夏休み、枠だけ確保したけどどこへ行こう、と6月に考え始めてから、いろんな可能性を考えては捨て、一度は中央アジア某国へ行く手配をしたものの微妙な事情で中断し、結局は押し詰まってから九州行きの飛行機を取ることになりました。
【9/2】
前の日の中華の食べ放題でがっつり内臓が疲れるという悪いコンディションを引きずったまま、福岡に到着しました。30度くらいと意外に涼しい。
時間調整で金印とか見に福岡市博物館に行きましたが、結構面白かったです。そういえば倭の奴国も遣唐使も元寇も福岡だ。朝鮮との近さを考えればどれも当然なんだけど、歴史的な資産がいっぱいでいいですね。
風邪かなあと思いつつ、でも多分ただの疲れだと思われる体調不良をおして、夜は地元の人に教えてもらった「梅山鉄平食堂」に頑張って行ったものの、コロダイの煮付けという優しいものをチョイスしてしまい、お店の真価はよくわからず。
若干並びました。観光客用って感じもしなくもない。
遊ぶ元気もなく、胃腸薬飲んで早めに就寝。
【9/3】
わりとよく寝て起きたら体調は回復してました。
バスで長崎に行きます。2時間半、2500円くらい。
出島で昼飯食って、軍艦島へのツアーに参加しました。
このあたりが軍艦に見えるスポットらしい。
もともと現在の6分の1ほどの大きさしかない岩礁だったところに石炭が発見され、1890年から三菱合資会社が本格的に海底炭鉱の経営を始め、埋め立てを繰り返して現在の大きさまで拡張されてきたとのこと。閉山は1974年。残された建物が朽ちていっています。
左から病院、あとは社宅がほとんどだと思いますが、上陸したあと歩ける道は非常に限られているので、このアングルから見えているものは陸上からは見えません。
上陸してお話を聞きます。ガイドさんはさすがにお上手でした。
正面奥は1893年に建てられた小中学校で。周囲1.2kmの狭い島内に5000人以上が住むとなると、こういう上に延びていく建物が要請されるのでしょう。
見学コースのどんつきから見える景色がこれ。正面は1916年に建てられた鉱員住宅で、日本最古の鉄筋コンクリート造高層アパートだということです。B'zのMVが撮影されたんだと。築101年、これを保存する手立てはなく、これからも朽ちていくに任せるしかない。
もちろん狭苦しいし、仕事も容易ではなかったでしょうが、でもなんか豊かさを感じる。
ミーハーだよねえと自嘲しながら申し込んだわりにはしっかり楽しみました。
「これだけ海が穏やかで晴れてる日は年にそう多くない」とガイドさん。ほくほく。
こちらは帰りに船から見えた長崎のどっか。土地利用の発想は今も変わらない。
ていうかこれじゃ畑とか作れないだろう。
宿にチェックインしたあと、ミーハーついでにカーシェアを1時間半だけ使って稲佐山に行ってきました。
写真だと伝わりませんが、見晴らし最高です。
街の大きさが違うだけに札幌・藻岩山には負けるが、函館とは張るんじゃないか。
甘い物もちょっと、ということで梅月堂のシースクリームをいただく(後ろはついでに求めたコーヒーゼリー)。
夜は干物食って寝ました。
天気予報どんどん悪くなってくんだよね。気象協会と気象庁は「ずっと晴れ」を土壇場で修正。週半ばから天気悪いです、というのを最初から当ててたのはウェザーニューズでした。
【9/4】
目覚め前、窓の外でザーザーと雨の音が聞こえていました。
レンタカー借りてドライブの日です。車があったほうが雨宿りになって都合いいです。
長崎から教会をいくつか辿りながら平戸を目指します。
1時間弱で到着する、外海(そとめ)の出津(しつ)教会堂。1882年築。
出津は潜伏キリシタン関連の世界遺産候補を構成する集落の一つ。大村藩の中心から遠いこともあり、比較的潜伏がしやすかったのではないかとの説明でした。事前連絡をしておくと、信者さんが来て受付をしてくれます。このあと訪れた教会では人がいるところといないところとありました。
もう少し北に行ったところにある大野集落の教会堂。
こちらはこぢんまりした巡回教会で、玄武岩の割石を漆喰で固めた外壁が特徴的です。こっちのほうが建築としては好きかも。1893年築。
明治政府も江戸幕府の禁教政策をしばらく引き継いでいましたが、その中でも地元では信者の露見があり、結局は黙認されるようになっていったようです。
振り返るとこんな感じの景色。
いいですねえ、独特。西海市の国道202号を北上すると、ずっと左手に海を見ながら適度なアップダウンのある絶景の道です。地域は全然ちがいますが、稚内から網走に抜けるオホーツク海沿いの道をちょっと思い出すかも。
展海峰からの九十九島(南側)もなかなかよし。
独立峰好きとしては、相浦富士(佐世保市、259mってそんな低く見えない)も見られて満足です。
平戸で昼飯食って、田平天主堂に立ち寄ります。
これは背面ですが、八角形の鐘塔がきれいだったのでこちらを。
ただ、「潜伏キリシタンとの関連が薄い」ということで世界遺産の候補からは外れたそう。
外海の教会もそうでしたが、瓦葺きなんですね。
ゆっくりしてたら15時になったので、あとは一気走りで長崎まで帰りました。
折角なので向日葵亭でトルコライス。
ミートソースとハンバーグの盛り合わせでしたとさ。
一日運転して結構疲れました。
早寝。
【9/5】
雨の予報が出ててもずっと雨が降っているわけではなく、観光にはそれほど支障はありませんでした。
路面電車の一日乗車券(500円)を買って大浦天主堂へ。
1865年築。完成から間もなく、浦上の潜伏キリシタンが訪れてキリスト教徒だと告白し、1612~1613年の禁教令から250年、信仰を保ち続けてきた信徒の「発見」に至った場所です。潜伏キリシタンの「ゴール地点」といえそうです。
中にはその現場もあるのですが、やはり撮影は禁止。なんかさ、ケチじゃない?そんなにいくつも行ってないけど、外国で教会の中が撮影禁止だったこととかないけどな。
ついでに浦上天主堂も見ました。
被爆マリア像は中にあります。
爆心地に近く、吹き飛んだ鐘楼がそのままになっていたり、被爆した備品が展示されたりしていました。
さてもう教会はいいかなーと思い、ランチして島原に向かうことにしました。
県庁裏の「永楽苑」で皿うどん600円。
うっまい!
おばちゃんにそう伝えたら「うちのスープは他と違うのよ」とニヤリとされました。
長崎駅から快速で諫早に出て、そこから島原鉄道で島原まで行きます。
1輛のローカル私鉄は青々とした田んぼや海沿いを走っていき、とても車窓の景色がきれいです。
島原駅の駅長は愛想のない鯉。
駅でてすぐ島原城が見えたけど、もう夕方だしいっかあ、とパス。
白玉が甘い蜜にひたってる「かんざらし」で一服して、
具雑煮とふぐの寿司食って、
温泉旅館の「望海荘」に投宿して風呂入って寝ました。
【9/6】
この旅行の楽しみの一つが普賢岳を間近で見ることだったのだけど、朝方、旅館の部屋の窓から見えた眉山がほぼ今日の山体験のすべてで、上のほうは一日中雲の中でした。
眉山は1792年に地震でごっそり山体崩壊し、土砂が海まで届いて津波を起こし、熊本でも千人単位の死者を出し、その名前が「島原大変、肥後迷惑」というひどいネーミング、でもわかりやすい。
出色は、会社の長崎勤務経験者に教えてもらった「小地獄温泉」。
雲仙地獄の近くにある「小」地獄ってことですかね。
このツインタワーの左が男湯、右が女湯。中はこんな。
ぬる湯の浴槽でだらだらしました。いいお湯でした。
あとはジオサイトをちょっと見ます。
棚畑展望台。火山の裾野を利用した段々畑。ジャガイモを作ってるそうです。
早崎海岸。
島原半島は430万年前、この辺から始まったそうな。
原城は今は何も建物がありませんが、島原天草一揆は潜伏キリシタン史の「スタート」ともいえる場所じゃないですかね。
遅い昼飯は、島原の唐揚げといえばここ(らしい)「鶏の白石」。
ぶつ切り唐揚げ定食600円。おいしうございました。
予定していたフェリーより1本早い15:45発の便で熊本に渡りました。
平成新山見たかったがしゃあない。今年は山の巡り合わせがあまりよくないかも。
【天草】に続きます。