■ニッコロ・マキアヴェッリ(佐々木毅訳)『君主論』講談社、2004年。
手段を選ばず統治せよ、みたいな乱暴なお話と思いがちです。
しかし読んでみると、執拗に場合分けをし、その条件に応じて取るべき行動を冷静に示して見せる、理想や原理よりも実用を重視した政治「技術」論という印象を受けます。君主向けの手引書とも取れるし、あるいはそれを装いながら実は大衆向けに「偉い人はこんなこと考えて皆さんを治めてますよ」と教える暴露本という見方もできる。中間管理職がインスピレーションを受けてしまう自己啓発書の古典かもしれない(笑、ほとんど読んだことないけど)。
場合分けと対処方針は、こんな感じで進んでいきます。
・政体は共和制か、君主制か。
君主制なら、君主は安定した世襲か、新興か。
(新興の君主が最も統治で苦労をするので、以下そういう場合を中心に話を進める)
・新たに獲得した領地は、自分のところと同じ地域・言語か。
(同じなら旧君主の血統を根絶やしにし、一方で旧来の制度はいじらないこと。
違うならリアルタイムで見張り・対処できるよう自分がそこに移住したほうがいい。
植民も有効)
・君主の部下に統治させるか、土着の諸侯に任せるか。
(諸侯がいるほうが統治を安定させるのが難しい。
なお賢い部下の意見は大事だが、誰から何を聞いてどう判断するかは主体的に)
・君主になったのは実力か、運か。
(実力の場合は新領土獲得には苦労するが維持は簡単。運だと逆)
極悪非道な方法だったか、好意によって受け入れられたのか。
(残酷な行為は必要に迫られて行う一度きりにしないと統治は安定しない。
民衆に好かれ、必要とされたなら安泰だが、貴族の支持でなった場合は注意)
・自分の軍隊を使うか、傭兵を使うか、援軍を当てにするか。
(傭兵はモチベーションが低いし、援軍で勝つとその後の脅威になるので、
自分の軍隊を使いましょう。平時も教養などにかまけて軍事を忘れてはダメ)
・気前がよいのと、けちなのと、どっちがよいか。
(君主にとって危険なのは軽蔑と憎悪だが、気前よく振る舞っているとだんだん
民衆を圧迫することになり、この二つを招来する。けちのほうがまし)
・慈悲深いのと残酷なのと、どっちがよいか。
(慈悲深さが混乱を招くことがある。残酷さの実害が及ぶ範囲を限定して
恐れられつつ憎悪されないようにしたほうが安全)
・信義を守るのと、ずるいのは、どっちがよいか。
(信義の人と思われるように振る舞うのはいいが、必要に応じてずるく
なれるような資質は持っておいたほうがよい。なにしろ結果で判断されるので)
・その他、自分を脅かすような敵を育てないこと、味方を獲得すること、
力や詐術で勝つこと、民衆に愛されると同時に恐れられるようにすること、
兵士に慕われると同時に畏敬されること、度量が多きく気前がよいこと、
しっかり食料と防衛手段を確保することが必要。教会も注意な。
重要なのは、こうした助言が、法律も伝統もある中で国を維持していこうとする君主ではなくて、まさに今から統治を確立しようとする君主に向けられたものだという点。イタリアの混乱を経験した著者ならではの問題意識か。
ルールのない中でルールメイキングをするようなものだから、優先されるのは倫理的であることなんかではなく結果を出すことであって、信義や民衆の好意といった個別の論点と対処方針は当然、この目的に合うかどうかから判断される。反対に、安定した社会の中でこの本に寄りかかり、「うそも方便さ」などと軽々に言うのは慎まねばね、ということ。
四国の旅行に本を持たずに出かけてしまったため、高松駅前の本屋で適当に買った本でした。
■佐藤俊哉『宇宙怪人しまりす 医療統計を学ぶ』岩波書店、2005年。
医療統計の人に「とっかかりが欲しいので、なんか1冊推薦して」と頼んだらこれを薦められました。図書館で借りて2時間くらいで走破。
論文のテーブルを読んで意味が分かるレベルにはちょい足りない。でもこの本を経てネットに漕ぎ出すと、そこらに落ちてる初学者用のパワポなどが読めるようになります。善哉善哉
この分野も統治の技術なんですよね。いろんな意味で。