■7日
結婚式は16時から、フェアフィールド・アンフィシアターという野外劇場で開催です。
サザンクロス駅から電車でデニス駅まで参ります。
車内はけっこうきれいでした。
注意書きで目を引いたのは「不快な言動禁止(no offensive language or behaviour)」、「アルコール接種禁止」(夜の総武線快速は酒場のようだが……)、「落書き禁止」(窓はスクラッチ落書きでいっぱいですけど)。
30分ほど早く会場に着くと、16年前にはニュージーランド南部オタゴ地方のダニーデンという都市で小さなホテルをやっていた友人のご両親がもう来ていました。
友人のフィアンセは「お父さんは絶対笑わない」と言ってましたが、弊管理人は満面の笑顔で懐かしがられました。結婚認めたとはいっても、心中複雑なんじゃないかな。
そう、今回は弊管理人友人=インド出身(聞いてないが恐らく永住権取得済み)でヒンドゥー、そのフィアンセ=オランダからの移民3世でカトリック、で同性婚という、結構ハードルの高そうなカップルです。いろいろ聞きたいことがあったので友人に聞きました。概略次のような内容。
―同性婚ってオーストラリアでできるの?
「法的には認められてない。認めてもいいんじゃない?という動きはあるけどまだまだ。州単位でいろいろ便宜を図ってくれることはある」
―同性婚の法的地位はヘテロ事実婚とは違うの?
「ヘテロ事実婚の場合は、実績があると認められれば、結婚してるのと同じ権利が与えられるけど、同性婚の場合はそうじゃないので」
―それで今やる意味って何?
「一緒にいるうちに家族っぽくなったから。あと、家を一緒に買ったこともあって、現在利用できる法律を利用して打てる手を打っておこうかなと。結婚式ではそういう法律文書の作成もやるんだよ」
―どういう内容?
「現状だと、お互いの身に何かあったときに医療記録にアクセスできないので、それを許諾するという文書を作る。あとは遺産相続をできるようにする。それから、これはあまり実質的な意味はないんだけどお互いパートナーですという地位を示しておく」
―そういう契約って当地ではみんなやってるの?
「実例をあんまり聞かないから分からないけど、やってるんじゃないかなあ。自分は法律でも学位をとってるので[註:彼は学部ではIT系の勉強をしたが、院で経営や法律を勉強して現在はコンサル]、そういうことができるならしておこうと思ったわけ」
―そもそもどうやって、いつ彼氏と知り合ったの?
「ネット。6年半前か。お互い最初はパートナーになるつもりで会っていたわけではなくて、それぞれ別の人と会ったりもしてたんだけど、そのうちにそういう関係が切れていって気がついたらいつも二人でいるようになった」
―あちら何してる人?
「出会ったときはコンサルの会社でデータマネジメント[註:ちょっと弊管理人の記憶曖昧]の仕事をしてたけど、いろいろストレスあったみたいで、今は大学に移って新規事業を立ち上げる前の評価支援みたいなことをやってる。定時で帰れていいみたいよ」
―それいいねえ。
「コンサルの会社って5000ドル余計に稼ぐために鬼のように働く人多いけど、自分はそういうのはいいかなって思ってお客が満足する範囲でわりと好きにやってる。もとはITの勉強してたけどあんまり今はその知識を使ってないし、経営の勉強始めても学校の選択科目は哲学とかフランス語とか取っちゃったりしてて、他の人に比べると専門性はあんまりないしねえ[註:この気の散り具合が弊管理人と気の合うところかなと思いました。弊管理人はもっとひどいんだけど]」
―プロポーズはどちらから?
「去年、自分から」
―相手と食い違うなー、というところはないの?
「自分は甘いもの大好きで、相手はそれほどでもないっていう以外は別に。スパイシーな食べ物?あちらは全然大丈夫」
―でもおたく、今でも許嫁婚が主流でしょ?えらいギャップだよね。ご家族[註:父=元経済学者、母=元文化人類学者、姉=外科医]は結婚に納得したわけ?
「重要なところ。けっこう前に一度『実は男が好きで』という話を親にしたら『ギャー!育て方が悪かったのか、どうしちゃったんだ、病院行くか』と騒ぎ出したのでいったんクローゼットに退却した。『あ、たぶんそのうち治るから~』とかごまかして」
―人類学者まで?(笑)
「家族のことになると別だね(笑)それでまずお姉ちゃんにカムアウトして、家族会議が開かれたみたい。その上でお姉ちゃんが『本人が来て話す時が来たな』と判断してこっちに連絡くれて、行って話した。その時にはゲイの生命予後、雇用など経済面での影響など、さまざまなデータを集めて検討したレポートが作製されていて(笑笑)、それほど問題はなさそうだという雰囲気になっていた。ただ『親戚が知ったらどうしよう』というのが懸念だったみたい」
―どうしたの、それ。
「その頃にはもう近い親戚は大体知ってた(笑)結局知らなかったのは両親だけということになって。で、お互いの両親に会ったりとかして、なんとか。向こうも結構大変だったみたいだけど」
―宗教的にも大変でしょ。
「こっちもそうだけど、あちらもカトリックだからねえ。でもいろいろ折衷させてみた」
式には親戚、友人200人くらいが集まったようです。(インドでやると郵便配達の人なんかまで、とにかくみんな呼ぶので「親の時は1000人集まったらしい」と友人は言ってました。あとでおとーさんに聞いたら「800人」と言ってましたけど)
まずカップルとご両親が手を繋いで入ってきます。
両親と抱き合ったり、靴を脱いで跪いたりとそれぞれの流儀でごあいさつ。
カトリックで重要な意味を持つという火(そうなんだっけ?)を中央の花壇に灯して囲んだり、歩き回ったり(弊管理人の場所が悪くてスピーカーが入ってしまった)
お互いの家族の一員になることを示したネックレスをつける儀式。
司会を務めるお友達が二人のなれそめとプロポーズの経緯を紹介し、カップルがそれぞれ相手への愛の言葉を贈ります。それから例の「病めるときも健やかなるときも」の確認。注意して聞いてたけど、両方ともhusbandでした(笑)そりゃそうか。
なんというか、お互いとその家族の結びつきと文化を尊重した、とてもtouchingないい式でした。
お相手側のお父さんが目頭をぬぐっていたのを見て、弊管理人はガラにもなくぐっと来ました。
あとは契約書を交わしておしまい。
気温33度くらい。ときどき雨がぽつぽつ当たりましたが、日が当たらない分、あまり暑くなくてよかったです。
さあて、Two Ton Maxに場所をかえて18~23時のレセプションです。
こんな感じの、倉庫を転用した素敵なパーティ会場です。
入ったところには、ゲストとカップルとの思い出の写真が吊されていて、裏にメッセージが書けるようになっていました。
その脇に、ご祝儀入れ。
「もう文化が違うと何も分からないから率直に聞くけど、結婚式に呼ばれたら何をどれくらい持っていくものなの?」と予め聞いてしまってありました。
回答は、「お金が嬉しい。近隣の人はA$200-300、旅して来る人達はA$100-200、外国からはるばるの人達はもう相応の負担をして来るので受け取らないこともあるけど、くれる人はA$50-100」とのことでした。日本とそう変わらないね。弊管理人は水引を用意していて、あまり少なくても外装と不釣り合いなのでもうちょっと入れました。
ホスト側のダンス!
それぞれの生い立ちをたどったビデオ、ご両親の結婚式の様子をうつした写真やビデオを上映。ご両親の挨拶があって乾杯のご発声、それから友人のお祝いの言葉があるのはどこの披露宴も同じですな。
ただ、カップル二人とも(30代前半)、生まれたときからの記録がムービーであったのには驚いた。あの時代、そんなに8ミリとか持ってる人は多くなかったはず。
ビデオ上映は3回あって、映画の予告編のように作り込んだ二人の物語も。凝ってました。ブロークバック・マウンテンのカットが出てきて、この会にほとんど漂わせていなかった同性愛のテイストがほんと隠し味のように香ってきたというのも一興。いやまあお客には何組かいたけどさ。
インドで生まれ、ご両親が教鞭を執ったり調査をしたりする都合でパプアニューギニアに移住し、ニュージーランドで小学校から大学まで過ごし、オーストラリアで働く彼の結婚式には、国内やニュージーランドはもちろん、遠くはフランスやスウェーデンからもお友達が来ていました。
弊管理人の隣は同じ寮にいた日本人の女の子で、今は旦那さん(こちらも同じ寮に、弊管理人の前の年に交換で来ていた日本人)の仕事の都合でスイス在住。斜め向かいはマレーシア出身で今はパプアニューギニアでご商売をしている友人の幼なじみ。向かいはオーストラリアとメキシコのカップルで今年結婚予定。いろんなところにいろんな人生があるなあと思いました。
飲み食いしてみんなと挨拶して、深夜にホテルに戻りました。
いや、結婚式のご招待はもう欠席でいいやと思っていたのですが、こういうのが来るとは思わなかった。
国境を軽やかに飛び越え、しなやかに元気に生きている人達に圧倒されつつも、なんだかギリギリと目前のことばかり見ていた最近の生活を少し遠ざけることができてよかった。
次はいつ会えるでしょう。わかんないな。また16年後かもしれない。
■8-9日
さあて帰ります。
乾燥した機内にまた14時間閉じ込められるので、マスクやダウンジャケットや耳栓などを準備して乗り込みました。
空港バスが出ているサザンクロス駅の向かいにあるPHO24というお店でフォーをいただく。
沁みる。アジアの味はやはりいい。
11時前にバスに乗り、クアラルンプール経由で成田、で帰宅できたのは翌9日の朝9時過ぎでした。
あー疲れた。
■メモ
・やはり旅はするべき
・しかし直行便があるなら直行便を使え
・現地に夜着いて、そのままホテルで寝て翌日から活動するほうが体にいいような気がするので深夜便を忌避する理由はないな
・機内では絶対休息は取れない
・耳栓は結構有効
・喉の乾燥対策はマスクでは無理、今後考える必要あり
・wifiは成田で借りていって大大大正解
・基本、バスに定時性を求めてはいけない
・JAL(帰りのKUL-NRTはコードシェアのJAL便だった)の機内はやはりよい。サービスや笑顔は過剰な気がするけど
・それにしても昨年の台湾といい、留学の1年と、留学に関連してその後得たものは非常に大きい
・回復期に食べたgrill'dのハンバーガー、おいしかった~
・今回行けなかったところは次回の課題として:St.Kilda beach, Old ANZ bank (Queen st. and Collins st), National Gallery of VIC, Brighton beach, Bennet's lane でJazz