■山森亮『ベーシック・インカム入門―無条件給付の基本所得を考える』光文社新書、2009年。
ベーシック・インカムとは、生活に必要な所得を、無条件で、すべての個人に給付する政策なのだそうです。生活保護や雇用保険といった現在広く行われている所得保障にかわるものとして構想されています。
ご多分にもれず、弊管理人も「はあ?」と思いました。まず、無条件ですべての人に給付されるなら、誰も生産を行わなくなるのではないか。そんなお金はどこから出てくるのか。著者も最初にこの考え方を聞いたときは同じく嫌悪感をもったと告白されています。与党が突然これを軸にした社会保障の再編を言い出せば、このところの政治の常套句「バラマキ政策」「財源はどうする」と野党から激しい批判を浴びせられることでしょう。
そんなことは百も承知で、著者は、実は古来さまざまな国でさまざまな論者からベーシック・インカムが提唱されてきたことを明らかにし、さらにそのポイントをひとつひとつ擁護していきます。
無条件給付は、審査つきの給付が非常にしばしば生み出す「給付の資格があるのに受けられない人」を作らない、それは審査を行う行政的な手間を省略でき、かつ行政の恣意を排除するからだということ。個人単位の給付は、家庭内での無賃労働(家事、子育て、介護…)への賃金としての意味付けにも、家族を単位としてきた税制や社会保障の再編にもなりうること、男女など個人間の区別をつけないこと。現物支給でなくお金でもらえることは、その中での個人のやりくりの自由を確保できること。などなど。
そして、誰も働かなくなるのではないかという論点に対しては、それに合わせた新しい税制を提案する経済学者を引き合いに出すだけでなく、ラッセルやフロムといった意外な顔ぶれまで登場させ、「そもそも現在の労働というのは、飢え死にへの恐怖によって人を劣悪な強制労働に駆り立てているのではないか?」「何もしなくていい時、本当に人は何もしないだろうか?」などと労働の意味や心理にまで立ち返って問いかけます。
それじゃあ、いったいいくら支給すればいいのか。そうはいってもやっぱりみんな断然今より働かなくなるんじゃないか。そんな疑問は残りますが、これはしかし、次の読書へのステップのような気もする。
そんなに困った環境で働いているわけではないですが、それにしても時々は逃げたい気持ちになり、しかし失業への恐怖だけで踏みとどまる、働くということをあれこれ考える、そんなこともあった弊管理人はわりと噛みしめながら読みました。