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2011年11月 アーカイブ

2011年11月29日

メルシー

早稲田でお仕事。
いつもと違う地下鉄の出口から出たら、かねて探していたラーメン&軽食「メルシー」を発見。
それにしても、なぜ探していたのかは覚えていない。
確か慶応:二郎=早稲田:メルシー、とかそんな位置付けの有名店だったような。違うか。
いずれにしても早大出身でもないのでどうでもいいです。

タンメン、480円。
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野菜+麵+スープが渾然となって不思議とうまい。
あと、麵も太めで、見た目より食べがいがあります。
若いときに食ってたら思い出の味になったかも。

2011年11月27日

バランス

既に記憶は薄れはじめているが、けさ起きるまで見ていた夢。

友人・家族何人かと車で外出して、神社のようなところへ行った。
友人の一人が弊管理人の顔を見て「お祓いしてもらったほうがいいよ」という。
場所が場所だけに手近に申し込めるところがあり、お祓いを申し込むが、始めるまでに20分ほど時間がかかるという。
その間、みるみるうちに体のだるさが襲ってきて「死にそうな感じ」に包まれる。
ふと事務所の奥の方から、郷里の母方のおばあちゃんが出てくる。
弊管理人の体を触って「死ぬよ」という。
うそー、やっぱり!?という恐怖と、あがく気持ちでいっぱいになる。
視界にテレビ放映終了後の砂嵐のようなものが重なり、気が遠くなっていく。

ここで目が覚めてみると、両手を頭の下に敷いて仰向けに寝ており、手から腕のほうまでびっしり痺れている。目覚める少し前から「これは夢で、起きれば助かるはずだ」と思っていたので、目覚めて一度ほっとしたものの、どっぷりと疲れた朝になった。

前夜に少し嫌なものを見、そのあと酒場でいつも以上に楽しく飲んで、まあ今日の収支はプラスだったかなと思うことにして帰る途中、また嫌なものを思い出してちょっと投げやりな気分になっていたのだった。
こういうとき、逃走体質の弊管理人はこの世を含めたすべてから降りたい気持ちになりがちなのだが、体はすかさず、こうして自らが持っている生への執着をまざまざと上映して見せ、バランスを回復させる。

20代の初めの学生時代に文科系の簡単な本を読み始めた弊管理人だが、学校を出て就職した会社では、理科系の人が仕事相手になるセクションを選んだ。このところは、出勤日の多くと休日の一部を理科系の言葉を投げ付けられながら過ごすなかで、理科系の環境を中和する=反理科の方向に振る力として、文科系の本を求める気持ちが維持されているような気がする(最近、だんだん買ったけど読んでない本がたまってきている)。

閑話
生きると死ぬは連続、理科と文科の区別は無意味という突っ込みはあり。
しかし、多くの人がある連続したものをいくつかに分けて語るときは、分けるに足る何かがあるはずだ。虹を3色に分けようが7色に分けようが構わないが、3にも7にも分けられるということは、分けることに意味がないということには結び付かない。そんなことで、暫定的にではあるが区別を引き続き使おうと思う。
休題

いくつかの極のうち一つに向かうと、それを引き戻す力が無意識か、意識ぎりぎりくらいのところで立ち上がって働く。そのため、ある極に近づいていくことと、その極に達することにはものすごいギャップがあるように感じている。自殺をしないのも、信仰に存在を差し出さないのも、ひとつのことを究めないのも、そのためだと考えている。

「極端から逃げる力」も、「極端に到達しないことができている」と「極端に到達することができない」の2通りの言い方ができる、と一度は思った。たとえば自由が、束縛からの解放/紐帯の喪失というプラス/マイナスの2面を持つというようなことが頭にあったせいか。しかしこれは違う話で、逃げる力は作動させようと思って作動させていないので、実情は「極端に到達できるけれどしない」のではなく「単に到達できない」に過ぎないようだ。極から逃げているのではなく、逃げさせられているだけだという不自由が明らかになる、そこで逃避から逃避したい気分さえ喚起される。面倒で貧乏くさい力だ。お世話にはなっているけれど。

2011年11月23日

湯の澤鉱泉

3、4週間バイクに乗らないとバッテリー上がりが心配(本当はもうちょっと大丈夫なんでしょうけど)なので、ちょっと頑張ってお出かけ。バイクに乗らされている弊管理人。でもモノに流される生き方はそんなに嫌いじゃないです(ヒトに流される生き方はあまり好きではないっぽいが)。

というわけで、ひとっ風呂あびに茨城県は湯の澤鉱泉に。

大きな地図で見る
Aのマークがあるとこね。

常磐道の那珂ICで降りて、袋田の滝方面に向かう途中にあります。
すぐじゃね?と思っていましたが、高速は単調だしその後もわりと時間かかって、途中で「帰ろうかな」と思いましたw
うちから150km近く。常磐道がなんとなくぼこぼこしてたのは震災のせいかな?

街道を外れて、しばらく車1台幅の山道を行くと、森の中にお宿が。
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宿のおばちゃんらが気持ちよく挨拶してくれます。
建物はどこも清潔。

お風呂はこんな感じ。岩風呂と檜風呂があるらしいが、男湯は岩風呂になってました。
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重炭酸ソーダ泉とのことで、お湯に浸かっていると体に小さな泡がいっぱいつきます。独特の香りもありますね。
熱すぎず、しばらくのべーっと入っていられるとてもいいお湯でした。

なんと、肩こり全快。
帰りの常磐道でずーっと同じ姿勢で運転してたらまたこったけど。
10時に出て16時過ぎには帰宅。

2011年11月20日

タクト

小岩の「レストラン喫茶 タクト」。

なにもいうまい。
同行者の大盛りハンバーグやきそば定食を見て下さい。
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(同行者の腹も大概だが)

ちなみにこれは弊管理人の普通盛りじゅうじゅう焼き定食。
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ここ1週間、さして大きな仕事はしていないが結構疲れた。
来週もわりといろんなところをぐるぐる回ることになりそうな。

2011年11月11日

世論(上)

■ウォルタ・リップマン『世論(上)』岩波文庫、1987年。
(Lippmann, Walter, Public Opinion, The Macmillan Company, 1922.)

私 ― 疑似環境(現実というものの像) ― 環境(ナマの現実)

という構造。疑似環境というのは「ナマの現実」と「私」の間にあるスクリーンで、ここに「(私が直接アクセスできない)ナマの現実」と「私の持っているステレオタイプ」から構成された「現実というものの像」が作られて、これにもとづいて私がいろいろと判断をしたり、これにむけて私がいろいろと行動を起こすわけです。ところが、当然ですが行動の影響は「ナマの現実」のほうに与える。3者の複雑な相互作用。では、そういう疑似環境とかステレオタイプってどういうもんですかね、という考察。

超優秀なのに、大学でも政府でもなくジャーナリズムに行ってしまった当時きっての知識人、いろんなテクストを自在に引っ張りながらお話を進めるその文章がキレイ。主張自体は今から見れば別に斬新というほどでもないので、上巻だけでやめよかなーと途中で思ったのですが、豊富な例示が意外に興味深いのと、下巻もちょっと気になるのでこのあと頑張って読んでみます。
社会現象を個人の心理から説明しようという感じが、時代を感じさせます。

2011年11月08日

フォークダンス

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新小岩のミートソース専門店「フォークダンス」。
カウンターでミートソースを食う。

生パスタ、平麵。
「生パスタ」って、弊管理人にとっては「有機野菜」と同じで特にお味がよろしくなるわけではないブランドとして認識されています。つまりどうでもいい。むしろあんまりモチモチしてなくていいんです、マ・マーで育ったので。
それはともかく、ミートソースは複雑な味がしておいしいです。

ランチにMサイズ850円。サラダもついていてお手ごろ。
Lでもよかったか。

2011年11月05日

科学論の現在

■金森修、中島秀人(編)『科学論の現在』勁草書房、2002年。

学際研究は、オリジナルな方法を求めて深く潜っていこうとしてもあまりスリリングなことになることはなくて(なぜならそれは学際じゃなくて学の仕事だから)、借りてきた方法を道具としてうまく利用し、モノやコトへのオリジナルな着眼を軸にして、人をエッと言わせるストーリーを織り上げるところに面白さがあるのではないかと思います。
しかし一方で、ルポルタージュの海に漕ぎ出す前に、ざっと船(道具)のしつらえを見ておくことも必要。艤装を終えて、港にぷかぷか浮いてる船。この本はそんなあたりの位置にあるのかなと。

科学は、他者として近づいて眺めてるとなかなか面白い。ノーベル賞はわりと予想を当ててる人がいたり、ストックホルムでシンポジウムやるなど大学挙げてプロモーションやってるところがあったり、昔の受賞者が「あいつにはやるな」とか言ってると有力者でも受賞が遠のいたり、受賞有力という情報が駆け巡ると他の賞の受賞が増えてきたり、受賞者が受賞業績以外でもご意見番になっちゃったりする。ガラスの殻に入ったニュータイプの炭疽菌が出た-!と9.11のあと大騒ぎになったものの、10年もしてから「実験室で使ってる混ざりもののない素材で培養してるとガラスの殻は出てこないが、もうちょっと清潔度の低い環境でやるとケイ素を取り込んでガラスの殻を作るみたいです、テヘ」みたいな種明かしがあったりする。政府系研究所の事業仕分けでは「役員これだけ減らします、システム効率化します、研究成果が新聞何紙に載りました」で生き残れる、みたいな〈型〉が形成される。審議会は御用のひとと市民感覚代表のジャーナリストとガス抜き用の反対派を入れて中立寄りの委員長を立てておくとうまく正当性を調達できる。そして、おもちゃのカンヅメ・原発事故。

科学のアゴラでは、思想と社会と政治がドーブツとしての人間の中で混ざり合う。わくわくする。2002年の「科学論の現在」から9年経って、今の「科学論の現在」はどうなってんすかね。大学の講座とかあんまり多くないみたいですが、おもろい成果いっぱい出して元気でいつづけてほしいと願うのであります。

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