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2015年01月 アーカイブ

2015年01月30日

種子島ふたたび

2年半ぶりくらいで出張が回ってきました。
自宅発、朝6時半。

鹿児島空港→バスで市内出ると11時半くらい。

食いますよ。「こむらさき」
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あっさりめで良!!
ニンニク入れてしまった。仕事なのに。

高速船ターミナルまで歩きます。
なんかもくもくしてますけど。
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みんな平然。いいの?

高速船で1時間半で種子島。遠い。
さらに西之表港から南種子町まで車で1時間。遠い。
到着したのは15時半でした。

まあ仕事はちょぼちょぼですが、食べますよ。地のものを。
「八作(やさく)」で安納芋の揚げたやつ食いながら芋焼酎「南泉」を水割りでいただきます。
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あとは魚とかもありましたが、弊管理人は何度も言うように生魚を好みません……

ちょっと周りを散策します。
マングローブ。
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千座の岩屋という海蝕洞窟。
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水を見ると小をもよおすのですが、ちゃんとトイレまで我慢しました。

種子島宇宙センター。
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ついでにゲストハウスでカツカレー(510円)を食いました。
空腹を満たす食事。

なんでこんなところに鉄砲伝来してしまったんだろう。
当初の滞在予定がアクシデント的に延びたため、鈍色の空と海を見ながらそんなことを思ったりしています。

2015年01月25日

週末のことども

東大駒場の表象文化論の先生、小林康夫さんが退官するそうで、土曜日にシンポジウムを見に行ってきました(最終講義は別途3月23日にやるそうです)。
ちょっと用事があり最初のパートしか見られなかったのですが、やんややんやで面白かった。
船曳建夫、高田康成といった懐かしいおじさまたちも客席に来ていて、囲む会というか同窓会のよう。マイク来てないのに喋るし、「ちょっといいすか」といって時間が来てるのに喋るし。なんというか、近年、仕事絡みのシンポで見ている「確認質問でございますけれども」みたいなどうでもいい質疑じゃなくて、「それの何が面白いんだ」「実存はビッグバンから始まるんじゃないのか」「学会発表みたいな引用と解釈やり始めたら退場だかんな」「本性/実存じゃなくて、本性/運命/実存じゃないの」と、かき回しながら外へ外へと出て行く駆動力を感じさせるやりとりに触れて、なんかちゃんと勉強しなきゃなという気持ちが2年ぶりくらいに戻ってきました。

* * *

シャルリ-・エブド襲撃については、自分が最も興味のあることにかかわっているので、かえって考えがぐるぐるしながらまだ考えています。
日本人人質事件については、いま急いで本を読み中。
とりあえずちゃんと発信する専門家は事実の記述においても分析においても新聞より全然面白い。

知人が声をひそめて「本当は捕まってるという2人とイスラム国はグルでカネを取ろうとしてるんでしょ?」と聞いてきたので「そう思う根拠は?」と聞いたら黙りました。なんなの。

* * *

16日から暴れていた喉はようやく回復。
耳がおかしくなっていて(たぶんどこかが腫脹していたため)、耳抜きができなくなっていたので、職場のエレベーターの上下が結構きつかったです。あと、聞こえが3割くらい悪くなっていました。これも今夜、左耳だけ開通。途端に音がよく聞こえるようになってびっくりしました。
耳の聞こえが悪くなっていた間、話している相手に「え?」と聞き返すことは多くなりましたが、「え?」と聞き返されることも普段通りありました。弊管理人は耳が悪くなっても声は大きくならないっぽいです。

* * *

夜、空腹のあまり、吉牛の大盛りを食ってしまいました。550円。結構上がった感じがしますね、値段。
高校生のころ(1990年代半ば)は吉牛って結構頑張って買うもの(並盛り400円)で、「早いのうまいの安いのー」というキン肉マンの歌は今ひとつぴんと来ていなかったのですが、2001年に280円になった時には「ほんとにこれでいいんだろうか」と思ったものです。大学の学食でも時々牛丼メニューが出てましたが、これより高かったもんね。現在並盛り380円。まあ本来こんなもんか。

そのあと立ち寄ったお店でウイスキーソーダをすすっていると、マスターが「4月から結構な値上げになるらしいんだよね」とぼそり。そうかー。

* * *

札幌のおじさまからコーヒー豆1kg届く。おいしそう。ごちそうさまです。
ミルを買い、お裾分け先を探す。

2015年01月18日

駒込

駒込の東洋文庫でやっているイスラーム展を見に行きました。
大きくはない施設ですが、お庭もついていて洒落た雰囲気です。(この先に小岩井農場と提携したカフェがあるが、今日はやめておいた)
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1924年に岩崎久彌が設立した東洋学の図書館。道を挟んだところにある六義園(柳沢吉保屋敷→岩崎弥太郎別邸)の一角だったようです。
ミュージアムが併設されています。
ロンドン・タイムスの北京特派員だったジェームズ・モリソンの集めた24000点の書物を買い取ったのが文庫のもとになったとのこと。「モリソン書庫」としての展示も結構な迫力です。
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図書館なので、イスラーム展も文字資料が中心です。
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14世紀にシリアで写書されたクルアーン。
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各国語版のほか、東南アジア、南アジア、中国での受容を示すような資料が展示されていて、面白く見ました。説明書きがちょうどいいレベルと量です。その昔、世界史の受験勉強で散々詰め込んだ単語がいっぱい出てきて懐かしかったかも。
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記念スタンプもかわええ。

* * *

金曜くらいから喉がちょっと暴れていて、土曜は大事を取って(4割くらいは「面倒」という理由も混じっている)大阪出張をキャンセルしました。といって近場の外出ができないほどの体調ではなかったので、今日はちょっと出掛けてみたのですが、覿面に疲れて、帰ってきてから布団で2時間ほど寝てしまいました。

2015年01月16日

札幌1泊出張

とにかく雪だった。でもそんなに寒くなかった。
とりあえず食ったものだけ上げておく。

昼飯、「コノヨシ」のとろとろチーズハンバーグ180g(小さい方)。
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待たされるしオペレーションも悪いんだけど、悔しいかなとてもうまい
「さわやか」に匹敵する。わずかに赤い部分を残してあって、「肉食ってる!」というハンバーグ。
北海道は野菜も味が深いね。

夕飯、回転寿司「まつりや」へ。
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なまもの食べないけどお寿司大好き、という弊管理人のニーズに応える炙り系メヌーが多いのが好感。

最後は空港で。空いていたので「けやき」の味噌。
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すすきので長時間待って食うほどではないが、さくっと食べられるならあっさりめの味噌はなかなかいい選択肢ではないだろうか。

おまけ。
さすが北大。
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クロックス履いてる学生がいてのけぞった。でも「正規品は意外と滑りにくいので自分も履いている」という意見が寄せられ、そんなもんなのと驚く。

それにしても引っ越して5年半経つと、その間にできたお店も結構あって、もう「札幌知ってます」とは言えないなと思いました。帰るのではなく、訪れる場所になっちゃった感じ。でもつるっつるの道の歩き方は体が思い出してくれた。ふとももが痛い。

2015年01月15日

ひとり13回忌

まにあった。今日は母の13回忌です。
滑り込みでお線香あげました。
でも生まれ変わりは49日でできちゃって、あとは「偲ぶ」機会みたい。本人というよりは生きている側のためにやるものなのかね。

日頃、食ったものばかり上げている弊日記ですので、食い物の話。
母が作った料理を最初に食べた記憶はありませんが、最後の料理は多分これ、というのを覚えています。まんまるのコロッケです。
2002年の11月に佐渡に少し長い出張をして、その帰りに実家に寄って、千葉にあった自宅に戻る時に持たせてくれた弁当、あるいは帰って食べる用のコロッケだったと思います。
どうも秋に入ってから調子がよくないようで、「ひょっとしてこれが最後かも」と思いながら食べたような気がします。本当にそれが最後になったので記憶に残っているのでしょう。

写真を撮ったはず、と思って古いフォルダを探りましたが、でてきたのは母が亡くなる直前に帰省した時、千葉に帰る自分に父が持たせた父手製の弁当の画像でした。
本当に弊管理人の記憶は当てにならないものです。今日、画像の勘違いでそう思いました。コロッケが最後だったかどうかも自信がなくなってきています。多分そうだと思うんだけど。

次に手作りのコロッケを食べたのは、札幌勤務中の2008年12月28日に、仕事先のおねえさま(だいぶおねえさま)にお呼ばれしてご馳走になったもの。こちらはちゃんと写真があります。
これ。
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多分、雑談の中で「母親の手料理で最後に食べたのがコロッケ」とかそんな話をしたから作ってくれたのだったと思います。実はかなり味が似ていました。でもいっぱい食べすぎて腹を下したような……

思い出を共有していた相手がいなくなってしまうと、それが正しかったかどうか確かめる術がありません。その相手の代わりをしてくれるのがカメラやICレコーダーといった記録用の機器、そしてこの日記であるようです。

2015年01月12日

週末飲み食い

土曜朝は、おしるこ。正月気分はもう全くなくて、2015年という数字にも特に何も感じなくなっています。それでも、帰省したときにいとこが嫁いだ和菓子屋でついた餅をいただいてきたので、それを使って。

夜にお酒を飲みに行ったところ、お正月の振る舞い酒ということで「獺祭 磨き その先へ」というお酒をいただきました。
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720ml瓶が3万円という日本酒の枠をはみ出そうなお酒です。
若いのに凄味のある美人、という感じのお味。
ちびっと一口、空気を含ませながら一口、そしてちょっと多めの一口、と試すと、すべて違う相貌を見せます。

  獺祭 その先へ
  トイレ その後に

小林製薬的なネーミングも素敵だなと。

日曜の昼は、ひとり四谷に出て「ジャスミンタイ」でごはん。
辛いきしめんとガパオと春巻。
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大好きなゲウチャイとは違った方向、上品な方向でちゃんとしたタイめしでした。
しかしまあこれで1800円はちょっと高いな。
平日ランチはもっと安いみたい。
今後も弊管理人はゲウチャイに行くと思う。

帰宅すると友人から連絡があって、誕生日プレゼントを買うのにつきあいました。
新宿駅近くのバーニーズ・ニューヨーク、ステューシー、そしてコメ兵へと降りて(失礼)みました。
最初のお店はTシャツ2万円、ワイシャツ5万円とかで。うわー布ですよ?
会計してる人達って何してそんなお金稼いでるのだろう。

そのまま東新宿のホルモン「幸永」に流れました。
ホルモンて永久に噛まないといけないのが嫌いだったのですが、ここのは比較的食べられました。
動物の脂はたまに食べるとおいしい。
そしてジンジャーサワーと合わせると幸せ度が上がる。

2015年01月04日

年末年始と戦後70年

30日から2日まで帰省しました。

大晦日は毎年恒例の、本家で伯母さんのお料理。
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毎年ちょっとずつ献立を変えているそうです。確かに確かに。

夏、弊管理人を認識しなくなっていた母方(=本家)の祖母は、名乗ると弊管理人の愛称を呼びました。
そして、元日の朝にお雑煮を食べ、昼に山菜そばを食べて本家を辞する時には、握手を求めてきて、弊管理人は握手をして別れました。認知症状が出る前にはなかったことです。
祖母はよく食べ、声もしっかり出ていて、話しかけると笑い、しばらく大丈夫そうです。
元日は雪が強まって、山奥にいる父方の祖父母には会いに行けませんでした。

2006年の正月に携帯の機種変更という非常につまらない案件をめぐってもめて以来あまり喋らなくなっていた弊管理人と妹は、元日にかけて多少喋りました。
しかし、またつまらないことで喋らなくなりました。
暖房を入れている部屋の戸を弊管理人がちゃんと閉めないとかそういう正しい指摘を受け、「はいはい正しい正しい。その調子で友達百人作ってくれ」と弊管理人が言ったのが最後。
またちゃんと喋るのは数年後かもしれませんが、この兄妹はそういう距離感が合っているようです。

平素独居の父はベッドでiPadをいじり、音楽やyoutubeを鑑賞しながら「そのうち動けなくなって、ここでクソにまみれて死ぬ気がする」と言ったので、「その前に帰ってくるから」と言っておきました。これは結構本気です。が、もうちょっと頑張っておいてほしいとは思います。
「子供の世話にはならない」とずっと言っていた父ですが、そんな考えは老いの中で簡単に霧消するでしょう。

紙焼きの写真を貼り付けた大昔からのアルバムをスキャンするという次回のタスクができました。
はがしてドキュメントスキャナ、というのは可能だろうか?
貼ったままハンディスキャナ、が無難か?
春の連休までに考えようと思います。

* * *

この年越しに読んでいた本が、これ。

■佐藤卓己『増補 八月十五日の神話』筑摩書房、2014年。

連合国に対するポツダム宣言受諾の通達と終戦詔書の日付は1945年8月14日、
玉音放送で国民が知ったのは8月15日、
大本営からの陸海軍に対する停戦命令は8月16日、
降伏文書の調印は9月2日、
サンフランシスコ講和条約が発効して占領が終わったのが1952年4月28日。
8月15日が終戦記念日と定められたのが1963年(5月14日の全国戦没者追悼式実施要項、第2次池田勇人内閣)、
「戦没者を追悼し平和を祈念する日」は1982年(4月13日閣議決定、鈴木善幸内閣)。

8月15日=終戦記念日、のイコールは意外に意義が乏しく国際的にもほとんど通用していないし、この等式が制度化されたのも結構最近だった。実は戦後10年までは玉音放送の記憶は薄れてかけてさえいたらしい。

でも、読む前の弊管理人を含めて多くの人はいま、8月15日=終戦記念日ということを疑っていない。
「お盆」という畑に蒔かれた玉音の種、丸山真男(8月15日没!ちなみに石原莞爾もらしい)の「8・15革命」論や『世界』誌の8・15特集シリーズ、高校野球、メディアの戦後x年企画、教科書、そして国内政治、それに影響される国際政治。いろんなものを吸い込み、そして生み出した言説によってさらに強化されていく8月15日の神話、その成立の過程が描かれています。
情報量が多くてついていくのがちょっと大変ですが、疑っていなかったものの神話性が暴かれていく読書体験はとてもスリリングでした。

戦後60年の2005年に新書で出された本書を読みそびれていてアマゾンで探していました。しばらく前から絶版になってる……と残念がっていたら年末に増補、文庫化されました。わー超うれしいけどなんで?と思ったら戦後70年だった。
情緒=追悼の日・8月15日と、政治=平和の日・9月2日を分けるべきだ、という著者の提言つきであります。これも含めて、今年の春や夏に向けて考えを走らせるには十分な時期の出版だったと思う。
スクリャービン没後100年は記念であって喪ではないが、戦後70年はいまだ喪中っぽい。

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