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2017年12月 アーカイブ

2017年12月31日

2017年まとめ

今年まとめ。

1月 初夢で叫ぶ。カーシェアリングで温泉など何回か
2月 尿路結石で救急搬送。痛かった
3月 猿島だの岡本太郎だの小さなおでかけを繰り返していた様子
4月 京都・原谷苑での花見と大阪の民博が楽しかった
5月 ドイツ出張で前担当一区切り。QOLが向上
6月 帰省、佐原・香取、モスクといろいろ出かけた
7月 札幌、福岡といろいろ出かけた。1年前から読んでた本を読了
8月 王が頭ホテル、横須賀美術館、種子島といろいろ出かけた
9月 迷走の結果、夏休みは潜伏キリシタン巡り。次回は早めに計画しよう
10月 駆り出された仕事で終わった
11月 金沢に行ったほかはなんとなくペースを取り戻せず終わった気がする
12月 台北、清里でフィニッシュ。最後に体調崩したけど1日で回復

仕事は5月まで高ストレスだったので、後半は流してしまいました。来年はもちっと。
前厄でしたが、体調はそこまで悪くなかったですかね。尿路結石はたぶんストレス。
友人とのお出かけで楽しい週末が多かったです。
飲食店の探究欲は薄くなったかな。

来年は結構楽しかった今年よりもっと楽しく過ごしたいと思います。
あと何か1個2個、新しいことをしたい。

2017年12月28日

国際法(2)

きのう机上の整理をして帰ってきたこともあり、仕事納めの本日は出勤する必要がなさそうだったので家でネット経由の仕事をしてました。

で、本の続き(実はもうとっくに一度読み終わっていて、メモにするのを怠けていただけなので、着手すると速い)。環境だけでなく海、宇宙、感染症のお話もそういえば国境を越えるわけで、今年の仕事は本当に国際法と関連したものが多かったと感じます。
なんか職場では年明けからの担務の再編が噂されているようで、またなんか変わるのかね……まあいいけど。

(1)はこちらです。
(3)はこちら

* * *

【5】国家の国際責任(国家責任)

・義務違反(国際違法行為)の責任を問われる「者」
  国家、国際組織(PKO部隊など)、個人(戦争犯罪人など)
・国家はなかなか国際違法行為を認めない
  →対抗措置や報復、ICJへの付託、好意によるex gratia金銭支払い(第五福竜丸など)

・戦争が違法でない時代は軍事措置で片付けていた
  →19C以降、アジア、アフリカ、南米進出した欧米諸国民の外交的保護に起源
  →欧米は自国民の被害を、国内法の問題ではなく国際法違反とすべきと主張した
  →戦後、ILCの法典化作業で「国家責任条文」(2001採択)。未発効だが重要文書

・国家が国際違法行為をしたということの条件
  (1)その行為が国際法上、国家の行為とされる(公務員の行為、私人の行為の追認)
  (2)その行為が国際義務の違反を構成する(大使館や大使館員保護の義務違反など)
  eg. テヘラン大使館人質事件(1979)。ホメイニが学生の占拠を支持したことに対して

・違法性阻却事由
  ・事前同意
  ・自衛(国連憲章51条)
  ・対抗措置(他国の義務違反に義務違反で対抗する。ただし武力は×)
  ・不可抗力(自然現象や戦乱などで無理)
  ・遭難(人命救助の最後の手段として。eg. レインボー・ウォーリア号事件(1985))
  ・緊急避難(重大・急迫な危険から守る。eg. トリー・キャニオン号事件(1967))

・責任追及は被害国ができる
  ・外国船舶の領海侵犯→国家の威信のような精神的損害でもOK
  ・国際社会一般の利益を根拠に第三国が追究できるとまでは考えられていない
    (国家責任条文48条ではできそうだが、課題多し)
・国民が被害を受けた場合は→私人は国家責任を直接追及できない
  ・被害者の本国が、外交的保護権の行使で追及することはできる
  ・ただし、次の2要件を満たす必要あり
    (1)国籍継続の原則=被害者は継続してその国の国籍を持っている
    (2)国内的救済完了の原則=被害を受けた国内で法的な手を尽くした

・責任の果たし方:国際請求の様態
  ・当時国間での「交渉」
  ・第三者を介した「仲介」
  ・第三者を介した「調停」
  ・国際裁判への提訴
・責任が認定された場合の対応:国家責任の解除
  ・国際違法行為の中止
  ・再発防止の保証
  ・生じた損害の賠償
    ・違法行為の結果の除去
    ・原状回復(最も基本的。テヘラン人質事件なら大使館の明け渡しと人質解放)
    ・金銭賠償(被害算定と支払い)
    ・サティスファクション(陳謝、違法行為の確認、責任者の処罰)
  →これらの組み合わせで国家責任を解除する

【6】国際組織の発展と役割

・誕生
  ・三十年戦争→ウェストファリア条約(1648)で国際法秩序の基盤(ただし欧州内)
  ・産業革命→人や物の移動活発化→越境活動の規律する枠組みの必要性
  →欧州の河川管理のための「国際河川委員会」が初の国際組織
   ライン川中央委員会(1831)、クリミア戦争後のヨーロッパ・ダニューブ委員会(1856)
   感染症蔓延を防止する国際衛生理事会(コンスタンチノープル)→WHOへ

・19世紀後半:多分野での問題を国際的に処理する「国際行政連合」相次ぐ
  ・国際電気通信連合(1865)、万国郵便連合(1874)。WIPO,GATT-WTO、FAO,WHOの元も

・WWI→「(加盟国が)普遍的」かつ「(権限が)一般的」な国際連盟の誕生へ
  ・紛争の平和的解決、軍縮、人道的任務までが対象に
  ・ロカルノ条約(1925)、不戦条約(1928)→平和・秩序維持を連盟が担う
→しかしWWII→国際連合

・国際組織とは
  ・国家が構成員(この点でNGOと違う)
  ・国家間の合意(国連憲章、ユネスコ条約などの設立条約)が基礎
  ・一定の機能を遂行するための機能的団体(この点で国家と違う)
  ・常設的な機関をもつ(この点でアドホックな国際会議と違う)

・国際組織の類型
  ・普遍的組織(加盟国が地理的に限定されない)/地域的組織(EU、OAUなど)
  ・一般的組織(国連、AUなど)/専門的組織(ユネスコ、アジア開発銀行など)
  ・政治的組織(平和・安全維持を目的としたNATOなど)/非政治的組織(国際協力)

・課題
  ・WTO、IMF、IBRDによる環境破壊、文化的画一化を批判するNGOの声も
  ・アカウンタビリティの要求

【7】海と宇宙

・海や資源が有限だとの認識
  ・スペイン、ポルトガルの「全世界の海の領有」vs誰でも利用可とする英蘭の「自由海論」
  ・外国軍艦から沿岸を守るため、実効支配可能な範囲は領有できるとする「閉鎖海論」
  →調整の結果としての「公海自由の原則」。海=狭い領海+広い公海

・WWII後、漁業・海底開発の技術発展で修正必要に
  ・領海の幅3海里→12海里
  ・沿岸隣接の漁業資源や大陸棚開発の権利を主張するトルーマン宣言(1945)
    →排他的経済水域、大陸棚制度へ

・→包括的に扱う「国連海洋法条約」(1982採択、1994発効、日本批准は1996)
  ・領海(12海里)=領土と同じく主権が及ぶ。無害通航に関する法制定も可
  ・接続水域(基線から24海里)=違法行為を行った船舶を拿捕、処罰できる
  ・排他的経済水域(基線から200海里)=漁業資源など経済的利益について主権的権利
  ・大陸棚(200海里超の陸地の延長)=天然資源開発をする主権的権利
  ・公海(EEZの外側)
  ・深海底(大陸棚の外側)=人類の共同の財産。国際海底機構が管理
・ほか、紛争解決の国際海洋法裁判所などの制度も

・船
  ・船舶の国籍(船籍)をもち、公開状では旗国の管轄に服する「旗国主義」
    ただ、便宜船籍(パナマ、リベリアなど税金が安く、安全基準が緩やかな国)も多い
  ・海賊船や不審船(旗国の不明示/偽装)はどの国も臨検、逮捕できる
  ・潜水艦は領海では浮上、国旗掲げる必要。軍艦は各国で対応ばらばら
  ・海峡ではすべての船舶、航空機について無害通航権より緩やかな通過通航権

・国家間の対立
  ・日韓間のEEZは日韓漁業協定(1999)で調整
  ・日中間のEEZは日中漁業協定(2000)で
  ・大陸棚:白樺(春暁)ガス田開発(2004)→共同開発で合意(2008)
  ・沖ノ鳥島

・公海での漁業にも制限
  ・国連公海漁業実施協定(1995採択、2001発効、2006に日本にも効力)
    ストラドリング魚類(タラ、カレイなど)、高度回遊性魚類(マグロ、カツオなど)
  ・国際捕鯨取締条約→国際捕鯨委員会(IWC)。豪州による日本提訴

・宇宙
  ・ソ連の人工衛星打ち上げ→米ソの宇宙開発時代に
    →国連の宇宙空間平和利用委員会でルール作り→宇宙条約(1966)へ
  ・宇宙空間は国家による取得の対象にならないが、基地建設や資源開発はOK
  ・月協定では、月は「人類共同の財産」とされた(ただし批准は10数カ国のみ)
  ・宇宙空間は平和目的のために利用しなければならない
    ただしICBMの打ち上げ、軍事衛星の配置は禁止されていない
    *月は軍事基地、軍事実験とも×

・課題
  ・静止衛星軌道(高度36000km)の過密→利用ルールがない
  ・宇宙での商業活動の規制
  ・デブリなど宇宙の環境問題

【8】環境問題

・国際的な環境法
  ベーリング海オットセイ事件の仲裁判決(1893、英vs米)=生物資源の保護
  農業のための益鳥の保護のための条約(1902)
  トレイル溶鉱所事件(1941、米vs加)=大気・土壌汚染。しかしまだ伝統的規則の援用
・ストックホルム人間環境宣言(1972)
  リオ宣言(1992)
  持続可能な開発に関するヨハネスブルグ宣言(2002)

・環境条約
  ・個別分野で非常に多数の条約と、法的拘束力のない文書(ソフトロー)が重要
  ・枠組条約(一般的な目的や原則の規定)→具体的な「議定書」で具体化と履行確保
   eg. ECE長距離越境大気汚染条約(1979)→ヘルシンキ議定書(1985)
      オゾン層保護条約(1985)→モントリオール議定書(1987)
      気候変動枠組条約(1992)→京都議定書(1997)
      生物多様性条約(1992)→カルタヘナ議定書(2001)と名古屋議定書(2010)
  ・枠組条約に加わった国が議定書にも入る保証はないことに注意
  ・ソフトローを出す主体としては普遍的/地域的国際組織の役割が重要

・環境を巡る争い
  ・金銭賠償は十分でない
    (1)条約が規律する範囲外だと国家責任法の厳格な規則が適用される
    (2)予防、差し止めの権利が予定されていない
    (3)回復不可能な損害を補填できない(チェルノブイリなど)
  ・防止的措置
    ・事前通報、協議、同意(バーゼル条約)
    ・環境影響評価(ECE条約、南極条約、生物多様性条約)
  ・予防的アプローチ(予防原則)
  ・解決は二国間の枠組にそぐわないことが多い→締約国会議へ

・経済格差→「共通だが差異ある責任」(リオ宣言)
・GATT,WTOと環境を理由とした貿易制限の調停→今後の議論

2017年12月27日

国際法(1)

去年から今年の前半までの仕事では条約や国際交渉のことをずいぶん扱ったので、「あれ一体何だったの」という整理というかおさらい(←今更ともいう)。有斐閣アルマやストゥディアなど、最近2年以内に新版が出ている初学者向けの本をいくつかめくってみて、情報はしっかり入っていて(必須)、かつ読みやすい(副次的)だろうと思ったのが本書。

2ページで「地球上のすべての国家を当事国とする多数国間条約は未だかつて一度も存在したことがないし、これからもおそらく存在しないだろう」といっているのを見るにつけ、197カ国・地域が署名し、着々と締結してるパリ協定ってすごいんですねという思いを新たにします。

(2)はこちら

■植木俊哉編『ブリッジブック国際法[第3版]』信山社、2016年。

【1】国際社会におけるルールのかたちとはたらき

・国際社会≠国内社会
  ・立法機関、行政機関がない
  ・規範は自生的な性格をもつ→規範が常に問われ、解答も時代とともに変わる
  ・政府が存在しない。分権的社会

・国際社会における国家の行動を規律する規範=国際法の「法源(存在形態)」
  (1)条約=国家間の文書による合意
  (2)国際慣習法=すべての国家に適用(公海自由の原則、領空の無許可飛行の禁止)
  (3)文明国が認めた法の一般原則=各国内法の共通原則で国際関係に適用可能なもの

・国際慣習法の成立要件
  (1)一般慣行=大多数の国家による反復的な作為/不作為
  (2)そうした作為/不作為が法によるものだという「法的信念」
  *ただしいつ成立したかわかりにくい。内容も不明確→法典化(ベンサムが提唱)

・法典化
  ・代表例はハーグ平和会議(1899,1907)とハーグ国際法典編纂会議(1930)
    ←このころ、複数国家で取り組むべき問題、利益の存在が認められたため
  ・今日の法典化:国連総会の補助機関、国際法委員会(ILC,1947) が担う
    例)外交関係に関するウィーン条約、条約法条約など

・国際法における二つの規範
  (1)任意規範=当事者が合意すると逸脱できる
  (2)強行規範=当事者が合意しても逸脱できない
    ←国際社会にはないとされてきたが、条約法条約(1969)53条で存在確認
      強行規範に抵触する条約は無効(侵略戦争、植民地支配の禁止など)

・条約が及ぼす国内法体制への影響(各国の裁量)
  ・国内法の改正(例:女子差別撤廃条約→戸籍法改正で父母両系血統主義に)
  ・行政措置での対応
  ・解釈による抵触の回避

【2】条約

・最古の条約はBC3000頃のメソポタミア都市国家間
・今日的な条約の期限は17C中葉の西欧。対等な主権国家間の合意
  →私人間契約に似たものと考えられた(ローマ法の影響、私法類推)
  →二国間条約はこれでいいが、多数国間条約はそうもいかない

・合意は拘束するpacta sunt servanda
  ・条約は結構よく守られている(あまり脆弱なものとみてはならない)
  ・守らないときでも、国家は国際法の考え方を使って自分を正当化するもの
  ・守るのは、法制定者も法の適用対象者も国家だから(守らないと対抗措置も)

・手続き
  全権委任状を持った国家代表による外交交渉
  →条約文の採択、署名(条約文の確定)
  →条約の批准、批准書の交換や寄託(国家が拘束されることの最終的同意)
  →条約の発効

・外交の民主的コントロール
  .秘密外交の廃止、14カ条の宣言(ウィルソン、1918)
  *ただし、迅速な手続きでいいものは「行政協定」。議会承認なし
・日本:内閣は条約を締結するが、国会承認を経ること(憲法73条三)
  法律事項や財政支出を含むものは国会承認が必要(大平三原則、1974)

・留保
  条約全体の趣旨には賛同できても、特定の規定内容が国内事情と合わない場合
  →署名、批准の際に特定の法的効果を排除/変更する声明
  eg.日本の不戦条約1条と明治憲法、社会権規約(1979)
  ・できるだけ多くの国が締約国になれば条約の普遍性が上がるので許容される
  ・ただし条約の核心にかかわる留保は認められないのでは?
    →両立性の原則
      当事国ができるだけ同じ権利義務に服する「一体性」と
      できるだけ多くの国が当事国になる「普遍性」の均衡点を探ること
  ・国連海洋法条約や国際組織の基本条約のように、留保禁止の条約も存在
    →ただし、許される複数解釈の一つをとる「解釈宣言」で切り抜ける手も

・条約は第三者を害しも益しもしないpacta tertiis nec nocent nec prosunt
  が、政治的な影響は及ぼしうる。eg. 周辺事態法(1999)
・第三国への義務は書面による同意が必要だが、権利付与は拒否がなければOK
・条約が国際慣習法化した場合は例外(条約法条約38条)

【3】国際法主体としての国家

・国家:「領土」「人民」「政府」が3要素
・ただし20世紀初頭までは「文明国」のみが国際法上の「国家」とされていた
  →アジア、アフリカは「無主地」として植民地支配が正当化された
  →民族自決の原則が確立し、修正
  →信託統治地域(国連憲章11章)もパラオの独立(1994)で終了

・国家の誕生、変更、解体
  ・国家の承認は、国連加盟の承認とは別→既存の国家が個別に行う
    外交関係の樹立(両国間の合意)とも別の「一方的行為」
    通告や宣言による「明示的承認」と、条約締結などによる「黙示的承認」あり
    eg. 日本の東ティモールとの外交関係樹立は黙示的な国家承認
  ・国家の変更:非合法な政府交代(革命、クーデター)が起きた場合
    他国による政府承認(一方的行為)が必要
    ただし国内問題への干渉という意味合いを持ってしまう
    →最近は外交関係の維持/樹立/断絶で処理(政府承認の廃止傾向)
  ・解体、消滅:旧ユーゴ、東西ドイツ統一、チェコとスロバキアの分離独立など
    →旧国家の権利義務、財産や債務は?―「国家承継」の問題が発生する
    (1)従属地域が新独立国になる場合→白紙。クリーン・スレート理論
    (2)結合や分離の場合→包括承継
    *ただし、このルールは広く支持されているわけではない

・国家が一般に国際法上もつとされる「基本権」
  =独立権、平等権(→主権平等原則)、名誉権、国内管轄権(→内政不干渉原則)
・友好関係原則宣言(1970)での7つの基本原則
  武力不行使、紛争の平和的解決、国内事項不干渉、国家の相互協力義務、
  人民の同権および自決、国家の主権平等、憲章義務の誠実履行
・さらに自衛権、外交権、使節権など

・国家の平等とは?
  ・国際法の定立における平等
  ・国際法の適用における平等(法の下の平等)
    ←戦争の違法化、武力不行使義務で「力」の差に起因する不平等が解消した
    *ただしICJ判決の安保理による強制執行は、常任理事国に対しては事実上無理
  ・権利義務の内容に関する平等
    現代は、武力を背景にして締結された条約は無効(条約法条約52条)
    →19世紀の不平等条約のようなものはできにくくなっている
    ただし、具体的な権利義務がすべて平等というわけではない eg.京都議定書

・主権の及ぶ空間
・排他的領域主権
  ・領土
  ・領海(陸地から12海里)+内水=領水(外国船舶は無害通航権あり)
  ・領空=領土と領水の上空(外国民航機には協定に基づく飛行の権利あり)
・主権「的」権利
  ・排他的経済水域
  ・大陸棚
・公海、深海底、南極、宇宙は特定の国の排他的権利が及ばない

【4】外交官と領事館

・外交官=自国を代表して他国との交渉や決定に参加する
  大使など「使節団の長」と使節団の外交職員を指す
・外交関係に関するウィーン条約(1964発効、日本は1964批准)
・外交使節団=外交職員(外交官)+事務・技術職員+役務職員
  仕事は「本国を代表して行う任務」+「自国民の保護」

・領事官=各地で本国と自国民の利益、権利を守るための活動を行う
  +派遣国の国民への旅券、査証発給+国民への援助(相続、後見など)
・領事関係に関するウィーン条約(1963採択、1967発効、日本は1983加入)

・外交特権
  ・根拠は「職務遂行に必要な範囲で認められる」とする「職務説」が有力
  ・外交使節団への特権:公館の不可侵、公館への課税免除、書類の不可侵…
  ・外交官への特権:身体の不可侵、裁判権からの免除、租税の免除…
・領事特権
  ・もっぱら「職務説」
  ・特権は外交官より限定

・瀋陽の日本総領事館への脱北者駆け込み事件(2002)
  庇護を求める第三国の人を保護する権利を国際法上有するのか、という
  「外交的庇護」の問題を提起
  (*自国の領域内に逃れてきた個人を領域主権で保護するのは領域的庇護)
  ・領域国の主権侵害vs人道的配慮
    →外交的庇護が国際法上の権利として確立するかは今後
  *ただし、あくまでも庇護を求める人ではなく、国家の権利であることに注意

・国家元首、首相、大臣の特権
  ・戦争犯罪や人道に対する罪を除き、他国の裁判管轄権からの免除あり
    ただしピノチェトに対するスペイン→英国の引き渡し請求(1999)で議論に
    民族ヘイトのコンゴ外相に対するベルギーの逮捕状発給→2002ICJ判決も

2017年12月26日

パソコン買い換え

2012年に買ったVAIOの調子にむらが出てきたので、PCを買い換えました。
10年ぶりくらいにデスクトップ。Lenovoのideacentre510S(90GB0046JP)ってやつです。第7世代Core-i5、8GBで52888円。それとLGのモニタ22MP48HQ-Pを11980円で、前のノートと同じくらいの値段になりました。

デスクトップにした理由は主に2つ。

(1)机上のスペースを広くするため。PCを置いてある勉強机で飯を食ったり会社ノートを置いて仕事をしたりしていると、ノート置きっ放しは狭い。フットプリントはモニタの台のほうがはるかに小さいし、デスクトップのキーボードは邪魔なときは寄せておけます

(2)大きいモニタが欲しかった。大きいといっても21.5インチですけど。ちっちゃい画面はだんだん目がつらくなってきたのと、複数の画面を並べて作業するのって楽だなと会社の23インチを見ながら思っていたため

で、やっとWindows7→10になりました。そんなに難しいことはしないので特に困りません。
あと、無線LANを使い続けようと思ってUSB接続の子機アダプタ(ELECOM, WDC-867SU3S)を1490円で買いましたが、速度は40Mbpsくらいだし、高頻度で切れる。5mのケーブル(MCOのカテゴリ6A、ビックカメラで510円)でつなぐと90Mbpsくらい出で、当然切断もありません。本体の動作も相当軽くなりました。USBポートを通信に使うのはかなりの負担になっていたのかな?

モニタは画面が時々若干暗くなるんだけど、これは付属のHDMIケーブルの問題か、馴染み(?)の問題か……と思っていたら、エネルギーセーブ機能のせいでした。気になるので解除。

音は引き続きFMトランスミッターで飛ばしてコンポから聞いてます。
まあこれは当面このままでいいか。

* * *

25日の昼飯後、急に体調が悪くなり、帰宅してから深夜まで3回吐き、熱も出ました。
27日から鹿児島に出張することになっていたところ、この体調だとマジヤバイと思っていましたが、その出張案件が1月以降に延期になりました。奇跡が起きた。
先方から「ホントすみません」とお電話をいただいたのですが、「いえ万全を期してのことですから」と答えた声が弾みすぎていたのは否めない。

疲れがたまっていたところに、質の悪い鶏肉を食べたせいではないかと疑っています。2008年の12月末にも、やはり食べ過ぎで急性胃腸炎になってる。腹も身のうち。

* * *

■岡田匡『糖尿病とウジ虫治療―マゴットセラピーとは何か』岩波書店、2013年。

2017年12月19日

大阪出張

土日で大阪に出張してきました。
2日間、ひたすらインプット。
1日目の夜に、「旧ヤム邸」でカレーを食べてきました。
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キーマとしゃばしゃば系が混ざってますかね。
スパイス、すごくうまい。

2日目の夜も、新大阪でピッコロカレー食べてしまいました。

* * *

月曜に信濃町で仕事して外に出たら、夕焼けがきれいでした。
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人の生き血をすするオリンピックのスタジアムも着々と。

2017年12月10日

高原の忘年会

恐らく今年最初で最後の忘年会に土日で行ってきました。
場所は、山梨の清里。
メンバーは、今年いろんなところに出かけた気の置けない人たち、計7人。
(あ、いや、1人は今までよく知らなかったこともあってちょっと敬遠気味だったのだけど、2日間一緒にいてみたらとてもいい人でした)
前日、東京は雨、当地は雪が降ったようですが、土日とも快晴で山がはっきり見え、最高でした。

清泉寮というところで、暖炉のついたコテージを借りて自炊。
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行き当たりばったりで道すがらスーパーに寄ったのですが、結局シチューとか焼き肉とかに落ち着きました。
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シチューと暖炉ってすごく合うね!
深夜まで飲酒しました。
お風呂も広くて、星空がきれいで、遠くに街の灯りも見えてきれいでした。

朝は富士山と日の出を見ました。日の出は6時半頃ですが、山の上に出るのは7時前。
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平沢峠の駐車場から見た八ヶ岳は壮観そのもの。
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国立天文台の野辺山電波観測所の見学もさせていただきました。
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45mの電波望遠鏡は圧巻です。
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正面からは大きすぎてフレームに収まりません。
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そのあとシャトレーゼの工場を見て、これまた景色のいいサントリー登美の丘ワイナリーを見て、
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昇仙峡、ほったらかし温泉を堪能して帰ってきました。
宿以外はほぼノープランで出かけたのですが、終わってみると遊び倒した2日間でした。
冬の八ヶ岳ってどうなのかなー、冬季閉鎖の道も多いしスキー場はまだだし、と思っていましたが、天気にさえ恵まれればどちらを向いても絶景です。

途中で仕事関係でなんかやな感じのメールが入ったのを見てしまいましたが、休日に仕事のことを考えたくないので、以後メールを見るのはやめました。

楽しかった。

2017年12月06日

台北(2)

228公園のつづき。
前回は休館日の月曜訪問だったため見られなかった国立台湾博物館も見ました。
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あまり展示は多くないんだけど、自然史と原住民の比率が大きい気がした。
それにしても、それぞれ体系的に研究し始めたのが日本人だったらしい。ほんとに台湾の20世紀史のいろんなところに出てきますな、日本。

公園の近くには塾がいっぱい。
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「東大理III合格!」みたいなやつか。どこも大変だねえ。

ふらふら歩いて着いた中山堂は、日本が「負けました」文書を陳儀に渡した場所。
「光復」の原点ですね。
中を見ていたら、オールジェンダートイレが。初めて見た。
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左の人型のところには、Everyone can use this toilet safely, regardless of gender identity or expression.と書いてあります。進んでんな~

MRTの終点まで乗って、動物園に行きました。
ロープウェイに、と思ったんだけど、あまり天気がよくなくて。

パンダがいました。生は初めてかも。中国って台湾にもパンダ貸してくれるの?
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飯食ったりぐったりしたりしてるだけできゃあきゃあ言われるなんてお気楽ではないか。
しらんけど。
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売店はやはりパンダ激押し。トイレの鏡もパンダ柄でした。

中心部に戻ってきて、中正記念堂の春水堂で混ぜそばみたいの食べました。
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花椒がきいててすごいうまいよ。確か100元くらい。
あと、タピオカミルクティーね。台湾のドリンクってどれもでかくない?

松山で服屋さんの街を見学。
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なぜ川越?
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うずらの卵を焼いて串に刺して売ってるおばさん。
同じような色合い、柄の服を着たおばさんが2人、横にいますが、フランチャイズなのか、こういうファッションが流行りなのか。
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慈祐宮は何やら爆竹など鳴らしてました。
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饒河街観光夜市は、道一本で分かりやすい夜市でした。
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しかし、メシを食うほどの腹の余裕もなかったため、台北駅まで戻って、Drip Cafeへ。
在台湾友人に「イチゴのクロワッサンいいよ」と教えていただいたためオーダー。
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がっつりwおいしかったです。
チーズステーキ(いわゆるステーキではなく、薄切りの牛肉とチーズがパンにはさまった、フィラデルフィア名物のアレです)も勧められたので、次ね。

最終日は北投の「瀧之湯」で温泉に入ってきました。
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銭湯なんですけど、ちゃんとした温泉で気持ちよかったです。
「アツイヨ」と言われましたが、42度くらいなのでそこそこ入っていられます。

国立台湾大学もちらっと見てきました。
ちょうど直前の仕事でお話した九州の某先生が「うちの父親、台湾大出たんだよ」と言ってらしたのもあって、ここかあと。校史館というのがあって、史料を見ることもできるようです(ちょうど何かのパーティをやっていて、あまり見られなかった)。
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図書館に続く椰子並木の長ーーい道が名物らしい。すんごい広いキャンパスなので、みんな自転車に乗ってます。
それにしても旧帝大の学生のファッションには何か共通点があるように思えますね……
大学の前の通りには眼鏡屋さんが多かったです。

学生街?の適当なお店に入って、牛肉あんかけご飯。
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盛りがいいのに90元。300円。ふえええ
でもこれ、春水堂のタピオカミルクティー(95元)より安いんですよね。
台北のご飯、普段使いと観光客向け/シャレオツ系の値段の開きがすごいと感じた。

お茶してたらいつの間にか飛行機の時間が迫ってきていたので、いそいそ空港へ。
中山駅の近くで買った「李製餅家」のパイナップルケーキを機内でつまみ食い。
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甘すぎず、ぼそぼそしすぎず、いいお茶のお供でした。

雨がちでしたが、Tシャツに1枚羽織るとちょうどいい20度弱で、過ごしやすかったです。
在台湾友人の連れ合い氏が「台北は空気が悪いので、老後は田舎がいい」とおっしゃっていて、弊管理人は「そうかな~?まあ言われてみればそうかも」くらいだったのですが、多分この乗り物が電化されていけば緩和されるんではと思いました。
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次は台中、高雄、いずれは東側にも挑戦したいものです。

2017年12月05日

台北(1)

マイル消化で台北に行ってきました。2泊3日です。

桃園空港から台北駅までの電車が開通してました。
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バスで90分かかってたところが35分。はっや!
乗り場で、空港往復と市内MRTの48時間パスで520元というのがあったので買いました。
それぞれ買うよりちょっと安い。

市政府駅に出て、在台北友人と合流しました。
「開飯川食堂」で、3人で取り分けるコースをご馳走になってしまいました。
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「開飯」は「いただきます」的な言葉だそうです。
川料理は四川料理。いろいろ出てきておなかいっぱい。しかもとてもおいしかったです。

台北101のほうまでお散歩に連れていっていただきました。
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こちら「點點心」は香港からきた人気の点心屋さんだそうです。次な。

今回、宿は西門駅の近くにあるECFAホテルというビジネスホテルにしてみました。
朝飯はどっかでお粥でも食べたいからいらないかな、と思いましたが、軽めのビュッフェがついてました。
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盛り付けの才能がないのはいつものことなので容赦いただくとして、弊管理人の好きな温野菜いっぱいで満足しました。味付けも濃すぎず薄すぎず、家庭の味って感じ。
ただし部屋は窓がなく、空調もうるさい(カードキーをソケットから外してすべての電源を落とすとファンも止まって解決した)ので、お勧めするかというと、しない。

西門は「若者の街」と言われましたが、確かにね。原宿というより新宿のちょっと悪めな感じです。
駅前にある紅楼は工事中のようでした。建物の中はおしゃれ雑貨屋がいろいろ入ってます。
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この裏側は何やらレインボーでした。
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前回、2014年2月に来たときに見られなかったものを見ますよ。
228記念館。「今日はタダの日」ということでタダで見られてしまいました。
日本語の音声ガイドをお借りして、聴きながら歩きます。
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1947年2月27日、闇たばこ売りのおばさん(と聞いていたが、この方は弊管理人と同い年であった!!!)が取締官に暴行されたのをきっかけに全土で暴動が起きて、戒厳令が40年も続きましたっていうだけの理解だったのです。はっきり言って。しかし展示を一通り見て、文脈がやっと分かった。
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話は1920年代から始まります。日本統治時代に、在日台湾人会、次いで台湾でも、台湾議会の設置を求めるなどの要求が起こりました。1927年には初の合法政党「台湾民衆党」が設立されます。また官選議員ではなく普通選挙を求めるなど、知識人を中心に民族意識が高まってきます。しかし、30年代後半には戦争が始まってしまい、日中が対立する中で「台湾人」意識を洗い流すために日本語=”国語”の使用を強制するなど、民族自決とは逆方向の圧力がかかりました。これが伏線です。
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終戦になって「やっと2級国民じゃなくなった!」と思ったら、入ってきた国民政府が今度は「北京語が国語だかんね」とし、参政権も制限。国のポストも外省人が多くを占めるなど、本省人の不満が高まっていたところです。
そこへ闇タバコ売りのおばさん殴打が起きる。当時、タバコは日本統治時代の流れで専売だったのですね。さらに、取締官に抗議していた市民が発砲で死んでしまう。しかし取締官は咎めを受けず、抗議のため専売局、さらに長官公署にきたデモ隊に憲兵が機銃掃射し、事態は収拾不可能になりました。
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すでに日本統治時代、台湾全土にラジオ放送網が整備されていて、1945年の終戦時には台湾の人たちも玉音放送を聞いていたそうです。その台北の放送局をデモ隊が乗っ取り、機銃掃射のことを全国放送します。ラジオのインフラ整備が完了していたからこそ、騒動は全土に広がったということ。本省人の取り締まりも行われましたが追いつかず、外省人への襲撃が散発します。「悲情城市」で見たシーンはこのときのものかな。そしてそのラジオ局が、いま記念館になっているこの建物だったのだあああああ

騒動は政治改革運動に発展。法曹関係者や議員らが台湾行政長官の陳儀と交渉し、事態が沈静化に向かうかと思われましたが、裏では陳儀側が国民政府軍の派遣を要請し、到着を待って態度を硬化させ、知識人への弾圧を進めました。いまだ行方不明の人がたくさんいるそう。

つまり、戦後、国民政府に対して台湾の知識人が要求した自治の水脈は、まさに日本統治期から流れてきていたのですね。そして”国語”は統治者が変わるたびに移り変わり、ラジオという先端メディアが一瞬で全土に火を付けた。

日本語で、しかも素人に分かりやすい解説本がないなーと思っていたのですが、記念館の売店で常設展示の解説パンフを買いました。100元。やっす!そしてこれはめちゃくちゃ買いです。1時間くらいで読めますが、これで大体分かります。
あと、ちょうどいらっしゃった日本語のできるボランティアのおじさん(自分の生年を「昭和26年生まれ」とおっしゃった。日本に住んだことはなく、台湾で勉強したそう。すごい)にいろいろ質問もさせてもらいました。いや来てよかった。ほんと。

興奮しておなかが空いたので、近くの「點水樓」で小籠包220元を食べました。
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上司お勧めのお店。あっはっは、うめえ~
あと、おやつにカスタード饅頭も。

つづく。

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