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2021年05月 アーカイブ

2021年05月16日

西ノ京

近鉄に乗って西ノ京。
薬師寺です。
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12年かけて修理した東塔の1階が公開されたので、見に行きました。これ。
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創建当時から残ってるのが東塔くらいで、他は落雷や戦災で焼けたものの復刻とのこと。黒っぽく古ぼけた感じ。窓枠を緑(青)、柱を赤く(丹)で「あをによし」にしてフィニッシュしないの?と聞いたら「奈良は修復前、京都は創建当時の色に戻すので今の状態で完成」とのことでした。へー
塔の上についてる水煙(写真でゲジゲジして見えるやつ)は修復時に取り外し、3D計測して複製したのが今のっかってるそうです。ちょうど1300年お疲れ様の古い方が展示されていて見ることができました。会場の係の人に「今のっかってるレプリカ……」と言ったら「あれは新しい本物であってレプリカではない。実使用に供しているものはレプリカとは言わないしあっちが国宝」と軽く怒られました。FAQにでも書いとけ。
あと、坊主の婚礼かなんかを金堂でやってて、撮影禁止って書いてあるのに参列者がスマホで写真撮ってました。いいけど。

で、玄奘三蔵院伽藍へ。
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なんかいっこ前の日記で、明治初期の「擬洋風建築」がなんで多角形の塔を持っているかという問題が提起されてたんですけど、これだわな。こういうの載っけたくなったんちゃう。
平山郁夫の「大唐西域壁画」も見られました。
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おおきれいきれい。西域行きたいな。
雨脚が強くなってきたな~と思ったら、近畿はきょう最速記録で梅雨入りしたんだって。
お腹が空いたので、「よしむら」でそばを食べました。
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あ、いや、そばもうまいんだけど、ランチセットの押し寿司がなかなかでした。

近所の唐招提寺です。中学の修学旅行ぶりなので29年か。うひゃー
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エンタシス、ウズベキスタンを思い出します。シルクロードのあっちとこっち。
修学旅行のとき、一番印象に残ったのが唐招提寺だったと思います。
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仏像も建物も「すげー」と思うのはやはり薬師寺よりこっちだった。
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木津川でも思ったけど、弊管理人は緑がわさわさしてる風景が好きなのかもしれない。
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宝物館も見ました。
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半袖Tシャツ2枚重ねでほぼ寒い思いをせずにいけました。
夏はもうすぐやね。

* * *

まだ確定はしてませんが、ひょっとして意外と早く大阪を出ることになるかもしれない。
ので、もう本格的に仕事はどうでもよく、毎週末どこに行っておくかだけを考えて生きていこうと思います。

* * *

郷里の叔母が、暫く会ってないうちにいろいろ困っていたことを知り、援助を申し出ました。といっても甥からだと受け取りにくいだろうということで伯母を経由することにし、弊管理人は姿を見せないことにしました。
闘病や介護の負担軽減は難しいかもしれないが、お金で何とかなる部分があるなら何とかすべき。昔からよくしてもらっていた親戚が困窮しているのは悲しい。
親世代はそろそろ生活自立度が怪しくなり始め、同世代は非正規から正規に行くのが難しくなっている。しばらく会えないうちにいろいろな行き詰まりがひどくなっていくのかもしれない。弊管理人自身もいつまでもつやらという気はする。

なんてことを考えながら、ものすごくとぼとぼと奈良を歩いていたのでした。

2021年05月15日

近代建築史講義

建物を見る旅にまた自由に出られるようになったらいいなあということで。
コンサイスなガイドブックとして読みました。
点が線になるいい本でした。

■中谷礼仁『実況近代建築史講義』インスクリプト、2020年。

【1】ルネサンス
・1400年代イタリアから
・ギリシア・ローマ建築の復興。もとは異教的扱いだった
・中世末期の都市間交通の発達と芸術家の移動→「様式style」の発見
・中世・ゴシックの「高さ追求」のような自然的成長
 ←→様式化、抽象化、取捨選択=操作可能性、モード(流行)の出現
・ルネサンス以降は「問題の発見→解決→疲弊→新問題の発見」のサイクルに
・ブルネレスキの幾何学的比例、遠近法の発明:《サン・ロレンツォ聖堂》(ブルネレスキ・ルネサンス初期)→とその横の《ラウレンツィアーナ図書館》(ミケランジェロ・後期=ルネサンスの崩壊)

【2】マニエリスムとバロック
・★「アンチ・ルネサンス」としてのマニエリスム←maniera(手法)=芸術家の個性
 16世紀に半世紀ほど持続。ルネサンスとバロックの間の過渡期
 ルネサンスの安定した世界像に対する不満、倦怠
・特徴は4つ
 (1)先行作品の変形
 (2)典型からの逸脱
 (3)形式の崩壊を肯定する
 (4)時間の介入
・ジュリオ・ロマーノの《パラッツォ・デル・テ》(1535)
 メダイヨンの中身のずれなど、崩壊しかかったような表現
 ヴォールトのグロテスク装飾(古代ローマ起源)

・バロック(ヴェルフリンによる概念化)
 絵画的様式(どんな形か、ではなくどう見えるか)
  《サン・ピエトロ大聖堂》(1506-1626)
 巨大な様式(《ルーヴル宮》複数の階を貫いた巨大な柱など)
 量塊性(大きさ・重さと一体的な装飾、そのかわりルネサンス的形体の明確さは喪失)
 運動(流動的・不安定な形)《サンアンドレア・イン・ヴィア・フラミーナ教会堂》
・《サン・カルロ・アッレ・クアトロ・フォンターネ教会》(ボッロミーニ、1641)
 楕円平面←ケプラー、★もうひとつの焦点としての植民地!

【3】新古典主義
・バロックの運動感→ロココ(宮廷、植物の絡まりのような内観)の浮遊感「重力を外した表現」(ゴンブリッチ)→新古典主義(18世紀中葉~)
・ルネサンスの反復、ただしダイナミックさと数学的厳密性が付加(楕円のバロックから真円、立方体への逆戻り)
・啓蒙主義。白紙から構築できてしまうという驕慢
 →新古典主義という復古が革命的意味を孕んでしまう
・ユートピア的な建築作品群。ルドゥーの《ショーの王立製塩工場》(1779)。「構想する」ことに熱狂した時代でもある
・建築史学
→知性の暴発

【4】19世紀英国:折衷と廃墟
・折衷主義:時代や地域の異なる様式の要素を混ぜてまとめるのが建築家の力量
 →様式の価値平準化、形態が抽象的に扱われる。「パーツ」化
 《サー・ジョン・ソーン美術館》(1792-1824)
 cf.)B.アンダーソンの「新聞」
・ピクチャレスク:崇高な自然美(サブライム)←→ヴェルサイユの幾何学的構成
 人の手が入っていないかのような自然美の庭園を人工的に作る
 古典建築のミニチュア(60%くらい)や廃墟を配置
・↑ピラネージの廃墟版画も時間表現を内包している点で通底
 cf.)磯崎新《つくばセンタービル》、三分一博志《犬島精錬所美術館》

【5】20世紀直前:産業革命と万博
・《アイアン・ブリッジ》(1779)~鉄素材の使い方の進歩
・鉄筋コンクリートの発明。鉄筋が伸張、コンクリートが圧縮を担当。両者の熱膨張率がほぼ一緒なことで実現した(当時は気付かれていなかった?)
・万博#1(1851)@ロンドン。建築的テーマは2つ
 (1)世界を収容する建築はいかにあるべきか
 (2)簡単に建造・解体可能な大建築は可能か
 →回答としての《クリスタル・パレス》
 《パーム・ハウス》(1848)
・パリ万博(1867)
・シカゴ万博(1893)
 モダニズム建築に対する日本の影響《鳳凰殿》
・《エッフェル塔》

【6】ミース・ファン・デル・ローエ
・モダニズム=産業革命以降の生産様式に基づいた作り方:時間秩序の乱れ/複製技術時代の芸術
・WWI後のタブラ・ラサから。コルビュジエの〈ドミノ・システム〉(1914)はバラック住宅のため提案された
・ミース《フリードリヒ街のオフィスビル案》(1921):エレベーターコア、鋼鉄の床、ガラスの壁でできた平面を高さ方向に反復しただけ。均質空間の唐突な出現と達成。崇高美の拒否。神殿
・《シーグラム・ビル》(1958)→《霞が関ビル》(1968)などへ
・シュプレマティズム(<マレーヴィチ):神的なものへ向かって抽象性を高めていく。《白の上の白》(1918)→ミースへの影響、Less is More

【7】ロース/コルビュジエ
・ミース:モダニズムの極端
 《バルセロナ・パヴィリオン》十字の独立柱
 cf.フランク・ロイド・ライトの〈プレーリースタイル〉
・アドルフ・ロース:モダニズムの周縁
 「装飾と犯罪」(c.1908)無駄な装飾の忌避
 19世紀末的なオーソドキシー(基壇、ボディ、冠の別がある←→ミース)
 〈ラウムプラン〉被覆としての建築
 ダダイズムとの通底:周縁で起きた運動→シュルレアリスムへ
・コルビュジエ:モダニズムの中心。メディア、都市、キュビズム
・近代建築の5原則
 (1)ピロティ
 (2)屋上庭園
 (3)自由な平面
 (4)独立骨組みによる水平連続窓
 (5)自由な立面
・輝く都市(→日本の団地へ)
・ドミノ・システム(復興住宅)自由な間取り、開口
・《サヴォア邸》(1931)

【8】未来派/ロシア構成主義/バックミンスター・フラー
・コルビュジエ後期
 《ユニテ・ダビタシオン》ユニットの挿入、メゾネット
 《ロンシャンの礼拝堂》(1955)ランダムな秩序の挿入
・未来派:イタリアの急進的な愛国的芸術破壊運動←マリネッティ(1909)
 スピード、戦争賛美、女性蔑視、ダダ右派、テクノロジー、都市
 サンテリア《新都市》(1914)
・ロシア構成主義:産業や労働と結びついた新しい芸術のあり方
 タトリン:ブリコラージュ、《第三インターナショナル記念塔》(1919)
 リシツキー:シュプレマティズムの幾何学的抽象を現実の生活空間や建築に応用
  《レーニン演説台》(1920)、《雲の階梯》(1925)←60sメタボリズムの先駆け
 メーリニコフ:《コロンブス記念塔案》(1929)、重力を外した建築
 レオニドフ:第2世代、宇宙的
・バックミンスター・フラー(1895-1983)
 〈ダイマキシオン〉=ダイナミック+マキシマム+テンション。最小労力で最大効果
 《ダイマキシオン・ハウス》アルミ、工場生産、住むための機械
 フラードーム:三角形で構成。強固で軽い
   富士山頂のドーム、ヒッピー、軍隊
 
【9】擬洋風建築―明治初期まで
・ブリジェンス&清水喜助《築地ホテル館》(1868)
・和魂洋才=外国に対抗的な人ほど西洋文明を取り入れようとしていた
 →明治政府の欧化政策→工部大学校→1889「日本建築」の授業で伝統建築の再評価
・〈擬洋風〉明治10年代後半、日本人大工による《E.W.クラーク邸》(1872)
 ←大工に既に高度・抽象的な理解能力があった
  様式の本質把握→「みようみまね」が可能だった
 ←鎖国体制の中で「木割」(建築の標準モジュール)が建築所の流布で発達
  18世紀には一子相伝から版本として公開へ
  日本発の建築用語集、溝口林卿『紙上蜃気』(1758)
  和算家出身の棟梁・平岡廷臣『矩術新書』(1848)「反り」を幾何学として解くなど
  パタン・ブック「ひな形書」
・擬洋風建築:
 (1)なまこ壁:防火対策が必要な土蔵の高級仕様に使われていた。石造りの演出
 (2)塔:燈台をモチーフとした。陸と海(舶来)のあわい
 (3)ベランダ:出島より。西欧がインド、アメリカに進出したとき気候に合わせてできた
 (4)多角形の塔:山形《済生館》(1878)、長野《中込学校》(1875)
  実は和算を基にした幾何学技術「規矩術」でよくテーマにされていた
 学校が多かった。《松本開智学校》(1876)、《新潟運上所》(1869)
 伝言ゲームのように誤解が生じ、新しい造形を生んでしまうことも
・その後、担い手は大工から高等教育を受けた日本人建築家へ……

【10】様式建築―明治建築の成熟と崩壊
・本格的な建築教育を受けた建築家の時代:明治中期~昭和初期
・近代日本建築の「近代」と「日本」をどうやって統合するかという重要テーマ
・ジョサイア・コンドル(折衷主義):《三菱一号館》(1894)、《ニコライ堂》(1891)
・辰野金吾:《日本銀行本館》(1896)ジャイアント・オーダー、折衷主義
・妻木頼黄(つまき・よりなか):《日本橋》(1911)装飾など。省庁建築多く
・片山東熊:宮廷建築《旧帝国奈良博物館》(1894)《表慶館》(1908)《東宮御所》(1909)
・《国会議事堂》(1936):空白のメダイヨン、階段ピラミッド(ジグラット)のモチーフは「墓」(マウソロス霊廟の形式)=ヨーロッパよりなお古いものに近代日本を接続した
・極北:長野宇平治《大倉精神文化研究所》(現・横浜市大倉山記念館、1932)=プレ・ヘレニズム。ヘレニズムにオリエント的なものを見いだした。折衷主義の最後の姿、様式主義のデッドエンド
→「実利を主としたる科学体」「如何にして最も強固に最も便益ある建築物を最も廉価に作り得べきか」(佐野利器「建築家の覚悟」(1911))

【11】モダニズム―丹下健三(~1970万博)
・WWI後の西洋モダニズムからほぼ10年遅れで表現派、分離派、モダニズム建築成立(若い建築家が僻地の公共建築設計に登用されることがよくあった。堀口捨己《大島測候所》(1938)など)
←→旧来の様式的手法の建築も残存。《東京国立博物館本館》(1937)は鉄筋コンクリート建築に和式屋根を搭載した〈帝冠様式〉。屋根を載せることで地域性を付与するという凡庸な一般解。《九段会館》(1934)も
・木造建築の海外での評価・モダニズムへの影響→逆輸入されて日本スゴイ!に
・高度成長、近代+日本の交差→丹下による統合
 《広島平和記念公園》(1954)→原爆ドームを平和の象徴として位置づける
 《広島平和記念資料館》(1955)→鉄筋コンで木造建築の黄金比を適用
 《旧東京都庁舎》(1957)→コアの発見
  →活用《香川県庁舎》(1958)
  →都市へ《東京計画1960》
  →分散コア《静岡新聞・静岡放送東京支社》(1967)《山梨文化会館》(1966)
  →伊東豊雄《せんだいメディアテーク》(2000)の離散コアへ
・メタボリズム(1960-):建築によって都市を新陳代謝させる
 菊竹清訓《塔状都市》(1958)、黒川紀章《中銀カプセルタワー》(1972)
・頂点:《国立代々木競技場》(1964)、《東京カテドラル聖マリア大聖堂》(1964)
・万博以降は日本の経済が停滞、丹下は新興国の開発計画へ

【12】モダニズム以降―クリティカル・グリーニズム
・ルドフスキー『建築家なしの建築』―ヴァナキュラー建築。ドゴン族住居など
・ブランド『ホール・アース・カタログ』―メタツール、Googleのような
・ジェンクス「ポストモダニズム」
 アンチモダニズム、機能主義批判
 フォルマリズム:形式や形を先行させ、使い方や機能を沿わせる
  毛綱モン太《反住器》(1972)など
 セルフエイド:日曜大工、コルゲートパイプの使用など
  《川合健二邸》(1966)
 リージョナリズム:建築家にとっての偶然(地形など)との遭遇
  吉阪隆正《大学セミナーハウス》(1965)、U研究室
  象設計集団《名護市庁舎》(1981)
・クリティカル・グリーニズム:植物的、廃墟、藤森照信
  ←→グリーニズムの植物被覆、ハッピーさ
  山元理顕《山川山荘》(1977)、《せんだいメディアテーク》

2021年05月09日

廃線ハイキング

1986年に廃線になった旧国鉄福知山線を歩くハイキングコース。JR西日本が2016年に整備したそうで、歩きにいってきました。昨日はJR東西線の東行き、今日は西行きで。生瀬駅がスタート。
武庫川沿いを延々歩きます。
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たぶんここが一番映える5号トンネルの出口あたり。
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うん列車になった感じがする。
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出口のところにある「畑熊商店」のイノシシ丼でお昼にしました。
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はい武田尾駅でゴール。
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思ったこと。
・トンネルの中は真っ暗なので懐中電灯を持っていくべし
・長袖あったほうがよい
・厚底の靴のほうがよい
・生瀬10:52着、武田尾12:47発。ちょうどいいハイキングでした

2021年05月08日

加茂あたり

京都府最南端、木津川市。2007年に併合された加茂町エリアにいくつか行きたかったお寺があったので、そちらへ行ってきました。

JR木津駅で降りてカーシェア借りて11時。まずは20分ほど運転して浄瑠璃寺です。1047年創建。
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本堂に国宝の九体阿弥陀如来像がいます。大乗仏教の経典の一つ「観無量寿経」(一発変換のATOKえらい)に出てくる9ランクの功徳に対応した皆さん。上品・中品・下品にそれぞれ上生・中生・下生がつく3×3マトリックス(世田谷の九品仏ってこれですよね)。センターの阿弥陀如来中尊像はメンテ中ということで、かわりに秘仏の吉祥天女さんと大日如来さんがいました。
横長の阿弥陀堂は9人に合わせて作ってあり、これ自体がいわば厨子なのだと。不動明王の横にいる童子ちゃん2人がむちゃくちゃキュートでした。
で、阿弥陀さんと池を挟んで見つめ合う?のが薬師如来さんで、この三重塔にいます。こちらも公開中でした。うわーめちゃくちゃいいタイミング。秘仏三体が全部見れてしまった。
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いきなり元気出ました。しかしこれは紅葉の時期に来るとさらにきれいだろうな。

近くの岩船寺まではコミュニティバスもあるんですが、2kmほどの「石仏ロード」を歩いていくことにしました。ずっとこんな感じの道。
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磨崖仏がいくつもあります。南都(奈良)の官僚制化した仏教界からちょっと離れて勉強に集中したいっす、という人たちが多かったらしい。確かに奈良市はすぐ隣なんだけど静かでいいとこです。途中、脇道を指して「内ノ倉不動明王像」という案内が出ていたので何気なく寄り道したら、もうえらい山の中の起伏のある道で大変だった。
こちらは「わらいぼとけ」。なんか楽しそうでいいね。
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で、岩船寺です。こちらは花いっぱい緑いっぱいのきれいなお寺。
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702年、聖武天皇が行基に阿弥陀堂作れやって言ったのが始まりだそうです。へ~
本堂の阿弥陀如来座像は3m、946年の作。胎内の墨書から作られた年が特定できているそうです。四天王立像を従えてどっしりとした、とても据わりのいい仏像です。ちょうど23度くらいの暑くもなく寒くもない日で、静かなお堂の中で鳥の声を聞きながらしばらく座っていました。
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阿弥陀さんの裏に回ると普賢菩薩がおり、辰年と巳年生まれの守護本尊だというので、お守りを買ってしまいました。これはずっと持ってていいんだって。店番の住職はこの阿弥陀さんがめっちゃ自慢らしく、来る人来る人に「浄瑠璃寺さんのより100年以上古いんですよ」とアピっていらっしゃいました。
こちらにも塔ね。もうこの佇まいだけで素敵。
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扉あいてました。中は撮影していいんだって。太っ腹~
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といったあたりでコミュニティバスの時間がきたので、200円で浄瑠璃寺まで戻りました。

次はちょっと離れたところにある海住山寺(かいじゅうせんじ。ATOKすげえ)へ。
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なんでナス?
すごい高いところにあるので眺めがいいです。いただいたパンフに、薄曇りの日に山上から眺める光景は海に浮かぶ補陀洛山(浄土)のようだと書いてあって、ちょうどそんな日でした。
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735年に聖武天皇が良弁に観音寺を作らせたのが一番最初ですが、1137年に焼失。1208年に解脱上人が海住山寺として再興したとのこと。
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もみじに種がついていた。
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このおみくじはかわいい。引かなかったけど。
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ということで、ぼちぼち木津に戻りましょう。

15時を回ってお腹が空いたので、駅からちょっと歩いたところにある「レストランやましろ」でAランチ。
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ギャー素敵な大人様ランチ!手前左のフライはえびクリームコロッケでした。というか、ベシャメルソースとえびを一緒に衣で包んで揚げたエビフライです。ハンバーグもオムレツもそれぞれ作り込んであっておいしかった。おなかいっぱい!!

ということで帰りました。いいとこだな。奈良で1日遊んで泊まったら、次の日のコースとしてありだと思う。

* * *

前回の日記で書いた、かびのひどかった北側の洋間の湿度ウォッチをしているのですが、窓を開けないでいると湿度が80%を超えることが分かりました。どこからきてるの?
そして、高くない除湿器を置いてみると、水はたまっても湿度がほとんど下がらないことも判明した。

* * *

そんでもって次から次へいやはやと思うのですが、ここ数ヶ月(スパンを長くとれば3年ほど)見て見ぬふりをしていた会社での身の振り方に関する問題、いきなり来週中に答えを出さないといけなくなりました。本人はそんな進路を希望したことがないんだけど、なんか包囲網が極度に狭まった……

2021年05月04日

かび

いま住んでいる部屋は振り分け式の1LDKなんですが、南向きのLDKにベッドも机も入れてほとんどの時間を過ごしており、北向きで隣接の建物があるためあまり明るくない部屋には、電子ピアノとその時期に着ない衣類と開いてない段ボールを置いて、ほぼ倉庫のようにしていました。

おとといの昼間、何気なくメガネをかけて北向きの部屋に入ったとき、ピアノの足下に置いた何も入れてない帆布のブックスタンドが変な色になっていることに気付きました。よく見てみると緑と白のカビに覆われている。そしてピアノの下に置いたラグも緑色になっている!
もしや、と思ってクローゼット(湿気がこもるかと思い、扉は開けっ放しにしていた)の服を見ると、礼服に白カビ。衣類ケースは緑になってました。少し離れたところにあるトートバッグもアウト。あえて法則を探すと(1)帆布のような素材のものが総じてアウト(2)ホコリをかぶっていたものがアウト。

断捨離大会の開始です。新宿、その前の江戸川、一部はその前から持っていたが着ることのなかった服を大半捨てました。襟の黄ばんだシャツもこの際すべて廃棄。礼服は高かったのと、使うときにないと困るのでクリーニングへ。クローゼットの中やピアノ、段ボールの表面、本などをを拭き、まだ着る数枚のシャツやカーテンを洗濯し、換気します。湿度計を置くと、窓を閉めた状態で湿度が70%くらいになることが分かりました。冬の間ずっと締め切っていたらこうなるのか。ひえーここまでのは初めて。

思い出の服、もらいもの、いろいろあったけど、この5年着なかったものは全部、目をつぶって捨てました。やけっぱちな気持ちになったのがちょうどよかったかもしれません。弊管理人はもはや、1Rや1Kに入る以上の荷物を持つ必要はないなと思いました。仕事用のシャツ3枚、ズボン2枚、そのほかに夏と冬に着る数枚と上着があればいい。本も読み返すものはとても限られます(そうそう読み返さないだろうと思うから弊日記にメモしている)。布団も自分のだけにしよう。次に動くときは6~8畳に収まる程度までモノを減らそうと思いました。

とかなんとか大掃除をやっているうちに連休も終盤になり、晴れは今日までのようなので四天王寺に散歩に行ってきました。
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ほんとは木津川とか奈良とか、ちょっと行きたいところがあったのだけど、それは来週や再来週でいいか。

* * *

そういえば鼻の頭がしわしわになって休んだあと、心身はほぼ安定しました。
面倒で長期にわたる案件を弊管理人に任せきりにするという体制が見直されたということが大きい。

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