超失礼だが、横目で見ながら文化人類学って最近大丈夫なのかなと思っていました。
でも、日常を解毒する手段としては期待してます。
つうか、ちゃんとざっと見したこともないんだ、ごめん。
なんだそれ。
というわけで、いくつかの修士課程の導入科目をネットで調べて、そこでわりと共通して参考文献になっている本のうち、一番新しい(そして結構重いが持ちやすい大きさではある)こちらをアマゾンで手に入れ、通勤電車で読み始めてます。
450ページくらいあるので、ちょっとずつ。
■Eriksen, T. H., Small Places, Large Issues: An Introduction to Social and Cultural Anthropology (4th ed.), Pluto Press, 2015.
1 Anthropology: Comparison and Context
・文化人類学(←アメリカの)/社会人類学(←イギリスの)は、人類の文化や社会が「いかに多様か」、と同時に、「いかに似ているか」を明らかにする。多様性と普遍性を行き来する学問である(p.2)
・関心は社会の内部に存在するさまざまな関係性とともに、社会と社会の間の関係性にも及ぶ
・限られたフィールドでの研究によって、人類大の問題を考える学問だともいえる(p.3)
・かつては産業化されていない、小さな集団が研究対象というイメージがあったが、今はそうではなくなっている
・文化とは何か?:タイラーとギアツに従って、ざくっと「社会の構成員として人々が獲得する能力、もののとらえ方、そして行動様式である」と言っておく。ギアツは境界を持ったひとまとまりの全体、構成員の多くに共有された意味のシステムとして描いた。……しかし、内部の多様性をどう考えるか?メディアやグローバリゼーションによる均一化をどう織り込むか?依然として論争の的である(p.4)
・文化と社会って?:文化=獲得された認知とシンボル。社会=組織、相互行為、権力関係(p.5)
・文化人類学の特徴=経験に基づくことと、比較を重視すること
・他との違い:社会学と違って、近代的な社会だけに注目するわけではない。哲学と違って、調査を重視する。歴史学と違って、進行中の事柄を扱う。言語学と違って、言語の社会的・文化的なコンテクストに注目する。でも共通点もいっぱいある(p.6)
・自文化中心主義を避け、(方法的な)文化相対主義をとること(pp.8-10)
2 A Brief History of Anthropology
・他の社会科学と同じく、19世紀末~20世紀初頭にかけて成立した分野。だがその歴史の描き方はいろいろある(p.12)
前史
・文化人類学を「文化の多様性に関する研究」と定義すれば、それは古代ギリシアからあった。ヘロドトスの異民族描写もそうだし、ソフィストの相対主義もそう。だがヘロドトスには理論がなかったし、ソフィストにはフィールドワークがなかった
・もうちょっとましなご先祖としてはイブン・ハルドゥーンが挙げられる
・ヨーロッパでは、大航海時代に自分たちとはかけ離れた人々と出会ったころが画期か。モンテーニュ、ホッブズ、ヴィーコなどが文化の多様性について考えた第1世代といえそう
ヴィクトリア時代
・社会進化論によって特徴づけられる。進化の最先端としてのヨーロッパ。メイン(英)、モーガン(米)
・テンニースの「ゲマインシャフト/ゲゼルシャフト」の二元論
・マルクス、エンゲルスの歴史観にも影響したか
・ダーウィンの進化論との関係も複雑。人類の共通性を裏付けるとともに、文化的<生物的という図式に落ちる危険性も
米国:ボアズ(独→米、1858-1942)
・今日まで続く米国の人類学の方法論の源流。'Four-Field Approach'、つまり(1)文化と社会(2)生物学的(3)考古学(4)言語人類学
・文化相対主義を中心に位置付けたことも重要な業績。それぞれの文化は独自の文脈において理解されるべきで、「発展度合い」などでランキングを作るべきではない。歴史についても単線的な発展を想定しない
・さらに、消滅の脅威にさらされている先住民族の文化も擁護するべきだと主張
・弟子にはマーガレット・ミード、ルース・ベネディクトら
・言語ではサピア、ウォーフと協働。多様な言語のそれぞれが世界認知のありかたを規定するという
・ボアズ以降、モーガンやダーウィンは米国で退潮。氏<育ち、に
英国:マリノフスキーとラドクリフ=ブラウン
・英国の社会人類学は、米国と違って、植民地経営に関連。例えばインドなら文化よりも諸民族間の政治関係など
・創始者の一人はマリノフスキー(ポーランド→英、1884-1942)。トロブリアンド諸島でのフィールドワークにより、民族誌的なデータ集めのスタンダードを構築。現地語を学び、日常的な人間関係を内側から記録する
・特に個人の行動に着目した。社会構造が行動を決定するのではなく、行動の在り方を枠づけるものととらえる
・すべての社会制度は相互に関連しあっており、あらゆる文脈から事象を理解すべき。biopsychological functionalism
・もう一人はラドクリフ=ブラウン(1881-1955)。デュルケームの影響。個人よりも制度に注目し、社会統合の法則を見出そうとする「自然科学(化学や物理学のような)としての社会科学」を目指した。すべての制度は、社会の維持を助ける何らかの機能を持っていると考える。第2次大戦後に退潮
・二人は視点は違うがどちらも機能主義。次に続く世代で統合が図られる。親族関係、政治や経済に注目したエヴァンズ=プリチャードなど
フランス:マルセル・モース(1872-1950)
・ドイツは第2次大戦後にナチズムに協力していた人類学/民族学が壊滅しかけたが、フランスは20世紀を通じてセンターであり続けた。英国ほど方法論に傾かず、米国よりも哲学的に野心的
・モース(デュルケームの甥)自身はフィールドワークをしなかったが、贈与や身体、犠牲、人間という概念などについてエッセイを著した
・同じくデュルケームに影響を受けたラドクリフ=ブラウンと違って、完全な「法則」よりも、さまざまな社会に見られる構造的な「類似性」を見つけようとしていた
20世紀後半の文化人類学
・研究者人口の増加とテーマの多様化
・フィールドの流行は太平洋諸国→アフリカ→北アメリカときて、50年代以降はラテンアメリカ、インド、東南アジアへ
・植民地支配の終焉によって、第三世界諸国から調査研究の許可が得られにくくなった。研究対象とされてきた社会にも知識人が現れて、対象化への反発も
構造主義
・レヴィ=ストロース(1908-2009)。構造主義言語学、モースの交換理論、レヴィ=ブリュールの原始的心性(これには反対だが)から影響を受ける。婚姻関係の研究など。構造主義は人類学にとどまらない波及を見せた。検証不能な概念を持ち込んだなどの批判もある
・もう一人はインド研究のルイ・デュモン(1911-99)。カーストに規定された自由なき個人を描出
構造機能主義のその後
・ラドクリフ=ブラウン本人も50年代には「自然法則」の探究してもしゃあないと言い出した。人類学は自然科学というよりむしろ人文学だと思うべきだと。「構造から意味へ」。米国のクローバーも同様
・レイモンド・ファース(1901-2002)は社会構造(規則の集合)と社会組織(実際に起きている過程の集合)を分けて考えるべきだと主張。個人の行動が構造と取り結ぶ動的な関係に注目。後にゲーム理論との結びつきも(p.26)
・マックス・グルックマン(1911-1975)は全体論的な見方を捨てて、社会構造の規定力はもっとずっとゆるいものと見るように
その他いろいろ(pp.27-31)
・1940年代以降の米国では、ボアズ的な文化相対主義とは別の流れとして、ネオ進化論やマルクス主義の復興など
・ジュリアン・スチュワードの「文化核心cultural core」(=分業などの基礎的な制度)と「それ以外」の区別
・レスリー・ホワイトは象徴文化により規定力があるとの見方
・マーヴィン・ハリスの文化唯物論
・生物学+人類学→文化生態学。儀礼を生態学の言葉で表現するラパポートのニューギニア研究など
・第2次大戦後の象徴人類学、認知人類学
・1970年代からはフェミニズムの影響。男女の世界の見方の違いを強調
・Writing Culture(1986)「統合された社会なんて文化人類学が作り上げたフィクション。現実はもっと複雑で曖昧なものだ」→80~90年代に迎える文化人類学の学問分野としての危機
・文化相対主義は、その底にある共通性を隠そうとしているのではないか?cf.)チョムスキー
21世紀の文化人類学
・ブラジル、日本、ロシアにも大きな研究コミュニティを抱えている
・英米仏の違いはいまだ存在するが、混交は進んでいる
・伝統医学、地域の消費生活、広告、オンラインカルチャーなどテーマも多様化
・進化学や認知科学の知見が、社会生活や心の共通性に関する示唆を与えることも