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2018年11月 アーカイブ

2018年11月25日

連休なかび

文京区にある印刷博物館の「天文学と印刷」展を見に行ってきました。(ほんとどうでもいいけど樺山紘一さんが館長なんですね)
活版印刷がマインツから始まったのが1454年、そのあとコペルニクスの『天球の回転について』がニュルンベルクで出版され、(画家としてしか知らなかったが)デューラーが初の天球図を印刷。その後は研究において出版は前提になり、神に由来する宇宙の調和を信じたケプラー、ティコ・ブラーエ、ガリレオ、天と地の法則を統一したニュートン。あとは渋川春海と日本の暦……
まあつまりは近代天文学史なんですが、レギオモンタヌス、アピアヌスなど15~16世紀の天文学者は「印刷者」も兼ねていたというのは初めて知りました。
常設展も浮世絵からミクロ印刷技術まで、社会的な背景も絡めた解説も結構あって楽しめました。

直接関係ないですが、アリストテレス「天界について」

かくして宇宙は今現在、一つより多くはないし、過去にも多くはなかったし、多くの宇宙が生じることもできない
思弁的宇宙論は一転マルチバースに……

* * *

夕飯、十条にあるクルド料理「メソポタミア」に行ってきました。
3人だったので色々食べられました。なす、いんげん、おくらのプレート。
あとは単品でジャガイモのスープと、羊のピザ、肉団子のアメリカンドッグみたいなやつ。これは「ブルグル包み揚げ」と書いてあったので「ブルグルって何ですか」と聞いたが、おかーさんは答えられなかった(知らないはずはなく、日本語表現力の問題)。ウィキによると、小麦を挽いて湯通しして乾かしたものだそうです。
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ウズベキスタンで食べたごはんと結構似てます。サラダが必ずつくのと、野菜のスープが特に。
あと面白かったのはデザートのオスマンコーヒー。カルダモン、カカオ、シナモンなどのスパイスが入ってました。同行友人は「土っぽい」と(笑)。それとレワニというゴマとクルミのケーキ。これはサバランみたいにしっとりしたもの。でも含んでいるのは洋酒ではない。
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ごちそうさまでした。

* * *

そのあと新宿で日頃お世話になっている人たちのパーティに行きました。
お客さんも一緒になってつくるイベントですが、多士済々。3時半就寝。

2018年11月23日

ページェント

■タカシ・フジタニ(米山リサ訳)『天皇のページェント』NHK出版、1994年。

これから代替わり系の文章をいろいろ読むにあたっての準備運動の一つとして読んでみました。
アンダーソン!フーコー!ボードリヤール!使って!ますよ!みたいな懐かしさを感じます。
以下メモ。

・江戸時代には一般にほとんど知られていなかった天皇の存在が、明治時代には時間、空間、文化の中心になった。歴史家からみれば極めて近代的な現象が、国家主義者には古代的に見えるのはどうしてか

・徳川時代の統治は身分制という縦の分断と、「藩」という連邦制的な横の分断という「違い」に基礎があった。明治維新に際しても一般的には国家や天皇というものに対して強い意識があったわけではない。天皇を民間信仰におけるカミと混同する向きもあった
・明治政府の指導者は、徳川政府のときのような「従属する愚民」ではなく、「知識を持ち、規律化された国民共同体」が必要と判断した。まとまりのなかった国民を近代ナショナリズムに方向付ける手段が欲しかった
(手段1)文明開化=文化政策。つまり「民衆は教育できるものだ」という信念が為政者にあった。民俗宗教や放逸な祭礼への攻撃、賭博などの禁止。一方で、等質的、包括的な「公式文化(フォークロア)」の発明
(手段2)儀礼の重視。神祇官の設置+儀式の奨励。祝祭日(eg.紀元節!)の設定など
・しかしやはり、中心となるのは「天皇のページェント」だった。天皇が民衆に見られ、天皇が民衆を見る壮麗な「巡幸」。北海道から九州最南端まで。日の丸や菊の紋章の意味もコンセンサスを得ていなかったが、そうした表象を広めるきっかけになった。また、壮麗な巡幸を見せることで、天皇が領土を象徴的に掌握していった同時に、天皇から眼差される従順な主体を創出した

・その後、儀礼が整備された1880年代後半になると巡幸は止み、東京、京都がページェントの中心的舞台になる。東京は文明と進歩を表す場所として、また京都は1000年の歴史をもつ正統性の根拠として
・東京は維新の混乱以来、荒廃したままだった。そこで老朽化していた皇居の整備をする。公の目に触れるところは和洋折衷様式、私的な間は和風にした。また莫大な群衆を集めることのできる「宮城前広場」(と、溢れた群衆が収容できる日比谷公園)を造った。「神聖な場所」を備えた首都の重視(ついでに日比谷・霞ヶ関への官庁の集約と、丸の内・大手町の商業地区化という現在に繋がる都市計画)。
・絵はがきや記念切手、小説にも刻まれ、東京は象徴的求心性を備えた。天皇の露出=政治への関与を示す街に
・一方、「伝統」の場としての京都。天皇の死去や即位式など、過去を参照することで国家の連続性を確認する必要に迫られた場合に利用された。天皇の葬送ではみんな宮廷装束をまとっていた。7世紀以来の仏教式を無視し、新たに作った神道方式での葬儀(孝明天皇から)。スケール、公開度は完全に近代的でありながら、内容は古代的であった
・また、もとは豊穣・繁栄祈願で民間に信仰されていた伊勢神宮を皇室の宗祖アマテラスを祭り、歴史時代以前との連続性を象徴する神社として再編成した
・地方に出掛けなくなった代わりに、「御真影」の配布などによる象徴・儀礼の拡散が行われた

・明治後半、儀式は西欧列強から借り・西欧列強と競う国際的な様式を備えるようになる。西欧近代は儀式を不要とするのではなく、むしろ統治に不可欠の要素としていると考えた
・儀式は国内向けの意味だけではなく、国際的な視線をも意識するようになる。文明の象徴・東京で顕現する軍服と髭で男性化された天皇の姿(一方、伝統の京都が担保する皇孫と一体化した不可視の天皇)。青山練兵場での閲兵や、天皇のパレード。憲法発布、戦勝記念式、婚礼や葬祭
・「記憶」の創出。戦争賛頌の中心としての東京。大村益次郎などの銅像建立、つまり政治権力の自己表象として偉人が姿を現した。大鳥居のモニュメンタリズム。軍服を着た天皇の戦勝ページェント。一方で朝敵・平将門を祭る神田明神の格下げ
・また、銀婚式などを通じて天皇とペアをなす、従属しつつ支える「良妻賢母」の公的な象徴としての皇后が創出された。民衆の常だった「妻以外の女性との開けっぴろげな交際」や「頻繁な結婚と離婚」の否定でもある
・学校や兵舎などを典型として、個々人の身体が可視化され、天皇の身体は見えなくなっていく。これによって、天皇は無限の視線を獲得する

・そしてテレビ時代の天皇。祭祀の場にいる人(天皇自身を含む)にはほんの一部しか見えないが、NHKが(政教分離の原則から私的儀礼とされた部分まで含め)すべてを映し出し解説し、列島の表情まで見せ、全体の把握をさせてくれるメディア・ページェント
・ただしテレビは列島の表情の中で、反対する人の意見も周辺化しつつ網羅し、また昭和天皇の時代の暗い出来事をさっくりと省略。支配的物語の拡散と、暗い記憶の忘却と現在からの切断を促した。忘却の作用
・また物語は複製され、アウラを失い、陳腐化された。古めかしく見えるだけの非歴史的な記号の山。神秘性をもった大嘗祭の中継は、皇威を損なう効果を顕わにした。陳腐化の作用

2018年11月20日

胎内めぐりなど

今月やっと3,4日目の休みを、金・土と関西でとりました。
出掛けた理由はただ遠くに行きたかったというだけ。

新幹線も当日とった。
新大阪の「道頓堀今井」で親子丼ときつねうどん。
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小6のとき、当時生駒に住んでいた伯父を訪ねて独りで長野から大阪に出て、大阪駅で伯父と落ち合って一緒にうどんを食べたのが、澄ましのうどんを初めて食べた機会でした。なんかそれを思い出しました。

今回、「万博記念公園行こうと思うんだよね」と隣の席の若者に言ったら「EXPO70パビリオンは絶対お勧め」と言われたので行ってみました。
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充実してた。いま公園歩いてても「万博って何」に応えるものが全くないのですが、ここに集約されていたか。
鉄鋼連盟が作った「音と光のパビリオン 鉄鋼館」を改装したもののようで、特殊な音響設備を持ったシアターが復元されていました。設計はコルビュジエの弟子、前川国男。演出プロデューサーは武満徹!
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バシエによる「彫刻音楽」、クセナキス(小澤征爾指揮)、高橋悠治の作品の上演。めっちゃ豪華ですやん。なにこれ。
パビリオン建築もそうだけど、やりたいこと全部やった感、すごい楽しげ。
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こちらは万博を機に日本に登場したもの、いろいろ。フランスパン、ヨーグルト、缶コーヒー、動く歩道、ファミレスなど。

ほんで実は2ヶ月ほど前に、太陽の塔の中の見学予約をしていたのでした。
今年3月から始まった内部の公開で、やっと頭、お腹、背中に続く「第4の顔」こと「地底の太陽」を見ることができました。これで太陽の塔をコンプリートした気がする。
でも中は撮影不可でした。ケチ。ばーか。
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「生命の木」を見ながら、だいたい地上30m、太陽の塔の脇の下くらいまで階段で上ります。その先の腕の部分には昔はエスカレーターがついていて、そこから「空中展示」という場所に続いてたんだそうです。外の天井の部分ね。
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民博はミュージアムショップをゆっくり見てる間に閉館になってしまいました。
とりあえず中津の東横インに投宿。

夜は「まんねん」でオムチャーハン。
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うまうま。餃子もつけたかったけど、5個200円はラーメンにしかつけられなくて、単独で頼むと10個からなんですと。なんだそれ。

堂山町を歩いてると悪ガキが防犯のおまわりさんをはやし立てており、
警「じゃかあしやワレ-!」
ガキ「おーこわ!」
警「怖けりゃ帰らんかいボケ!」
とかいっててなかなか迫力ありました。でもなんかこういう言葉の瞬発力っていいなあと。

ちょっと飲んで帰って寝ました。

翌日は神戸方面へ。
兵庫県立美術館を冷やかしました。
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安藤忠雄、生かしてますかね。これ。

若干時間があったので、元町まで行っちゃって老祥記の豚まん3つだけ食べました。
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そのあと歩いて三宮へ。

三宮で友人と落ち合って「唐子(からこ)」で酢豚定食と水餃子。
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これはこれでおいしかったんですが、ちょっと分けてもらった牛喃飯のほうがインパクト強かったです。次はこっちだな。
三宮って4年くらい前には仕事でかなり頻繁に来ていたのですけど、そういや最近全然。

県立美術館に連れて行ってくれようとしていたそうなのですが、既に行ってしまったので路線変更して須磨浦山上遊園に行きました。これはローカルの人とじゃないといかんわー
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山陽電車・須磨浦公園駅で降りて、ロープウェイに乗り換えてこれくらいの見晴らし。
更に上には「カーレーター」で25度の坂を上ります。
カーレーター=カー+エスカレーターらしい。雨でも上れる「動く登山道」として1966年開業、日本に現存する唯一のカーレーターだと。
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勝手に古くなっていったのが、いつしか「レトロ」として保存の対象になりましたな。
明石海峡大橋見えたー
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また電車で1駅、須磨駅で降りてJR駅に行く途中のホットドッグ屋「コペンハーゲン」でホットドッグ調達。
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砂浜で食べました。現地(どこだ)っぽいソーセージでうまかった。
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いやーいい1泊旅行だった。もう1泊できたらよかった。
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神戸空港から帰りました。

日曜はいつもの飯友とお好み焼き食って、夜はトリキで焼き鳥食って寝ましたとさ。

2018年11月12日

にちよう徒然

土曜は未明までの仕事を終えて、そのまま飲みに行っちゃって朝方帰宅。
日曜は昼前に起きて、同じくらいの時間に起きた友人と東中野の「ピッツェリア チーロ」で昼飯。グラタンコロッケ、レタスのシーザーサラダ、4種のピザが1枚にのっかったやつ。全部すごくうまかった。
そのあとミスドで暗くなってくるまでだべって1回解散。
夜は約束があったのだけど、相手が風邪ということで流れました。
で、さっき別れた友人が音楽の練習を終えるのを待って再集合し、別の友人も連れてカーシェアで「おふろの王様 志木」へ。
そのあと、和光の「くるまやラーメン」で味噌バターコーンラーメンを食しました。
バイパス沿いとかにあるイメージのお店で、今回一緒に食べた福島、宮城、長野出身のメンバーが「なつい」で一致した。そして全員が深く満足した。
この時点で23時、背徳の味が沁みるわけです。
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東京中心部で見かけないのでいつ以来だろうと思ったら、たぶん15年前。田舎で母親が亡くなった夜、妹と二人で自宅の近くのくるまやで夕飯食べたんでした。父は確か病院で夜を明かしたはず。

* * *

■三橋順子『新宿 「性なる街」の歴史地理』朝日新聞出版、2018年。

甲州街道に新設された宿場から遊郭へ、戦後の赤線へ、そして1960年代ごろから性的マイノリティの街へと変貌してきた新宿「あの辺」の歴史。新宿で寝起きし、食べ、遊んでいる弊管理人は脳内ストリートビューを再生し「そこがあれだったかーーーー!!」と興奮しながら読みました。

土日休みの強気なパスタ屋のちょい先にあった遊郭の境界、ゴールデン街の煮干ラーメン屋の建物の由来、二丁目ほぼど真ん中の半地下の中華料理屋のあたりは赤線じゃなくて青線だったらしい、そしてタリーズの裏の不思議な路地。内藤新宿の「内藤」は母方の田舎とつながっていたのも初めて知った。

そのほか、東京の性産業の歴史にも話が及んでいて勉強になります。1月に友人に誘っていただき街歩きした吉原、前に住んでいた新小岩、ラーメンや「すた丼」食べに行っていた亀戸(食べる話ばっかりだな)、何かご縁がありますね。今の地理を知ってると4倍楽しい。

* * *

おじさん職掌見習い日記もまだまだ続きます。

若者が作った文章を商品に仕立てる役のおじさんですが、まあ相変わらず結構な大工事を繰り返しています。あまりに完成度の低いものが若者から送られてくることに腹を立てる同僚おじさんはちらほら見受けられ、弊管理人も血圧が10くらい上がることがなくもないのですが、最近ひとつの理解に達しました。若者の仕事は「できそこないの完成品」ではなく「そもそもからして素材」だと考えるべきだということ。

初心者かベテランかを問わず、一人で書いた文章には――程度の差はあっても――穴があるものです。だから、おじさんが一から書いたら完成品ができるかというとそういうものでもありません。まずは若者が書きたいものを形にし、それを客観的に見ることのできるおじさんが素材として受け止めて加除をし、それを投げ返してチェックを重ねる、というようなキャッチボールは不可欠なプロセスなのです。おじさんは検品係ではなく、ライン下流にいる組み立て担当者なのです。

若者時代、弊管理人は自分の投げた仕事がおじさん(おばさんもいるんですけど、ほとんど不満に思ったことがないので、おじさん)の恣意によって作り変えられると「おじさんの頭の中に正解があって、それに合わせて作り変えるだけなら最初から自分で作ればいいのに」と思っていたものです。でもそれはそうではなく、大枠はやはり現場を知っている若者が作るべきで、それがあって初めておじさんも改良の方向性を見いだすことができる。そう考えることで、おじさんの立ち位置がやっと正当化できました。

* * *

ぶつくさ言う用のツイッターアカウントを閉じてみて、ちょっとぶつくさ言いたい時に吐き出す先がないなあとは感じるのですが、それは持続しないので、今のところ特にぶつくさ用のアカウントをあらためて作ろうという気になってません。

ぶつくさ言うことはかえってその対象への執着を増すようでもあり、周囲も「うわ……」と思うだけであれば、誰得なのかという。今となっては。

2018年11月05日

しぞーか

所用で静岡。
駿府教会を見せていただきました。新約聖書もいただいてしまいました。
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曇りだったせいか、光が射すのではなく沁みてくる感じ。
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設計は西沢大良さん。
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そんで「海ぼうず」でしぞーかおでん食べました。
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すっごい食べ応えのあるマグロのテール、598円。安!
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行きはバスで3時間2250円、帰りはひかりで50分5000いくらでした。
バスで十分ですね。景色見れていいのと、途中休憩の足柄SAが楽しい。
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駅弁は東海軒の鯛めし。味は一言でいうとでんぶです!

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