« しぞーか | メイン | 胎内めぐりなど »

にちよう徒然

土曜は未明までの仕事を終えて、そのまま飲みに行っちゃって朝方帰宅。
日曜は昼前に起きて、同じくらいの時間に起きた友人と東中野の「ピッツェリア チーロ」で昼飯。グラタンコロッケ、レタスのシーザーサラダ、4種のピザが1枚にのっかったやつ。全部すごくうまかった。
そのあとミスドで暗くなってくるまでだべって1回解散。
夜は約束があったのだけど、相手が風邪ということで流れました。
で、さっき別れた友人が音楽の練習を終えるのを待って再集合し、別の友人も連れてカーシェアで「おふろの王様 志木」へ。
そのあと、和光の「くるまやラーメン」で味噌バターコーンラーメンを食しました。
バイパス沿いとかにあるイメージのお店で、今回一緒に食べた福島、宮城、長野出身のメンバーが「なつい」で一致した。そして全員が深く満足した。
この時点で23時、背徳の味が沁みるわけです。
181112kurumaya.jpg
東京中心部で見かけないのでいつ以来だろうと思ったら、たぶん15年前。田舎で母親が亡くなった夜、妹と二人で自宅の近くのくるまやで夕飯食べたんでした。父は確か病院で夜を明かしたはず。

* * *

■三橋順子『新宿 「性なる街」の歴史地理』朝日新聞出版、2018年。

甲州街道に新設された宿場から遊郭へ、戦後の赤線へ、そして1960年代ごろから性的マイノリティの街へと変貌してきた新宿「あの辺」の歴史。新宿で寝起きし、食べ、遊んでいる弊管理人は脳内ストリートビューを再生し「そこがあれだったかーーーー!!」と興奮しながら読みました。

土日休みの強気なパスタ屋のちょい先にあった遊郭の境界、ゴールデン街の煮干ラーメン屋の建物の由来、二丁目ほぼど真ん中の半地下の中華料理屋のあたりは赤線じゃなくて青線だったらしい、そしてタリーズの裏の不思議な路地。内藤新宿の「内藤」は母方の田舎とつながっていたのも初めて知った。

そのほか、東京の性産業の歴史にも話が及んでいて勉強になります。1月に友人に誘っていただき街歩きした吉原、前に住んでいた新小岩、ラーメンや「すた丼」食べに行っていた亀戸(食べる話ばっかりだな)、何かご縁がありますね。今の地理を知ってると4倍楽しい。

* * *

おじさん職掌見習い日記もまだまだ続きます。

若者が作った文章を商品に仕立てる役のおじさんですが、まあ相変わらず結構な大工事を繰り返しています。あまりに完成度の低いものが若者から送られてくることに腹を立てる同僚おじさんはちらほら見受けられ、弊管理人も血圧が10くらい上がることがなくもないのですが、最近ひとつの理解に達しました。若者の仕事は「できそこないの完成品」ではなく「そもそもからして素材」だと考えるべきだということ。

初心者かベテランかを問わず、一人で書いた文章には――程度の差はあっても――穴があるものです。だから、おじさんが一から書いたら完成品ができるかというとそういうものでもありません。まずは若者が書きたいものを形にし、それを客観的に見ることのできるおじさんが素材として受け止めて加除をし、それを投げ返してチェックを重ねる、というようなキャッチボールは不可欠なプロセスなのです。おじさんは検品係ではなく、ライン下流にいる組み立て担当者なのです。

若者時代、弊管理人は自分の投げた仕事がおじさん(おばさんもいるんですけど、ほとんど不満に思ったことがないので、おじさん)の恣意によって作り変えられると「おじさんの頭の中に正解があって、それに合わせて作り変えるだけなら最初から自分で作ればいいのに」と思っていたものです。でもそれはそうではなく、大枠はやはり現場を知っている若者が作るべきで、それがあって初めておじさんも改良の方向性を見いだすことができる。そう考えることで、おじさんの立ち位置がやっと正当化できました。

* * *

ぶつくさ言う用のツイッターアカウントを閉じてみて、ちょっとぶつくさ言いたい時に吐き出す先がないなあとは感じるのですが、それは持続しないので、今のところ特にぶつくさ用のアカウントをあらためて作ろうという気になってません。

ぶつくさ言うことはかえってその対象への執着を増すようでもあり、周囲も「うわ……」と思うだけであれば、誰得なのかという。今となっては。

About

2018年11月12日 02:06に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「しぞーか」です。

次の投稿は「胎内めぐりなど」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.35