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ウズベキスタン(4)

【8/27】

ホテル「グランドブハラ」の部屋は11階です。見晴らしとてもよし。朝焼けきれい。
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ただしベランダは胸下くらいの高さの柵しかなく下を見るとちょうおっかない。よく反体制ジャーナリストとかが投げ落とされるのはこういうところだろうなとか(失礼)
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日が昇るとこんな街並み。官庁街なのもあって無機質な東っぽさが増幅しています。
目の前にあるのは「戦勝記念広場」で、戦没者名簿に加えて、帰らない息子を待つ母親の像というのがでーんと鎮座しています。この像には最後にタシケントで再会するので、所感はそのときに。

8時発でイスマイル・サマニ廟に向かいます。
向かうんですけど、途中の公園に遊園地がありまして。
この国に妙に多いと感じたもの1、観覧車。
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その2、こういうやつ。
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もちろん○ッキーさんもいました。

こちら、イスマイル・サマニという王様が作ったお墓。
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9世紀に国内だけでなくイラン、トルコからも職人を集め、もともとは父親のために作ったお墓。日干しレンガの成分は今も全貌が分かっていません。ラクダのミルクや卵も使われていたらしい。
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アーチの上の三角形の意匠はゾロアスター教の数「3」(いいことする/考える/伝える)にちなむ。一方、屋根にはミナレット4つ+ドームの5でイスラムの「5」(5行6信の5でしょう)。
チンギス・ハンが攻めてきたとき、地元住民はこの廟を砂で埋めて丘のように見せて隠しおおせた。しかしその後、国は滅ぼされて、次に掘り出されたのは14世紀。
反時計回りに3回回って願い事をすると叶うそうです。やらなかったけど。なんかそういう願掛け系も多いなと思いました。
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中にはさまざまなモチーフがあって、上の写真でアーチの端っこに挟まったようになってる「はさみ」は「悪いものを切り捨てる」という意味。オスのヘビの顔が右上にあります。メスのヘビも反対側に。
お墓にはイスマイル王に手紙を書いて投函する穴もありました。

公園をぶらぶらします。
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おばちゃん観光客が、土産物売り場のもじゃもじゃのカツラをかぶって騒いでいて、店の人がすごい嫌な顔をしていました。おばちゃんの勢いには普遍性があるな。
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彫金の先生のお店。
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ハディースを収集したムハンマド・アル=ブハーリーを記念したコーラン博物館。
ていうか名前を聞けば納得するが、この人ブハラ出身かあ。すごいね、ウズベキスタン。

公園を出て、ガタガタした道を歩きながらアルク城に向かいますよ。
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それにしても、バス観光だと綺麗なところしか見ないなって思う。

途中で立ち寄った、17世紀に建てられたというバラ・ハウズ・モスク。
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これ、観光コースには入っていなかったのですけど、とにかくでかい木造のテラスが独特。
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柱は20本。ソヴィエト革命軍の事務所として使われたりして、モスクとして復活したのはウズベキスタン独立後だったそうです。

アルク城は外から見物。特に感想はありませんでした。

ミナレット、モスク、メドレセが1カ所に集まった広場。こちらもとにかくすべてがでかい。
これがカラーン・モスク。
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モスクは1121年築。ただしもとは木のモスクで、チンギス・ハンが馬で入るという無礼を犯したら落馬した。今あるのはティムール時代に建てられたもの。12000人収容可能。帝政下では外まで使ってお祈りをしていたそうです。描かれている黄色い模様はアーモンドの花。

カラン・ミナレットは1127年築。
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46m、階段は105段。ゾロアスター教の模様14種類とコーランの発句が刻まれています。1920年に革命軍が大砲を撃って大穴を空けたが、のちに謝罪して修復されました。その部分は今でもちょっと白っぽくなっていて、見た目で分かります。同行のおじさまから「ソ連はホント碌なことしねーなー」との声あり。
12世紀にチンギス・ハンがこのあたりを破壊したときも、見上げたときに鉄の帽子を落としてしまうほど見とれて破壊を免れたとのことです。

16世紀のメドレセ「ミル・アラブ」。
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アラビアから先生を招いてアラビア語を教えていました。「JICAみたいなもの」とガイドさん。よくご存知ですな。先生は結局故国に帰らずメドレセ内に埋葬。ソヴィエト時代は立ち入り禁止だったが、独立後はまた学校になりました。ウズベキスタンで現役のメドレセはタシケントとここなんだって。

首が疲れる。近くの見晴らしのよいチャイハナ(喫茶店)でお茶します。
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わりとね、一昨年のモロッコを思い出します。同じ高さ・同じ色の屋根が海原のように繋がっていて、そこに普通の人の生活があるのだと思うけど、パック旅行だとそこに入っていく機会はなかなかないですね。
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といいつつ、聞くところによるとこのあたりは表玄関のモスクやメドレセでお土産を売っている関係者の人たちの家か宿屋だというので、普通の人の生活があるかどうかは大いに怪しいのであった。というか何が普通かっていうね。

タキ・バザールに行きましょう。屋根付きの十字路みたいな形です。
ガイドさんが馴染みのお店に案内します。そこで買わなくても別にいいんだけど、みんななんとなくそこで物色しますね。
名物はシルク。洗って色落ちするやつは安い、しないやつは高い、など職人さんが次々広げて紹介していきます。誰かが買ったかは知らない。というか買った気配がない。ちょい高いせいかね。
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それからコウノトリをかたどったはさみ。
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たぶん結構若い刃物店の店主が覚えた日本語で「オス(のはさみ)ー、メスー」などと説明する。ツアーのみなさん次々とお買い求めでした。
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1本22ドルを、10本まとめ買いしたおねえさんが1本20ドルまでは負けてもらっていました。
ウズベキスタンの平均月収が220ドルだというので、これでもう1ヶ月分の収入になる。そりゃ日本語も覚えるわけだ。そしてこういう客を連れてくると、バザールをはじめとした各地でガイドさんの影響力も上がるというわけかな。
そういや中国人観光客の集団を旅の間一度も見ませんでした。まだ到達していないのか。

そんでハーブティ。試飲したら結構おいしかったので1袋買いました。
8ドルを6ドル。スムで払うと言ったら50000スムだと言われましたが、6ドルよりたけーだろ。これは。ドルが欲しいのかね。
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大麻っぽい匂いがするけど、まあ日本税関は通れるでしょう(通れた)。
あと、ここはおじさん、おばさん問わず前歯に金歯入りまくってる人が多い。
ファッションでそうなのかと思ったが、単に甘い食べ物が多いから虫歯が多いだけだとガイドさん。

だいぶ疲れつつバザール近くのメドレセを見ます。
一つはティムールの孫、ウルグベクが作ったメドレセ。無料で教えてくれたらしい。
その向かいにあるのが私立のメドレセ。こちらは有料。外側は立派だが中は未完成。
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女性たちがシャツやシルクの風呂敷みたいのを持って執拗に売り込んできます。しつこいんだけどあっぱれな商売魂。大体どこに行っても女性の物売りがすごくアグレッシブで、男はぼーっと座って客が来るのを待つ感じ。

お昼はイタリアン。うまい!けどサラダ、バゲット、ピザ、ラザニア、ケーキとすごい量。
実はこのお昼が行程中で最も食費が高かったそうです。
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この先ずっと思うけど、これ自分でアレンジするのはまず無理だわ。
パック旅行でよかった。
あと、全体的に食べきれない量のごはんが出てきます。「それがおもてなしなので、構わず残せ」と言われるが、同行のおじさまたちは「もったいない……」と後ろめたさばかり。

観光続行ですよ。

ラビハウス・コンプレックス。これを見ないとブハラに来たことにならないというメドレセ。
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初めはキャラバンサライ(隊商宿)として作られたため、学生寮としては部屋が広いそう。偶像禁止への挑戦として、ここの模様は男の顔と空想の鳥、豚のような動物まで描かれています。さらにバジルの花、アーモンド、まわりにコーランとめちゃくちゃ。

その近くのマゴキ(地下)・アトリ(ノンジャンルのバザール)。
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ゾロアスター教の寺院が、のちにモスクになった建物。1930年代に研究され、内部に火を燃やした跡があったということでそう確定したという。8世紀まではドームがなかったんですと。

いったん宿に戻ったついでに、医学者イブン・シーナーの銅像に拝謁。
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ほんとビッグネーム輩出してるね。
像はちょっとした広場にぽんと置かれていて、説明書きも何もなし。

夜はラビハウスで踊りやファッションショーを見ながらご飯をいただきました。
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お疲れの参加者がちらほら出始めました。

(9月6日記)

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2018年08月27日 23:59に投稿されたエントリーのページです。

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