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2015年08月 アーカイブ

2015年08月31日

マレー半島を雑に楽しむ(4日目)

宿でBBCを見ていると、Bersih4は結局、マハティールが駆けつけて応援したほかは特段の見るところもなく、予定通り真夜中に終わったようです。制御されたデモが一番権力にとって利が大きいということが当局に分かっていてこういう展開になったのだとしたら、結構すごいと思います。
どれくらい自律性があるか分からない現地テレビを見た限りでは、すっかり雰囲気は独立記念日に塗り替えられていて、街の窓窓には国旗が下がっています。日本でも古いおうちとかで祝日に日の丸を掲げるような、あれ。

本日はクアラルンプールを離れて、南東に約140キロのマラッカに向かいます。
TBSバスターミナルという、南に向かうバスが発着する巨大ターミナルまでは、空港行きの特急で7分くらい。確かこれも150円とかだったような気がします。
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空港のLCCターミナルみたいで、とてもきれいです。
特に予約しないで行ったものの、朝8時に着いてあっさり8時半発のマラッカ行きの切符が取れました。300円。やっす!!
設備はだいたい日本の高速バスと一緒です。うとうとしているうちにマラッカの中央バスターミナルに着きました。
ブランチくらいな時間帯に小腹がすいたので、朝マックします。
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卵とハムのラップ。ハムはチキンて言ってたかなー。トレイに敷いてある紙には「ハラールですからね!!」と書いてありました。

何を考えているのか、バスターミナルは街からかなり離れたところにあります。
30円で乗れる路線バスも出ていますが、下調べをしてこなかったので、どのバスに乗っていいか全く見当がつきません。仕方なくタクシー。
マラッカのタクシーはメーター制ではありません。450~600円の間で交渉成立したらまあいいとせよ、といくつかのサイトに書いてあったので交渉しましたが、ターミナル内にあるタクシーカウンターの親爺は600円の線を譲らないので、もうしょうがないということで妥協しました。
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中心部のオランダ広場まで行くという約束で出発しましたが、ぼっろいタクシーのおっさんは街に近づくと、「今日は独立記念日で交通規制がかかったりしていて近付けないので、ここで降りろ。もう歩いてそんなにかからないから」と言い出しました。
「だめ、ちゃんと連れてけ」
「車動かねえ」
「(地図を示して)じゃあ今どこにいるか教えろ」
「(老眼か何かで)見えない」
「ふざけんな約束が違う」
「後ろの通りを5分でマラッカへようこそっていう看板があって、左に曲がれば着くから」
「おまえの訛は何言ってるかわかんねえゆっくり喋れ」
「後ろの、通りを、(略」
らちがあかないので600円投げつけて降りました。タクシー大嫌い。
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マラッカへようこそ、というかインド人街へようこその看板。意外とすぐあった。
観光の中心らしいオランダ広場ってこんなところです。
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街ごと世界文化遺産だそうです。観光地臭ぷんぷん。
友人が「行っておくべき。でも一度行けば十分」と言っていたので、1泊だけにしておきました。

まずは広場に隣接するザビエル教会とやら。
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1849年築だそうです。
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手を合わせるのは流儀が違うような気がしますw
お隣はマラッカ歴史博物館。1650年ごろ建てられた旧オランダ総督公邸・兼・市庁舎です。建物名はStadthuys。スタダイスとはなかなか読めないです。
マラッカ王国、ポルトガル、オランダ、イギリス、日本、イギリス、マラヤ連邦、マレーシア。
やっぱり侵略者の一部として登場する日本。
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鄭和の部屋は英雄物語的な造りでした。
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高校世界史でやったやった、と思ってwiki見たらムスリムの子で宦官出身なのにすっごい旅してる、この人。面白そう。そのうち1冊読もう。
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高台に建っているので、見晴らしいいです。
博物館はマレーシア人150円、外国人300円。なんだとー!と少しむっとしたものの、歴史博物館の裏に文学、教育、行政の博物館があって盛りだくさんで、まあいいかと思い直した次第。
丘の上にあるのはザビエルの遺体が安置されていたというセントポール教会の廃墟、かな。
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チェックインできる午後3時も近くなってきたので、オールドタウンに参ります。
左側に見えてる塔はモスクです。
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1646年にできた道教のお寺(チェン・フーン・テン寺院)もあります。
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ショップハウスといって、1階が店舗、2階が住居、鰻の寝床みたいに細長い建築がこの街の典型だそうです。その中の一つに入ってコーヒー飲みました。
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やっぱり甘い。コーヒー(Kopi)にはOとCがあって「何これ?」と聞いたら、Oは茶色、Cはミルクだとのことでした。ミルクはどうやらコンデンスミルクらしい。

もう暑いしリュック重いしということで、3時ぎりぎりにチェックインします。
ホテル・プリ。
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1822年築、1840年に華人のゴム園オーナー、タン・キム・センが買い取り、その後ホテルになったとのこと。
入るとこんな感じです。奥にフロントがあります。
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なんと奥行き100m!!
お部屋は6000円。必要最低限だけど、いい感じだね~
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窓から見えた緑は、中庭の植栽でした。
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中庭からアクセスできる史料室。
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こんな写真もあった。
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日本はもともと東南アジアに自転車を輸出しており、これを利用してチャリに乗ってマレー半島をシンガポールまで南下していったという。「銀輪部隊」と呼ばれたそう。こんなん来たら「なんじゃこいつらーー!」と思いそう。

けっこう探検のしがいがある建物です。鯉のいる池つき吹き抜けも。
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重い荷物を置いて、ジョンカー・ウォークという通りへお散歩に出ます。
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純正豆腐水って何だろうな。
買い食いは、ドリアン入りのシュークリームみたいなやつ。一口で食えって。
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くっせ!
そういえばホテルの入口には「ドリアン持ち込み禁止」とあった。
こんな自転車タクシーが音楽鳴らしながら通り過ぎていきます。
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ちょっと恥ずかしくないかな。しかも夜になるとこうなります。
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もう観光地はいいや。

汗まみれの下着を洗面台でお洗濯して寝ます。洗剤とピンチ持ってきてよかった。
それにしてもこの国は、ホテルにランドリー設備がないな。
夜にテレビをつけたら、独立記念の式典を盛大にやってました。
当地マラッカでも何かあったらしいけど、散歩した時間帯にはもう終わっていた模様。

つづく

2015年08月30日

マレー半島を雑に楽しむ(3日目)

3日目は、ちょっと遠出をしてみます。
念のため、デモをやってるムルデカ(独立)広場に近寄らないとすると、市内で見たいものがあまり思い浮かびませんでしたので。
この不穏な空気の中でリンギットが安くなったようで、旅行者としてはよかった(不謹慎)。

目指すはこちら、

クタム島。

まず、クアラルンプール中央駅から列車でクランという地域の終点まで行きます。
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切符は窓口で係員から買う方式。1時間ちょっとかかる距離ですが120円くらい。
ここは交通費がほんとに安いです。
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女性専用車があるんですね。
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電光掲示板で何時到着というのが常に表示されてますが、運行を常に監視しながら予想到着時間を出しているようで、駅に電車が近づくと数分、表示が揺れます。
マレーシアの独立記念日を次の日に控えているせいか、車内で国旗が配られました。
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終点のクラン港駅で降りて、目の前にあるフェリーターミナルから船に乗り換えます。
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中国系の人ばっかり。乗り込んでから210円払います。
沖合10キロくらいのところらしいのですが、1時間くらいかかりました。地図を見ると、いくつかの島を回り込んでいくから道のりは結構あるのでしょう。
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クタム島。すべての建物が橋桁の上にあるマングローブの島です。日帰りの観光地らしい。
船着き場の周辺は、民宿やレストランがひしめいていて賑やかです。
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クタムはカニという意味だそうで、橋桁の下を見るとカニがいっぱいいます。
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食堂の店先にもカニの入ったバケツが置かれていましたが、あまり食欲はそそらないな。
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正直、あまりきれいな景観ではない。
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住民はほとんど福建省出身だそうです。こちらは南天宮というお寺。
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なぜかアイスクリームの天ぷら押しのお店がいくつか。
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何して暮らしているんでしょう。
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あんまり(弊管理人の)英語が通じませんでした。
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ここまで来たら海鮮食えという話ですが、なんとなくうまそうに見えなかったのでチャーハン食って昼食としました。
帰りましょう。帰りは来たのとは違ってかなりオープンな感じの船。
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行きとはちょっとコースが別だった。何かの養殖場でしょうか。
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いくつかの船とすれ違ったのですが、黄色と赤の旗を掲げていました。
あとで調べたら、セランゴール州の旗だったもよう。
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やはり1時間くらいでクランの港に到着。

日本の仕事先から電話が入って
「けさメールしたんですが」
「はい見てませんけど」
「明日、(結構前に面談お願いしていた某偉い人に)アポイント入れられました、という内容です。こられますか?」
「マレーシアにいるので無理です」
「帰ってこられませんか」
「んなわけないですよね」
「じゃあ再調整を……」
「あとでメールしますから」っつって切りました。
いや偉い人の調整が大変なのは分かります。けど、ショートノーティスすぎるだろう。
鉄道駅でiPadでメール打つ弊管理人。会社は社用携帯のデータローミングは高いから使うなというので、地図見たりすることもあるだろうと自分でwifi借りてきましたが、仕事に使うのは癪に障ります。

車窓を眺めながら電車で帰りました。
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郊外にはトタン屋根の家や未舗装の道路もまだ多いです。
でも、高層マンションも見えたりする。こちらのマンションはてっぺんに三角屋根がついてるのが多くて、パック売りのシメジに似てるなとか思いました。

車内のべからずピクトグラム。
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飲食、喫煙、ペットの持ち込みは駄目、というのは分かりますが、「ガムだめ」は面白いです。シンガポールは国内へのガム持ち込み自体がだめで、それは某国人がべたべたいろんなところにガムを貼るのにブチ切れたためだというのですが、まあ似たようなご事情なのでしょう。あと「イチャイチャ(indecent behavior)禁止」はイスラム教国だからかな。
それを厳格に守らせるかどうかは別問題ですが、それでもマナーはいいなーと思いました。

中央駅で乗り換えて、一応ペトロナス・ツインタワーを見に行きます。
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ブルシのシャツの人たち、全然堂々と歩いてます。着用禁止のお触れが効いてない。
KLCC駅で降りて、またオサレなショッピングモールへ。
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どこのショッピングモールか分からないくらい造りが似てます。
夕飯はやはりフードコートで、自分で何品か選ぶごはん。
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マトンカレーとタンドリーチキンとキャベツとビリヤニ。至福ーー
しかしフードコートって大体何食っても1食500円前後になるな。

KLのシンボル、ツインタワー。
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うん、見た。帰って寝よう。
ざっと通り雨が来ました。途端に気温が下がり、とても過ごしやすくなりました。

つづく

2015年08月29日

マレー半島を雑に楽しむ(2日目)

ホテルの部屋の遮光カーテンが優秀なのと、涼しいので、8時間くらい寝て起きました。
ンコして始動します。便器横にあった謎の器具……
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持ち手のところを強く握ると水が出ます。ムスリムの人がお尻を洗う用でしょう。
そりゃシャワートイレがイスラム圏で売れるわけだ。利用させていただきました。
最初は力加減と標的に当てるのが難しく、シャツの背中が濡れたりしました。
しかし、やはりお尻は水で洗いたいものです。有り難い。

JALの機内誌がちょうどクアラルンプール特集をしていて、エッグタルトのおいしいお店がホテル近くにあると書いてあったので、それを求めに出掛けました。
ザギンとは言っても、大通りからちょっと入るとこんな街。
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地元の人が朝飯食ってます。

なんか見つからないので、それなりに人の入ってるお店に呼び込まれてみました。
醤油味っぽい汁で豚肉や野菜を煮込んだ「肉骨茶(バクテー)」が自慢らしいので、それと、サトウキビのドリンクを頼みました。
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角煮と白菜とマッシュルームとかの鍋って感じ。うまいです。
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お店はこんな。
ここに限らず、どこも建物の中は扇風機がいっぱい取り付けてありました。
北緯3度です。確かに暑いし汗もかくんだけど、東京の7月15日くらいって感じでしょうか。日陰で風があるとそんなでもないね、という。気化熱とクーラーの冷気を、風を回すことでうまく使っていると思いました。
四季のあるところから来てみると、1年中これじゃきついですが。

お腹も膨れたので、観光しますか。
お昼前に中央駅に出てみると、黄色いシャツの人たちが集まり始めています。
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14時から翌30日の真夜中まで、市内中心部の独立広場など、国内で同時多発的にデモをやるとのことでした。Bersih(ブルシ)=「清潔」という意味の団体だそうです。Bersih4.0というので、これまでにも何度か抗議行動をしているのでしょう。選挙制度改革を訴えているという情報もありましたが、今回はどうも、ナジブ首相の個人口座に700万ドルという多額の資金が入ったという政治腐敗疑惑を追及しているようでした。

在マレーシア日本大使館のサイトでも注意喚起があったように、デモはどう暴発するか分からないので油断は禁物です。しかし事前に政府が着用を禁じた黄色いシャツもみんな着てるし、なんかお祭りっぽい感じでわさわさ楽しげだし、そんなに大事にならないんじゃないかな~などと思ってしまいました。

(結局、予定通りデモをやって、30日の深夜には終了して、31日の独立記念日は普通に式典が開かれてました。元首相のマハティールが会場に来て「ナジブを排除せよ」と刺激的なことを言っていたのをBBCで見てびっくりしましたが、その後マハティールは警察の事情聴取を受けたようです。訴追の可能性は低いとのことです。なんかゆるゆるですね)

中央駅から10分くらい歩いたところに国立博物館があって、そこに向かったのですが、太い道路が何本も通っていて、どうやって辿り着いたものやら分かりません。
道を聞いた人も「分からない」と言ったものの、なんと親切にも警察官のところまで行って行き方を聞いてくれました。「ハイウェイを横切っていくんだよ~」。そうなの???
そうだった。歩道ついてます。交通量がそんなにないから信号なしで横切れるけど、怖ーーー
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(ひょっとしたらハイウェイじゃなくて、ただの太い国道だったかもしれない)

博物館であります。
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展示はなんと地質時代から始まります。東南アジアのイスラム化とかマラッカ王国とか、高校世界史の難所の一つだったような気がしますが、とにかくいろんなところからいろんな人たちが来た様子が分かります。
当然、第2次大戦における日本の侵攻も1コーナー割いて扱われるわけです。
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でもやっぱりこれがハイライトかな。
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1957年、イギリスから独立の確約を得て帰ってきた初代首相となるトゥンク・アブドゥル・ラーマンがMerdeka!(ムルデカ=独立)と7回叫んだ場面。マレー、中国、インド系など多様な民族と文化と言語が溶けないままに混ざり合いながら「一つのマレーシア」を掲げる社会の原点。

次はちょっと歩いてイスラム美術館。
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白と青が基調のきれいな建物です。
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中もかなり広いです。
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各地のモスクのミニチュアなど。
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モスクの原型は、メディナにあったムハンマドのお家の離れで、柱廊式の玄関と階段、お祈りの方向を示すキブラと、ミナレット(塔)、ドームといったいくつかの基本要素を組み合わせた変奏といえるようです。中国とかインドとかに伝播して、現地の文化と混ざり合って様式が変わっていくのも興味深いです。
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テンション上がります。
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どうやら、弊管理人は細かくてごちゃごちゃしたデザインが好きみたいです。
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あと、説明書きを見てると、ムハンマドやアッラーの名前の後に必ず花押みたいのついてますね。
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医学などの学問もずいぶん進んだ。
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では次は、すぐ近くにある国立モスクを見に行ってみましょう。
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お祈りの時間帯でなければ、ビジター用の入口で名前を書いて靴を脱げば、誰でも入れます。
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ただし半ズボンとかタンクトップとかの露出の多い服装をしている人は、入口で貸し出している服を着ないといけません。弊管理人は長ズボンに襟付きのシャツでそのままパスでした。
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これがお祈りの部屋です。ご神体があるわけではないので、がらんとした広間という印象。
正面真ん中がマッカの方向です。方向が分かるスマホアプリもあるので外でも心配ないんだって。
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特にその部屋でお祈りしなければならないということはないそうで、外でやってる人もいました。
モスクはいつも開放されているので、ムスリムが寝転がったり座ってぼーっとしたりと、リラックスする空間としても使われているとのことです。
「ところで寝たきりの病人とかどうすんの」と施設の人に聞いてみましたが、できる方法でやればいいんだそうです。
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座ってる人たちはスマホいじってました。
そういえばこの国もやっぱりみんなスマホいじってます。
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道すがらみた軍隊もタブレットでゲーム?に興じていた。デモ警戒ですかねえ。

モスクの外には屋台が立ってます。もちろんハラール。野菜たっぷりチキンハンバーガーを買って食べました。
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一度ホテルに戻って、ブキッ・ビンタンのパビリオンというショッピングモールへ夕飯を食べに行きました。
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なんか地元民自慢のモールらしく、何人かから「あそこ行った?」と聞かれました。
確かに高級ブランドとかが入った相当シャレオツなモールです。
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しかし、こういう良いトコのモールはどこも似ていて、でっかい吹き抜けがあって、その周りをちっちゃいお店が取り囲むようにしています。ブランドはどこも似たり寄ったり。
あと、「ここは衣類のフロア、このあたりは雑貨」などとゾーン分けがされてないようで、ところどころに設置してあるディレクトリで探さないと、どういうジャンルのお店がどこにあるかが分かりにくいと感じました。

地下のフードコートも大規模できれい。台湾や韓国、香港料理もありました。
結局鉄板焼き食っちゃったけど。
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あとなんかよくわかんないマンゴーのデザート。
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満腹。22時に寝ます。いつもはこんなにうだうだ寝られないもんね。
つづく

2015年08月28日

マレー半島を雑に楽しむ(1日目)

夏休みにちゃんと休まないと秋が辛い、というのが経験から分かったので、今年は盆休みのほかに1週間の夏休みを取ってマレー半島に行くことにしました。

今回は成田を午前発の便でJALでクアラルンプールに入ります。
日暮里からスカイライナーに初めて乗りましたが、速い!
普段使いのリュック1個が荷物の全てなので、自動チェックイン機で手続きをしたらさっさと出国します。
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約7時間のフライト。機内食のナシゴレンは今ひとつでした。
腕時計の時間を1時間戻します。

2月にメルボルンに行った際には乗り継ぎだけで通り過ぎてしまったクアラルンプール国際空港。ATMでマレーシアリンギット(RM)を1万円分くらい下ろして、市内に出ます。ざっと1RM=30円。
直通の電車は1000円、35分くらいでした。切符はタッチパネル式の自販機でクレジットカードを使って買う。
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みんな整然と乗ってえらいな。車内も静かでした。

午後6時過ぎくらいに中央駅(KL Sentral)に到着しました。
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大きいんだけど、国の中央駅としてはかなりこぢんまりとした印象です。あと薄暗い。
でも、ここと直結してるショッピングモールは結構大規模でした。
後々書きますが、同じような造りのショッピングモールが至る所にあります。
浅黒い人達が多くて、異国に来たなあと感じます。

2両編成のモノレールに乗って、ホテルのあるブキッ・ビンタンという地区に向かいます。50円くらい。グーグルマップに聞くと歩いても30分くらいだそうです。
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自販機で、プラスチック製のコインみたいな形のトークンを買って、それを自動改札にかざして通る方式でした。市内道路の混雑緩和に貢献すると期待されているとのことです。

ホテルはCAPITOLというところにしました。
「日本でいうと銀座みたいなところ」とガイドブックに書いてあったので、まあそんなところなのでしょう。お部屋は結構広くて一通りのものが揃っていて、1泊6000円くらいです。東急ホテル相当、くらいかな。
お部屋からはKLの象徴、ツインタワーのライトアップも見えました。
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マレーシアでは水道水が飲めないそうで、600mlのミネラルウォーターが毎日2本、宿泊客に供給されました。

ホテルに着いたころには日も暮れたので、夕飯夕飯。
近くにあるジャラン・アローという屋台通りに出ます。
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こんなとこ。おいしそうな匂いが立ちこめてます。

なんとなく人の多いところが美味しいのだろうと思って、それっぽいところの呼び込みのオバチャンにひっかかってみました。
チャーハンとキャベツのニンニク炒めをオーダー。
料理にはSサイズの設定もあり、独りでも問題なく食事ができるのが嬉しいです。
あと、冷たいお茶を頼んだのですが、そういえば氷は大丈夫なのかなあと思って、ちょっと飲んでやめておきました。なんか大丈夫だったようですけども。
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全然マレーシア料理じゃないですけどね。お米食いたいもの。これで600円。
食ってるとプラスチックのカップを持った老人が寄付?を要求してきましたが、無視しました。

中国系のお祭り的な何かで近くで火を燃やしており、灰が降ってきたので早々に食って退散。
ホテルからは徒歩3分くらいです。歩行者が誰も信号を守りません。これは後で訪れるシンガポールとは大きく違うところでした。

ホテルに戻って、日本から借りてきたwifiを使って情報集め。
現地情勢をよく調べて来なかったのですが、翌29日~30日にかけて大規模なデモが計画されていたらしく、市内中心部の見所が集中しているところが情勢不安定になりそうとのことでした。この国ってデモ禁止ちゃうん。テレビをつけてみましたが、マレー語と中国語のチャンネルを見ても意味不明だったので情報収集停止。そんなに頑張って観光するつもりもなく来ているので、まあいいかと。

前の日の勤務が夜勤だったのと、長時間移動で疲れて頭痛がしてきたので22時くらいに寝ました。

つづく

2015年08月26日

8月読んだもの3

■田村慶子, 本田智津絵『シンガポール謎解き散歩』中経出版,2014年.

夏休みの後半に行く予定だけど、チキンライス食ってマーライオン見るだけだと1日持たないかもしれん、と危惧を抱いて買ってみたら、1週間くらい滞在してみたい気分になりました。

* * *

六つ上の友人と、高田馬場の「はま寿司」いってきました。
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ひっさしぶりの回転寿司。
なまもの嫌いだが炙り系と蒸しえび大好きの弊管理人は堪能しました。
若干、メニューに安易にマヨネーズを使いすぎだろうと思いました。

2015年08月21日

8月読んだもの2

■フィリンガム, L.A.(栗原仁,慎改康之訳)『フーコー』筑摩書房,2011年.

古本で安いのがあったので買ってしまいました。
訳者による著作紹介や用語集がついていてサービスよいのが好感。
フーコーはどこから手を付けていいかわからない上に、本が高い+難しい、ということでなかなかリーダー以外のものに触れられていないのですが、とりあえず最初から『知の考古学』『言葉と物』に行ってはいかんらしい。

2015年08月20日

8月読んだもの

■広井良典『ポスト資本主義―科学・人間・社会の未来』岩波書店,2015年.

某官僚氏に「生命倫理とかやる人の中では、この人『は』まとも」と言われたので……
すっごいいろいろな文献を渉猟しながらすっごいスコープの広いお話をしていて一気に視点が高くなっていいのですが、見田―ロジスティック曲線の話に近いわりにはそこからの引用が少なめだった気が。

■三木敏夫『マレーシア新時代―高所得国入り』創成社,2015年.

ちょっとマレーシアに行くので、予習。
文章はひどいが、情報は豊かな本でした。

・人口約3000万人。マレー人+少数民族6割、華人2割、インド人1割以下
・イスラム、キリスト教、ヒンズー教、アニミズム等の棲み分け
・国語はマレー語。ほか中国語、英語が日常
・Malaysia My 2nd Home プログラム→長期滞在者(セカンドホーマー)受け入れ
・メディカルツアーも振興
・ゴム、錫輸出→1980年代~電子立国
・1986~直接投資。外資100%所有を認める門戸開放政策→投資ブーム
・5カ年の経済計画(現在は10次、~2015)+10年計画(工業化マスタープラン)
・1969、人種暴動「5月13日事件」→ブミプトラ政策(1971~)
  華人とマレー人の格差解消狙い、マレー人優遇
  ←通商交渉、TPPで問題に
・ブミプトラ・マイノリティ問題。マレー人と先住少数民族の格差問題。サラワク、サバ州
・女性の高学歴化(マレー人、華人を問わない)
・1948、国内治安法+煽動法。デモ禁止、逮捕状なき拘置、恣意的な拘置延長→2015改正
・3K職場中心に外国人労働者300万人。インドネシア、バングラデシュ、ネパール…
・1981~2003、マハティール首相。開発独裁、ブミプトラ政策、イスラム化
  →ハラール食品工業の振興、イスラム金融の整備
・1982~、ルックイースト政策。勤労、モラル、集団主義
・「ワワサン(vision)2020」で2020年先進国入りを掲げる(ちょっと無理っぽい)
・現ナジブ首相。「サツ・マレーシア(1 Malaysia)」「高所得国入り」提唱
・現在は第10次5カ年計画、2011~15。

■Teamバンミカス『まんがで読破 コーラン』イースト・プレス,2015年.

だって会社の同僚が「コーランは通読するもんじゃないです」とか言うから。
「旅行の予習の一環」という弊管理人程度の関心であれば、マンガは最良の媒体であります。
でもなんか実際、字ばっかりの本より全然雰囲気わかります。ありがたい。

ちなみに「だいたい何が書いてあるかだけ知りたい」程度だったダンテの『神曲』もこのシリーズで読みました。

2015年08月16日

盆休み2015

12日から3泊で出掛けてました。

4月になんとなく始まった家族旅行シリーズで、弊管理人と妹が東京からバスに乗り(意外と混んでいて2時間遅れ)、松本で父と合流して白馬へ。
白馬八方スキー場の近くにある「しろうま荘」に投宿しました。
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早速温泉に入ります。強アルカリのお湯。
夕飯はこちら。
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地元の豚、米、山菜を使った、派手ではないけどとてもおいしい食事でした。
このほかに青豆と玉葱の天ぷらも出ました。
夜7時には父親が寝付き、弊管理人も11時には寝ました。
翌朝のごはん。
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お米がおいしい。もちろんおかずも。
そば粉のガレットが印象に残りました!
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あまり天気がよくなかったのですが、ざあざあ降りにはならないだろうと踏んで、栂池の自然園に行きました。
ゴンドラとロープウェイを乗り継ぐと、すぐ着きます。
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標高2000メートル前後の高層湿原周辺は、木道が整備されていてかなり歩きやすいです。
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トリカブト。
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ワタスゲ。
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チングルマ(の花が終わったあと)。
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最も晴れた瞬間でこれくらいでした。
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展望湿原(2010m)に着いたときも視界はよくありませんでしたが、ちょっと待っていると雪渓がチラ見できました。
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結局6kmくらい歩きました。
ヒュッテに戻って「サルナシ」のソフトクリーム300円。
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マタタビの仲間で、品種改良したのがキウイフルーツだとのこと。
下山して、小谷村の道の駅で一休み。
そのあと、13日の宿である「雨飾荘」に向かいました。チョイスは父。
小谷村にある雨飾山にある宿です。今はとてもしっかりした建物ですが、20年以上?前に父が泊まりにきたときには普通の山荘だったとのこと。
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脇には妙高に抜ける林道もありますが、昨年11月の地震で損傷したらしく、通行止めになっていました。
宿の脇には、森の中の露天風呂もあります。
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ロケーションはとてもいい。アブが多いけど。
宿のお部屋はとても広くて、窓の外は山!
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夕飯はすっごい気取ったコースですが、いちいちおいしいです。
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イワナの刺身、初めて食べました。
内風呂はこちらもアルカリ泉。
糸魚川はすぐそこ。明けて14日の朝飯にはノドグロの開きが出ました。
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近くの鎌沼は、紅葉の季節に訪れるといいようです。この日は霧で何も見えませんでした。
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というわけで、さっさと白馬~中条を通って長野市に出ました。
ななな長野駅が新しくなってる!
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1500円のそばもいいのですが、県庁勤めだった父が「安くてうまい」と勧める藤の家で700円のざるそば大盛り。父と妹は880円のそば定食でした。うまい~
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そのあと、なんとなく30年前に住んでいた家と、20年前に住んでいた家を見に行きました。
父は結構行き方を忘れていて、弊管理人がナビをすることになりました。
こんなに狭い道だったかなあ、と父。
まだ残ってた。一同しばし見入りました。今は人の家なんだけど。
そして弊管理人の原風景はやはりリンゴ畑だと再認識。
そのまま小布施に出て、もと魚屋のパティスリー「ロント」でおやつを食いました。
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わあなにこれすっごいおいしい。
というか父、なんでこんなとこ知ってるの。

というわけで小布施のスマートICから高速に乗って実家に帰りました。
天気は今ひとつだったけど、家族で旅行することに意味があるのです。ほんとにそう思う。

* * *

5月の連休は祖父母に会わなかったので、15日に父から車を借りて、独りでぐるっと回ってきました。

・父方の祖父母
祖父(93だっけ)が5月に肺炎になって1週間ほど入院して以来、体が弱ってしまってほぼ寝たきり状態で療養病棟に入っているとのこと。これ典型的な廃用症候群だろうな。
祖母が山の中の家に独りでいて、近くにいる父と叔父が交代で病院への送り迎えなどをしているそうです。
もう農業もやっていないのかなと思いきや、売り物にしているわけではないがトウモロコシやスイカを作っているそうで、少しご馳走になりました。
いらちな父の運転で来ると、せかせか訪れてせかせか帰っていくことになるのですが、久しぶりにゆっくり祖母と話すことができました。
祖父は入院初期、病院は嫌だから家に帰りたいと言っていたものの、祖母がよたよたしながら世話をしているのを見て「やっぱり病院でいい」と言って戻ったそうです。祖母によると、祖父は体はもうほとんど動かないけれど頭ははっきりしていて「それがかえってかわいそう」とも。
このあと父に病院に連れていってもらい、祖父にも会えました。うーん確かに結構弱ってる。
90過ぎて胃がんが見つかったとき、手術をするかどうか散々迷った挙げ句に手術をすることにし、しかしそれを契機に衰弱が始まってしまったのかなと思います。
90を過ぎると結構な割合の人が手術をしないという選択をします。しかし弊管理人は当時、意見を求められていろいろ考えた末に「する」ほうに一票投じてしまったため、後悔しています。

・母方の祖母
5月の法事をめぐって父と伯母が決裂したらしく、父は伯母がよく出入りしている母方の実家には「もう行かない」というので……。まあ合わない人達はいつかこうなるのでしょう。弊管理人は大人なので別にその辺はあまり気にせずご飯を食べに行くのです。
祖母は、弊管理人が名乗ると名前を認識しましたが、しばらくすると「誰?」となってしまいます。アルツハイマー型認知症の薬(アリセプト)を3年飲んでいるそうですが、こうなっちゃったらもういらないんじゃないかな。進行を遅らせるだけですし、怒りっぽくなるなどの副作用があるので。
伯母に薬を見せてもらうと、抗うつ薬と高血圧の薬を他に飲んでいました。
抗うつ薬ももういいだろう。ていうかこれが認知症を悪化させてるような気がする。
精神関係の薬は「止める」ということを目標に飲まなければならないと思います。
しかし、循環器だの消化器だのが専門の町医者が戦略的に処方してくれることは、ほぼ望めない。
あと、10年以上ぶりくらいにいとこの子と会いました。子供の10年って劇的に変わりますね。当たり前だけど。
恒例の、伯母の手料理(と、祖母)。
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・ついでに、妹のこと
結構長く不安障害のようなものがあるらしく、引っ越しを繰り返したり精神科に行ったりしているようです。ちょいちょい自分の”病状”とか”こんなに大変”的なことを口にします。
しかし「問題は環境ではなく、環境の受け取り方のほうにあるので、引っ越しは無駄」と言っておきました。本人もそれは思い当たるようです。認知行動療法を試してみてはどうかというのも伝えました。
これは多分、投薬では治らないと思います(むしろ有害かもしれない)。文脈とかあまり関係なしに自分のことを語ったり、周囲の人や環境をdisったりというのは、「大変ねー」と労ってほしいとか、自分のことを世話してほしいとか、そういう欲求のはけ口を求めての行動だと睨んでいます。そしてそのはけ口が現在、精神科医療になっているだけ。それへの対処は、バランスのよい食事をし、早めに寝て、笑顔を作るなど、フィジカルな面を無理矢理に立て直すことだと思うのですが、それは言い忘れました。また正月にでも。

とはいえ、いずれのケースについても弊管理人は専門知識がないので、実際に何かの決断をする際には医者の意見を大いに参考にするしかありません。問題はその医者が本当に専門家なのか、誠実に仕事をしてくれるかがしばしば怪しいということ。ということでこちらに続く↓

* * *

弊管理人の扁桃炎は、帰省する前に耳鼻咽喉科で抗生物質を出してもらって3日飲んだとたんに全快しました。10日ほど前、トローチで抑えましょと言った医者をヤブ認定。

貴重な夏の半分を体調不良で過ごしてしまったのは遺憾です。
それを押して結構遊んだような気もするが。

* * *

8月は6日の広島,9日の長崎,12日の御巣鷹山,15日の玉音と3日ごとに国民的暗い行事が続く異空間に入ったようになって、それが終わると夏ももう終わり、という気分になります。
戦後70年、個人的にはもうほとんど代わり映えのない「証言」系の情報に関心がなくなっていて、しかし戦後が終わった様子はなく(たぶん次の戦争までは終わらんだろう)、一方で今年は特に親族関係が結構弱っており、ふわっとした沈滞感の中でこの期間を過ごしました。

2015年08月08日

ジビエなど

今週はいろいろ食いました。

接待する同僚にのっかって行ったにもかかわらず「あ、ちょっと食べるの待って下さい」とかいいながら写真撮ってた新橋の「焼ジビエ 罠 炭打」。
鹿、猪、猪豚などいろいろ食べました。写真は結局、何がどれだか分からなくなったので1枚だけ。
こちらはウズラの下半身だったと思います。
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うまかった。とても。

* * *

上記同僚は奥様がややこを連れて避暑に出掛けており、家に帰ってもゲームしているだけだというので、別の日にも夕飯をご一緒しました。
天丼を食べようと日本橋の金子半之助に行ったのですが、営業終了まで1時間半を残して品切れ。ぎぎぎ……と悔しがりつつ、近隣にある「天ぷらめし 金子半之助」に転戦。
結果、大満足。写真はあまりフォトジェニックでもなかったので割愛。

* * *

土曜、友人より北海道旅行のミソを教えてほしいとの連絡があり、一緒にランチしました。
歌舞伎町の、なんだっけ、台湾美食。
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うん、ありあり。

* * *

摂生、引き続きしてます。
為念。

* * *

今週はちょっと体調が低空飛行でした。
喉がちくちく痛いので耳鼻咽喉科に行くと「扁桃炎」との診断でした。
それってなんかただの現象論ですよねえ。原因への洞察ゼロ。
2007年2月に扁桃炎になったときは高熱が何日も続きました。今回は平熱。なんだろう。
トローチもらっておしまい。
口の中が痛いのと、なんだか臭い気がして、元気出ませんでした。

新しい部屋で迎える初めての夏で、寝るときにエアコンの切/入タイマーの設定の仕方がうまくいっていなかったため、妙に喉が渇いたり体が冷えたりしていたのかもしれません。
タイマー設定のポイントは今週後半にだいたい掴んだのですけど。

* * *

都心の猛暑日が金曜まで8日続いたそうで、人も結構死にました。
東京の夏は札幌から戻って7回目、「夏は暑いのが当たり前」と思ってもいたのですが、さすがに百葉箱気温で37度になった金曜は、キンキンに冷えた建物内から仕事を終えて出てきたときに「やばいこれやばい」と体が警告を発しました。

2015年08月01日

風来居

今週は水曜に発熱、木金で回復しました。
しかし仕事を他に振るわけにもいかず、結構体力を食われたので、土曜は1週間ぶりに運動したほかは温存戦略です。いやまて、仕事することで元気になってた気がします。やばい。
夕方、強烈なラーメン欲に負けて風来居の辛旨塩を食べてしまいました。
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ゴマでなく何かの虫がたかってるみたいに見えるあたり、脳の回復が遅れている模様。
辛いものって味とかあんまし関係なくなりまんな。
あと、当然のことだが真夏のラーメン屋は蒸し暑かったです。

罪滅ぼしにトマトジュースを飲む。

* * *

干いも、うまい。
あと食物繊維のおかげで翌朝の(略

* * *

向かいの同僚が先月からずっと咳をしており、マスクを渡したが使用拒否。
バイオテロ。激おこ。

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