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2023年06月 アーカイブ

2023年06月26日

酒・女・歌

2週間ぶりの日記。

前の土曜は、同僚および仕事先の人をDirt Farm Breweryに連れて行きました。
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二人とも喜んでくれたようでよかったよかった。

日曜は友人とタイソンズのHan Palaceで点心。
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あっここはよい!
車でここにくる途中に音楽かけてたらコルンゴルトのバイオリン協奏曲が流れてきて、友人が「これ何?」っていってスマホを近づけました。Shazamというアプリに聞かせると曲名を調べてくれるのだね。インストールしました。

この土曜は仕事でした。
ロー対ウェード転覆から1年。ユニオン駅の前の広場で中絶擁護の人たちと反対の人たちが集会と、最高裁までのデモ行進をやっていました。当然というか女性多いね。で、ご多分に漏れず集会の開始予定は30分以上遅れ、そのあと30分くらいで終わるかなと思っていた入れ替わり立ち替わりの3分スピーチは当たり前のように伸びて、一向にデモが始まらないことに一部の参加者はridiculous!!と激怒していました。弊管理人は途中から嫌になって日陰でうとうとしてました。朝が早かったので。
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古いフェミみたいな人たちが多かったですが、若い人もそこそこいました。DC周辺は中絶制限にあからさまに動いた州はそれほどないせいか「自分や周辺はまだ恵まれてるけど」といいつつ「全ての人の問題だから」とプラカードを掲げて最高裁を目指す人が多く、偉いなあと思いました。最高裁ではこれまた女性の中絶反対派がどんちゃんやっており、ドラム対メガホンで双方が応酬していて大変賑やかでした。

反対派は「中絶は殺人」「私の体は私のもの、ではない」。中絶の権利擁護派は「最高裁は身体に介入するな」「(女性のパンツはいた陰部のイラスト入りで)ここは私の土地」「統制すべきはペニスのほう」などとメッセージは激しめ。
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プラカードは両面にメッセージが書かれており、メガホンで叫ぶ女性たちを正面から撮影しても映り込むし、最高裁に向かって拳を振り上げている人たちを背後から撮影しても読めるようになっている。グループにより緑のスカーフやピンクのプラカードと色を統一しており、運動はとにかく静止画にせよ動画にせよ「撮影されて映えること」を必要としているのだと思いました。

雨は大丈夫かなくらいのつもりで帽子もサングラスも日焼け止めもなく丸腰で行ったらかんかん照りになってしまい、すごい焼けました。まずい。会社に帰ってからずっと氷をハンカチで巻いて冷やしてましたがどうなるかな。

そういえば原告のロー(仮名)はその後、中絶反対派になったのだと同僚に教えてもらいました。へー
そのあと24:40まで仕事して、結構疲れて寝ました。

明けて日曜は、両足首を痛めた友人を車で拾ってシャーリントンというちょっと南の街にあるCopperwood Tavernというレストランでブランチ。
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朝「めしくう?」という話をしたときには「出掛けてもいいけど家で出前でもいいよ」と言っていたのですが、絶対あなた先週部屋から出てないでしょと思って、車で連れ出すことにしました。
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スモークサーモンのエッグベネディクト。ブランチっぽ~い。
「犬と二人きりでちょっとおかしくなりそうだった」とのこと。ほらあ。外出てよかったでしょ。プエルトリコ出身、ラグビー経験者の巨漢なんですけど、もともと怪我しやすい片方の足首を庇ってたらもう片方もやってしまったとのこと。痩せたら……と言いかけたものの、見てるとご飯もちょっと残すくらい小食なので痩せる余地はないなと思い直したのだった。「それでどうやってその体を維持してるの」という問いかけに答えはなかった。

ほんで夕方からは同僚宅にお呼ばれ。もうすぐ帰国です。
「自分で飲むものとスナック2種類お願いします」と言われてその通りに持っていったら、他2組はすごいいろいろ持参していた。ぐぐぐ。
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バーベキューはメリーランド州ジャーマンタウンといういかにもな名前の街にあるアミッシュのお店から買ってきたお肉。伝統的な飼い方で育てた牛だとかで、ホスト同僚の奥さんは臭みがなくて好きだとおっしゃっていた。
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確かに激うまであった。

それにしてもベセスダという国際色豊かな地域の一戸建ては広かった。正面には4台くらい停められる車止めとガレージ、バルコニーに椅子を置いて夕涼み。裏庭もあり、家主が「ドールハウス」と呼ぶ子ども用の小さな離れが建っています。
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何度も書いたと思うが、アメリカはカネがあるなら楽しいところだろう。
弊管理人抜いて3世帯はお子さんも来ていたが、すぐに仲良くなってスイカ割りしたりゲームしたりしていた。これもアメリカの環境が影響してる部分がちょっとありそうだが、やはりケンタッキーから来た黒人のZ世代が言ってたように、概して崩壊してる教育制度の中でお金のある地域が特殊に輝いているだけなのかもしれない。

おなかいっぱいご飯をいただいて帰ってきました。
この週末はぎっしり詰まってた。月曜は暴風雨という不穏な予報が出ているので、そもそも会社に行くかどうかが怪しい。

* * *

しかしボストンから帰ってからの2週間が光の速さで過ぎた。何をやってたかというと大したことはしてないが、ぱたぱたしているうちに1日が終わっていく感じ。

* * *

自宅にフットレストを導入。椅子を高めにして前傾になるのを避け、前腕を机に置いて少しリラックスした姿勢になれるようにした。とてもよい。これはイノベーション。いや大袈裟ではなく。
その勢いでちょっといい椅子を注文してしまいました。届くのは来週。

* * *

給与改定。海外用の給料に通貨レートとインフレを加味した指数を乗じて算出するのですが、この指数が昨年より2割くらい上がっており、この円安の中でドル転しても2022年より受け取りが上がるくらい額面が増えました。しかも弊管理人は来年の帰国に向けて計画的に銀行のドル残高を減らしていくため、ドルでの受け取りをこの4月から減らしてるので、円で日本の口座に入る分が異常に多い。ちょっと引いた。

* * *

咳、回復度95%くらいまできました。たまに咳、ときどき痰(しかし体力を使わない咳払いを習得したので負担感はない)、生活が侵されている感じはほとんど消えました。
単に時間がたったからかもしれないし、冬の間、水まきをしてるのかくらい加湿器を回しても28-29%だった室内の湿度が50-60%になり、外も暖かいという季節要因という気もする。いずれにせよいったん回復したらその状態を体が覚えてくれるとありがたい。

* * *

トイレットペーパー、6個入りより18個入りのほうがだいぶ単価が安いのでそっちにしようかなと思って手に取ったのですが、1カ月に1個として帰国までに使い切らないかもなと6個のほうにしました。そういう時期。しかしまだ1年以上ある。また25日が過ぎていき、滞在21カ月目に入っています。

2023年06月20日

プラスクワス

◆ソール・クリプキ(黒崎宏訳)『ウィトゲンシュタインのパラドックス』筑摩書房、2022年

これね、本当は『哲学探究』を読んですぐアタックすべきだったのですが、怠けていました。なぜアメリカで読むことになったのかというと、気分?いや文庫で出たからか。なんでだっけ。

『探究』の「私的言語論」はそれまで言われていたように最後のほうで展開されていたのではなく、真ん中の138-242節で「規則に従うとはどういうことか」を扱いながら提示されたと読み(特に結論は202節に書いてある(p.16)のだという)、その部分をしつこく議論した本。原著は1982年。あまり前提知識を必要としない(実は)親切な本だが、込み入っていて根気が試されるということはあり、ミルクレープみたいにうっすい理解を重ねていくタイプの危うい弊管理人としてはまた読むとして、とりあえず、ほんととりあえず、のメモ。

そしてたまたまだが仕事でチョムスキーを扱うことになってしまい、「過去の有限の学習から得られた規則は将来の使用を決定できるか?」というウィトゲンシュタインの問題が、「限られた学習から無限の出力を可能にする言語の脳基盤って一体何だ?」という生成文法のお話にふんわり繋がる気がしつつ次の本に行くのでした。

* * *

この本によく出てくる足し算の例示を「プラス/クワス」問題と言っておく。
「+(プラス)」を使った問題で「68+57は?」と言われると普通は「125」と答えるだろうが、懐疑論者に言わせると、ある人は「5」と答える。その人は、「x+y」のx,yが57より小さいときはプラスでいいが、大きい時はx+yは常に「5」である、という「クワス」という法則に従っていたという。その人は最初から「+(アディション)」をクワス(クワディション)として使っていたと言い張る。これまではx,yが57より小さかったので違いが顕在化していなかっただけだと。

訳者解説によると、こう。

規則は行為の仕方を決定できない。なぜなら、いかなる行為の仕方もその規則と一致させられ得るから(『探究』201節)=有限個の事例からそれに妥当する唯一つの規則を読み取ることは不可能である=「規則読み取りの非一意性」(p.378、訳者解説)
われわれは計算規則を有限個の事例で習っている。同じく計算規則を有限個の事例で習った(「訓練」された)人が、全く違う規則を読み取ることも可能である。そして、その違った規則を読み取った人が誤っているということも言えないはずだ。=いかなる規則も、我々とは異なった仕方で把握されることが可能なのである=「規則把握の非一意性」(p.380、訳者解説)
すると、私が把握した規則Rは、本当は規則Rではなく規則Sなのかもしれない=「規則把握に関する懐疑論」(p.384、訳者解説)→計算結果の正しさには根拠/正当化がないことになる。規則「2n」などといっても何も表現しておらず、単にその名目の下で各人が行う具体的な計算に示されている

これでは規則というものの根拠がなくなってしまう。どのようにも言い抜けられるから。こういう懐疑的パラドックスに対してどう応答できるか?

この本では、『探究』の構成を3分割してこんなふうに捉えます。第1のパートは、前にウィトゲンシュタインが書いた『論理哲学論考』を自分で否定する部分。「私はプラスに従っているつもりだ」という内面に訴える解決に意味がないことを言う。

「それゆえ私は『探究』に、以下のような大まかな構造を与えようと思う。(…)第1節から第137節まででウィトゲンシュタインは、『論考』の言語理論について、予備的な論駁を与、そして、それに代わるべきものとしての新しい言語像を、大まかに描いている。…比較的明らかでないのは、第二の側面である。第二。懐疑的パラドックスは、『探究』の根本問題である。そしてもしウィトゲンシュタインが正しいならば、有意味な平叙文は事実に対応していなくてはならないのだ、という自然な前提に囚われている限り、我々はそのパラドックスを解く手掛は得られないのである。…意味している、とか、意図している、とかを誰かに認める命題は、それ自体無意味である、という結論――懐疑的パラドックスの結論――を導かざるを得ないから。」(pp.192-193)

こういう言い方もある。

「ウィトゲンシュタインにとって重要な問題は、私の現在の心の状態は、未来において私がなすべき事を決定するとは思われない、という事である。たとえ私は(今)、「プラス」という語に対応して頭の中にある或るものが、未来における如何なる新しい二つの数に対しても、ある一定の答えを与えるのだ、と感じているとしても、事実は、私の頭の中にある何ものも、そのような事はしないのである。」(p.143)

次がキモになる第2のパート。

「『探究』の第138節から第242節までにおいてウィトゲンシュタインは、懐疑的問題とそれの解決を取り扱っている。これらの諸節――『探究』の中心をなしている諸節――が、この本での主要な関心事であったのである。…ウィトゲンシュタインは、或る人が「これこれの事を意味している」とか、或る人の今の或る語の適用は彼が過去において「意味していた」事と「一致」している、とかいう言明を、或る条件の下で許す「言語ゲーム」の、我々の生活における有用な役割を見出しているのである。そして、結局、その役割とか、そのような条件とかは、共同体への言及を含むことになるのである。したがってそのような言明は、その人だけ孤立して考えられた一人の人間には、適用できない。かくして、既に述べたように、ウィトゲンシュタインは「私的言語」を第202節の段階で拒否しているのである。」(pp.195-196)

共同体がプレイする「言語ゲーム」による説明。
こういう説明も。

「アディションの概念をマスターしたと認められる人は、誰であれ、十分多くの問題――特に簡単な問題――において、彼が与えた個々の答えが共同体が与える答えと一致した時、(そして一致しないとしても、もし、彼の「間違った」答えが、「68+57」に対して「5」を与えるような、突飛な間違いではなく、たとえ「計算間違い」をしたとしても、我々と同じやり方をしていると思われた時、)その時はじめて共同体によって、アディションの概念をマスターしたと判断されるのである。そしてそのようなテストに合格した人は、アディションが出来る人としてその共同体に受け入れられ、また、その他の十分多くの場合において同様なテストに合格した人は、言語の一般水準の使い手として、かつ、その共同体の一員として、受け入れられるのである。違った答えを出す人は、訂正され、そして、(通常は子どもについてであるが)アディションの概念を把握していない、と言われる。もっとも、非常に多くの点において訂正不可能なほど共同体からずれている人は、その共同体の生活に、そしてその共同体におけるコミュニケーションに、参加することが出来ないことになるだけである。」(p.226)

まとめた部分もある。

私的言語論の要約(pp.262-263)
(1)我々の言語は、「痛み」「プラス」「赤」といった概念を著し、それを一度把握するとそれから先の全ての適用が決まると考えがちだ。しかし本当は、ある時に心の中にあるものが何であろうと、それを私が今後、別様に解釈することは自由である(「プラス」を「クワス」と解釈することはできてしまう)。これは未来は過去によって決定されるということに対するヒュームの懐疑と類似している
(2)パラドックスは、ヒュームの懐疑的解決によってのみ解決されうる。それは(i)彼はある与えられた規則に従っているという定言的言明と(ii)『もし彼がしかじかの規則に従っているならば、彼はこの場合かくかくの行動をせねばならない』という仮言的言明――これらが話の中にどうにゅうされる状況と、生活の中で果たす役割、有用性を見ないといけない
(3)個人の傾性は、その人が全く規則に従っていなくても、あるいは間違ったことをしていても確信を伴って存在できてしまう。ので、個人を共同体から分離して考察するのは適切ではない。(ii)の正当性が言えなくなる
(4)個人が共同体の中にいることを考慮に入れると、(i)(ii)の役割が明確になる
(5)(4)で述べたことがうまくいくというのは、生(なま)の経験的事実に基づく。(1)の懐疑論を踏まえると「私たちはみな同じ概念を共有している」からうまくいく、という説明ができなくなってしまうため
(6)ウィトゲンシュタインは、規則に従っている個人について語ることは全て、共同体の一員としての個人について語ることであることを示した、と思っている

この点ヒュームに明らかに似ているという指摘。

「…ウィトゲンシュタインもヒュームも、過去と未来を結ぶある種の結合に関する疑いに基づいて、ある懐疑的パラドックスを展開しているのである。ウィトゲンシュタインは、過去において「意図していたこと」あるいは「意味していたこと」と現在の実践の間の結合を、問題にしている。例えば、「プラス」に関して過去において私が「意図していたこと」と「68+57=125」という計算についての私の現在の計算の間の結合を、である。ヒュームは、相互に関連している他の二つの結合を、問題にしている。一つは因果的結合であり、それによって過去の事象は未来の事象を必然的なものにすると言われている。他の一つは、過去から未来への帰納的、推論的結合である。」(p.158)

訳者の説明はこういうことかな。

このパラドックスの解決は、「確かに論理的にはそうだが、現実の生活では無意味だ」と示すことであった。規則が行為の仕方を決定できないことをそのまま認めてしまっても現実的には不都合はない=「懐疑的解決」(p.391、訳者解説)。単にみんなの答えが一致するということ(一致が正しさの根拠だという共同体説と混同しないこと。各人がそれぞれ信念に従ってした計算の結果、みんなが結果的に一致する)=ヒューム懐疑論(必然的結合→恒常的連接)を論理や数学にまで徹底した人としてのウィトゲンシュタイン。事象の説明は不可能になり、ただ記述と予測のみになる。

もう一つ訳者解説。

私的言語は他人に理解することが論理的にできない言語(『探究』243節)としている。これは「規則の私的モデルprivate model」ともいえ、ウィトゲンシュタインはこれを否定する。私的モデルは、ある人が与えられた規則に従っているということは、その従っている人に関する事実によってのみ分析されるべきという考え方である。これを否定するのが、その人が共同体の一員であるということだ。もし我々が、ある島で人々と離れて暮らしているロビンソン・クルーソーが規則に従っているというなら、我々はクルーソーを我々の共同体に迎え入れ、我々の基準を適用しているということ。彼がある規則に従っているといい得るのは、我々の共同体の各成員に適用される規則に従っていると認められた時であって、それを言うのは共同体である。ただし、「プラス」で意味する関数の値は、言語共同体の誰もが答えとするであろう値だ、という真理条件の理論のことではない。(p.269)
68+57の答えは、共同体の成員のほとんどが125と答えるときだ、ということではない。自動的に計算し、共同体ははずれた計算を正すことができ、はずれは実際はまれだということ=言明可能性条件の理論。

ちょっと脇だが、「傾性」に訴える解決を封じておく。

傾性論的解決=もし「68+57」の「+」がアディション(あの!足し算)を意味するなら、私は125と答えるだろう、という記述的な解決。しかし問題は記述ではなく規範(125と答えるべき)である。で、これはそもそもの「5」ではなく「125」と答えることに何の正当性もないのではないかという懐疑論への解決として的外れである(「べきである」根拠を示せてない?)(pp.96-97)

第3のパートは追加説明といってもいいのだろうか。

「『探究』の第243節に続く諸節――「私的言語論」と一般に呼ばれている諸節――は、第138節から第242節の諸節において引き出された、言語に関する一般的結論を、感覚の問題に適用する事を扱っている。」(p.196)こういう言語ゲーム論にそぐわないように見えるのが(1)数学と(2)感覚、あるいは心的イメージなので、これは反例にならないということを説得しようとしたと思われる。(2)感覚や心的イメージはこの節で扱い、(1)数学は『数学の基礎に関する考察』などで扱っている。

ところで、私的言語と内面のことで書かれた注釈がちょっと面白かったので抜き出しておきます。

「…『探究』の前の方ではウィトゲンシュタインは、意味している、とか、理解している、という事を、内的にして質的な状態であると考える伝統的な見方を、排斥している。しかし後には彼は、リースが言うように、それでは、古典的な見方をあまりにも機械的な見方によって置き換えてしまう、という危険を冒しているのではないか、という事に悩まされていたように見える。もっとも彼はたしかに依然として、ある質的経験が、ある意味を持って語を使用するという事を構成しているのである、という如何なる考えをも排斥しているが。しからば、我々と全く同様に語を操る「意味盲」の人はあり得るのか。そして、もしあり得るとすれば、我々は、彼は我々と同様に言語をマスターしている、と言うであろうあ。この第二の問題に対するこの本の本文で与えられている表向きの答えは「イエス」である。しかしおそらく、ほんとの答えは、『君が当該の事柄について色々と知っている以上、一体その外に何を欲しているのか、言ってくれ』というものであろう。この問題がウィトゲンシュタインにおいて完全に解消されたか否かは、明らかでない。」(pp.123-124)

生成AIの時代に「分かる」って何だろうねという問題、AIをロボットにつなげて感覚入力をすると何が起きるのかねという問題につながる気がする。これはまた。

2023年06月11日

ボストンなど

先週は月曜だけDCにいて、あとは金曜までボストンでした。日本語は月曜の数時間と、あとは電話で数分くらいしか喋りませんでした。珍しいけど本来の駐在の姿ではある。

えっと駆け足で。
出掛ける前なのにとうもろこしご飯を炊いてしまった。
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月曜の昼に食べたほかは、おにぎり2個作って、火曜の朝飯と飛行機内での間食にしました。

で、ボストンです。火曜、アメリカン航空の9時DC発の便に乗ろうとしたら、ばたばたし始めて「無期限遅延」が言い渡されました。もうほんとに私前世で何かしました?っていうくらい毎度普通に飛行機が飛ばない。
しかし段々旅慣れてきているので「やれやれ」とか言いながらカスタマーサービスのカウンターに並びつつチャットで解決を求めたりしておりました。カウンターで「まだ飛ぶかもしれないから、次の便のスタンバイに名前入れつつちょっと待ってみたら」と言われて「飛ばねーだろうなー」と思いながら待っていたら飛びました。珍しい。

空港に着いたのが昼前でしたが、日光がオレンジ。そういや上空からもほとんど街が見えないくらいもやがかかっていた。後で知りますがカナダの山火事で東海岸の大気汚染がえらいことになっていたらしい。
これは夕方ですけど、ほんとにこんな色の太陽でした。
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今回は4日間の出張で、メインは後半2日。そこにちょうど行ってみたかった展示会2日間をくっつけてみたのでした。展示会場を歩いて歩いて、講演聴いて聴いて、で終わっていきました。街はこんなですが、あまり見てる時間はありませんでした。
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ボストンは宿が普通に1泊300ドルとか500ドルしていて死にそうでしたが、3泊のうち2泊は招聘元が取ってくれるという有り難いことになり、自分で確保する1泊は民泊みたいなところにしました。100ドル。やっす。空港の近くにあるヒスパニックとか貧しめの白人が多い地域の長屋の一室でしたが、特に危ないことはなく、近くの中華屋で焼きそばをテイクアウトして宿の共有の台所で食って快適に就寝。

後半2日はハーバード大学医学部で研修みたいな感じの仕事。
これがなんか一番象徴的なホールらしい。仕事は右側の建物です。
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缶詰で入れ替わり立ち替わり先生たちが来てくれて講義が続く2日間。結構なじみのある分野だったので質問もいっぱいした、つもり。同席したのは同業他社の人たち10人くらい。何を間違ったか外国人は弊管理人だけだった。学校自体はアジア人が多かったです。
この2日間はむちゃくちゃ勉強になったし充実感がありました。頑張って書類作って募集に応じてみてよかった。これを無料でやってくれる心意気に報いたいところです。

ところでキャンパス近くのブルックラインという街は低層の古い建物が多い、ええとこな感じの地域でした。日本スーパーもあった。そんなに日本人いるの?

夕飯食べたのはプレーリー・ファイアという原野火災みたいな名前のバー。
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ドン・フライ的ラウンド髭で強そうだがくりくり目がかわいいおっちゃんバーテンダーに「魚のグリル食べたいんだけど一人だと多いかな?」と聞いたら「夕飯に一皿だったらちょうどいいと思うよ~」と言われたのでプロセッコと一緒にいただきました。
大西洋オヒョウ!
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ほくほくの白身でむっちゃうまかったです。何回か書いた気がするけど、やっぱりアメリカ人てグリル料理が焼きも味付けも上手だと思う。

2日目が終了したときは帰りの飛行機の時間が結構厳しめだったので、ウーバー呼んで空港までまっしぐら。しかしよく渋滞する街です。そこそこ余裕で着いてよかったです。
嵐がくるという予報で、DCから来る飛行機が若干遅れましたが、そのころには天気が回復しており、なんと弊管理人が乗る便は定刻出発!!珍しい!!!
ちょっと会社寄って帰って寝ました。

* * *

土曜はメリーランド州ベセスダの「ワシントン日本語学校」でちょっとだけ午前中の仕事。
同僚のお子さんがいたり、奥さんがスタッフやってたり、仕事先の知ってる人が来客対応してたりでめちゃくちゃ狭い世界でしたが、子どものいない弊管理人はこんなことでもないと来る機会がないので楽しかったです。
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わりと盛り上がって昼前に現場がはけたので、知り合いと昼飯に行くことにしました。
15分くらい北に行って、ロックビルという街のBob's Shanghai 66という点心のお店。
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あ、小籠包も水餃子もちゃんとしてる。台湾留学経験のある同行者も満足してました。

* * *

日曜はDCのデュポンサークルでやってるファーマーズマーケットへ。
写真忘れた。桃を買いました。
プエルトリコ→フロリダ(このコースは典型的らしい)→DCときた友人とひとしきり物色し、近くのカフェでコーヒーとサンドイッチ買って食べて、家に寄せてもらって駄弁ってました。

うっかり「そういやアメリカの市民権持ってるの?」と聞いてしまった。大失敗。海外領土やっちゅうねん。しまった。でも「よくあるよくある」と笑われました。
親はフロリダにいて、コロナがひどかった期間は何か月か戻っていたそうです。フロリダといえばミニ・トランプの異名を取るデサンティスが知事。「いろいろ悪いことがあるだけに戻ろうかなという気にもなる。問題があればそっちに向かっていかないと解決しない」と言っていて、この友人は33歳ですが、先日のZ世代も含めちゃんと戦う気概があるの偉いなって思いました。

プエルトリコはスペイン語で、子どもの頃にフロリダに移ったので英語とスペイン語のバイリンガル。お母さんとはスペイン語と英語のちゃんぽん、お父さんとはスペイン語で喋るそうです。しかしスペイン語は自然に習得しすぎて、学校でとったスペイン語の授業は文法で躓いたんだって。ほほう。あとフランス語もできるそうです。

コンサル会社で仕様書なんかを書くテクニカルライティングをやっていて、出社は今でも月イチ。部屋は半地下ですが、外を歩く人たちの足が窓から見えて、これはこれで見ていて飽きないですね。たぶん結構お金もらっているはずで、海外旅行も結構行っているのだけど、住居費はそんなにかけない主義かな?今年はタイ、ロンドンとガツガツ歩きすぎたので次はメキシコに行ってゆっくりしたいんだって。スペイン語ができると西半球の行動範囲が広がっていいな。

午後早めに辞去してアパートのジムで運動してシャワーあびて豚キムチ作りました。成功!
しかし写真忘れた。今週は忙しく動きすぎて写真少なめ。

* * *

ということでアウトプットすべきものが結構たまってしまいました。コツコツいきましょう。

2023年06月04日

インタブーZ

Z世代をナンパして、フォーとベトナムコーヒーおごって話を聞くという土曜日。

・ケンタッキー州出身、23歳、黒人、183センチ125キロ
・先月カレッジを卒業したばかり。専攻は農業とスペイン語。ダブル学士を目指したがコロナで時間が足りなくなってどちらかだけを選ぶ事態に。結局、農学士を取った
・現在、DCの都市農園関連NPOでインターン中。作物は地域の低所得の人たちにあげたりする
・秋からスペインに渡り、英語の先生をやる。特別な資格はいらず、大学を出てればいい。そういうプログラムがあって(日本のJETみたいなやつでしょうな)、これからビザのこととか住むところのこととか調整するので忙しくなると思う
・車はKYの自宅に置いてきた。KYは車がないと生活できない。DCに親族がいるが、バージニアでアパートを借りて地下鉄通勤。駅までちょっとあるので自宅の近くでレンタサイクルを探すところから1日が始まる。バージニアはケンタッキーと景色が似てる(Q アパラチア山脈のあっちとこっちだもんね)あーそうね
・農学の勉強は経済、バイオなど最初のほうはいろいろ科目があって、学年が上がると理系っぽくなる
・農学を選んだのは、いつか農業で自活したいから。国際貢献みたいなのはあまり考えたことない
・テレビは時代劇を見る(番組名聞いたが失念)。ニュースはテレビで見ない。いまCNNとかMSNBCなんか見るのは50代以上じゃないか。自分たちはだいたいネット。Voxなど
・大資本のメディア、民主党、共和党もみんな同じような人たちが動かしてるので、どの党を選んでもあまり、って感じ。(Q そういえばアメリカの人ってコミュニティっていう言葉をよく使うよね)究極的には政府は信じられないと思っているから
・(Q アメリカの人って結構自分の先祖がどこから来たとか調べたりするじゃないですか。自分の家族の系譜とか調べたことある?)ancestry.comとかあるが、母親やばあちゃんについこの間聞いた(KYの地図を描いて説明)。父親はアラバマの方から来たとか。1865年より前のことはよくわからない
・(Q アメリカに来てチップが残ってるの不思議だった)奴隷制に根ざしてる(→New York Times 2021.2.5の記事「チップはもともとヨーロッパのノブレス・オブリージュに起源があり、貴族が目下の者に与えるボーナスであった。しかしアメリカに渡ったレストラン企業は、黒人に賃金を払いたくないために、チップを賃金の代わりにしたのである」)アメリカの経営者が正当な賃金を支払ってないだけ
・もともとが(先住民の)ジェノサイドと奴隷制でできてる国。企業は富を独占して政治も動かしていて、今も貧乏な人をしいたげて国が回っている。都会に住んでる白人で裕福だったらいい国だろうけど
・(Q でも同僚はアメリカの教育はいいと言ってた)本当にそう思う?(ここはかなり強い否定が入った)公的なカネが教育に入ってない。先生は十分に給料もらえないから集まらないし、子どもはストリートに出てる。ブッシュの時からずっと警察にカネ付けてきたけど治安はよくなっただろうか?自分は幸運にもハイスクールいって、コミュニティカレッジまで出られた(privilegetと言った!)けど

インスタを見せてもらったら、学費無料のコミュニティカレッジを5年かけて出たようです。Z的言説を再生してる部分はあるかもしれないけど、それにしても端々に的確な単語を使い、よく咀嚼していて知識も豊富だと思った。社会に対してかなり批判的ではあるが恨みがましいわけでもないところをみると、裕福な背景ではなく一流校に行ったわけでもないもののちゃんとした家庭で育った相当頭のいい子なんだろうと推測します。こちらの英語力をみてか、分かりやすい言葉で説明してくれていました。

てか2000年生まれ!サステナビリティもカレッジで勉強したという話から気候変動の話題に移って「君は22世紀を見るかもしれないしね」と言ったら、それは初めて気付いたようで「政治家は22世紀まで生きないからマジ考えてないよね」と言った。

ここの民主主義はニセモノ。
(Q でもどこに本物の民主主義があるんだろう)いいこと聞くね
(Q ユートピアはないよ)ない。でもだんだんよくしていくことはできるんじゃないかな

もうね、なんというか、いろいろ嫌なことはあると思うけど、彼はこれから何にでもなれるし、何かになれると思う。日の沈む国から来たキャリア終了間近のおじさんは見ていて眩しかった。
夕飯は家で冷蔵庫の残り物を食った。

* * *

日曜。西の方(アパラチア山脈方面)にブルワリーのロケハンに行きました。
最初はBear Chase Brewing Companyです。
眺めよい~
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子ども連れ歓迎ですって感じで檻に入れられた動物もおりました。
なんかくれるのれすか~
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ただ写真を撮られるだけと悟ると一瞬にして興味を喪失されました。
ちょうど昼時だったのでハンバーガー食うなど。
なんか複数家族が一緒に遊びにきている感じのグループが目に付きました。まあどこを見ても白人の遊びなんだなとは思うが。
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先週後半は日中30度くらいまで行き、スモッグみたいになってあちーなーという陽気だったのですが、日曜になるとやや気温が下がり、ブルワリーは山だったのもあってひんやり気持ちよかったです。

近くにもういっこあるブルワリーに転戦します。こちらはDirt Farm Brewingです。
さっきのBear Chaseよりもこぢんまりして静かな感じ。食べ物はフードトラックで調達しますが、さっきハンバーガーを食べたのでグラスビールのみ。
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どっちが好きかと言われたら意外とDirt Farmかもしれない。壁際に並んでる席の下にも斜面にテーブルが並んでいます。DC圏から50分くらい、これくらい離れるといいとこでも混み混みというわけでもなくていいです。

* * *

先月末に書き忘れていたが、まる20カ月が終わって21カ月目に入りました。あと14カ月。うーむ、半分過ぎたのでもう後は下り坂という気分になっていたが、14カ月と思うとまだ結構あるな(※来年7月に帰っていいとは誰も言ってない)。もうちょっと家具とか買うか……?

8月は2人が異動するようです。

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