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2011年12月 アーカイブ

2011年12月31日

年取り

今年も長野県南部の本家でお年取りしました。
長野では、大晦日にごちそうを食べます。
逆に元日はお雑煮くらい。2日にとろろを食べる。

伯母のお料理。
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定番の鰤。北のほうでは鮭を食べるそうです。
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子どもの時から好きだった手製チャーシュー。
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シフト上、元日と2日は都内にいないといけないので、最終の高速バスで帰ってきました。
大晦日の20時とかに田舎から東京に向けて出発する人などおらず、バスの乗客は弊管理人ひとり。
停留所に全く止まる必要がなかったので、30分近く前倒しで到着していただきました。

2011年12月30日

市民政府論

■ロック(角田安正訳)『市民政府論』光文社古典新訳文庫、2011年。

中学の社会科の教科書で初めて見てから20年。やっとこ読みました。サーセン

社会契約論の古典。
人は自然状態(法の下に置かれていない状態)では、もともと持っている生命や財産に関する権利や自由をうまく守れない。ちょっと腕っぷしの強い他人に侵害されても訴え出る先がなくて、結局自由が小さくなってしまう。
そこで、何人かが集まって、自分たちが持っている権利を拠出して政府を作る。立法部は法律を作り、行政をやる人たちはその法に従って社会を運営していくことで、安定した状態をやっと達成することができる。
ところが、権力を預けられた部門を仕切っている人(国王だったり、合議体だったり)はしばしば、自分たちの好きなように国を運営し、そこで暮らす国民の生命や財産を好きなように簒奪しようとすることがある。
もともと、国ができたのは個々人が自分たちの生命や財産を守るためだったので、この大目的に反するような政府に対して国民は抵抗したり、政府を取り替えることができる。信任を失った政府はもう政府ではなくゴミだ。だから捨てちゃっていいのだ。それは「叛逆」と呼ばれるかもしれないが、神の前では罪ではない。

……といっても、これは単なる檄文ではなく、いろいろな批判を予想して再反論を展開しています。
「社会の最初に契約があったなんて記録は残ってねえじゃんよ」という批判が一番典型的ですが、これには「あったよ」と反論しています(ただし訳者も言っているように、ちょい苦しい)。
また、「政府転覆できるんだったら社会は不安定になっちゃうじゃん」という批判に対しては特に言葉を尽くして答えています。「Aさんが何かで政府に対して腹を立てた、というだけでは国民としての抵抗につながらないし、そもそも国民って相当耐え忍んでしまう性質があるので、いつも不安定になってしまう心配はない。政府の側にとっても、国民の生命と財産を侵害しないという簡単な原則を守るだけで安定が保たれるなんていい話じゃないか」みたいなことを言う。

それにしてもいったいこの人は何と戦っていたのか。それには訳者の解説が参考になります。
筆者は学生時代に清教徒革命を経験。壮年期に書いたこの本は名誉革命の支柱となったようです。イギリスがどうも落ち着かない17世紀において、王党派によってゾンビのように蘇らされた王権神授説+絶対王政の芽を丹念に潰し、立憲主義の優位を説く。こうした差し迫った背景が筆致に熱をこもらせ(訳もいい)、アメリカの独立やフランスの革命、そして現代のリバタリアンにまでつながるほどの影響力を持たせたのかなあと想像したりします。
この文章の中では既に、国と国の間はいまだに「自然状態」だと指摘されています。神の座が空席になっている現代において、どう「国家-間-社会」を構想するだろうか。筆者に聞いてみたい。

2011年12月27日

答え合わせ2011

今年ああだこうだと書いたこと、結局どうだったか。

1月23日

で、きのう、とうとうバイクにETCをつけました。 夏に、支払い用にポケットに入れていた1000円札が高速走行中に飛んでいってしまい悔しい思いをした時から、取り付けを考え始めていました。年末には高速道路料金に関する国交省案が出ましたが、どうも一律無料とか一律料金とかに完全にはならないために、曜日や車種による複雑な判断を避けるとの名目で引き続きETCは割り引きを受けるために必要そうな雰囲気だったことに背中を押された気もする。 「とうとう」というのは、バイクの場合はETCの機械に耐振動とか耐水とかの機能が必要になるのと、おそらくマーケットが小さいために、取り付けにかかる費用が四輪の倍以上(3万-4万弱)になるため、それなりの決断がいるからですw

↑結局高速無料とかは絵に描いた餅になってしまい、ETC導入の経済的メリットはあまりなかった。しかしちょいちょい財布を出さなくていいのは楽なので、まあつけてよかったかなと。

2月24日

・日本でこんなことがあったら、個人情報保護がうんちゃらとか言って死者・行方不明者の情報が出てこず、安否確認が進まないんじゃないかとちょっと不安。

↑ニュージーランド・クライストチャーチの地震についてこんなことを言ってましたが、そのすぐ後にあった東日本大震災では個人情報保護どころではなかったですね。

4月18日

空気を読む力が自分にどれだけあるのかはかってみるため予測をここに書いておきますが、 今回の原発事故を経ても、日本はすぐに脱原発をすることはできない気がします。

↑さあて、今年一番の問題作。

・現時点では汚水をだらだら流しながらではあるが、水を原子炉に注入して徐々に炉を冷やすことができている。想定外の事故でポカが続いても、それでも一定の対処ができることは示されてしまった(電源喪失が長く続いても、指をくわえてメルトダウンを待つことにはならなかった)

↑メルトダウンの可能性は地震の翌日にはもう言われているので、たぶん上記日記は勘違いしてる。ただ手が付けられない状況→首都移転、みたいな状況の回避は確かにできたね。1基で格納容器爆発あるいは燃料プール瓦解で近づけなくなる→そのために他号機での作業もできなくなり、連鎖的に手が着けられなくなる→首都移転、みたいな「最悪の中でも最悪の状態」への分岐点はいろいろあったが、そこまでにはなってない。

・どうやら津波という一つの要因で複数の非常対応システムがイカレてしまったようなので、逆にいうと津波の対策をしっかりやればより安全だという論理が通ると思う。

↑推進の役所と事業者は結局、全くもってこの通りのことを言った。

・事故の検証は求められているしそのうち始まるだろうが、当然役所がその場を設定するので、「だからもうやめとこう」という結論ではなく「ここを改善すれば安全性が高まります」って話になるに決まっている。

↑確かに政府事故調はまさに「政府」が場を設定したものの、実務を担ったのは司法官僚だったので、出てきた中間報告書は刑事事件の冒頭陳述さながらの「そこまでいうか」的な後知恵による批判のオンパレードでした。弊管理人の見方が甘かったといえるが、しかし期待以上のものはでてきたともいえる。

・そのうち絶対誰かが「一人の命も奪われないまま得られたこの貴重な経験によって、原発の安全対策はさらに完璧に近づいたと、私はあえて非難を恐れず言おう」って言う。

↑おおっぴらにではないが、ある学者が言った。

・脱原発がいくつかの国で進むと、新エネルギーを利用できるほどの基盤整備ができてない国はとりあえず原油や石炭の争奪合戦に走るので、不安になって「やっぱり原子力」っていう合意は(一応役所と事業者をスケープゴートにしつつ)形成されやすくなる。

↑再生可能エネルギーのポテンシャルをやや侮ってた感はありますな。でも石油依存の度は、展望のないまま上がってるのが現状。経済界はもちろん、被災地から遠いところへ行くと「そうはいっても原子力」って言う立地自治体首長もいますね。

・福島第1はいま冷温停止の5、6号機まで含めてジ・エンド、だが福島第2はヘタすると再稼働(知事をどう説得するかが鍵)。5年以内の動きは、西日本はあまり危機感を共有していなさそうなのでいくつかの新規建設は話が進む。一方、東日本では新規建設はたぶん話題にもできない(作らない、のではなく予定地の心情的要因で無理)。でも動いてるのを止める話にはならない。

↑かなりハズレ(恥)。福島の知事が県内全原発の廃止を言った。「こんなことがあってまだ原発を容認する県」というイメージが復興の妨げになるという考え方はなるほどだ。新規建設はもう無理。動いてた中でも、浜岡が政治の力で止まった。ほかも順調に定検停止してますが、ストレステストを経た来年の再起動がどうなるか。

・ついでに、暮らしはちょっと地味になるかもしれないが、大きな社会変動が起きるかについても弊管理人は懐疑的です。あいかわらず各セクターのお金くれコールで今年度並みの規模の予算が来年できたら「ムリ」が確信になります。

↑悲観的だねー。この日の日記は全体的に悲観的すぎたけど、予算規模をみると現実のものになる気がする。東京の夜はすっかり明るくなってしまい、その周辺にまだ残る灯りのなさが見えなくなってきている。

9月25日

9月に入って、たいへん調子が悪い。 こういうときに大事な案件の意思決定をしたり、頭を使う仕事を引き受けたりするのはとても危険。でもあまり先延ばしにもできないことが多いので、早く脱することができればと思っています

↑11月くらいまであまり調子が出なかったけど、そのあと回復した。「できなけりゃできませんでいいわな、時には」と思えることが大事と。

■10月31日

昨夜9時半からけさ8時半まで11時間寝た。 天気よし。

  も の す ご く 体 調 が 良 い 。

↑全体的に元気に過ごした今年の中でも、飛び抜けて快調だった日wwwww

12月4日

■東浩紀『一般意志2.0―ルソー、フロイト、グーグル』講談社、2011年。

ついこのあいだ、ラジオで鈴木謙介さんが「この本は、政策立案などを担う少数の人たちが、内輪ウケではなく外部の他者の目に耐えうる議論をしているのかどうかを、”一般意志”に晒されることでテストしてみろや、と主張しているものと思って読んだ(大意)」と話しているのを聞いて、うまいと思った。そう、ローティに触れてる部分で明確にそう言ってましたよね。
この本を読んでから、ナイーブに「熟議」を称揚する本をするっと読めなくなった。なんか物知りな人からは「へっ」って鼻で笑われそうですが、それでもやっぱり重要な本だと言っておく。

■全体的に

「あれ食った」「ここ行った」ばっかですな。
意識的にそうしてたんですけど。
なぜかというと、弊管理人が独りであれこれ考えてることって大体当たってないので、そんなこといっぱい書いといてもしょうがないからですw

2011年12月24日

草枕と年末

新宿3丁目、カレーの「草枕」。
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タマネギ1個と、いろんなスパイスでできたカレー。インド風。スープカレーほどしゃばしゃばしてない。
今日は「海老とプチトマト」4辛(1~10まである。いわゆる辛口よりちょっと辛いくらいらしい)、ごはん大盛り(+0円)。930円。

    うまい、これ!!!!

トマトと、海老と、福神漬けと。どれと合わせて食べるかで味がけっこう変わります。飽きずに食べきれる。ごはん大盛りでちょうどルーと合うくらいの量。おなかいっぱい。しあわせ。

今年の冬休みは12月27~31日。休み前の26日は今年の総決算みたいなてんやわんやの一日になりそうな感じもしますが、この、なんというか、毎年のことですが、年末のどんどん差し迫ってくる感じは嫌いじゃないです。むしろ年が明けて急に間延びした感じには茫然としてしまう。

もう言うまでもなく3月をもって自分の環境も世の中も全然変わっちゃった年でした。1年の過ぎるのが猛烈に早かった気がする。
いっぱい嫌な思いもし、11月くらいにはかなり気分が落ちたりとかしていましたが、いろいろ勉強もした(させられた)し、いっぱい仕事もした(納得いくものは少ないけど評価されたものはそれなりにあった)ので、今日現在で振り返れば今年の総合評価は100点満点で74点。

何回か書いた気もしますが、自分でいろいろ課題を見つけて解いていくタイプではないが、課題をこなすのは嫌いではないほうなので、今のように、ある程度のお金を与えられながら勉強や苦労の機会がどんどん降ってくる人生はそう悪くないのかもしれません。しかし相変わらず、そのレールから脱線したときの生き方というものもあれこれ考えた1年だったように思います。来年、答えは出るかな?出ないか。迷うのが趣味みたいな人だしね。まあいいや。

たぶんまだ年内に何回か日記書きます。

2011年12月17日

エネルギーを考える新書2冊

■飯田哲也『エネルギー進化論―「第4の革命」が日本を変える』ちくま新書、2011年。
■長谷川公一『脱原子力社会へ―電力をグリーン化する』岩波新書、2011年。

「原発」はまだましとして、話が環境とエネルギーとかいって広くなると、技術と政策と社会の話が混ざり合って、重要なのにとっかかりが得にくい、厄介な分野だというのが弊管理人の認識でした。各地の先進事例とかの紹介を読むと「へえすごいね」と思うが自分の生活にどう結び付くかとはちょっと断絶してる感じ。次世代のエネルギーや蓄電池の技術開発が語られるとなんか夢っぽくていつ実現する話ですかって思う。政策やイデオロギーはどの立ち位置から論じるにしても相手をぶったたこうという気迫がすごくて怯える。

しかし、だんだんこういう話も勉強しなきゃいけない状況になってきた。そこでまずは頻出語彙を確認するために新書を、しかも3.11以降ににわかに登場した人じゃなくて、かつ比較的穏やかに書いているっぽい人のを。と手に取ったのがこれら。長谷川本は原発事故の状況を説明した最初のほうにいくつも事実関係の怪しい個所があって読む気がメゲかけましたが、頑張って読んでいたら乗り切れました。

飯田さんは技術方面出身で政策に切り込んできた人、長谷川さんは社会学(社会運動研究)から入って脱原発をずっと言ってきた人。80年代には始まっていた世界の脱原発、サクラメント電力公社の原発閉鎖、固定価格買い取り制度、飯田市のおひさま太陽光発電所、発電としての節電、そして日本の電源をどう置き換えていくか等々、2人の関心はかなりオーバーラップしつつアプローチが微妙に違うので、この2冊を立て続けに読むという選択は我ながらなかなかよかった。これを足掛かりに各論に入っていければと思います。でも各論かつ非デンパ系の著者によるもので今年の状況を踏まえた本ってそんなに出てるのかな。

それにしても、3.11を「オレの時代が来た日」としてはしたなく歓迎してる感じが染み出てる書き物(「痛ましい災害となった『が』これを『奇貨』として」とか書いちゃうやつ)が意外と多くて、どれだけ正しくてもそれってヒク。上記2冊がそうだと言っているわけではありません。

2011年12月15日

駆け足神戸

日帰り神戸出張。
午後3時すぎに終了後、7時台の飛行機までちょっと時間があったので現地友人に引き回していただきました。

スターバックス神戸北野異人館でお茶。
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人が多かったので撮りませんでしたが、中の調度品もなかなか。
長居してる人が多い印象。

新長田に移って鉄人28号。
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右下の白い矢印のところに友人が立ってます。
鉄人でかいよ鉄人。

元町。
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南京町。で
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「老祥記」の豚饅頭、1個90円。
少し冷めていたが、うまかった。5年ぶりくらい。

飯はふらっと「京華楼」に入って食べましたが、すべてがダメ。
ここに行ってはいけないと世界中に発信したい(笑)

で、ばたばたと神戸空港→羽田。
次はもちっとゆっくり来たいですね。

2011年12月11日

札幌1泊

ちょっと慶事があって、札幌へ。
弊管理人の20代の終わりと30代の始まりを形作ってくれた人たちのお祝い。

夜のパーティを控えて昼過ぎに千歳に到着、特に札幌であれやろうこれ食おうということもなく、うっかり札幌勤務時代によく昼飯食いに行っていた「蛯天分店」で上天丼(750円)。
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いいじゃん、好きなんだからw

午後4時、中島公園近くのホテルにチェックイン、ベッドで本読んでたらそのまま7時まで寝てしまった。
外は雪です。
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ので、あまり遠くへ行かないで夕飯を済ますことにしました。

これも札幌時代にときどき人を連れて行っていたお店、ジンギスカンの「結び亭」。
毎度静かな環境で焼肉ができるんですが、今日行ったら前よりお店が広くなってました。盛況なのですね。よかったよかった。といってもこの日もその拡張されたスペースでひとり焼肉でしたけど。
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生ラムと生ロースを1人前ずつオーダー。ここのロースはたれのほか、ハーブ塩をかけて食べてもおいしいんです。

そういえば今更ですが、ジンギスカンのお作法って二通り見たことがありまして、(1)ひとつは上の写真のように野菜をまわりに敷いて、帽子状の鍋の上の方で肉を焼いて食べる方法。

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(2)もうひとつは、野菜をざーっと敷いてその上に肉を載せ、そうすると野菜に火が通るころには肉の色も変わっているので、そのタイミングでがーっと混ぜて肉野菜炒めのようにして食べる方法。

肉のシズル感=焼肉やってる感は(1)のほうが出るんですが、(2)は柔らかく火の通った肉と野菜を一緒にざぶざぶ食べる快感がありまして、こちらも好きです。

小樽ビールのピルスナー飲んでご満悦。
夜のパーティは大騒ぎ。

翌朝、飛行機の時間を約2時間間違えていた(羽田到着の時間を千歳出発と間違えていた)ため、やろうと思っていたことの多くをやめにして、歩いて札幌駅に向かいます。

途中にあるBISSEというビル。弊管理人が転勤したあとにできたもの。
どうしても「拓銀」という癖が抜けないのですが、もと拓銀のあったところに建った北洋銀行のビルにいくつか甘い物屋が入ってました。
牧家のヨーグルトパフェ・マンゴー(320円)。
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うまいに決まってます。

そうそう、大通駅からさっぽろ駅までの地下通路も開通してました。2年とはいっても少しずつ街は変わっていくのだねー

やっぱり札幌はいい。
空気はきれいだし、飯はうまいし。


<おまけ>
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よみにくーい

2011年12月05日

茄子おやじ

連れて行っていただきました、下北沢のカレー店「茄子おやじ」。
大将が吉祥寺での修業時代に、つまみ食いをとがめられた際に茄子を落としたことから「茄子おやじ」と呼ばれたことに由来するそうです。どうも腑に落ちない理由ですが(笑)それはまあいいです。

なんか全部乗せみたいなカレー(1100円)。
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食べてみると「なんか普通のカレーだね」で始まるのですが、だんだんスパイスが効いてきます。それって多分いいカレーの特徴のひとつ。

2011年12月04日

一般意志2.0

■東浩紀『一般意志2.0―ルソー、フロイト、グーグル』講談社、2011年。

「『動物』の社会」構想。

ネットに絶えず蓄積されていく人々の(自分でも気付いていないような)欲望を収集、解析して可視化する技術が現在、整いつつある。この欲望のデータベースを――250年も前に考えられたルソーの「一般意志」がとうとう顕現したとみて(それを一般意志2.0と名付け)――よりよい社会づくりに活用できないだろうか。

そこで、フロイトの
  「エス(欲望)」←「自我(調整役)」→「超自我(建前)」
という個人の心の見取り図を統治に応用して、
  「一般意志2.0」←「政府2.0」→「熟議」
という形を検討する。つまり、今まで抜けていた左の項(一般意志2.0)を補って、やじろべえを完成させるわけだ。
社会が複雑化しすぎて全体を見渡せる人がいない時代には、一方に「感想くらいしか抱いていない、統治への参加が不活性な、素人」、もう一方に「実際はタコツボだが普遍を装った、ほぼ排他的に統治に参加する、専門家」の極ができてしまう。そこで局所的な利益や声の大小などで政治が進められてしまい、いろいろな歪みが溜まっていく。そんな状況を突破するアイディアがこれらしい。

筆者が考えているのは「よい社会とはどういう状態か」というより、「よい社会をつくる手続きとはどういうものか」であるように見える。複雑な社会で「何が善か」を収斂させるのは難しいものね(にしても、その手続きが正しいことはどうやって確かめるんだろう)。
たしかに最終章ではありうる未来社会をデッサンしているけれど、この位置付けはたぶん「一例」にすぎない。そこでは政府は特定のライフスタイルを優遇するようなコミットメントをすべてやめ、生存のための条件(=あらゆる意味でのセキュリティ)守るだけの最小国家になっているみたいだ。でも、そういう生活の最低保障の内容と境界ってちゃんと定まるのかなあとか、いろいろと疑問は浮かぶ。
そう、この原理にどう肉付けをし、よりシアワセな社会を導くシステムに彫琢していくかを考えることは次のミッションで、そこは読者もアタマつかって考えようぜと言われている感じがした。

読み進めていくと、その都度疑問がでてきたり、「これってあの人の……」といろんな思想家の影がよぎる。そして筆者は次の章ではちゃんとその疑問に答え、種明かしをしてくれる。読者の手を引いて旅路をちゃんと辿らせてくれる、とてもよく構成された本。

2011年12月02日

ポンヌフ

新橋駅前、カフェテラス・ポンヌフ。
なんかいつも行列してるんですが、今日は午後1時15分に通り掛かったところ、ちょうど人がはけているのを発見、トビコム。

ランチセット、1100円。
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甘めのケチャップに包まれる、正調の太麺ナポリタン。
ハンバーグもちゃんと作ってあってうまい。
全体に赤いごはんだなあ。
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セットだと、飲み物と自家製プリンがつく。
このプリンの肌合いは、人懐っこい子のように愛おしい。
で、実はあんまり甘くないんですよ。フフフ

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