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2017年01月 アーカイブ

2017年01月29日

一月は暮れる

仕事で八重洲に出たついでに、「京橋屋カレー」。
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右側が鶏・キャベツ・えびの「ときえカレー」。辛くないです。香りが面白いし、full of taste。
左は辛口の鶏カレーですが、いやこれがまた、辛いもの結構好きな弊管理人でもいったん引くくらいスパイシーでした。しばらく置いて冷めてきてやっと食べられた。でもスパイスにはトゲだけではない深さがある。
1600円てちょっと高いですけど、「今日は特別」って日にまた食べに来たい。味わって食べてたら次の予定に遅刻しちゃった。
価格のせいか知りませんが、昼時なのに小ぶりな店内の席が満席になることはありませんでした。

* * *

ところで1月24~25日にかけて、突然アクセス数がいつもの倍以上になったんですけど、なんですかね。
有斐閣の『現代政治理論』のメモのエントリーから入ってる人が多かったようなので、どっかの学生さんの期末テスト対策に使われたりしたのでしょうか。

書いたのはもう2年前で、まだ結構断片的な書き方をしていた頃なので、あまり参考にならなかったでしょう。どうもすみません(誰に言っている)。でもいい本ですよね(誰に言っている)。

* * *

土曜夜、久しぶりに「アカシヤ」でロールキャベツを、と思ったらえらい行列ができていました。何があったのだ。
ということで若干彷徨ったところで新宿の老舗「ラ・ベルデ」。
カルボナーラを頼んでみました。
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ベーコンがバルキーなのが最大の特徴といった感じだけど、盛りがいい(ちなみにピザもでかい)ので、誰かと一緒にいて、困ったときに頼りになるはず。
日曜は償いの少食&野菜多めにいたしました。

* * *

月曜日が来るのやだなって思って一杯飲みに出たら、余計嫌になっちゃった。誤算。

2017年01月26日

じんるいがく(6)

通勤電車で読むのはやめまして、夜とか時間のあるときにちょっとずつ進めることにしました。
重いし、メモにするときはもう一回流し読みしながらまとめることになるからです。
ということで、通勤電車ではもうちょっとスピード上げて読めるものに手を付けてます。

松の内に書いた(5)の続きで、
■Eriksen, T. H., Small Places, Large Issues: An Introduction to Social and Cultural Anthropology (4th ed.), Pluto Press, 2015.

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11. Politics and Power

・権力:個人に課される制約であるとともに、安全を担保する法と秩序の源泉でもある
・産業化社会では何が政治か/でないかの特定は比較的容易(政策科学の対象)
・非産業化社会では日常生活の中でそれを見出すのは結構大変(どの社会にも政治はあるが)
  内閣や市政府に相当するものを探してもしょうがないことが多い
・そのかわり、政治人類学は次のようなことを見ることになる
  「どこで」「誰が」重要な政治的意思決定をし、誰が影響を受けるか
  どんな規則や規範が支配しているか
  どうやってヘゲモニーが挑戦を受けるか
  どんな罰があるか

・古典的な政治人類学は、1930-1960年代のブリティッシュ・スクールで発展
  中心的な問いは「国家(中心的な権威)を持たない社会は、どうやって統合されているか」
←→ポストコロニアルな現代の政治人類学の問いは:
  ローカルな共同体がどう中央政府に対抗しているか
  中央政府は住民に共有されている文化をどう利用し統治しているか

・この章では、国家をもたない社会における「政治」を扱う
  こうした社会は脆弱に見えるかもしれないが、実際はものすごく構造的に安定している
  (ヌアー、パシュトゥーンPathans、ヤノマミ……)
・二つの視点
  (1)それぞれの社会がどのように統合されているか(システムの視点)
  (2)諸個人はどのように自分の利害関心を実現させているか(アクターの視点)

▽権力と選択
・権力の定義
  「自分の意思を押しつけて他人の行動を変えさせられる能力」(ウェーバー,1919)
  マルクス主義者は、分業や法など社会の中の諸システムに埋め込まれた権力を見た
    (規範や暗黙のルールに従っている場合、「誰が」権力を行使しているかは特定できない)
    →「権力」は「慣習」「文化」「規範」と同義になってしまう?
  →政治人類学の文脈では、ウェーバーに従って権力/権威/影響力の用語法を採用しておくとよい
    権力は防衛の必要あり/権威は疑われないもの/影響力は黙従、マイルドな権力

・行為は、何らかの強制下にあるのか/それとも自由な選択なのか?
  どちらも正しい。何らかの「強いられた状況下で」「選択を行っている」
  例)資本制の下では金がないと投資できない。世襲制の下では王様を選べない、など
  「南」世界の主要な変化に、土地使用権がコミュニティ(WE)→個人(I)ベースに変わる、ということがある
・一方、個人はできる範囲でならいつも選択をしている
  例)工場を買うお金はないとしても、お金を貯めておくか、ビールを買うかは選択する
    Saloioの女性はフォーマルな政治へのアクセスはなくても、インフォーマルなルートで影響力を行使する
・つまり、誰もが程度の差はあれ、権力や影響力を行使している
  が、われわれの「権力」に対応する概念を対象の社会が持っていないことはある

▽権力の欠如状態powerlessnessと抵抗resistance
・権力の欠如は、権力が「少ない」のではなく、「ない」状態。語れないmutedグループ
  →効率的に自分たちの利益を実現することができない
  フーコーの表現では、主流の言説によって抑圧されている
・Lukes(2004)による「権力を研究する際の3つの視点」
  (1)目に見える意思決定プロセスへの注目(最も分かりやすい)
  (2)政治システムで取り扱われてはいるが、意思決定プロセスに出てこないものへの注目
  (3)公的な場で声を持たない集団への注目(見過ごされやすい。例)女性や先住民)
    →それでも、こうした集団は戦略的に存在を主張していく。貧農による集団的な抵抗など(Scott, 1985)

▽イデオロギーと正当化
・どんな社会でも権力者は正当性の主張をせざるをえない(暴力的な統治を行っていても)
  ブラジルのMundurucu族は、男性>女性に「聖なるトランペット」神話を利用
  ヒンドゥー社会ではバラモンが聖典を利用
  民主社会では「民意」を利用している
・非産業化社会では「生得的な地位」、産業化社会では「獲得した地位」を重視?←これはイデオロギー
  (1)産業化社会でも地位がすべて獲得されたものではない。階級や民族など社会的背景も影響
  (2)非産業化社会にもいろいろなパターンあり
・イデオロギーをとりあえずどう定義するか
  社会をどう組織化するか(政治、規則、善悪の区別)に関する文化の一側面である
  規範的な知識であって、明示的なものも暗黙のものもあり、修正を迫られることもある
・権力の欠如状態にある人も含めて、社会には基礎的な価値観が広く共有されている
  マルクスとマルキシストは、自分の利害に無自覚にこの価値観を共有している現象を「虚偽意識」とした
  →それを自覚することで抵抗の起点となるはず
・だが、社会を外から見ている人類学者としては、岡目八目を当然視していいかは疑問
  比較研究の際には「この社会は間違っている/正しい」を言うのは妥当でない
  もっと記述的。イデオロギーと慣習の関係など(これを構成員がフルに理解しているとは限らないが)

▽親族関係ベースの社会における統合と紛争
・エヴァンス=プリチャードによる南スーダンのヌアー研究(1940)
  敵がいるときだけ「族」としてまとまるa system of segmentary oppositions
  →紛争時のスコーピングによってどう連合するかが変わる柔軟さがある
  諸リネージや諸クランが同格だからそうなるので、もし王や貴族がいたら状況は違ったであろう
・ただし紛争仲介者的な位置付けの人はいる(leopard-skin chiefs)
  当事者の意見を聞いて落としどころを一定の重みをもって提案
  小さなリネージ出身で、それゆえに「中立」だと思われている
  仲裁の見返りに牛をもらうので裕福で、政治的に重要なアクターでもある
  こうした「政治の中と外に同時にいる」立ち位置は、宗教指導者にもみられる
・ヌアーはスーダン政府と対立。これはブラジルやベネズエラ政府とヤノマミの関係とは違った構図
  ヤノマミのリーダーは先住民族としてテレビや国際会議に出てくる
  →親族関係ベースの社会でも、大規模な組織が作れることはある
・こうした関係の在り方は近代社会でも。例)自分に近い個人や集団にほど忠誠を強めるルペン

▽獲得した地位と生得的な地位
・メラネシア(ニューギニアから東の島嶼地域)/ポリネシア(南太平洋~NZまで)の対比(Sahlins, 1963)
  親族関係ベースの自律的な小規模村落/プロの軍隊、税制、官僚制を備えた国
  リーダーは個人的な資質にもとづいて贈与競争により権力を獲得/世襲、王族あり
  リーダーは人脈を形成、多妻。次世代がリーダーを目指す/貴族クランの存在、王の権威は神授
  権力システムは個人的で成果志向、平等/制度的、ヒエラルキー
  権力の座は不安定/これはポリネシアも同じで、官僚機構や税負担の肥大化が反乱を招きうる
  焼き畑農業→富の蓄積がしにくい/灌漑農業→官僚や軍人を養うだけの富を蓄積できる
・ただし近代化で両者とも状況は変化
  貨幣経済の浸透で、財産の個人化(土地の個人所有)が出来

▽戦略的行為としての政治(行為者視点からの政治)
・政治の二つの定義
  (1)機関としての政治(権威的な意思決定)→個人や集団間の競争としての政治
  (2)システムとしての政治(言葉が媒介する権力と権威の流通)→統合作用としての政治
・パシュトゥーン人(パキスタン、穀物農作)の例(Barth, 1959)
  少数の土地所有者と、多くの小作人で構成
  男の子だけが相続できる(長男以外も)→どんどん土地が足りなくなる
  →遠くの男系親族と連合(近くとは土地使用権の抗争があるから。ただし兄弟同士は抗争しない)

・国家の誕生
  ウェーバー:国家による抑圧―課税と暴力の独占
  グローバル化は国家の力をさまざまな面で弱める

・コンゴの例(Friedman, 1991, 1994)
  継続的な経済的凋落の末、90年代前半に政府が無力化→国民から浮遊
  →コネ政府に→知識人の流出
・なぜ反乱が起きず国民が黙認してしまったか?
  経済の変化と移住で地域のクランが反乱を組織できなくなっていた
  困りごとの解決を政治的な行動ではなく呪術に訴えていた(magical world view)
  政府が国民を抑圧せず、単に「棄民」してしまった
  「モダニティとアフリカの伝統が最も噛み合わなかった例」(Ekholm Friedman)
・マダガスカルで政府による統治に明示的に反抗したツィミヘティの例も

▽政治的暴力
・北アイルランド紛争(1960年代~1998):身体を使ったプロテスト
  政治的主体の作られ方:身体、告白共同体、国家、ユートピア完成時の想像の共同体
  獄中での「ダーティ・プロテスト」(体を?洗うことを拒否)、「ブランケット・プロテスト」(囚人服の着用拒否)
  特定の身体的経験+イデオロギー→暴力の行使に結びついている
・戦争
  文化人類学では戦争を特徴づけるのは難しい(さまざまな特徴があるから)
  紛争や戦争のフィールドワークでは、自分だけでなくインフォーマントを守らねばならない
  「危害を加えてはならない」という倫理も守れないことがある
  文化人類学の成果がマイノリティの統治に利用されることも

12. Exchange and Consumption

・経済人類学
  経済を、社会や文化の一部とみて、他の部分との連関に注目する(経済単独で見ない)
  値段も栄養価も同じなら、なぜBではなくAを食べるのか→何を価値とするかを調べることで解ける
  資本制が唯一の解ではない。むしろ資本制は世界の中ではニューカマーといえる
  歴史の90%は狩猟採集
・人類学では、経済は2つの定義の仕方がある
  (1)システム的定義:物質、非物質の生産、分配、消費
  (2)アクター中心的定義:個々のアクターがさまざまな手段で価値を最大化するやり方に着目
・ポランニーの呼び方ではformalist/substantivist。政治など他の分野でも同じ
・「ホモ・エコノミカス」は、生産の単位が個人ではない社会では意味がない
  ロシアの研究(Chayanov)では、農民は生きるのに必要+ちょっと余裕があるくらいの生産をしていた
  →彼らは「最大化」ではなく「最適化」をしている
  ただし、formalistに言わせると、これは農民と株のブローカーでは優先順位が違うというだけの話
  →農民は生産の代わりに「余暇」を最大化しているのではないか?との指摘
  これは、資本制とそうでない経済に「質的な違いがある」か「基本は同じ」か、という対立

▽社会の一部としての経済
・マリノフスキーのトロブリアンド諸島研究:「クラ」
  「未開の」人々も、生物学的な必要を満たす以上のことをやっている
  収穫されたヤムを親族などにあげる(義務的贈与)
  →誰のところにたくさん集まるかで、共同体の中で誰が力を持っているかを示す
  →贈与は社会的な紐帯を再生産するだけでない、政治的な意味がある
・資本制経済では、カネのシステムは社会の中ではっきりした境界をもって存在しているとされてきた
  アンペイドワークはその外
  カネと価値のつながりに対しては、マルクスが疑義を提示(→『資本論』第1章。交換/使用価値)
・「value」は3種類の意味が混同して使われている(Graeber,2012)
  (1)哲学的、社会学的意味(「家族の価値」など)
  (2)古典的な経済的意味
  (3)「値(=あたい。何かと何かの違いを表すもの)」という意味
 →資本制経済でも、経済は実は明確な境界を持っていないのではないか?
・トロブリアンド諸島では、ヤムを育て、贈り、クラ交易をするときにあえて「経済」とは言われない
  経済は社会の中に溶け込み、生活のあらゆる側面に現れている
  女性、子どもも投資の対象だとは見られていない
  資本制は「需要と供給に基づく市場での交換」1つで成立しているが、諸島では80の交易形式が存在
  Gimwaliは、市場での豚や野菜の交換
  Lagaは、親族以外から買う呪術的な効果
  Pokalaは、10分の1税のようなもので、ヤムなどをえらい人にあげる
  Sagalは、葬式などの行事の際にただで配られる食べ物
  Urigubuは、姉妹や母親の夫にあげるヤム
  Kulaは、貝のブレスレットとネックレスが時計回り、反時計回りに渡されていく。島内&島の間で生起
    →利益を生まないが、Weiner(1998)は名声のためと分析(貝に前の持ち主の名前がついていく)

▽社会現象としての贈与
・ヤムを贈るときは、すぐに見返りが来ることを期待していないので「贈り物」とみることができる
  ヨーロッパで父→娘のお小遣いも同じ
  ただし、どちらのケースも、曖昧でも何らかの見返りを期待している(将来よろしく、とか感謝とか)
・メラネシアに限らず、世界の多くの経済は「贈与経済」(Strathern,1988)=価格が固定されないモノの分配
・贈与は他者との関係作りである:平和創出の手段、友情、忠誠→システムの統合維持
・コーヒーを買ってきてもらったとき、すぐに代金を払うのは、他人と道徳的な関係性を持ちたくないとの意味
・モースがポリネシアで見たのも同じ。互酬性は社会をくっつける「糊」だということ
  「全体的贈与」:宗教、法、道徳、経済がすべてその交換の中に現れるようなもの。現代では結婚指輪か

▽ポトラッチ、互酬性、権力
・北米のポトラッチはKwakiutlおよび近隣集団で実施。1884年にカナダで、数年後には米国でも禁止
  狩猟、漁労民でヒエラルキーを持っていて、貴族は相互に贈り物をして相対的地位を保っていた
  返礼をより多くという加速構造を持っていた
  冬には大規模なパーティを催して飲食、財産を燃やしたり奴隷を海に投げたりして財力を誇示
  →最も破壊できた人が首長になる
・もっとマイルドなものでは、フランスの婚姻時の贈り物習慣なども(モース、1924)
・ブルデューが引用したモースの互酬性に関する研究:Kabyleの社会
  家の完成の際に、それを称えるための食事ではなく金銭報酬を求めた石工の話
  →贈り物の交換より、市場での交換を求めた形
・レヴィ=ストロースは贈与を社会統合の基本としたが、モースは生け贄など他のシステムもあると考えた
  ←Weinerの反論。Inalienable Possessions
  (●よく分からない。贈与の対象になるのは、所有者と切り離せない譲渡不可能なものである、
  市場での交換の対象になるのは、切り離せるものだということらしい)

▽分配の諸形態
・贈与は社会統合の手段であり、個人間の関係を定義、再確認するものである
・資本制経済下では全く事情が違う。レジ係も客も、買い物終了後にお互いの顔など覚えていない
・ポランニーの3分類:
  (1)互酬性reciprocity。メラネシアなど贈与経済が優勢な社会での基本的な形式
  (2)再分配redistribution。政府や首長など中心的アクターがものを集めて配る(互酬性は中心がない)
  (3)市場交換。匿名で、交換ルールも各自が選択できる
  →ポランニーは市場交換が社会統合を危うくするが、同時に反発が起きるので全域化はしないと考えた
  社会には(1)(2)(3)いずれも存在するが、比重は社会によって違う
・再分配は権力構造の保存に役立ち、市場交換は膨大な人数を包括できる
・さらにインフォーマルセクターの存在も指摘される(Hart, 1973)
  大規模組織犯罪、密貿易、契約のない労働などが現代の経済グローバル化により拡大中

▽貨幣
・多くの場合、何を売買していいか/いけないか、という規範が社会の中にある
  資本制にもあって、愛、友情、忠誠などは売買できないとされている
  麻薬の売買も一般的には違法。セックスも社会によっては。武器も同様
  ただし、資本制は他の制度より売買できるものの範囲が広く、商品間の比較可能性も高い
  →その仲立ちとなるのが貨幣。マルクスの「交換価値」
  伝統的社会の多くは労働力や土地は売買の対象外だった
  貝を貨幣のように使った社会もあるが、交換の対象は限定的だった
・ナイジェリア・ティブ族Tivの例
  もともと土地はアイデンティティと強く結びついており、売買の対象外だった
  穀物、果物、野菜を作り、家畜を飼っていて、余剰は市場で売ることもある
  ただし、市場が唯一の分配システムではないmulticentric systemだった
  第2次大戦前は、3つの経済領域を持っていた:
   (1)日用品。主に市場で交換され、通約可能。最も低いレベルの交換
   (2)威信prestige。家畜、呪術用品、奴隷、超高級な輸入の織物など。真鍮の棒が貨幣代わり
   (3)女性と子どもの売り買い。人を購う手段は人。決済はすぐに行われるとは限らない
  各領域の内部での交換は道徳的に中立的。ただし領域をまたぐと交換基準がない
  特により低レベルの領域との交換を行うのはアホだととらえられている
→パックス・ブリタニカのもとで交易範囲が拡大、これまでの定義にない商品と触れるように
  さらにゴマの輸出で貨幣を手にするようになった
  数年ですべての商品の価値が貨幣で測れるようになってしまった(Bohannan,1959)
  結納もお金でするように。多くの人は「女性をモノで買っている=女性の価値を貶めている」と感じた
・ただし、貨幣経済の浸透が悪かったかどうかは場合による
  ブルデューのように「道徳的義務の網の目やヒエラルキーからの解放だ」ということもできる
  親族集団によって個人が交換されなくてもよくなり、自由恋愛が可能になったとの側面も
  そもそも人類学は価値判断することを初期的なタスクとしていない

▽情報技術としての貨幣
・貨幣経済の流入によって、経済は道徳や文化から切り離される
・そのかわり、非常に広い範囲の交易に開かれることになる
・生産したゴマが英国の食卓に上り、真鍮の棒では買えなかったTシャツやラジオが買える
・貨幣は国家ともつながっている。国家は貨幣を発行し、徴税する
・貨幣は負債ともつながっている→次第に格差が広がっていく

▽モノへの意味づけ
・モノへの意味づけは文化によって違う(Appadurai, 1986)。言葉、サービスといった抽象物も同じ
・例えば、トロブリアンド諸島では呪文が相続されたり売り買いされたりする
・マルクス:コモディティ化によってモノは比較、交換可能になる→ルカーチ、ハバーマスへ
・価値の体系を知ることが、社会の中の多様性を知る足がかりになる
 例)ブルデュー:アカデミアを地位と権力の交換をするアリーナとして見る
・モノは意味やアイデンティティとつながっている(家の内装など―Miller, 1998)
・記憶ともつながっている(墓石からビール缶、マッチ箱まで)

▽消費とグローバル化
・モースが言うように、(カネを仲立ちにしてもしなくても)交換は社会関係を創出する
・消費は人々の間の違いを作り出すと同時に、連帯や文化的な意味を作り出す
・一見、享楽のために見える消費が、実は全く違った意味を持っていることがある
  例)ポップス、ファストフードはアメリカ化と言われるが、セブンイレブンは日本の会社だったりする
  フォルクスワーゲンは中国でアメリカのメーカーの車より売れている
  トヨタはアメリカで3番目に売れている
  第3世界の家庭ではポケモンを見て、メルセデスを買い、ウィスキーを飲む。どれも米国と無関係
  ヒンディー・フィルムはインドネシア、セネガル、ナイジェリアなどで若者に受けている(Larkin)
・モダニティの土着化indiginisation of modernity。新たなモノや習慣が既存の意味の諸体系に入ってきて、
  それらをちょっとずつ変えつつ、しかしそれぞれを均一化しない(サーリンズ, 1994)
  官僚制、市場、コンピューターネットワーク、人権など、それぞれ地域によって違った定着の仕方をする
  モスクワではソ連崩壊後、マクドナルドが日常に入り込んだ
  →逆に言うとモスクワっ子はマックを「飼い慣らした」(Caldwell, 2004)
  こうした順応は、新たな要素がその文化の根本的なところに触らない限り起きる

▽交換再考
・交換のロジックにおいて、「西側世界」と「それ以外」を分ける考え方はそれほど自明ではない
・互酬と市場交換は相互排他的ではないし、それらの間に明確な線を引くこともできない
・サーリンズによるニューギニア研究では、住民は賃労働者になっていってもラジオなど近代的な道具を
  買っていたわけではなく、伝統的な制度のもとで、よりたくさんの豚を供物にしたりしていた
  →新しい経済システムの導入が古いシステムを葬り去るわけではない
・Davis(1992)はイギリスにもたくさんの交換形態があることを示した
  →伝統社会/近代社会、われわれ/かれら、ゲマインシャフト/ゲゼルシャフトの二分法に疑義
  ただし、すべての社会が「同じ」と言っているわけではない

2017年01月22日

1月後半のつれづれ

ちょっと年上の商社の方と新宿3丁目「鼎」で晩飯→ワインバー。

なんといいますか、体育会系会社員の人って新鮮です。
ああクラッチバッグ持つんですねとか(弊管理人はリュックか手ぶら)
手練手管で60億円のものを売りつけてる話とか(弊管理人は特にそういう派手な仕事ではない)
スーツは仕立ててもらうんですねとか(弊管理人はそもそもスーツを着ない)
海外駐在の時はお手伝いさん雇うんですねとか(弊管理人は努めてドメスティックです)
サプリメント飲んでるんですねとか(弊管理人は痛飲したときにビタミンC飲むくらい)
皇室に近いお知り合いがいるとか(弊管理人は自分と誰が知り合いなのかよく把握してない)
いろいろ勉強になります。

普段周りにいるのは寝癖ついてる公務員とか、無精髭・童顔の学者とか、
大体が頭がよくて500円の飯を食ってる人たちなので、だいぶ感じが違った。

* * *

帰ってきてから、残り物の挽肉と、残り物の人参と、ストックしてた玉葱と、近所で買ったジャガイモで、肉じゃがを作りました。煮詰めるのが吉でんな。うまい。

* * *

もう先週のことですが、カーシェア修行2回目。
寒い日曜の夜、友人と笹塚駅前、ロビンへ。
ハンバーグ&ピラフ、すなわち「ハンピラ」。
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うまかった。もっと食えた。街の洋食屋さん。

そのあと武蔵小山の「清水湯」へ。
混みすぎ。ロッカー足りてねえ。
お湯を楽しむとかの前に、この設備と管理はだめだわ。×

* * *

新橋の肉そば「ごん」。
味濃すぎで割高。
ちょっとなあ。ということで画像なし。

* * *

暖かいスウェットを探す際のキーワードは「裏起毛」ではなく「裏ボア」だった。
今頃何をって話ですが、それに気付いたことで、今シーズンは足元のオイルヒーター以外使わずに快適に過ごせています。

* * *

汚い話なので最後に置きますけど、

食物アレルギーはないのですが、「食い合わせ」で弱いものがあるらしく、
  ・油っこいもの+メロン
  ・油っこいもの+ライチ
という危険な組み合わせがこれまでの急激な嘔吐経験で判明しています。

これに加えてこの週末に疑いを持ったのが、
  ・牛乳+辛いもの
こちらは下痢です。あまりに急激だったので、食中毒ではなくアナフィラキシーショックみたいなものだろうなと思いました。実際、出し切ってしまうとけろりと大丈夫になり、そのあと何かを食べても特に腹痛や下痢が起こらないことで確信を強めました。

2017年01月13日

1月上旬つれづれ

週明けから口腔内が荒れている感じがしていました。
リステリンでうがいすると痛い。
肩こりみたいのが併発。
熱は36.0度前後。
今は緩和。
何だ。

* * *

「年末は好きなんですけど、年始って大嫌いですよ。折角いろいろ納めたのにまた始まっちゃって。終わりはまた見えないくらい遠くになっちゃって」と言ったら多くの賛同が得られました。そんなに人生が楽しめてない人が周りに多い環境はよくないな。本気で言ってないかもだけど。

* * *

何年か前、脊髄損傷で首から下が動かせない患者さんにお話を聞く機会がありました。
時々側についてる方が患者さんの体をゆするので「どうされたんですか」と尋ねると、患者さんが「あなた気付かないかもしれないけど、人は常にちょっと伸びをしたり体をゆすったりしてるんだよ。じっとしてると何か気持ち悪くならない?」とおっしゃって、あっそうかと思ったことがありました。

冬は厚着なので、地下鉄のシートに座っていると、両側から圧されて身動きがとりづらくなります。
そうすると脇腹とか背中のあたりを動かしたくなってきてもぞもぞしてしまう。今日は体が疲れているのか、動けないと結構ストレスなくらい怠さがたまってきて辛かったです。そのときに上記エピソードを思い出しました。

* * *

・千葉都市モノレールでひとり『辺見えみり』と繰り返し呟いている子(←音が面白いのであろう)のマネ
・「日本軍が南京を蹂躙したってね」「まさかー(massacre)!」

など、持ちネタとしていた不謹慎モノマネや不謹慎トークを順次封印しています。
時代は流れているなあ。あるいはライフステージが遷移したせいだろうか。たぶん両方。
倫理に普遍はなく、ただ「場所柄」「時節柄」があるだけだと近頃は思っているのですが、なればこそ危機管理としてのインプットが怠れないのは疲れる。

* * *

■岸政彦『断片的なものの社会学』朝日出版社,2015年.

古本購入。

 ずっと前に、ネットで見かけた短い文章に感嘆したことがある。こう問いかける書き込みがあった。カネより大事なものはない。あれば教えてほしい。これに対し、こう答えたものがいた。カネより大事なものがないんだったら、それで何も買えないだろ。
 おお、これが「論破」というものか、と思った。(p.195)

この部分の意味が何度読んでも全く分からなくて、その間に何駅も過ぎてしまった。
帰宅してその短い文章とされるものをググってみたら、その原典と思われる2ちゃんねるの記述が出てきた。
「カネが一番大事だとすると、カネを使うことができない(最も大事なものを手放す意味がない)」ということだったらしい。ああそうか。一つでも反証があればいいのか。

そういえば、既に別人になってしまった母方の祖母がしっかりしていた時分、父(=婿養子)が何回かに分けて祖母のライフヒストリーを聞き取っていました。あれ、何のためにやっていたのだろう。そしてその成果はどこに。

2017年01月08日

カーシェア

やや遅ればせながらタイムズでカーシェアリングを始めまして、慣らしを兼ねて命知らずの友人を助手席に、埼玉の「百観音温泉」に行ってきました。
かねて名前は聞いていたものの、久喜市というどこだっけレベルの北方(ツーリングだと東北道に入ってやれやれとひと休みしたくなる蓮田SAよりまだ北)ということもあり、実際訪れるのに数年を要しました。
日が暮れてからの出発、しかも寒い雨の連休中日。景色はありませんがお湯はなかなかでした。首都圏でここまでできればいいでしょう。外のぬる湯で1時間以上喋ってました。

帰りはまたこちらも数年の片思いを経て遂に到達という板橋の「元祖まぐろラーメン」。
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しょうゆスタミナラーメンにしました。魚介の存在感たっぷり、がっつり、満足。
同行友人のノーマルしょうゆも一口もらいましたが、ノーマルには全然違うよさがあった。
油そばや、なんとパスタもあるそうで、また来て試したい。が、あまりついでのない土地でねえ。

行動範囲が広がることを期しての入会でした。
一緒に出かけられるお友達も増えるとよろしいが。

* * *

PCでのツイッターのクライアントは長いことSaezuriを使っていたのですが、いろいろ不具合が出てきて代わりにTweenを入れました。いろいろカスタマイズして、今のところ快調に使っております。

* * *

■吉川徹『現代日本の「社会の心」』有斐閣,2014年.

2017年01月02日

じんるいがく(5)

(4)を書いたのは8月だよもう。生活乱れていたなあと。

引き続き、
■Eriksen, T. H., Small Places, Large Issues: An Introduction to Social and Cultural Anthropology (4th ed.), Pluto Press, 2015.
のメモを。
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8. Marriage and Relatedness

・資産としての女性←精子は安価、卵子は高価
・一夫多妻polygynyは多くの社会で見られる
・一妻多夫polyandryは少ない
  Ethnographic Atlas Codebookにまとめられた1231社会の中で、チベットなど4社会しかない

・歴史的には、恋愛結婚が前提の社会はほとんど見られない
・結婚は集団同士の関係であって、個人間の関係が第一とは見なされていなかった
  特にマサイ族の社会では、恋愛結婚はむしろ不利益があると考えられた
  結婚は子育てと家畜の世話のための制度としてある
  マサイ族の女性は、結婚を「必要悪」とみている
・ただし、高い離婚率が近代社会の特徴だというのは正しくない

▽支度金(品)dowryと婚資bridewealth

・ヨーロッパとアジアの一部では(嫁が持っていく)持参品dowryは重要な制度だった
  持っていくのは食器やリネンなど
  婿の家が嫁を養うにあたっての補償、将来の相続に対するお返しという意味合い
  負担はかなり重く、インドでは女の赤ちゃん殺しの理由にも

・婿側→嫁側に贈る婚資bridewealthはもっとよくある制度。特にアフリカ
  嫁の労働力と生殖能力に対するお返しという意味合い
  婿が嫁とその子を買っているという見方もできる
・婚資の機能
 1)家族間の契約関係や相互信頼を生じさせる
 2)高額の婚資を集めるために婿側の親族が協力しあうことで、親族内の結束を固める

・レビレート婚levirate:寡婦になった兄(弟)の嫁と弟(兄)が結婚する
  父系を維持するため。婚資がよく行われているところで起きやすい
・ソロレート婚sororate:妻に死なれた夫が、妻の姉妹と結婚する
  死んだ妻の代わりを提供する意味合い。レビレート婚の単純な裏返しではない

▽半族moietyと婚姻marriage

・集団同士の女性の交換で最も多いのは、姉妹同士の交換
・半族:一つの社会の中で、女性を継続的に交換している二つのリネージのそれぞれ
  女性の交換に加えて、社会の中での分業も行われている(オーストラリアなど)
・ヤノマミ族の社会では、生物学的な繋がりの強い親族関係ほど政治的にも安定している
  ただし、戦争回避や花嫁探しのために遠いところと関係を結ぶこともある
・女性のやりとりがA→B、B→C、C→Aのように多くの半族間でサイクリックを形成することも
  非対称アライアンスシステムasymmetrical alliance systemという
  半族間の上下関係も含んだカチン族の複雑な例→p.141

・以上は外婚の場合だが、内婚で交換が行われることも
  特にヨーロッパの王族のように、階層システムのしっかりした社会で
・ただし、内婚、外婚の区別は相対的
  リネージ内婚に見えても、核家族を単位とすれば外婚と見ることもできる
  自由な米国でさえ、人種内婚が存在すると見ることもできる

▽基本構造と複合構造

・『親族の基本構造』
・共通祖先ではなく、女性の交換によって集団間の繋がりが発生・維持される
・親族関係の構成要素:兄弟―姉妹、夫―婦、父―息子、母親の兄弟―姉妹の息子
・誰が誰と結婚できるか/できないかを規定
・複雑な現代のシステムは、誰と結婚「できないか」だけを規定しており、安定性に欠ける
・男性と、母方のおじの関係が重要

▽自然か文化か

・NeedhamやSchneiderは「親族関係は生物学的な関係とは別に発明されたものである」と主張
・「文化人類学者の発明である」とまでいう(多くの人は言いすぎと考えるが……)
・文化的構築物なら、操作することもできる(グリーンランドなどに例あり)
・ただし重要部分は生物学的な関係に基づいている
・この論争は現在もホットに続いている

▽社会を超えて共通な部分

・全ての社会にある
  近親相姦と外婚に関するルール
  子供は生まれてからの数年は母親と暮らす
  生殖、相続に関するルール

・多くの社会にある:
  親族関係に基づいた地域的な政治的、経済的組織
  先祖あるいは先祖の霊への尊敬に基づいた宗教的、日常的ルール
  親族関係に基づいた権力の強さの違い

▽親族関係と官僚制:伝統社会と近代社会の原理

・近代社会でも、親族関係は至る所に影響を及ぼしている
  キャリア、政治的地位、住むところ、等々
・しかし、資本制下での労働市場は親族とは無関係。何になるかは個人の自由
・官僚制も、「一般」という抽象的な概念に奉仕する。しかも誰でも平等に扱う
・親族関係と官僚制は近代社会い併存するが、折衷は困難
・親族関係を超えた複雑な相互依存も存在
・自覚的にこの違いを論じたのはウェーバー→パーソンズ
・ネイション、あるいは「想像の共同体」といったメタフォリカルで代替的な親族関係への移行

▽ジェンダーとの関連

・有名な研究の多くは男性視点で、女性を独立のアクターと見ていない
・親族関係がどんなジェンダー関係を生み出すかも分析していない
  (どんなイデオロギーが男性優位を作り出しているのかなど)
・親族関係はジェンダー関係でもあるという視点

9. Gender and Age

・未開の社会は平等だと思ってフィールドに行ったら全然違った。ちゃんと分化している
  垂直方向の分化:ランクと権力の違い
  水平方向の分化:権力の違いには結びつかない分業

・例えば:
  狩猟採集社会での性別、年齢に基づいた分化
  小規模な農耕社会での首長の存在(ただし相続されるとは限らない)
  大規模な農耕社会での首長+官僚+軍人、貧富の差
・生まれついての地位/獲得できる地位

・性別sexと性差gender―人類学で「性差」は長くネグレクトされてきた
  マリノフスキーのトロブリアンド諸島研究における男性の役割誇張=androcentric
  1970年代からのフェミニズムの影響でようやく注目→男―女関係、性差がどう形成されるか
  
・社会分業の中の性差
  狩猟民hunter→狩猟採集民hunter and gathererもジェンダーを意識した言い換え
  男性は狩猟のことしか語らないので、フィールドワーカーの注意がそっちに行っていた
  が、実は女性、子どもの採集活動で得られる栄養価のほうがメインだった(南アフリカ)
  アフリカでは農業の主な担い手が女性だったという例も(Ester Boserup, 1970)
  集団内の「神話」で狩猟や男性の英雄が語られる→男性優位が形成されている?(Mundurucu)

・公の領域=男/私の領域=女
  女性が多くの仕事をしても、その多くが家庭内のもの(子育て、炊事、掃除)
  男性は外の仕事。高度に専門化した社会では政治、宗教を司ることも

・服従させる/する、の孕む問題
  男女の服従関係にはグラデーションあり
  ほとんど平等(マレーシアのChewong)から、女性が自身の人生をほぼ制御できないところまで
  「平等=よい」というのはエスノセントリズムかも?
  男性と女性は同じランキングシステムの中にいるわけではないのかも
   →ホピ族:女性は母親として、男性は神のメッセンジャーとしてそれぞれ重要
・では、「女性は服従させられている」とは何を意味するのか?
  宗教的に重要な位置を占められない?←→それでも他の面で女性のほうが強いことも
  政治的に?←→女性のネットワークが意思決定を司るケース(Saloio)

・男性=文化/女性=自然?
  女性は男性に飼い慣らされるべき自然?(Levi-Strauss)
  両性の生物学的な差異に発しているのか?
  しかし、女性が文化の継承を担っている社会も
  北アメリカや中東では、むしろ男性が(性的に)自然と位置付けられている
    →レイプは荒ぶる自然から自分を守れなかったほうが悪い、との観念
・上記図式は単純すぎ
  黒人=自然=肉体労働/白人=文化=頭脳労働、みたいな変種も
→こうしたイデオロギーは権力関係を根拠づけるための道具になっているのではないか

・男性の世界/女性の世界
  女性はあまり語らない/男性は自分の社会を語る→エスノグラフィーにバイアスがかかる?
  女性は体面を気にする/男性は評判を気にする(Caribbean)

・セクシュアリティ
  生殖器の性/ジェンダー自認/性自認/性交渉時の行動
  ゲイ、レズビアンは「中間の性」ととらえるところも
  ノルウェーのエイズ対策の中で生まれた「MSM」という言葉

・年齢
  ジェンダーと同じく、年齢も普遍的に見られる分類の一つ
  年齢も社会的に構築される
  狩猟や遊牧など身体的要求が高い一部の社会を除き、加齢につれてランクが上がる(Holy, 1990)
  産業化、ポスト産業化社会では逆。生産者ではなくなるし、昔の知識はすぐに古くなるから
・ニューギニアのBaktamanには年齢に従って7つのグレードが存在
  宗教的な通過儀礼によってランクが上がっていく
  最高位に上がるとすべての知識を受け渡されたことになり、政治的に強い制御力を得る
・「同級生」のつながりが強い社会も

・年齢とジェンダー
  カメルーンのBakweri:男性は40歳になって政治力と財産を持たないと結婚できない
    女性は性成熟からすぐに結婚
  子どもの社会化の2目的:大人になること、と、男性または女性になること
    →だから通過儀礼は男女でかなり違う(Mount Hagen, New Guinea)
  例)中東、男児も女児も母親と公衆浴場に行くが、通過儀礼後は男性は裸の女性を見られなくなる

・通過儀礼
  社会は通過儀礼を通じて再生産される(van Gennep, 1909)
    →社会構造を変えずに、社会を構成する人が新しい地位を獲得する
    →権利と義務、協力関係を構成員が再確認する
  Turnerの3段階説:隔離separation、境界状態liminality、再統合reintegration

・婚姻と死の儀礼
  婚姻:集団同士の連合と、社会の継続性の象徴
  死の儀礼が持つ2つの意味
   (1)死者を正しく現世からスピリチュアルな世界に移行させる
   (2)相続。社会の中のどの結びつきを強め、どれを弱めるかを決定する=社会関係の更新

・現代の通過儀礼
  洗礼、堅信、結婚の宗教的な重要性は失われつつあるが……
  スカンジナビアのプロテスタント社会では堅信後のパーティでスーツと腕時計をもらう→大人に
  ただし、成人、結婚とも、その前後であまり大きく人生は変わらないのが現代かも
  年齢についても、変化が速く、変化がよいとされる社会では若さに価値が置かれる

10. Caste and Class

・カースト
  生得的、変更は極端に難しい
  ヒンドゥー、インドに固有
  儀礼的な清浄/不浄の観念に基礎を置いている→高位カーストが低位カーストに触れると汚れる
  特定のカーストが婚姻・交流、職業と結びついている
  カーストごとに規範がある(高位→ベジタリアン、飲酒しないなど)
・4つの主要カースト=ヴァルナvarna(「色」という意味)
  バラモン(僧)、クシャトリヤ(王、戦士)、ヴァイシャ(商人)、シュードラ(職人、労働者)
  その外にダリットDalit(不可触民)
  上位3カーストはスピリチュアルな再生の儀式を行うので再生族twice-bornと呼ばれる
・ヒンディーの外の人たちの位置づけ
  ムスリムはそれ自体、低位カースト
  他の少数民族は不可触民として扱われる傾向あり
  →こうしたことのため、キリスト教や仏教に改宗する人も
・スリランカ、パキスタンにもカースト制度は存在

・実は、本当にヒンディーを分類しているのはジャーティである(Sriniva, 1952)
  ジャーティは「生まれ」との意味。共同体単位を指す
  何千と存在
  ジャーティとカーストの中間に、職業カーストが存在
    (例:ロハールLoharはインド中の鍛冶屋ジャーティがまとまったもの)
  不可触民はカースト制度の外にあるが、ジャーティは存在する
  低位ジャーティの中には、菜食主義を採用して高位に上がろうと試みるものがある
    →高位の文化とはこういうもの、という共通の了解はあるらしい
・ジャーティ間の分業体制をジャジマーニー制度Jajmaniと呼ぶ
  不浄カーストはトイレ掃除をすることで、文字通り不浄であることを示す
  伝統的には、こうした分業体制の中で貨幣はほとんど流通しなかった
・貨幣経済が浸透した現在、ジャジマーニー制度の維持は難しくなっている
  1)貨幣で何でも買えるから
  2)旧来のシステムの中にない新しい職業がたくさん生まれているから
  3)村落が都市に組み込まれて従来の結びつきが弱まっているから
  →ジャジマーニー制度がなくなったわけではないが、カーストは曖昧で可換になっている

・カースト上昇(カースト制度の存在を利用する)
  ある人が上に行こうとすると、3つのやり方がある
    1)上のカーストに行く(だが非常に困難)
    2)そのカーストの地位向上を図る
    3)カーストを捨てて外でキャリア構築する
  2)の例:酒造カーストは地位向上を図ってきたが、経済的向上と清浄/不浄は別だった
    →菜食主義を採用するなど、高位カーストの実践を取り入れ始める
    →バラモンに高額の金を払って浄化してもらい、清浄さを入手(経済→地位変換)
・カースト間紛争
  低位カーストのPanは経済的に酒造カーストのような手法が採れなかった
    →寺院に入れないので、自分たちで寺院を作って「清浄」をアピール、しかし認められず
    →公務員の割当枠を利用してその中に入った??(p.181、意味分からず)
    →バラモンは地位向上を認めていないが、公的セクターからバラモンに権力行使できるように
・つまり、経済や儀礼上の向上は可能だが、地位向上とは別の話ということらしい

・現代インドでのカースト制度:変化を余儀なくされている
  1)新たな職業の登場
  2)雇用が能力主義に
  3)政府が公共セクターへの雇用などで積極的にカースト間の差異をなくそうとしている
  4)互いが顔見知りでない「都市」化で、スティグマから逃れることが可能になっている
・ヒンドゥー主義の中でもカーストをなくそうとしている
  ガンディーが不可触民をハリジャン(神の子)と呼称
  さらにそれを否定しつつ不可触民の団体がカースト制度の撤廃を要求
  ただし、まだ根強く残っている

・階級
  生得的だが、階級間の移動もよくある
  多くの社会に見られる
  内在的な視点emicでは、獲得されたものと見られている
・マルクス主義の階級
  ブルジョワジーあるいは資本家(生産手段=土地、機械、工場などを所有)
  プチブル(生産手段を所有しているが、0~数人の雇用)
  労働者
  他には、貴族(土地所有で働く必要なし)、ルンペン、無職者など
 →では公務員や教師、研究者などは労働者か?うまく分類できないかも
・ウェーバーの社会階層social strata論では、経済の他に政治的、知的な力という軸を導入

・資本制の導による社会変動:プエルトリコ・サンノゼでのコーヒー・モノカルチャーへの移行(Wolf, 1969)
  土地所有者がコモンズに対する支配を強化
  →すべてが商品に、小規模自営農業者が労働者に
  →社会に階層分化が起きる
    (1)小規模自営農peasants
    (2)少数の人を使って生きるのに必要な以上の生産を行う中規模農家
    (3)自分の労働力を売る農業労働者rural labours
    (4)コーヒー農園を大規模に経営する地主

・文化階級
  多くの人がホワイトカラーになった現代社会では、資本の有無では階級を見分けづらい
  ヴェブレンの「顕示的消費」:ステータスシンボルの購入
  ブルデューのcultural classes:支配階級=「趣味のよさ」を定義できる階級
    必ずしも経済力とは一致しない。文化資本は教育歴と出身階級に依存
    →この階級は移動できる。カースト上昇を試みた醸造カーストを想起せよ
・ただし、どんな価値(文化、経済、政治……)が重視されるかはコンテクストによる

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