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贈与論

■マルセル・モース(吉田禎吾、江川純一訳)『贈与論』筑摩書房、2009年。

プレゼントをする、お返しをする。
ほのぼのしたおつきあいと思いきや、米大陸やアジア、オセアニアなどのさまざまな集団に見出され、このたびの分析の対象となっている「ポトラッチ」と呼ばれる体系は、贈る義務、受け取る義務、そしてより多く返す義務を基礎に置いている。そこで繰り広げられる気前の良さ競争は拡大を続け、時には闘争的でさえある。贈る→贈られる、という物の動きとは反対方向に債務が動き、受け取ったパスを次に回すことができない者は面目を失ってしまう。
贈り物をしあう首長は先祖や神々を背負い、贈られる物そのものにも魂が見出される。受け取ったものはしばしば、その場で破壊され、天に「お返し」される。

つまり、交換の体系の中では、ただ物が移動しているのではない。物の交換が人間関係を作り出し、それが回り続けることによって共同体のルールが安定し、構成員に物資が行き渡り、社会的な地位が保持され、霊的な世界との交流が成立する。おそらく、交換が社会を作っている。「全体的給付体系」と名付けられるのはそのためだろう。

「プリミティブ」な集団に見られるこうしたシステムが、あちらの集団でもこちらの集団でも見出された。それならばこれは、古代の遺物というよりは原初的な経済の姿というべきなのだ。原初的なものであれば「モダン」な集団や個人たちもシェアしているはずだ。われわれが独り占めする者、施さない者を嫌うのは、それが社会を危機に陥れると直感するからなのではないか?

* * *

それはそうと、久しぶりに痔になりました。
下半身を冷やしすぎた覚えはないのに、なんだろう。
先週は東海と関西に出張して、一日中座りっぱなしの行事とかがあって疲れたせいだろうか。
とりあえず軟膏塗って1週間様子見ることにしてます。セルフメディケーション(かっこよくない)

コメント (2)

鎮目宰司:

隣席のNくんも「寺」病でしたな。小生はぎっくり腰の再発に覚える日々です…

弊管理人:

わたし両方経験ありますが、いずれも下半身を冷やすことと疲れが2大引き金かなと思ってます。
ぎっくりやると体の中で腰がいかに重要かがものすごく実感されますよねw

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2014年01月21日 22:52に投稿されたエントリーのページです。

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