◆アリストテレス(相澤康隆訳)『弁論術』光文社、2025年。
楽しく読んだ。外国は英語圏しか知らないが、こうしてみると西洋の人たちが何かを述べるときのスタイルは二千数百年前に既にだいたい骨組みができていたんだなと、アリストテレス兄貴の仕事に感心した。人間観察を抽象化し、実践に結びつけるソリッドなスタイル。それが必要なのは、世の中、答えが一つに決まることばかりじゃないし、100%そうなるっていう必然的なことばかりでもない、ああも言えるしこうも言える、そういう中でどうやって言葉で勝っていくかだろ?っていう現実的で切迫した問題意識があったからだと想像します。
弁論術が必要な理由(p.26)の説明からして、とてもキビシイ。
(1)「真なることと正しいこと」は本来それを主張すれば通るに決まってるんだから、それが通らなかったということは話し下手なやつが悪い(2)学問的知識を持っていても大衆に語りかける手段を知らなければしょうがない(3)相反することがらを両方説得できるようにしておくことで、間違ったことを説得しようとしてくるやつに反駁できる(4)身体をもって自分を守ることができないのは恥だが、それ以上に人間的な言論の使用によって自分を守ることができないのはもっと恥ずかしい。
―要は、正しいことを知ってるだけでなく、それを主張して通すことができなければ何もならないのだ。
何にせよ定義してから考察する。
例えば、友とは「相手にとってよいと思うことを相手のために行うようなことができる人」(p。80)
よいものとは「もし思慮を手に入れたとすれば、すべての存在がそれぞれ選択するもの」(p.106)
その中で、功利主義のアイデアがちらっと顔を見せたりする。
「また、より快いものは、それほど快くないものよりも大きな善である。快楽はすべての存在が追い求めるものであり、そして快い感覚はそれ自体のために欲求されるものであるが、よいものと目的はまさにこれらの条件によって定義されたのだから。」(p.107)
人間とか社会とか政治とか、とにかくいろいろ知らないと弁論はできないというので、いろんなことが説明されていきます。説明していくうちに、政治学とか、他の著作にもつながっていくものが出てくる。
「民主制はくじ引きで公職を割り当てる国制であり、寡頭制は所有財産の査定額に基づいて、優秀者支配は教育に基づいて公職を割り当てる国制である。ここで言う教育とは、法によって定められた教育を意味する。なぜなら、優秀者支配制における支配者は、法を忠実に守って生きている者たちだからである。このような者たちは、当然ながら、もっとも優秀な人々に見える。そこから、この国制には優秀者支配制という名が付けられているのである。
他方、単独者支配制は、その名の通り一人が万人を支配する国制である。この種の国制のうち、ある種の規定に従って支配するのが王制であり、[支配の仕方に]何の制限もないのが僭主制である。」(pp.117-118)
美しいことの列挙に時代を感じることはある。しかしこういうのにかぶれた現代人もいたな。労働を下に見た某ハンナとか。
「また、手仕事の技術に従事しないことは美しい。なぜなら、他人のために生きているのではないということが、自由人であることの特徴だからである。」(p.129)
p.195からは法廷弁論のやり方を指南してくれている。「書かれた法が自分に不利なときは書かれてない法や公正さに訴えろ」、「書かれた法が自分に有利なときは『制定された法を使わないなら、法が制定されてないのと一緒だ』などと言え」、とまあ融通無碍である。
ところで、人が怒る相手はいろいろあるが、「(人は)感謝しない者たちに対して怒る」(p.230)。なんか北米皇帝とその手下が外国から来た芸人にそういって怒ってたな、こないだ。
「憎しみ」と「怒り」の違い(p.249)はアリストテレスの人間観察と定式化が冴え渡っていると思った。
・怒りは自分が何かされたことに対して抱く。敵意は自分が何かされてなくても、誰かをある特定の性質の人とみなして抱く
・怒りは個人に対して抱く。憎しみは類に対して抱く
・時は怒りを癒やせるが、憎しみを癒やせない
・怒りは相手が苦しみ、相手が報復に気付くことを求めるが、憎しみは相手に悪いことが起きるのを求め、相手が報復に気付くかどうかは問題にしない
・怒っている人は苦痛を感じるが、憎んでいる人は感じない
・怒っている人は状況が変われば相手を憐れむこともあるが、憎んでいる人は何が起こっても相手を憐れまず、相手が存在しなくなることを望んでいる
文章表現の要諦(pp.463-466)はギリシャ語特有の注意もあるが、(3)なんかはもうほんとご明察。
(1)接続語を正確に使う(2)物事を言い表すときに包括的な呼び名ではなく固有の呼び名を使う(3)曖昧な表現を避ける。ただし言うことがないのに何か言ってるように見せかけるため意図的に言う場合は別(4)男性/女性/ものを表す名詞を正しく使う(5)複数と単数を適切に使い分ける
中傷のトポス(論法)は面白かった(p.548-)。特に、
「些細なことを長々と賞賛してから重大なことを簡潔に非難するか、もしくは先に相手のよい点をたくさん挙げておいて、それから本題に直接関係することを一つ非難するものである。このようなことをする人々は、中傷のエキスパートであり、かつもっとも不正な人間である。なぜなら、彼らは善を悪に混ぜ合わせることによって、善を利用して相手に害を与えようとするからである。」(pp.552-553)
★以下は訳者解説から抜き出した見取り図的なもの
弁論術:説得力のある事柄を見出す能力。言論の技術
説得力=真実味。論証すること
論証:演繹(前提から必然的に結論を導く)=説得推論。命題からなる
+帰納(個別から普遍に至る)=例示
【三つの弁論】*それぞれに共通/特有のトポス(論法)がある
▽助言弁論@民会など。推奨と制止=善悪(利害)
▽法廷弁論@民衆裁判所。糾弾と弁明=正不正
▽演示弁論@葬送や祭典など。賞賛と非難=美醜
・「拡大」の技法。意義や価値を大きく見せる(≠うそによる誇張)
【三つの説得】*いずれも言論を通じてする
▽性格(エートス)による説得:自分を信用に足る人物と見せる
▽感情(パトス)による説得:聞き手にある(快苦を伴う)感情を抱かせる
=聞き手の状況認識を言論によって変化させる(例:誤解による怒りの解消)
▽論証(ロゴス)による説得:説得推論や例証を使って証明する。★最も効果的
・問答術との違い
(1)誰でも知っている前提は省略する(冗長の回避)
(2)前提の多い推論は避ける(聞き手が話を追えない)
*問答術は知的エリート同士。またディベートであり一方的に話すのでない
・例証には(1)過去の実例を挙げるもの(2)自分で創作した寓話―がある(p.340)