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3.11の記録(随時追記)

【23日】
・会社での配給は今日でおしまいだったようです(他部署は昨日でおしまいだった様子)。

・ところで原発の危機に関して医学、工学系の研究者がわんさかメディアに登場している。この人達が表向きどう言っているかとともに、みんなが見てないところでどう言っているかも少し知っているのだが、このたび自分がその知識において何か言ってくれと頼まれているというのは「降ってきた(←→選び取った)機会」なのにもかかわらず、とても自分が発言することに対して使命感を持っており、限られた時間で調べてわかることは調べ、調べても今の時点では分からないことはせめて一般論からの類推でなんとか見通しを与えようという意志を感じた。「自分は正しい知識を持っています」という理系っぽい自負がいい形で現れるとこうなる。

・葉っぱものと牛乳と現地飲み水の問題に続いて、今日はトーキョー水パニックとか赤ちゃん内部被曝マップとかが出てきて明日からまた大変な世の中なんだろう(子持ちの同僚はエビアン箱買いして担いで帰って行った)。しかし100mSv/年でがんのリスクが+0.5%とか聞くと、いいから牛乳とかほうれん草とか被曝量の情報付きでとりあえず出荷して、買う方に判断させてくんないかな、と思う。リスクのわずかな上昇とモノ不足を天秤にかけるなら前者を選ぶよ、とりあえず。

・弊管理人は地震からこっち通しで働いてきたが、明日は1日休むのでこのエントリはここで一区切り。つまり終わる。

(24日1:10追記)

【22日】
・11時近くに起床、12時出勤のはずが社員証忘れて戻って30分遅刻。
・知らないことを勉強しつつ1日の終わりにはアウトプットしなければいけないのはいつもの通り。いつもテストの答案を提出したあとのような、「あれでよかったのかね」というもやっとした疑念がある。

・今回の一撃で、最初のころに熱にうかされたようになった(→被害を受けなかった)人たちが予期したマクロな変化というのは、ひょっとしたら訪れるのかもしれないが、しかし急には来ないと思う。
・前よりも使う電力を3割減らしなさいと言われたときに、それが受け入れられるかどうかがひとつの関門だと思うのだけれど、事業者が憎い政府が悪い自治体が力不足日本のマスコミはまったくといった怨嗟の声を聞くにつけ、相変わらず依存しながら批判しながら自分は変わらないという型は健在で堅固だという印象を持ちます。
・9.11のときにも世界が一変してしまう気がし、そして実際にある面では変わったのですが、やはり日常生活は早晩訪れたことを思い出します。環境が変わる→適応する、の永久機関。

・毎日職場で配給の食事。おなかを空かせている被災地の方々に申し訳ないほど有り難いことです。でもカレー食べたい。あとアジの塩焼き(開きじゃないやつ)。
・今年上半期の流行語はシーベルトではないかと。

・「東日本大震災」という名前が一部でついた(←ちなみにこれは地震による災害の名前。地震の名前は気象庁がつけてます)ものの、東北は北日本ではないかという気も。いいけど。

(22日23:30追記)

【21日】
・朝4時まで働いて、ホテルに泊まって、8時に起きて、一日働いて、帰る。
・帰りに新橋駅の地下のスーパーで久しぶりに牛乳目撃。
・で、じゃあ地元の24時間営業スーパーにもあるかな?と思って帰ったら閉まってるし。
・自宅には米もトイレットペーパーもある。まあ当面暮らすお金もある。意外とバッファの大きい自分の生活であった。
・そういえばずっと書き忘れてたけど、地震当初から「世界一高い建物を建てようとした国って、なんかよくないこと起こるよね」と思っていた。

(21日22時10分追記)

【19日】
・職場泊まり明けですたこら帰る。
・10日ぶりくらいにスポーツクラブ行ってしまいました。

・久しぶりに昼間の街を歩いた。パン屋に行列。コージーコーナーに全く生菓子がない(牛乳が手に入らないためのもよう)。でもなぜか個人営業のケーキ屋にはケーキがあった(ので買って帰って食べた)。スーパーには納豆までない。なぜだ。
・いつもカップラーメン79円とかで売ってる激安の店が139円につり上げていた(多分、賞味期限切れ間近、みたいな安く売れるものが尽きたのだろう)。

・原発は事態がだんだん良くなっていると言われているが、まだカタストロフの可能性はけっこうあると思っている。しかし、悪条件が重なればとんでもないカタストロフの起こる可能性なんて、地震の起こる前からこの社会に充ち満ちていたのではなかったか。

・いろいろと社会が動いてない今週が終わろうとしているけれど、足下ばかり見ていた視線をちょっと上げると、今回の災厄は後片付けが大変そうだ。収入がないばかりか支出を多大に強いられた企業がいっぱいある。税収は当然減りそう。一方で国の出費は増やせないとすると、誰かの命を助ければ別の誰かの命を犠牲にするという厳しいぶんどり合戦の予算作りが6月に待っている気がする。

(19日22:00追記)

【17日】
・職場に泊まらなくていい日が続いてますが、朝出て深夜帰宅する生活は却って疲れる。
・地震当初、なんか妙にヒロイックな感じで高揚して「今こそ助け合うとき」とか「何もできない自分が悔しいです」とか「デマはだめだ、正確な情報に基づいて冷静な行動を」とか言ってた人たちがそろそろ飽きてきた感がありますな。
・電車の本数は少ないし、夜の首都高の灯火は全部消えてるし、店の中は薄暗いし、24時間営業の某ジーンズ○イトはとうとう24時間営業じゃなくなったけど、別にそんなに困らない。これくらいでもよかったのだし、これくらいで停電が回避できるならずっとこれくらいでもいいのではという気がする。
・「コンクリートから人へ」が急旋回して、復興の、コンクリートの時代がまた来そうですね。76円=1$の超円高で、商社は海外で建材を大量に買い付けているのでは。
・それにしてもそろそろ牛乳飲みたい。
・で、ものはいいようで、危機を乗り切った暁には「それでもCO2対策を考えたら原子力」「日本は資源の少ない国で」「今回を教訓とすることで原発の安全対策はより強固になる」とか言い出しそう。脱原発したら幸せになれるのかと。
・職場で配給される弁当が残っているのが勿体なくて、今日は4食摂ってしまいました(うち2食は弁当の残り)

(18日1:50追記)

【15日】
・また11時間寝て昼前に出社。
・会社最寄りの駅についたら、街頭テレビで枝野会見中継。今度は4号機か。寝て目覚めるたびに事態が悪化してる。でも駅でかき揚げ天そばを食う。
・今日は出先ではなく本社で仕事。何も知らなかった分野。一回ミスった。付け焼き刃はほんとうにこわい。でもやらざるをえない。
・幕の内弁当っておかずの種類が多いけど変化がない。食べられるだけいいけど。
・それにしても店に牛乳が見あたらない。
・会社の下のコンビニには箱ティッシュも見あたらない。これまで貯めに貯めたポケットティッシュで鼻水を処理。
・今日は深夜に帰れた。明日は午前出社予定。ねよっと。

(16日 1:20追記)

【14日】
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・午前3時半、会議室の椅子を並べて横になり、2時間ほど寝てむっくり起き出す。
・職場が揺れてももはやあまり気にしなくなっている。非日常が日常になりつつある。
・しかし、同僚とハイになってマシンガンのように不謹慎な軽口を飛ばしあいながら働いていないと、真面目に深刻に現実を受け止めないで仕事をしないと、たぶん平衡を保てないのだ。

・だらだらと弄べるのりしろがなくなった生活の中で、さまざまなノイズが消えているように思える。党派争いのノイズ、放蕩のノイズ、無関心のノイズ、吝嗇のノイズ、些末へのこだわりのノイズ。永遠の日常で蓄えた脂肪が削がれて、生活がスリムになった。そして、それでも何とかやっていけるのではないかと思えてくる。たとえば真昼のようなコンビニの照明、自動販売機、食品廃棄物がなかったとしても。
・しかしこうした生活を「みんなが」試行してみることは、平常時にはできないことだった。足並みをそろえて歩いている百人の集団を止めることは、その中の数人程度が立ち止まってみてもできない。ものすごいデマゴギーか、ほぼ全員を足止めするような大きな一撃にしかできない。

・タクシーは特需、ジーンズ屋は閑古鳥。米は売り切れ、菓子は在庫。必需のものと、そうでもないものが、こういうときに過剰に明らかになる。
・夕方帰る。次にいつ食べるか分からないので、ちょっとずつだけ自炊をすることにする。弁当ばかりだと体がおかしくなってくるので。

(14日17:20追記)

【13日】
・緊急地震速報に途中起こされつつ、11時間寝た。何度か揺れたがもう無視するようになってしまった。
・ふくらはぎ筋肉痛。19階まで階段上ったせい。
・家を出る。地元商店街ではおまつり。普通の日曜に見えるが、耳に入ってくる会話は地震のことばかり。
・ここ2日、野菜をほとんど食べていなかったので、野菜たっぷりタンメン食って昼、出社。
・お使いを頼まれたらそのお使い先でそのまま仕事になった。
・行方不明者「万単位」になっている。予想はしていたが
・計画停電は月曜から数週間の可能性。長いね。

(13日22:45エントリー作成)

【12日】
・夜明け。三陸海岸の街街が残骸になっている映像。こういうとき、むしろモニタの前に集まった人たちは互いにテンションをあげてわーわー言うしかない、消化のために。
・買い込んだパンを朝餉に。
・朝刊の見出し、文字が大きい。テレビ欄がスカスカ。
・眠すぎて仕事をしながら何度か寝落ち。
・昼に同僚と神田方面に歩く。首都高が開いてなかったので街が静かすぎる。スタバでキャラメルマキアート。静かすぎる午後。
・午後4時から1時間、椅子を並べて横になる。すきっと目が覚める。
・午後6時に会社にもどり、11時に退社。
・ようやく動いたJR、ガラガラ。日曜深夜のよう。土曜夜なのに。
・帰宅。心配だったバイクとテレビは倒れていなかった!小物がいくつか落下、風呂場の物入れが転倒。調理用ワインの瓶が流し台に。
・足がクサイ。シャワー!と思ったらお湯出ない。初めての復帰手続き。
・ツイッターを見てみたが心のささくれるTLだったのでシャットダウン。ねる。

【11日】
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・14:46は顔を出す予定だった社外の会議の開始前。ビル9階の会場に入ろうとすると揺れが始まり、女性らの悲鳴。警備室からのアナウンス、要るものだけ持っていたそのときの荷物を持ったまま建物外へ。ぞろぞろと近場の公園に向かう人々。タクシーをつかまえて会社へ。いつもはすっとエレベーターで上がる職場までは階段。まだ揺れている階段室でふと9.11の脱出再現映像を思い出す。このまま上がっていいものかと一瞬迷う。職場の指示で災害対応のため別の建物へ。そのまま32時間勤務。

・眠気のせいもあるが、余震が多すぎて自分が揺れているのか世界が揺れているのかわからない。
・東京中心部、コンビニの商品棚が新規オープン前のようにからっぽ。帰宅難民の列。渋滞。しかし耐えている。
・友人らがtwitterやmixiでつぶやく。愚痴ったり励まし合ったりしている。つながっている。

・会社の階段室で擦れ違った同僚が車で東北に向かった。
・気象庁の記者会見は理路整然としている。歴史地震なんてものがあることを知る。5世紀から今までの巨大地震が地図にプロットされている。
・夜半。東京湾岸のコンビナートが燃えている。気仙沼の街が山火事のように燃えている。
・仙台で200-300人の遺体と報道。災害の被害程度は最初、とても控えめに明らかになる。そのとば口がやけに大きい。
・11日は26時に一度仕事に区切りをつけた。本震から少し時間が経って、余震が減って、世界が少し治っていないものかと思って、椅子に座って目を閉じた。2時間後、長野北部の震度6強。起きた。世界は治っていなかった。夜明け前の長野にメールをした。すぐに「だいじょぶ」と返ってきた。

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2011年03月13日 22:44に投稿されたエントリーのページです。

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