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孤独な散歩者の夢想

■ルソー(永田千奈訳)『孤独な散歩者の夢想』光文社,2012年.

『エミール』の発禁と逮捕状の発布、逃亡生活ですっかり厭になっちゃった、ちょっと病んでる思想家のエッセイだとは知らずに、なんとなく手にとって読み始めて、のっけから「この世にたったひとり。」とか切り出されて面食らいました、正直。

無理矢理でも半分くらいまで読んだらサヨナラしようかな、と思いながら読み始めたものの、結局ずんずん最後まで読み切れてしまったのは、妙にこの「世の中めちゃ面倒」という感じ、なんかわかる、って思ってしまったからです。

第6の散歩では、人に親切をすると気持ちがいいし、したいのだけど、実際やってしまうと次も期待されて、義務みたいになっちゃって、もし途中で親切を中断すると、もともと何もしてなかった状態よりさらに裏切られた感じを相手に与えちゃって、ああもう諸々うぜえ、というぐねぐねが綴られています。倫理と義務が結びつくカントとか無理。しかも顔の見える関係性の中でだと超窮屈。こういう人が現代に生きていたら、フェイスブックで他人の気分の上げ下げに付き合わされるのとかまっぴらご免なので、友達ほとんど全員のフォローを外して、気の向いたときに自分から見に行くようにしてます、とか言いそう。ていうかそれ弊管理人。

第7の散歩は、年食うということの寂しさに満ちています。今から何を始めるというのもな、っつってとっつきやすい植物観賞にはまり、それにまつわる思い出に遊ぶというか、そういう手持ち無沙汰な状態。これも長く弊管理人が抱えながら反抗している気持ちではあります。ルソーの場合はさらに深刻で、第9の散歩では、子どもと接する時に、その反動として自分の老いを再認識してしまう、もっというとコンプレックスさえ醸し出してしまっている。「おっさんが近づいたら子どもも迷惑だよね」なんて悩んだりして……

優しい人でありたくて、しかし人間嫌い。でも他人が接してくれるのは嬉しくて、そういうことがあると舞い上がっちゃうのだけど、なんかその感謝の表出の仕方がぎこちない。痛いというか。で人間関係、ほんと面倒くさいっていうところに戻る。

世の中のことを考えるのには一区切りつけてあり、もうこの世で追求すべきミッションもないし、新たに何かをというつもりも気力もないのに、時間は中途半端にある。そんな「生きベタ」な自分のあれこれを、それでも思わず書き付けてしまう。でも書き付ける気になったのは多分、「でもまあいいか」という境地に達したからこそじゃないかと思います。そこにこそ普遍性(「なんかわかる」)への窓が開くというもの。いやどうかな。

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2017年08月09日 09:00に投稿されたエントリーのページです。

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