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2024年11月 アーカイブ

2024年11月29日

感謝祭24

時差ぼけ調整中で、月曜に帰ってきてから
・夕方眠くなるので素直に昼寝する(しかし3-4時間寝てしまう)
・それでも夜は眠れて、24-25時に床について5時には起きる
・便意は一時乱れたが朝で落ち着いた
という状態です。昼寝と夜でトータルの睡眠時間は足りているようで、起きているとまあまあ調子はいいのですが、19時くらいから眠気がきます。時差ぼけの眠気はなぜか抵抗できないほど強力なのもいつも通り。金曜を迎え、そろそろ「普通の早起き」状態に向かってくれるのではと思ってはいます。

28日はサンクスギビング。だいたいの店は休業となり、いろんな企業から「Happy Thanksgiving!」というメールがきます。しかしアジア系スーパーは構わず営業中なので、開店直後に行って買い出しをしてきました。

今年のお呼ばれは昨年のこぢんまりとしたFriendsgivingの後にホストがアパートから一戸建てに引っ越したせいか少し規模が大きく、当初予定の8人+3人ほど来客で大量の料理を自分でよそって食べる形式。名前はThanksgivingでした。

16時に来てねと言われて16時半に着くとこんな感じ。
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七面鳥はやはり必須のようであった。
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メインは時間がかかるので、アペタイザーつまんで喋りながら待ってて、というスタイルはとても参考になる。人を待たせるのは当たり前だが、同時にただ待たされるのは許容しないという人々のお互い様が辿り着く最適解だと思う。
「おばあちゃん直伝のブラッディーメアリーのレシピ」で振る舞う参加者も。

毎度思うが、アメリカ人が食べるアメリカ料理はほんとうにどう手伝っていいか分からない。
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豆腐に衣のようなものをつけて揚げたりしており、創作なのか伝統的なのか全く。
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できあがり。カボチャや根菜のグリル、薄切りポテトの重ね焼き、マカロニチーズ、ベビーブロッコリーのグリル、アスパラガスあたりは定番かな?塩によるシンプルな味付けですが全部うまかったです。しかしチャンピオン認定されたのは七面鳥につけるグレービーソースでした。
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近影。うまそう。事実うまい。
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飲む飲む。
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どうやらサンクスギビングの習わしらしいのですが、「今年感謝したいこと」を回り番で述べていくそうです。健康で過ごせてよかったです、とか昇進してよかったです、とかそういうこと。
そしてちゃんと友達みんなに感謝、というリマークを忘れないところがアメリカ式だなと改めて思った。日本人はこういう時に自分のことだけ喋って終わりにしがちで、日本人だけの場ならそれでもいいんだけど、文化的に開かれた場では「その場にいる一人ひとりにエンゲージすること」を忘れてはいけない。

そのあとゲームやら「今まであった一番変なこと」といったお題deトーク的なことが始まり、弊管理人は眠気がきたのでソファで横になったら3時間が溶けていた。残り物を持たせてもらい、23時過ぎにおいとましました。

実は飲み物の足しに梅酒を置いておき、デザートに杏仁豆腐を作っていったんだけど、出すタイミングとか味の好みとかいろいろで多分大半がゴミになったはず。見届けてないけど。
この辺の「どういう場に何で貢献するか」は結局しっかり掴めないままであった。

と、そこは教訓としてさらっと流し、今年も声がかかったことに感謝祭。

2024年11月26日

GOGOアゼルバイジャン

毎年11月か12月に入る国外出張、今年はアゼルバイジャンのバクーです。
旧ソ連、社会科で習うバクー油田、ナゴルノ=カラバフ紛争、くらいしか知らないので、なんか荒涼とした東欧の街というイメージで大丈夫かなあと思っていたんですが、そこは2024年。旅系ユーチューバーが8月に訪れた動画を見て「ひょっとして素敵なのでは?」と期待に変わったのでした。

旅程はDC→ドバイ乗り継ぎ→バクーのエミレーツ航空。二階建てのA380だ~
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黒人のおばちゃん団体客が弊管理人の席の周辺に座ったところ、あめちゃんいただきました。
あめちゃん、世界のおばちゃんのコミュニケーションツールなのだろうか。
ほとんど眠れず12時間でドバイ。5時間くらい待って3時間でバクー。

1週間くらい前に東京から入っていた若手ちゃん(そう若くない)、ロンドンから応援に来ていて弊管理人と交代して帰るおねえさまと合流して、早速アゼルバイジャン料理を食べに行きました。
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ケバブとか餃子とかピラフとか。友好国トルコに、シルクロードの香りがするラインナップということですかね。写真はラムのチーズハンバーグみたいなやつです。うまいよ。ぶどうの葉っぱで挽き肉を巻いたドルマというのも食べた。肉を食う文化なのだね。
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気温は10度くらいかな?小雨。
あとは晴れたり小雨だったり風が強かったり。週末にかけて暖かくなりました。
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泊まったのは中心部で旧市街からすぐ、飲食店や小さなスーパーが集積した広場の一角みたいな宿です。なので多分普段着のバクーは見ていないが、宿の人もその辺の人たちも全体的に穏やかで優しい印象。
あと、着てるものが大抵黒か白ですごく地味です。「ゼレンスキー顔の人多い」とは同僚の言。巨大な人は多くなく、フィットネスの文化はまだきていないな?と思わせる体型は多いがデブではない。
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物価はたぶん平常時だと安いと思う。今回は66000人が登録して、それよりは少ないが数万人が押し寄せる大規模イベントで、ホテルは$150くらいだったと思いますが国が介入して差配したため3倍くらいにつり上がっていたと思われます。会場のメシも$20くらいでやっとまともなものが食えるかなくらいでしたが、地元スーパーだとクロワッサンが$0.65、バナナは6本1房で$2以下とかそれくらい。ちなみに通貨はマナトですが米ドルに換算して書きます。

時差はDC+9時間。絶賛時差ぼけしており、疲れもあって22-23時に寝ると2-3時に目が覚め、そのあとうとうとしながら朝を迎えるので夕方以降は体が明らかにつらい。
さらに空気質も悪い感じがし、途中から気管支炎みたいになりました。鼻水と痰、たぶんそれに誘発した咳。声がらっがらになりました。DCに帰ったとたんに軽減しつつあります。

仕事は屋内で、朝9時くらいに行って夜8時くらいに宿周辺に戻ってご飯を食べるという生活が続きました。仕事場の物価が高いので昼はバナナとかパンを持ち込んで軽く、くらいで済ましてました。従って宿の朝食はちゃんと食べる。
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ビュッフェ形式です。宿のおばちゃんが作ってるっぽい。7-10時ですが、10時近くなると従業員のおじさんたちが朝飯食ってる。同僚は「毎日同じものばかりでつらい」と言ってましたが、アメリカのホテルの「なめてんの?」みたいな朝食に慣れるとこれは余裕で及第点だよ。期待値の低さは幸せの秘訣であります。
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土曜にDCを出発してしばらく時差がつらく、水曜くらいに一度疲れ切って目覚ましをかけずに入眠したところ、起きたら9:30ということがありました。そこで体内時計が調整を始めたっぽく、それまで夜にきていた便意が朝にずれ、体調がよくなりました。
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週半ば、仕事が紛糾の様相を強めてきて、これは観光の時間がとれなそうだなという雰囲気になってきました。出歩けたのは2回。同僚と夕飯を食べにカスピ海の浜辺に行ったのが水曜夜だったかな?
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同僚が「パルコ」と呼んだショッピングセンター。
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ぐにゃぐにゃした建物がいっぱいある街なのですが、今回、宿を手配してくれた旧ソ連に強い日本の旅行社の担当の方が「90年代にパイプラインが通るまでは貧しかった」といっていたので、こういうものを作れるようになったのはそれ以降なんでしょうか。
フードコートでメシ。
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確か$4くらいだったと思う。酸っぱいキャベツとポテトは結構何にもついてきますね。地元価格はこの辺なのであろう。ホテル周辺でハンバーガー食べると$8くらい。あと、食べ物に対してコーラとかの飲み物が若干高い気がする。
もう1回の機会は金曜の朝だったか?隙を突いて昔の宮殿を転用した博物館へ。
旧市街を通っていきます。
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建物は今はほとんどがツーリズム関係の用途だと思いますが、結構生活感もあるような。
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博物館はちょっとした高台にあります。
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さっと見て出勤。
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仕事は国際会議で、会場との行き帰りには無料のシャトルバスが出ていましたが、議長の采配が悪くて延長になってもバスは延長されずにぶった切られたため、ライドシェアを使いました。
こちらの国で使えるのはBoltというもの。アメリカでのUberやLyftと比べて激安なのですが、大丈夫なのでしょうか、ギグワーカーたちの暮らし。
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ちなみに、ギグワーカーのお兄さんとかおじさんとかはみんな強面で英語もおぼつかないが親切でした。この周辺、基本みんな良い人なのでは。
ライドシェアは生活道路を走るので、ちょっと日常のアゼルが垣間見えてよかったです。

結局、会議は議長の采配が改善しないまま2日延び、金曜に終わるはずが日曜の朝方決着。3時間気絶して、そのあと東京と一緒に仕事をフィニッシュして、チェックアウトを14時まで延ばしてもらい(タダでやってくれた!)、帰途に。
なんとかこれだけは、と思ってヘイダル・アリエフ・センター。
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建ってるザハ・ハディドの建築を見る貴重な機会。巨大でした(写真にうつっている人たちのサイズに注目)。美術館というか文化施設のようですが、中に入る時間はもはやなく、Boltぶっ飛ばして空港に向かいました。

帰りは偏西風に逆らって飛ぶドバイ―DCが14時間45分という信じられない長時間航路で、疲れと寝不足のせいか機内の気圧が下がっている間、脳が膨張した感じでずっと頭痛でつらかった。
しかし、神経系が全域的にバグったせいか、アゼルにいくまで知覚過敏みたいになっていた右上の歯が痛くなくなっており、それはよかった。着いてメールなどチェックしてみると、仕事もまずまずの評価だったようでこれもよかった。
いいところな空気は感じつつも仕事に予想以上に時間をとられたので、コーカサスはいつか旅行でちゃんと見たいです。

ということで出張終わり、たぶんアメリカ赴任中の大仕事もこれで終わりです。
月曜朝に自宅帰着。昼寝5時間、さらに21:30に就寝して02:30にばっちり目が覚めました。
今週と来週は、短期的にはブラックフライデーの買い物と出張精算、中期的には引っ越しと帰任関係の手続きをいろいろやります。

2024年11月11日

誰っていう

結局、なにかとインテンシブに仕事をすることになり、1週間はびゅんって過ぎた。

土曜はジョージタウンで披露宴的な集まりがあるというので呼ばれて行きました。
服装は「カクテル」とのことで、こっち来てから着ることあったっけ?というくらい着た覚えのないスーツと革靴で午後9時出動。ジョージタウンは地下鉄が近くになくて不便、しかもなんかちょっと寒い。バスか……っつってたら逃した。結局地下鉄で最寄りまで行って10数分歩きました。
ワインバー貸し切り。カクテルは新郎新婦持ちだって。2杯だけいただいた。
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というか分かってはいたことだが、知り合いがほとんどいない。
というか、そもそも新郎新婦を知らない。
このウェディングケーキの上に載ってる二人らしいが、誰なんだっていう。
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よくわからないまま23時過ぎに帰りました。寒かった。
がっつり靴擦れした。

翌日はプエルトリカンのお姉ちゃんと彼氏(黒人)、その友達(台湾系)と彼氏(黒人)と韓国焼肉を食べるということになってフェアファックス。こちらも誰っていう。6人いて白人ゼロというテーブルになった。
そのままお姉ちゃんと彼氏を空港に送って、ちょっと職場へ。
その向かいの教会でコンサートがあるというのでのぞいてきました。

アルメニア出身のアイラペティアンというピアニストがハチャトゥリアンのトッカータとかソナタとかガイーヌほかグルービーな編曲ものを2時間。あれ、結構いいのでは?と思ったらナクソスでアルメニアものをいろいろリリースしてる人でした。1984年生まれ、モスクワ音楽院出身。
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お客さんは大使館筋と音楽学生かな?うわあコーカサス!という顔つきの方々ばかりでそちらも見応えありました。ノリノリで聴いてた。そして撮影しまくってた。
コーカサスづいたところで週末からアゼルバイジャン出張。去年までアルメニアと戦争してたっちゅうねん。どないやねんていう。

* * *

ベテランズデーの月曜は結局、朝から夜まで仕事してしまいました。

2024年11月07日

選挙

当地の大統領選挙があり、みんなが薄々こうなるだろうなと思っていたほうの結果になりました。
弊管理人はその関係の仕事で、14時出勤、翌日10時退勤。
これは同僚撮影。枕を持って出勤したのは当たり。
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結局大した作業は発生せず、ただ拘束時間が長いというだけの勤務でした。
帰って肉じゃが作って食って、午後ちょっと寝て夕飯作って食ってうだうだして寝ました。

その日思ったことはXから転載。これと、アレンタウンに行ったときの日記(11/1)を合わせるとだいたい「住んでる外国人が観察して分かった程度のこと」全部になる。何日かたってみても、そんなに外れてないような気はする。

<以下は出勤前>

・結果は分からないが競ったことは確かなので、「あのトランプ」の何がそんなに刺さるかを。「この4年でお前らの暮らしはよくなったか?」この訴えだと思う。3年暮らしただけだが1リットル1ドルなんぼだった牛乳が倍。先月行ったダイナーが今月値上げ。一生ここで暮らす人は「なんだよこれ」と思うだろう

・比較の問題ではなく「変える」ことが重要なんだと思う。ハイウェイを走ってると、車間距離を取ってるだけなのに「空いてる?」と前に入ってきて、別に流れが速いわけではないことが分かるとまたどこかへ行く。日本人の私から見るとバカがばたついてるだけだが、ストレスマネジメントなのだろう

・さんざん好き勝手やって多動なわりに、というより、多動だからこそ、楽しげに見えて高ストレス社会なのではないか。社会関係資本に恵まれないと、細々としたシステムの不具合(分からない、進まない、返答がない)に生活を侵され続け、疲弊する。鬱屈の発散の一形態が政治な気もする。薬もその類いか

<ここから下は結果判明後>

・20時間働いて4時間寝たら肉じゃが食べたくなったある

・今回の選挙に関しては前から「偽善」と「傲慢」の対決だと言っていて、偽善のほうがまだマシだなというくらいだったので、結果については「めんどくさ」とは思うものの、後は起きることに対処するだけです。何日もずるずる引っ張られなかったことだけはよかった

・それにしても本件、日本の論説は型にはまったものが多くとてもつまらなかった。everyday Americansの生活や言動を覗き見してるともうちょっと違うことが言えるのではと思うが、しかしアメリカに住んでるだけで洞察力のない人もいるのでなんかいろいろ難しい

* * *

ずっと記録しそびれていた新書2冊。バス通勤は読書がはかどる。様子のおかしい人と目が合わなくていいという副次的な利点もある。
いずれの本もとてもよかったです。付箋いっぱいつけたがいずれどこかでメモを作りたい。

◆奥野克巳『はじめての人類学』講談社、2023年

◆井奥陽子『近代美学入門』筑摩書房、2023年

2024年11月03日

疑似科学

ちょっと前に読み終わっていたんですが、ノートを作るためもっかい読むのに時間がかかってました。いや読むのはすぐできるんですが、取りかかるのに怠惰で。
疑似科学ってなんなのかというのはびしっと定義したり、対象を明示したりするのが大変なものではありますが、通読するとなんとなく正体が見えてきます。豊富な事例がいちいち面白く、仕事上のネタとして使えそう~と思いつつメモしました。100ページちょっとと、これだけコンパクトにまとまった類書は日本語ではちょっと思い浮かびません(あるのかもだが)。

◆Gordin, Michael, Pseudoscience: A Very Short Introduction, New York: Oxford University Press, 2023.

【1】線引き問題demarcation problem

・ヒポクラテス(と言われているが複数の著者による、長い期間をかけて編まれた著書とみられる)『神聖病についてOn the Sacred Disease』―いかさま医療批判
・かなり科学に見えるが、ある理由で科学になっていないもの―疑似科学
・線引き問題:ポパーの造語
・ポパー:アドラーの手伝い。アドラーはフロイトと決別、ポパーは結局両方から離反→科学哲学へ
・ウィーン学派、論理実証主義。センスデータが世界に関して信頼できる唯一の情報源→形而上学の拒絶。ヒューム、マッハからの影響に、センスデータを組み上げる論理的連関(これ自体は経験的なものではない)の重視が加わる
・ポパーは最初、論理実証主義に寄ったが、後に離れる
・1919年、英エディントンとダイソンによる日食の機会を利用した相対論(重力で光が曲がる)の検証→反証可能性へのインスピレーション、『推測と反駁Conjectures and Refutations』(1963)。「科学も時に間違う」問題の克服
←→論理実証主義のverificationism(経験的データで検証されれば科学的といえる)は不十分。あるデータがAも非Aも検証できてしまう
→「こういう場合に反証される」という可能性が示せないものは科学的といえない→精神分析やマルクス主義を反証する条件が示せなければ、これらは科学から除外される。アインシュタインの重力理論は日食の観測で理論に合う結果が得られなければ反証される

・反証可能性はどれくらい使えるか?―それほどでもない。理由は2つ
(1)「反証された」ことを示すのは難しい。実験データが理論と異なったとして、ただちに理論を棄却できない。実験のやり方がまずかった可能性がある
(2)自然淘汰、プレートテクトニクスなどは因果関係の連鎖の中で説得性を形成しているが、それでも科学的といいたくなる。経験的データでyes/noを決めるというやり方になじまない
・Larry Laudan(1983)による批判はさらに厳しい。創造説もユリ・ゲラーもビッグフットも、あれもこれも考えを改める契機が存在するという意味ですべて「科学的」になってしまう。線引き問題自体、疑似問題である
・反証可能性を求めると、あらゆる科学理論が「真」ではなく「まだ偽になっていないもの」としかいえなくなる。ポパー自身としては一貫しているが、一般的な直感に反する

・反証可能性が訴訟に登場した例
1925.7、テネシー州のスコープス裁判(1955年舞台化、1960年Inherit the Windとして映画化)→他の州でも「進化論を教えるのは妨げないが推奨もしない」状態
→1957年スプートニクショック。中等教育の生物学カリキュラムこれでいいのか!という機運
←1960年代、宗教団体は「ダーウィニズムを教えるなら創造科学も」と主張。創造論(宗教)からの看板変更
→1980年代、McLean v. Arkansas Board of Education裁判で「ダーウィニズムは科学か」「創造科学は科学の条件を満たしているのか」論争→1982年Overton判事の判決でポパー援用(2005年Kitzmiller v. Dover Area School Boardで少し修正された)

・ポパー後の線引き問題
・ポパーのように明確な基準は示せなくても、もうちょっと成功するアプローチはある
・Massimo Pigliucciは反証可能性のように1次元の基準ではなく、2次元にした:(1)経験的知識の増大の軸と(2)理論的理解の増進の2軸をとり、原点に近いほど科学とは考えられにくいとする。それに加えて、自身が科学だと強調しているものは「疑似科学」と呼ばれる
・Irving Langmuirの「ローカル線引き」アプローチはESPのような限られた主張を退けるためのもので、「検出限界ギリギリのところだが高精度で検出できたと本人たちがこだわって(希望的観測で)言っている」ようなものを「病的科学pathological science」とする
・境界科学fringe doctorineを類型化するアプローチ(オーバーラップはありうる)
 ―かつては正統とされたが今日では廃れている科学
 ―イデオロギーに取り込まれた超政治化されたhyperpoliticized科学
 ―主流に挑戦する反主流派counterestablishment科学
 ―超心理学

【2】廃れた科学vestigial sciences

・ある時期正しいとされていたのがどんどん廃れていくダイナミズムは科学としては普通のこと
→廃れた科学にこだわっていると「疑似科学」と呼ばれやすい

・占星術:西洋ではだいたい17世紀までは科学だった。天文観測×個人の誕生日→チャート
→地動説の普及とともに減退、ニュートン力学に基づく天文学に置換
 1824年、英国議会で占い禁止法制。南アジアでは今も一定の人気

・錬金術:18世紀初頭には境界科学になったが、主な理由はレトリックであり、ラボで採用された手法ではない。この点で錬金術―化学の関係は占星術―天文学の関係とは異なる。18世紀になると化学者は錬金術を積極的に悪魔化することで、自らを現代科学に含めていった
・中世から近代初期のchymistry(錬金術と化学が未分化だった状態)の様子は1990年以降の研究で明らかになってきた。ニュートンやボイルも密かに錬金術の研究をしていた
・目的は鉄や鉛などから金を作ること(地球の内部で熱によってそういうプロセスが起きていると考えられ、それをスピードアップしようとしていた)や、ある物質から別の有用物質(薬など)を作ることだったが、実地の活動は物質の性状や組成の解明で、これは化学と変わらない営みだった
・なぜ錬金術が境界化されたか:(1)いかさまの横行(2)師弟関係の中での秘密主義―ただし科学的発見は公刊するものという考え方は19世紀から(3)襲名やシンボル/暗号化された実験手順―デコードできると再現可能になる

【3】超政治化されたhyperpolicized科学

・ナチの「アーリア物理学」Philipp Lenard+Johannes Stark。「ユダヤ物理学」(アインシュタインなど)―高度に数学化された物理学―は幻想である、疑似科学であると主張。自分のはニュートン、マックスウェル依拠
・Lenard, Starkともノーベル賞受賞者。量子論に関係する業績。完全に無視できる存在ではなかった
・ただし第3帝国の中で確立することはなかった。教育相に煙たがられたのと、敵対したハイゼンベルクの母親がヒムラーの知り合いだったこと
・ほか医学、生理学、人類学などはユダヤ人問題の最終解決に貢献、これらも体制崩壊とともに終了した超政治化科学といえる

・ルイセンコ主義Lysenkoism(ソ連、1950年代)。植物の遺伝形質を環境ストレスによって変化させられるという説。獲得形質の遺伝を主張する新ラマルク主義の系譜。ルイセンコ主義という名前は共産圏外での呼び名で、本人は先達の名前をとってミチューリン主義、あるいは農業生物学agrobiologyと呼んでいた。1927年、プラウダに発表した論文で冬エンドウを亜熱帯のアゼルバイジャンで育てられると主張、春化vernalizationと呼んだ。冬小麦を春にまく実験などを巧みに新聞で報告したが、データや統計解析は不十分だった。スターリンの賞賛を受けメンデリアンを凌駕、「党中央委は私(ルイセンコ)の報告を承認した」。古典遺伝学は疑似科学とされ、農業生物学が唯一の正統に。スターリン死後、アカデミーの調査によって1965年にルイセンコは失脚、1976年に死去した。だが遺伝学の汚名は今日まで残っている
・米国ではルイセンコ主義はソビエト共産主義の悪で、政治による科学介入の危険な実例として強調される。しかし(1)ソビエトは多大な科学振興策を実施しておりルイセンコはむしろ例外だった(2)政治の科学介入は学校教育での創造説の扱いや人クローン研究の禁止にみられるように他国でもあること―から、上記のような解釈は厳しい。スターリンが遺伝学を支持していればよかったのか?

・優生学。民主主義、自由主義の国でも疑似科学にはまることがあるという事例。ゴルトン(ダーウィンの甥)。優生学は遺伝学より先にあったし、20世紀転換期には互いの専門家の間に明確な区別はできなかった。遺伝(メンデル)と淘汰(ダーウィン)を流用し、子孫の選別によって人類のストックを向上できるという主張。20世紀初頭には既に廃れ、疑似科学になっていた。選別方法はpositive(「適者」に子どもを作ることを奨励する)とnegative(断種によって劣った家族の再生産を防止する)の2方向
・すぐに技術的困難に直面。遺伝的だと思われていた形質が違ったり(結核など)、実は存在していなかったり(タラソフィリア=海が好きすぎる病気)。単一遺伝子疾患も存在するが、そうした形質の消滅には非現実的・非倫理的な方法が必要になるとの指摘もあった。それにもかかわらず、米国最高裁のバック対ベルBuck v. Bell判決(1927)のように優生学的な不妊手術法を正当化する動きもあった。第1次大戦後の米国ではまだ人種科学が生き残っていた。カリフォルニア州では1909年から法律が廃止される1963年まで、優生学的な理由による強制不妊が2万件実施されていた。米国優生学会は1926年創立、その後の不人気により1972年には社会生物学会に改名、優生学と手を切った。2014年にはさらに改名しthe Society for Biodemography and Social Biologyに。ただし大衆文化にはいまだに考え方が残っている

【4】反主流科学counterestablishment science

・いろんな誤った研究結果が日々生まれているが、あるものはそのまま忘れられ、あるものは生き延びて主流派から「疑似科学」と呼ばれるようになる。呼ばれる側からすると主流のほうが間違っている。エスタブリッシュメントが誠実な科学者を抑圧していると認識する。ガリレオの例
・アンチantiではなく反counter主流なので、対抗手段は主流派のコピーとなる。研究所やジャーナル、学会を作り、時には学位も出したりする。極めて目に付きやすいのが特徴。こういう動きは科学がアマチュアによって担われていたガリレオの時代には成立せず、「職業」になる啓蒙時代末期以降になって初めて形成される。scientistという言葉は1831年の造語

・骨相学phrenology。スイスで誕生、スコットランドで発展。18世紀末、ガルGallの原理:脳は器官の集積で、サイズと機能に関連がある。頭蓋骨から性格が読める。すぐに批判にさらされたが、非エリートの支持者を多く獲得。19世紀を通じて人気。主流科学と併存し、支持者と資金源がある限り消滅しない

・創造説creationism。廃れた科学としてスタート。問題は神が自然界を作ったかどうかではなく、「どのように」に作ったか。単一起源説monogenismは創造後の分化によってさまざまな人種ができたと考える。多起源説polygenismはそれぞれの人種が別々に創造されたと考える。『種の起源』によってさらにごちゃつく。神が原始人類を創造してそこから分化したとすると創世記の最初の部分の解釈をかなり修正しないといけなくなる
・20世紀になるころハクスリーHaxleyの科学的自然主義が力を持つ。「科学的説明からは超自然的な力を排除すべき」で、創造説は科学的議論の埒外に追われた。20世紀初頭の英語圏は百花繚乱。純粋物質主義(超自然的な力は全くない)/神学的進化論theistic evolution(神の計画に従って進化が起きている)/古い地球創造説Old-Earth creationism(アダムとイブはいたが地球ができたのはそのずっと前)/若い地球創造説Young-Earth creationism(6千年前に6日でできた)=これが一番聖書に近いが、地質学的証拠とぶつかる
・セブンスデー・アドベンチストのプライスGeorge McCready Price。The New Geology(1923)で「現在の地表は洪水の結果作られた」。スコープス裁判にも関係。20世紀中葉には学校教育からモダニズムを排除するのではなく、独自の研究所や学校を作る方向に転換。その後は創造説研究協会(1963)に引き継がれる。紀要や教科書作成。「創造説を進化論と同じ時間教えろ」は1980年代には最高裁が「州による宗教教育になる」として認めず失敗。その後は宗教色を薄めて「インテリジェント・デザイン」へ。1990年にディスカバリー研究所をシアトルに設立。2006年の控訴裁判断でやはり挫折も今まで生き残る

・未確認動物学cryptozoology。ビッグフット、ネッシーなど主流科学がまだ認識していない生き物がいるという主張で、科学的に不可能なことを言っているわけではない。巨大イカ(2004)のように実際に見つかったものもある

・ベリコフスキー『衝突する宇宙』。大彗星が紀元前1500年の地球を大きく攪乱し、金星になった。マクミランから出版、ベストセラーに。ハーバードの天文学者シャプリーが疑似科学と非難し、出版社に圧力をかけたため出版権が他の会社に移動したが、そのためにまた売れた。ベリコフスキーはガリレオの例を出して憤激。反主流科学者として活発に講演。しかし本人のキャラクターによって維持されていた説で、1979年に死去すると忘れられた

・エイリアン、UFOlogy。1940-1950年代。その後、ソ連との緊張関係やベトナム戦争における軍の秘密主義などと絡んで関心高まる。が、携帯カメラの普及で信頼度は落ちている
・過去に来たのでは?という主張はErich von DanikenのChariots of the Gods?(1968)。ピラミッド建造や、天からの神の降臨は宇宙人によるもの、という説。歴史資料の歪曲や、有色人種が巨大建造物を建てられたはずがないという差別的な発想が批判されている(が、引き続きポップカルチャーで人気)
・特徴(1)陰謀論の色彩が特に強い分野(2)地球に到来する電波から宇宙人からのものを見つけようとする、手法は科学的だが主流からは疎まれているSETIを非難する点でも反主流

・地球平面説Flat Earth。2018年、著者らの調査ではアメリカ人の6人に1人が地球が球体であることに疑いを持っている。今日そこそこの信奉者を持つ珍しい反主流。プラトン、アリストテレスの時代から地球平面説はほとんど信じられておらず(南方に人が住めるかという議論はあった)、中世キリスト教・イスラム教世界でも同様で、今日のものは中世復古ではなく近代(後=ポストモダン)の発明品といえる。地球空洞説(=球体でないと成り立たない)に対抗したWilbur Glen Voliva(1914)、これを基礎としたDaniel ClarkのBehind the Curve(2018)

・主流科学の鏡像としての反主流科学もまた男性に偏っている(eg.ビッグフットの徴候を見るのは森や山に入る人だけ、など)という特徴もある

【5】心と物質

・念力、他人の心を読む、虫の知らせ。パラサイコロジー(ウィリアム・ジェイムズ!~)。第六感(ESP, Extrasensory Perception)はときどき評価の確立した研究者が専門ジャーナルに論文を出したりする。主流側は忸怩たる気持ちはありつつ許容することで、この分野や他と違った地位を獲得している。論争の中で、反主流側の実験・解析手法が主流科学側に影響を与えたこともある

・動物磁気説、メスメリズムMesmerism。由来は18世紀ウィーン→パリの施術家Franz Anton Mesmer、医学と物理学のあいだ。宇宙の全物体に浸透している磁性流体を発見した、この流れの停滞が病気として現れると主張。アカデミーでのプレゼンに招かれたが、その後無視された。ベンジャミン・フランクリンやラボワジエによる検証委設置、これが今日まで続くパラサイコロジー対応の起点になった。ラボワジエの検証実験で「プラセボ効果」の発見。その後、フランス革命が起きてメスメリズムは忘れられ、1820年代に英国でリバイバル

・スピリチュアリズム。1848年にNYで誕生、英国でメスメリズムの残滓と合流して受容。精神世界と物質界を結ぶ媒体として下層階級の若い女性や未成年の男性が使われた。体を離れた霊魂が媒体を介してラップ音や空中浮揚、自動筆記、エクトプラズムなどを引き起こす。流行には伝統的な宗教信念の動揺があると分析されている。降霊術Seancesは写真のような新興技術と目撃証言によって実証され、科学と宗教のアマルガムと主張された。脳波と磁気エーテルの共振といった説明も。1882年に英国、1884年に米国でSociety for Psychical Research (SPR)設立、テレパシーや催眠術の研究にも広がった。東南アジア思想と融合して神智学theosophyにも
・やはりこれも検証委が立ち上がり、サンクトペテルブルクではメンデレーエフが検証実験をして反駁したが(1869)、オカルトの流れは止められなかった。Charles Richetによるテレパシーの検証実験ではランダム化比較試験が導入された

・大学での超能力psychic研究。1930年代、デューク大のJoseph Banks Rhineがゼナ-カードZener Cardを使ったテレパシーと透視実験。実験手法や統計解析手法を洗練、一部の被験者が有意に偶然以上の割合で当てた。1950年代までに再現実験は下火に。反駁できたからではなく心理学会の大御所が怒ったから。しかし絶滅したわけではなく、1969年にパラサイコロジー学会はAAASに加盟できている。プリンストンのPEARではRobert Jahnが乱数発生器を使った数字当て(上か下か)実験でやはり有意差を出したが、他の研究室では再現できず2007年にラボは学外移転。みんなほっとした

・疑似科学しばき隊Debunkers。主流の心理学者は丁重に無視していたが、1970年代ごろからESPやUFO再興に対して系統的に反駁するようになった。特にユリ・ゲラー。1972年にStanford Research Institute(SRI)の検証が組織され、1974年10月、TargとPuthoffがNatureに「本物だった」という論文を発表した。この研究はソ連が超能力者にスパイ活動(ESPionage)をさせているという懸念からCIAやNASAが一部資金支援した
・占星術に対しても1975年に哲学者Kurtzが批判。Commission for the Scienctific Investigation of Claims of the Paranormal (CSICOP、サイコップ)組織、セーガンやアシモフも参加。不正を暴く姿勢。ゲラーから訴えられたりしているが現存(名前は変わった)。モグラ叩き状態になってあまり成功せず、そのうち著名な科学者の参加もなくなっている
・最たる例がジョセフソン効果でノーベル賞を受賞したBrian Josephson。パラサイコロジーの世界の有名人。超越的瞑想にはまり、CSICOPは全く抑止にならなかった。もう一つは2011年にJournal of Personality and Social Psychologyに予知precognitionの論文を出したDaryl Bem。主流派から猛攻撃が起き、「再現性の危機」と呼ばれる騒ぎの引き金の一つになった
・Bem, Josephson, Jahn, Rhineとも大学に所属する研究者。大学の周縁部で起きている

【6】論争は不可避なもの

・疑似科学のパターン
(1)科学として始まり、廃れていくもの。占星術、錬金術、優生学
(2)最初から疑似科学として始まり、主流から非難されるもの。ベリコフスキーの彗星説、ネッシー、イエティ
いずれにせよ科学者グループから指弾され、なお固執すると疑似科学と呼ばれることが多い
・現在の主流科学も将来、周縁化する可能性は常にある。科学は既存説を乗り越えていく競争であり、資金獲得を巡る抗争であることの帰結

・ポリウォーター(1962)。ソ連のNikolai Fediakinのラボから。Boris Deriaginが引き継いで1962-1966に相次ぎ成果発表。米国のEllis Lippincottも乗って活発に研究されたが、1973年までには水の不純物による現象だとして関心はしぼんだ
・水の記憶(1988)。ホメオパシーに通じる。Natureが論文を掲載すると同時にそれを批判する論文も掲載。ピアレビューの段階で調査チームを送り込み、手法の問題を告発。著者側の反論も載せて2カ月ほど論争になった。ホメオパシー派はまだ論文を引用している。周辺化/不正/誤り、の境界がぼやけた事例

・常温核融合Cold fusion(1989)。ユタ大ソルトレークシティー校Stanley PonsとMartin Fleischmann、プロボ大Steven Jonesがもめつつ論文投稿中に記者会見、再現できず(できたとしたものも後に撤回)、理論的不自然さも指摘された。結局学会で論破、ユタ大の2人は1992年にフランスへ渡り研究続行したが、成果はないまま1998年に閉鎖。しかし分野は生き残り、1994年と1995年に学術誌創刊、1989年からは学術集会も毎年開催、日本人研究者も参加。Jonesは9/11陰謀論のグループ創設者に

・論争に負けた研究者が自説にこだわり続け、その期間が十分長くなり主流派をイラつかせるだけの力を維持した場合「疑似科学」と称されるようになりうる
・これと区別すべきものは2つある。(1)研究不正(2)再現性のなさ(例えば2010年代の実験心理学、アムジェンによるがん研究検証)

【7】ロシア問題―誰が悪いのか、どうすればいいのか

・誰が悪いのか。疑似科学者は自称せず、主流派こそ疑似科学だという。インフレーション理論、超弦理論―実験的に確かめにくい理論。擁護者と反対者のどちらが疑似科学なのかは容易に判別つかない
・否定論者。何かを積極的に言うのではなく、疑問を提起する人。タバコの害(タバコ会社に雇われたHill and Knowlton, 1954) - Doubt is our product.規制導入への抵抗としての疑問提起。気候変動に対する化石燃料業界にも応用。「もっとデータが必要だ」「もっと研究が必要だ」
・反ワクチン(1)接種の危険性(2)接種義務は政府による個人の身体の侵害=リバタリアン、サバイバリスト、特定の医療を受け入れない宗教Christian Scientist, Dutch Reformed Church。起源はランセット(1998)、WakefieldがMMRワクチンと自閉症の関連を発表→2010年撤回。NASの報告書(2001)も反駁しているが、反ワクはいまだにWakefieldの論文を引用している。米国ではMMR接種率低下、罹患上昇。典型的な疑似科学とは反主流な点で共通するが、違いは女性が主体なこと

・どうすればいいのか
・非難や反駁ではだめ
・論文公刊のハードルを著しく上げる→量子論などレビューを通りにくくなるかも
・逆にハードルを下げて反論が出やすくする→怪しい論文がいっぱいになる(現状これに近い)
・ピアレビューを通ってしまうWakefieldの例もある
・論文公刊へのプレッシャーを緩和する?
・一般の科学リテラシーを上げる?→解決にならなそう。フラットアースはそれでも出てくる…
・疑似科学は通常科学の営みの中から出てくる。科学の影の部分。プロセスを知ることで危険を及ぼすものと戦うことはできるかもしれない。無害なものも多い。すべての影にモンスターが隠れているわけではない

2024年11月01日

アレンタウン

大統領選の年にアメリカにいるなら1度は行っておくべきだろう。トランプの選挙集会。

激戦州ペンシルベニアのアレンタウンという街で開かれるというので行ってきました。家から200マイル(=320キロ)、車で3時間半。まあこれなら行けるだろうと思った。実は夏休みに車でタングルウッドまで行こうと思っていて(コロナで行けなくなったが)1泊目の宿泊地にと思っていたのがアレンタウンでした。運転してたので写真はありませんが、紅葉ドライブを堪能しまくりました。

石炭、製鉄、製造業の街だったのが1980年代くらいには廃れてしまい、ビリー・ジョエルが悲哀を歌った「アレンタウン」という歌があります。2000年代にはラストベルトの一角になったそうですが、その後は再開発を進めてきれいなアパートが建ち、商店街もできて、住みやすい街ランキングにも登場するようになったんだって。フィラデルフィアは家賃が高くてちょっとね、という人たちが住んでるみたいです。ラテン系がマジョリティとのこと。

集会は夜なのですが、15時にはドアオープンというのでその時間を目指して行きました。
まあすごい人出で、会場のホールをぐるっと1周して、なおつづら折りになるくらいの列。
並んでたらシールもらいました。
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MAGAハットはみんなどこで買ってるのだろうと思ったら、外で売ってるのな。
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弊管理人の前に並んでいるのはたぶんラテン系のお兄さん2人組、後ろは田舎の白人お姉さん2人と中年夫婦2人。若い人も女性も結構、というかかなりいます。しかしイキってる感じはなく、前のお兄さん2人組はシール落としたので拾って「落としたよ」って渡してあげたら「ありがと~!!」って喜んでた。後ろのおばさんも人違いで話しかけてきて「あらごめんね!」と。パーカーやTシャツの人が多い中でジャケット着ている変なアジア人の弊管理人にも特に「何じゃおまえは」みたいのはなく穏やかな人ばかりの印象です。

因縁でも付けられた時の対処を考えたりしてたのですが、全くそんな雰囲気はなく、外でハリス一派が騒いでいても、みんなで「トランプ!トランプ!」っつって煽り返すだけで、なんか昔の留学時代に寮同士でヤジり合ってたあの平和な馴れ合いの風情ではあった。よく考えたらそりゃそうだ。殺伐としてなくて楽しいから、みんな来るのです。そしてこのいい人たちの総和が、あの意味不明で詐欺的な文化闘争や極端政策に創発的につながっていくのがすごい面白い。

列の途中でプレッツェル売りがいて、買い食いする人もちらほら。とにかくニーズあるところに商売あり。営業許可がどうとか、食品を売っていいのかとか、そういうのはないのであろう。

馬の警邏も。
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並んでる人たちが馬だ~!とかいってわいわい言ってたら、くるっと回ってくれた。基本おまわりさんもにこやかで、観衆と言葉を交わし合っています。fellow Americansという言葉の語感に合う、こういうところはいいなと思います。2021年に議会襲撃したやつらは「あれは共和党支持者じゃないんだよ」と、そういう理解。

んで結局2時間並んだ。セキュリティチェック受けて中へ。
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集会は特にアトラクション的なことはなく、スナックとドリンクを買ってあとは席で演説聞いて拍手したりするくらい。マルコ・ルビオという有力な上院議員が登場したらすごい沸いた。
トランプの時もすごい歓声。立ち上がって撮影する人多数。話が長いのでぱらぱら帰っていってたけど。

これはバイデンがMAGAハットをかぶってるTシャツ。Tシャツとキャップって自己主張とコミュニティ形成のメディアなんだなと思う。お客はゆるいデブが多かった。あとは軍隊上がりかな?みたいな昔日の筋肉系。まあ確かにサラダ食って生きてる感じではない(偏見)
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いろんな人が演説してましたが、特に聞くべき内容はなく、ハリスをdisったり地元をアゲたり(リーハイ・バレーというアパラチア山脈の山間に位置するので、Hello, Lehigh Valley!とかいってワーってなる)して盛り上がるのが基本。お祭り感はあった。政治家は間の取り方とか煽り方がうまいし、聞いてる方もノリが良い。fight! fight!とかMake America Great Again!とかのおきまりフレーズはちゃんとご唱和する。

会場を出ると、最後にもうひと商売しようというグッズ売りが逞しかった。
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ホテルはホリデイインという弊管理人が結構好きなブランドのところが100ドルせず。集会終わってからでも余裕でとれました。たぶんみんな地元か、遠くてもフィラデルフィアくらいで日帰りできるところから来てるんでしょうな。部屋すごい広かった。

次の日は朝ちょっとオンラインで仕事して10時ホテル発、途中のShrewsburyという街のメキシカンでお昼食べました。10代かな?くらいのまばらにヒゲのはえた住設会社のあんちゃんや、アミッシュのお兄さんも昼飯食ってました。あとは一気走りで15時帰宅。いや行ってよかった。

* * *

以下、次の日にツイートしたこと。

・U!S!A! U!S!A!っていうコールを昨日めっちゃ聞いたが、まあ日本(チャチャチャ)程度にキモくて無邪気な邪気だった。あとMAGAはゆるいデブが多かった

・トランプ出現後の世調は毎回違う理由で民主党に有利に出るのに今回拮抗してる点でいうと、結果はトランプなんだが、投票率と無党派が本当に見えないので確信度は30%。集会みててもお友達ばっかりなので分からん。「もう知らん」で棄権が結構出る気もする

・あと「人は他人を罰するとき損得を無視する」という行動科学は思い出しておきたい。トランパーは現世的に報われることはないが、「インテリにバカにされた感覚」に駆動されて気の良い兄ちゃんがMAGAハットをかぶることは普通にありうる。ラストベルトとか文化戦争とか以前に、自尊心とストレスの問題。

・アジェンダとか意見とかは派生物であって、根源は「バカにされた感じ」なのであれば、そこを何とかすればいい。いくつかの研究を見ていると、分断は政治的立場の違いよりも「対立政党の悪魔化」というコミュニケーション不全の問題であるようだ。どうすればいいんだろ。サウナでも行くか?

・私が無闇においしいお店を探索するのも、理由の一つは「高度に傷つきたくないのに傷つけあう社会に残された最後のコミュニケーションは、生理的欲求を媒介にしたものしかない」というところにある。要は根本において理性を信頼してないんだね。

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