寒い雨の土曜。朝起きたら、窓際に置いた睡蓮木の花が咲いていました。
何かしかし蕾にも咲きっぷりにも馴染みのない感じがあるなあ、と思って調べたら、南アフリカ原産でした。
日系ペルー人の知人が、見た目は全く日本人なのに表情が何か違う、みたいな感じか。違うか。
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昼間、八王子の京王片倉近くにある「竜泉寺の湯」ってところに行きましたが、塩素くさくてあまり心地よくなかったです。
で、夜。
ローテンション同志であるところの友人と夕飯を食べることになり、この友人が交際している中国の子に教えてもらったという、池袋の「四川麻辣湯」に連れて行ってもらいました。
ロサ会館の近くにこんなのあったっけ、と思うくらい知らないと入らない雰囲気。路面店なのに。そして入ったとたんに外国の中華街の匂い!!
スープと麺の基本料金480円。そこに入れたい具(1個100円)を棚から好きなだけとってカゴに入れ、レジで会計します。麺はラーメンみたいのや、細い春雨、平べったい春雨(弊管理人はこれを選択)が選べます。スープの辛さもちょい辛から大辛まで。弊管理人は初心者なのでちょい辛にしました。
ちょっと待つと、こういうのが来る。
うめえあああ!
中辛を選んだ友人のスープもちょっと飲ませてもらいましたが、ちょっと痺れが足されるくらいですね。こっちでも大丈夫かも。
いいところを教えてもらいました。
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明けて日曜は晴れてそこそこ暖かくなりました。
大学時代の同級生とお花見。
母校のキャンパスの野球場にも春が降ってきていました。
ここの桜の枝ぶり、好きです。
満開まではもうちょっと。
そういえば大学の入学式は4月12日でしたが、会場近くの千鳥ヶ淵の桜が満開かちょっと盛りを過ぎたくらいの勢いで当時の写真にうつっています。
きょう、同級生とその話をしたら「その年は特に寒くて、だいぶ遅くまで雪が残ってたはず」と言っていました。そうだったか。
[4月3日追記:これまでの開花日と満開日をみると、確かに1996年の4月7日満開は前年と並んでこの四半世紀で最も遅いですが、顕著に遅いわけでもありませんでした。ちなみに定義は「さくらの開花とは、標本木のつぼみのうち、5~6輪の花が咲いた状態をいいます。満開は、全体の花芽の80%以上の花が咲いた状態をいいます」(金沢地方気象台)]
さすがに20年たつとみんな古くはなっているが、基本線は変わらない。
人文系の人たちのせいか、妙にすれた感じにもなってないところに安心感があります。
「ニュージーランドへの交換留学派遣を決めるための面接で、西洋古典学の先生から『ニュージーランドは西洋だと思うか』と聞かれて『西洋だ』と答えたが、今思うにそれは蛮勇だった」「俺はロックとバーリンで書いた卒論の口頭試問で『君が日本に生まれたことと自由の関係をどう思うか』と聞かれたので『覚悟を決めて生きたいと思います』と答えたら褒められた」といった艶っぽい昔話をしたり、「メルロ=ポンティって今時の学生も読んでるの?」とかきゃあきゃあおしゃべりできるというのは貴重なことです。
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お花見中に職場から電話がかかってきて、やっぱり5月はドイツに行けという話になりました。
くう……(でも実は半分以上諦めていた)
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■加藤周一『二〇世紀の自画像』筑摩書房, 2005年.
古い友人に「目指すところは全然違うが歩き方が(弊管理人と)似ている」と加藤周一を薦められたため、適当な古本を買って読んでみました。
が、半分ちょっとくらいまで頑張ったものの「もうええわ」となってしまいました。それ一つ一つが本1冊になるようなテーマをばさばさ整理しながら20世紀をまとめる対談のようなものを、今更食べる気にはなりませんでした。