不満が高まっていたところです。
そこへ闇タバコ売りのおばさん殴打が起きる。当時、タバコは日本統治時代の流れで専売だったのですね。さらに、取締官に抗議していた市民が発砲で死んでしまう。しかし取締官は咎めを受けず、抗議のため専売局、さらに長官公署にきたデモ隊に憲兵が機銃掃射し、事態は収拾不可能になりました。
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すでに日本統治時代、台湾全土にラジオ放送網が整備されていて、1945年の終戦時には台湾の人たちも玉音放送を聞いていたそうです。その台北の放送局をデモ隊が乗っ取り、機銃掃射のことを全国放送します。ラジオのインフラ整備が完了していたからこそ、騒動は全土に広がったということ。本省人の取り締まりも行われましたが追いつかず、外省人への襲撃が散発します。「悲情城市」で見たシーンはこのときのものかな。そしてそのラジオ局が、いま記念館になっているこの建物だったのだあああああ

騒動は政治改革運動に発展。法曹関係者や議員らが台湾行政長官の陳儀と交渉し、事態が沈静化に向かうかと思われましたが、裏では陳儀側が国民政府軍の派遣を要請し、到着を待って態度を硬化させ、知識人への弾圧を進めました。いまだ行方不明の人がたくさんいるそう。

つまり、戦後、国民政府に対して台湾の知識人が要求した自治の水脈は、まさに日本統治期から流れてきていたのですね。そして”国語”は統治者が変わるたびに移り変わり、ラジオという先端メディアが一瞬で全土に火を付けた。

日本語で、しかも素人に分かりやすい解説本がないなーと思っていたのですが、記念館の売店で常設展示の解説パンフを買いました。100元。やっす!そしてこれはめちゃくちゃ買いです。1時間くらいで読めますが、これで大体分かります。
あと、ちょうどいらっしゃった日本語のできるボランティアのおじさん(自分の生年を「昭和26年生まれ」とおっしゃった。日本に住んだことはなく、台湾で勉強したそう。すごい)にいろいろ質問もさせてもらいました。いや来てよかった。ほんと。

興奮しておなかが空いたので、近くの「點水樓」で小籠包220元を食べました。
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上司お勧めのお店。あっはっは、うめえ~
あと、おやつにカスタード饅頭も。

つづく。

2017年11月19日

大山の紅葉

2013年以来、4年ぶりに大山の紅葉を見に行ってきました。読まねばならない資料があって、しかし家だとぐうたらしちゃうので、電車で読もうという変な動機で……

前回はハイキング友達と行ったのですべて歩きでしたが、今回は一人のため横着してケーブルカーで阿夫利神社まで行き、そこから富士見台(富士山は見えなかった)まで登って降りてきました。ふもとは晴れでしたが、山はあられが降っていました。
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大山寺で紅葉を見る。
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混んではいたものの前回ほどではなく、ゆっくり見られました。
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↑色合いはいいがこわい絵になってしまった(笑)
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日没から20時までライトアップされて、それもまたすごくいいのですが、だいたい満足したのと、1時間ほど待たないといけなかったので帰りました。今日は新宿発11時だったので、明るい時間とライトアップをさらっと両方見て帰るなら14時発くらいでいいのかもしれない。

帰ってきて、ご飯を炊いてTKGを食べ、バブのお風呂に入り、洗濯して、やりきった感じの日曜日になりました。今週はちょっとやることがいっぱいありそうなので、リフレッシュできてよかったです。

* * *

去年のいまごろ弊管理人がアフリカに出張した案件で、同僚がヨーロッパに出張していて、そのお手伝いをちょいちょいしていました。で、ピークが金曜にきて、午前2時前まで仕事して、土曜はその反動で疲れてました。

世の中が年末感をずいぶん出してきた感じがしますけど、例年より早くない?そんなことない?

2017年09月08日

長崎

夏休み、枠だけ確保したけどどこへ行こう、と6月に考え始めてから、いろんな可能性を考えては捨て、一度は中央アジア某国へ行く手配をしたものの微妙な事情で中断し、結局は押し詰まってから九州行きの飛行機を取ることになりました。

【9/2】

前の日の中華の食べ放題でがっつり内臓が疲れるという悪いコンディションを引きずったまま、福岡に到着しました。30度くらいと意外に涼しい。
時間調整で金印とか見に福岡市博物館に行きましたが、結構面白かったです。そういえば倭の奴国も遣唐使も元寇も福岡だ。朝鮮との近さを考えればどれも当然なんだけど、歴史的な資産がいっぱいでいいですね。

風邪かなあと思いつつ、でも多分ただの疲れだと思われる体調不良をおして、夜は地元の人に教えてもらった「梅山鉄平食堂」に頑張って行ったものの、コロダイの煮付けという優しいものをチョイスしてしまい、お店の真価はよくわからず。
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若干並びました。観光客用って感じもしなくもない。
遊ぶ元気もなく、胃腸薬飲んで早めに就寝。

【9/3】

わりとよく寝て起きたら体調は回復してました。
バスで長崎に行きます。2時間半、2500円くらい。
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出島で昼飯食って、軍艦島へのツアーに参加しました。
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このあたりが軍艦に見えるスポットらしい。
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もともと現在の6分の1ほどの大きさしかない岩礁だったところに石炭が発見され、1890年から三菱合資会社が本格的に海底炭鉱の経営を始め、埋め立てを繰り返して現在の大きさまで拡張されてきたとのこと。閉山は1974年。残された建物が朽ちていっています。
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左から病院、あとは社宅がほとんどだと思いますが、上陸したあと歩ける道は非常に限られているので、このアングルから見えているものは陸上からは見えません。
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上陸してお話を聞きます。ガイドさんはさすがにお上手でした。
正面奥は1893年に建てられた小中学校で。周囲1.2kmの狭い島内に5000人以上が住むとなると、こういう上に延びていく建物が要請されるのでしょう。
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見学コースのどんつきから見える景色がこれ。正面は1916年に建てられた鉱員住宅で、日本最古の鉄筋コンクリート造高層アパートだということです。B'zのMVが撮影されたんだと。築101年、これを保存する手立てはなく、これからも朽ちていくに任せるしかない。
もちろん狭苦しいし、仕事も容易ではなかったでしょうが、でもなんか豊かさを感じる。
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ミーハーだよねえと自嘲しながら申し込んだわりにはしっかり楽しみました。
「これだけ海が穏やかで晴れてる日は年にそう多くない」とガイドさん。ほくほく。
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こちらは帰りに船から見えた長崎のどっか。土地利用の発想は今も変わらない。
ていうかこれじゃ畑とか作れないだろう。

宿にチェックインしたあと、ミーハーついでにカーシェアを1時間半だけ使って稲佐山に行ってきました。
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写真だと伝わりませんが、見晴らし最高です。
街の大きさが違うだけに札幌・藻岩山には負けるが、函館とは張るんじゃないか。

甘い物もちょっと、ということで梅月堂のシースクリームをいただく(後ろはついでに求めたコーヒーゼリー)。
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夜は干物食って寝ました。

天気予報どんどん悪くなってくんだよね。気象協会と気象庁は「ずっと晴れ」を土壇場で修正。週半ばから天気悪いです、というのを最初から当ててたのはウェザーニューズでした。

【9/4】

目覚め前、窓の外でザーザーと雨の音が聞こえていました。
レンタカー借りてドライブの日です。車があったほうが雨宿りになって都合いいです。
長崎から教会をいくつか辿りながら平戸を目指します。

1時間弱で到着する、外海(そとめ)の出津(しつ)教会堂。1882年築。
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出津は潜伏キリシタン関連の世界遺産候補を構成する集落の一つ。大村藩の中心から遠いこともあり、比較的潜伏がしやすかったのではないかとの説明でした。事前連絡をしておくと、信者さんが来て受付をしてくれます。このあと訪れた教会では人がいるところといないところとありました。

もう少し北に行ったところにある大野集落の教会堂。
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こちらはこぢんまりした巡回教会で、玄武岩の割石を漆喰で固めた外壁が特徴的です。こっちのほうが建築としては好きかも。1893年築。
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明治政府も江戸幕府の禁教政策をしばらく引き継いでいましたが、その中でも地元では信者の露見があり、結局は黙認されるようになっていったようです。
振り返るとこんな感じの景色。
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いいですねえ、独特。西海市の国道202号を北上すると、ずっと左手に海を見ながら適度なアップダウンのある絶景の道です。地域は全然ちがいますが、稚内から網走に抜けるオホーツク海沿いの道をちょっと思い出すかも。

展海峰からの九十九島(南側)もなかなかよし。
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独立峰好きとしては、相浦富士(佐世保市、259mってそんな低く見えない)も見られて満足です。
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平戸で昼飯食って、田平天主堂に立ち寄ります。
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これは背面ですが、八角形の鐘塔がきれいだったのでこちらを。
ただ、「潜伏キリシタンとの関連が薄い」ということで世界遺産の候補からは外れたそう。
外海の教会もそうでしたが、瓦葺きなんですね。
ゆっくりしてたら15時になったので、あとは一気走りで長崎まで帰りました。

折角なので向日葵亭でトルコライス。
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ミートソースとハンバーグの盛り合わせでしたとさ。

一日運転して結構疲れました。
早寝。

【9/5】

雨の予報が出ててもずっと雨が降っているわけではなく、観光にはそれほど支障はありませんでした。
路面電車の一日乗車券(500円)を買って大浦天主堂へ。
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1865年築。完成から間もなく、浦上の潜伏キリシタンが訪れてキリスト教徒だと告白し、1612~1613年の禁教令から250年、信仰を保ち続けてきた信徒の「発見」に至った場所です。潜伏キリシタンの「ゴール地点」といえそうです。
中にはその現場もあるのですが、やはり撮影は禁止。なんかさ、ケチじゃない?そんなにいくつも行ってないけど、外国で教会の中が撮影禁止だったこととかないけどな。

ついでに浦上天主堂も見ました。
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被爆マリア像は中にあります。
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爆心地に近く、吹き飛んだ鐘楼がそのままになっていたり、被爆した備品が展示されたりしていました。

さてもう教会はいいかなーと思い、ランチして島原に向かうことにしました。
県庁裏の「永楽苑」で皿うどん600円。
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うっまい!
おばちゃんにそう伝えたら「うちのスープは他と違うのよ」とニヤリとされました。

長崎駅から快速で諫早に出て、そこから島原鉄道で島原まで行きます。
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1輛のローカル私鉄は青々とした田んぼや海沿いを走っていき、とても車窓の景色がきれいです。
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島原駅の駅長は愛想のない鯉。
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駅でてすぐ島原城が見えたけど、もう夕方だしいっかあ、とパス。
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白玉が甘い蜜にひたってる「かんざらし」で一服して、
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具雑煮とふぐの寿司食って、
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温泉旅館の「望海荘」に投宿して風呂入って寝ました。

【9/6】

この旅行の楽しみの一つが普賢岳を間近で見ることだったのだけど、朝方、旅館の部屋の窓から見えた眉山がほぼ今日の山体験のすべてで、上のほうは一日中雲の中でした。
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眉山は1792年に地震でごっそり山体崩壊し、土砂が海まで届いて津波を起こし、熊本でも千人単位の死者を出し、その名前が「島原大変、肥後迷惑」というひどいネーミング、でもわかりやすい。

出色は、会社の長崎勤務経験者に教えてもらった「小地獄温泉」。
雲仙地獄の近くにある「小」地獄ってことですかね。
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このツインタワーの左が男湯、右が女湯。中はこんな。
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ぬる湯の浴槽でだらだらしました。いいお湯でした。

あとはジオサイトをちょっと見ます。
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棚畑展望台。火山の裾野を利用した段々畑。ジャガイモを作ってるそうです。

早崎海岸。
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島原半島は430万年前、この辺から始まったそうな。

原城は今は何も建物がありませんが、島原天草一揆は潜伏キリシタン史の「スタート」ともいえる場所じゃないですかね。
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遅い昼飯は、島原の唐揚げといえばここ(らしい)「鶏の白石」。
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ぶつ切り唐揚げ定食600円。おいしうございました。

予定していたフェリーより1本早い15:45発の便で熊本に渡りました。
平成新山見たかったがしゃあない。今年は山の巡り合わせがあまりよくないかも。
【天草】に続きます。

2017年08月21日

種子島

年齢的にもう順番が回ってくることもないかな、と思っていた種子島出張(3回目。初回、2回目の前半後半)が土壇場で転がり込んできたので、2泊3日でほいほい行ってきました。
今回は有り難くも空席待ちが実り、夏限定の伊丹→種子島線が利用できました。
出発前、「プロペラ機じゃないの?」と職場のおにいさまに言われ「結構距離あるし、さすがにジェットでしょ~」と笑い飛ばしたらプロペラでした。
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東京では8月に入ってずっと雨でしたが、鹿児島は30度超えのピーカンです。
お仕事はさっくり終了。
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一緒にお仕事をした若者と「終わりましたねえ」と言いながら見た種子島の海、19時。
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星空も素晴らしかったです。

仕事は弊管理人含め3人。夕飯は連れ立って出掛け、地のものを食べました。
1日目の夜、南種子町の「一条」で出てきたショウブ。種子島の夏の味覚だそうです。
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このお店、メニューはなく、3000円のお任せコースだけと聞いて言ったのですが、小鉢6つ、切り干し大根(細くない。輪切り大根)とイカの煮物、すき焼き、このショウブ、締めのうどんとお腹がはちきれるくらいの量が出てきて「本当に3000円で済むの……?」と一同不安がよぎりました。でも3000円でした。やばい、これは。

2日目は「八千代」でナガラメ(トコブシっぽいなと思ったらトコブシらしい)。
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ここは鶏料理も結構推してますね。

弊管理人は生もの嫌いではなかったかと?
嫌いってほどじゃないんです。自分一人だと特に食べないだけで。

* * *

帰りは午前中の高速船で鹿児島市に出て、そこから飛行機。ですが、Uターンラッシュの日に当たったため、チケットとりが非常に難航。新幹線で7時間かけて帰るか……と真剣に検討していたところ、奇跡的に取れたのが20時10分発の鹿児島→成田です。

ちょっと時間があるので天文館「くろいわ」でラーメン。
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とんこつ。あっ好きあっ好き!

鹿児島中央駅の地下でまた「しろくま」食って帰りました。
ちょっと寄ったスポーツクラブで何の気なしに体重計に乗ったら、見慣れない数字を見て引きました。痩せようかな……

* * *

■神崎洋治『人工知能解体新書』SBクリエイティブ, 2017年.

行きの伊丹空港で買って、帰りの鹿児島空港でフィニッシュ。
ディープラーニングの仕組みをざくっと分かっておきたい、と思ったものの、ざっくりすぎて目的を遂げず。
使い方の実例は(若干古いが)多いのはよい。
誤字が多すぎて出版してはいけないレベル。人工知能に校閲してもらえ。

2017年08月14日

盆休み

父、妹、弊管理人のいずれも、そのうち終わりが来ることを相当強く意識し、思い出作りに勤しみ始めたのだと思う。

8月のあたまに古い友人と電話してたとき、この3年ほど定例化している家族旅行をこのように形容したら、たいそう悲しい声になられてしまいました。

んで、この夏は美ケ原。「王ケ頭ホテル」に泊まろう、が目標です。
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天気予報はその日だけよかったのだけど、まあ高原の天気は分からないもので、ビーナスラインはこの通り。幽玄でいいねとは思いますが、結局1泊ほぼまるまる雨と霧で、眺望が醍醐味のホテルなのに眺望はほぼ0でした。

それでもウエルカムドリンクとかいってシャンパンが振る舞われ、ご飯はおいしかったし、星空の見えない星空ツアーから帰ってくると簡単なお茶と蒟蒻の煮物とたくあんが用意されていたりし(お茶に漬物、は長野っぽい)、貸し切り風呂は無料で、弊管理人としてはなかなか楽しみました。
テンションの低い高齢の客らに混じって帰りの送迎バスに乗っていたら、後ろの英語圏カップルがfood was good, people were good, and so relaxing!と言い合っていて、こういう気持ちの持ち方って大事だなと思ったことでした。

標高2000m、気温14度とかで、長袖があってもいいね、という王ケ頭から松本に降りてくると晴天&すごい暑さです。アルプス公園の展望台から眺める松本平はだいぶきれい。
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実はホテルの人に聞いたところでは、王ケ頭のベストシーズンは山の水蒸気がはける晩秋~春先だとのこと。確かに夏山ってぼやーっとしています。
冬か来春あたりリベンジといきたいところなのですけど、妹のメンタルが悪めでメニエール病が車酔いがとつらそうだったので、暫くお預けかもしれません。
松本の「かつ玄」という古民家とんかつ屋で(ものすごく待った上で)わりとおいしいとんかつを昼ご飯に食べたあと、早めに実家に引き揚げたのも妹がもうだいぶダメな感じになっていたため。

実家で一晩寝てから、実家と国交断絶して2年半となる本家へPKOとして弊管理人のみ様子を見に行き、「暑いし簡単でいいから!!」と伝えてあったのにやっぱりごちそうをこしらえて待っていた伯母と話し込みました。祖母はそろそろ弱ってきた感じがする。
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あと、なんかいいとこの大学に受かったな~と何年か前に思ったいとこの子(=伯母の孫)があっちゅう間に就活年次を迎え、地元の新聞社に就職することにしたと聞き、感想を求められたので「おっとりした子は合わない可能性大。3年やって違うなと思ったらさっさと転職すべし」と伝えてきました。
高速バスですいすい帰ってきました。
余った天ぷらやちらし寿司をもらってきていたので、翌朝弁当に詰めて職場で食べました。

休み前に仕事で高齢化を扱ったのも合わさって、「新しい世代が生まれないまま集団が古びていく」ということの深刻さをいつになく感じた帰省でした。そして結構責任も感じる。が、結婚も子どもも「人生の荷物は少ないほどいい」と思う性格に合わなすぎて絶対無理なんで勘弁して下さい。お金で解決するための準備をしてますので。

2017年08月06日

横須賀美術館

誘われれば、あまりに自分の関心とかけ離れていない限り基本、乗ることにしています。
しかし、土曜の夜の機会はあまり心地よいものではなかった。

日曜の朝は若干おなかがしくしくしつつ、でも何か楽しいことがないと週明けが迎えられない気がする、ということでのっそり昼前から出かけてきました。横須賀美術館。
品川から京急に乗る前に、崎陽軒で量の少なそうな「横濱ピラフ」を初めて買って車内で食べたのですけど、セブンイレブンの冷凍ピラフと大差ない味で、これもまたううむという。ま、多分セブンイレブンのピラフが冷凍の域を超えていたのだ、って話なのでしょう。

堀ノ内駅で降りて、京急バスに乗って美術館へ。
途中、走水という海水浴場の脇を通りました。時間があればちょっと降りて歩いてみたかった。
美術館、きれーい。
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建物に入って振り返ると千葉が見えます。
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ちょうど日曜14時はボランティアさんによるガイドツアーがあるということで、参加させていただきました。ボランティアのレディ2人に参加者2人。贅沢。楽しく解説を聞きました。
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なんかニットの巨大な海棲生物たちが。
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横須賀にゆかりのある作家さんの作品を中心に展示されています。
一番気に入ったのは滝波重人の「汽水域」。あとで調べたら東海大の先生だった。
作品はきれいな煮こごりみたいでした(?)
屋上にエレベーターで上がる途中です。美術館の天井と屋上の床の間に変な骨組みが。
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でもって屋上の景色もいい。
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「恋人の聖地」だそうです。弊管理人は一人だけどな。
天気がよくて最高に湿度が高い、このあたりの夏らしい日でした。

2017年07月09日

後志どらいぶ

ちょっとお祝い事があって、珍しく金土の1泊で北海道に行ってきました。

昼過ぎに札幌に到着、札幌駅北口から10秒の「175°DENO」で担々麺をいただきました。
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痺れます。黒ごまじゃなくて、普通ののほうがよかったか。十分満足はしました。

紀伊國屋で、「なまら蝦夷」という旅人宿のオーナーたちが作っているガイドブックの新しいやつが出ているかチェックしましたが、まだでした。惜しい。

ぎらぎらの日差しで暑い中、歩いてすすきのまで行って、昔仕事などでいろいろお世話になったおとーさんに会いに行き、久しぶりにたっぷり喋りました。

宿に行きましょうかね。
今回は街中からちょっと外れた菊水に6月にオープンした「HOTEL POTMUM」。コーヒーの森彦がやってるホテルのドミトリーです。
翌朝の写真ですが、こういう感じの気取った朝食(普通に支払うと1300円と思われる)と、600円以下のドリンクチケットが1枚ついて6600円。
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10日前くらいに来札を決めた時点で、もう空いてる宿が「3000円か7万円」みたいな状態になっており、しかも3000円のドミトリーは門限があるということで、オープンしたばかりでまだあまり宣伝していないこちらを見つけて予約しました。
チェックイン手間取る、調度が洒落てるのはいいがゴミ箱が小さくて翌朝にはゴミが溢れてる、トイレットペーパー切れそう、でもって割高、という、札幌のカフェとかによくある「建て付けと食い物以外のあらゆる点が足りてない」の典型みたいなところでした。まあ開いたばかりだから仕方ないか。
それにしても札幌のホテル事情はすっかり厳しくなったし、緩和の兆しは全くないですね。

夕方ちょっとベッドでごろごろしてから、肉を食いにすすきのへ。
だるまが並んでいたので、近くの「しまだや」にしました。感じのいいおじさんが中に通してくれて、メニューの相談に乗ってくれました。
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ひとりジンギスカン。うまあい。焼けたらニンニク+バターの上に載っけてから食べるロース
もなかなかだったけど、結局気に入ったのは一番安い厚切りのジンギスカンだった。網の直上に煙を吸うダクトがあって服があまり臭くならないのも有り難いです。

賑やかなお祝いは深夜に及び、久しぶりの人たちとも喋って帰って寝ました。

* * *

土曜は小樽でまったり、という選択肢もあり得たのだけど、「たぶん晴れで暑い」という天気予報を目にして、東京出発5分前にレンタカーを予約したのでした。だだ大正解。

札幌で連日30度を超える珍しい(しかし以前ほど珍しくないとの声も聞く)盛夏、高いところに行けば涼しかろう、ということでニセコを目指しました。10時発。
中山峠には止まらず、そのまま喜茂別へ。
羊蹄山は今日もおきれい。でも夏は水蒸気が多いからかちょっとぼやっとする。
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倶知安町の街中まで来て「昼飯食うところないかも」と思ったので、セイコーマートのホットシェフで豚丼買って車内で昼飯にしました。
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結果、これでよかった。セイコマ、今の住居の近くにほしいんだけどな。

山道をどんどん上って、13時前に五色温泉に到着です。海抜750m。父方のばあちゃん家と同じくらいではないか(笑)
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ニセコは鯉川温泉と新見温泉には泊まったことがありますが、五色温泉は来たことがなかったんですよね。新見温泉は食事もお風呂も本当に素晴らしかったのに、閉館してしまったようでとても残念です。
ドラクエ2のデルコンダルを思わせる(←古い)白い砂のイワオヌプリ登山道ですが、登ってる時間はなさそうだし、日焼け対策もちゃんとしてないので入口周辺の遊歩道で植物を見て終わりにしました。
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一番お気に入りのかわいこたんはアカモノ。
振り返ると五色温泉旅館があります。
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日帰り入浴700円。アンヌプリを見ながら入れる露天風呂はお湯も景色も素晴らしかったです。
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涼しい風の吹き抜けるお休み処でゴロゴロさせてもらって、汗が引いたところで空港を目指します。
札幌に住んでたころ、ニセコ周辺は何度も来たのに、不思議と行ってなかったのが京極町の湧き水。
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なんかちょっとどうかと思うけど(笑)そこらじゅう水が流れているので涼しかったし、水もおいしかったです。ソフトクリーム買い食い。濃厚&昇天。

あと、喜茂別を走ってるときに「メロンスムージー」の看板が目に入ったので止まってみました。「畑の食堂あべ屋」というところらしい。赤肉(ルピアレッド)と青肉(ニセコグリーン)のメロンが選べます。なんとなく赤がおいしそうだったので赤をお願いしました。400円。ここの畑で作ってるメロンと、近くの牧場の牛乳だそうです。
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いやこれ、いい。某有名な「サンタのひげ」は「単にソフトクリームとメロンを食ってるだけの食べ物」なのですが、スムージーはちゃんと牛乳とメロンが一つになってるよ。もっと混雑してもいいお店だと思う。
制限速度+5km/hで運転しながらおいしく飲んでました。弊管理人の車を後ろから追い越そうとした車がその瞬間に覆面パトにやられてたのをバックミラー越しに見て震えたりしつつ。

大滝の「きのこ王国」にも立ち寄りました。もう夕方だったので食堂は終わっており、次の機会としました。きのこ激押しなのが印象的でした。
若干早めに千歳に着いたのでアウトレットで時間つぶし。冬用のジャケットが半額なのを見つけましたがサイズが合わず断念。
空港では回転寿司の「函太郎」でつまみ食い。
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生もの食べないがお寿司大好き、という弊管理人は「こぼれイクラ」とかには目もくれず、火の通ったものばかり食べます。あと、しめ鯖もよかった。満足。夜中に帰宅しました。
北海道は春・秋が好きかも。

2017年06月18日

諸国漫遊

東京ジャーミイを見学させていただくため、代々木上原に行きました。
ラマダン中の皆さんには申し訳ないですが、「ミ・チョリパン」でアルゼンチンのサブウェイみたいなサンドイッチをお昼にいただきます。ソーセージを焼いてコッペパンにのっけたのを受け取り、あとは自分でソースや野菜をのっけて挟んで食べます。
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盛り付けの才能が絶望的にないのでアレですが、スパイスの妙を感じるおいしいランチでした。

で、ジャーミイ。土日は14:30から日本語のガイドつきツアーがあります。
30人くらい来てたでしょうか。ガイドのおじさんが「今日は多いなー」とおっしゃってました。
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だいたいこんなお話きいた。

【縁起】
・もともとモスクを建てた人たちは、ロシア革命のときにカザン(今はタタールスタン共和国の首都)あたりにいたが、宗教禁止への反発などから赤軍と戦い、しかしシベリア、中国、朝鮮と敗走してきて、1920年代に1000人ほどが日本に亡命したらしい
・神戸、名古屋など日本各地に散らばり、数百人が富ヶ谷に落ち着いた
・1938年、代々木上原にモスクを建設。施工は神奈川県の宮大工グループ。瓦を使わない建築だったためか老朽化が速く、雨漏りがひどくなり、周辺住民からは倒壊の心配もされるほどだった。1986年に取り壊された
・ロシアから渡ってきた人たちの2世には元祖外タレのロイ・ジェームス(弊管理人は知らなかったが、見学者の一部おばさまは知っていた)がいる。本人は御徒町生まれだが、父親は東京ジャーミイの前身・東京回教寺院のイマームを務めた人物。ユセフ・トルコというプロレスラー、のちレフリーもこのあたりの出身(らしいがこれも弊管理人は知らない人)
・当時居着いた人たちは商売で財産を築いた。スーツの上から羽織るコートの布地である羅紗など。レバノン人の豪商はすぐ近くの大山町に大邸宅を構えた。1ブロック全部1人の家くらいの大きな家。今はユニクロの社長が住んでいる(あとで見に行ったがベラボーだった)
・現在の東京ジャーミィは2000年に再建。基礎は鹿島が作ったが、外壁や内装はすべてトルコから材料を輸入し、トルコ人の職人が作った

【日本のモスク】
・日本にはモスクが80くらいある。北は小樽、南は琉球大学の近くにバラックみたいな粗末な建物まで。留学生が中心になって作ることが多い。東京ジャーミィは東日本最大のモスク。西日本最大は神戸モスク
・東京ジャーミイでの金曜礼拝は最も人が多くて800人くらい集まるが、このあたりは高級住宅地になってしまい、周りに住んでいるムスリムは多くない
・東京では大塚、浅草、御徒町、蒲田などにモスクがある。一軒家をペイントしただけのようなものも

【ラマダン】
・いま、ちょうどラマダンの3週目が終わるところで、あと1週間。日没後にファスティングを終えてみんなで食事を食べる「イフタール」をやっている。無料。300人分の食事を昼から作っている。今年はイスタンブール市庁舎の食堂のシェフに来てもらった
・ラマダンの意義は10個くらいあるが、2つだけ言っておく。(1)水、食べ物のおいしさを思い出し、造物主に感謝する(2)食べ物を満足に食べられない人の気持ちになる
・寄付を集める月でもある。日本をはじめ世界各国のモスクで集まった寄付をトルコに送り、今年はシリア、次の年はソマリア、などといろいろなところに送金する
・ラマダンはファスティングによって心身を浄化する、胃腸を休ませる、感情を鎮める月。戦争をしていてもいったんやめて「ラマダン休戦」に入ったりするが、最近は様相が少し異なる。ISがラマダンを狙って攻撃をしたりとか
・イフタールのスポンサーは個人や企業。例えばこの週末は3日間、トルコ航空がスポンサーになって食事代をまかなうなど
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チューリップはトルコの花なんだって。壺とか壁の模様とかにあしらわれていました。
(おじさんの横に積んである食器はイフタールに使われるのでしょう、多分)

15:30すぎにアザーンが響き渡って午後のお祈りが始まり、礼拝堂の中で見学させてもらいました。マレーシアの国立モスクは礼拝堂は異教徒立ち入り禁止、シンガポールの街中のモスクの礼拝堂は、礼拝しているおじさんが「おいでおいで」してくれましたが遠慮して廊下から見ていたので、一部始終を落ち着いて見たのは初めてです。
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キリスト教と違って信徒のコミュニティがヒエラルキーをなしていないので、大統領も普通の人もボーダー柄の絨毯に立ったら柄に沿って横に並んでお祈りをするのだそう。人種差別された経験に押されてムスリムになったというボクサーのモハメッド・アリの逸話も紹介されました。
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女性は2階席。「ぎっしり詰めてお祈りをするときに、隣に女の人がいたら男は集中できないし、逆もそうだろう。女性を分けるのは差別ではない。お祈りをする機会は確保している」という説明でした。あと、見学者もヘッドスカーフを着けるよう強く要請されていましたね。
このあたりの「区別」、あるいは同性愛の問題を「変わらない宗教」であるイスラムがどう克服していけるか若干心配です。ヨーロッパでは、まさにこの点を右派政党が「リベラルな」立場から攻撃しているわけで、それにどんな反論をするのかはそのうち聞いてみたい。地球惑星科学の知見もうまくコーランと整合させてきた宗教なのでまあ時間をかければ大丈夫なんではないかと思ってますけど。
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ミナレットを登るらせん階段は男性禁制の2階席とも通じていますが、「2階席に入らなければ登っていいよ」とガイドのおじさんに言われてガンガン上がってみたところ、外に出る扉は施錠されてました。残念。そして膝笑う。しかも降りてきてみたら「部外者立ち入り禁止」と書いてあった。あれれれ

そんで、同行者の発案により上野まで(!)行って、「晴晴飯店」というお店に連れていっていただきました。
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3150円で食べ飲み放題、しかも全部おいしい。本当の回鍋肉や担々麺ってこういうものなんだぜ、という「リアル回鍋肉」「リアル担々麺」というメニューがあって感心した。
日没前に酒を喰らい、そして大食の罪まで犯してしまいました。満腹。

そこから歩いて、5月末にリニューアルしたばかりの鶯谷の銭湯「萩の湯」でひとっぷろ浴びて締めくくり。すごくきれいな銭湯(460円!)でびっくり。
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街娼が増えるまち、鶯谷。

大食の罪がたたって、深夜に正露丸を服用しました。

* * *

日曜は昼過ぎにグランドピアノのある練習室に行って1時間弾いてみました。
何かのキャンペーンで半額(1100円→550円/時)になっていて得してしまいました。
音量やキータッチの振動を気にせず弾けるのはストレス解消になります。
終わって出てくると雨。やっと梅雨っぽくなった。

2017年06月11日

6月上旬あれこれ

どたばた。
楽しく遊んでいると日記を書く時間がない。

* * *

1日、久しぶりに京都に出張しました。
在京都の同僚に連れていっていただいた、京大病院近くのカレー「ビィヤント」。
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結構ぴりっとして、さらさらめ。これは職場の近くにあったら通うな。
別れて、出町柳「いせはん」でクリームあんみつ。
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小豆っておいしいな~~と思いました。
そのままもう1食は食えないので、祇園「いづ重」でお寿司をテイクアウト。
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直帰しようと思っていたら、もろもろ準備が必要になり東京に戻って出社。
会社のデスクで食べました。おいしかった。次はいなり寿司を食べたい。
結局、深夜まで仕事して疲れましたが、交代したばかりの同僚がもっと大変な思いをしていそうだったので、これはもうしょうがないかなと。

* * *

3~4日は帰省しました。大型連休に帰れなかったので。
諏訪で父と合流して木曽平沢の漆器祭へ。
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奈良井宿にも足をのばして、五平餅を食って帰宅しました。
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父の実家へ祖母の様子を見に行きました。
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若干弱ってるけど元気そう。祖父が亡くなっても野菜を作っているっぽい。
父は梅を摘んで帰り、砂糖とともに瓶詰めにしてジュースの仕込みをしていました。
母の実家にも顔を出しました。
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伯母のごちそうは健在です。食べきれず、ちょっと折り詰めにしてもらって持ち帰りました。
祖母もまだまだ元気で、杖を2本つきながら歩き回っていました。
日曜の最終の高速バスで帰京し就寝。

* * *

10日、「地下神殿」の異名をとる、春日部市の首都圏外郭放水路を、友人4人と見に行ってきました。
大雨のときに洪水にならないよう、このあたりの川の水をいったんためて、大きな江戸川に流すというもの。
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でかかった。けどサッカー場大のスペースを自由に歩き回れるわけではなく、意外と狭い範囲しか見られませんでした。地下に潜っているのも15~20分くらいです。残りは説明を聞く時間ですが、(係の方は上手だったものの)あちこち重複していて無駄が多いなと感じました。

そのあと、杉戸町の「雅楽の湯」のバイキングで遅い昼飯を食べて、お風呂に入って帰ってきました。充実。

* * *

11日は、スピリチュアル男子の友人と東国3社を回ってきました。
成田まで電車で行って、そこからカーシェア。
鹿島神宮→息栖神社→香取神宮。
鹿島神宮はちょうど「武道の日」てえのに当たったらしく、何か奉納してました。
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参道にいたのは「ぼくでんくん」。
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塚原卜伝。じじいのキャラというのは珍しくないか。
鹿島神宮VISAカードというのもございました。
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年会費5000円とポイントが鹿島神宮に寄付されるそうです。うわー

こちらは息栖神社です。
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茅の輪くぐりは3社すべてにありましたが、なぜかどれもお作法は異なっており、複雑さは香取>鹿島>息栖。
ソニックブームごっことかやりたくなりました。やらないけど。

香取神社は一番豪華でした。千葉在任時代に行ったはずだけど、ほとんど忘れてました。
あとはおまけで、成田空港B滑走路の南端にある「東峰神社」を10年ぶりくらいに見ました。風向が悪く、北側からの進入だったため、上空40mをかすめる飛行機は見られず。
なんか周囲の道は微妙に変わっていた。職質もされませんでした。
東峰の集落もぐるっと回ってみたけど、ちょっと寂しくなったかな。

それでは、ということで、北側からA滑走路に入ってくる飛行機が見られる「さくらの山公園」に行きました。エミレーツのA380が見られました。でけーな。
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売店とかがすごく充実してたけど、昔からこんなんだったっけ?

えっちら戻って軽くサイゼ飲みして別れました。密度が濃かった。ふいー

* * *

生ピアノで練習ができるスタジオに行ってきました。30分550円。お手頃と思うがどうか。
普段と違う道具を使うと変なところに力が入ります。音の高さまで何か違うように感じます。
家にあるのは電子ピアノですが、生ピアノにときどき触る機会があったほうがいいなと思いました。

* * *

ドイツから帰ってきてずっと疲れていたのが限界近くになったらしく、「あ、今日はだめだわ」と分かるくらい体がだるくなったので、火曜日は勝手に休息日にしました。
先週は終電を2回逃がすくらいの仕事量で、恐らく眼精疲労と寝不足で夕方から頭痛がする毎日でしたが、精神状態は先月までとは比べものにならないくらいよい。

2017年05月20日

ボン

1週間、ボンに出張してきました。
最寄りの空港はケルン・ボン空港ですが、日本からの直行便がなく、しかし飛行機の乗り継ぎは保安検査がしちめんどくさいのと荷物ロスの可能性が高まるのでなるべくやりたくない。ということで、どちらも1時間ちょいの列車移動で済むフランクフルトとデュッセルドルフで若干迷い、そして使ったことのなかったデュッセルドルフ便をとってみました。

が、なんかボンの駅だか周辺だかの工事の影響ですごく時間がかかるルートになってしまい、たまたま一緒の便で同じ仕事に向かうことになっていた某先生に、途中のケルンからタクシーに便乗させていただきました。ありがたや。

仕事はアレで、気分は暗いのですが、なんてことない街の景色もきれいだし、食べ物は口に合いました。
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上の写真のような木々がたくさんあって、花が咲いています。花は赤も白もあります。
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これ何の花?と思って誰かに聞こう聞こうと思いながら聞けずに帰ってきてしまった。

通勤はバスでした。
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地域の公共交通機関ってほんとどうしたらいいのか分かりません。しかしとにかくその辺の人に聞いて、1回できちゃえばどこにでも行けますね。バスは乗って運転手さんに行き先を告げ、その場で支払いをして切符を買います。あとは車内の刻印機で使用開始のスタンプを押すと。
電車、地下鉄、バスとも改札がないかわりに、ときどき検札の人が乗ってきて、切符を持ってないと60ユーロだかの罰金を取られるというシステムです。「知らなかった」は基本、通用しないらしく、旅人はちょっと緊張させられますね。日本から同じ仕事で来ていた人もやられたそうで、同僚たちから笑われてました。

ボンは英語が喋れない人(特に褐色の人)は全然ダメだけど、喋れる人は相当いて、バスでも買い物でも、喋れる人に当たれば親切にやり方を教えてもらえました。

北緯50度。夜はいつまでも明るいです。これ午後8時35分。
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仕事で一緒になった方々に、マルクト(マーケット、だろうな)にあるEm Höttche(エム・ヒュットへ)というお店に連れていっていただきました。
Kölsch(ケルシュ)というケルンの地ビールと、白アスパラガス(シュパーゲル)を食べます!
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トマトの大きさに注意。アスパラもトンカツ(シュニッツェル)もでかい。そして、うまい。
アスパラには澄ましバターのソースをかけていただきました。
あとは仕事場でこんなん食ってたくらい。
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チキンブレスト1枚(豪快)と、悪魔みたいなブロッコリー……ええとなんだ、ロマネスコ。実はカリフラワーの仲間だそうですが。

仕事中は青空の清々しい天気。でも室内。
最終日は4時間だけボン観光……と思ったら肌寒い雨降りの日でした。

定番、というか市内の数少ない見所の一つであるボン・ミュンスター寺院。11~13世紀に盛んに作られたロマネスク+ゴシック様式の建物。ところでこれ、戦時中は無事だったの?と思っておじいちゃんスタッフに聞いてみたら、やはり相当壊れたらしく、かなりの部分は1960年代に再建されたものとのことでした。
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中を見学していたら昼のミサの時間に当たり、おじいちゃんスタッフから「他の人の真似してれば大丈夫だから」と促されて参加してしまいました。
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壇上に上がって、歌本?渡されて20分くらい歌います。
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見慣れない楽譜だけど、やってるうちに大体分かった。(R)(L)はそれぞれ右側、左側の列の人が歌うところで、(A)はみんなで歌うのだな、とかそいうことも分かった。でもドイツ語の発音はあやふやだったので、ちっちゃい声で歌ってました。
ここ数年、汎神論よくね?と思っている弊管理人が参加していいのかいなと思いましたが、まあ勧めたのはあちらだということで。

引き揚げていくおじいちゃんスタッフ。
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戦災の話を尋ねたら立ち話が長くなり、そして難民の話になって盛り上がりました(やはり今の関心はそこか)。「シリアやアフリカから100万人来てん。州によっては受け入れないっていうところもあったけど、ここは国際機関があったりしてオープンなとこだからね。でも文盲が多くて言葉や文化を教えるところからやらんとあかん」などと。しかし8000万人の国に1年で100万人のわけわかんない人たちが入ってくるって、考えてみたら大変なことです。「ほんとは英仏に歴史的な責任があるんだけどねえ」

そういえば宿のテレビでBBC見ていたら、フランスで大統領になったマクロンの課題を「難民、テロ、気候変動」と言っていて、ああヨーロッパは遠いなと思いました。

えっとそれで小腹が空いたので、すぐ前の広場でカリーヴルスト立ち食い、確か2.9ユーロ。
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寒いし、広場の郵便局前で楽聖にも会えたので、もういいかなって気になってきました。
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が、もうちょっとだけ頑張ってベートーベンハウスを見学、6ユーロ。
生家なんだそうですが、中の展示は撮影禁止とかケチくさいことを言われて萎える。
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なんか昔、実家に子ども用の伝記があって読んだんですよね。
随分忘れちゃっていましたが、おじいちゃんがケルン選帝侯の宮廷楽長の音楽一家だったとか10代前半から作曲も演奏もやってたとかで、何の根拠もなくたたき上げっぽいイメージ持ってたけど全然違った。演奏が聴けるコーナーとかありました。でもベートーベンはまだあんまり面白いと思えないな。

マルクトは昼間いくと屋台がいっぱい。
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どこも大体イチゴとアスパラ押しでした。
イチゴは一山1.5ユーロとかで、青果は安い。

15時、そんじゃちょっと早めにデュッセルドルフに向かいましょうかね、と思って、ホテルに置いてもらってた荷物を回収してボン中央駅に向かいました。
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ねえ本当に首都だったところの中央駅?というくらいこぢんまりしてます。
30万都市だとこんなもんか。

ホームに上がると、なぜか大混雑。
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事故か何かでダイヤ大幅乱れ。Google Mapsに頼りながらえっちら乗り換えて、結局2時間近くかかってデュッセルドルフに辿り着きました。

* * *

ということで、1年弱、魂を歪めさせられ続けた「どうにも合わない持ち場」の仕事がほぼ終了しました。
前にも書いたとおり「とても勉強になったし、これまでの仕事に対する態度を総点検する機会にもなったと思うが、ここまでのストレスを受けながらやるのは続かない」というのが総括。海外出張いっぱいして、それも自分で思い立っては行かないようなところが多かったのも貴重なことではありました。もう少し違う出会い方をしていたら違った結果になったのでしょう。

やることを全部終えて帰国の途に就きながら感じた「重力ゼロ」みたいな状態、久しぶりでした。
もっとも、次の持ち場でもストレスフルなのでしょうな。

* * *

往復の飛行機で3本、映画を見ちゃいました。珍しい。

・Moonlight(2016年):アカデミー賞作品賞だそうですが、黒人も薬物も同性愛もありきたりな題材。うん、で?とあまり響かなかった。静かに淡々と進んで映像としては見やすかった。

・わたしは、ダニエル・ブレイク(2016年):なんというか、同じ空気を吸い、相対しているのに、相手との間に全く乗り越えが不可能な壁があるという感じ。あるいは形の上では自分も参画しているはずの制度に徹底的に負けるということ。普段なかなか痛感しないが、直面するとはこういうことなのだ、という突きつけ圧が高かった。このタイトルとポスターを見ただけでは映画館にわざわざ見に行くかというと行かない気がするので、ここで出会っておいてよかった。

・沈黙―サイレンス―(2016年):それでいうとこれも徹底的に負けるということを題材にとっているのだけど、最後の最後に「あっそうでもなかったかもしれない!」という閃きが訪れる。それと同時に、そこまでに敗れ去った人たちもすべて単に敗れていたのではなかったことに気付かされる。上の作品と違うのは敵が意外と対話的だということで、それで一段、考える余地が生まれていた。160分、なげえ!と思って見始めたが、この長さは必要だったな。

2017年04月09日

関西、桜づくし

東京でいつもお世話になっている京都出身の知人が、今年の花見を京都でやるというので、土日を利用して大阪、京都に行ってきました。

新大阪から地下鉄、モノレールを乗り継いでニュータウン界隈へ。
去年始まったごく私的な岡本太郎ブームのハイライトというか、万博記念公園に行ってこちらを拝んでまいりました。
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重機と比べるとでかさが分かると思います。
特に見たかったのが裏側の顔で、こちらもやっと見ることができました。
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しばらくすると、内部が公開されることでしょう。

で、もう一つの目的が国立民族学博物館です。
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ソルボンヌでモースについて民族学を勉強した岡本太郎の作品がある公園の中にこれがある、というのは上出来じゃないでしょうか。ちょうど文化人類学の教科書を読んでいるところですから、もうすべての展示を興味深く見ました。
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無料の音声ガイドをお借りして丁寧に聴いていたら、いちばん最初のオセアニアのコーナーを抜けるのに30分くらいかかってしまいました。
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展示は建物の2階だけなのでボリュームは大したことないのかな、と思っていましたが、1時間くらいのろのろ見学したところで館内の案内図を見たらまだ2割くらいしか進んでないことが分かり、絶句。
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南北アメリカ、ヨーロッパあたりで「ひ、広い」と本格的に思い始め、しかしアフリカの日常生活の展示はまた面白く、西アジアはいつか行ってみたい!と思わされ、しかし東南アジアあたりからわりと早足になり、韓国もざっと流し、あっ中国は意外とエスニックで面白いかもと思ったものの、日本はもう飛ばし飛ばしで過ぎてしまいました。
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時間の制約もあるけど、もうかなり疲れていたというのもありましょう。にしても「金物」「木」「竹」「紙」の文化があるなあって視覚的に分かりますね。世界一周した感じがします。

昼飯をとらずに夕方になったので、そのまま難波に出て自由軒で昼飯?にしました。
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どこでお知りになったか、外国の方、ほんと多かった。
お店のおばちゃんも「はいはいセンターテーブルでサイドバイサイドでお願いします」と。
そんでもうちょっと食べられるかしらと思い、「わなか」でたこ焼き。
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あっつ!
深夜にお腹空くかな、もう一食食べることになるかな、と思いつつ、ちょっとお酒を飲みに行って、なんやかやつまんで、結局「夕飯」に当たるものは食べずに寝てしまいました。

翌朝は雨。
阪急で京都に向かいました。西院の喫茶店で朝飯食べて、バスで「原谷苑」に向かいました。
こんなとこ。あまりに鬱蒼とピンクで、死んじゃったかと思いました。
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個人所有のお庭(それもすごいが)で、桜の季節だけ一般公開しているそうです。
60年前からありますが、地元にしか知られていない名所らしく、聞こえてくるのは関西の言葉がほとんどでした。
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お弁当いただきます。(弊管理人のにだけ焼き魚が入ってないという非常に言い出しにくいミスに気づき、泣き寝入りした)
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主催者は「去年は満開のときに来たけど、今年はもうちょっと後やったなー」と悔しがってましたが、十分です。一体どんなものを見たんだ、去年。
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堪能したあと、さらに主催者提案でタクシーに分乗して平野神社。
こっちは染井吉野で満開です。空が見えない。すっげえ。
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全然知らない神社でした。これは地元の人に連れてこられないと分からない。
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神社マニアの知人は「えっ、これ何造りなの?」と。
なんか複数の様式が混ざった変な建築だったようですが、弊管理人には分かりませんでした。
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さらに鞍馬温泉に連れていっていただき、ひとっ風呂あびて市内に戻りました。
ここで夕飯に向かう人たちとさよならして、弊管理人は一人で新福菜館でラーメン。
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今回はチャーハン……と思ったけどラーメンにしてしまいました。
やはりうまかった。
「こだま」で本読みながらのろのろ帰ってきました。
主催者と地元の人たちの力のおかげで、疲れたけど大変幸せな週末でした。
今年の桜は十分すぎるほど楽しみました。ありがたいことです。
週明けが来なければもう100倍幸せなのですけど。

* * *

■岡本亮輔『江戸東京の聖地を歩く』筑摩書房, 2017年.

これ絶対面白いやつ、と思って発売すぐに手に入れました。
でまあ当然のように面白かった。東京に暮らして都合12年、東側にも西側にも住み、ぐるぐる歩いた経験のおかげで「あの場所を一枚剥がすと、そんな歴史があったかー」という驚きとともにページが進みます。

* * *

前後しますが、5日(水曜)に仕事がはけてから、ふらっと上野に行って夜桜を見てきました。
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ライトアップが20時までだそうで、着いたときには終わってしまっていました。
でもなかなか迫力があってよい。
不義理をしていた旧知のお店で一杯飲んで帰ってきました。

2017年03月12日

猿島

「休みに何もしない」をしたくない、という後ろ向きな動機で横須賀の猿島に行ってきました。
京急の快特に乗ると、横須賀中央駅はすぐそこ。
とりあえず昨日、漁が解禁になった湘南しらすを食べました。
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もっとも、生と違って釜揚げは一年中あるそうなので、これは古いやつなのだろう。
でもいい。うまかったから。

猿島はフェリーで10分です。
人がいっぱいの無人島。
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200円のガイドツアーに参加しました。
江戸時代までは神社がある神聖な島とされていてあまり人の行き来はなかったが、明治から終戦までは軍施設として使われたとのことです。浦賀水道の守りとして、横須賀と富津に台場を置いていたのですね。切り通しの中に煉瓦造りの施設や砲台があり、島の外観と中の様子は全然違います。
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ツアーだと、普通は入れない弾薬庫に入れてもらえます。
案内のおじさんはとてもお上手で勉強になるので参加必須だなと。
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砂浜があるため、夏は海水浴に使われるようです。
日陰はまだ涼しいけれど、日向はぽかぽかで、春によく着るパーカでだいたい大丈夫でした。
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陸に戻るとおやつの時間。駅の「魚屋さんの新鮮回転寿司」でつまみ食い程度に食べました。地の魚じゃないんだけど、満足度高かった。
京急の最前列の席に陣取って帰りました。
電車はものを思わずに済むのでいいですね。

* * *

先週、別府で5月にやるアルゲリッチ音楽祭の席を発売日にとった(アクセス集中でサーバーがえらいことになっていて時間がかかった)のですが、結局支払わずに流してしまいました。コンサート当日の直前までドイツでやってる某行事に仕事として行かなければならないのかどうか、はっきりしなかったからです。

もともと「行くかどうかは自分で決めていい」と言われていて、どうせ疲弊するに決まっているので「行かないつもり」と会社には一度伝えたのですが、数日たって「やっぱり行くことを考慮して」と言われてしまいました。「考慮した上で、行きたくない」と答えてみようかと思っていますが、まあ押し切られるだろうな、これは。

2017年01月08日

カーシェア

やや遅ればせながらタイムズでカーシェアリングを始めまして、慣らしを兼ねて命知らずの友人を助手席に、埼玉の「百観音温泉」に行ってきました。
かねて名前は聞いていたものの、久喜市というどこだっけレベルの北方(ツーリングだと東北道に入ってやれやれとひと休みしたくなる蓮田SAよりまだ北)ということもあり、実際訪れるのに数年を要しました。
日が暮れてからの出発、しかも寒い雨の連休中日。景色はありませんがお湯はなかなかでした。首都圏でここまでできればいいでしょう。外のぬる湯で1時間以上喋ってました。

帰りはまたこちらも数年の片思いを経て遂に到達という板橋の「元祖まぐろラーメン」。
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しょうゆスタミナラーメンにしました。魚介の存在感たっぷり、がっつり、満足。
同行友人のノーマルしょうゆも一口もらいましたが、ノーマルには全然違うよさがあった。
油そばや、なんとパスタもあるそうで、また来て試したい。が、あまりついでのない土地でねえ。

行動範囲が広がることを期しての入会でした。
一緒に出かけられるお友達も増えるとよろしいが。

* * *

PCでのツイッターのクライアントは長いことSaezuriを使っていたのですが、いろいろ不具合が出てきて代わりにTweenを入れました。いろいろカスタマイズして、今のところ快調に使っております。

* * *

■吉川徹『現代日本の「社会の心」』有斐閣,2014年.

2016年12月31日

そして伊豆

今年の年末年始休みも伊豆からスタートです。今度は29日から2泊。
城ケ崎海岸、堂ケ島の「堂ケ島食堂」でアジフライ(美味!)と遊歩道、西伊豆スカイライン&達磨山レストハウス、修善寺とまわって、31日はここ寄ってみました。伊豆の国パノラマパーク。
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ロープウェイで葛城山をのぼると、南アルプスから箱根まで見える素晴らしい眺望でした。

沼津に出て、深海魚水族館。天丼食って長野に帰省しました。
本家の伯母のお料理は今年もすごい。
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そんで今年が暮れていきます。

特筆すべきことはほぼない感じ。強いていえば:
・母方の祖母(96)が完全に弊管理人を認識できなくなっていた
・転職した妹が少し元気になっていた様子
・伊豆旅行前、父が「楽しみ」と言っていて歳を感じた

停滞かもしれないし、安定かもしれない。
まあよし、な気はするものの、来年はもうちと頑張って楽しくしないといかん。

2016年11月30日

房総で忘年会

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日曜、月曜に泊まりがけで、20代からアラフィフまで40人参加の忘年会に行ってきました。
この予定を支えにしながら、×ソみたいな出張たちに耐えていました。

貸し切りバスで、アクアラインを通って、館山でご飯食べて、鴨川のホテルへ。
鬼面太鼓が宴会場のステージに。
「コリャコリャ」っていう宴会の代名詞みたいなオノマトペをリアルで初めて聞きました。
絵に描いたような宴会を堪能しました。
風呂に入って、部屋飲みしながら深夜までおしゃべり。
翌日は鴨川シーワールドで半日いそいそとショーを回って、夕方に帰ってきました。

歳をとると筋肉痛が遅れてきますけど、楽しかったっていう実感も遅れてきました。
けさ目が覚めて、じわっと「あ、楽しかった」と思った。

山は越えたものの引き続き仕事はク×なので、次の楽しいことを作らないといかん。

* * *

冬物を預けたままだったクリーニング店が閉店していたことに気付いて3カ月。
ようやくマフラーと、かなりあったかいコートを買いました。
これで冬が迎えられます。

2016年11月23日

マラケシュ(2)

マラケシュさくっと観光2日目。
まずはサーディアン廟に行きます。サアード朝の王様のお墓。

入場料100円。しかし全く意味のない入退管理設備。
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うんお墓お墓。
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次。バイア宮殿。
また意味のない入退管理設備。
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中はとても豪華です。
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19世紀のハレムだそう。
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天井の模様がすごい。偶像が描けないのでパターンなのか。
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そりゃ幾何学も発達するわなとか。
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入場料100円。今年一番価値のある100円だったかも。
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上ばかり見てしまいます。
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では、旧市街の北東に向かいましょう。また地元民が多くなってきます。
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皮なめし職人のエリアです。
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まだ足がついたような剥がしたばかりの皮を洗って、薬品に浸けて、毛を取り除く。
薬品はアンモニアが含まれる鳩の糞から作られてるらしく、すごいにおいでした。
ガイドを買って出たおじさんから「ガスマスクだ」といってミントの葉を渡されました。
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これは羊かな。
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手前にあるマスに、薬品が満たしてある。
なんか街外れにあるのも分かります。階級的な違いはあったのでしょうか?分からない。

で、連れて行かれるファクトリーショップ的なところ。
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小さい肩掛けカバンなら買ってもいいかな、と思って値段を聞くと950ディルハム(=9500円)だと。
ベルベル人と交渉開始。

「高い。無理」
『いくらなら出すんだ』
「100」
『はっ(←笑い)』
「150なら出せるかも」
『いやあ無理だわ』
「じゃあ帰る」
『ちょいまち、200でどう。スチューデントプライスだ』(学生だと思われたのか……)
「いやあぎりぎり170」
『200って相当だよ。200でいいでしょ』
「貧乏なんで」
『200なら持ってるだろう』
「170が上限。お昼が食べれなくなっちゃう」
『いやあさすがになあ』
「じゃあ帰るわ。どうも」
『分かった170でいい』

ということで950→170に負けてもらいました。まあこれでも利益が出るんだろうと思いますが、しかしあまり嬉しそうな顔をしていなかったので、結構頑張ったほうか。相手は200でずいぶん粘ったので、そこが一つの勝負ラインだったのかもしれない。そんなに欲しそうな顔してなかったのが、もう一段の値下げをしてもらう鍵だった気もします。iPadがちょうど入る大きさなので、クラッチバッグのかわりにしよう。

帰りしな、ガイドを買って出たおじさんが険しい顔で「50」とガイド料を要求してきたので、10渡して立ち去りました。支払うまではしつこいが、支払えば額が低くても諦めはいいな。

値札のない世界で値切って買うのは、アトラクションだと思えば楽しい面もあるけど面倒ですね。

中心近くまで戻ってきて、テラス席のあるレストランでお昼にしました。
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適当に入ったところでも、ちゃんとパスタがおいしい。
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建物の高さがだいたいどこも一緒なので、3階のテラス席に座ると街が見渡せます。
場所を変えてお茶。レモンタルトを食べながらだらだらしました。
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帰りはロイヤル・エア・モロッコでパリへ出て、そこから全日空で羽田。
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アトラス山脈がきれいに見えました。さようなら。
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* * *

機内で読み終わったもの。

■鷲田清一『人生はいつもちぐはぐ』角川書店,2016年.

似たような話ばっかで今ひとつ以下でした。

マラケシュ(1)

18日間の出張に行ってました。
場所は北アフリカ・モロッコのマラケシュです。
仕事そのものは大変ストレスフル&勝手が分からず余裕なく過ぎていってしまいましたが、予備日としてとってあった2日間をまるまる街歩きに使えたので、その様子を中心に。

それにしても遠いです。行きは全日空で羽田→フランクフルト、ルフトハンザに乗り換えてフランクフルト→マラケシュ・メナラ空港。ドアtoドアでほぼ24時間かかりました。
写真はルフトの機内食。
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初めて食べたもので、あとで仕事先の人に「ケチなイタリア人が作った餃子みたいなやつ」と言ったら
「それはラビオリというのだwww」と笑われました。

アフリカ。人類の故郷。
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大地の色が全然違う。

仕事場で食べた唯一モロッコらしいもの、クスクス。(←笑ってない)
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まずくはないけど一度でいいか。

泊まっていたところが政令市でいうところの緑区みたいなところだったので(?)、仕事がはけてからの2日間は中央区(?)に行ってきました。
11世紀、ムラービト朝時代に整備された都だそうです。東西2キロ、南北3キロくらいの城壁に囲まれた旧市街は世界文化遺産になっているとのこと。
城壁にはいくつか門があって、南西側の適当な門を入るとこんな感じ。
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中心部から遠いせいか、観光客も少なく、声を掛けられることもありません。
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中央の赤い看板はリヤド=民宿のもの。
ムレイ・エル・ヤジドモスク。マレーシアやシンガポールと違って、当地のモスクは異教徒は原則、入れないようです。
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太陽光発電を入れて、緑のモスクになったそうですww
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アフリカは再生可能エネルギーの導入を進めています。もちろん温室効果ガスの排出削減もありますが、これまで送電網にアクセスできなかった小さなコミュニティにまで電気を行き渡らせる決め手ととらえられています。
あと、看板を見てわかるとおり、外国人との話はフランス語がデフォルトのよう。小学校からフランス語を教えているそうです。英語は日本人の英語くらい。買い物で久しぶりにフランス語を使いました。

道端で売られているのはバナナ、オレンジ、イチジク。
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オレンジは街路樹としてもよく見ます。あとオリーブも。
そういえばステップ気候も初体験かもしんない。
仕事1日目は雨が降って、ジャケットの下にセーターを着てやっと過ごせるくらい寒かったです。
晴れた日中は上着がいらないくらい、日が沈むと上着必須。寒暖の差が激しいです。
マラケシュ観光のハイシーズンは11月からだそうで、確かにこれより暑いときついだろうな。

肉屋は撮ると怒られることが多かったので、こっそり。
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タクシーと建物はどれも同じ色でした。
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タクシーは楽なんだけど、メーターがないんですよね。
ふっかけてんなと思うことも多く、大概は500円とか1000円なので妥協してましたが、最終日に空港に行ったときにはその倍くらい請求されたのでブチ切れて値切りました(多分それでもぼってる価格)。マレーシア旅行の時も書きましたが、ほんとタクシーって嫌いです。

屋台がいっぱい立つフナ広場という名所?をささっと通り過ぎて、スーク(市場)へ迷い込みます。
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バブーシュ(スリッパ)、金物、皮革製品など、専門店が固まって存在します。
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メインの道をちょっと外れると民家が並ぶ迷路。
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肉屋の奥には鳥かごがあって、なんかニワトリを一匹取り出してきたなーと思いながら通り過ぎ、ちょっと行ってから引き返してくると、もう店の前でネコがニワトリの首をもらってました。
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街中、ネコ多かったです。犬はあんまりいなかった。
北の方にいくと、革製品のスークに入ってきます。
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材料も。
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路地を歩いていると、ベン・ユーセフ・マドラサに行き当たります。
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16世紀から1960年代まで使われていた神学校です。
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質素だけど天井、凝りますね。あと結構木を使うんだなあと思いました。
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こういうランプシェードが欲しいのですが、うちには付けられなそうです。
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結構歩いたので、適当なレストランに入りました。
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開放感のある3階のテラスで、鶏のタジンとオレンジジュース。パン含め大変うまかった。800円くらい。
ではぼちぼちホテルを目指しますか。
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路地で見かけた地元っぽいおばさんたちについていったらフナ広場に戻れました。
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狭い道ではロバも活躍します。

ホテルで同僚と落ち合って、仕事先と夕飯を食べに行きました。
The Red House Restaurantというレストランホテル。わりと手頃な値段ですがおいしかったです。
最後にミントティーをいただきました。
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マラケシュって食べ物に外れのないところだとの印象。

夜のフナ広場を見に行きました。遠くからだと分かりにくいですが、すごい人。あと立ち並んだ屋台から煙がもうもうと上がっています。
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こんな屋台がずらっと。
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絞りたてオレンジジュース、だいたい50円。
立ってると小銭をねだる人たちにつきまとわれます。
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おいしかった!
ベルベル人の服のお店で、ものすごく値段交渉するパイセン。
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「組合の団交みたいだった」

帰って寝ました。観光はもう1日。

2016年10月10日

オーストラリア出張

うっかりスキューバダイビングと潜水士の免許を持っていることが会社にばれた関係で、上旬はオーストラリア東海岸の北部に出張していました。
ほぼ仕事ばかりしていたのですが、直接、仕事の内容になることを除いて印象に残ったものを。

前半はグレートバリアリーフにあるリザード島にいました。
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1日2便、6席のセスナがケアンズとの間(240km、片道1時間)を行き来しているだけで、他にこの島に来る手段は、現地で働いている人によると「プライベートボート」のみとのことです。まじ?
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道中もきれいです。

宿泊施設が、国立オーストラリア博物館管轄の海洋生物学の研究拠点と1泊10数万円するリゾートしかない(ただしキャンプサイトはある)ということで、滞在者はみんな院生以上か金持ち、という変な島です。
こちら、その研究拠点Lizard Island Research Stationです。
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景色は素晴らしい。アボリジニが成人のための儀礼を行う島だったのだと、研究施設に住み込みで働いている考古学者の卵が教えてくれました。
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島の中心にあり、東半分を一望できるCook's Lookという359mの山に登りました。
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後半はケアンズをベースに仕事。
ケアンズって確か学生のときに旅行して以来なので、16年ぶりです。「意外と田舎だなー」と思った印象はあるものの、まったく街の様子を覚えていませんでした。
半袖半ズボンで暑くもなく寒くもなく(夜は若干涼しすぎるかな、くらい)、いい気候です。コンパクトで歩きやすいのもいいですね。

おいしかったもの、すべて中心部から徒歩10分以内:

(1)船着き場の奥にあるシーフード、Prawn Star
ボートがそのままレストランになってます。在住10年の方に教えていただきました。
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80ドル(≒6400円。リーズナブルなんであろう)の盛り合わせがこれ。
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同僚と白ワイン飲みながらいただきました。美味美味

(2)Cafe Thailandd
地元の方と、最初はベトナム料理を食べに行こうということで歩いていたのですが、あいていなかったため、えいやで入った同じ並びのお店。
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ビーフサラダ、焼きめし、焼きそば、鶏の唐揚げ、春巻き、海鮮と野菜炒めをシンハビールで。ここは何を食ってもうまかった。4人で飲んで満腹まで食って3000円/人くらい。

(3)上記タイめし屋の隣にあるジェラート屋さん、Gelocchio
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地元の方のおすすめ。観光地なのにうまああい。弊管理人はパッションフルーツ。他の方はピスタチオ(いい香り)、レモン(何かのハーブと合わせてある。酸っぱい!)、名前忘れた現地の果物(この歳まで食べたことない味)。

私物のカメラでとったサンゴ礁は、あまりすごさが伝わらないな。
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でまあ実際、沖縄でもいいかな、と思うくらいでした。もちろん地形の変化も生物の種類もGBRは豊かですけど。
透明度も15-20mで、そんなにいいわけではないです。それはそもそもサンゴが育つのは栄養豊かな暖かい海で、サンゴも動物なのでいろいろ排泄物を出したりするからのよう。これは現地熟練ガイドの方が「ぶっちゃけ実際どうでした?」と切り出したあとに教えてくれたことです。
こちらは今回利用したポートダグラス。
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仕事終わりに、地元のブルワリーでビール飲み比べとかしてしまいました。
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アメリカの資本が開発した街だそうで、こぢんまりしたアメリカって感じ、らしい。
ケアンズは日本企業が結構お金をつっこんだが、最近はだいぶ手を引いてしまったとのこと。

とまあ、なんかすごく楽しそうな日記になってしまいましたが、滞在時間のほとんどはここに書いてない仕事に費やしており、その仕事は体力的に結構きつかったです。
仕事でないと絶対行かない場所に行く貴重な機会でしたし、他部の若い同僚の熱心な仕事ぶりも参考になりましたが、弊管理人にとっては比喩的にも描写的にも「自分の意思とは関係なく、流れに逆らって泳ぐことを強いられる」毎日でした。指も手のひらも切り傷多数で温かいシャワーが痛い。素潜り苦しい(そのあとスキューバをやったらすごい楽だった)。おまけにヘルペス出た。疲れすぎて眩暈がします。海嫌いになりそうだった。

今年は11月いっぱいまでこんな調子が続きそうなのでもう無理ですが、来年からは他人の都合に左右される仕事は可能な限り「決然と断る」を実践していきたいとの思いを何段階も強くしたものです。

2016年09月15日

9月前半まとめ

あっという間に9月が半分過ぎてしまいました……

* * *

上旬、沖縄・石垣島に出張してきました。

石垣島と西表島の間にある「石西礁湖」のサンゴの白化がひどかったです。
ちょっといつもの禁を破って、仕事中に撮った写真を……

舟の上からでも分かる感じ。
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ちょっと潜るとこんな。
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白保のアオサンゴ(外から見ると分かりませんが、肉が青いのでアオサンゴ)は元気そうでした。
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予定外に日焼けしてしまった。
石垣島は6年ぶりですが、中国方面からの観光客がものすごく増えて、ちょっとしたバブルだということです。ホテルもすごく取りにくくなってました。

* * *

5月に、冬のジャケットとマフラー2本とセーターを預けたクリーニング店が
6月末で閉店していたことに
8月末に気付きました。

当然、もぬけのから。

店舗で洗っていた個人営業のお店で、預けるときにお代を払って受け取りにいくだけの店で、電話番号とかの登録はしないので、先方から当然閉店の連絡はなし。

ものすごい大事な服はなかったけど、ううむやられた。
というか、クリーニング店の閉店って生まれて初めて行き当たったかもしれない。

しかも2日に1回くらい通る道にあるんですけど、気付かなかった。
それが一番衝撃的だった。

* * *

■交告尚史他『環境法入門[第3版]』有斐閣,2015年.

経費精算したい。

2016年08月11日

鹿児島2泊(2)

最終日はひとり平和学習ということで、知覧特攻平和館に行ってみました。
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知覧町(現・南九州市)は、仕事上ちょっと関わりのあった、青色LEDの赤崎勇さんの出身地として知っていました。特攻の基地になっていたというのもその繋がりで教えていただいたことです。
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誰がどうして、どこへ何をしに行くことが特攻だったのかほとんど知りませんでしたが、太平洋戦争最終盤の沖縄戦だったのですね。ここは沖縄に最も近い基地の一つだった。隊員は17~32歳ですが、多くは20歳前後と若かったようです。
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館内は撮影禁止でした。遺書や遺品、隊員の写真などが豊富に展示してあります。
遺書はどれも達筆で端正な文章ですが、内容に大差はありません。エリート軍人たちは何のスイッチを切って自殺に向かっていったのでしょうか。自分ならやるかなあ、と思いながら見ていましたが、まあこれは意味のない自問かもしれない。その時代に生まれ直したら、それはもう自分ではないから。
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アクセスのあまりよくない田舎の街にある施設に、年間50万人が訪れるそうです。この数は県内の観光地で2番目に多いとか(1位は聞いたけど忘れた)。でも展示には外国語による解説が全くなかったですね。
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なんだか展示されている対象との連続性よりは、距離ばかりを感じる見学でした。隣の博物館と合わせて予定外に長い3時間近く見て、とても有意義だったけど。

さて、指宿に行きます。鹿児島出身、在東京の友人とLINEをしていて「南のほうに行くなら、流しそうめんを食べにいきなさい」とのお勧めをいただいたため。
桜島と並んで「県内だいたいどこからでも見える」と言われる開聞岳がどんどん近づいてきました。
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特攻隊員は開聞岳にサヨナラして沖縄の海に向かっていったそうです。

唐船峡にある市営の流しそうめんです。
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食券を買って、あいてるテーブルをさがします。14時になっていたのに、まだ随分混んでいました。
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全体は多分この3倍くらいある。すっごい広いです。
席について待っていると、頼んだそうめんと鯉こくが運ばれてきます。
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テーブルの上では、水が高速で反時計回りに回ってます。左利きには辛い方向です(左利き対応の機械も実はどこかにあったらしい)。箸を突き立てれば勝手にひっかかってくれることが分かり、残さずいただきました。

なかなかどうして、結構おいしかったです。水はちゃんと冷たいし、ちょと甘めのつゆも葱とよく合って好みでした。鯉こくは味噌汁みたいで不思議だなあ、弊管理人の地元の鯉こくは甘辛く煮たやつなんだけど、と思っていたら、味噌仕立てのほうが正統だったよう。長野のあれは本当はなんだったのだろう。(※→追記:「うま煮」だった)
意外な満足感とともに会場を後にしました。

指宿からまた北上して鹿児島市より北の空港に向かう時間を考えると、あと1カ所ですね。
砂風呂も考えましたが、ちょっと時間を食いそうなので、普通の露天風呂に寄ることにしました。
「たまて箱温泉」。
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中はそれなりに人がいて写真が撮れませんでした。でも目の前全部海、の絶景でした。
日差しの強い日でしたが、ちゃんと日よけがあって有り難かったです。
これは来る価値ありました。スバラシイ。

そのあと2時間くらいかけてひたすら北上、空港近くの「ざぼん」でラーメン食ってシメにしました。
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うーん最後までとんかつ以外の外れがなかった。
お世話になりました。いいところだー、鹿児島。

おしまいっと。

2016年08月10日

鹿児島2泊(1)

仕事が落ち着かないせい、という言い訳をしつつ、夏休みの予定を決めないまま夏休みに入ってしまい、初日を使って計画を立てたのが鹿児島です。
避暑なら、緯度を上げるか高度を上げるかです。
東北の震災被災地の様子を見に行くか、九州のジオパークを見に行くかで少し迷ったのですが、新幹線よりもジェットスターのチケットのほうが安かったので、ジオパークを取ってしまいました。

【1日目】

夕方前くらいに着く飛行機で鹿児島着。
すぐにレンタカーを借りて霧島に向かいます。
レンタカーは6月に行った沖縄の時と同じスカイレンタカー。軽を予約しておいたら事故ったとかで、お値段そのままで普通車になりました。いや、燃費悪い車にするなら値引きしようよ。

日中33度とかの南国ですが、霧島はだいぶマシです。
たまたま開館時間を延長していた霧島アートの森をざっと見ました。
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草間彌生の「シャングリラの華」って、周りの様子をあまりフレームに入れないで撮られている写真を見ていたため全然印象が違いましたが、敷地入口のロータリーでした。わわー
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時間が遅めだったので屋外部分だけ見ました。アルテピアッツァ美唄みたいな雰囲気でした。草間彌生の印象が強すぎて作品がいっぱいあるのかと勝手に勘違いしていたものの、草間作品は二つだけでした。

夕飯は霧島温泉街で目に付いた「わきもと」という焼肉屋さんで「新燃丼」。
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チーズは溶岩でしょうかね。おいしかったです。それより夕飯の時間帯に一人で来て丼だけ食って帰る弊管理人を快く入れてくれたお店に好印象でした。

お宿は、じゃらんで調べて宿のHPから取った(そのほうが安い)「霧島国際ホテル」。
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眺望はないけど安い部屋、というプランを申し込みましたが、見晴らしのいい側の部屋が空いてたというのでそちらに代えていただきました。確かに眺めは良好(写真は翌朝)。桜島も見えます。
白濁の露天風呂も相当いいお湯でした。朝飯バイキングがついて7000円ちょっとは有り難い。

【2日目】

ハイキングに行きます。
朝飯はしっかり……食べ過ぎた。
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コースはこんな感じ(下敷きにした画像は、霧島ジオパークのコースブックからお借りしました)
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大浪池の登山口にある駐車場(10台くらいしか止められない)に車を置いて、駐車場脇のバス停から8:50の霧島連山周遊バスで「えびの高原」まで行き、韓国岳~大浪池を一筆書きして車のところに帰ってくる、というコースです。最初は「えびの高原」の駐車場に車を置いて韓国岳往復だけでいいかなーと思っていたところ、ちょうどいい時間にバスがあることに気付きました。ラッキーでした。

最初はゆるゆるっと始まります。
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そのあとやや急な道が5合目くらいまで続きます。
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手前の白っぽい山が硫黄山、右のプリンみたいのが甑(こしき)山だと思う。どんどん見晴らしがよくなっていきます。
足元は赤かったりする。
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韓国岳は1700mの山ですが、バス停との高低差が500mしかないのですいすい登れます。
1時間ちょっとで頂上に到着。新燃岳と、その奥の高千穂峰が見えます。
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振り返ると火口です。写真の真ん中へん、噴火によって火口の一部が崩壊しているので、下から見ると山が二つあるように見えます。すっごい高くて怖いです。
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長野出身の弊管理人は山脈ばかり見て育ったせいか、プリンみたいな火山を見ると「山っぽい!」っつって(?)テンション上がります。

ほんじゃ大浪池に向かいますよ。
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道が整備されていて、ほとんどが階段です。下りばかりで足ガックガク。
そんでまた上り、火口のへりに立って池を見ると、森と水の青のコントラストが際立ちます。
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反対側も眺めよし。桜島もうっすら見えます。
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車を置いた駐車場に戻ると13時過ぎでした。意外と早かったですね。
「旅行人山荘」で立ち寄り入浴、500円。12~15時のみ開放とのこと。
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誰もいなかったので一枚失礼しました。館内落ち着いていて、泊まりも利用してみたいと思いました。

さて、15時が近くなってきました。どっかに宿をとって休んじゃってもいい。けど、桜島に行けなくもない。
……桜島を目指すことにしました。

いつも見てるのはこういうシルエットみたいな桜島ですが、
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「湯之平展望所」から見るとぐっと荒々しいです。
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振り返ると鹿児島市内。
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溶岩がどぅるーって広がった感じが分かりますね。
閉まりかけの道の駅で「小みかんソフト」いただいて終了気分。
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やっぱり便利もあるし、対岸の鹿児島市で投宿しましょうと決めました。
陸路回り込むと80kmくらいありますが、カーフェリーならすぐそこ。そんでお値段も安く、車と運転手込みで1000円ちょいだった気がします。
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車を運転してフェリーに乗ったの、初めてかもしんない。

天文館の近くのビジネスホテルに車を置いて、「黒かつ亭」にご飯を食べに行きました。
なんか期待したほどではなかったので、写真はなし。
白熊は正義。
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弊管理人の顔認識ニューロンはこれを顔とは認識できませんでした。

ねる。

つづく。

2016年07月18日

明日館

目白駅から7分ほど歩いたところにある、自由学園明日館の見学に行ってきました。
ガイドツアーに参加させてもらい、いろいろ聞いてきたので、メモを。
(※細部間違っているかもしれません。ご容赦かご指摘下さい)

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新聞記者出身で「家庭之友」(のち「婦人之友」)を創刊した羽仁吉一・もと子夫妻(もと子さんは初の女性新聞記者らしい)が女学校として1921年に設立したのが自由学園です。生徒には活動的な女性になるよう、着物ではなく動きやすい洋服の着用を求めたそう。その後、学園は小学校も始めるなどして手狭になったため、13年後の1934年に東久留米市へ移転しています。

校舎の設計は夫妻の友人の建築家・後藤新と、その師匠で帝国ホテルの設計のため来日していたフランク・ロイド・ライトです。夫妻から、詰め込み教育ではなく、学校生活がそのまま教育になるような私立学校を作りたいとの構想を聞かされて共鳴し、多忙のなか校舎の設計を引き受けました。

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現在、日本に残っているライトの四つの建築のうち一つがこの校舎。移転後は卒業生のさまざまな活動に使われてきたそうです。ドイツ・バウハウスの講師だったヨハネス・イッテンによる美術・デザイン学校「イッテン・シューレ」などに学んだ女性たちによる「工芸研究所」もここに置かれました。

建物は関東大震災も戦争もくぐり抜けましたが、老朽化が激しくなりました。一時は学園の経営のために売り払おうかという話も出かけましたが、卒業生や建築家らが保存運動を展開。1997年に残すことが決定され、重要文化財の指定を受けました。オリジナルをどう生かすか、調査などを経て2001年に国や都などのお金計8億円をかけた修復事業が完了しました。

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こちらは食堂。ライトの設計の特徴の一つが幾何学的な装飾だとされています。シカゴでルイス・サリヴァンらの事務所にいたとき、フリーハンドの天才とされたサリヴァンにはいつまでたっても追いつけないと悟り、「自分は定規とコンパスでデザインをする」と決めたとのこと。

もう一つは、軒高を低く抑えて水平に広く展開した「プレーリーハウス(草原様式)」で、実際に敷地に立ってみると、そのコンパクトさと、意外な軽やかさに気付きます。入口の扉を隔てた中と外で床の高さも材質も同じです。しかし、乾燥した米国中部と違って湿気とシロアリの出る日本にこの様式を適用したため、建物の傷みを促す一因となってしまったとのことです。今は下にアスファルトを敷いたり、防虫剤を床材に塗ったりして対策しているそうです。

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教室にはもともと照明はなかったそうです。現代とは明るさの感覚が違ったのでしょうか。
造りは骨組みではなく壁で屋根を支える「バルーンフレーム」という、現在のツーバイフォーの先祖に当たるような方式。中は木と漆喰の質素な印象です。

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毎朝の礼拝が行われていたホールは、入ると頭上にロフトの床が大きくせり出していて、圧迫感があります。大きな窓も全体を見ることができません。しかし、

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窓のほうへ歩み出ると、それまでの圧迫感の反動のように、俄然その空間が大きく感じられます。これはライトが他の建物にも使う方法なのだそうです。

振り返ると暖炉があります。これは団欒を重んじたライトのこだわりでもあったようですが、木造の重要文化財で火をたくのは容易ではないようです。
火をたいてもいい場合がいくつかあります。(1)寺の中で使うような宗教の火である(2)人が住んでいる建物で日常使わなければならない火である(3)申請しチェックを受けた上での使用である―の三つがあり、ここでは(3)として、冬期の夜間見学や、ここで結婚式を挙げた人たちを招いて開くクリスマスディナーの際に使っているそうです。

ここは建物を会議や会食、式典などに使いながら文化的価値を保とうとする「動態保存」を行っています。今日もある部屋で、なんと卒業生である107歳の女性の誕生会をやっていました。

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そういえば、銅板の軽い屋根ですが、何やら瓦ぶきみたいな模様というか形をしているのに気付きました。説明をして下さった館長さんに聞いてみましたが、「よく聞かれるが、なぜなのか、ここだけの特徴か分からない」とおっしゃっていました。

もう一つ、部屋のドアノブが結構高いところにあります。アメリカ人の体のサイズに合わせたのかと思いましたが、ライトが担当した部分よりも、遠藤が作ったところのほうがなお高いそうで、これも理由はよくわからないとのことでした。

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バルコニーからホールを見下ろしたところです。見学は500円ですが、100円足すとコーヒーまたは紅茶と、クッキーかケーキがつきます。おいしくいただいて辞しました。

なお、道をはさんだところにある講堂は耐震補強中で見られませんでした。建てたときは5カ月という速さで普請したものの、壁の補強をするところが壁面がほとんど窓になっており、ほぼ解体しつつ補強することになったため、2年半の工期を見込んでいるとのことです。秋に補強中の講堂を公開するそうなので、もし覚えていたら見に行ってみようと思います。

遠藤はライトに「息子」と呼ばれるほど大切にされた弟子で、一生ライト風の建築からは離れなかったそうです。一方、土浦やレーモンドのようにコルビュジエに接近していった弟子もいたのだとか。折しもコルビュジエが設計した国立西洋美術館などが世界文化遺産になることが決まり、あえてのライト(笑)を見に行く形になってしまいました。

* * *

そのまま池袋まで歩いて、ロサ会館に入ってる「チェック」でオムライスを食べました。
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大学2、3年の時にこの辺に住んでいて、その時以来なので18年ぶりくらいだと思う。
紙ナプキンにおじさんの顔が描いてあるのも当時からだった気がする。
おじさんも大分古くなってるけどたぶんこの人だったはず。
完成された味でおいしいです。今900円だけど当時いくらだったかなあ。
悶々としていた学生時代が蘇ってきて、くらくらしました。
ずっと来ることのなかった池袋西口の駅前は、抱いていた印象の70%くらいの大きさでした。

* * *

で、さらに歩いて当時住んでいた家を見に行ってしまいました。
毎月家賃を渡していたおばさんがちょうど外にいたので話しかけてしまい、話し声を聞いて出てきた娘さんともどもに怪しまれました(そりゃそうだ)が、大学名と時期を言うと、なんとなくそんな学生がいたということを思い出されたようでした。

何百回と通った路地を歩きながら、いやもう、当時はまったく想像しなかったような10数年を過ごしてしまったと思った次第です。しかし次の瞬間、それは当時から将来のことを考えていなかったからだろうと思い直しました。

2016年06月27日

久高島など

マイル消化で沖縄に行ってきました。
土曜の昼に出て、月曜の昼に帰ってくるという非効率な日程。

まあいいや。
土曜の夕飯は県庁前近くの「古都里」です。
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3点盛りはヘチマ、パパイヤ、セロリです。横のお皿はチーズののっかったオムレツみたいなやつ。これにシークヮーサーハイを頼んで生き返ったっす。
宿は牧志駅の近くにある、まんまワンルームマンションみたいなところ。
近くで、一晩だけ咲いて朝には花が落ちてしまうサガリバナも見られました。
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6月最終週なら梅雨は明けてるでしょう。
予約時にそう思った通り、梅雨は明けてました。
しかし、天気予報は雨。
日曜はスクーター借りて歩こうと思っていましたが、朝になって急遽レンタカーに切り替えました。
「トラベルレンタカー」という業者さんで、当日朝の予約で、軽、満タン返し不要、保険つきで3200円。何。

南城市の沖合5キロにある「久高島」に行くことにしました。
その理由は、この本。

■岡本太郎『沖縄文化論』中央公論新社,2013年.

1959年、沖縄各地を歩いた紀行文で、琉球の創世神アマミキヨが降り立ったという聖地・久高島のくだりも出てきます。付録として、1966年に行われた「イザイホー」という祭りを見るために再訪したときの記録も収録されています。民族学徒としての岡本太郎が炸裂してる、読むに値する本だと思います。

安座真という港から11:30発の高速フェリーで15分です。片道760円。
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出航した途端にスコールきました。
久高島に着くと、横殴りに。

もうこの調子だと観光はできないなと、13:00に島を発つ船の切符を買ってからレストラン「とくじん」にはいりました。一つぐらい思い出を作りますかね、ということでイラブー(ウミヘビ)汁の定食2000円!!を頼みました。

      すっごい待つ。

途中で船の時間を15:00に変更してきました。
で、45分待って出てきたのがこれ。
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持ってきてくれたおねーさんが耳元で「皮と骨も食べられますからね」と囁いた。いや、囁いたのではなくて、単に声が小さいだけだと思う。なんか声の小さい人多い、沖縄。弊管理人の耳が悪いのか。
もう完全に中身が入ったままぶつ切りにしたヘビですけど(ただし燻製にしたものを煮て戻してある)、味は珍味ではなく、サンマ缶みたい。皮はびろっとしていて生き物を食べてる感じはします。滋養がすごくて、食べてるそばから体が負けそうになっていました。
イラブーも結構なインパクトでしたが、一緒についてきた昆布の煮物、刻んだ葉っぱ(なんだっけ)と魚の和え物、ジーマミー豆腐、どれもおいしかったです。

レストランにいた1時間で、雨はすっかり上がりました。
今だ!っつうことで自転車を借りて(1時間半だと450円)島を回りますよ。
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浜はきれい。
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この奥に霊地クボーウタキがあるとかで、立ち入り禁止の札がついている。
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沖縄の猫ってなんか精悍だと思った。
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多分これがイザイホーをやってたところ、のはず。自信ないけど。
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その横っちょにあった家。
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結局、蒸し暑かったものの雨には降られませんでした。
港に戻ってきて、売店でぜんざい食べました。
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本島に戻って、お茶することにしました。
「くるくま」という有名なカフェに行ってみましたが、特に印象なし。
前に行った「八風畑」が閉店してしまっていたようで、残念。

またしてもスコールにあいつつ、宜野湾に行って「メキシコ」でタコス食べました。
4つで500円+ペプシ。皮がやわらかいです。めちゃうまかった。
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夜、だめ押しで「丸安そば」の沖縄そば。特に期待してなかったけど意外に満足。
弊管理人は太麺だととりあえず合格点を付けるようです。
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帰って寝ました。

翌日は朝、空港でA&W食って飛行機にのって帰りました。
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で、そのまま仕事。

* * *

仕事は相変わらず慣れず、結構詰め込んで勉強しています。
毎日どっぷり疲れて帰ります。ただ、涼しい夜が多いので比較的休めてはいる感じ。

2016年06月06日

スウェーデン再び(2)

最終日、5時間ほど間ができたので、バスに乗って北方博物館に行ってきました。
仕事先から、さまざまな博物館がタダで見られるパスをもらっていたので。

道すがら、トラックの荷台に載ったお子様たちが音楽かけながらわーわー騒いでいました。
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高校生が卒業式のあと、ビール飲んでこうやって練り歩くんだそうです。
「やめさせてえんだけど」と市役所の人、苦笑。

さて、スウェーデンの500年分を見せちゃうよ、という博物館。
1907年オープン。ネオ・ルネサンスの重厚な建物です。
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入るとすぐに目に飛び込んでくるのが、グスタフ・ヴァーサ王(位1523-1560)の像。
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横から見たら片桐はいり。でもデンマークからの独立を果たしたヒーローらしいです。
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ちなみにこの人、現行1000クローナ紙幣になってますが、6月30日をもって新デザインのハマーショルドに取って代わられるそうです。
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こういう看板もgoogle翻訳で読めちゃう世の中って便利。携帯端末を持たずにオーストラリア半周とかしてた大学時代、一体どうやって動き回っていたのか思い出せない。

閑話休題。9世紀くらいからヴァイキングがいろんなところに出掛けていって(でも出掛けてた人たちは人口の1%程度で、ほとんどは農民だったとのこと)、17世紀までにどんどん版図を拡大。でも18世紀になるとロシアに負けだして、19世紀にはもう国内のことに集中することにした。第1次、第2次大戦では中立を維持したことで、戦災を被ることもなく産業を伸ばすことができたとのことです。

館内では、調度、食、装いなど、あらゆる面から生活の歴史を紹介しています。
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どこの民族もそうだけど、この人たちは特にデコってる気がする。
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先住民のサーミについても、かなり大きな展示がありました。
ウプサラにracial biologyの研究所が設立され、国主導で人種主義に基づき、頭の大きさなどさまざまな計測がされたことをサーミの側から告発するビデオも流されています。こういう黒歴史がちゃんと首都で見られることは大きいと思う。

食のコーナーでは、コーヒーがフィーチャーされていました。
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仕事ではいっぱいミーティングがあったのですが、どこに行っても「まずコーヒー」という雰囲気でした。現地をよく知っている人に聞いても、確かにすごくコーヒーを消費する人たちらしい。パーティもコーヒーとビスケットで、という展示が上記写真ですが、その歴史は意外に浅く、20世紀初頭くらいからだということです。
街中にもコーヒーショップがいっぱいありましたが、仕事で飲み過ぎたのであえて買って飲む機会がありませんでした。

受付で音声ガイドがタダで借りられます。
結構な説明量で、途中から飛ばし気味に見ましたが、たっぷり3時間。

午後3時になったランチは博物館内のレストランで。
イワシのマリネ、冷たいニンニクと香草のソースを試しました。
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臭くて酸っぱくて塩分きつめでした。
(その反動で、夜はグリーンカレーにしちゃった)

隣にあるスカンセンという野外博物館も駆け足で見学。
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古き良き時代の建造物を集めた「江戸東京たてもの園」みたいなところです。
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でも、どっちかというと弊管理人は動物園として楽しみました。
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* * *

あと、スウェーデンの人たちはほんとに英語がよくできます。
前の滞在の時にも誰かに聞いた気がしますが、昔はテレビで自前の番組があんまりなくて、英語のドラマや映画を字幕なしで流していて、そういうのを見てみんな英語を習得したのだということでした。まじか。それから、スウェーデン語はもともと英語と結構似てるというのもあるそうです。確かにアナウンスなんかを聞いていると、朝鮮語の中に日本語っぽい言葉が聞こえる程度には英語っぽい言葉が聞こえます。

いずれにしても、自国の人以外はスウェーデン語を喋ってなどくれないので、自分で”世界語”をできるようにするしかない、という事情もあるのでしょう。結果、ずいぶん世界が広がってるように見えます。

* * *

現地のホテルは、ご招待下さった元が用意してくれていて、それが多分結構いいところでした。
各国の同業者が集まる機会だったのですが、弊管理人だけは本来の予定にちょっとミーティングを追加したので滞在を1日延ばしました。

折角ならということで、その延泊分は自分で宿を探してみようと思って見つけたのが、中央駅からわりと近いのにリーズナブルだったColonial Hotelというところ。

9000円以上するお部屋がこちらになりますw
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2人用のホステルを1人で使う感じです。バス・トイレは共用。
ストックホルムのホテルの高さは異常です。「中心部のまともな部屋で2万円以下っていうのはありませんね」と半笑いで大使館の人が言っていたのは本当だった。
でも、窓からは向かいのアパートが丸見え(カーテン閉めない人ばかり)で面白かったです。
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ベランダにテーブルセットを置いてる家が多くて、よく人が出てくる。
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朝飯の部屋では、あんましお金持ちじゃない層の白人、というのも見られました。
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メシそのものは結構よかったです。前日まで泊まっていたホテルは、この基本線にパンケーキとかオーガニック野菜とかの余計なものが加わった感じ。やっぱり卵はみんな食べたいのね。

* * *

福祉国家としてのスウェーデンを見る機会はほとんどありませんでした。
国が面倒見てくれると思うと、勤労意欲はどうなんすかねと聞いてみましたが、「働かないと年金も出ないので、みんな結局わりとちゃんと働く」とのことでした。所得の2/3は税金と社会保障費に持って行かれるものの、いっぱい稼ぐとそれなりに老後のリターンがあるというシステムだそうです。
ただ、「仕事が残ってても時間になると帰っちゃう文化だと、いくら効率的にやるといっても、できる仕事量には限りがありますよね」とも。

道端に座ってる人も結構いました。
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* * *

■高岡望『日本はスウェーデンになるべきか』PHP研究所,2011年.

行きの飛行機で読んだ。さっと読めすぎて、大半の時間はメール書いたり資料読んだりしてました。
外交官(のちょっと高めな視点)から見たスウェーデン。今回の仕事には直接関係なかったものの、歴史、気質、社会保障の仕組みなど参考になりました。

■池内恵『サイクス=ピコ協定 百年の呪縛』新潮社,2016年.
■ジョイス,J.(バラエティ・アートワークス画)『ユリシーズ まんがで読破』イースト・プレス,2009年.

こちらは帰りの飛行機。
これもさっと読み終わってしまいました。

そういえば、スカンジナビア航空のメシはそこそこよかったです。

* * *

で、時差ぼけによって2時に目が覚め、この時間↓にこれ書いた次第。

2016年06月05日

スウェーデン再び(1)

2012年に「多分もう行かない」と締めくくったストックホルムとその周辺に、また仕事で数日滞在することになってしまいました。ギチギチの日程だったので、ここに書ける仕事以外の部分があまりありません。

ある日の仕事がはけた後に、15この橋をくぐりながらストックホルムを眺める2時間のボートツアーに参加しました。日本語でスウェーデンの歴史や風土の解説が聞けるのがよかったです。

前回は一日中暗くて寒い冬でしたが、今回は夏。
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18時発の最終便にして、これ。夕暮れが来る気配がない。
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すげえ眩しいです。外を歩く仕事が多かったこともあり、日本に帰ってきたら顔が日焼けしてました。
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バルト海からメーラレン湖に入るところ。いったん水門を閉めて、水位を湖面まで上げて出ます。
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ここぞとばかりに日光を浴びる人たち。UVケアとかそういうのないの?
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スウェーデンは島の数3万。レジャー用ボートは70万もあって世界一だと言ってました。
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2004年のオリンピック開催地に手を挙げて、そのとき選手村になるはずだった住宅街Hammarby Sjöstad。
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工業地帯を頑張って土壌浄化したとのこと。太陽光パネルやカーシェアなどを導入したエコな街だが、住居費は結構高いらしい。
20時半になるとさすがに夕日っぽくなってきますが、23時くらいまで日暮れが来ません。北緯59度の威力はすごい。
早寝早起きしていたので夜は見ませんでした。これだけ夏に一日中明るかったら冬はアレでも仕方ないわな。

* * *

食べたもの、あれこれ。
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Mäster Andersというレストランに連れて行っていただき、鱈。
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ついてる白い壺はヨーグルトでした。ものを酸っぱくして食べますね、ここの人たち。
現地の食べ物に入れ込んでいるわけではないので、一人の時は大体フードコートやテイクアウェイのお店でアジアの料理を食べてました。野菜も食えるし。
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これで1000円くらいです。何食っても高い、という感覚は前回と同じ。
あと、MAXというご当地バーガー。マクドナルドが上陸するより前からあるらしい。
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タッチパネルでメニューを選んで、クレジットカードで決済します。別に窓口で頼めば、って気もしますが……

「ほら、うちってハイテクの国じゃん?」っていうフレーズを滞在中、何度か聞きました。
電話メーカーのエリクソンはスウェーデンの会社です。1900年代初頭、電話の数がイギリスより多かったとのお話も。その辺が誇りのようです。

「19世紀のスウェーデンは、貧しい国でした」というのもよく聞きました。
暮らしが厳しくて移民が続いた。これじゃいかん、ということで民主化を進めて、普通選挙入れて、工業頑張って、福祉国家にして、「んで今の豊かな生活があるのです」という、何か成り上がり社長のサクセスストーリーみたいな筋書きがよいのでしょうか。

ちなみにハンバーガー屋のレシート。
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「100%カーボンオフセットです」と書いてあります。製造過程で出る温室効果ガスを、アフリカで植林してチャラにしているということ。
アーランダ空港から市内に出る急行列車では「空港往復はこれが最も環境に優しい手段です」とアナウンスがありますし、市内を走っているバスには「バイオガスで走ってます」とペイントしてある。やたら環境環境言います。今はまあそういうのがトレンドだとしても、あえてこれはなぜかと某詳しい人に聞いてみると
(1)林業が大きい国なので、酸性雨の問題があったときに身にしみた
(2)もともと自然の中で暮らしてる人たちだから
という理由を挙げてくれました。

旅の中でときどき聞いたフレーズに「まあちっちゃい国ですから」というのがあります。人口900万人は北欧では大きいが、確かに人口規模としては東北地方まるごとで、ストックホルムの90万人はだいたい仙台くらいと思うと、小さいというのも分かる。
こういう国だから「エコを国是にするぞー」とかいう時の取り回しのしやすさがあるのかも、と推測しました。石油産業がない(輸入したものの精製くらいしかしてない)というのも理由かもしれない。でもボルボやサーブみたいな車のメーカーや、鉄鋼とかのエコアンフレンドリー産業(?)もあるんだけど、こっちは大丈夫なのかどうか。

あと今、左派の連立政権なのもあるかな、とも思ったのですが、環境政策に関しては極右の1党を除いてだいたい合意ができるそうなので、これはそんなに大きくなさそうです。電力の4割をまかなっている原発に関しては多少の濃淡があるようでした(あとは水力が大きくて、他の再エネなどがちょぼちょぼ)。現政権は「長期的に見ると持続可能とはいえない」というスタンスで、いずれ再生可能エネルギーに置き換えていきたいと思っているようです。

* * *

ABBAと、スウェーデンのポップ音楽を扱った博物館。
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ABBAって弊管理人はよく知らなかったのですが、曲を聴いたら知ってるのばっかりでした。
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映像合成でステージで一緒に歌える展示とか、凝ってて面白かったのですが、それより1920年代から2010年代までの世相と音楽を辿るコーナーが勉強になりました。

ラジオで音楽を放送するということがまだあまりなかった1920年代初頭は、ダンスサロン(踊れるレストラン)と、アメリカから訪れるポップスやジャズのバンドが人々の欲求を満たしていた。
1930年代になると、ファシズムや人種差別はスウェーデンにも波及。そうした歌詞も現れる。

1940年代、第2次大戦でスウェーデンは中立を貫いた(そしてそれはかなり批判された)。ものがなかった。音楽の選択肢もなかった。といってアメリカの音楽にも飽き足らず、スウェーデン・ジャズが勃興した。テレビの導入はどんな制度でやるかが議論になり、政府がテレビの放映を許可したのは1956年になってから。

1950年代、「ベビーブーマー」という言葉が生まれた。ロック、プレスリーの上陸(何事につけ遅い)。社会との軋轢。

1960年代、暗い時代。ヘミングウェイ自殺、ベルリンの壁、キューバ危機、そしてスウェーデン出身の国連事務総長ハマーショルドの事故死。でも音楽ではビートルズ!世界的ブレイクの前に来ていて、テレビの音楽番組に出て受けていたそう。あと、スウェーデン・ジャズも盛り上がっていた(そうなんだー)。

1970年代、やっと二つ目のTVチャンネル出来。すっごく左翼だったらしい。この時代には"progg"という音楽が生まれた。プログレとは関係なく、フォーク+ロックみたいなもので、歌詞は多分に政治的だったという。ABBAは1972年に結成、2年後のユーロビジョンで勝利。同じ服装でみんなで踊る「ダンスバンド・カルチャー」というのができた(竹の子族みたいなやつか)。

1980年代、シンセサイザーがproggを掃討。ロックにおける「ロッカー」に対応する"Synthare"の綴りについて言語学者が侃々諤々の議論をしたらしい。学生の間では、シンセかハードロックかが争われていた。アメリカではMTVがスタート。

1990年代以降はもう同時代で、知ってるでしょ?とばかりにアーティスト名を並べる感じの書きぶりでした。2011年に音楽賞を男女別に贈るのをやめた、というのはスウェーデンらしいなと思いました(先進的というにはちょっと遅い気がするが)。

* * *

続かないつもりが、長くなってお腹がすいてきたので、続く。

2016年05月03日

連休前半

■4/29

父・妹と、昨年末も行った、伊豆にある会社の保養所に行くことにしました。
関東組の弊管理人と妹は中央線特急で、父は中央高速で大月集合です。
で、山中湖方面に向かう途中に見えたこのお姿が、今回のベスト富士でした(早い)。
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この写真で、富士山の左側は雲がかかっていますが、まさにその辺に当たる須走~伊豆・箱根あたりは眺望がよくなかったので、なぜか「黒たまご」というキーワードに食い付いた父の発案で仙石原方面に逸れて黒たまごを食べに行きました。
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立ち入り規制がかかっている大涌谷で作ったやつを持ってきて売る形式で、ちょうど前日から販売再開したとのこと。執念だな。
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熱海に降りて、海沿いの道を伊東まで走って到着。
風呂に入ってメシ食って寝ました。

■4/30

伊豆半島一周してみようということで、9時ごろ出発しました。
弊管理人が強く提案した「大室山」(580m)。
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伊豆に入ったころから、こんもりした緑プリンが目に入ってきます。「何これ」って思って行ってみたくなるでしょう。
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往復500円のリフトに乗って6分。粘度の低いマグマでできた「スコリア丘」だそうで、外輪に立つと周りに高いものがないので見晴らしがすごくいいです。
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火口ではなぜかアーチェリーができるとのこと。噴火は約4000年前って、結構最近のように思えます。
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このあたりの地形がそれでできたというので、意外に重要な山なのでは。
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いや実際すごく満足度高かったです。
仕事上、独特の地形をもった地域を認定する「ジオパーク」というのがあるというのは前々から知っていて、しかし悪いけどあまり気にも留めていなかったのですが、ジオパークをテーマに旅行に行くのもありかなって思い直しました。
逆に街歩きがそーでもなかった今回、古本で買った「ことりっぷ」はあまり役立ちませんでした。
道の駅で配っていた東西南北版に分かれたドライブマップは、展望地や気安い食堂、お土産などが絞り込んだ形で載っていて、結構参考になりました。

海もきれい。
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下田のあたりにある「ごん太」で「いけんだ煮味噌」定食、1000円。
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漁師料理だそうです。結構お腹にたまりました。
父は金目鯛定食1200円の金目鯛が「小さな切り身だった」と不満げでしたが、一匹の煮付けって数千円しますしねえ。
下田は楽しみどころがよく分からず、さっさと退散。
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ペリーもこんな辺鄙なところじゃなくて、もうちょっと都会がいいと思ったであろう。
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最南端の石廊崎は船に乗って海から眺めました。

西側はわりと駆け抜ける感じで、西伊豆スカイラインも割愛してしまいました。
残念でしたが、次のお楽しみということで。

■5/1

どこを通って帰るかは悩ましいところでしたが、富士山見えるかも、ということで年末にも通った伊豆スカイラインと芦ノ湖スカイラインに再チャレンジしました。
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見えた!けど薄い!(笑)肉眼ではもうちょっと見えた気がします。
でもまあ、もう十分というくらい見たので満足しました。

忍野八海も見ましたが、しょぼめ。
しょぼいということが分かったのが収穫と素直に思います。

大月に戻って帰ろうとすると、父なぜか信玄餅の桔梗屋本社工場の見学を提案。
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信玄餅の味の本質を「黒蜜」と「きなこ」と捉え、プリンやソフトクリームなどさまざまな商品に応用していますが、いずれも意外といけました。というか「餅」じゃなくていいのだな。
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女工さんが6秒に1個のペースで包んでいるというのは意外であった。日産10万個だって。ひー

実家に帰って近所でソースカツ丼食って寝ました。

■5/2

母方、父方の実家を訪ねる日。

母方は父がもう行かないことにしているらしいので、弊管理人独りで電車に乗って行きました。
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伯母(73)がご馳走を用意してくれていた。
祖母(95)はちょっと寝ている時間が長くなったかな。
食欲は相変わらずよくあるよう。
昨年秋に転んだか何かで左手を骨折したそうですが、わりときれいにくっついたそうです。

父方は祖父の他界後、祖母はどうしているかなあと思っていましたが、見たところまだ大丈夫そう。
跡取りの叔父(うちの父は養子に出ているので跡取りではない。伯父は跡取りしない宣言済)が時々訪ねてくるようですが、腰の曲がった祖母が山間の一軒家に住んでいるのは何かと不便そうでした。

* * *

いろいろ少しずつ古びて、老病死のさまざまなケースを考えないといけない時期に入ったようです。
弊管理人が直接関わるべき課題は父、ですが、まだもう少し頑張っていただきたいと。
あと、母方の祖母がいなくなったあとの家の処分は部分的に被さってくるかもしれない。
他は基本、それぞれによろしくという感じかなあ。

連休後半はあまり予定を詰めてません。
意外と疲れを感じながら目覚めたので、今日3日はちょっとゆっくりしよう……

2016年01月31日

札幌余市小樽

この土日、マイル消化のため北海道に行ってきました。
ホテルが取れない取れないといいますが、予約サイトをウォッチしてると、1週間前くらいまでは、時々ぽっとそこそこ手頃な値段の部屋が出てました。

さて今回は旅行というより「週末を過ごす」くらいの志しかないので、ちょいちょい食べたいものを食べて過ごすことにしました。

1食目、大通とすすきのの間くらいにある「バールバールプロペッチョ」という牡蠣のお店でランチです。
牡蠣とベーコンとブロッコリーのクリームパスタ。
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あああううううまい。クリームにも牡蠣の風味がいっぱい。噛みしめた。

2食目、二条市場の前にある「寿珈琲」でチーズケーキとコーヒーのセット。
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カウンター6席+テーブル2つ?くらいの小さなお店ですが、落ち着いた雰囲気です。タバコを吸う客がいなければ長居したいのだけれど(いたので残念)。
コーヒーは丁寧に淹れてくれます。全く口の中につっかかってこないのが逆に特徴的。

中島公園の体育センターでちょっと走って、ホテルでごろごろして、夕飯食べますよ。

3食目、「魚菜」で酒菜の盛り合わせをいただきながら、奈良のお酒「風の森」を一杯。
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お酒は炭酸入ってますね。とても爽やか。
おかずは菜の花と、もろきゅう、蛸、牡蠣の山椒煮、ホタテ、梅干し、蕪のピクルス、たらこの粕漬け。
正常な嗅覚と味覚を持っていることに感謝せずにはいられません。

4食目、すすきの「とりぱん」で塩ラーメン。
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鶏白湯と、焦げた匂いと、柚。うん、オリジナリティがあるかは別として、やりたいことは分かる。店内は湯気もうもう。チャーシュー薄い。

なじみの方々とお酒をいただいて、25時にはホテルに戻りました。
寒いけど、ベルリンよりは少ーしましか。

5食目は日曜のブランチ、大通「さえら」のたらばがに&フルーツサンドイッチをテイクアウト。
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うん、まあ、おいしい、けど、800円と思うと次はないな。

余市に向かいます。
札幌→小樽の電車は進行方向右側に乗るのが鉄則。
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海が見られますのでね。でも本当に楽しむなら運転席を後ろから眺めればよいのです。
朝から腰が痛かったので座ってることにしたけど。

今回唯一入れていた予定がこれ、ニッカウヰスキーの余市工場見学です。
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そういや札幌に住んでたとき、あれだけ道内いろいろ回ったのに、ここは来てませんでした。
知人に余市に行くと言ったら「マッサン巡礼ですか?」とニヤニヤしながら言われたのですが、弊管理人はこの連ドラを見た記憶がありません。弊管理人のデスクの横には某公共放送を流しっぱなしにしているテレビがあるのに。会社にいるときはほぼ無意識で働いているからか。
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お酒っておもしろーい。
50分ほどの見学の最後にはウイスキー3種の試飲をさせてもらえます。
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ふつくしい……
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2004年にイギリスを旅行したとき、フェリーで北アイルランドに渡って、世界最古の蒸留所ブッシュミルズの見学と試飲をしましたが(それにしても今思うとよく行ったよな)、そのときよりシングルモルトをおいしく感じるようになった、たぶん。
さて遅めのお昼は、工場の食堂でラムしゃぶも惹かれるけど、やっぱり柿崎商店で焼き魚を……
と思って余市駅方面に戻ったら、休みでした。ファ○ク

予定が狂ったので、味噌汁に入れる磯のりを自分用に買って、すたこらバスで小樽に戻りました。
車窓から見える海も、いちいち寒々しくていいね。
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小樽の選択肢は「なると」で鶏+寿司、「一福」で鴨南蛮そばかなあ、と思いましたが、やっぱり新機軸を、ということで

6食目、「桂苑」のあんかけ焼きそばにしました。
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あんに入ってる白い粒々、ニンニクのみじん切りですよね?弊管理人はこういうのに弱い。
友達に勧めるかというと勧めないけど、一人旅で立ち寄ったらまた食いに来ると思う。
小樽はあんかけ焼きそば押しらしい。頑張ってほしいです。なんか街が前より寂れてるし。

7食目、ルタオでショコラドゥーブル。
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実はルタオ食うの初めてでした。これはテッパンだな、テッパン。

日が暮れて寒くなったので、これで切り上げて帰りました。
「次回攻略するお店」がいくつかできたので、また今年中に1回は来ようと思います。
明日から野菜食べなきゃ。

2016年01月24日

ドイツ

ちょっと用事があり、ドイツに行ってきました。
書けることだけ書いておきます。

【ベルリンに行く】

ブリュッセルを経由して着いたベルリンのテーゲル空港は古い感じの空港です。もうすぐ新しい空港ができて、ここは閉鎖される予定だそう。
到着ロビーを出て、市中心部行きのバス(TXLと表示されていた)を待ちます。
料金は2.7ユーロ、鉄道の中央駅(ハウプトバーンホフ)まで25分くらい。とても簡便な印象でした。
それにしても寒い。着てくる上着を間違えた、コートじゃなくてダウンだったかなあと思いました。(日程後半になって、本当はセーターが薄すぎたためと判明、市内の無印良品で特売になっていたもうちょい厚めのセーターを買って解決しました)

成田を午前11時に出て、ホテルに投宿できたのは午後6時過ぎ。でも日本時間では午前2時です。

フードコートや衣料品店などいろいろ入って便利そうな中央駅で、カリーヴルストというソーセージのカレー+ケチャップがけを食べて、さっさと就寝しました。
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ちなみにカリーヴルストは1940年代に発明されたとの説があるファストフードで、ベルリンでずいぶん押してるそうですが、某現地人の反応は「こんなもんをねえ」と若干冷めた感じでしたね。フィラデルフィアのチーズステーキ(チーズと肉片が入ったサンドイッチ)も地元民はそんな評価だったような。

その他、雑感。

・都会なせいか、英語がよく通じる
・中央駅の周辺は「まだいろいろ作ってます」っていう雰囲気。スカスカしていて、工事現場が広がっていた
・車は右側なので、横断歩道を渡るときに、いつもと反対側を見なきゃいけないのが変な感じ
・外国のホテルはスリッパないの忘れていた。旅行用に作っている持ち物テンプレに追加
・首都なのに夜暗い
・ストックホルムと違って「食べ物高い!」という感じはない
・ローシーズンのせいか、ホテルも中央駅の目の前でなんかオサレなところなのに、1泊9000円くらいでリーズナブルだった

【壁】

日の出が8時とかなので、朝はいつまでたっても暗いです。

中央駅で列車・バス・トラムの一日券(7ユーロ)を買ってみました。
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とりあえずベルリンといえば壁かなということで、電車のオスト(東という意味らしい)駅からちょっといったところにあるイーストサイド・ギャラリーを見に行きます。
こちらの鉄道は改札がありません。ときどき係の人が回ってきて「切符見せろ」と言うチェック機構(でも滞在中1回しか出会わなかった)。持ってないと高めのペナルティが課されるんでしょうね?多分。まあこれはこれでありか。

オスト駅から1キロ以上にわたって、壁が残ってます。ギャラリーと呼ばれるのはいろんな人によってペイントされているから。
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絵そのものはどうでもいいんですけども、壁って意外と低いのですねというのが感想です。
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あと、北緯52度だと冬の太陽は大変弱く、曇りがちでもあるので、まぶしいのに弱い弊管理人は大変目が楽で、ありがたかったです。
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適当に中心部行きっぽい表示が出てるトラムに乗ったら、あらぬ方向に回り始めたので、途中で降りて反対側に乗り換え、中心部に戻ってきました。

壁つながりということで「DDR(東ドイツ)博物館」にも立ち寄りました。当時の東ドイツの生活を紹介する展示がされていました。
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そんなに規模の大きなところではありませんが、混ぜ物の入ったコーヒーとか車やバイク、軍服や写真といったモノの展示、住宅のキッチンや取調室や偉い人の執務室の再現などがあり、説明書きも多くて、なかなか楽しめます。
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(↑The peace must be armed!と書いてあるらしい)
自由がなくて監視されてて、モノがなくて寿命も短くて(でも差はちょっとだった)と若干プロパガンダ的な匂いもします。なんか60年代くらいの暮らしとしては日本よりいいくらいじゃない?という印象も。
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世界遺産の「博物館の島」に渡りましたが、特段……。古代史とか美術とか、そんなに、なので。
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大聖堂はでかかった。石造りってやっぱりおっきいものできるね。色は舞茸っぽいなと思いました。

「壁」で、もう1カ所。少し北のほうにある「ベルリンの壁記憶センター」。
こちらはイーストサイド・ギャラリーと違って暗い感じでした。
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簡単に西側に行けないようにした二重の壁や監視所が残ってます。突如として壁ができた1961年から壁が壊れた89年までの間に、136人が壁を越えようとして撃たれるなどして亡くなっており、その顔写真入りの碑がたっています。
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最後の人の日付を見ると、壁が壊れる2カ月ちょっと前の89年8月。もうちょっとだったのに、とは思いますが、この頃ってもうそれなりの人たちが「早晩壁は壊れる」と思っていたのではなかったっけ?
ビジターセンターでは、当時東側に住んでいた人たちの証言が聞けたり、展望所から遺構が見られたりします。しかも無料。ひええ。
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そして、「西に行きた~い」という希望のあまりに無血革命が起きてしまった(最後はなんか瓢箪から駒みたいな感じで)、その昂ぶりが伝わります。1990年前後って、マスコミで働いていたら本当に面白い時代だったろうね。あと、暗い歴史がちゃんと見られるようになっていることは重要です。
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これは一応見に行ったブランデンブルク門。

それにしても、ベルリンの交通機関は便利。電車は数分置きに来るし、1日チケットを買えば、それをポケットに入れたまま列車、トラム、地下鉄、バスを股にかけて快調に乗り降りできます。どの駅にも電光掲示板があって「あと何分でどこ行きの列車がホームのどの辺に止まるか」が示されています。

夜は現地の方に、夕飯に連れていっていただきました。
豚肉と野菜の盛り合わせみたいのとサラダを1人前ずつ頼み、ビールで乾杯です。
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2人でシェアしておなかいっぱい。温野菜も豚もシンプルながらとてもおいしかったです。
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どうでもいいけど、ドイツのグラスって0.3lとか0.5lとかの目盛りが入ってる。
結局ごちそうになってしまいました。

【ベルリンの外】

いただいたもの、見た風景など。
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一緒に行動したグループの中でわりと仲良く喋ったのは、ハンガリーとウクライナの人でした。

・ハンガリーの彼は、「うちの大統領はEUが嫌いで、かわりにロシアと仲良くしようとしている。プーチンと組んで原発建てようとしてるけど、プーチンは危ない奴だと思う」と。立地が立地だけに悩みの深刻さが違いますなあ
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・で、ちなみに「ハンガリー来るなら連絡して。マストシーなところ教えるから」と言ってくれました。「ハンガリーにはいくつもレイヤーがあって、観光客が見ている世界の下には見えない秘密がいっぱいあるのさ(にやり)」「歴史が複雑なので、みんなジョークをいっぱい言う。会話の中にはジョークがいっぱい(たぶん地元の人が、外からきた侵略者に分からないようなハイコンテクストな(?)会話をする癖をつけたのではないか)」というあたりが面白かったです。英語はブダペストで若い世代ならまあ通じるらしいので、行ってみたいなあ。ベストシーズンは9月で、5月もいいよとのこと
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・ウクライナの彼はいい人なんだけど、醸してる雰囲気がものすごいシニカルで、とてもウクライナのイメージと合いました。「いまロシアと戦争してて大変でねー」(!)

・ハンガリーの彼は夜行列車で13時間、ウクライナの彼はバスで14時間かけて帰るそうです。ハンガリーの彼は「物思いにふけったり、本を読んだりできるから、列車は好き」と言ってました

・やっぱり英語ペラペラ陣営は、そいつら同士で固まるな
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・田舎のほうに行きましたが、すっごいきれいだった。なだらかな丘や平原が雪に覆われていて、緯度
のせいか夕暮れが長いので、東山魁夷が描くようなぼやーっとした風景をしばらく楽しむことができました

・そんなにいっぱいの地元民に会ったわけではないですが、「かっちり志向だけどしきれてない」感じの人が多くて、その点弊管理人はとても近いものを感じました
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・ドイツの人って、「まあ確かに均せば日本人よりは大きいんだけど、でも北欧の人みたいにばかでかいわけではない」というくらいのサイズで意外でした

・タバコ吸ってる人がそれなりにいるのも意外でした

・ベルリンの建物は古いのは「東側」っぽくて、新しいのはやけにガラス張り

・「メシまず説」も聞いたけど、何食べてもおいしかった(これは専ら、現地在住の方々によるお導きがあったためと思われる)

【収容所】

泊まっていたアレクサンダー・プラザっていうホテルの朝食がうまかった。特にハーブつきのクリームチーズと、ミニハンバーグっぽいやつ。
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ベルリンから一番近いと思われる強制収容所跡を見に行きました。
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中央駅から快速みたいな電車で北に25分ほどのオラニエンブルクから、さらに路線バスに乗り換えて15分ほど行くと、ザクセンハウゼン強制収容所に着きます。ヒトラーが政敵をぶちこむために各地に作った収容所の中でもわりと早い1936年にできたところで、ユダヤ人を含めた何万人もが殺され、戦後はソ連の施設になったそうです。
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東ドイツが1961年にメモリアル化して、現在は広い敷地の中に残っている建物や当時の素材を使って再建した建物などを見ることができます。
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四畳半くらい?の房が並ぶ牢屋の外には3本の丸太が立っています。そこには恐らく人が……
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日本人も登場します。「犯罪者を働かせて更生させる施設です」とのウソ説明をまんまと信じた(意訳)、と。
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「労働は自由にする」という、もうウソそのもののキャッチフレーズ。
3ユーロで音声ガイダンスが借りられます。イヤホン式ではなく、建物の前の看板に書いてある番号を入力してスピーカーを耳に近づけると、説明が聞けるというもの。耳がふさがれないのがいいです。
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それにしても、「いやな思いをする人がいるから」「論争のあるところだから」みたいなぬるい言い訳をして負の歴史遺産を”ないない”しちゃわない点はとてもいいです。中学か高校くらいの集団がいくつも訪れていました。意識的に継承していかないと、人は簡単に忘れて、簡単に記憶をねじ曲げて、同じところで躓きますからね。
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行く前は「1時間くらいで見終わっちゃうかな」と思っていましたが、どっこい3時間でも見終わらず。

ベルリンに戻って食べたのは、グリーンカレーが焼きそばと唐揚げにかかった不思議なアジアン。
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実はドイツ生まれだというニベアのお店でお土産のクリームなどを買いました。
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【朝飯】

モーニング食べに行こうと思い立ちました。
2ブランデンブルク門があるウンター・デン・リンデンに面したカフェ「アインシュタイン」です。お店の前には「こちらに並んで下さい」との看板があります。しかし7時半に行ったので、がらがらでした。
適当に朝食を頼んだら、すごい量。
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パンはいろんな種類の盛り合わせで、「セレクテッド・ブレッド」と書いてあったのでどれを食うのか選ぶのかと思いましたが、全部食えというやつでした。文面を見直せば、そりゃそうだな。
ハムもサラミもオリーブもチーズもおいしかったけど、結構塩味きつめだったのと、何より量が多かったので食べきれませんでした。お店の人に「これ2人分じゃないですよね」と念のため聞いたら、「1人分さ。これがドイツ式、朝はたんと食べないと力が出ないだろう!」とのお答え。さすがにチップを要求する店はノリが違う(ちなみに頭がボケてて計算間違いでチップ出し過ぎた。悔……と思っていましたが、カード明細見たら適正なチップに修正されてて見直した)。
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あとはベルリン―フランクフルト、フランクフルト―羽田で帰国。
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フランクフルト空港ではビールとソーセージでお金を使い切りました。機内で意外と寝られたのはアルコールが入ったせいかな。
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今回はフライトが長いので、保湿機能のあるマスクを持ってきてよかった。

2015年10月19日

秋の北海道(2)

日曜、ゆっくり起きて旭川に向かいました。
特急スーパーカムイも在札幌時代以来。
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この四角い家並を見ると、北海道だなーと思います。
特急の指定席は取らないのが普通なのも、そういえばそう、と。
旭川駅は不当に?大きくなってました。

駅から宿の送迎バスに乗り換えますが、1時間弱の間があったので「蜂屋」でラーメン。
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 ? くらい。

送迎バスで1時間半、50キロ離れた上富良野町の「カミホロ荘」に泊まります。
十勝岳連峰の中腹、標高1200mにある宿です。
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谷を向いたお風呂からの眺めがこんな。
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翌日の朝5時半を含め、4回入っちゃいました。
最後はチェックアウト後、送迎バスの出発前に。
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日曜夜は雨が降っていましたが、月曜朝から秋晴れでした。
送迎バスの車窓もすばらしい。
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空気は既に冬を感じさせる、寒い朝でした。
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札幌に戻ってきてしまったので、新しくできた六花亭の札幌本店でお土産を買いました。
喫茶コーナーもありますが、おばさまたちで混雑していたのでパス。
ここでしか食べられないというマルセイアイスサンド、立ち食いで200円です。
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どうせうまいんだろ、けっ、と思いながら食ったらやっぱりうまい。悔しい。

満足しました。バニラエアで帰京。
成田のLCCターミナルは初めて利用しましたが、なんかいろいろお店もあって、明るくて、楽しげでした。東京駅までのバスも1時間ちょいで到着。疲れたけど行ってよかったです。
それにしても予約間違いはショックだった(金銭面じゃなくて、自分がこんな間違いをするということに)。あと、マイルを年末までにまた消費しないと。

2015年10月17日

秋の北海道(1)

マイルの有効期限が近づいてきたため、その消費を兼ねて土日月と2泊3日の北海道旅行に行ってきました。
新千歳空港から札幌までは、いつもはJRで移動しますが、今回はレンタカーを借りました。
それならということで、まずは短い漁期のまっただ中、門別のししゃもを食べに行きました。
初めて参ります、カネダイ大野商店。
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店の前に干してあるししゃもを、食べる分だけ竿に通してもらいます。
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オス2、メス2というちょっとだけの注文ですが、快く席に案内していただけました。
クッキングシートを敷いたホットプレートの上に並べます。
左がメス、右がオス。
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卵を抱いてないオスのほうが、脂が乗ってるそうです。
確かに、オスのほうから先に、脂が腹からしみ出して、自分の脂で自分の体を焦がしていきます。
独りなので誰とも話すことなく、じっとその様子を見ていて、なんだか気の毒に思えてきてしまいました。
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おいしかったですが、カペリンはカペリンでいいか、と思いましたとさ。

すごく晴れていたので、思いつきで樽前山に向かいました。
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7合目まで車で行けるので、らくらくです。
15分も歩いて振り返ると、支笏湖が見えます。
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外輪山に出れば、溶岩ドームを間近に見ることができます。
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頂上からもっかい支笏湖。左側の山は風不死岳(ふっぷしだけ)です。
丸駒温泉に浸かっていると正面に見える山ですね。
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振り返ると外輪山の形が美しい。背後は白老とかのほうかな。
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帰りは帰りで、日本とは思えない風景が楽しめます。
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急に思い立って来たので、水さえ持たずに登ってしまった。
登って降りてくるまで、結構早足の弊管理人で1時間ちょいです。
地元では小中学校の遠足で来るようなイージーな山だとのこと。
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秋たけなわです。堪能しました。
札幌の中心部に向かう前に、車でないと行けないカラバトカリーに6年ぶりに立ち寄りました。
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昔食べておいしいと思ったものも、時間がたってみると記憶が美化されてしまっていて、あらためて食べてみるとそうでも……ということもありますが、これはちゃんとおいしくて安心しました。

札幌で車を返してホテルにチェックインしました。
ここで「あすの搭乗便の案内」というメールがANAから来て、予約間違いに気付きました。
「あさって」旭川から乗るつもりの便を1日間違えて予約していました。
マイルで予約したので、変更は効きません。解約しました。
旭川―羽田便を取ろうとすると4万円以上するので、それはやめて、LCCの千歳―成田便を取り直しました。あー、こんなの初めて。弊管理人の頭、いよいよやばいかもしれん。

気を取り直して、久しぶりの現地友人らとジンギスカンの有名店「だるま」へ。
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たぶん9年ぶりくらいで、全然味を覚えてませんでしたが、うまかった!
タレににんにくとトウガラシをいっぱいぶっこんで、すんごい食べてしまいました。
近くの宮越屋でお茶をしながら話し込んで、そのあとは旧知の飲み屋さんに挨拶に行きました。
お通しが豪華なお店で、厚切りベーコンの乗ったチーズハニートーストを午前1時に食べてしまうという……
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3時就寝。

翌日は、さらに北に向かいますよ。

2015年09月20日

三ツ峠山

この時期の5連休なんて慣れない。
平日3日分の仕事を前倒しでこなさなきゃいけないのも辛い。
とか言いながら結局無策のまま突入してしまいました。
とりあえず山に参ります。今回は三ツ峠山。
新宿駅から中央線+富士急で河口湖駅へ。
そこから登山口に向かうバスに乗り換えました。
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大分走ってから、場違いなキャリーバッグを持ったおねーさん2人連れが乗っているのに運転手さんが気付き、乗り間違いが判明。登山口バス停の1こ前のバス停で正しいバスに乗り継げるよう、アレンジしてあげていました。えらいなあ。

登りまーす
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下界は25度の予報。こちらの登山道は眺望はないけど、日陰が多くて気持ちよい。
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1時間半弱。あ、もう着いた、というくらいの感覚で1786mの頂上です。
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写真は甲府方面で右手に街も見えます。でも反対側の富士山方面は結構雲が多くて見えませんでした。
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頂上で結構ゆっくりしてから下山しました。
来たときとは別の、富士急三つ峠駅に向かう道です。
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絶壁とか水場とか、結構変化のある道。でも里に下りるまで2時間以上かかる長い道でした。
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ずっと下りなので結構足にきました。
ふもとに三つ峠グリーンセンターという町営の食堂、入浴施設があったので風呂に入って帰りました。
頂上の見晴らしがよくて気に入ったけど、富士山の眺望がなかったので、後日リベンジかなー

2015年09月19日

大阪出張

関西に出張する機会は去年、一昨年に比べて減りました。
今回は久しぶりで、金―土の1泊です。いつもの「仕事先と東京を一直線に結んでただ往復」と違って、やや時間的に余裕がありました。ならば食うよね。

昼飯は仕事場の近く、千里某所でちゃんぽん食って野菜補給いたします。
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終了後、梅田周辺に出てたこ焼き「カリトロ」。
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6個350円。こんにゃく入ってました。
小ビール+6個で500円というセットにも惹かれました。
朝は6時台の新幹線だったので、このあとホテルで一休み。
夕飯は難波に行って「自由軒」のカレー食おう!と思ったら臨時休業でした。失望。
で、消沈しつつ代わりに行ったのが、誰に教わったんだっけ、天ぷらの「大吉」。
頭がカレーになっていたのでテンション低めのまま、食べたいものを伝票に書いて提出しました。
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大逆転勝利。
鯵ふわふわ、大海老ぷりぷり。万願寺とうがらしもアスパラもいい香りでした。
天ぷら1品100~300円くらい。300円の品をためらいなく書ける大人の幸せ。
あと、あさりがフルヘッヘンドしてるあさり汁も秀逸でした。
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殻は床に捨てていいらしいです。ピーナッツの殻を床に捨てるのが流儀の、シンガポールはラッフルズホテルのロング・バーみたい。
元気回復して梅田周辺に戻りました。
寝酒を飲みに行ったお店では、お客さんの持ち込んだルタオのチーズケーキのお裾分けに与りました。
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旧交を温めたり、楽しくおしゃべりしたりして2時に就寝しました。

明けて土曜は、早めのお昼を食べて、さっさと帰ることにしました。
扇町駅の近くの「梨花食堂」。週替わりの「牡蠣とうずら卵のリゾット風まぜカレー」がおいしそうだったので頼みました。11時のオープンから数分後に入ったのですが、そのあとすぐにほぼ満席になりました。
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海の香りと卵のコク。初めて食ったけどこの組み合わせの案出は何かの賞に値するよ。

ということで帰りました。
今回行けなかったあれやらこれやらは、また。

2015年09月04日

マレー半島を雑に楽しむ(7日目)

最終日です。帰国便が翌日の午前1:50なので、一日市内をぶらぶらしてから空港に行くことになります。昼前までゴロゴロしてからホテルをチェックアウトし、リュックを預かってもらって外に出ました。

チャイナタウンの外れくらいにある、マックスウェル・フードセンターに行きます。
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写真右端にある「天天海南鶏飯」は長蛇の列。そこから独立して張り合ってる3軒となりの「阿仔海南鶏飯」はほとんど人がいなかったので、そちらへ。ちなみにこの2店の争いは「チキンライス戦争」として現地紙にも取り上げられたことがあるとか。一●帆布みたいな?
チキンライス350円です。この国に来て初めて「安ーーい」と思えるものを見た気がする。
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で、しかも思ったよりうまい。ご飯も味が付いてるんですね(というくらい素人)。
前日のニュートン・フードコートもそうでしたが、先に空いてるテーブルに傘とかティッシュとかを置いて席を確保してから、飯を買いに行くのが流儀のよう。お店によってはテーブル番号を伝えておくと料理ができたら運んでくれます。勝手に傘とかティッシュとかをどかされたりしないんですね。それも驚き(←見くびりすぎ)。
チャイナタウンにあるスリ・マリアマンというヒンドゥー教の寺院の入口。
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オナペッツとか思い出しませんか。しませんか。
中は「写真撮るなら300円払え」と書いてありましたが、誰も払わずに撮ってたので弊管理人も払わず撮りました。
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個人的にはふーんて感じ。

1820年ごろ建てられたとされるモスクもあります。
中を見せてもらえました。
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手とか顔とかをきれいにするところ。
「イスラム教って清潔でいいですよね」って案内してくれたおにーさんに言ったら「日本人もきれい好きじゃんね」と言われ、なんとなく通じ合った気がします。ンコしたあとお尻洗うもんね、僕たちね(笑)
お昼過ぎのお祈りの時間に当たりましたが、部屋の外から見せてもらえました。
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ちょっと遅れて入っていったおじさんに「おいでおいで」のポーズをされましたが、異教徒だめなんでしょ?いいの?っていうか弊管理人は多神教よりもなお罪の重そうな不可知論者なので、どうかお許し下さい、さらに宗教を問われて「ブディストです」って日和ったウソついたのも(笑)

個人的に仕事との絡みで興味深かったのは、廊下の貼り紙。
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クルアーンと現代科学がいかに整合しているか、逆に言うとクルアーンが1400年も前に世界の成り立ちを正確に言い当てていたことを説明しています。
この紙は、アッラーが世界を創造したというくだりをまず引用したあと、ビッグバン宇宙論を紹介してます。
それが結構本格的。COBEという観測を使って、宇宙がまだらになっていることを示した図が下に出ています。これが宇宙が誕生した直後に急膨張(インフレーション)し、その後火の玉になった(ビッグバン)ことの証拠の一つとされていると紹介しています。
さらにビレンケンなんかが言っている「無からの宇宙創生」は、まさにアッラーがやったことだと。

こちらは「天を7つに創造した」というくだりと、大気の構造について。
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対流圏―オゾン層―成層圏―中間圏―熱圏―電離層―外気圏、で7つ。
その数え方はどうかと思うけど……
でも面白いね。昔できた宗教が現代の知識とどううまく付き合っていくか。

それでは、友人に勧められた国立博物館方面に歩いてみましょう。
スピーカーズ・コーナーという広場が見えます。
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集会の自由はここにしかないらしい。
もっとも、看板の横には監視カメラが立ってますけどね。
国会の議席の9割を与党が持ってる国。政治的にはまだまだだな。
ただ、マレーシアもそうですが、運用はそんなに厳格じゃないんじゃないかと思う。

こぢんまりした国会議事堂の脇を通ったら、簡素な展示室がありました。
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パーラメントのマスコット、パーリーちゃんの目が細いのは華人の国だからか(うそ)。
全然ビーチが見えないビーチロード。
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埋め立てによって、海岸線はずっと写真手前のほうにあります。

日本統治期の犠牲者の慰霊塔。
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1942年に当地を占領した際に、中国人を集めて抗日分子を捜したものの、誰がそうだかよくわからず、かなり恣意的に大量殺戮されたとの説明書きがありました。unofficial figuresとして5万人という数字も。
ルックイーストで戦後日本との交流を深めたマハティールとはまた違い、リー・クアンユーは「こんにゃろ」と思っていたのでしょう。それでもシンガポール政府としては経済関係優先でこの件をうやむやにしたままだと受け止められているそう。

それはそうと、名門ラッフルズホテルを通りかかりました。
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ホテルの中にある「ロング・バー」は、シンガポール・スリングというカクテルの発祥の地。
今年は100周年という看板が出てまして、だったら飲んどくってもんでしょう。
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ジンといろんなジュースが入ったカクテルですが、オーダーして十数秒で出てきました。
作り置きだな。ぬるいし。
「女が酒なんて」という時代に、ジュースっぽいお酒を考案し、それが女性の飲酒を容認する雰囲気を作り出した、と功績を宣伝するカードがカウンターに置いてありました。
特にメニューも見ずに注文しましたが、会計したら3000円とかしててびびる。
そして結構酔った。

なんと国立博物館は改装中で、ほとんど何も見られませんでした!!

チャイムス。
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幼きイエスの会(CHIJ)が19世紀中葉に作った女学校です。この人たちはそのあと日本に来て、横浜雙葉学園の前身校も作ったらしい。すげえ。
捨て子の女の子もたくさん受け入れていたそうです。貧困と、寅年生まれの女の子に対する忌避から、中国系の子を多く受け入れたとの説明パネルがありました。
1983年に移転し、今は日本のとんかつ屋とか鍋ぞうとかが入るオサレ系施設になっちゃっているもよう。

シンガポールの裏原という大変残念な渾名のついたハッジ・レーン。
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アラブ・ストリートの横にあります。
あの、なんというか、ふーんと言いながら通り過ぎて何も欲しいものがない通り。
ハッジはマッカへの巡礼のこと。ここが出掛ける際のたまり場になっていた。

3Kのお仕事を担うのは、インドネシアやバングラデシュからの労働者。
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どこの国やねんという裏通り。
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150円のミルクティー飲んでたら雨が。
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日本から持ってきた折りたたみ傘をさして悠然と退避いたします。

既に夕方。あと時間潰すならここかなと、マリーナ・ベイに出て、室内植物園を見ます。
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室内を23~25度に保っているというのを聞いて、涼みに。
マーライオンさんもおった。
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結局みんなが行くマーライオンもラッフルズの像も見なかったな。全然いいけど。

隣のドームには滝。
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このてっぺんまでエレベーターで上って、ペデストリアンデッキを歩きながら降りてくるのが順路です。
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結構高くて玉ヒュンやで。

さ、ホテルで荷物回収してチャンギ空港いきましょ。
MRTで30分、200円ちょいで着きました。めちゃ便利。
都市国家って初めて来たけど面白いですね。街と街の間とか街の外とかがないのが、結構不思議な感覚です。

日中汗をよくかいたので、空港でシャワー浴びて着替えました。1600円。でもすっきりしたので全く後悔しない。大人だし。
お土産買って帰りました。

夏休みおわり。

* * *

よく休んだので、その後1週間はほぼ笑顔で仕事できました。
(9月12日)

2015年09月02日

マレー半島を雑に楽しむ(6日目)

泊まってるホテルFragrance Hotel Riversideは屋上にプールがあります。
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窓のない部屋(12000円/1泊)では電波が怪しいので、屋上で会社からの電話を受けていた弊管理人の傍らで、ぶよぶよの白人が泳いでました。うちの田舎は地下水をくみ上げて溜めてる生け簀があって、夏にはスイカをそこに浮かべて冷やしています。それを思い出しました。

なんかもうガツガツ観光する気も起きないので、ゆる観光地に行くことにしました。
MRTに乗ってハウパーヴィラHaw Par Villaに行きます。
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それにしてもここの人たち、弊管理人の思い込みに反してすごくマナーがいいので違和感あります。
降りる人が降りきるまでドアの脇で待ってるし、高齢の人(高齢の人自体が少ない感じがするが)にはさっと席を譲るし。
あと、MRT駅のエスカレーターは速いです。

で、ハウパーヴィラ。タイガーバームの創業者兄弟が作った庭園というかテーマパークだそうです。
入口からしてすごいぞ。
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わわわタイガーがバームを……
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ぬ?
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!?
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中国の民話に基づいた、教育用の地獄巡りだそうです。
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おいおい。
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教育的効果は……
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外に出ても続く不思議ワールド。
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パゴダと自由のなんちゃら。
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ちなみに入場無料です。
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口のまわりが赤いように思えますが……
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客はずっと弊管理人のみでした。
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これ見てるときにインド人老夫婦と会いましたが、表情はいくらか楽しそうでした。
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さあて帰ろうかな。
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次はセントーサ島に行きまあす。
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本島から歩道で500mくらい歩けば着いてしまう島です。
セントーサは「平和」という意味だそうです。今はユニバーサルスタジオとかがあって楽しげですが、かつては「死の島」と呼ばれていたとのこと。日本占領期は捕虜の収容所があったそう。暗い過去は殊更明るい名前で塗りつぶさないとね。
お花きれーい
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なんかでかいマーライオンもいた。
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おなかすいた。マレーシアの屋台料理がいっぱいあるフードコートでお昼食べようと思ったのに、水曜休みでした。休むなよ。観光地で。マック食っちゃったよ。
水族館だけ見て帰ることにしますわ。

水族館は海事の博物館も兼ねてるようです。
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海のシルクロードですもんね。舟でこんなもの運んでましたというでかい展示。
トンネルとか大水槽とか、美ら海っぽかったけど楽しみました。
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ペルシャ湾コーナーとかありましたが、確かにそのあたりまで「ご縁のある海」なのかも。
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歳食ったせいか、魚を何時間でも見ていられるようになりました。
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いったん宿に戻って、友人と今夜もメシ食いに行きます。

ホテル近くにあった旧警察署、現情報通信省。
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窓がレインボーなのはLGBT推しなのではなく、最近力を入れてるアートの街の一環らしい。
それどころか男性同性愛は違法だそうですよ、シンガポール。なんでレズはいいんだろう。

今日の夕飯はニュートンという駅の近くにある屋外フードコートに連れて行ってもらいました。
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2人だといろいろ食えていいね。
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左がサテー、手前のはカキ入りの卵焼き、右はオタ(鳴打)って書いてあったけどピリ辛の薩摩揚げみたいなやつ、真ん中はstingrayと言っていたのでアカエイですね、チリがかかってます。stingrayは1000円以上した。でも厚みのある白身のソテーですごくおいしかったです。
「甘い飲み物はもういいや」と言ったら、友人がココナツジュースを買ってきてくれました。
確かに甘くないスポーツドリンクみたい。
おなかいっぱいです。そして自分では頼まないであろう現地メシが食えて大変満足。

近くにあるオーチャードというオサレ通り(ほぼ銀座)に出て、屋台のアイスクリームでデザートです。
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盛りつけはカップとコーンと食パン(!)を選べますが、なんと食パンがオーセンティックなのだそう。結構重かったです。特注のパンらしく?「インドネシアでも再現しようとした人がいたが、できなかった」のだとか。

散々ありがとうを言って別れました。
「次にいつ会えるか分からないからね~」
そうね~

つづく

2015年09月01日

マレー半島を雑に楽しむ(5日目)

マラッカの朝。
agodaで予約した時には「コンチネンタルブレークファストがつきます」って書いてあったので、まあ東横インくらいのもんだろうと期待してなかったのですが。
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なんか品数すっごい多かったよ!これコンチネンタルじゃないだろう。
中庭に出て食後のコーヒー飲んじゃうもんね。
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和んだ。
さて出立するべか。ホテルのおばさんに「路線バスで長距離バスターミナルに出たいから、最寄りのバス停教えて」と相談したら「遠いからタクシーで行きなさい。600円よ」って。また600円か……
でももう面倒なので頼みました。リュック一つで1人なのに、バンが来た……

マラッカから10時発のバスで国境越えてシンガポールに行きます。
写真は運転しながら長電話するドライバーをミラー越しに撮影したもの。
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マレーシアの出国手続きのため、一度入管の施設でバスを降りて手続きします。
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それでまたバスに乗って、今度はシンガポールの入管施設で入国手続きをします。
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あっさり終了。
コーズウェイという橋を渡れば、その向こうはもうシンガポールです。
橋の横にある青いパイプは水の通り道。シンガポールはマレーシアから水を買っているそうです。
シンガポールに入るとがらっと風景が変わります。
街きれいだなー
いい車走ってんなー
バスターミナルに着いたのは14時半くらいでした。

ちょっと歩いたところに両替屋があったので、使い残したマレーシアリンギットと「イチマンエン」(←両替屋がこう言った)をシンガポールドルに換えました。結局マレーシアでは4日いて1万円使わなかったな。1シンガポールドルは90円くらいです。
チェックインの15時までもうすぐですし、お昼食べましょう。
ターミナルの近くに「アラブストリート」がありました。英国統治時代の民族別居住区の名残のようです。
ヴィクトリーというアラブ人ぽい人たちがやってるお店を覗いたら、なんかすごい笑顔で迎えられてしまいました。マトンのムルタバを頼みます。だいたい600円。
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「どうやって食べるの?」と聞いちゃいました。カレーに浸けてお口に運ぶだけだそうです。キュウリは付け合わせらしい。お好み焼きっぽいとか形容されますが、なぜか実家でよく食べていたミンチのオムレツに似た味でした。おいしい~
歩いてホテルに向かいます。
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シンガポールは8月でマラヤ連邦からの独立50年を迎えました。
街のあちこちに、さまざまなデザインの「SG50」が飾られています。
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なんか観光スポットっぽいものがいろいろ見えましたが、荷物を宿に放り投げたいので、まずはチェックインを急ぎました。というか、もう観光はいいかな~という気分。

留学時代に同じ寮で仲良しだった3人のうち、中国系インドネシア人の女の子がいまシンガポールに住んでいます。16年ぶりにご飯食べようよーとフェイスブックで呼びかけたところ、2晩連続で夕飯を食べることになりました。
18時にチャイナタウンで待ち合わせて、彼女のお薦めで「松發(ソンファ)」という名店にバクテーを食べに行きました。
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マレーシアのバクテーとは大分違います。豚肉ホロホロ!うまい。
ごはんや揚げパンと一緒に食べるのもいいけど、麺もいいよ~と言われたので、麺をチョイスしました。シンプルだけどすごくダシが効いてます。

1999年、弊管理人も彼女も寮の1年目でした。彼女はその後、インドネシアに戻って、結婚して、永住権を持っていたシンガポールに移り住み、子供が生まれて、8月から会計の仕事を再開したそうです。
「インドネシアのご両親は呼び寄せないの?」と聞くと、「親はシンガポールはせかせかしてて好きじゃないみたい。ジャカルタはマレーシアみたいにのんびりしてていいんだって。自分も引退したらジャカルタに戻ると思う」とのことでした。「でも子供の教育にはシンガポールのほうがいい」とも。
彼女は16年でちょっと大人になったけど、弊管理人のほうがもっと変わり果てていたかもしれません。お互いの「その後」を交換したら、あとはもう昔話と雑談に花が咲きます。
食べ終わると外は長蛇の列でした。

マリーナ・ベイに連れていってもらいました。地下鉄のカード(PASMOみたいなやつ)も彼女の助けによりあっさりゲット。
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これも独立50年記念のデザインでした。
悪趣味ホテルと、悪趣味ツリー。
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クアラルンプールとは別世界だと思う。
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ちょっと腰掛けておしゃべりしました。
「子供がいなかったら私ももっと旅行するかもなー」
ショッピングモールがありますが、これはご多分に漏れず吹き抜け。
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フードコートでジュース飲みながら、弊管理人のタブレットで昔の写真を見ながらわいわい話しました。

疲れて寝る。
つづく

2015年08月31日

マレー半島を雑に楽しむ(4日目)

宿でBBCを見ていると、Bersih4は結局、マハティールが駆けつけて応援したほかは特段の見るところもなく、予定通り真夜中に終わったようです。制御されたデモが一番権力にとって利が大きいということが当局に分かっていてこういう展開になったのだとしたら、結構すごいと思います。
どれくらい自律性があるか分からない現地テレビを見た限りでは、すっかり雰囲気は独立記念日に塗り替えられていて、街の窓窓には国旗が下がっています。日本でも古いおうちとかで祝日に日の丸を掲げるような、あれ。

本日はクアラルンプールを離れて、南東に約140キロのマラッカに向かいます。
TBSバスターミナルという、南に向かうバスが発着する巨大ターミナルまでは、空港行きの特急で7分くらい。確かこれも150円とかだったような気がします。
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空港のLCCターミナルみたいで、とてもきれいです。
特に予約しないで行ったものの、朝8時に着いてあっさり8時半発のマラッカ行きの切符が取れました。300円。やっす!!
設備はだいたい日本の高速バスと一緒です。うとうとしているうちにマラッカの中央バスターミナルに着きました。
ブランチくらいな時間帯に小腹がすいたので、朝マックします。
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卵とハムのラップ。ハムはチキンて言ってたかなー。トレイに敷いてある紙には「ハラールですからね!!」と書いてありました。

何を考えているのか、バスターミナルは街からかなり離れたところにあります。
30円で乗れる路線バスも出ていますが、下調べをしてこなかったので、どのバスに乗っていいか全く見当がつきません。仕方なくタクシー。
マラッカのタクシーはメーター制ではありません。450~600円の間で交渉成立したらまあいいとせよ、といくつかのサイトに書いてあったので交渉しましたが、ターミナル内にあるタクシーカウンターの親爺は600円の線を譲らないので、もうしょうがないということで妥協しました。
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中心部のオランダ広場まで行くという約束で出発しましたが、ぼっろいタクシーのおっさんは街に近づくと、「今日は独立記念日で交通規制がかかったりしていて近付けないので、ここで降りろ。もう歩いてそんなにかからないから」と言い出しました。
「だめ、ちゃんと連れてけ」
「車動かねえ」
「(地図を示して)じゃあ今どこにいるか教えろ」
「(老眼か何かで)見えない」
「ふざけんな約束が違う」
「後ろの通りを5分でマラッカへようこそっていう看板があって、左に曲がれば着くから」
「おまえの訛は何言ってるかわかんねえゆっくり喋れ」
「後ろの、通りを、(略」
らちがあかないので600円投げつけて降りました。タクシー大嫌い。
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マラッカへようこそ、というかインド人街へようこその看板。意外とすぐあった。
観光の中心らしいオランダ広場ってこんなところです。
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街ごと世界文化遺産だそうです。観光地臭ぷんぷん。
友人が「行っておくべき。でも一度行けば十分」と言っていたので、1泊だけにしておきました。

まずは広場に隣接するザビエル教会とやら。
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1849年築だそうです。
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手を合わせるのは流儀が違うような気がしますw
お隣はマラッカ歴史博物館。1650年ごろ建てられた旧オランダ総督公邸・兼・市庁舎です。建物名はStadthuys。スタダイスとはなかなか読めないです。
マラッカ王国、ポルトガル、オランダ、イギリス、日本、イギリス、マラヤ連邦、マレーシア。
やっぱり侵略者の一部として登場する日本。
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鄭和の部屋は英雄物語的な造りでした。
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高校世界史でやったやった、と思ってwiki見たらムスリムの子で宦官出身なのにすっごい旅してる、この人。面白そう。そのうち1冊読もう。
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高台に建っているので、見晴らしいいです。
博物館はマレーシア人150円、外国人300円。なんだとー!と少しむっとしたものの、歴史博物館の裏に文学、教育、行政の博物館があって盛りだくさんで、まあいいかと思い直した次第。
丘の上にあるのはザビエルの遺体が安置されていたというセントポール教会の廃墟、かな。
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チェックインできる午後3時も近くなってきたので、オールドタウンに参ります。
左側に見えてる塔はモスクです。
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1646年にできた道教のお寺(チェン・フーン・テン寺院)もあります。
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ショップハウスといって、1階が店舗、2階が住居、鰻の寝床みたいに細長い建築がこの街の典型だそうです。その中の一つに入ってコーヒー飲みました。
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やっぱり甘い。コーヒー(Kopi)にはOとCがあって「何これ?」と聞いたら、Oは茶色、Cはミルクだとのことでした。ミルクはどうやらコンデンスミルクらしい。

もう暑いしリュック重いしということで、3時ぎりぎりにチェックインします。
ホテル・プリ。
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1822年築、1840年に華人のゴム園オーナー、タン・キム・センが買い取り、その後ホテルになったとのこと。
入るとこんな感じです。奥にフロントがあります。
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なんと奥行き100m!!
お部屋は6000円。必要最低限だけど、いい感じだね~
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窓から見えた緑は、中庭の植栽でした。
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中庭からアクセスできる史料室。
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こんな写真もあった。
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日本はもともと東南アジアに自転車を輸出しており、これを利用してチャリに乗ってマレー半島をシンガポールまで南下していったという。「銀輪部隊」と呼ばれたそう。こんなん来たら「なんじゃこいつらーー!」と思いそう。

けっこう探検のしがいがある建物です。鯉のいる池つき吹き抜けも。
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重い荷物を置いて、ジョンカー・ウォークという通りへお散歩に出ます。
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純正豆腐水って何だろうな。
買い食いは、ドリアン入りのシュークリームみたいなやつ。一口で食えって。
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くっせ!
そういえばホテルの入口には「ドリアン持ち込み禁止」とあった。
こんな自転車タクシーが音楽鳴らしながら通り過ぎていきます。
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ちょっと恥ずかしくないかな。しかも夜になるとこうなります。
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もう観光地はいいや。

汗まみれの下着を洗面台でお洗濯して寝ます。洗剤とピンチ持ってきてよかった。
それにしてもこの国は、ホテルにランドリー設備がないな。
夜にテレビをつけたら、独立記念の式典を盛大にやってました。
当地マラッカでも何かあったらしいけど、散歩した時間帯にはもう終わっていた模様。

つづく

2015年08月30日

マレー半島を雑に楽しむ(3日目)

3日目は、ちょっと遠出をしてみます。
念のため、デモをやってるムルデカ(独立)広場に近寄らないとすると、市内で見たいものがあまり思い浮かびませんでしたので。
この不穏な空気の中でリンギットが安くなったようで、旅行者としてはよかった(不謹慎)。

目指すはこちら、

クタム島。

まず、クアラルンプール中央駅から列車でクランという地域の終点まで行きます。
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切符は窓口で係員から買う方式。1時間ちょっとかかる距離ですが120円くらい。
ここは交通費がほんとに安いです。
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女性専用車があるんですね。
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電光掲示板で何時到着というのが常に表示されてますが、運行を常に監視しながら予想到着時間を出しているようで、駅に電車が近づくと数分、表示が揺れます。
マレーシアの独立記念日を次の日に控えているせいか、車内で国旗が配られました。
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終点のクラン港駅で降りて、目の前にあるフェリーターミナルから船に乗り換えます。
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中国系の人ばっかり。乗り込んでから210円払います。
沖合10キロくらいのところらしいのですが、1時間くらいかかりました。地図を見ると、いくつかの島を回り込んでいくから道のりは結構あるのでしょう。
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クタム島。すべての建物が橋桁の上にあるマングローブの島です。日帰りの観光地らしい。
船着き場の周辺は、民宿やレストランがひしめいていて賑やかです。
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クタムはカニという意味だそうで、橋桁の下を見るとカニがいっぱいいます。
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食堂の店先にもカニの入ったバケツが置かれていましたが、あまり食欲はそそらないな。
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正直、あまりきれいな景観ではない。
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住民はほとんど福建省出身だそうです。こちらは南天宮というお寺。
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なぜかアイスクリームの天ぷら押しのお店がいくつか。
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何して暮らしているんでしょう。
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あんまり(弊管理人の)英語が通じませんでした。
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ここまで来たら海鮮食えという話ですが、なんとなくうまそうに見えなかったのでチャーハン食って昼食としました。
帰りましょう。帰りは来たのとは違ってかなりオープンな感じの船。
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行きとはちょっとコースが別だった。何かの養殖場でしょうか。
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いくつかの船とすれ違ったのですが