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2010年11月 アーカイブ

2010年11月28日

科博

ツーポイントフレームのメガネって割れやすいので気をつけてくださいね、
って買うたびに言われるのですが、そのとおり割れやがった。
レンズじゃなくて、つるが。

というわけで、今日は円高還元セールで商品が10%引きになっている有楽町の無印良品でメガネを作り(ツーポイントなのに即日できた。えらい)、寒くなる季節の通勤に備えてキルトジャケットを買い、そのあと

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上野の国立科学博物館に行ってきました。
15時を過ぎての入館だったので、日本館ひとおとりと、地球館を3割くらい駆け足で見たところで時間切れ。残念、また行こう(日曜日なので、奏楽堂の無料コンサートもコースに含めたいところだった。これもまた残念)。

いろんな標本や図解を使って魅力的に展示が作ってあるので「わあきれい」といいながら見て回るのももちろん楽しいのですが、どうせなら地質学、地理学、遺伝学、機能形態学、古生物学の人が書いた新書なんかを読んで臨みたいものです。日本人が北から来たのか南から来たのかに関する説明書きひとつ、トリケラトプスの前足が向いている方向ひとつにも、それこそここ2、3年のうちに出てきた研究成果が反映されているので、大人は大人で「これかー!!」という感激とともに展示に触れることができるのがいいところです。

それにしても、特にイベントのあるわけでない普通の日曜日でしたが、閉館時間まですごい人でした。
あと、入館料600円ですが、年間パスって1000円なのな。
これは買いでしょう!
買わなかったけど。

2010年11月23日

オトボケ

学生らに混じって、早稲田の「キッチンオトボケ」。
カツカレー600円(さすがに大盛りを頼む勇気はなかった)。
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しかし学生街にはよくあることですが、味もそこそこで盛りがとにかくよいね。
カレーがもう、すでに、お盆にしたたっているのです。
周囲を見ると揚げ物の嵐。あとはなんか生姜焼きのようなものが。
午後6時くらいに食べましたが、深夜に至ってもまったくお腹が空きませんでした。

見回すとさすが、カレーを扱ってる店が結構あるのですね。
タイカレーの「メーヤウ」も評判がいいけれど、個人的にはそんなに感銘受けませんでした。

2010年11月21日

名古屋出張

名古屋近郊に出張してきました。
仕事先は近郊ですが、投宿は名古屋の中心部で。
そういえば名古屋駅を出たのって生まれて初めてな気がします。
これまで通過ばかりでした。

食べたもの。

「コンパル」のモーニング。
ホットサンドは普通にうまかった。アイスコーヒーは熱いのをグラスの氷に自分でぶっかけて作ります。これもまあまあ。
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「蓬莱軒」が激込みだったので諦めて「しら河」で食べたひつまぶし。
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個人的にはお茶漬け(第3段階)よりドライ薬味(第2段階)のが好みでしたw
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朝に名古屋を出て隔離されたところで働いて、昼は現地でシャビーなごはん、夜に名古屋に戻ってなんとかご当地もの、というコース。
現地の人には「新幹線ホームのきしめんがリーズナブルなわりに意外とうまい」と教えてもらったのですが、弊管理人はおそばの国の人なので、きしめんにはさほど思い入れもなくパス。
ちなみに手羽先も独りで食べるものではないとの認識につきパス。ていうか今や「山ちゃん」はありがたみがないくらい各地にあります。
帰りの新幹線、改札を入る前に天むすと味噌カツ串を買って食いながら戻りました。
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天むすの味は、まあおにぎりと天ぷらを一緒に食べたような味。味噌カツは想像よりやや甘かった。
ジョージアの缶コーヒーまでしゃちほこ仕様なのですね。

それにしても名古屋のご当地ごはんって野菜が摂れなくない?

仕事は


つまんなかった。

2010年11月15日

おうちをさがす(長文)

この中途半端な時期の土日に、ちょっと実家に帰ってました。
夏の帰省の際のエントリにもちょっと書きましたが、田舎の公務員宿舎に独り暮らししている父が1年半後にひかえた退職後に住む家を探しています。で、父の高校の先輩かつ役所の先輩(既に退職)が住んでいる北アルプスのふもとの町にいくつか斡旋できる土地があるので息子と一緒に見に来ないかと誘われたそうで、お呼びがかかった次第。

父は亡母の側の籍に入っている婿養子です。もともとは将来、母方の実家に夫婦で入って暮らす心づもりはあったのではないかと思いますが、しかし予定外なことに母は故人になってしまい、そのうえ、母方の実家に独り暮らしのばあちゃんを見によく母の姉(弊管理人から見て伯母)が訪ねてくるのが嫌で寄りつきたくない気分になっている(ただ弊管理人が見るところ、まだ現役で働いている父の職場は母方の実家からは離れたところに住んでいるので、伯母はばあちゃんの様子を見てくれるのは有り難いこと。父はたぶん伯母と根本的にフィーリングが合わない)。

父は高校を出て大学に入ろうと東京に出てきたものの、新聞奨学生をやってる間に体をこわして郷里に戻り、19で就職して23で結婚、25で長男(弊管理人)を設けて50前に手が離れ、50過ぎてやもめになるという駆け足の人生イベントをこなしきり、ここ数年でまだある収入の使い先ががくんと減って貯金もできたらしく、退職金もあてこみつつ、退職で宿舎を追われたあとの住み処を探していました。やれあちらの物件はどうかこちらはどうかという話はここ何年かメールや電話で聞かされていましたが、弊管理人と同じ、意外と気のつくAB型の父がこちらの仕事中に電話をかけてきて「一緒に見に行こう」なんて話をするものだから、今度はかなり本気度高いぞ、とこちらも身構えました。

まず、弊管理人は結婚する予定もする気もないので今後家族が増える可能性は相当低いこと、仕事は在東京あるいは全国転勤なので郷里に定住するとしてもおそらく30年後であること(老老介護がひたひたと……)、知り合いがいないなどデメリットはあるもののその気があれば退職後に東京で同居の選択肢もあること、母方の実家ももう一度検討すべきであることなど、焦って決めないよう諭すことも含めて弊管理人が数年来思って断片的に口にしてきたことをまとめてメールしておきました。

そしてわりと温かい土曜、山脈の麓の町でいくつかの土地を見ながら父の先輩の話をいろいろ聞きました。
近年、東京から移住してくる人らが増えて中学校がひとつ新設された、頭はいいんだろうが口ばっかりで地域の仕事をやらない、幼稚園でも役場でも要求が過多で困っているという新住民評。でもまあ、一方の土着民のおつむのレベルも低いと返す刀でばっさり。あそこの3軒、右端と真ん中はいい人だが左は意地悪。標高が低いこの辺は災害もないし雪も降らないからいいが、もっと山のほうにある温泉地のほうの別荘街は雪は積もるし、農業やっても猿が全部持っていってしまう。熊も出る。でも温泉の権利とかの絡みで地元不動産はまず山のほうを勧める。住んでみたけど合わなくて、あるいはローンが払えなくて空き家がけっこうある。など、など。リトリートっていざやるとなると大変ですねと思いながら、まあ世話焼きで時々うるさいかもしれないけど、こういう知り合いがいる土地なら買ったっていいんじゃない、という気にもなってました。

その町を辞して父と宿舎に戻るともう夜。動けなくなっていくことを考えれば市街地がよかろう、畑がやりたいなら通えばよかろう、どうせ畑に通えなくなるくらい弱れば耕作もできなくなっているだろう。でもまあ、あの土地を買うのもアリっちゃアリ。そんなことをいろいろ話しているうちに「まあ年金がフルに出るまでの5年くらいは息子のところに転がり込んでもいいかなー」「諦めて今ある家(母方実家)もありかも」などと言い始めたのが意外でした。
誰にも頼らないと意地をはって高い金出して家を買って生活費を案ずるより、息子を頼ったり伯母対策をした上で母方実家に住んだり、買うとしても中古の安い家にするなりして、お金をソフト面の消費に回したほうがQOL高いんちゃうか、という話もしましたが、そのあたり少し沁みてきたのかもしれない。

そうこうしているうちに秋が深まり、冬が過ぎて早春にはタイムリミットは1年になります。来年末あたりには2LDKに引っ越しかなー。

2010年11月11日

行動経済学

■友野典男『行動経済学―経済は「感情」で動いている』光文社新書、2006年。

情報も時間も限られた中でいろんなことをサクサク判断していかなきゃいけない、というのは生きるにおいてよくあることです。人は自分の経験や現状に引きずられ、冒険を避け、ずるい人にイラっとしたり、いいことをして良い気分になったりしながらいろんな選択をこなし、多くの場合はそれでうまくいき、しかし時々間違えたり騙されたりするわけです。
そうした心の構造がわかってみると、感情を持った「現実にいる人」というのが、ただ自分の利益を最大化しようと行動するだけの「経済人」とどれほど違うかが定量的にわかってくる。
多くのトピックと例示を使って、心理学と経済学の幸せな結婚を垣間見せてくれる、そんなよくできた本です。

ふむふむと読んでいると、政策的な含意もいっぱい浮かんでくると思います。
人の心に損失を利得より過大評価するという傾向があるとすれば、私刑を許すと必然的に復讐の連鎖を引き起こすことがわかりますし、年収350万円が400万円になる人生が、年収500万円が450万円になる人生よりうれしいなら、なんで超低成長時代が落ち着いた気分ではなく悶々とした気分を蔓延させるのか腑に落ちる気がします。

閑話。
いつかの集まりで、社会学の人がうっかり「経済学は合理的なプレイヤーを想定していますが、実際はもちろんそうなってなんかいないわけで」と口走ったところ、経済学の人が「そんなことくらい社会科学の女王たる経済学は既に織り込んでます」とツッコムというアレレなやりとりがあり、かばんの中に読みさしのこの本を持っていた自分は梅干しを食べたような顔をしながら見ておりましたのでした。休題しないまま終わり。

2010年11月06日

障害の社会モデル

東京財団仮想制度研究所(VCASI)の研究会「障害の社会モデルから見た政策的インプリケーション~法学,障害学,社会福 祉学,経済学の対話」というのを覗かせていただいてきました。
以下、発表者(川越敏司さん―はこだて未来大、川島聡さん―東大、中根成寿さん―京都府立大)の話をちゃんぽんにしたメモ。障害研究って今までまったく触ったことがない弊管理人は完全素人です。よってまとめの正確さは保証できません。今日配布された報告書はまだネットに上がってないようですが、そのうちこのあたりで見られるのではないかなと思います。

2006年12月に国連総会で採択され、日本も07年9月に署名した「障害者権利条約」。批准すれば国内にある関連制度をある程度見直す必要性が出てくるかもしれない。そのときに、どういう視点で何について考えたらよいのでしょうね、ということを議論するプロジェクトだったようです。

・大前提として、「障害」の発生原因を、身体的・知的・精神的な機能不全=インペアメントに求める(だから”治してあげれば”障害はなくなるという)「医学モデル」ではなく、インペアメントのために参加が阻害されるような社会的要因に求める「社会モデル」を採用する。
・ということは、社会の側が合理的配慮をしていない、つまり過重な負担とならない範囲内の措置さえとっていない場合、それは差別ととらえていいんではないか。
・以上が、社会の側にある制度を見直す動機。法学、障害学、社会福祉学(社会学)、経済学の知恵を持ち寄って考えてみた。

・まずダイレクトペイメント。サービス提供側があれこれ計画をたててあげるのではなく、障害当事者に、使途を限定しつつ現金で給付する。当事者が自分の必要に応じたサービスの購入ができる。家族をヘルパーとして雇用することも可能で、”支払われない、でもケアから降りられない”家族による介助を市場の中に引き入れる(=家族がやるなら無償、市場から調達すれば有償、という非対称性を解消する)こともできる。障害当事者の自律。英国ではもう制度化され、札幌でも今年から試行されている。ケアマネジメントのコストがなくなるので事業者にとっては厳しいが、行政は出費を増やさずに受益者の満足を向上できる。経済的により望ましい。
・アファーマティブアクション。一定率の障害者の雇用を企業に義務づける政策。生産性の低い労働者を雇用することは社会的コストが増えるという批判がある←が、必ずしも効率性が犠牲になるわけではないという実験結果あり。
・障害者自立支援法では、障害当事者も利用料に応じた負担するべきとの「応益負担」導入。←これに対して、課税前所得と課税後所得の効用の差はどの所得階層でも一緒であるべきであるというミルの「平等な犠牲」を援用すれば、累進課税(応能負担)が正当化できるはず。
・ベーシックインカム。すべての個人に対する一定額・無条件の基本所得給付。←でも、働かなくても一応暮らしていける場合、労働量が減って結局給付の原資が確保できない可能性が実験から示唆。負の所得税のほうがいいのかも?

などなど。最初に書いたように、「障害」の話って、自分にとっては、かすったことはあるけど一度もまともに衝突したことがなかった(なんかこわそうな+なんか込み入ってそうな)ものだったのですが、今日の話はなんだかとても面白かったので、なんとか咀嚼して、これらの議論を参照点として、これからいろいろと考えていけるといいなと思います(、が、自信、は、ない)。

2010年11月05日

手しごとや 咲くら

「農水省の食堂がうまい」という話はよく聞いていたのですが、やっと機会ができて行ってきました。
別館(裁判所に面しているほう)入り口から入って右奥「手しごとや 咲くら」。特に身分証などはいらず、誰でもスルーで入れる場所にあります。
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カフェテリア式で、食べたいものをとっていきます。値札に自給率表示までしているところが、さすが農水というか。
この日は値段を気にせず子持ちカレイ、牛すじの煮込み、ほうれん草のおひたし、ごはん。860円。ちょっとお高いね。でもわりとおいしいです。おひたしがただの醤油味じゃないところが学食との大きな違い(涙)。ご飯の炊き加減も柔らかすぎず好きです。

霞ヶ関の官庁街ランチ、ひとつの極は文科省近くの霞ヶ関ビル界隈ですが、ほかはよくわからないんですよね。虎ノ門や銀座まで出るとまた様相は変わるんだけど、ちょっと歩く。裁判所近辺で身分証なしで入れるところは、弁護士会館地下のちょっと高いテナントくらいか。その中で咲くらが輝くのもわかる気がする。手軽に魚が食べたいときに利用価値大です。

ちなみに、食い終わったところでなんと、外務省で働いている中学時代の同級生に捕捉されました。顔合わせるのは13年ぶり。さっそく友人連中に写メ送信されました……

2010年11月03日

スカイツリーを見に行く

通勤電車から東京スカイツリーが見えます。今年は年初からどんどん伸びて、いっとき展望台工事でちょっと伸長が止まって、また伸びだして、そろそろもいっこ上の展望台工事に入るかな?というところへきています。
今日の高さは497m。
秋晴れ。
春に浅草から眺めたものの、まえまえから、一度は建設サイトの間近で見たいと思っていました。今日はきれいに見えるだろう。というわけで錦糸町駅で降りて、押上方面に向かいます。

低層の住宅街に巨大タワーがそびえている図はもう異様。
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上のほうはがんばってズームで撮ってみた。作業が続いてます。
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ふもとには人がいっぱい。みんな上向いてます。
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近くで見るとさすがにごちゃごちゃしている。
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これが真正面のパノラマ撮影。ずおおおお!
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実際下まで行ってみると、この巨大建造物の迫力を感じます。今しか見られないという意味では、建設中のシーンって貴重だと思います。バベルからドバイまで、どうも世界最高のタワーを建てようとした人たちってその後けっこうな没落ぶりを見せるので、なんかわれわれの行く末もふと案じられてしまうのですが……

ところで、帰ってくる途中、錦糸町駅近くにタイ料理「ゲウチャイ」を発見しました!
成田に住んでいたころ、よくお世話になっていた同名のお店の系列です。わりといろんなところでタイ料理を食べてますが、個人的には成田のゲウチャイを越えるお店に出会ってません。
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Aランチ、997円。満腹です。コストパフォーマンス高し。
店に入ったときに漂っている匂い、料理の香りで、2004年暮れから05年正月にかけて出張したプーケットの思い出が蘇ります。この江東橋店も同じくうまかった!駅から徒歩5分弱と近いしね、またお世話になります。

2010年11月01日

魔法の箱のはなし

閑話。

amazonて昔(成田に住んでいた4~6年前)、頼んだ次の日に着いたりしてて「すげえ」と思ったものだけれど、久しぶりに関東圏に戻ってきてみると、注文してから3日くらいかかったりするの、これなんで?本当はさっさと発送できるのにお急ぎ便と差別化を図っているのかしら。それとも気のせい?

閑話休題。

また審議会の話なんですが、学校教育って、そこにいろんな問題を投げ込むと解決する魔法の箱のように扱われることが多くて面白い。

臓器移植について学校で教えるべきだ(じつは保健体育で教えることはできるらしい)
予防接種について学校で教えるべきだ(教えた子が親になって自分の子どもに打つまで覚えてないだろうという気が……)
感染症について学校で教えるべきだ(よく知らない。でも性感染症は教えてるっぽくない?)
リスクコミュニケーションを学校で教えるべきだ(教えるほう、大丈夫かなー)
メディアリテラシーを学校で教えるべきだ(やってそうだけど、大学でよくねえか)
うんぬん、かんぬん。

だいたい何の話してても、人口に膾炙しないときの言い訳として「メディアの伝え方が悪い」と「学校で教えないのはけしからん」というのは出てきますね。大人になっちゃうと一堂に集めて教え込むというのはなかなかできないので、その中でもまだ大人が曝露することの多いマスメディアが思うようなトーンでニュースなどを作らないとイライラするというのはわかる。さらに大人になっちゃう前に教えときゃ効率がよかろうというお気持ちもよくわかる。

しかしま、新聞紙面もテレビの放送時間も読者や視聴者の時間も意外と限られてますし、日々の出来事も盛り込まないといけません。その点、雑誌ってこってり上手に一つの問題を扱うのに適しているんだけれど、「みんなが読む月刊誌とか週刊誌」って意外にないのが難点。あと、「メディアがメディアが」という批判の仕方は、応答責任を負う人がいないので、実は誰にも届いていない(「日本人てやつぁ」と言われてもムッとはしても国民を代表して応答する権限はないようなものです)。逆に、反論が来ないので手軽に溜飲が下がっていいかもしれませんが。

相対的にまだ言うこと聞いてくれそうな教育のほうを見ても、しかしメディアの場合と同じようなキャパシティ面での理由と、同じような代表者の不在の問題によって、教育という箱に向かっていろいろ投げてもなかなか入らないなー、というのが見ていて思うことです。文科省でやってる会議でないと、文科省の人が同席していることがそもそもほとんどないですしねえ。

ではどうしたらいいか、なんですが、よくわかんない。そもそもざくっといって過半数の国民が知ってることってそんなに多くないよな。
それはおいておいても、テレビコマーシャルはまだアリかなという気はします。予算のない中でやるならACジャパン(前の公共広告機構)の枠が取れると強いみたい。HIV/AIDSの分野は、これがなくなったせいで検査が伸びなくて悩んでいるという話もあります(ほんとかね)。特にHIVや結核など、状況が少しずつよくなってる(とともに、ハイリスクグループが特定されて社会全体の問題といえなくなってきている)案件で、大変だ、何とかしなきゃ、と思ってくれる人を開拓するのは本当に大変だと思う。
逆に、昨シーズンの新型インフルエンザのように、なんか(空騒ぎであってもいいから)大騒ぎする機会があると、意外にいろんなものが進んだりする(ワクチンの小児用量見直し、妊婦への予防接種推奨、国内ワクチン産業育成の必要性、感染症発生監視態勢の強化など)。
教育に取り入れられて何か進んだ例ってあるだろうか。思いつかないな。ええと、ええと、首痛い(まだ痛い)。

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