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神様と神様目線

■デカルト(山田弘明訳)『方法序説』ちくま学芸文庫、2010年。

「我思う、ゆえに我あり」で有名な本ですよね。

いろいろ学校で勉強して、でも飽き足らなくて旅に出て、軍隊に入ったりして、でもやっぱり独りでいろいろ思いをめぐらしていたら、考えがまとまってきました。
生活の上ではなんでもかんでも疑っていたらやっていけないのは分かるけど、学問やるんだったら、絶対確実な前提から出発して、問題をちゃんと切り分けて、コツコツ積み上げていくべきだよ。そのためにはまず疑えるものは全部疑って……最後に残った「どうしても疑えないもの」は、疑ってる当の僕自身の精神だよな。あとそれを保証してるのはやっぱり神様じゃね?
こういう哲学的な基礎があってはじめて自然科学の問題って解けると思う。解剖とかー、解析幾何とかー、地動せt……え?ガリレオがなんかヤバいことになってんの?面倒くさ!まあそれはともかく、人って誰でも神様から理性を分けてもらってるので、ちゃんとやれば誰でも難しいことだって分かるようになると思うわけ。とりあえず僕の成果、本にしとくから、よかったら読んで役立ててちょうだい!

といった内容。論理の飛躍がところどころにあるけど、さまざまな分野の基礎としての数学、部分の積み上げとしての全体、機械のように理解される生体など、いまに至る科学の源流(というか、現代の科学の反省点)を見る思いがします。ハーヴェイとかが同時代の人として出てくるところとか、精神がなくても生き物は動くことがある事例として「切断されてすぐの首が、土を噛むことだってあるでしょ」というスゴイのを挙げるとか、時代を感じさせます(笑)

デカルトの他の著作も自在に引きながら補足説明をしてくれている大量の訳注や訳者解説がとても有用です。テキストの読解ってこうやるんだぜ、みたいな教材にもなりそう。

■大澤真幸 THINKING O 第9号「天皇の謎を解きます」

待ち合わせの時間つぶしに買ったのですが、とうとう待ち人は現れなかった……。

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2011年05月31日 10:03に投稿されたエントリーのページです。

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