マラッカの朝。
agodaで予約した時には「コンチネンタルブレークファストがつきます」って書いてあったので、まあ東横インくらいのもんだろうと期待してなかったのですが。
なんか品数すっごい多かったよ!これコンチネンタルじゃないだろう。
中庭に出て食後のコーヒー飲んじゃうもんね。
和んだ。
さて出立するべか。ホテルのおばさんに「路線バスで長距離バスターミナルに出たいから、最寄りのバス停教えて」と相談したら「遠いからタクシーで行きなさい。600円よ」って。また600円か……
でももう面倒なので頼みました。リュック一つで1人なのに、バンが来た……
マラッカから10時発のバスで国境越えてシンガポールに行きます。
写真は運転しながら長電話するドライバーをミラー越しに撮影したもの。
マレーシアの出国手続きのため、一度入管の施設でバスを降りて手続きします。
それでまたバスに乗って、今度はシンガポールの入管施設で入国手続きをします。
あっさり終了。
コーズウェイという橋を渡れば、その向こうはもうシンガポールです。
橋の横にある青いパイプは水の通り道。シンガポールはマレーシアから水を買っているそうです。
シンガポールに入るとがらっと風景が変わります。
街きれいだなー
いい車走ってんなー
バスターミナルに着いたのは14時半くらいでした。
ちょっと歩いたところに両替屋があったので、使い残したマレーシアリンギットと「イチマンエン」(←両替屋がこう言った)をシンガポールドルに換えました。結局マレーシアでは4日いて1万円使わなかったな。1シンガポールドルは90円くらいです。
チェックインの15時までもうすぐですし、お昼食べましょう。
ターミナルの近くに「アラブストリート」がありました。英国統治時代の民族別居住区の名残のようです。
ヴィクトリーというアラブ人ぽい人たちがやってるお店を覗いたら、なんかすごい笑顔で迎えられてしまいました。マトンのムルタバを頼みます。だいたい600円。
「どうやって食べるの?」と聞いちゃいました。カレーに浸けてお口に運ぶだけだそうです。キュウリは付け合わせらしい。お好み焼きっぽいとか形容されますが、なぜか実家でよく食べていたミンチのオムレツに似た味でした。おいしい~
歩いてホテルに向かいます。
シンガポールは8月でマラヤ連邦からの独立50年を迎えました。
街のあちこちに、さまざまなデザインの「SG50」が飾られています。
なんか観光スポットっぽいものがいろいろ見えましたが、荷物を宿に放り投げたいので、まずはチェックインを急ぎました。というか、もう観光はいいかな~という気分。
留学時代に同じ寮で仲良しだった3人のうち、中国系インドネシア人の女の子がいまシンガポールに住んでいます。16年ぶりにご飯食べようよーとフェイスブックで呼びかけたところ、2晩連続で夕飯を食べることになりました。
18時にチャイナタウンで待ち合わせて、彼女のお薦めで「松發(ソンファ)」という名店にバクテーを食べに行きました。
マレーシアのバクテーとは大分違います。豚肉ホロホロ!うまい。
ごはんや揚げパンと一緒に食べるのもいいけど、麺もいいよ~と言われたので、麺をチョイスしました。シンプルだけどすごくダシが効いてます。
1999年、弊管理人も彼女も寮の1年目でした。彼女はその後、インドネシアに戻って、結婚して、永住権を持っていたシンガポールに移り住み、子供が生まれて、8月から会計の仕事を再開したそうです。
「インドネシアのご両親は呼び寄せないの?」と聞くと、「親はシンガポールはせかせかしてて好きじゃないみたい。ジャカルタはマレーシアみたいにのんびりしてていいんだって。自分も引退したらジャカルタに戻ると思う」とのことでした。「でも子供の教育にはシンガポールのほうがいい」とも。
彼女は16年でちょっと大人になったけど、弊管理人のほうがもっと変わり果てていたかもしれません。お互いの「その後」を交換したら、あとはもう昔話と雑談に花が咲きます。
食べ終わると外は長蛇の列でした。
マリーナ・ベイに連れていってもらいました。地下鉄のカード(PASMOみたいなやつ)も彼女の助けによりあっさりゲット。
これも独立50年記念のデザインでした。
悪趣味ホテルと、悪趣味ツリー。
クアラルンプールとは別世界だと思う。
ちょっと腰掛けておしゃべりしました。
「子供がいなかったら私ももっと旅行するかもなー」
ショッピングモールがありますが、これはご多分に漏れず吹き抜け。
フードコートでジュース飲みながら、弊管理人のタブレットで昔の写真を見ながらわいわい話しました。
疲れて寝る。
つづく