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近代建築史講義

建物を見る旅にまた自由に出られるようになったらいいなあということで。
コンサイスなガイドブックとして読みました。
点が線になるいい本でした。

■中谷礼仁『実況近代建築史講義』インスクリプト、2020年。

【1】ルネサンス
・1400年代イタリアから
・ギリシア・ローマ建築の復興。もとは異教的扱いだった
・中世末期の都市間交通の発達と芸術家の移動→「様式style」の発見
・中世・ゴシックの「高さ追求」のような自然的成長
 ←→様式化、抽象化、取捨選択=操作可能性、モード(流行)の出現
・ルネサンス以降は「問題の発見→解決→疲弊→新問題の発見」のサイクルに
・ブルネレスキの幾何学的比例、遠近法の発明:《サン・ロレンツォ聖堂》(ブルネレスキ・ルネサンス初期)→とその横の《ラウレンツィアーナ図書館》(ミケランジェロ・後期=ルネサンスの崩壊)

【2】マニエリスムとバロック
・★「アンチ・ルネサンス」としてのマニエリスム←maniera(手法)=芸術家の個性
 16世紀に半世紀ほど持続。ルネサンスとバロックの間の過渡期
 ルネサンスの安定した世界像に対する不満、倦怠
・特徴は4つ
 (1)先行作品の変形
 (2)典型からの逸脱
 (3)形式の崩壊を肯定する
 (4)時間の介入
・ジュリオ・ロマーノの《パラッツォ・デル・テ》(1535)
 メダイヨンの中身のずれなど、崩壊しかかったような表現
 ヴォールトのグロテスク装飾(古代ローマ起源)

・バロック(ヴェルフリンによる概念化)
 絵画的様式(どんな形か、ではなくどう見えるか)
  《サン・ピエトロ大聖堂》(1506-1626)
 巨大な様式(《ルーヴル宮》複数の階を貫いた巨大な柱など)
 量塊性(大きさ・重さと一体的な装飾、そのかわりルネサンス的形体の明確さは喪失)
 運動(流動的・不安定な形)《サンアンドレア・イン・ヴィア・フラミーナ教会堂》
・《サン・カルロ・アッレ・クアトロ・フォンターネ教会》(ボッロミーニ、1641)
 楕円平面←ケプラー、★もうひとつの焦点としての植民地!

【3】新古典主義
・バロックの運動感→ロココ(宮廷、植物の絡まりのような内観)の浮遊感「重力を外した表現」(ゴンブリッチ)→新古典主義(18世紀中葉~)
・ルネサンスの反復、ただしダイナミックさと数学的厳密性が付加(楕円のバロックから真円、立方体への逆戻り)
・啓蒙主義。白紙から構築できてしまうという驕慢
 →新古典主義という復古が革命的意味を孕んでしまう
・ユートピア的な建築作品群。ルドゥーの《ショーの王立製塩工場》(1779)。「構想する」ことに熱狂した時代でもある
・建築史学
→知性の暴発

【4】19世紀英国:折衷と廃墟
・折衷主義:時代や地域の異なる様式の要素を混ぜてまとめるのが建築家の力量
 →様式の価値平準化、形態が抽象的に扱われる。「パーツ」化
 《サー・ジョン・ソーン美術館》(1792-1824)
 cf.)B.アンダーソンの「新聞」
・ピクチャレスク:崇高な自然美(サブライム)←→ヴェルサイユの幾何学的構成
 人の手が入っていないかのような自然美の庭園を人工的に作る
 古典建築のミニチュア(60%くらい)や廃墟を配置
・↑ピラネージの廃墟版画も時間表現を内包している点で通底
 cf.)磯崎新《つくばセンタービル》、三分一博志《犬島精錬所美術館》

【5】20世紀直前:産業革命と万博
・《アイアン・ブリッジ》(1779)~鉄素材の使い方の進歩
・鉄筋コンクリートの発明。鉄筋が伸張、コンクリートが圧縮を担当。両者の熱膨張率がほぼ一緒なことで実現した(当時は気付かれていなかった?)
・万博#1(1851)@ロンドン。建築的テーマは2つ
 (1)世界を収容する建築はいかにあるべきか
 (2)簡単に建造・解体可能な大建築は可能か
 →回答としての《クリスタル・パレス》
 《パーム・ハウス》(1848)
・パリ万博(1867)
・シカゴ万博(1893)
 モダニズム建築に対する日本の影響《鳳凰殿》
・《エッフェル塔》

【6】ミース・ファン・デル・ローエ
・モダニズム=産業革命以降の生産様式に基づいた作り方:時間秩序の乱れ/複製技術時代の芸術
・WWI後のタブラ・ラサから。コルビュジエの〈ドミノ・システム〉(1914)はバラック住宅のため提案された
・ミース《フリードリヒ街のオフィスビル案》(1921):エレベーターコア、鋼鉄の床、ガラスの壁でできた平面を高さ方向に反復しただけ。均質空間の唐突な出現と達成。崇高美の拒否。神殿
・《シーグラム・ビル》(1958)→《霞が関ビル》(1968)などへ
・シュプレマティズム(<マレーヴィチ):神的なものへ向かって抽象性を高めていく。《白の上の白》(1918)→ミースへの影響、Less is More

【7】ロース/コルビュジエ
・ミース:モダニズムの極端
 《バルセロナ・パヴィリオン》十字の独立柱
 cf.フランク・ロイド・ライトの〈プレーリースタイル〉
・アドルフ・ロース:モダニズムの周縁
 「装飾と犯罪」(c.1908)無駄な装飾の忌避
 19世紀末的なオーソドキシー(基壇、ボディ、冠の別がある←→ミース)
 〈ラウムプラン〉被覆としての建築
 ダダイズムとの通底:周縁で起きた運動→シュルレアリスムへ
・コルビュジエ:モダニズムの中心。メディア、都市、キュビズム
・近代建築の5原則
 (1)ピロティ
 (2)屋上庭園
 (3)自由な平面
 (4)独立骨組みによる水平連続窓
 (5)自由な立面
・輝く都市(→日本の団地へ)
・ドミノ・システム(復興住宅)自由な間取り、開口
・《サヴォア邸》(1931)

【8】未来派/ロシア構成主義/バックミンスター・フラー
・コルビュジエ後期
 《ユニテ・ダビタシオン》ユニットの挿入、メゾネット
 《ロンシャンの礼拝堂》(1955)ランダムな秩序の挿入
・未来派:イタリアの急進的な愛国的芸術破壊運動←マリネッティ(1909)
 スピード、戦争賛美、女性蔑視、ダダ右派、テクノロジー、都市
 サンテリア《新都市》(1914)
・ロシア構成主義:産業や労働と結びついた新しい芸術のあり方
 タトリン:ブリコラージュ、《第三インターナショナル記念塔》(1919)
 リシツキー:シュプレマティズムの幾何学的抽象を現実の生活空間や建築に応用
  《レーニン演説台》(1920)、《雲の階梯》(1925)←60sメタボリズムの先駆け
 メーリニコフ:《コロンブス記念塔案》(1929)、重力を外した建築
 レオニドフ:第2世代、宇宙的
・バックミンスター・フラー(1895-1983)
 〈ダイマキシオン〉=ダイナミック+マキシマム+テンション。最小労力で最大効果
 《ダイマキシオン・ハウス》アルミ、工場生産、住むための機械
 フラードーム:三角形で構成。強固で軽い
   富士山頂のドーム、ヒッピー、軍隊
 
【9】擬洋風建築―明治初期まで
・ブリジェンス&清水喜助《築地ホテル館》(1868)
・和魂洋才=外国に対抗的な人ほど西洋文明を取り入れようとしていた
 →明治政府の欧化政策→工部大学校→1889「日本建築」の授業で伝統建築の再評価
・〈擬洋風〉明治10年代後半、日本人大工による《E.W.クラーク邸》(1872)
 ←大工に既に高度・抽象的な理解能力があった
  様式の本質把握→「みようみまね」が可能だった
 ←鎖国体制の中で「木割」(建築の標準モジュール)が建築所の流布で発達
  18世紀には一子相伝から版本として公開へ
  日本発の建築用語集、溝口林卿『紙上蜃気』(1758)
  和算家出身の棟梁・平岡廷臣『矩術新書』(1848)「反り」を幾何学として解くなど
  パタン・ブック「ひな形書」
・擬洋風建築:
 (1)なまこ壁:防火対策が必要な土蔵の高級仕様に使われていた。石造りの演出
 (2)塔:燈台をモチーフとした。陸と海(舶来)のあわい
 (3)ベランダ:出島より。西欧がインド、アメリカに進出したとき気候に合わせてできた
 (4)多角形の塔:山形《済生館》(1878)、長野《中込学校》(1875)
  実は和算を基にした幾何学技術「規矩術」でよくテーマにされていた
 学校が多かった。《松本開智学校》(1876)、《新潟運上所》(1869)
 伝言ゲームのように誤解が生じ、新しい造形を生んでしまうことも
・その後、担い手は大工から高等教育を受けた日本人建築家へ……

【10】様式建築―明治建築の成熟と崩壊
・本格的な建築教育を受けた建築家の時代:明治中期~昭和初期
・近代日本建築の「近代」と「日本」をどうやって統合するかという重要テーマ
・ジョサイア・コンドル(折衷主義):《三菱一号館》(1894)、《ニコライ堂》(1891)
・辰野金吾:《日本銀行本館》(1896)ジャイアント・オーダー、折衷主義
・妻木頼黄(つまき・よりなか):《日本橋》(1911)装飾など。省庁建築多く
・片山東熊:宮廷建築《旧帝国奈良博物館》(1894)《表慶館》(1908)《東宮御所》(1909)
・《国会議事堂》(1936):空白のメダイヨン、階段ピラミッド(ジグラット)のモチーフは「墓」(マウソロス霊廟の形式)=ヨーロッパよりなお古いものに近代日本を接続した
・極北:長野宇平治《大倉精神文化研究所》(現・横浜市大倉山記念館、1932)=プレ・ヘレニズム。ヘレニズムにオリエント的なものを見いだした。折衷主義の最後の姿、様式主義のデッドエンド
→「実利を主としたる科学体」「如何にして最も強固に最も便益ある建築物を最も廉価に作り得べきか」(佐野利器「建築家の覚悟」(1911))

【11】モダニズム―丹下健三(~1970万博)
・WWI後の西洋モダニズムからほぼ10年遅れで表現派、分離派、モダニズム建築成立(若い建築家が僻地の公共建築設計に登用されることがよくあった。堀口捨己《大島測候所》(1938)など)
←→旧来の様式的手法の建築も残存。《東京国立博物館本館》(1937)は鉄筋コンクリート建築に和式屋根を搭載した〈帝冠様式〉。屋根を載せることで地域性を付与するという凡庸な一般解。《九段会館》(1934)も
・木造建築の海外での評価・モダニズムへの影響→逆輸入されて日本スゴイ!に
・高度成長、近代+日本の交差→丹下による統合
 《広島平和記念公園》(1954)→原爆ドームを平和の象徴として位置づける
 《広島平和記念資料館》(1955)→鉄筋コンで木造建築の黄金比を適用
 《旧東京都庁舎》(1957)→コアの発見
  →活用《香川県庁舎》(1958)
  →都市へ《東京計画1960》
  →分散コア《静岡新聞・静岡放送東京支社》(1967)《山梨文化会館》(1966)
  →伊東豊雄《せんだいメディアテーク》(2000)の離散コアへ
・メタボリズム(1960-):建築によって都市を新陳代謝させる
 菊竹清訓《塔状都市》(1958)、黒川紀章《中銀カプセルタワー》(1972)
・頂点:《国立代々木競技場》(1964)、《東京カテドラル聖マリア大聖堂》(1964)
・万博以降は日本の経済が停滞、丹下は新興国の開発計画へ

【12】モダニズム以降―クリティカル・グリーニズム
・ルドフスキー『建築家なしの建築』―ヴァナキュラー建築。ドゴン族住居など
・ブランド『ホール・アース・カタログ』―メタツール、Googleのような
・ジェンクス「ポストモダニズム」
 アンチモダニズム、機能主義批判
 フォルマリズム:形式や形を先行させ、使い方や機能を沿わせる
  毛綱モン太《反住器》(1972)など
 セルフエイド:日曜大工、コルゲートパイプの使用など
  《川合健二邸》(1966)
 リージョナリズム:建築家にとっての偶然(地形など)との遭遇
  吉阪隆正《大学セミナーハウス》(1965)、U研究室
  象設計集団《名護市庁舎》(1981)
・クリティカル・グリーニズム:植物的、廃墟、藤森照信
  ←→グリーニズムの植物被覆、ハッピーさ
  山元理顕《山川山荘》(1977)、《せんだいメディアテーク》

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2021年05月15日 23:59に投稿されたエントリーのページです。

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