新小岩、燈郎で汁なしあぶらそば。
うっかり「野菜多め」と言ったらキャベツともやしがフルヘッヘンド((c)某杉田氏)。
「にんにく普通」と言ったら消化管がにんにく臭で埋め尽くされた。
汁なしなんですけど、野菜の水かなんか知らないがどんぶりの底にずいぶんお水がたまってました。
日高屋の野菜たっぷりタンメンに代わる野菜摂取のソースに認定。野菜多すぎてだいぶ薄味になってたけど。
■岡村浩嗣『ジムに通う人の栄養学』講談社ブルーバックス、2013年。
・運動後、できるだけ早くメシを食え
・運動中のスポーツドリンク、いいよ
・ちゃんと食事していればプロテインは不要
・炭水化物も肉もちゃんと食べよう
・脂肪を落とすなら絶食より運動です
など、ストイックで辛いダイエットのイメージを覆す、けっこう革新的なメッセージが多いと見たがどうか。
あと、さすがブルーバックス。いろんな論文からデータを引っ張ってきて結論を導いていく姿勢が素敵。生理学的な説明も大変勉強になります。
■唯円(著)親鸞(述)川村湊(訳)『歎異抄』光文社古典新訳文庫、2009年。
「とにかく南無阿弥陀仏と唱えてりゃいいから」というシンプルな親鸞(浄土真宗)の教えも、時間が経つといろいろ曲がった解釈がされたり、藁人形叩きみたいのが出てきたりする。どうも誤解されてることも多いんで、師匠が言ってたことを分かりやすく書いておきますよ、という文章。唯円が本当にそう語ったかのように、京都弁でおもくそ砕けた調子の訳になっています。
最後には流罪目録というのがついていて、法然以下お弟子さんたち(親鸞含む)が弾圧を受けた際の処分が短く紹介されています。さらにその後に「教えを信じる機縁のない人にはむやみに読ませてはだめよ」との奥書がある(これは筆写した蓮如の文かな?)。教え+苦難の歴史+ある程度の閉鎖性が、教団を維持していくためのエッセンスつうことなんでしょうか。
いくら経典を勉強したって修行したって、しょせん人にできることなんてたかが知れてます。そんなことより、アミダさんが全員救ってくれるって言っているんだから、完全にそれに委ねてしまえばいい。そういう気になったときには既に救われることになってるんです。救われようとしてジタバタしない分、悪人のほうがまだそのゴールに近いともいえませんかね、という。
こういう、私というものを究極まで矮小化していく方向性が、現世の否定や無気力ではなく、かえって(浄土へ行くための戒律なんて意味ないからといって)肉も食う結婚もするというパワフルな欲求開放に向かってる感じが不思議だなあと思ったり、人事からいろんなものをはぎ取っていったその果てに神を見てしまったデカルトとの近さや遠さをもやもや考えたりしながら読みましたとさ。