« NDLカレー | メイン | ドォーロ »

パラダイムとは何か

■野家啓一『パラダイムとは何か―クーンの科学史革命』講談社学術文庫、2008年。

90年代の終わりに、「現代思想の冒険者たち」というシリーズが出版されました。20世紀の思想をつくってきた思想家たちを総括する内容でとても読みやすく、当時大学生だった自分も何冊か手に取りました。本書もそのうちの一冊ですが、あれからいろいろな本を通過して、14年経ってふたたび文庫版を読んでみると、当時よりも格段に面白く読めました。

「パラダイム」という言葉を人口に膾炙させるきっかけとなった『科学革命の構造』を62年に出版して以来、科学の合理性や進歩を否定したとして厳しい批判に晒されてきたトーマス・クーンを〈科学〉殺人事件の被告人に見立て、検事にそれまでの科学哲学者たちを置き、著者は弁護人を買って出るという構成。刑事裁判の仕組みをちょっとだけ知っていればとてもよく事件の構図と被告人の来歴を把握できる、優れた、そしてちょっと感動的でさえある法廷取材記になっています。

科学革命が起こる過程は、だいたい次のようなものだといいます。
ある研究分野を創出するような基本的課題と概念と研究結果のセット(「パラダイム」。モノとしては、典型的には「教科書」に結実する)が生まれ
→そこから生じてくるさまざまな課題にみんなして取り組み(「通常科学」の時期)
→しかし問題を解いているうちに次々と理論に合わない事例が蓄積していってパラダイムが揺さぶられ(「危機」の出来。この「通常科学を突き詰めるプロセス」を経ないと新旧パラダイムの緊張関係や革命に繋がらないことにも注意)
→そのころ生まれ、旧パラダイムと併走を始めていた新しいセット、つまり新パラダイムへの移行が起きる(「科学革命」)
→始めに戻る。

旧パラダイムと新パラダイムでは、たとえば「力」「運動」「質量」といった同じ言葉を使っていても、その意味が変わってしまっており、新旧のパラダイムを比較して「こっちよりあっちのほうが正しい」と評価できるような判事の立場が設定できない(本法廷ではポパーが判事を務めていますが、この人は検事と同じ立場なので、本当は判事の席にいてはいけないのですね)。これが「真理に向けた科学の累積的進歩」を否定したとして反発を呼んだポイントだったようです。

筆者は、批判に反論し、誤解を解きほぐしながら、クーンの弁護を進めていきます。

確かにクーンは「真理に向けた科学の累積的進歩」を否定しましたが、
第一に、それは科学革命の時期(パズルの盤自体が変わっちゃう時期)の話であって、通常科学(みんながパズルを解いてる段階)の内部では累積進歩が起きていると認めている。
第二に、科学が累積的に真理に近づくという見方は確かに否定する。けれども、かわりに、科学は革命期に「進化」をしているのだと見るのが適切だという。つまり、起きているのは生物がやっているような最終目標のない進化であると考える。科学が進化するときには基本設計が変化するだけであって、何かの積み増しが起きているのではない。

新旧パラダイムはまったくコミュニケート不可能だとも誤解されているが、両方を理解することはある程度は可能で、新たに異文化を学ぶときのように、概念のセットの翻訳作業のような方法を通じて迫っていくことができるはずだという(科学史研究者としてクーンがした仕事の方法がこれ)……など、など。

この本では、彼が何を追撃していたかも丁寧に解説してくれています。科学哲学のクーン前史とパラダイム論争、科学社会学の流れと基本概念がざっと見られる、親切な本だと思います。

あ、あと最近これも読んだ。
■アレックス・ローゼンバーグ(東克明他訳)『科学哲学』春秋社、2011年。
けど、訳文に全く馴染めず、校正も甘く、まず読み物として苦痛すぎて飛ばし読みせざるをえず。
ストロング・プログラムを「強いプログラム」って訳すのは普通なんだっけか。

About

2012年05月19日 12:14に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「NDLカレー」です。

次の投稿は「ドォーロ」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.35