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正月、

正月、なのだけどそんなに正月っぽい感じがしないのは、元日に宿直が明けてから室内でだらだらしていて、あまり外の情報を取り入れていなかったからかも。しかもお店も開いてないので、メシはレトルトのカレーやらパスタやら……あ、あと実家からもらってきた餅を焼いてお汁粉。野菜に乏しく、気休めのトマトジュースを飲むなど。

■2日

夕飯難民となって暗い街を彷徨っていたところ、開いていた。オステリア87。
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牛の煮込みと絡めた生パスタ。うま~
空っぽのグラスはフランチャコルタ(北イタリアの発泡ワイン)。

どういうわけか昼からすごく目まいがしていたのでさっさと寝ました。
特に具合は悪くないので、たぶん大晦日からの24時間勤務の疲れだと思います。

■3日

昼前にふと思い立って有馬温泉に行きました。阪急梅田から高速バスで1時間。近い。
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「康貴」という宿の日帰り入浴を利用しました。いいお湯でした。
こぢんまりしたお風呂で、入場制限をしていたせいで少し待ちましたが、館内で本を読みながら座っていられたので全然問題なし。それどころか入場を5人に絞ってくれていたおかげで芋洗いでなくて有り難かった。公共浴場の金の湯、銀の湯とも通りがかったら混んでいそうだったし、多分こちらで正解。
温泉街はぐるっと歩いて30分、帰りは西宮北口行きのバスが来たので飛び乗り、阪急夙川で降りて帰ってきました。バスと阪急を乗り換える必要があるものの、梅田からの高速バスが1400円したのにこのルートは800いくら。
ところで「夙」っていう字だけ見て労働者の街っぽいところなのかと思っていたら、むしろ高そうな住宅街でした。

梅田に戻ってにしやまさん。
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牡蠣の吟醸蒸しの残り汁で雑炊をしていただく傍ら、ハンバーグ(初めて見た)という、なんかもう夢。reverie。みたいな。なんで横文字使った。

* * *

■ルートウィッヒ・ウィトゲンシュタイン(鬼界彰夫訳)『哲学探究』講談社、2020年。

野矢先生の手を借りて『論理哲学論考』を読んでから、後期ウィトゲンシュタインを読まないと収拾がつかない気分になり、しかし日本語訳は3種類だかあって、高いしどれがいいのかな、と迷いながら5年たったらお手頃な値段で新訳が出た!!!

大学時代に何度となく言語ゲームだとか独我論だとかアスペクト転換だとかざらざらした大地だとかのタームを聞いて、しかし肝心のこれを読んでなかったんですよね(恥)。でまあこういうふうに出てくるのか~と懐かしく思いながら読み進めていきました。500ページ。しかし論哲の解体と新境地の構築をする最初の1/3を過ぎると延々、これはどう?これは?という謎かけの山岳地帯が続いていてきつかった。

ということで、昨年末に出たウィトゲンシュタインの解説本を注文したので、これを頼りにもう一回、歩き直してみたいと思います。内容のことはそのときに。ただし、印象が新鮮ないまのうちに雑駁にメモっておく:

・意味とは使用のことだという気付きは、小学校教師として子どもがいろんなものを習得していく様子を見て得たんだろうな
・そうすると必然的に「生きた言葉」というのはがちっと意味が定まるものではない。「基礎付け」ではなく「ゆるさ」を許容したところはプラトン的じゃなくてアリストテレス的な感じがする
・そしていったん「世界との対応」という基礎から浮遊すると、言葉や思考、そして他者理解はどんどん足場を見いだせなくなっていって、ある種の障害のような状態になってくる
・しかしこの気付きによって、「言葉を操るAI」への道がひょっとして開けたのでは?
・あと、ここで終わらず「確実性の問題」を読まないといけない気がした

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2021年01月03日 20:58に投稿されたエントリーのページです。

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