4 The Social Person
・あらゆる行為は社会的に作られる(着る、意思疎通する、身振り…)
・生物学的に規定された欲求(栄養を取る、寝る…)もあるが、それを満たすやり方は社会的産物
・人間存在を(文化的に/生物学的に)×(共通/多様)の4象限に分けて考えてみる
「生物学的に×多様」=遺伝的多様性。ただし人種ごとの違いは全体の0.012%に過ぎない
→「人種」は文化的な構築物。権力やイデオロギーの視点のほうがなじむはず
「文化的に×共通」と「文化的に×多様」が文化人類学の関心事。生物学では説明しきれない部分
・言語は人間のみが持つわけではなく、サルも固有名詞だけでなく一般名詞を理解するらしい
・ただし、多様な音を意味に結びつけたり、喋ったりするのは人間の業。それは文化を超えて共通
だが、個別の言語はとても多様
・「技術の単純さ」をもって、ある人間集団の「自然との近さ」は測れない
例)複雑な技術を持っているが、社会の在り方が自然に大きく影響されている狩猟採集のバンブチ
自然は「敵」?「対象」?「主体」?
最近は人間/自然の二分法を疑う動きも
・二つの自然
(1)外的自然=生態系
(2)内的自然=人間本性
→どちらも「文化」の対立物とされている
・同時に、文化は本質的に自然と結びついている。文化の物質的基礎を自然から得ている
・自然は脅威、制御しにくいものとして把握されることが多いが、必要なものでもある
・自然と文化の関係を考える二つの視点
(1)さまざまな文化でこの関係をどうとらえているか(この場合、自然は外部にあって表象される)
(2)自然がどう社会や文化に影響を与えているか
例題)大規模な自然破壊、気候変動。伝統的な知識が、持続可能性に(どう)貢献できるか
・行為actionと行動behaviour
action=行為者が反省的にとらえうるものだという含意がある。人間のみ
behaviour=人間や動物が引き起こす観察可能なイベント
→マルクスの『資本論』における「大工」と「蜂の巣作り」の対比
→actionは「そうしないこと」もできる。だから完璧な予測が難しい(というかできない)
・人類学、社会学ではactorは個人だけでなく、集団(国など)でもありうる
・相互行為interaction、関係性relationshipに注目する。つまり社会の最小単位は2人の関係である
・これらは分析用の言葉であって、emicな言葉には出てこないジャーゴンである
・地位statusと役割role(これもジャーゴン)
社会のすべてのメンバーは、他人との関係において何らかの固有の権利・義務を持っている
個々人は、異なった人に対して異なった権利・義務を持っている
→status=社会的に定義された権利義務関係。それに対する周囲の「期待」も込み
一人の人が「伯父」「歯医者」「隣人」「顧客」など、複数のstatusを持っている
それぞれの個人は、この総計によって定義される
・statusには「付与されたものascribed」と「獲得したものachieved」がある
・同じ「職業」でも、伝統社会ではascribedだが、近代社会ではachievedだったりする
・近代社会は、多くのstatusがachievedである点で、伝統社会と質的に異なる
※ちょっとシンプルすぎるが、分析の出発点としては便利
・roleは、statusが定義する行動の範囲。王女というstatusは深夜にパブで酒を飲むことを許さない
→この期待を裏切るとサンクションを食らう。この仕組みによって社会が安定する
・ただし、これらは行為者による「解釈」の余地があるので、外れることもよくある
→だから社会科学の予測性は低い
サルトル、ゴフマンのimpression managementも参考に
・権力power
・役割理論は権力を扱えないとの批判もある
ある人は別の人に比べて、自分の人生に対するコントロールをしにくいなど
・ラッセル「社会科学における権力は、物理学におけるエネルギーと同じ」
→中核的な概念だが、正確に定義するのが難しい
・社会の見方には「行為者」と「システム」に注目する二つのやり方がある
・権力を「行為者」目線で定義すると、誰かの意志に反して何かをやらせる力だといえる
・「システム」目線で定義すると、社会における権力関係の布置に注目することになる
・現代人類学者はこの二つを行き来しながら分析を行うことになる
・自己self
・役割理論への別の批判は、自己は一つの全体であり、複数の役割に分割はできないというもの
・地位も役割も、eticな言葉だということに注意
・比較研究から、ほぼすべての社会に「自己」「個人」という概念があることが分かっている
ただし、その中身はかなり多様
・西洋では自己は分割不可能だが、非西洋では社会関係の集積だととらえられている
メラネシアでは、負債を払い終えて相続が終わるまで、ある人が「死んだ」とは考えられない
→すべての社会関係が清算されないと「個人」は死なない
ズーニーインディアンでは、氏族の中に限られた名前しかなく、各々に特定の役割がある
→人は自律的な個人ではない。与えられた役割を演じるもの
・公私の区別もさまざま
・身体body
・1970年代になって、身体が社会文化的なものだと考えられ始めた(メアリー・ダグラスを除く)
・身体は行為主体でもあり、社会のコードを書き込む場でもあるという考え方(医療人類学など)
5 Local Organisation
・今日の人類学は多様なフィールドで行われている
・それでも比較的小規模な集団を研究する重要性はある。なぜか?
(1)方法論的に扱いやすい。全員と顔見知りになって関係性の全貌を掴むこともできる
(2)小集団の中で関係性が簡潔しているかのように扱える※ただし本当はそうでもない
▽規範と統制
・全ての社会システムは、何が許される/許されないかに関するルール「規範norms」を必要とする
・それぞれの重要性には幅がある(絶対のルール~そうでもないルールまで)
・カバーする範囲も全人類(世界人権宣言)から小集団(仕事中はネクタイしなさい)までいろいろ
・必ず守られるものから、そうでないもの(virilocality=結婚した夫婦が夫の両親の近くに住む)まで
・全ての規範には賞/罰が伴う。正統な賞罰を与えられることが権力の原点
・システマティックに罰を与える仕組みを「社会統制social control」と呼ぶことができる
▽社会化
・社会の一人前のメンバーになるためのプロセス。世代間での文化の継続性も担っている
・分化の進んだ社会では、家族以外も担う。例えば学校、クラブ、スポーツ団体、テレビなど
・言葉をどう使うか、誰を尊敬するか、崇拝するか、などを学ぶことになる
・代表的な研究はマーガレット・ミードの『サモアの思春期』(ただし質への批判あり→p.79)
▽ライフステージと通過儀礼
・子供と大人の間には文化により何段階もあり、それぞれ違った権利、義務が設定されている
・ステージ移行の際に存在するのが通過儀礼。苦悩や剥奪などにより揺さぶられる公的行事
・「定年」もそう!賃労働者がほとんどの地位とネットワークを剥奪される
・何週間も隔離される社会も
・通過儀礼は必要だが、曖昧な立場の人間を抱えることは社会秩序にとっては脅威でもある
▽さまざまな社会制度
・個人とは無関係に存在する。ある核家族が分解しても核家族という制度は存続。王の死も同じ
・制度が変わると社会が変わる。フランス革命、アボリジニーが賃労働社会に巻き込まれるなど
→社会の継続や変化に注目するなら、制度を見よ
▽家族
・フィールドで最初に手が付けやすい社会制度は家族だといえる。どの社会にもある
・多くの場合は親族で構成され、多くの場合は同じ屋根の下に住んでいる
・西アフリカのフラニ族の例→pp.83-86
▽村
・家族だけで完結できないもの:政治、宗教、経済→もう一段上のレベルの制度としての「村」
・ドゴン族→pp.88-89
・ヤノマミ族→pp.90-92
・上記どれも社会制度において親族関係が重要な役割を果たしている