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人性論

■ヒューム(土岐邦夫、小西嘉四郎訳)『人性論』中公クラシックス、2010年。

この本には、「人性論」(抄,1739-40)と「原始契約について」(1748)という小論の訳が収録されてます。

いずれにせよ、「それ、ホントにホント?」と疑っていくのがスタイル。

AとBの間に因果関係がある(AによってBが起きる)っていうけど、AだのBだのといったものごとが、「因果関係」という実体めいたものを持っているわけではない。そんなもん、取り出して確認できるものではない。
Aが起きたすぐ後にBが起きる、それがいつも起きることによって、それを経験する「私」の心が慣れて、次にAが起こればBが起きるだろう、と自然に思うようになる。つまり習い性、あるいは「気のせい」、それが因果関係の正体であって、それは「ものごと」ではなくて「私」のほうに帰属してる現象なんだと。

あるいは、政府と、統治される人々の間には社会契約が結ばれているとかいいますけど、そんなもの今まであったためしがないじゃん。
為政者は暴力で実権を握って、臣民が不承不承従ってる間に慣れてきて、秩序になってる。それだけのことじゃないの?

因果関係とか、原始契約とか、そういう五感で感じられるわけでもないのに「ある」と言われてるもの、それってなんか怪しい。「ホント?」って疑ってるうちに、「ある」と言われていたものが崩れ去って、人間の感情とか性質が結局のところ源泉だっていう、身も蓋もない事実が見えてくる。
デカルトも、あれもこれもと疑ってはみたけど、すがれるものが次々否定されていくうちに、会ったこともない「神様」を残したまま打ち止めにしてしまった。でもヒュームはもっと空気読めない人で、神様みたいに世の中がみんな信じなきゃいけないから的に信じてることでも、「それホントじゃない」と思えばその気持ちに正直になって否定する。そういう生真面目なところが弊管理人は好きですし、20世紀には「言葉とモノが一対一で結びついてるなんてウソだよね」と言えるところまでいけた近現代の哲学の原動力だなー、えらいなー、と思ったりしてます。

コメント (2)

okame:

なるほどと思いながら読ませていただきました。私もそういう見方は好きです。大学院時代の指導教官がそういうタイプで、考察することが大好きな方。それってひょっとしたら違うかもの視点はモノの見方の幅を広げ、自由にしてくれますね。と在り来りですみません。

管理人:

問題は世上信じられていることに逆らってそれができるかどうかですね。同時代の外に出るのはなかなか大変だと思います。

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2011年10月06日 01:04に投稿されたエントリーのページです。

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