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ウズベキスタン(3)

【8/26】

ヒヴァの観光をする日です。
ヒヴァの城内に西門(オタ(聖人)・ダルバザ門)から入場。聖人のお墓が近くにあるからそういう名前。税関があったため、昔から西がメインゲートで、商人が列を作っていた。
ゲートを入るとお土産屋さんが並んでいます。

ムハンマド・アミンハーン・メドレセ。今は「メドレセホテル」になってます。
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19世紀に寄付によって設立されたメドレセ。そのときの王様がムハンマド・アミンハーン。1階は10~15人収容の教室、2階は寮。ドアにはパンジャラという通風口がついています。これのおかげで涼しいのですね。
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柱の模様(画面右上の青白の)は「マジョリカ」といって、1枚のタイルの上に模様を書いてあります。「モザイク」はタイル1枚に1色で、それを組み合わせて模様を作るもの。

模様は羽。「山羊が山を素早く登れるのは羽があるからだ」との考えから、なんと山羊を象徴しています。イスラムで禁じられた動物の偶像ではないかと問い詰められた際には「アーモンドです」で逃げたそうです。

木はグジュンという、この辺にしかない木。意味は「陰を作る」。花は白く、茶色くなると落ちるそう。

井戸があるが、水はしょっぱいそうです。4世紀にはここは海だったが、干上がって陸になったせいでしょうと。井戸水を飲んだ人は「ああ生き返った」という意味で「ヘイ・ワー」と言うが、これが転じて街の名前(ヒ・ヴァ)になった。ほんと?そうなの?

扉の高さが低いのは、おじぎをして入るようになっている。
おじぎをして2階に上って中庭を見るとこんな感じ。
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ホテルになったのは1980年からで、それまでは刑務所だったこともあります。ここを作った王様はトルクメニスタンとの戦争で戦死。外にあるカルタ・ミナル(短いミナル)も短いまま建設が終わってしまいました。ちなみにミナルの意味は「塔」ではなく「火の燃える場所」。旅人に街のありかを知らせる機能があった、つまり灯台みたいなもんですかね。もちろんアザーン(お祈りの呼びかけ)をやる場所でもあります。
ふもとはお土産屋さんいっぱい。奥に見えるのが西門です。
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次はクフナ・アルク(アルク城)。17~19世紀に使われたハーンの宮殿です。
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それにしてもすごい空の色ですね。ずっとサングラスしてたのでだいぶ印象違う。
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こちら応接間。訪ねてきた大使などと王様が会うところです。天井は中国風の柄。こうした柄は東側のフェルガナ、コーカンドにも多いそうです。
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壁の模様は唐辛子、バジルの花。ステージと正対する位置には丸いスペースがあって、ここには冬、ゲルを置いてこたつを作って会議をしたとのこと。
夏/冬のモスクは、それぞれ涼しい/暖かい構造になっています。
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これは宮殿の一室にある博物館みたいなところで焼き物の柄の解説をするガイドさん。羽がついてるとかそういうことだったと思います。
ところで22人の参加者の中でメモとってるのは弊管理人含め3,4人で、その中でも弊管理人は一番がしがしとっていたようで、あとあと「こういうのが専門の学生さんかと思った」と言われました。えっとまず40代です。そこから、ええ。

ところで、街中にこういう模様の入った建物がいっぱいあります。
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ゾロアスター教のマークで、火を燃やす器具(上が燃えるところ=善、下が燃えかすの溜まるところ=悪、という二元論的な意味があるらしい)で「アトルバーン」というのだとガイドさんに教えてもらいましたが、検索しても出てこないな。そして英語で調べても綴りが今ひとつ分からず行き当たらない。聞き違えたかな。

次は「ジュマ・モスク」。ジュマ=ジャメ=金曜の意味だそう。10世紀に建設され、18世紀末には今の形になったそうです。クルミやニレを中心に213本の柱が立っていて、これは10~19世紀の聖人の数と一緒。中には1000年ものが7本あるのだとか。
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これ↓インドから持ってきた木で作った柱で、仏像が彫ってあるそうです。
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モスクですよね?いいの?
ちなみに、寺院内に開口部があったり、柱の下にラクダの毛を敷いているのは湿気対策とのこと。
「8」の字が掘ってある柱は依然として研究がされているもの。死後にあるのが8つの門、それと秤、鬼、天使などが彫られています。

どんどんいきますよ。タシュ・ハウリ宮殿。
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タシュは石、ハウリは庭。ここも応接間、客間、それとハーレムが揃ってます。
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宮殿のお土産屋さんに「ホジャおじさん人形」が並んでいました。
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トルコの一休さんというか、小話やとんち話の面白いおじさんとして民話に登場するのだそうです。いろんなところの土産屋で見ましたが、ここのが一番クオリティ高かったような。

お昼はサラダ、チキンスープ、揚げ餃子、水餃子、チョコケーキ。スープは具が違うだけでいつもだいたい同じ印象。サラダは香草が多く、ニンニクも入ってます。
それにしても、一人旅だったらこういう飯にはありつけないな。パックでよかった。
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レストランの外には三角形のお守りや唐辛子を吊してあります。これもゾロアスター式。

午後の観光がんばりましょ。
マフムード廟は昨日の日記に出てきたので外観割愛。中はすごいっす。
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すっごいごちゃごちゃしているので、普段ない大きさで。
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なんかもう、いちいち綺麗じゃないですか。お墓なんですけど。
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しつこいですか。でもここの天井が一番好きだった。

ヒヴァに限らず、観光地を歩いていると結構新婚さんによく会いました。
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聞けば今は結婚シーズンなんだって。理由を聞き忘れた。晴天が多いからか、夏休みだからか。

イスラム・ホジャ・メドレセの横にあるミナレットは51m、118段。
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希望者のみ登るということでした。登ったのは10人くらいかな。すごい急だった。
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考えてみれば当然ですが、そんな大人数で登ることを想定した建物ではないので、一番上は足の踏み場もなく。
降りてきたら皆さんの膝が笑ってました。

夕飯は、キブラという城外の夏用宮殿で。
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「独り旅では迷い込まない食事処」の最たるものですな。
歴史ものの映画の撮影地としても使われているそうです。
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メニューはサラダ、マスタクというおかゆスープ。キーマ・ザラフシャンは肉をクレープで巻いたもの、マッシュポテトとご飯がついていた。あとは果物、ケーキ。
食べ物はやや単調、というか伝統料理的なもののバラエティが少ないのかもしれない。
一方、来る前は「植物はオリーブとオレンジくらいしかないのでは」という砂漠イメージだったのですが、どっこいフルーツ王国ですね。果物全般おいしかったです。
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建築は二重窓などロシアンテイストが効いてる。

夕飯のあと、ウルゲンチ空港へ。国内線に乗って40分、ブハラに着きました。
とたんに都会っぽくなりました。着いたら深夜だったのですぐ寝ました。

(9月3日記)

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2018年08月26日 23:59に投稿されたエントリーのページです。

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