■塩川伸明『民族とネイション』岩波書店、2008年。
学生のときの語学の授業で教材になったQu'est-ce qu'une nation?を読んでから、そういや一体何ですかねと思いながら放ってきた(つまり上記教材ではよく分からなかった)ネイションとその周辺について。I章を使って概念の整理を↓
・エスニシティ=血縁、言語、宗教、文化など(のうちのどれか)を共有していると信じている、それなりの人数を含んだ集団。本当に共有しているか、科学的に見てもそうかといったことは問わない。
とりあえず、民族性という性質としての意味と、「エスニックグループ」「エトノス」「エトニ」といった集団としての意味をまとめてこの言葉で表す。(中身や線引きは流動しうる。「民族」でも同じ)
・民族=エスニシティを基盤として、一国に匹敵するような政治単位になることを志向するようになった集団。「○○人」「○○族」。言語の共有が重要な指標とされることがある。
・国民=ある国家の正統な構成員の総体。内部がエスニックに同質とは限らない。
・ネイション=民族と国民、両方の意味合いがある。この言葉の中にエスニックなニュアンスがどれくらい含まれているかは時代や国によって結構変わる。国籍が出生地主義の英語や仏語だと「国民」に近い。独語や露語はエスニックな色づけが濃い。
・ナショナリズム=国家と民族を一致させようという考え方や運動(ゲルナーが典型)。
こう考えると、民族の分布と国家の領域の関係が4類型に分けられる。
(1)民族の分布>国家の領域。朝鮮半島、中国と台湾、アラブなど。
(2)民族の分布<国家の領域。例多数。この場合のナショナリズムは分離独立、自治獲得、連邦化を要求。
(3)民族の分布≒国家の領域。ナショナリズムは定義上起こらないはずだが、それでも「われわれには民族的自覚が足りない」と鼓舞する動きが起きてくる可能性。また国内少数民族、在外同胞問題も孕みうる。
(4)民族が散在。ディアスポラ。華僑、印僑、ユダヤ人など。本国や本拠地があるパターンとないパターン。
・パトリオティズム=次の二つの場合が考えられる。
(1)範囲の大小。
1-1:広く国家への忠誠がナショナリズム、より狭い郷土への愛着がパトリオティズム。
1-2:逆に、国家に対するのがパトリオティズムで、愛郷心がナショナリズム。例えばソヴェト・パトリオティズムとウクライナ・ナショナリズム。グレート・ブリテンへのパトリオティズムとスコットランド・ナショナリズムなど。
(2)コミットの仕方。
単純素朴な愛着心=パトリオティズム、自覚的なイデオロギー=ナショナリズム。
公共性や自由を基礎にしたもの=パトリオティズム。排他的、偏狭=ナショナリズム。
「よいナショナリズムをパトリオティズムと呼ぶ」というニュアンスが感じられるが、固定的・一方的なラベリングに陥る可能性があるので注意。よいものがいつまでもよいかは怪しいし、中の人が主張するのか、外から分析しているのかで見方が違うことも大いにあるでしょう。
・民族のとらえ方。ただし2極の間にいろいろな立場あり。
(1)歴史:近代主義(近代に出現した)/原初主義(もともとあった)
(2)生成の仕方:構築主義(文脈の中でつくられた)/本質主義(自然に基礎を持つ)
(3)運動の原動力:道具主義(設計された)/表出主義(わき上がった)
と、まずはこれくらいのツールを持っておくと、本書でこのあと展開する地域ごとの分析を読むときの見通しがよくなるし、人が「われわれ」と「かれら」を分ける有様を考えるときの拠り所にもなってくれる。コンパクトで有用、新書の役割を十分に果たす有り難い本と思いました。