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2009年12月 アーカイブ

2009年12月29日

右翼と左翼

■浅羽通明『右翼と左翼』幻冬舎新書、2006年。

このあいだ友人とカレーを食べたあと、近くのマクドナルドの寒いテラスでコーヒーをすすりながら話をしていたとき、ふとしたことからその友人が「右翼はよく見かけるけど左翼って何してるんだろうね」と言いました。今も細々とやってる成田はわかりやすいけど、雇用とかヒノマルとか、あれって左翼?そういえば右翼とか左翼って何?ということについて、自分なりにイメージはあるものの(いつかの日記に書いたけれども、理想が昔にあるのが右翼で未来にあるのが左翼、などいくつかの整理をしてみていた)ひとがどう考えていたかはちゃんと読んだことがなかった。

この新書が出たときからなんとなく目には止まっていたものの、これまたなんとなく手に取る機会がないままだったのですが、ちょうど図書館にあったので借りてきて読みました。

この本がやっているのは、わりと手に入りやすい文献を渡り歩いて、第一に、右翼/左翼という言葉がどんな内容を代表しているのかを整理すること、第二に、右翼/左翼という言葉が生まれた革命期からのフランスとヨーロッパ、明治から現在までの日本でその意味がどう変遷してきたかを概観することです。

じっさい情報量は多いですがすぐ読めるので興味があればどうぞとお勧めしておいて、超ざっくり言うと
・右翼/左翼は時代によって内容が変わる
(・たとえば、極右が舞台から退いてしまうと、それまでの中道右派くらいが極右の席に座り、さらにそれも退いてしまうと当初は中道左派だったのがどんどん右側の席に追いやられていくような動態)
・いちばん大まかには、やっぱり右翼/左翼=保守/革新と言い換えていいっぽい
(・もっとも舞台が当初の左でいっぱいになってくると、右翼/左翼=自由/平等くらいまでいくっぽい)
・そうすると何についての?という疑問が沸くが、これがまた当初は政治上の統制志向/非統制志向くらいの話だったのが、経済、文化、さらに外交、軍事などの軸が入ってきてチョー複雑になってきている
みたいなことだと思っていればとりあえずいいのではないかしら。

2009年12月28日

S君が死んだ

なにか感傷的になって文章を書くとき、どっかの詩を引き写して、短い言葉で改行を繰り返して行数を稼ぐ、つまり他人の言葉で空白を埋めるのは、なんとなく安直で美しくない行いだと思います。

まあそれはそれとして。
札幌にいたときに新人で入ってきた後輩のS君が休暇中の今日、交通事故で死にました。自分がハンドルを握って高速道路を走っていて、同乗していたお兄さんともども亡くなってしまった。

いま振り返って彼を形容するのはまことに難しい。志は高いが、孤高というよりは少し辷っている。不器用ではあるが、愚直というよりはもうちょっと浅はかな感じもある。言動がけっこうカッコつけているけれど、そこには不思議ちゃん的な匂いがある。
自分が当時の担当の頭をやっていて、そこに一番下の担当者としてついた彼だけれども、なんというか、あまり魂のレベルで交流をした印象もない、むしろちょっと自分とは世界が違うような気がしていた。追悼の言葉をと問われれば、さらりと「あのさー、それって違くない?」と言うしかない。

自分の中をよく覗いてみて掴みだして来られる言葉はそんなものなのだけれど、それとは別の、身体のレベルで、今日は朝、それこそ彼が700km彼方で死んでから2時間経たないうちに報せを聞いてから一日、あえて数字にするなら普段より10%くらい、高揚していた。
その原因はおそらく、自分より4つ若い28歳でも世界から消滅することがあるということが一つ。また、生きているということは代謝することだと考えている(余談だが、だから現時点で脳死は死だと考えない)ので、その象徴的な場面である「食事」をしている最中ずっと自分が生きているということが強く迫ってきたということが一つ。さらに、これも普段から考えていることだが、家族を持つということはリスクだということ(今回は同乗者として、特に遺族として)の一面が垣間見えたということ。このあたりかなと思いたいが、ひょっとしたら、ここで冷静でいることはとりあえず人としてよくない、という打算だったかもしれない。

結局彼は自分にとってはあまり心理的には近くない存在で、しかし距離的には近くにいたことのあるよく見知った存在だったので、その訃報に接して、「彼が」もはや不在であることから流れ出てくる冷たく湿った悲しみに浸されるというよりは、「不在」ということのほうから発射された一発の乾いた熱風を浴びたような圧倒のされかたをしたのかもしれない。

だいぶ定時から遅刻して席に着いて、この週末に目鼻がついた仕事を片付けて同僚と昼食を摂って、信濃町まで行って喫茶店の外のデッキでアイスコーヒーを飲んで、約束の時間に仕事をして、また職場に戻って仕事を片付け、ノートPCを持って退社してちょっと飲みに行って談笑して帰ってくる。そんな仕事納めの一日でした。

2009年12月23日

もうやんカレー

なんだか最近カレー友と化している某友人と、西新宿「もうやんカレー」へ。
ランチは1000円で食べ放題だというので心ゆくまでカレー食いましたが、夜中になっても腹が減りません。

よぉく煮込んだカレーに肉がごろごろ入ってます。濃厚な味です。
付け合わせのサラダ、ナムルに、ニンニク醤油味の焼きうどんもおいしい。
これは時々誰かと訪ねたい店だ。

ところで我ながら、
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盛りつけのセンスが絶望的にないのが泣けますwwwww
たぶん真ん中にライスの土手を作り、ルーと付け合わせを分けてよそうと高得点がついたはずと思うのですが、気づいたときには遅すぎました。

以前、私の部屋を見た友人が「家具配置のセンスがゼロだ」と呆れたのを思い出しました。
(いまの部屋の配置は、引っ越す前に泊まったホテルのアイディアをパクりました)

「おろかもの」の正義論

■小林和之『「おろかもの」の正義論』ちくま新書、2004年。

カミサマとかエライヒトに「正しさ」の権威付けを求めない場合(=そこからあてのない自由な探求に出発するのが「おろかもの」なのかな)に、「正しさ」というものをどう考えたらよいか。

11章構成で、その多くは脳死・臓器移植、死刑、環境問題と南北問題など具体的な問題を取り上げています。
そのひとつひとつは詰め方に食い足りないところはあるけれども、とても考えさせられ、多くの人にとって新しい視点をもたらしてくれる評論だと思います(非趣味読書のつもりで読み始めてはいないのですが、脳死・臓器移植についてはこれまでのもやもやした感じに言葉を与えてもらった)。
ただ終盤にさしかかったあたりで「ところで、正しさってなんだろう」という疑問をふと抱いてしまう。あらゆる具体例から離れた短いまとめが最後にあったらよかったと思うのですが。
読後感の中にうすぼんやりと浮かぶのは、正しさとは人にやさしくということだ、というような印象です。いや、そもそも「正しいいうのはこういうことだ」ということを指し示す本ではないのでしょうが、正しさということを、この本を通じて少しブレイクダウンすると、そうなるのかもしれない。これが合っているかハズレているかはよくわかりません。

それにしてもこの著者、CiNiiとかAmazonとかで探してもこれっきりまったく文章を発表してる形跡がないんですが、どうしたんでしょうか。ウェブサイトも持っているようだけど出版後に更新止まってるし。

2009年12月16日

京都でいろいろ食べた

1泊で京都出張だったのですが、カテゴリーは「日記」でも「旅」でもなく「食べ物」。
関西在住の友人にいろんなお店を教えていただき、基本的にそこを回ってました。
なにしろ最近、職場で一時的に人が半分(!)になり、鬼シフトと鬼発注で先週などこのキャパシティの広い私が(言っちゃった)いっぱいいっぱい気味だったりして、少し息抜きも兼ねて出張を入れてみたもの。仕事の結果は一勝一敗一分け、くらいですが、まあそれはそれ。食べ物はうまかったな。

まずは出町柳近くの甘味処「みつばち」。寒天にこだわったあんみつ。でもポイントはあっさりめの黒蜜とみた。
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夜は友人と合流して、大阪で中華。ええと上海なんだっけ。上海食苑。
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翌日はホテルで和朝食。これはこれでうまし。
昼は京都大学近くのタイカレー専門店「アオゾラ」でグリーンカレー850円。メニューの中ではいちばん辛いようですが、そうでもない。無印良品のグリーンカレーキットのほうが刺激が強い。ココナッツが濃厚に効いたスープがいいですね。でもこういうのってタイ米で食うものじゃないだろうか。
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豆餅も……と思ったものの、待ち時間に京大の学食でケーキを食ってしまったのでパス。思ったより早く終わったので新幹線の時間を1時間半ほど早め、弁当買って飛び乗りましたとさ。
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いやー、なんか息抜きになった。
明日からまた鬼シフトっぽいです……

2009年12月13日

文科系のためのDNA入門

■武村政春『文科系のためのDNA入門』ちくま新書、2008年。

非趣味読書。内容は表題の通り(笑)
でも仕事絡みでないと手に取らないであろう本を読む機会があるというのはいいことなんだと思います。もともとなにか必要が生じないと本を読まないたちなので。

遺伝子とDNAの使い分け、DNAとRNAの違いも怪しかった(いや一応高校の生物でやった気はするんだけど)自分にとっては、分子生物学方面でよく出てくるスニップスだの転写因子だのメチル化だのといった用語も含めて、基礎から見取り図を示してくれるこういう本はありがたいものです。図書館で借りた本ですが、これは買って事典的に手元に置いておいてもよかったかも。

2009年12月07日

解剖男

■遠藤秀紀『解剖男』講談社現代新書、2006年。

時期的に電車男のパクリかね、このタイトルは。どうかと。

ええ非趣味読書です。
いまは東大の総合研究博物館の教授やっておられます遠藤先生による、「遺体科学」の紹介本。
筋肉などの軟組織や骨などの硬い組織からわかること。その第一歩は「系統=その種の来歴」と「適応=その種の工夫」という視点。たとえばヒトの頭骨に脊髄の出口がついているのは系統、それが四足歩行動物と違って真下についているのは二足歩行への適応、そんな感じでしょうか。
形態と機能はとても密接に結び付いている。なにをするためにこの形なのか、この形だとどう動くのか、そもそも動物の体の構造はどうなっているのか、そういう知を膨大に積み上げていく営みが遺体科学ということのよう。

で、筆致は濃ゆい。へえと思う知識の記述も多いですが、いろんな人(個人名はない)の悪口が書いてあります。こんなに必要なのかと思うほどですが。まあ個性でしょう。
ちょうど今月から博物館でこの先生が監修した展示「命の認識」が始まります。

2009年12月05日

長崎亭(皿うどんの巻)

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新宿2丁目のセミペリフェリー(←こんな言葉を使う奴にろくなのはいないとか言っちゃだめです。思ってても言っちゃだめです)あたりに位置する、ちゃんぽんと皿うどんの店(メニューがそれしかない)。場所柄、美輪さまも通ったところと噂で聞いた。木造でいつ行ってもほかの客と会わない、ばあちゃんが一人でやっている古びたお店です。
あまり愉快でない1週間が終わったー、という感じと、しかし来週に向けてもあまり晴れがましい気分にならない、そんなもやもやを抱えながら昨日、ちょっと立ち寄りました。

皿うどん(ソース)の上、750円。上って何?と聞いたら「イカとかブタとか入ってるの」とのこと。
しょっぱくないんですよ。見た目は黒々としてるんだけど。
麺がうまいな。
といって、華々しく「ここの味は本場です!うまいよ!」と宣伝する気はございません。本場とか知らないし。
テレビから流れる太田総理の絶叫を聞きながら、自分は心静かに炒め野菜と麺を喰む。そんな時間を淡々と過ごすところだと思う。

今週ははじめのほうで扁桃腺が暴れ出しましたが、いちはやく投薬で制圧。水曜後半からやっと少しペースが上がってきて、木、金とがんばって、とりあえず土曜までに積み残しを片付けた感じ。
なんかずっと両目のまぶたがピクピクしてます。ううう

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