このエントリーから、投稿日時をアメリカ東部時間(UTC-5)に合わせました。
大晦日の夕方から仕事をしているうちに2022年に突入してしまい、CNNをつけていたらニューヨークでは紙吹雪(confettiという一語で表せるんだな)が舞って盛大に新年を祝っていました。外では花火のような音が聞こえた気がするが、事故だったかもしれない。いや花火か。あと短時間の停電もあった。部屋のブレーカーが落ちたのも含めると電源が落ちるの4回目なんですが、ノートはバッテリーがあるからいいとして、うちのデスクトップ、使用中にこんな何回も突然落とされてHDDとか大丈夫だろうか。
2時半に仕事が終わってそのまま寝て、昼前まで寝床にいました。元日は寝るのが一番贅沢な過ごし方です。一日じゅう暗くて霧雨が降ったり止んだりしていたので、「こんなに天気がいいのに家にいるなんて」という呵責もなくだらだらできました。昼は豚キムチ。正月っていう感じがしない。
就寝したときには既に元日だったので、朝までに見た夢が初夢とすると、なんかピアノ弾いてた気がするな。そしてそこそこ弾けていた。大阪の部屋に置いてあった電子ピアノは荷出しでトランクルームに行ってしまったため、もう4カ月以上弾いてない。急いで買うものではないのでしばらく様子を見ていたが、やっぱり買おうか……うーん。
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大晦日、DC独り暮らしの知人とご飯を食べました。
この人は10月半ばに来て、まだ生活の立ち上げ中とのこと。欧州某語の専門で南米などにはいたことがあるが、英語圏の暮らしは初めて。やっぱり毎日の食事に苦労しているようです。
Ted's Bulletinというお店に入ってみました。
朝7時から終日頼める朝ごはん。
カウンターもあって一人飯もいけるんじゃないかな。自分で作れそうだけど。
ここって多分、10年前にも来たはず。
17時前くらいに別れて、歩いて地下鉄駅まで戻りました。
日没が最も早い時に比べて10分くらい遅くなってます。冬至の日のニュース記事で「あとは日が長くなるだけだ」と言われていてポジティブだなと思いました。弊管理人は今日に限らず長期的に元気が枯渇してるんだけど、たぶんどの国にいても元気はないのでどこにいても一緒といえば一緒かもしれない。
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■石牟礼道子『椿の海の記』河出書房新社、2015年。
『苦海浄土』に続いて。エッセイとフィクション、人と自然と超自然のあいだ。