毎年11月か12月に入る国外出張、今年はアゼルバイジャンのバクーです。
旧ソ連、社会科で習うバクー油田、ナゴルノ=カラバフ紛争、くらいしか知らないので、なんか荒涼とした東欧の街というイメージで大丈夫かなあと思っていたんですが、そこは2024年。旅系ユーチューバーが8月に訪れた動画を見て「ひょっとして素敵なのでは?」と期待に変わったのでした。
旅程はDC→ドバイ乗り継ぎ→バクーのエミレーツ航空。二階建てのA380だ~
黒人のおばちゃん団体客が弊管理人の席の周辺に座ったところ、あめちゃんいただきました。
あめちゃん、世界のおばちゃんのコミュニケーションツールなのだろうか。
ほとんど眠れず12時間でドバイ。5時間くらい待って3時間でバクー。
1週間くらい前に東京から入っていた若手ちゃん(そう若くない)、ロンドンから応援に来ていて弊管理人と交代して帰るおねえさまと合流して、早速アゼルバイジャン料理を食べに行きました。
ケバブとか餃子とかピラフとか。友好国トルコに、シルクロードの香りがするラインナップということですかね。写真はラムのチーズハンバーグみたいなやつです。うまいよ。ぶどうの葉っぱで挽き肉を巻いたドルマというのも食べた。肉を食う文化なのだね。
気温は10度くらいかな?小雨。
あとは晴れたり小雨だったり風が強かったり。週末にかけて暖かくなりました。
泊まったのは中心部で旧市街からすぐ、飲食店や小さなスーパーが集積した広場の一角みたいな宿です。なので多分普段着のバクーは見ていないが、宿の人もその辺の人たちも全体的に穏やかで優しい印象。
あと、着てるものが大抵黒か白ですごく地味です。「ゼレンスキー顔の人多い」とは同僚の言。巨大な人は多くなく、フィットネスの文化はまだきていないな?と思わせる体型は多いがデブではない。
物価はたぶん平常時だと安いと思う。今回は66000人が登録して、それよりは少ないが数万人が押し寄せる大規模イベントで、ホテルは$150くらいだったと思いますが国が介入して差配したため3倍くらいにつり上がっていたと思われます。会場のメシも$20くらいでやっとまともなものが食えるかなくらいでしたが、地元スーパーだとクロワッサンが$0.65、バナナは6本1房で$2以下とかそれくらい。ちなみに通貨はマナトですが米ドルに換算して書きます。
時差はDC+9時間。絶賛時差ぼけしており、疲れもあって22-23時に寝ると2-3時に目が覚め、そのあとうとうとしながら朝を迎えるので夕方以降は体が明らかにつらい。
さらに空気質も悪い感じがし、途中から気管支炎みたいになりました。鼻水と痰、たぶんそれに誘発した咳。声がらっがらになりました。DCに帰ったとたんに軽減しつつあります。
仕事は屋内で、朝9時くらいに行って夜8時くらいに宿周辺に戻ってご飯を食べるという生活が続きました。仕事場の物価が高いので昼はバナナとかパンを持ち込んで軽く、くらいで済ましてました。従って宿の朝食はちゃんと食べる。
ビュッフェ形式です。宿のおばちゃんが作ってるっぽい。7-10時ですが、10時近くなると従業員のおじさんたちが朝飯食ってる。同僚は「毎日同じものばかりでつらい」と言ってましたが、アメリカのホテルの「なめてんの?」みたいな朝食に慣れるとこれは余裕で及第点だよ。期待値の低さは幸せの秘訣であります。
土曜にDCを出発してしばらく時差がつらく、水曜くらいに一度疲れ切って目覚ましをかけずに入眠したところ、起きたら9:30ということがありました。そこで体内時計が調整を始めたっぽく、それまで夜にきていた便意が朝にずれ、体調がよくなりました。
週半ば、仕事が紛糾の様相を強めてきて、これは観光の時間がとれなそうだなという雰囲気になってきました。出歩けたのは2回。同僚と夕飯を食べにカスピ海の浜辺に行ったのが水曜夜だったかな?
同僚が「パルコ」と呼んだショッピングセンター。
ぐにゃぐにゃした建物がいっぱいある街なのですが、今回、宿を手配してくれた旧ソ連に強い日本の旅行社の担当の方が「90年代にパイプラインが通るまでは貧しかった」といっていたので、こういうものを作れるようになったのはそれ以降なんでしょうか。
フードコートでメシ。
確か$4くらいだったと思う。酸っぱいキャベツとポテトは結構何にもついてきますね。地元価格はこの辺なのであろう。ホテル周辺でハンバーガー食べると$8くらい。あと、食べ物に対してコーラとかの飲み物が若干高い気がする。
もう1回の機会は金曜の朝だったか?隙を突いて昔の宮殿を転用した博物館へ。
旧市街を通っていきます。
建物は今はほとんどがツーリズム関係の用途だと思いますが、結構生活感もあるような。
博物館はちょっとした高台にあります。
さっと見て出勤。
仕事は国際会議で、会場との行き帰りには無料のシャトルバスが出ていましたが、議長の采配が悪くて延長になってもバスは延長されずにぶった切られたため、ライドシェアを使いました。
こちらの国で使えるのはBoltというもの。アメリカでのUberやLyftと比べて激安なのですが、大丈夫なのでしょうか、ギグワーカーたちの暮らし。
ちなみに、ギグワーカーのお兄さんとかおじさんとかはみんな強面で英語もおぼつかないが親切でした。この周辺、基本みんな良い人なのでは。
ライドシェアは生活道路を走るので、ちょっと日常のアゼルが垣間見えてよかったです。
結局、会議は議長の采配が改善しないまま2日延び、金曜に終わるはずが日曜の朝方決着。3時間気絶して、そのあと東京と一緒に仕事をフィニッシュして、チェックアウトを14時まで延ばしてもらい(タダでやってくれた!)、帰途に。
なんとかこれだけは、と思ってヘイダル・アリエフ・センター。
建ってるザハ・ハディドの建築を見る貴重な機会。巨大でした(写真にうつっている人たちのサイズに注目)。美術館というか文化施設のようですが、中に入る時間はもはやなく、Boltぶっ飛ばして空港に向かいました。
帰りは偏西風に逆らって飛ぶドバイ―DCが14時間45分という信じられない長時間航路で、疲れと寝不足のせいか機内の気圧が下がっている間、脳が膨張した感じでずっと頭痛でつらかった。
しかし、神経系が全域的にバグったせいか、アゼルにいくまで知覚過敏みたいになっていた右上の歯が痛くなくなっており、それはよかった。着いてメールなどチェックしてみると、仕事もまずまずの評価だったようでこれもよかった。
いいところな空気は感じつつも仕事に予想以上に時間をとられたので、コーカサスはいつか旅行でちゃんと見たいです。
ということで出張終わり、たぶんアメリカ赴任中の大仕事もこれで終わりです。
月曜朝に自宅帰着。昼寝5時間、さらに21:30に就寝して02:30にばっちり目が覚めました。
今週と来週は、短期的にはブラックフライデーの買い物と出張精算、中期的には引っ越しと帰任関係の手続きをいろいろやります。