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ページェント

■タカシ・フジタニ(米山リサ訳)『天皇のページェント』NHK出版、1994年。

これから代替わり系の文章をいろいろ読むにあたっての準備運動の一つとして読んでみました。
アンダーソン!フーコー!ボードリヤール!使って!ますよ!みたいな懐かしさを感じます。
以下メモ。

・江戸時代には一般にほとんど知られていなかった天皇の存在が、明治時代には時間、空間、文化の中心になった。歴史家からみれば極めて近代的な現象が、国家主義者には古代的に見えるのはどうしてか

・徳川時代の統治は身分制という縦の分断と、「藩」という連邦制的な横の分断という「違い」に基礎があった。明治維新に際しても一般的には国家や天皇というものに対して強い意識があったわけではない。天皇を民間信仰におけるカミと混同する向きもあった
・明治政府の指導者は、徳川政府のときのような「従属する愚民」ではなく、「知識を持ち、規律化された国民共同体」が必要と判断した。まとまりのなかった国民を近代ナショナリズムに方向付ける手段が欲しかった
(手段1)文明開化=文化政策。つまり「民衆は教育できるものだ」という信念が為政者にあった。民俗宗教や放逸な祭礼への攻撃、賭博などの禁止。一方で、等質的、包括的な「公式文化(フォークロア)」の発明
(手段2)儀礼の重視。神祇官の設置+儀式の奨励。祝祭日(eg.紀元節!)の設定など
・しかしやはり、中心となるのは「天皇のページェント」だった。天皇が民衆に見られ、天皇が民衆を見る壮麗な「巡幸」。北海道から九州最南端まで。日の丸や菊の紋章の意味もコンセンサスを得ていなかったが、そうした表象を広めるきっかけになった。また、壮麗な巡幸を見せることで、天皇が領土を象徴的に掌握していった同時に、天皇から眼差される従順な主体を創出した

・その後、儀礼が整備された1880年代後半になると巡幸は止み、東京、京都がページェントの中心的舞台になる。東京は文明と進歩を表す場所として、また京都は1000年の歴史をもつ正統性の根拠として
・東京は維新の混乱以来、荒廃したままだった。そこで老朽化していた皇居の整備をする。公の目に触れるところは和洋折衷様式、私的な間は和風にした。また莫大な群衆を集めることのできる「宮城前広場」(と、溢れた群衆が収容できる日比谷公園)を造った。「神聖な場所」を備えた首都の重視(ついでに日比谷・霞ヶ関への官庁の集約と、丸の内・大手町の商業地区化という現在に繋がる都市計画)。
・絵はがきや記念切手、小説にも刻まれ、東京は象徴的求心性を備えた。天皇の露出=政治への関与を示す街に
・一方、「伝統」の場としての京都。天皇の死去や即位式など、過去を参照することで国家の連続性を確認する必要に迫られた場合に利用された。天皇の葬送ではみんな宮廷装束をまとっていた。7世紀以来の仏教式を無視し、新たに作った神道方式での葬儀(孝明天皇から)。スケール、公開度は完全に近代的でありながら、内容は古代的であった
・また、もとは豊穣・繁栄祈願で民間に信仰されていた伊勢神宮を皇室の宗祖アマテラスを祭り、歴史時代以前との連続性を象徴する神社として再編成した
・地方に出掛けなくなった代わりに、「御真影」の配布などによる象徴・儀礼の拡散が行われた

・明治後半、儀式は西欧列強から借り・西欧列強と競う国際的な様式を備えるようになる。西欧近代は儀式を不要とするのではなく、むしろ統治に不可欠の要素としていると考えた
・儀式は国内向けの意味だけではなく、国際的な視線をも意識するようになる。文明の象徴・東京で顕現する軍服と髭で男性化された天皇の姿(一方、伝統の京都が担保する皇孫と一体化した不可視の天皇)。青山練兵場での閲兵や、天皇のパレード。憲法発布、戦勝記念式、婚礼や葬祭
・「記憶」の創出。戦争賛頌の中心としての東京。大村益次郎などの銅像建立、つまり政治権力の自己表象として偉人が姿を現した。大鳥居のモニュメンタリズム。軍服を着た天皇の戦勝ページェント。一方で朝敵・平将門を祭る神田明神の格下げ
・また、銀婚式などを通じて天皇とペアをなす、従属しつつ支える「良妻賢母」の公的な象徴としての皇后が創出された。民衆の常だった「妻以外の女性との開けっぴろげな交際」や「頻繁な結婚と離婚」の否定でもある
・学校や兵舎などを典型として、個々人の身体が可視化され、天皇の身体は見えなくなっていく。これによって、天皇は無限の視線を獲得する

・そしてテレビ時代の天皇。祭祀の場にいる人(天皇自身を含む)にはほんの一部しか見えないが、NHKが(政教分離の原則から私的儀礼とされた部分まで含め)すべてを映し出し解説し、列島の表情まで見せ、全体の把握をさせてくれるメディア・ページェント
・ただしテレビは列島の表情の中で、反対する人の意見も周辺化しつつ網羅し、また昭和天皇の時代の暗い出来事をさっくりと省略。支配的物語の拡散と、暗い記憶の忘却と現在からの切断を促した。忘却の作用
・また物語は複製され、アウラを失い、陳腐化された。古めかしく見えるだけの非歴史的な記号の山。神秘性をもった大嘗祭の中継は、皇威を損なう効果を顕わにした。陳腐化の作用

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2018年11月23日 23:59に投稿されたエントリーのページです。

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