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2010年05月 アーカイブ

2010年05月30日

丸善

今年の初めから通勤の際の乗換駅が東京駅になっているため、よく立ち寄るようになったのが丸の内のoazoというビルです。丸善や文具、メガネ売り場、レストランなどが入っています。
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このあいだは、いつものごとく仕事に行きたくなくて正午ごろまでうろうろしていたら(!)ここに入っている某団体に仕事に来ていた同僚に捕捉されてしまい、いっしょに1Fのカフェでランチして、そのまま(ノーネクタイだったのに)全然馴染みのないかれの仕事先に一緒に顔出すなど、ナメきったことをしてしまい、多少反省し、しかし多少反省したくらいでは仕事に人生を捧げる気合いは入らず、やはり相変わらずこのあたりをぶらぶらしている5月でした(おお、晦日を控えた日記っぽい)。

大人になってひととそんな話をしたこともなく、さらに本人も忘れていたのですが、そういえば小学校低学年のころも学校行きたくない病を何年か患って、朝は始業後の時間に通学路をぶらぶら歩いたり寄り道をしたりしながら学校に滞在する時間をなるだけ少なくしようとしていた記憶があります。
低学年のころ通っていた学校までは家から2kmくらいあって、途中はりんご畑、踏切、私鉄駅、路地、田んぼ、盲学校、農協と、わりと変化に富んだ通学路だったですね。

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で、あれだ。今日は日曜だったのですが、ちょっと本とメガネを見にまたoazoに行ってしまいました。
なぜかあまり探検したことのなかった4Fを攻めることに。

今使っているメガネの、明るい色のプラスチックでできたツルが黄ばんできてしまったので、そろそろ次のを探そうと思ってます。
前々から、フレームがレンズの下についているやつだとちょっと目先が変わって面白そうだと探していたのですが、「逆ナイロール」という名前を先週まで知らなかったのでとにかくいろんなメガネ屋に足を運ぶしかなかったわけです。
うーん、ちょっと高いね、なんて思いながら、とりあえずいいと思ったやつの型番を記憶して、ネットに安いのがないかどうかあとで調べようと、丸善のメガネ売り場から立ち去る私。

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同じ4F、洋書のコーナーをちらちら見たあと、松岡正剛氏プロデュースの『松丸本舗』へ。
迷路のように置かれた本棚。棚には、立てて並んだ本の上にも本が横たえられていて、やや雑然とした感じで本が並んでいます。たとえばエロ、フェチ、男と女、そんな独特のテーマ別に、マンガから学術書までが集められ置かれています。歩き回ってみれば、まるで本の虫の頭の中をさまよっているような印象。5万冊あるそうです。面白いわ、これ。

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話変わって、昨日は鶏そぼろを作りました。
酒半カップに醤油大2、砂糖大1を混ぜて一回煮立てて、鶏ひき肉200g弱を入れてほぐし、汁が絡んで肉の色が変わったら生姜のしぼり汁を投入。あとは水気がなくなるまで心を無にしながら(しなくてもいいけど)かき混ぜつつ炒り煮にするだけです。ご飯にかけてウマウマ。

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今月、GWが終わってからはなんだか気の抜けた日記ばかりだったなー
なるべく心静かに生きるために外部からの刺激を遮断(環境をチューニングして、入ってこないようにする+意識をチューニングして、入ってきたものを処理しないようにする)していると、必要なものまで入ってこなくなったせいな気がします。
拒絶反応を抑えようと免疫抑制剤を打ったら日和見感染してしまったり、
共同体の軛から解放されたら孤独になってしまったり、
まあ大抵の処置には副作用が伴いますでな。
しかし弊管理人の圧倒的な飽きっぽさはたぶん健在なので、1-2か月ほどを経て刺激の遮断に飽きれば、また元に戻るのではないかと思っています。

2010年05月26日

雑記

ええとショパンのノクターン(Op.62-2)に手を付けてます。
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これね。1846年の曲だというから、死ぬ3年前、晩年といっても36歳。
速度はレントの指定なので、とても遅い曲ということになります。録音を聞いていると眠くなるかもしれないけれども、ライブなら大丈夫な気がする。ましてや弾いているほうはかなり気持ちいいです。
リストが交響曲をピアノに落とした人だとすれば、ショパンは歌曲をピアノで再現した人だという対比を思い出します。旋律はほんとうに心の中でいっしょに歌いながら弾きたい、平易だが美しいもの。この繊細なラインをぼんやりとした光彩に沈めるのは左手の伴奏です。
ダイナミクスやテンポ、ペダリング次第でほんとうに弾く人の個性を引き出せる奥深さがあると思います。しかしそこには同時に、収斂していくイメージのようなものもある。到達点というか、ひとの最期を暗示するというか、そんなものが。

* * *

全然話は飛びますが、7月のTOEFL、申し込んでしまいました。あーあ。
何度か目の英語ブラッシュアップですが、これまでで最も点が取れる感じがしません。

12年前(!!!)、留学のために受けたときはPaper Based Testで、どっかの大きなホールでペーパーテストを受けたものです(580点)。次受けたのは4年前、このときはComputer Based Testになっていて、読む聞く書くをPCに向かってやりました。作文を手書きしなくていいのは有り難かったが、作文の評点は全然10年で伸びていないという悲しい結果に(270点)。
今回はInternet Based Testとまた形式が変わっていて、今度は「話す」が加わってます。さらに苦手な作文がひとつのセクションを構成していて比重がかなりでかい。

話せるわけねーだろ!日本語でも言いよどむのに!
とキレても仕方がない。とにもかくにも期日が決まらないと本腰入れて勉強しないので、申し込むだけ申し込んで、対策始めてます。
どうも書く・話すともに型があって(さらにその2つはかなり共通しており)、話の展開のしかたと表現のバリエーションをいくつか貯め込んでおくという方法が有効な気がする。

それにしても高いねー、いまTOEFLは$200です。円高じゃなかったら2万超えだ。なんなんだ。ネット導入って普通はコストは下がるもんじゃないのか。

* * *

ここのところ続いている「ものを読むのに身が入らない症候群」は、買ってみたもののあまりわくわくしない本が溜まっているのと、職場が暑くて頭がぼーっとしたまま一日過ごすことが多いのと、必要があってものを読んでいることが少ないことあたりが原因なのではないかと思っています。

語学なんて所詮道具だろうよ、もっと勉強することあんだろという意見もありましょうが、お高い試験に申し込んでしまったことで、自分の中の強制勉強モードを立ち上げて事態の打開を図れればよいと思います。いまや参考書以外読む気になりませんが、毎日このままではまずいまずいと思いながら勉強する時間を作ってこせこせと読んだり書いたりしているので、だんだん頭がちゃんとしてきた感じがする。

* * *

今夏の風邪は喉に来るらしいんですけど、今月初めからなんとなく調子悪かった喉が先週から悪化。来たな、これ。咳と痰。マスク出動。
でも体調は悪くないです。たぶん仕事が忙しいから。思えば去年の夏に転勤してきてから2、3度、風邪引いたという自覚はあるんですが、風邪引いてる場合じゃない忙しさが続いているので体が頑張ってくれて、高熱→休業には至ってません。

弊管理人の体は人目を気にするヤツで、休んでも代わりがいないとか、職場で下っ端のため人にピンチヒッターを頼めないといったシチュエーションでは風邪が悪化しなかったり、トイレに行く時間もないくらい忙しい日は便意が来なかったりと自動的に体面を保ってくれるのです。いや、ありがたいんですけど、なんか痛々しいね。

2010年05月20日

物語 数学の歴史

■加藤文元『物語 数学の歴史』中公新書、2009年。

すみません、本とは関係ない思い出話をします。

もう13、4年前、大学1年目か2年目に松本幸夫という先生がやっていた文系むけの数学の授業を取りました。非ユークリッド幾何学、群論、多様体とか、まあとにかく当時の自分にとってはぶっとんだ内容をざざっと紹介し、ひえええ一体どんな期末試験になるんだろうとガクブルしていたところ、配られた問題用紙にあったのは

  今期教えたようなことは社会で何の役に立つか書きなさい

というような問題文1行でした(文言は正確ではないと思う)。自分の回答もよく覚えてませんが、なぜか「A」評定をいただいたはずです。
それから10年も経って、仕事でお会いした数学出身の某大学の情報科学の先生と話していたときにこの話をしたら「それはいい問題ねー」とおっしゃっていたのもこれまた意味不明で、自分にとって数学はいつも、このようにときどき姿を現しては誘惑し、追いかけても追いつかない神秘的な存在のままでいます。

振り返ってみれば、たぶん5つとか6つとかの分野について1学期間で走り抜け、しかもその基本的なアイディアの断片くらいは学生に授ける教授法ってのも実はすごかったんじゃないかと思う。そして、あの授業をもう一度復習させてくれるような本を探しながら、30代もなかばにさしかかってしまっているわけです。そろそろ先生に聞いてみようかな?

2010年05月16日

UTalkから芋蔓式でいろいろ

昨日(土曜)のことですが、東大の情報学環の方々が中心になって運営されているトークカフェとでもいうのでしょうか、UTalkという企画があるというのを聞きつけてうかがってきました。

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10~15人程度の参加者が、キャンパス内のカフェでお茶を飲みながら東大の研究者のお話を聞くというもの。今回は情報学環助教の南後由和(なんご・よしかず)さんがいらっしゃっていました。(余談だが自分より2コ下の79年生まれだ、うわああああ)

建築を、それを作り終えた時点で終了とするのではなく、またそれが置かれた社会から切り離すのではなく、それがどう社会の中で消費されているのか、とらえられているかに注目する「建築社会学」を作っていこうとされているそう。そのほか、科学技術コミュニケーション、文化人とはなにかを考えたり、デザイナーズ集合住宅をテーマにした展覧会を開いたり、雑誌に書いたりと多彩です。

南後さんからのお話と質疑を含めて1時間ほど。後半ちょっと寒くなってきましたが、オーガナイザーの方々に敬服しつつ楽しく過ごしました。

* * *

大学の外にいる人間に対して開いていく、こういうボランティア的で気軽な企画ってうれしいねと思いながら、会場となった福武ホールをあとにして、ついでにちょっと土曜開講の授業にもぐっていこうかねと理学部の建物に行ってみたところ、こちらはなにか建物に入るのにIDが必要とかで断念。
自分が10年ほど前に大学生だったときは、特別古い建物が多い学校だったこともあってか授業にもぐるのに何か障害があった覚えなどないのですが、時代はめぐり、部外者を入れるにしても拒むにしても、だんだんとこうやってその境が明確になっていく(おそらく、特に、建物がセキュリティを織り込んで新築されるのを契機として)のだなあと慨嘆したのでした。

* * *

ところで、この企画を知ったのはtwitterでの告知だったのですが、このツールをいかにチューニングしながら役に立つようにしたものかを考えていた2ヶ月ほど前から比べると、だいぶ慣れてきたなあと感じます。

このところの週末は、土曜の昼間にこうして予定を入れて夜は自炊で食事をとってから友達と飲み明かし、明け方に帰宅して5時間の睡眠ののち(これ以下だと辛いが、これ以上寝ても著しくは回復しないというラインが5時間)日曜昼間は家事だの買い物だのをして心静かに過ごし、浴槽に湯をはって入浴(普段はシャワーのみなので)というのが典型的な過ごし方になっています。

* * *

これまではこうした週末のルーティンのデザインという全体的な課題と、朝帰りした場合に何時間寝るかという具体的な課題に標準的な解答を得るため、いろいろ試してきました。目下の懸案は週末のルーティンのなかで、土曜の飲みにどう取り組むかであります。

無難な線は「喋らない」あるいは「当たり障りのない会話しかしない」というところなのですが、それではつまらないので「言うと本当にまずいこと」のラインがどのあたりにあるのかを探ってみています。
年長者へのチャレンジ、政治や宗教に絡む話、シモに関係する話、陰口の臨界、それから何時間を1クールとするか、など小課題はいろいろとあります。

昨日は2回ほどラインを踏み越えてしまい反省。
しかしこれは学びの過程、次回に活かすことが肝要です。
という方便を使った、失敗に伴うストレスのマネジメントなのではないかという気もしつつ(たぶんそう)、twitterのチューニングから行動のチューニングへとうまく(?)話がつながったところで、おわる。

2010年05月11日

読んだもの2つ

最近、読む意欲がちょっと減退してます。たぶんリズム的なもの、か、買ってみたけどそんなに熱心になれない本がいくつかフィニッシュできないまま残っているせいか。

■秋山幹男他『予防接種被害の救済』信山社、2007年。
非趣味読書。92年に東京高裁判決が出て確定した予防接種禍訴訟を振り返るシンポジウムの記録。

この判決を受けて、94年に予防接種制度改正(強制接種の廃止、健康被害救済の拡大など)がなされましたが、現在はそのときのやや抑制的な方向での改正とは逆方向を向いているように見える、2度目の大きな改正(接種の公費負担、対象ワクチンの拡大、病気のサーベイランス態勢強化、行政に対する専門家による助言組織の創設)に向けて動き出してます。

というわけで今般の動きの源流を探るために。

■大澤真幸「普天間基地圏外移設案」朝日出版、2010年。
なんか電子書籍として1000部限定でタダ配布されていたので、いただきました。

・普天間問題の唯一の完全解決策は、(沖縄)県外、ではなく(あらゆる)圏外(への)移設、つまり廃止である。
・現在の沖縄の基地反対運動は2つの意味でダメで、
(1)騒音とか環境といった基地の個別の問題を挙げると、それに配慮した形での建設を許してしまう
(2)県外に持っていけ、では地域のワガママに矮小化する
・問題の本質は、自分の領域を主権の及ばない人たちが大手を振って歩き回っているということであって、
・沖縄はまさに沖縄というローカルなレベルではなく、日本とかアジアとかいうより普遍的なものが抱える問題を凝縮して体現している、という点から突破を図るべき(沖縄vs日本の政府vsアメリカ、ではなく、沖縄=日本vsアメリカ)
・振り返れば過去の成功した革命はいずれも、特殊を普遍に接続する論理構成をとっている。
・考えてみると普天間基地はアメリカ側の都合のためにある。ならば日本には断固、普天間基地の廃止を主張する理由がある。移設費用なんて仕分けちゃえよー

というような話。筆者が主張している「第一歩としての沖縄と徳之島の連帯」はもうやってるし、基地反対運動の中には廃止は当然含まれているだろうから、ちょっと「えー?」と思う部分はありますが、まあこれは政権に向けたアドバイスなのでしょうし、大筋は自分もそうだなーと思います。にしても、いつになく筆運びも言葉選びも乱暴な文章ですが、現実と切り結ぶときの方便としてやられているのでしょうか。

2010年05月08日

東工大+コメダ

横浜市にある東工大すずかけ台キャンパスの学園祭に行ってきました。まあ個人的興味半分、仕事に繋がるといいなという期待半分。

研究室をいくつか見て回りましたが、お祭り!という雰囲気というほどでもなく(一画では模擬店など出ていましたが)、発表会を淡々とやっている感じ。ポスターを見ている人がいると学生さんたちが寄ってきて説明してくれました。それこそ生命、材料、情報といろいろ集まっているので研究内容も多彩でした。当たり前だけど、こうした細かい発見を積み重ねて科学ってできているんだね……

こちらも遠慮なく質問できる機会なので幹細胞だの水素だの暗号だの細菌だのについていろいろ聞かせていただきました。研究内容そのもののほか、研究の背景とか、この分野の情勢ってどうなっているかとか、ここのオリジナルなところはどこかとかいったことを、坊主頭にメッシュキャップ・半袖シャツ・半ズボンの変なオッサンが質問していると先方も訝しく思うらしく、どこでもこんな会話に↓

学生「どこの大学の……」
私「いや大学の者じゃないです、サラリーマンで」
学「あ、じゃあ理系の企業ですか」
私「いえ全然そんなのでは」
学「???」

混乱させて申し訳ないw

今日はとても爽やかに晴れてそよ風も吹いておりました。キャンパスを歩き回ったら喉が渇いたので、帰りしな長津田で降りてちょっと歩いたところにある「コメダ珈琲店」に。
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初コメダでした。アイスコーヒーと名物シロノワール(デニッシュの上にソフトクリームが乗っていて、メイプルシロップをかけて食べる甘ーいデザート)のちっちゃいの。
コメダが普通にある東海地方の人から見ると、千葉県における「サイゼリヤ」、札幌市における「みよしの」くらいありがたみがないのかもしれませんが、いいんです。関東には少ないから。

2010年05月05日

連休5日目(ポゴレリチ)

100505pogo.jpgイーヴォ・ポゴレリチのコンサートに行ってきました。
曲目は、ショパン/ピアノソナタ第3番、リスト/メフィストワルツ、ラヴェル/夜のガスパール、ほか小品。

1980年のショパン国際コンクールで、独特すぎる解釈で審査員の賛否を分かれさせ、本選前に落選。彼の演奏を買っていた審査員のマルタ・アルゲリッチが憤激してその後の審査を降りた、という有名なスキャンダルを機に名を知られることになった人です(ついでに、その年の優勝者ダン・タイ・ソンが平均して高得点を集めるタイプの演奏家だったことも、ポゴレリチと対照をなしていておもしろい)。

ショパン・コンクールからあと、80年代を中心としたポゴレリチの演奏はyoutubeなどで見聞きすることができますが、いずれも圧倒的な指の回転、爆音と弱音のコントラストや独自の曲運びで存在感を誇示する、まさに誇示する変人系ピアニストだったのではないかと思います。

96年に奥さんを亡くしたのを機に?鬱で何年か演奏活動から離れたあとは、曲のテンポ設定やフレージングをほとんど無視し、あるところではイン・テンポ、別のところでは一音を弾いてほとんど残響が消えるくらいまで次の音を弾かないなど変人度を増しているとのことでした。(youtubeに上がっている99年に米国で演奏したラフマニノフのピアノ協奏曲第2番の音声を参照)

さて今日。かなり暗くされたサントリーホール大ホール。ステージ上にぼやっと浮かんだピアノに就いた大男は楽譜を譜面台に置いて、次か、次の次の曲の楽譜を床にぽんと投げ、さっさと演奏を始めました。

予想通りの遅いテンポ、というか、もうところどころ和音がただただ連続しているだけの状態になっていました。突然、強い打鍵で内声が強調され、かと思うと靄のかかった夜のように気分の晴れない(でも美しい)ピアニシモでメロディが歌う。ショパンの夜想曲とソナタ、リストのメフィストワルツが終わった段階で1時間半(!!)が経っているのに気付きました。

観客席の自分は、尻をずらして浅く座り、頭を背もたれにつけて天井を仰ぐ。目を閉じる。座り直してポゴレリチを見つめる。そうやって都合3時間ちょいの演奏を聴いていました。(休憩明けには突如、ブラームスの間奏曲がプログラムに挿入されることがアナウンスされました。興が乗っていたんだろうか?)

当初は変人による脈絡のない楽曲の破壊、なのかと思いましたが、いろいろ考えながら聴いていると全然そんなことはない。このとんでもなく意外なテンポ設定とダイナミクスは、聴いている人たちがポゴレリチと「いっしょに歌う」ことを許さない仕掛けなのではないか、そう思えてきます。

つまり、クラシックのコンサートなら、ほとんどの場合、聴衆は自分の知っている曲を聴くわけです。録り直したりつぎはぎしたりしてミスを消し去ったいろんなアーティストのCD録音を聴いた記憶と、目の前で進行するライヴをリアルタイムに照合しながら、いいとか悪いとかここトチったとかここ好きだとかいった、安易な感想を抱かせてもらえる。

それに対してポゴレリチの独特すぎる演奏は、知っているはずの有名な楽曲が孕んでいるハーモニーの全体、そしてメロディの重層性を解体、分解、腑分け(これらは破壊ではない)して示すことで、あるいは「リスト的な和声とはこういうもので、それはショパン的なものとこのように異なっているのではないか?」という仮説を、あるいはその曲が普段見せない相貌の見せ方に関する試論を、聴衆に問い掛けているのではないでしょうか。
知っているはずなのにトレースできない。過去に聴いたその曲の演奏と、目の前で演奏されている演奏のギリギリとした拮抗感が彼の芸当の髄のような気がしました(あるいは、その演奏に触れた人にこうやっていろんな言葉でその感想を表現させるという機能もまた……)。つまり酔狂ではなく、逆にたいへん思弁的な演奏のように見えたわけです。

でも、これはしかし次も絶対行くぞー!という興奮には繋がらなかった。スカルボでは、30年前の映像のシャープな指さばきの影はなかったし、なにより3時間にわたって聴いているなかで、途中から「次はこうなるかな」と展開が読めるようになってきた(つまり意外ではあっても「不規則」ではないわけだ。まさにそのためにこの演奏が思弁的だと思ったんですけど)。いまやダリの絵がどうもわざとらしく見えるように、そのうちポゴレリチも「『変人売り』というキャラ」として馴れられていくのではないかと思う。いや、もう聴衆は馴れているのかもしれない。最後の満場の拍手とスタンディング・オベーションをぼうっと眺めながら、そう感じました。

2010年05月03日

連休3日目(水辺)

友人が「水が見たい」などと逆狂犬病みたいなことをのたまったので、今日は東京ウォーターフロントおとなの休日、グルメと史跡の旅(プw)。

昼に築地で待ち合わせてメシを、と思ったものの、祝日にあまりお店が開いているとも思えないので、汐留に変更して、シティセンターのてっぺんから和食を食いながら東京湾を見下ろしてまずは1水辺。

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それから浜離宮へ。ちょうど14時からのガイドツアーに間に合ったので参加して、いろいろとこの公園に関するうんちくを聞きながら歩き回ります。
初めて来たけど広いね。そして、江戸時代のお庭の外に高層ビル群が建ち並んでいる風景もたいへん面白い。
座って寛げそうなところが何カ所かあったので、今度はお弁当でも持って来たいところです。秋に紅葉がきれいだろうと思われるスポットもいくつかありました。2水辺。

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ゆりかもめでお台場に移動してちょっと一杯飲んでから、日の高いうちに水上バス(東京水辺ライン)で隅田川を上り、両国へ。スカイツリーは368m。下町の風景がかわりますなあ。3水辺。

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両国の「天亀八」で特上かき揚げ丼で夕飯。
どんぶりのフタからはみ出るかき揚げがテンション上がりますね。えび、いか、貝柱。ぷりぷりでおいしいです。しっとりめですがしつこくなくて、胃にどすーんと来ないのがいい。2400円出すかといわれると微妙。1500円なら通う。でも8ヶ月くらいしたらまた来るかもしれないな。

とまあ、外国人か熟年の東京見物みたいな一日でしたとさ。

2010年05月02日

連休2日目(熱狂の日)

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ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン(熱狂の日2010)という音楽祭が東京国際フォーラムで開かれています。
1回当たり45分という短さで、しかし1500円から3000円程度の安価な値段で見られるコンサートがたくさん、それからCDやグッズの販売、マスタークラスなどのイベントをやっています。
今年のテーマは生誕200年を迎えたショパン。

ボリス・ベレゾフスキーの夜の公演のチケットをとっていたので、夕方に友人と待ち合わせてぶらぶら。
まずはピアノのマスタークラスを見に行って、それから山野楽器がやっていた楽器体験コーナーでチェロを弾かせてもらい(気分だけロストロポーヴィチ)、隣のTOKIAビルで夕飯を食らったあと会場に戻ってコンサートへ。

リストのピアノソナタは、同行した友人には「なし!」と不評でしたが、私としては「あり」。ベレゾ氏の通し練習拝見、という感じで、あまり溜めのないいそいそとした演奏でしたが、ダイナミクスには華があった。とくに少ない音で歌う旋律や音の鳴っていない空白を、高圧の空気で満たすという芸当は、ライブならではのなかなかなものだったと思います。短いコンサートなのに2回もアンコールやってくれました。

もともと音楽をやるための施設ではないので、会議室みたいなところでスタインウェイを使ったマスタークラスを聞いたり、講演会場みたいなホールでコンサートを聞いたりで変な感じ。でも人出はすごいもので、お祭りの熱気は大いに体験することができました。それにしても今GWは天気がよくて暖かいね。

2010年05月01日

連休1日目(おにぎり)

曜日配列のせいか、今年は正月にがっつり正月気分を味わった感じがしなかったのですが(ほとんど仕事だったし)、ゴールデンウィークは世間的にものすごく連休の雰囲気が盛り上がっているように思えます。なんでだろう。

晴れましたしね。お昼に炊き込みご飯をつくって、おにぎりにして九十九里浜に行ってきました。
みんなGO WEST!(古い)なせいか、西の方の高速道路は激混みだったようですが、東に向かう京葉道路と千葉東金道路はスキスキスー(古い)でした。1時間ちょっとで到着。
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風が強い。
バイクで砂に踏み込むと滑る滑る。あぶない。
九十九里の空の色はいつも、水に溶いた「そらいろ」のように淡いのはなぜでしょうか。
そしてそこから下ると、南房のつややかな緑と競い合うように濃くなっていくのも。
4年以上前まで千葉に住んでいましたが、ここそこに思い出の場所があって、いろんなことを想起させられます。というより、バイクで走っていると、記憶をたどったりいろんなことを考えたりする以外にすることがないですからね。まとまることも、拡散することもあります。

そんなわけで「連休だしお出かけしなきゃ」的な焦りは払拭されたので、あとは淡々と遊ぶってものでしょうかね。うむうむ。

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