実家に帰って父・妹と知多半島に1泊で出掛けました。2日は雨でしたが夕方から晴れ、3日は快晴。
南知多にある豊浜魚ひろば。
いくつかの鮮魚店が入ってる施設です。で安い。半島の反対側にもう一つ有名な市場があるが、地元通によるとそちらはちょっと高く、干物が機械干し。こちらは天日干しで作っているとのことでこちらが推されていました。
ホテル小野浦。いつ、どういうきっかけで弊管理人の行くべきところリストに入ったのか覚えてませんが。
結構年季の入ったホテルではあるものの、部屋!いいやん
夕飯もヒラメの薄造り、メバルの煮付け、あわび、知多牛、エビフライなど地のものが出てきてどれもおいしかった。何より温かいものが温かい状態で出てくるのがよい。穴子の炊き込みご飯をひつまぶし風に出汁をかけて食べてフィニッシュ。老人もいるので一番安いプランにしましたが、それでも完全に満腹。
朝もおかず過剰+お櫃ごはんで食べ過ぎの危険。
温泉はヨードの緑色で熱すぎず快適でした。
貸し切り予約制(無料)の外風呂は温泉ではありませんが、解放感すごい。
普段あまりホテルの感想を述べない父が「わりとよかった」と言っていたのでここはよかったんだと思います。
知多半島で目当ての一つだったINAXライブミュージアム。渡米前、ずっと閉館して直していて行けてなかったところです。
ちょっと期待しすぎたか。きれいだが「ほほう」くらいでした。
常滑の焼き物散歩道を歩きたかったけど、快晴の連休後半初日だったせいか駐車場に入れず断念。カレーうどん食って帰りました。
母方実家も定点観測。104歳の祖母はデイケアで不在。
「頑張ってご飯作らなくていいから」と言っていたのですが伯母の料理は相変わらず健在。今回は中華でまとめたとのこと。
和菓子屋のいとこも来て近況アップデート。
ご当地チェーンのスーパー、ツルヤで買い出しして戻ります。
南アルプスはだいたいいつも通り。
しかし実家、2003年に亡くなった祖父の名義のままらしい。相続とかの問題がやや迫っており、心の準備は必要そう。親族間でもめるという意味ではなく、手続きが面倒そうという意味。
新宿に帰るバスは途中まですいすいだったが、事故渋滞で1時間遅れた。
父が持たせてくれたが食べきれなかったおにぎりは出勤日の5日に職場で消費。
6日は連れ立って国立新美術館の「リビング・モダニティ」展を見に行きました。
午前中で、しかも雨天の連休最終日だったせいか、地下鉄も美術館もそこそこ空いていて快適でした。展示も結構よかったです。連れは建築学科卒で、展示されてる図面を細かく見て「すご~」と言ったりしており、ちゃんと勉強した人は見方が違うなと思いました。そして弊管理人も一度ちゃんと勉強したほうがいいなと(何度目か知らないが)思いました。
昼飯はたまたま帰りに通りかかったPARIYA。
デリのセットで2000円はちょっとなと思ったものの、食べてみると弊管理人の自炊に絶対出現しない味。フルーツのサラダはこの後への期待を高める絶妙のイントロダクション。干豆腐とセロリも意外だが爽やか。豚と納豆って普通合わせないでしょ!(賛辞)、トマトと生姜のスープは珍しく食ってる合間合間に飲みたくなるスープ。味、量とも大変満足しました。
この時間帯から職場とやりとりが始まり、まあ実はこの案件はするっと通らないだろうなと覚悟はしていたのですが、連れと別れて帰宅してPCの電源投入。
現業の担当者には昨日の段階から「たぶん昼過ぎから夜まで連絡いくのでよろしく」と言ってあり、最も作業が混むタイミングで「ちょっとスタンバイしてて」とチャットで投げたのに、それに既読を付けた上で事情も言わずに1時間余り音信不通になりやがった。その間にミスも発覚したがなお連絡つかず。お前なんなん?(怒)
結局弊管理人が「これ現業の役割だろ」みたいなこともやり、職場で出番の兄に迷惑もかけつつ、結局21時半ごろに収束しました。
ジムで発散して、ちょうど涼しい夜だったので湯船に浸かってスヤァ
* * *
◆ミシェル・フーコー(小林康夫他編)『フーコー・コレクション フーコー・ガイドブック』筑摩書房、2006年。
フーコーの入門書は相変わらず出続けているが、今まで出会ったものはどれも「わたしのフーコー」で何かちょっと全体像を見た感じがせず、で、どれから読んだらいいの?(+やっぱ頑張って読んだほうがいいの?)という当惑は解消されないままアラフィフを迎えてしまった。
講義録ならとっつきやすいか?と随分前に出ていて存在は知っていたこのコレクションに目を向け、そしてやや道を間違えてガイドブック巻に辿り着くという。
この本は(1)駒場フランス現代思想系の人たちによる主要著作の解説と(2)1970-1982年にコレージュ・ド・フランスで行った講義のまとめ報告、そして(3)長く連れ添った社会学者が書いた年譜、で構成されています。
(1)解説は解説に徹していて、簡潔で掴みやすい。(2)の活動報告は年を追うごとにフーコーが何に関心を持ち、それがどう移り変わっていったかを本人の言葉で辿れてとても面白かった。予想外だったのが(3)で、一見オマケのようなので飛ばしてしまいそうになったが、生まれてから死ぬまでのエピソードを近くでずっと見てきた人ならではの細かさで駆け抜けており、ものすごく面白い伝記だった。面白かったというのは(1)(2)にも通じるが、権力や管理のように身体に内外からねっとりと絡む不可視の力を掴み出すという狙い、歴史という方法の一貫性を保ちつつ、一方で「臨床医学」「監獄」「戦争」「人口」「告白」「自己陶冶」と移り変わるテーマ(や、「エピステーメー」など特定の用語をある時から使わなくなる様子)を順番に見られて見取り図が得られるところ。そして(3)はフーコーが生きた時代、誰と交流し、どういう社会問題に直面したのかという、「書いたこと」を取り巻く環境まで見えるところが特に新鮮だった。
フーコーが死んだのは弊管理人が小学校に上がった年だったので、実物を見る機会どころか同時代のマスメディアを通じて評判に触れる機会もなく、「わかる」という感じがない。この点、留学先のニュージーランドで講演を聞いたデリダや、大学の授業中に教授が「亡くなったそうで」と言って教室がざわついたルーマンと多少違って「気がついたら仕事をし終えていた人」である。後から「この人なにした人?」を知るには、もう十分勉強した人から「わたしのフーコー」を披瀝されるより、こういう編年体の本がええな、と思ったのだった。「 」とか〈 〉を使いすぎだが。