明治後期~大正時代に活動し、37歳で結核により夭折した洋画家・中村彝(なかむら・つね。ATOKすごい、一発変換)のアトリエを再建した記念館が、目白駅から10分くらい歩いた住宅街にあります。散歩を兼ねて行ってきました。
1887年、旧水戸藩士の家に生まれ、11歳までに父母を亡くしたため、兄を頼って牛込区に転居。陸軍中央幼年学校に入ったものの、結核のため退学しました。千葉・北条(館山)で療養中に洋画家になろうと思い立ち、本郷の白馬会洋画研究所や太平洋画会研究所で絵を勉強したとのこと。文展で3等賞をとり、新宿の中村屋の裏のアトリエに移ったものの、中村屋をやっていた相馬家の長女・俊子との交際に反対され、俊子との仲も次第に冷めて、当時は農村だった下落合にアトリエを建てて創作と療養をしていたそうです。この俊子と後に結婚したのが、インド独立運動に身を投じ、日本に亡命した「中村屋のボース」ことラス・ビハリ・ボースなんですね。
アトリエは洋画家の鈴木誠の手にわたり、増改築されてきたものを、建築時の姿に復元した。レンブラントっぽい人物画、ゴッホっぽい風景画など、内部に調度品とともに絵画が展示されています。肉感的で弊管理人は好きです。
ついでに、また10分ほど歩いて佐伯祐三(これも一発変換だ)のアトリエ記念館にも寄ってきました。こちらは1898年大阪生まれと、中村の少しあとの画家。東京美術学校を出たあとフランスの野獣派を頼って留学し、いったん帰国して中落合にアトリエを構えたあと、また渡仏したものの、30歳で現地の精神病院で亡くなってしまったそう(ちなみに連れて行った6歳の娘も病死)。
当時の落合の、長閑だけど文化の匂いがする風景を明るく描いた絵が印象的でした。なんか知ってる絵はないかなと思ったら、「郵便配達夫」ね。あーーーこれかーーーー
目白~中井間には大正、昭和時代、高級住宅街の「目白文化村」が作られましたが、その周辺には文化人がたくさん住んでいたようです(余談だが、東京の染色産業の中心地でもあるらしい)。ほかに林芙美子の記念館があり、政治家では石橋湛山や近衛文麿の家があったり。近所といえば近所ですが、よく知りませんでした。