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ウズベキスタン(5)

【8/28】

ティムールの生地、シャフリサブスを経由してサマルカンドに向かう日です。めちゃんこ早起きで出発です。今日はバス移動がほとんど。
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シャフリサブスまで300km。ブハラ~シャフリサブスは羊が多いところだそうです。
街と街の間には検問があります。相変わらず担当官を撮影してはダメ。

綿花の畑が広がっています。蜂蜜もとれるそうです。花は4から9月がシーズンで、11月には木を周囲の民家のおじさんが取りにきて、屋根の上に乗せておき、冬の薪にするのだとか。
昔はコルホーズだったが、今は国営になっていて、手伝うとお給金がもらえます。ちなみにコルホーズは団地ごとに運営、ソフホーズはそういうまとまりがない農場、というのが違い。

車はフェルガナ、アサカ市で作っているシボレーがほとんど。コンパクトカーくらいの小さな車が多いです。一方で旧ソ連時代の製造と思われる「ラーダ」もかなり走っています。安いのでよく売れたとか。違う日の写真ですが、ラーダってこういうのです↓
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ブハラは石油が出るそうです。ムバラクという「天然ガスの街」ではガスのプラントも見えました。荒野、住宅街を問わず、ガス管は黄色、水色は水道管だそう。
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ガスが安くてガソリンが高いので、車はガス車が多いんだって。そう言われてみれば、「メタン」や「プロパン」と表示されたガススタンドがあちこちにあった!

車内ではウズベキスタンの歴史をざっとおさらい。
 1-4世紀 クシャン朝
 9-12世紀 サマニド朝
 13世紀 ホレズム・ハン国、ここにモンゴルが襲来しいろいろ破壊した
 15世紀 遊牧ウズベク人が進入
 16世紀 シャイバニ朝
 17世紀 ヒヴァ、ブハラ、コーカンドの3ハン国
 1850 帝政ロシア
 1919 ソヴィエト革命軍の統治、いろいろ破壊
 1960年代 ソヴィエトが「ごめんね」で壊したものを修復する時代
 1991 独立
つまり、どこを見てもだいたいモンゴルとソヴィエトが壊してる。

国歌、紋章、国歌についても勉強しました。

国歌はブルハーノフが作曲、アリポフが作詞。「ウズベキスタンは太陽の国ですよって歌ってます」。野菜、果物、学者など自慢を並べて「きれいにして残そうね」という歌だそう。あとで歌詞を見たらちょっと違うけど大体そんなんだった(笑)。毎朝7時にラジオで流れ、公共の場などで聞くときは右手を胸に当てて聞くそうです。

紋章。これでーすっつって、ガイドさんが。修学旅行っぽい。
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紋章は綿花と小麦が両脇、ホーマ(フマ)という空想の鳥が中央に配置されてます。あとはアム川とシル川、それらの源流であるパミール高原。

国旗は上から青、白、緑のトリコロール。

青は空+ティムール朝の国旗+タイル、白は川の水+「思いやりがある明るい人」を意味するのだとか。緑は植物でしょうな。3色を隔てる赤い線は第二次大戦の戦死者の血。左上にイスラムを示す三日月と、12の地方を示す12個の星。国旗・国歌への崇敬を刷り込み、内外国民の監視を行うのは、多民族を抱えて突然生まれた若い国家ならではでしょうか。
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というかもう車窓が全くもって国旗の色。この写真では白は山ですけど。でもすごく写実的な国旗だなと思いました。ボロディンの交響詩に「中央アジアの草原にて」というのがあって、どこをイメージして作ったかは知らないけど、結構草原あるんだなと。
ちなみに最高峰はスルハンダリア地方にあるハズレット・スルタン山、4643m。
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途中、トイレ休憩のガソリンスタンドで売っていた、この手前の黄色いものは「氷砂糖」。
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近影こちら。腹痛は紅茶にこれを溶かして飲むと治るんですと。1000スム、だいたい14円。2本買いました。
(と、これを書きながら台所に行ってタキ・バザールで買ったハーブティーを淹れ、氷砂糖をなめてます)

お昼前くらいにシャフリサブスに着きました。
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モスクではチノールという1370年にティムールが植えた巨木が3本。木は長生きだということで、遠征に行った先々で木を植えていたそうです。
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この時計は1日5回の礼拝の時間。
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あと、ティムールの墓。ただし本人はいない。
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ティムールの孫、ウルグベクが作ったウルグベク・モスク。
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アラビア語の下に星がいっぱい描いてあるのは、ウルグベクが天文学者だったから。
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内部は耐震工事中。アーチに渡してある棒も耐震のため。
それにしてもドームの印象的な水色はどうやって出しているのか。聞いてみると、昔はコバルトやトルコ石、今はペンキなので毎年補修するそうです。

アクサライ宮殿を見に行きます。
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ティムール像が見ている方向はアフガニスタン。墓を開けて行った調査により、骨格から顔つきが復元された。右足が悪かったことも分かった。
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補修がされていない珍しい史跡だそうですけど、むちゃくちゃでかい。
天井と地下に奥さん用のプールがあったんだと。
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当初はタイル張りだったが、16世紀には破壊が進んでしまいました。これはモンゴルとかは関係なく、遠くから見ると輝いて見えるようにタイルに砂金が含まれていたため、砂金を目当てにタイルが剥がされていったのだとか。

お昼は家庭料理。
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この後出てきたロールキャベツもうまかったです。
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葡萄棚のある素敵なお家。ちょっと休ませていただきました。

さて、サマルカンドへ、さらに3時間バスの旅です。
ウズベキスタンに関するレクチャー、続きます。

教育について。ウズベキスタンは4-5-2制。教育は無料。教師の給料は160~170万スム。5月下旬から9月初めまで長い夏休みがあります。カザフ語やタジク語で教える学校もあるが少数。今は1年生から英語を教えます(確かに話した現地の人の中では若い人によく英語が通じた)。数学にもかなり注力していて、ヨーロッパのカリキュラムより進んでいるとか。
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これはガイドさんの息子さんのノート、確か3年生ですが、すごいしっかりした字を書きます。
生徒は鉛筆ではなく青いボールペンで書き、教師が赤ペンで直しを入れます。間違いを消させないことで記憶を促すという趣旨の「ソ連方式」。子どもが多いので、学校は2部制になることもあり、その場合は朝8時からと11時から。
授業は午後2時くらいには終わりますが、音楽、舞踊、スポーツなどの私立学校があって、そちらは有料。

「青空トイレ」=立ちションの時間も取られましたが、意外に人目があってバスを降りたもののできず。

途中の山岳地帯は、子どもを乗せたロバがとことこ歩いているようなところ。日本にまったくない風景で、ちょっとでもいいから止まって写真を撮りたかったです。
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あとで同行のおじさまと話したんですが、「道の駅」ほしいよねと。運営ノウハウを輸出したら絶対受けるでしょ、と盛り上がりました。

サマルカンドに到着してさっそく観光。グリ・アミール廟。
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ティムールはシャフリサブスに自分の墓を作ったが、そこに入ることはできませんでした。この廟はもともとメドレセ。ティムールの息子や孫のウルグベクも埋葬されています。ぱないわ。
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でもやっぱりドーム、ミナレットとも革命軍に破壊されたんですと。
ほんとに最近修復したものばかり見ているのですね。われわれ。

夕飯はケバブ!!
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牛、羊、トマトを、玉ねぎやソースとともにクレープで巻いて食べる。うまい!

一度、ホテル「アジア・サマルカンド」にチェックインしてから、レギスタン広場にライトアップを見に行きました。これもまたみんなから歓声が上がるでかさ。
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ところで、シャッターを押してあげたのをきっかけに、東部から撮影の仕事で来ているという23歳(確か)と話し込みました。
カメラマンをやっていて1日中サマルカンドを歩き回って疲れた。ウズベキスタンはまだ知られていないので、将来は旅行会社をやって発信したい云々。確かにここに来る前に「なんでウズベキスタン?」とよく聞かれました。灼熱だと思っていたが、気温が高くても日陰に入れば涼しいし、日中歩いていてほとんど汗をかかない。夜は肌寒いくらい。日本から来れば避暑になってしまうのが意外。そんなことからして知られてない。いい着眼点だと思います。ツーリズムで成功してね。

(9月7日記)

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2018年08月28日 23:59に投稿されたエントリーのページです。

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