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科学は誰のものか

■平川秀幸『科学は誰のものか』日本放送出版協会,2010年.

暫く前から職場に転がっていたのを、やっと手に取りました。
福島第1原発事故の半年前に出ていた本。
知っているからできる、というわけではないが、知らないよりはいい、かな。

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・科学イメージの転換:「夢と希望」から「問題」へ
  夢と希望:~1960年代。理工系、中央研究所ブーム、大阪万博
  ターニングポイント:70年代。核開発、公害・環境問題
  新しい文化:新しい社会運動、環境政策

・統治からガバナンスへ
  社会の複雑化により、政府だけでは問題に対処できなくなった
   ガバナンス=政府、NPO、企業、個人による水平的、分散的、協同的な舵取り
   ガバメント=政府による意思決定、利害調整
  →95年の「ボランティア元年」、情報公開、パブコメ、審議会への一般人参加

 (1)リスクコミュニケーション:行政、専門家、企業、市民による情報交換と信頼構築
  70年代米国に端緒。食品、環境中の化学物質リスクに関するデータ開示要求など
  当初は「説得」と「受容」を目指すものだった→80~90年代に対話、協働へ
 (2)参加型テクノロジーアセスメント:新技術の実用化に先立って、社会・環境影響を評価
  60~70年代当初は科学者や行政官に限定
  86年のデンマーク技術委員会(DBT)設置を契機に、市民参加型が開始
  →87年、DBTによるコンセンサス会議。他にも市民陪審、シナリオワークショップなど

・信頼の危機:96年、英国のBSE危機
  「人への感染リスクは極めて小さい」としていた89年のサウスウッド報告書が転覆
  折しも、欧州市場に米国のGMトマトピューレが登場、安全論争になっていた
  「将来のリスク」に対する懸念+政府、企業への不信が蔓延
  →欠如モデル(市民は正しい理解を欠いているから不安なのだ)が通用しなくなった
  →科学技術コミュニケーションも「統治」から「ガバナンス」へ(00~01年、英国)
  00年代前半の「サイエンスカフェ」普及。「公共圏」における相互学習へ

・日本では
  98、99年に「遺伝子治療」「情報化社会」でSTS研究者がコンセンサス会議
  00年は農水省がGM作物でコンセンサス会議
  01年~の第2期科学技術基本計画で双方向コミュニケーションの推進盛る
  *ただし、いまだに「一般を教育する」路線のコミュニケーションが主流

・公共的ガバナンスが必要な理由
  「科学なしでは解けないが、科学だけでは解けない問題」が増えた
  (1)科学の不確実性の増大。例)人への感染を予見できずに起きたBSE危機
  (2)科学技術が利害関係や価値観対立と深く関わるようになったこと

・科学の完全無欠幻想と、そこに立った政策の失敗
  (1)地震予知研究。64年文部省測地学審議会によるブループリント、78年大震法
  →その後、研究するほど「分からない」ことが分かってきた
  →97年測地学審議会「予知の実用化は困難」。地震防災基本計画の大幅変更へ
  (2)水俣病。56年に公式確認。しかし原因をメチル水銀と特定し公害認定したのは68年
  ←チッソ「メカニズムを科学的に正確に証明せよ」(クロと実証せよ)
  →行政の意思決定のハードルが上がった

・不確実性を理解する前提として:科学の知識はどうやって生み出されるか
  仮説→実験、観測による検証→論文化→他の研究者による利用、再現
  実験室にあるのは「作動中の科学science in action」。何が正答か、まだ分からない
  最先端=その後修正される可能性があるということ
  正しいとされていることでも、原理的には修正可能性、可謬性がある

・不確実性には二つのタイプがある
  (1)知られている無知known unknowns。何が分かっていないかが分かっている
   例)温暖化におけるエアロゾルの影響など。でも幅を持たせた予測はできる
  (2)知られざる無知unknown unknowns。全くの想定外
   例)フロンによるオゾン層破壊

・なぜ不確実性があるのか?
  (1)対象の問題:振る舞いが「確率的」な場合や、構成する要素が多すぎる場合
  (2)知る側の問題:測定限界、検出限界。連続的なものの数値解析は近似にとどまる
  モデル(単純化)と現実とのずれ
  実験条件(理想化)と現実のずれ

・科学技術と社会のディープな関係
  科学は価値中立的、というわけではない。「使い方が悪いから害悪になった」?
  →科学の純潔主義は、公共的ガバナンスの射程を社会に限ってしまうことになる
  共生成co-production。影響を与えあっている
   ・公的研究費や企業の研究費は社会的目的達成型の研究を増加させる
   ・基礎研究も、応用を支える基礎と見なされる「運命」にある
  政策と技術はパッケージになっている
   ・アーキテクチャ(低所得者が使う路線バスが入れない街区、寝転べないベンチ)
   ・世界の実験室化(携帯を社会で機能させるためには、インフラも導入する必要)
  →よい科学技術とは何か?それは誰にとってよいのか?を考えるのがガバナンスの一歩
   例)緑の革命:帰結=飢餓輸出、高収量作物の栽培負担による離農増
   例)医薬品開発:熱帯病治療の遅れ、市場の失敗。国際連帯税導入の動き

・科学の不確実性とどう付き合うか:論争の視点
  何が論点か?→結局、科学的な側面より、社会的な側面が大きい
  調べる人でデータも変わる(干潟埋め立てに際してのアセスメント方法の違いなど)
  挙証責任は誰が負うか
  リスクを受け入れる基準をどこに置くか=どんな社会を望むかという価値観の違い
  「分析による麻痺」を避けるための「予防原則」
    批判(1)疑陽性による過剰規制(「健康な科学」からの批判)
    批判(2)別のリスクが発生する(副作用のため薬を規制すると病気が増えるなど)
  →どちらに転んでも多少の利益があるno regrets policyを目指すか

・市民参加:ゆるっと踏み出す
  身近な人に話してみる
  ネットでの情報発信と交換
  ガバナンスへの参加は一時的でも構わない
  お金で支援してみる
  調べてみる、問い合わせてみる、パブコメしてみる

・当事者として動く
  AIDSの臨床試験デザインの非人道性の告発
  非専門家によるcommunity based research→偽薬を使わない試験の実現
  非専門家も専門性を獲得できる。「よい科学」観に基づいてまとめ上げる専門性
  反対派ではなく「疑問派」というスタンス
  公共空間で多様な背景の人たちと接し「はっとする」ことの重要さ
  知ることを協働化する:市民と大学が協力して調査研究するサイエンスショップの試み
  社会関係資本としての知識:不得意を補い合う、生活知を織り込む、交流の場を作る

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2015年11月07日 19:57に投稿されたエントリーのページです。

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